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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

京王線3/11

この後、東府中まで行き、ここから競馬場線の府中競馬正門前まで歩いて行きました。

東京競馬場は、今から100年前の1907(M40)年に、目黒に開設された目黒競馬場から始まっている。 1933(S8)年11月8日には、宅地開発により、現在の府中に移転し、東京競馬場に改称されていた。

目黒競馬場のほうは、目黒駅の西側にあった競馬場で、閉鎖後、跡地が住宅地となっており、当時の外周道路の一部が路地として残されている。

目黒エリアの東急バスに、元競馬場前というバス停があるけど、かつてこの周辺に目黒競馬場があったということを物語っている。 

東京競馬場で行われる「目黒記念」のレースは、1932(S7)年に設立されており、目黒競馬場の名を後世に残すために行われている。

東京競馬場へのアクセス路線といえば、1973(S48)年3月31日に、武蔵野線の開業と入れ替わる形で廃止された中央本線の支線である下河原線(国分寺~北府中~東京競馬場前間)
が運行されていたことがあった。

府中競馬場正門駅からは、府中本町駅と同様に、東京競馬場への連絡通路が出ている。

この駅は、競馬開催日には、賑わいを見せることになるけど、それ以外は閑散とした駅となっている。 

特に平日には、利用客が非常に少なくなるため、広告やテレビのコマーシャルの撮影が頻繁に行われている。

京王競馬場線は、1955(S30)年4月29日に東府中~府中競馬正門前間で開業した路線で 、当初から全線複線となっている。

車両の運用は、平日は6000系の2両編成(6716Fまたは6717F)によるワンマン運転、土曜・休日は、場外馬券対策として、8000系の8両固定編成が使用されている。

府中競馬正門前駅は、1番線と2番線があり、競馬が行われない日は、2番線のみの使用となっている。

この時に運転されていた車両は、8000系の8両固定編成である8729F。 こちらは、1998(H10)年に6000系の抵抗制御車の置き換え用として導入されていた。

この時は、利用客が少なかったので、輸送力過剰の状態でした。競馬開催日なら問題は無いけど。

こちらは、筆者のドリヲタ時代の、ドリヲタの友人の少なさになぞられていた。

8000系のほうは、1992(H4)年5月に登場。当初は、6+4編成で8701~8706Fが導入され、新宿~京王八王子間の特急が一気に10両編成化されていた。1992(H4)年下期に8707~8710Fが導入された時は、新宿~高尾山口間の急行(現在は準特急)も10両編成化。

6+4仕様は、1994(H6)年の8714Fまで導入されていた。

1995(H7)年には、8両編成バージョンの8000系が登場し、6000系で運転されていた新宿~橋本間の特急の一部が置き換えられていた。新宿~橋本間の特急は、2001(H13)年3月27日のダイヤ改定で廃止。 こちらは、新宿~調布間で、急行の後に出ていたので、徐行運転を余儀なくされていた。 相模原線内は、京王多摩センターのみの停車だった。こちらは都営線直通の急行にシフトされている。

8000系は、1996(H8)年に導入された8728Fまでは5000系の置き換え用として導入されていたけど、1998(H10)年から1999(H11)年に掛けて導入された8729~8733Fは、6000系の初期型(抵抗制御)車の置き換え用として導入されていた。

こちらは、9000系とは異なり、6000系や7000系の2両編成との連結が出来ないため、西武3000系、20000系、東武東上線の10000系の8両固定編成みたく、8両編成の運用に限定されている。

8000系の8両固定編成は、1996(H8)年から2000(H12)年10月にワンマン化されるまでの間、独占場だった5000系に代わって京王動物園線(高幡不動~多摩動物公園間)の区間運転に使用されていたことがあった。

8000系のスピードメーターは、デジタル式となっているけど、直射日光が当たった時に見えづらくなるということで、9000系ではアナログ式に戻されていた。 こちらは、併結相手の6000系や7000系と合わせるためでもある。

東府中駅では、2番線に到着。 平日のワンマン運転時では、1番線からの発着となる。

東府中駅は、普段は特急、準特急が停車しないけど、競馬開催日に臨時停車することもある。 競馬開催日には、府中競馬正門前から新宿または新線新宿への臨時急行列車が運転されるけど、逆に新宿発は運転されない状態となっている。
 
東府中から調布まで乗った各駅停車も8000系の8両編成で、8730Fとなっていました。

多磨霊園駅は、多磨霊園の最寄り駅となっているけど、多磨霊園まで徒歩20分ほど掛かるため、バスやタクシーを使っていくことになる。 春や秋のお彼岸の時期には、臨時バスが運転されることになる。

多磨霊園へは、西武多摩川線の多磨駅(旧多磨墓地前駅)が近い

あとは、警視庁による府中運転免許試験場へもバスが出ている。 こちらは、武蔵小金井、調布、三鷹駅からバスに乗っていくことも可能となっているけど、鮫洲や江東とは違い、バスでしか行けないので不便である。 

筆者のほうは、1998(H10)年6月に江東運転免許試験場(地下鉄東西線、東陽町駅付近)で学科試験を受けていたのである。

武蔵野台駅は、西武多摩川線の白糸台駅(旧北多磨駅)への乗り換え駅となっているけど、多磨霊園駅からも歩いて行くことが可能となっている。

京王線から白糸台駅および車両基地を見ることが出来るけど、昨年7月9日に西武線撮影ツアーに行った時を思い出しました。

飛田給駅は、味の素スタジアムへの最寄り駅で、普段は各駅停車しか停車しないけど、イベントのある日は、急行、快速、特急、準特急が臨時停車することになる。

昨年8月26日、味の素スタジアムで行われたa-nationの無料ステージにdreamが出ていたけど、西武の南入曽や東京総合車両センターで行われたイベントに行っていたために行かなかったです。

調布から明大前までは、都営10-300形による快速で移動。 この時には7000系の10両固定編成である7724Fによる準特急に接続していた。

7000系のほうは、かつての東急東横線の8000系と同様に、各停専用車となっていたけど、2001(H13)年3月27日以降、優等列車にも盛んに使用されるようになった。

7000系の10両固定編成は、各駅停車の10両編成化の一環により、1996(H8)年に中間車2両挿入の上で10両固定編成化されていた。 

1992(H4)年に8000系が登場した後も、7000系の増備が1996(H8)年まで行われていた。

都営の10-450Fは、10-460F、10-470Fと同様に、先頭車が東急車輌製で、中間車がJR東日本の新津車両製作所で製造さえれていた。

中間車に、東急車輌と新津車輌製作所の表示があるのはそのためである。

こちらは昨年7月までに10-480Fまで導入されていたけど、置き換え対象の10-030Fがあらゆる事情により最後まで残っていた。 昨年12月には、10-300R形の10-360Fが正規の編成となり、初期型の10-000形(2段窓のスキンステンレス車)が全廃となったのである。

国領、布田、調布駅は、将来地下化される予定で、この工事も行われている。 

3月4日には、国領、布田駅の地下化工事の進捗により、仮の橋上駅舎に移転していた。調布駅も地下駅舎であるためこうなることになる。

布田駅は、調布市花火大会が行われる時には、快速、急行、特急、準特急が臨時停車することもある。

調布駅では、京王線と相模原線が平面交差であり、相模原線が1番線および3番線しか発着出来ないということがネックとなっている。 調布折り返しの相模原線の車両は、上り本線に引き上げられる関係で、停車時間が2分程度と短くなっている。

調布駅の地下化工事の完成の暁には、地下2階部分に下り線、地下3階部分に上り線が入ることになる。

快速なので途中つつじヶ丘、仙川、千歳烏山、八幡山、桜上水、下高井戸、明大前に停車。

つつじヶ丘では、先ほどの8730Fによる普通列車に接続。つつじヶ丘で乗り換えても同じだった。

仙川駅は、以前は1面2線の島式ホームとなっていたけど、1996(H8)年10月に上り専用ホームが増設されていた。 

芦花公園駅は、蘆花恒春園(芦花公園) の最寄り駅となっているけど、徒歩15分掛かる。

蘆花恒春園は、故・徳富蘆花氏の旧宅の敷地に出来た公園となっている。

八幡山駅は、井の頭線を除いた京王線系統で唯一杉並区になる駅となっており、1970(S45)年7月10日に、環八横断部を含めて高架化されている。

当初は、京王線の笹塚~調布間が複々線化される計画があり、環八横断部の関係で、八幡山駅付近が早めに着工されていた。

高架化された当時は、2面3線で、島式ホームと上り専用の相対式ホームから成っていた。 のちに外側の通過線が新設されていた。

複々線計画のほうは中止されたので、2003(H15)年ごろに使用されなくなった旧上りホームが撤去されていた。 現在は、島式ホームに外側の通過線があるということで、同じ環八通りとの交差部に位置する西武池袋線の練馬高野台駅みたいな雰囲気の駅となった。

複々線化された後の中村橋、富士見台駅もこのような状態となっているけど。

八幡山駅は、幻となった笹塚~調布間の複々線化計画の名残のある駅となっている。 その代わりに京王線で長編成化の促進が行われていた。 井の頭線では一部大型20m化が行われていたし。

井の頭線の高井戸駅も、環八との交差の関係で高架化された駅である。 こちらは1972(S47)年3月15日に高架化されている。

上北沢駅は、地下駅舎化される前は、東急大井町線の九品仏、等々力駅みたく、ホームの先端部に駅舎があり、踏切に挟まれていたので、特に特急通過時には危険な状態となっていた。

1988(S63)年にはこのような状態となっていたことを覚えている。 かつての井の頭線の東松原駅の渋谷寄りもこうなっていた。

桜上水駅には、電車の留置線があるけど、以前は車庫として使用され、車両工場もあった。 

車両工場のほうは、若葉台に移転され、その跡地は住宅展示場となっている。

駅舎は地下駅舎となっているけど、将来は橋上駅舎となる。

桜上水駅は、1926(T15)年4月28日の開業当時は北沢車庫前と呼ばれていたけど、1933(S8)年8月11日に京王車庫前となり、1937(S12)年5月1日に現在の桜上水駅となっている。

桜上水の由来は、駅の北側を流れる玉川上水の堤に桜並木があったからである。 

玉川上水は、羽村市から新宿区の四谷まで流れる用水路であり、渋谷区笹塚以東は、地中に埋設された暗渠(あんきょ)となっている。

渋谷川の渋谷駅付近以北も暗渠となっている。

西武拝島線および多摩都市モノレールの玉川上水駅は、その名の通り、周辺で玉川上水が流れている。

下高井戸駅では、東急世田谷線の花電車(310F)を見ることが出来ました。こちらは3月末まで運転される予定となっている。

明大前駅では、井の頭線のホームに移動して見物。 

井の頭線下りホームでは、店舗および今年5月開業予定の商業ビル「フレンテ明大前」の建設工事が進められており、3月31日には、それに直結する出口専用の新改札口が新設されることになる。

この時には、下り線に1760Fによる各駅停車、上り線には3776Fによる急行が入線していた。

京王電鉄では、井の頭線を含めて将来全線ATC化されることになるけど、これに伴う3000系の動向が気になります。ATC化と同時にワンハンドル化されることも考えられるけど。

笹塚から新宿までは、8000系の8724Fによる快速で移動。 こちらは、相模原線の快速にも使用されている。

笹塚~新宿間の地下線は、玉川上水の暗渠の下を走っている。

笹塚駅は、1978(S53)年7月21日に高架化されている。同年10月31日に京王新線(新宿~笹塚間複々線部)が開業している。

新宿駅では、東急田園都市線の三軒茶屋駅と同様に、駅の火災対策の工事が行われていました。 京王新線の幡ヶ谷駅でもそれが行われている。
by hy_sengen-sin | 2007-03-14 14:07 | 鉄道乗車記