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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

西武線旧型車撮影ツアー1

7月9日は、2週連続の萩原さん主催の旧型車撮影ツアーの第二弾である、西武線撮影ツアーに行って来ました。

ルート 目白~新宿~武蔵境~白糸台~是政~新小金井~武蔵境~国分寺~萩山~西武遊園地~西武球場前~西所沢~所沢~高田馬場~新宿~目白

まずは、新宿乗り換えで武蔵境まで行きました。 新宿から武蔵境まで乗った編成は、クハ201-50Fで、東京(新宿)寄りの先頭車(女性専用車対応車両)には、ピンキーの広告がありました。

武蔵境駅に到着し、参加者である萩原さん、黒岩さん、重満さん、森敏英さん、木沢さん、高石さん、奥野さん、小村さんと合流しました。

小村さんのほうは、このツアー初参加となっていた。

集合した後、西武の仮駅舎まで行き、ここから旧101系のワンマン編成(1217F)で、白糸台まで行きました。

武蔵境駅は、JR、西武共に高架化工事が進められている状態で、着工前は、西武が3番線発着(中央線下りの2番ホームの向かい側)と、JRと同じホーム、改札が使用されていた。JR側は2面2線の相対式。

高架化されれば、西武側が1面2線、JR側が相対式の2面2線となる。

現在は、1面1線の仮ホームとなっており、ホームの位置が南側にずれていた。2004(H16)年11月に仮移転、改札が独立。 同時に武蔵境駅のJRの下り線が仮移設されていたけど。

この駅が高架化されるまでの間に武蔵境駅の仮ホームの様子を見てみたかったけど、今回それを初めて見ることが出来てよかったです。 仮ホームに移ってからは、JR線側から確認することが不可能となっていた。

西武多摩川線の路線 武蔵境~新小金井~多磨~白糸台~競艇場前~是政

交換可能駅は、新小金井、多磨、白糸台駅の3ヶ所 多磨駅での交換は、早朝・夜間のみ。車両基地は、白糸台駅構内にある。

西武多摩川線は、多摩鉄道の路線として、多摩川の川砂利を運ぶために開設されていた。

1917(T6)年10月22日に、境(現、武蔵境)~北多磨(現、白糸台)間が開業したのが始まりで、1919(T8)年6月1日に、北多磨~常久(現、競艇場前)間が、1922(T11)年に常久~是政間がそれぞれ開業したのである。

1927(S2)年8月30日に(旧)西武鉄道と合併されていた。 当時は非電化路線だったけど、1950(S25)年に電化。 貨物輸送の廃止は、1967(S42)年

多磨(旧多磨墓地前)駅は、1929(S4)年1月5日に開設されていた。

西武多摩川線は、通称是政線と呼ばれている。

この西武多摩川線が、他の西武線と連絡していない孤立路線となっているのは、多摩鉄道から買収された路線であるためである。 こちらは、名鉄瀬戸線(栄町~尾張瀬戸間)が唯一他の名鉄線と繋がっていないということにも言える。  

現在西武多摩川線では、パスネット(SFレオカード)が使用出来ず、有人改札となっているので不便な状態となっている。 来年3月にPASMOが導入されれば、それが解消されることになる。なので、170円区間の切符を買ったのである。

西武多摩川線の車両は、すべて旧スタイルの101系のワンマン改造車の4両編成で、217、219、221、223Fの4編成が在籍している。これらの編成のほうは、1976(S51)年製で、旧スタイルの101系としては末期に製造されていた。 1995(H7)年にワンマン化改造されるまでの間は、池袋線系統で活躍していた。 225Fのほうは、西武多摩川線のワンマン化に合わせてワンマン改造されたけど、現在は同じワンマン運転区間である多摩湖線で走っている。

以前は、武蔵境駅からJR線の線路を介して新秋津まで甲種輸送され、ここから所沢車両工場(武蔵丘車両検修場)まで入場していたこともあったけど、現在は、高架化工事により、線路が分断され、武蔵丘への入場が出来ない状態となっている。 そのため、白糸台の車両基地で、車体と台車等が切り離され、部品が武蔵丘まで輸送され、整備されることとなっている。

武蔵境駅の高架化工事が完了し、JRとの線路の接続が再び行われる時まで、現状のまま活躍することになる。 225Fのほうは、多摩湖線に残留したままとなっている。

JR線との線路が再び接続されれば、車両の動きが見られることが考えられるので、今回の旧スタイルの乗車・撮影会は貴重な出来事でした。

武蔵境駅のほうは、西武線から高架化されることが予想されます。

武蔵境駅の仮ホームでは、末端部では撮影しづらいという状態となっていました。

まずは、9人で白糸台駅まで行きました。 この時に乗った編成は、217Fでした。 

多磨駅は、多磨墓地前駅 白糸台駅は、北多磨駅と呼ばれていたけど、2001(H13)年3月28日に駅名改称されていた。

多磨駅の名称は、1916(T5)年10月31日に京王電気軌道(現、京王電鉄京王線)の駅として開業した時から、1932(S7)年12月8日に市公園墓地前駅に改称されるまでの間に使用されていた。現在の多磨霊園駅となったのは、1937(S12)年5月1日のことだった。

旧白糸台駅が北多磨駅となっていたのは、旧京王多磨駅の北側にあったからである。

多磨霊園へは、西武多摩川線の多磨駅が近いけど、京王線の多磨霊園駅からは大幅に離れている。(駅前からバスで行くことになる)

周辺には、野川公園、調布飛行場がある。 調布飛行場では、新中央航空による、大島、新島、神津島への小型のプロペラ機が使用された航空便も出ている。調布飛行場へは、三鷹、武蔵境、調布駅からバスで行くことになる。
調布飛行場付近(調布市野水)に、近藤勇氏の生家があったことで有名である。現在は調布飛行場の拡張に支障するために撤去されている。

白糸台駅に到着。 ここで車両の撮影を行いました。 この駅は島式ホームの交換可能駅。 白糸台の車両基地の屋内には、219Fが休んでいました。

西武多摩川線の日中の運転間隔は12分 4本配置の3本運用となっている。

ここの駅からは京王線を眺めることが出来ました。 白糸台駅からは、京王線の武蔵野台駅または多磨霊園駅まで徒歩で行ける状態である。 筆者は以前北多磨(現、白糸台)駅から武蔵野台駅まで歩いて行ったことがある。京王線からも、白糸台駅や車両基地を眺めることも出来るけど。

萩原さんは、京王線の車両の中では6000系が好きだと行ってました。 京王6000系のほうは、塗装変更される前の臙脂色の帯のほうがよかったと言ってたし。

この駅で、このツアーの案内人である下村さんと合流しました。 下村さんも、217Fで現地入りしていた。 

下村さんは、西武沿線在住で、西武線に対する知識があるので、このツアーでの助っ人となっていました。まさに下村さんにとってのホームグラウンドとなっている。筆者もその一人だけど。

ここから10人メンバーとなったので、先週の東急撮影ツアーに続き、10人の大人数の参加となりました。 今回は2週間連続で多摩川線に乗ったことになり、前回は東急多摩川線、今回は西武多摩川線に乗ったことになる。

この後、223Fで、終点の是政まで行き、ここで恒例の集合写真の撮影が行われていました。

是政駅は、1面1線のこじんまりした感じの駅で、末端部に改札があった。

是政駅からは、多摩川(是政橋)を渡って、JR南武線の南多摩駅まで徒歩で行くことが出来る。 是政橋からは、南武線と武蔵野貨物線の多摩川橋梁を眺めることが出来る。

この駅から京王線の調布駅または府中駅までバスが出ているけど、府中行きのほうは、府中市コミュニティバス(ちゅうバス)となっている。
あとは東京競馬場へも徒歩で行くことも可能。

手前の競艇場前駅は、その名の通り、多摩川競艇場の最寄り駅で、競艇開催日には賑わうことになる。 以前は相対式の2面2線で交換可能となっていたけど、昨年8月7日に、エレベーター設置工事により、上り(武蔵境方面)のホームが廃止され、1面1線の駅となった。 これまでの是政行きのホームが上下共通となった。 この駅のエレベーター設置の使用開始は、今年2月17日からで、車椅子対応トイレも同時に新設されていた。

この後、221Fで新小金井まで行き、ここで、旧101系同士の並びを撮影しました。 この周辺は、新撰組!近藤勇氏のゆかりの地となっており、一昨年のNHKの大河ドラマで放映された時はブームとなっていた。 

トイレの横には、ようこそ、近藤勇ゆかりの地への表示があった。

この後、223Fで武蔵境駅へ。武蔵境駅に到着した後、駅前のケンタッキーフライドチキン(KFC)で昼食会が行われました。 ここで、山岡さんと合流。 ここで高石さんが早退したために、メンバーが入れ替わったことになった。 この時点で11人。

この後、武蔵境駅前で2度目の記念撮影が行われました。

南口の通路は、高架線にまたがる部分があったので、進捗状況により、切り替えられることになるので、ここを通った時は貴重な出来事でした。 西武の高架橋も出来上がっているので、高架化が近づいている状態です。

この後、早退する高石さんと別れ、クハ201-102F(H12編成)の快速で、国分寺まで行きました。 東小金井、武蔵小金井駅も、高架化工事中で、仮の姿となっていました。 武蔵小金井駅の発車メロディは「さくら」という曲となっている。使用開始は4月1日から、山手線の駒込駅で季節限定で使用されているのに対し、通年使用されているのである。

こちらは江戸東京たてもの園のある小金井公園の桜にちなんで採用されている。 

武蔵小金井駅付近の北側には、中央線の車両基地(武蔵小金井電車区)があるけど、201系のほか、中央・総武緩行線のE231系や209系500番台(三鷹電車区所属)が停泊することがある

武蔵小金井電車区が豊田電車区と統合されたのは、2004(H16)年3月のことだった。 高架化後はどうなるのか気になります。武蔵小金井電車区に車両が配置されていた頃は、八ムコと表示されていたけど、現在は八トタに統一されている。

このような分散配置の解消は、中央・総武緩行線(習志野電車区(千ラシ)、三鷹電車区(八ミツ)→三鷹電車区(八ミツ)、横須賀・総武快速線(鎌倉車両センター(横クラ)、幕張電車区(千マリ)→鎌倉車両センター(横クラ)などでも言える。

中央線の三鷹~立川間が高架化されれば、18ヶ所の踏切が廃止されることになるけど、こちらは、7月2日に立体交差化が完了した東急目黒線(旧、目蒲線)の不動前~洗足間の踏切の数に匹敵している。

西武では、3ヶ所の踏切が廃止されることになる。

あとは、高架化とは別に、三鷹~立川間の複々線化も予定されているけど、こちらは地下に増設線路が新設されることになる。

国分寺駅では、中央線の上りホームに移動し、西武国分寺線の車両のほか、JR中央線の201系の撮影も行いました。

ここでは、中央特快のほか、青梅特快も撮影出来てよかったです。ここでE257系による特急かいじ号の通過の瞬間も見ることが出来た。

西武国分寺線のほうは、新101系の4+2編成も撮影出来てよかったし。折り返しは東村山経由、新所沢行きとなった。 編成は1251F+283F 前面のパンタグラフがまぶしかったです。

国分寺駅構内での撮影は一粒で二度美味しい撮影となりました。

かつての国分寺駅は、1面2線で、西武国分寺線と線路が繋がっていた。 当時はJR(旧国鉄)と西武国分寺線と改札が共通で、西武側もJR(国鉄)による管理だった。 

武蔵野線が開業する前、貨物列車の受け渡しが行われていた。1969(S44)年に5000系旧レッドアロー号が日立製作所から輸送されていた時には、国分寺駅から引き渡しが行われていたのである。

現在の2面4線の橋上駅舎となったのは、1988(S63)年12月1日のことだった。 同時に西武とJRの改札が分離化された。それ以前は、武蔵小金井駅で待避が行われていた。

駅ビル(丸井)の新設は、翌年の1989(H1)年3月のことだった。

1988(S63)年12月1日に、特別快速(特快)が中央特快となったと同時に国分寺駅に停車するようになったけど、この時に登場した青梅特快のほうは、国分寺駅通過となっていた。当時はダイヤの構成上やむを得なかった。

青梅特快の国分寺駅の停車化は、1993(H5)年4月10日の改正で、東京~立川間の停車駅が中央特快と揃えられたのである。 同時に登場した通勤快特(平日の朝ラッシュ時の上りのみ運転)は、国分寺→新宿間がノンストップ運転となっている。(三鷹、中野駅通過)

通勤特快のほうは、通常の特快とは異なり、西八王子、豊田、日野駅も通過となる。

国分寺駅は、高尾発着の成田エクスプレス(NE’X)の停車駅となっているけど、国分寺駅から成田空港へのリムジンバスが無いため、国分寺駅から唯一成田空港まで乗り換え無しで行ける列車となっている。 国分寺駅から羽田空港へのリムジンバスならあるけど。

西武多摩湖線の国分寺駅が18m車4連対応に改良されたのは、1990(H2)年のこと。同年6月23日には、最後まで残っていた吊り掛けモーター車の赤電である351系が全廃となった。

ここで撮影した後は、下村さんの案内で、西武多摩湖線の撮影ポイントまで行きました。

2へつづく。
by hy_sengen-sin | 2006-07-10 16:21 | 鉄道撮影ツアー