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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

福島・仙台方面に行ってきました1

この日は、18きっぷを使用して、福島・仙台方面に行ってきました。

1日目のルート 目白~池袋~大宮~桶川~大宮~宇都宮~黒磯~郡山~福島

2日目のルート 福島~飯坂温泉~福島~仙台~岩切~利府~岩切~仙台…あおば通~小鶴新田~榴ヶ岡…仙台~榴ヶ岡…仙台~東京~目白

1日目は、池袋から湘南新宿ラインに乗車。 池袋 12:18発の高崎線直通の特快高崎行きだけど、国府津の車両ではなく、小山の最新増備車が使用されていました。こちらは、車両不足によって、国府津車両センターに貸し出されている編成である。

この時の編成は、U585+U107の組み合わせでした。 こちらは、国府津所属のE231系と同様に改良されており、基本編成の6号車のトイレが、和式ではなく、洋式となっていました。

やはり、バリアフリー法により車内トイレで洋式便器の採用が義務づけられたのでこうなったと思います。

この列車は、途中で、485系によるきぬがわ4号とすれ違ったのである。

3月19日に発生した485系のトラブルにより、20、21、22日に東武のスペーシアの108Fが代走していたのである。

この108Fは、3月18日の初日のスペーシア便に抜擢された編成で、デビュー記念のステッカーがありました。3月21日にこれを確認している。

大宮には、入場待ちの211系のグリーン車、113系湘南色の一部(モハ113-1506号車ほか)などが置かれていました。

大宮~宮原間の解体場所では、来年10月14日に開館予定の新生鉄道博物館の開館準備のために、解体作業が一時中止されている。 鎌倉総合車両センターが閉鎖されたため、解体作業は、長野総合車両センターで行われることになる。

大宮では、友人と合流 ここで485系のきぬがわ5号を見ていました。

この後、湘南新宿ラインの特快で桶川まで行きました。 その友人とは桶川で別れた。

211系のグリーン車の組み込みが進められているけど、後期型(元小山車)の一部の前面の種別表示が、グリーン車の組み込みと同時に、生え抜き車と同様にLED化されてました。

グリーン車組み込みの対象外の元小山車の表示がどうなるのか気になります。

あとは、グリーン車組み込み対象外の211系の動向も気になるけど。

211系は、2月18日に高崎線に登場してから20年を迎えたのである。

桶川から大宮まで、211系のモノクラスの5+5の10両編成に乗車。 こちらも、グリーン車の組み込みにより、消えゆく編成となっている。

大宮~宮原間には、301系とスカイブルーの103系が置かれていたけど、新生鉄道博物館に保存されるのか不明である。 こちらは、JR東海の佐久間レールパーク(飯田線、中部天竜駅構内)と同様に、廃車車両を集めたテーマパークとなる。

211系のグリーン車の乗車状況は、2階建てグリーン車に人気が集中し、平屋建てグリーン車には、客がまばらという状態でした。

大宮から宇都宮まで、E231系の10両編成による湘南新宿ライン(逗子から来た列車)の快速に乗車。編成は、U514(クハE231-6014F)。 

こちらは、大宮を出た後、蓮田、久喜、古河、小山と、宇都宮までの各駅に停車していたけど、
改正後も、上野発着の快速ラビットを含め、東武日光線への乗換駅である栗橋に停車しないままであるということも問題となっている。 土・休日に運転される快速フェアウェイ号なら停車するけど。

栗橋駅の手前で、線路に人が立ち入っていた影響により、約7分間停車してしまいました。

栗橋駅=専用の連絡線があり、デッドセクションが設けられている。 新宿と日光・鬼怒川方面を結ぶ列車の運用のことで、この栗橋駅構内での連絡に白羽の矢が立ったのである。

東鷲宮駅は、下りホーム(小山、宇都宮方面)が地平部分に、上りホーム(大宮、上野、新宿方面)が高架部分にある変わった駅である。上下で高架と地平部分に分かれている駅は、暫定的な時を除いて珍しい状態である。

こちらは、1981(S56)年4月15日、貨物駅として開業 翌年の1982(S57)年6月23日(東北新幹線と同じ日)に旅客営業開始されている。

貨物営業は、1986(S61)年11月1日に廃止。

このような駅の体系となっているのは、貨物駅と東北新幹線の工事用引き込み線があったということの名残である。

この東北新幹線への引き込み線は、現在でも撤去されずに残されている。

小金井駅を過ぎると、小山車両センターが見えてきたけど、ここには、115系の訓練車が止まっていました。 かつては、湘南色の115系で埋め尽くされていたけど、現在は4両1本が残るのみとなり、代わりにE231系で埋め尽くされるようになったのである。

小山駅=両毛線のローカル列車に211系の5両編成が使われていました。水戸線では、415系列が使用されているけど、やがては、415系1500番台、E531系の5両編成に統一されることになっている。

石橋駅と雀宮駅の中間には、宇都宮貨物ターミナルがあり、タンク車などを見ることが出来ました。

この駅名は、JRで最も長い駅名となっている。 旅客駅では、上越線の岩原スキー場前駅となっているし。

宇都宮貨物ターミナル駅の開業は、1971(S46)年

宇都宮駅に定刻よりも遅れて到着。 ここから黒磯まで、E231系の5両編成のU18編成(クハE231-8009F)で行きました。

烏山線=かつてはほぼ全列車が、宝積寺から宇都宮へと直通していたけど、宇都宮線のダイヤのパターン化により、宇都宮への直通列車は、1日5本のみとなってしまったのである。
この車両は、キハ40の2000番台から改造された1000番台で、ワンマン運転、ロングシート化されており、トイレも撤去されている。

こちらは、2001(H13)年11月に最後のスーパーホリデーパスの乗車会で乗車したことがある。

車体および7駅に、七福神が描かれているのが特徴である。

烏山線の路線 宝積寺~下野花岡~仁井田~鴻野山~大金~小塙~滝~烏山

下野花岡駅=寿老人 仁井田駅=布袋尊 鴻野山駅=福禄寿 大金駅=大黒天 小塙駅=恵比寿神 滝駅=弁財天 烏山駅=毘沙門天

烏山線が開業したのは、1923(T12)年4月15日のことだった。 

氏家、蒲須坂駅は、さくら市にある。

栃木県さくら市とは、昨年3月28日に、塩谷郡氏家町と喜連川町が合併して誕生した市で、3月28日に1周年を迎える。

矢板駅付近でも、先方列車に異常があったので、急停車し、ここで再び足止めを喰らいました。

宇都宮~黒磯間=かつては上野からの直通運転列車が多数運転されていたけど、現在は本数が少なくなっている。 小山 5:42発黒磯行き、黒磯 7:28発上野行きの列車は、宇都宮~黒磯間で、唯一グリーン車が設定されている列車で、3月18日から進出したのである。

E231系の5両編成または10両編成のほか、211系の5両編成、107系も使用されている。

かつて接続していた路線 蓮田駅から武州鉄道(初代)が、岩槻経由で、神根(現在の川口市石神、埼玉高速鉄道の新井宿駅付近)まで出ていた。

こちらは、1938(S13)年9月3日に廃止されている。

矢板駅からは、東武矢板線という路線が、鬼怒川線の新高徳駅まで出ていたこともあった。

こちらは、全線非電化の路線で、1日5往復のみの運転だった。廃止されたのは、1959(S34)年6月30日のことだった。

西那須野駅からは、塩原口まで、塩原電車という電車も出ていたこともあったけど、こちらは、1932(S7)年に休止 1936(S11)年1月14日に正式に廃止されたのである。

こちらも現在も走っていれば、日光軌道線と同様に、観光鉄道として生かせていたかもしれなかったです。

あとは、西那須野から黒羽、那須小川まで、東野鉄道という路線も出ていたこともあった。 こちらは、黒羽~那須小川間が、1939(S14)年6月1日に、西那須野~黒羽間が、1968(S43)年12月16日にそれぞれ廃止されている。 現在は、東野交通となり、東武グループの那須・塩原、真岡、下妻エリアのバス会社となっている。

黒磯駅 直流電化区間と交流電化区間の境目の駅で、南側に直流電気機関車、北側に交流電気機関車が留置されている。ここで、国鉄色のEF65型などの電気機関車を見ることが出来ました。

EH500型の場合は、黒磯での機関車の付け替えの必要がないので、スルー運転が可能である。

宇都宮線と呼ばれる区間も、ここまでとなっており、東京圏におけるSuicaの区間もここまでである。 宇都宮線の名称は、1990(H2)年3月10日に付けられたのである。

黒磯から福島までは、701系1500番台に乗車。 この編成は、F2-515編成(クモハ701-1510F)で、2001(H13)年3月に導入された編成でした。 こちらは、Tc車のトイレが、車端部ではなく、山形線(米沢~山形・新庄間)の5500番台と同様に、運転台後部ドア付近にありました。 こちらは、車椅子対応の幅広の洋式トイレとなっている。

701系は、209系をベースとした3ドアロングシート(0番台の一部と田沢湖線用の5000番台)はセミクロスシート)となっており、洋式トイレが設けられているのが特徴である。

デビューしたのは、1993(H5)年6月21日で、秋田地区の50系客車の置き換え用として導入されていた。

秋田地区の0番台は、秋田車両センターを拠点に、奥羽本線(新庄~秋田~青森間)、羽越本線(鶴岡~秋田間)、東北本線(浅虫温泉~青森間)、津軽線(青森~蟹田間)と幅広く、2両または3両編成で構成されている。

100番台は、秋田地区用として導入されたけど、2両編成のほうは、山形~新庄間の標準軌化によって余剰となり、仙台地区に転用され、常磐線(いわき以北)のワンマン運転を中心に活躍するようになった。

1000番台 仙台地区、盛岡・青森地区用として導入 仙台地区のほうは、581系寝台電車から格下げ改造された715系などの置き換え用として導入され、2両編成と4両編成に分けられているけど、ワンマン運転の場合、2両編成が限定使用される。

運転区間は、東北線(黒磯~仙台~一ノ関間)、利府支線(岩切~利府間)、仙山線(仙台~作並間)。 ワンマン運転区間は、黒磯~白石間、利府支線

盛岡・青森地区 1994(H6)年12月 一ノ関~盛岡間の50系客車の置き換え用として導入。 盛岡運転所初の電車配置となった。

1996(H8)年3月30日には、盛岡~青森間の電車化によって、一ノ関~青森間に拡大される。 この時点で、赤い50系客車がJR東日本から全廃。この赤い50系客車は、レッドトレインと呼ばれていた。

JR九州の筑豊本線(福北ゆたか線)が2001(H13)年10月6日に電化される前は、50系客車が活躍していたけど、非冷房・トイレがタレ流し式であったため、トイレ対策兼冷房対策のために12系客車が連結されていたこともあった。

701系1000番台は、青森運転所(現青森車両センター)に集中配置されたけど、2002(H14)年12月1日の盛岡~目時~八戸間の第三セクター化によって、青森と盛岡に分散配置されたのである。 盛岡所属編成は、一ノ関~盛岡間 青森所属編成は、八戸~青森間で活躍している。

第三セクターは、盛岡~目時間が、IGRいわて銀河鉄道、目時~八戸間が青い森鉄道となっている。 2002(H14)年12月1日の転換当時は、IGRが、3編成、青い森鉄道が、1編成新製され、前者は4編成、後者は1編成JRから譲受されていた。

形式番号は、IGRが、IGR7001系、青い森鉄道が、青い森701系となっている。

701系1500番台は、1998(H10)年3月に、最後まで残った715系の置き換え用として導入。 こちらは、発電ブレーキから回生ブレーキに変更され、屋根上の抵抗器が廃止されている。

標準軌用は、田沢湖線(盛岡~大曲間)が、5000番台、山形線(米沢~山形~新庄間)が5500番台となっている。 前者のほうは、回送で、大曲~秋田間を走ることもある。

この列車は、郡山まで2両編成で、郡山から後ろの2両増結の上で4両編成となっていました。

豊原駅を出た後、栃木県から福島県へ。 黒磯~豊原間は、東京支社のエリアだったけど、2001(H13)年4月1日に大宮支社が設立されたのを機に、仙台支社の路線となったのである。

白河駅からは、1944(S19)年12月まで、白棚線という路線が、水郡線の磐城棚倉まで出ていたこともあった。 1957(S32)年4月26日、国鉄バス(のちのJRバス関東)による、バス路線として生まれ変わっている。 こちらは、旧線路跡の専用道路を走っている。

郡山に到着。ここで、後ろの2両が増結され、4両編成となった。この時に、F2-510編成(クモハ701-1510F)が増結されていたのである。

ここでは、恒例のタンク車の調査を行ったけど、タキ38132号車やタキ1000-535号車などを見ることが出来ました。

後は、磐越西線の455系も見ることが出来ました。 455系には、快速ばんだい号で使用されていた半室グリーン車であるクロハ455-1号車を見ることが出来ました。 こちらは、普通車扱いで乗ることが出来、リクライニングシートに身を委ねることが出来るのである。

2003年12月に筆者が初めて利府支線に乗った時にはこれに当たっていた。

水郡線のほうは、手前の安積永盛駅から分岐しているけど、全列車郡山まで直通している。

こちらは、八高北線の列車が倉賀野から高崎まで乗り入れていることと同様である。

水郡線では、新型DC(キハE130)が導入される予定だけど、磐越東線のほうは、引き続きキハ110系列が活躍することになっている。 磐越東線のDCは、磐越東線営業所と呼ばれていたけど、昨年12月10日の改正で、郡山総合車両センターとなり、仙ハトから仙コリの表示となり、仙コリの表示が復活したのである。

水郡線のDCのほうは、水郡線営業所(水スイ、常陸大子駅構内)所属である。

安積永盛~郡山間には、郡山貨物ターミナルがあり、石油輸送、コンテナ輸送の拠点となっている。

郡山総合車両センターの工場部分では、常磐線で廃車となった初期型415系が解体待ちで置かれていました。 あとは、仙石線で走っていた103系1編成が疎開留置されたままとなっている。こちらは、復活することもなくこのまま廃車・解体となることが予想される。

郡山総合車両センター=7月にイベントが行われるけど、18きっぷで日帰りで行ける範囲にも関わらず、筆者は1度も行ったことがない状態である。

JR東日本で廃車となった車両の解体 大宮での解体は一時中止、鎌倉総合車両センターの工場部分の廃止、桐生駅付近の下新田での解体が廃止されているので、長野のほか、郡山でも解体が盛んに行われると思われます。

東京総合車両センターなどは、車両の解体設備の無い工場となっている。

磐越西線は、郡山~会津若松、喜多方間は交流電化、喜多方~新津間が非電化区間である。 会津若松から新潟までは、C57-180号機牽引による話題のSLばんえつ物語号が運転されることで有名である。こちらは、専用の12系客車(ラウンジ車両連結)が使用されている。

喜多方は蔵の街。喜多方ラーメンが有名である。筆者は、2002年11月に行った時に、本場の喜多方ラーメンを食べたことがある。

磐越西線の非電化区間では、キハ110系列やキハ47型DCが使用されている。

会津若松と小出を結ぶ只見線では、キハ40型DCが使用されているけど。

郡山駅の駅名は、JR西日本の関西本線(大和路線)・奈良県でも使用されているけど、区別するために、切符に(北)郡山と印字されている。 大和路線のほうは、(関)郡山と印字されているけど。

松川駅から岩代川俣まで、川俣線というローカル列車が出ていたこともあった。 こちらは、1972(S47)年5月13日に、国鉄バス(のちのJRバス東北)に引き継がれたけど、昨年4月1日に、地元事業者によって代替されている。

福島駅に到着。 ここから宿である某ビジネスホテルにチェックインし、ここから西口にあるラーメン店、越後秘蔵麺、無尽蔵に行きました。 こちらは、福島店の代わりに、ふくしま家と呼ばれていました。 こちらは、新潟に本家(本店)があるけど、東京や仙台にもある。
ここでは、豚骨醤油ラーメンを食べたけど、とても美味しかったです。スープもよかったし。

ここの麺は、新潟産の渋柿ポリフェノールが練り込まれていました。

ここで散策した後、1日が終わりました。
by hy_sengen-sin | 2006-03-27 11:01 | 鉄道乗車記