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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

大井町線プチ撮影ツアー

6月3日は、東急大井町線でのプチ撮影ツアーに参加しました。

ルート 目白~渋谷~二子玉川~自由ヶ丘~緑が丘~等々力~二子玉川~渋谷~(幡ヶ谷経由)~中野~大久保…新大久保~目白

まずは、山手線で渋谷へ。 この時に乗った列車はE231系500番台の502編成で、松浦亜弥女史による洋服の青山の広告が付いていたけど、車内は普通の広告となっていました。

目白では、251系RE-3編成(クハ251-3F)によるスーパービュー踊り子3号(池袋発伊豆急下田行き)を見ることが出来ました。 

この編成は、1992(H4)年3月にローレル賞受賞記念列車に使用されていた。

渋谷から二子玉川までは、東急5000系5107Fによる各駅停車で移動。 こちらは、昨年度導入された5000系で、5050系に続いてフルカラー式のLED表示が採用されていた。

5050系は、3編成導入されることにより、8000系が全廃となるけど、そのさよなら運転では、原色に復元されている8039Fが使用されることが予想されている。現在は8017、8019、8039Fが残っている。

5050系は、落成直後に田園都市線で試運転が行われるけど、中央林間にも入るのである。 あとは、大井町線の急行運転用の新車も、田園都市線で試運転が行われる予定だし。

桜新町駅は、急行通過時には壁の向こう側を通過するためにホームが見えないので、今回各駅停車で通ったので見ることが出来ました。

桜新町駅のピンクの壁も見たのも久しぶりだったし。

あとは、都営新宿線の瑞江駅もこうなっている。

二子玉川に到着した時には、萩原清さんと合流しました。 萩原清さんは、半蔵門線の押上方面から直接乗ってきていたけど、行きは東京メトロ8000系による急行だった。

この時に降車専用の2番線に、8640Fが止まっていました。こちらは東急の語呂合わせである109運用となっていた。

萩原清さんは、大井町線の8500系や、8000系を撮影したかったということで、今回のプチ撮影ツアーが行われていたのである。

大井町線の8500系は、以前5+5編成で、8638F+8639F、8640F+8641Fのペアで田園都市線を走っていた。 こちらは、分割の上で大井町線でも使用可能で、1994(H6)年には、こどもの国線(現在は横浜高速鉄道の路線)でも使用されていた。

2000(H12)年3月29日に、こどもの国線が通勤線化され、横浜高速鉄道に譲渡される前は、7000系のワンマン改造車(7052F)が使用され、多客期などには、大井町線用の5両編成が応援に入っていた。

こどもの国線用の車両のY000系への置き換えは、1999(H11)年に完了している。 

こどもの国線を走っていた7000系の7052Fは、横浜市金沢区の東急車輌に入れ替え用車として譲渡されていたけど、塗装はそのままとなっている。

この後に、9000系の9107F(114運用)が入線していたけど、折り返しは回送となっていました。 こちらはグラデーション帯となっていない貴重な車両となっている。

入れ替わりに、8500系の8639Fが、中央林間からの直通急行(107運用)で入線していました。

中央林間と大井町を結ぶ直通急行は、土曜・休日に3往復運転されており、グラデーション帯の入った8500系または8590系に限定運用されている。

中央林間発 9:14、9:29、9:44 大井町発 19:41、20:04、21:04 こちらは102、104、107運用となっている。

来年3月の改正以降どうなるのか気になります。

これらの8500系は、田園都市線時代は、東武30000系と同様に、中間に運転台が入り込んでいるため、混雑する路線に対応出来ないために、2003(H15)年2月2日の半蔵門線のATC装置の更新と同時に、田園都市線から追われ、大井町線の8000系の置き換え用として転用されていた。 8500系に置き換えられた8000系は、末期に導入された8045、8047、8049、8051Fとなっていたけど、そのうちの8049号車は、伊豆急に譲渡され、2両付属編成のT12編成のクモハ8252号車に改造されている。

2003(H15)年2月2日に運用離脱された編成は、5+5の編成のほか、8601、8602Fも含まれていたけど、これらの編成の先頭車は、長野電鉄に譲渡されている。

因みに大井町線の8500系のLED表示は、明朝体による表示となっている。田園都市線用の8500系は、明朝体だったけど、現在はゴシック体に変わっている。

千代田線に乗り入れている小田急1000形の6+4編成も、今年度中に新4000形に置き換えられるけど、やはり6+4編成で中間部分の通り抜けが出来ないという不便さもあった。

小田急1000形の10両固定のほうはどうなるのか気になります。

大井町線では、二子玉川園(現、二子玉川)駅で、1番線と4番線に分かれて発車していたけど、当時は1番線(田園都市線の中央林間方面と同じホーム)発着の列車が緑色の「二子玉川園」の表示となっていた。4番線(新玉川線(当時)と同じホーム)発着は、従来の表示。

この間大井町線の表示がLEDに出来なかったことや、8001、8003、8005Fが幕式のまま車体更新されていたのはそのためである。

この後、木沢さんと合流しました。 木沢さんは、長津田方面から来ていた。

撮影した車両は、8500系、8090系のグラデーション塗装などだったけど、8090系の従来塗装(初期型の8090系)は、見なかったです。

10時51分には、105運用の8000系の8001Fが入線していたので、ここで撮影しました。

大井町線に残っていた初期型の8000系のうち8003Fは、8691Fの導入と共に運用離脱され、インドネシアに輸出されていた。 8005Fは、ドア誤作動事故の影響および8693Fの入線により、運用離脱されていた。

8692Fのほうは、昨年3月18日のダイヤ改正に於ける大井町線の増発用として導入されていた。

この8001Fは、1969(S44)年に導入された編成で、同年の11月30日に営業運転に入っていた。 当時は東急初の20m4ドア車、界磁チョッパ制御方式の制御装置、世界初のワンハンドルマスコン式の運転台の採用により話題となっていた。

こちらのほうも、来年3月の大井町線のダイヤ改正で運用離脱される確率が高い状態である。

この8001Fは、唯一残った赤帯入りの8000系となっている。

8001Fが留置線に入った時には、東武50050系との並びを見ることが出来ました。

大井町線の8500系が留置線に入った時には、田園都市線の8500系(オリジナルカラー)との並びも見ることが出来る。

その前後には、8590系が来ていたので、かつて東横線を走っていた車両同士の組み合わせとなりました。

11時53分頃には、留置線で8615F(玉電100周年記念号)と8001Fとの並びも見れたし。

この時には、高石さんと合流したけど、高石さんも8000系8001Fを撮影することに成功したのである。

萩原清さんや高石さんのほうは、一眼レフ方式のデジカメを使用しているけど、後者のはコニカミノルタ製となっている。 コニカミノルタのほうは、昨年3月にカメラの製造事業から撤退してしまったけど、デジタル一眼レフ事業がソニーに売却されていた。 コニカミノルタのカメラのメンテナンス等はソニーに委託されている。

筆者のほうは、一昨年までコニカのコンパクトカメラを使用していた。

山澤さんが愛用していた一眼レフ銀塩カメラは、ミノルタ(のちのコニカミノルタ)製だったけど、近いうちにデジカメに買い換えると言っていた。

山澤さんのほうは、6月2日から3日に掛けて、土・日きっぷを使って、最後の455系、417系、717系の追っ掛けにより、東北方面に行っていた。 磐越西線の455系のほうは、E721系の導入によって捻出された719系に置き換えられる予定となっている。 この時に一眼レフ銀塩カメラの使い納めとなっていたのである。

山澤さんは、東京に到着した後、奥野さんと出会っていた。

筆者のデジカメは、キャノンのコンパクトサイズであり、動画の撮影も可能である。 森敏英さんのデジカメもキャノン製だけど、大型となっている。

因みに筆者の父親のデジカメはソニー製の青いコンパクトサイズとなっている。

萩原清さんのほうは、目標だった8000系8001Fや、大井町線の8500系を撮影することが出来て何よりの状態だった。

あの後4人で、二子玉川12時17分発の列車で移動。この時に乗った編成は、8090系の8083Fだった。 こちらは言うまでもなく、かつて東横線の急行で走っていた編成である。

上野毛駅では、改良工事が進められていた。

自由ヶ丘に到着した後、山岡さんと合流。 山岡さんのほうは、大井町から直接現地入りしていた。 この時にモーニング娘。が出てくるハロモニ@がやっていたので、筆者のワンセグ携帯で見ました。 この時に一瞬だけ参加者全員にも見せたのである。 

自由ヶ丘では、駅周辺のファーストキッチンに立ち寄りました。 この時には、明太子の入ったスパゲッティを食べました。

このように、明太子スパゲッティを頼んだ理由は、モーニング娘。の道重さゆみ女史の好物と言われているからである。 道重さゆみ女史を推しているならそれを頼んだ方がいいという状態なので。

ここで昼食を取った後、ホームで撮影。

自由ヶ丘に乗り入れる東急コーチは、レトロカラーの日野レインボーHR形(瀬田営業所所属)が使用されている。

路線は、自01、自由が丘駅~深沢一丁目~深沢不動前~(日体大裏→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前、循環)
自01(出庫)、瀬田営業所→中町五丁目→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→深沢一丁目→自由が丘駅
自01(入庫)、自由が丘駅→深沢一丁目→深沢不動前→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→中町五丁目→瀬田営業所
自02、自由が丘駅~エーダンモール深沢~深沢不動前~(日体大裏→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前、循環)
自02(出庫)、瀬田営業所→中町五丁目→日体大裏→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→エーダンモール深沢→自由が丘駅
自02(入庫)、自由が丘駅→エーダンモール深沢→深沢不動前→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→中町五丁目→瀬田営業所
自11、東京医療センター→駒沢公園→深沢一丁目→自由が丘駅(片道のみ運行)
自12、自由が丘駅~エーダンモール深沢~駒沢公園~東京医療センター

自11、12系統は、一般路線転換後に開設された路線となっている。

これらの路線では、現時点ではPASMOが使えない。

自由ヶ丘に乗り入れる渋11系統(渋谷駅~田園調布間)は、淡島営業所の所属でPASMOが使える。 こちらは自由ヶ丘で大井町線の踏切を横断することになる。

東急コーチが運転開始されたのは、1975(S50)年12月24日の自由ヶ丘線開設のことで、当初は観光バスタイプのデマンド運行が行われていた。 自由ヶ丘線のほか、用賀、鷺沼、市が尾、青葉台でも、このような東急コーチ独特の運用が行われていた。

一般路線化は、自由ヶ丘線が、2000(H12)年10月2日より、その他の路線が2001(H13)年3月1日から。それ以前は、230円で、バス共通カードが使えなかった。

東急コーチの第一号車は、廃車後、宮崎台にある電車とバスの博物館で保存されている。

自由ヶ丘では、2編成並ぶので撮影には持ってこいの状態でした。

8000系の8001Fのほうは、自由ヶ丘で昼食を取っている間、二子玉川で8090系に車両交換されていたので、いい時に8000系を撮影しておいて正解でした。 8000系を二子玉川でしか撮影することが出来なかったのが残念だったけど。

この後、8087Fで、次の緑が丘まで行きました。 緑が丘でも、二子玉川方面行きの1番ホームで撮影を行いました。

緑が丘駅では、エスカレータ、エレベータの設置などのバリアフリー対応のための土質調査が行われており、その後エスカレータ、エレベータの整備や駅前広場の設置などが行われる計画がある。 トイレのほうは、改札内には無いけど、駅前に自治体管理の公衆便所がある。

緑が丘駅からは、東急目黒線の電車が見えました。

ここに乗り入れるバスは、下馬営業所所属の多摩01系統(多摩川駅~東京医療センター間)または渋33系統(渋谷駅~多摩川駅間)となっており、後者は朝6時台から8時台の5往復のみの運転となっている。これらの路線では、PASMOも使える。

こちらは、緑が丘駅のほか、奥沢駅、雪が谷を経由している。

この時にSI1521号車(品川22か54-95、富士重工+日産ディーゼルの中型車)を見ることが出来ました。 こちらは、以前弦巻所属だった。 1500番台なので、1996(H8)年度に導入された車両となっている。

緑が丘が撮影ポイントとなったのは、大岡山寄りに左カーブがあるからである。 

ここで撮影した後、8590系の8692Fで等々力まで移動しました。 

等々力駅は、将来的には地下化される予定となっているけど、周辺の等々力渓谷への影響が懸念されているために工事が大幅に遅れている。 

駅舎は、九品仏駅と同様に、島式ホームの端(上野毛寄り)にあり、構内踏切に挟まれている。
 こちらは、地下化された暁には解消されることになる。

等々力と言えば、東急電車研究会(旧東急部会)の会場のある場所となっている。

この後、尾山台寄りのポイントまで移動し、ここで撮影しました。 こちらは、将来地下化された時には、大きく変わることになるので、今のうちのこのような風景をカメラに収めたのである。

このポイント周辺には、渋82系統の渋谷駅~等々力線の発着場所がありました。 こちらは、瀬田営業所所属の路線だけど、以前は2002(H14)年に廃止された大橋営業所所属の路線だった。

1984(S59)年までは、都営バスとの共同運行による東82系統として、渋谷駅、六本木、神谷町、新橋経由で東京駅八重洲口まで乗り入れていたこともあった。

東82系統のほうは、現在渋88系統(渋谷駅~東京タワー間)に吸収合併され、渋谷駅~六本木、東京タワー入口、 神谷町経由~新橋駅間の路線となっている。

東京駅南口から目黒駅経由で等々力操車場を結ぶ東98系統(都営バスとの共同運行)のほうは、東急バスで唯一東京駅に乗り入れる路線となっている。 現時点では、都営バスでPASMOが使えるけど、東急バスでPASMOが使えない状態となっている。

この路線は、モーニング娘。などのハロプロメンバーが所属しているアップフロントエージェンシーなどのアップフロントグループの本社のある赤羽橋を経由している。

あの後は、等々力駅で解散し、高石さんと山岡さんは自由ヶ丘、大井町方面へと帰っていきました。  3人は8087Fで二子玉川に行き、木沢さんは、ここから青葉台まで行き、ここから東急バスで最寄りのバス停まで乗って帰っていた。

二子玉川からは、萩原清さんと一緒に8000系による各駅停車で帰りました。 この時に乗った編成は8102Fで、車体更新・VVVF化されていた。客用の扉の窓ガラスが拡大されていたので、千代田線の6000系の後期の更新車と同じような状態となっていました。

萩原清さんはそのまま押上まで行き、都営浅草線、京成線経由で帰宅していたけど、筆者は渋谷で下車していました。

(中野での美勇伝場外編につづく)
by hy_sengen-sin | 2007-06-07 11:08 | 鉄道撮影ツアー