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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

山口県の交通2(鉄道、航空編)

1961(S36)年まで走っていた船木鉄道は、宇部駅から北上し、万倉、吉部へと至っていた路線だった。

当時の路線、宇部~有帆~字中村~船木町~裁判所前~宗方~伏附~万倉~矢矯~今富~峠~大棚~吉部

廃止されたのは、1961(S36)年11月19日のことで、万倉~吉部間は、1944(S19)年3月1日に不要不急線に指定されたことにより休止となっていた。

サンデン交通の前身である山陽電気軌道(路面電車)は、1971(S46)年2月6日に、下関駅~唐戸~東下関~幡生間(長関線の一部および幡生線・唐戸線)を最後に廃止されていた。 同年6月にサンデン交通に社名変更され、完全なバス会社となっていた。

1969(S44)年10月30日には、下関駅~彦島口間(大和町線)、唐戸~長府駅間(長関線の一部)が一足先に廃止されていたけど、下関駅~彦島口間は、晩年は平日朝夕のみの運転となっていた。

山陽電気軌道を走っていた車両のうち、700形の3両、800形の4両は、廃止後に土佐電気鉄道(高知県の路面電車)に譲渡され、現在でも走っている。このうち702号車は、山陽電気軌道時代の塗装が再現されている。

このように、かつて山口県の下関でも路面電車が走っていたということを最近になってから知りました。 

やはりサンデン交通の社名について疑問に思っていたので。

山口県を走るJRの路線は、山陽本線(岩国~下関間)、山陽新幹線(新岩国~新下関間)、山陰本線(江崎~幡生間、長門市~仙崎間)、岩徳線(岩国~櫛ヶ浜間)、山口線(船平山~新山口間)、宇部線(新山口~宇部新川~宇部間)、小野田線(居能~雀田~小野田間、雀田~長門本山間)、美祢線(長門市~厚狭間)

あとは、第三セクターの錦川鉄道(川西~錦町間)も出ているけど、御庄駅で、山陽新幹線の新岩国駅に接続している。

美祢線のほうは、1997(H9)年4月1日まで、 南大嶺~大嶺間の支線も出ていたこともあった。この路線が廃止された理由は、沿線の過疎化や大嶺炭鉱の閉山などで需要が減ったからである。

このように、閉山により需要が減ったことで廃止された路線は、北海道の三菱石炭鉱業大夕張鉄道線を思い出します。

こちらは、1987(S62)年7月22日に、三菱南大夕張炭鉱の合理化により、清水沢~南大夕張間が廃止されていた。

1973(S48)年12月16日には、三菱大夕張炭鉱が閉山したことにより、南大夕張~大夕張炭山間が一足先に廃止されていた。

路線は、清水沢~新清水沢~遠幌~南大夕張~シューパロ湖~ (臨)農場前~ 明石町~千年町駅~大夕張~大夕張炭山

こちらは、その名の通り、三菱マテリアルの系列(三菱グループ)だった。

我々が何気なく飲んでいるキリンビール(麒麟麦酒)が三菱グループであるということを知らない人が多い。

話は山口県に戻すけど、錦川鉄道(錦川清流線)は、1987(S62)年7月25日に、旧国鉄(JR西日本)岩日線から転換されていたけど、今年は開業20周年を迎えることになる。

路線は、川西~(森ヶ原信号場)~御庄~守内かさ神~南河内~行波~北河内~椋野~
南桑~根笠~河山~柳瀬~錦町

守内かさ神駅は、1993(H5)年3月18日に新設されていた。

車両は、開業当時から在籍しているNT-2000形、トイレ付きのイベント用車であるNT-2100形、今年3月31日に登場したNT-3000形が在籍している。

NT-3000形は、NT-2000形DCの置き換え用として導入された新型車両で、トイレが付いている。これにより、NT-2000形気動車が順次置き換えられることになる。

NT-2001号車=かじか(カジカガエル)、NT-2002号車=にしき(鯉)、NT-2003号車=わかあゆ(鵜)、NT-2004号車=らかん(牛)、NT-2005号車=じゃくち(カワセミ)、NT-2101号車=せいりゅう(鮎)となっている。

その名の通り、錦川に沿って走る路線となっている。

2006(H18)年3月20日には、岩国市が、玖珂郡由宇町、玖珂町、本郷村、周東町、錦町、美川町・美和町の8市町村が新設合併し、新市制による岩国市となっていたので、錦川渓流線の全路線が岩国市を通るようになった。

錦町駅からは、建設が中止された岩日北線の路盤を利用し、錦町と雙津(そうづ)峡温泉との間に、錦町(現、岩国市)からの委託により、岩日北線記念公園内のタイヤ付き遊覧車が運行されている。2002(H14)年7月7日に登場、翌年の2003(H15)年には公募で「とことこトレイン」と命名されていた。

こちらは、トヨタL&F製のトーイングトラクター2TG(LPG改造車)の牽引車とトモエ電気工業製造の客車3両(被牽引車)の計4両編成から成っている。

このことも、錦川鉄道の公式HPを見て知ったのである。

小野田線の本山支線(雀田~長門本山間)には、2003(H15)年3月14日まで、クモハ42形の旧型電車が最後まで走っていた路線として有名である。

現在は、105系、123系電車に置き換えられている。

105系のほうは、トイレの新設工事が行われていた。

山口県の山陽小野田市は2005(H17)年3月22日に、小野田市と厚狭郡山陽町が合併して誕生した市である。

宇部線の宇部新川駅は、宇部市の市街地に近い場所にある。

宇部駅は、東京と九州の熊本・大分を結ぶはやぶさ・富士号の停車駅ともなっている。 これらの寝台列車は、東京と九州を結ぶブルートレインの最後の砦となっている。

萩市のタクシー会社である萩近鉄タクシーは、周南近鉄タクシーと同様に、防長交通の系列のタクシー会社(近鉄タクシーグループ)となっている。

山口県の空の玄関口である山口宇部空港は、宇部線の草江駅から徒歩10分で行ける距離にある。 リムジンバスは、小月・長府・下関駅(サンデン交通) 、常盤駅入口・新山口駅(宇部市交通局)、宇部中央・宇部新川駅(宇部市交通局)が出ている。

東京(羽田)と山口宇部を結ぶ航空路線は、全日空(ANA)が5往復、、日本航空(JAL)が3往復、計8往復となっており、全日空では、ボーイング767-300形機、日本航空では、最新型のボーイング737-800型機が使用されている。

山口宇部空港が開港したのは、1966(S41)年7月1日のこと。 2002(H14)年7月1日には、従来の全日空の路線に加え、日本航空の路線も加わってダブルトラック化されていた。

山口県山口市(当時吉敷郡阿知須町)のきらら浜では、2001(H13)年7月14日から9月30日まで、山口きらら博「21世紀未来博覧会」、という地方博覧会が行われていたことがあった。

山口県の宇部市は、道重さゆみ女史のほか、女優・タレントのみっちょんこと芳本美代子女史、同じく女優・タレントの西村知美女史、シンガーソングライターの陣内大蔵氏の出身地でもある。

芳本美代子女史や西村知美女史は、かつてアイドル歌手をやっていたことで有名である。

西村知美女史に関しては、2002(H14)年の24時間テレビでチャリティーマラソンランナーとして活躍していたことがあった。
1997(H9)年9月17日には、元CHA-CHAの西尾拓美氏と結婚した時には、二子玉川のナムコ・ワンダーエッグで結婚式を挙げていた。

ナムコ・ワンダーエッグのほうは、2000(H12)年12月31日をもって閉園していた。

芳本美代子女史の生誕地は、隣の小野田市(現、山陽小野田市)となっている。

山口県宇部市は、1921(T10)年11月1日に市制が施行され、以来、厚狭郡藤山村を編入
1941年10月20日 厚狭郡厚南村、吉敷郡西岐波村、厚狭郡厚東村、小野村、二俣瀬村、吉敷郡東岐波村、厚狭郡楠町が編入されて現在の形となっている。

厚狭郡楠町が宇部市に編入されていたのは、2004(H16)年11月1日のことだった。

宇部市は、日本の大手総合化学メーカーの宇部興産の企業城下町として有名であり、宇部市と美祢市を結ぶ宇部興産専用道路という私道が出ている。

以前は居能駅から宇部港までの貨物支線が出ていたけど、1998(H10)年4月1日には、美祢駅との石灰石輸送貨物列車、翌年の1999(H11)年4月1日には、 宇部駅継走の濃硝酸輸送貨物列車がそれぞれ廃止され、2006(H18)年4月1日には、駅自体も廃止となっていた。

この周辺には、宇部興産のケミカル工場、宇部セメント工場がある。

Tちゃんの出身地である鳥取県の境港市は、米子駅から境港線という路線が出ている。 こちらは、ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの漫画家である水木しげる氏の出身地でもあるので、境港駅前から水木しげるロードという観光道路が出ている。 こちらには、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクター達の銅像が町に建てられている。

境線では、三代目鬼太郎列車、「ねずみ男列車、ねこ娘列車、目玉おやじ列車が運行されていることでも有名である。

Tちゃんが山口に帰るバスは、品川18時30分発となっていたので、握手会の第一回目に当たっていたのでちょうどよかったです。その前にTちゃんが東京在住のとある友人と東京タワーでの観光やゆりかもめの乗車を楽しんでいた。

帰りのバスの時は慌ただしかったけど、Tちゃんの頼れる友人のお陰で難なく問題はクリア出来たけど、防府で降りようとしていたつもりで寝過ごしてしまい、山口宮野のバス停で下車し、何を逃れたというハプニングがあった。 

乗り遅れそうになった時に助けてくれたTちゃんの頼れる友人は神だと思います。筆者とは面識は無いが、その友人のプロフィールを見たけど、感じの良さそうな人でした。

もしも萩市(山口県の北部)まで行ってしまったら大変なことになっていたところでした。このことを聞いて筆者も感動しました。

この東京遠征では、筆者はもちろんのこと、東京在住のとある友人にも感謝すべき遠征となっていた。あとは、ガキさんにも感謝という状態だし。

今後はこのようなことにならないように、余裕をもってバス停に行ったほうが良いと思います。

あとは、筆者が作成した文章が、Tちゃんに対してお役に立ててもらえてとても嬉しく思っています。知らなかったことが分かったということで大好評の状態だし。
by hy_sengen-sin | 2007-06-21 12:56 | 鉄道車両・路線