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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

あの後の活動(目黒線)

品川ステラボールでの握手会に参加した後は、友人と別れ、品川駅構内のエキュート(ecute品川)に行き、ラフランス風のヨーグルトドリンクを飲みました。

エキュート品川は、2005(H17)年10月1日にオープンした駅構内の店舗街である。

こちらは、ecute大宮に続いてのオープンとなった。

品川駅の京急高架下には、麺達七人衆 品達ラーメン(ラーメン)や、品達どんぶり五人衆(どんぶり)のフードテーマパークがある。

品川駅付近のくら寿司(京王ビル)は、紺野あさ美女史がハロー!モーニング。のロケで立ち寄っていた店となっている。

会場となったステラボールは、品川プリンスホテルの中にある。 品川プリンスホテルは、1978(S53)年、旧 毛利公爵邸跡に開設されていた。

すぐ近くにある高輪プリンスホテルのほうは、旧竹田宮邸跡に、新高輪プリンスホテルは、旧 北白川宮邸跡にそれぞれ建設されていた。

エプソン品川アクアスタジアムは、品川プリンスホテル内にある、水族館やライブホール(ステラボール)を備えたアミューズメント施設で、2005(H17)年4月8日にオープンしていた。

Stellar Ball(ステラボール)の名称は、ユーミンこと松任谷由実女史によって命名されていた。 収容人数はオールスタンディングで1884名

筆者が初めてステラボールに行ったのは、2005(H17)年6月18日のモーニング娘。の7期メンバー(久住小春女史)の加入記念のFC限定の握手会の時で、空いた時間にエプソン品川アクアスタジアムにも立ち寄っていた。

あとは、2005(H17)年11月13日、昨年11月19日に元モーニング娘。の石川梨華女史率いる美勇伝のコンサートでも行ったことがある。

なので、品川ステラボールに行った時に、久住小春女史と初めて握手した時を思い出していました。当時は、事前応募制ではなく、FC会員ならば誰でも入れる方式だった。

木更津から品川までアクアラインバスを使って行くことも可能だったけど、渋滞が懸念されるので乗らなかったのである。

久住小春女史とは、2005(H17)年8月27日に横浜BLITZで行われた、モーニング娘。の東名阪握手サーキットでも握手したことがある。筆者が参戦したのはA~CまであるうちのAチームで、久住小春、道重さゆみ、吉澤ひとみ、紺野あさ美各女史が出ていたほうである。当時は紺野あさ美女史が1推しだったけど、当時の2推しだった道重さゆみ女史が居たからちょうどよかったです。

当時は、西武の南入曽、JRの東京総合車両センターでのイベントの後に行っていた。

東名阪握手サーキットとは、2005(H17)年7月27日に発売されたモーニング娘。の「色っぽい じれったい」の発売記念で行われ、A~Cの3チームに分けて、東京(横浜BLITZ)、名古屋(名古屋市民会館)、大阪(豊中市民会館)を回っていた。

Bチームは、高橋愛、田中れいな、小川麻琴各女史 Cチームは、藤本美貴、新垣里沙、亀井絵里各女史で行われていた。

筆者はAチームとBチームを申し込んだうち、Aチームのほうに当選していた。やはり筆者と相性の良い道重さゆみ、久住小春両女史が居たチームだったからである。

樋口君のほうは、モーニング娘。での1推しメンバーの高橋愛女史の居るBチーム(大阪会場)のほうに参戦していた。

筆者は新垣里沙女史と未だに握手していない(唯一握手していない)状態が続いているので、東京メトロ千代田線の6000系の6101Fが唯一小田急線に乗り入れることが出来ない状態に例えたくなります。あとは、西武10000系(特急NRA)で、最終増備車(VVVF車)である10112Fが新宿線(小江戸号)でしか使えないことにもなぞられているし。

千代田線の6101Fのほうは、唯一小田急線に乗り入れることが出来ないということで運用が限定され、ダイヤが乱れた時の最大のネックとなっている。06系のほうは、登場当時はこのような状態となっていた。

本当は新垣里沙女史とも握手したいし、道重さゆみ女史とも久しぶりに握手したい状態だけど、3月に行われる予定のハワイツアーに行かれないのでそれが出来ないです。

樋口君は、モーニング娘。のハワイツアーにダメ押しで申し込んでいた。

高橋愛、紺野あさ美両女史を除いた5期メンバーと握手出来なかったのは、2001(H13)年の加入直後にFC限定の握手会が行われなかったからなどである。

2003(H15)年からは、モーニング娘。の新メンバー加入記念の握手会が行われるようになったのでこのような問題が解消されていた。 今回も行われていたので恒例行事となりつつある。

光井愛佳女史との握手会は、2月17日の大阪(Zepp Osaka)、名古屋(Zepp Nagoya)でも行われるけど、残念ながら樋口君のほうは行く予定が無い状態である。

柘植の飛猿さんのほうは、光井愛佳女史の握手会には、申し込みを忘れたことや、E233系の撮影会に行っていたために残念ながら不参加の状態だった。筆者とは逆に藤本美貴女史が現役メンバーで唯一握手したことがあるという状態が続いている。

筆者は、ハロー!プロジェクトエッグを除いたハロー!プロジェクトメンバーで、筆者と握手したことの無いメンバーは、新垣里沙(モーニング娘。)、稲葉貴子、保田圭、ココナッツ娘。アヤカ、加護亜依(現在謹慎中)、辻希美、小川麻琴(現在海外留学中)の7人(うち5人は活躍中)と非常に少なくなっているので、東武線に乗り入れることの出来ない東急田園都市線の車両(マルKマーク)が少なくなっていることになぞられている。車で言えば、ETCが付いていない車(非ETC車)になぞられているし。

一昨年11月26日まで、なっちこと安倍なつみ女史もこのような状態となっていた。

4月30日には、江戸川区総合文化センター(新小岩駅付近)で行われる予定の辻希美女史のFCイベントに申し込んだけど、それに当選すれば辻希美女史と握手することになる。

筆者と握手したことのあるメンバーのほうは、ETC付きの車に例えたくなってきます。

筆者はほとんどのメンバーと握手している状態なので、某団員のM氏みたく、DA(誰でも握手)の状態である。 

横浜BLITZは、2004(H16)年11月14日に、赤坂BLITZの代替え施設としてオープンしたTBS系列のライブハウスであり、新高島駅から歩いてすぐ行けるのが特徴である。ここには横濱はじめて物語などのアミューズメント施設が隣接されている。

横濱はじめて物語のネーミングは、1978(S53)年から1984(S59)年に掛けてTBS系で放送されたまんがはじめて物語がヒントとなっていた。

まんがはじめて物語のロングおじさん役(ナレーター)は、ロンちゃんこと吉村光夫氏(元TBSアナウンサー)によって演ぜられていた。

吉村光夫氏といえば、筋金入りの京急ファンとして有名である。

赤坂BLITZは、1996(H8)年4月に、赤坂ACTシアターと同時にオープン、2003(H15)年に、TBS赤坂五丁目再開発計画により閉鎖されて解体されていた。 来年にはリニューアルオープンされ、赤坂BLITZが復活するけど、横浜BLITZのほうはこのまま残ることになる。(TBSが2つのライブハウスを持つようになるし)

赤坂BLITZでは、松浦亜弥女史やメロン記念日などのコンサートで行ったことがある。

横浜BLITZが開設されたのは、TBSが横浜ベイスターズの筆頭株主であるという縁もある。

横浜BLITZは、握手会サーキットのほか、後藤真希女史や美勇伝のFCイベントでも行ったことがある。

筆者の場合は、横浜駅から歩いて行くようにしている。

SHIBUYA-AXのほうは、日本テレビ(日テレ)系列のライブハウスとなっている。

品川から目黒までは、山手線で移動。

目黒から武蔵小山まで、埼玉高速鉄道2000系の2109Fによる急行で移動。急行なので不動前駅は通過。

埼玉高速鉄道の2000系は、2001(H13)年3月28日の埼玉高速鉄道線の開業と同時に登場。3月23日には、プレデビューしていた。 こちらは、営団(現東京メトロ)9000系ベースの車両で、2000(H12)年から2001(H13)年に掛けて川崎重工業で製造されていた。

2000系の型式番号の由来は、2000年に登場した車両ということである。

液晶ディスプレーのほうも取り付けられていました。

目黒折り返しの運用は、基本的に東急の車両3000系または5080系が使用されているので、乗るチャンスが増えているけど、逆に直通で乗るチャンスが少なくなっている。

武蔵小山駅では、5080系の5184Fによる各駅停車と対面。こちらは、昨年投入された2本のうちの1本である。

来年3月には、東急目黒線の日吉延長が行われるということで増備車も登場することが予想されています。同時に8両編成化される予定。

武蔵小山駅では、今年1月20日から、東口の階段やエスカレーターが新設されていた。これまでは、エレベーターのみが使用されていた。今後はコンコースの整備が行われる予定。

東口は、武蔵小山商店街パルムがある場所となっている。

この後、西小山まで歩いていきました。

旧線路の跡は撤去されていたけど、跡地はどうなるのか気になります。

武蔵小山駅付近には、東急バスの反11系統(五反田駅~武蔵小山、学芸大学駅経由~世田谷区民会館間)の路線が出ており、弦巻営業所(東急トランセ委託)所属の日産ディーゼルの中型車が使用されている。 こちらも渋72系統と同様に、昨年7月2日の地下化により、目黒線の踏切通過が無くなっている。

目黒線の地下新線は、タモリ倶楽部でおなじみの路線である。

西小山から田園調布までは、東京メトロ9000系の9107Fに乗車。 9107Fは、1991(H3)年11月29日の赤羽岩淵~駒込間の開業と同時に登場した編成で、当初は9101~9107Fによる4両編成だった。 1992(H4)年には9108Fも追加。

1990(H2)年12月に落成した9101Fのほうは、千代田線で試運転が行われていた。

1996(H8)年3月26日に四ッ谷まで開業する前は、綾瀬から王子の車両基地までトレーラーで陸送されていた。

四ッ谷開業の時には、6両編成となったけど、GTO、IGBT混結防止のために編成の組み替えが行われ、GTOの中間車は奇数の編成(9101、9103、9105、9107F)にまとめられ、偶数の編成(9102、9104、9106、9108F)は、中間車が新造車に差し替えられていた。

そのため9107Fのほうは、GTO仕様の中間車となっていた。

目黒線が8両編成化された時にはT車が入るので、中間車の組み替えは行われないことが予想されている。この時には10000系ベースの中間車が入ることが予想されているし。

田園調布駅では、復元駅舎を見物しました。 この復元駅舎の表示は、東京急行の表示となっている。 この駅舎のほうは、1990(H2)年9月4日に地下化工事により取り壊されていたけど、田園調布のシンボルである駅舎を残して欲しいという強い要望により、2000(H12)年1月15日に復元されていたのである。 ここには、エレベーターが完備されている。

地上ホーム跡は、東急スクエア、ガーデンサイトやバスターミナルとして整備されている。

地下ホームのほうは、2012年度中に予定されている東京メトロ副都心線直通に伴う10両運転化を見据えて、10両対応ホームとなっているのが特徴である。

みなとみらい号のほうは、以前武蔵小杉で目黒線から東横線へと転線していたけど、改良工事により、田園調布での転線に変更されていた。

あとは、東横線所属車両の長津田への入場の時も、田園調布駅構内で目黒線に入ることになる。 地下化工事の時は、東横線と目蒲線(現目黒線)の線路が一時的に切り離されていたことがあった。

田園調布駅から渋谷駅まで、渋11系統(自由ヶ丘駅、駒沢公園東口、駒沢大学駅経由、淡島営業所(東急トランセ委託)所属)が運転されているけど、こちらはグランド線と呼ばれている。

以前は瀬田営業所所属で、1986(S61)年から1998(H10)年まで、いすゞ車によるロマンス車(貸切兼用車)が専用されていたことがあった。

田園調布から渋谷までは、東急5050系の5163Fによる急行に乗車。 こちらもやはり、昨年9月25日の優等列車のスピードアップ化に伴う8000系の置き換え用として導入された編成である。

5050系のほうは、横浜高速鉄道のY500系と共に、2012年度中に行われる東京メトロ副都心線との直通運転にも対応しているので、直通運転が開始された暁には、東武東上線や西武池袋線を走る姿も見られることになる。

9000系のほうはどうなるのか分からない。

逆に、東京メトロ新都心線の車両(7000系または10000系)、東武9000系列・50000系、西武6000系・新形式車も東急東横線を走るようになるし。

東武9000系のうち、1981(S56)年に登場した試作車(9101F)のほうは、扉間隔が異なりホームドアに対応しないために副都心線への乗り入れの対象から外されているので、地上線のみでの運用に戻されることが予想されています。

9102Fのほうは、フルカラー式のLED表示に交換されていた。 こちらのほうは、50000系列と同様の明朝体の表示となっている。 50000系のほうも、フルカラー式のLED表示が採用されることが予想されています。 

このことで、同じ明朝体のフルカラーLED車である小田急新3000形の後期型を思い出しました。

渋谷駅に到着した後、109-2の地下2階にあるハロー!プロジェクトオフィシャルショップに行ったけど、ここで、握手会イベントに参加していたM.N氏と出会いました。

この後は山手線で帰宅しました。 M.N氏は、東京駅からムーンライトながらで名古屋に帰っていた。

M.N氏も鉄道ファンで推しメンバーが筆者と共通となっている。

2月4日は、関東の駅百選に認定された駅のうち8駅を通ったことになりました。 

この8駅とは、新宿、御茶ノ水、両国、館山、舞浜、東京、田園調布、原宿駅である。

関東の駅百選に認定された駅では、一昨年3月31日に日立電鉄の桜川駅が廃止されていたけど、今年3月31日には、鹿島鉄道の鉾田駅も廃止されることになっている。

あとは、関東の駅百選の認定のきっかけとなった国立駅や佐野駅の駅舎が改築されたことにより百選のイメージが薄れている。

館山市と言えば、歌手の石井明美女史の出身地であることで有名である。

石井明美女史のほうは、1986(S61)年に、テレビドラマ「男女7人夏物語」の主題歌であった「CHA CHA CHA」(イタリアのダンスグループ「フィンツィ・コンティーニ」の楽曲のカバー)でデビューしていたけど、。80万枚が売れていたことや、1896(S61)年度のオリコン年間シングルチャート1位に輝いていたことがあった。

木更津のほうは、2002(H14)年に放送されたTBSドラマ「木更津キャッツアイ」の舞台となった場所であることで有名となっている。

あとは、氣志團というロックグループ発祥の地でもあり、メンバー6人のうちの3人が千葉県木更津市または君津市出身である)
by hy_sengen-sin | 2007-02-09 10:28 | 鉄道乗車記