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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

伊豆のなつ号に乗ってきました。

7月1日の伊豆のなつ号のキャンペーン初日、二子玉川から中央林間まで、8500系8614Fによる急行伊豆のなつ号に乗ってきました。

ルート 目白~渋谷~三軒茶屋~二子玉川~中央林間~南町田~鷺沼~宮崎台~二子新地~二子玉川~渋谷~目白

渋谷から三軒茶屋まで、東武30000系の31615+31415Fに、三軒茶屋から二子玉川まで、青帯の8637Fに乗車。

東武30000系の最終増備車である31615+31415Fは、東武ワールドスクウェアの広告がある。

8637Fは、青色の帯の電車で、車内にLED式の案内装置、ドアチャイムの付いた編成でバリアフリー化されていました。

この列車は各駅停車だったので、桜新町駅のホームを久しぶりに見ることが出来ました。急行の場合は、都営新宿線の瑞江駅と同様に、壁面の向こう側の見えない場所を通過するので。

半蔵門線、東急田園都市線の渋谷駅は、東側で地下鉄13号線(2008(H20)年3月開業予定)に接続する予定である。

現在支障する東側トイレ、10、11番出口が一時閉鎖されているのはそのためである。 

東側トイレは、改札外に仮設トイレが設けられている。

東急田園都市線の池尻大橋~用賀間(旧新玉川線部分)で、駅の表示が更新されていないのは、三軒茶屋駅だけとなっている。

三軒茶屋駅で、昨年10月上旬から来年3月下旬まで、階段新設等の地下駅火災対策施設整備工事、新改札口設置及びエレベーター新設等の駅改良工事が行われているので、駅名表示が更新されずに残されている。
現在券売機は仮設となっている。

中央林間駅では、駅名表示が更新される前、新玉川線と同型の駅名表示となっていた。

二子玉川から中央林間まで、伊豆の踊子さんなどのキャンペーンガールも乗車して、乗客にうちわ、パンフレットを配布していました。

この列車は、久喜発中央林間行きで、東急線で急行運転となっていた。

今回の伊豆のなつ号は、東武線直通運用もあるので、戻ってくるまで時間が掛かるという状態となっている。

側面には、伊豆の観光名所をイメージしたステッカーが貼られているけど、こちらはキャンペーンが終了するまで貼り付けられる予定となっている。

8614Fは、1975(S50)年製造、1976(S51)年度のローレル賞のプレートがあった。

中央林間に到着。 エンド側では人が集まっていました。 エンド側の壁はピンクとなっていたので、伊豆のなつ号とマッチしていました。

この後、小田急の駅側にある箱根そばで昼食を取り、この後、南町田まで東武の30000系(31610F)の急行で移動しました。 3月18日から、土曜・休日に限り、田園都市線の急行が南町田に止まるようになったので、急行で降り立ったのは初めてとなった。

途中で5050系の試運転列車とすれ違ったので、南町田で5160Fの試運転の通過のシーンを見ました。 やはり東横線に配属される前に田園都市線で試運転を行う風景を見られるけど、これを生で見たのは初めてでした。

南町田では、駅前にあるグランベリーモールを散策しました。 グランベリーモールは、2000(H12)年4月21日に、南町田駅南側にオープンしたアウトレット・ショッピングモールで、東急電鉄によって開発されていた。

ここは、フレッシュベリーマーケット、ホームライフガーデン、アウトレットショップス、オアシススクエアの4つのエリアに分かれているけど、オアシススクエアは、今年4月に新たにオープンしている。このエリアには、109シネマズという映画館もある。

やはりオープンエアでの買い物が出来るということで、天気の良い日には絶好のショッピングを楽しむことが出来る。この日は、雨だった。

この後、8621Fの急行で鷺沼まで行き、ここから31607Fの各駅停車で宮崎台まで移動しました。

宮崎台ではもちろん電車とバスの博物館を見物しました。

電車とバスの博物館は、1982(S57)年4月3日に、高津駅高架下にオープンしたのが始まりで、東急電鉄創立60周年記念事業として開設されていた。当時は入館料10円だった。

こちらは、その名の通り、東急の電車とバスを扱う博物館で、航空機のシュミレーターも完備されている。

宮崎台への移転は、2003(H15)年3月21日のことだった。 こちらは、東急ストア横の高架下にある本館と、道路を渡った向かい側の財団法人、東急弘潤会の建物の一部であるイベント館に分かれている。

ここでの保存車両は、旧3000系列の3456号車のカットボディ、かつて玉電で走っていた200系204号車、旧3000系列の前身である510号車(イベント館)、517号車のカットボディ(運転シュミレーターとして使用)となっている。

高津時代は、1982(S57)年4月3日から2002(H14)年8月31日までの20年間だった。

1991(H3)年には、二子玉川寄りの高架下に、3号館が増設されていた。 当時は、204号車の玉電プラザ、YS-11型フライトシュミレーターが新設されていたけど。

204号車は、1982(S57)年から高津駅高架下に保存。これまでは、多摩川園に保存されていた。

1989(H1)年に、モハ510号車(3450号車の復元車)が展示されるようになり、204号車の展示場所は二子玉川寄りにずれていた。

2003(H15)年の電車とバスの博物館の宮崎台移転と同時に、モハ510号車も移設されていた。

現在高津駅では、複々線化工事により、博物館があった頃の面影が無くなりつつある。

移転に伴う休止期間は、2002(H14)年9月1日から2003(H15)年3月20日までの半年間だった。

東京地下鉄東西線の葛西駅の高架下にある地下鉄博物館のほうも、耐震工事を兼ねたリニューアル化のために、2002(H14)年12月から半年間休館となっていたこともあった。

今年5月14日に閉鎖された万世橋の交通博物館は、来年10月14日にさいたま市にオープン予定の新生鉄道博物館への移転により、1年5ヶ月の休館状態となっている。

電車とバスの博物館の本館は、1階が電車のホーム、休憩コーナー、運転シュミレーター(8090系、モハ510型)、玉電デハ200型204号車展示コーナー、バスの運転シュミレーター(初代東急コーチ)、日野RB10型路線バス、バス停留場、バスの整備場コーナーとなっている。

これらのバス車両は、高津から宮崎台までの移転の時に、仮ナンバーを取り付けた上で、自力で走行していたのである。 これらの記録は、図書館のビデオに残されている。

現在はディーゼル車の排出ガス規制が強化されたために、神奈川県エリア等では自力で走ることが出来ない状態となっている。当時はその規制が強化される前だった。

8090系のシュミレーターの表示は、二子玉川園のままとなっていました。こちらは、高津時代からシュミレーターとして使用されている。
モハ517号車のカットボディは当初から8090系シュミレーターの横に置かれているけど、1991(H3)年からシュミレーター化されている。 こちらは、昔の電車と同様に、スピードメーターが無い状態となっている。

モハ510型電車は、1931(S6)年から1936(S11)年に掛けて製造された車両で、510~565号車まで50両製造されていた。

1942(S17)年には、デハ3450型(3450~3499号車)に改番され、1989(H1)年3月に引退するまで走っていた。 当初は両運転台車となっていたけど、3450、3498、3499号車の3両のみ両運転台車として残されていた。

デハ3456号車は、片方のみ晩年の姿で2階で保存。 もう片方は、復元されて1階で保存されている。

3456ということで、続番で面白い番号である。

3456号車には、溝の口、大井町の表示があったけど、2008年3月に二子玉川~溝の口間が複々線化された暁には、その運用(大井町~溝の口間)が復活することになる。

旧3000系列の定期運用最終日は、1989(H1)年3月18日のことで、当時は目蒲線(目黒~蒲田間、現在の目黒線、東急多摩川線の部分でラストランを迎えていたけど、一部がツートンの旧塗装に復元されていた。

この玉電の204号車では、車内に入ることが出来る。 

本館2階には、博物館駅のコーナーとなっており、デハ3456号車のカットボディがある。ここでは、台車を操作することが出来るので、現役当時の吊り掛けモーターサウンドを聴くことが出来る。 ここでは、車掌アナウンスの体験も出来る。

本館3階には、パノラマシアター(HOゲージ等)、昔の電車と駅、なんでものしりステーション、電車と線路、ミュージアムショップがある。

本館4階は、受付、南出入口があり、宮崎台駅からのエントランスとなっている。

別館(イベント館)には、多目的ホール、図書室、屋外展示場(モハ510型)、飛行機YS-11のフライトシュミレーターがある。

ここの保存されている飛行機は、かつて日本エアシステム(JAS、元をただせば東亜国内航空(TDA))で、日本航空機製造YS-11-109 JA8662「なると」となっている。カットボディのみフライトシミュレーターとして活用。

こちらは、白地に赤と緑の東亜国内航空塗装が再現されている。

飛行機が展示されているのは、東京急行電鉄が日本エアシステム(現日本航空ジャパン)の親会社であったからである。

このシュミレーターを見てかっこいいと言っていたちびっ子も居たので、人気があるということが分かります。

YS-11型の飛行機は、日本で唯一の64人乗り国産プロペラ機で、1962(S37)年に初飛行。 1973(S48)年まで、182機製造されていた。

かつては全日空、エアーニッポン、日本トランスオーシャン航空、日本エアシステムでも飛んでいたけど、現在は、鹿児島ベースのJAL(旧JAS)系列の日本エアコミューターに残る4機が最後の活躍をしている。

今年9月末には、鹿児島~沖永良部線でラストフライトを迎えることになっている。この路線は、1988(S63)年7月、日本エアシステム(JAS、当時)から初めてJACに移管されたYS路線となっている。

1965(S40)年前身の日本国内航空(後の東亜国内航空、日本エアシステム)で就航して以来41年間活躍してきた。 

5月から9月までは、福岡~徳島、福岡~高知、福岡~松山、福岡~鹿児島線で最後の活躍をしている。

現在JACでは、サーブ340Bや、DASH8-400(Q400)型の新型プロペラ機の導入により、YS-11型機が置き換えられている。

ANA系のANK(エアーニッポン)では、2003(H15)年8月末をもって退役、ラストフライトは、札幌(千歳)~女満別間だった。ANAでのラストフライトは、1991(H3)年8月の新潟~仙台間(現在休航中)だった。

羽田からは、南紀白浜線(JAS)、伊豆大島・八丈島・三宅島線(ANK)に就航していたこともあった。現在はいずれも撤退している。

JAS(日本エアシステム)からのYS-11の完全撤退は、今から10年前の1996(H8)年3月のことだった。

あとは、自衛隊や海上保安庁、航空局にも導入されたけど、現在は後継ぎ機に置き換えられている状態である。

航空局から引退した、2003(JA8610)は量産1号機であり、現在は国立科学博物館で動体保存されている。

YS-11型のトイレは、後部に1ヶ所あるけど、循環式(いわゆる水洗)ではなく蓄積方式(いわゆる汲み取り)を採用されているため、便器に水を流す設備はないのが欠点となっている。

YS-11のほうは、西武新宿線、航空公園駅前(所沢航空記念公園)にエアーニッポン(ANK)で活躍していた1機が保存・展示されているけど、航空関連のイベントで機内が公開される場合がある。

航空公園駅は、航空機をイメージした駅舎が評価され、関東の駅百選に認定されている。

モハ510型電車は、外観はもちろんのこと、内装も復元されている。 行き先表示は、澁谷・田園調布、澁谷・櫻木町となっていた。 

車内には、禁煙の表示ではなく、こばたり断御(たばこ御断り)の表示があった。510号車は、1931(S6)年、日本車輌製、当初は、前身の東横電鉄所属となっていた。

510という数字で、ハロープロジェクトメンバー(元モーニング娘。)の後藤真希ちゃん(ごっちん)を思い出しました。 510ということでご(5)ととう(10)を合わせてごとう番となっているので。 5月10日は後藤の日と呼ばれているのはそのためである。

東急グループは、故・五島慶太氏によって設立されていたのでけど、目黒蒲田電鉄、東横電鉄(東横線、玉川線)、池上電気鉄道(池上線)との合併も、五島氏によって行われていた。
東京高速鉄道(渋谷~新橋間)も、五島慶太氏によって設立されていたのである。

あとは、渋谷駅東口の東急文化会館にあった五島プラネタリウムも、五島慶太氏によって開設されていた。
東急文化会館のほうは、2003(H15)年6月30日をもって閉館され、取り壊された状態となっている。東口から文化会館へと至る通路部分だけが残されているので、文化会館があった頃の名残がある。 あとは、かつての都電の電停への通路の面影もあるし。

電車とバスの博物館は、大人100円、子供(小・中学生) 50円となっており、自動改札機を通して入ることになる。 出入り口は、本館は南出入口、北出入口、東出入口の3ヶ所、イベント館の1ヶ所となっているけど、入館券の販売は、南・北出入口の2ヶ所のみとなっている。

入館券は1日に限り何回でも入れる状態となっており、本館・イベント館共通となっている。

これらの見物を終えた後は、二子新地まで移動。 二子新地駅では改良工事中で、昨年1月31日に、下りホームは新設されたホームに移転。

同年8月27日には、上りホームが、これまでの下りホームの部分に仮移転。 今年度中には、上り線が新ホームに切り替えられ、その中間には、大井町線の通過線が新設されることになる。 高津駅でも同様の工事が行われている状態である。

完成後は、2面4線(中央に通過線2線)の駅となり、大井町線は全列車が通過となる。

二子玉川~溝の口間は、1927(S2)年7月15日に、玉川電気鉄道(のちの東急玉川線)溝ノ口線として、玉川~溝ノ口間に開業していた。 開業当時は二子新地ではなく、二子と呼ばれていた。 当初は軌道法ということで、路面を走っていた。
1943(S18)年7月1日、1067ミリに改軌され、大井町線の路線となる。 当時は普通鉄道車両が路面を走るというシーンが見られていたのである。

1966(S41)年3月18日には、田園都市線の溝の口~長津田間の開業に備え、現在の高架線となる。

高津駅も、二子新地駅と同様に改良されることになる。

二子新地駅では、デヤ7200+サヤ7590+デヤ7290号車による検測列車を見ることが出来ました。 

二子新地から二子玉川までは、8636Fに乗車。8636Fは、行き先表示がフルカラーLED化された編成となっていた。

二子玉川から渋谷までは、東武50050系の51054Fの急行に乗車。 

これまで50050系は、51055Fを除いてすべて営業運転入りしている状態である。

この51054Fは、6月21日に営業運転入りしたばかりの編成。

30000系のほうは、先月に31601+31401Fが運用離脱され、地上線に転用されることになる。これらの乗り入れ用設備は、51055Fに流用される予定。 

これまでに運用離脱した編成、01、11、12、13、14Fの5編成である。
by hy_sengen-sin | 2006-07-01 23:40 | 鉄道乗車記