交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

小田急海老名でのイベント06-2

10月15日、小田急海老名でのイベントの2日目にも行ってきました。

ルート 目白~新宿~相模大野~海老名…(イベント会場)…海老名~相模大野から下北沢~新宿~本八幡…(市川市文化会館)…京成八幡~日暮里~京成上野…上野~目白

まずは、快速急行藤沢行きで、相模大野へ。 この時に乗った編成は、8253F+5162Fで、筆者は8253F側に乗車。 8253Fのほうも、VVVF化された編成で、左手操作式のワンハンドルマスコンとなっていました。 このように初期のみ界磁チョッパ制御のまま更新されて、後期からVVVF化されたということで、京王7000系や京急1000形の車体更新を思い出しました。

この前に、小田急20000形RSE車による代行あさぎり3号を見ることが出来ました。 このあさぎり3号は、普段はJR371系が使用されているけど、現在は定期検査入場中のために代走となっている。

1973(S48)年12月まで使用されていた旧南新宿駅は、ホームの有効長が4両分しか無く、5両編成の2600形が1両はみだして停車していたことがあった。

その跡地には、地上の急行ホームと地下の緩行ホームに分かれるポイントがあるので、改良工事のために移設されたことが分かります。 改良と同時に、新宿駅の地下緩行線のトンネルの出入り口も移設されていたので。 現在はその出入り口がサザンテラス(人工地盤)に覆われている状態なので、先頭に立たなければ分かりにくいという状態となっている。

昨年3月5日、50000形VSEの試乗会列車で、普段入線しない地下緩行ホームに入線していた時は貴重な光景でした。

代々木上原駅では、代々木上原止まりの千代田線の列車からの接続を待ってから発車していました。 この時の編成は6116F。 

東北沢駅は、地下化工事の進捗により、上りホームが急行線跡の仮ホームに移設される予定で同時に橋上仮駅舎に切り替わることになる。
同時に、旧上りホームが廃止され、ここにあるトイレが橋上仮駅舎に移転されることになる。

下北沢駅 8月10日に上りホームの新宿方にあるトイレが、同じ上りホームの世田谷代田方に移転していた。 10月8日には、上りホームの新宿寄りの旧トイレ部分を含めた部分が閉鎖され、その代わりに世田谷代田方にホームが延伸されたことになった。

快速急行は、下北沢を出ると新百合ヶ丘までノンストップ運転。 多摩川橋梁部分では、下り線用の新橋梁の土台が建っていった。 登戸駅の新下りホームでは、ほとんど姿を現している状態なので、これが完成すれば、暫定島式ホーム状態が解消されることになる。

小田急の多摩川橋梁の掛け替え工事は、同じ多摩川に掛かる東急東横線・目黒線の橋梁の掛け替え工事と同様の工法で行われている。

旧橋梁の隣りに新橋梁を建設。完成後新橋梁に移設、旧橋梁が撤去された後、その跡に増設新橋梁の新設。 完成した後に使用開始されて完成ということとなる。

新百合ヶ丘では、唐木田行きの5267Fを見たけど、2日連続で多摩線のローカル運用で使用されていました。 この編成はドアチャイムが付いているので最後まで残ると思われます。

相模大野からは、初期型3000形である3252Fの急行箱根湯本行きで移動。 この3252Fは、3251、3253、3254Fと同様に、初年度(2001(H13)年度)に導入された、戸袋窓付きのセミワイドドア仕様となっている。 営業運転開始は、2002(H14)年2月10日のこと。

大野工場では、廃車となった5200形2両がクーラーを外されたまま置かれていたけど、あれも近いうちに解体輸送される予定となっている。

相模大野から急行で1駅、海老名に到着した後は、イベント会場へ。

この日は、柘植の飛猿さんが、朝一で会場に行き、各種展示車両を見物していたのである。 9001号車や2670号車の運転台も撮影していたし。柘植の飛猿さんのほうは、イベント会場に朝一で行くことが定着している。

ここでは、海老名に因んで海老カツサンドを食べました。 海老名の由来は、大昔この一帯が海だった頃に大きな海老が棲んでいたからだという伝説がある。

まずは、1時間以上待たされるという覚悟の上で、車内見学の列に並びました。

展示車両の喜多見からの送り込み回送は、モハ1形(モハ10号車)が1000形、3100形NSE(3221F)が1700形(6連のワイドドア車)、2200形(2201F)・2600形NHE(2670号車)・9000形(9001号車)が、5200形との牽引で行われていた。

以前はオールM車の9000形の4連も、展示車両の牽引に使用されていたけど、全廃に伴いこれが出来なくなってしまったのである。

まずは、工務部からの展示車両の見物。 ここには2台のレール検測車がありました。 形式はピンクのレール検測車がRG-4502、ブルーのレール探傷車がUIC-4201となっていた。
 後者には、イルカのデザインがあった。

並んでいる時でも、保線用の事業用車を見ることが出来ました。 この会場には、ベビーカー置き場もあった。

あとは、小田急ロマンスカーのテーマ曲である「ロマンスをもう一度」という曲のBGMも流れていました。このBGMは、小田急のイベントで定番となっている。

本当は14日の土曜日だけ行って15日は回避する予定だったけど、どうしても2600形や9000形の中に入りたいということや、満足した画像が撮れていなかったことで、リベンジのために行っていたのである。お陰で2日連続で行くことが出来たのである。

昨年はあいにくの空模様となっていたけど、今年は2日間共に好天に恵まれていたのでよかったです。 やはり人が多かったのは天候に恵まれていたということもある。

天候が良いと撮影の時の逆光状態が懸念されるというデメリットがある。

待ち時間の間は、お気に入りの音楽を聴きながら過ごしていました。

まずは、小田急ロマンスカー3100形NSE車の車内へ。この時に撮り損ねていたブルーリボン賞のプレートを撮影。 ここで携帯電話を使用したオリジナルムービーも撮影しました。

この赤い座席に座った時には、筆者が子供の頃に良く乗っていた時を思い出しました。前日のSE車の時もそうだったけど。

次は、9000形の車内に入るために並びました。 この時にも待たされていたけど、待ち時間の間に連結器剥き出し状態の3100形NSEを撮影することが出来てよかったです。 NSEの台車は、FS346A、FS46 9001号車の台車は、FS-385となっていた。

9001号車のほうは、1972(S47)年1月、東急車輌製造で9002Fと共に落成。 同年3月に営業運転入りしていた。 当時は4両固定編成しか無く、想い出となった4+4の8両編成の急行等に使用されていた。 翌年の1973(S48)年には6連バージョンも登場。 

9001Fのほうは、晩年は9002Fと組み、4+4の簡易8両固定編成として、各駅停車を中心に最後の活躍をしていた。 9001Fのほうは、4+4の8両簡易固定編成全廃後、4両編成の姿で海老名の車両基地に留置され、休車状態となっていた。車体更新されたのは、1989(H元)年のこと。この時に千代田線乗り入れ装置が撤去されていた。

今年3月17日の定期運用最終日には、6連の9404、9407Fが入り、9407FにはさよならHMが付いていた。 9404Fは、その後廃車・解体。

5月13日のさよなら運転の時には、9407F+9001Fによるさよなら運転が秦野から唐木田まで行われていた。 この後9407Fは全て廃車・解体。 9001Fは、2670Fと同様に新宿寄りの先頭車のみ静態保存されるようになり現在に至る。

解体された3両のうちの9301号車は、ヘッドライトおよび運転台が撤去された姿となっていた。

いよいよ順番が回ってきて、9001号車の車内へ。 

9001号車のほうは、引退した時から変わっていないけど、車内の停車駅の表示およびドア部分のさよなら9000形のステッカーが残されていた。 あとは4+4の簡易固定編成時代新宿寄りに連結されていたため、8号車の表示もあった。

運転台の見学も並んでいたので断念しました。 やはり小さなお子様連れが優先ということもあるので。 

西武の武蔵丘でのイベントの時、特急の乗務員室公開コーナーは当初行列が出来ていたけど、現在は整理券方式に変更されているけど、小田急の海老名でのイベントの時もこうするべきだったと思います。 

特に9000形の人気が高いので、長蛇の列が出来ていました。 この車内にやっと入れたので、とても嬉しいです。 この車両のローレル賞のプレートが撤去されていたことで残念に思っています。

今回の運転台見学を逃しても悔いはなかったです。

9000形のほうは、乗客には好評だったけど、運転台が狭いので、一部の運転士から敬遠されていた状態だった。 9000形に当たった時には正直言ってがっかりしていたという声が聞こえていた。 このイベントの時は、現役運転士も立ち会っていたので。

9001号車から降りた後、2600形の列へ。 この車内にも入ったけど、こちらも引退当時から変わっていませんでした。 やはりこちらの運転台見物も行列が出来ていたのでパスしました。 2670Fは、1967(S42)年川崎車輌(現在の川崎重工業の前身)で製造されていた。 なので、川崎車輌のプレートを見ることが出来た。

車端部の優先席のほうは、9001号車とは異なり、オレンジ色ではなく、白い吊革のままとなっていた。 それは、オレンジ色の吊革になる前に引退していたので。これを見て、こういう時代があったんだな!ということを感じました。

2600形は、1964(S39)年に、小田急初の大型車(4ドア20m車)としてデビュー。愛称はNHEと呼ばれていた。 当時は5両編成だったけど、1968(S43)年に6両化されていた。 1993(H5)年には一部の編成が8両固定編成化されていたけど、これらの8両固定編成のほうは、2000形の増備により、2000(H12)年から2001(H13)年に掛けて置き換えられていた。

2666Fのほうは、8両編成化と共に余剰となったT車に、2000形と同様のVVVF装置が搭載されていた編成となっていた。 2666Fが廃車となったと同時に、そのVVVF装置が2000形に流用されていた。

2670Fの旧塗装への再現は、2003(H15)年10月のことで、同年10月18日には新宿から海老名までお披露目記念列車が運転されていた。 筆者はこの列車に乗っていたのである。
2600形の独特のモーター音は、現在聴くことが出来ない。

この旧塗装は、ナスカレー色と言われているので、現在行われているモーニング娘。の秋のツアーのタイトル名である「踊れ!モーニングカレー」を思い出します。 このツアーは、9月30日・10月1日に小田急線沿線の厚木市文化会館から始まっていたし。

この日9000形は準急綾瀬行き、2600形は湘南急行江ノ島行きの表示となっていた。

準急綾瀬行きの表示は、5月13日の9000形のさよなら撮影会でも披露されていた。

湘南急行江ノ島行きの表示は、現在は見られないので貴重な表示となっていた。 湘南急行のほうは、2002(H14)年3月23日、多摩急行と同時に登場。一昨年12月11日のダイヤ改正で、快速急行に統合されて廃止。 特急のサポート号の愛称の廃止およびさがみ号の愛称の復活もこの時だった。

湘南急行のほうは、新宿~相模大野間、急行と同じ停車駅で、江ノ島線の急行停車駅から南林間と長後、本鵠沼、鵠沼海岸を外したものとなっていた。 

現在の快速急行の江ノ島線内の停車駅は、かつての湘南急行と同じである。

種別幕のほうは、2004年の12月改正前に交換されていたけど、湘南急行だけは黒地のままとなっていたのはそのためである。

現在の小田急の種別表示 各停=ブルー 区間準急=ライトブルー 準急=グリーン 急行=レッド 快速急行=オレンジ 多摩急行=ピンク

2600形と4000形のほうは、交換されずに最後まで旧種別幕が使用されていた。

特に、2600形のほうは、種別・行き先共にローマ字の入っていない表示となっていた。

旧2000形などの小田急スタイルの電車の前面の行き先表示は縦書きとなっているけど、4000形・5000形・5200形の表示がローマ字併記となってからは縦書きの表示の下にローマ字が入るようになった。

この2670号車を含め、ローマ字併記となる前は、片瀬江ノ島では無く、江ノ島と省略された表示となっていた。 2600形のほうは、江ノ島の表示が最後まで残っていたことになった。

このことで、京急旧1000形に残っている蒲田・川崎・新町・文庫・八景・久里浜の表示を思い出しました。京急のほうも、省略表示では無く、フルでの表示に変わっている。

30000形EXEのほうは、1996(H8)年登場当時から片瀬江ノ島のフル表示となっている。

これを見て、片瀬江ノ島ではなく、江ノ島と省略表示されていたことがあったんだな!ということを実感しました。

9000形のほうも、前面のみ江ノ島 ENOSHIMAの表示となっていたこともあった。

2670号車=展示される前に、再塗装されていたのである。2670号車、9000号車の後ろ姿が板で塞がれていたことで、京王5000系の保存車を思い出します。

2200形のほうは、今回も車内が公開されていなかったけど、引退当時に使われていた指はさみに注意のステッカーが残っていた。

この後、モハ1形(モハ10号車)の車内を見物したけど、すんなり入ることが出来ました。 

この車内には、モハ1形(モハ10号車)の経歴表がありました。小田急電鉄への里帰りを果たしたのは、1982(S57)年9月のことで、大野工場で復元工事が行われていた。その復元工事は、翌年の3月に完成していた。

このように、初代の小田急の電車を大切に保存してくれたことでとても有り難く思っています。
 このことは、2600形や9000形などでも言えるけど。

2600形のほうは、一昨年6月のさよなら運転終了後、海老名に留置されたままとなっていた。

今年7月6日に、2670Fが、9001Fと共に大野工場に送り込まれた時、全て解体されるかと不安だったけど、新宿よりの先頭車である2670号車のみが、9001号車と同様に保存されたということを聞いて安心したのである。

9000形の廃車回送は、6月13日に9407+9001Fの10両で行われていた。9001Fは喜多見から海老名に移動。 9407Fは、海老名から大野工場まで廃車回送されていた。

この会場には、使用済みの電球や蛍光灯が山積みで置かれていました。

この後は、高所作業車(陸軌車)およびマルチプルタイタンパー(マルタイ)の作業実演を見物。

まずは、高所作業車の実演があり、レールの上を走る陸軌車の走行シーンおよびバケットの上昇シーンを見ることが出来ました。

この陸軌車(RKT-H1)は、トヨタ自動車の小型トラックである「ダイナ」がベースで、後部座席付きの4ドア車となっている。 このトヨタのトラックのほうは、トラック・バス関連の子会社である日野自動車に生産が委託されており、日野自動車でも、「デュトロ」の名で売り出されている。 現行モデルは、トヨタと日野の共同開発車。

塗装は、小田急20000形のRSE車に準じていた。 

バケットの上昇→上げたまま走行→バケットを下げる→方向転換→走って戻るという順序で実演が行われていた。

方向転換のほうは、踏切が無くても出来る状態となっている。陸軌車なので、普通のトラックと同様に公道を走ることも可能である。

この次は、マルタイことマルチプルタイタンパーの実演。 この時に、レールを持ち上げ、バラスト(砂利)を付き固めるシーンを見ることが出来ました。 こちらは普段終電から始発までの間にやらなければならない作業なので、このイベントでは、この作業の風景を観客に披露してくれたのでとても嬉しい状態であったのである。

深夜なので、騒音防止のカバーを掛けた状態で行われているけど、カバー無しで見れたのは貴重だった。もちろんカバーを掛けた状態でも披露されていたけど。

このマルタイは、MTT-6301形で、オーストリア製であり、ライオンのマークが描かれている。

隣りには、レール削正車(レールグラインダー)があるけど、ビーバーが描かれている。今回レールグラインダーの実演を見られなかったのが残念だけど。

このような作業機器の実演は、毎年行われている。

昨年までは、車輌の解体部品が売られていたけど、今年からは、アスベストの関係で発売が中止されていた。

ここでは、小田急グループや民鉄各社のブースのほか、環境ブースもあった。あとはNゲージ車輌の運転もあった。

この後、SE車の見物に行こうと思ったけど、行列が出来ていたので断念しました。

海老名駅の西口では、盲導犬育成募金が、東口では共同募金が行われていました。

この次にビナウォーク(ViNAWALK)の第二会場へ。 ここでは、鉄道模型の運転、鉄道グッズの販売がありました。ここには日車夢工房(日本車輌の系列の鉄道グッズを扱う店)のブースもありました。もちろんVSEグッズもある。

このご当地ラーメン街で、九州ラーメンの店に立ち寄りました。

この後、海老名から相模大野まで、3265Fで、相模大野から下北沢まで、8266F+8158Fの快速急行で移動。 筆者は8158F側に乗車。

下北沢から新宿までは、5200系5255Fによる各駅停車に乗車。2日連続この編成に乗ったけど、この日は6連単独での各停運用となっていた。

新宿から本八幡までは、都営新宿線の急行で移動。 この時に乗った編成は、6734F+6434Fによる8+2の10両編成となっていた。 京王6000系の乗り入れ運用は、10両化されているので、6784、6785Fの2編成は、6434Fまたは6435Fと組んだ10両編成に固定化されている。 そのため、6784・6785、6434.6435号車のATC装置が撤去されている状態である。 

市ヶ谷では、京王9000系の10両固定編成を見ました。 今年9月1日のダイヤ改正で、京王直通列車が京王車による10両編成化されていたけど、ほとんどが6000系の8+2の10両編成となっている。 乗り入れ仕様の9000系は2編成しかない。

今年度中に3編成導入予定となっているので、動きが見られることになる。

10月14日に地震が発生した時にダイヤが乱れたけど、この時に都営車による直通急行およびその逆の京王車による線内の各駅停車が復活していた。

本八幡駅に到着した後、大和田公園の都電の廃車体を見に行きました。 この車両は、今から15年前に廃車となった7011号車(7000形のワンマン改造車)である。 こちらの行き先表示は、荒川車庫となっていた。 塗装はかなり色褪せていた。

この市川市の大和田公園は、都営新宿線のシールドトンネル掘削工事の用地として使用されていた。1991(H3)年2月に公園として再利用され、開通記念として、東京都交通局から7011号車が寄贈されていた。 現在は、車体の老朽化などにより、一般開放が中止されている状態だけど、塗り直し・車体修繕工事が行われることを願っています。

この後、市川市文化会館で行われたごっちん(後藤真希女史)のコンサートを見ました。 この時にハロプロ兼任の鉄道ファンと出会ったけど、やはり筆者と同じごっちんのコンサートの目的で来ていたのである。

樋口さんのほうは、ごっちんがハロプロファンの原点となっている。それに対して、筆者と応援団員のS氏は、なっちがハロプロファンの原点となっているし。

この後、京成八幡から京成線で帰りました。 乗った車両は、日暮里までが3500形更新車(3517+3520F)の特急。日暮里から京成上野までが新3000形の3011Fだった。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-17 09:17 | 鉄道イベント