交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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続・都電荒川線

5月27日は、都電の新レトロ電車である9000形9001号車の試乗と、京急ファインテック久里浜事業所でのイベントに行って来ました。

ルート 目白~大塚~荒川車庫前~三ノ輪橋~王子~品川~金沢文庫~京急久里浜~イベント会場~京急久里浜~金沢文庫~横浜~武蔵小杉~目黒~新宿~目白

まずは山手線で大塚へ。大塚駅前から荒川車庫前までは、7500形の7518号車で移動しました。 

7500形の車体載せ替えおよび冷房化は、1984(S59)年の7503、7516号車を皮切りに行われ、1987(S62)年の7505、7510、7511号車まで行われていた。

この7518号車は、1985(S60)年度に更新された車両となっている。

この時には、8500形の8501号車を見ることが出来ました。

この8501号車は、デビューしてから17年経ったのである。

この後7001、8502号車の順にすれ違いました。

7000形の7001号車は、車体更新前は7055号車で、荒川線の7000形で唯一、1955(S30)年12月に新製されて以来、荒川電車営業所所属の生え抜きとなっている。

7000形の冷房改造は、1987(S62)年から1991(H3)年に掛けて行われていたけど、初期に冷房改造された9両は、白幕のまま冷房改造されていた。 

1988(S63)年10月以降に冷房改造された車両は、青幕となり、ワンマンの表示も青地となった。 

初期に冷房改造されたグループは、幕の交換のみ行われていたので、ワンマンの表示が白地、行き先表示が青地というアンバランスな状態となっていた。

現在は、行き先表示のLED化およびワンマン表示の移設などの車体更新により、前面の表示が統一されている。

初期に冷房改造された7000形は、7007、7008、7015、7016、7018、7019、7021、7023、7030号車の9両だった。

1988(S63)年10月以降に冷房改造された車両は、7001、7002、7003、7004、7005、7010、7013、7017、7020、7022、7024、7025、7026、7027、7029、7031の16両。

車体再更新前、ワンマンの表示の点灯がカットされていた。

豊橋鉄道に譲渡された7000形の4両(豊橋鉄道3500形)のうちのモ3503号車は、7017号車から改造されていたので、唯一青色のワンマン表示が残っている。

豊橋鉄道では、元名鉄美濃町線、揖斐線で走っていた780形や800形も走っているので、元都電と名鉄の共演も見られることになる。

この後には、8502号車が来ていた。 こちらは、1992(H4)年と1993(H5)年に導入された8500形の量産車で唯一ロングシートとなっている。 8501号車もロングシート。

8501、8502号車の座席は、デビュー当時は水色の座席だったけど、現在は8503~8505号車のクロスシートと同様の紺色の座席となっている。

飛鳥山~王子駅前は、都電荒川線で唯一の併用区間となってしまったけど、1971(S46)年3月17日まで、都電19系統(王子駅前~通三丁目間、駒込車庫所属)と共用されていた。

あとは、1972(S47)年11月11日まで、早稲田方面(32系統)と赤羽方面(27系統)との分岐点でもあった。赤羽方面へは、王子駅前電停を出た後、右に曲がっていた。

王子~栄町間では、昨年6月13日の梶原での衝突事故で被害にあった7500形の7505号車とすれ違いました。 7505号車は、当時、試運転中の7020号車と衝突していた。

8500形にある、ブレーキランプ(自動車で言うハイマウントストップランプ)が7000形や7500形にも取り付けられていたのはそのためである。

荒川車庫前に到着した後、都電おもいで広場に行き、5501号車(PCCカー)および7504号車の車内に入りました。

5501号車のほうは、ペダル式の運転台も再現されていました。 ここには、アルナ工機(のちのアルナ車両)の前身であるナニワ工機の銘板がありました。こちらは1953(S28)年製。

ナニワ工機は、1947(S22)年に設立した京阪神急行電鉄(現、阪急電鉄)の子会社とあり、1950(S25)年から路面電車の製造が開始されていた。

1960(S35)年頃から、住宅用建材の分野に参入し、この頃から「アルミのナニワ」が略された商標である「アルナ」が、アルミサッシのブランド名として使用されていた。

1970(S45)年には、そのブランド名が社名となり、アルナ工機となったのである。

1990(H2)年には、その建材部門がトーヨーサッシ(現、トステム)に売却されていた。

2002(H14)年には、路面電車製造部門がアルナ車両に移管されていた。 都電9000形には、アルナ車両の銘板が付いている。

2004(H16)年には、路面電車の製造部門が阪急正雀工場に隣接する場所に移転されていた。

5501号車PCCカーの座席は撤去されていたけど、その代わりに都電の歴史が紹介されたパネルがあった。

7504号車は、運賃箱が撤去されていたけど、座席がそのままの姿で残されていました。 こちらは昔懐かしの板張りの床が特徴である。

座席に座ることが出来るので、渋谷駅のハチ公口にある東急旧5001号車と同様に車内でくつろぐことが出来る。

5501号車の行き先表示は、銀座、品川駅と時間毎に変えられていた。

7504号車には、9・学園号の表示があった。行き先表示は荒川車庫前。

こちらは昨年修復され、動態保存されることが期待されていたけど、結局静態保存されたことになった。

メインとなる9001号車のほうは、出庫待ちの状態だった。 この時には記念ヘッドマークが付いていた。

このようなレトロ調の路面電車と言えば、熊本市電の8800形の101号車を思い出します。 こちらは、1993(H5)年に1両導入されていた。

こちらは荒川車庫前始発で運転されていたけど、初乗りの人たちで混雑していました。 このことで、都電のレトロ電車の人気っぷりが頷けます。

何とか乗ることが出来てよかったし。 その車内もレトロ調でした。

運賃の支払いは、PASMOやバス共通カードでも可能となっていました。

この時は立ち席の状態だったけど、終点で列車を降りる前に座ることが出来ました。 こちらの座席は硬かった。 座席配置はロングシートとなっていた。

今回は営業第一号列車だったので乗ることが出来てよかったです。その前には7500形の7503号車(一番最初に車体が載せ替えられた車両)が出ていた。

三ノ輪橋に到着する前、7500形が吊り掛けモーター音をうならせながら通過していた。

7000形と7500形は、都内に残る貴重な吊り掛けモーター車となっている。

三ノ輪橋に到着した後、折り返しは早稲田行きとなっていたけど、こちらも混雑しており、積み残しも出ていました。 4月の花見シーズンの時も、積み残しが出るほど混雑するので、あの時を思い出してしまいました。

この9001号車の後には、花電車の7010号車も続いてきていたので、空気を読んでいる状態でした。 三ノ輪橋では9001号車と7500形および7010号の花電車との並びを撮影することが出来てよかったです。

9000形は、財団法人宝くじ協会からの公益事業への助成によって製造されたために、前面の右下に「宝くじ号」と表記されている。

こちらは、3月22日から24日に掛けて、大阪府摂津市のアルナ車両正雀工場からトレーラーで陸送されていた。荒川電車営業所への到着は、24日の早朝のこと。

運転士が急病などの場合に自動的にブレーキが掛かり停止する都電初の「デッドマン装置」が付いていることや、床面高さが8500形よりも下げられるなど、バリアフリーにも対応している。

レトロ電車は、5月26日に三ノ輪橋で出発式が行われ、女優の名取裕子女史らが招かれていた。

営業運転前の試運転の時には、早稲田方に、「試運転中 急停止します」の貼り紙が掲出されていた。やはり、昨年6月13日の衝突事故を受けてこうなったのである。

三ノ輪橋から王子までは、7001号車(花電車)で移動。 この後ろには、8501号車が止まっていたけど、貸切運行では無いのに、貸切車の表示で止まっていました。 この後8501号車は荒川車庫前行きとなっていた。この車内は従来と同じでした。

荒川車庫前の都電おもいで広場では、人が増えていました。 この時には、5501号車が品川駅の表示となっていた。

王子駅に到着、立ち食いそばの昼食を取った後、京浜東北線の快速で品川まで行きました。

王子駅の立ち食いそばが美味しいので、ここで食べていたのである。

京浜東北線で乗った209系は、クハ209-516F(ウラ80編成)で、E233系の導入後、京葉線に転属される予定の編成となっている。

秋葉原では、E531系のK409編成(クハE531-9F)が留置されていたけど、3月17日以前は、415系が当たり前のように見られていた。

東京~品川間では、東海道新幹線の300系のJ44編成によるこだま号、踊り子用の185系のA1+C5編成の回送を見ることが出来ました。

東海道新幹線のほうは、7月1日からN700系が導入されるけど、ここから捻出された700系は、ひかり、こだま運用に回され、300系が順次廃車になっていくことになる。

500系のほうも、東海道新幹線から追われる運命となっているし。

6月16、17日には、N700系の親子試乗会が行われることになっている。

7月21、22日には、浜松工場で恒例のイベントが行われることになる。

田町車両センターでは、E257系のM107編成、EF58-61号機、伊豆急のアルファリゾート21を見ることが出来ました。

(京急編につづく)
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by hy_sengen-sin | 2007-05-31 11:39 | 鉄道乗車記

都電荒川線

あの後は大宮まで行き、入場車両を見ました。 この時に見た車両は、武蔵野線のクハ205-49F(元山手線)、EF65-1066F牽引の貨物列車などでした。

5月29日には、大宮総合車両センターからケヨ10編成(クハ205-117F)が出場していた。同日には、JR貨物大宮車両所からEF64-61号機が出場していたし。

試乗会で使用されていたE257系500番台のNB01編成は、5月28日に出場していたし。

大宮から尾久までは、E231系のU518編成+U67編成で移動。

尾久では、勝田の485系の団臨を見ることが出来ました。 この時にはEF81-95号機(レインボー塗装)牽引の北斗星1号が通過していた。

この後、荒川車庫前まで歩いていきました。 尾久駅から荒川遊園地前までは歩いていける距離にある。

荒川遊園地前電停のほうは、以前西尾久七丁目と呼ばれていたこともあった。 1913(T2)年4月1日に開業した当時は、荒川遊園前と呼ばれていたので、昔に戻ったことになった。

あらかわ遊園には、2001(H13)年まで活躍していた6000形旧レトロ電車である6152号車が保存されている。

以前森敏英さんと一緒にそれに乗った時を思い出します。

都電の荒川車庫前電停は、その名の通り、荒川電車営業所の最寄り駅で、1913(T2)年4月1日の開業当時は、船方車庫前と呼ばれていた。

1913(T2)年4月1日には、前身の王子電気軌道の路線として、三ノ輪(現、三ノ輪橋)~飛鳥山下(現、梶原)間が開業していたけど、荒川車庫は、この時に船方車庫として開設されていた。

この日は、イベントが行われていた日であったけど、どのような展示だったのか気になります。

都電の荒川車庫の敷地で、旧営業所棟があった場所の空き地には、都電おもいで広場として、5500形5501号車(PCCカー)と、7500形7504号車が保存され、土曜・休日には一般公開されている。

5500形5501号車は、1953(S28)年にデビューした車両で、。アメリカで開発されていたPCCカーのライセンスによって製造された車両である。

こちらは、防音、加速性に優れていたために、無音電車と呼ばれていたけど、モータリゼーションの影響や、他の車両よりも車体が長いということが仇となって、7両のみの製造に止められていた。 

5501号車は、自動車と同様の足踏みペダル式の運転台が特徴である。

5502号車からは、操作しづらいという理由で、従来と同じ手動式となっていた。1960(S35)年には5501号車も改造されていた。

集電装置は、パンタグラフ式だったけど、のちにヒューゲル式に改造されていた。

こちらは、車体が長い(14.3m)ということで、専ら都電1系統・銀座線(上野駅~銀座経由~品川駅間、三田車庫所属)で走っていたけど、1967(S42)年12月9日に1系統が廃止されたと同時に廃車となり、5502~5507号車は解体され、5501号車は、上野公園で保存されていた。

1991(H3)年には、上野公園から荒川車庫に移設されていたけど、雨ざらし等によって腐食しており、そのまま解体されそうで不安な状態だった。 今年になってからは、再修復の上で保存されるようになったので、とても嬉しい出来事です。保存されるに当たって、パンタグラフ式に戻されていた。

在りし日の都電1系統(銀座線)の路線 品川駅前~高輪北町~泉岳寺~田町九丁目~札ノ辻~三田~東京港口~金杉橋~大門~浜松町一丁目~新橋五丁目~新橋~銀座七丁目~銀座四丁目~銀座二丁目~京橋~通三丁目~日本橋~室町一丁目~室町三丁目~今川橋~神田駅~須田町~万世橋~外神田三丁目~外神田五丁目~上野一丁目~広小路~上野公園~上野駅南口~上野駅前

7500形7504号車は、1962(S37)年に、7501~7520号車の20両が製造されたうちの1両で、荒川線でワンマン改造された7501~7508、7510~7513、7515~7518、7520号車のうち、7502、7504、7508号車は車体載せ替え・冷房化の対象にはならなかったために、7502、7508号車は廃車、7504号車は、2001(H13)年までそのままの姿で残されていた。

7502号車は大田区の萩中交通公園で保存されていたけど、現在は解体されている。 7508号車は、板橋交通公園(板橋区大山西町)に、都バスの廃車体と共に保存されている。

7500形は、1962(S37)年の新製当時、青山電車営業所所属で、6系統(渋谷~六本木~新橋間)を中心に活躍していた。1968(S43)年に廃止後、日本車輌製の7501~7510号車は荒川へ。新潟鐵工所(現、新潟トランシス)製の7511~7520号車は柳島(江東区)に移っていた。

1971(S46)年には、7511、7512号車が荒川に移り、翌年の1972(S47)年11月11日に
柳島車庫が廃止されたと同時に、7513、7514、7515、7516、7518、7520号車も荒川に移っていた。 残留の7517、7519号車は廃車となった。

1972(S47)年11月11日には、王子電気軌道によって開拓された27系統のうちの王子駅~赤羽間(全区間併用軌道)も廃止されていた。

1974(S49)年10月1日には、都電の生き残り系統である27系統(三ノ輪橋~王子駅前間)と32系統(どちらも王子電気軌道によって開拓された路線)が統合され、都電荒川線として早稲田~三ノ輪橋間の通しの運用となったのである。

27系統は、三ノ輪橋~王子~赤羽間、32系統は、早稲田~大塚~王子~荒川車庫前間となっていた。

都電の赤羽電停は、東京メトロ南北線および埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅のある場所の路上にあった。

1977(S52)年に荒川線がワンマン化された時には、7501~7508、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車がワンマン化改造されていたけど、その対象から外された7509、7514号車が廃車となった。 7514号車は廃車後も荒川車庫で保存されていたけど、1999(H11)年に、小金井公園(小金井市)にある江戸東京たてもの園で保存されるようになった。

現在都電青山車庫の跡地は、国連大学本部、都職員共済青山病院、青山劇場となっている。

当時は、広い敷地が生かされたということで、電車運転教習所(我々が行っているような自動車教習所の電車版)が併設されていたことが特徴だった。

現在青山劇場では、6月6日まで、元モーニング娘。の矢口真里氏が出てくるDamn Yankees ~くたばれ!ヤンキース~というミュージカルが行われている

青山劇場と言えば、2002(H14)年6月にモーニング娘。が出てきた「モーニングタウン」、2004(H16)年2月に、安倍なつみ氏が出てきた「おかえり」、同年2月に、後藤真希女史が出てきた「サヨナラのLOVESONG」という各ミュージカルで行ったことがある。

モーニングタウンは、第一部 「行け!夢が丘商店街」、 第二部 「時給720円!青春見習い中」、第三部 ミニコンサートとなっていたけど、当時の1推しメンバーだった紺野あさ美女史は、第二部に出ており、紺野あさ美氏が大活躍していたということで、注目していた。

筆者はあの直後にdreamに浮気してしまったということで大失敗してしまいました。 現在は再三申し上げているように、紺野あさ美氏の卒業、道重さゆみ氏の1推しへの昇格を期に、dreamファンならびにそのOGのファンから完全撤退してしまったのである。

話は元に戻すけど、車庫には、7000形の花電車が1両止まっていました。 花電車のラッピングは、7001、7008、7010号車の3両に施され、6月1日まで運転されることになっている。

荒川車庫前から三ノ輪橋まで、都電の8500形の8505号車で移動。

こちらは、1993(H5)年に、8504号車と共に導入された最終増備車で、8503、8504号車と同様に、座席が全てクロスシート(バス型の座席)となっている。

8500形は、1990(H2)年に都電で28年ぶりの完全新造車ならびに初のVVVFインバータ車として8501号車の1両が導入されていた。 デビュー当時は、1軸2ハンドル式のマスコンが使用されていたけど、5501号車のペダル式の操作方式と同様に、運転しづらいという理由で、1992(H4)年の8502、8503号車の導入を期に、従来型に改良されていたのである。

8501号車のほうは、8502、8503号車が導入される前は、車庫で寝ていることが多かった。

8501号車のほうは、長っ細い前面で、ライトが異なっている。 こちらはチャイナドレスを着たお嬢様に似ているので、筆者としては、めんめんと勝手に名付けたのである。

こちらは宇都宮にある餃子店であるめんめんとは無関係である。

8502~8505号車のほうは、製造されてから15年経つけど、未だに新造車というイメージが強い。 緑色の帯の中に入ったライトの部分が可愛いし、メロンみたいなイメージがあるので、めろ電と呼びたくなります。

小台電停のほうは、以前下りホームと上りホームが同じ位置にあったけど、小台~宮ノ前間の専用軌道化によって下りホームが宮ノ前寄りに移設されていた。 そのため小台駅の旧下りホームの跡を見ることが出来る。

熊野前駅は、来年3月開業予定の日暮里・舎人ライナー(日暮里~見沼代親水公園間)への乗り換え駅となるけど、駅部分や高架線部分がほとんど出来上がっていた。

町屋駅前の電停は、改良前は、下りホームと上りホームの位置がずれていたけど、現在は、京成および千代田線の町屋駅寄りに移設されていた。

荒川自然公園へは、荒川二丁目電停が近いけど、町屋駅前から徒歩で行くことも可能である。

三ノ輪橋の手前にある荒川一中前電停は、2000(H12)年11月11日に開設されていた電停である。

11月11日と言えば、モーニング娘。の田中れいな氏の誕生日である。 田中れいな氏は、1989(H元)年11月11日生まれなので、1.11.11と1並びの日に生まれたことになった。

27系統の王子~赤羽間が廃止されたのは、奇しくも11月11日のことだった。

三ノ輪橋に到着。 ここは、9000形レトロ電車に登場に合わせて、レトロ調となった。

ここには、映画やオロナミンCやボンカレーの広告もあった。このことで、JR青梅線の青梅駅のレトロステーションを思い出しました。

この時にはバラも咲き誇っていたので、都電とバラとのマッチングが最高だな!と思いました。

 都電とバラとのマッチングが評価されて、関東の駅百選に認定されていた。

以前は定期券発売所もあったけど、現在は廃止され、撤去されていた。

三ノ輪橋では、1993(H5)年に撮影していたことを覚えています。 当時は、8504,8505号が導入された頃で、6152号車も第一・第三日曜日に定期運用されていた。

この6152号車に乗ったのは、2000(H12)年10月1日(荒川線の日)が最後となった。

三ノ輪橋では、7001、7010号車の花電車を撮影していました。 こちらは、1978(S53)年3月から4月に掛けて、荒川線の全列車ワンマン化記念として、6000形や7000形によって運転されていた花電車が再現されている。

当時は6000形から改造された乙6000形貨車も使用されていた。

1号車がムーミン号、2号車がテレビ朝日号、3号車がライオンの歯磨き号、4号車が山吹の里号、5号車が馬車鉄道号となっていた。

1号車のムーミン号は、トヨタ自動車がスポンサーとなっており、ムーミンのテーマソングが流れていた。

ラッピング電車には、「平成19年 新しく懐かしく レトロ車両 都電荒川線が変わります 東京都交通局」と書かれていた。

この時に森敏英さんと出会ったけど、森敏英さんのほうは、都電のイベントとの掛け持ちで行っていた。

森敏英さんのほうは、7500形7506号車で大塚まで先行。 この後、筆者は7000形7029号車で大塚まで移動しました。 

7000形のほうは、2002(H14)年より、行き先表示のLED化、化粧版の張り替え、押しボタンの交換等による車体の再更新が行われていたけど、昨年辺りに全車両の更新が完了している。 7029号車のほうは、後期に更新されていた。

この日は旧塗装の7022号車も動いていたので、こちらも撮影しました。

7002号車は、TBSドラマの特急田中3号のラッピングがあり、6月22日のドラマ終了時まで運転されている。

特急田中3号は、KAT-TUNの田中聖(こうき)氏が出演しているドラマであり、田中聖氏が、鉄道マニアの世界に足を踏み入れる大学生である、田中一郎に扮している。

主題歌は、6月6日に発売される予定のKAT-TUNの新曲である「喜びの歌」となっている。

KAT-TUNと言えば、山手線のE231系500番台でのニューアルバムの広告にも出ているということで話題となっている。やはり特急田中3号との関わりがあるかもしれないと思っています。

7029号車は、車体更新前の旧車体(7086号車の時代)は、大塚車庫に配属されていた。 のちに神明町、柳島へと移り、荒川車庫に入っていた。

7000形のほうは、足回り品が50年、車体が30年経っており、7500形と同様に老朽化を否めない状態となっている。

この為、都電では、9000形とは別に、7000形・7500形の老朽取り替え用車両の導入も検討されている。

当初の予定では、8500形によって、7000・7500形が置き換えられる予定だったけど、都の財政難の影響等により、8500形の導入が5両のみにとどまり、結局冷房改造の対象から外された6両の7000形が置き換えられていた。

7000形の冷房改造車のうち、7017、7021号車のほうは、運行本数の見直しにより、1999(H11)年に廃車となり、7009、7028号車と同様に豊橋鉄道に譲渡されていた。

以前荒川車庫には、非冷房車の7012、7014号車も留置されていたけど、都の財政難によって公式保存出来ずに解体されてしまった。こちらの部品の一部が豊橋鉄道に譲渡されたと思われている。

大塚駅前に到着した後、都電を撮影したけど、モーニング娘。の女子かしまし物語のPV撮影に使用された7507号車を見ることが出来ました。 こちらは、畳の広告が目印となっている。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-30 11:06 | 鉄道乗車記
5月26日は、大宮総合車両センターで行われた恒例のイベント「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」に行ってきました。

今年は、鉄道博物館開館前の最後のイベントということで、鉄道博物館に展示される予定の車両が披露されていました。

ルート 目白~池袋~赤羽~大宮…(イベント会場)…大宮~尾久…荒川車庫前~三ノ輪橋~大塚駅前…大塚~池袋

まずは、目白から山手線で池袋へ。この時に東武100系スペーシア(107-1F)を見ることが出来ました。

ここから赤羽までは、埼京線の205系(ハエ14、クハ205-122F)で移動。

埼京線の205系のうち、1月21日に川越線の日進~指扇間での踏切事故で被害を受けたハエ24編成(クハ205-143F)のうち、モハユニット+クハを除いた7両が、5月25日に大宮から出場していた。 この時には、自走不能であるために、クモヤ143-11号車による牽引となっていた。この編成には、山手線から転用された6ドア車(サハ204-41、47号車)も含まれている。

特に炎上した4号車のモハ204-388号車の損傷が酷かったので、代替えに京葉車両センターのケヨ21編成(クハ205-103F)のうちの2両からモハユニット(モハ205ー277、モハ204-277号車)が供出されることになったのである。 201系が中央快速線から京葉線にもう1編成転用されていたのはそのためだったのである。

新宿(新木場)寄りの先頭車であるクハ205-143号車も脱線していた。

3月28日には、ケヨ21編成が、川越車両センターに回送されていたけど、ATCが付いていないために、クモヤ143による牽引となっていた。

このモハユニットの一部(モハ205-277、モハ204-277)は、南武線→中央・総武緩行線→京葉線→埼京線という経歴を持つことになった。

保留車となっている6ドア車のサハ204-1~4号車と、廃車予定のサハ205-146~149号車の予定が変更される可能性もある。

残留したケヨ21編成の8両の動向が気になります。 こちらはVVVF改造の上で武蔵野線への転用が可能となっている。

赤羽に到着した後、高崎線のE231系に乗り換えて大宮へ。 この時の編成はU513+U55編成。高崎行きだったので、当然のことながら、前の5両は籠原で切り離されていた。

与野付近では、EF65-1117号機牽引による貨物列車を見ることが出来たけど、この中にはコキ104-715号車も含まれていました。 715の数字で、モーニング娘。の久住小春氏の誕生日である7月15日を思い出しました。

今年7月15日には、名古屋センチュリーホールでハロー!プロジェクトのコンサートが行われるけど、筆者が行かれないのが残念である。 自分は久住小春氏も推しているのに、その15回目の誕生日を生で祝うことが出来なくて申し訳ないです。 

その代わりに7月22日に大阪フェスティバルホールで行われるハロー!プロジェクトのコンサートに行く予定だけど、鉄道活動も合わせて行う予定。やはり18きっぷが使える期間ということでこの日を選んだのである。この時に大阪で樋口君に出会える可能性もあるし。

7月29日にさいたまスーパーアリーナで行われる公演にも行く予定。

因みに、久住小春氏の生誕日である1992(H4)年7月15日は、JR九州でダイヤ改正があった日であり、787系が先代の特急つばめ号(現在はつばめリレー号)でデビューしていた。 JR四国から譲受されたキハ185系による特急ゆふ号(現在は定期運用無し)、特急あそ号(現在は九州横断特急)がデビューした時でもあった。

夏のハロー!プロジェクトのコンサートの東京公演は、2000(H12)年から国立代々木競技場第一体育館で行われていたけど、今年は、アスベスト除去作業の為に使用不能となっているので、さいたまスーパーアリーナで行われることになったのである。

ツアータイトルは、Hello! Project 2007 Summer 10th アニバーサリー大感謝祭
~ハロ☆プロ夏祭り~ となっており、モーニング娘。 を筆頭に、美勇伝、Berryz工房、 ℃-ute、メロン記念日、ハロプロエッグ選抜メンバーが出てくることになっている。

日程は、7月15、16日が名古屋センチュリーホール、7月21、22日が大阪フェスティバルホール、7月28、29日がさいたまスーパーアリーナとなっている。

大宮に到着した後、東口から出て、陸橋付近に出来ている列に並びました。 今回は、昨年とは違って天候に恵まれていたということで、混雑していました。

入口横には、D51-187号機が展示されていました。 昨年までは、その横にEF40-10号機も保存されていたけど、鉄道博物館に移設されていたので、その姿が無くなっていた。 この時には、その解説の表示が残されていたのである。

このD51-187号機は、1938(S13)年に大宮工場(現、大宮総合車両センター)で製造されていた。

これを見た後、会場に入りました。 この後資料館を見た後、体験乗車コーナーの整理券を貰いました。 この時には、最終回の9回目(14時40分発)となっていた。 もっと早い時間だったら、都電のイベントにも掛け持ちで行けていたところだった。

やはり、大宮総合車両センターでのイベント会場は、広いので、短時間で回りきれないということだったので、大宮でのイベントに専念したのである。

都電のイベントのほうは、昨年の6月10日に行ったから充分である。 やはり、9000形レトロ電車の絡みで、6月10日では無く、5月26日に行われていたのである。

屋外の展示スペースには、鉄道博物館に展示される予定のED17-1号機、DD13-1号機、C57-135号機+オハ31-26号車、クモハ40-074号車が展示されていた。

あとは、E721系の導入により順次廃車となる予定の455系のS4編成(クハ455-2F)も、急行表示で展示されていたことも驚きでした。

鉄道博物館には、懐かしの交直流急行色の訓練車として使用されていたクモハ455-1号車が展示される予定となっている。

ED17-1号機のほうは、昨年と同様に屋外に展示されていた。

因みに昨年の屋外の展示車両は、ED17-1号機のほか、ED16-10号機、EF80-36号機、EF58-89号機+ナハネフ22-1号車、EF58-93号機、クハ103-713号車となっていた。

その横の屋内には、鉄道グッズ、弁当の販売、福祉バザー、ペーパークラフト教室、ふわふわバルーン、休憩用113系の展示があったけど、軌陸車の展示も屋外から移設されていた。

休憩用の113系の展示は、モハ112-1506号車1両のみ。 

昨年は、SL(D51-498号機)の検修作業も公開されていた。

このイベントには、2000(H12)年以来8年連続で足を運んだことになった。

ED17-1号機は、1925(T14)年の東海道線の東京~小田原間の電化に備えて登場したイギリス製の電気機関車である。1931(S6)年には、中央線の甲府までの電化により中央線に移っていた。

DD13-1号機は、1958(S33)年に登場した入れ替え用のディーゼル機関車で、液体変速式ディーゼル機関車の基礎となった車両でもある。

C57-135号機は、1940(S15)年に製造された蒸気機関車で、現役当時は、特急、急行列車の牽引で活躍していた。この時には鉄道博物館のヘッドマーク付きで展示されていた。

そのC57形の蒸気機関車の1号機であるC57-1号機は、1937(S12)年製で、今年で70年を迎えていた。 こちらは、1979(S54)年8月1日に国鉄(現JR西日本)の山口線の小郡(現、新山口)~津和野間で復活し、現在でも運転されている。

このSLやまぐち号は、レトロ調に改造された12系客車が使用されている。

山口県と言えば、筆者の1推しであるモーニング娘。の道重さゆみ氏の出身地として有名である。 道重さゆみ氏は、宇部市の出身。

C57-180号機は、ご存じの通り、SLばんえつ物語号として新潟~会津若松間(磐越西線)で活躍しているけど、その修復工事は、大宮工場(現、大宮総合車両センター)で行われていた。今年4月には、大宮総合車両センターでの全般検査から上がっていた。

SLばんえつ物語用の客車(12系)は、今年になってから大幅にリニューアル化されていた。

その客車のお披露目の時(4月14、15日)には、DD53-2号機の牽引により、羽越本線の新津~酒田間で運転されていた。 行きは出羽、帰りは鳥海のHMが付いていた。

オハ31-26号車は、1927(S2)年に初の普通鋼製客車として導入されていた。 こちらは終戦後に青森県の津軽鉄道に譲渡され、1983(S58)年の引退の時まで、冬の風物詩のストーブ列車として活躍していた。

クモハ40-074号車は、1936(S11)年に製造された旧型車両で、現役当時は、中央線や青梅線で活躍していた。 こちらは、1987(S62)年まで国府津電車区(現、国府津車両センター)で職員輸送用として活躍していた。

この時には、東京、立川の表示が出ていた。

JR貨物の大宮車両所には、ATS-PF取り付けにより入場中のEF64-1008号機を見ることが出来ました。 この時には貫通ドアが開いていた。

この後、JR貨物大宮車両所の屋内に入り、EH500-7、EH500-3、EF65-1082、EF75-1034、DE10-1142、DD51-847、EF64-1040、DE10-1554、EH500-2、EF66-11号機、コキ50000号車、コンテナを見ることが出来ました。

EH500-7号機には、三井海上によるたすきリレー号(鉄腕アトム)のヘッドマークが付いていた。その奧には、EF64-61号機もあった。

EH500-3号機は、2分割の上で展示され、半分の1号車が展示用、2号車が車体移動実演用となっていた。このように、2分割されたEH500形電気機関車を見たのは初めてで、普段は見られない状態なので貴重な光景でした。

EF65-1082号機には、あけぼののヘッドマークが付いていた。

ED75-1034号機は、貫通ドアが開いた状態で車体のみが展示されていた。 機器類は外されていた。

各種ディーゼル機関車では、エンジン等が取り外された状態となっていたので、こちらも普段見ることが出来ない光景である。 この時には、外されたエンジンも見ることが出来たし。

EF64-1040号機は、パテが付いていた状態で展示されていたので、ピンク色の機関車となっていた。

コキ50000号車にあるコンテナには、JNRマークの入った緑色のコンテナが3つあり、植物油、植物性硬化油を輸送する丸形のコンテナもあった。こちらは、鉄道博物館に展示される予定。

EH500-2号機は、スーパーグリーンシャトル(みどり、東京~大阪間)のヘッドマークが付いており、車内公開用として展示されていた。 この車内見学は人気があったので、長時間待たされていた。 筆者は見学しなかったけど。

その横には、鉄道博物館に展示される予定のEF66-11号機がありました。

この屋内棟を出たところには、車両部品の販売、ED62-17号機の展示がありました。

ED62-17号機は、現役当時、10年前の1997(H9)年まであった飯田線の貨物輸送等で活躍していた。

こちらは、鉄道博物館での展示の対象とはなっていないので、今後もJR貨物大宮車両所で保存されることが予想されている。

この後は、JRバス関東のブースに行き、ここに展示されている2台の高速バスを見物しました。

まずは、JRバステック(JRバス関東の子会社)によるスワローエクスプレス(いすゞガーラ、0401、足立200か11-17号車)を見物しました。

こちらは、東京~名古屋間の東名ハイウェイバスの4往復(特急または超特急便)で活躍している。 営業運転開始は、愛・地球博が開幕した2005(H17)年3月25日のことだった。

この車両は、広い座席、マイナスイオン発生装置付空気清浄機、パソコン用電源(後方4席)が搭載されていることが特徴である。 こちらは2+2の4列シートで後方にトイレがある。

座席定員は38席でゆったり仕様のシートで座り心地がよかったです。この時に空調が効いていたし。

JRバステック担当便は、東京駅 7:00(特急)、8:00(超特急)、15:00(超特急)、17時20分(超特急)

名古屋駅 7:00(超特急)、9:00(超特急)、16:00(超特急)、17:00(超特急)の4往復となっている。

その他の東京~名古屋間の便は、JRバス関東が2往復で、他は全てJR東海の子会社であるJR東海バス担当となっている。

この次は、ドリーム大阪などで使用されている三菱ふそうエアロキングという2階建てバスの見物。 番号は、D674-05507(足立200か12-73)で、2005(H17)年に導入された車両となっている。 三菱ふそうのエアロキングは、2005(H17)年に製造が打ち切られていたので、末期モデルでの導入となっていた。 一昨年の東京総合車両センターでのイベントの時には、この三菱ふそうエアロキングが展示されていたことを覚えている。

形式は、MU612TXで、エンジンは8M21形。 定員は1階が8席で、2階が30席。 

1階部分には、トイレのほか、車椅子スペースもあるし、段差が無いので、ノンステップバスと同様の状態となっている。

このときには、見物客で混雑していました。

この時に空調が掛かっていなかったので暑かったです。 2階部分は窓が開かないので。

実際は、このゆったりシートに身を委ねながら乗ることになる。

この時にはちびっ子を対象に運転席での記念撮影も行われていた。

この後に、工場棟を見物したけど、入場中の田町の211系、幕張の113系、253系NE’Xを見ることが出来ました。 こちらは、鎌倉総合車両センター(旧大船工場)では当たり前のように見られていた光景だったのである。

この113系には、15-2、鎌倉総合車両セの表示があったので、それを撮影しました。

こちらでも、湘南色が現れていた状態だったので、5月22日に入場した編成であることが分かります。

確認出来た車番は、モハ211-2029、クハ111-2056号車。

この後、再びJR貨物の大宮車両所を見物。

この後、トラバーサーに乗り、食堂でラーメンを食べました。

14時台には、EH500-3号機の分割車体の吊り上げ、移動実演を見ることが出来ました。 この時には、山岡さんと黒岩さんに出会いました。

この後には、E257系500番台の体験乗車コーナーに行き、E257系500番台による試乗列車に乗りました。 この時に使用されていたのは、NB501編成(クハE257-501F)で、2004(H16)年8月の千葉駅および両国駅での展示会に使用されていた編成である。

こちらは、9回運転され、ホームライナー津田沼、かいじ、あずさの表示で運転されていた。

この時には、座席も指定されていたので、1号車の12Dに着席しました。 こちらは、鉄道博物館とは反対の座席だった。

この時には鉄道博物館横の試運転線を通過。 確認出来た車両は、クハ481-26号車(ボンネット車)、クハ103-713号車のカットボディだった。

クハ103-713号車は、一部切断の上で鉄道博物館に展示されるようになったけど、昨年は丸ごと1両展示されていた。 713の数字で言うまでもなく、モーニング娘。の道重さゆみ氏の誕生日である7月13日を思い出しました。

昨年ACトレインで乗った時には、ターンテーブルの予定地であるくぼみを見ることが出来た。 今年は、建物を眺めるという形式となっていた。

鉄道博物館では、昨年5月14日に閉館された交通博物館の鉄道関連の展示物が移設されており、エスカレーターやエレベーター、車椅子対応のトイレなどのバリアフリー設備も設けられることになっている。

交通博物館が閉館されたのは、老朽化で手狭となっていたほか、バリアフリーに対応していなかったことが仇となっていたからである。

折り返し地点では、お台場のラッピング付きのりんかい線の70-000形が通過していきました。

撮影スペースでは、手を振る人たちがいました。

今回乗った時には、あずさの表示が出ていたので、500番台では貴重な表示でした。

試乗列車から降りた後、E257系500番台を撮影。 もちろんあずさの表示入りで撮影しました。

この後、別のスペースで入場中の車両を見たけど、田町の185系も入場していたことを確認しました。 この時に奥野さんと出会いました。

最後にカットモデルを撮影したけど、EF58-154号機を綺麗に撮ることが出来ました。 あとは、埼玉県のイメージキャラクターであるコバトンも撮影出来たし。

この後は、大宮駅へと向かいました。この時にニューシャトルの新車を見ることが出来たし。

(都電編へ続く)
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by hy_sengen-sin | 2007-05-29 11:00 | 鉄道イベント
5月22日は、逗子まで行き、東急車輌から輸送された小田急新4000形の4001Fのうちの6両の甲種輸送を見に行きました。

ルート 目白~新宿~大船~逗子~北鎌倉…大船~新川崎…鹿島田~武蔵小杉~渋谷~新宿~目白

まずは山手線で新宿へ。 新宿では、幕張の113系の大宮総合車両センターへの入場回送を見ることが出来ました。 この時の編成はマリ112+216編成。津田沼から新宿経由で回送されていた。これには、スカ色の塗装が剥げ落ち、湘南色が現れていた車両もあった。その後、1番線では、E231系の5両編成のU60編成の回送が出ていたけど、新鶴見信号所まで回送されていた。 この謎が気になります。

新宿から大船までは、湘南新宿ラインの特快(高崎発小田原行き)で移動。この時の編成はK05+S07編成だった。 特快なので、恵比寿は通過。 東京総合車両センターには、入場中のクハ209-64Fのうちの5両を見ることが出来ました。

横浜駅の9、10番ホーム(横須賀線、湘南新宿ライン、NE’Xのホーム)は、今後、東急東横線の旧高架線部分撤去跡が転用され、ホームが拡幅されることになっている。

現在東急東横線の横浜駅の旧高架線跡は、跡形もなく撤去されているけど、横浜~反町間にあった橋桁が残っている。

大船駅に到着した後、立ち食いそば屋で昼食を取り、ここから逗子まで湘南新宿ラインのE231系で移動しました。 この時の編成は、U514編成+U105編成。宇都宮から来た列車で、小山から大宮まで快速運転となっていた。

鎌倉駅では、江ノ電の300形の305号車を見ることが出来ました。 江ノ電のほうは、一昨年11月6日以来乗っていない状態が続いており、昨年3月27日に登場した新500形のほうも未だに乗ったことがない状態である。 江ノ電もPASMOで乗ることが出来る。筆者が乗りに行った時に新500形が運休だったら悲しいです。

300形のほうは、303Fと305Fが在籍している。

土曜・休日は4両編成での運転がメインだけど、平日の日中は2両編成による運用もあるので、混雑することもある。

逗子では、1番線に到着。 3番線には、E217系によるエアポート成田・成田空港行きが止まっていたので、撮影することが出来なかったです。

神武寺から逗子への送り込みに使用されたディーゼル機関車は、新鶴見機関区川崎派出所所属のDE11-2003号機。

東急車輌の工場から神武寺への送り込みは、終電後に行われることになる。

3月29日には、神武寺から逗子まで、東急5000系の6ドア車2両(5105Fの6ドア車)と、E231系の5両編成との併結シーン(ありえないシーン)が見られていた。

E231系の5両編成のほうは、逗子から自力で回送されていたけど、出場した日が同じであるということは偶然だった。 東急5000系は、E231系がベースとなっているので、親戚関係の車両となっている。

今回の甲種輸送の牽引機は、新鶴見機関区所属のEF65-1139号機。 輸送された車両は、綾瀬(新宿)寄りの6両である、4051+4001+4101+4201+4301+4351号車。 

車内は、LCD装置が付いていた。客用ドアの窓ガラスの形状は、E233系と同様に角張っていた。 

筆者が逗子で甲種輸送を撮影したのは、一昨年7月12日の山形新幹線つばさ号のE3系1000番台(L53編成)の時以来だった。

輸送ルートは、逗子から横須賀線、根岸線、東海道貨物線経由で新鶴見信号所まで行き、ここで方向転換の後、東海道貨物線経由で沼津へ。 沼津から御殿場線経由で松田まで輸送され、ここから連絡線経由で小田急線に送り込まれていたのである。

松田に到着したのは、5月23日の深夜のことだった。

5月24日から25日に掛けては、残りの4両が輸送されていた。 これらの4両のうちの唐木田(本厚木)寄りの先頭車のほうには、女性専用車のステッカーが付いていたけど、1000形と同様に、千代田線直通列車のみならず、小田急の本線にも対応していた。

3番線のE217系が発車した後、このタイミングを見計らって、4000形を撮影しました。 先頭車のほうは、EF65形に連結されていた。 5月24日発送分の場合は逗子で先頭車を撮影出来ていたところだった。

13時29分、3番線にE217系の上総一ノ宮行きが入線。この時に再び被られました。

このE217系は、13時40分に発車していたので、13時43分の発車の時には被られていない状態だった。

筆者はこの13時40分発のE217系で北鎌倉まで移動。この時の編成は、Y11+Y105編成。

E217系は、以前大原までの乗り入れがあったけど、現在は全て上総一ノ宮までの運転となっている。

北鎌倉駅の場合は、構内踏切があるので、反対側で撮影する場合は、踏切で待たなければならない。 この構内踏切を渡り、反対側のホームで通過の動画を撮影しました。あとは、デジカメでも撮影したけど。

北鎌倉からは、徒歩で鎌倉の祖父母のお墓参りをしました。 こちらは、大船~北鎌倉間での線路沿いにある。 お墓参りの後、返却回送されるDE11-2003号機が通過していきました。

ここから大船まで歩いていき、大船から新川崎まで、E217系の快速エアポート成田・成田空港行きで移動しました。 この時の編成はY26+Y145編成。

途中で251系SVO(スーパービュー踊り子6号、東京行き)のRE-1編成とと併走していました。 

横浜では、泉岳寺行きの京急2100形2172Fがほぼ同時に発車していた。京急の場合は1995(H7)年から、品川~横浜間で120Km/h運転が行われているけど、京急蒲田駅付近の高架化工事の影響により、一部で速度制限が掛かっている。 JRのほうも、横須賀線や湘南新宿ラインで120Km/h運転が行われているし。

鶴見では、武蔵野線のクハ205-15Fが止まっていました。 ここでも撮影した人が多かったです。

新鶴見では、4000形を撮影。 この時にEF65-1005号機の単機の回送、DE11-2001号機+コンテナ車も見ることが出来ました。

この時には、小田急新4000形の先頭車が後ろを向くようになったので、先頭車を撮影することが出来ました。

この後、鹿島田駅まで歩いていき、南武線で武蔵小杉まで移動しました。

鹿島田駅は、リニューアル化され、跨線橋も延長されていた。 これにより、踏切を渡らずに反対側まで出られるようになった。

この時に乗った編成は、クハ205-138F。

5月26日には、南武線の中原電車区でのイベントも行われていたので、大宮総合車両センター、都電荒川線のイベントと合わせてトリプルプレーとなっていた。

このように鉄道のイベントが被ることが多いのでもううんざりです。 10月にはこうなることもザラである。
武蔵小杉から渋谷までは、5050系の5154Fによる東横特急で移動。 この5154Fは、一昨年2月1日に、5154Fの6ドア車2両と一緒に輸送され、その中間に6ドア車が入っていたという珍編成で輸送されていた。筆者は当時新鶴見でそれを撮影していた。

小田急の5000系列では、5253Fに続き、最近になってからは4連の5051Fに廃車が出ていた。 こちらは、初期型の5000系の4連で初の廃車となっていた。

風祭駅は、現在島式ホームで、箱根湯本寄りの先頭車の1両の1ヶ所のみのドア開放となっているけど、来年3月完成を目処に、85mの相対式ホームに改良されることになる。 これにより、段差およびドアカットの解消が行われることになる。 

箱根ロープウェイでは、6月1日から大涌谷~桃源台間にも新型ゴンドラが導入され、運行再開されることになっている。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-28 11:45 | 鉄道車両・路線
5月20日は、山梨方面まで行き、ハロー!プロジェクトのファンの団体との合同オフ会に参加しました。 この時は、所属団体のH.K氏の車で移動したけど、その前後の鉄道活動についても書きます。

ルート 下落合~鷺ノ宮~小平~拝島~八王子IC~談合坂SA~勝沼IC~日川渓谷レジャーセンター~やまと天目山温泉~勝沼IC~一宮御坂IC~甲府市~一宮御坂IC~藤野PA~八王子IC~拝島~小平~下落合

まずは、下落合から鷺ノ宮まで、2000系2005Fによる普通列車で移動。 2005Fは、2001、2003、2007Fと同様に、1977(S52)年に導入された初期型の2000系に2両中間車が入れられて8両固定編成化された編成となっている。 こちらは、2001Fと同様に、幕式の表示となっている。2003、2007Fは、行き先表示がLED化されていた。

2000系は、1977(S52)年に西武初の本格的な4ドア20m車として、新宿線に導入されていたけど、今年で登場30周年を迎えることになる。

それ以前には、国鉄の63系電車からの払い下げ車である初代401系という4ドア車が在籍していたこともあった。

鷺ノ宮から小平までは、20000系の20102Fによる急行で移動。 こちらは、池袋線に在籍していたけど、6000系の改造車の導入により、新宿線に移動していた。

新宿線の20000系は、20101F(10両)、20152~20156F(8両)が生え抜き車となっているけど、20101Fが10両固定で唯一の新宿線での生え抜き編成となっている。 20101Fは、2002(H14)年に乗務員訓練により、一時的に池袋線に貸し出されていたけど。

20151Fは、登場当時は新宿線に在籍していたけど、2002(H14)年に池袋線で活躍するようになった。

20157Fは、新宿線の20000系の8両固定編成で唯一池袋線からの転属車となっている。

小平から拝島までは、新2000系の2523+2543Fで移動。 こちらは西武新宿発で、1本前に乗っていれば下落合から直通で行けたところだった。

東大和市では、ヘッドマーク付きの6101Fを見ることが出来ました。 これは、7月29日にグッドウィルドーム(旧インボイスSEIBUドーム)で行われる野外ライブイベントである「オーガスタキャンプ2007」のPRのHMである。

玉川上水の車両基地では、今後の動向が注目される225Fを見ることが出来ました。 こちらは、西武多摩川線を除いた西武鉄道線で唯一残った旧スタイルの101系であり、多摩湖線のワンマン列車で使用されている。

西武多摩湖線と言えば、5月24日に10000系NRAが、団臨で乗り入れていた。

西武立川駅では、上り列車との交換。 ここで富士山を眺めることが出来ました。

拝島駅到着後、折り返し急行西武新宿行きとなっていました。

この後、南口へと向かったけど、この時に201系による各駅停車青梅行きを見ることが出来たので、4月15日の切り替えの時を思い出しました。こちらは、普段早朝・深夜にしか見れない光景である。

1番線では、201系のH編成の青梅特快の併合シーンを見ることが出来てよかったです。 この時の編成は、H3編成(クハ205-101F)。 この運用は、6月までにE233系のH編成に完全に置き換えられる予定となっていたけど、今回見ることが出来たので儲かってしまいました。
 こちらは、萩原清さんや黒岩さんと行動している時によく見られる現象となった。

前の6両は、武蔵五日市から、後ろの4両は、高麗川から来ていた。 このような列車は平日は下り1本、上り2本となっているけど、土曜・休日は1往復のみとなっている。

拝島駅が橋上化され、JRと西武の改札が別になった暁には、このようなことが出来なくなる。 現在は、JRと西武の改札が一緒になっているので。

拝島駅とは、5月19日に、地下の連絡通路が廃止され、橋上の連絡橋に切り替えられていた。 ここを通ったのも初めてでした。

ここで、南口で、友人のLK(Y.S’)さんと合流。 LKさんも、電車で拝島まで来ていた。

この後、車が到着し、ここから5人で山梨まで行きました。 3人の友人は、埼玉県北東部(東武動物公園駅付近)、川越市、福生市から来ていたので、埼玉県北東部を出発し、川越市で友人のK.S氏を乗せ、ここから国道16号線経由で 福生市まで行き、ここでもう1人の友人(Y.S)氏を乗せた後に、拝島まで来ていた。

拝島から国道16号線経由で八王子ICへ。 この時に多摩川を横断。

八王子から勝沼ICまでは、中央道を通りました。

この時に、JRバス関東の名古屋行きの高速バス(中央ライナー1号)を見ることが出来ました。 こちらは、新宿駅新南口発で、4列シートの西工+日産ディーゼル車(KL-RA552RBN形、H658-04417、足立200か15-66号車)が使用されていた。こちらは、元長野原営業所所属(群馬200か・473)となっていた。 

今回乗った車は、ホンダのオデッセイの2代目モデルであり、元宣言!!のK.Y氏の家族の車であるマツダMPVと同様に2+3+2の3列シートで7人乗ることが出来る。

このH.K氏のホンダオデッセイは、2004(H16)年11月7日に長野県・松本でのモーニング娘。のコンサートに行くときや、一昨年3月20日に名古屋での移動の時に乗ったことがある。

5人のうち、H.K氏は、℃-uteの鈴木愛理氏、LK氏は、モーニング娘。の高橋愛氏、K.S氏は、同藤本美貴氏、Y.S氏は、筆者と同様に道重さゆみ氏が1推しとなっている。

車内では、ハロプロ関連のDVDが放映されていました。

この車は、ETCが付いていなかった(非ETC車だった)ので、一般レーンを通っていました。高速道路の料金は、ETCで無くても、クレジットカードでの支払いが可能となっている。

萩原清さんの場合は、非ETC車となっているけど、クレジットカードで高速料金を支払っている。

因みに萩原清さんの愛車は、スズキのソリオという小型車で、軽自動車のワゴンRがベースとなっている。 その前は、同じスズキのワゴンRという軽自動車に乗っていた。

軽自動車の場合は、高速道路で100Km/h出せるけど、4人しか乗れないというデメリットがある。ソリオの場合は、5人乗ることも出来る。

圏央道は、今年6月23日の15時に、あきる野IC~八王子JCT間が開通することにより、中央道と関越道がダイレクトに結ばれ、所要時間が国道16号線経由と比べて90分短縮されることになる。平常時には、120分のところが30分に。この区間には、八王子西IC(中央道方向からのハーフインターチェンジ)も新設される予定となっている。

今回開通する区間は、中央道と同様に、中日本高速道路(NEXCO中日本)による管理となる。

既に開通しているあきる野IC~鶴ヶ島JCT間は、東日本高速道路(NEXCO東日本)による管理となっているけど。

八王子JCTは、中央本線の車窓から見ることが出来るけど、圏央道建設反対の表示が残っていた。

この区間には、八王子城跡トンネルも設けられることになる。これが難工事となっていたので、開通が大幅に遅れていたのである。

2009年度中に開通する予定の八王子JCT~八王子南IC間は、高尾山をトンネルで越えることになる。

これにより、国道16号線の渋滞が大幅に緩和されるという効果も現れてくることになるし。

これに伴い、大宮、所沢発着の高速バスのルート変更も予想されています。

中央道からは、相模湖の景色を見ることが出来ました。 

談合坂SAで休憩。 ここで、参加者であるMIC(友好団体)と合流しました。 

MICは、主催者のO氏などが所属しているグループで、正式名称は、Musume Inspiration Circleとなっている。

筆者のほうもO氏率いるおかぽん軍団に所属している。今回はそのためのオフ会だったのである。 

O氏は、筆者と同様に道重さゆみ氏が1推しとなっているし。

この時にMICのせきげん氏の車(スバルのインプレッサWRX、STi)を見ることが出来たけど、高速道でK氏の車を追い抜いていき、会場に先行していた。 このインプレッサのSTiシリーズは、三菱のランサーエボリューションシリーズと同様に、WRC(世界ラリー選手権)仕様で、ハイパワー・ターボエンジン搭載の最速4ドアセダンとなっている。 実際に販売されている車は、公道でも走れるような仕様となっているけど。

インプレッサのほうは、今年6月にモデルチェンジされ、3代目へと移行されることになる。

2004(H16)年11月に筆者が北海道に旅行した時には、レンタカーでスバルのインプレッサのセダン(WRX)を借りていたのである。

勝沼インターから一般道に入り、国道20号線を走行中に、後ろから来たトヨタのランドクルーザー80型(バンのVX)にぶつけられていたので、足止めを食らってしまいました。 この車は、地元の山梨ナンバー。 オデッセイのほうは、後部の右側が損傷していた。 筆者は最後列の3列シートに座っていたけど、シートベルトをしていたので大丈夫だった。 心配されていた後遺症がなくてよかったです。

この時は、後部の右側のウィンカー部分が点灯していたので、自力で走れる状態だったので何を逃れていた。 加害車のランドクルーザーのほうは、前部の左側が損傷していたけど。

この時に、車の運転で気を付けなければならないんだな!と思いました。

筆者は運転歴9年だけど、他の車に衝突した(された)という事故は1度も発生していない。

この周辺は、一昨年11月1日に、塩山市と東山梨郡勝沼町と大和村が合併して誕生した甲州市となっている。

この後、最寄りの警察署まで行き、調査が行われていた。

この後、元の場所に戻り、日川渓谷レジャーセンターへ。 こちらは、中央本線の甲斐大和駅から車で行くことが出来る。 当初は、甲斐大和駅まで行き、ここで某団員を迎えた後、現地に向かう予定だったけど、K氏の車の衝突事故により、他の団員の車で現地入りしていた。

これにより、到着が1時間30分遅れていた。

他の団員は、スバルのインプレッサのほか、MICのU氏のトヨタのカローラ、浜松在住のS氏のホンダアコードで来ていた。 

S氏は、富士市から山梨へのショートカットで通っていた。 こちらは単独で現地入り。

ここでは、バーベキュー大会が行われ、釣りも行われていた。

筆者は釣りは行わなかったけど、その変わりにMICの某団員たちがやっていた。

ここでは、携帯電話の電波が届かなかったのが痛いです。

ここには、テニスコートやバンガローがあるので、泊まりがけで行くことも出来る。

この日は、天候に恵まれていたので、オフ会日和となっていました。参加していたメンバーは筆者を含めて17人だった。

この後、5台の車で、上流にあるやまと天目山温泉まで行き、ここで入浴したけど、露天風呂が狭くて入りきれなかったです。

ここは、1994(H6)年にオープンした、泉温は31.9度(ph)ペーハーが10.3という日本最高級のアルカリ性温泉となっている。

その途中のトンネルでは、軽自動車が燃えた跡がありました。K氏の車では、某団員(ずらさん)も加わって6人となった。
参加者は全員男性だったので、気兼ねなく入れたし。

LKさんのほうは、おかぽん軍団のオフ会で、ゲストの扱いとなっていたけど、終了後におかぽん軍団の傘下に入っていた。筆者の場合はその数日前に傘下に入っている。

全員が入浴した後は、そのまま浜松へと帰るS氏と別れ、4台の車で甲府市の某ボーリング場まで移動しました。 

この途中では、中央本線の信州色の115系(長野区)の走行シーンを見ることが出来ました。

勝沼ICから一宮御坂ICまでは中央道経由。 ここから一般道で、甲府まで行きました。

甲府南ICからも行くことが可能となっている。

甲府市内の某ボーリング場に着いた後は、4レーン、4人に分かれてボーリング大会をしました。 筆者は、前述のY.S氏と、某高橋愛氏推し(ヲラヲタ)、Berryz工房の菅谷梨沙子氏1推しのせきげん氏による4人組だった。

筆者は以前ボーリングをやったことがあったので、初めてでは無かった。

この後、現地で解散し、甲府駅までずらさんを見送った後、一宮御坂ICから中央道で八王子ICへ。ここから拝島駅まで行き、車から降りました。 この車は逆のルートで帰っていった。

甲府駅では、京王バス東による中央高速バス、日野セレガR(K60412、品川200か11-01号車)を見ることが出来ました。 こちらは、新宿発で甲府まで行き、到着したばかりだった。

中央道上では、京王電鉄バスの日野セレガ(K69605、練馬22か68-84号車)を見ることが出来たし。 こちらは、古株の分類に入っている。

京王のリムジンバスでは、6月1日から、成田空港線に続き、羽田空港線も南大沢まで乗り入れることになっている。


ここで、JR線で帰るLKさんと別れ、1人で西武新宿線に乗って帰りました。

小平までは、6000系の6102Fに乗車。 こちらは、先月まで西武ライオンズのラッピング電車として走っていた。

拝島では、E257系を見ることが出来ました。

小平から下落合までは、2093Fに乗って帰ったけど、上石神井で、小平から回送された6102Fを見ることが出来ました。

6102Fは、6101Fと同様に、副都心線用に改造されることは無いので、新宿線に残ることになる。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-25 11:42 | ハロプロ観戦系

秩父鉄道のイベント

熊谷駅に到着した後、秩父鉄道の乗り場へ。 この時に広瀬川原行きの臨時列車(3003列車)が出ていたので、ここから広瀬川原まで行きました。

この時に乗った列車は、西武101系の231Fから改造された急行秩父路用の6000系の6002Fだった。 この時には立ち席だったけど、降車待ちの時に座ることが出来ました。

上熊谷駅には、今から23年前の1983(S58)年5月31日に廃止された東武熊谷線の廃線跡がありました。上熊谷駅構内には、そのレールが残されていた。

熊谷~上熊谷間は、秩父鉄道と併走し、東側部分が東武熊谷線の路線だった。 こちらは、東武鉄道で最後の非電化路線および孤立路線だった。

東武熊谷線の熊谷、上熊谷駅は、秩父鉄道によって管理されていた。

上熊谷~妻沼間には、大幡駅があったけど、末期には無人駅となっていた。

石原駅では、運転停車していたけど、交換はありませんでした。

ひろせ野鳥の森駅を通過した後、会場に入りました。

ひろせ野鳥の森駅は、2003(H15)年3月27日に開業した駅で、イベント会場への最寄り駅となっている。

一昨年の6月4日の第一回目の時は、行きは、ひろせ野鳥の森公園駅から歩いて行っていた。

臨時の停車場では、SLパレオエクスプレス(C58-363号機)、12系客車を見ることが出来ました。

この日は、熊谷から広瀬川原まで、パレオエクスプレスによるSL運行20周年記念号が運転されていたけど、こちらは団体扱いとなっていた。

熊谷を10時10分に発車し、広瀬川原に10時18分に到着していたので、僅か8分間の短い旅となっていた。

先発の特急草津31号に乗っていたらそれを見ることが出来ていたところだった。

列車を降りた後、SLC58-363号機(パレオエクスプレス)、電気機関車(101、201、501号機)などを撮影しました。

休憩用車両は、元都営6000形から改造された5000系(5203F)が使用されていました。

こちらは都営時代6251Fとなっていた。

広瀬川原の車両基地は、1969(S44)年3月に開設された車両基地で、これまでは、熊谷駅南口にあったのである。

わくわくフェスタは、一昨年6月4日から開催され、好評であったので、昨年5月13日にも行われていた。 筆者は昨年小田急の9000形のさよならイベントに行っていたために不参加だった。

今年は、5月19日に行われていたので、2年ぶりの参加となった。 

秩父鉄道のイベントでは、2年連続雨の中で行われていたけど、今年は途中で晴れてきたので、3年連続雨の中でのイベントにならずに済みました。 やはりてるてる坊主のお陰であります。

あとは、晴れ男である黒岩さんも参加していたということもあるし。

一昨年のイベントに参加していた萩原清さんのほうは、今回は参加していなかった。

黒岩さんのほうも、筆者と同様に2年ぶりにこのイベントに参加していたし。

一昨年のイベントの時は、昨年11月をもって全廃となった3000系(元JR165系)による直通列車で帰っていたので、3000系に乗ったのがあの時が最後となってしまった。

SLには、運行20周年記念のHMと日本の国旗が付いていたのでそれを撮影しました。 一昨日のイベントでは、パレオエクスプレスの12系客車が公開されていたのを覚えています。

電気機関車は、101、201、501号機。 101号機は、茶色塗装の機関車で、現役引退後は解体されずに保管されている。

100形電気機関車は、102~108号機もあるけど、そのうちの107・108号機は、1972(S47)年に、松尾鉱山鉄道から譲受されていた。

松尾鉱山鉄道とは、岩手県岩手県岩手郡西根町(現、八幡平市)の大更駅と岩手郡松尾村の東八幡平駅を結んでいた路線で、1972(S47)年10月に、松尾鉱山の閉山により廃止されていた。 大更駅は、花輪線への乗換駅となっていた。当時秩父鉄道の107、108号機は、ED501、502号機と呼ばれていた。

201号機は、モスグリーンの塗装で、SLパレオエクスプレスの補機として使用されている。 以前は202、203号機もあったけど、1999(H11)年に三岐鉄道に譲渡されている。

501号機は、秩父鉄道の主力機で、1973(S48)年から1980(S55)年に掛けて、501~507号機の7両製造されていた。

そのうちの503、504号機は、1979(S54)年10月1日の三ヶ尻線(熊谷貨物ターミナル駅と武川駅を結ぶ連絡線)の開業に合わせて増備されていた。

この横には、マルタイ、ディーゼル機関車、動輪・車輪、モーターカーがあり、広瀬川原駅の駅名標もある。

その横にある電気車修繕庫には、302号機の姿がありました。

300形電気機関車は、1967(S42)年に301、302、303号機が製造されていた。

この後、貨車を眺めました。 この時に置いてあった貨車は、トキ506、512号車、ヲキ171号車、スム4044号車、ホキ10072号車などがあり、チチブセメントの貨車(10056、10037、10054)

ここには、今から16年前に引退した500形の廃車体、オリジナルの12系客車、部品取り用の都営6000形の非冷房車も置かれていました。

これらを眺めた後、スタンプ設置箇所に行きました。 この後、奧のほうの修繕庫を見ることが出来たけど、ここには301号機、5000系が置かれていました。 

この後、トラバーサーに乗車。 このようなトラバーサー乗車体験は、JRの大宮総合車両センター、西武の武蔵丘でのイベントでも乗れることが出来るけど、秩父鉄道の広瀬川原で乗ったのは初めてでした。

この奧には、転車台(ターンテーブル)があり、107号機を使った実演がありました。 こちらはSLのC58-363号機の方向転換等で使用されている。

この横では、手打ちそばの実演があり、200食の限定発売されていたけど、ここで食べることが出来なかったです。

イベント会場の入り口には、物販、飲食物、記念乗車券、鉄道部品などが売っていました。 昼食は、物販ブースでそばを食べました。

広瀬川原駅弁も数量限定で売られていたけど、こちらも残念ながら買うことが出来なかった。

ここでは、三橋さん、下村さん、林直樹さんと出会うことが出来ました。 この後で、黒岩さんと合流し、共に行動していた。

合流した後、転車台まで行き、107号機の転車風景を見物。 この後、機関車の前に行き、ヘッドライトの点灯シーンを撮影しました。

この後、5000系の休憩用車両の中に入りました。

この横には、影森行きの臨時列車用の1000系(元JR101系)の1009Fが止まっていました。こちらは、クモハ100-174+モハ101-236、クハ101-80が種車となっている。

国鉄(JR)101系から改造された1000系のうち、1006Fのデハ1006、デハ1106号車は、かつて武蔵野線を走っていた101系1000番台から改造されている。国鉄時代は、前者が、クモハ100-1013、後者が、モハ101-1013号車となっていた。

あとは、秩父屋台囃子の演奏、イメージキャラクターのパレオくん&コバトンの披露もありました。

黒岩さんと筆者は、記念乗車券売り場に行き、硬券のつかみ取り大会に挑戦していました。 筆者は、広瀬川原発の乗車券、記念入場券も買ったのである。

このイベントを見た後、黒岩さんと広瀬川原から熊谷まで、臨時列車で帰ったけど、この時も6002Fが使用されていました。

急行秩父路号は、3月6日のダイヤ改正で、ワンマン運転化されている。 ワンマン運転なのに急行料金200円掛かるということで、乗車口で急行券の拝見が行われることになる。

このようなことは、長野電鉄の2000系による特急と同様である。

出発の時は、パレオくんとコバトンによるお見送りのサービスもありました。

熊谷に到着した後、熊谷駅で、183系による臨時快速碓氷号を待ちました。

黒岩さんのほうは、行きは熊谷まで上越新幹線(あさま号)で行き、ここから臨時列車に乗っていた。

この時に携帯ショップに行き、近いうちに発売される予定のドコモの504iを見ました。 ドコモには、薄型の携帯機種もある。

504iは、うた・ホーダイのサービスや、2つのメールアドレスが使える機能が魅力である。

黒岩さんのほうは、これに変えることを検討しているのである。

auのほうは、5月22日に夏モデルが発表されていた。これは、W53SA、W52CA、EXILIMケータイ W53CA、ウォークマンケータイ W52S、W52P、W54T、W52H、W52SH、W53T、W52SA、W53S、W44K II、A5526K、A5527SA、簡単ケータイ A5528Kの15機種となっている。

原宿のKDDIデザイニングスタジオで実物を見ることが出来る。

熊谷で列車を待っている間、185系のクハ185-309Fによる草津32号を見ることが出来ました。 

この時に使用された編成は、OM103編成(旧S3編成)で、クハ183-1527Fとなっていた。

高崎寄りの先頭車は、組み替え前のクハ182-102号車(特急シンボルマーク付き)が残されているので、大宮の183系で唯一両方向共に特急シンボルマーク付きとなっている。 S3編成は、あずさ号で使用されていた頃の末期は、特急シンボルマーク付きのM8編成として使用されていた。 このクハ182-102号車は、M8編成で使用された時の面影が残っている。 あとは、一昨年6月25日の三鷹でのイベントで展示されていた編成でもあったし。

筆者と黒岩さんは、2号車のモハ183-1054号車に乗車。 こちらは、組み替え前房総特急に使用されていたので、黒岩さんにとっての思い出のある車両となっている。あとは、上野寄りの先頭車であるクハ183-1527号車も房総特急で使用されていたし。

従って、団臨には、OM101+OM102編成が使用されていたことが分かります。北本では、それとすれ違っていた。

この快速碓氷号は、1~3号車が自由席となっていた。

こちらは、横川を出た後、磯部、安中、高崎、本庄、深谷、熊谷、鴻巣、北本、桶川、上尾、大宮、浦和、赤羽、上野に停車していた。 快速なので特急券は不要だったけど、かつての旧あさま号を彷彿とさせる編成となっていました。

今シーズンの運転は、5月19日のみとなっていたので、黒岩さんもこれに乗れてよかったと言っていた。

大宮駅付近では、鉄道博物館の建設用地を見ることが出来ました。

赤羽で上野まで乗り、東京経由で帰る黒岩さんと別れ、埼京線で新宿へ。この時に乗った編成はりんかい線の70-060Fで、お台場のラッピングがありました。

新宿では、幕張の189系クハ189-1F、485系ニューなのはな号による団臨、E233系のH43編成によるホリデー快速を見ることが出来ました。

ニューなのはな号は、田沢(篠ノ井線)から本納(外房線)まで運転されていた。

189系は木更津から八王子まで運転されていたけど。

この直後に、京浜東北線、宇都宮線、高崎線での架線トラブルにより、長時間不通となっていたので、間一髪でした。 快速碓氷号も止まる前に上野に到着していたので、黒岩さんが無事に内房線方面に帰ることが出来たし。

こちらも夜勤の仕事に間に合ってよかったと思っています。

もしも足止めを食らっていたら、1月7日の水戸線撮影ツアーの後の二の舞となっていたところでした。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-23 16:27 | 鉄道イベント

特急水上

5月19日は、秩父鉄道の広瀬川原車両基地で行われた「わくわく鉄道フェスタ」に行ってきました。

ルート 聖母病院入口~目白~上野~熊谷~広瀬川原(イベント会場)~熊谷~赤羽~新宿~目白

まずは、聖母病院入口から西武バスの宿20系統で目白駅へ。 この時に乗った車両は、A6-150(練馬200か16-45)号車で、西工+日産ディーゼルの中型車(PB-RM360GAN)である。

練馬営業所管内の西武バスでは、5月16日に停留所の新設、改称が行われていた。

笹カラーの日野リエッセ(小型車)が走る土支田循環線(光が丘駅→土支田一丁目→光が丘駅間)では、光が丘高校角→光が丘一丁目間に、旭町南バス停が新設されていた。

練馬営業所所属の日野リエッセ使用の循環路線は、2004(H16)年8月31日まで、高松循環線もあった。

練42系統(成増町~練馬駅間)の谷原三丁目バス停の練馬駅方向のバス停が40m移動していた。 これにより、練高01系統(成増駅~練馬高野台駅間)の練馬高野台方向および練馬南田中車庫への入庫便も停車するようになった。

宿20系統では、東中野二丁目バス停が、宮下交差点バス停に改称されていた。

あとは、京王バスの渋64系統(渋谷駅~中野坂上経由~中野駅間)も同様に、宮下交差点バス停に改称されたけど、こちらは中野駅方向のみの停車となっている。

現在京王バスグループでPASMOが使える路線は、中野、永福町、府中、小金井営業所所属の路線となっている。但し、新宿駅発新都心循環系統(S01)、国立駅~聖蹟桜ヶ丘駅系統(国18) 、・コミュニティバス(すぎ丸・ハチ公バス・CoCoバス、ちゅうバス、ぶんバス)では使用出来ない。

都営バスでは、江東01系統(江東区コミュニティバス「しおかぜ」)以外の各路線でPASMOが使える状態となっている。 上野動物園のモノレールもPASMOが使えないし。

目白から上野までは、山手線で移動。池袋では、251系による池袋発伊豆急下田行きのスーパービュー踊り子3号を見ることが出来ました。

上野駅では、EF81-78号機牽引による札幌発上野行きの北斗星2号(JR北海道所属)、651系によるスーパーひたち15号、勝田の485系の6+4による団体臨時列車を見ることが出来たし。

北斗星は、オハネフ25-2号車ほかだった。

スーパーひたち15号は、前の4両が原ノ町行き、後ろの7両がいわき行き。

熊谷まで乗った185系の7+7の14両による、特急草津・水上3号は、15番線に停車していました。

前の7両は、特急草津3号・万座・鹿沢口行きで、OM02編成(クハ185-202F)、後ろの7両は、特急水上3号・水上行きで、OM11編成(クハ185-211F)。

自由席は、草津号は2両、水上号が3両といずれも上野寄りに設定されていた。

筆者は特急水上3号側の3号車(モハ184-221号車)に乗車。こちらは、3月17日まで喫煙可能な車両となっていた。 

その1本前には、上野発万座・鹿沢口行きの草津31号(7両編成)が出ていたけど、3月18日の改正前は、草津白根号で、全車指定席だった。 改正後も土曜・休日のみの運転であることには変わりがない。

中間には、モハ185-222、モハ184-222号車が連結されていたので、メロン記念日の柴田あゆみ氏の誕生日である2月22日を思い出しました。

この編成の1号車(上野寄りの先頭車)は、クハ185-311号車だったので、モーニング娘。(早安少女組。)のリンリン(銭 琳 Qian Lin (チェン・リン))氏の誕生日である3月11日を思い出したし。

3月11日と言えば、1989(H元)年、常磐線に651系スーパーひたち号がデビューしていたので、あれから18年経ったのである。

水上・草津号では、同じ元高崎の183系の6両のモノクラス編成も使用されることもあり、トレインマークも出ているので、撮影するファンを楽しませてくれることになる。 筆者は1度もそれを見たことが無い。

GWには、水上91、90号が運転されていた。

上野発着の水上、草津、あかぎ号用の185系は、以前新前橋電車区(のちの高崎車両センター)所属だったけど、183系と共に、昨年3月18日の改正で大宮総合車両センターに転属している。 これらの編成は、田町の185系の200番台と共に、1985(S60)年3月まで新幹線リレー号で使用されていた。

筆者が水上号の185系に乗ったのは、1999(H11)年10月に高崎から赤羽まで乗った時以来7年半ぶりだった。 当時は(元S229、現OM15編成、クハ185-215F)に乗っていた。

これらの編成は、1995(H7)年から翌年の1996(H8)年までリニューアル化されていた。

リニューアル化される前は、緑帯の車両で、普通車は転換クロスシートだった。

分割・併合作業は、渋川駅ではなく、新前橋駅で行われる。

10時に15番線から発車。 この時に前述の651系スーパーひたち15号との同時発車のシーンが見られました。

このような同時発車シーンは、1997(H9)年9月30日をもって廃止された旧あさま号や白山号でも見られていた。

これらの廃止からは、早いもんで今年で10年が経つのである。

上野を出た後、赤羽、浦和、大宮、熊谷に停車していたけど、今回は上尾駅にも臨時停車していた。

熊谷を出た後は、深谷、本庄、高崎、新前橋、沼田、後閑、水上(中之条、群馬原町、川原湯温泉、長野原草津口、万座・鹿沢口)の順に停車していた。

草津温泉は、長野原草津口からバスで行くことになる。こちらはかつて草軽交通の軽便列車で結ばれていた。

この後、前橋発上野行きのあかぎ6号とすれ違いました。

尾久の車両基地では、勝田の485系を確認しました。

王子では、大宮(元高崎)の183系の6+6の12両編成(重連)による団臨とすれ違ったし。こちらは沼田発上野行きの団体列車となっていた。

3本のうちの1本は、帰りに乗った臨時快速碓氷号(上野~横川間)に使用されていた。

あとは大宮駅の手前では、田町の185系によるウィークエンドあかぎ8号(前橋発新宿行き)とすれ違ったけど、トレインマークは、絵入りのものとなっていました。大宮(旧新前橋)所属の185系は、リニューアル前にこのような表示が当たり前となっていた。この時の編成は、クハ185-210Fだった。

東北新幹線は、今年6月23日に大宮~盛岡間開業25周年を迎えることになり、旧塗装に再現された200系のK47編成によるやまびこ931号(大宮10時30分発→盛岡13時18分着)も運転されることになっている。 こちらは全車指定席となっており、ヘッドステッカーも付けられることになる。

大宮総合車両センターには、京葉線の205系(クハ205-117F)、253系NE’Xが入場していた。 253系のほうは、以前鎌倉総合車両センターに入場していたけど、工場部分の閉鎖後、大宮総合車両センターに検査業務が移管されていた。

あとは、保存予定のED62-17号機なども見ることが出来たし。

大宮~宮原間では、鉄道博物館に搬入される485系ボンネット車や455系の姿を見ることが出来ました。

高崎線では、宮原では、211系の前橋行き、鴻巣で、E231系の湘南新宿ラインを待避していました。 鴻巣駅の中線と言えば、昨年10月8日のムーンライトえちご号の悲劇を思い出してしまいます。

熊谷に到着した後、秩父鉄道の乗り場に行き、ここから広瀬川原まで直通の電車で行きました。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-23 12:00 | 鉄道乗車記

玉電砧支線跡のバス路線

5月15日は、仕事が休みだったので、二子玉川より、東急砧支線跡のバス路線である玉06系統に乗りました。

ルート 目白~新宿~渋谷~三軒茶屋~二子玉川~砧本村~吉沢…健保グランド前~二子玉川…二子新地~三軒茶屋~渋谷~目白

まずは、新宿まで行き、ここで、東武の100系スペーシアきぬがわ7号を見たけど、1周年記念マークが外されていました。 この時の編成は107-1F。

目白から新宿までと新宿から渋谷までは、どちらも山手線で移動。

渋谷から三軒茶屋までは、東急5000系5101Fによる各駅停車で移動。 この時には、あざみ野駅開業30周年記念ヘッドマークが付いていたので、それを撮影しました。 この時にハチ公口での旧5001号車を見たので、この日のうちに新旧5001号車を見たことになった。

あざみ野駅は、1977(S52)年5月25日に開業した駅で、今年で開業30周年を迎えることになる。 1993(H5)年3月18日に横浜市営地下鉄線の新横浜~あざみ野間の開業と共に乗り換え駅となり、2002(H14)年3月28日に急行が停車するようになった。

三軒茶屋から二子玉川までは、東京メトロ8000系の8119Fで移動。 この時に乗った編成は、ラストナンバーでありながら、1989(H元)年1月の三越前延長に備えて製造された編成となっている。

1990(H2)年11月28日の三越前~水天宮前間の開業の時に導入された編成は、8110Fとなっている。

二子玉川駅に到着した後、東口ターミナルから、玉06系統の東急バスで、砧本村まで移動しました。

この時に乗った車両は、高津営業所所属のTA1592号車(川崎200か・672)で、1996(H8)年度に導入された三菱ふそう車である。

二子玉川駅→二子玉川→中耕地→吉沢→健保グランド前→砧本村→鎌田→吉沢→二子玉川緑地前→二子玉川駅というルートで運行されているけど、吉沢→砧本村間では、かつて玉電砧支線が走っていた線路から転用された道路を通っている。

砧線が走っていた当時は、二子玉川園~中耕地~吉沢~砧本村間で運転されており、全線専用軌道の単線区間となっていた。 1969(S44)年に玉電の本線部分である玉川線(渋谷~二子玉川園間)の廃止と同時に、砧線も廃止せざるを得なくなってしまった。 

吉沢バス停を出た後、吉沢橋を渡り、専用軌道から転用された道路を通り、砧本村へ。

吉沢橋は、野川に掛かる橋で、砧線の鉄橋として使用されていた。現在は掛け替えられている。

この専用軌道後は、砧下浄水場の近くを通っている。

砧本村バス停に到着した後、別のルートで折り返していました。

一方通行のルートであるため、健保グランド前、砧下浄水場バス停から砧本村バス停を越えて二子玉川方面まで乗ることも可能となっているので、砧本村バス停で強制的に降ろされることはない。

1990(H2)年7月まで、都営バスの池86系統が、池袋サンシャインシティに乗り入れていた頃、池袋サンシャインシティのバス停で強制的に降ろされていたこともあった。 

高津営業所は、1962(S37)年10月20日に開設された営業所で、東急田園都市線の渋谷~鷺沼間(世田谷区、川崎市部分)がカバーされている。 営業所記号はTA。

玉電の代替え路線として開設された渋12系統(渋谷駅~新道経由~二子玉川、高津営業所間)および玉06系統(二子玉川~砧本村間)が都内に乗り入れる路線となっている。

高津営業所には、PASMOが導入されているので、それを使いました。

砧本村駅跡は、世田谷区立鎌田二丁目南公園と東急バスの折り返し場となっており、その周辺には、駒澤大学(駒大)の玉川校舎がある。 この玉川校舎は、わかもと製薬の工場跡に建てられている。 この砧支線は、わかもと製薬の従業員の通勤の足としても使用されていたこともあった。

砧本村バス停の待合室は、玉電時代のものが転用されていた。

この後、次の便で吉沢まで移動。 この時に乗った車両は、TA526号車(川崎200か・433)で、日野のノンステップバスとなっていた。

吉沢で下車した後、吉沢橋を見物しました。 ここには、吉澤橋と書いてあったので、5月6日をもってモーニング娘。を卒業したよっすぃーこと吉澤ひとみ氏を思い出しました。

この後、健保グランドから二子玉川駅まで次の便で移動。 この時に乗った車両は、TA427号車(川崎200か・271)でこちらも日野のノンステップバス。

二子玉川駅に到着した後、徒歩で二子橋を渡り、二子新地駅まで移動しました。 この二子橋は、渋12系統の高津営業所行きおよび向02系統(向ヶ丘遊園駅~二子玉川駅間)も渡ることになる。

二子新地から三軒茶屋までは、東急8500系の8618Fで移動。三軒茶屋では裏改札口を見物し、この後、8628Fで渋谷まで移動。

渋谷からは山手線で帰りました。

5月15日から20日まで、青山劇場でdreamが出てくるミュージカルが行われていたけど、筆者は行かなかったです。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-21 16:26 | バス乗車記

渋55系統

あの後、渋谷駅前から、東急バスの渋55系統(幡ヶ谷線)で幡ヶ谷折返所まで行きました。

淡島営業所の路線だったので、PASMOを使って乗りました。

その前には、渋21系統(渋谷~上町線)のT1506号車(品川22か54-89)による富士重工+日産ディーゼル車を見ることが出来たけど、ナンバーは54-89とご予約の語呂合わせとなっていました。あとは、親会社の東急電鉄による東横特急の広告の付いたT400号車も見ることが出来たし。

この時に乗ったバスは、A1880号車(品川200か・173、三菱ふそうの中型ワンステップ車、新低床バス)で、京王バスに完全移管される前の渋61系統(渋谷~初台線)にも使用されていた。こちらは、1800番台ということで1999(H11)年度に導入されていた。

現在は、渋55系統のほか、渋31系統(渋谷駅→大橋→三宿→下馬一丁目→東山一丁目→渋谷駅間循環、東急バス三宿線)にも使用されている。

渋61系統は、東急バスの前身である代々木乗合自動車時代に富ヶ谷線として開通した路線がベースとなっているために、東急バスによって運行されていた。 2000(H12)年6月16日に京王バスが参入し、2002(H14)年6月まで東急バスと京王バスでの共同運行が行われていた。当時は京王バスが200円、東急バスが210円と料金が異なっていたという問題があった。

渋55系統は、1994(H6)年まで、旧玉電渋谷駅跡のバスターミナルからも出ていたことがあった。 現在は南口発着で、渋52系統(渋谷駅~世田谷区民会館、若林線)と共用の52番乗り場となっている。

こちらは、道玄坂下を出た後、山手通りに入り、東大前、東大裏バス停を出た後、左折して狭い道路に入りました。 

周辺には、東京大学(東大)の駒場キャンパス(教養学部)がある。 京王井の頭線の駒場東大前駅ということで、駒場の東大前というイメージが強まっていた。1965(S40)年7月11日に統合される前は、駒場駅と東大前駅に分かれていた。

東大前の駅名のほうは、1996(H8)年3月26日に開業した東京メトロ南北線の駅名に使用されているけど、こちらは、文京区の本郷キャンパス(本部)の周辺にある。

代々木上原バス停(小田急の駅から離れている)で乗客が降りたために、乗客が筆者1人だけとなりました。

代々木上原バス停の次は、東大宇宙航空研究所バス停。 ここには、東大の先端科学情報研究センターがある。

松蔭学園前バス停を出ると、道がさらに狭くなりました。 東北沢駅周辺では、小田急の踏切があり、ここで待たされることになる。 2004(H16)年12月11日の改正で、東北沢駅での通過待ちの廃止により、ダイヤパターンが変更されたために、遮断時間が延長されたけど、将来東北沢~世田谷代田間が地下化された暁には、それが解消されることになる。

このように踏切を通過するバス路線では、定時運行が出来なくなる確率が高い。

隣の下北沢は、5月20日の放送されたハロモニ@のロケでも使用されていた。

大山町で。井ノ頭通りと交差、ここを出た後、中野通りへと至る道が出来ていたけど、この路線では、右折し、狭い道を進んでいた。 

この後、消防学校前を通り、終点の幡ヶ谷折返所へ。 この周辺には、公園が続いており、この路線の折返スペースは、この公園の中にある。

こちらは、降車停留所で乗客を降ろした後、折返所のスペースに入り、バックして停車。ここで待機し、乗車停留所から客扱いということになる。

ここから徒歩で、京王新線の幡ヶ谷駅まで行きました。 地下のコンコースには、友愛の広場があり、ここには、銅像がありました。あとは幡ヶ谷讃歌とかいうのが書いてある。

ここから新宿までは、都営10-300形の10-460Fに乗車。

初台駅は、1914(T3)年6月11日に開業した時は、改正橋と呼ばれていた。1919(T8)年9月には現在の初台駅となっている。

新宿からは山手線で帰りました。

東急バスの渋71系統(渋谷駅~洗足駅、洗足線)は、3月16日から目黒営業所から下馬営業所に移管されていた。 これにより、出入り庫系統の発着バス停が、清水から祐天寺(洗足側は、元区立五中)に変更されていた。

目黒営業所の中型車限定路線は、渋72系統(渋谷駅~目黒不動尊経由~五反田駅間、不動線)のみとなり、目黒営業所に残った日野の中型ノンステップバス限定運用となった。

このため、3月18日から渋71系統でPASMOが使用可能となっている。

渋71系統の車両は、同じ元目黒営業所所属の黒06系統(目黒駅~三軒茶屋間、三軒茶屋線)と共通化されるようになった。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-21 14:32 | バス乗車記

ハロプロ新人公演

あの後は、渋谷駅から渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)まで行き、ここで、第1回 ハロー!プロジェクト新人公演 ~さるの刻~/~とりの刻~ のうちの夜の部(とりの刻公演)を見ました。

これには、ハロー!プロジェクトエッグ、THE ポッシボー、℃-uteの有原栞菜氏、モーニング娘。の光井愛佳、ジュンジュン、リンリン各氏が出てきていました。

これには、ハロー!プロジェクトの面々の曲が歌われていたけど、見応えがありました。

筆者は、モーニング娘。の8期メンバーである光井愛佳氏を中心に応援していた。

渋谷C.C.Lemonホールとは、これまでの渋谷公会堂から改装されたホールで、5年間のネーミングライツ(施設命名権)の設定により渋谷C.C.Lemonホール(しぶやシーシーレモンホール)となっている。

渋谷公会堂の時代には、。『8時だョ!全員集合』(TBS系)など人気テレビ番組の会場となぅったほか、「NTV紅白歌のベストテン」、「ザ・トップテン」、「歌のトップテン」(いずれも日本テレビ系)の公開生放送でも使用されていた。

NTV紅白歌のベストテンは、1969(S44)年10月放送開始。 1981(S56)年4月にザ・トップテン、1986(S61)年4月に歌のトップテンになり、1990(H2)年3月まで放送されていた。

TBS系では、1978(S53)年1月19日から1989(H元)年9月28日まで放送されていたザ・ベストテンという番組が放送されていたこともあった。 こちらは、黒柳徹子氏が開始から終了まで一貫して司会として活躍していた。 ランキング表示は、かつての新東京国際空港(現、成田国際空港)の第一旅客ターミナルを思わせるような、フラップ(回転式ボード)が使用されていた。 

余談となるけど、東京国際空港(羽田空港)の第一旅客ターミナルの到着便ゲートの表示もフラップ式が使用されている。

2000(H12)年から2004(H16)年までの12月30日には、年末恒例でザ・ベストテンの復刻版スペシャルが放送されていたこともあった。

1998(H10)年7月12日には、渋谷公会堂でモーニング娘。のファーストコンサートツアーが行われていたけど、当時はオリジナルメンバー+2期メンバーの8人組だった。

あとは、2004(H16)年2月8日にモーニング娘。(当時)の飯田圭織氏の「エーゲ海に抱かれて」の発売記念握手会が行われていたけど、筆者はこの時に飯田圭織氏と初めて握手することが出来たのである。 柘植の飛猿さんも、あの時に飯田圭織氏と握手することが出来たと言っていたし。

筆者はあの時以来飯田圭織氏と握手していない状態が続いている。 飯田圭織氏は、翌年の2005(H17)年1月30日にモーニング娘。を卒業し、ソロとして活躍している。

筆者は2004(H16)年12月12日に行われたメロン記念日のクリスマスライブでも渋谷公会堂に行ったことがある。 メロン記念日のクリスマスライブは、2005(H17)年から東京厚生年金会館(新宿)で行われている。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-21 13:41 | ハロプロ観戦系