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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

小田急シティバス

あの後は、渋谷のハロショに行き、ここから梅ヶ丘まで小田急シティバスの渋54系統で移動しました。

その前には、東口バスターミナルで、東急バス渋71系統(洗足線)の新車(SI8770、品川200か17-23号車、三菱ふそう)を見ることが出来たけど、女性の運転手が運転していました。

目黒営業所所属時代は日野の中型車が当たり前だったけど、下馬営業所に移管された現在は、目黒営業所から継承された日野の中型車ほか、三菱ふそうの中型車も使用されるようになった。

目黒営業所管内では、6月27日からPASMOが導入されているので、都営バスとの共同運行である東98系統(東京駅南口~目黒駅経由~等々力操車所間)でのPASMO問題が解決されていた。 瀬田営業所のほうは、6月13日からPASMOが導入されている。

渋54系統は、渋谷駅の西口の4番乗り場(三菱東京UFJ銀行前)から発車。渋谷駅に乗り入れる小田急バスは、渋54系統のほか、渋24系統(渋谷駅西口~成城学園前駅西口間、東急バス弦巻営業所との共同運行)、渋26系統(渋谷駅西口~狛江駅北口経由~調布駅南口間)
もある。 

渋24の小田急担当便と渋26系統は、狛江営業所所属。

以前は渋25系統(渋谷駅~狛江駅南口間)もあった。

調布南口線は、二子玉川駅発着の玉08系統もある。

渋24、26系統は、道玄坂を経由するけど、道玄坂の歩行者天国で通れない時は、国道246号経由で運転されているけど、1994(H6)年以前は、旧玉電渋谷駅跡のバスターミナルから発着していた。 この時にターンテーブルに乗った小田急バスの車両も見られていた。

小田急シティバスは、2000(H12)年2月1日に設立された小田急バスの子会社で、同年8月1日に小田急バスの夜行高速バス部門が移管されていた。

翌年の2001(H13)年1月16日には、若林営業所管内の一般路線の受託が行われるようになった。

小田急シティバスの夜行高速バスは、新宿駅から秋田、福山・尾道・三原、岐阜、津山・岡山・倉敷・児島、高知方面、東京駅から三次・広島方面へと出ているけど、三次・広島方面へのニューブリーズ号(JRバス関東、中国ジェイアールバス、広島電鉄との共同運行)が、小田急シティバスで唯一東京駅発着となっている。

新宿~津山・岡山・倉敷・児島間のルミナス号は、新宿駅西口の発着場所が、明治安田生命ビルの前となっていることで、他の系統とは異なっている。

その他の新宿発着の便は、小田急箱根高速バス、宿44系統(新宿駅西口~幡ヶ谷~永福町~上高井戸~吉祥寺駅~第七小学校前~武蔵境駅南口間)と同様に、小田急ハルク(ビックカメラ前)から発着している。

宿44系統は、吉祥寺営業所所属で、専用のいすゞエルガミオの小型車が使用されている。

流石に全区間通しで乗る人が少ないけど、乗ってみるのも面白いかもしれないです。

この路線は、1949(S24)年に119系統として開設された当時は、東京都交通局(都営バス)、京王帝都電鉄(現、京王バス)による共同運行で、東京駅~武蔵境駅間の路線だった。
一時期はトレーラーバスも使用されていたこともあった。

1970(S45)年には、新宿駅発着となり、小田急バスによる単独運行となる。

渋54系統(小田急梅ヶ丘線)は、1954(S29)年10月1日に、渋谷駅~梅ヶ丘駅~経堂駅間の路線として開設されていた。 1970年代には、梅ヶ丘まで短縮されていた。

2003(H15)年10月16日には、梅ヶ丘駅付近の踏切解消により、一部の便が希望ヶ丘団地まで延長されていた。

この時に乗った車両は、小田急シティバス世田谷営業所(小田急バス若林営業所)所属のB605(品川200か10-81)号車で、三菱ふそうの中型車である。

こちらは、新製当時若林営業所所属で、一時的に吉祥寺営業所(多摩ナンバー)で使用されていたことがあった。

渋谷~淡島間は、東急バスの渋51、52系統(若林線、渋谷駅~若林折返所、世田谷区民会館間、淡島営業所所属)と同じルートを通っている。こちらもPASMOが使える

渋51系統、東急バス淡島営業所の路線の中で最も本数が多く、平日朝間は2分おき、日中でも1時間に10本は走っているので、都内の東急バス路線の中ではドル箱路線のひとつとなっている。こちらは昨年5月20日から平日のほか、土曜日にも深夜バスが運転されるようになったし。この沿線は、鉄道の駅から遠いので、バスが重宝されているので。

現在はモーニング娘。のファン活動が活発で、そのファンの友人を多く持っているので、ドル箱路線に例えられる状態となっている。航空路線で言えば、東京(羽田)~札幌線などがドル箱路線となっているし。

モーニング娘。のファンの初期の頃は、ファン活動が少なく、ファンの友人もゼロに近かった。 
 こちらは、開業当時は何も無かったけど、しばらく経った後に住宅や商業施設などが建ち並ぶようになった状態にも例えられている。 

逆にdream(現DRM)のファンのほうは、ファン活動が少なく、ファンの友人が不在となってしまったので、逆に赤字路線みたいな状態となってしまった。 こちらは鉱山が閉山した後の路線、であるJR美祢線の大嶺支線(山口県、南大嶺~大嶺間)および三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(北海道、清水沢~大夕張炭山間)と同じような状態となってしまったし。

渋54系統ではPASMOが使えました。 小田急バスでPASMOが使えるのは、若林営業所(小田急シティバス世田谷営業所)と狛江営業所となっている。

神泉町交差点で、旧山手通りを入り、その後、左折して、淡島通り(渋谷経堂線)を通りました。 青葉台四丁目バス停付近には、コヤマドライビングスクール(自動車教習所)の本社がある。 ここにその本社があるということは、バスの案内テープの放送で知りました。

コヤマドライビングスクールは、二子玉川校(世田谷区)、石神井校(練馬区)、秋津校(東村山市)、綱島校(横浜市港北区)の4ヶ所あるけど、筆者は、そのうちの石神井校で教習を受けていたのである。

石神井校は、石神井自動車教習所から買収されて開設されていた。

筆者のところからは、池袋のサンシャインシティの近くにある豊島自動車教習所が近いけど、通行量が多いということで、板橋、練馬エリアに固執していた。板橋、練馬エリアの場合は運転の練習がしやすそうな道(環境)があるし。

1998(H10)年に自動車教習所を選ぶ時には、板橋、練馬エリアの教習所を回っていたけど、コヤマの場合は以前石神井校と二子玉川校で体験入学したことがあること、信頼のおけるコヤマグループであることなどで、コヤマドライビングスクール石神井校を選んだのである。 当時は、椎名町から西武池袋線で練馬高野台まで通っていた。 

コヤマドライビングスクールの教官(インストラクター)は、とても感じがよかった。 現在はインストラクター全員がマナー検定を取得している。

当初は、当時練馬区在住だったT.M君も通っていた北豊島園自動車自動車学校、大泉自動車練習所も候補となっていた。

萩原清さんのほうは、地元の高砂の京成ドライビングスクールに通っていたことがあった。

淡島通りで、山手通りの新道を横断した後は、松見坂を通りました。

駒場バス停の手前では、森敏英さんの世界である制服向上委員会(SKi)のコンサート会場であるこまばエミナースの前を通りました。

こちらは昨年9月24日に一旦解散していたけど、復活を望む声が大きかったので、SKiユニットとして復活している。 森敏英さんのほうは、ファン活動を継続している。

淡島では、右折し、代沢、代田エリアの狭い道に入りました。 この時には、東急バスの淡島営業所の前を通りました。 この淡島営業所は、一般の路線バスの車両のほか、渋谷エリアでの無料循環バス、ハチ公バス(夕やけ小やけルート)、NHK線の路線バス(東急担当便)も所属しているので、これらの車両も見ることが出来ました。 淡島通りをこれらの車両の回送車が通っているのは、そのためである。

宮前橋交差点で、環七通りを横断。 この時にB306(品川200か・226)号車のいすゞのエルガミオの渋谷行きとすれ違いました。 B306の番号で、Berryz工房の嗣永桃子女史の誕生日(3月6日)、226の番号で、元モーニング娘。の藤本美貴女史の誕生日の番号なので、これらのメンバーを思い出しました。 この車両に当たっていれば、話題になっていたところだった。

梅ヶ丘駅では、北口に到着。

小田急シティバスの路線は、梅ヶ丘線のほか、経堂線、梅01系統(梅ヶ丘駅北口~経堂~希望ヶ丘団地~千歳船橋駅間(深夜バスも運行))、歳22系統(千歳船橋駅→希望ヶ丘団地→粕谷一丁目→千歳船橋駅間循環)
歳24系統(千歳船橋駅→希望ヶ丘団地 (深夜バスのみ))

三軒茶屋線、下61系統(北沢タウンホール~下北沢駅前~代沢小学校~代沢十字路~三軒茶屋~上馬~駒沢陸橋間)

[編集] 新宿~よみうりランド線

新宿駅西口~幡ヶ谷~調布~矢野口~よみうりランド間もある。

よみうりランド線は、3月16日~6月15日、9月16日~11月15日の日曜・祝日に2本だけ運行されており、笹塚2丁目~調布(調布駅北口)間は無停車である。

梅ヶ丘からは、北口にある羽根木公園を散策した後、世田谷代田駅まで歩いていきました。

羽根木公園の北側からは、京王井の頭線の東松原駅(アジサイライトアップのある駅)まで歩いて行くことも出来る。

世田谷代田~梅ヶ丘間の環七横断部は、道路部分が下となっているけど、地下化された暁には、環七通りの下を走ることになる。

この時に、経堂の車庫まで回送される小田急箱根高速バスの車両(品川200か・879)の三菱ふそうエアロクイーンを見ることが出来ました。

小田急箱根高速バスの経堂車庫は、以前南側の線路沿いにあったけど、小田急線の高架・複々線化工事により、北側に移転している。

小田急箱根高速バスは、京浜急行バスとの共同運行路線である羽田空港、横浜~御殿場、箱根桃源台線を含めてPASMOが使える高速バスとなっている。

世田谷代田・東北沢では、橋上の仮駅舎を見物しました。

世田谷代田から東北沢までは、3000形の3663F、東北沢から新宿までは同3655Fで、どちらも8両固定編成となっていました。
by hy_sengen-sin | 2007-06-28 13:25 | バス乗車記