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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

小田急ロマンスカーについて3

かつて活躍していた特急ロマンスカー
 
旧3000形SE(SSE車) 1957(S32)年7月、8両編成3本24両がデビュー 同年の9月、第二編成(旧3011F)が国鉄(現JR)に貸し出され、この時に東海道線で行われた高速試験で時速145Km/hをマークしていた。 翌年には初のブルーリボン賞を受賞。愛称はSE(Super Express)
ちなみに、第二弾のブルーリボン賞受賞車両は、151型こだま型車両である。
1959(S34)年に1本増備 4本となった。

軽量化、低重心化、連接台車の採用で斬新なスタイルとなっていたけど、当時は非冷房であった。 1962(S37)年に床置き式の冷房装置が搭載された。

1968(S43)年7月1日、国鉄(現JR)御殿場線の電化により、これまでのキハ5000形DCに代わって、御殿場まで乗り入れるようになる。

これに伴い、8連4本32両から5連6編成30両に短縮化され、スタイルも大きく変わったのである。 一部中間車の先頭車改造も行われ、余剰となった2両は廃車となった。
愛称は、SSE(Short Super Express))
編成が短縮化された後、5両単独のほか、5+5の重連運転も行われていた。 このため、前方がA号車、後方がB号車と区別されている。

昭和60年代に入り、車体更新が行われ、その対象から外された第一編成3001F、3011Fが、LSEやHiSEの導入により廃車となった。

3001Fは、1983(S58)年に、大井川鉄道に譲渡され、電車急行(おおいがわ、あゆの里号)に使われていた、喫茶カウンターでは、緑茶の販売が行われていた。 5両編成で輸送力過剰であることや、利用客の減少により、運用から外され、千頭駅構内で野ざらし状態となっていたけど、1993(H5)年に解体されてしまった。 筆者が1991(H3)年8月に乗りに行った時にそれを確認しました。

車体更新されて残ったSSE車の4編成は、1991(H3)年3月15日まで急行(連絡急行)あさぎり号を中心に運転されていた。 あさぎり号以外の小田急線内の特急(あしがら、さがみ、えのしま号)にも使われていたけど、1989(H1)年のHiSEの2次車の導入により、撤退した。 はこね号からの撤退は、1980(S55)年のLSEやHiSEの導入の時。

1991(H3)年に、あさぎり号が、特急に格上げ・沼津延長され、20000形RSE車およびJR東海371系に置き換えられた後、予備車として残されていたけど、翌年の1992(H4)年3月8日の特別運転でラストランを迎えていた。当時は唐木田まで乗り入れていた。
4編成のうち、第三編成の3021Fは、翌年の1993(H5)年に、海老名の車両基地の屋内の保存棟に静態保存された。 新宿寄りの先頭車は、往年の前面および塗装が再現されている。 これが、毎年10月に行われる海老名のイベントで一般公開されている。

それ以前には、1700形・1900形、2300形(特急仕様車)もあった。
2300形の特急仕様車は、京成の3200形の開運仕様車と同様に、トイレ付きのクロスシート車、簡易特急車だった 1959(S34)年に、準特急列車への格下げにより2ドア両開き車のセミクロスシート車に改造、喫茶コーナーは撤去されたけど、トイレは残されていた。 同時に増備されていた2320形列車も同様のトイレ付きセミクロスシート車だった。かつて存在していた急行用の2220形も、3ドアロングシート付きでありながらトイレが付いていた。 現在は小田急のトイレ付きの車両は、特急車のみとなっている。
1963(S38)年、準特急運用の廃止により、3ドア片開きロングシート化、トイレの撤去、2両編成に分割された上で、1984(S59)年の旧2000系列の全廃の時まで使用されていた。 一部は富士急行に譲渡されたけど、1996(H8)年までに元京王5000系から改造された1000系に置き換えられて全車廃車となっている。
準特急の種別=現在では京王電鉄で使用されている。
3100形(NSE車) 1963(S38)年3月16日 SE車をベースとした小田急初の前面展望車としてデビュー 愛称はNSE(New Super Express)最初から11両編成。4編成がデビュー 運転台を2階に上げた前面展望車は、名鉄パノラマカー7000系に続いて2社目の採用となった。 窓は大型に
翌年の1964(S39)年にブルーリボン賞を受賞

1966(S41)年に2編成、1967(S42)年に1編成増備され、7編成77両となる。

1983(S58)年から1988(S63)年にかけて車体更新が行われ、前面の愛称表示の電動化、冷房能力の向上、足回りの更新、喫茶コーナーの大型化、内装の改良で大きく変わりました。

1996(H8)年、30000形EXEの導入により、3121Fを皮切りに廃車が始まる。 この3121Fから、解体作業が大野工場に代わり、群馬県の北館林荷扱所に変更された。 大野工場で、床下機器などを外した上でトレーラーに乗せられ、北館林まで陸送、北館林到着後その場で解体ということになった。
このNSEは、1997(H9)年度に2本(3101、3141F)が、1999(H11)年度に3本(3181、3201、3221F)が廃車。オリジナルの3100系NSE車は、1999(H11)年7月16日に、箱根湯本発新宿行きのはこね号で定期運用から撤退。当時の編成は3221Fだった。

3161Fは、1997(H9)年に、小田急70周年記念イベント列車である「ゆめ70」に改造された。 シートの張り替え、1、11号車がラウンジスペースに改造されて異彩を放っていた。 1997年と1999年の海老名のイベントでも一般公開。
ゆめ70号は、2000(H12)年4月23日の新宿~小田原間の特別運用でラストランを迎え、NSE車の歴史に終止符が打たれていた この編成は、ゆめ70塗装のまま、北館林まで陸送され、この場で解体されていた。陸送の時は目を引いていたと思います。

3181Fは、新宿寄りの先頭車(3181号車)を除いて北館林で解体。 この3181号車のみ、開成駅前第二公園(東口)に静態保存 2001(H13)年から土休日を中心に一般公開されている。    
昨年6月5日、開成駅で行われた2600形旧塗装車(2670F)のさよなら撮影会の時も一般公開されていたので、かなり賑わっていました。

3221Fは、喜多見の車両基地に静態保存 当初は11両で保存されていたけど、2001(H13)年にスペースの確保の問題により、6両編成に短縮され、抜かれた2号車から6号車までのユニット(3226~3230号車)が抜かれ、北館林で解体された。
 そのため、7号車の隣が展望車ということになった。
3221Fは、昨年の海老名でのイベントで展示されていました。
さようなら3100形NSE車のマークおよび、側面のシンボルマークが未だに付いたままの展示となっており、今でも走り出しそうな状態でした。
by hy_sengen-sin | 2005-09-06 16:11 | 鉄道車両・路線