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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

尾久でのイベント

12月3日(土)は、尾久車両センターで行われた第5回ふれあい鉄道フェスティバルに行ってきました。

尾久でのイベントは、2001(H13)年から毎年行われているけど、筆者が行ったのは、2002(H14)年からで、4年連続足を運んでいる

まずは、目白から池袋まで行き、ここから埼京線で赤羽まで出て、高崎線の211系で尾久まで行きました。

尾久車両センターは、1929(S4)年6月20日、日暮里~赤羽間の尾久回りのルート・尾久駅の開業とともに、尾久客車区としてスタート。1994(H6)年12月3日、品川客車区から車両が転属、昨年6月1日に現在の尾久車両センターとなった。こちらは、田端運転所(田端操車場)と隣接されており、周辺には東北・上越新幹線の東京新幹線車両センターもある。

田端操車場は、常磐線の三河島駅と繋がっている。 以前は、取手から田端操車場、新宿経由で、鎌倉までのときわ鎌倉号も運転されていたこともあった。 使用車両は、田町電車区(現田町車両センター)の167系。一時期は、415系も使用されていたこともあった。

このときわ鎌倉号は、現在は運転されていないので、167系とともに過去帳入りしている。筆者が、山澤さんとよく一緒に乗ったことのある思い出の列車でした。山澤さんも良く乗っていた。

この会場では、山澤さん・奥野さんと出会いました。

その尾久車両センターの前身は、1916(T5)年7月、上野検車区(東京メトロ銀座線の上野検車区とは無関係)として開設、1926(T15)年10月10日に、貝塚客車操車場が新設され、現在地に移転 1929(S4)年6月20日に、尾久客車区(現尾久車両センター)となったのである。

2011年の上野~東京間の線増に伴う、東北(宇都宮)・高崎・常磐線の東京乗り入れ復活により、田町車両センターが廃止され、その代替えとして使用される予定となっている。この時には、東北・上越新幹線の線路の上に東京直通線の線路が設けられる予定。

東北・高崎・常磐線列車の東京乗り入れは、1973(S48)年4月をもって、中止となっている。秋葉原~東京間は、現在の東北・上越新幹線の線路を通っていた。

現在尾久車両センターには、14系、24系、E26系カシオペアなどの客車および皇室用客車が配置されている。
 皇室用客車は、通常東京総合車両センター近くの大井御料車庫で保管されている。

出雲号で使用されている24型客車は、田町車両センター(旧品川客車区)常駐で、東京~出雲市間を山陰線経由で結んでいるけど、こちらのほうも風前の灯火となっている。 こちらは、はやぶさ・富士号と同様に、東京駅に乗り入れる貴重なブルートレインとなっているので。
残念なことに、3月18日の改正で廃止されることになった。

尾久には、14系客車の座席車、スーパーエクスプレスレインボー、お座敷客車江戸号もあったけど、現在は全廃となっている。 14系の座席車は、かつて急行八甲田号などに使用されていたけど、2002(H14)年をもって全廃。

かつては、はつかり号や旧つばさ号で使用されていた気動車(キハ80系列およびキハ181系)も配置されていた。

旧つばさ号のキハ82型DCからキハ181型DCへの置き換えは、1969(S44)年10月の改正に間に合わず、翌年の1970(S45)年2月に行われていた。

尾久車両センターから上野駅への回送は、客車先頭、機関車最後尾の推進運転方式(推進回送)となっている。 上野駅は、東京駅とは違って、機回し線が無いためだからである。 SL&EL奥利根号などでも、このような方式で上野まで回送されている。

現在上野駅に乗り入れている寝台特急は、北斗星、カシオペア、あけぼの、北陸となっている。

このイベントで展示されていた車両は、北斗星用の24系客車6両(3両は車内公開用、食堂車を含むもう3両は、事前申し込み制の食堂車(グランシャリオ)体験用、115系(スカ色、湘南色)、休憩用の旧型客車4両、485系多目的車両ニューなのはな、クモル145型配給車、24型夢空間など。 

機関車は、EF55(ムーミン)、EF58、DD51、EF65・EF81(いずれも旧SER塗装)

あとは、お子様向けのサービスとして、レールスター(足こぎ式、エンジン付き)、マジックボーイ(高所作業者)の体験乗車会も行われていた。

実演は、EF58型のターンテーブル回転実演、車両のジャッキアップ、レール削正車、レール切断、レール溶接となっていた。

EF58-61(ゴハチのロクイチ)号機=田端運転所所属の貴重なEF58型旧型電気機関車のうちの1両で、茶色い塗装となっている。 1953(S28)年7月、東海道本線、名古屋電化用として、日立製作所で製造され、EF58-60号機とともに、お召し指定機として任命されていた。現在は、JR東日本に唯一残るEF58型機として専らイベント用として使用されている。このイベントでは、お召し列車の証である、日章旗クロスの状態で展示されていた。反対側は銀河のHMだった。

このEF58=かつては東海道線の客車列車の牽引などで大活躍していた。1946(S21)年から1958(S33)年まで製造。

以前はEF58-89(ゴハチのパック)号機もイベント用として走っていたけど、今から6年前の1999(H11)年に廃車となった後、青色塗装に戻されて、JR東日本の大宮車両センターで保管されている。こちらは、再来年秋にオープン予定の新生鉄道博物館で展示される予定

EF55-1号機=1936(S11)年に製造された旧型電気機関車で、流線型となっているのが特徴である。当初は3両製造されていた。登場当時は東海道線で走っていた。

方向転換出来ないということで使い勝手が悪かったので、高崎線に移り、1958(S33)年に休車となり、1964(S39)年に全車廃車されかが、そのうちの1号機は、高崎第二機関区で静態保存されていた。 

1978(S53)年に準鉄道記念物に指定され、1986(S61)年7月に、イベント用として復活したのである。高崎~水上間で復活運転。

ムーミンの愛称名は、その名の通り、フィンランド生まれのアニメキャラクターであるムーミンに似ているから付けられたのである。
昨年の尾久でのイベント(12月4日)は、ターンテーブルでつばめのHM付きで展示されていた。

ターンテーブルでの展示=綺麗に撮れたので感動しました。

一昨年のイベントの時(12月14日)は、SLのD51-498号機+客車によって、上野~尾久まで1往復していた。このD51-498号機は、主に高崎~水上間で活躍している人気者である。

SER(旧スーパーエクスプレスレインボー塗装)のEF65-1118号機とEF81-95号機は、人気コーナーである運転台見学用として開放されていた。

EF65-1118号機は、旧型客車、EF81-95号機は北斗星の客車に繋がっていた。

この茶色い旧型客車(高崎車両センター所属)、スハフ32-2357号車ほか4両は、休憩用車両として使用されていた。 特に、スハフ32のほうは、昔ながらの木目調の車内だったので、レトロな雰囲気が漂っていました。 これらの旧型客車も、イベント用として使われている。

HMは、EF65が彗星、EF81が北斗星。 彗星号は、今年9月30日まで、京都~南宮崎間で運転されていた寝台特急で、末期は、門司まであかつき号との併結運転だった。現在は、京都~鳥栖間で、熊本行きのなは号・長崎行きのあかつき号との併結運転となっている。

昨年のイベントでは、EF65-1118号機に、あさかぜ号のHMが付いていた。あさかぜ号は、東京~下関間の運転だったけど、今年2月末に、東京~長崎間のさくら号とともに廃止された。

DD51型DL(DD51-842号機)には、はくつる、ゆうづるのHMが付いていた。 はくつる号は、上野~東北線経由~青森間、ゆうづる号は、上野~常磐線経由~青森間で走っていた姉妹特急で、前者は2002(H14)年11月30日、後者は1993(H5)年11月30日をもって廃止されている。 ゆうづる号は、583系寝台電車のまま結末を迎えたけど、はくつる号は、1994(H6)年12月3日に客車列車に戻されていた。

どちらも、上野駅に乗り入れる貴重な寝台電車となっていた。

JR東日本の583系寝台電車(オリジナルカラー)は、秋田車両センターに9連1本(グリーン車付き)、仙台車両センターに6連1本(モノクラス)が団臨用として残っている。2002(H14)年11月までは、青森運転所(現青森車両センター)の所属で、臨時はつかり号として使用されていたこともあった。

どちらもゴロンとシートの扱いとなる。

115系湘南色は、小山車両センターに唯一残る115系の4両編成(Y427編成、クハ115-427F)となっていた。 前面の表示は、横須賀線直通、反対側が通勤快速 この編成は、湘南新宿ライン対応の表示となっていた。

小山の115系=2001(H13)年11月30日までは、高崎線での運用もあった。

スカ色の115系で展示されていた車両=豊田電車区のM8編成(クモハ115-311F)の3両編成。 前面の表示は急行、快速 この115系は、1970(S45)年から1976(S51)年まで、急行かいじ号でも使用されていたけど、1976(S51)年に115系使用列車のみ快速に格下げとなっていた。

485系ニューなのはな号は、1998(H10)年2月1日、これまでの165系旧なのはな号(お座敷電車)の置き換え用として登場。 こちらは、6両1編成で、お座席モードや座席モードに切り替えることが可能となっている。

旧なのはな号のほうは、同年10月に廃車となった。

千葉支社の組合との絡みで、車内見学出来なかったのが残念です。

24系北斗星用の客車見学=すべてB寝台車だったけど、見学出来てよかったです。B寝台は、2段式寝台。 トイレは一部洋式化されていた。
24系客車は、北斗星トマムスキーの表示となっていた。この北斗星トマムスキー号は、夢空間連結で、横浜~トマム間で運転されていた臨時列車で、沼ノ端から千歳線に入らず、室蘭本線に入り、追分から石勝線のトマムまで直通運転されていた。

夢空間は、1989(H1)年に3両試作され、展望型の食堂車、ラウンジカー、豪華寝台個室(デラックススリーパー)から成っている。 当初は、YES89(横浜博覧会)の時に桜木町駅前で展示されていた。 現在は、臨時列車に使用されている。

北斗星号は、1988(S63)年3月13日の青函トンネル開業と同時に登場した、上野と札幌を結ぶ豪華な寝台列車となっており、現在は定期で2往復となっている。 車両はJR東日本とJR北海道の両方。

上野~青森~函館~長万部~苫小牧~札幌というルートだけど、盛岡~八戸間で、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道の路線を通ることになっている。

北斗星号=B寝台(Bコンパートメント)のほか、ソロ(1人用B個室)、デュエット(2人用B個室)、ロイヤル(1人用A個室、シャワー、トイレ付き)、ツインデラックス(2人用A個室)、食堂車、ロビーカーまたはミニロビー(シャワー室付き)がある。

北斗星の食堂車(グランシャリオ)は、スシ24型客車で、485系列の電車の食堂車から改造されていた。

北斗星1、2号=JR北海道、北斗星3、4号=JR東日本の車両が使用されている。

カシオペア号のE26系客車は、1999(H11)年7月16日にデビューした、オール2階建てのA寝台車(2人用個室)で豪華な列車となっている。 たった1編成しかない虎の子状態なので、運転日が限られている。
筆者は、品川で行われたカシオペア号の展示会に行ったことがある。

こちらは、1人でも追加料金を払えば乗れるので、ペアでなくてもカシオペアと言われている。

最後部車両は、カシオペアスイートで、一番後ろの展望客室は、誰もが乗ってみたくなるような空間となっている。このような贅沢な客室は、大阪と札幌を結ぶ緑色の豪華寝台列車である、トワイライト・エクスプレスにもある。

1号車(上野、札幌)寄り=カシオペアスイート、2号車=カシオペアスイート、カシオペアデラックス、3号車=食堂車、4号車=カシオペアコンパート(車椅子対応客室)、カシオペアツイン、5~11号車=カシオペアツイン、12号車=ラウンジカー シャワー室は、6、10号車 ミニロビーは、5、9号車にある。客室にはトイレが付いている。カシオペアスイート・デラックスにはシャワーもある。

カシオペアスイートは、1室当たり50980円と高いので、まさに走るスイートルームである。トワイライト・エクスプレスのスイートもこうなっている。

北斗星は、1988(S63)年の登場当時は、絶大な人気を誇っており、チケットが取りづらい状態が続いていた。 不景気に加え、航空運賃の値下げなどにより、利用客が減少していたけど、カシオペアは人気回復の火付け役となった。

配給車のクモル145型は、首都圏で唯一の配給車で、クモル145-8F(クモル145-8+クル144-8号車)が、東京総合車両センターに在籍している。こちらは、東京総合車両センターの工場部分(旧大井工場)常駐で、東京総合車両センターから車両基地へ部品を運ぶのが目的となっている。もちろんATCにも対応している。こちらの配給車は、101系から改造されていた。主電動機はMT46A

配給車は、以前JR東日本に10編成、JR西日本に6編成あったけど、現在は、首都圏(JR東日本)ではこの1編成、関西(JR西日本)の京都総合車両所に1編成、吹田工場に2編成の計4編成だけとなっている。

JR西日本に残っている3編成は、1999(H11)年度中に、主電動機がMT54(113系等と同じタイプ、廃車発生品)に交換されている。

このイベント会場では弁当の販売もあった。

尾久車両センターでは、中距離電車や常磐線特急の停泊のほか、489系ボンネット編成による夜行急行能登号の停泊もある。 10月15、16日に運転された思い出の特急白山号は、ここでの停泊間合いを利用して運転されていたのである。

この日は、10月15日に白山号で乗ったのと同じH1編成(クハ489-1F)が停泊していた。

イベント終了後、河口さんと出会い、ここから一緒に田端まで歩きました。 

尾久車両センターは、尾久駅だけでなく、田端駅または上中里駅から歩いて行くことも可能となっている。 筆者の場合は、行きは尾久駅、帰りは田端駅を利用している。

途中田端運転所に停泊している機関車を見ることが出来ました。ここにあるEF65のオリジナル塗装も貴重である。

田端には、JR東日本の東京支社がある。
河口さんと一緒に田端駅前のマックに行った時、オリジナル塗装の200系新幹線を2回見ました。 こちらは、12月の改正以降も臨時列車として当面残ることになっている。

田端駅の北口は、改築されることになっており、2008年秋に駅ビル併設のバリアフリー駅に生まれ変わる予定となっている。これにより、1・2番線ホームの駒込・上中里寄りにある客用トイレも移設されることになる。
by hy_sengen-sin | 2005-12-05 15:01 | 鉄道イベント