交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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都電荒川線6/23

あの後、三橋さんや田中基志さんなどと共に、王子駅前から都電に乗り、荒川車庫前まで行きました。 この時に乗った車両は、7000形の7030号車だった。

この時は臨時改札が行われていたので、臨時改札口でPASMOを使いました。

荒川車庫前では、旧塗装に再現された7022号車を撮影することが出来ました。 こちらはいつまで旧塗装で走るのか気になります。

都電の新レトロ電車である9000形9001号車のほうは、貸切の表示で止まっていたので、ここで撮影することが出来ました。

9000形のほうは、9001号車のみとなっているけど、好評のために、今年度中にもう1両(9002号車が)導入される予定となっている。これが導入されれば、9000形新レトロ電車同士のすれ違いや並びを見ることが出来るようになる。

都電荒川線では、9000形以外にも7000形・7500形の老朽取り替え用として新型車両の導入が計画されているけど、その形式は未定である。 こちらは9000形をベースにした車両になると思われます。

特に7000形の足回り品が50年を超えているので、そのはずである。 7500形も、足回り品が40年を超えているし。

7000形は、車体の再更新でもたせている状態なので、これが実現すれば、7500形から先に置き換えられることが予想されています。 

8500形が導入された当初は、6000形6152号車(現在は廃車となっている)を除いた荒川線の全ての車両を8500形で置き換える計画であったけど、東京都交通局の財政難などの理由により、その製造が5両で打ち切られた。8500形は車両の価格が高価だったのでそのはずである。

この後、全員で、都電おもいで広場に行き、5501号車(PCCカー)と7504号車を見物しました。 

どちらも、渋谷駅のハチ公口で保存されている東急旧5000系5001号車(青カエル)と同様に、家庭用のクーラーが搭載されている。

7504号車の両方の運転台のうち、5501号車側(西側)では運転台に座ることが出来るので、お子様連れでも楽しめます。

ここにある自動販売機は、5501号車や7504号車と同じ色となっていました。

これらの車両を見物したのは、今回で2度目となりました。

7504号車は、1994(H6)年10月の日曜サークルの特別例会で貸切電車として運転されていて、筆者もそれに乗っていたので、あの時を思い出しました。 こちらは木沢さんも乗っていたのである。

日曜サークルは、今年度から鉄道友の会の東京支部から独立したサークルとなり、日曜サークル同窓会として毎月第三または第四日曜日に行われるようになった。

鉄道友の会のほうは、皮肉なことに、会員数が減少している状態となっている。

昨年のブルーリボン賞、ローレル賞のほうは、6月16日頃に決定していたけど、今年は未だに発表されていない。 

昨年のブルーリボン賞受賞列車は、小田急のVSEこと50000形ロマンスカーとなっていた。

VSEと言えば、6月27日に、筆者の母親と妹が日帰りで箱根に行った時に乗っていた。この時に乗り心地が良かったと言っていた。 帰りは小田原から30000形のEXEに乗って帰っていた。

筆者も8月5日にVSEで箱根まで行く予定なので楽しみにしている。VSEで小田原~箱根湯本間を通ったのは未だにないのでちょうどよかったです。

箱根へは、筆者が子供の頃に車でよく行っていたけど、1992(H4)年1月に初めて登山電車に乗って行った時は新鮮な感じがしました。 あの時にHiSE10000形に初めて乗ったのである。

あの後、荒川車庫前から飛鳥山まで移動し、飛鳥山公園にまたがる歩道橋で都電を撮影しました。この時に乗った車両は7000形の7008号車で、5月26日から6月10日まで花電車として走っていた3両のうちの1両である。

この時に撮影した車両は、7000形の7022号車、8500形の8503号車、9000形の9001号車だった。

9000形の9001号車のほうは、出庫後、貸切運用のために、早稲田方面へと向かっていた。

ここで撮影した後、飛鳥山公園を通り、王子駅から東京駅まで京浜東北線の快速で移動しました。 この時に乗った編成は、ウラ71編成(クハ209-73F)。

東京駅では書店に立ち寄り、この後、山手線で品川まで移動し、ここにある飲食店で時間をつぶしました。

下村さんのほうは、品川で三橋さんたちと合流していた。

筆者は新宿まで行き、仕事の後、大塚駅まで行って、ここで私鉄部報の取引を行いました。

池袋駅西口では、池袋発花巻行きの岩手県交通の夜行高速バス「イーハトーブ号」を見ることが出来ました。

イーハトーブ号は、紫波中央駅~石鳥谷上町~本舘~花巻駅前~北上駅前~金ヶ崎本町~ 水沢駅前~前沢三日町~ (平泉前沢IC)~(東北自動車道)~大宮駅東口~川口駅東口~赤羽駅東口~池袋駅西口~国際興業総合案内所(花巻・紫波行のみ停車)~国際興業池袋営業所

開設当時は親会社の国際興業バスとの共同運行となっていたけど、現在は岩手県交通による
単独運行となっている。

運転・車両管理は、子会社の早池峰バスに委託されている。

この時に見た車両は、三菱ふそうのエアロクイーン(岩手200か11-20)だったので、いすゞ車が主体の国際興業グループのバス会社で、三菱ふそう車ということでかなり違和感がありました。塗装は、いすゞの高速バス用車両と共通なので。

今年4月25日には、池袋~遠野、釜石、大槌間の遠野・釜石号が、岩手県交通により開設されていた。こちらは、池袋を出た後、秋葉原、上野駅を経由することになっている。

ルートは、大槌駅前~鵜住居(うのすまい)~釜石中央(岩手銀行前)~釜石駅前~釜石営業所~遠野駅前~道の駅遠野風の丘~道の駅みやもり~道の駅とうわ~新花巻駅前~ (花巻空港IC)~(東北自動車道)~上野駅~秋葉原駅~池袋駅西口

岩手県交通は、1976(S51)年6月1日に、国際興業グループの岩手中央バス、花巻バス、岩手県南交通との対等合併により設立された国際興業グループのバス会社となっている。

国際興業グループ入りは、1986(S61)年のことで、子会社の早池峰バスも設立されていた。

岩手県交通、山梨交通などの一般路線車も、国際興業バスの路線バスに準じた塗装となっている。

山梨交通では、国際興業バスから初期型のノンステップバスが譲受されていたことで話題となっている。

岩手県交通の夜行高速バスで東京に乗り入れているのは、イーハトーブ号、遠野・釜石号のほか、らくちん号(東京、池袋~盛岡間、国際興業、JRバス関東、JRバス東北との共同運行)、けせんライナー(池袋~釜石、盛、大船渡、陸前高田、一ノ関間)もある。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-29 12:04 | 鉄道乗車記

東京支部総会

6月23日は、王子の北とぴあで行われた鉄道友の会の東京支部による支部総会に行ってきました。

ルート 目白~田端~王子~荒川車庫前~飛鳥山…王子~品川~大崎~新宿~大塚~池袋

東京支部の支部総会は、過去に、志木駅前、東武博物館などで行われていたけど、一昨年から王子の北とぴあで行われている。

まずは、山手線で田端まで行き、ここで京浜東北線に乗り換えて王子まで行きました。 池袋では、9050系の地上線運用(9151Fによる準急川越市行き)を見ることが出来ました。

9000系のほか、9050系も副都心線対応に改造されることになっている。

6月17日には、永田町で、9000系の9101Fによる乗り入れ運用(新木場行き)を見たけど、あれは、1年後に副都心線が開業する暁には、地上線専用に転用され、10000系列の10両固定編成と共通運用となる。

田端から王子まで乗った209系は、ウラ72編成(クハ205-74F)。

この日(6月23日)は、東北新幹線開業25周年を迎えていたので、大宮発盛岡行きの東北新幹線大宮開業25周年記念号であるやまびこ931号が運転されていた。この時に使用された編成は、オリジナルカラーに復元された200系のK47編成の10両編成である。

筆者は残念ながらそれを見ることが出来なかったけど、その変わりに森敏英さんが大宮と仙台でそれを撮影していた。

森敏英さんは、仙台から、常磐線の455系や717系などを狙った後に、いわきからスーパーひたち号で帰っていた。

6月30日をもって東北本線から417系、磐越西線から455系が撤退。 以後、常磐線(原ノ町~岩沼間)に455系や717系が残るけど、10月にはE721系に完全に置き換えられることになる。これに伴い、赤べえ塗装の455系が見納めとなる。

磐越西線では、719系に置き換えられることになるし。

あとは、快速南三陸号では、7月1日から、1、4号に続き、2、3号もキハ110系列に置き換えられることになる。

この時には、新宿~東武日光・鬼怒川方面への直行特急運行による講演会も行われていました。

北とぴあは、1990(H2)年に完成した王子駅の北東部にある文化施設で、ホール、各種会議室、研修室、音楽スタジオ、トレーニングルーム、産業情報センター、消費生活センターがある。

17階には、飛鳥山公園などを眺めることが出来る展望室がある。 ここから新幹線を見るのには絶好の場所となっているし。

このことで、1993(H5)年9月まで、飛鳥山公園にスカイラウンジという回転展望台もあったことを思い出します。筆者も子供の頃によく行っていたし。このように、飛鳥山のランドマークが消えたことで残念に思っています。

やはり老朽化や入場者数の減少、北とぴあの展望室の新設により、閉鎖せざるを得なかったし。 末期は1日あたり10人しか入場していなかったこともあった。

総会が終わった後は、王子駅前のマックに行きました。 ここで、萩原清さんと出会うことが出来てよかったです。萩原清さんは、仕事で訪れていた。

萩原清さんのほうは、筆者と同様に、毎週土曜日休みではなく、仕事の場合がある。この日は、どちらも仕事だったのである。

萩原清さん主催の鉄道撮影ツアー等が日曜日に行われることが多いのはそのためである。

この時には、田中基志さん、奥野さん、林直樹さん、高石さん、三橋さん、木沢さん、下村さん、八王子の顔である多喜千与三さんなどと出会いました。

山岡さんのほうは、九州に遠征していたために不参加だった。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-29 11:07 | 鉄道友の会イベント

小田急シティバス

あの後は、渋谷のハロショに行き、ここから梅ヶ丘まで小田急シティバスの渋54系統で移動しました。

その前には、東口バスターミナルで、東急バス渋71系統(洗足線)の新車(SI8770、品川200か17-23号車、三菱ふそう)を見ることが出来たけど、女性の運転手が運転していました。

目黒営業所所属時代は日野の中型車が当たり前だったけど、下馬営業所に移管された現在は、目黒営業所から継承された日野の中型車ほか、三菱ふそうの中型車も使用されるようになった。

目黒営業所管内では、6月27日からPASMOが導入されているので、都営バスとの共同運行である東98系統(東京駅南口~目黒駅経由~等々力操車所間)でのPASMO問題が解決されていた。 瀬田営業所のほうは、6月13日からPASMOが導入されている。

渋54系統は、渋谷駅の西口の4番乗り場(三菱東京UFJ銀行前)から発車。渋谷駅に乗り入れる小田急バスは、渋54系統のほか、渋24系統(渋谷駅西口~成城学園前駅西口間、東急バス弦巻営業所との共同運行)、渋26系統(渋谷駅西口~狛江駅北口経由~調布駅南口間)
もある。 

渋24の小田急担当便と渋26系統は、狛江営業所所属。

以前は渋25系統(渋谷駅~狛江駅南口間)もあった。

調布南口線は、二子玉川駅発着の玉08系統もある。

渋24、26系統は、道玄坂を経由するけど、道玄坂の歩行者天国で通れない時は、国道246号経由で運転されているけど、1994(H6)年以前は、旧玉電渋谷駅跡のバスターミナルから発着していた。 この時にターンテーブルに乗った小田急バスの車両も見られていた。

小田急シティバスは、2000(H12)年2月1日に設立された小田急バスの子会社で、同年8月1日に小田急バスの夜行高速バス部門が移管されていた。

翌年の2001(H13)年1月16日には、若林営業所管内の一般路線の受託が行われるようになった。

小田急シティバスの夜行高速バスは、新宿駅から秋田、福山・尾道・三原、岐阜、津山・岡山・倉敷・児島、高知方面、東京駅から三次・広島方面へと出ているけど、三次・広島方面へのニューブリーズ号(JRバス関東、中国ジェイアールバス、広島電鉄との共同運行)が、小田急シティバスで唯一東京駅発着となっている。

新宿~津山・岡山・倉敷・児島間のルミナス号は、新宿駅西口の発着場所が、明治安田生命ビルの前となっていることで、他の系統とは異なっている。

その他の新宿発着の便は、小田急箱根高速バス、宿44系統(新宿駅西口~幡ヶ谷~永福町~上高井戸~吉祥寺駅~第七小学校前~武蔵境駅南口間)と同様に、小田急ハルク(ビックカメラ前)から発着している。

宿44系統は、吉祥寺営業所所属で、専用のいすゞエルガミオの小型車が使用されている。

流石に全区間通しで乗る人が少ないけど、乗ってみるのも面白いかもしれないです。

この路線は、1949(S24)年に119系統として開設された当時は、東京都交通局(都営バス)、京王帝都電鉄(現、京王バス)による共同運行で、東京駅~武蔵境駅間の路線だった。
一時期はトレーラーバスも使用されていたこともあった。

1970(S45)年には、新宿駅発着となり、小田急バスによる単独運行となる。

渋54系統(小田急梅ヶ丘線)は、1954(S29)年10月1日に、渋谷駅~梅ヶ丘駅~経堂駅間の路線として開設されていた。 1970年代には、梅ヶ丘まで短縮されていた。

2003(H15)年10月16日には、梅ヶ丘駅付近の踏切解消により、一部の便が希望ヶ丘団地まで延長されていた。

この時に乗った車両は、小田急シティバス世田谷営業所(小田急バス若林営業所)所属のB605(品川200か10-81)号車で、三菱ふそうの中型車である。

こちらは、新製当時若林営業所所属で、一時的に吉祥寺営業所(多摩ナンバー)で使用されていたことがあった。

渋谷~淡島間は、東急バスの渋51、52系統(若林線、渋谷駅~若林折返所、世田谷区民会館間、淡島営業所所属)と同じルートを通っている。こちらもPASMOが使える

渋51系統、東急バス淡島営業所の路線の中で最も本数が多く、平日朝間は2分おき、日中でも1時間に10本は走っているので、都内の東急バス路線の中ではドル箱路線のひとつとなっている。こちらは昨年5月20日から平日のほか、土曜日にも深夜バスが運転されるようになったし。この沿線は、鉄道の駅から遠いので、バスが重宝されているので。

現在はモーニング娘。のファン活動が活発で、そのファンの友人を多く持っているので、ドル箱路線に例えられる状態となっている。航空路線で言えば、東京(羽田)~札幌線などがドル箱路線となっているし。

モーニング娘。のファンの初期の頃は、ファン活動が少なく、ファンの友人もゼロに近かった。 
 こちらは、開業当時は何も無かったけど、しばらく経った後に住宅や商業施設などが建ち並ぶようになった状態にも例えられている。 

逆にdream(現DRM)のファンのほうは、ファン活動が少なく、ファンの友人が不在となってしまったので、逆に赤字路線みたいな状態となってしまった。 こちらは鉱山が閉山した後の路線、であるJR美祢線の大嶺支線(山口県、南大嶺~大嶺間)および三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(北海道、清水沢~大夕張炭山間)と同じような状態となってしまったし。

渋54系統ではPASMOが使えました。 小田急バスでPASMOが使えるのは、若林営業所(小田急シティバス世田谷営業所)と狛江営業所となっている。

神泉町交差点で、旧山手通りを入り、その後、左折して、淡島通り(渋谷経堂線)を通りました。 青葉台四丁目バス停付近には、コヤマドライビングスクール(自動車教習所)の本社がある。 ここにその本社があるということは、バスの案内テープの放送で知りました。

コヤマドライビングスクールは、二子玉川校(世田谷区)、石神井校(練馬区)、秋津校(東村山市)、綱島校(横浜市港北区)の4ヶ所あるけど、筆者は、そのうちの石神井校で教習を受けていたのである。

石神井校は、石神井自動車教習所から買収されて開設されていた。

筆者のところからは、池袋のサンシャインシティの近くにある豊島自動車教習所が近いけど、通行量が多いということで、板橋、練馬エリアに固執していた。板橋、練馬エリアの場合は運転の練習がしやすそうな道(環境)があるし。

1998(H10)年に自動車教習所を選ぶ時には、板橋、練馬エリアの教習所を回っていたけど、コヤマの場合は以前石神井校と二子玉川校で体験入学したことがあること、信頼のおけるコヤマグループであることなどで、コヤマドライビングスクール石神井校を選んだのである。 当時は、椎名町から西武池袋線で練馬高野台まで通っていた。 

コヤマドライビングスクールの教官(インストラクター)は、とても感じがよかった。 現在はインストラクター全員がマナー検定を取得している。

当初は、当時練馬区在住だったT.M君も通っていた北豊島園自動車自動車学校、大泉自動車練習所も候補となっていた。

萩原清さんのほうは、地元の高砂の京成ドライビングスクールに通っていたことがあった。

淡島通りで、山手通りの新道を横断した後は、松見坂を通りました。

駒場バス停の手前では、森敏英さんの世界である制服向上委員会(SKi)のコンサート会場であるこまばエミナースの前を通りました。

こちらは昨年9月24日に一旦解散していたけど、復活を望む声が大きかったので、SKiユニットとして復活している。 森敏英さんのほうは、ファン活動を継続している。

淡島では、右折し、代沢、代田エリアの狭い道に入りました。 この時には、東急バスの淡島営業所の前を通りました。 この淡島営業所は、一般の路線バスの車両のほか、渋谷エリアでの無料循環バス、ハチ公バス(夕やけ小やけルート)、NHK線の路線バス(東急担当便)も所属しているので、これらの車両も見ることが出来ました。 淡島通りをこれらの車両の回送車が通っているのは、そのためである。

宮前橋交差点で、環七通りを横断。 この時にB306(品川200か・226)号車のいすゞのエルガミオの渋谷行きとすれ違いました。 B306の番号で、Berryz工房の嗣永桃子女史の誕生日(3月6日)、226の番号で、元モーニング娘。の藤本美貴女史の誕生日の番号なので、これらのメンバーを思い出しました。 この車両に当たっていれば、話題になっていたところだった。

梅ヶ丘駅では、北口に到着。

小田急シティバスの路線は、梅ヶ丘線のほか、経堂線、梅01系統(梅ヶ丘駅北口~経堂~希望ヶ丘団地~千歳船橋駅間(深夜バスも運行))、歳22系統(千歳船橋駅→希望ヶ丘団地→粕谷一丁目→千歳船橋駅間循環)
歳24系統(千歳船橋駅→希望ヶ丘団地 (深夜バスのみ))

三軒茶屋線、下61系統(北沢タウンホール~下北沢駅前~代沢小学校~代沢十字路~三軒茶屋~上馬~駒沢陸橋間)

[編集] 新宿~よみうりランド線

新宿駅西口~幡ヶ谷~調布~矢野口~よみうりランド間もある。

よみうりランド線は、3月16日~6月15日、9月16日~11月15日の日曜・祝日に2本だけ運行されており、笹塚2丁目~調布(調布駅北口)間は無停車である。

梅ヶ丘からは、北口にある羽根木公園を散策した後、世田谷代田駅まで歩いていきました。

羽根木公園の北側からは、京王井の頭線の東松原駅(アジサイライトアップのある駅)まで歩いて行くことも出来る。

世田谷代田~梅ヶ丘間の環七横断部は、道路部分が下となっているけど、地下化された暁には、環七通りの下を走ることになる。

この時に、経堂の車庫まで回送される小田急箱根高速バスの車両(品川200か・879)の三菱ふそうエアロクイーンを見ることが出来ました。

小田急箱根高速バスの経堂車庫は、以前南側の線路沿いにあったけど、小田急線の高架・複々線化工事により、北側に移転している。

小田急箱根高速バスは、京浜急行バスとの共同運行路線である羽田空港、横浜~御殿場、箱根桃源台線を含めてPASMOが使える高速バスとなっている。

世田谷代田・東北沢では、橋上の仮駅舎を見物しました。

世田谷代田から東北沢までは、3000形の3663F、東北沢から新宿までは同3655Fで、どちらも8両固定編成となっていました。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-28 13:25 | バス乗車記

ユネスコ村のゆり

6月18日は、グッドウィルドームの横にあるユネスコ村ゆり園に行き、百合を見てきました。

ルート 中井~上石神井~小平~西武遊園地~西武球場前~西所沢~ひばりヶ丘~池袋…東池袋~永田町~渋谷~梅ヶ丘…世田谷代田~東北沢~新宿~目白

まずは中井から上石神井まで、2000系の2093Fの上石神井行きで移動。 

上石神井から小平までは、6000系6101Fの急行に乗り継ぎました。 この6101Fは、6102Fと同様に、副都心線対応改造の対象から外されているので、新宿線系統に残ることになっている。 もしも6101、6102Fも改造対象車だったら、池袋線にある20000系の10両固定編成を新宿線に集中配置することが出来ていたところだった。

結局20000系の10両固定編成のうち、20107、20108Fが池袋線系統に残ることになったのである。

小平から西武遊園地までは、2000系の2531Fに乗車。 小平~西武遊園地間の区間運用は、2000系の4両編成が中心となっている。

八坂駅は、以前反対側にホームがあったけど、2000(H12)年の府中街道の拡幅(4車線化)工事に合わせて、ホームの移設が行われていた。

八坂~回田(めぐりた)信号所間は、複線区間となっており、平日の朝夕ラッシュ時および土曜・休日の日中には、交換シーンが見られることになる。

回田信号所は、東村山中央公園前にあり、その近くを多摩湖自転車道が出ている。 その近くには、東村山浄水場もあるし。

東村山浄水場は、1960(S35)年8月16日に開設された浄水場で、千代田区、文京区の大部分、港区の東部、中野区、新宿区、渋谷区、豊島区、練馬区、杉並区の全域、清瀬市、東久留米市、西東京市、国分寺市、小金井市、国立市、府中市、調布市、狛江市、日野市、多摩市、稲城市の全域、三鷹市、東村山市、小平市、立川市、町田市の大部分、八王子市の東部が給水地域となっている。

それ以前は、西新宿に淀橋浄水場があった。こちらは、1965(S40)年3月に閉鎖された後、新宿副都心計画として、東京都庁などの高層ビルが建ち並ぶようになった。

新宿初の高層ビルは、1971(S46)年に開設された京王プラザホテル(高さ169m)となっている。 現在新宿副都心で一番高い建物は、東京都庁の第一本庁舎(高さ243m)となっている。

東京都庁の第一本庁舎は、1991(H3)年4月1日に丸の内からの移転により開庁した当時は、池袋のサンシャイン60よりも高い、日本一の高いビルとなっていた。

現在は、1993(H5)年に完成した横浜のランドマークタワーの296mが日本一高いビルとなっている。

東京で一番高いビルは、六本木のミッドタウン・タワーの248mとなっている。

現在は、新宿中央公園の一角に淀橋給水所が残っている。

淀橋とは、当時の東京府豊多摩郡淀橋町(現在の西新宿、北新宿の一帯)のことで、東京市が35区だった時には、区名にもなっていた。 現在は、現在はヨドバシカメラや東京都中央卸売市場淀橋市場、幼稚園、小学校などにその名が残っている。

淀橋と言えば、ヨドバシカメラを連想する人が多いけど、昔の地名であるということは、歴史に詳しい人でないと分からないという状態となっている。

話は元に戻すけど、次の武蔵大和駅は、1面1線の駅となっている。

この駅は、1930(S5)年1月23日に開業した当時は、村山貯水池駅と呼ばれていた。 当時の地名は、北多摩郡大和村(現東大和市)となっていた。

大和村は、1954(S29)年5月3日に大和町となり、1970(S45)年10月1日には、東大和市となったのである。 

その直後の1970(S45)年10月31日に市制施行された埼玉県の和光市は、以前北足立郡大和町となっていた。

北足立郡大和町は、1943(S18)年4月1日に、新倉村と白子村が合併して誕生していた。

東大和市となったのは、神奈川県の大和市と、埼玉県の和光市の区別を付けるためである。

東大和市駅は、1950(S25)年5月15日に、上水線(小川~玉川上水間)と同時に開業した当時は、青梅橋駅と呼ばれていた。 1979(S54)年3月25日には、市制施行よりも遅れて、東大和市駅に改称されていた。

東武東上線の和光市駅は、1934(S9)年2月1日の開業当時は、新倉駅と呼ばれていた。 1951(S26)年10月1日には、大和町駅となり、1970(S45)年12月20日は、現在の和光市駅となったのである。

和光市駅では、今年4月5日から1、2、4番線で発車メロディーが導入されている。

西武遊園地駅は、多摩湖(村山貯水池)の最寄り駅となっている。

西武遊園地から西武球場前までは、西武山口線のレオライナーで移動。 この時に乗った編成はV1編成(8501F)である。 

レオライナーの8500系は、1985(S60)年4月25日に登場した当時は、新交通システムで唯一のVVVFインバータ制御となっていた。

1998(H10)年に登場したゆりかもめの7200系は、新交通システムで2番目のVVVFインバータ制御車となっている。

2001(H13)年には、IGBTインバータに交換されていた。

行き先表示は、手動式となっている。

今回は矢印表示(西武球場前⇔西武遊園地)となっていました。

山口線では、野球開催日(繁忙期)は3編成フル稼働の状態だけど、今回(閑散期)は1編成のみの稼働となっていた。

遊園地西~西武球場前間には、東中峯信号所があり、繁忙期には、ここで列車の交換が行われている。

レオライナーの車両基地(山口車両基地)は、西武球場前寄りにあるけど、ここで2編成が休んでいた。この時にタイヤが外されていた風景を車窓から見ることが出来た。

この近くには、西武園ゴルフ場もある。車窓からは、二軍の本拠地である西武第二球場を眺めることが出来ました。

西武球場前駅周辺には、グッドウィルドーム、狭山スキー場、狭山不動尊、狭山湖(山口貯水池)がある。

西武ライオンズのほうは、1999(H11)年から2006(H18)年まで、横浜高校出身の松坂大輔投手が活躍していたことで有名である。

松坂大輔投手は、現在大リーグのボストン・レッドソックスで活躍している。松坂投手は、4月5日(現地時間)のロイヤルズ戦に初先発し、7回1失点10奪三振の好投で初勝利を挙げていた。初先発初勝利は日本人選手では4人目の記録となっていたし。

アメリカ合衆国、マサチューセッツ州ボストンは、アメリカ北東部の都市であり、THEポッシボーの岡田ロビン翔子女史の出身地でもある。

この後、ユネスコ村自然散策園「ゆり園」に行ったけど、昨年9月30日に閉鎖されたユネスコ村大恐竜探検館や、その他の遊戯物も撤去されずに残されていました。

野球が開催されていない平日の西武球場前駅は、閑散としていました。

ユネスコ村は、1951(S26)年9月16日に、日本のユネスコ加盟を記念して、西武鉄道によって開園していた。

当時はオランダの風車などの世界の建物が集まった人気スポットとなっていたけど、1990(H2)年11月4日に惜しまれて閉園していた。

1993(H5)年12月22日には、ユネスコ村大恐竜探検館として営業が再開されていたけど、昨年9月30日をもって閉館となっていた。

ユネスコ村自然散策園「ゆり園」は、2005(H17)年6月4日に開園したゆりの名所で、百合の生産量日本一の埼玉県らしい名所となっている。

こちらは5月から7月までの期間限定開園で、30000㎡の敷地内に、約40万株の百合の花が咲き誇っている。

これらの百合の花を見たけど、色とりどりでとても綺麗でした。 あとは、撮影のためのお立ち台も完備されていたのが嬉しかったです。

こちらのゆり園は、園内を一周する自然散策コースや、高齢者や障害者でも気軽に散策出来るように設定されたらくらく鑑賞コースなら成っている。

今回は食べなかったけど、百合の天ぷらの入ったうどんやそばを食べることが出来る。

特に、ピンク色やオレンジ色の百合が気に入っています。中には焼きリンゴみたいな色の百合もあったし。

これらの百合を見た後、西武球場前から西所沢まで、新101系の2+2の4両編成による普通列車で移動しました。 この時に使用されていた編成は、269+291Fだった。

下山口駅では、271+287Fと交換していました。

所沢市の山口エリアは、以前埼玉県入間郡山口村となっていた。 1943(S18)年4月1日には、 所沢町・小手指村・富岡村・吾妻村・松井村と合併して所沢町(所沢市の前身)となった。

1950(S25)年には、市制施行により、現在の所沢市となった。

1955(S30)年には、柳瀬村と三ヶ島村が吸収合併されて現在の所沢市となったのである。

所沢市は、タレントの所ジョージ氏の出身地であるけど、その芸名は、所沢の所と、柳ジョージ氏のジョージに由来している。

西所沢からひばりヶ丘までは、9000系の9107Fで移動。 こちらは、2005(H17)年1月に西武車両でVVVF改造された編成で、VVVF化第二弾となっていた。 同時に9108Fと同様のシングルアームパンタグラフに交換されていた。

西武車両でVVVF化された編成は、2004(H16)年度にVVVF改造された9106、9107Fの2本のみとなっている。 2005(H17)年度から2007(H19)年度までは、東急車輌で行われている。

ひばりヶ丘では、6103Fによる準急を見ることが出来ました。 

6000系の副都心線対応改造は、新宿線から転用された5編成で行われていたけど、今年度から池袋線所属編成にも行われることになる。

ひばりヶ丘から池袋までは、6000系の6109Fで移動。 練馬高野台で、東京メトロ10000系の10104Fとすれ違いました。 

東京メトロ10000系の西武線乗り入れは、2月23日に解禁されて以来行われている。

池袋に到着後、通勤準急所沢行きで折り返していました。 通勤準急は、平日の朝の上下と夜間の下りのみの運用で、池袋~大泉学園間ノンストップで、大泉学園より先は各駅停車となる。

この後には、10000系10103Fによる特急が発車していた。 この日は仕事が休みだったので、ゆり園に閉園時間まで居られたのである。

この時に留置線から引き上げられ、折り返し7番線からの急行飯能行きとなる6000系の6105Fを見ることが出来ました。

この6105Fは、池袋線に転属され、副都心線対応改造から出場したばかりの状態だった。

留置線を出場した後、一旦特急用の線路に引き上げられ、ここでポイント切り替えの後に、7番線に入っていた。

この後、池袋のサンシャイン劇場に行き、℃-uteが出てくるゲキハロ・寝る子はキュートの当日券を買って見ようとしたけど、残念ながら直前で売り切れてしまったので見ることが出来ませんでした。こちらは6月15日から24日まで行われていたけど、筆者は見れずじまいに終わってしまったのである。 まさにゲキハロならぬ撃破されたような状態となってしまった。

あの後、東池袋駅まで行き、ここから永田町まで、東京メトロ10000系の10104Fで移動しました。 この時には、西武直通の10107Fを見ることが出来ました。

永田町から表参道までは、東武50050系の急行(51059F)、表参道から渋谷までは、同50050系の51060Fの各駅停車で移動しました。 これにより、日立製のA-Train同士の乗り継ぎとなりました。

51060Fは、50050系のラストナンバーとなっているけど、今年度はどうなるのか気になります。 全てが50070系になるのか、一部50050系で30000系が置き換えられるのか?

やはり渋谷で急行に乗る乗客で混雑することが懸念されていたので、表参道で各駅停車に乗り換えたのである。

田園都市線のほうは、利用客が多く、混雑が激しい路線となっている、夜間でも非常に混雑する列車が多いし。 

こちらは、人気メンバーである道重さゆみ女史を推している人が多いということになぞられている。

平日朝ラッシュ時の上り急行の一部が準急となったことにより、二子玉川駅の混雑が緩和されていた。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-27 11:15 | 鉄道乗車記

開設2周年

この交通(鉄道)活動日記は、本日(6月27日)で開設2周年を迎えました。 3年目も書いていきたいと思います。

ここで、2年前のレポート復刻版

この日は、8時30分に自宅を出て、目白から新宿へと向かい、新宿から、215系による、ホリデー快速ビューやまなし号で、三鷹へと向かいました。

この215系は、2004(H16)年10月15日まで、湘南新宿ラインの新宿~逗子、横須賀間で使用されていた車両でした。 同年10月16日のダイヤ改正により、湘南新宿ラインの運用から撤退し、乗れる機会は、湘南ライナー、ホームライナー小田原23号・おはようライナーライナー26号、不定期運転のホリデー快速ビューやまなし号だけとなってしまいました。

同年9月25日の、新宿駅7・8番線の切り替えに伴う、湘南新宿ラインの運休に伴い、大崎始発の列車としても使用されていたことがある。

湘南新宿ラインの前は、東京~熱海間の快速アクティーにも使用されていたことがありました。

三鷹駅に到着した後、記念往復乗車券を買おうとしていたけど、残念ながら10分前に売り切れてしまいました。

三鷹駅では、山澤さんと出会いました。

三鷹駅からは、武蔵野線用のクハ103-821Fによる、三鷹駅75周年記念号に乗り、高尾まで行きました。 

このオレンジ色の103系は、1983(S58)年まで、中央快速線で使用されていたことがあったので、23年ぶりのリバイバル運転となりました。
中央快速線では101系もあったけど、翌年の1984(S59)年のオール201系化によって全廃となっている。

車内は、予想通り、2003(H15)年8月3日に運転された、301系(営団地下鉄(現東京メトロ)東西線直通用車両)のさよなら運転(三鷹→高尾間)の時と同様に、通勤列車並の混雑でした。
前回と同様に、途中乗降扱いによる停車なし。

この列車は乗るもよし、撮るもよし、の電車だったし。 

行きは、4号車(モハ103-685号車、弱冷房車)、帰りは6号車(モハ103-686号車)に乗りました。 

やはり、多摩川や浅川を渡る鉄橋には、マニアが多数集まっていました。

高尾に到着した後、撮影会が行われていたけど、もの凄い人が集まっていたので思うように撮影出来ませんでした。 

ヘッドマークは、三鷹よりと高尾寄りで異なっており、三鷹よりが、75周年記念号の文字入り、高尾寄りが、鷹をイメージしたデザインとなっていました。

このE38編成(クハ103-821F)は、2000(H12)年まで、習志野電車区(H15年12月に三鷹電車区に統合されて廃止)のラシ303編成として、中央・総武緩行線を走っていたことがありました。 この編成が三鷹に現れたのは、あの時以来だった。

中央・総武緩行線から103系が消えたのは、翌年の2001(H13)年3月27日のことであった。

2000(H12)年12月2日、武蔵野線の一部列車の海浜幕張延長に伴う増備車として、サハ2両抜きの8両として、オレンジに塗り替えられた上で転属されて現在に至る。

八王子駅では、ブルーサンダーことEH200型機関車を見ることが出来ました。 

国立駅付近では、上り線の仮線化工事が始まっているので、大きく変わろうとしています。 高架化工事により、関東の駅百選に認定された、国立駅のユニークな駅舎が消えるので残念に思っています。 
武蔵境・東小金井・武蔵小金井駅は、既に仮線への切り替えが完了している。

東小金井駅の中線で、7分停車 ここで、E257系による、あずさ8号の通過待ちと、快速電車の待避がありました。 
東小金井では、撮影に持ってこいの状態であったため、そこに居合わせた人は勝ち組だったと思います。 

11時32分、三鷹駅に到着 1往復の記念列車の旅を終えました。

三鷹駅に到着した後、駅構内の立ち食いそば屋で昼食を取り、入場列に並びました。 最後尾のほうは、北西部のガード付近となっていました。 最後尾の列に付く前に、並んでいる奥野さんと出会いました。

しばらく経ち、三鷹駅の北口に差し掛かる頃、混雑による入場制限のため、入場打ち切りを知らせるアナウンスがあったので、入れないのかどうか不安になってしまいました。 駅構内を通り抜け、南口での小田急バスの群れを見た時、やっと南口まで来たんだな!ということを実感しました。 ガードの南口付近まで来た時、すぐ行けるはずのルートなのに、随分遠回りしたんだな!と思いました。反対側も見えるはずだけど、入場列の打ち切りにより、誰も人が居なかった。

しばらくした後、地下道をくぐり、跨線橋を渡った時、あと少しだな!きっと入場出来ると前向きな気持ちで待っていました。

整列開始から約1時間40分、やっと入場出来て、幸運を手にしました。

入場口で記念品をもらった後、中央・総武緩行線でおなじみの、黄帯E231系(クハE231-26F、B26編成)に入り、この次に、東京メトロ東西線直通用のE231系800番台(クハE231ー806F、K6編成)、7月2日に営業運転再開予定の201系四季彩号(新デザイン)の車内に入りました。

この編成は、2001(H13)年に四季彩に改造される前は、武蔵小金井電車区(現在は豊田区に統合されて廃止)所属のダブリの付属編成(4両)として使用されていました。

四季彩といえば、2002(H14)年10月6日に、大月駅100周年記念号として、立川から大月まで運転されていたことがありました。 自分は大月から立川まで乗っていた。あの時は、青梅線の渓谷区間(青梅~奥多摩間)を走るはずの四季彩が、中央東線のトンネル区間を飛ばしてた姿は、従来の201系と比べて新鮮そのものでした。 もちろん、初狩駅構内でのイベントにも参加したけど。

その後、E231系800番台に戻り、ACトレインことE993系の車内に入りました。 この試作車は、未来の通勤型電車のプロトタイプで、ロングシートのほか、グリーン車みたいな特急用の座席もありました。 5月28日の大宮総合車両センター(旧大宮工場)でのイベントの時は、特急用座席にも座り放題だったけど、順番に回る方式だったので、今回は見物のみで座ることが出来ませんでした。

再び、E231系800番台に戻って、ここから下車した時点で車内見学が終了しました。

このような強制的に車内見学させる方式は、前回の高尾でのイベントの時と同様でした。 このため、入場まで炎天下の中随分待たされました。 301系の時も炎天下の下で待たされていた。

この次は、定検庫の見学、その前に、1988(S63)年12月5日の中央・総武緩行線の東中野駅での事故に遭遇した201系うちの唯一の生き残り車両である、黄色いクハ201-3号車(今なお残る黄色い201系)を見ることが出来ました。
今回は妻面のみの撮影で、残念ながら前頭部を撮影することが出来ませんでした。

定検庫の中では、青梅・五日市線のクハ200ー76号車(元中央・総武緩行線用車)、E231系と209系500番台の並びを見ることが出来ました。 足回りの見物の後、グッズ売り場、鉄道撮影エリアまで出てきました。

ここでは、勝田の485系ボンネット車@訓練車、新前橋の183系(S3編成)、松本のスーパーあずさ用E351系(S2編成)、中央線あずさ・かいじ号を中心に使用される松本のE257系(M114編成)、75周年記念号に使用された103系が展示されていました。
その他、休憩用として、E231系800番台(クハE231-804F、K4編成)が公開されていた。

485系訓練車には、懐かしの絵なしのHM(あずさ AZUSA)が付いていたので、1977(S52)年にヒットしていた、狩人の「あずさ2号」を思い出しました。

この曲は、「♪8時ちょうどの、あずさ2号で」のフレーズでおなじみである。 翌年の1978(S53)年に下りは奇数、上りは偶数に変更される前、発車の順番によって決められていました。 当時の、新宿駅を2番目(8時)に発車する、あずさ号からこの曲が生まれたのである。

反対側は、訓練車のHM 座席は、昔ながらの青色の非リクライニング座席でした。 E231系800番台から確認。現在は一般乗客は座ることが出来ない。

183系には、定期運転で見ることが出来なくなった、絵入りのあずさHMが付いていた。

現役当時のボンネットのあずさ号は、181系電車となっていた。 この車両は、1982(S57)年11月の旧・とき号の廃止と同時に全廃。 

あずさ2号といえば、 2002(H14)年2月2日に、リバイバル運転されていたことで話題となっています。 車両はシンボルマーク付きの国鉄色183系で絵無しのHMも再現されていた。 残念ながら自分は見に行かれなかったけど。

183系のあずさ号、現在は幕張車両センターの原色編成で、多客期に限り運転されている。

E351系スーパーあずさ 普段は新宿~松本間、8+4の12両運転となっているので、8両単独で上京してきたのは珍しい。
反対側の貫通マスクを見ることや撮ることが出来なかったのは残念。 このマスクは、松本車両センター構内、大糸線の松本~白馬、南小谷間で見ることが出来る。

E257系 中央線特急の主役で、2002年度のBL賞受賞編成である。 9両単独で上京してきたけど、普段見慣れた編成となっている。
この編成のカラーリング=筆者の気に入りである。

どちらも、常磐線で使用されている特急型車両がベースとなっている。 E351系は651系スーパーひたち、E257系はE653系フレッシュひたちベース

今回は、3時で終了するはずだったけど、特別に4時まで延長してくれました。

今回のイベントは、前回の高尾の時と同様に炎天下の中で待たされたけど、待った甲斐のある素晴らしいイベントとなりました。 

諸事情により、75周年記念弁当を食べることが出来なかったのは心残りです。

ちなみに、現在新宿駅を8時ちょうどに発車するあずさ号は、E351系によるスーパーあずさ5号、松本行きです。

鷹でのイベント終了後は、三鷹駅に向かい、奥野さん、萩原さん、黒岩さん、自分の4人で、駅構内のスタバで休憩した後、三鷹から中央・総武緩行線で秋葉原まで向かい、ここで萩原さん・黒岩さんと別れて、奥野さんと2人で、東京駅の某書店、マックに行きました。

東京駅で奥野さんと別れた後は、1人で上野駅に向かい、ここで、7月9日以降大きく変わる常磐線の撮影を楽しみました。 この時に、103系が来なかったけど、今回の改正で、定期運用から離脱される予定の、2階建て普通車(クハ415-1901号車)を撮影することが出来てよかったです。

この列車は、常磐線の混雑緩和のために、1991(H3)年に1両だけ試作された車両で、量産化されることはありませんでした。今回で、僅か14年間の活躍を終えたことになった。 

この編成は、K880編成で、クハ415-1901、モハ415-523、モハ414-523、サハ411-1601、クハ411-1534、モハ415-1534、モハ415-1534、クハ411-1634号車となっていました。 これまで、モハ415-1535、モハ414-1535号車が連結されていたけど、普通鋼製車である、モハ415-523、モハ414-523号車に差し替えられていました。 やはり運用離脱を見据えてこうなったのである。

今後は、中間に押し込められている、クハ411-1534号車が先頭に出て、7両編成化されることになることが予想されます。と言っていたけど、独立した4両編成となったのである。

2階建て普通車は、普通料金で眺めを楽しむことが出来ることの出来る車両となっているけど、それが消えてしまうのが残念で仕方ありません。 座席配列は、2+3

今年になってからE531系のグリーン車の登場により、常磐線の2階建て車両が復活していたのである。

この2階建て普通車は、土浦 6:24発→上野 7:41着、7:49発→勝田 10:13着、 勝田 16:47発→土浦 17:43着、19:24発→上野 20:32着、20:51発→土浦 22:02着となっていた。

自分は、上野から日暮里まで名残乗車を楽しみました。

やはり、改正後の時刻表では、2階建て車両の文字が消えていました。 この列車は、E531系導入までのつなぎとなったことも言うまでもありません。

以上が2年前の三鷹でのレポートの復刻版でした。

このレポートを書き始めた頃に登場した8039Fの復刻帯無し塗装も、6月30日、7月1日に運転される予定の懐かしの急行でラストランを迎えることになる。

新潟車両センターに保存されていた181系のクハ181-45号車は、今年5月13日に新潟からさいたま市の新生鉄道博物館に移設されている。

485系訓練車(ボンネット車)のほうも、新生鉄道博物館で展示される予定となっている。

クハ201-3号車とクハ200-76号車は、中央快速線の201系よりも先に廃車・解体されてしまったけど、クモヤによる牽引で廃車回送されていた。

新前橋電車区(現高崎車両センター)の183系のS3編成は、現在大宮総合車両センター(東大宮)に移り、編成もクハ182-102号車を除いて差し替えられている。 三鷹でのイベントの時は、クハ182-102号車のよるあずさの表示を見られたのである。

ACトレインのE993系は、昨年7月に郡山総合車両センターに回送され、7月22日の郡山総合車両センターでのイベントで最後のお披露目が行われていた。現在は解体されてしまったのでもうその姿を見ることが出来ない。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-27 10:50 | 鉄道イベント
レインボーブリッジの遊歩道(レインボープロムナード)を後にして、芝浦ふ頭駅まで行き、ここからゆりかもめで汐留まで行き、都営大江戸線乗り換えで赤羽橋まで行きました。

前回はレインボーブリッジの遊歩道入り口から田町駅まで歩いて行った。

こちらは、第三月曜日、強風の日、年末年始は通ることが出来ない。 あとは自転車の通行も出来ない。ここを歩くための所要時間は約20~30分掛かる。 遊歩道の途中には、トイレ・売店・自動販売機は無いので注意が必要だし。

芝浦ふ頭から汐留まで乗ったゆりかもめの車両は、7000系の7181F(18番編成)で、東京臨海新交通㈱から㈱ゆりかもめに変更された1998(H10)年に7161、7171Fと同時に導入されていた。 こちらは、セミクロスシート車となり、サイリスタ位相制御として最後に製造されたグループとなっている。前面には虹のデザインが追加されていた。

芝浦ふ頭駅付近には、倉庫が建ち並んでいる。

日の出駅と竹芝駅は、日の出桟橋および竹芝桟橋の最寄り駅で、どちらも浜松町駅から歩いていける距離にある。

日の出桟橋は、お台場、有明、しながわ水族館方面への海上バスおよび浅草方面への隅田川水上バスの発着地でもある。

竹芝桟橋は、伊豆諸島、小笠原諸島への玄関口であり、東海汽船、小笠原海運による船が出ている。

東海汽船では、夏には、東京湾納涼船というクルーズ船が竹芝桟橋発着で運航されている。こちらは、レインボーブリッジを通り、羽田沖までクルーズし、竹芝桟橋まで戻ってくることになっている。

東海汽船は、椿山荘(文京区関口)、ワシントンホテル(ビジネスホテル)、箱根小涌園などでおなじみのホテル・レジャー会社である藤田観光が筆頭株主となっている。 

8月5日に行く予定の箱根小涌園のユネッサンも藤田観光の系列である。

ユネッサンは、水着着用の「ユネッサン」ゾーンと、温泉の「森の湯」ゾーンに分かれている。

前者はon泉、後者はoff呂と言われている。

汐留駅では、都営浅草線との連絡線路が見えました。 こちらで、E5000形電気機関車との連結・切り離し作業が行われることになる。 こちらは、馬込車両研修場まで牽引されることになっている。

都営浅草線乗り入れ車両の形式番号は、1号線乗入協定により定められており、都営は5000番台、京急は1000番台、京成は3000番台、北総は7000番台、千葉ニュータウン鉄道(元公団)は9000番台となっている。

京急新1000形や京成新3000形と言った形式になったのも、1号線乗入協定によるものとなっている。

汐留から赤羽橋まで乗った大江戸線の車両は、12-000形の12-281F。 

次の大門では、初期型の12-000形である12-021Fを見ることが出来ました。 都営12号線(現、大江戸線)が練馬~光が丘間での運用だった頃は、白い12-000形初期型車が当たり前だったけど、2000(H12)年に全線開通した現在は、銀色の12-000形車両に埋め尽くされている。

なので、白い初期型12-000形を狙うのには困難となっている。

初期型12-000形は、12-011、021、031、041、051、061Fで、12-061Fは、1994(H6)年に輸送力増強用として導入されていた。 当時の編成は6両で、1997(H9)年12月の新宿までの延長と同時に、8両編成化されていたけど、同じ仕様の中間車が挿入されていた。

この初期型12-000形は、製造されてから15年経過したために、車体の塗り直しや車内機器の一部交換などのC修繕が順次行われている。

同時に、蛍光灯カバーがプラスチック製→金属製に変更されていたので、大邱地下鉄放火事件の影響による難燃性基準の変更のよるものと思われています。

大邱地下鉄放火事件とは、2003(H15)年2月18日に、大韓民国(韓国)の大邱広域市地下鉄公社1号線の中央路駅構内の地下3階のホームに到着した第1079列車(第18編成)の車内で、男が飲料用ペットボトルの中からガソリンを振りまいて放火していたことによって発生していた。

放火された車両は難燃材を用いて製造されていたが、熱には弱い材質であったため、特に窓ガラスの支持等に使用されていたゴム材が溶解して部品が脱落し、火炎が編成全体に行き渡る結果となった。

昨年9月1日に登場した東京メトロの10000系で、火災時に有毒ガスが出る塩化ビニールなどが使用されていないなど、火災対策が強化されているのはそのためである。

赤羽橋駅は、東京タワーの最寄り駅であり、アップフロントグループのビルが近くにある。

周辺には、駅名の由来となっている赤羽橋(古川に架かる国道1号上の橋)がある。

こちらは、東京都北区にある赤羽駅や赤羽岩淵駅と紛らわしい状態なので、パシフィックヘブンで行われるイベントに行く時には注意が必要である。

ここからは歩いて東京タワーに行きました。

今回東京タワーに行ったのは、6月10日に放送されたハロモニ@のロケ地めぐりの一環である。 その前日の6月16日には、Tちゃんがその友人と行っていたので、それを聞いて筆者も行こうと考えていたのである。 Tちゃんとその友人は、東京タワーの後、ゆりかもめにも乗っていた。

東京タワーは、1958(S33)年10月に完成、同年12月に公開された、世界最高の自立式鉄塔(総合電波塔)であり、高さは約333mとなっている。

こちらは、故・前田久吉氏(のちの産経新聞社、関西テレビ、ラジオ大阪社長)によって、相次いで開局する各放送局の電波塔を1本化する構想で建設されていた。

前田久吉氏は、「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と強く主張していたので、東京タワーの生みの親であるということが分かります。

因みに、世界で2番目に高い自立式鉄塔は、フランス・パリのエッフェル塔で、324mとなっている。

東京タワーの正式名称は、日本電波塔。1980(S55)年には、NHK教育放送の送信所が、千代田区を紀尾井町から移設されたことにより、東京都のテレビ局の親局送信所が東京タワーに1本化されていた。

このような日本の総合電波塔は札幌市のさっぽろテレビ塔(1957(S32)年開設、147.2m)、名古屋市の名古屋テレビ塔(1954(S29)年開設、180m)もある。

さっぽろテレビ塔は、大通公園の東端部、名古屋テレビ塔は、栄駅、久屋大通駅付近にある。

墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地には、『第2東京タワー、すみだタワー』(仮称)が建設される予定であり、2008年度着工、2011年度完成予定となっている。高さは約610mで途中の450m地点に特別展望ロビー、350m地点に展望ロビーを設置される予定でもあるし。

この事業は、東武鉄道との共同事業で行われることになる。

2011年7月24日には、地上アナログテレビ放送が終了し、地上デジタルテレビ放送に全面的に移行されることになる。 そのため、対応機器への買い換え等が呼び掛けられている。

この後、東京タワーのフットタウンにある、東京カレーラボという店に行きました。

この店は、今年3月28日にオープンしたカレーレストランで、これまでは、甘味処「ふくあん」のあった場所となっている。

この店には、ハロモニ@で、高橋愛、道重さゆみ、久住小春各女史が立ち寄っていたけど、この時にアーモンドチキンカレーのタワー盛りを注文していた。 筆者ももちろんこれを注文していたのである。

このカレーに使用されている鶏肉は、鶏もも肉で、焼き加減がいいので、道重さゆみ女史がそれを食べて美味しいと言っていた。 

筆者もそれを食べてみて美味しかったです。 Tちゃんも立ち寄っていたけど、美味しかったと言っていたし。

それを、らぶかつさんやタケさんにも紹介したけど、近いうちに行く予定だと言っていた。 

このように、高橋愛、道重さゆみ、久住小春各女史の組み合わせで、タケさんが推しているメンバーが揃っていたので、タケさんも行く気満々になっていたことも言うまでもない。

この画像をTちゃんに送信した時には、このブログのことが話題となりました。Tちゃんを通じて、Tちゃんの某マイミク氏にも見て貰えてとても嬉しいです。

この3人は、1回にある東京タワー水族館にも立ち寄っていたけど、時間が無かったので行くことが出来なかった。

残りの4人である新垣里沙、田中れいな、亀井絵里、光井愛佳各女史は、ギネス ワールド レコード ミュージアムTOKYOに立ち寄っていた。

こちらは、ギネス世界記録に認定された世界一の記録が、300点以上の等身大フィギア、写真パネル、メモラビリア(本人関連グッズ)映像などで判りやすく紹介されている。

この後、エレベーターで展望台まで上がりました。 こちらは、土曜・休日には、階段で行くことも出来るけど、600段の階段を上り下りしていくことになる。 

この時には、ハローキティのデザインのはとバスを見ることが出来ました。

こちらは、以前放送されていたハロー!モーニング。での発汗CMのコーナーで、新垣里沙、亀井絵里両女史がその階段を上っていたことがあった。 Tちゃんはこの階段を下っていたので、新垣里沙女史になりきった気分を味わっていた。 筆者も是非挑戦してみたいと思っています。

それはさておき、展望台からの夜景は綺麗でした。 こちらの展望台は高さ約150mで、歩いて渡ってきたレインボーブリッジも見えました。あとは、パレットタウンの観覧車も見えたので、この近くにBerryz工房のメンバーが居るんだな!と思いました。

追加料金600円を払えば、高さ250mの特別展望台へも行くことが出来るけど、混雑していたので止めておきました。その入り口は、大展望台の2階にあり、ここでチケットを買うことになる。

大展望台は2層式で、下の階には、地上145mから下を見下ろすことが出来るルックダウンウィンドウもある。 ここから眺めた車や観光バスがミニカーのように見えました。

この展望台のほうは、ハロモニ@で、7人全員およびあかちん国王が行っていた。

展望台には、展望解説ボード、タワー大神宮もある。

この後、神谷町駅まで歩いて行ったけど、ライトアップされた東京タワーを見ることが出来てよかったです。

神谷町からは日比谷線で日比谷へ、ここから有楽町まで歩き、池袋まで有楽町線で帰りました。

日比谷線で乗った車両は、東武20000系の21808F、有楽町線で乗った車両は9000系の9102F(副都心線直通対応編成)だったので、東武直通車同士の乗り継ぎとなった。こちらの車両は、東急東横線との直通運転が開始された暁には、中目黒で顔を合わせることになる。

9102Fは、副都心線直通対応改造された第一号編成であり、6月11日から営業運転に入っていた。

東武50070系のほうは、6月18日に50072Fが東上線の地上運用で営業運転入りしていた。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-26 14:50 | 鉄道乗車記
6月17日は、お台場のZepp Tokyoで行われたBerryz工房のファンの集い(FCイベント)と東京タワーに行ってきました。

ルート 目白~大崎~東京テレポート…(Zepp Tokyo)…(お台場海浜公園)…(レインボーブリッジ)…芝浦ふ頭~汐留~赤羽橋…(東京タワー)…神谷町~日比谷…有楽町~池袋

まずは、目白から大崎まで山手線で移動。 この時に乗った編成は、クハE231-543Fで、542Fなどと同様に、2004(H16)年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により、上越線が寸断された影響で、信越線、篠ノ井線、中央東線による迂回ルートで回送された編成となっている。

こちらは新宿で本来のルートに合流していた。

大崎から東京テレポートまでは、りんかい線の70-000形の70-030Fに乗車。 こちらは、2004(H16)年10月に10両化された時には、旧70-050Fの6両+旧70-030Fの2両(70-037+70-038号車)+追加新製の付随車によって組成されていた。 

現在は70-040Fと70-050Fが欠番となっている。

旧70-050Fのうちの4両は、1999(H11)年に輸送力増強用として導入されていた。

70-060Fのうちの4両は、2001(H13)年3月31日の東京テレポート~天王洲アイル間の開業と同時に導入された編成で、当初からLED表示で埼京線乗り入れ用のATCが装備されている。 こちらは翌年の2002(H14)年に、70-010、70-040(現70-020)、70-050(現70-030)Fに先駆けて10両編成化されていた。

70-000形には、お台場PRのラッピングがありました。

今年12月1日には、全線開業および埼京線との直通運転5周年を迎えることになる。

東京テレポート駅に到着した後、会場であるZepp Tokyoに行きました。 この時にはトヨタのテーマパークであるメガウェブを通ったけど、この時に、レクサスLS600hという高級ハイブリッドセダンを見ることが出来ました。 こちらは、V85リッターのエンジン搭載車となっているけど、ハイブリッドの効果により、V63リッター車並の低燃費となっている。

レクサスは、トヨタ自動車の高級車専門ブランドとなっているけど、池袋のアムラックスには展示されていない。

トヨタ自動車のハイブリッドカーは、1997(H9)年に登場したプリウスを皮切りに登場していたけど、今年で発売10周年を迎えていた。 プリウスとは、ラテン語で~に先立ってという意味となっているけど、その名の通り、ハイブリッド乗用車の先駆けとして登場していた。

トヨタ自動車では、6月4日に、ミドルセダンであるプレミオとアリオンがフルモデルチェンジされ、ここで特別展示されていた。

プレミオはコロナ、アリオンはカリーナの後継ぎモデルで、先代モデルから改名されていた。

前者はトヨペット店扱いで、ラグジュアリーなイメージ、後者はトヨタ店扱いで、スポーティーなイメージがあるけど、フロントグリルによって異なっている。

トヨタでは、6月をもって、マークⅡブリッド、クラウンエステート、カルディナというステーションワゴン車の生産が打ち切られていた。

ライバルの日産でも、プリメーラワゴン、ステージアと言ったステーションワゴン車の生産が打ち切られていたし。

やはりミニバンブームによるステーションワゴン人気の低迷により、こうなったのである。

現在トヨタで生産されているステーションワゴンは、カローラフィールダー、アベンシス、サクシード、プロボックスのみとなっている。

この後、Zepp Tokyoに行き、集合しました。

Berryz工房のFCイベント(ファンの集い)は、昨年9月30日に川口リリア(埼玉県川口市)で行われて以来2度目となった。 今回は、6月17日の東京のほか、6月10日の大阪(エルシアター)も加わっていた。

大阪のエルシアターは、北浜駅と天満橋駅付近にある。

昨年9月30日のイベントは、筆者も参加していた。

今回のイベントは、前日の握手会と同様に、3回に渡って行われていたけど、筆者は2回目に当たっていた。

この時にらぶかつさんも参戦していたけど、徳永千奈美女史モードで参戦していた。

筆者はBerryz工房の中では、嗣永桃子女史がお気に入りである。

このファンの集いに参戦していた菅谷梨沙子女史が1推しのN氏やT氏も参戦していたけど、この時に菅谷梨沙子女史と初めて握手していたのである。

このイベントは、ゲーム大会→ミニライブ→握手会の順番で進められていた。

1番最初に握手した嗣永桃子女史に今回も楽しかったとアピールしたら、長めに握手してくれました。

この後、お台場海浜公園まで行き、ゆりかもめを使わずに、レインボーブリッジの遊歩道を歩きました。

こちらは以前有料だったけど、現在は無料開放されている。

4月29日にもここを歩いていたのである。

この遊歩道は、1993(H5)年8月26日に開通した時から使用されており、ノースルートとサウスルートに分かれている。 当初は田町からレインボーブリッジの遊歩道の入り口まで都営バスの虹01系統が出ていたことがあった。1997(H9)年2月3日に現在の浜松町からのレインボーブリッジ経由のルートに変更されている。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-25 11:37 | ハロプロ観戦系

東松原駅のアジサイ

あの後、品川から渋谷まで山手線で移動。

渋谷から東松原までは、1000系の1758Fで移動しました。 こちらは、ブルーグリーン塗装で、日立製のIGBTインバータ装置が搭載されている。

京王1000系では、1751~1760Fのうち、奇数編成は、東洋電機製のGTOインバータ装置、偶数編成は、日立製のIGBTインバータ装置が搭載されているけど、1761F以降は、東洋電機製のIGBTインバータ装置に統一されている。

京王電鉄では、2010年度までに、井の頭線を含めた全線で、保安装置のATC化と共に、全編成のVVVF化が行われる予定となっているけど、これに伴う6000系や3000系の動向が気になります。 

6000系では、昨年8月末まで相模原線の6連で運用されていた5ドア車の6721Fが廃車となっていたけど、あれは16年間の短命に終わった車両となってしまった。
2連の付属編成では、6431Fが廃車となっている。

今年度中に9000系の10両固定編成(乗り入れ対応編成)が3編成導入されるのに伴い、6000系に廃車が発生することになる。

7000系で、車体更新と同様にVVVF化されていたのはその為である。 界磁チョッパ車のまま更新されたグループ(7001~7003F)も、VVVF化されることになる。

こちらは、小田急8000形や京急1500形の車体更新に似ている状態である。

下北沢駅では、将来小田急の駅が地下化されるのに伴い、井の頭線の駅がどうなるのか気になります。改札が分離化されることは確実となっているし。

東松原駅では、渋谷方面側でアジサイのライトアップが行われているけど、吉祥寺方面寄りにも植裁されていました。 このアジサイをバックに撮影した人が多かったです。

この時に、3000系3778Fとアジサイライトアップの組み合わせを撮影することが出来ました。

この後、1000系1760Fで明大前まで移動。 明大前から新宿までは、7005F+7205Fによる準特急で新宿まで移動。 

7000系の4両編成は、1993(H5)年から1994(H6)年に掛けて製造されたグループで、7201Fに関しては、動物園線のワンマン運転にも対応している。 専用編成である6722Fが使用出来ない時に代走することもあるし。

前の6両(7005F)側は、9000系に準じたVVVFインバータ装置に交換されているので、VVVF+直流モーターの組み合わせとなっている。

こちらは、9000系の8連と6000系の2連の組み合わせでもこうなっている。

以前は9000系の8連と7000系の2連の組み合わせも行われていたけど、電気的な相性があまり良くなく、その形態で営業運転する機会は極めて少ないと言われている

こちらは、筆者とdream(DRM)のファン(ドリヲタ)との相性が良くないということになぞられている。

新宿到着後、折り返しは準特急北野行きとなっていたけど、北野から先は各駅停車高尾山口行きとなっていた。

新宿から中野までは201系のT132編成(クハ201-59F)に乗車。 

201系のほうは、6月21日に、T105(旧H5)編成(クハ201-38F)が廃車となったことにより、201系の本数が30本を切ってしまった。

このT105編成は、中間にサボ受けが残る最後の1本だった。

H編成からT編成に変わった編成のうち、霜取りパンタ搭載編成も2本のみとなってしまったけど、こちらも廃車になるのも時間の問題となっている。

中野駅に到着した後、中野サンプラザまで行き、GAMの公演に参戦した人たちに出会いました。中には、品川ステラボールでの握手会イベントの後に見に行った人も居たし。

らぶかつさんのほうは、GAMの公演に専念していたために、品川ステラボールでの握手会イベントに参戦出来なかったのである。 品川へは顔出しで行っていたけど。

4月29日のディファ有明のAチームのイベントの後に、中野での安倍なつみ女史の公演に行った人も居たはずである。

中野では、E257系の回送(M106、M101編成)、元有楽町線の東京メトロ07系(07-105F)を見ることが出来ました。

東西線に転属した07系のほうは、営業運転を見たのは始めてだった。

中野から新宿までは、201系のT108(旧H9)編成・(クハ201-87F)に乗車。 こちらは4号車に電照式表示が付いている。 

新宿から目白までは山手線で帰りました。

この日は、ジュンジュン・リンリン・新垣里沙女史と初めて握手することや、道重さゆみ女史と2年ぶりに握手することが出来たことで満足な1日でした。

このように、1推しの道重さゆみ女史と握手する機会がまたあればいいなと思っています。

8月19日には、横浜BLITZでモーニング娘。の新曲発売記念イベントが行われる予定だけど、今度こそは当選させたいと思っています。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-24 10:57 | 鉄道乗車記

ラゾーナ川崎

あの後は、品川から東海道線で川崎まで移動し、駅前のラゾーナ川崎のルーファ広場で行われたTHEポッシボーのイベントに行きました。

品川から川崎までは国府津車両センターのE231系で往復。復路はS25編成に乗ったことを確認している。

このイベントは、6月13日に発売された「夏のトロピカル娘」と「金魚すくいと花火大会」の発売記念で行われていた。

前者は、秋山ゆりか、橋本愛奈両女史、後者は、岡田 ロビン 翔子、後藤夕貴両女史によって歌われ、ミニライブでも披露されていた。 これらの曲は、6月9日のライブイベントでも出てきていたけど。

このミニライブ、握手会は、暑い中で行われていた。握手会の時は、一部のメンバーに暑い中ご苦労様です!と声を掛けたのである。これで、握手リレーとなった。

筆者が初めてTHEポッシボーのイベントに参戦した2月24日は、横浜みなとみらいのジャックモールで寒い中で行われていたので、その逆の状態だった。

萩原清さんと樋口君は、品川で京浜東北線の209系を撮影していた。この時に183系の団臨も撮影出来たと言っていたし。

あの後、駅構内にある飲食店で会話をした後、萩原清さんと別れた後、樋口君を会場の入場口まで送りました。そのお陰で樋口君は迷わずに入れたのである。

この時には柘植の飛猿さんも、ジュンジュンとリンリン、さゆみん、ガキさんと握手することが出来て何よりでした。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-22 15:05 | ハロプロ観戦系
入場の前、Tちゃんと初めて出会った時には、ピンク色のTシャツと黄色い鉢巻を着用していたということを電話で話したけど、ピンク色のTシャツを着ている人が沢山居て分からないという状態となっていた。

のちにEPSON品川アクアスタジアム入り口の前のベンチに移った時にここで初めてお会い出来たのである。

ここで、お土産として、N700系や小田急ロマンスカーのパンフレットを渡したのである。この時にとてもよかったと語っていた。

この時には、筆者が所属する団員とも出会いました。 同じ団員のさゆみん推しの2人は、4月29日以来2度目のさゆみんとの握手会となっていた。

このイベントは、3回に分けて行われていたけど、Tちゃんと筆者が1回目に当たってくれてよかったと思います。

Tちゃんのほうは、4月28日の横須賀での公演以来の上京となったけど、イベント終了後には、横須賀で出会っていたとある友人(某マイミク氏)とも出会っていた。

筆者がTちゃんとマイミクになったのは、Tちゃんが筆者のページのプロフィールを見たのがきっかけとなった。

mixiのほうは、さまざまなジャンルの友人たちと出会え、ここで仲良くなれるということで凄いと思います。

萩原清さんも、mixiに感心を持ち、是非紹介してくれと言われたので、紹介したのである。樋口君にも招待したはずだけど、アクセスしてくれることを願っています。

こちらは、裏側(プリンスデリカ側)の集合場所から入場し、ここで、当選ハガキ、身分証明書、FC会員証、会員期限証の4点セットのチェックがありました。

品川ステラボールのほうは、一昨年、昨年の11月の美勇伝のコンサートの時にも行ったことがあるけど、あの時も裏側からの入場だった。

グッズ購入の時は、1人につき1点までとなっていたけど、この時に当選ハガキのチェックも行われていました。

この時に、VTRの紹介やトークがあり、この後にメインイベントである握手会が行われていました。

中国人留学生であるジュンジュンとリンリンに関しては、前回よりも日本語が上手になっていた。

ガキさんこと新垣里沙女史は、黄色い衣装、さゆみんこと道重さゆみ女史は、赤い衣装にお花のカチューシャを身につけていたけど、どちらもお似合いの衣装でした。

この時には、道重さゆみ、久住小春、高橋愛各女史を推している某マイミク氏とも出会うことが出来た。彼は道重さゆみ女史が1推しなのでちょうどよかった。

握手の順番は、ガキさん→リンリン→ジュンジュン→さゆみんの順番で行われていた。

筆者は、やっとガキさんこと新垣里沙女史と初めて握手出来たので、現在在籍しているモーニング娘。のメンバー全員と握手したことになった。1997(H9)年にモーニング娘。が結成されて以来10年目で実現していた。

このことで、4月29日にディファ有明で行われていた「悲しみトワイライト」の握手会イベントで落選してしまったことの雪辱を晴らすことが出来ました。

筆者が申し込んでいたのは、藤本美貴、道重さゆみ、新垣里沙、久住小春各女史のAチームだったので、今回のイベントでは、そのメンバーだった道重さゆみ、新垣里沙両女史が出てきたので、あの時のリベンジを図ることが出来ました。

Tちゃんのほうは、新垣里沙女史はもちろんのこと、モーニング娘。のメンバーと初めて握手したことになった。 本人から聞いた話によると握手会は初体験となっていた。

夜の部に参戦していた広島県在住のガキさん推しの応援団員も、ガキさんと初めて握手していたのである。こちらも握手会初体験だった。

夜の部は、樋口君や柘植の飛猿さんも参戦していた。

樋口君も、ジュンジュン、リンリンと握手したことによって、モーニング娘。のメンバー全員と握手したということになった。 筆者もようやく追いついたのである。

この日は、中野サンプラザでのGAM、愛知厚生年金会館での美勇伝の公演と被っていた。

握手会の時は、どうしても頑張って下さいという言葉を言いたくなるけど、それでもいいと思います。

さゆみんには、これからも頑張ってね!と声を掛けたけど、さゆみんからは、「はいっ、頑張ります!」と言われたのでよかったです。 握手した時に言葉を返してくれたことは嬉しいと思います。

因みに、ガキさんには、サブリーダー頑張って!と言ったのである。

6月1日に、藤本美貴女史が突然脱退した後、柘植の飛猿さんと握手したことのあるメンバーが不在となっていたけど、今回4人と握手したことによって復活していたのである。

柘植の飛猿さんは、中国人留学生に対して、「加油!(ジャーヨ)」と声を掛けていた。

加油!(ジャーヨ)とは、中国語で頑張ってという意味である。

まさに、油を加える(頑張る)という意味で素晴らしい言葉だと思います。このことは、柘植の飛猿さんに教わったのである。

今回の握手会は、東京1ヶ所、1日のみの開催で落選してしまうかと不安だったけど、何とか当選してくれてよかったです。このお陰で樋口君も上京することが出来たし。

このようなFC限定の握手会を企画してくれた、ファンクラブスタッフ、所属事務所(アップフロントエージェンシー)、握手会を盛り上げてくれたジュンジュンとリンリン、そのサポート役として活躍してくれた道重さゆみ・新垣里沙両女史などに深く感謝しています。

あとは、このイベントに参加するために上京してくれたTちゃんや樋口君などにも感謝しているし。

7月には、モーニング娘。およびハロー!プロジェクトを卒業したはずのこんこんこと紺野あさ美女史が、芸能界に復帰するというニュースが入ってきました。

こちらは、フットサルチームであるガッタス ブリリャンチスH.P.が8月22日にCDデビューするのに合わせて、メンバー(GK)として復活する予定となっている。7月15日のハロプロ名古屋公演で1年ぶりにステージに立つことになるけど、筆者は、7月22日の大阪・フェスティバルホールでの公演で紺野あさ美女史と再会する予定となっている。

今年のハロプロ公演は、7月15、16日に名古屋センチュリーホール、7月21、22日に大阪・フェスティバルホール、7月28、29日にさいたまスーパーアリーナで行われる予定である。

これにより、隠居していた宣言!!団員のT.M氏も復活することになる。

筆者のほうも、こんこん推しを復活させる予定だけど、道重さゆみ女史が1推しであるということには変わりはない。

こんこんはいつか芸能界に戻ってくることを信じていたけど、1年間で戻ってくるとは思っていませんでした。 このように、こんこんが戻ってくることは嬉しいけど、こんこん1推しだった頃にここでは言えないトラブルが多発していたことや、dream(6月27日からDRM)に浮気していたということの後遺症が残っています。

熱烈なファン等には申し訳ないけど、筆者は道重さゆみ女史が1推しになった後に、樋口君と同様にアンチdreamとなったのである。

こんこんを推していた時には、アンチSPEEDとなっていた。SPEEDファンをやっていた時は、こんこんファンの時以上にトラブルが多発していた。こちらは、103系のトラブル多発を期に、E231系が大量増備(取り替え)されていたことになぞられている。

筆者のSPEEDファンは、2006(H18)年3月31日に、dreamファンは、翌年の2007(H19)年2月6日をもって終了していた。

前者のほうは、2004(H16)年3月31日をもって終了するはずだったけど、諸事情により2年間延長されていた。 こちらは、常磐快速線の103系がつくばエクスプレス(TX)開業に伴う運行見直しの関係による本数整理の関係で、2年間延長されていたことと同様となっている。

こんこんは、「学業との両立で頑張ります」と張り切っていた。

確かに学業でも頑張ってもらいたいと思っています。

6月16日には、銀座の福家書店で、元SPEEDのHITOEの握手会が行われていたけど、筆者は当然行かなかったです。

筆者がモーニング娘。のファンを始めたのは、1999(H11)年9月の「LOVEマシーン」の大ヒットの時からだったけど、当初の予定では、2000(H12)年3月31日にSPEEDが解散した後に乗り換えるはずだった。

1999(H11)年8月に某hiroファンネットの管理人と喧嘩したことによって、モーニング娘。のファンに緊急乗り換えしていたのである。

4月28日にこんこんの卒業が発表された時に、道重さゆみ推し1推しに乗り換えるはずだったけど、SPEEDファンの時の教訓を生かし、卒業まで1推しをやっていたのである。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-21 14:52 | ハロプロ観戦系