交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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東横線80周年記念号

7月15日は、東急東横線の5050系の5159Fによる東急東横線開業80周年記念号を撮影しました。

ルート 目白~原宿…渋谷~都立大学~自由ヶ丘~旗の台~五反田~世田谷区民会館…世田谷~下高井戸~新宿~目白

この日は、台風4号の影響によりダイヤが乱れていた。

まずは山手線で原宿まで行き、ハロー!プロジェクトオフィシャルショップに行き、この日に発売されたモーニング娘。の久住小春女史の誕生日記念メモリアル写真を買いました。 この時には仕事で来店出来なかった友人の分まで買ったのである。

その2日前の7月13日の道重さゆみ女史の誕生日の時も、メモリアル写真を買ったのである。

この日は、台風4号の影響で、午前中に東海道新幹線が運休となり、東京駅で足止めを食らっていた人も多かった。 あとはムーンライトながらも運休となっていたし。

7月15日当日は、筆者は行かれなかったけど、名古屋国際会議場(名古屋センチュリーホール)で行われたハロー!プロジェクトのコンサートが行われ、ここで久住小春女史の15回目のバースデーセレモニーが行われていたけど、その2日前の13日に18回目の誕生日を迎えていた道重さゆみ女史のバースデーセレモニーも同時に行われていた。

あとは、紺野あさ美女史の復活公演でもあった。

この時に筆者が行かれなかったのが残念でした。 やはり18きっぷの期間でないことや、22日に大阪まで行っていたので行くのを見合わせていた。

名古屋国際会議場は、1989(H元)年7月15日から11月26日まで、名古屋市制100周年記念として、名古屋市の3ヶ所で行われていた世界デザイン博覧会の白鳥会場(白鳥センチュリープラザ)として使用されていた。 こちらは、名古屋城(名城公園)、名古屋港でも行われていたし。

その閉幕後の翌年の1990(H2)年には、名古屋国際会議場として常設化されていた。

センチュリーホールは、3012名収容のホールで、筆者は一昨年3月20日にモーニング娘。のコンサートで行ったことがある。

道重さゆみ、久住小春、高橋愛、新垣里沙各女史を推している筆者の友人も、7月15日の名古屋公演に仕事で行かれなかったということで残念に思っていた。

あの後は、原宿のKDDIデザイニングスタジオを見物しました。 こちらは7月7日にリニューアルオープンされたばかりのKDDIのショールームで、auブランドの最新の携帯電話が展示されている。

こちらには、ラジオの収録スペースがあるけど、4月26日には、吉澤ひとみ、新垣里沙、道重さゆみ各女史が出てきたラジオの収録が行われていた。 前述の友人もそれを見に行っていた。

渋谷駅では、5050系の5159Fによる東急東横線80周年記念号を撮影しました。 こちらは渋谷19時20分発の急行元町・中華街行きで、03運行に入っていた。

この時に林直樹さんと出会いました。

こちらは1927(S2)年8月28日に、渋谷~丸子多摩川(現、多摩川)間が開業してから今年で80周年を迎えるという一環で運転されていた。

前年の1926(T15)年2月14日には、丸子多摩川~神奈川(1950(S25)年まで反町~横浜間にあった駅)間が開業している。

東急東横線の東白楽~横浜間は、2004(H16)年1月31日に地下新線に切り替えられていたので、新太田町駅(東白楽~反町間) 、神奈川駅(反町~横浜間)の遺構が失われてしまった。

新太田町駅は、1946(S21)年6月1日に、並木橋駅(渋谷~代官山間)と同時に廃止されていた。 神奈川駅の廃止は、1950(S25)年4月8日のこと。

並木橋駅の跡は、2012年度に渋谷~代官山間が、地下鉄副都心線に接続する地下新線に切り替えられる予定なので、その遺構も失われることになる。

1936(S11)年から1940(S15)年までは、東京横浜電鉄(東京急行電鉄の前身)に、キハ1形というガソリンカーが走っていたことがあった。

来年の5月18日には、神奈川~高島(のちの高島町)間が開業してから80年を迎えることになる。

2004(H16)年1月30日に廃止された横浜~桜木町間のうち、高島町~桜木町間は、1932(S7)年3月31日に開業していた。 

東急の桜木町駅の開業当時は、1面1線の単線区間だったけど、1956(S31)年10月1日に複線化され、1面2線となっていた。

大井町線のほうは、7月6日に、大井町~大岡山間が開業してから80周年を迎えていた。 あとは池上線も開業80周年を迎えることになるし。

19時15分発の5154Fで都立大学まで移動。 ここで記念スタンプを押しました。 この周辺のめぐろ区民キャンパスでホタル祭りが行われるはずだったけど、台風の影響により中止となっていた。

あとは横浜地区での花火大会も中止となっていたし。

めぐろ区民キャンパス・めぐろパーシモンホールは、1991(H3)年に南大沢に移転し、閉鎖された東京都立大学の八雲キャンパスの跡地に建設されていた。

隣接する東京都立大学付属高等学校は、昨年より、東京都立桜修館中等教育学校(中高一貫教育)に改編されている。 

東京都立大学付属高等学校は、2010年度に閉校されることが決まっている。

都立大学駅は、1927(S2)年8月28日に開業した当時は、柿の木坂駅と呼ばれていた。

1931(S6)年7月25日には、府立高等前→1932(S8)年3月31日には、府立高等→1943(S18)年12月1日には、都立高校駅となり、1952(S27)年7月1日に、現在の都立大学駅に改称されている。

学芸大学駅と同様に、移転後も現在の駅名が使用されている。

都立大学から自由ヶ丘までは、日比谷線から来た1000系による菊名行きで移動。こちらは1311Fで、元4+4の分割編成(1310+1311F)だった。 現在は1312、1313Fから捻出された中間車に差し替えられ、8両貫通編成となった。 菊名寄りの先頭車がMc車(1311号車)となっていたことで、4+4編成だった頃の名残となっている。

8月23日からは、東急目黒線の日吉乗り入れ工事の進捗により、日吉での折り返しが出来なくなるので、日比谷線直通列車の菊名延長が行われ、日吉駅改良工事中の1988(S63)年8月9日から1991(H3)年11月までの間に戻ることになる。

同時に日吉駅での優等列車の待避も出来なくなるために、元住吉駅での通過待ちに変更されることになる。

日比谷線直通列車のほうは、2012年の副都心線との直通運転開始後の動向が気になります。

日吉駅は、開業当時、橘樹郡日吉村大字矢上に位置していた。

日吉への慶応義塾大学の進出は1934(S9)年のこと。

自由ヶ丘から旗の台までは、8641Fで移動。こちらは言うまでもなく、8640Fと組み、田園都市線で走っていた編成である。

旗の台駅は、5月27日から上り(大井町方面)のホームが移設され、6番ホームとなっている。

旗の台駅では、池上線で唯一の貫通先頭車の編成である1013Fを見ることが出来ました。こちらは2000(H12)年に日比谷線直通運用から追われた後、池上線、東急多摩川線系統に転用され、当初は先頭部分が揃っていなかった。 従来の先頭車である1313号車と、貫通形先頭車の1312号車での交換が行われていたために、先頭部分が揃えられていた。

旗の台から五反田までは、1019Fに乗車。 こちらは先頭車が1993(H5)年に先頭車が、1991(H3)年に中間車が新製されていた。

池上線の1000系のうち、1014~1018Fの5編成は、1991(H3)年に4両編成として導入され、最後まで残った7000系の置き換え用として目蒲線(現在の目黒線、東急多摩川線)で走っていた。 1993(H5)年には、3両化の上で池上線に転属され、捻出された中間車は、先頭車のみ新造された1019~1023Fの中間に組み込まれていた。 同時に池上線の7200系の一部が目蒲線に転属。 

 
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by hy_sengen-sin | 2007-07-31 11:32 | 鉄道乗車記

埼玉サークル

あの後は、仕事が休みだったので、北浦和(メイン会場)で行われた埼玉サークルに参加しました。

池袋から赤羽までは205系のハエ32編成(クハ205-54F)で移動。こちらは元山手線の車両で、6ドア車が連結されていない。

赤羽から北浦和までは京浜東北線のウラ59編成(クハ209-60F)で移動。こちらは運行番号表示がLED化されていました。
209系は今年秋からE233系に順次置き換えられる予定なので、現在の209系オンリーの状態もあと僅かである。

埼玉サークルでは、副都心線の車両や懐かしのおおよど号、583系はと号などのスライドやデジカメ画像の披露などが行われていました。東京メトロ7000系のうち、1987(S62)年の和光市開業の時に導入された7127Fは、8両編成化され、10000系と同じ帯の色となっていた。これに伴い、中間車2両の7727,7827号車が廃車となっていた。8両編成も設定されるのは、東急東横線との直通運転との絡みもあると思われます。これにより来年6月の開業まで乗ることが出来ないということになる。7103,7130Fも10000系と同じ帯塗装となったけど、7130Fも8両編成化されている。あとは6000系(後期)や8000系の更新車と同様に客用ドアの窓が拡大され、05系もどきの側面スタイルとなっていた。

筆者も、土・日きっぷによる遠征がテーマのデジカメ画像も披露しました。

帰りは、ウラ53編成(クハ209-54F)で赤羽へ。森敏英さんとは南浦和まで一緒だった。森敏英さんももちろんデジカメ画像を披露していた。
赤羽から池袋までは埼京線のハエ2編成(クハ205-90F)に乗車。こちらはハエ1編成と同様に未だに6ドア車が組み込まれず、幕式のT車がしぶとく残っている状態である。これらのT車4両(サハ205146~149号車)は廃車予定となっており、用途が未定となっているので。

池袋から目白までは山手線で移動し、ここから帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2007-07-31 11:16 | 鉄道友の会イベント

ロマンスカー旧塗装

7月10日は、小田急ロマンスカーの旧塗装7000形LSE車(7004F)によるはこね35号で町田まで行きました。この時に乗ったのは3号車。この時にコーヒーを頼んだけど、50000形のVSEとは異なり、オレンジ色の紙コップ(ロマンスカーカフェのロゴ入り)で出てきていました。

ルート 目白~新宿~町田~新宿~赤羽~北浦和~赤羽~池袋~目白

車内はリニューアル車と同じだけど、外観のみ旧塗装に復元されていたということでロマンスカーらしいロマンスカーとなっていました。

7月6日に運転されたLSE旧塗装特別記念号は400名募集のところ、平日にも関わらず応募が殺到していた。

筆者は乗らなかったけど、この記念号の車内では、かつて日東紅茶の担当便で発売されていたクールケーキや森永のプリンが振る舞われていた。 この時に、ORSの旧ユニホームのほか、森永や日東紅茶のユニホームも披露されていたし。あとはかつての走る喫茶室も再現されていたし。

今回乗ったはこね35号は、普段のロマンスカーと同じような状態でした。

記念号のみピーポー音(補助警報音)の披露が行われたけど、定期列車では行われていない。

この時の運用は、さがみ66号→はこね7号→はこね8号→はこね21号→はこね22号→はこね35号→はこね36号→ホームウェイ91号で、N33運用となっていた。

さがみ66号は町田発新宿行き、ホームウェイ91号は新宿発藤沢行き。

町田に到着した後、撮影し、反対側のホームで、50000形VSEによるはこね28号を見ました。 こちらは町田駅到着、発車の時もピーポー音を鳴らしていた。

あの後小田急百貨店の改札から出て、7月31日に百貨店としての営業を終える東急百貨店の町田店に行きました。

こちらは、7月31日に百貨店としての営業を終えた後、改装され、10月5日に、既存の、「TOKYU まちだand YOU」と合わせた2館から成るショッピングセンターとして再オープンする予定となっている。

東急百貨店のまちだ店は、1980(S55)年10月に開店していた。開店当初は、㈱東急百貨店の子会社である㈱まちだ東急百貨店によって営業されていた。こちらは1989(H元)年8月に㈱東急百貨店に吸収合併されていた。

専門店ビルの「TOKYU まちだand you」のある場所は、以前「まちだ東急スポーツ館」という別館があった。 閉店後に改築され、専門店ビルが新設されていた。

現在の百貨店ビルの屋上には、「スターホール」というプラネタリウムがあるけど、こちらも専門店ビルになった後も残ることになっている。

町田の東急百貨店の専門店ビル化は、東急グループリテール事業リファインプランに基づて行われることになって

この本館と新館の連絡通路が5階にあるのは、この前に多摩都市モノレールの町田駅が出来る計画があるからである。現在のところ、町田まで延長される予定はない。

町田の長崎屋には、2001(H13)年にハロー!プロジェットオフィシャルショップ(ハロショ)が臨時に出回っていたことがあった。

町田から新宿までは、JR東海371系によるワイドビューあさぎり6号で移動しました。 この時に乗ったのは5号車で、3月17日まで喫煙車だった。 JR東海の車両で運転されるあさぎり3、7、2、6号の車内販売は、JR東海の系列であるジェイアール東海パッセンジャーズによって行われていた。 ここでもコーヒーを頼んだけど、ジェイアール東海パッセンジャーズのロゴの入った紙コップで出されていたので、JR東海の東海道新幹線を思い出しました。

㈱ジェイアール東海パッセンジャーズは、2002(H14)年10月に、JR東海グループの車内販売会社である㈱パッセンジャーズ・サービス(SPS)と、㈱ジェイダイナー東海が合併して設立されていた。

ワイドビューあさぎりの車内販売は、㈱ジェイダイナー東海から継承されている。

パッセンジャーズ・サービスは、東海道新幹線での車内販売専門だった。

2003(H15)年10月からは、山陽新幹線での車内販売が、JR西日本系列のジェイアール西日本フードサービスネットに全面移管されていた。

㈱トーインは、 ㈱ジェイアール東海パッセンジャーズの飲料部門の関連会社であり、JR東海の駅で売られている静岡茶が有名である。

2003年から2005年まで、鉄道アイドルの「ゆゆ」こと木村裕子女史が名古屋支店に在職していたこともあった。

木村裕子女史の好きな鉄道車両は、JR東海383系のワイドビューしなの号、山形新幹線つばさ号の400系を彼氏扱いしている。

鉄道アイドル(鉄ドル)と言えば、埼玉県出身のホリプロアイドルである豊岡真澄女史も有名である。

豊岡真澄女史は、東京メトロ10000系が好きな車両だと言っていた。

今年7月4日に日テレ系で放映された「新幹線ガール」では、東海道新幹線のパーサーがテーマとなっており、これには元モーニング娘。の吉澤ひとみ女史も出ていた。

この371系に乗ったのは、一昨年9月24日以来で、今回は4度目の乗車となった。

371系が小田急20000形で代行運転される時も、㈱ジェイアール東海パッセンジャーズ(旧ジェイダイナー東海)による車内販売が行われている。

この場合小田急20000形が三島~静岡、浜松間のホームライナーに入ることが無く、373系などで代行運転されることになっている。

7月29日の伊豆急でのイベントには、木村裕子女史が出てくるけど、残念ながら筆者は行くことが出来ない。 この日は、さいたまスーパーアリーナでのハロー!プロジェクトのコンサートに行くので、鎌倉車両センターでのイベントも行くことが出来ないし。

新宿に到着した後、北浦和の埼玉サークルの会場に行きました。

新宿では、485系による特急日光8号を見ることが出来たけど、こちらもJR東海371系と同様にたった1編成しかない虎の子となっている。

485系の場合は、整備等で使えない場合、東武100系スペーシアで代行されるけど、189系の彩野号で運転されることもある。
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by hy_sengen-sin | 2007-07-27 11:51 | 鉄道乗車記
直江津から越後湯沢までは、681系の6両編成による、はくたか21号で移動しました。 この時の編成は、W03編成(クモハ681-504F)で、元サンダーバード編成だった。

このため、681系でも貫通先頭車が前に立っていた。こちらは683系でよく見られる光景だけど、はくたか号の681系では珍しい。

はくたか7、21、2、10号の4往復は、681系または683系8000番台の6両編成で運転されるけど、多客期には、9両編成で運転されることになっている。

今回は指定席で4号車に乗車。

筆者がはくたか号に初めて乗った時は、昨年1月9日で、上越線の一部区間が大雪により運休となっていたので、長岡発着、日本海回りの迂回ルートとなっていた。 今回は、正規のほくほく線経由のルートで乗ったのは初めてとなりました。 

このはくたか21号は、直江津を出た後、十日町、六日町の順に停車。 途中の区間で160Km/h運転を体験することが出来ました。

ほくほく線内での681系の最高速度は、1997(H9)年3月22日の登場当時は140Km/hで、翌年の1998(H10)年12月8日には、150Km/hとなり、2002(H14)年3月23日の改正で、160Km/h運転となったのである。どちらも踏切の無い路線ということで実現したのである。

ミニ新幹線である山形新幹線つばさ号と秋田新幹線こまち号は、在来線区間で160Km/hまで出せる性能があるけど、踏切が多数あるために130Km/hに抑えられている。

681系は、将来のスーパー特急(新幹線規格の狭軌の路線を走る在来線特急)での運用を見据えて設計されていた。

行きにゆめぞら号で停車した駅も、あっという間に通過していきました。

美佐島駅は、右側から確認。こちらも一瞬に通過していました。

越後湯沢に到着した後、E1系によるMaxとき348号で大宮まで行きました。 この時の編成はE1系のラストナンバーであるM6編成。

E1系は、1994(H6)年7月15日にデビュー。当時は2編成配置で、東北・上越新幹線で1
本ずつ使われていた。 翌年の1995(H7)年には6編成出揃っていた。やはり12両固定編成で使い勝手が良くないことや、騒音問題があるために、6編成で製造が打ち切られ、フレキシブルな運用が可能な後継車のE4系にシフトされていた。

1999(H11)年12月4日に、E4系の導入により、東北新幹線から撤退し、上越新幹線専用となった。 

2003(H15)年から2006(H18)年に掛けてリニューアル化され、同時に朱鷺をイメージした塗装に変更されていた。

筆者が乗ったのは、8号車の2階の23Aの座席で、車椅子対応の1人掛けの座席となっていた。 この座席は、車椅子利用者優先となっているけど、筆者の場合は隣の人のことを気にすることがないので気に入っています。 筆者の体格では、夜行高速バスにあるような1人掛けシートが向いているので。座席の指定でたまたまここに当たっていた。

このMaxとき348号も、越後湯沢から大宮までノンストップとなっていました。

帰りは越後湯沢を出た後、いきなり大清水トンネルに入っていた。

8号車には、売店もありました。

E1系は、騒音が他の車両よりも大きいということで、トンネルの多い上越新幹線に集中配置されていたのである。 あとは、越後湯沢~新潟間は12両ということが最大となっているし。

こちらは、1996年に登場したフランスのTGVの全車2階建車両の高速列車「TGV-Duplex(デュプレ)」の登場のきっかけとなった列車となっている。

TGV-Duplexは、512名収容で、320Km/h運転対応となっている。

E1系の自動販売機は、飲み物のほか、お弁当やおつまみも売っているということで驚きです。

大宮に到着した後、在来線の4番線に行き、喜多方発上野行きの特急あいづ号を撮影しました。 昨年9月18日に大宮から上野まで乗っているので、今回乗車を見送ったのである。

この時は指定席の枠が1枠余っていたので、指定を受けた後に乗ることも可能だった。

その代わりに、大宮から東京までは、八戸・秋田発東京行きの臨時はやて・こまち88号に乗りました。 この時の編成ははやて号がJ12編成、こまち号がR10編成で、筆者はR10編成側の12号車に乗車。 この12号車は、こまち号に自由席があった頃から指定席車両となっている。 

はやて・こまち号は、2002(H14)年12月1日から、仙台発着のはやて95、98号を除いて全車指定席化されていたので、自由席復活を望む声も高まっている。こまち号は、仙台発着のこまち95、98号を含めて全列車指定席となっているし。

途中旧塗装に復元された200系のK47編成によるやまびこ223号(仙台行き)とすれ違った時に、撮影出来なかったことで残念に思いました。 

200系のK47編成は、1999(H11)年3月29日にリニューアル化された車両(リニューアル第一号)で、昨年1月9日に越後湯沢から大宮まで乗った時と同じ編成である。

こちらは、小田急ロマンスカーのLSEこと7000形の7004Fみたく、塗装のみ旧塗装で、内装はリニューアル車と同じである。

200系のK編成の東北新幹線での定期運用は、やまびこ209、223、291、208、214、220号、なすの255、259、261、267、275、268、274、278、280号となっている。

こちらはJRの大型時刻表の編成表で、9号車(グリーン車)および10号車に車椅子の表示の無い編成で見分けることが出来る。

東北新幹線でのE2系の10両編成による定期運用はやまびこ号のみで、なすの号では見られない。 なすの号のほうは、E2系+E3系の編成(こまちタイプ車両連結の16両)も盛んに見られている。

これに乗ったことにより、今回の土・日きっぷ遠征で、200系を除いたJR東日本の新幹線の全形式に乗ったことになった。 200系のほうは、今年1月7日に乗っているので、今年になってからJR東日本の新幹線の全形式に乗ったことになったし。

この時にJR東海の東海道新幹線では、小田原駅で人身事故が発生していたので、不通となっていた。

上野駅では、下りの待避線(19番線)に、E1系のM6編成が止まっていました。

東京駅に到着した後、200系のリニューアル編成によるなすの275号(那須塩原行き)を見ることが出来ました。 これがK47編成だったら撮影出来ていたところだった。

在来線ホームでは、東京発出雲市、高松行きのサンライズエクスプレスこと285系を見ました。 編成は、前の7両がサンライズ瀬戸・高松行き、後ろの7両がサンライズ出雲・出雲市行きで、この日は前者がI5編成(クハネ285-3003F)、後者がI4編成(クハネ285-3001F)で、どちらもJR東海保有の編成である。

JR西日本保有のI1~I3編成(285系0番台)は、出雲鉄道部出雲車両支部(米イモ)所属。

JR東海保有のI4、I5編成(285系3000番台)は、大垣車両区所属だけど、交検などの検査は、JR西日本の出雲鉄道部に委託されている。運用はどちらも共通。

こちらは、はくたか用の681系または683系のJR西日本所属車と北越急行所属車の違いにも似ている。

サンライズ瀬戸号は、高松発着となっているけど、多客期には、松山まで延長運転されている。

あとは多客期に、予備編成を生かして東京~広島間のサンライズゆめ号も運転されることもあるし。

この後は、新宿まで201系のH1編成(クハ201-1F)、新宿から目白までは山手線で帰りました。

長くなりましたけど、今回の土・日きっぷの遠征レポートを終わらせていただきます。
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by hy_sengen-sin | 2007-07-24 15:37 | 鉄道乗車記
十日町駅では西口から出て、地下通路を通り、以前からあるJR側の東口まで出ました。十日町市は、2月になれば十日町雪祭りが行われることになる。飯山線のホームにはキハ110-225号車が留置されていました。

十日町市ではへぎそばが有名でそばのつなぎには布海苔が使われている。
あとは、十日町絣という絹織物の産地としても有名だし。

ほくほく線の列車は越後湯沢(一部のみ)、直江津(全列車)まで直通運転が行われるけど、石打、大沢、上越国際スキー場前、黒井駅は全列車通過となる。一部は塩沢にも停車。

ほくほく線では快速が2往復運転されるけど、途中魚沼丘陵、美佐島、しんざ、大池いこいの森駅は通過となる。

ほくほく線は、計画当初は北越北線と呼ばれていたので、ほくほく線の由来であることが分かります。親しみを込めて平仮名のほくほく線となったと思われるし。ほくほくというとほくほくのじゃがいもみたいなイメージがある。

ほくほく線に沿っている国道253号線は、ほくほく街道と呼ばれている。

十日町から直江津まで、HK-100型の100番台によるシアタートレインであるゆめぞら号で移動しました。この時にHK100-3号車+7号車による越後湯沢行きと交換。前者は緑色、後者はオレンジ色のラッピングとなっていた。十日町駅には通過線があり、ここを金沢発越後湯沢行きのはくたか17号が通過していきました。この時の編成は、前の3両がJR西日本所属の681系(ホワイトウィング)、後ろの6両が北越急行所属の681系(スノーラビット)という混結編成となっていました。ラビット(うさぎ)ということでモーニング娘。の道重さゆみ女史によるうさちゃんピースを思い出しました。北越急行のローカル電車にもほっくんといううさぎのキャラクターが描かれているし。

ほくほく線のローカル電車にはトイレが付いていないので十日町での長時間停車で、トイレ休憩が可能となっていた。

ゆめぞら号の編成は、HK100-101号車+102号車による2両固定編成で、2003(H15)年に導入されていた。こちらは伊豆急行のリゾート21のロイヤルボックスみたく、トンネルに入ると花火、海中、天空、星空がテーマの音と光による映像が上映されることになっており、特別料金無しで乗れるのが嬉しいです。六日町寄りの101号車は全体に映し出される迫力映像、犀潟寄りの102号車はブラックライトによるイルミネーションによる映像となっている。座席は転換クロスシートとなっているけど、車端部にロングシートの座席がある。静かに乗ってたいならロングシートをご利用下さいという案内もあった。

ゆめぞら号の時刻は、越後湯沢 11時42分(快速)、16時46分発。直江津 9時17分発、14時19分発。前後運用の六日町7時40分発、直江津18時33分発の列車は、シアター上映が行われない。こちらは土曜・休日ならびに8月11日から19日までの毎日運転で、7月は花火編、8月は海中編、9月は星座編となる。海中編は新江ノ島水族館による協力映像。

今回は花火編が上映されていました。

上映区間は、魚沼丘陵~美佐島~しんざ間の赤倉トンネル、十日町~まつだい間の薬師峠トンネル、まつだい~ほくほく大島間の鍋立山トンネル、ほくほく大島~虫川大杉間の深沢・霧ヶ岳トンネル、うらがわら~大池いこいの森間の第一・第二飯室トンネルとなっている。

十日町~まつだい間には、薬師峠信号所が、まつだい~ほくほく大島間には、儀明信号場(鍋立山トンネル内)がある。

ほくほく線では、10月31日まで、1000円でほくほく線(六日町~犀潟間)の普通・快速列車に乗り放題というほくほくフリーパスが発売されているけど、これで特急はくたか号に乗ることが出来ない。
十日町駅を出た後、トンネルに入り、花火の映像が流れました。この時には日本最大の信濃川を渡りました。飯山線では、信濃川の景色を楽しむことが出来る。
次のまつだい駅は、十日町市松代にある駅で、2005(H17)年4月1日に十日町市と合併される前は、東頸城郡松代町と呼ばれていた。同時に中魚沼郡川西町、中里村、東頸城郡松之山町も十日町市と合併していたし。

十日町市自体は、1954(S29)年3月31日に、中魚沼郡十日町、中条村、川治村、六箇村が合併して誕生していた。 同年12月1日に吉田村が、1955(S30)年2月1日に下条村が、1962(S37)年4月1日に水沢村がそれぞれ編入されていた。

まつだい駅は、長野電鉄屋代線の松代駅と区別することや親しみが込められた駅名とするために、しんざ駅と同様に平仮名の駅名となった。
ここには、北口に道の駅まつだいふるさと会館が併設されており、ほくほく線発祥の地の碑、ほくほく線の線路敷設に使用されたモーターカー、ほくほく線建設に関する資料等が展示されている。
ここからバスで松之山温泉に行くことも出来る。

南口には、まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」に直結している。

ここを出た後は上越市に入り、ほくほく大島へ。ここは以前大島村と呼ばれていた。現在は上越市大島区。

上越市は、1971(S46)年4月に高田市と直江津市の合併により誕生。2005(H17)年1月には、安塚町、牧村、大島村、浦川原村、柿崎町、大潟町、頸城村、吉川町、中郷村、板倉町、清里村、三和村、名立町と合併し、上越市の行政区となったのである。

虫川大杉では、六日町方面の列車と交換していました。

うらがわら駅付近には、1971(S46)年まで存在していた頸城鉄道線の浦川原駅跡(浦川原バスターミナル)がある。
頸城鉄道線は、新黒井と浦川原を結んでいた軽便鉄道で、1968(S43)年10月に新黒井~百間町、飯室~浦川原間が、1971(S46)年5月に百間町~飯室間がそれぞれ廃止されていた。現在はルートが異なるものの、浦川原地区が再び鉄道で結ばれるようになった。

ここを出た後、最後のトンネル区間に入り、大池いこいの森駅へ。この後くびき駅に停車し、犀潟へ。
犀潟からJR線に入ったけど、この時に大阪発札幌行き(日本海ルート)の豪華寝台列車のトワイライトエクスプレス、和倉温泉(金沢)発越後湯沢行きの特急はくたか19号(どちらも北越急行所属の赤い681系)とすれ違いました。トワイライトエクスプレスのほうは、7月16日に発生した新潟中越沖地震の影響で運休となっている。

この地震で柏崎市などで大きな被害を受けていた。これにより信越線の犀潟~宮内間、越後線の柏崎~吉田間が運休となっている。

被害に遭われた皆様へのお見舞いを申し上げます。あとは、亡くなられた方々へのご冥福をお祈り致します。

直江津駅に到着。ここで新潟色や長野色の115系、北陸本線の475系(クハ471-2F)などを見ることが出来ました。

新潟の115系は、S1編成(クモハ115-1060Fによる2両編成)で、トイレが後から取り付けられていた為に和式の真空式となっていた。

この編成は震災当日に越後線で運用中に柏崎駅構内で脱線事故に遭ってしまったのである。

長野色の115系は、N2編成(クモハ115-1084F)+N33(クモハ115-1521F)編成を確認したけど、中央線の甲府より先の普通列車を思い出しました。

この時にはくたか18号を見ることが出来たけど、前の6両は北越急行の683系8000番台、後ろの3両は同681系2000番台となっていました。

直江津駅の橋上駅舎は、豪華客船飛鳥をイメージしたものとなっていました。

あとはJR東日本の485系による北越7号(金沢発新潟行き)や、快速くびき野4号(新潟発新井行き)も見ることが出来たけど、前者の北越号はいなほ号と共通のT15編成(クハ481-1007F、非リニューアル車)が、後者の快速くびき野号は、T17編成(クハ481-332F)が使われていました。やはり7月16日に発生した新潟中越沖地震の影響によりどちらも運休となっている。

直江津~金沢間は、2014年度中に北陸新幹線の長野~金沢間が開業した暁に、第三セクターに移管されることが決まっている。

(10へ続く)
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by hy_sengen-sin | 2007-07-21 13:15 | 鉄道乗車記

土・日きっぷの旅8(新潟)

大宮から越後湯沢まではE4系の8両編成によるMaxとき329号で移動しました。こちらは大宮を出た後、越後湯沢までノンストップでした。越後湯沢を出た後、新潟まで各駅に停車。今回乗った編成はE4系のP7編成で、デッキに立って過ごしました。

あとは、10月14日開館予定の新生鉄道博物館が見えたけど、新幹線を眺めることの出来るスペースが出来るのでお子様連れにも嬉しいと思います。

上越新幹線では、東京と新潟の間がノンストップ(始発駅から終点までノンストップ)の列車が1往復あるけど、こちらは東京9時12分発のMaxとき313号と新潟8時59分発のMaxとき314号で、どちらもE4系の8両編成が使用されている。

東北・秋田新幹線のはやて・こまち2号は、東北新幹線で唯一仙台を出た後、東京までノンストップとなっているのでこちらも大宮通過列車となっている。

現在はこれらの3本以外は全て大宮に停車している。

以前は、長野新幹線で東京と長野の間がノンストップのあさま号もあった。現在は長野新幹線の全列車が大宮に停車するようになったことで解消されている。

上野駅は、東北・上越新幹線の約9割が停車。

以前は上野発着の臨時列車が多数を占めていたけど、現在は少なくなっている。 

東京駅の東北・上越新幹線の20、21番ホームは、1997(H9)年10月1日の長野新幹線開業の時に増設されていたけど、当初は上越・長野新幹線専用で、12両分しか入ることが出来なかった。のちに、16両分対応まで延長され、一昨年12月10日のダイヤ改正で方向には関係なく全てのホームが使用されるようになった。

2003(H15)年10月1日に開業した東海道新幹線の品川駅は、東北・上越新幹線の上野駅と同じような役目を果たしている。
本庄早稲田駅を通過した時、2004(H16)年3月13日の初日に行った時を思い出しました。
こちらはその名の通り、早稲田大学の本庄キャンパスの最寄り駅となっており、バスで本庄のほか、群馬県の伊勢崎市まで行くことが出来る。
一昨年12月の改正で定期のたにがわ・Maxたにがわ号の全列車が停車するようになった。

ここを出た後、群馬県に入り、高崎駅を通過しました。この時に、E4系の8両編成によるMaxとき330号とすれ違いました。高崎を出た後、長野新幹線との分岐点を通過、ここから榛名・中山の両トンネルに入った後に上毛高原駅を通過。榛名トンネルと中山トンネルの中間は、吾妻線との交差区間で、トンネルの狭間の僅かな明かり区間となっている。上州の山並みの景色を眺めることの出来る区間が少ない。

中山トンネルでは、建設中に異常出水事故があったことで有名で、その影響により、上越新幹線の開業が、1982(S57)年11月まで延期されていたのである。

東北新幹線は、1982(S57)年6月23日に大宮~盛岡間で先行開業していた。

上毛高原を通過した後、上越新幹線で最も長い大清水トンネル(全長22221m)を通過しました。こちらは開業当時世界で最も長い鉄道トンネルだった。

上毛高原駅前には、蒸気機関車のD51-745号機が保存されている。 

上越新幹線の最高速度は、以前速達列車の一部で275Km/h運転が行われていたけど、現在は大宮~越後湯沢間が240Km/h、越後湯沢~新潟間が210Km/hとなっている。

1990(H2)年3月10日から下り列車のあさひ号の一部で200系のF90番台の編成で275Km/h運転が行われていたことがあった。 

上越新幹線では、1998(H10)年12月から2004(H16)年3月までは、高崎~新潟間にもE2系が使用されていたことがあった。やはり東北新幹線での275Km/hでの運用が優先となることや、新幹線の線区別に使用車両を統一する方針であるため、E2系が高崎~新潟間の運用から撤退したのである。 E2系でも、上越新幹線内での275Km/h運転が行われず、240Km/hに抑えられていた。

こちらは一時的に長野新幹線用のE2系のN編成(8両編成)が上越新幹線の高崎~新潟間にも使用されていたこともあった。

200系新幹線では、今年4月に最後まで残っていたオリジナル編成であるF19編成が廃車となっていたけど、鉄道博物館での保存車両がK31編成の先頭車に変更されていたために、全て新幹線総合車両センターで解体されていた。

2004(H16)年10月23日に発生した新潟県中越地震で被災した200系のK25編成は、一部が福島県白河市の総合研修センター内で保存されている。

200系のK編成は、一時期ディズニーのラッピングがあったけど、オリジナルのK編成の一部にも施されていた。

大清水といえば、昨年9月まで、大清水ブランドの商品として売られていた。 昨年10月には、㈱JR東日本ウォータービジネスという別会社に移管されていた。 今年になってからは、『「From AQUA」~谷川連峰の天然水~』というミネラルウォーターが発売されるようになり、名称は異なるものの、大清水製品が復活したことになった。

大清水トンネルが貫通したのは、1979(S54)年のこと。

現在東北新幹線で一番長いトンネルは、建設中の七戸~新青森間の八甲田トンネルで、全長26445mと世界最長の陸上トンネルとなっている。こちらは2005(H17)年2月27日に貫通。 営業中のトンネルでは、いわて沼宮内~二戸間にある岩手一戸トンネル(25808m)となっている。

この大清水トンネルを抜けた後、新潟県に入り、越後湯沢駅に到着しました。 この隣りには、E4系によるMaxたにがわ号を見ることが出来ました。

E4系は、1997(H9)年12月20日に8両編成3本から登場。 当時は東北新幹線東京~盛岡間のの8+8の16両編成で営業運転開始。 1999(H11)年4月29日から、山形新幹線のつばさ号(400系)との併結運転にも導入され、8両単独運用も新設されていた。 2001(H13)年5月7日には、上越新幹線にも導入、東京~高崎、越後湯沢間でも8+8の16両編成にも導入されていた。

上越新幹線の越後湯沢~新潟間は、16両分の有効長があるはずだけど、現在は12両編成までの乗り入れとなっている。

E4系の8両編成の定員は800人台(817名と、横浜BLITZの座席モード並の定員となっている。 7月1日に横浜BLITZで行われたBerryz工房のイベントで、惜しくも落選してしまった。

Maxとき329号の指定券が取れなかったのもそのためであった。

越後湯沢から十日町までは、特急はくたか16号(金沢行き)で移動しました。 はくたか号の9両編成のうち、自由席は、6、7号車で、6号車は喫煙可能な車両となっていました。

JR東日本の新幹線を含めた特急は、3月18日に全面禁煙化されていたけど、JR東日本管内に乗り入れるはくたか号、ワイドビューしなの号等には喫煙席が残されている。

筆者は7号車(W14編成側)に乗っていました。

この時の編成は、JR西日本・金沢総合車両所所属の681系のW04+W14編成の組み合わせで、どちらも大阪~金沢、富山間のサンダーバード号で使用されていた編成だった。こちらは2002(H14)年のJR西日本所属車の681系化によって、サンダーバードの683系の導入に伴う玉突きとしてはくたか号対応工事が行われて転用されていた。 

それ以前は、前身のかがやき号から継承された485系の8両編成も使用されていた。

やはりはくたか号では、単線トンネル区間での耳ツン対策が行われており、はくたか用の編成には、WHITE WINGのロゴが入っている。

はくたか用のW編成では、臨時サンダーバードでの運用に入ることもある。
 
はくたか号のうち、福井行きまたは和倉温泉行きも設定されているけど、和倉温泉への乗り入れは、付属の3両のみとなっている。

はくたか号では、JR西日本所属の681系(はくたか仕様)、北越急行所属の681系2000番台または683系8000番台が使用されているけど、臨時列車では、JR西日本所属の489系(急行能登用の車両)も使われることもある。 この場合はほくほく線内130Km/hに抑えられることになる。

こちらは十日町までノンストップ運転となっていた。

大沢駅を通過した時は、1日で2つの大沢駅を通過したんだな!と思いました。 ほくほく線の本社・車両基地のある六日町駅を通過した後、ほくほく線に入りました。

六日町駅のある南魚沼市は、震災後の2004(H16)年11月1日に、南魚沼郡内のうちの六日町と大和町の2町が合併して誕生していた。

ほくほく線に入ってからは、関越道をまたぎ、魚沼丘陵駅へ。ここを通過した後、ほくほく線で最も長いトンネルである赤倉トンネルに入りました。

ここには、赤倉トンネル信号所と美佐島駅がある。

美佐島駅は、赤倉トンネルの中にある駅で、列車通過時には、風圧で危険であるため、列車が来る時間までホーム立ち入ることが出来ない。 

美佐島駅では、下車後、ホームから2分以内に出る必要があり、ホームに残っていると案内放送で注意されるのはそのためである。 

ホームは、犀潟方面は左側、六日町方面は右側にあるため、特急から通過の瞬間を見るときは、注意して見ていないと見逃す恐れがある。 

この時に通過の瞬間を見ることが出来たけど、明かりが灯っていたことで分かりました。
ホーム上には当然人が居なかったです。

筆者がほくほく線に乗ったのは、1999(H11)年5月9日に立山・黒部アルペンルートに行った時に帰りに友人のT.M氏と乗った時以来で、当時は普通列車に乗っていったために、美佐島駅を見ることが出来たのである。 同じ日にはトンネル内にある筒石駅も通ったし。

筒石駅もはくたか号が通過する駅となっている。

1999(H11)年5月9日は、SPEEDファンの時代で、モーニング娘。のファンをやる前だった。

このトンネルを抜けた後、しんざ駅を通過。 この周辺の地名は新座となっているけど、埼玉県新座市の新座駅と区別することや、利用者や地域住民に親しみやすい駅名ということで平仮名の「しんざ」の駅名となったのである。

十日町駅に到着。 ここで、HK100-1号車による試運転列車を見ることが出来たけど、10周年記念としてピンク色の装飾がありました。

十日町駅は、JR飯山線への乗り換え駅で、ほくほく線が開業した時には、前からある東口の駅舎(JR管理)に加え、西口の駅舎(北越急行管理)も新設されていた。

筆者は1994(H6)年2月に十日町駅に降り立っていたことがあったけど、当時はほくほく線が工事中だった。当時は飯山線でキハ58形車両などが使用されていた時だった。

(9へつづく)
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by hy_sengen-sin | 2007-07-20 14:25 | 鉄道車両・路線
フルーツライン左沢線のキハ101形DCは、青い塗装でFRUIT LINERのロゴが入っている。 座席はロングシートでトイレが付いていないので、以前走っていたキハ40形DCから踏襲されている。

1999(H11)年11月までは、新庄運転区(仙シウ)に所属していたけど、奥羽線(山形~新庄間)の標準軌化により、山形電車区(現、山形車両センター)に転属していた。2004(H16)年4月1日の区所名変更までは「電車区に気動車が所属」という珍しい現象が起きていた。

山形車両センターは、標準軌専用であるため、左沢線の車両は、山形駅構内に留置されることになる。

それに対して秋田車両センター(旧南秋田運転所)は、標準軌と狭軌兼用となっている。

山形駅は、旧山形城三の丸内にあり、中心街から離れている。 その北西部には、霞城公園(山形城址公園)があり、桜の名称となる。 山形城は、別名霞城(かじょう)と呼ばれ、最上氏の居城でもあった。 こちらは、秋田の千秋公園(久保田城の跡)に似ている。

因みに秋田の久保田城は、久保田藩主佐竹氏の居城であった。

同じ秋田市内にあった秋田城の跡は、別の場所にある。

霞城公園の中には、山形市郷土館、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などがある。

山形駅の橋上駅舎は、1992(H4)年7月1日の山形新幹線の開業の時から使用されている。 その10年後の2002(H14)年12月19日には、東口部分に ペデストリアンデッキが新設されたことにより、駅前通りまで横断歩道を渡らずに行くことが出来るようになった。

山形駅は、2002(H14)年に、東北の駅百選に認定されている。

仙台と山形を結ぶ高速バスは、山形駅から離れた山交ビルバスターミナルから発着しており、駅前は経由しないことになっている。 山形と仙台空港を結ぶ空港バスは、山形駅を経由するけど。

運行経路は、県庁市役所~仙台駅前~広瀬通一番町~ (仙台西道路) ~(仙台宮城IC) ~ (東北自動車道)~ (村田JCT)~ (山形自動車道) ~(山形蔵王IC) ~山形県庁前~南高校前~山形センタービル前(山形発のみ)~山交ビルバスターミナル

運行会社は宮城交通、山交バスの2社。 2004(H16)年2月から11月まで、冨士交通担当便も運行されていた。

運賃は900円で所要時間は、平常時で約1時間となっている。

西口にある霞城セントラルは、24階建てのビルで、山形県で1番高いビルとなっており、24階の無料展望ロビーもある。ここにはワシントンホテルも入っている。

山形駅の東側では、8月5日から7日まで、東北四大祭りである「花笠まつり」が行われることになる。

東北四大祭りとは、仙台七夕祭り(宮城県仙台市)、青森ねぶた祭(青森県青森市)、竿灯祭(秋田県秋田市)、 「花笠まつり」となっている。

今年は、仙台七夕祭りは、8月6日から8日、青森ねぶた祭りは、8月2日から7日、秋田竿灯祭りは、8月3日から6日に掛けて行われることになる。

あとは、岩手県盛岡市の盛岡さんさ踊り、福島県郡山市の郡山うねめまつりも有名な東北の夏祭りである。

あの後、米沢まで停車しないつばさ114号を見送った後、701系5500番台による普通列車米沢行きで移動しました。 この時に乗った編成はZ4編成(クモハ701-5504F)でワンマン運転が行われていた。

山形線(福島~山形~新庄間)の普通列車は、標準軌仕様の車両で、719系5000番台または701系5500番台が使用されている。

719系5000番台は、1991(H3)年11月5日に山形新幹線よりも一足早く営業運転入りしていた。福島~山形間の標準軌化は、この時に完成していた。12編成在籍で、1995(H7)年12月からはY1~6編成がワンマン運転対応となっている。

1999(H11)年12月4日の新庄への延長の時には、701系5500番台が9編成導入されていた。

2001(H13)年にはどちらもパンタグラフがシングルアーム化されていた。

福島~米沢間では、719系5000番台に限定運用されている。 

701系5500番台にも板谷峠対策のディスクブレーキや砂撒き装置を搭載されているはずだけど、現時点では乗り入れがなく、米沢以北に限定運用されている。

標準軌に改軌された田沢湖線では、701系5000番台が使用されているけど、パンタグラフは登場当時からシングルアーム式となっている。こちらは秋田車両センターへの出入庫のために秋田新幹線の大曲~秋田間を走ることもある。

山形駅の1番線では、1990(H2)年に製造された400系の試作車(L1編成)を見ることが出来ました。 速度試験では1990年に336km/h、1991年には345km/hを記録していた。試作車の側面の表示は、登場当時はLED式(現在とは異なっている)で異彩を放っていたけど、2003(H15)年に量産車と同じ幕式に交換されていたために、外観で見分けることが困難となった。新塗装とLED表示の組み合わせのほうは見られていたけど。

400系は、12編成在籍しており、全てが山形ジェイアール直行特急保有㈱からのリース車両となっている。

来年暮れから再来年夏に掛けてE3系ベースの新型車両に置き換えられることになっているけど、こちらは、大型フルカラーLED表示、空気洗浄機、防犯カメラ、電源コンセント等の設置、アクティブサスペンションの採用等で大きく変わることになっている。

L1編成のほうは、新型車両の導入を待たずに廃車となる可能性が高い。 同時期に登場した東海道新幹線の300系の試作車であるJ1編成は、N700系の導入を待たずに先行廃車となっていたので。

既存のE3系1000番台のほうは残ることになるけど、小改良されることが予想されています。 こちらはJR東日本による保有となっている。 あとは新型車両もJR東日本の保有となる予定となっているし。

一昨年にE3系1000番台のL53編成が導入されていたのは、つばさ号の増発用のほか、400系のデジタルATC装置の取り付け用の予備車を兼ねていた。

秋田新幹線用のE3系の増備は、こまちの増発用のほか、200系のH編成(16両固定編成、2階建て車両連結)の置き換え用としても導入されていた。

東北新幹線で、E2系+E3系によるはやて・こまち号の間合い運用があるけど、あれは200系の16両固定編成の代替えもある。E3系なら臨時のこまち号にも使えるのでフレキシブルな(柔軟性のある)運用に対応している。

16両固定編成では、東北新幹線でしか使用出来ず、輸送力過剰となるという問題が発生していた。おまけに240Km/hまでしか出せなかったし。

200系のH編成は6編成あったけど、そのうちの2編成H4、5編成は、晩年モノクラスの12両編成の臨時列車に使用されていた。

200系H編成からE2系+E3系に置き換えられていたことは、筆者がdream(現DRM)のファン活動の代替えとして、THEポッシボーのファン活動を行っていることになぞられている。

THEポッシボーは、TNX系の活動がメインとなるけど、ハロプロエッグからの派生グループであるため、ハロプロ系の一部となっている。

山形駅を出た後、左手に山形車両センターが見えました。 ここでは400系が止まっていたことを確認したけど、E3系は未確認でした。

E3系1000番台は400系と共通運用であるので、出会える機会が少ない車両となっている。

山形~蔵王間は、以前貨物列車の運用もあったので、3線軌条となっていた。

蔵王駅では、、周辺の日本石油(現、新日本石油)山形油槽所、日本セメント(現、太平洋セメント)蔵王サービスステーション、北日本くみあい飼料山形工場などへ続く専用線が駅から分岐していたことがあり、石油、セメント輸送が行われていたことがあった。

石油輸送は、1998(H10)年7月1日、セメント輸送は、同年9月29日に終了していたので、同時に三線軌条の役目を終えたことになり、箱根登山鉄道の小田原~入生田間と同様の状態となった。

この日本石油(現、新日本石油)山形油槽所は、現在閉鎖されている。

茂吉記念館前駅は、その名の通り、斉藤茂吉記念館が周辺にある。 ここは、斉藤茂吉の生家となっている。

以前は北上ノ山駅と呼ばれていた。

かみのやま温泉駅は、上山温泉のある駅で、上山城(月岡城)跡も周辺にある。

以前は、秩父セメントのセメント貯蔵施設へ続く専用線が、駅から分岐していたけど、改軌前の1991(H3)年9月3日をもって貨物輸送が終了している。当時は上ノ山駅と呼ばれていた。

上山城をモチーフとした駅舎は、1994(H6)年6月25日に改築されていた。 こちらは、2002(H14)年の東北の駅百選に認定されている。

羽前中山駅を出ると、単線区間に入りました。中川~赤湯間の北赤湯信号場で再び複線に入った。 

山形~新庄間は、芦沢~舟形間を除いて全て単線区間となっている。

赤湯駅の東口は、パラグライダーをイメージした駅舎となっている。 周辺には、赤湯温泉や、日本さくら名所100選の一つである烏帽子山公園がある。

あとは、山形鉄道フラワー長井線への乗換駅であり、ここでは、YR-887、882、886号車を見ることが出来ました。

そのうちのYR-886号車にはスウィングガールズのラッピングがありました。こちらは2004(H16)年にその沿線で映画「スウィングガールズ」の撮影が行われていたので。

YR880形気動車のうち、YR882~885号車は1988(S63)年の開業当時から在籍しているセミクロスシートでトイレ付き。YR887、888号車は1990(H2)年に導入されたロングシート、トイレ無しの車両となっている。

こちらは、882号車から順に、さくら(日本)、あやめ(長井市)、べにばな(山形県)、ダリア(川西町)、きく(南陽市)、あずましゃくなげ(米沢市)、ひめさゆり(飯豊町)のイラストが入っている。

2003(H15)年までは、881号車(こぶし(白鷹町)のイラスト入り)も在籍していたけど、編成両数が減少により、余剰廃車となっていた。

山形鉄道フラワー長井線は、1988(S63)年10月25日に、JR東日本の長井線から引き継がれた路線である。

路線、赤湯~南陽市役所~宮内~おりはた~梨郷~西大塚~今泉~時庭~南長井~長井~
あやめ公園~羽前成田~白兎~蚕桑~鮎貝~荒砥

今年10月には、鮎貝~荒砥間に、四季の郷駅が開業する予定となっている。

今泉駅は、JR米坂線への乗り換え駅となっている。

赤湯を出ると、関根まで再び単線区間に入りました。

高畠駅で下車した後、駅構内にある温泉施設である太陽館に入りました。こちらは1992(H4)年10月に改築された時に開設されていた。

ここの温泉は、まぼろば温泉となっている。

こちらは、1900(M33)年4月21日に、 奥羽南線米沢~山形間開通と共に開業した時には、糠ノ目駅(ぬかのめえき)と呼ばれていた。

1991(H3)年3月16日には、現在の高畠駅となった。

1922(T11)年から1974(S49)年までは、山形交通高畠線が糠ノ目~(旧)高畠間で走っていたこともあった。

こちらは、1968(S43)年10月1日に高畠~二井宿間が廃止されたけど、1966(S41)年8月15日から水害によるバス代行運転となっていたことがあった。

廃止されたのは、1974(S49)年11月のことで、11月17日にさよなら運転が行われていた。

1968(S43)年当時の路線 糠ノ目~一本柳~竹ノ森~高畠~東高畠~八幡宮前~蛭沢駅~上駄子町~二井宿

駅前には山形交通高畠線の廃線跡に整備されたまぼろば緑道があり、ここには、旧高畠駅舎、ED1型電気機関車、モハ1形電車が保存されている。

山形交通の鉄道線は、高畠線のほか、三山線、尾花沢線もあった。

三山線は、羽前高松~間沢間を結んでいた路線で、1974(S49)年11月に廃止、尾花沢線は、大石田~ 尾花沢間を結んでいた路線で、1970(S45)年9月に廃止されている。

羽前高松駅は、左沢線への乗り換え駅だった。 

三山線の路線 羽前高松~新田~白岩~上野(うわの)~羽前宮内~石田~睦合~海味~
西海味~間沢

尾花沢線は、大石田~尾花沢間で途中駅が無かった。

山形交通は、1974(S49)年に鉄道事業から撤退し、バス会社となっていたけど、1997(H9)年10月1日にバス事業が山交バスに移管され、ヤマコーとなったのである。

高畠駅に降り立ったのは、2000(H12)年3月5日以来だった。

この温泉浴場は、レジオネラ対策が行われている。

高畠から郡山までは、400系の臨時つばさ84号で移動しました。 この時に乗った編成はL10編成で、2000(H12)年3月4日に山形から新庄まで乗った時と同じ編成である。 こちらは昨年1月にも乗っているけど。

ここで、座ることが出来てよかったです。最初は自由席で座れないかと不安だった。 この時に車内販売で、山形の牛めし弁当を食べました。 こちらは山形県産の牛肉(山形牛)や、お米(どまんなか)が使用されている。こちらは山形駅の森弁当部で売られており、しめじ、やまごぼう、シソ巻き(味噌入り)、さくらんぼが入っていたので、山形の幸を1度に味わうことが出来ました。

やはり駅弁を食べる(酒を飲む)なら、座席に座ったほうがよいと思います。

米沢駅に停車。 ここで米坂線の気動車を見ることが出来ました。 こちらは磐越西線の非電化区間でも使われている。

米沢駅は、小野川温泉、白布温泉、新高湯温泉、大平温泉への最寄り駅となっている。

米沢駅では、米沢牛を使った駅弁が売られていました。 この時には車内販売も行われていた。

米沢駅の駅弁は、松川弁当店と新杵屋から発売されている。

新杵屋の牛丼弁当である「牛肉どまん中」は、デパ地下等で開催の「全国駅弁まつり」の常連駅弁となっている。

米沢駅では、下りのつばさ113号(山形行き)と交換していたけど、こちらは400系のL8編成が使用されていました。

関根駅を出た後、峠越えの区間に入りました。 この時に719系5000番台(Y9編成)による普通列車とすれ違いました。 福島~米沢間の普通列車は、1日6往復と極端に少ない。こちらは719系0番台による2両編成が使用されているけど、ワンマン運転が行われていない。

その他には、福島~庭坂間の区間運転列車もある。 田沢湖線で言えば、盛岡~雫石、赤渕間の区間運転列車に相当している。

この区間にある大沢、峠、板谷駅は、1990(H2)年8月31日までスイッチバック式の駅となっていた。 赤岩駅もスイッチバック式となっていたけど、一足早く、1990(H2)年3月9日に廃止されていた。

現在はスノーシェスターに覆われた駅となっている。

1991(H3)年8月27日に、客車列車が廃止され、標準軌切り替えまでの繋ぎとして719系0番台が使われていたことがあった。

この時にはつばさ115号とすれ違ったけど、こちらも400系でした。

峠越えの時には、新幹線だとは思えないほどの風景が広がっていました。 こちらは、秋田新幹線の雫石~田沢湖間と同じような景色だった。

峠駅では、峠の力餅の手売り風景が見られていることで有名である。 こちらは山形新幹線のつばさ号の車内販売でも買うことが出来るけど、米沢の支店で製造されているので、本店と比べて味や量が異なっている。

板谷駅を出た後は、ハイライトである板谷峠越え。 ここを出た後、山形県から福島県に入りました。 赤岩駅は鉄道でしか行かれない場所にあるので、秘境駅となっている。

庭坂駅からは平坦な区間に入りました。 福島駅から東北新幹線に入ったけど、単独で東京まで行っていました。

つばさ号の東北新幹線内での単独運転は、定期では早朝の101号と、夜間の132号の1往復(東京~新庄間)のみとなっているけど、臨時列車として日中にも見られるようになった。

このため、ホーム上で戸惑う乗客も多い状態である。

E3系1000番台は、275Km/h運転対応となっているけど、東北新幹線内での単独運用に入った時でも、240Km/hに抑えられている。

東北新幹線内でのE3系の単独運用は、定期では、盛岡16時05分発のこまち22号のみとなっている。 こちらは仙台ではやて22号と併結されている。臨時列車でも、東京~仙台間ではE3系こまち編成による単独編成は見られない。

1駅区間だけだったけど、400系の単独による高速走行を体験出来てよかったです。 福島駅では、EH500牽引の貨物列車を見ることが出来ました。阿武隈川の支流である荒川をほぼ同時に渡っていた。

郡山では、時間調整のために数分停車していました。 はやて・こまち80号が運転されていれば、ここで通過待ちが行われてたところだった。400系の置き換えが決定したために、ここで400系を撮影していた人も居た。特に、新幹線ホームでの単独の姿が珍しかったし。

つばさ84号は、郡山を出た後、大宮までノンストップ運転となっていた。

郡山では、タンク車のチェックを行ったけど、この時に矢羽マーク入りのタキ1000-713、744号車などを見ることが出来ました。

713の番号ということで、モーニング娘。の道重さゆみ女史の誕生日の番号に巡り会えてよかったです。 こちらもmixiのネタとしました。このタキ1000-713号車は、日本オイルターミナル所属で川崎貨物駅常備となっている。あとは、タキ1000-715号車(モーニング娘。の久住小春女史の誕生日の番号)もあるけど、こちらも見てみたいと思っています。

磐越西線の719系を見ることが出来ました。 こちらは、455系の赤べぇ塗装とは違って従来塗装となっているので、寂しさを感じました。

郡山から大宮までは、定期のMaxやまびこ+つばさ116号で大宮まで行きました。 こちらも山形始発で高畠にも停車していた。

この時の編成は、L7+P21編成で、筆者は400系のL7編成側に乗車。 

途中宇都宮にも停車。 南栗橋駅付近を通過した時には、東急8500系の青塗装の8637Fを見ることが出来ました。

大宮に到着した後、そのまま帰らずに、E4系によるMaxとき329号で越後湯沢まで行きました。

(8、新潟編へつづく)
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by hy_sengen-sin | 2007-07-18 12:25 | 鉄道車両・路線
2日目(7月8日)のルート

勾当台公園~富沢~長町~仙台~陸前山王~仙台~愛子~山形~高畠~郡山~大宮~越後湯沢~十日町~直江津~越後湯沢~大宮~東京~新宿~目白

ホテルで朝食を取った後、チェックアウトし、勾当台公園を散策しました。 この時の朝食は、バイキング形式ではなく、和食か洋食を選べる方式となっていた。 この時に和食を頼んだけど、宮城産のお米である「ひとめぼれ」が使われていた。

勾当台公園は、野外ステージや、志賀潔胸像や谷風像と言った銅像のある公園で、秋になれば紅葉を楽しむことが出来る。

この周辺には、宮城県庁、仙台市役所、青葉区役所があり、一番町や国分町と言った繁華街がある。 一番町には、141(ファッションビル)や三越もあるけど。

宮城県民会館も周辺にあるけど、ここでは、一昨年11月27日に後藤真希女史のコンサートが行われていた。

昨年4月29日に安倍なつみ女史のコンサートが仙台市民会館で行われていたことがあった。 こちらは、仙台市の西公園付近にある。

ここから富沢までは、1111Fに乗りました。

広瀬通駅の地下1階コンコースには、夜空がイメージされた星空のプロムナードがある駅として有名である。

仙台市営地下鉄南北線は、1987(S62)年7月15日に八乙女~富沢間が開業。 その丸5年後の1992(H4)年7月15日には、八乙女~泉中央間が開業していた。

泉中央駅が開業した1992(H4)年7月15日は、モーニング娘。の久住小春女史の生誕日でもある。

ホームは6両編成での運転に対応しているけど、4両編成でのワンマン運転のために、柵が掛かっている。 現在は6両編成化される予定は無い。 こちらは2010年までにホームドアが設けられることになっている。

仙台市営地下鉄南北線の路線 泉中央~八乙女~黒松~旭ヶ丘~台原~北仙台~北四番丁~勾当台公園~広瀬通~仙台~五橋~愛宕橋~河原町~長町一丁目~長町~長町南~
富沢

うち八乙女、黒松、富沢駅は地上駅となっている。

1000系車両は、1986(S61)年に量産先行車である1101Fから落成。 

翌年の1987(S62)年に量産化され、1102~1120Fが導入されていた。泉中央まで開業した1992(H4)年には1121Fも追加で導入されていたし。 1121Fは、当初からLED式の行き先表示となっている。

2004(H16)年度から2013年度に掛けて、冷房改造および制御装置の電機子チョッパ制御→VVVF化が行われており、現在までに01、03、07、09、11、13、15、17Fの8編成が改造されている。

同時に行き先表示のLED化、車内のLED式案内表示、車椅子スペースの新設も行われている。

運転台のほうは、右側にある。

筆者が仙台市営地下鉄線に初めて乗ったのは、1993(H5)年10月10日に仙台から北仙台まで乗った時が最初であり、2002(H14)年11月24日には、北仙台~泉中央間にも初めて乗ったのである。 今回は仙台以南(仙台~富沢間)に乗ったことにより、仙台市営地下鉄南北線の乗りつぶしが完了したのである。

仙台市営地下鉄南北線の仙台駅は、仙石線のあおば通駅に直結しており、連絡改札口も設けられている。

泉中央駅は、泉中央副都心にある駅で、1988(S63)年に仙台市と合併される前は、泉市のエリアだった。

宮城県の泉市は、1971(S46)年11月1日に、これまでの泉町の市制施行により誕生していた。 泉市が仙台市に編入されたのは、1988(S63)年3月1日のこと。同時に名取郡秋保町も仙台市に編入されていた。

泉区(泉市)の由来は、泉区(旧泉市)北西部にある泉ヶ岳から来ている。

この周辺には、ユアテックスタジアム仙台(仙台スタジアム)があり、Jリーグのベガルタ仙台とJFL・ソニー仙台サッカー部のホームスタジアムとなっている。

仙台市営地下鉄のうち、2002(H14)年の東北の駅百選に認定された駅は、泉中央、旭ヶ丘、広瀬通駅となっている。

八乙女駅付近には、かつて仙台鉄道という軽便鉄道が走っており、最盛期は仙台と古川を結ぶ路線となっていた。

1929(S4)年に全線開通していた当時の路線。

通町~北仙台~東照宮前~八乙女~七北田~山ノ寺~陸前大沢~黒川小野~富谷~志戸田~吉岡~大童~大衡~本町~王城寺原~加美一ノ関~西四竈~四竈~鳴瀬川~加美中新田~中新田(西古川)

通町~北仙台間は、1937(S12)年2月、北仙台~加美中新田間は、1956(S31)年3月14日、最後に残った加美中新田~中新田(西古川)間は、1960(S35)年5月1日にそれぞれ廃止されている。

西古川駅は、陸羽東線への乗り換え駅だった。

五橋駅は、仙台市民病院の最寄り駅となっている。

仙台市営地下鉄では、札幌市営地下鉄と同様に乗車券は表向きに入れなければならない、横浜市営地下鉄と同様に全席優先席で、携帯電話の電源を切らなければならないということで同じ日本に居ながらカルチャーショックを感じました。 

愛宕橋駅は、広瀬川に掛かる愛宕橋の近くにある駅で、かつての仙台市電の停留所もここにあった。

長町南駅前には、ザ・モール仙台長町というショッピングセンター(SEIYU)があり、地下コンコースに直結しているので、雨の日の買い物にも便利である。

以前この土地には、東北特殊鋼(名古屋市に本社のある大同特殊鋼の系列)の本社工場があった。現在は柴田郡村田町に移転している。

地上に出たところで富沢駅に到着。 

この南側には、仙台市営地下鉄の車両基地があり、市電保存館も併設されている。市電保存館へは、富沢駅から歩いていけるほか、駅前から無料送迎バスでも行くことが出来る。

本当はここにも行きたかったけど、時間の都合上断念せざるを得なかった。

この周辺には、、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の仙台89ERS(エイティナイナーズ)の本拠地である仙台市体育館がある。

富沢駅では到着後、留置線に引き上げられていた。 富沢から長町まで乗った編成は1011Fで、1986(S61)年に導入された量産先行車で、1111Fと同様にVVVF化されていた。

長町駅で東北本線に乗り換え。 この時には駅側の出入り口が改良工事のために使えなかったので、駅前の横断歩道を渡らなければならない状態となっていました。

長町から仙台までは719系の4+4+4+4の8両編成(黒磯発仙台行き)に乗車。 こちらはH38+H31+H1+H2編成で、H38+H31編成は仙台到着後切り離されて仙台車両センターに回送されていた。 H1+H2編成は折り返しの4両編成で白石行きとなっていた。こちらは、1989(H元)年に導入された車両同士の組み合わせとなっている。

仙台からは同じ719系に乗り継いで陸前山王まで移動しました。 この時の編成はH3+H40+H6編成。

陸前山王駅では、717系や417系の休車体を見ました。

陸前山王駅は、1933(S8)年8月15日の開業時点では、 塩竈線の多賀城前駅となっていた。 

1944(S19)年5月1日には、現在の陸前山王駅となり、同年11月15日に、 陸前山王~品井沼駅間に東北本線の新線(海岸線、海線)が開業していた。 同時に塩竈線の岩切~陸前山王駅が東北本線に編入されていた。

陸前山王駅からは、仙台港、仙台北港まで、仙台臨海鉄道臨海線という路線が出ている。 こちらは1971(S46)年10月1日に開業した貨物線で、仙台港駅では、海上コンテナ、仙台北港駅では、新日本石油精製(旧東北石油)仙台製油所で精製された石油輸送の拠点となっている。行き先は盛岡貨物ターミナルや郡山

あとは、木田仙台港流通センターへの苛性ソーダ液等の化学薬品も扱われている。

仙台港駅からは、仙台埠頭、仙台西港への支線も出ており、前者は仙台港から陸揚げされた東日本旅客鉄道(JR東日本)向けのレールが、後者は、キリンビール仙台工場で製造された製品輸送のコンテナの輸送の拠点となっている。

この路線は、1987(S62)年7月18日~9月23日に開催された 「未来の東北博覧会」、1997(H9)年7月19日~9月30日に開催された「国際ゆめ交流博覧会」へのアクセス路線としても使用されていたことがあった。

1997(H9)年までは、陸前山王から塩釜港まで塩釜線という貨物路線も出ていたこともあった。 休止されたのは1994(H6)年4月1日のこと。こちらは海線に塩釜駅が開業した1956(S31)年7月9日まで旅客輸送も行われていたことがあった。

塩釜港駅は、仙石線の本塩釜駅付近にあった。

陸前山王駅ではED75-1028号機牽引の貨物列車を見ることが出来ました。 こちらの側面には、レインボー塗装のEF65-1118号機やEF81-95号機みたく、ED75の表示が入っているので、虹ガマと呼ばれている。

陸前山王から仙台まではE721系の2+2の4両P2+P16編成で移動しました。 こちらは松島発仙台行きで、6月30日まで417系が使用されていた列車である。

仙台に到着した後、ジョイフルトレインこがねによるこがねふかひれ号(気仙沼行き)や、485系のお座敷電車ゆう(勝田車両センター所属)を見ることが出来ました。

この時に仙台空港行きの2両編成の快速(P502編成)を見ることが出来たけど、あれは混雑していたので何とかしてほしいと思います。

仙台から愛子(あやし)までは、E721系のP18+25編成で移動。

筆者が仙山線に乗ったのは、1993(H5)年10月10日以来で、仙台~北仙台間は今回初めて乗ることが出来た。

こちらはお座敷電車「ゆう」と同時に発車していました。

東照宮駅は、1988(S63)年11月18日に開設された駅で、その名の通り仙台東照宮への最寄り駅となっている。 

この駅の南西には、先述の仙台鉄道の東照宮駅があった。 ホームは仙台鉄道跡の道路に跨がっている。

北仙台駅では、719系の6両編成による快速と交換。

東北福祉大学前駅は、今年3月18日に開業した新しい駅で、その名の通り、東北福祉大学の前にある。

開業当日には、東北福祉大学OBで、プロ野球および大リーグの投手として活躍していたハマの大魔神こと佐々木主浩氏が一日駅長で活躍し、開業記念セレモニーのくす玉開花、テープカットに加わっていた。

現在は野球解説者・野球評論家として活躍している。 1999年から2003年までは、大リーグのシアトル・マリナーズで活躍していた。 プロ野球時代は専ら横浜ベイスターズ(旧横浜大洋ホエールズ)で活躍していたし。

シアトル・マリナーズといえば、イチロー選手が大活躍していることで有名な球団である。

葛岡駅は、1991(H3)年3月16日に開業した駅で、葛岡霊園が駅前にある。

愛子駅では下車し、愛子の駅名を撮影しました。 こちらは秋保温泉口の副名称がある。

愛子の駅名の由来は、駅周辺にある、子愛観音堂から取られていると思われます。駅前には、この由来の説明板があった。

駅前には、しだれ桜が咲き誇ることで、2002(H14)年の東北の駅百選に認定されている。

こちらは、仙台圏に於けるSuicaエリアの末端の駅となっている。

西仙台ハイランド駅は、仙台ハイランド遊園地、仙台ハイランドカントリークラブ、仙台ハイランドレースウェイからなる複合レジャー施設の最寄り駅となっているけど、2003(H15)年10月1日より、停車列車が無くなり、事実上の休止状態となっている。現在はマイカーの普及により利用客が減っていた。おまけに臨時駅から離れているし。

こちらは1990(H2)年まで西仙台ハイランドと呼ばれていた。この周辺は、1987(S62)年まで宮城郡宮城町と呼ばれていた。やはり仙台市に編入され、1989(H元)年から青葉区の一部となった。

愛子から、E721系のP30+P31編成による快速で移動。

仙山線の快速は、2004(H16)年10月15日まで、快速「仙山」、「ホリデー仙山」の愛称名があった。

2003(H15)年9月30日までの土曜・休日には、途中停車駅が北仙台、山寺のみの特別快速「ホリデー仙山」も運転されていたこともあった。

さらに1999(H11)年3月11日までは、仙台~山形間ノンストップの特快仙山号もあった。

1999(H11)年3月12日から12月3日までは、山形新幹線の新庄への延長工事のために、山形~羽前千歳間で区間運休となっていたこともあった。

筆者が1993(H5)年10月10日に仙山線に乗った時は、455系も使われていた。 仙山線から455系が撤退し、719系に置き換えられたのは、2001(H13)年4月1日のこと。

仙台~愛子間では、701系も使用されている。

今回乗った快速は、全区間快速運転のAタイプで、仙台を出ると、北仙台、国見、陸前落合、愛子、作並、面白山高原、山寺、羽前千歳、北山形、山形の順に停車していた。

愛子を出た後は、作並に停車していた。

作並は、作並温泉への最寄り駅となっているけど、ここからバスに乗っていくことになる。

駅前には、作並こけしと交流電化発祥の地の碑がある。

1955(S30)年8月10日には、商用周波数による交流電化の試験のため、陸前落合~熊ヶ根間に日本初の交流電化が実施されていた。当時は電気機関車(ED44形・ED45形)や電車(クモヤ790形)が日本国内で試作されていた。 1957(S32)年9月5日には、試験区間が仙台~作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始されていた。仙台~陸前落合、熊ヶ根~作並間も交流電化。

1960(S35)年11月1日には、山寺~羽前千歳(山形)間が直流電化。

1968(S43)年9月8日には、作並~羽前千歳(山形)間が現在の交流電化区間に変更されていた。

作並駅は当時、日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられていた。同時に日本初の交直流両用電車である491系が試作され、車上切り替えの試験も実施されていたし。

作並~山寺間の宮城・山形県境区間は、1937(S12)年11月10日に開業した時点から直流電化区間となっていた。これにより仙山線が全線開通していた。 

仙山線は、全線開通以前、宮城県側の仙台~愛子~山寺間が仙山東線、山形県側の羽前千歳~山寺間が仙山西線と呼ばれていた。

開業したのは、仙台~愛子間が1929(S4)年9月29日、愛子~作並間が1931(S6)年8月30日、羽前千歳~山寺間が1933(S8)年10月17日のこと。

作並駅周辺には、ニッカウヰスキーの仙台工場がある。

作並駅を出ると、緑の中の区間に入りました。 

八ツ森臨時駅は、八ツ森スキー場への最寄り駅で、スキーシーズンには賑わっていた。それが廃止された後、春・秋のみ臨時停車していたけど、2002(H14)年を最後に列車の停車が無くなり、西仙台ハイランド駅と同様に事実上の休止状態となっている。

ここは、奥新川駅、面白山高原駅と同様に鉄道ファンの間からは秘境駅と呼ばれていることで有名である。

駅名表示には、今でも八ツ森仮乗降場と書かれている。

奥新川駅を通過した後は、太白区のエリアを通過。 こちらも、作並・秋保、泉ヶ岳エリアと同様に、仙台市内だとは思えないほどの山の中の風景となっている。ここで風光明媚な川の流れを
楽しむことが出来ました。

このようなことは、静岡県の葵区(奧安倍、井川エリア)、浜松市天竜区(天竜、佐久間エリア)などでも言える。

あとは、定山渓温泉も、札幌市内の山の中にあるし。

あの後は、宮城・山形県境の仙山トンネルを通過しました。 こちらは、1937(S12)年の全線開通時に出来たトンネルで、面白山トンネルとも呼ばれている。開業当時は、上越線の清水トンネル、東海道線の丹那トンネルに次いで、3番目に長いトンネルとなっていた。

このトンネルの山形県側には、面白山信号場があり、ここで列車の行き違いが行われることもあるので、西武秩父線の正丸トンネルを思い出しました。

仙山トンネルを抜けると山形県に入り、面白山高原駅に到着。 ここは、面白山高原スキー場の前にある駅で、スキーシーズンには賑わうことになる。 冬季は周辺の道路が閉鎖されるので、鉄道によるアクセスのみとなる。

あとは、紅葉川渓谷もあるし。 夏はコスモス園が開設される。

ここは、山形市のエリアとなっているので、仙台市からいきなり山形市に入ったことになる。

面白山高原駅は、1937(S12)年の開業当時は、面白山仮乗降場で臨時駅となっていたけど、1988(S63)年3月13日に常設駅に格上げされていた。

ここを出た後、紅葉川に沿って走り、山寺駅へ。

山寺駅は、松尾芭蕉による奥の細道でおなじみの立石寺(山寺)のある駅となっている。 

元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れていた時には、「閑さや巖にしみ入る蝉の声」の句を詠まれていたので、参道に句碑がある。こちらは奥の細道で有名である。

あとは周辺に山寺芭蕉記念館もある。

駅舎は寺院風となっているので、2002(H14)年の東北の駅百選に認定されている。

ここを出た後田園風景に変わりました。

高瀬、楯山駅を通過した後、山形線の合流駅となる羽前千歳駅に到着。 ここでは、新庄発東京行きのつばさ114号が到着(運転停車)していました。 この時の編成は400系のL3編成。

400系のほうは、来年12月から再来年夏に掛けてE3系ベースの新型車両に順次置き換えられることになっている。

400系は、名古屋出身の鉄道好きのアイドルである木村裕子女史の推し車両と言われているので、400系の引退を惜しむ声が聞こえている。

高瀬駅は、スタジオジブリ作品の一つである、「おもひでぽろぽろ」の舞台となった駅であるけど、その舞台となった駅舎が1999(H11)年に改築されている。

こちらは1991(H3)年に公開されていた。

羽前千歳駅を出た後、オーバークロス(平面交差)を通り、標準軌(新幹線)が東側に、狭軌(仙山線)が西側に移っていた。こうなったのは、北山形から分岐する左沢線との絡みやコスト低減もある。

羽前千歳駅は、島式ホームで、単線の並列区間となっている。

北山形駅は、奥羽線、仙山線、左沢線で分かれている。

左沢線のホームが離れた場所にあるので、鶴見線の浅野駅を思い出しました。

山形駅の手前では、新庄行きのつばさ109号の400系とすれ違いました。 つばさ109号は、大宮~福島間ノンストップ。

つばさ114号は、北山形駅でつばさ109号と交換していた。

山形駅では、フルーツライン左沢線のキハ101形DCを見ることが出来ました。 

(7、山形新幹線編へ続く)
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by hy_sengen-sin | 2007-07-17 13:56 | 鉄道乗車記
小牛田駅構内では、風っこの2両のうちの1両を見ることが出来ました。

この駅は昨年3月に増改築工事が行われ、東西自由通路が新設されていた。

確認出来た車両は、留置、キハ28-2174、2318、2380号車 

石巻線、女川行きのワンマン列車、キハ48-1545、554号車。

あとは、仙台行きの701系、F2-517編成(クモハ701-1517F)を見ることが出来ました。

701系1500番台のうち、初期型は1998(H10)年に715系の置き換え用として導入されていた。 ブレーキ装置が発電ブレーキから回生ブレーキに変更された。後期型は、2001(H13)年に導入されたけど、トイレが運転台後部のドアの後ろの部分に移設され、車椅子対応の幅広タイプとなっている。行き先表示はLEDとなった。

1500番台のうち、F2-508編成(クモハ701-1508F)だけは、1000番台(クモハ701-1533F)から改造されている。

改造された理由は、浸水事故で床下機器が損傷したことにより、装置が交換されていたことだったんである。 同時に回生ブレーキ方式、LED表示に変更されていた。

701系の0番台は、ベースとなった209系と同様に1993(H5)年に登場したけど、足回り品の交換も行われることが予想されています。

715系のほうは、北陸エリアの419系と同様に、元祖寝台電車の581・583系(月光型車両)から改造された車両であり、中間車から改造された食パンタイプの前面もあった。

九州は0番台、東日本は1000番台。

1998(H10)年には、JR東日本から引退したけど、同時期にJR九州からも引退したために過去の車両となってしまった。 

うちJR九州を走っていたクハ715-1号車のほうは、2000(H12)年に小倉工場でクハネ581-8号車に復元され、門司港の九州鉄道記念館で保存されている。改造されたのは外観だけで、車内は715系と同じである。

筆者が715系に乗ったのは、1995(H7)年8月1日に仙台から小牛田まで乗った時が最初で最後となってしまった。当時は715系の廃車が始まっていた時だった。

419系のほうは、昨年10月9日に直江津から富山まで乗ったので、あの時が最初で最後の乗車になる可能性がある。

小牛田から古川までは、陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)のキハ110系DCで移動。

この時に乗った車両は、キハ111-213Fで、専用の塗装となっていた。こちらは、1999(H11)年12月4日の山形新幹線の新庄延長を期に、陸羽西線と同時にキハ110系列に置き換えられていたのである。 これらのキハ110系列は、最終増備車である。

陸羽西線・陸羽東線のキハ110系列のDCは、奥の細道の文字が入っているけど、中には1人掛けの回転クロスシートが採用された車両もある。 こちらは、陸羽西線で最上川の景色を楽しむために導入されていた。

トイレのほうは、両運転台車を含め、和式トイレから車椅子対応の洋式トイレに変更されている。

古川駅のある大崎市は、昨年3月31日に、古川市、遠田郡田尻町、志田郡三本木町・松山町・鹿島台町、玉造郡岩出山町・鳴子町の1市6町が新設合併されて誕生した市である。

岩出山エリア(旧岩出山町)には、岩出山城の跡がある。

鳴子温泉は、福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉と並ぶ奥州三名湯の一つで、こけしでも有名である。

鳴子温泉の共同浴場は、滝の湯と早稲田座敷湯が有名であり、後者の早稲田座敷湯のほうは、1948(S23)年に、早稲田大学理工学部土木工学科の7人の学生によって、ボーリングの実習で源泉が掘り当てられていた。 ここから、早稲田座敷湯という共同浴場が誕生していた。1998(H10)年に改築された時には、早稲田大学理工学部建築学科の教授によってデザインされていた。2001(H13)年7月と、2002(H14)年11月に筆者が鳴子温泉に行った時に早稲田座敷湯に入ったことがある。

陸羽東線は、小牛田から古川、鳴子温泉を経由して新庄まで至る路線で、鳴子温泉を境に運行系統が分割されている。 小牛田~新庄間の通しの運転は新庄行きが1本、小牛田行きが2本となっている。

今回乗った列車は鳴子温泉行きだった。

陸羽西線は、新庄~余目間の路線で、酒田への直通がある。 こちらは2000(H12)年3月5日に乗ったことがある。 こちらは最上川の景色を楽しむことが出来る路線なので、奥の細道最上川ラインという愛称がある。

最上川は、富士川(静岡県)、球磨川(熊本県)と並んで、日本三大急流の1つである。

最上川舟下りは、古口駅付近の戸沢藩船番所から乗船することになっており、冬季には、雪見舟(こたつ舟)も運航されている。 下船場は、白糸の滝、草薙温泉付近にある最上川リバーボートとなっている。

古川駅に到着した後は、東北新幹線のやまびこ66号の東京行きで仙台まで戻りました。 この前には、E2系+E3系によるはやて・こまち30号が通過していた。 こちらは一ノ関駅で通過待ちが行われていた。

この時に使用されていた編成は、E2系の1000番台のJ66編成(223-1016F)による10両の単独編成で、自由席は、1号車から6号車に設定されていた。 

東北新幹線のやまびこ号(東京~仙台、盛岡間)、なすの号(東京~那須塩原、郡山間)のうち、E2系+E3系(こまちタイプの車両)連結の車両(はやて・こまち号の間合い運用)もあるけど、E3系側にあるこまちのロゴで誤解を招く恐れがある。

こまち用のE3系が、東北新幹線内での間合い運用に盛んに使用されているのは、R17編成以降およびR16編成以前の増結中間T車1両(E328形)がJR東日本による保有となっているからである。

R1~R16編成のうちの先頭車を含む5両は、秋田新幹線車両保有からのリース車両となっている。

このやまびこ66号は、盛岡から仙台まで各駅停車、仙台から先は、福島、郡山、宇都宮、大宮、上野、東京の順に停車していた。 東京着は21時48分。

古川駅には、古川オフレールステーションというコンテナステーションがあり、ここと宮城野貨物駅との間のトラック輸送が行われている。以前は、ここで貨物列車の扱いが行われていた。

宮城野貨物駅は、長町駅と東仙台駅を結ぶ宮城野貨物線の途中にある。

仙台駅に到着した後、駅前広場でリポビタンDのイベントを見ました。 リポビタンDは、大正製薬から発売されている栄養ビタミン剤であり、「ファイト!一発!」のCMでおなじみである。

発売されたのは、1962(S37)年のこと。

ここで、リポビタンDを試飲しました。 

この後、歩いて勾当台公園駅付近にある宿泊地の某ビジネスホテルに行き、チェックインしました。荷物を置いた後、仙台駅前まで歩いて行きました。

仙台駅構内では、無尽蔵という新潟拠点のラーメン店で、柿ポリフェノール配合のラーメンを食べました。

この後、あおば通から榴ヶ岡まで仙石線の205系のM1編成(クハ205-3101F)に乗りました。

この編成は、クハ204-3101号車が、サハ205-34(旧ヤテ17編成の4号車)、モハ205・204-3101号車が、モハ205・204-53号車(旧ヤテ18編成の5、6号車)、クハ205-3101号車が、サハ205-160号車(旧ハエ8編成の7号車)から改造されていた。

このサハ205-160号車は、2001(H13)年にハエ8編成の2号車に6ドア車(サハ204-902号車)が試験的に組み込まれていた時に、暫定的に3号車に移設されていた。 2号車に連結されていたサハ205-161号車は、鶴見線のクハ205-1101号車に改造されている。 このクハ205-1101号車は、試験的に先頭車改造された車両で、M+Mcユニットが改造されるまでの間、鎌倉総合車両センター(昨年3月末に工場部分が閉鎖)に留置されていた。

2002(H14)年6月に、山手線から捻出された6ドア車(サハ204ー11号車)が3号車に組み込まれ、本編成となった後に、サハ205-160号車が仙石線に転用されていたのである。

この時には、仙石線のマナーアップキャンペーンによるマナーアップステッカーが貼られていました。

仙石線では、今年3月から103系の1編成(RT-235、クハ103-235F)がトイレ取り付け等で復活していたけど、平日のみの運転となっている。

黒岩さんや高石さんが平日に狙っていたのはそのためである。

本当は多賀城まで乗って行きたかったけど、電車の運転間隔が30分以上空いてしまうために、榴ヶ岡で下車したのである。 

仙台(あおば通)~陸前原ノ町間は、2000(H12)年3月11日に地下化されていたけど、当初は自動改札が無かったけど、現在は自動改札化されているので、地下駅らしい駅となった。

榴ヶ岡駅も、隣の宮城野原駅と同様に、東北楽天イーグルスの本拠地であるフルキャスト宮城スタジアム(県営宮城球場)への最寄り駅となっているので、イーグルスムードが高まっていました。

こちらは、1973(S48)年から1977(S52)年まで、ロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の本拠地として使用されていたこともあった。

仙石線が直流電化区間となっているのは、直流電化の宮城電気鉄道が、1944(S19)年に国有化された路線であるからである。

榴ヶ岡駅前に降り立った時に、昨年3月26日に仙台サンプラザで行われたモーニング娘。のコンサート「レインボーセブン」に行った時を思い出しました。夜はらぶかつさんとの連番で楽しんでいた。

当時は、紺野あさ美女史が1推しだったけど、現在の1推しである道重さゆみ女史にも初めて声援を送った記念すべき場所でもある。

やはり、レインボーセブンに収録されている「レインボーピンク」に魅了されていた影響もある。 レインボーピンクは、筆者の現在の推しメンである道重さゆみ、久住小春両女史によるユニットで、前者が重ピンク、後者がこはっピンクと呼ばれている。

当時は、紺野あさ美女史の卒業が発表されていたので、次期のモーニング娘。の推しメンバーを考えなくてはならない次期に差し掛かっていたので、このレインボーピンクに白羽の矢が立っていたのである。

同年11月3日にも、モーニング娘。のコンサート「踊れ!モーニングカレー」が行われてた。

この日は、福岡県出身のCHAGEとASKAによるデュオであるチャゲアス(CHAGE&ASKA)のコンサートが行われていた。

チャゲアスのほうは、1991(H3)年7月にリリースされたSAY YESが大ヒットしていたことで有名である。

デビューしたのは1979(S54)年。今回のツアーの仙台サンプラザ公演は、7月6、7、9日に行われていた。

仙台サンプラザは、1991(H3)年3月に、仙台市立榴岡病院(旧仙台市立伝染病院)の跡地に建設されており、コンサートホールのほか、ホテル等も完備されている。 この仙台市立榴岡病院は、1980(S55)年に閉鎖されていた。

こちらは、日本武道館に構造が似ているので、ミニ武道館と呼ばれている。 

あとは、会場の雰囲気がよこすか芸術劇場にも似ているし。

ここでは、ビアガーデンが開設されていた。

榴ヶ岡駅前にある榴岡公園は、桜の名所である。 こちらは旧陸軍歩兵第四連隊の敷地で、戦後警察学校などに使用されたのち、公園として整備されていた。

榴ヶ岡からあおば通まで、M7編成(クハ205-3107F)に乗車。 こちらは旧ヤテ22編成のT車(4、7号車のユニット)、旧ヤテ24編成のM車(5、6号車のユニット)から改造されていた。

仙石線の205系のうちM8編成(2WAYシート車)は、マンガッタンライナーとして、故・石ノ森章太郎氏原作のマンガキャラクター「サイボーグ007、仮面ライダー、秘密戦隊ゴレンジャー、がんばれロボコン」が描かれている。

土曜・休日には、あおば通~石巻間で2往復されているけど、平日には通常の運用に入ることもある。 2003(H15)年12月8日には、これに乗ったことがあるけど、トイレの壁にもロボコンのシルエットがあった。

あおば通から勾当台公園までは、仙台市営地下鉄南北線の1000系の1111Fで移動。

1111の番号で、モーニング娘。の田中れいな女史の誕生日である11月11日を思い出しました。 あとは、今から10年前に行われたシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションでの安倍なつみ女史のオーディション番号(1111)でもあった。

勾当台公園駅からは歩いて某ビジネスホテルに戻りました。 ここで1日が終わったのである。
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by hy_sengen-sin | 2007-07-17 10:41 | 鉄道乗車記
名取から仙台までは、719系の2+2の4両編成で移動しました。この時の編成は、クモハ719-9+クモハ719-4F。 

719系は、1989(H元)年に登場した交流専用の3ドアセミクロスシート車で、211系ベースの車体が使用されている。 こちらは、1991(H3)年までの間に導入されていたけど、1991(H3)年には、山形線(福島~山形~新庄線)用の5000番台も導入されていた。

メーカーは0番台が東急車輌、5000番台が日本車輌となっている。

行き先表示は前面が幕式、側面がLED式。

0番台の運転範囲は東北本線の黒磯~一ノ関間、岩切~利府間、仙山線のほか、磐越西線(郡山~会津若松、喜多方間も加わっている。

南仙台駅は、1924(T13)年9月10日に開業した当時は、陸前中田駅と呼ばれていた。

1963(S38)年5月25日には、 南仙台駅に改称されていた。

太子堂駅は、今年3月18日に開業した新しい駅で、昨年9月18日に長町駅付近の高架化された線路上に設けられている。

こちらは、長町機関区の跡地の「あすと長町」の整備事業によって誕生した駅となっている。 

太子堂の駅名は、近辺にあった祠の名前から取られている。 太子堂というとお菓子の太子堂をイメージしてしまうけど、これとは無関係である。お菓子の太子堂は、その名の通り、本社が世田谷区太子堂にある。 東急世田谷線には西太子堂電停があるし。

長町機関区は、1999(H11)年8月に、仙台車両センターに隣接する仙台総合鉄道部(仙台市宮城野区)に移転している。

仙台市は、1889(M22)年4月1日に、市制施行により誕生。これまでは仙台区と呼ばれていた。

仙台市が日本で11番目の政令指定都市となったのは、市制施行から100年後の1989(H元)年4月1日のことである。 

同時に青葉区、宮城野区、若林区、太白区、泉区と言った5つの区が誕生していた。

うち青葉区、泉区は、横浜市にもある。

長町駅が高架化されたのは、昨年9月18日のことで、切り替え当日は、道路との立体交差部の下にあったコンクリート遺構の掘り出しと撤去に時間がかかっていたために、午前7時の開業には間に合わなかった。この時に仙台~南仙台間でバス代行輸送が行われていたけど、開業は11時直前となっていた。当時は上下42本が運休となっていたので、2003(H15)年9月27~28日のJR中央線の武蔵小金井駅付近の線路切り替えの時の二の舞となってしまった。

これまでは、赤い屋根の駅舎が特徴だったけど、昨年10月までに撤去されてしまった。

長町駅付近の高架線からは、東北新幹線を眺めることが出来るので、お子様連れには嬉しい駅となっている。

仙台市内と仙台空港を結ぶリムジンバスのほうは、仙台空港線が開業した3月18日以降も運行が継続されているけど、仙台市交通局(仙台市営バス)が3月17日をもって撤退し、3月18日から仙台市の民間のバス会社である愛子観光バスと東日本急行によって運行されている。

愛子観光バスは、1995(H7)年4月に設立。路線バス事業進出は、2004(H16)年5月10日のことで、その名の通り、仙台エリアと愛子エリアを結ぶ路線となっている。

東日本急行は、仙台市泉区に本社のある、仙台と宮城県北部、岩手県の一ノ関、盛岡を結ぶ高速バス事業、貸切バス授業を受け持つ会社で、今年3月18日からは仙台と仙台空港を結ぶリムジンバス事業にも参入している。

路線は、仙台~盛岡(アーバン号)、一ノ関線、佐沼、一迫、とよま、金成、仙台空港線となっている。

こちらはひがしにほんではなく、ひがしにっぽんと読む。 当然のことながらJR東日本との資本提携等は無い。

長町駅は、以前仙台市電、秋保電気鉄道が出ていた駅でもあった。 前者は1976(S51)年3月31日、後者は1961(S36)年5月7日に廃止されている。

秋保電気鉄道の路線。長町~西多賀~鈎取~月ヶ丘~旗立~太白山~萩の台~茂庭~北赤石~磊々峡(らいらいきょう)~秋保温泉

現在秋保温泉へは、仙台駅前からの宮城交通による特急バスまたは、仙山線愛子駅からの路線バスで行くことになる。

仙台市電は、循環線、長町線、芭蕉の辻線、北仙台線、八幡町線、原の町線があった。

うち、循環線、長町線、八幡町線、原の町線は、最後(1976年の廃止)まで残った路線だった。

循環線、仙台駅前~中央三丁目~郵政局前~一番町郵便局前~高等裁判所前~片平一丁目検察庁前~大町西公園前~市民会館前~大学病院前~木町通二丁目~二日町~県庁市役所前~レジャーセンター前~錦町~花京院~中央一丁目~仙台駅前

長町線 中央三丁目~鉄道管理局前~五ツ橋~荒町日赤病院前~愛宕橋~石垣町~舟丁~河原町~広瀬橋~長町一丁目~長町三丁目~長町支所前~長町駅前

芭蕉の辻線 東一番丁~芭蕉の辻 1944(S19)年廃止。

北仙台線 北四番丁~北六番丁電波監理局前~北八番丁児童相談所前~堤通~北仙台駅前 1969(S44)年4月1日廃止。

八幡町線 大学病院前~厚生病院前~八幡一丁目~八幡二丁目~八幡神社前

原の町線 花京院~小田原一丁目~常盤木学園前~小田原二丁目~榴ヶ岡気象台前~総合グランド宮城野中学校前~五輪一丁目国立病院入口~五輪二丁目~原町駅前

原町駅前は、国鉄(現JR)仙石線の陸前原ノ町駅前のことである。

1991(H3)年4月25日には、仙台市営地下鉄の富沢車両基地内に仙台市電保存館が開館していた。 ここには、仙台市電で走っていた電車が保存されている。

仙台に到着した後、気仙沼行きの快速南三陸3号で小牛田まで移動しました。

快速南三陸号は、これまでキハ28・58形、キハ40・48形気動車が使用されていたけど、3月18日から1、4号が、7月1日から2、3号が水郡線から転属してきたキハ110系列の気動車にそれぞれ置き換えられていた。

7月1日からは、指定席車両連結の3両となり、両端が自由席車、中間が指定席車となった。

この時の編成はキハ110-126+キハ110-5+キハ110-127号車の組み合わせとなっていた。 

自由席車は、水郡線から転属してきた車両で、筆者はキハ110-126号車側に乗車。 キハ110-127号車は、昨年12月17日に水郡線時代に乗った車両なので、この地で再開を果たしたことになった。

南三陸号の停車駅 仙台~小牛田~涌谷~前谷地~陸前豊里~柳津~志津川~歌津~本吉駅~ (大谷海岸)~ (陸前階上)~南気仙沼~ (不動の沢)~ 気仙沼

こちらは、仙台と小牛田の間でノンストップ運転となっていました。

気仙沼市は、宮城県の北東部にある三陸海岸に面した漁港の街で、お笑いタレント・マジシャンのマギー審司氏の出身地として有名である。

こちらは、マグロ、カツオ、サンマの水揚げ量が豊富で、高級中華料理の食材に使われるフカヒレの水揚げ量が日本一となっている。

仙台を出ると、仙台車両センター、先述のJR貨物仙台総合鉄道部が見えました。 前者には、運用から撤退した455系の赤べえ塗装が留置されていました。 後者は、EH500型電気機関車の所属基地で、ED75型電気機関車やDE10型ディーゼル機関車も配置されている。

陸前山王駅構内には、717系のほか、6月30日をもって定期運用から離脱された417系も疎開留置されていました。 そのうちの1編成は訓練車に転用される予定となっている。

筆者は417系に乗れずじまいとなってしまったので、残念で仕方がありませんでした。

次の国府多賀城駅は、2001(H13)年9月29日に開設された駅で、駅前に東北歴史博物館がある。 あとは、多賀城の史跡もあるし。

塩釜駅を出ると、風光明媚な松島湾の風景に変わりました。 塩釜~松島間では、仙石線と併走するけど、その途中に陸前浜田駅がある。 

松島駅は、日本三景の松島と離れているので注意が必要である。 松島に行くなら、仙石線の松島海岸駅が近い。

岩切~品井沼間は、1944(S19)年11月15日に陸前山王~品井沼間の海側ルート(現在のルート)が開業していたけど、1962(S37)年7月まで、既存の山側のルート(岩切~利府~松島~品井沼間)と併用されていた。

1962(S37)年7月から、岩切~利府間は、東北本線の利府支線となったのである。

松山町駅からは、1929(S4)年まで、松山人車軌道(松山町駅~松本酒造店前間)が出ていたことがあった。

小牛田駅に到着した後、留置されているキハ28型DCなどを撮影しました。

(5、仙台市内、県北編2へ続く)
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by hy_sengen-sin | 2007-07-15 00:53 | 鉄道乗車記