人気ブログランキング | 話題のタグを見る

交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

東京総合車両センター

東京総合車両センターの一般公開「夏休みフェア」では、今年度中に首都圏から姿を消す103系、改造入場中の205系などの展示と盛りだくさんの内容でした。

まずは、103系の試乗コーナーに行き、鶴見線の103系に試乗しました。 この試乗会に使用された103系は、鶴見線で最後まで残った3両編成のT1編成(クモハ103ー66F)でした。

鶴見線では、205系への置き換えが完了しているため、この103系は現在予備車扱いとなっている。 行き先表示は、武蔵白石となっていました。 武蔵白石といえば、今から9年半前まで、クモハ12型電車がここから大川まで折り返し運転されていたことがありました。現在は東京総合車両センターに保管されている。

この鶴見線の103系は、現在貴重となった低運転台のブタ鼻ヘッドライトとなっている。 常磐快速線の103系の5両の付属編成もこうなっているけど。 あとは、関西でも見ることが出来なくなったカナリア色の103系の最後の砦でもある。南武本線からは、昨年12月に全廃となったし。

この後、JR東日本グループのバス会社であるJRバス関東の2階建てバス(三菱ふそうのエアロキング)の中に入ったけど、冷房が掛かっておらず、とても暑かったです。 特に2階部分は蒸し風呂状態となっていたし。 この横に展示されていた富士宮線用のいすゞガーラ(プレミアムコーチ)の中にも入りました。このいすゞガーラは、最近日野セレガとともにモデルチェンジされたため、先代モデルとなっている。このJRバス関東は、今から17年前の1988(S63)年4月1日に、JRバス東北とともに、JR東日本のバス事業から分離・独立された会社である。 JR東海バス、西日本JRバス・中国JRバスも同様に分社化されて設立されている。
関東の大手私鉄では、相鉄を除き、バス部門の分社化が完了している。西武バス・小田急バスは古くからバス専門の子会社となっているけど。 小田急箱根高速バスは、元小田急電鉄の高速バス部門であった。

東武鉄道のバス部門は、東武バスセントラル、東武バスウエスト、東武バスイースト、東武バス日光に分社化。 群馬エリアの東武バスは、系列の関越交通に移管。

京王バスグループは、京王電鉄の子会社である京王電鉄バスを筆頭に、京王バス東(旧京王バス)、京王バス中央、京王バス南(旧南大沢京王バス)となっているし。

話はJRに戻るけど、この時に、今年3月まで山手線を走っていた、クハ205-2F(京葉線に転属予定)も見ることが出来ました。 この吊り上げ実演も行われていたし。 昨年は、山手線色の編成が使用されていた。

休憩用の車両は、京浜東北線の209系(クハ209ー40F)が使用されていました。こちらも冷房が効いていたので最高でした。

車両展示コーナーでは、保管されている旧型車両、武蔵野線・常磐快速線・八高・川越線の103系の並びを見ることが出来ました。

エメラルドグリーンの103系は、訓練車のクハ103ー335F。こちらの動向も気になります。

八高・川越線で唯一残ったクハ103-3003Fは、かつて使われていたHMが付けられていた。

この103系3000番台は、10月2日の特別運転をもって営業運転終了となる。

これにより、残っている東日本の103系は、武蔵野線、京葉線、常磐快速線、鶴見線だけとなる。これらの車両も今年度中に全廃予定となっているし。

武蔵野線のほうは、ほとんどが205系となり、103系は予備車となりつつある。

この時にVVVF化入場中の205系の生え抜き車も見ることが出来た。

東京総合車両センターの入り口付近では、101系の試作車(クモハ101-902号車、旧モハ90503号車)を見ることが出来ました。こちらは1957(S32)年に大井工場(現東京総合車両センター)で製造され、1960(S35)年に101系に変更された。

入場した時は、行き先が東京競馬場前で、ホリデー快速観梅号のHMが付いていました。 15時ごろの撤収の時は、国分寺行きで特別快速のHMに変わっていたけど。

側面には、32年前まで使用されていた、婦人・子供専用車(女性専用車のルーツ)の表示もある。

9月5日から、中央快速線の朝ラッシュ時の上り列車(東京方面、新宿駅に7:30~9:30に到着する列車)の先頭の1号車に女性専用車が導入されることにより、婦人・子供専用車が32年ぶりに復活することになった。
これには、高尾・大月・青梅始発のほか、奥多摩、高麗川、河口湖始発も含まれることになる。
富士急線内でも初の女性専用車の対象になる。
JR東日本では、2001(H13)年に導入された埼京線・川越線に続き、2路線目となった。

今から32年前の1973(S48)年4月1日に、武蔵野線の府中本町~新松戸間が開業する前は、国分寺から東京競馬場前まで、下河原線という路線(中央本線の支線)が走っていた。
中間に北府中駅があるけど、現在でも武蔵野線の駅として使用されている。 北府中は、東芝府中事業所の前にある駅で、この府中事業所では、EH500型の電気機関車が製造されていることで有名である。

この下河原線は、武蔵野線の開業と同時に、旅客営業が廃止され、1976(S51)年には貨物営業も廃止された。

東京競馬場前駅は、府中本町駅より南方200mほどにあった。 
現在は下河原線の廃線跡とともに、遊歩道、公園として整備されている。

以前は、大井(現東京総合)、大船(現鎌倉総合)、大宮でも車両の製造が行われていたけど、現在はJR東日本の車両製造部門がすべて新津に移管されている状態である。

この101系試作車は、再来年の2007年秋に大宮にオープン予定の鉄道博物館に保存される予定である。

このブログでは、鉄道のほか、バスについても触れていきたいと思います。
by hy_sengen-sin | 2005-08-29 16:36 | 鉄道イベント