交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

<   2007年 02月 ( 21 )   > この月の画像一覧

河津桜2

小田原からは、185系による特急踊り子107号で伊東まで行きました。

その前には、新宿11時11分発の特急踊り子173号(土曜・休日のみ運転、185系10両編成使用)が出ていた。

この時に使った切符は、伊豆東海岸フリーきっぷで、伊豆急行線のほか、下田エリアの路線バスにも乗り放題となっている。

区間は、大船~小田原間の各駅からとなっている。 大船からの場合は5500円、藤沢からの場合は5400円、茅ヶ崎からの場合は5200円、平塚からの場合は4900円、小田原からの場合は4400円となっている。

スーパーホリデーパスがあった頃は、伊東から乗り越しで払っていたけど、2001(H13)年11月にスーパーホリデーパスが廃止されてからは、青春18きっぷの期間中を除き、このようなルートで行くようにしている。

小田原では、500系のぞみが通過する瞬間を見ることが出来たけど、今年7月1日に登場予定のN700系の導入により、東京~新大阪間から撤退していく運命となっている。来年3月には、西日本バージョンのN700系が導入される予定となっているので。

伊豆箱根鉄道・大雄山線では、普通鋼製の5000系5001Fと、ステンレス製の5002Fの組み合わせを見ることが出来ました。

5000系は、1984(S59)年に登場した大雄山線専用車両で、1996(H8)年までの間に東急車輌で製造されていた。

踊り子107号は、東京12時発で、前の10両は伊豆急下田行き、後ろの5両は修善寺行き。

途中品川、川崎、横浜、大船、小田原、湯河原、熱海、来宮、網代、宇佐美、伊東、伊豆高原、伊豆熱川、伊豆稲取、河津、蓮台寺に停車していた。 修善寺行きの場合は、三島、三島田町、大場、伊豆長岡、大仁にも停車。

この時に乗った編成は、前の10両がA8編成(クハ185-15F)、後ろの5両がC6編成(クハ185-12F)で、後者は品川での車両展示会での休憩用車両として盛んに使用されている。

どちらも、1981(S56)年10月1日の特急踊り子号の登場と共に導入された編成である。 1981(S56)年の登場当時は、153系との併結の上で、急行伊豆号に使用されていたこともあった。 153系のほうは、1983(S58)年に全廃となっていた。

A8編成は、2002(H14)年3月に出場。一番最後までオリジナルスタイルで残っていた編成だった。 

リニューアル化される前は、登場当時の京成AE形と同様に普通車が転換クロスシートで見劣りがしていた。 

10両編成の185系のA編成は、ほとんどの踊り子号のほか、湘南ライナー3,7、9、11、13、2、8、10、12号、ホームライナー古河、鴻巣号、東京6:07発熱海行きの普通列車727Mにも使用されているけど、日曜日の場合は、伊東11:25発の踊り子104号およびその送り込みの普通列車である521M(東京7時24分発伊東行き)にも使用されている。 521Mおよび踊り子104号は日曜以外、185系の7両編成(B編成)が使用されることになっている。
185系の10両編成のほうは、中央ライナーが登場する前、ホームライナー、おはようライナー高尾号として、新宿~高尾間で走っていたことがあった。
185系のA編成は、PS24形のパンタグラフに交換されたA6編成(クハ185-11F)を除き、中央線の高尾以西には入線出来ない。あとは5両付属のC編成も同様である。

7両のB編成は、中央線の高尾以西にも入線可能なPS24形パンタグラフが採用されている。

森敏英さんから聞いた話によると、727Mと521Mのグリーン車でのSuicaグリーン券での扱いは、車掌による携帯端末による対応となっている。

踊り子号のほうは、急行伊豆号と特急あまぎ号との統合の上で登場していたけど、運行開始当時は、183系1000番台も使用されていたこともあった。 183系は、1985(S60)年をもって新幹線リレー号から転用された185系200番台に置き換えられ、長野地区に転用されていた。そのうちのクハ183-1023号車は、田町電車区(現田町車両センター)に新製配置され、長野に渡り、2003(H15)年3月に田町に出戻りしていた。

このことで、一昨年11月に運転された183系による千葉~伊豆急下田間の臨時踊り子号を思い出しました。

こちらの自由席は、9、10、11、12号車の4両(2両)しかなく、9、12号車が喫煙車だったので大変でした。 踊り子号のほうも、スーパービュー踊り子と同様に、3月18日から全面禁煙化されることになる。 筆者は10号車に乗車していた。

185系による特急踊り子号に乗ったのは、今回が初めてでした。

こちらの指定券は、河津桜期間中であったので、グリーン車を含めて満席(完売)状態となっていました。 土日を利用しての宿泊客のほか、日帰り客も多かったので。

こちらは、1999(H11)年から2002(H14)年に掛けてリニューアル化されていたけど、トイレ・化粧室のほうはオリジナルのままとなっていた。 先頭車およびグリーン車の一部のトイレは洋式化されているけど。

やはり見劣りがするので、将来的に新型車両に置き換えられる可能性が高い状態となっている。

小田原~熱海間では、定番となった相模湾を眺めることが出来ました。

熱海より先は、後ろの5両が切り離され、10両編成となりました。

修善寺行きの場合は、熱海~三島間がJR東海、三島~修善寺間が伊豆箱根鉄道となっている。

伊豆急行線の場合は特急料金が必要となるけど、伊豆箱根鉄道駿豆線の場合は、三島~修善寺間のみに限り、特急料金が不要となる。

この後、185系による踊り子106号と対面。こちらは、前5両が修善寺始発、後ろ10両が伊豆急下田始発となっていた。

網代では、251系のスーパービュー踊り子6号と交換。 この時の編成は、RE-1編成(クロ250-1F)で、1990(H2)年4月28日の運転開始の時から使用されている2編成のうちの1編成で、2002(H14)年12月、一番最初にリニューアル化された編成となっている。

こちらは、1991(H3)年にローレル賞を受賞している。

前回の2004(H16)年2月29日に乗った時もこの編成に当たっていた。

あとは伊東線から見た海の景色も最高でした。

伊東に到着した後、一旦改札を出ました。 この時に115系から改造された200系の6両編成や、団臨用の189系の8両編成(クハ189-10F、8両のH81編成)を見ることが出来ました。 後者の団体列車は、川崎~河津間で運転された河津桜関連の団体輸送となっていた。

復路は、伊豆稲取から川崎まで運転されていた。

伊豆急の200系のほうは、元東急8000系の増投入により、F3~5編成が廃車となっていたけど、早ければ来年までには、全廃となる予定となっている。

伊東から河津までは、リゾート21こと2100系の2153Fに乗りました。 2153Fは、1986(S61)年に導入された2次車で、一部100系の足回り品が流用されている。新製当初は、伊豆急での運転に先立ち、1986(S61)年6月18日から22日までの5日間、イベント列車として東急の新玉川線(現在の田園都市線の一部)と池上線を除いた鉄道線各線を走っていたことがあった。当時は、青がえること旧5000系のさよなら運転と重なったために大注目の状態となっていた。同年リゾート21がブルーリボン賞を受賞していた。

この時は、海の見える(オーシャンビュー)の座席に座りました。

この塗装は、赤と青のラインが入っているので、理容店のサインボールを連想する人もいる状態である。

リゾート21のうち、2153Fと2155Fは、8000系に置き換えられる予定となっているので、リゾート21が普通列車で乗れなくなる可能性がある。 初代黒船電車だった2151Fのほうは、昨年3月をもって廃車となっている。

当時は各駅停車のスーパーカーと呼ばれていたけど、その終焉の時を迎えることになる。

南伊東では、8000系のT2編成(8001F)+T11編成(8151F)による新トランバガテル号(ラッピング電車)を見ることが出来ました。

これは、200系の廃車に伴う、トランバガテル号の穴埋めとしてこのような塗装となっていた。 この塗装は、初期に導入されたT1、T2、T11編成に施されている。

8000系の場合は、2両の単独運転の場合、トイレ無しの状態となるので、伊豆急下田駅の時刻表には、トイレ無しの表記がある。 あとは4+2の連結の場合、2両の付属編成と4両の基本編成の通り抜けが出来ないので、2両の付属編成側からトイレに行くことが出来ないという問題がある。なので、2両編成側にもトイレを設けるべきだったと思います。

この後、A1編成(クハ185-1F)による踊り子184号が通過していきました。 

この日は、2157Fの黒船電車による東京7時30分発伊豆急下田行きの特急リゾート踊り子81号が運転されていた。

伊豆高原の車両基地には、8000系によるスケッチトレイン、100系103号車などが止まっていました。 

100系103号車と言えば、昨年2月5日に行われた伊豆急撮影ツアーの時に動いていたというサプライズ(サプラ伊豆)を思い出しました。

あとは、昨年3月18日に間近で撮影することが出来たし。

伊豆高原では、185系の7両編成(クハ185-205F)による踊り子108号と交換。 こちらは土曜・休日を中心に運転されている。

伊豆大川では、スーパービュー踊り子8号の東京行きと交換。 この時の編成は、RE-3編成(クロ250-3F)で、1992(H4)年に導入された2次車となっており、ワイパーが2本となっている。

スーパービュー踊り子号のほうは、1990(H2)年4月28日から1992(H4)年3月改正で増発されるまでの間、新宿、東京、池袋から伊豆急下田まで各1往復していた。 うち池袋発着のほうは、祝日に当たる時を除いた水曜日に限り、185系で代行運転されていた。

この時には、大宮発着のSVOも運転されていた。こちらは、赤羽にも停車する。

伊豆熱川駅構内の足湯を見た時は、昨年3月18日に行った時を思い出しました。

片瀬白田駅では、リゾート21同士の交換がありました。 この時に見たリゾート21は、1988(S63)年に導入された2155Fである。

片瀬白田を出た後、伊豆東海岸に沿って走りました。この時には車掌より、晴れた日には、伊豆大島を眺めることが出来ますというアナウンスがありました。

まさに伊豆東海岸の絶景は最高でした。

伊豆稲取では、185系のA4編成(クハ185-4F)による踊り子186号と交換。こちらは、河津桜輸送関連で運転された臨時列車である。

河津駅に到着。ここでは200系と交換。 ここからは、河津桜を観賞しました。 帰りの特急の指定券のほうは、やはり帰りの客でグリーン車を含めて全て満席の状態でした。こちらは筆者が狙っていたモーニング娘。のホールクラスの公演が全て満席になったことにもなぞられているし。

この河津桜祭りのほうは、土曜・休日はもちろんのこと、平日でも混雑していたに違いないです。

2月1日の千葉でのSLの時や一昨年の愛知万博の閉幕間際の時みたく、平日にも関わらず混雑することもあるので、平日だからと言って甘く見てはいけないこともある。

中伊豆から河津辺りまでは、川端康成氏によって描かれた「伊豆の踊子」という小説で有名である。

2002(H14)年にTBS系で放送された、モーニング娘。新春LOVEストーリーズ1st storyでも「伊豆の踊子」が出てきていた。 こちらは、後藤真希女史と小橋賢児氏が主演となっていた。

踊り子の名称もやはり、伊豆の踊子に因んで命名されていた。

あとは、中伊豆東海バス(東海自動車の系列)による旧型ボンネットバス(いすゞBXD30形)による伊豆の踊子号も有名だけど、以前は、お花見バスとして周遊運転されていたことがあった。

河津駅からは、河津七滝、天城峠を経由して修善寺へと至るバスも運転されている。

河津七滝とは、大滝、かに滝、釜滝、えび滝、蛇滝、出合滝、初景滝の7つの滝から成っている。

こちらは、ななたきとは呼ばず、ななだると呼ぶ。 河津では、滝のことをタルと呼ばれているし。

この周辺には、ループ橋がある。

筆者が河津桜を見たのは、2004(H16)年2月29日以来3年ぶりでした。 当時はボンネットバス(伊豆の踊子号)によるお花見バスが運転されていたことがあった。 

この時には、菜の花も咲き誇っていたので、河津桜と菜の花が奏でるハーモニーとなった。

河津桜は、2月から3月に掛けて見頃を迎える有名な早咲き桜となっている。

河津桜の名称は、河津町に原木があるということで、1974(S49)年に命名されていた。翌年の1975(S50)年には、河津町の木に指定されている。

河津桜祭り会場では、しじみ汁の試飲サービスおよび桜まんじゅうの試食サービスもありました。 ここでは、サザエの串焼きを買って食べました。

3月3、4日には、散り始めていることが予想されているので、いい時に行って正解でした。

この時は寒かったために見終わった後にすぐに帰っていた人も居た。

筆者は、河津川沿いで河津桜を見ていました。

この会場周辺には、足湯が3ヶ所あるけど、そのうちのさくらの足湯処と豊泉の足湯処に入りました。 その他には、河津三郎の足湯処もある。後者のほうは、車椅子でも入ることが出来る。

峰温泉会場には、踊り子温泉会館という日帰り入浴施設があるけど、やはり花見客で混雑していました。 こちらは前回入ったのである。

河津桜は、1955(S30)年頃、河津町田中の故・飯田勝美氏により偶然発見されたさくらの苗が、現在地に植えられたのが始まりである。 1966(S41)年から開花が見られていた。

1968(S43)年頃からは、このサクラが増殖されていた。

その原木は、河津町田中の飯田家にある。

こちらは夜にはライトアップが行われている。

河津桜を見終わった後、海岸に行き、河津駅へと向かいました。

(3へつづく)
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-28 16:09 | 鉄道乗車記

河津桜1、小田急

2月25日は、伊豆の河津町まで行き、河津桜を見に行きました。

ルート 目白~新宿~小田原~伊東~河津~伊豆急下田~伊東~小田原~相模大野~新宿~目白

まずは山手線で新宿へ。新宿からは、小田急30000形EXEによる特急スーパーはこね17号で小田原まで行きました。 その前には、同じEXEによるさがみ65号が先に発車していました。 こちらは、30054F使用で、途中新百合ヶ丘、相模大野、本厚木、秦野に停車していた。

スーパーはこね17号で乗ったEXEは、30052Fで、30051Fと同様に、1996(H8)年3月23日のデビューの時から使用されている編成である。

1996(H8)年3月23日のデビュー当時は、箱根特急にも盛んに使用され、箱根・江ノ島分割特急にも頻繁に使用されていた。 現在は、かつての3100形NSE車や7000形LSE車と同様に、新宿~小田原間のさがみ号および新宿~片瀬江ノ島間のえのしま号中心の運用となっている。現在相模大野での分割・併合特急は本数が少なくなっている。 デビュー当時は、町田で分割・併合が行われていた。

デビュー当時の座席は、1~6号車が箱根の森をイメージした緑色、7~10号車が江ノ島の海をイメージした青色となっていたけど、1999(H11)年に導入された車両からは色分けが廃止され、現在の茶色の座席となっている。

30000形EXEは、1996(H8)年に2編成、1997(H9)年に2編成、1999(H11)年に3編成の計7編成が導入され、3100形NSEがそっくり置き換えられていた。

EXEのトイレは、2号車と8号車が男女兼用の和式トイレ、女性専用の洋式トイレ(ベビーベッド付き)、男性専用の小トイレとなっているけど、5号車のトイレは、共用の和式トイレと車椅子対応の洋式トイレとなっている。

この車両は、ロマンスカーに対するインパクトに欠けることなどの理由により鉄道友の会によるブルーリボン賞の受賞が見送られていた。 その代わりに財団法人日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞が受賞されている。

50000形VSE車のほうは、両方受賞されているけど。

現在EXEによるスーパーはこね号は、土曜・休日の1往復(17号、32号)のみとなっているけど、7000形LSEまたは10000形HiSE車で代行運転される場合がある。なので、EXEによるスーパーはこね号に乗ることが出来てよかったです。

20000形の箱根系統は、土曜・休日のはこね号の4往復となっているけど、以前はスーパーはこね号やさがみ号にも使用されていたことがあった。

20000形のほうは、新宿→唐木田間のホームウェイ号にも使用されているけど、50000形VSEと同様に江ノ島線への定期運用が行われていない。

50000形VSEと言えば、1月1日に新宿→片瀬江ノ島間のニューイヤーエクスプレス7号に使用されていたことで話題となっていた。この時に使用されていた編成は50002Fで、BL賞の受賞記念ロゴが付いたままで運転されていた。

途中新百合ヶ丘、町田、大和、藤沢に停車していた。 江ノ島線はもちろんのこと、新百合ヶ丘駅の停車のことで、定期列車では有り得ない状態となっていた。

ニューイヤーエクスプレスは、12月31日から1月1日にかけて特別運転される特急で、2000年度までは、初詣号と呼ばれていた。

現在特急えのしま号のほうは、30000形EXEのみでの運用となっている。 筆者が母の実家である鎌倉に行った時に、3100形NSE車や7000形LSE車に良く乗っていたことがあったけど、現在は思い出の出来事となっている。あとは、旧3000形SSE車によるえのしま号にも乗ったことを覚えている。

旧3000形SSE車のほうは、あさぎり号のほか、さがみ号やえのしま号などの小田急線内の特急にも使用されていたけど、1989(H元)年をもって、あさぎり号以外の列車から撤退していた。

1991(H3)年3月15日をもって定期運用(あさぎり号の運用)から撤退。 翌年の1992(H4)年3月8日、新宿~唐木田間のさようなら走行会をもって引退していた。 どうせなら、箱根湯本への乗り入れを復活させてほしかったと思いました。

この旧SSE車は、1957(S32)年7月6日に登場したので、今年で生誕50周年を迎えることになる。 こちらは、小田急ロマンスカーの原点となった車両となっているので、ロマンスカー誕生50周年ということにもある。あとは、記念すべき鉄道友の会のブルーリボン賞受賞第一号でもあった。

あとは、今年4月1日には、小田急線の新宿~小田原間が開業してから80周年を迎えることになるので、盛大なイベントが期待されています。

小田急電鉄の制服の一新は、開業80周年記念の一環として、昨年10月1日に行われていた。

この前には、5000形の5051Fを見ることが出来たけど、来年度中に新4000形が導入されることによる1000形の地上線転用により、順次廃車となる予定となっている。

1000形の6+4編成の地下鉄乗り入れ運用は、イベント用として残される可能性があります。

筆者が乗車した車両は、付属の4両編成側の9号車。 こちらは、新宿~小田原間10両編成で、前の6両が箱根湯本行き、後ろ4両が小田原止まりとなる。

30000形EXEは、10両編成で定員が多いので、通勤特急としても重宝されている。 来年3月に登場予定の千代田線直通用の60000形MSEも、このようなコンセプトが受け継がれることになる。

60000形MSEは、50000形VSEと同様に日本車輌で、新4000形は、東急車輌で製造されることになっているので、通勤車は東急車輌製、特急車は日本車輌製が主流となる。

30000形EXEの製造メーカーは、30051~30055Fが日本車輌、30056、30057Fが川崎重工となっている。

箱根登山線への小田急車の乗り入れは、通勤形は一部を除いた6両編成に限定されていたけど、昨年3月18日以降は、4両編成の乗り入れも開始されていた。 

EXEの3号車と9号車には、売店カウンター、列車電話、自動販売機があるけど、自動販売機のほうは、後から設置されていた。 4号車にも列車電話あり。 やはり携帯電話の普及により、50000形VSEからは、列車電話が廃止されている。その代わりにデッキ部分が携帯電話通話スペースとなっている。

50000形VSEの3号車と8号車には、喫煙ブースがあるけど、3月18日からの全面禁煙化により、どうなるのか分からない状態となっている。

30000形EXEのほうは、5、6、7号車が喫煙可能な車両となっているけど、3月18日からはやはり禁煙化されることになる。 

こちらは、スーパーはこね号なので、新宿~小田原間ノンストップでした。 途中LSEの7002Fによるはこね号とすれ違いました。 7002Fは、1981(S56)年に導入された編成であり、翌年の1982(S57)年12月8日から15日までの間、新型特急車両開発計画の一環として国鉄に貸し出された上で大船~熱海間で試験運転されていた時に使用されていた。 当時は、根府川鉄橋を渡るLSEの姿が見られていた。 

7000形LSEの7001Fが登場したのは、1980(S55)年12月27日のことで、はこね17、18号に使用されていた。

7000形LSE車は、1996(H8)年から1998(H10)年に掛けてリニューアル化され、4号車のトイレが和式から洋式に変更されていた。

こちらのほうは、かつては3100形NSEと共通運用となっているけど、現在は10000形HiSE車との共通運用となっている。

やはり登場から25年以上経っているので、10000形HiSE車と同様に今後の動向が注目されています。

多摩川の鉄橋からは、富士山が見えました。

登戸駅は、下りホームのインフラ部分が完成していました。

海老名では、20000形RSE車によるあさぎり4号とすれ違いました。 20000形RSE車のほうも、10000形HiSE車と同様にバリアフリーに適合していないために、今後の動向が気になります。

厚木駅構内には、休車扱いとなった7514号車が留置されていました。

本厚木駅留置線には、2000形の2053Fを見ることが出来ました。 2000形は、1995(H7)年3月4日に登場。 1000形がベースとなっているので、1000形のマイナーチェンジ版というイメージが強い。 翌年の1996(H8)年にはグッドデザイン賞に輝いていた。

こちらは東急で言えば、9000系と2000系の関係に当たっている。

1995(H7)年には2編成、1998(H10)年には1編成、2000(H12)年から2001(H13)年に掛けて6編成の計9編成導入されているけど、全て8両固定編成であるため、江ノ島線および箱根登山線では使用されていない。

こちらは、将来10両編成化され、千代田線への乗り入れに使用されることを見据えた設計となっているけど、今年9月に登場予定の新4000形の登場により、2000形の地下鉄乗り入れが幻となってしまう。

2000(H12)年に導入された2054Fは、2600形で唯一VVVF化改造された2666Fから流用されたモーターが使用されている。  

本厚木駅を出た後、丹沢の山並みの風景に変わりました。 こちらは、新宿から乗り換え無しで行ける路線だとは思えないほどの風景となっているので、中央線の高尾~大月間みたいな状態となっている。

伊勢原~鶴巻温泉間では、10000形HiSEとすれ違いました。

50000形VSEの登場により、10021Fと10061Fが長野電鉄に譲渡されていたけど、10001Fと10041Fが残っている。 

長野電鉄では、2000系の2編成が残されているけど、A編成(2001F)が、登場当時の茶色の塗装が復元されていた。 

これは、1957(S32)年3月15日に、長野電鉄の特急が運転開始されてから今年で50年を迎えるという一環で復元されていた。 こちらは2月17日から営業運転が開始されている。

D編成(2007F)のほうは、今年7月を目処に、1990(H2)年まで使用されていたりんご塗装が再現されることになっている。

筆者はこのようなことになることを予想していました。
新松田~開成間の酒匂川鉄橋付近では、日本を代表する火山である富士山が見えました。 やはりこの富士山に反応していた人が多かったです。

開成駅では、3100形NSE車のモックアップを見ることが出来ました。 こちらは2004(H16)年6月5日の2600形さよならイベントで入ったことがある。 

開成駅には、6月のあじさい祭りの時に、ロマンスカーのさがみ65号が臨時停車することになるけど、この場合は30000形EXEの6両編成で運転されることになる。

2003(H15)年3月29日のダイヤ改正から、2004(H16)年12月までの間は、30000形EXEの全区間6両単独編成によるはこね号が運転されていたことがあった。

小田原に到着した後、分割シーンを見ました。 30000形EXEの貫通型のマスクは、普段は相模大野以西でないと見られない状態である。

切り離された後ろの4両のほうは、箱根寄りの留置線に引き上げられていました。

以前は足柄駅構内にある留置線に引き上げられていた。

かつては足柄駅の留置線から日本専売公社(現日本たばこ産業(JT))の小田原工場)まで、貨物専用線が出ていたことがあった。

小田急の足柄駅構内に留置線があるということで、西武秩父線の横瀬駅と雰囲気が似ています。

小田急の足柄駅のある場所は、かつて足柄村と呼ばれていた。

足柄駅のほうは、JR東海・御殿場線(静岡県駿東郡小山町)にもあるけど、こちらのほうが金太郎で有名な足柄峠に近い。

あの後、小田原駅構内の箱根そばで立ち食いそばを食べました。

小田原駅は、2003(H15)年3月20日に橋上駅舎に改築されているので、南北の行き来が容易となった。

小田原駅付近の小田原城では、梅祭りが行われていたけど、河津桜優先のために見物を見送っていた。

あの後は、185系による特急踊り子107号で伊東まで行きました。

(2へつづく)
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-28 12:05 | 鉄道乗車記

新横浜~溝の口

新横浜駅に到着した後、バスの待ち時間を利用して、新横浜駅の駅舎を見物しました。

東海道新幹線の新横浜駅の改札口は、以前は1階にあったけど、改良工事の進捗により、2階部分に移設されていた。 同時に横浜市営地下鉄への連絡通路も移設されていたし。

横浜市営地下鉄の新横浜駅でも、篠原口(裏口)方面への出入り口(2番出口)もあることを初めて知りました。 

新横浜駅のASTYも改良工事中でトイレが外側に仮移設されていた。 そのトイレの横辺りに、ASTYの入り口、横浜市営地下鉄の2番出入り口がある。

将来は、相鉄線の二俣川駅から、JR東海道貨物線の横浜羽沢貨物駅、新横浜駅を経由して、日吉へと至る神奈川東部方面線が計画されているけど、それが完成すれば、相鉄線の二俣川駅と日吉駅の間および新横浜方面が乗り換え無しで結ばれることになる。 完成は2019年以降となる。 これにより、相鉄線と東急東横線または目黒線との直通運転が行われ、地下鉄副都心線、南北線、埼玉高速鉄道線、都営三田線との直通運転も行われる。

相鉄の西谷駅から横浜羽沢駅までの連絡線を介して、東海道・山手貨物線経由で新宿へと乗り入れる計画もある。こちらは2015年完成予定。

この後、バス乗り場に行き、溝の口行きの直通バスを待ったけど、強風の中大変でした。 この時に、新横浜発本厚木経由平塚・田村車庫行きの神奈川中央交通(神奈中)バスを見ることが出来ました。

こちらは、昨年11月17日に開設された路線で、東名道経由となっている。 1日9往復。

ルートは、新横浜駅~(東名道)~厚木アクスト~旭町四丁目~本厚木駅南口~平塚(田村車庫)

運賃は、新横浜駅~厚木アクスト、旭町四丁目、本厚木駅南口間=1000円 新横浜駅~平塚(田村車庫)間=1200円

車両のほうは、平塚営業所所属の専用のロマンスシート車(富士重工+日産ディーゼル製、KC-UA521NAN)が使用されることになっている。この車両は、以前秦野営業所所属となっていた。

この時に見た車両は、ひ813(湘南200か・・・35)号車だった。

神奈川中央交通の営業所の記号は、厚木営業所=あ、伊勢原営業所=い、舞岡営業所=お、相模原営業所=さ、相模原営業所三ヶ木操車所(旧・津久井営業所)=つ、綾瀬営業所=せ、多摩営業所=た、茅ヶ崎営業所=ち、茅ヶ崎営業所藤沢操車所(旧・藤沢営業所)=ふ、戸塚営業所=と、秦野営業所=は、平塚営業所=ひ、町田営業所=ま、大和営業所=や、横浜営業所=よ 以上のようにひらがなで表されている。

系列会社は、湘南神奈交バス(か)、藤沢神奈交バス(FK)、相模神奈交バス(SK)、津久井神奈交バス(T)、横浜神奈交バス(YK)

平塚営業所のほうは、1944(S19)年6月16日に開設された当時は、平塚駅構内にあった。

1963(S38)年12月11日に平塚市浅間町に移転。

1968(S43)年4月10日に、田村車庫の前身となる田村操車所が開設。

1987(S62)年4月16日に、田村操車所が営業所に格上げされ、現在の平塚営業所となる。
 これまでの平塚営業所は、八幡操車所に格下げとなった。

この後、溝の口行きの直通バスが、遅れを伴って到着。

この時に乗った車両は、東急バス新羽営業所所属の三菱ふそう製の専用車両(NI672、横浜200か17-89)号車だった。

ルートは、新横浜駅~烏山大橋~日産スタジアム前~(第三京浜道路)~高津中学校入り口(KSP前)~高津高校前~溝の口駅

途中停留所は、乗車または降車専用となっている。

運賃は、新横浜~溝の口間 400円、新横浜~高津中学校入り口(KSP前)、高津高校前間、溝の口~日産スタジアム前、烏山大橋間=350円

この路線は、2001(H13)年12月16日に開設された路線で、当初は新羽営業所のほか、高津営業所との共同運行となっていた。 車両のほうは、新車のほか、既存の車両および都内で使用されていたワンロマ車が使用されていたし。

当時は、新横浜~溝の口間ノンストップで、バス共通カードが使用出来なかった。

2003(H15)年2月1日に、途中にバス停が新設され、バス共通カードも使用出来るようになった。 この年には、ワンステップの新車に統一されていた。

2004(H16)年2月1日、土曜・休日ダイヤの新設。

2005(H17)年9月16日、新羽営業所の単独運用となる。

新羽営業所は、1966(S41)年4月18日に、日吉営業所からの一部移管により新設された営業所である。

日吉営業所のほうは、東急東横線の日吉駅付近にあったけど、1993(H5)年11月1日に、東山田営業所への移転により廃止されていた。 こちらは、現在操車場となっている。

東急バスのほうは、奥野さんの世界でもあり、綱島駅までは、東急バスの新羽営業所または東山田営業所の路線で行くことになる。

来年3月に横浜市営地下鉄グリーンライン(日吉~中山間)の開業により、路線の大幅な整理が行われることが予想されている。 

奥野さんのほうは、来年3月以降、横浜市営地下鉄グリーンラインの高田町駅から日吉、センター北、中山駅まで出ることが可能となる。

JR横浜線の中山駅のほうは、グリーンラインの開業に合わせて、地下にも改札口が新設される予定となっている。

この前には、新横浜発新羽駅経由の綱島駅行きの綱72系統(同じ新羽営業所所属の日産ディーゼル車)が先に発車していました。

新横浜を出た後、乗車扱いの烏山大橋、日産スタジアム前を経由し、港北インターから第三京浜に入っていました。

こちらは、ETCが装備されていないために、一般レーンを通過していました。

この路線に乗ったのは、久しぶりでした。

第三京浜道路のほうは、以前マイカーで鎌倉の母の実家に行く時によく通った道路であった。 当時は、玉川ICから横浜新道を経由して藤沢方面へ、ここから鎌倉へと行っていた。

途中都築ICを通過し、京浜川崎ICへ。 京浜川崎ICは、2車線しかなく、料金所のレーンも2ヶ所と、ETCと一般の混在レーンしかないので、渋滞が発生しやすい状態となっています。 今回はここで渋滞していた。やはりこの渋滞を通過しなければならないので利便性が良くない状態である。

京浜川崎ICからは一般道に入り、降車扱いとなる高津中学校入口、高津高校前バス停を通り、溝の口へと向かっていました。 この時には、JR南武線と併走していた。

溝の口駅に到着。この後東急田園都市線で渋谷へと向かいました。

この時に、小杉駅行きの東急バス(川崎営業所所属)を見ることが出来ました。こちらは溝02系統か溝03系統かは未確認。

新横浜直通バス以外の溝の口駅発着の東急バスの路線のうち、溝22系統(溝の口~蟹ヶ谷間、子母口線)が高津営業所所属で、他は川崎営業所所属となっている。

東急バスの川崎営業所は、川崎市中原区にある。

溝の口から渋谷までは、東武30000系31615Fによる久喜行きに乗車。 31615+31415Fは、半蔵門線直通運転開始後の2003(H15)年4月(2003(H15)年度)に導入された30000系の最終増備車で、30000系で唯一新製当初から南栗橋ベースの半蔵門線直通運用で使用されている。

あとは、東武ワールドスクウェアの広告が付いていることでも有名である。

東急大井町線の6両化および急行運転の開始は、来年3月に大井町~二子玉川間で行われる予定となっているけど、溝の口への乗り入れは、2008年度中にずれ込むことになっている。

溝の口駅では、4番線部分のみ待避線として使用されているけど、1番線部分は未使用となっている。1番線にある店舗は、大井町線の乗り入れの時までに移転されることになっている。

高津駅では、改良工事の進捗により、2月24日より、上りホームの停車位置が渋谷側に45m移設され、仮設の改札口および階段が設置されるようになった。

完成後には、両側に対面式の上下線ホーム(2面2線)、中央に2線の通過線が設置される予定となっている。

高津の電車とバスの博物館の跡地は、駐輪場となっている。

二子新地駅のほうは、バリアフリー化が完成しており、今後は中央に通過線が新設される予定となっている。

渋谷駅に到着した後、池袋までは埼京線、大塚までは山手線で移動しました。

埼京線で乗った車両は、6ドア試作車のうちの1両であるサハ204-901号車だった。 この車両は、ハエ18編成(クハ205-126F)の2号車に連結されている。 こちらは山手線時代の末期は、クハ205-47Fに連結されていた。 

一方のサハ204-902号車は、ハエ8編成(クハ205-96F)の2号車に連結されている。こちらは、1996(H8)年3月にクハ205-42Fに連結されていたけど、埼京線への転属に伴い、2001(H13)年8月までの4年間の長期間で休車状態となっていた。 2001(H13)年8月6日に組み込まれていた時は、試験的な段階となっていた。

大塚では、私鉄部会に参加。 この大塚会場に行ったのは、昨年6月以来でした。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-28 10:07 | バス乗車記

横浜2/24

2月24日は、横浜みなとみらい方面に行き、その後に新横浜~溝の口間の直行バスに乗りました。

ルート 目白~渋谷~自由ヶ丘~横浜…(みなとみらい地区)…桜木町~新横浜~溝の口~渋谷~池袋~大塚~池袋

まずは渋谷まで山手線で移動。 渋谷から自由ヶ丘までは5050系5164Fの各駅停車に、自由ヶ丘から横浜までは、9000系9105Fの急行に乗りました。

東急東横線の5050系のほうは、5157FなどにPASMOのラッピングがある。

PASMOの導入が近づいてきたので、導入が待ち遠しい状態です。

代官山の中目黒寄りには、渋谷隧道(トンネル)があるため、渋谷~代官山間の地下化完成の暁には、トンネルとトンネルに挟まれた駅となる。

東急東横線の車窓からは、三軒茶屋のキャロットタワーのほか、新宿の高層ビル郡も眺めることが出来るけど、東急東横線は、やがて新宿とも結ばれることになる。

東京メトロ副都心線の渋谷駅は、2面4線で、半蔵門線の押上駅と同じような雰囲気となる。

自由ヶ丘から横浜まで乗った9105Fは、化粧版が木目調となり、車内の型式番号や禁煙の表示が5000系列に準じたものとなっていました。

多摩川~新丸子間には、丸子橋があり、こちらは、かながわの橋100選に認定されている。

これは、
打越橋、浦舟水道橋、江ヶ崎跨線橋、大岡橋梁、大貫谷戸水路橋
霞橋、金沢八景大橋(横浜市金沢区)、鴨池橋、称名寺平橋・反橋(横浜市金沢区金沢町212-1)、太鼓橋
鶴見川橋、夷堂橋 ・ 歌の橋、西鶴屋橋、西之橋、万国橋
万代橋、響橋(めがね橋)、フランス橋・ポーリン橋、弁天橋 (横浜市)、瑞穂橋梁
霧笛橋、夕照橋 (横浜市金沢区) 、横浜ベイブリッジ、吉野橋、新大扇橋
六郷橋、ガス橋、丸子橋、二子橋、小泉橋
多摩水道橋、天神橋、夫婦橋、下花水橋、湘南大橋
花水川橋、馬入橋、江の島大橋・江の島弁天橋、弁天橋 (藤沢市)、遊行寺橋
白糸川橋梁、片浦橋、米神橋、白糸橋、住吉橋
無名の石橋、ふれあい橋、東郷橋、富士見橋、相模川水路橋
新昭和橋、高田橋、城ヶ島大橋、まほろば大橋、才戸橋
相模大橋、戸沢橋、平成橋、森のかけはし、深見歩道橋
加寿美橋、芹沢陸橋、圓通橋・御供橋、岩流瀬橋、新武者寄橋
みそぎ橋、本郷橋、足柄大橋、大寺橋、新十文字橋
文久橋、永歳橋 (山北町)、東名酒匂川橋、東名皆瀬川橋、松ヶ山橋
世附大橋、旭橋、芦川橋、出山の鉄橋、八千代橋
岩大橋、権現橋、日向橋、平山橋、虹の大橋 (清川村 、相模原市)
宮ヶ瀬大橋 (清川村)、小倉橋、青野原大橋、名手橋
三井大橋、桂橋、相模湖大橋、弁天橋 (相模湖町)、嵐山橋
勝瀬橋、亀見橋、日連大橋、弁天橋 (藤野町)、昇龍橋、大師橋

以上である。

鉄道部門では、白糸川橋(JR東海道線、根府川~真鶴間)、出山の鉄橋(箱根登山鉄道、塔ノ沢~大平台間)となっている。

丸子橋付近では、2002(H14)年にアザラシのタマちゃんが発見されていたことで話題となっていた。

元住吉付近の通過線では、約110Km/hで通過していました。

東白楽~反町間にあった新太田町駅の跡地は、地下化によりイメージが薄れてしまったけど、跡地の表示は新たに整備し直されていた。

横浜に到着した後、ジャックモールまで歩いて行きました。 ジャックモール・横浜BLITZ等は、新高島駅の近くにあるけど、晴れている時やよっぽど急がない時は、横浜駅から歩いて行くことにしている。

新高島駅は、各駅停車しか停車しないので利便性は良くない。 こちらは、高島町駅の代替えで設置された駅となっているので。

計画当初は、新高島駅が設置されない予定となっていたけど、急遽設置が決定した駅となっている。この駅だけ相対式ホームとなっているのはそのためである。

あとは、来年6月開業予定の東京メトロ副都心線の北参道(新千駄ヶ谷)駅も、後から設置が決定された駅となっている。

ジャックモールでは、ハロー!プロジェクトエッグから派生されたアイドルグループである「THE ポッシボー」の「主食=GOHANの唄」の先行発売イベントを見ました。

THEポッシボーとは、自然をこよなく愛する、未知なる可能性と天然のドン臭さが武器な、
地域や人とのコミニュケーションを大切にするグループ。と言われている6人組である。

初期メンバーは、諸塚香奈実(もろりん)(もろづか かなみ、1989年11月1日 - 、埼玉県出身)
橋本愛奈(はしもん)(はしもと あいな、1992年10月3日 - 、神奈川県出身)
秋山ゆりか(あっきゃん)(あきやま ゆりか、1992年10月19日 - 、神奈川県出身)
追加メンバー
大瀬楓(かえぴょん)(おおせ かえで、1991年4月29日 - 、千葉県出身)
岡田ロビン翔子(ロビン)(おかだ ロビン しょうこ、1993年3月15日 - 、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身)
後藤夕貴(ごとぅー)(ごとう ゆき、1993年6月12日 - 、神奈川県出身)
となっている。

この時には、ミニライブのほか、握手会もあったので、この握手会にも参加しました。この時にTHE ポッシボーのメンバーと初めて握手したのである。 あとは、今年1月27、28日の横浜アリーナでのハロー!プロジェクトの公演でも、出てきていたのである。

かえぴょんこと大瀬楓女史のほうは、加入以前、現℃-uteの有原栞菜女史と同様に、ハロプロエッグから結成された「ともいき・木を植えたい」というグループで活躍していた。

℃-uteのほうは、筆者は行かなかったけど、2月24、25日に日本青年館で初のファーストコンサートが行われ、その終演後には握手会が行われていた。

美勇伝の岡田唯女史のほうは、ハロプロエッグの第一期メンバーとして加入していた。

THEポッシボーのほうは、3月11日に渋谷の某所で、時東ぁみ女史との合同ライブに出てくる予定となっている。時東ぁみ女史やTHEポッシボーのCDは、TNXによって発売されている。

TNXとは、昨年10月6日に、ハロー!プロジェクト系の総合プロデューサー・シャ乱Qのボーカリストであるつんく♂こと寺田光男氏によって設立されたアップフロント系列のインディーズレコード会社となっている。

この後、クイーンズダウンまで行き、ここでラジコンカーの予選を見ました。

この次に、ランドマークタワーの屋上展望台(スカイガーデン)まで行き夜景を満喫しました。

こちらは高さ273mを誇る日本一の展望台で、エレベーターも日本最速(750m/分)となっている。

入場料は1000円と高いけど、入る価値があります。

入場時は夕暮れ時だったので、明るい風景と夜景を満喫したことになった。

ここから桜木町駅に発着するJRの電車を見ることが出来たけど、下を走る車などと同様に模型の世界のように見えました。

2004(H16)年1月30日までは、ここから東急東横線の電車も見ることが出来た。

あとは、横浜コスモワールドの観覧車などのイルミネーションもよかったし。

横浜コスモワールドの観覧車は、1989(H元)年に開催された横浜博覧会(YES89)で使用されていた。

横浜博覧会の時には、日本丸メモリアルパーク前から山下公園まで、レトロDCが特別に運転されていた。 これらのレトロDCは三陸鉄道に譲渡されていたけど、昨年をもって引退していた。

汽車道や山下臨港線プロムナードは、その廃線跡に造られた遊歩道である。

3月10日には、ランドマークホールで、dreamのコンサートがあるけど、筆者は卒業した以上絶対に行かないです。

モーニング娘。の春のツアーのほうは、座間は横須賀を含めてホールクラスに参戦出来ず、
5月6日のさいたまスーパーアリーナでの公演までお預けとなってしまいました。 3ヶ月以上の長いブランクとなってしまうので寂しいです。

筆者が狙っていた新潟、長野(松本)、山梨公演も完売状態となっていたので、吉澤ひとみ女史の卒業および8000円の青春18きっぷの効果もあると思います。

樋口君のほうは、4月30日の名古屋センチュリーホールでの公演に参戦予定となっている。

あの後は、桜木町駅まで行き、ここから横浜線直通電車で新横浜へと向かいました。

この時に乗った編成は、クラH9編成(クハ205-69F)だった。登場当時は中途半端な7両編成となっていたけど、1994(H6)年12月改正で、6ドア車が組み込まれて8両化されていた。

7両編成の時代、8両編成にしてほしいなと思っていたことがあった。

桜木町~横浜間の東急東横線の線路の跡を見ることが出来たけど、桜木町駅のプラットホームと線路の大部分が撤去されていました。

高島町駅のプラットホーム跡は、未だに残っている。こちらも撤去されるのも時間の問題となっている。

こちらは遊歩道として整備される予定となっているし。

桜木町から新横浜までは、横浜市営地下鉄ブルーラインでも行けるけど、運賃が高い上に時間が掛かるので乗るのを見合わせていた。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-26 10:30 | 鉄道乗車記

常磐線等の情報。

常磐線のE531系では、グリーン車の組み込みが大詰めを迎えており、10両固定のモノクラス編成は、既に運用から離脱されているので、昨年10月22日の撮影ツアーで撮影出来てよかったです。

現在グリーン車連結のE531系は、18編成入っており、3月上旬までに22編成出揃うことになる。 これに伴って415系列の置き換えが進められているけど、E531系が期間限定でいわきまで乗り入れている。

E501系の上野~土浦間の定期運用は、2月21日をもって終了してしまったのであり、1月21日に萩原清さん、黒岩さん、奥野さん、山岡さんの4人とK753編成に乗った時が最後となった。

E501系が2月21日をもって上野~土浦間の運用が終了したということは知らなかったです。
2月18日に上野駅で見たのが最後となったし。あとは、10+5の15両編成で快走する姿も見納めとなった。

これまでE501系が入っていた運用には、E531系が入るようになった。

ということは、E501系に乗れるのも3月18日の改正までお預けとなる。

E501系の付属編成では、K751編成とK754編成のVVVFインバーター装置が交換されたので、元祖ドレミファ電車の面影が薄れてしまった。

基本編成の制御機器のほうも交換されることが予想されています。

E531系は、当初10両基本編成22本+5両付属編成14本の290両製造される予定で、グリーン車連結の予定は無かったけど、グリーン車組み込みおよびラッシュ時の輸送力不足のために、付属編成が2本追加導入され、10両基本編成22本(グリーン車連結)+5両付属編成16本の300両に変更となった。

やはり付属編成の増備は妥当で、グリーン車連結に伴う普通車の混雑緩和にもなる。

15両編成での運転区間は、上野~土浦間に限られていることが玉に瑕の状態である。

鉄道ファンの2007年4月号の記事によると、415系の普通鋼製車のほか、2階建て普通車以外の415系1500番台にも廃車が出るということで驚きでした。

廃車予定車は、1900番台を含めた17両で、1900番台のほうは昨年3月をもって廃車となり、同年6月に郡山で解体されていた。

廃車対象編成は、K525編成(クハ411-1501F)、K526編成(クハ411-1502F)、K820編成(クハ415-1503F)+T車2両(サハ411-1601、1701号車)+M車2両(モハ415-1535、モハ414-1535号車)となっている。 ということは、普通鋼製車と混結状態となっている1500番台も、普通鋼製車との道連れ状態で廃車となる。

やはり余剰のT車も、グリーン車組み込みに伴って廃車となった高崎車両センターの211系のT車の一部と同様に、先頭車改造されずに廃車となってしまう。

その他の1500番台(4両18編成72両)はATS-PS取り付けの上で残ることになるけど、4両編成に統一されることになる。

455系のほうは、東北線、常磐線、仙山線のほか、磐越西線のも置き換え対象となるけど、磐越西線のほうは、E721系導入により捻出さえる719系が使用されることになっている。

この時に帯の色が会津色になることが予想されています。ということで、455系、457系、417系、717系がJR東日本での定期運用から離脱されることになる。 こちらの置き換えは、今年春から来年度に掛けて行われることになる。

ということは、半室グリーン車のクロハ455-1号車、165系のグリーン車(サロ165形)から改造されたクハ455-609号車も、やがて見納めとなる。

こちらは、リニューアル化された車両も置き換えの対象となるし。その手始めとして、8編成が廃車となってしまう。

5編成の417系のほうは、1編成が訓練車に転用され、その玉突きで455系の訓練車が廃車となり、その一部は新生鉄道博物館で保存されることになる。

E721系は、2月1日に東北線(黒磯~一ノ関間)で営業運転開始、3月18日には常磐線(原ノ町~岩沼(仙台)間)、4月1日には、仙山線で営業運転が開始される予定となっている。

いわき~原ノ町間は、415系1500番台または701系による運用となる。

あとは717系も全車廃車となる予定で、既に1編成(T103編成、クモハ717-103F)が廃車となっている。 こちらもかつて455系と同様に水戸まで乗り入れていたことがあった。

常磐線の701系のうち、F2-102編成(クモハ701-102F)が、秋田車両センター(旧南秋田運転所)に出戻りとなり、奥羽本線の秋田~大館間の気動車運用が電車化されることになる。

これに伴い、キハ58系列によって、秋田~大館~鹿角花輪間で直通運転されている快速(旧急行よねしろ号)が、大館で系統分割され、秋田~大館間が電車化されることになり、専用のキハ58系列の気動車が廃車となる。

水郡線へのキハE130形DC導入により、キハ110系列のうちの19両が花輪線用として盛岡車両センターに、5両が気仙沼線用として小牛田運輸区に転用されることになる。

キハE130形DC、今年度は、両運転台のE130形12両、E131+132形6編成が、来年度は、E130形1両、E131+132形7編成が導入予定。

キハE131形DCのうち、キハE131-8、9Fの2編成のほうは、東急車輌で製造される予定となっているので、小海線に導入予定のキハE200形DCと同様に、久しぶりの東急車輌製の気動車となる。

キハE130形および上記の2編成を除いたキハE131形DCは、新潟トランシスで製造されることになっている。

東急の気動車と言えば、かつて東横線を走っていたガソリンカーを思い出します。 こちらは、流線型のキハ1形であり、かつて存在した並木橋駅にも停車していたことがあった。

並木橋駅の跡地は、東急東横線の渋谷~代官山間の地下化に伴い、やがて姿を消すことになる。

盛岡車両センターに転用される予定のキハ110系列のDCは、キハ110-128、129、130、131、132、133、134、136、137、138、139号車)、キハ111-112、114、115、116、117、118、119、120、121、151、152F)

小牛田運輸区に転用される予定のキハ110系列のDCは、キハ110-123、124、125、126、127号車、キハ111-113F

その他、小海線からキハ110-118、122号車の2両が盛岡車両センターに転用されることになる。

これに伴い、訓練車を含めた盛岡車両センターのキハ58形およびキハ52形DCが置き換えられ、3月18日には花輪線、来年度中に山田線・岩泉線の車両がキハ110系列に変わることになる。

気仙沼線のキハ110系列のDC導入に伴い、キハ28形およびキハ58形DCが廃車となり、キハ40系列のDC5両が只見線(郡山総合車両センター会津若松派出所)に転属され、玉突きでキハ48形DC5両が廃車となる予定となっている。

盛岡車両センターのキハ110形のうちの回転リクライニングシート車4両(1、2、4、5号車)が、小牛田運輸区に転属され、キハ28、48等で運転されている快速南三陸号(仙台~気仙沼間)がキハ110系列に置き換えられることになる。

新潟地区には、キハ52、58等の気動車が残っているけど、こちらの動向も注目されている。

水郡線にキハE130系列の気動車が導入された理由は、水戸口での混雑緩和の目的もあるからである。2ドアだと乗降に時間が掛かるという問題があるので。

キハE130形DCは、キハ110形DCに変わるJR東日本の標準型DCとして、水郡線以外にも導入されることが予想されている。 こちらは、窒素酸化物の低減、低騒音化のほか、従来型の気動車よりも燃費が向上されている。

候補としては、ATS-P化が予定されている八高線(高麗川~倉賀野間)、久留里線、烏山線となっている。

JR東海のキハ30-51号車は、美濃太田車両区で保管されているけど、オリジナルの朱色で保存状態が良い。現役当時は伊勢車両区で活躍していた。

小海線では、ハイブリッド気動車であるキハE200形DCが3両導入される予定となっている。

こちらは、ディーゼルエンジン+モーターで走る車両で、トヨタのプリウスやホンダのシビックハイブリッドなどのハイブリッドカーの鉄道版となる。

キハE130形のエンジンは、DMF15HZ形で、ターボチャージャー付き、直噴式直列6気筒の横型ディーゼルエンジンで、出力は331KW/450PSとなっている。

キハ110系列のエンジン=同じターボチャージャー付き、直噴式直列6気筒の横型ディーゼルエンジンであるけど、出力は420PSである。

直列6気筒のエンジンは、かつてはトヨタのマークⅡ(現マークX)、先代クラウン、日産のスカイライン、ローレルなどの自動車に採用されていたことがあった。

クラウンは2003(H15)年、スカイラインは2001(H13)年のモデルチェンジでV形6気筒(V6)エンジンに変更されていた。

現在製造されている日本の国産車で直列6気筒エンジンが採用されている車種は、トヨタのクラウンエステート(ステーションワゴン)、クラウンセダン(1G-FE搭載モデル)、プログレ、ブレビス、マークⅡブリット(ステーションワゴン)、日産のサファリとなっている。

あとは、日野セレガおよびいすゞガーラという観光バスタイプの車両も直列6気筒エンジンとなっている。

マークⅡブリットのブリットは、雷、稲妻を表すBLITZから採用されている。 赤坂BLITZや横浜BLITZのBLITZも、それに因んで名付けられていたと思われます。
マークⅡブリットは、今年3月を目処に製造が打ち切られることになる。

南武線の情報。 今年3月9日に南武線が前身の南武鉄道の路線として川崎~登戸間が開業したから80周年を迎えることにより、3月上旬から記念ヘッドマークが8編成に取り付けられることになる。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-22 09:35 | 鉄道車両・路線
中央快速線の車両の情報 2月19日に、新津車両製作所からT7編成(クハE233-7F)、翌20日に、東急車輌からH50編成(クハE233-50F)がそれぞれ回送されていた。

その影で、20日に201系のT9編成(クハ201-32F)が例の北長野まで廃車回送されていた。

当初はしばらく残る予定だったけど、足回り品の調子がイマイチだったので急遽廃車候補となってしまったのである。 こちらは、筆者が2月6日をもって、dreamのファンクラブ(Live your dreams)から、今年7月末の会員期限満了を待たずに中途退会してしまったことになぞられている。

1979(S54)年の開業以来、ゲンコツ電車として親しまれてきた北総鉄道7000形7004Fのさよなら運転は、3月1日から14日までヘッドマーク付きで行われる。 3月14日は定期運用最終日。 

3月25日は、印西牧の原~矢切間1往復で、北総7000形のさよなら運転が行われるけど、一般応募制であるので、もの凄い倍率になることが予想されます。 やはりさよなら運転の壁は厚いということが分かります。

この時期(年度末)はさよなら運転が目白押しなので、さよなラッシュの状態です。

その置き換え用の7500形の7503Fは、日車から導入されることになる。

さよなら運転を撮影する時は、マナーを守ってもらいたいと強く思っています。

京成3700形の3718Fのほうは、最近になってからLED化されていたけど、他の編成にも波及することが予想されています。

リゾートしらかみブナ編成を使用したリゾート南房総号は、2月24、25、3月1日に、館山~勝浦間で運転されることになる。 2月17、18日は、館山~安房鴨川間で運転されていた。

その運転が終了した後の3月3、4日は、上野駅13番線でリゾートしらかみブナ編成の展示会が行われることになる。 こちらは、リゾートしらかみ号登場10周年記念の一環で行われている。

昨年は品川でくまげら編成が、一昨年は上野で青池編成が展示されていた。

ブナ編成の展示のほうは、2004(H16)年3月の品川での展示会以来3年ぶりとなる。こちらは、デビュー前の2003(H15)年にも品川で展示されていた。

リゾートしらかみ青池編成は、昨年から3両編成化され、捻出された中間の1両は、くまげら編成に転用されていた。

あとは、秋田新幹線こまち号が開業してから3月22日で10周年を迎えることになる。

10月1日には、長野新幹線あさま号が10周年を迎えることになるし。

風っこ南房総号は、3月3日、4日に館山~勝浦間 3月10日~4月1日の土曜・休日に館山~安房鴨川間で運転されるけど、3月3日~31日の土曜日および3月21日には、木更津→館山間で81号、3月4日~4月1日の日曜日および3月21日は、館山→木更津間で82号が運転されるけど、81、82号は、DLによる牽引となる。

この時に風っこが黒岩さんの地元を走ることになり、湊鉄橋が賑わうことになる。

4月7、8、14、15、21、22日には、風っこが久留里線を走ることになる。

2月24、25、3月3、4日には、赤べえ編成による特急かつうらひなまつり号が運転されることになる。

常磐線のE531系では、グリーン車の組み込みが大詰めを迎えており、10両固定のモノクラス編成は、既に運用から離脱されているので、昨年10月22日の撮影ツアーで撮影出来てよかったです。

現在グリーン車連結のE531系は、18編成入っており、3月上旬までに22編成出揃うことになる。 これに伴って415系列の置き換えが進められているけど、E531系が期間限定でいわきまで乗り入れている。

E501系の上野~土浦間の定期運用は、2月21日をもって終了してしまったのであり、1月21日に乗った時が最後となった。

E501系が2月21日をもって上野~土浦間の運用が終了したということは知らなかったです。
2月18日に上野駅で見たのが最後となった。

これまでE501系が入っていた運用には、E531系が入るようになった。

ということは、E501系に乗れるのも3月18日の改正までお預けとなる。

E501系の付属編成では、K751編成とK754編成のVVVFインバーター装置が交換されたので、元祖ドレミファ電車の面影が薄れてしまった。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-21 09:40 | 鉄道車両・路線
この日は、京成3200形の3298Fが京成千葉線での折り返し運用(01運用)に就いていることを黒岩さんからのメールで知ったので、東京時刻表を見てそのスジを追ってみました。

黒岩さんは、12時08分頃、京成千原線(旧千葉急行線)のちはら台駅で、3298Fを目撃していた。 萩原清さんのほうは、千葉で目撃していたけど。

この01運用は、日中は京成津田沼~ちはら台間の運用に入っていた。 ちはら台16時17分発の普通列車で上野へ。この後、75運用で金町まで行き、ここから京成上野まで折り返されていたことを期待していたけど、京成上野到着後3304Fに車両交換され、3298Fは京成高砂まで回送されていました。

その折り返しである19時24分発のちはら台行きで3298Fが来ることを期待していたけど、従来型車両である3304Fに当たっていました。

3304Fは、以前3307+3308号車と組んだ6両編成となっていたけど、3307+3308号車が北総鉄道にリースされたために、4両の単独編成となっている。

京成3300形は、今年3月の3200形の全廃後、この次の廃車予定車となっている。

3301Fは4両編成なので、金町線への入線も可能となっている。

仕方がないので、そのまま堀切菖蒲園まで向かいました。

博物館動物園駅跡もチェックしました。

京成関屋(牛田)駅付近では、地上線用に転用された東武30000系を見ることが出来ました。この光景を見ていると、半蔵門線直通化前の時代に逆戻りしたような感じがしてきます。

堀切菖蒲園駅は、その名の通りの堀切菖蒲園への最寄り駅となっているけど、駅から徒歩約10分掛かる。菖蒲園の名にふさわしく、200種、6000株の花菖蒲が植えられている。(見頃は6月中旬)

東武伊勢崎線の堀切駅は、葛飾区堀切ではなく、荒川の西詰の足立区千住曙町にある。 この周辺には、堀切橋が掛かっている。

周辺には、首都高速の中央環状線と6号向島線の分岐点である堀切ICがある。 6号向島線は、渋滞の名所となっているけど、2002(H14)年12月の中央環状王子線(板橋IC~江北IC)の開通によりやや緩和されている。 首都高速中央環状王子線は、飛鳥山公園の下の飛鳥山トンネルを通ることになる。

堀切菖蒲園駅は、2002(H14)年10月12日まで存在した本線系統の急行の停車駅だった。 本線系統の急行は、現行の快速の停車駅に加え、町屋、千住大橋、堀切菖蒲園、国府台、市川真間、谷津にも停車していたけど、快速の登場により押上線内を除いて廃止されていた。

押上線に残る急行は、八広と四つ木は通過となっている。

急行から快速への格上げにより、通過化された駅の利用客からクレームが来ていることも言うまでもない。

市川真間駅のほうは、1914(T3)年8月30日に開業した時点では、市川新田駅となっていた。 1916(T5)年6月には、現在の市川真間駅となった。

市川真間駅は、JRの市川駅の近くにある。
市川真間の駅名は、真間の手児奈(てこな)伝説」に由来する地名に因んでいる。

堀切菖蒲園から折り返しの京成上野行きの4両編成を見たけど、3500形の未更新車となっていました。

堀切菖蒲園から京成高砂までは、3700形の3828Fの京成臼井(うすい)行きで移動。こちらは6両編成の3700形の2編成のうちの1編成である。

京成臼井駅のほうは、以前臼井と表示されていたけど、1991(H3)年3月31日の北総開発鉄道(現、北総鉄道)との直通運転開始により、白井駅と似ているということで紛らわしいので、平仮名の「うすい」という表示になったのである。 駅名等の表示もうすいとなっているのはそのためである。

こちらは、2003(H15)年1月に、モーニング娘。の6期メンバーの1人である田中れいな(本名、田中麗奈)女史が加入してきた時、なっちゃんのCMでおなじみの女優の田中麗奈(れな)女史と芸名が被っているということで平仮名のれいな(田中れいな)という芸名が採用されていたことになぞられている。

京成高砂駅に到着した時、向かい側の4番線に3298F・旧開運号編成による金町行きが停車していました。 最初は入庫してしまったと諦めていたけど、ここで撮ることや乗ることが出来てよかったです。 

まさに、開運号キターー(゚∀゚)ーーッ!!という状態でした。

これにより、ホリデーパス区間を外れ、別途運賃を払って行った甲斐がありました。

3298Fのほうは、3月末まで運転予定となっているけど、運行ダイヤが固定されていないために、運が良くないと見れない状態である。

3298Fの車内には、懐かしの開運号の写真があり、茶色時代の旧AE形との並びもありました。

トイレや物置の跡には、座席があるためその面影が薄い状態となっていました。

なので、3298Fに京成金町まで乗ることに成功しました。

寅さんでおなじみの柴又では、3500形の更新車である3540Fと交換。 日中は20分間隔で1編成が使用されているけど、朝夕は2編成運用で柴又駅での交換シーンを見ることが出来る。正月の3が日および7月の葛飾納涼花火大会の時には、臨時電車が運転され、10分間隔で運転されることになる。

金町線のほうは、2010年の成田高速鉄道の開業に合わせて京成高砂駅付近が先行高架化され、専用ホームからの発着となる予定となっている。

柴又は、寅さんゆかりの地で、柴又帝釈天があることで有名である。 

京成金町駅に到着した後、撮影を行いました。この後83運行で、終電まで金町線で運用されていた。

京成金町線の柴又駅は、6両分入れるのに対し、京成金町駅は、4両分しか入れないために、廃駅となった博物館動物園駅と同様に4両編成までしか入れないのがネックとなっている。

以前は京急線から京成金町までの直通列車が京急の4両編成によって行われていたことがあった。

当初の予定では、日暮里で下車して棄権するはずだったけど、京成高砂まで出向いてよかったです。流石に萩原清さんの地元であります。

金町から松戸までは、常磐緩行線の203系(マト66編成、クハ203-106F)で移動。

松戸では、3月17日をもって姿を消す予定の415系、E501系を見ることが出来ました。

新京成の8817Fには、新京成のご案内のラッピングがありました。

ここから上野までは、E531系のK404編成(クハE531-4F)に乗ったけど、4号車の暫定グリーン車部分(サロE530-13号車)に乗りました。

この時は、ダイヤ改正1ヶ月前となっていた。

三河島~日暮里間では415系とすれ違ったけど、普通鋼製車のほうは、あと1ヶ月足らずの余命となっている。

1500番台のほうは、水戸線または常磐線の友部~原ノ町間で活躍する予定となっている。

上野駅に到着、この後、山手線で東京まで行き、ここから四ッ谷まで201系のH25編成(クハ201-105、106F)、四ッ谷から新宿までは、H4編成(クハ201-11、12F)で移動。

前者は元中央・総武緩行線用、後者は元武蔵野線用だった。

武蔵野線を走っていた201系は、クハ201-11、12、13Fで、クハ201-12Fは6両まるごとの編成となっているので、武蔵野線を走っていた時の面影がある。

中央快速線を走っていた201系T編成のうち、T32(旧H45)編成は、京葉線に転用されていたけど、こちらは205系の1編成の武蔵野線への転用による穴埋めとして導入されていた。こちらは既に営業運転に入っている。

増発用として京葉線から武蔵野線に転用されていた205系は、ケヨ23編成(クハ205-15F)で、中間車のT車2両抜かれた上での転用となった。T車2両抜かれたということは、そのまま使用される可能性が高い。

この編成は、元をただせば山手線で走っていた。

クハ205-15Fは、2002(H14)年、2番目に山手線での運用から離脱された編成であり、1番最初に運用離脱されたクハ205-11Fと共に、京葉線に配置されていた。

武蔵野線の車両は、京葉車両センター所属となっているので、これに伴う転属は発生しないことになっている。 京葉車両センター所属のままでの転用となる。

やはり、3月18日のダイヤ改正で、朝のラッシュピークに1本(新習志野発府中本町行)が増発される予定なのでそれを受けての転属となった。

新宿から目白までは山手線で帰りました。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-20 14:43 | 鉄道乗車記

四季彩河口湖号

四季彩河口湖号は、1月27、28日、2月3、4、10、11、12、17、18日に運転されていた。

この時に4番線に入線。 行き先表示は、快速立川となっていました。 2月11日に山澤さんが立川から大月まで四季彩河口湖号(河口湖行き)に乗っていたけど、行き先表示は臨時となっていた。

今回は山澤さんと同様に富士急行線で乗ることが出来なかったけど、立川~大月間で乗ることが出来たからよしとします。

こちらは、富士山の絶景を楽しめる三つ峠~寿間で徐行運転が行われていた。この時には車内アナウンスがあった。 やはり富士急行といえば富士山、富士山といえば富士急行という状態であるし。

この時に、1月8日に富士駅付近で富士山を眺めた時を思い出しました。

富士五湖は、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖に分かれているけど、河口湖、西湖、山中湖畔には温泉施設がある。

富士河口湖町は、2003(H15)年11月15日、南都留郡河口湖町、勝山村、足和田村が合併して誕生した町である。

昨年3月1日には、西八代郡上九一色村のうちの南部の本栖・富士ヶ嶺地区(精進湖と本栖湖のある地域)が編入されている。

北部の梯・古関地区のほうは、甲府市に編入されているので、上九一色村が消滅したのである。

1984(S59)年11月1日から発行された旧5000円札の裏に描かれている富士山は、上九一色村から撮影された富士山となっている。こちらは今年4月2日をもって発行が停止されることになる。

上九一色村は、オウム真理教(現アーレフ)で話題となっていた。

1997(H9)年7月26日には、オウム真理教のサティアンの跡地に富士ガリバー王国が開設されていたけど、経営難により、2001(H13)年10月28日をもって閉鎖されていた。

四季彩号は、間合い運用として大月~河口湖間の普通列車1往復にも使用されていた。

好評ならば、来年の冬も運転されることが予想されています。

河口湖まで乗るなら、河口湖・西湖フリーきっぷがお得である。 こちらは東京都区内から4600円と、ホリデーパス+富士急行線の河口湖までの往復の料金(4520円)と80円しか変わらない。こちらは、富士急行線に加え、河口湖・西湖周遊レトロバス、天上山カチカチ山ロープウェイにも乗り放題となっている。

河口湖は、河口湖駅から歩いて行くことが可能となっている。

201系の富士急行線への進出は、1990(H2)年3月10日改正のこと。今年3月18日の改正でE233系に置き換えられる予定となっているので、オレンジ色の201系が富士急行線を走る姿も見納めとなってしまう。

大月で切り離された201系の6両編成は、間合い高尾~大月間の普通列車に使用されているけど、こちらもE233系に代わることになるし。

四季彩号が、青梅線を飛び出してイベント列車に使用されることは、新鮮そのものでした。

2002(H14)年10月には、大月から立川まで塗装変更前の四季彩号に多喜千与三さんと乗ったことを覚えています。この列車に乗った時はあの時を思い出しました。

普段は青梅~奥多摩間を多摩川の渓谷を眺めながらのんびりと走るはずの四季彩号が、高尾~大月間の路線を高速で走っていたので、四季彩だとは思えないほどでした。

四季彩は、以前快速四季彩高原号として小淵沢~白馬間で運転されていたこともあったし。こちらはトイレが無いのでトイレ休憩の時間もあった。

四季彩の青梅線以外での活躍は、AKB48(秋葉原48劇場)の面々が、秋葉原48劇場(秋葉原のドンキホーテの上にある劇場)を飛び出して、日本青年館などでコンサートやイベントが行われていたことになぞられています。

AKB48と言えば、3月10、11日に新宿の東京厚生年金会館でコンサートが行われる予定となっている。

河口湖へは、2003(H15)年9月13日と2004(H16)年9月18日に、河口湖ステラシアターで行われたdreamが出てきたコンサートで行ったことがあるけど、河口湖駅からシャトルバスでの移動となっていた。 後者のほうは、鎌倉総合車両センターでのイベントの後に行っていたので、河口湖駅からタクシーで移動していた。

2003(H15)年当時は、フォスター所属の阿井莉沙女史がdreamのメンバーに所属していたけど、翌年の2004(H16)年3月をもって卒業。 

筆者はdreamの中では阿井莉沙女史を推していたのである。 

阿井莉沙女史が卒業した後、dreamファンを継続していたけど、一昨年になってからdreamに対する情熱が冷めていたので、昨年8月末をもってdreamファンを休止、今年2月6日にdreamのファンクラブを中途退会したことにより、dreamのファンから撤退してしまったのである。

こちらは、1997(H9)年に休止、2004(H16)年に廃止された京成の博物館動物園駅みたいな状態となった。

dream卒業後の阿井莉沙女史のほうはファンの機能を残してある。こちらは、四季彩がE233系への置き換えによる淘汰の対象となっていないことになぞられている。

SPEEDファンのほうは、昨年3月末をもって完全撤退したので、首都圏の103系で、常磐快速線・我孫子線用の103系で、マト7編成(クハ103-273F)が最後まで残っていたことになぞられていた。

筆者が初めて富士急行線に乗ったのは、1999(H11)年9月4日のことで、SPEED1推し時代の末期となっていた。

筆者が列車やバスの車内で聴く音楽は、以前はSPEEDの曲メインで他のジャンルの曲もたまに聴く状態だった。 1999(H11)年9月9日以降、聴く曲がモーニング娘。などのハロー!プロジェクト系中心となった。

dreamファンだった頃、dreamの曲を車内で頻繁に聴いていたことがあった。 現在はdreamファンから撤退したため、車内で聴く曲は、ハロプロ系9割、AKB1割の状態となっている。それ以外のアーティストの曲を車内で聴くことは基本的に中止している。

筆者が生で見たことのないアーティストの曲を車内で聴くことは、2005(H17)年をもって中止となっているけど、現在は筆者と握手したことのあるアーティストの曲が最優先となっている。

AKBのほうは、筆者と握手したことはないけど例外である。

これによって、車内での音楽鑑賞の時間を減らすことが可能となった。

筆者が初めて電車の中で音楽を聴いたのは、1998(H10)年10月1日に新宿から本八幡まで都営新宿線の10-000形(初期型編成)による急行だった。 こちらは、10-300形に置き換えられたほか、京王6000系または9000系による直通急行に変わったので過去のものとなっている。やはり、SPEEDの曲が中心で、モーニング娘。の曲も聴いていた。

あとは、京成八幡から京成上野まで乗った京成3700形の特急の車内でも聴いていた。

四季彩で鳥沢鉄橋を通過した時は、軍畑駅付近で撮影した時を思い出しました。 軍畑駅付近の鉄橋は、鳥沢鉄橋を小さくしたようなイメージがあった。

この列車は、大月を出た後、四方津、相模湖、高尾、八王子、立川の順に停車していました。 四季彩が駅を通過するシーンは、臨時列車でしか見られない。

この時は満席ではなく、空席がありました。

高尾では、201系のT11編成(クハ201-45F)が先に発車していました。

八王子駅では、特急かいじ114号の待避のために長時間停車。 この時に、EF64-68+69号機(連番)の重連による貨物列車を見ることが出来ました。EF64-68号機はJR貨物の塗装で、EF64-69号機は、オリジナルの旧国鉄塗装となっていた。

かいじ114号は、M102編成(クハE257-102F)が使用されていました。こちらは、2001(H13)年8月1日の高尾でのイベントの時に展示されていた編成だった。

E257系は、2001(H13)年12月1日のデビュー当時は、新宿~松本間3往復で、全て11両編成となっていた。うち上り1本は東京行き。 

当時はあずさ68号(松本15:32発→新宿18:30着)が新設されていたけど、利用客が少ないために1年で廃止されていた。 1月4日にはこのスジを利用して臨時のあずさ54号が運転されていた。

八王子駅付近では、京王八王子→北野間を走行中の京王9000系+6000系を見ることが出来ました。 

麻生さんからの情報によると、2月19日に、6000系の6435F+6735Fが本線の特急・準特急運用に就いていたという珍しい現象があった。

立川に到着した後、撮影を行いました。 こちらは折り返し豊田までの回送列車となっていた。 南武線のほうは、2008年度末に、西府駅(谷保~分倍河原間)が新設される予定となっている。 

立川駅は、現在改良工事中で、今年秋にはエキュート立川が出来る予定となっている。来年春には、ホテルメッツの複合ビルも出来る予定となっているし。

立川では、青梅・五日市線の201系の撮影も行いました。 青梅・五日市線用の201系の淘汰は、中央快速線用の201系の淘汰が一段落した後に行われる予定となっている。

立川駅では、昨年12月10日の改正で、E257系使用の定期列車(あずさ号またはかいじ号)の全てが停車するようになったことを受けて、4、5番線の東京寄りに自由席特急券の券売機が新設されていた。 E257系使用の臨時特急でも、立川駅に停車しない列車もある。

立川から新宿、東京までの間でも、500円で特急の自由席に乗ることも可能となっている。

この時には、南小谷発新宿行きのあずさ24号を見ることが出来ました。こちらは新宿から折り返し18時発のあずさ29号となるけど、新宿始発の中央線特急としては珍しく、7番線から発車することになっている。

立川駅では、名物のおでんそばを食べました。

この後、武蔵小金井まで、E233系のT2編成(クハE233-2F)に乗車。 この編成には、昨年12月27日に新宿から御茶ノ水まで乗ったことがあるので、今回が2回目となった。 E233系自体に乗ったのは今回が5回目。 T2編成以外にも、T3編成、H43編成、H47編成にも乗ったことがある。 このT2編成は、青梅から来た列車だった。

この前には、E233系T2編成と青梅・五日市線用の201系(青63編成、クハ201-75F)との並びを撮影しました。 201系だったら201系同士の並びとなっていた。

青梅・五日市線専用の201系のうち、4両編成のほうには、耐雪ブレーキが追加されているけど、E233系の場合は全編成耐雪ブレーキが付くことになる。

武蔵小金井駅に到着後、南口まで行き、ここで三角屋根の木造駅舎である南口駅舎を撮影しました。 この駅舎は、国立駅の南口駅舎と同様に、高架化工事の進捗により、取り壊される運命となっている。

以前は駅前の歩道橋が南口方向へと延びていたけど、高架化工事の進捗により、南口まで行かなくなってしまった。 この時に、切り離された跡を見ることが出来た。

武蔵小金井駅の発車メロディーは、「さくらさくら」が使用されているけど、今年1月15日になってからは、3番線の発車メロディーのバージョンが変更されていた。

こちらは、昨年4月1日から使用されているけど、やはり小金井公園の桜にちなんでこの曲が使用されているのである。 こちらは1月14日までの期間限定となるはずだった。

山手線の駒込駅でも、春になると、「さくらさくら」の発車メロディーが使用されるようになるけど、こちらはバージョンが異なっている。これは、駒込駅近くがソメイヨシノの発祥の地ということであるからである。山手線の駒込駅のほうは、北口駅舎が一新されている。

武蔵小金井では、ホリデー快速おくたま・あきがわ2号の折り返しの武蔵小金井止まりの列車を見ることが出来たけど、こちらは量産車第一号のH1編成(クハ201-1、2F)となっていました。ホリデー快速おくたま2号は、昨年12月10日に乗った時と同じ列車である。

あとは、ホリデー快速おくたま・あきがわ4号の通過のシーンを見ることが出来たし。 編成番号は未確認。

武蔵小金井から三鷹までは、201系のH11編成(クハ201ー99、100F)に乗車。筆者が乗ったのは、クハ200-100号車で、200の半分の数字というユニークな表示となっていた。

H10編成(クハ201-95F)の付属編成側の2号車には、モハ201-201と言ったぞろ目の番号があるけど、E233系に置き換えられて消えゆく運命となっている。

大阪環状線には、モハ200-200号車があるけど、こちらは元東海道・山陽緩行線で走っていた。

武蔵境では、ニューなのはなによる臨時特急あやめ82号(鹿島神宮発高尾行き)を見ることが出来ました。こちらは、4月30日までの間に乗りに行きたいと思っています。

三鷹に到着した後、ホリデー快速河口湖2号の到着を待ちました。

この前には、かいじ116号が到着していました。 三鷹駅にはほとんどのかいじ号が停車することになっているけど、新宿8時30分発のあずさ7号は、あずさ号で唯一三鷹に停車している。 こちらは、以前かいじ号として運転されていた頃の名残である。

三鷹から新宿までは、ホリデー快速河口湖2号で移動。 この時に編成は、豊田区のM50編成(旧あずさ色、クハ189-14F)

M50編成は、クハ189-14+モハ189-20+モハ188-20+モハ189-44+モハ188-44+クハ205-507F

クハ189-14+モハ189-20+モハ188-20号車は、背面テーブルのあるリクライニングシート車。

モハ189-44+モハ188-44+クハ205-507号車は、簡易リクライニングシート車となっている。

筆者は、クハ189-507号車に乗車。 507の数字であれを思い出します。

新宿発河口湖行きの1号は、新宿から大月までの間、最後部の1号車が指定席となる。

以前は快速の表示となっていたけど、現在は、専用のヘッドマークが表示されている。大宮発着の3、4号のほうは、今年秋に彩野色の189系が使用されていた。

新宿駅9番線に到着後、新宿さざなみ号などを撮影しました。

新宿さざなみ号は、E257系500番台のNB03編成(クハE257-503F)が使用されていました。回送の時はなぜか前面が新宿さざなみの表示のままとなっていました。

この後、ホリデー快速おくたま・あきがわ6号が入線。この時には、到着後すぐではなく、すばらくしてから武蔵小金井行きの表示に変わっていたので、撮影することが出来たのである。

この時に編成は、H14編成(クハ201-115、116F)で、クハ200-116号車は、1997(H9)年10月12日の大月駅構内での衝突事故で被害に遭った編成だった。

H9編成に連結されているクハ200-87号車は、中間に連結されているTc車で唯一種別幕が装備されていることで異彩を放っている。 こちらは、大月事故の影響で一時的に先頭に出ていたことがあったためである。 4両単独運転の場合でも、前後対称のスタイルとなる。

あの時は、廃車予定の103系が三鷹電車区に貸し出され、その玉突きとして、三鷹電車区から武蔵小金井電車区に201系が貸し出されていた。

201系の10両固定編成の大月乗り入れ開始は、2000(H12)年12月2日の改正の時だった。

この時に、H14編成とT5編成(クハE233-5F)と並ぶシーンを見ることが出来たけど、4月15日の切り替えで見納めとなる。

18時29分、新宿わかしお号が到着。この時に使用された編成は255系のBe-05編成(クハ255-5F)だった。最初は183系C編成が使用されることが期待されていた。 萩原清さんは千葉で撮影していた。 このことは高石さんからの情報で分かったのである。

2月24、25日の新宿さざなみ号もグリーン車付きの9両編成で運転されるけど、どうなるのか気になります。 

新宿から東京までは、201系のT102編成(クハ201-19F)で移動。

201系の6+4編成はH運用で限定運用されているけど、T運用に入ることもある。

東京駅に到着した後、山手線で上野へと向かいました。

中央快速線のホームが現在の3、4番線部分にあった頃、京浜東北線の列車と並ぶシーンが見られていた。切り替え前の1995(H7)年7月は、103系または205系から209系への置き換えの時だった。

もしも東京駅の中央線ホームが切り替えられていなかったら、中央線と京浜東北線のE233系同士の並びを見られていたところだった。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-20 10:38 | 鉄道乗車記
2月18日は、ホリデーパスを使用して、大月、松戸に行って来ました。

ルート 下落合~西武新宿…新宿~八王子~大月~立川~武蔵小金井~三鷹~新宿~東京~上野…京成上野~堀切菖蒲園~京成高砂~京成金町…金町~松戸~上野~東京~四ッ谷~新宿~目白

この日は午前中に雨が降っていたけど、午後から晴れてよかったです。

あとは、新宿の都庁前から東京ビッグサイトまで向かう東京マラソンが行われていました。 こちらは、これまでの東京国際マラソンに代わる競技で、コースは、東京都庁舎前(東京都新宿区)スタート→(靖国通り)→四谷→(外堀通り)→飯田橋→(専大通り)→皇居→(内堀通り)→日比谷→(日比谷通り・第一京浜)→品川折り返し→日比谷→銀座四丁目交差点→(中央通り)→日本橋→(永代通り・新大橋通り・清洲橋通り・江戸通り)→駒形橋西詰→浅草寺雷門前→吾妻橋西詰→駒形橋西詰→日本橋→銀座四丁目交差点→(晴海通り)→築地→(佃大橋・朝潮大橋・春海橋)→豊洲→東雲一丁目→(都橋通り)→東京ビッグサイト(東京都江東区有明)ゴール(42.195km)となっていた。

10Kmの部は日比谷まで。

こちらは10Kmの部を含め、30000人の大規模で行われていた。

初の優勝者は、男子の部が、ケニア人のダニエル・ジェンガ選手(2時間9分45秒) 

女子の部が、新屋仁美選手(2時間31分1秒)だった。

ダニエル・ジェンガ選手は、1992(H4)年に来日。2004年の東京国際マラソン、2005年の全日本事業団ハーフマラソン(山口県山口市)、2006年の仙台国際ハーフマラソン(宮城県仙台市)でも優勝していた。

このために都心部で大幅な交通規制が行われ、都営バスを中心にルート変更等が行われていた。

こちらは昨年まで開催されていた東京国際マラソンのルート変更で行われていた。

下落合から西武新宿までは、3000系の3015Fに乗車。 西武3000系は、以前池袋線のみの配置となっていたけど、現在は、1983(S58)年から1984(S59)年に掛けて導入された初期型の3001~3009Fが池袋線に、1985(S60)年から1987(S62)年に掛けて導入された3011~3017Fが新宿線に配置されている。

こちらは、3ドア車で8両編成にしか使えないので使い勝手が良くない状態である。

3000系では、先頭車前面下部に排障器(スカート)を装着する工事が行われているけど、新宿線所属車は4編成共に装着が完了しているけど、池袋線の3001Fと3007Fは未だに装着されていない。 2月10日のイベントでは、3001Fがスカート未装着の姿で展示されていた。

新宿線では、301系と共通運用となっている。 

新宿線の301系は、311Fと313Fで、どちらも、1983(S58)年度に、西武所沢工場で8両共に出場した101系列の最終増備車となっている。 

新101系列は、1982(S57)年度をもって製造が打ち切られる予定となっていたけど、諸般の事情により、1983(S58)年度の3000系の導入予定の一部が301系に変更されていた。

3000系は、1983(S58)年に3001、3003、3005Fが東急車輌で製造されていた。 1984(S59)年度以降に製造された3000系は、西武所沢工場製となっている。

新宿線の301系は、新101系の2連を繋いだ10両編成としても運転されることもある。

西武新宿線は、以前国鉄(現JR)の新宿駅東口に乗り入れる計画もあったけど、諸事情によって中止されている。

1952(S27)年3月25日の開業時点では、新宿乗り入れを見据えた上での仮駅となっていた。 

1964(S39)年に完成した新宿ステーションビル(ルミネ・エスト、旧マイシティ)の2階部分は、西武新宿線の乗り入れを見据えた構造となっていたけど、用地が狭い上、ホーム有効長が6両分しかなく、10両分の延伸は不可能であることから中止されていた。 

その2階部分には、駅の建設予定地だった頃の名残がある。

現在の西武新宿駅の駅舎および新宿プリンスホテル、プリンスPePeは、1977(S52)年3月3日に完成していたので、今年で30周年を迎えることになる。

ここからJRの新宿駅まで徒歩で移動。

新宿サブナードの地下にある、福家書店では、グラビアアイドルである安藤沙耶香女史のDVD発売記念の握手会が行われていました。

福家書店は、銀座店、新宿サブナード店共に、アイドルの写真集やDVDの発売記念のイベントのメッカとなっている。

新宿サブナードは、靖国通りの地下にある商店街で、西武新宿駅と、メトロプロムナード(東京メトロ丸ノ内線の新宿駅および新宿三丁目駅)を結んでいる。

オープンは、1973(S48)年。こちらは雨の日の移動にも重宝している。

来年6月の副都心線の新宿三丁目駅開業の時には、新宿駅南口、新宿サブナード、高島屋タイムズスクエア方面への連絡通路が整備されることになっている。

新宿から八王子までは、201系のT26編成(クハ201-49F)の中央特快で移動。 反対側の7番線には、E233系のT5編成(クハE233-5F)による快速東京行きが止まっていました。

2月15日には、201系のH3編成(クハ201-9、10F)が北長野まで廃車回送されていたけど、昨年12月10日の青梅・五日市線撮影ツアーの帰りに奥多摩から新宿までホリデー快速おくたま号で乗ったのが最後となっていた。やはり、中間にサボ受けが残っていたので、サボ受けが撤去されずにそのまま廃車となっていたのである。 

筆者だけは、これで武蔵小金井まで折り返しで乗っていたのでいい思い出となった。

途中では、E231系の最新増備車である81、82編成を見たので、80編成と合わせて3編成共に営業運転に入っていることを確認しました。 これに伴って513,514、515Fが浦和電車区(京浜東北線)に転用されていたけど、209系900番台で運用から離脱されたのは今のところB編成(910編成)のみである。

中央快速線の最高速度は、95Km/hとなっているけど、E233系への置き換えおよび武蔵小金井駅付近の高架化により100Km/hに引き上げられる予定となっている。

平日の夜間には、新宿始発の中央特快が2本設定されているけど、こちらは新宿から三鷹までノンストップ(中野駅通過)となっている。

E233系の特快の表示 中央特快=水色 青梅特快=緑色

E233系の快速の表示(オレンジ)は、下り、平日は中野まで、土曜・休日は三鷹までで、それ以遠は種別表示無し。 上りは全区間表示。

通勤快速=紫色 通勤特快=ピンク色 各駅停車=黄色

武蔵境、東小金井、武蔵小金井駅は、今年春に下り線が高架化される予定となっているけど、武蔵小金井電車区の動向が気になります。

武蔵小金井電車区には、201系のほか、E233系の姿もちらほらありました。 E233系のほうは、増備を受けて見る機会が多くなっています。 その分201系が減ってしまうという残念な結果が生まれてしまうことになる。

国分寺駅では、新2000系の6両編成による西武園行きを見ることが出来ました。こちらは、西武園競輪開催日を中心に西武園まで延長されることもある。 西武国分寺線では、日中のみ新所沢まで直通運転されている。 3月6日のダイヤ改正でその本数が増えることになる。

国立駅の旧下りホーム跡は、上屋の撤去が完了し、西国分寺寄りのホームの一部が残っている状態となっていました。 このように、旧駅舎があった頃の面影が消えていくことになる。

国立駅北側には、鉄道総合技術研究所があり、その引き込み線があったけど、2004(H16)年をもって廃止されている。その跡地には駐輪場がある。

国立といえば、鉄道情報システムの中央システムセンターがあることで有名である。

高架化工事前は、2面3線の駅で、上り線側に2線あった。 高架化された後は、着工前の2面3線の状態に戻る予定となっている。

日野駅の駅舎は、民芸調の入母屋造りの駅舎として有名である。

日野市は、新選組副長・土方歳三、六番組隊長の井上源三郎の出身地でもあるので、新撰組ゆかりの地となっている。 こちらは2004(H16)年にブームとなっていた。

今年のNHKの大河ドラマは、風林火山で、1988(S63)年に放送された「武田信玄」以来19年ぶりに山梨が舞台となった大河ドラマが放送され、ブームとなっている。

豊田電車区には、三鷹電車区のE231系(中央・総武緩行線用)が入庫していました。 

八王子駅で途中下車。 ここで201系の撮影を行いました。

その前には、E351系によるスーパーあずさ21号を見ることが出来ました。 こちらは大月通過で甲府までノンストップとなっている。 編成はS3+S23編成(クハE351-3F+クハE351-103F)で、1997(H9)年10月12日の大月駅構内での201系(クハ201-116F)との衝突事故に遭った編成である。

このため一部の車両で車体が新しく作り直されている。足回り品はそのまま流用。

E351系は、山岳区間一部付け替えの上での160Km/h運転対応で、ほとんどが置き換えられるはずだったけど、コストが高い上、12両編成で輸送力が大幅に過剰となることもあるために、5編成のみの導入となったのである。

それ以降E257系によって183・189系が置き換えられたのはそのためである。

E351系は、215系やE2系と合わせて、JR東日本発注車としては珍しい日本車輌製もある。

昨年廃車となった常磐線の415系1900番台(2階建て普通車)も日本車輌製だった。

E351系は、S1+21編成、S4+24編成が日立製 S2+21編成、S5+S25編成が日車製 S3+23編成が日立製と日車製の混合である。

この後、大月まで201系のH8編成(クハ201-71、72F)で移動しました。 201系で高尾~大月間を通ったのは、2002(H14)年9月に河口湖まで行った帰り以来でした。

高尾駅を出た後、緑の多い区間に入りました。

この時に、今年6月に開通予定の首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の八王子ジャンクションを見ることが出来ました。 6月には、あきる野ICから延長されることになる。当初は、昨年秋に開通予定だった。

ここには、圏央道建設反対の表示もありました。

圏央道では、つくば牛久IC~阿見東ICが3月10日に、木更津JTC~木更津東IC間が、3月21日にそれぞれ開通する予定となっている。

これにより、中央道と関越道が直結されることになる。

小仏トンネル入口手前には、高尾~小仏間の京王バスのバス停が見えたけど、非常に狭い道を小型のバスが行き交うことになる。 

小仏トンネルは、東京都と神奈川県の境にある小仏峠を貫いたトンネルで、1901(M34)年8月1日の八王子~上野原間開業と同時に開通。天井が低いので、折りたたみ高さの高いパンタグラフ採用の電車の乗り入れが出来ない。 

1964(S39)年9月29日に高尾~相模湖間が複線化された時には、下り線用の新小仏トンネルが開通。既存の小仏トンネルは、上り線用となった。

あとは中央道にも小仏トンネルがある。

相模湖のほうは、相模湖駅から徒歩10分程度で行ける距離にあるけど、中央線の列車から眺めることが困難である。中央道から相模湖を眺めることが出来るけど、脇見運転は禁物である。

さがみ湖ピクニックランドのほうは、三井物産の系列となっていたけど、今年2月1日には、富士急行の系列である相模湖リゾートに譲渡されている。

これにより、富士急行によって運営されている富士急ハイランド、フジヤマリゾート(ぐりんぱ、スノーリゾート・イエティなど)と共に、富士急グループのリゾート施設となったのである。

相模湖駅周辺は、昨年3月19日まで津久井郡相模湖町となっていたけど、3月20日に津久井郡津久井町と同時に相模原市に編入されていた。

さらに、今年3月11日には、津久井郡の2町(藤野町、城山町)も、相模原市に編入されることになる。

相模湖は、相模川が相模ダムによってせき止められて作られた人造湖で、1964(S39)年に行われた東京オリンピックのカヌー競技の会場となっていた。

旧津久井町部分には、城山ダムによってせき止められた津久井湖がある。

中央本線および中央道、国道20号線では、東京都と山梨県の間で神奈川県を通ることになるけど、こららのエリアが全て相模原市の一部となる。

藤野駅、鳥沢駅付近では、E257系とすれ違いました。 こちらは、2001(H13)年12月から1年間掛けて9両基本16編成+2両付属5編成導入され、中央線特急の主力車両となっている。 房総エリアで活躍しているE257系500番台は、255系と共に、中央本線の高尾以西にも乗り入れ可能となっている。E257系500番台に於いては、房総地区を走る特急でありながら、寒冷地での走行にも対応している。

松本車両センターのE257系が団臨列車で館山まで入っていたことがあったけど、かつて運転されていた館山行きの臨時あずさ号(183系使用)を思い出します。

中央線と房総各線のほうは、総武本線を介して線路が繋がっていることもあるので、その縁で運転されていた。

上野原駅手前では、神奈川県から山梨県に入ったけど、沿道の国道20号線の表示でも分かりました。 その神奈川県側の廃車置き場も目印となっている。

上野原駅のある上野原市は、2005(H17)年2月13日に、北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併して誕生した市となっている。

中央道の上野原インターチェンジは、1989(H元)年9月27日に開設されたインターチェンジで、中央道上野原バス停も併設されている。 こちらは、富士五湖線と甲府線のみ停車で、乗車・降車どちらも可能となっている。 富士山五合目線のほうは、五合目行きが乗車、五合目発が降車専用となっている。

この時には中央道を走る山梨交通の高速バスを見ることが出来ました。

四方津駅の北側には、コモアしおつという住宅街・店舗街があり、駅周辺からコモアブリッジという斜行エレベーターで結ばれている。

四方津駅では、201系のT22編成(クハ201-30F)による快速東京行きを見ることが出来ました。

201系の10両固定編成は、当初高尾~大月間への乗り入れが出来なかったけど、パンタグラフのシングルアーム化により、乗り入れが可能となったので、大月への乗り入れも出来るようになった。現在T運用で行われているけど、E233系の10両固定の新T編成も大月への乗り入れも可能となっている。

1986(S61)年11月改正での大月乗り入れの定期化の時は、1日3往復で、高尾~大月間6両編成(後ろ4両は高尾で切り離し)となっていた。 当時は、6+4編成のうち、PS24形パンタに交換された編成に限定運用されていたけど、のちに6+4編成全てがPS24形に交換されていた。 大月への201系の10両編成の乗り入れは、1987(S62)年のGWの時からで、のちに全て10両化されていた。

鳥沢~猿橋間にある新桂川橋梁(鳥沢橋梁)は、撮影ポイントとして名高い場所で、NHKの番組「最長片道切符の旅」でもオープニング映像として使われていたことがあった。

猿橋駅は、日本三大奇橋である猿橋の近くにある。 日本三大奇橋とは、山口県・岩国市の錦帯橋、栃木県・日光市の神橋、山梨県・大月市の猿橋となっている。

大月駅に到着した後、201系の撮影。 この時に豊田区・スカ色の115系3両編成(M11編成、クモハ115-315F)による小淵沢行きの普通列車を見ることが出来ました。 現在のスカ色の115系は立川・高尾~小淵沢間(八王子支社管内)および富士急行線直通列車のみとなっている。

うち3両編成での運転は、大月以西および富士急行線でしか見ることが出来ない。

大月駅の北側の留置線にはスカ色の115系が留置されている。

1993(H5)年12月1日の改正までは、スカ色115系による新宿発上諏訪行きの夜行列車が運転されていたけど、こちらは新宿に乗り入れるスカ色115系の最後の砦となっていた。

新宿発上諏訪行きの普通列車は筆者は乗れずじまいとなってしまったけど、かつての大垣夜行(ムーンライトながら号の前身)と同様に青春18きっぷでも気軽に乗れる夜行普通列車ということで廃止されたことは残念である。

こちらは現在大月行きの最終快速となっている。

大月では、EH500ー8号機牽引による貨物列車を見ることが出来ました。

富士急行線のホームでは、2201Fによるフジサン特急のほか、赤い1205Fを見ることが出来たし。

フジサン特急は、元165系パノラマエクスプレスアルプスの車両で、2001(H13)年9月にJRから引退した後、整備され、翌年の2002(H14)年2月から営業運転入りしていた。

2201Fは、富士吉田寄りに、2202Fは、河口湖・大月寄りに展望席があるけど、列車によって展望席の向きが異なることもある。 こちらは2編成フル稼働の状態なので、整備・点検等で使えない場合は、1200形の1206~1208Fの座席カバー・テレビ付きの編成が代走することになっている。これらの編成は、フジサン特急登場前の特急に使用されていた。

富士吉田駅構内に元三鷹区の169系1両(クモハ169-27F)が置かれているのは、フジサン特急用の部品取り車として使用されているからである。

富士急ハイランド周辺には、昨年11月28日にふじやま温泉という温泉施設が開設されたことで話題となっている。

1205Fは、元京王5118、5868号車。 赤色塗装に変更されていたのは、富士急行とスイスのマッターホルン、ゴルナーグラート鉄道(Gornergrat Bahn)の姉妹提携15周年記念である。

富士急行沿線にある山梨県の都留高校が、今年の選抜高校野球に出場するということで記念の表示が出ていました。

四季彩が到着する前、E351系のスーパーあずさ号が通過していきました。 

201系の四季彩号が到着。ここで撮影した後で立川へと向かいました。

(2へつづく)
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-19 10:52 | 鉄道乗車記

東急多摩川線と池上線

2月16日は仕事が休みだったので、東急多摩川線と池上線に乗り、その後大崎でのJR電車部会に参加しました。

ルート 目白~新宿~渋谷~自由ヶ丘~多摩川~蒲田~雪が谷大塚~旗の台~五反田~大崎~池袋

新宿では、東武100系108Fによるスペーシアきぬがわ号を見ました。

渋谷では、東急旧5001号車を見物。この時に、忠犬ハチ公のふるさとである秋田県大館市に関することが展示されていました。

今から20年前の1987(S62)年には、ハチ公物語という映画が公開されていた。

渋谷から自由ヶ丘までは、5050系5162Fによる通勤特急で移動。 こちらは平日の朝夕の上下で運転されている列車で、特急の停車駅に日吉、馬車道、日本大通りを加えたものとなっている。こちらは、渋谷17時以降に発車していたので、5号車が女性専用車となっていた。

来年3月に目黒線が日吉まで延長されるのに伴い、特急が日吉にも停車することが予想されるので、通勤特急の動向が気になります。

自由ヶ丘から多摩川までは、9000系の9103Fに乗車。各駅停車なので、5号車の女性専用車が設定されていなかった。

9103Fは、木目調の化粧版となっていました。

多摩川から蒲田までは、1000系の3両編成(1024F)で移動。1024Fは、1993(H5)年に導入された1000系で唯一3両のフル編成で落成した最終増備車で、当初から車椅子スペースが付いていた。

1000系は、1991(H3)年に1014~1018Fが4両編成で落成、当時は目蒲線で走っていた。 1993(H5)年に、3両編成に組み替えられて池上線に転属、捻出された中間車は、新製先頭車とドッキングされ、1019~1023Fとなった。池上線にあった7200系の一部は、4両編成に組み替えの上で目蒲線に転用されたほか、上田交通(現上田電鉄)別所線に譲渡されていた。

こちらは、1996(H8)年3月16日の池上線のワンマン化に備えて行われていた。

東急多摩川線の沼部、下丸子、武蔵新田、矢口渡、蒲田駅では、4両編成分あったため、ホームが閉鎖された部分がありました。

鵜の木駅は、4両編成時代目黒寄りの先頭車が1両ドアカットが行われていたので、当時はお立ち台があったけど、現在は撤去されている。

この時に7700系7706Fなどとすれ違いました。

東急多摩川線および池上線では、来年度から2011年度に掛けて、新型車両が順次導入され、28編成中の19編成が置き換えられることになる。 来年度は2編成導入。

これにより、7700系12編成、7600系3編成が置き換えられることは確実だけど、1000系の一部がどうなるのか気になります。

このことが、告知ポスターにありました。 こちらは2月12日から貼り出されているけど、完成予想図によると、デザインが大井町線の急行用の新車に準じており、カラーリングが上田交通にあった旧5000系(青がえる)に準じた緑色と黄色となっている。

なので、昨年7月2日に行われた東急旧型車撮影ツアーでも撮影出来てよかったです。

矢口渡駅は、1923(T12)年11月1日に開業した時点では矢口駅となっていたけど、1930(S5)年5月21日に矢口渡駅に改名されていた。

この駅名の通り、以前は矢口の渡しという渡し船が出ていた。 このことで、葛飾区柴又と千葉県の松戸を結ぶ矢切の渡しと混同しやすい状態となっている。

下丸子公園(キャノン本社、三菱自動車丸子工場跡付近)には、矢口の渡し場が復元されている。

周辺の多摩川の土手には、矢口の渡し跡がある。

釣りキチ三平、幻の怪蛇バチヘビなどの漫画の原作者である矢口高雄氏のペンネームは、矢口の渡しのアパートに住んでいたことに由来している。

矢口といえば、元モーニング娘。の矢口真里女史を連想します。あれが矢口駅だったら鉄系ハロプロファン(ハロヲタ)にとっての注目駅となっていたところだった。

蒲田駅に到着後、多摩川行きの7600系7601Fを見ることが出来ました。

7600系のほうは、たったの3編成しかない少数派で、歌舞伎顔の7700系と同様に貴重となっている。

あの後、池上線ホームに行き、ここから雪が谷大塚まで移動しました。

この時に乗った編成は、7700系の7903Fで、2000(H12)年まで目蒲線を走っていた編成でした。

雪が谷大塚駅は、東急多摩川線および池上線の車両の車両基地のある駅となっている。

この時に入庫する7915Fを見ることが出来ました。 7915Fのほうは、唯一の先頭車改造車として異彩を放っているけど、こちらも置き換えの対象となっている。

雪が谷大塚から旗の台までは、7600系7602Fで移動しました。 

洗足池駅は、その名の通りの洗足池の前にある駅で、駅からすぐ行ける。

長原駅が地下化されたのは、1972(S47)年のこと。 やはり、東急目黒線(旧目蒲線)の洗足駅と同様に環七通りとの横断を伴うために地下化されていた。洗足駅は、1965(S40)年に地下化されていたけど、現在は拡張されている。

旗の台駅では、大井町線のホームを見物。この時には、新上りホームの姿が見えていました。

旗の台から五反田までは、1000系の1022Fに乗車。 荏原中延駅は、1989(H元)年3月に地下化された駅で、目黒線の武蔵小山駅と西小山駅が地下化されたことと対照的な状態となっている。

大崎広小路駅と戸越銀座駅の間には、桐ヶ谷駅があった。 桐ヶ谷駅は、1927(S2)年8月28日に桐ヶ谷~雪が谷間の開業から1953(S28)年まであった。

同年10月9日に大崎広小路駅まで延長されていた。

桐ヶ谷駅は、都営三田線への分岐駅となるはずだった。

五反田までの延長は、1928(S3)年6月17日のこと。 五反田駅と大崎広小路駅の間は短い状態で300mしか離れていない。なので、徒歩で行った良い場合もある。

大崎広小路駅から大崎駅まで徒歩で行くことが出来るけど、今回は使わなかったのである。

こちらは、東急ストアの4階にあり、山手線との連絡改札もある。 こちら側から山手線ホームに行くことも可能。 もちろん雨の日の買い物にも便利である。

大崎広小路駅前には、ゆうぽうと(東京簡易保険会館)がある。

五反田から大崎までは、山手線で移動。

この後、JR電車部会に参加しました。 この時にスライドの発表がありました。

スライドでは、2月4日に行われた武蔵小金井電車区でのE233系撮影会のことが話題となっていました。 武蔵小金井付近が高架化された後、習志野電車区みたく、電留線と化してしまうことになる。

西武鉄道で言えば、保谷の車両基地が電留線化されたことに相当している。 上石神井の車両基地は、JR東日本の池袋電車区などと同様に車両配置無しの車両基地となっている。

高架化された後の武蔵小金井電車区は、小田急の経堂にある留置線みたいな感じになると思われます。

2次会会場は、大崎のマック。 この時に奥野さん、三橋さん、下村さん、山岡さんなどと出会いました。

この後、大崎から池袋まで、湘南新宿ラインのE231系(クハE231-6015F)に乗車しました。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2007-02-18 12:13 | 鉄道乗車記