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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

京王線について2

京王線の車両 6000系、7000系、8000系、9000系、1000系、3000系

6000系 1972年(S47)年5月23日デビュー。

6000系は、京王初の20m4ドア車両として登場。 こちらは、左右非対称の前面窓、ワンハンドルマスコンの採用などで話題となった 

1972(S47)年に導入された編成は、5000系と同様の抵抗制御仕様として導入されていたけど、翌年の1973(S48)年から導入された編成から、界磁チョッパ制御・回生ブレーキが採用されるようになった。

塗装のほうは、5000系と同様に、アイボリーに臙脂の帯が採用されていた。2002(H14)年から順次現在の塗装(8000系と同様の帯)に変更されていた。

クーラーは、初期型は先頭車が分散型となっているけど、後期型はすべて集中型となっている。

1980(S55)年3月16日、都営新宿線への乗り入れ開始。 当初は岩本町まで乗り入れていた。

1984(S59)年に7000系が登場した後も、相模原線の延伸用および10両編成の増結用として、6000系の増備が継続されていた。

1991(H3)年に登場した最終増備車は、5ドア車として導入されたけど、本格採用されることはなく、5両4編成のうち、6723、6724Fの2編成は4ドア改造され、6721Fは5ドアのまま6両編成化、相模原線のローカル用として使用。 6722Fは4両化され、動物園線でのワンマン車両となっている。こちらも5ドアのまま。 現在は多摩動物公園のラッピングがある。

現在は新宿駅の降車ホームに柵が掛かっているため、5ドア車の入線が出来ないことになっている。 

通常仕様の6000系は、1990(H2)年まで製造されていた。製造された両数は、304両

1998(H10)年から廃車が開始されたけど、翌年の1999(H11)年までに、抵抗制御仕様の初期型6000系が全廃となり、全てが回生ブレーキ付きの車両となっていた。

やはり省エネルギー化により、抵抗制御車が優先的に廃車となったのである。 

2001(H13)年には、9000系の導入により、界磁チョッパ仕様の編成にも廃車が発生し、現在までに分散型クーラー編成が全廃となっている。

これらの廃車編成には、都営新宿線乗り入れ仕様も含まれていたけど、ここから発生した乗り入れ装置がATC無しの6000系の一部に流用されていた。

編成は2両、4両、5両、6両、8両がある。以前は3両編成もあったけど既に全廃となっている。

かつては3+5の8両編成による分割・併合特急も運転され、3両が京王八王子に、5両が高尾山口に行っていた。 当時は高尾・陣馬のHMが付いていた。

京王6000系の都営新宿線への乗り入れ区間。 1980(S55)年3月16日~1987(S62)年12月19日 京王多摩センター~新宿~岩本町

1987(S62)年12月20日~1990(H2)年3月29日 京王多摩センター~新宿~大島間 1988(S63)年5月21日からラッシュ時のみ南大沢まで運転

1990(H2)年3月30日~1991(H3)年8月31日 橋本~新宿~大島間

1991(H3)年9月1日~1997(H9)年12月23日 橋本~新宿~本八幡間

1997(H9)年12月24日~ 橋本~新宿~本八幡間 本八幡→新宿→高尾山口間

9000系の地下鉄直通運転進出により、6000系が順次地下鉄乗り入れ運用から撤退し、地上線運用に転用されることが予想されます。

6000系の優等列車での運用は、8000、9000系の増備、7000系の優等列車進出により、都営線乗り入れ運用を除き大幅に減っており、各停用に格下げされたというイメージが強まっている。
6000系の特急は、2001(H13)年3月26日の相模原特急の廃止により、ほとんど見られなくなった。

2004(H16)年度に廃車となった6457Fのうち、6107、6407、6457Fは、事業用車であるデワ600型に改造されている。 6107号車には、6707号車の運転台部分が接合されている。 これにより、デワ5125Fが廃車となり、5000系最後の砦が崩れたのである。 

7000系(1984年(S59)年3月9日デビュー)

7000系は、6000系ベース(京王線系統初)のステンレス車としてデビュー。 当初は5両編成で、赤色の帯となっていた。 前面は、左右対称の窓となった。2000系列(グリーン車)の置き換え用として導入されていたため、当初は東急東横線の8000系みたく、基本的に各駅停車に限定されていた。

1986(S61)年には8両編成も登場。 翌年の1987(S62)年には、5両編成から6両編成となり、その一部が1990(H2)年に8両編成化されている。

1993(H5)年には、ラッシュ時の増結用として、4両編成も登場。 1994(H6)年には2両編成も導入され、1996(H8)年には、5編成が10両固定編成化されていた。 

この7000系の10両固定編成は、当初朝夕のラッシュ時限定運用だったけど、2001(H13)年3月27日の準特急の新設により、日中でも盛んに使用されるようになった。1987(S62)年から1991(H3)年にかけて8両固定編成として導入された編成が10両化されたものである。

7000系の足回り品は、6000系と同様の界磁チョッパ制御となっているけど、初期型を中心に車体更新と共に9000系に準じたVVVFインバータ装置に交換されている。
今年度は8両3編成24両がVVVF化されることになっている。
1992(H4)年に8000系が導入された後も、7000系の増備が継続されていたのである。

7000系が優等列車に本格的に使用されるようになったのは、2001(H13)年3月27日のダイヤ改正の時からである。 東急東横線の8000系の優等列車運用の進出も翌日の3月28日の東横特急の登場の時からである。

7000系更新車のうち7701、7702、7703Fは、界磁チョッパ制御のまま更新されたけど、7704FからはVVVF化されている。 こちらは、小田急8000系の更新車で、8251、8255Fが従来のまま、8254F以降はVVVF化されたということに準じている。

6連の7000系でVVVF化されたのは7704,7705Fの2編成である。
8両編成でVVVF化された編成は、7706、7707、7708、7710、7711Fの5編成。

今年度中には、8両編成3本24両がVVVF化される予定となっている。

8000系(1992年(H4)年5月28日デビュー)

8000系は、京王初のVVVFインバータ車としてデビュー。 当初は6+4の10両編成が導入されていた。 この8000系の登場により、新宿~京王八王子間の特急のほとんどが10両編成化されていた。 これにより、行楽シーズンの高尾特急も、この8000系に置き換えられていた。 濃いピンクと紺色の帯は、8000系から採用されたけど、これが6000系や7000系にも採用されるようになった。曲面形状が採用された斬新なスタイルが評価され、グッドデザイン賞が受賞されていた。 運転台のスピードメーターは、デジタル式。京王初の車椅子スペースも採用され、バリアフリー化されている。 

1995(H7)年には8両固定編成も登場し、2001(H13)年3月26日をもって廃止された相模原特急にも使用されるようになった。 現在は、快速列車、各駅停車がメインで使用されている。 8両固定編成で、6000・7000系との併結運転が不可能なため、8両編成の列車に限定運用されている。こちらは、西武3000系や東武東上線の10000系の8両固定編成と同様に扱いにくい状態となっている。

1996(H8)年12月の5000系全廃後、2000(H12)年10月に動物園線がワンマン化されるまでの間は、動物園線の区間列車にも使用されていたこともあった。

土休日の競馬場線の区間運転列車にも、8000系の8両固定編成が盛んに使用されている。

この8000系は、1999(H11)年まで製造されていた。

8000系の6+4編成は基本的に同じ編成同士を組んでいるけど、6両単独で北野~高尾山口間(高尾線)、調布~橋本間(相模原線)のローカル列車、4両単独で北野~京王八王子間のローカル列車にも使用されている。 

行楽シーズンの時には、8000系の編成がバラバラとなっているのはそのためである。

JR201系の6+4の編成は基本的に同じ編成同士が組まれている。

現在は、10両編成(6+4)14本140両、8両編成13本104両 計244両在籍中。

当初は、ドアチャイムや車内LED式案内装置が無かったけど、順次取り付けられている。

9000系(2001(H13)年1月24日デビュー)

9000系は、8000系の改良版として2001(H13)年1月24日にデビュー。 前面スタイルは、かつて存在していた名車である5000系のイメージが踏襲されており、側面の戸袋窓が廃止されている。 VVVFインバータ装置はIGBT。 こちらは、8000系とは異なり、6000系または7000系の2両編成との連結が可能となっている。 そのため、スピードメーターがアナログ式に戻されている。 ドアチャイムや車内LED案内装置も初採用されている。

当初は8両編成2本16両導入されていた。 

2006(H18)年3月15日には、都営線乗り入れ対応の10両固定である9731、9732Fの2本が登場。 平日朝ラッシュ時のみ都営線直通運用に入っている。

昨年5月14日に都営新宿線のATC装置が更新されるまでの間、電磁波がネックで都営新宿線のVVVF車の乗り入れが出来なかった。 このATC装置の更新により、VVVF車の乗り入れが解禁となったのである。

現在までに8両固定編成8本64両、10両固定編成2本20両 計84両導入されているけど、今年度中に10両3編成30両導入される予定となっている。

井の頭線、1000系(2代目、1996(H8)年1月9日デビュー)

1000系(2代目)は、井の頭線の混雑緩和の一環として導入された、井の頭線初の4ドア20m車となっており、3000系から継承された7色のテーマカラーが特徴である。
スタイルはパノラミックウィンドーが採用されている。 こちらは8000系とは異なり、戸袋窓が廃止されている。 内装は、8000系に準じている。導入当初は1751、1752Fの2本のみだった。

こちらも、井の頭線初のVVVFインバータ装置が採用され、2M3Tとなっていたことで話題となっていた。 のちに雨天時に空転や滑走などが多発し問題になったために現在は対策済みの状態となっている。 

こちらは、1997(H9)年の渋谷駅改良工事の時までに5両10編成50両導入されたけど、2003(H15)年から2004(H16)年にかけて増備が再開されたのである。

1997(H9)年までに導入された10編成は、奇数編成(1、3、5、7、9編成)は東洋電機製のGTO 偶数編成(2、4、6、8、10編成)は日立製のIGBT素子となっている。

2003(H15)年から2004(H16)年にかけて導入された2次車は、11編成から15編成まですべて東洋電機製のIGBT素子が採用されている。 同時に2M3Tから3M2Tに変更。
内装のほうは、9000系に準じたものに変更され、ドアチャイムや車内LED案内装置が初採用された。 既存の編成にも、順次これらの設備が取り付けられたのである。

この1000系は、今年1月でデビュー10周年を迎えた。

井の頭線、3000系(1962(S37)年12月30日デビュー)

3000系は、京王帝都電鉄(現、京王電鉄)初のステンレス車両として、1962(S37)年に登場。 同時期にデビューした、東急7000系と並んで、珍しいステンレス車として異彩を放っていた。 当初は、狭幅片開き編成2本のみの在籍ということで、試作車というイメージが強かった。
 あとは、7つの色がテーマのFRP(強化プラスチック)製の前面カバーが取り付けられたということで、ステンプラカーという愛称が付けられたのである。導入当時は4両編成だった。
足回り品は、抵抗制御となっていた。こちらは、旧1000系列、京王線系統の2000系列と同様に、2枚窓の湘南スタイルとなっている。

翌年の1963(S38)年に導入された車両からは、幅広タイプとなり、両開きドアに変更された。 この年に、ローレル賞を受賞したのである。京王5000系も翌年にローレル賞を受賞しているので、京王の名車が相次いで登場したということとなった。

1967(S42)年から1969(S44)年にかけて導入された3710F~15Fは、回生ブレーキ付きとなったけど、1985(S60)年に、界磁チョッパ制御に改造されている。

3714F、3715Fは、井の頭線初の冷房車として導入されている。 導入されたのは、1969(S44)年2月25日のことだった。

1971(S46)年から1972(S47)年に掛けて、中間車1両挿入の上で5両化。 第一・第二編成も5両化されたけど、1両のみ幅広・両開き車が入っていたので異彩を放っていた。

1975(S50)年に導入された3716F、3717Fは、5両編成のまま導入されていた。 クーラーは6000系初期型車と同様に、先頭車が分散型、中間車が集中型となっていたけど。3718F以降は、すべて集中型となっている。

3720F~3727Fは、1983(S58)年から1984(S59)年に掛けて、旧1000系列(グリーン車)の置き換え用として導入。 こちらは一部仕様変更されている。
3728、3729Fは、1987(S62)年、1988(S63)年に、増発用として導入されていた。

これをもって3000系の増備が打ち切られていたけど、3722Fの吉祥寺寄りの先頭車である3722号車が1991(H3)年に事故廃車となったため、代替新造されたためにこれで最後となったのである。

井の頭線の行き先表示は、伝統の隷書体。縦書きの方向幕が使用され、急行運転時には急行板、回送時には回送板が使用されていたけど、1988(S63)年の急行増発の時に、方向幕が現在のゴシックタイプ、横文字の表示となったのである。筆者が初めて井の頭線に乗ったのは、1988(S63)年7月のことだったので、隷書体の表示の電車に乗ったことがないということとなった。

後期型の3716F以降の編成は、1995(H7)年から順次リニューアル化され、これまでのステンプラカーの前面から、普通鋼製のパノラミックウィンドーの前面に交換、座席・化粧版の交換などで大きく変わったのである。

1996(H8)年から2004(H16)年にかけて、1000系の導入されたことにより、初期型の編成(3715F以前)が順次廃車となったけど、やはり一番先に廃車となった編成は、狭幅片開き編成の3701、3702Fだった。 こちらは、末期に急行運転に使用されないなど、変則的な運用となっていた。

抵抗制御の3709F以前の編成は、1997(H9)年までに廃車となったけど、やはり京王線系統の6000系初期型車と同様に、抵抗制御車が優先的に置き換えられていたのである。

これまでに廃車となった編成は、北陸鉄道浅野川線、上毛電気鉄道、松本電鉄、岳南鉄道に譲渡されている。 北陸鉄道浅野川線に譲渡された編成は、先頭車の2両編成。 上毛電鉄に譲渡された編成は、先頭車と中間車改造車の両方(2両編成)。岳南鉄道に譲渡された編成は、中間車改造車の1両編成または2両編成 松本電鉄に譲渡された編成は、中間車改造車の2両編成となっている。

北陸鉄道浅野川線に譲渡された編成は、旧3701~3705Fで、片開き車が8800系、両開き車が8900系となっている。 FRP部分はすべてオレンジ色となった。始発駅である北鉄金沢駅は、2001(H13)年3月28日に地下化されたけど、現在の井の頭線の渋谷駅みたな雰囲気の駅となっている。この駅の行き止まり部分の改札口の写真を見たときにそう思いました。

現在の井の頭線の渋谷駅は、マークシティが建ったことにより地下トンネルの入り口が隠されたため、高架駅でありながら地下駅を思わせるような光景となっている。

上毛電鉄に譲渡された編成(700系)は、旧3706~3710Fの先頭車。およびそれから捻出された中間車。

松本電鉄に譲渡された編成(3000系)の前面は、3000系リニューアル車に準じたスタイルとなっている。

岳南鉄道に譲渡された編成は、1両編成また2両編成だけど、旧スタイルに準じた前面となっている。1両編成が7000系で3両在籍 2両編成が8000系が1編成2両在籍だけど、緑色でがくちゃんかぐや富士という愛称がある。

3711F~3715Fは、簡易リニューアル化されたけど、2003(H15)年から2004(H16)年にかけて、1000系の第二次投入によって廃車となった。 3714Fのほうは、2004(H16)年11月に廃車となったので、最後まで残ったオリジナルの3000系(ステンプラカー)となった。

井の頭線のカラー 1=ブルーグリーン 2=アイボリーホワイト 3=サーモンピンク 4=ライトグリーン 5=バイオレット 6=ベージュ 7=ライトブルー

1=3722、3729、1701、1708、1715F 3000系2編成、1000系3編成(計5編成)

2=3716、3723、1702、1709F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

3=3717、3724、1703、1710F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

4=3718、3725、1704、1711F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

5=3719、3726、1705、1712F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

6=3720、3727、1706、1713F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

7=3721、3728、1707、1714F 3000系、1000系2編成ずつ(計4編成)

このように、1のブルーグリーン(水色)の編成が1編成多いということが分かります。
by hy_sengen-sin | 2006-05-13 09:29 | 鉄道車両・路線