都営三田線40周年
2008年 12月 27日
今日(12月27日)に都営三田線(旧都営6号線)の志村(後の高島平)~巣鴨間が開業してから40年経ちました。
開業当時の路線 志村(現、高島平)~西台~蓮根~志村三丁目~志村坂上~本蓮沼~板橋本町~板橋区役所前~新板橋~西巣鴨~巣鴨
開業当初は6000形(都営地下鉄)の4両編成による運転で、前面に帯が無く、側面の帯が赤色だった。
当初の予定では、西高島平から和光市方面に延長されて東武東上線と、三田から泉岳寺、桐ヶ谷方面まで延長されて東急池上線と結ばれる予定だった。
東武東上線との直通は東京メトロ有楽町線または副都心線にシフトされている。
志村~志村三丁目間は都営地下鉄初の地上区間で、志村の車両基地は開業当初からある。
1970(S45)年7月にはラインカラーの導入により現在の青帯に変更
1972(S47)年6月30日に日比谷まで延長された時には現在の6両編成となり、板橋エリアから始まった都営6号線(現、都営三田線)が都心部にも進出。
翌年の1973(S48)年11月27日には三田まで延長。三田で都営1号線(現、都営浅草線)に接続。
1976(S51)年5月6日の西高島平~高島平間の開業してから2000(H12)年9月26日に三田~白金高輪~目黒間が開業するまで24年間というブランクがあり、西高島平~三田間の運転が長く続いていた。
目黒延長と同時に東急目黒線との相互乗り入れも行われるようになったので、1067mmのレール幅が本領発揮されていた。
都営6号線から現在の都営三田線に変更されたのは、1978(S53)年7月1日のこと。
都営地下鉄6000形は、目黒延長の前年である1999(H11)年11月28日にラストランを迎えていたけど、自分はそのさよなら列車や志村の車両基地での撮影会に行ったことを覚えている。
都営地下鉄6000形は熊本電鉄、秩父鉄道に譲渡されたほか、インドネシアに輸出されている。
6300形は、東急線との直通運転に備えて1993(H5)年6月23日に登場。翌年の1994(H6)年までの第一次置き換え計画では、6000形の非冷房車が淘汰されていた。
当初の計画では、冷房改造された6000形が直通仕様に改造されることが検討されていたけど、新車への置き換え並びに6300形への車種統一が妥当と判断された為に、1999(H11)年に第二次置き換え計画により6300形のIGBTバージョンによって置き換えられていた。
6300形は、6000形の置き換え用だけでなく、目黒延長用の増備車としても導入されていた。
今年6月22日に東急目黒線の直通運転が武蔵小杉から日吉まで延長されて現在に至る。
画像は、12月20日に巣鴨で撮影した都営6300形、4月5日に影森駅で撮影した秩父鉄道5000系(元都営地下鉄6000形)。
by hy_sengen-sin
| 2008-12-27 15:51
| 鉄道車両・路線