人気ブログランキング | 話題のタグを見る

交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

千葉DC

2月1日、ちばDC(ちばディスティネーションキャンペーン)の初日を飾るSLちばDC号を見てきました。

DCとは、気動車のことではなく、ディスティネーションキャンペーンの略である。

ルート 目白~秋葉原~錦糸町~市川~千葉…京成千葉~京成津田沼~京成高砂~日暮里~目白

まずは山手線で秋葉原へ。 この途中で、東武100系スペーシアきぬがわ2号とすれ違いました。 東武100系スペーシアの新宿乗り入れおよび新宿~日光・鬼怒川間の直通特急が運転開始されてから3月18日で1年を迎えることになるので、早いもんだな!と思いました。 

4月28日~30日および5月3日~6日のゴールデンウィーク期間中に、189系彩野編成による、臨時日光号が、横浜~東武日光間で運転されることになる。こちらは渋谷にも停車。 あとは、新宿発着の臨時スペーシアも加わって臨時列車が2往復運転されることになる。

横浜から日光までの直通で、かつての湘南日光号を思い出します。 準急(急行)としては、1961(S36)年3月1日から1970(S45)年9月30日まで、伊東~日光間で走っていた。

ホリデー快速としては、平塚~日光間で運転されていた。

秋葉原から錦糸町までは、209系500番台(クハ209-502F)に乗車。

両国では、国技館の最寄り駅ということで、ちゃんこ鍋の店も目立っていました。

両国駅前にあるちゃんこ霧島という店は、その名の通り、元大関の霧島一博氏(陸奥親方)によって営業されている。

霧島の姓名で、鹿児島出身であるということが分かります。

ちゃんこ鍋とは、主に大相撲の力士が食べる鍋料理であり、ちゃんこ鍋といえば大相撲というイメージがある。

あとは、友綱部屋との友好関係のある「ちゃんこ巴潟」も有名である。

両国国技館は、1985(S60)年に蔵前から移転。 蔵前国技館のほうは、都営浅草線の蔵前駅付近にあった。 現在蔵前国技館の跡地は、東京都下水道局の処理場となっている。

両国国技館のほうは、相撲だけでなく、アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト(高専ロボコン)が行われることでも有名となっている。

錦糸町は、半蔵門線への乗り換え駅となっているけど、半蔵門線が押上まで延長、東武線との直通運転が行われるようになってから3月19日で4周年を迎えることになる。

この日は、横須賀線で発生した人身事故の影響により、総武快速線のダイヤも乱れていました。

錦糸町からは、総武快速線で行こうと思っていたけど、津田沼止まりであったので、錦糸町から市川まで、総武緩行線で移動しました。

この時に乗った編成は、昨年導入されたE231系のB80編成(クハE231-80F)でした。 中央・総武緩行線の新造車に初めて乗ったけど、自動放送無し(車掌による肉声放送)、車内案内表示が1段と、従来のE231系とは変わっていない状態でした。

市川駅に到着した後、快速線のホームへ。 ここから千葉までは、快速エアポート成田、成田空港行きで移動。 この時の編成は、Y31編成(旧F28、クハE217-31F)+Y130編成(旧R33、クハE217-2030F)で、筆者は後者に乗車。

こちらもやはり遅れて運転されていました。

この時には、団体列車と遅れている特急しおさい5号(東京発銚子行き)の通過待ちがありました。

団体列車は、スーパービュー踊り子用の251系のRE1編成(クハ251ー1F)が使用されていたので、SVOが総武本線を走ったのが珍しかったです。

以前は、SVOが新宿~館山間でスーパービューさざなみ号や、デラックスビュー南房総号として、内房線を走っていたことがあった。

あとは、日光、水上、草津方面への臨時列車にも使用されていたことがあった。

RE1編成は、RE2編成と共に、1990(H2)年4月28日のデビュー当時から活躍している編成で、前面のワイパーが3本となっていた。
翌年の1991(H3)年にローレル賞受賞。登場当時は水色とグレーの塗装となっていたけど、2002(H14)年から2004(H16)年に掛けてリニューアル化が行われ、緑とグレーの塗装に変更されていた。

登場当時は、乗ったときから伊豆というコンセプトとなっていたけど、リニューアル化された時には、オーシャンブルーまたはハイビスカスピンクの内装となったので、伊豆よりもハワイのイメージが強まっていた。まさにハワイへは行かないけど、JALのリゾッチャの電車版となっている。 JALのリゾッチャのほうは、乗った時からハワイというイメージのハワイ風の内装の飛行機で、実際にハワイ、グアム、サイパンへも就航している。 

この団臨は、東京から安房鴨川まで運転されていたけど、復路として、安房鴨川→東京間で、2月2日に運転されていた。こちらはちばDC関連で運転された団臨列車で、他にも小山車両センターの宴(甲府→銚子間)、幕張車両センターのニューなのはな(伊東→佐原間)、E257系500番台(木更津→浜金谷間)も使用されていた。

東京駅では、総武地下ホームからの発車となっていたけど、やはりATS-P化により、乗り入れが解禁されていた。

やはりSVOは、伊豆のほか、房総にも似合う車両となっている。

房総方面への列車のほうは、1997(H9)年12月18日の東京湾アクアラインの開業により、利用客が減っている状態である。 

2月中には、東京湾アクアラインで、ETC車で3割引というキャンペーンが行われているので苦戦を強いられている。 普通車の場合は通常のETC割引(2320円)に対し、1620円となる。

この後に通過したE257系は、NB503編成(クハE257-503F)で、デビュー前の2004(H16)年8月28日の東京総合車両センターでのイベントで展示されていた編成だった。

錦糸町から千葉まで、特急券を買えば、E257系のしおさい号で行くことも可能となっていた。

市川~船橋間は、120Km/h運転が行われている。 この区間で120Km/h運転が行われるようになったのは、E217系に統一された1999(H11)年12月4日の改正のことだった。

113系の場合は、100Km/hまでしか出せなかった。 横須賀・総武快速線の113系が、東海道線の113系よりも先に置き換えられていたのは、車両の老朽化だけではなく、130Km/hで疾走する253系NE’Xとの競合のからみもある。 

このことは、常磐線の普通列車でも言えることである。

E217系化され、100Km/hから120Km/hに引き上げられてからは、遅延回復にも対応しやすくなっている。

市川駅のほうも撮影の名所となっているので、横須賀・総武快速線の113系、しおさい・あやめ号の183系のラストランの時は、物井~佐倉間(通称モノサク)と同様に賑わったことになった。

E257系は、253系NE’X、255系と同様に130Km/h運転対応となっているので、こちらも遅延回復が容易となっている。

幕張車両センターでは、ちばDC塗装の113系、253系、あずさ色の183系を見ることが出来ました。 

千葉駅に到着した後、3、4番線に移動しました。

ちばDC号のほうは、5番線から発車。5、6番線のSL側のほうは、関係者以外立ち入りが禁止されていたので、SLを撮影することが出来る3、4番線のホーム先端のほうは、撮影客が殺到していました。 

今回は平日にも関わらず大混雑していたので、平日だからと言って甘く見てはいけないという状態となっていました。

このことで、一昨年9月12日に閉幕間際の愛・地球博に行った時を思い出しました。

3、4番線では、列車の入線もあるため、危険を伴っていました。

この時に入線してきた普通列車は113系。 総武本線、成田線では、ほとんどが211系による5両編成に置き換えられているけど、内房線・外房線では、113系が多いです。

本千葉駅側から、SL+12系客車6両編成がDLとの牽引で入線。

青い12系客車は、高崎車両センター高崎支所所属で、SL奧利根号でおなじみである。こちらはノンストップと言えども、運転停車もあった。

ちばDC号は、千葉12時46分発、木更津14時01分着。 指定券のほうは完売御礼となっていました。

後続の普通列車でも木更津への追っ掛けも可能となっていた。

その横の6番線には、E257系500番台のNB16編成(クハE257-516F)が止まっていました。

SLは人気列車であるので、乗るも良し、撮るも良し、見るも良しという状態となっていました。 この時に押したり、かがまずに撮影したりするなど、他人に迷惑になるような行動が目立っていたのが残念でした。 この時に大きなトラブルにならなくてよかったけど。

内房線の沿線では、撮影する人が集まっていました。 山澤さんのほうは、個人により、袖ヶ浦~巌根間で撮影していた。

発車する前には出発式が行われていたので、SLの前のエリアに関係者以外が入ることが出来なかったのはそのためであった。

SLならではの走行シーンを見ることや撮影することが出来てよかったです。

SLのD51-498号機は、高崎車両センター所属で、SL奧利根号などで有名となっている。

D51-498号機は、1940(S15)年に、鉄道省(のちの日本国有鉄道(国鉄))・鷹取工場で製造されていた。

現役引退したのは、1972(S47)年に八高線で運転されていた「鉄道100年記念号」の牽引の時だった。

以後、上越線の後閑駅(群馬県利根郡月夜野町、現、みなかみ町)の構内で静態保存されていた。

1988(S63)年には、JR東日本・大宮総合車両センター(旧・国鉄大宮工場)で復元整備が行われ、オリエント急行の牽引で復活していた。 当時はオリエント急行が来日し、日本全国を回っていたけど、SLの牽引がファイナルイベントとなっていた。筆者は当時見ることもなく終わってしまった。

当時来日していた、オリエント急行は、スイスのインターフルーク社の「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」(NIOE)で、フジテレビ開局30周年のイベントとして、日立製作所とのタイアップで行われていた。

来日ルートは、フランスのパリから、西ドイツ(当時)、東ドイツ(当時)、ポーランド、ソ連(当時)、中国を経由し香港まで陸路を走行し、香港から山口県下松港までは客扱いなしで航送(船で輸送)され、メインスポンサーでもあった日立製作所の笠戸工場で、台車が狭軌用に交換され、広島から東京まで走行していた。

当時のドイツは、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分かれていたけど、1990年10月3日に、東西ドイツ統一により、現在のドイツ連邦共和国となった。

東西ドイツ統一前は、西ドイツは、ボン、東ドイツは、ベルリンが首都となっていたけど、現在はベルリンが首都となっている。

ソビエト連邦(ソ連)が解体し、完全独立したのは、1991年12月26日のことだった。主権宣言が打ち出されたのは、前年の1990年6月12日。

ソ連から独立した国は、ウクライナ、ベラルーシ共和国が挙げられている。

ロシア風といえば、昨年10月25日に発売された、モーニング娘。の久住小春女史「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」の2枚目のシングルおよび毎週金曜日に放送されているテレビ東京系のアニメ「きらりん☆レボリューション」のテーマ曲である「バラライカ」を思い出します。

バラライカは、ロシアの代表的な弦楽器の名称であるということで、ロシア風のテンポになっており、振付にコサックダンスが入っているのが特徴となっている。

なので聴けば聴くほど病みつきになる曲で、筆者もこの曲に填っています。筆者は久住小春女史も推しているので。

月島きらりとは、きらりん☆レボリューションの主人公であり、久住小春女史がその声担当の声優としても活躍している。

SLの出発を見た後、改札外の立ち食いそば屋に行きました。この時に113系の普通列車が入っていたので見事に被ってしまいました。

その前には、255系の回送を見ることが出来ました。
by hy_sengen-sin | 2007-02-02 10:07 | 鉄道乗車記