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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

川越線・八高線

大宮からは、205系で川越へ、川越から高麗川まで乗った車両は、りんかい線の70-000系から転用された209系3100番台でした。 この時に乗った編成は、クハ209-3101Fで、先頭車は、旧70-020Fから流用されたけど、中間車は新たに新製された車両でした。 この2両の新製M車は、モーター音、内装が従来と同じでした。 こちらは209系最後の新製車両となった。 70-000系自体の製造は、ベースとなった209系の製造が2000(H12)年の500番台を最後に取りあえず終了した後、先頭車は2002(H14)年、中間T車は、昨年まで製造されていた。
この209系3100番台の完全新製車に乗ったのは、今回が初めてでした。 旧70-020Fと久しぶりに再会出来たし。

クハ209-3102Fは、全編成りんかい線からの転用車で占められており、先頭車は旧70-030Fから、中間車は旧70-020Fのうちの2両から転用されている。(こちらは、2002(H14)年に旧70-020Fが6両化された時に導入された中間車となっている)

旧70-020F、030Fは、りんかい線時代は前面のみ方向幕のまま残されていたけど、209系3100番台化と同時にLED化された。

この209系3100番台は、一部のみりんかい線時代の面影が残っているけど、前面の一部、側面は、209系3000番台に準じている。

高麗川では、川越線電化20周年記念のパネルもありました。これには、非電化時代の川越線などの懐かしの写真が展示されていた。

川越線(川越西線)、八高線(八高南線)の路線 川越~西川越~的場~笠幡~武蔵高萩~高麗川~東飯能~金子~箱根ヶ崎~東福生~拝島~小宮~北八王子~八王子

川越線が非電化だった頃、キハ391型ガスタービン車も走っていたことがありました。 現在は205系電車やりんかい線70-000系電車が行き交う荒川橋梁を渡るシーンの写真を見たことがあるけど、本当に想像出来ない状態であります。

このガスタービン車は、1972(S47)年に非電化区間のスピードアップを狙って、大宮工場で試作されていたけど、燃費が悪い、騒音が激しいことやオイルショックによる経済難などの理由により、量産化には至らなかった。 台車は振り子式。末期は山陰本線で試運転が行われていたけど、廃車後は米子に保管され、現在は古巣の大宮工場(現大宮総合車両センター)に静態保存されている。
 今年は一般公開されていなかった。

川越線の非電化時代は、八高線と共通のキハ30、35型で、高麗川から東飯能まで乗り入れる運用もあった。 

1940(S15)年7月22日の川越線開業までの間は、西武大宮線という路面電車が大宮から川越(川越久保町)まで走っていたことがあった。

八高線の八王子~高麗川間の電化は、1996(H8)年3月16日 これにより、川越線との直通運転も開始され、既存の103系3000番台に加え、103系3500番台、209系3000番台も加わっていた。 201系も中央線から高麗川まで乗り入れ。 

当時は八高線の車両が拝島から青梅線に入って立川まで乗り入れていたことがあったけど、のちに廃止されている。

非電化時代は、キハ30、35、38型DCが使われていたけど、1987(S62)年から1年間、会津線の第三セクター化によって余剰となったキハ45型DCも使われていたこともあった。

高麗川以北の区間(高麗川~倉賀野間)は、非電化のまま残されたけど、全てキハ110系列に置き換えられて一部ワンマン化された。 キハ38型DCはすべて久留里線(木更津~上総亀山間)に転属。 これにより八高線の冷房化率は南北ともにゼロから一気に100%となった。
 1991(H3)年3月に相模線が電化された時もとのような現象となったし。
現在は、東京近郊区間で唯一の非電化区間となっている。

キハ110系列のDCは、1990(H2)年3月10日、短い車体のキハ100型が北上線に、長い車体のキハ110型が、釜石線・山田線に導入されたのが最初で、最高速度100Km/hと電車並のスピードを誇る車両となっている。 現在は、小海線、水郡線、磐越東線、飯山線、陸羽東線、陸羽西線などに導入されている。

高麗川から103系3000番台に乗車。 高麗川17時55分発八王子18時42分着だった。

この103系3000番台にはHMが付いており、八王子寄りの先頭車には、川越線電化20周年記念、ありがとう103系のHM 川越寄りの先頭車には、20年前に使用された、埼京線・川越線電化開業記念のHMが付いていた。 後者のほうは、オールドファンにとってはたまらないHMだった。この時点では、日が暮れていたため、思うような写真は期待出来なくなりました。 交換待ちの長時間停車の時は、フラッシュの嵐の状態でした。 動いている時に運転士さん(運ちゃん)に向かってフラッシュ撮影することはタブーとなっているけど。

次の東飯能、箱根ヶ崎、拝島で長時間停車していました。

この103系3000番台は、種車の73型旧型電車にちなみ、下2桁に73、72番が付く運用に使用されていた。

103系3000番台は、1974(S49)年に、モハ72型970番台、クハ79型600番台で、72型の足回り、台枠再利用の上で103系高運転台車と同様の車体に載せ替えられた車両として、仙石線にデビュー 103系と同じ車体なのに吊り掛けモーター車という奇妙な車両だった。

72型電車は、1984(S59)年の可部線、1985(S60)年の富山港線を最後に引退した。
富山港線は、来年には、富山ライトレールという一部路面電車化されたLRTの路線に生まれ変わることになっている。 現在の富山港線は来年2月末をもって廃止される。

72型電車の首都圏からの撤退は、1980(S55)年の南武線だった。

仙石線の在来型72型電車は、1979(S54)年に103系に置き換えられていた。

1985(S60)年に仙石線の全車両新性能化により、仙石線を追われ、5編成全てが103系3000番台として、電化後の川越線で運用されるようになる。

現在仙石線は、全車両205系3100番台(元山手線、埼京線の205系の中間車から改造、トイレ付き、一部2Wayシートに改造)となっており、103系は1編成のみが郡山総合車両センターに予備車として疎開留置されている。

103系3000番台化改造に使われた部品は、完全新製ではなく、工場予備品の見直しによって発生した103系のモーターなどの部品が再利用された。付随車の台車は、101系の廃車発生品、MGは、特急型電車の食堂車の廃車発生品からそれぞれ流用されていた。
当初は非冷房車だったけど、のちに冷房化された。 インバータクーラーが目を引く。

T車(サハ)のほうは、電装解除、オレンジ色に変更の上で一時的に青梅・五日市線の103系0番台に組み込まれて使用されていたことがあった。

1996(H8)年3月16日の八高線の電化により、4両編成に戻される。 中間のサハもうぐいす色に変更。

72型の時代は Tc+M+M+Tcだったけど 103系3000番台化されてからは Mc+M+Tc のちに Mc+M+T+Tcとなった。

103系3000番台は、2003(H15)年11月の205系3000番台(元山手線の205系の中間車から改造)の登場により、ハエ54編成(クハ103-3004F)を皮切りに廃車が始まり、翌年の2004(H16)年10月にハエ51編成、同年11月にハエ55編成、今年5月にハエ52編成が廃車となっている。
最後まで残ったハエ53編成(クハ103-3003F)は、209系3100番台の導入後も予備車として残されていたけど、10月2日のさよなら運転を最後に引退したのである。

ハエ53編成 クハ103-3003(クハ79605)+サハ103-3003(モハ72975)+モハ103ー3003(モハ72980)+クモハ102-3003(クハ72610)
カッコ内は72型時代の車番。

103系の3500番台(ハエ56編成) 1995(H7)年12月に京浜東北線から捻出された103系から、ドアの半自動化などの改造の上で、209系3000番台とともに増発用として導入された車両。 元をただせば山手線で走っていた車両だったのでかつての山手線を彷彿とさせる車両となっていた。

こちらは、今年4月1日に廃車となっている。 廃車直前の3月26日に東京総合車両センター(旧山手電車区)で行われたイベントの撮影会にも使われていたけど、一般客が入ることが出来なかったのが残念である。こちらはハエ85編成(クハ205-3005F)に置き換えられたので、山手線のOB同士の置き換えとなった。

ハエ56編成 クハ103-3501(クハ103-725)+モハ103ー3501(モハ103-790)+モハ102-3501(モハ102-2047)+クハ103-3501(クハ103-738)

モハ102-2047号車は当初池袋電車区所属で山手線・赤羽線に その他の3両は、当初品川電車区(現東京総合車両センター)所属で山手線で走っていた。

やはり夜になってもプラットホームは賑わっていました。

103系3000番台最後の運用 川越 21:22発→高麗川 21:45着、21:51発→八王子 22:32着、22:38発→高麗川 23:26着、23:35発→川越 23:53着

この日は、高麗川発川越行きの最終列車に充当されていたので、終電とともに幕を閉じたのである。 この列車は、大宮方面および東武東上線の池袋方面には接続していなかった。

川越西線の列車は、南古谷始発が5:11発、6:04発、19:16発(平日のみ)に設定されているけど、逆に南古谷行きは設定されていない状態である。すべて川越から回送。

10月1日のイベントで、普段は見られない103系3000番台の南古谷行きの表示を見ることが出来た。

八王子から立川までは115系1000番台(信州色の松本車)に乗りました。こちらは、元宇都宮・高崎線で走っていた車両である。

立川から新宿までは201系に乗車。 この中央快速線の201系は、青梅・五日市線も同様に、来年の暮れからE233系新型車両に順次置き換えられることになっている。

立川→西国分寺間の上り線は、9月25日に高架化工事のため仮線となっており、国立駅の上りホームも移設されていました。

国立駅=関東の駅百選で選ばれたユニークな駅舎となっているけど、高架化工事に伴う解体を惜しむ声も多い状態である。

2002(H14)年には、南武線で廃車となった103系のうちクハ103-717Fが黄色塗装のまま、4両編成に短縮の上で使用されていたこともあった。 八高線・川越線の表示もあったけど。

あとはうぐいす色の103系低運転台車も川越線に使われていたこともあったけど、それは謎である。
by hy_sengen-sin | 2005-10-08 16:39 | 鉄道乗車記