人気ブログランキング | 話題のタグを見る

交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

小手指でのイベント1

2月10日は、西武鉄道の小手指車両基地で行われたイベント「、「Valentine 小手指車両基地 Day」に行ってきました。

小手指車両基地では以前鉄道の日関連の車両基地ハイキングで行われていたことがあったけど、誰でも入れる一般公開は今回が初めてでした。

ルート 椎名町~練馬~ひばりヶ丘~小手指…(小手指車両基地)…小手指~所沢~ひばりヶ丘~池袋~新宿~千駄ヶ谷…国立競技場~中井

まずは、椎名町から2000系2075Fによる豊島園行きで練馬へと向かいました。

椎名町駅付近の山手通りでは、首都高速中央環状新宿線の建設工事が大詰めを迎えており、今年12月に開通する予定である。 この周辺には、池袋南ランプが新設されることになっている。 これにより既存の高松ランプが熊野町・大宮・板橋方向の入口のみとなり、出口が廃止されることになる。

この区間の工事は10年以上掛かっており、ようやく開通することになる。特に、中野坂上~中井間は、高速道路の下を走る都営大江戸線の工事と併行して行われていたので尚更である。

あとは、山手通りの拡幅工事も併行して行われている。

東長崎駅は、現在2面4線化および橋上駅舎の改築工事が行われているけど、この時は、新上りホームのインフラ部分が現れていました。 新駅舎は既に一部部分が使用開始されている。 こちらは、来年春に完成予定となるけど、同年6月の東京メトロ副都心線の池袋~渋谷間の開業に伴う大規模なダイヤ改正で、江古田駅に代わって優等列車の待避が行われる予定となっている。

江古田駅周辺は、松屋の発祥の地であり、1966(S41)年6月に、北口近くにあった中華飯店「松屋」(現在の松屋江古田店)が現在の社長の瓦葺利夫氏によって開業された事から歴史が始まっている。

1960(S35)年以前は、駅周辺の旭丘(一部を除く地域)が江古田(江古田町)だった。そのため江古田駅となったのである。

現在の中野区江古田、江原町などが江古田村であり、駅周辺はその新田(江古田新田)として開発された場所である。

江古田駅は、1995(H7)年に公開された役所広司氏主演の映画『Shall we ダンス?』の撮影地として使われたことで有名である。この時に役所広司氏が江古田駅4番ホームからダンススクールを見やる場面もあった。

あとは、1999(H11)年4月から6月に掛けてフジテレビ系で放映されたテレビドラマ「アフリカの夜」の撮影地として江古田駅の栄町本通り商店街が使われたこともあった。

アフリカの夜の由来は、古いアパートメント「メゾン・アフリカ」が舞台となっていたことからである。
このドラマには、鈴木京香女史などが出演していた。

桜台駅では、ホームが練馬寄りに2両分延伸される工事が行われていました。

練馬駅=昨年11月に待合室が新設されていた。 

高架化される前は、2面4線の橋上駅で、2番線と4番線が豊島線メインで使用されていた。4番線は練馬折り返しの発着が行われていた。

1988(S63)年の12月5日のダイヤ改正で、池袋~豊島園間の直通列車の運行が一時的に休止され、1番線が使用休止、4番線が豊島線専用ホームとなっていた。

1994(H6)年10月8日に練馬駅下りホームが桜台駅と同時に高架化され、同年12月7日から有楽町線が1番線部分に折り返し列車として暫定的に乗り入れていた。豊島線はのちに中村橋寄りにずれた5番線に仮移転していた。

1997(H7)年8月、池袋線の上り線が高架化され、豊島線が孤立状態となった。

1998(H10)年3月26日、新桜台~練馬間の複線化と同時に有楽町線と池袋線との直通運転が行われ、池袋線と豊島線(池袋~豊島園間)との直通運転が再開されていた。

こちらは、清瀬および小手指発着の普通列車の一部が有楽町線直通にシフトされたために、その穴埋めとして設定されていた。

1998(H10)年の直通運転開始直後の頃は、筆者が普通自動車運転免許取得のために、練馬区の某自動車学校に通うために椎名町から練馬高野台まで通っていたことがあった。

当時は中村橋駅と富士見台駅が暫定的に高架化された時で、相対式の仮ホームとなっていた。下り線部分は現在の上り緩行線、上り線部分は現在の上り急行線部分となっていたので、上りホームが仮設ホームとなっていた。

この時には有楽町線から来た7000系の7117Fにより小手指行きが入線していました。

東京メトロの7000系のほうは、最近になってから1987(S62)年の和光市への延長開業および東武東上線への直通運転開始と同時に導入された7127Fのうちの2両の中間車が廃車となっていたけど、その理由は不明である。このため7127Fが現時点で営業運転に入ることが不可能となっている。

練馬からひばりヶ丘までは、2000系の2+8の10両編成による準急所沢行きに乗車。この時の編成は2465F+2077Fで筆者は2465F側に乗車。 

2000系の2両編成は、池袋線系統では、新スタイル編成(2450番台)のみ在籍で、2000系の優等列車の増結用として使用されているので、新宿線系統とは異なり、池袋口の各駅停車には使用されていない。

なので、池袋線系統の2+8編成の場合、2両編成側に優先的に乗るようにしている。

新宿線系統では、旧スタイルのみ在籍で、各駅停車にも盛んに使用されている。

以前は新スタイルの2両編成が新宿線系統にも在籍していたけど、現在は池袋線系統に集中配置されている。

逆に、新2000系の4両編成および6両編成は新宿線系統でしか見ることが出来ない。

池袋線系統の2000系の2両編成は、101系の2両編成と同様に連結位置が飯能寄りに決められているので、飯能よりの先頭車には女性専用車のステッカーがある。

中村橋駅付近では、6000系改造車である6103Fとすれ違いました。 この6103Fは、1998(H10)年3月の有楽町線との直通運転開始時点で非ATCのままで運転されていたので、池袋寄りの先頭車のスカート部分に非乗り入れ車の証であるSマークが入っていたのを覚えています。 あとは、列車番号表示も黄色く表示されていた。のちに新宿線に移ったことでこの問題が解消されていた。

あとは6104Fもこうなっていたし。 

6103Fが副都心線改造工事を受け、池袋線系統に出戻りしたけど、営業運転開始は今年1月9日のことだった。 1月26日頃には、6107Fが営業運転開始。現時点では、有楽町線に乗り入れることが出来ず、地上線運用(池袋~飯能間および狭山線)で使用されている。

6107Fは、1994(H6)年の導入当時は池袋線所属ですぐに新宿線に転属。こちらは新宿線に転用された6000系の第一号となっていた。

新宿線系統に残る6000系のうち、6104、6105、6106Fは、副都心線対応工事を受けて池袋線系統に出戻りすることになるけど、1992(H4)年に導入された6101、6102Fは、東武東上線の9000系の9101Fと同様に試作的要素が強く、副都心線乗り入れ対応の改造の対象から外されていたので、新宿線系統に残ることになっている。

これに伴い、池袋線系統の20000系の10両編成が順次新宿線系統に転用されることになり、池袋線系統から20000系の10両編成が無くなることになる。

現在は、20103、20105、20106Fの3編成が転用されているけど、池袋線に残る20102、20107、20108Fも転用予定となっている。
これらの車両が入る前、20101Fが新宿線系統の20000系で唯一の10両固定編成となっていた。2002(H14)年の池袋線への20000系の導入の時に池袋線に貸し出されていたことがあった。20151Fはこの時から池袋線所属となっていた。

池袋線系統には、8両固定編成の20151Fと20158Fがあるけど、今後も池袋線系統に残ることになっている。 2004(H16)年に導入された20157Fは、池袋線所属だったけど、のちに新宿線に転用されている。

石神井公園駅では、東京メトロの7131Fにより新線池袋行きが中線に待機していました。 

石神井公園駅は、高架化される予定だけど、ようやく着工され、手始めとして、3月6日のダイヤ改正で下り列車の優等列車の待避が廃止されることになる。 このため、大泉学園と保谷を通過する下りの快速の一部が準急に変更されるという措置が取られることになる。

ひばりヶ丘から小手指までは、6000系の6156Fによる急行で移動。 こちらの編成は、1998(H10)年3月26日の有楽町線との直通運転開始の時に導入された編成で、戸袋窓が廃止されたアルミ車体となっている。

6000系の副都心線対応工事は、アルミ車にも行われる予定となっている。

この時に、東京メトロ10000系10102Fによる試運転列車とすれ違いました。 東京メトロ10000系は、西武線での試運転中に誘導障害が発生したため、西武直通運用が見送られていた。今年1月に誘導障害をクリアしたため、遅れを取り戻すように西武線内で乗務員訓練が行われている。

早ければ、今年春に西武線乗り入れ列車にも使用されることになる。

有楽町線から東西線に転用された07系のほうは、今年2月22日からJR線への直通列車にも使用されるので、乗れる機会が増えることになる。

西所沢駅では、新101系の2+2の4両編成による狭山線の普通列車を見ることが出来ました。 こちらは277+279Fで、279Fは、西武の101系列で最後までツートンカラーで残っていた編成だった。 以前は、新101系の2両編成によるローカル列車が西武秩父線で運転されていたこともあったけど、2000(H12)年6月のツートンでの最終日には、2両編成での運転が再現されていた。

101系の6両固定編成があった頃、2+6の8両編成で池袋口の普通列車にも使用されていたこともあった。

小手指に到着した後、イベント会場に向かいました。
by hy_sengen-sin | 2007-02-14 10:21 | 鉄道イベント