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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

さよなら小田急9000形

1972(S47)年の登場以来、小田急線を走り続けてきた9000形電車が、5月13日のさよなら運転をもってラストランを迎えていました。

これを記念した撮影会が、雨の中、唐木田の車両基地で盛大に行われていました。

ルート 下落合~高田馬場~新宿~下北沢~新百合ヶ丘~唐木田~新百合ヶ丘~新宿~市ヶ谷~神保町~本八幡…京成八幡~京成高砂~京成上野(上野)~目白

下落合から高田馬場までは2000系の2055Fに乗車。 西武新宿線では大部分が4ドア車となっているので、2000系の各駅停車も非常に多いという状態である。 

2055Fは、1993(H5)年に導入された西武2000系の最終増備車である。最初は2097Fがラストナンバーだと思っていました。

この2055Fは、行き先表示がLED化されていました。

新宿から下北沢まで、2000形2051Fの区間準急に乗車。 こちらも、各駅停車と同様に地下ホームからの発車となっていた。

代々木上原で多摩急行に接続するはずだったけど、地下鉄千代田線が保安機器故障のためにダイヤが乱れていたので、多摩急行の運転が中止となっていた。

仕方なく、下北沢まで行き、ここで、快速急行に乗り換えて新百合ヶ丘まで行きました。 この時に乗った編成は、8000形の8258F。 

この日の多摩急行は、新宿まで運転され、新宿到着後、唐木田まで回送されていた。 そのため普段見られない多摩急行新宿行きの表示や、東京メトロ6000系の新宿乗り入れのシーンを見ることが出来ていたのである。メトロ車では、多摩急行新宿行きの表示にすることが不可能なので、多摩急行の本来の表示(例、多摩急行我孫子)のまま新宿まで入っていたのである。 小田急1000形では、多摩急行新宿行きの表示にすることも可能だけど。

こちらは、西武池袋線でのダイヤ乱れにより、東京メトロ7000系が西武の池袋駅に乗り入れたことと同様である。

新百合ヶ丘からは、3000形の6両編成に乗車。 多摩線のローカルは、6両編成と8両編成がある。 はるひ野駅を通ったのは、一昨年12月の開業の時以来2度目である。 12月11日に開業。同年12月15日に降り立ったのである。 はるひ野駅からは、京王相模原線の線路が見えており、若葉台駅からも近い状態である。

小田急多摩線は、1974(S49)年6月1日に、新百合ヶ丘~小田急永山間が開業。新百合ヶ丘駅も同時に開業。 永山まで開業したのは、京王よりも先だった。 京王相模原線の多摩センターへの延長は、1974(S49)年10月18日のことだった。

1975(S50)年4月23日、小田急永山~小田急多摩センター間開業。 多摩センターへの開業は、逆の京王のほうが先である。

1990(H2)年3月27日 小田急多摩センター~唐木田間開業。あれから16年経つけど、色々と建物が建ち並ぶようになった。

唐木田駅に到着した後、エンド側から9000形を撮影しました。 この時には並んだけど。 この時に9407Fとメトロ6127Fとの並びを撮影することが出来ました。
これは、13時45分頃までの展示予定だったけど、ダイヤ乱れにより、14時30分まで延長されていた。

この日は、秦野から新百合ヶ丘経由唐木田まで特別団体列車として使用されていたけど、臨時列車運転の時には、団体専用(GROUP USE)の表示が出ていました。 筆者は残念ながら落選したために乗ることが出来なかった。この時に記念品、記念乗車証をもらうことが出来たのである。飛猿さんは、この列車に乗車していた。

この列車は1000名募集のところ、応募が殺到していた状態だった。 やはりさよなら列車の壁は厚いです。 筆者はその代わりに4月8日に常磐線で103系のさよなら列車に乗ったけど。

9000系は9001+9101+9201+9301+9407+9507+9557+9657+9607+9707号車の6+4の10両編成となっていた。 9001Fのほうは、小田原寄りの運転台(9301号車)が撤去されているので、自走は不可能である。 

こちらは、4月15日に運転された鉄道友の会での団体列車と同様の編成である。

撮影会の時は、さよなら運転で使用されたHM付きで、準急綾瀬行きの表示が出ていました。 このことで、9000形がかつて地下鉄千代田線に乗り入れていたということを物語ることが出来る。現役当時は○○Eの列車番号の表示もあったけど。

さよならHMは、3月15~17日に付けられたのと同じタイプだけど、この日の日付が入っていました。

この日は、9000形のさよなら記念カードが3枚組で売られていたけど、即完売の状態となった。

この次は、新百合ヶ丘寄りで撮影、6127Fが出た後だったので、9001F単独の撮影となっていた。撮影出来るまでの行列に並んだけど、エンド側(9407F側)のほうが列が短かった。

新百合ヶ丘寄りの9001F側のほうは、1時間30分待たされたという人も居たのである。
このことで、昨年6月25日の三鷹でのサバイバル行列を思い出しました。当時は炎天下の下で待たされていたので。

終了間際には、1063F+1253Fの10両編成が9000形の横に止まっていた。

9001号車には、ありがとう、34年間お疲れ様でした。ガイコツ電車9000形 その電車は地下に行けることが誇りだったという貼り紙があった。 その貼り紙によると、1972(S47)年3月11日に営業運転開始されていたということが分かりました。

あれ以来、1974(S49)年まで、4両編成10本、6両編成8本出揃ったけど 1977(S52)年に9010Fが中間車2両組み込みの上で、6両化され、9409Fとなっていた。これまでに90両製造されていた。

9409Fは、9000形で一番最初に廃車となった編成で、昨年4月に廃車となっていた。

1973(S48)年にはローレル賞を受賞。

千代田線乗り入れ開始による本領発揮は、1978(S53)年3月31日のこと。 

1990(H2)年から千代田線への乗り入れが1000形に代わり、9000形が千代田線乗り入れ運用から撤退。 更新と同時にATCが撤去されていた。

9301+9407号車の連結部分では、運転台撤去車と非撤去車と組み合わせを見ることが出来た。

この時に、私鉄部会でおなじみのメンバーと合流。 あとは萩原さんや黒岩さんと出会うことが出来た。 西武鉄道や西武バスのファンの小野山さんとも出会うことが出来たし。

筆者は、3月17日に新宿から本厚木まで9000形に乗ったので充分だと思っています。

3月17日、強風で常磐線のダイヤが乱れていた影響により、多摩急行が遅れていたので、9000形のさよなら運転が遅れていたことがあった。

この日は、千代田線のダイヤも乱れていたので、今回も9000形のさよなら運転のある日にダイヤが乱れたということとなった。

後は、小田原線の富水駅で人身事故があった関係でもダイヤが乱れ、ダブルパンチの状態となった。 この影響で、展示会後の9000形の回送が2時間ほど遅れていたのである。

降りしきる雨ということで、9000形にとっての涙雨となっていた。

当初は団体列車の撮影を行うはずだったけど、落選したということで凹むので中止しました。

売店付近では、小田急ロマンスカーのCMソングである「ロマンスをもう一度」という曲が流れていました。 このCDのプレゼントがあったけど、もの凄い倍率となっていました。筆者は申し込まなかった。

小田急9000形のほうは、一部保存されることが検討されている。

このイベントが終わった時に、唐木田駅に戻り、ここで萩原さんたちと合流しました。ここからは3000形で新百合ヶ丘まで行き、ここから2000形2058Fの各駅停車で新宿まで行きました。 ここでも私鉄部会でおなじみのメンバーとも合流。

やはり人身事故によりダイヤが乱れていたため、急行ではなく、各駅停車でそのまま行ったのである。 急行は遅れており、混雑が予想されるので乗らなくてよかったです。 これにより、新百合ヶ丘から新宿まで座って行けたのである。 やはり急行が来なかったので、各駅停車でも途中から混雑してきていました。

新宿駅に到着した後、皆さんと別れ、都営新宿線で本八幡まで行きました。

新宿から市ヶ谷までは、10-300R形の10-350Fに乗車。 この中間車は、10-180Fのものが流用された暫定編成となっていました。 

10-360Fは、10-060Fから流用されている。

都営新宿線での初期型10-000形(2段窓車)は、オリジナルが3編成のみと残り僅かとなっている。 
10-300R形の6本のうち、10-310~10-330Fが組み替えが完了。 10-340~10-360Fは、暫定編成のままとなっているけど、今年中に組み替えられる予定となっているので、初期型の10-000形2段窓車は、今年度中に見納めとなる。

市ヶ谷から神保町まで、10-380Fに乗車。 こちらはフル新造編成。

神保町から本八幡まで、10-340Fに急行列車に乗車。 中間車は、10-160Fから流用されていた。

都営新宿線の10-300形のフル新造編成は、現在までに10-460Fまで導入されている。うち10-450、10-460Fの中間車は、新津車両製作所製となっている。

これに伴い、10-000形の初期型車は、現在10-030F、110F、170Fの3編成のみとなっている。

本八幡に到着した後、市川市文化会館まで行き、ここでなっち(安倍なつみ女史)のコンサートを見ました。

この後、京成八幡まで歩き、ここから京成線に乗りました。京成高砂までは、3700形の3741Fの快速京成高砂行きに乗車。 
この前、AE-100形スカイライナーを見ることが出来たけど、2010年の北総線経由・成田空港新ルートの開業の時に、160Km/h運転対応の新型(3代目)スカイライナーが出ることが決まっているので、AE-100形の動向が気になっています。

京成高砂から京成上野までは、3500形の未更新車である3573Fに乗車。 3500系の未更新車は、3200形などと同様に廃車の道をたどることになっている。

京成上野駅では、残り少なくなった3200形による各駅停車うすい行きを見ることが出来た。

うすい駅の正式名称は、京成臼井となっているけど、1991(H3)年3月31日の北総・公団線(現北総線)との直通運転開始により、白井駅との混乱を避けるために、臼井駅の表示が平仮名のうすいとなったのである。

京成電鉄のほうは、京王電鉄と同様に、軌道法としてスタートした会社で、開業当初は、京成電気軌道と呼ばれていた。

京成電気軌道は、1912(T1)年11月3日、押上~伊予田(現、江戸川)、曲金(現、京成高砂)~柴又間に開業したのが始まりだった。当初は1372ミリのレール幅だった。

成田空港のほうは、6月2日に第一ターミナルビル(最寄り駅、成田空港駅)がリニューアルオープンされ、ANA(全日空)などのスターアライアンス系航空会社が、第二旅客ターミナルビルから新装なった第一旅客ターミナル南ウィングに移転してくる予定である。 

小田急の車両の情報。 今年度中に3000形が6両編成6本、8両編成1本が導入される予定だけど、5000形の4両のほか、5200形の6両にも廃車が出ることになっている。

10000形のHiSE車の10001Fは、去就が気になっていたけど、最近になってからは大野工場に入場したという情報が入ってきました。 

長野電鉄に譲渡された10021Fと10061Fは、1000系のゆけむり号として整備されるけど、4両編成に短縮されていました。 こちらは、トイレ・車販準備室付きの中間車が外されたので、すっきりとした外観となった。 やはりこれまでの1、2、10、11号車のユニットが転用されていたので。

1989(H元)年をもって全車廃車となった旧2400形HE車のうち、2478号車のみは、冷房試作車として異彩を放っていた。 こちらは1985(S60)年11月に廃車。
旧2400形HE車の足回り品は、4000形に流用されたけど、一昨年12月をもって全廃となっている。
by hy_sengen-sin | 2006-05-14 23:56 | 鉄道イベント