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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

京急撮影ツアー

9月17日は、萩原清さんたちと共に、京急の撮影ツアーに行ってきました。

ルート 目白~品川~京急蒲田~京急川崎~川崎大師~産業道路~小島新田~京急川崎~横浜~金沢文庫…金沢八景~浦賀~横浜~武蔵小杉~元住吉…日吉~武蔵小杉~目黒~目白

まずは、目白から品川まで山手線で移動。品川から京急蒲田までは、北総7500形の7502Fによる急行羽田空港行きに乗りました。 北総7500系に乗ったのは、4月29日の品川~泉岳寺間以来2度目であり、あの時も7502Fに当たっていた。

これまで7501F(東急車輌製)と7502F(日本車輌製)が導入されていたけど、今年度中に7503Fが導入される予定となっている。 これにより、ゲンコツ電車こと7000形が全廃となる予定となっている。 

北総7500形は、今年2月20日登場。 車体等は、親会社の京成3000形がベースとなっている。 あとは新京成のN800形もそれがベースとなっているので、京成3000形北総7500形、新京成N800形は、日車ブロック構体による京成グループ新標準規格の電車となっている。

新京成線は、今年創立60周年を迎えることになるけど、これに伴うくぬぎ山でのイベントが10月21日に行われる予定となっている。 

N800形は、来年に開始される予定の新京成線~京成千葉線への直通運転にも対応している。 京成千葉線では、6両編成までしか入線出来ないので、旧800形の6連(818F)、8000形、N800形に限定される。 8800形、8900形は、8両固定編成のため、京成千葉線には入線出来ない。

京成では、9月27日の終電後、最後まで手動式(第一種乙踏切)で残っていた京成高砂~京成小岩間の1号踏切道(高砂駅前)が、自動化されることになり、京成の踏切の自動化が完了することになる。

手動式(第一種乙)踏切は、以前小田急の新宿~南新宿間などにもあった。

昨年3月15日、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅付近の手動式踏切で、係員による操作ミスにより、2人が犠牲となった事故が発生していたので、自動化が急がれていた。 この踏切はこれを期に同年9月に自動化されていたのである。それでも、複々線区間にまたがる開かずの踏切となっているので未だに問題となっている。

京成船橋駅付近の高架化は、上り線が一昨年11月に完了しているけど、今年11月25日には下り線も高架化されることになる。 これにより、京成船橋、大神宮下駅が全面高架化されることになる。 これにより、JR船橋駅方面から踏切を渡らずに京成線の線路よりも南側の地域に行くことが出来るようになる。毎月第三土曜日に行われている千葉サークルの会場もここにあるので、踏切を渡らずに行くことが出来るようになるし。

北総7500形は、HOKSOの新ロゴが入っている。このロゴは、日本車輌によってデザインされていた。 自動放送装置が使用されていないという問題がある。 千葉ニュータウン鉄道9100形には、自動放送装置が付いていたけど、一昨年に撤去されている。

平和島~六郷土手間ではやはり高架化工事が進められていました。京急蒲田駅では、1番線(空港線および直通電車のホーム)が仮線化されているけど、この次は2番線(本線下り、横浜方面)が仮線化されて空港線側にずれることになっている。

京急蒲田から京急川崎までは、新1000形の1401Fに乗車。 前の8両が2100形2101Fだったので、トップナンバー同士の連結となっていた。 どちらもシーメンス製インバータ装置が奏でるドレミファ電車となっていた。

常磐線の上野~土浦間で運転されている元祖ドレミファ電車であるE501系のほうは、E531系の導入により、水戸線および常磐線(友部~いわき間)に転用されることになるので、東京周辺でドレミファインバータ音を聴けるのは、京急だけとなってしまう。

京急蒲田~雑色間の環八通りにまたがる踏切は、仮線化と同時に廃止されることになる。やはり環八通りの交通量が多いので、この部分のみ暫定高架化されることになっている。ここは、蒲田駅と羽田空港を結ぶ路線バスも通過することになっているし。

京急川崎駅に到着した後、萩原清さん、黒岩さん、奥野さん、林直樹さん、高石さん、山岡さん、木沢さんと合流しました。 木沢さんのほうは少し遅れて現地入りしていた。今回の参加者は筆者を含めて8名。

本当は三橋さんが居れば完璧だったけど、残念ながら諸事情により参加出来なかったのである。 あとは重満さんも参加出来なかったことも残念に思ったし。

萩原清さんは、京成線の高砂在住ということで、高砂から直通で京急川崎入りしていたのである。

まずは、京急大師線に乗り、最初の撮影地である川崎大師へと行きました。最初は鈴木町での撮影も考えられていたけど、良くないのでパスということとなった。

京急川崎から川崎大師まで乗った編成は、旧1000形・1317Fの4両編成でした。 昨年11月28日までは700形も走っていたけど、現在は旧1000形の4両編成がメインとなっている。こちらには時々1500形の4両編成も使用されることもあるけど。

川崎大師駅前の踏切で旧1000形を撮影。 筆者もそうだけど、例の如く、動画も撮影していた人もいました。この日は、この1317Fの4両編成のほか、1313F、1341Fも稼働していました。 1341Fは、京急川崎⇔小島新田となっていたけど、あとの2本は、川崎⇔小島新田となっていました。 700系時代もこうなっていた。
この区間は、将来地下化される予定となっているので、やがて想い出の風景となってしまう。

川崎大師駅前では、京急グループのバス会社である川崎鶴見臨港バスを見ることが出来ました。 この路線は、川崎駅前と大師駅前を結んでいるので、初詣の時などの混雑時には、大師線のサポートの役割を果たすことになる。

川崎大師から産業道路までは、1313Fに乗車。 この時に女性の車掌が乗務していました。

産業道路駅でも、旧1000形の撮影を行いました。 産業道路駅は、その名の通り、産業道路に面した駅で、首都高横羽線もここを通っている。 この産業道路にまたがる踏切では、川崎と木更津を結ぶアクアラインバス、臨港バスの路線バスも通過している。

産業道路は、大森町付近から分岐し、生麦へと至る道路となっている。

1980(S55)年ごろまでは、川崎競馬開催日に、小島新田行きと産業道路行きの電車が交互に運転されていたこともあった。

この後、1341Fで産業道路から小島新田に移動。小島新田に到着した後は、恒例の記念撮影が行われていました。 小島新田駅は、将来京急大師線が地下化された後も地上駅として残ることになる。

かつては日本鋼管や味の素の工場まで貨物輸送が行われ、一部が三線軌条となっていたけど、1997(H9)年をもって貨物輸送が廃止され、産業道路~塩浜操車場までの連絡線が廃線となっている。

ここでは、川崎貨物駅も見物しました。 ここでは、おなじみのゴミ輸送のコンテナも見ることが出来た。

10月15日には、元東京メトロ5000系が中野から川崎貨物駅(メトロ車両)まで輸送されることになるけど、どうなるのか気になります。廃車解体なら行徳で行われるはずなんだけどね!

07系の転属回送の第二弾は、10月13日に行われる予定となっている。

1313Fで小島新田を後にして、京急川崎まで行き、ここから600形603Fによる快特で横浜に行きました。 京急横浜駅の新下りホームでは以前乗り降りしたことがあるので初めてではありませんでした。後部は1437Fで、LED式となっていた。

京急では、JR東海と同様に方向幕式にこだわっていた状態だったけど、両社共にLED化されるようになった。

横浜に到着した後、西口付近のシェーキーズに行き、昼食会を行いました。 ここではバイキング方式となっており、ピザやパスタ等が食べ放題の状態でした。

こちらはキリンビールの系列となっているので、ここで出されるビールはキリンビールである。

この後は、早退した高石さんと別れ、京急で金沢文庫まで行きました。この時点で7人。

高石さんのほうは、途中で早退してしまうことが多いので、今回も途中早退してしまったことになった。

横浜では、1500形のVVVF改造車である1649Fを見ることが出来ました。こちらは暫定6連で使用されている。

横浜から金沢文庫まで乗った快特は、2100系の2117Fで後部に654Fが連結されていました。

2117F、最初は木沢さんの隣りに座っていたけど、奥野さんの隣が空いていたので、上大岡に到着する前に奥野さんの隣りに移動したのである。 このようなことは、2人掛けのロマンスシートならではである。このような展望座席は、マニアによる特等席で、600形、新1000形にも設定されている。

最前方の展望座席が空いていたので、黒岩さんと山岡さんがここに陣取っていました。 

南太田では、先ほどの1549Fが待機していました。

上大岡に到着。もう1つの展望座席のスペースが空いたので、萩原清さん、木沢さんもここに移動。強運の持ち主である萩原清さんたちもここに座ることが出来たのである。

金沢文庫の手前の能見台駅は、西武ライオンズの松坂投手の母校でおなじみの横浜高校があり、車窓から確認することが出来る。 

金沢文庫に到着した後、分割・併合シーン等を見物しました。 この後、下村さんと合流し、8人メンバーに戻りました。 下村さんは、2100形のラストナンバーである2173Fで現地入りしていた。

横浜市金沢区では、火災のない安全な街金沢と言われているけど、石川県金沢市もこうであればいいなと思っています。

石川県といえば、ゴジラの愛称で親しまれているニューヨーク・ヤンキース(アメリカのメジャーリーグチーム)の松井秀喜選手の出身地(能美郡根上町(現能美市))がある。 金沢市の星稜高校出身で、高校野球でも大活躍。1993(H5)年から2002(H14)年まで読売ジャイアンツに所属していた。2003年より渡米・ニューヨーク・ヤンキース入り。能美市には、松井秀喜・ベースボールミュージアムがある。

JALは、ニューヨーク・ヤンキースのオフィシャルスポンサーであるので、JALによる松井ジェットが飛んでいたことがあった。

メジャーリーグで活躍する日本人選手といえば、シアトル・マリナーズのイチロー(本名鈴木一朗)選手・城島健司選手、シカゴ・ホワイトソックスの井口資仁選手、ロサンゼルス・ドジャースの斉藤隆投手、ニューヨークメッツの松井稼頭央選手などが挙げられている。

かつて大阪近鉄バッファローズ(現、オリックスバッファローズ)で活躍していた野茂英雄投手は、1995年から、ロサンゼルス・ドジャースで活躍していたことでも話題となった。

現役を引退した浜の大魔神こと佐々木主浩投手や、新庄剛志選手、伊良部秀輝投手、長谷川滋利選手も大リーグで活躍していたのである。

佐々木投手のほうは、引退後、野球評論家として第二の人生を歩んでいる。

10月9日は筆者が初めて石川県に行く予定である。

この後、東急車輌付近を経て、横浜市立大学前の踏切に移動し、ここで撮影をしました。

東急車輌の工場では、東急5080系5184F、西武9000系9105FのVVVF改造車、JR中央快速線にデビュー予定のE233系を見ることが出来ました。 ここでは、撮影禁止となっているので、撮影出来なくて残念に思っていたのである。 それでもE233系を初めて生で見ることが出来てよかったです。9105Fは、小平の表示となっていた。西武9000系は、池袋線系統で限定運用されているけど、新宿線への転用も可能となっている。VVVF化されてからは新宿線を走ったという実績はない。

あとは、入れ替え用として使用されている元東急7052Fも見ることが出来ました。

金沢文庫~金沢八景間は、複々線区間となっているので、寄り添って走るシーンも見られるのである。 この時に800形と2000形の4連が寄り添って走るシーンを見ることが出来たのである。

ここで充分撮影した後、金沢八景まで移動し、ここから2000形2411Fで浦賀まで移動しました。 2000形のほうは、1998(H10)年から2000(H12)年に掛けて3ドアロングシート化されているけど、8連のほうは、都営浅草線に乗り入れることが出来ないのがネックとなっているので、線内のD急行が廃止された後、平日の朝夕のみの限定運用となってしまったのである。 4連のほうは、快特の付属運用として使用され、羽田空港にも乗り入れている。

ロングシート改造されたけど、車端部のクロスシートのほうは、種車のものが生かされている。運転台後部の座席は、改造前からロングシートとなっているので、こちらも種車の面影がある。

これによって、金沢文庫から金沢八景まで、歩いて行ったことになりました。

堀ノ内で、快特の待ち合わせ。 この後に発車していました。 以前は堀ノ内駅を通過していたのでこのようなことが出来なかったのである。

堀ノ内~浦賀間は、京急本線の一部となっているけど、支線および京急浦賀線というイメージが強い状態となっている。 あとは、泉岳寺~品川間も京急本線よりも都営浅草線の支線および京急浅草線のイメージがある。
京急本線の泉岳寺~品川間は、小竹向原~練馬間の西武有楽町線や、新線新宿~笹塚間の京王新線に似ているし。

京急の堀ノ内~浦賀間に乗ったのは、1998(H10)年4月3日以来8年半ぶりでした。 この区間は普通列車がメインとなっているけど、朝ラッシュ時には品川直通の特急列車も運転されている。 

黄金町~浦賀間が開業したのは、1930(S5)年4月1日で、前身の湘南電気鉄道によって開業していた。

浦賀といえば、ペリーを連想します。 1853(嘉永6)年に、ペリーを乗せた黒船が浦賀(現在の久里浜港)に上陸していたことがあったので。

久里浜港には、開国橋、ペリー公園、ペリー記念碑がある。

萩原清さんと下村さんは、浦賀まで行ったのが初めてだと言ってました。 

浦賀や久里浜も、横須賀市にある。 横須賀市といえば、樋口さんが推しているメンバーである元モーニング娘。(美勇伝)の石川梨華ちゃんの出身地としても有名である。

この後、浦賀で旧1000形の1345Fを撮影することが出来て大成功となりました。 メインの旧1000形の撮影で締めくくることが出来たし。お目当てのブルースカイトレインを見ることが出来なかったのが残念だったけど。

この後、652Fで横浜まで移動しました。 そのうちの萩原さん、黒岩さん、林直樹さんはそのまま品川まで乗車していました。 萩原さんのほうは、都営浅草線、京成線経由で帰宅していた。

あの後、5人でホームの端まで移動し、三橋さんと合流しました。ここで山野さんからの預かりものである阪急9000系のマグネットを受け取りました。

この取引が終わった後、三橋さん・下村さん・山岡さんは、1017Fの快特で帰っていきました。

この後、木沢さんはJR横浜線で帰宅。 奥野さんと筆者は武蔵小杉まで行き、目黒線の様子を視察しました。 この時に乗った編成は5050系の5154Fだった。

目黒線では、都営6300系の6315F、埼玉高速の2104FがROM交換されていなかったです。

この後奥野さんと分かれました。 筆者は8019Fで元住吉まで行き、ここで高架前の駅の様子を見に行きました。 元住吉駅前には、公衆トイレがあったけど、高架化準備のために使用出来なくなったのである。 9月24日から使用開始される新駅舎にトイレが新設されるけど、もちろん洋式トイレも備えたバリアフリートイレとなる。
みなとみらい線の駅のトイレは、駅のトイレとしては珍しく、全て洋式トイレとなっている。

元住吉駅前の踏切は、9月24日以降出入庫車しか通らなくなることになる。 この時に出庫してきた東京メトロ9000系を見ることが出来ました。

この後は、歩いて日吉まで行ったけど、途中地平に切り替えられる予定の陸橋を見ることが出来ました。ここにまたがる歩道橋を渡ったけど、ここを渡ったのは最初で最後となった。 

日吉駅に到着した後、5050系5153Fの各駅停車で移動、武蔵小杉から5182Fで目黒まで移動しました。 5182Fは、一昨年導入された編成で、最近になったから各停の表示に変わっていた。

東急田園都市線では、唯一各停の表示が入っていない状態だけど、東急線内だけでいいから各停の表示を入れるべきだと思います。

5183Fのほうは、営業運転入りしているのを確認したけど、未だ乗ったことがない。 5184Fは、9月26日から27日に掛けて輸送される予定である。

不動前駅では、上り(目黒方面)のみホームドアが復活していたけど、下りのほうは、ホームドアが取り付けられていたけど、この時点では作動していなかった。

目黒からは山手線で帰宅しました。

今回も萩原清さん企画の撮影ツアーらしく、いいことがありました。 次回は10月22日の常磐線、10月29日の鹿島鉄道撮影ツアーが予定されているけど、29日の鹿島鉄道ツアーでは、関西から山野さんが参加する予定となっている。

この後は水戸線での撮影ツアーも予定されているし。
by hy_sengen-sin | 2006-09-20 11:14 | 鉄道撮影ツアー