交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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横浜へ

あの後は一旦帰宅し、新横浜まで行きました。 目的は、横浜アリーナで行われたハロー!プロジェクトのコンサートです。

ルート 目白~渋谷~菊名~新横浜~菊名~渋谷~目白

目白から渋谷までは山手線で、渋谷から菊名までは東急東横線の急行で移動。

東急東横線で乗った車両は、横浜高速鉄道(みなとみらい線)のY500系のY512Fで、昨年9月にモーニング娘。のヘッドマークが付いていたのと同じ編成となっていました。

この編成は、昨年の今頃2周年記念ヘッドマークが付いていたし。

途中で、みなとみらい線開業3周年記念ヘッドマーク付きのY513Fによる各停渋谷行きとすれ違いました。 やはり3周年に因み、Y513Fが使用されていたのである。

急行なので、途中中目黒、学芸大学、自由ヶ丘、田園調布、多摩川、武蔵小杉、日吉、綱島、菊名に停車。

2001(H13)年3月28日に東横特急が登場した当時は、中目黒駅通過だったけど、やはり日比谷線からの乗り換え客から苦情があったために、2003(H15)年3月19日の改正で停車するようになったのである。あとは、目黒区合同庁舎の移転や中目黒駅周辺の再開発事業が進められていたということもあるし。

東急東横線の急行は、1935(S10)年2月1日に開始。 当時の停車駅は、渋谷~青山師範(現、学芸大学)~自由が丘~田園調布~新丸子~日吉~綱島温泉(現、綱島)~妙蓮寺~反町~横浜~桜木町

1941(S16)年8月4日に一旦廃止。1950(S25)年8月1日に復活。

1952(S27)年4月1日には、昇圧工事により再び急行運転休止。

1955(S30)年4月1日に再び急行が復活し、現在の形となる。 当時は日中のみの運転だった。

当時の停車駅 渋谷~学芸大学~自由が丘~田園調布~武蔵小杉~日吉~綱島~菊名~横浜~桜木町

同年10月1日には、終日運転となり、朝ラッシュ時のみ、菊名~桜木町間は各駅停車となっていた。

翌年の1956(S31)年10月1日には、菊名~桜木町間で終日急行運転が行われるようになった。

急行の停車駅の追加 1964(S39)年8月29日 中目黒駅(営団地下鉄日比谷線の全線開業を受けて)
2000(H12)年8月6日 多摩川駅(東急多摩川線への乗り換えの利便性確保のため)

昨年9月25日のダイヤ改正で、元住吉発着の急行が廃止。

綱島駅は、1926(T14)年2月14日の開業の時は、綱島温泉駅と呼ばれていたけど、当時は、「東京の奥座敷」と呼ばれた大きな温泉街となっていた。

1944(S19)年10月20日に現在の綱島駅となった。

綱島温泉のほうは、駅周辺に東京園というラジウム温泉による立ち寄り湯があることで有名となっている。あとは、温泉銭湯も残されているし。

宿泊施設は横浜市教職員互助会「浜京」があるだけで、一般の人も泊まることができる。

日吉駅は、慶應義塾大学日吉キャンパスへの最寄り駅で、特急通過駅にも関わらず自由ヶ丘駅や菊名駅よりも利用客が多い状態となっている。

来年3月には、東急目黒線の日吉延長および横浜市営地下鉄グリーンライン(日吉~中山間)の開業が予定されているので、大きく変わることになる。

日吉駅のトイレは、バリアフリータイプのトイレに移設されていた。 

東急東横線・目黒線の日吉駅のホームには、横浜市営地下鉄グリーンラインへの連絡改札が設けられることになっている。

日吉駅~さくらが丘間で運転されている日23系統(川崎営業所所属)は、住宅街の狭い道を走るため、三菱エアロミディMEや日野リエッセという小型バスが使用されている。

さくらが丘入口~さくらが丘間はフリー乗降制となっている。

日比谷線直通電車のほうは、日中のみ日吉折り返しとなっているけど、来年3月の目黒線の日吉延長に伴い、菊名まで延長されることになっている。

このことで、日吉駅改良工事期間中(1988(S63)年3月11日~1991(H3)年11月)と同じ状態に戻ることになる。 当時は日吉での急行待避が出来ず、元住吉で通過待ちが行われていたので。 昨年9月に高架化された元住吉駅に通過線が設けられたのはそのためである。

東急東横線の菊名駅=以前は大倉山寄りに踏切があり、かつての代官山駅と同様に20m車7両分(18m車8両分)しか停車出来なかった。 そのため、20m車8両編成で、渋谷寄りの先頭車1両のドアが開かなかった。 同様に、代官山駅で、横浜寄りの先頭車1両がトンネル内でドアカットされていたこともあった。
日比谷線直通の場合は、当初から8両分全て収まっていた。
やはり、大倉山~菊名間の高架化およびホーム延長により解消されていた。

東武東上線の大山駅は、以前6両分しか停車出来ず、8両編成の場合は、2両分のドアカットのための大山対策車という編成が限定で使用されていた。 現在は池袋寄りの踏切の地下化およびホーム延伸により解消されている。
昔東武東上線の大山駅がこうなっていたことは知らなかったです。

菊名から新横浜までは、横浜線の205系、H7編成(クハ205-67F)に乗車。

横浜線は、八王子~東神奈川間がATS-Pで、東神奈川から先の京浜東北線および根岸線区間ではATCとなる。 185系による特急はまかいじ号は、横浜まで乗り入れるために、ATCが付いた3編成で限定運用されている。

横浜線の列車の行き先表示は、元山手線のH27編成(クハ205-30F)の前面を除き、緑色の表示となっている。

新横浜に到着した後、横浜アリーナでのハロー!プロジェクトのコンサート「Hello! Project 2007 Winter ~集結!10th Anniversary~」を見ました。

座席は、内周のアリーナ席(Fブロック)だった。 

横浜アリーナでは、平面のアリーナ部分がセンター席、内周のスタンド部分がアリーナ席、外周のスタンド部分がスタンド席と呼ばれている。

この時のステージは、メインステージのほか、田の字状の花道があり、3つのサブステージがあるので、間近で見られる場所が多くなっている。

前日の1月27日の開演前、スタンド席最前列の35歳の男性が、高さ約85cmの手すりからアリーナ席通路に落下され重傷を負われた。という転落事故がありました。

この時には、カントリー娘。のあさみ・みうな両女史の卒業セレモニーがあったけど、この時に昨年7月23日をもってモーニング娘。を卒業したと同時に芸能界から引退したはずの紺野あさ美女史が半年ぶりにステージに現れたというサプライズな出来事がありました。

このようなことは、萩原清さん主催の鉄道撮影ツアーでよくあるような状態となっていました。

紺野あさ美女史のほうは、卒業後もう見れなくなるだろうと思っていたけど、この時に元気そうな姿を見ることが出来てよかったです。 もしも参戦してなかったら、行けばよかった!と思っていたに違いなかったです。

この時に、モーニング娘。の新メンバーであるみっつぃ~こと光井愛佳女史を初めて生で見ることが出来ました。

光井愛佳女史とは2月4日に品川ステラボールで行われるファンクラブ限定の握手会で握手することが決まっている。 こちらは、内房線撮影ツアーに行った後となるけど、移動出来るかどうか心配です。

ということで、今回のハロー!プロジェクトの公演は大成功に終わりました。

新横浜から菊名までは、H17編成(クハ205-77F)に乗車。 菊名から渋谷までは東横特急、5050系5157Fに乗ったけど、渋谷で、みなとみらい線開業3周年記念ヘッドマーク付きのY513Fを撮影することが出来てよかったです。

東京メトロ東西線の5000系5009Fは、1月29日からさよならヘッドマーク付きで運転中。なので、リベンジを図ることが可能だけど、1編成しかないため、狙える確率は低いです。

1888(M21)年の長野駅開業の時から続いてきた長野の駅弁業界の老舗であるナカジマ会館(中島弁当店)が、1月31日をもって駅弁(食品)事業から撤退してしまいます。同時にナカジマ会館直営の飲食店も閉鎖されることになる。

駅弁製造・販売などのナカジマ会館・中島弁当店(長野市、中島克文社長)は1月末で駅弁事業から撤退する。長野市内で運営する飲食店も閉鎖して今後は不動産事業に特化する。同社はJR長野駅の駅弁販売最大手。東日本旅客鉄道(JR東日本)長野支社は利用者の利便を損なうことのないよう、新しい業者の導入や既存業者への納入拡大要請などの手段を講じる考えだ。

 ナカジマ会館・中島弁当店は明治21年(1888年)5月の長野駅開業と同時に駅構内で弁当の販売を始めた老舗企業。きじ焼丼(1000円)、川中島合戦笹ずし(980円)、信州おばあちゃんのきのこめし(900円)など16種類の駅弁を製造・販売している。長野駅や長野新幹線車内だけでなく上田、佐久平、大宮、上野、東京の各駅でも販売している。

 06年12月期の売上高は約6億5000万円で、このうち駅弁や仕出し弁当などが約8割を占める。ただ「駅弁事業は赤字が長年続いており、不動産事業の黒字で補う経営が続いていた」(中島社長)という。

これにより、長野駅の駅弁がどうなるのか気になります。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-31 10:05 | ハロプロ観戦系

京成開運号

1月28日は、文京区の某所での法事の後、京成上野駅で開運号の到着を見ました。

この日は、電車による移動で、山手線で駒込まで行き、ここから東京メトロ南北線で東大前まで移動していた。東大前駅付近の会場から上野の東天紅までは、タクシーで移動。

上野の東天紅という中華料理レストランで食事会が行われていたけど、その後に、参列者と別れ、1人で京成上野駅まで歩いて移動しました。

この時には、不忍池を眺めることが出来ました。 その途中には、下町風俗資料館がある。

京成上野駅では、3200形3295Fによるリバイバル開運号が入線。

こちらは、当時使用されていた特急開運のHM付きで、行き先表示は何も表示されていなかったです。

1967(S42)年から、1600形の代替えとして、開運号として走っていた当時は、ヘッドライトが上の部分にあり、車内はセミクロスシート、中間車にはトイレが1ヶ所あった。当時は非冷房車。1973(S48)年の旧AE車の登場により、ロングシート化され、トイレも撤去されていた。

1989(H元)年の更新・冷房改造により、現在のスタイル(窓下にヘッドライトあり)となっている。更新前は、他の3200形の更新前と同様に、めくり式の行き先表示が使用されていた。

京成の旧赤電塗装の復元のことで、1994(H6)年10月から翌年の1995(H7)年2月に廃車されるまでの、3050形3059Fを思い出しました。 当時は、改軌35周年記念で運転されていた。地元高砂在住の萩原清さんもこのことを良く知っている。

このリバイバル列車のほうは、京成上野~京成成田間1往復、ノンストップで運転されていた。
 こちらは、500名限定による事前応募制となっていたけど。

こちらは1月17日から営業運転に入っているけど、未だに乗ったことがないです。

リバイバル列車のHMは、上野寄りが電照式となっていた。

側面のドアの上には、指定特急の表示が再現されていたし。あとは号車番号表示も再現されていた。

この編成は、京成の通勤形車両で最後の片開き車となっている。 あとは2000(H12)年に廃車となった3150形3191Fも、旧AE車登場以前に特急開運号で使用されていた。こちらは1500形の代替の予備車となっていた。

1500形は、1952(S27)年5月1日に登場した車両で、当初は上野公園(現、京成上野)~京成成田間の有料特急で走っていた。 1963(S38)年に3191Fが登場した時には、一般車に格下げされていた。

この時には、撮影する人が多かったです。

萩原清さんは、千住大橋、京成高砂~京成小岩間などで撮影していたけど、マイカーで移動していた。

森敏英さんは、京成成田および宗吾参道で撮影していた。

京成成田到着後、宗吾参道まで引き上げられていたけど、このことで、昨年11月3日に運転された都営5200形のさよなら運転で千葉ニュータウン中央に到着した後、印西牧の原まで引き上げられていたことを思い出しました。

都営5200形のほうは、昨年12月20日に京急久里浜まで回送され、京急ファインテック久里浜事業所の委託により解体されていた。 

都営5200形の解体作業は、馬込の車両基地のほか、京急久里浜工場(現、京急ファインテック久里浜事業所)でも行われていた。

3200形の開運編成は、成田方より、3295、3296、3297、3298号車となっているけど、そのうちの3296号車にトイレがあった。

その他の3200形は6連2本残されているけど、こちらも3月までに廃車予定となっている。

3200形が全廃されれば、かつてのめくり式表示の面影が残らなくなる。

これを撮影した後、新3000形の3012Fによる普通京成津田沼行きで日暮里まで移動しました。 やはり時間の都合により回送列車の出発のシーンを見ることが出来なかった。

この後山手線で目白まで行き、一旦帰宅しました。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-30 11:46 | 鉄道車両・路線

あの後の活動。

この後、東陽町まで行き、ここから05系05-137Fで日本橋まで行きました。 この05-137Fは、2003(H15)年に導入された営団地下鉄最後の増備車の3編成のうちの1編成である。2003(H15)年、川崎重工業製。 こちらもやはり半蔵門線の08系がベースとなっていた。

半蔵門線の08系のほうは、6編成全てが日本車輌で製造されていた。

筆者が後にした13時30分頃、5009FにさよならHMが付いていたけど、横浜アリーナでの取引のために、それを撮影することが出来なくて残念に思いました。

銀座線では、01-126Fに乗車。 こちらは、2000系等の旧型車両の第二次置き換え計画に基づいて導入されていた。導入当時から冷房付き。

銀座線の01系は、1983(S58)年の試作車が登場し、翌年の1984(S59)年1月1日に営業運転開始。量産車の登場は、同年11月30日のことだった。翌年の1985(S60)年にローレル賞を受賞。 1987(S62)年まで01-123Fが導入。第一次置き換え計画で導入された編成は非冷房車だったけど。のちに冷房改造されていた。

冷房車の登場は、姉妹車の02系(丸ノ内線用)と同様に、1990(H2)年のことだった。 1988(S63)年から1989(H元)年に掛けて導入された02系の初期型車は、やはり登場当時は非冷房車だった。

今年の暮れには、上野~浅草間が開業してから80周年を迎えることになります。 

4月1日には、小田急線の新宿~小田原間が開業してから80周年を迎えるけど、盛大な行事が行われることが期待されている。あとは、旧3000形SE車の登場から50年を迎えることになるし。

銀座から新橋までは、歩行者天国を歩きました。昼食は新橋の吉野家(オレンジの看板でおなじみの国民的牛丼店)に行き、ここで牛丼を食べました。

吉野家(吉野家D&C)の牛丼は、アメリカ産牛肉が使用されているけど、BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)問題により、一時的にアメリカ産牛肉の輸入が中止されていたので、2004(H16)年2月11日を最後に、販売休止を余儀なくされていた。

現在は脳や脊髄と言った危険部位の使用が禁止されるなど、安全性が確保されるようになったので、アメリカ産牛肉の輸入が再開され、吉野家の牛丼の発売が再開されるようになった。
そのため、肉牛の飼料に肉骨粉を与えることが禁止されている。

昨年の10月1日~5日、11月1日~5日は、牛丼復活祭があったけど、昨年10月3日に築地店で久々に吉野家の牛丼を食べていたのである。 吉野家のほうは、築地市場の中にもあるので、市場の人にも愛されている証拠である。

現在は、11時~15時と言った昼時限定で牛丼が発売されている。やはり、輸入は再開されたものの、輸入量が限定されているのでこのような状態となっている。北海道地区では、24時間出されている。

肉のほうは、アメリカの加工工場で、厳しい環境基準の下で加工されている。 

吉野家の牛丼に使用される牛肉の部位は、ショートプレートというバラ肉の部分となっている。
 こちらはBSEの影響が少ないと言われている。

味噌汁のほうは、松屋とは違い、別料金(50円)となっている。

吉野家は、日本のみならず、アメリカ(ニューヨーク・カリフォルニア)、中国(北京・上海・深セン・香港)、台湾、フィリピン、シンガポール、オーストラリアなどの国(海外)にも出店されている。

昨年9月18日にも、吉野家の牛丼復活祭が行われ、100万食が出されていたけど、すぐに完売状態となっていた。 

新橋から川崎までは、211系(N4編成、クハ211-4F)で移動。 この日には、京浜東北線の大井町駅で人身事故があり、東海道線の列車にも遅れが出ていた。 
この編成は、セミクロスシート車で、グリーン車が113系から流用された2階建て車両に差し替えられている。

川崎から鶴見まで、京浜東北線のウラ4編成(クハ209-4F)で移動。 こちらのほうは、今年10月のE233系の登場により順次置き換えられる運命となっている。

209系900番台のうち、ウラ91編成(クハ209-911F、元901系B編成)は、営業運転から離脱され、東大宮に留置されている。

残りのウラ90編成とウラ92編成も運用離脱されるのも時間の問題となっている。

鶴見では、中央・総武緩行線から転用されたクハ209-515Fを見ることが出来ました。 こちらは窓の開閉改造により一時的に京浜東北線に入っていたことがあったけど、今回は、900番台の置き換え用として正式に浦和区入りしていた。同様に、513、514編成も京浜東北線入りしている。

こちらのほうは、E233系の導入後、京葉線に転用され、201系が置き換えられていくことになる。

京葉線のE331系のほうは、今年春営業運転開始予定となっているけど、1編成しかないために、出会えるチャンスが少ない。

鶴見駅から新横浜まで、市営バスも出ているけど、渋滞が懸念されているために、そのまま電車で移動。

鶴見から東神奈川までは、ウラ29編成(クハ209-30F)で移動。

東神奈川から新横浜までは、横浜線の快速で移動しました。この時に乗った編成は、H3編成(クハ205-63F)。 昨年3月18日に横浜線の快速が菊名に止まるようになってから初めて乗りました。 なので東神奈川~新横浜間の通過駅は大口のみとなっていた。

新横浜に到着した後、会場の横浜アリーナ前まで行きました。

横浜線の新横浜駅は、東海道新幹線と同様に、1964(S39)年10月1日の開業。 開業当初は駅周辺には何も無く、新幹線側では、こだま号しか停車しなかった。

ひかり号の停車化は、1976(S51)年7月のことで、この頃から駅周辺の開発が行われるようになる。

現在は、ひかり号やのぞみ号のほとんどが停車する状態で、山陽新幹線直通ののぞみ号は全て新横浜停車となっている。

新横浜駅では、駅ビルの建設工事が進められているけど、こちらは来年(2008年)に開業することになっている。 これは、地上19階・地下4階建てとなり、高島屋やビックカメラなどが入るほか、ホテルも入ることになっている。

JR横浜線の新横浜駅は、JR東海管理の北口と、JR東日本管理の篠原口に分かれているけど、Suicaチャージのほうは、篠原口側でしか出来ないことになっている。

篠原口からは、地下の連絡通路で北口(表口)のほうまで行くことが出来、空いているので、裏口となっている。

新横浜駅周辺には、新横浜ラーメン博物館があるけど、1994(H6)年3月6日のオープン以来大盛況となっている。ここでは、昭和30年代の街並みが再現され、ここで各地のラーメンを食べることが出来る。

関内駅付近にある横濱カレーミュージアムのほうは、残念ながら今年3月31日に閉鎖されることになっている。このことで、折角あるカレーのテーマパークなのに閉鎖は勿体ないなと思いました。

横浜アリーナは、1989(H元)年4月1日に開業した多目的イベントスペースで、麒麟麦酒、横浜市、西武鉄道からの出資の第三セクターとして設立されていたのである。

こちらは、面積8000平方m、最大収容人数は1万7000人で、大物アーティストによるコンサートのほか、格闘技などのスポーツなどのイベントにも使用されている。

こけら落としは、ユーミンこと松任谷由実女史の公演(KIRIN&MITSUBISHI MIRAGE PRESENTS YUMI MATSUTOYA Delight Slight Light KISS TOUR)となっていた。

あとは、1月に横浜市主催の成人式も行われている。

筆者が横浜アリーナの存在を知ったのは、1999(H11)年8月20、21日に行われたSPEEDのコンサートだったのである。 筆者は8月21日(土)に行っていたけど、アリーナAブロックで、隙間にSPEEDのうちわを落としてしまったという悲劇があった。 その後にここでは言えないトラブルが起こり、現在のモーニング娘。のファンに緊急乗り換えを行ったことがあった。

当時はSPEEDの島袋寛子(hiro)、上原多香子両女史を推していた。SPEEDのコンサートのほうは、同年12月の東京ドーム公演にも行っていた。

その直後の1999(H11)年8月23日には、横浜アリーナでハロー!プロジェクトの夏のコンサートが行われていた。

筆者がモーニング娘。1推しにシフトされた時点では、安倍なつみ・矢口真里両女史(なちまり)を推していたので、ダブルで推していたことが踏襲されていた。 現在は道重さゆみ・久住小春両女史を推しているけど。

筆者が横浜アリーナで初めてハロー!プロジェクトのメンバーを見たのは、2001(H13)年4月7日に行われたモーニング娘。のコンサートだった。

ここで、法事のために行かれなくなった28日の昼の部のチケットを渡すために、Mixiで知り合った岡崎市在住の某会員(モーニング娘。の道重さゆみ女史およびBerryz工房の嗣永桃子女史)を推している)と出会いました。 彼は、その友人の車で来ていたけど、渋滞により到着が遅れていた。 東西線のイベントで早退していたのはそのためだった。

Mixiのほうは、友人からの招待を受けなければ参加出来ないコミュニティサイトとなっている。 筆者のほうはもちろん応援団体の某団員からの招待で入会していた。

この後、横浜線で菊名へ。編成はH7編成(クハ205ー67F)。 

菊名駅は、昨年3月17日まで快速通過駅となっていたけど、18日から快速が停車するようになってからは良くなりました。 やはり利用客が多いのにも関わらず、快速通過ということでクレームが来ていた。筆者のほうもダイヤ改正が行われる度にそう思ってたけど、それが実現してよかったと思っています。 奥野さんもそう思ってたのである。

快速の長津田駅の停車化も、1994(H6)年12月3日からと出遅れていたし。

菊名から渋谷までは、5050系の5157Fの急行で移動。 5050系は、2004(H16)年4月1日にデビューした車両で、同年1月30日をもって廃止された横浜~桜木町間に入っていない車両となっている。 

現在は、5165Fまでの15編成が導入されているけど、来年度も残りの8000系の置き換え用としても導入されることになっている。

8000系は、昨年9月25日のダイヤ改正以降、基本的に平日の朝ラッシュ時しか入らない運用となってしまったので寂しさを感じました。

現在残っている8000系は、8017、8019、8039Fとなっている。

この時に乗った急行は、混雑していて大変でした。

渋谷駅に到着した後、東急旧5000系5001号車を見物し、山手線で新宿まで移動しました。

勤務終了後、大塚での私鉄部会の2次会会場に行こうとしていた時には、誰もいませんでした。この日は、二次会が中止となっていた。

東急東横線の渋谷駅が副都心線接続に伴う地下化された後、地上ホームが撤去されることになるけど、その跡地には、埼京線・湘南新宿ライン用のホームが移設されることになっている。 これにより、新南口が陸の孤島となってしまう。

東急東横線の横浜~桜木町間が廃止されてから、1月30日で早3年経ったのである。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-30 10:06 | 鉄道乗車記

東西線のイベント

1月27日は、東京メトロ東西線の深川車両基地で行われたさようなら東西線5000系車両撮影会&工場見学会に行きました。

ルート 目白~高田馬場~東陽町…深川車両基地…東陽町~日本橋~銀座…新橋~川崎~東神奈川~新横浜~菊名~渋谷~新宿~大塚~目白
まずは、山手線で高田馬場まで行き、高田馬場から東陽町まで、05系の05-130Fで移動しました。この編成は、前回のイベント(一昨年の1月22日)で、入場車両として展示されていた編成でした。当時は休憩用車両としても解放されていた。以前東西線では5000系が当たり前のように走っていたけど、現在は2編成のみで寂しさを感じました。東陽町に到着した後、会場に向かいました。

深川車両基地は、1967(S42)年9月14日の大手町~東陽町間の開業と同時に開設された車両基地で、車両工場も併設されています。

9月14日と言えば、モーニング娘。の高橋愛女史の誕生日でもあります。高橋愛女史は、1986(S61)年9月14日生まれで、その生誕当日は都営地下鉄新宿線の船堀~篠崎間(江戸川区の地下区間)が開業した日でもある。

因みに東西線が開業したのは、1964(S39)年12月23日の高田馬場~九段下間で、当初は九段下付近の搬入口から吊り降ろされていた。

12月23日といえば、天皇誕生日で、モーニング娘。の亀井絵里女史(1988(S63)年生まれ)の誕生日でもある。

あとは、柘植の飛猿さんがハロプロ以外で推している、シンガーソングライターの東真紀女史(1976(S51)年生まれ)の誕生日でもある。

筆者は、2005(H17)年9月4日に新宿の高島屋タイムズスクエア内にあるHMVでの東真紀女史のイベント(シングル、向日葵発売記念)に行ったことがあり、ここで柘植の飛猿さんとお会いしたことがある。

東真紀女史の向日葵と言うことで、東急電車に広告があったことを思い出しました。

深川検車区はメインの車両基地で、行徳検車区(妙典駅から分岐)は、サブとなっており、5000系の解体作業はここで行われていた。

行徳検車区は、1969(S44)年3月29日の西船橋までの開業と同時に、下妙典留置線として開設されたのが最初であり、1981(S56)年8月1日に行徳検車区となる。

現在行徳検車区では、車輪の転削、車両清掃が行われている。

前回深川検車区でイベントが行われた時は、2005(H17)年1月22日のことで、当時は東西線開業40周年&妙典駅開業5周年記念イベントとして盛大に行われていた。

当時の展示車両は、5000系(5016F、開業当初の花電車が再現)、5000系アルミ試作車、初期型05系(05-104F)、05系アルミリサイクルカー(05-124F)、新05系(05-142F)となっていた。

5016Fは、昨年に廃車となり、インドネシアに輸出されている。

入場の時に行列が出来ていたので、ここで待たされていました。

入場の時には、これまでの東西線の歴史が書かれたポスターギャラリーの入ったパンフレットをもらいました。

まずは、工場部分の見学から。 この時に台車などの部品が展示されていたので、車両工場らしい風景が広がっていました。

この時に展示されていた編成は、入場中の05-135Fで、半蔵門線用の08系と同じ仕様で導入されていました。

入場中だったので、座席やクーラー、パンタグラフが外されていました。

工場棟内では、ミニ電車の運転や、鉄道模型のレイアウトがありました。

ここを出た後、なつかしの開業ポスター展が行われていました。

1964(S39)年12月23日に高田馬場~九段下間が開業した当時は、5000系による3両編成だった。当時は3両編成6本の18両からスタート。 開業当時に在籍していた5001~5006Fのほうは既に全廃となっている。

1966(S41)年3月16日に中野~高田馬場間および九段下~竹橋間が開業した時点では、国鉄(現JR線)との直通運転が行われていなかった。7両編成による運転はこの年から開始され、1次車も7両化されていた。

同年4月28日には、中野~荻窪間の複々線化に合わせ、国鉄線荻窪への直通運転が開始されていた。当時は、荻窪~竹橋間、営団5000系による片乗り入れだった。当時は荻窪行きまたは竹橋行きの表示も見られていた。

10月1日には、竹橋~大手町間の開業により、国鉄車(301系)も参入し、相互直通運転が開始されていた。

1967(S42)年9月14日の東陽町までの延長により、深川検車区および深川工場が新設。

当時は、越中島貨物駅との間に連絡線があり、5000系や6000系試作車の搬入が行われていたことがあった。

あとは、国鉄301系の深川検車区への入庫運用もあった。

1969(S44)年3月29日に、東陽町~西船橋間が開業した時点では、直通運転区間が荻窪までのままとなっていた。10両編成の運転が開始。

同年4月8日には、荻窪~三鷹間が複々線化されたことにより、中央線との直通運転区間が三鷹まで延長。同時に、津田沼まで営団車による片乗り入れで行われるようになった。

津田沼への国鉄車の乗り入れ開始は、1972(S47)年4月8日のこと。それに備えて、103系1200番台が導入されていた。

これを見た後、メインの車両撮影会場へ。

この時に展示されていた車両は、07系(07-103F)、新05系(05-143F)、初期型05系(05-102F)、5000系(5009F)、5000系アルミ車(5150F)で、行き先表示は、07ー103Fは九段下、05-143Fは西船橋、05-102Fは快速中野、5009Fは東陽町、5150Fは快速西船橋となっていました。

車内に入ることが可能な編成は、07-103Fと5150Fで、07系では、運転士による鉄道教室、5000系アルミ車では、昔の写真展示が行われていた。

ここで撮影した後、07系の車内へ。 この車内は、有楽町線在籍時とは変わっていなかったです。有楽町線時代の末期には05系タイプの座席に変わっていた。

07-103~106Fは、1994(H6)年に有楽町新線(小竹向原~新線池袋間)の開業と同時に増備された(日本車輌で製造された)編成で、4編成共に東西線への転用対象となっている。

07-103Fは、昨年11月8日に営業運転開始。 現在では07-104Fも営業運転入りしているけど、現時点ではJR線に乗り入れることが出来ないため、朝ラッシュ時中心の変則運用となっている。このことは、3月18日のダイヤ改正で解消されるかどうか微妙である。

07-105Fは、現在深川工場入場中で、黄帯から水色帯への張り替えが行われている。

東西線に転用された07系は、新05系と同じ左手操作式のワンハンドルマスコンに交換されている。

東西線に転用された07系を生で見たことならびに車内に入ったのは今回が初めてでした。

05-143Fは、2004(H16)年に導入された05系のラストナンバーで、東葉高速の2000形と同じA-train仕様で導入されていた。 

05系のほうは、2005(H17)年度にも導入され、残りの5000系が置き換えられるはずだったけど、有楽町線への10000系の導入により捻出された07系が転用されることになったので、05系の導入が05-143Fをもって打ち止めとなっていた。

そのため、05系のA-train仕様としての導入が05-140~05-143Fの4編成のみとなってしまった。 前回のイベントで展示されていた05-142Fも同じ仕様である。

5009Fは、1966(S41)年3月の中野~高田馬場間、九段下~竹橋間の開業と同時に導入されていた編成であり、導入当初は7両編成だった。

こちらは、5016、5017Fが廃車、インドネシアに輸出された後、東京メトロのセミステンレス車最後の砦となっている。 こちらは、今年3月まで運転されることになっている。3月17日のダイヤ改正をもって営業運転から離脱される確率が高い。

5150Fは、1966(S41)年にアルミ試作車7両編成3本21両導入されたうちの10両である。

10両化により、5150Fが10両固定編成、5151、5152Fは、5+5の10両編成となっていたけど、1999(H11)年に分割・3両編成化により千代田線北綾瀬支線に転用されていた。 

この時に余剰となった中間車1両(5453F)のアルミニウム部材が、05-124Fにリサイクルされていた。

5150Fの車内では、山澤さんと合流しました。筆者が山澤さんと会ったのは、昨年11月25日の秩父鉄道撮影ツアー以来2ヶ月ぶりだった。

昔の写真には、昨年10月に公開された映画『地下鉄(メトロ)に乗って』の撮影のために、300形をイメージしたラッピングに変更された5150F、千代田線を走っていた5000系など、懐かしの写真が展示されていました。

このうち、千代田線を走っていた頃の5000系が、103系1000番台や455系急行(赤電)との並んでいた写真もありました。

455系急行は、1985(S60)年3月の改正で常磐線から全廃となっている。

この5150Fのほうは、今月末に営業運転から離脱される予定となっているけど、このイベントがこの時期に行われていたのは、そのためである。

5009Fのほうは、運用離脱後、インドネシアに輸出されることに決まっているけど、5150Fは
解体される予定となっている。 

東京メトロ5000系のほうは、以前しなの鉄道に譲渡される計画があったけど、現在は中止され幻のものとなっている。 その代わりに5009、5016、5017Fが、東葉高速1000形の1006、1008、1009Fと共にインドネシアに輸出されている。

東葉高速鉄道で最後まで残った1000形の1006Fは、12月3日の52T運用で東葉高速での運用が終了し、翌日の12月4日の79S運用をもって深川検車区に送り込まれ、最後の花道を飾っていた。

九段下行きのほうは、平日に限り、メトロ車2本および東葉車1本のみ設定されている行き先で、九段下駅の飯田橋側の留置線に入る運用となっている。

深川工場では、メトロの車両のみならず、東葉高速鉄道の車両の整備も行われることになっている。

深川検車区には、東葉高速鉄道の車両が、逆に東葉高速鉄道の八千代緑が丘の車両基地(八千代緑が丘検車区)にメトロ車が入庫することもあるけど、以前のように、深川検車区にJRの車両が入庫することはよっぽどのことがない限り無い状態である。

2003(H15)年3月には、デビュー前のJRのE231系800番台が、営団への貸し出しのために、深川検車区に入庫していたことがあった。

行徳検車区なら、E231系800番台が1本留置されることがある。 平日にJR車による妙典行きが1本設定されているのはそのためである。 このことは、妙典駅が出来る前の行徳行きの時から行われていた。

行徳検車区は、2000(H12)年1月22日に妙典駅が開業する前は、行徳駅から分岐していたので、当時は行徳行きも運転されていた。

このことは、2004(H16)年3月13日、JR仙石線で、仙台車両センター宮城野派出所(旧宮城野電車区)への分岐駅が、苦竹駅から小鶴新田駅(新規開業)へとバトンタッチされていたことと同様である。

JR仙石線と言えば、今年3月に、103系のRT-235編成(クハ103-235F)が、トイレ取り付け、シングルアームパンタグラフ化などの改造により営業運転に復帰することになっている。

こちらは、多賀城駅付近の高架化工事により、多賀城での折り返しが不可能となり、東塩釜まで延長されることによる予備車確保のために復活したのである。

この日は、山澤さんのほか、高石さん、黒岩さん、森敏英さん、柘植の飛猿さん、萩原清さんとも会いました。

アルミ車5150Fの横には、スタンプ台があり、ここでスタンプを押しました。

ここでは、深川らしく、深川めしを食べました。 

江戸時代末期に、隅田川の河口辺りで、あさりが採れたということで、深川の漁師さんが食べ始めていたということで名付けられている。

これには、あさりが入っていたので、20日に千葉駅で買った漁り弁当を思い出しました。

深川江戸資料館前(江東区の清澄白河駅付近)では、深川めしを食べることが出来る深川宿がある。

05-135F=1日4回車体の吊り上げ実演が行われていたけど、筆者は2回目を見ました。

一通り見た後、第二会場へ。ここでは、日の丸リムジンのスカイバス東京(オープンデッキの2階建てバス)、深川警察署の軽パトカー(ダイハツミラベース)、深川消防庁の消防車(日野製)が展示されていました。

スタンプラリーの景品交換は、ここで行われていたけど3種類あったうちの手ぬぐいをもらいました。

ここでは、鉄道部品の販売、記念1日乗車券も売られていたけど、1日乗車券を購入する列が凄かったです。 筆者は今回買わなかった。

スカイバスのほうは、ドイツ・ネオプラン社製で、三菱ビル前 → 皇居(大手門)→ 国立近代美術館 → イギリス大使館 → 国立劇場→ 最高裁判所 → 国会議事堂 → 霞ヶ関(各省庁)→ 銀座 → 東京駅丸の内、三菱ビル前
(コースはすべて車中よりの見学となります、所要約45分)

というルートで運転されることになる。

料金は1200円で事前に三菱ビル前のチケットカウンターで購入することになる。

こちらは2月18日の東京マラソンの日は全便運休となる。

この時に展示されていた車両は、練馬200か・365で、板橋区小茂根にある板橋車庫がベースとなっている。

この二階建てバスは、以前お台場の無料循環バスであるベイシャトルで使用されていたことがあった。 二階建てバスだと、乗降時間がかかることや、車いすスロープ板等の装備が無いことにより、ノンステップバスのみの運行に戻されていた。

こちらは2階建て部分の一部がオープントップに改造されているので、オープンカーに乗ったのと同じような感覚でクルージングを楽しむことが出来る。

悪天候の時は、レインコートの貸し出しサービスがあるけど、やむを得ない時に運休することもある。

これには、YOKOSO!JAPANのロゴも入っていました。

土曜日には、レインボーブリッジ・お台場への夜景を眺めるコースも運行されている。

パトカーの展示は、昨年9月30日の新木場でのメトロイベントの時でも行われていた。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-29 12:26 | 鉄道イベント

東京メトロ副都心線

来年6月に池袋~渋谷間に開業予定の東京メトロ13号線の路線名が、東京メトロ副都心線に決まったという情報が入ってきました。

駅名のほうも、渋谷~明治神宮前~北参道~新宿三丁目~東新宿~西早稲田~雑司が谷~池袋に決定していた。

小竹向原~新線池袋間の有楽町新線も副都心線となり、要町、千川にも停車するようになる。新線池袋~小竹向原間の有楽町新線は、既存の有楽町線の下を走るので、既存の有楽町線ホームの下に副都心線用のホームが新設されることになる。やはり池袋、新宿、渋谷の三大副都心を結ぶ路線ということで副都心線となったのである。

有楽町線の和光市~小竹向原間も、副都心線となり、有楽町線との共有区間となる。 こちらは、東急東横線の田園調布~武蔵小杉(来年3月からは日吉まで延長)と同じような関係となる。

あとは、東京メトロ南北線の白金高輪~目黒間も、都営三田線との共有区間となっているし。

池袋駅は、言うまでもなく、既存の新線池袋駅から発着。こちらは、西口の丸井前の地下にあるのでやや不便である。

副都心線の雑司が谷駅は、都電荒川線の鬼子母神前電停付近に新設されることになるので、雑司ヶ谷電停の名称がどうなるのか気になります。目白駅から徒歩約15分掛かる
ここからは学習院大学、東京音楽大学へも近い。

地下鉄の開業と同時に道路も整備されることになる。

西早稲田駅は、正式採用された駅名で、戸山公園や心身障害者福祉センターへの最寄り駅となる。こちらも高田馬場駅へは徒歩約15分掛かるけど、東京メトロ東西線への乗り換え駅としては指定されていない。

この駅前には、早稲田大学理工学部、都立戸山高等学校、学習院女子大学、女子中・高等科があるので、これらの通学にも便利になる。

東新宿駅は、都営大江戸線への乗り換え駅で、仮称時点では、新宿七丁目となっていた。 この駅には、急行運転に対応するために待避線が設けられることになる。 ここだけ上下式で建設されるのはそのためである。ここから新大久保や西武新宿まで歩いて行くことも可能。

周辺にある新宿文化センターは、1979(S54)年に、都電の大久保車庫の跡地に建設された多目的ホールとなっている。

新宿区役所周辺にある遊歩道は、都電の線路(専用軌道の)跡となっている。

新宿三丁目駅は、伊勢丹前の地下に出来る予定で、丸ノ内線、都営新宿線と連絡。 昔はここの路上に京王線(京王電気軌道)の新宿追分電停があった。
ここには、池袋寄りに東急線からの列車の折り返し用の線路も設けられることになる。

丸ノ内線の新宿御苑前駅の改札が新宿駅寄りに移設されたのはそのためである。

伊勢丹は、1886(M19)年に、 初代小菅丹治氏により、神田旅籠町(現在、東京都千代田区外神田・秋葉原駅前)に伊勢屋丹治呉服店として開設されたのが最初である。日本の百貨店の老舗である三越(越後屋呉服店)と同様に呉服店から始まっていた。

伊勢丹の由来は、伊勢屋丹治呉服店だったのである。

関東大震災が発生した時に、神田店が消失し、百貨店として再建されていたけど、1933(S8)年には、本店が現在の新宿に移転されていた。

新宿の三越は、アルコットという専門店街に変わっている。

横浜のヨドバシカメラは、2005(H17)年11月、横浜三越の跡地にマルチメディア総合館として開設されていた。 それ以前は西口の横浜駅前店、AV・家電総合館があった。横浜駅前店のうち、1階部分は、ケータイワンセグ館という携帯専門フロアーとなっている。

今年5月には、吉祥寺の三越(元をただせば近鉄百貨店東京(吉祥寺)店)の跡地にもヨドバシカメラのマルチメディア総合館が開設される予定となっている。

吉祥寺の三越は、2001(H13)年開設後、昨年5月7日に閉店していた。ここには大塚家具のショールームもあった。

ヨドバシカメラのテーマソングは、、「リパブリック讃歌」(The Battle Hymn of theRepublic、通称「友だち讃歌」)の、替え歌が使用されているけど、各地によってアレンジされている。

北参道駅は、仮称時点では新千駄ヶ谷となっていた。こちらはその名の通り、明治神宮の北参道への最寄り駅となる。ここからは代々木駅が近い。

明治神宮前駅は、既存の千代田線との連絡口 原宿の竹下通りの東側のアクセス駅ともなり、JR山手線の原宿駅へも近い。駅前には、ラフォーレ原宿がある。

地下鉄銀座線の表参道駅は、1938(S13)年11月18日に東京高速鉄道(現在の銀座線の前身)として開業した時点は、青山六丁目駅と呼ばれていた。 翌年の1939(S14)年には、明治神宮への最寄り駅として「神宮前」駅に改称されていた、

1972(S47)年10月20日に、千代田線に明治神宮前駅が開業した時に、神宮前ということで紛らわしい状態となっていた。

1978(S53)年8月1日に、半蔵門線の渋谷~青山一丁目間の開業および千代田線との接続化を期に、現在の表参道駅に改称されていた。

東京メトロの駅で、駅名が2度改称された駅は、表参道駅だけとなっている。

1986(S61)年9月27日から1988(S63)年3月31日まで、「METRO-LUNCH PAC-CIKA」という地下鉄で唯一の駅弁が発売されていたことがあった。 こちらは、当時放映されていたテレビ朝日の番組「愛川欽也の探検レストラン」で企画されていた。

小淵沢駅の駅弁である「元気甲斐」も、「愛川欽也の探検レストラン」で企画されていた。

東京メトロとなってから2年目となった2005(H17)年12月2日には、表参道駅構内に、「Echika表参道」が開設されたことで話題となっている。

千代田線の明治神宮前駅では、建設中にナウマン象の化石1頭分が発掘されたことがあった。

渋谷駅は、東口の地下に新設される駅で、半蔵門線、東急田園都市線との直結駅となる。 こちらは、2012年度中に東急東横線とも結ばれることになり、第二の湘南新宿ラインの役割を果たすことになる。 このため、東急東横線の渋谷~代官山間が、副都心線に接続する地下新線に切り替えられることになる。これによって、東急東横線の渋谷の地上駅も、副都心線との直通運転が開始される暁には、役目を終えることになる。

その跡地には、埼京線、湘南新宿ラインのホームが移設されることになる。これによって、不便な状態から解消されるけど、新南口が陸の孤島状態となってしまうことになる。こちらは、1977(S52)年4月7日の新玉川線(現在の田園都市線の一部)の開業から半蔵門線が開業した1978(S53)年8月までの間と同じような状態となる。

副都心線の渋谷駅は、2面4線の駅となり、東急電鉄による管理駅となる。東急東横線が乗り入れる時までは離れ孤島の状態。 

半蔵門線の10、11番出口が閉鎖されているのは、副都心線の建設工事の一環である。

東京メトロの車両については、新都心線用として大量に増備される新型の10000系(昨年9月1日に有楽町線でデビュー)のほか、従来型の7000系も使用されることになる。

これらの車両は、有楽町線と共通で使用されることになるけど、ホームドアに対応出来ない07系車両においては、この時までに有楽町線から撤退することになっている。07系の一部が東西線に転用されていたのはそのためである。

東武では9000系、9050系、50000系の地下鉄直通バージョン、西武では6000系のほか、地下鉄直通バージョンの新型車両が使用されることになっている。

東武9000系、西武6000系は、大幅に改良されることになるけど、後者の西武6000系では、6103、6107Fが副都心線乗り入れ対応に改良されている。

都営地下鉄では、新宿線を除いた路線が正式名称のままで開業していた。 都営浅草線は都営1号線、都営三田線は都営6号線、都営大江戸線は都営12号線。

浅草線、三田線の路線名は、1978(S53)年7月1日に採用されていたけど、この時点で同年12月21日に開業した都営10号線の名称が都営新宿線となっていた。

営団地下鉄(現東京メトロ)の路線は、全路線開業前から路線の愛称名が決定している。

東京メトロのほうは、副都心線(13号線)の建設をもって地下鉄建設から撤退することが表明されているので、東京メトロで最初で最後の新線建設となる確率が高い状態となっている。

この路線は、渋谷~池袋間の山手線の各駅(原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場、目白駅)からも歩いていける距離にあるので、山手線や埼京線、湘南新宿ラインの混雑緩和はもちろんのこと、これらの路線が不通となった時の代替手段としての役割を果たすことになる。

2月10日には、西武の小手指の車両基地で初の一般公開が行われる予定となっています。

2004(H16)年1月30日に東急東横線の横浜~桜木町間の廃止ならびに同年2月1日のみなとみらい線の開業から今年で3周年を迎えることになる。早いもんです。

当時は東急東横線の渋谷駅で桜木町行きの列車を撮影していたけど、東横線の渋谷駅地上ホームもやがて過去のものとなる。

同年1月25日には、モーニング娘。の初代1推しメンバーだった「なっち」こと安倍なつみ女史が、この日のハロプロ公演でモーニング娘。を卒業していた。筆者はこの公演を見に行っていたけど、当時1推しメンバーだった紺野あさ美女史が病欠していたという残念な出来事があった。その代わりに当時の2推しメンバーだった田中れいな、道重さゆみ両女史をメインに応援していたのである。

当時横浜アリーナに行く前、埼玉高速鉄道の浦和美園から東急東横線の桜木町までパスネットを使って縦断していたことがあった。 

みなとみらい線の直通列車は、2月3日に日比谷線直通、17日に埼玉高速鉄道線直通、3月3日に都営三田線直通が運転されるけど、3月10日から公開される「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」とのタイアップとなり、ヘッドマークにドラえもんが描かれることになる。

横浜アリーナでのハロプロの公演は、1月27、28日に行われる予定で筆者は28日の夜に行くことになる。

この時に、カントリー娘。からあさみ、みうな両女史が卒業してしまうことになる。

この後、モーニング娘。を見られる時は、2月4日の光井愛佳女史との握手会に出るメンバー3人を除き、5月6日のさいたまスーパーアリーナでの公演の時までお預けとなってしまう。 

2月4日は、品川ステラボールで、モーニング娘。の新メンバー(8期メンバー)のミッツィーこと光井愛佳女史のFC限定握手会が行われるけど、この時に現リーダーの吉澤ひとみ女史と、先輩メンバーとなる久住小春女史も出てくることになる。 筆者は久住小春女史も推しているのでちょうどよかったです。

光井愛佳女史は、1993(H5)年1月12日生まれで、滋賀県の大津市出身である。 大津市出身ということで、レールウェイライターの種村直樹氏と同郷である。

あとはテツandトモ(お笑いコンビ)のメンバーのテツこと中本哲也氏(ツッコミ担当)の出身地でもあるけど、こちらは、元滋賀郡志賀町出身となっている。
滋賀郡志賀町は、昨年3月20日に、大津市に吸収合併されている。

因みに、テツandトモのもう一人のメンバーであるトモこと、石澤智幸氏(ボケ担当)は、山形県山形市出身である。

テツandトモと言えば、なんでだろうで有名となっている。

大津市は、日本最大の湖である琵琶湖の南西部に位置している。 


この光井愛佳女史の握手会イベントは、2月17日に名古屋と大阪でも行われることになっているけど、残念なことに、樋口君は不参加ということになる。

その代わり、4月30日に名古屋センチュリーホールで行われるモーニング娘。のコンサートに行くことになるけど、昨年10月9日の石川厚生年金会館(金沢)以来半年ぶりにモーニング娘。を見ることになる。

樋口君は、昨年11月26日に、Zepp Osaka(コスモスクエア駅付近)で行われた石川梨華女史率いる美勇伝のコンサートを見に行っていたけど、1年ぶりだったと言っていた。

3月下旬には、モーニング娘。のハワイツアーが行われる予定だけど、樋口君はだめ押しで申し込むと言っていたし。

その前には、樋口君が2月3日から5日に美勇伝の台湾ツアーに行く予定となっている。

美勇伝の台湾ツアーは、筆者が所属している応援団からは、神奈川県在住の2名が参加する予定。

神奈川県といえば、石川梨華女史の出身地であり、横須賀がホームタウンとなっている。

モーニング娘。のハワイツアーのほうも筆者が行く予定は無いけど、筆者が所属している応援団からは数名の参加表明がある。

昨年3月に仙台に同行していた某応援団員のLK氏のほうは、2004年の8月にハワイツアーに行っている。当時は樋口君は参加していなかった。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-25 16:25 | 鉄道車両・路線

東急バス黒06

目黒駅から三軒茶屋まで、東急バスの黒06系統で行きました。この路線は、昨年9月28日に乗っているので一部レポートは割愛します。

この時に乗った車両は、下馬営業所所属の富士重工+日産ディーゼル(UD)の中型車(KC-RM211GSN)で、番号は、SI-1545(品川22か55-48)となっていました。こちらは1996(H8)年式。

その前には、黒09系統(同じ下馬営業所)の同型車が止まっていました。 黒09系統は、目黒駅から中目黒駅経由で、野沢龍雲寺まで行く路線となっている。 この他には、中目黒折り返しの中目01系統もある。

この中型車は、これらの路線のほか、渋33系統(渋谷駅~多摩川駅線)、渋34系統(渋谷駅~東京医療センター線)で渋谷駅にも乗り入れてくることもある。

これらの下馬のUD中型車には、弦巻営業所から転属してきた車両も含まれている。

あとは、同型車が、池上営業所(蒲01系統(蒲田駅~六郷土手間)用)、新羽営業所(綱74系統、綱島駅~町内会館前~新羽駅間用)にも配置されている。

綱74系統は、一昨年2月16日に開設された路線で、狭い道を走る区間があるために中型車限定運用となっており、いすゞ、三菱、日野の中型車も使用されることもある。あとは、日野ポンチョも予備として使用されることもある。

目黒駅前では、都営バス品川営業所所属の日野車による東98系統(東京駅南口発目黒駅経由等々力行き)を見ることが出来ました。 車番は、A-L639(品川200か・977)で、2003(H15)年10月1日に行われたディーゼル車排出ガス規制に伴う旧型車の置き換え用として導入された車両となっている。

こちらは、目黒駅以西および等々力に乗り入れる唯一の都営バスの路線となっており、東急バス目黒営業所との共同運行となっている。

逆に、東急バスで唯一東京駅に乗り入れる路線となっているけど。

元競馬場前バス停を出た後、狭い道に突入。 

この路線は、戦前に開設された品川~目黒~祐天寺間のバス路線で、品川~目黒間が、1942(S17)年に東京市(現在の東京都)に譲渡されていた。

あとは、祐天寺駅~獣医学校(日大生物資源科学部の前身)にもバス路線があり、のちのこの路線が統合されて三軒茶屋まで延長されたのが、現在の黒06系統である。

2002(H14)年7月16日に下馬営業所に移管される前は目黒営業所の所属。

狭い道では、車との行き違いのために停車していたところもありました。 バス同士のすれ違いのほうは、決められた場所でしか行われないけど、バスが遅れた時の最大のネックとなっている。

元区立五中バス停付近では、目黒営業所所属の渋71系統の日野の中型車(M1441、品川22か53-15)とすれ違いました。 こちらは、1995(H7)年式と古いので今後の動向が気になっています。こちらは、同じ渋谷駅東口発着の渋72系統(渋谷駅~目黒不動尊~五反田駅間)と共通となっている。黒06系統の目黒営業所時代もこのような車両が使用されていた。

かつて東急バスでは、中型車は8年程度の使用と決められていたけど、現在はそれよりも長く使用されている状態である。

五本木一丁目バス停付近には、東急バスの下馬営業所があるので、これに近い下馬営業所に移管されたということも運行の効率化の一環だと思われます。

三軒茶屋駅前に到着。ここでは、渋12系統(渋谷駅~二子玉川駅間)の日野車、高津営業所所属TA1631、川崎22か16-19)を見ることが出来ました。 こちらは、1969(S44)年5月に廃止された玉電のルートを走るバスだけど、一部東急新玉川線(現在の田園都市線の一部)のルートを通らない新道経由のこの系統が残されていた。

3月18日からPASMOが使える東急バスは、淡島、下馬、弦巻、高津営業所の路線となっている。

三軒茶屋駅の世田谷線のホームに移動し、ここで310Fの花電車を撮り直しました。

この後、キャロットタワーの展望台に上がりました。 ここでは、夜景を見ることが出来ました。 東急世田谷線の電車のほうは、ミニチュア電車のように見える状態である。

ここの地下1階にある不二家洋菓子店のほうは、ご存じの通り、トラブル発生により閉店状態となっていました。

三軒茶屋から渋谷までは、東武50050系の51055Fで移動しました。 渋谷から新宿までは、快速大宮行きで移動。

この日は、川越線で発生した踏切事故により、大宮~川越間が終日運休となっていたので、快速を含めて大宮折り返しとなっていた。そのために、快速大宮行きが運転されていた。

新宿から目白までは山手線で帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-25 16:15 | バス乗車記

常磐線撮影ツアー2

柏駅からは、203系で南柏まで戻りました。乗った編成はマト52編成(クハ203-2F)で、1984(S59)年に103系1000番台の置き換え用として導入された量産車の第一号である。

柏駅のほうは、以前各駅停車(緩行線)しか止まらなかった駅で、1971(S46)年4月20日の複々線化以降もこのような状態が続いていた。

翌年の1972(S47)年10月2日には、快速ホームが増設され、快速が停車するようになる。
 1980(S55)年10月1日には、客車列車以外の普通列車(現在の快速)も停車するようになった。 当時常磐線では客車による普通列車が運転されていた。

柏駅といえば、1972(S47)年6月28日に、国鉄初の自動改札機が導入された駅として有名である。

SuicaのようなICカードの場合は、出さずにかざすだけなので、面倒ではなく、取り忘れおよび間違って取られるような心配が無い。

柏駅の南口は、1987(S62)年2月20日に、東西自由通路として開設。 南口への改札口の新設は、東武が1992(H4)年4月23日、JRが1999(H11)年4月8日。 改札が増設されたことで混雑が緩和されていた。 中央口と南口の間は、自由通路でも結ばれている。

1998(H10)年7月12日には、常磐線の快速ホームが3m拡幅されていた。 現在は、つくばエクスプレスの開業により減少傾向にあるけど、当時は混雑が慢性化していた。

柏駅=西口には柏高島屋ステーションモール、東口にはそごう、ビックカメラがある。 ビックカメラとそごうの組み合わせと言えば、同じ東武野田線の終着駅である大宮駅を思い出します。

有楽町のビックカメラは、有楽町そごうがあった場所となっている。

柏高島屋ステーションモールには、bayfmのSTUDIO K・WESTT(ラジオサテライトスタジオ)があり、ラジオの収録が行われることがある。

柏駅への特急停車は、1986(S61)年11月1日から開始。当時は485系による特急ひたち号が当たり前だった。2005(H17)年7月9日にはすべてのフレッシュひたち号が停車するようになった。

東武野田線の柏駅は、1911(M44)年5月9日に、千葉県営鉄道野田線(東武野田線の前身、のちに北総鉄道に譲渡)の駅が開業したことから始まる。当時は柏~野田町(現、野田市)間の路線だった。

1923(T12)年12月27日に、北総鉄道船橋線(東武野田線の前身)の柏駅が船橋~柏間と同時に開業していた時点、野田町方面が西側(現在と同じ位置)、船橋方面線が東側にあった。

当時の北総鉄道は、現在の北総鉄道(旧北総開発鉄道)とは無関係で、1929(S4)年11月22日に総武鉄道に変更。 

その翌年の1930(S5)年8月30日に、船橋方面(船橋線)のホームが現在の西側(野田町方面)に移設され、柏総合駅として統合されていた。

1944(S19)年3月1日に、陸上交通事業調整法により、現在の東武鉄道に吸収合併、1948(S23)年4月16日に、野田線と船橋線が統合されて、現在の東武野田線となる。

常磐線が複々線化された当時は、迷惑乗り入れの問題があり、亀有、金町方面に行く時に不便な状態となり、松戸駅の混雑が激しくなっていた。 

元モーニング娘。の安倍なつみ女史と、その妹である安倍麻美女史のほうは、事務所が異なるため、姉妹で応援する時に2つのファンクラブに入らなければならないなどの問題が発生している。 後者のほうは、以前歌手としての活動が行われているけど、現在は女優業中心となっている。

前者は、アップフロントエージェンシー、後者は、ワタナベエンタテイメント(ナベプロ)所属。 こちらのほうも、常磐緩行線と常磐快速線の関係(迷惑乗り入れの関係)に似ている。安倍麻美女史は、事務所が違い、ハロプロのメンバーでは無いため。 常磐緩行線は、綾瀬~北千住~
西日暮里間が違う会社の路線(東京メトロ)となっている。

安倍麻美女史が歌手をやっていた頃は、コンサートやイベントにハロプロファンも多数行っていたのはそのためであった。 筆者も安倍麻美女史のファンクラブにも入っていたことがあったけど現在は退会しているどころか、安倍麻美女史のファンからも撤退している。

ごっちんこと後藤真希女史の弟のユウキ氏が、ソニン女史とのユニットであるEEJUMPとして活躍していたことがあった。 当時はごっちんのほか、ユウキ氏も同じ事務所(アップフロントエージェンシー)に所属していた。

迷惑乗り入れの点は、当時の国鉄側だけではなく、営団地下鉄(現東京メトロ)の103系1000番台の乗り入れでも言えることである。やはり抵抗器から発生する熱によりトンネル内が熱くなるというトラブルが発生していたので、営団側から203系への置き換えが要請されていた。

南柏に到着した後、午後の撮影会がスタートしました。

南柏駅は、1971(S46)年4月20日に複々線化される前は、3番線まであり、南柏発着の列車も運転されていたこともあった。

南柏駅の東口には、住宅展示場があったことで有名。2005(H17)年11月、東口に、マミーマート(フィールズ)という商業ビルがオープンしていた。現在は再開発が進められている。

ここで415系などを撮影。 この時に203系の量産先行車であるマト51編成(クハ203-1F)を見ることが出来ました。 この編成の車番表示は、緑色でプレートに付いているということで異彩を放っています。

南柏では、203系同士およびE653系フレッシュひたちの赤色編成と緑色編成の離合のシーンを見ることが出来ました。

ここで充分撮影した後、東京メトロの6000系(6111F)で我孫子に移動しました。 初期型の6000系のほうは、運転台後部の窓がドア部分にしか無いので、眺望スペースが、地上区間を含めて、細長い小窓分しかないのが欠点となっている。こちらはかぶりつき族にとって敬遠されている。

こちらは、1972(S47)年のローレル賞の受賞列車となっている。

東西線を走っていた5000系のトップナンバーの5001号車は、1991(H3)年に廃車後、保存される予定となっていたけど、実現されずに解体されている。

丸ノ内線の301号車が中野工場で保管されていたのは公式保存前提のためである。

北柏駅付近には、アサヒビールの子会社であるアサヒ飲料の工場がありました。常磐緩行線のホームの自動販売機でアサヒ飲料が多いのはその縁があると思われます。

こちらは1982(S57)年にアサヒビールの子会社である三ツ矢フーズとして独立。1987(S62)年4月には、アサヒビール飲料となり、1996(H8)年7月に現在のアサヒ飲料となっている。

アサヒ飲料の缶コーヒーは、WONDA(ワンダ)というブランド名となっているけど、それ以前は、三ツ矢コーヒー、NOVA、J.O.となっていた。

国内の大手ビールメーカー4社の清涼飲料水関連会社は、アサヒビール系がアサヒ飲料、麒麟麦酒(キリンビール)系がキリンビバレッジ、サッポロビール系がサッポロ飲料、サントリー系がサントリーフーズとなっている。

あとは、伊藤ハム(兵庫県西宮市に本社のあるハム・ソーセージメーカー)の東京工場(千葉県柏市)も周辺にある。

我孫子駅に到着した後、改札を出て、周辺の跨線橋に移動しました。 ここでも撮影。 ここでは、415系はもちろんのこと、EF81-58号機牽引の貨物列車、E501系などを撮影することが出来ました。 E531系のほうは、ほどんどがグリーン車が組み込まれている状態で、グリーン車無しのE531系はほとんど見なくなってしまいました。 1月13日には、モノクラスのE531系を確認しているけど。

やはりE531系のモノクラスの10両編成が、11編成と少ないために、すぐに行われたと思われます。

元モノクラス編成だった11編成(K401~411編成)は、9号車がセミクロスシートとなっているのが特徴である。

今回はE531系のモノクラス編成を撮影することが出来なかったので、昨年10月22日の撮影ツアーで撮影しておいて正解でした。

この後、我孫子駅に戻り、成田臨の485系を撮影するために、2番ホームで待機していました。

我孫子駅=2005(H17)年の7月9日で、特急列車の全ておよび特快が通過となったことにより、反対の声が出ています。 

我孫子といえば、林直樹さんの地元であるけど、残念ながら諸事情で参加することが出来なかった。 

あとは、東口付近に手賀沼が広がっていることも有名である。手賀沼では、8月には花火大会、10月にはマラソン大会が行われることになる。

土浦駅東口からは、霞ヶ浦まで歩いていけるのでこの関係にも似ています。

我孫子駅のほうは、大阪市営地下鉄御堂筋線にもあるけど。こちらは、南側の終着駅である中百舌鳥(なかもず)駅と同様に、平仮名で「あびこ」と表記されている。

大阪府のほうの我孫子(あびこ)駅の駅名は、駅の西側にあるあびこ観音から付けられている。

その周辺には、JR阪和線の我孫子町駅がある。

その前に2番線から発車した上野発成田行きの快速(E231系)を見ることが出来たけど、車体をくねらせながら成田線に入っていました。

15時33分頃、成田方面から485系K60編成による成田臨が2番線に入線。成田線(我孫子線)の発着ホームは2番線または4番線。 485系のほうも、逆のルートでくねらせながら入っていました。

我孫子駅の8番線は、取手からの緩行線の列車および、朝ラッシュ時の始発列車のみに使用されるため、日中は閉鎖されている。

K60編成は485系の6両編成で、K40編成の4両編成と同様に、勝田車両センターで団臨用として使用されている。K60編成は、元上沼垂運転区(現、新潟車両センター)所属で新潟色をまとっていた。 K40編成は、元仙台電車区(現、仙台車両センター)所属で、1993(H5)年12月1日から2002(H14)年11月30日まで、ビバあいづ号として使用されていた。

2003(H15)年に勝田入りした時点では、新潟色またはビバあいづ色のままで使用されていたけど、のちにオリジナルカラーに変更されている。K40編成は勝田入りと同時に4両編成に短縮されていた。

K60編成の先頭車は、2つのヘッドライトが特徴の1500番台となっているので、見分けを付けることが可能である。

485系1500番台は、1975(S50)年7月18日に登場した当時は、北海道の特急いしかり号(札幌~旭川間)で活躍していた。 こちらは、1980(S55)年10月1日に登場した781系による特急ライラック号の前身となっている。いしかり号として走っていた当時は、札幌~旭川間ノンストップ運転も設定されていた。1974(S49)年に製造された時には、旧白鳥号で試験的に使用されていた。

781系の試作車は、1978(S53)年に登場。

北海道を追われた後は、東北、新潟エリアに転用されたけど、1500番台の中間車は2002(H14)年に全廃。先頭車は一部のみかろうじて残されているこのK60編成の先頭車も、そのうちの2両となっている。

こちらは成田発水戸行き 表示は団体となっていました。

この時に、E231系との並びを撮影することが出来てよかったです。

昨年12月17日に宇都宮で見た編成は、K40編成だった。

これを撮影した後、E231系で取手まで移動。この時に乗った編成は、マト127編成(クハE231-56F)だった。

先ほどの迷惑乗り入れのことは、筆者がハロプロファンでdreamファンをやっていたことで、筆者が所属する応援団体にも迷惑を掛けてしまったことでも言えることである。

我孫子の車両基地(松戸車両センター我孫子派出所)で、207系900番台や209系1000番台が止まっていたので、撮影することが出来なくて残念に思いました。 これらの編成には以前乗ったことがある。

207系900番台は、国鉄末期の1986(S61)年に1編成が試作されただけとなっており、当時はVVVFインバータ車が高価であったので、財政難だった国鉄にとって最初で最後のVVVF車導入となっていた。こちらは、先頭車を含めた1、5、6、8、9、10号車が川崎重工業、その他の中間車の2、3、4、7号車が東急車輌で製造されていた。
当時は6M4Tと205系の6M4Tの10両編成よりもコストが高かったことも頷けます。
4M6Tではなく、6M4Tとなったのは、営団側からの加速性能の要求によるものだったので仕方が無かったと思います。

1982(S57)年11月15日に、我孫子駅~取手駅間の複々線化が完成した時には、天王台駅が快速通過駅に変更されるはずだった。 やはり地元からの通過反対の声が強くなったことなどの理由で、快速停車駅として残されていたので、複々線化の意味は薄れてしまった。我孫子~取手間の緩行線の運用が朝夕のみとなっていたのは、そのためである。 

このように、常磐線の輸送改善計画では失敗してばかりの状態となっているので、「常磐線は国鉄の鬼門」とまで揶揄されていたことがあった。
このことば、筆者のアイドルファンの改善計画で失敗してばかりいるということに準じている。

モーニング娘。の紺野あさ美女史が1推し時代に、ハロプロ以外のdreamや安倍麻美女史のファンを兼任してしまったことや、1999(H11)年9月にSPEEDファンからモーニング娘。のファンに緊急乗り換えした後に失敗が多発していた。
現在は、SPEED、dream、安倍麻美女史のファン兼任を取りやめ、ハロプロメインで応援している。

現在は、つくばエクスプレスに対抗するために、特快が運転されるようになってからは、我孫子駅通過というマイナスな状態となっている。

以前の国鉄綾瀬駅は、1943(S18)年4月1日に開業。当時は、北千住寄りにあった。 1971(S46)年4月20日の営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線の開業により、現在地に移転。1979(S54)年12月20日の北綾瀬支線の開業により、これまでの国鉄管理駅から営団管理駅に変更されていた。 

綾瀬駅に常磐快速線が停車していれば、問題が改善されていたところだった。

利根川を渡り、茨城県の取手駅へ。 こちらは、常磐快速線ならびに緩行線(複々線区間)の終点で、常磐快速線・緩行線で唯一茨城県にある駅となっている。

常磐緩行線の7、8番線は、やはり朝夕にしか列車が来ない状態で、運転時間帯以外はホームホーム端のトイレ部分のみが開放されている。

この駅は、西口と東口が別改札となっており、ややこしい状態である。東西自由通路が整備されているのでまだ良い方だけど。

この後、関東鉄道常総線のホームに移動し、関東鉄道の撮影をしました。 こちらは入場券を買って入ったけど、珍しい硬券となっていました。 まさに、常磐線撮影ツアーの延長戦でした。

最初に見た編成は、キハ2100形の2101Fで、1993(H5)年に導入された関東鉄道で久々に導入されたオリジナル車両である。初期型(2101Fと2104F)は幕式、2105F以降はLED式である。

ここでは、関東鉄道のキハ2100形またはキハ2300形と415系やE501系との並びを撮影することが出来てよかったです。

この時に見た編成は、キハ2100形の2101、2105、2107、2109F、キハ2300形の2307F。

ここでは、恒例の集合写真の撮影が行われていました。

このホームには、テレビがあり、この時に元モーニング娘。の辻希美女史が出てきた番組を見ることが出来てよかったです。

ここに来た目的は、関東鉄道の水色の旧型気動車を撮影するのが目当てだった。

最初は撮影出来ないかと不安だったけど、この時に8番線に入線してきたので撮影することが出来てよかったです。

まさに、スカイブルーキターー(゚∀゚)ーーッ!!という状態でした。

この時の編成は、キハ3518+3519号車で、元キハ36-17号車+キハ35-163号車から改造されていました。前者のほうは、キハ35のトイレ無しバージョンのキハ36形から改造されていた。キハ35から改造された編成のほうは、トイレが撤去され、その跡が平らなスペースとなっている。トイレ前の2人掛けの座席が残されているのはその名残である。

このスカイブルーの編成は、昨年11月に、映画「パッチギ part2」の撮影用として使用されており、キハ358+3511号車(元キハ35-113+キハ35-187号車)も、スカイブルーとなっている。

これらの編成は、もちろんワンマン改造されている。

この時に、萩原清さんと黒岩さんの立ち会いならびに撮影ツアーならではの奇跡が起こりました。

関東鉄道常総線のほうは、取手~水海道間の複線区間と、水海道~下館間の単線ローカル区間に分けられており、取手~水海道間の一部の列車が、水海道で下館方面の列車に接続しているということで、西武池袋線、秩父線の飯能駅での関係に似ています。

関東鉄道の場合は、水海道乗換下館の表示が出ることになっている。

非電化で複線ということで、JR北海道の函館本線や室蘭本線の一部区間を思い出します。

この次に入線した編成も、キハ35形から改造されたキハ350形DCで、こちらは標準色のキハ3520+3521号車となっていました。 これらの車両は、キハ3519号車と同様に、1991(H3)年3月までJR相模線を走っていた車両となっていた。

3518Fの発車の時には、運転士が外に出て安全確認。ドア締めを行い、その後に運転席に着席し発車するという珍しい光景(車掌さんの逆)となっていました。 普通のワンマンカーの場合は、運転台で安全確認ならびにドアの開閉が行われるけど。

関東鉄道のサイトによると、水色のDCは、決められた時刻で運転されており、取手~水海道間平日は3往復、土曜・休日は5往復。 こちらは水海道着後水海道の車両基地に入庫していたのでちょうどよかったです。

撮影終了後、順次元の色に戻されてしまうと言われているので、この時に動いていてよかったです。

これを撮影した後、解散し、森敏英さんと木沢さんは、水戸方面まで向かい、E531系の暫定グリーン車に乗り上野まで行っていました。

あとの5人は、E501系の快速に乗り、上野方面まで行きました。

この時に乗ったE501系は、K703+K753編成で、筆者は5両のK753編成(クハE501-1003F)側に乗車。 これらの編成には、K702+K752編成と同様に、基本・付属編成の両方にトイレが付いていたので、助かったという声が聞こえていました。

5両編成なので、3月18日以降は水戸線でも使用されることになる。 これには、小山~いわき間の運用もある。

E501系は、登場以来走り慣れていた上野~土浦間から撤退することになるので、5人で乗ったのが貴重な出来事でした。

E231系による我孫子・成田行きの表示を見ることが出来たけど、こちらは103系とは異なり、「我孫子・成田」と横一列で表示されている。こちらは言うまでもなく、前5両が我孫子止まり、後ろ10両が成田行きとなっている。

馬橋駅付近には、中古枕木を扱う鉄道用品株式会社があり、ここにワム285555が保存されています。

松戸駅で、常磐緩行線(金町から京成金町線)に乗り換えて帰宅する萩原さんと別れたけど、この時に新京成の8000形の京成千葉直通記念のラッピング電車(8507F)を見ることが出来ました。

この後、4人は上野へ。 北千住では、10030系+30000系の区間準急館林行き、東急5000系の直通列車を見ることが出来ました。 30000系の4両編成のほうは、地上線への転用と同時に、10000系列の2両編成との併結運転が復活しています。

上野駅に到着後、E501系とE231系との並びを撮影しました。 このような組み合わせは、3月18日以降、小山駅でも見られるようになる。

もちろん415系の撮影も合わせて行いました。 撮影したのはいわき行き、水戸行き、勝田行き

黒岩さんと山岡さんのほうは、上野到着後、立ち食いそば屋で食事した後、帰宅していた。 黒岩さんと山岡さんの組み合わせで、昨年11月25日に秩父鉄道の6000系による急行秩父路号に乗った時を思い出しました。当時両者は熊谷で下車し、JR高崎線に乗り換えていた。

この後、奥野さんと一緒に目黒まで行きました。 品川では、特急日光8号の折り返しの回送(JR485系)が止まっていました。

奥野さんのほうは、1月7日と同様に、目黒から東急目黒線、東横線で帰宅していました。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-24 11:26 | 鉄道撮影ツアー

常磐快速線撮影ツアー1

1月21日は、常磐線の松戸~取手エリアでの撮影ツアーに行きました。

ルート 目白~日暮里~松戸~北松戸~馬橋~柏~南柏~我孫子~取手~上野~目黒~三軒茶屋~渋谷~新宿~目白

まずは、山手線で日暮里へ。 山手線のE231系500番台では、502、507、513編成の先頭車の乗務員室の背面では、電子ペーパーディスプレーが試験的に導入されている。

日暮里から松戸までは、415系による土浦行きで移動。 15両編成だったので、全編成が土浦まで行っていました。

常磐線の15両編成での運転区間は、上野~土浦間。

この時の編成は、K540編成(クハ411-1530F)+K542編成(クハ411-1532F)+K809編成(クハ411-509F)で、前8両がステンレス車、後ろ7両が普通鋼製車となっていた。

このような、415系の普通鋼製車とステンレス車の組み合わせは、頻繁に見られていたけど、3月18日の改正以降は、ステンレス車のみ残ることにより、見納めとなってしまう。 九州のほうでは引き続き見られることになるけど。

3月18日以降の415系1500番台は、常磐線の水戸以北で、4+4の8両編成も見られることになる。

3月18日以降の運転区間 小山~友部~水戸~いわき~原ノ町間

以前は上野発原ノ町行きの普通列車もあった。

上野~いわき間の通しの普通列車のほか、草野発上野行き、上野発大津港行きの普通列車も廃止される。

上野16時46分発の大津港行きは、E531系が使用されているけど、こちらも高萩で打ち切られることになる。

まずは、K542編成側に乗車。

長野電鉄から追われた元営団日比谷線3000系1編成2両が屋代から綾瀬まで甲種回送され、メトロへの里帰りを果たしていたけど、どこで保存されるのか気になります。 

この編成は、N1編成(3501F)で、最後まで冷房改造されなかった編成となっていた。こちらは3001Fから改造されており、冷房改造されていなかったことから、保存の対象となったのである。
こちらは1月19日に屋代を出発し、21日に綾瀬に到着していた。

北千住駅では、特急フレッシュひたち号の通過待ちのために2番線に停車。 こちらは上野9時30分発のフレッシュひたち13号で、スーパーひたちの651系が使用されていた。

この時にK809編成側(モハ414-509号車)に移動。 この時に黒岩さんと出会いました。 

黒岩さんのほうは、上総湊から東京まで、E257系500番台の10両編成によるさざなみ4号に乗っていたけど、乗客が少なく、輸送力過剰の状態だった。

今年9月には、館山自動車道の君津IC~富津中央ICが開通し、富津竹岡ICで、富津館山道路(富津竹岡~富浦IC間)と直結することにより、房総半島の南部が高速で結ばれるようになり、特急さざなみ号も苦戦を強いられることになります。

この時にさざなみ号が廃止されるか、本数が減らされるかということでどうかという瀬戸際に立たされている。

3月18日のダイヤ改正で、海浜幕張に停車する特急が増発されるのは、需要を引き起こすためである。

今年の秋には、幕張メッセで東京モーターショーが行われるけど、今年からは2年に1度の総合ショー(乗用車、商用車)に戻ることになる。一時的に、乗用車編と商用車編が交互に行われていたことがあったけど、商用車編としての開催は、2004(H16)年が最後となった。

綾瀬駅では、東京メトロ6000系の6102Fを見ることが出来たけど、こちらは、小田急に乗り入れることの出来る6000系で最古参となっており、1971(S46)年3月20日の大手町~霞ヶ関間の開業に合わせて登場した量産車第一号となっている。

6000系試作車である6101Fは、VVVF改造されているけど、未だに小田急線に乗り入れることが出来ないということで運行上のネックとなっている。

唯一1編成しかない06系のほうは、1993(H5)年3月の登場時は、小田急線に乗り入れることが出来なかったけど、1998(H10)年に小田急乗り入れにも進出していた。多摩急行が出来るまでの間に相模大野、本厚木方面へも乗り入れていたこともあったし。

千代田線車両の小田急乗り入れは、唐木田発着の多摩急行だけとなってしまったけど、小田急の1000系がイベントで使用される時に小田急車に変わって本厚木まで乗り入れることもある。

千代田線といえば、来年3月に60000形MSE(地下鉄直通用ロマンスカー)が登場する予定で、平日の夜間には、湯島から町田、相模大野方面まで6両編成で運転されることになる。こちらは、東京ならびに日本の地下鉄で初めて全車指定席特急が走ることになる。

京成のAE100形車両は、都営浅草線への乗り入れを考慮した貫通型となっており、羽田空港~成田空港間の有料特急にも対応しているけど、諸般の事情により実現していない状態である。

松戸駅に到着した後、コンコースで集合。ここで、萩原清さん、木沢さん、山岡さん、奥野さん、森敏英さんと合流しました。萩原清さんは、金町から常磐緩行線で松戸入り。 

松戸駅1番線の発車メロディーは、新橋駅の1番線(東海道線下りホーム)と同じ音なので、新橋駅を思い出しました。

木沢さんは、小田急線から、千代田線直通で現地入りしていた。

山岡さんは、昨年11月25日以来の撮影ツアーの参加となった。

森敏英さんは、北朝霞から武蔵野線で新松戸まで出て、新松戸から常磐緩行線で松戸入り、ここでは、新京成の8800形の8888号車というぞろ目の番号を撮影した後で合流していた。

7人揃ったところで、松戸駅4番線から203系で北松戸まで移動しました。 この列車は数分停車していたので、森敏英さんと合流することに成功。

松戸駅は、JRが1~6番線、新京成が7、8番線となっており、常磐緩行線のホームは、4、5、6番線となっている。

常磐緩行線の下り列車は、常磐快速線の上り列車(3番線)と同じ面の4番線から発車するけど、平日の朝ラッシュ時には、5番線(常磐緩行線上りホーム)からの発着に変更される。 松戸駅の5番線は、松戸折り返しの列車も発着することになる。

松戸から北松戸まで乗った編成は、マト58編成(クハ203-8F)で、1984(S59)年に導入された量産車である。 台車は201系と同型のDT46A(T車はTR234)が採用されているけど、1985(S60)年に導入された100番台は、コスト削減のために、205系と同型のDT50A(T車はTR235A)というボルスタレス台車に変更されている。

203系は、1982(S57)年11月15日の我孫子~取手間の複々線化開業と同時に1編成が試作されていたけど、こちらは、301系以来のアルミ車となった。足回り品は201系ベース。

1984(S59)年から1985(S60)年に掛けて、103系1000番台の置き換え用として量産化されていた。 やはり抵抗制御車で、営団地下鉄(現、東京メトロ)から早期の置き換えが要請されていたことで急速に取り替えられていたのである。

103系1000番台の地下鉄乗り入れは、国鉄時代のみとなり、JR時代をまたがなかったことになる。

常磐緩行線に転用された103系1000番台は、E231系に置き換えられたことにより、2004(H16)年3月に全廃。JR西日本に継承された103系1000番台の105系改造車のほうは現在でも奈良・広島エリアで走っている。

北松戸駅は、松戸競輪場への最寄り駅で競輪開催日ということで賑わっていました。 かつては松戸競輪場のCMソングとして、「およげ!たいやきくん」でおなじみの子門真人氏によって歌われていた「走れ!自転車」という曲が使用されていた。
この曲は、以前フジテレビ系で放送されていた「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」でもランクインされていたことがあった。

子門真人氏は、ひらけ!ポンキッキ(現、ポンキッキ)に出てきた「はたらくくるま2」や「ぼくは電車」という曲が歌われていたことでも有名となっている。

ベストアルバム「のこいのこ大全」のリリースで話題となったのこいのこ女史のほうも、ポンキッキの曲が歌われていたことで有名であり、以前ポンキッキに出てきた乗り物関連の曲では「はたらくくるま」、「のりたいでんしゃ はしるきかんしゃ」という曲が挙げられている。

北松戸駅のほうは、1952(S27)年5月1日に松戸競輪場開催日のみ開設される臨時停車場として開設され、1958(S33)年12月25日に常設駅となっていた。

北松戸駅に到着した後、車両の撮影。ここでは、415系はもちろんのこと、651系スーパーひたち号の並びを撮影することが出来ました。 あとは、E233系2000番台に置き換えられつつある203系も撮影したし。 あとは、東京メトロ6000系の幕式表示(6126F)も撮影。

東京メトロ6000系では、更新と同時に側面のドアの窓が細長いタイプに改造された05系もどきの側面の編成の現れている。

半蔵門線の8000系でもこのような編成が現れている。

あとは、EF81-56号機牽引による貨物列車も見ることが出来ました。

この後、203系で馬橋まで移動。この時に乗った編成は、マト63編成(クハ203-103F)で、ボルスタレス台車が採用された編成である。この前にE501系が通過していきました。 このE501系も、上野~土浦間(土浦以南)で走っているけど、3月18日のダイヤ改正で、土浦以北にシフトされることになる。

馬橋では、常磐線の車両のほか、総武流山電鉄の2両編成(なの花号と青空号)を撮影することが出来ました。 反対側ホームには、明星号が止まっていた。

これらの編成は、西武701系や801系から改造された編成である。

1997(H9)年2月に、西武新宿線系統から401、701、801系列の車両が消えてから、今年で10年経つことになる。 こちらは、赤系の化粧板となっていたので、101系列との違いが現れていた。 

これらの車両は、10年前まで筆者の地元を走っていたので、懐かく感じました。

西武鉄道といえば、下村さんのほか、小村武さんも贔屓している鉄道会社である。

2両編成の車両(2000系)は、ワンマン化と同時にLED化されている。なの花号は、701系の757Fから、青空号は、701系の姉妹車である801系の803Fから改造されている。

757Fのほうは、筆者は行かなかったけど、1997(H9)年10月12日に、401系の2+2編成と組んで、西武秩父までの特別運転が行われていたことがあった。

西武の701系列のほうは、1982(S57)年まで、池袋線系統でも使用されていた。

総武流山電鉄の馬橋駅の発車サイン音は、ベルが使用されている。

2001(H13)年5月までは、元西武551系から改造された編成もあったけど、赤色塗装の「あかぎ号」が最後まで残っていた。 それ以前には、元西武501系の3両編成もあったし。

なの花の愛称のほうは、元西武551系の旧なの花号から引き継がれていた。 なの花号の愛称のバトンタッチのことで、JR東日本千葉支社の旧なのはな号(165系から改造のお座敷専用車)からニューなのはな号(485系から改造のお座敷対応車)に引き継がれたことを思い出しました。

3両編成のほうは、701系745Fから改造された明星号、801系809Fから改造された流馬号、101系131Fから改造された若葉号、101系135Fから改造された流星号となっているけど、流馬、若葉、流星の名称のほうは、元西武501系改造車から引き継がれていた。

明星号が登場する前は、1000系(元西武501系)による銀河号もあったけど、銀河の愛称名が引き継がれること無く消えてしまった。こちらは、あかぎ号の名称でも言える。

西武101系から改造された編成は、3000系となっているけど、元西武501、551系から改造された車両は、1000系となっていた。

2001(H13)年には、山澤さん、奥野さん、筆者の3人で、あかぎ号のさよなら運転に乗ったことがある。

馬橋駅では、以前オカリナ奏者の宗次郎氏による「四季~愛しき子供達へ~」という曲のアレンジバージョンがJRの発車メロディーとして使用されていたことがあったけど、著作権の関係で現在は使用されなくなったのである。この発車メロディーでは、暗いイメージがあり、評判が良くなかった。

ここで撮影した後、東京メトロの6000系で柏まで移動しました。馬橋を出た時には、お目当てのE501系が通過していた。

この時に乗った編成は、6118Fで、2004(H16)年9月26日に新木場検車区で行われたメトロ大集合のイベントで展示された編成となっており、同日に運転された臨時列車千代田ワープ号の復路(新木場→北綾瀬間)で使用されていた。

その往路は、綾瀬→新木場間、06系による運転となっていた。筆者は当時06系に乗り、千代田線と有楽町線の連絡トンネルを初めて通っていた。 こちらは、千代田線の霞ヶ関駅と有楽町線の桜田門駅の間にある単線の連絡線路となっている。

この連絡線路のほうは、同年10月31日に運転された有楽町線と千代田線を結ぶハロウィーン特別列車(7116F)でも通っている。

当時、このイベントの後、国立代々木競技場第一体育館で行われていた松浦亜弥女史のコンサートに行っていた。この会場では、今年1月9日から8ヶ月間、アスベスト除去作業により使えなくなることになる。 ということは、夏に行われるハロー!プロジェクトの公演で会場変更が行われることが予想されている。 ハロー!プロジェクトの夏公演は、2000(H12)年以来代々木競技場第一体育館で毎年行われていた。

柏駅に到着した後は、駅構内のベッカーズ(Becker’s)というハンバーガーショップで昼食会をしました。

ベッカーズは、私鉄部会の2次会の会場としておなじみであるので、私鉄部会の2次会の時を思い出しました。

ここでは、ベッカーズチキンサンドとプーティーン(チーズ入りのポテトの盛り合わせ)のピッツア風を食べました。 山岡さん、黒岩さんがプーティーンを見た時、美味そうだったので注文していました。

黒岩さんのほうは、九州に行った帰りに、500系のぞみ号のグリーン車に乗って帰ったということを語っていました。 こちらのほうも、やがてN700系に置き換えられて東京~新大阪間から姿を消す運命となっている。 N700系は今年7月1日に登場予定となっているけど、500系が一斉に置き換えられることはない。 これに伴って300系に廃車が発生することになる。

これで午前の部が終了し、午後の部に突入しました。

柏では、東武野田線(元東上線)の8000系を見ることが出来たので、森敏英さんとの話題の種となっていた。

(2へつづく)
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by hy_sengen-sin | 2007-01-23 11:12 | 鉄道撮影ツアー
この後は、211系マリ411編成(クモハ211-3053F)で銚子を後にしました。 こちらは成田経由の千葉行き。 

この列車は成田まで単線ローカル区間を走るので、房総ローカルよりも、前に走っていた両毛線で乗っているような雰囲気がしました。 両毛線のほうは、一部区間を除き単線で、211系の5両編成が使用されているので。

昨年12月25日に乗った時は利根川の景色を楽しむことが出来たけど、今回は暗くなっていたのでそれが出来ませんでした。

成田線経由の銚子行きのほうは、裏ルートとなっており、特急列車が佐倉、成田~佐原間しかはしっておらず、佐原~銚子間1往復のみ普通列車扱いとなっている。

千葉~銚子間の表のルートは、総武本線、八日市場回りのルートで、特急が下り7本、上り6本(うち1往復は成東~銚子間普通列車扱い)運転されている。

佐原駅や香取駅のある香取市は、昨年3月27日に、佐原市と香取郡小見川町、山田町、栗源町が合併して誕生した市となっている。

香取といえば、SMAPの香取慎吾氏を思い出します。このように、芸能人の姓名と同じ駅名は注目の的となっているので。

香取駅の駅舎は、貨車から改造されたユニークなものとなっている。

周辺には、香取神宮がある。

成田駅に到着後、113系の普通列車で、久住駅に戻りました。 この時に乗った編成は113系(マリ203編成、クハ111-1058F)となっていました。

久住駅はくすみではなく、くずみと読むけど、モーニング娘。の久住小春女史の久住の姓名と同じ字となっているので、気になっていました。

ここは、2面2線の無人駅であり、跨線橋で上下ホームが結ばれている。 ここでは、乗車駅証明書を貰いました。 やはり成田空港の近辺ということで、飛行機が飛んでいた。

大分県にも久住という地名があるけど、こちらは「くじゅう」と読む。

現役のモーニング娘。のメンバーの姓名の駅は、高橋駅(佐賀県、JR九州佐世保線)、亀井駅(熊本県、熊本電気鉄道菊池線)、田中駅(長野県、しなの鉄道線)が挙げられている。
字は違うけど、吉沢駅(秋田県、由利高原鉄道鳥海山ろく線)もある。

由利高原鉄道鳥海山ろく線の終点は、矢島駅で、℃-uteの矢島舞美女史の名を抱く駅となっている。

吉沢駅(電停)のほうは、1969(S44)年5月10日に廃止された東急玉電の砧支線にもあった。

熊本電鉄菊池線のほうは、1986(S61)年2月15日まで、御代志~菊池間が廃止されたけど、線名は菊池線のままとなっている。 

元モーニング娘。のメンバーの駅名では、飯田駅(長野県、JR東海飯田線)、後藤駅(鳥取県、JR西日本、境線)、石川駅(青森県、JR東日本、奥羽本線、弘南鉄道大鰐線)、辻駅(徳島県、JR四国、徳島線)、中沢駅(青森県、JR東日本、津軽線)、小川駅(東京都、西武拝島線・国分寺線、熊本県、JR九州鹿児島本線)が挙げられている。

あとは、一昨年3月末に廃止されたのと鉄道能登線(石川県、旧国鉄能登線)にも飯田駅があった。こちらは旧国鉄時代に珠洲飯田駅と呼ばれていた。

黒岩さんのお膝元である内房線には、元モーニング娘。の保田圭女史の名を抱く保田駅があるけど、こちらはやすだではなく、ほたと読む。

あとは、福井県(えちぜん鉄道勝山永平寺線)にも保田(ほた)駅がある。

その他のハロメンと同じ駅名は、前述の矢島駅のほか、柴田駅(愛知県、名鉄常滑線)、大谷駅(和歌山県、JR西日本和歌山線、滋賀県、京阪京津線)、松浦駅(長崎県、松浦鉄道松浦線)、清水駅(静岡県、JR東海東海道線、愛知県、名鉄瀬戸線、大阪府、大阪市営地下鉄今里筋線)、菅谷駅(福島県、JR東日本磐越東線)、徳永駅(岐阜県、長良川鉄道越美南線)、梅田駅(大阪府、阪急京都線・神戸線・宝塚線、阪神本線、大阪市営地下鉄御堂筋線)、中島駅(愛知県、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線)、萩原駅(愛知県、名鉄尾西線、福岡県、筑豊電気鉄道)、岡田駅(愛媛県、伊予鉄道郡中線、香川県、高松琴平電鉄琴平線)が挙げられている。

久住から成田まで、佐倉から成東まで乗った時と同じ編成であるマリ104編成(クハ111-2153F)に乗車。 こちらは、千葉~成東間で1往復した後、東千葉に留置、その後千葉から香取に向かい、佐原まで回送され、佐原始発の普通列車として運転されていた。 鹿島線のほうは、6両まで入れる状態だけど、佐原駅構内の留置線が4両分しか無いために、特急の間合い運用を除き、113系の4両編成(総武快速線からの直通の1往復はE217系の4両編成)に限定運用されている。

2002(H14)年にFIFAワールドカップが鹿島スタジアムで行われていた時には、11両編成のE217系の基本編成が鹿島神宮まで運転されていたことがあった。

成田駅に到着した後、成田山新勝寺まで行きました。 ここに行ったのは初めてでした。

この後、E217系の4両編成(Y105編成、クハE217-2005F)による、逗子発鹿島神宮行きの直通列車を見ることが出来ました。以前は、特急あやめ号の格下げで日中にも運転されていたけど、現在はこの列車が唯一総武快速線から鹿島神宮への直通列車として残されている。 その他の列車は113系の4両編成による成田発着に変更。

逗子~佐倉間は、E217系の11両編成(久里浜発成田空港行きのエアポート成田)と連結、佐倉からは基本編成によるエアポート成田・成田空港行きが発車し、酒々井に停車した後、成田駅の2番線へ。 この後、鹿島神宮行きが発車し、酒々井停車後成田駅5番線に入線していた、

E217系が鹿島神宮に到着した後、佐原行きの普通列車で折り返され、翌日に佐原始発の快速で東京に戻ることになる。 後ろの11両は佐倉から増結。

鹿島神宮行きの連結が中止された列車は、15両全てが成田空港行きとなっている。

1991(H3)年3月19日の成田空港への新線の開業当初は、基本の11両編成のみが成田空港行きで、付属の4両編成が佐倉で切り離されていた。

成田駅からは我孫子まで、成田線の支線(通称我孫子線)で移動。 この時に乗った編成は、クハE231-73Fによる10両編成。 我孫子~成田間では、1998(H10)年3月の改正まで、3ドアセミクロスシート・トイレ付きの113系が使用されていたことがあった。 1998(H10)年3月の改正で、常磐快速線用の103系に全て置き換えられ、昨年3月18日に改正でE231系に統一されていた。

我孫子から上野までは、E531系のK408編成(クハE531-8F)で移動。この時にはもちろん暫定グリーン車(サロE530-6号車)に乗りました。 

このK408編成は、K407、409、410、411編成と同様に、暫定的にモノクラスの10連編成として既に営業運転に入っていた編成となっていた。

この暫定グリーン車に乗ったのは、今回で3度目でした。

北千住駅付近で、つくばエクスプレスの車両を2回見ることが出来ました。

上野に到着した後、秋葉原まで京浜東北線の209系(ウラ65編成、クハ209-66F)、秋葉原から御茶ノ水まで、中央・総武緩行線の209系500番台(クハ209-502F)で移動。今回も209系同士の乗り継ぎ。

御茶ノ水から新宿までは、中央快速線の201系(T16編成、クハ201-54F)で移動しました。

新宿からは山手線で帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-22 16:07 | 鉄道乗車記
銚子駅に到着した後、本題となる銚子電鉄に乗車。 

銚子電鉄でのルートは、銚子→犬吠→外川→仲ノ町→観音→銚子→犬吠→外川→銚子

まずは、1002号車に乗車。 この車両は、元営団地下鉄(現東京メトロ)の丸ノ内線方南町支線(元をただせば銀座線)で走っていた2039+2040号車から改造された編成となっている。

この車両には、赤系の化粧版が残っていたので、丸ノ内線の方南町支線で走っていた時の名残となっている。 

1001号車のほうは、営団時代最後まで銀座線を走っていた車両だと思われます。

一昨年3月末をもって廃止された日立電鉄線(常北太田~大甕~鮎川間)でも、元営団2000系から改造された車両が走っていたことがあったけど、両運転台の3000形の1両のうちの3023号車が、日立市の某模型店で保存されたほかは解体されている。

日立電鉄線の桜川駅は、関東の駅百選に認定された駅で初の廃駅となってしまったけど、今年3月31日には、鹿島鉄道の鉾田駅も廃止されることになる。

なので、銚子電鉄で走っている1000形の2両が、元営団2000系の生き残りとなっている。

一昨年12月25日に乗った時は、1000形が2両稼働していた。 当時は友人と新宿(東京厚生年金会館)でのメロン記念日のクリスマスライブに行くために早めに切り上げていたので、銚子~観音間のみの乗車に止めていた。

観音より先の区間に乗ったのは、2002(H14)年以来となった。 

今回は620円の一日乗車券である弧廻手形を使用。

仲ノ町の車両基地では、休車状態である301号車、ぬれ煎餅が売れたことにより検査を通った話題の701号車、その姉妹車である702号車、最小の電気機関車であるデキ3形を見ることが出来ました。

デキ3形のほうは、現在静態保存されている状態で人気が高い車両となっている。

笠上黒生駅では、元伊予鉄道の旧型電車である801号車と交換。 この上りホームには、101号車の廃車体があったけど、ボロボロの状態となっていました。

海鹿島駅は、うみかしまではなく、あしかじまと読む難読駅名となっている。

沿線では、キャベツ畑が一面に広がっていました。銚子の灯台キャベツは有名で全国に出荷されている。

犬吠駅に到着した後、話題のぬれ煎餅売り場へ。 この時には行列が出来ていました。 

銚子電鉄のぬれ煎餅の製造は、犬吠駅構内のほか、仲ノ町の旧変電所跡でも行われている。

この日は、フジテレビ(共同テレビジョン)の取材が入っていました。

弧廻手形には、ぬれ煎餅の引換券が付いていたけど、数枚追加で買いました。こちらは、銚子電鉄のサービス費にも寄付出来るので、食べて美味しいだけでなく、乗って美味しい、寄付して美味しいという状態である。

犬吠駅には、デハ501号車と元相鉄のモニ2022号車の廃車体が使用された列車レストランがあることでも有名となっています。

この後、801号車で外川へ。犬吠で下車した団体客対応のために、前に701号車が連結されていました。 あの後、仲ノ町で701号が連結され、銚子から団体客を乗せた後、犬吠へ。なので、2両編成のままで外川へと向かっていました。 701号車のほうは、団体貸切の表示はありませんでした。 この時は、奇跡が起こりました。 筆者も701号車を撮影することが出来て大満足でした。 こちらは前後非対称で、銚子寄りの先頭車は2枚窓となっているので、ちょうどよかった。 

1989(H元)年4月9日に初めて銚子に行った時は、701号車が運転されていた。

1月14日には、某鉄道ファン団体による貸切電車にも701号車が使用されていたけど、こちらには、団体貸切の表示があった。 こちらは、貸切扱いによる増結となっていたので。

701号車と801号車は総括制御が出来ないために、後ろの801号車側にも運転士が乗っていた。

1月14日は、銚子電鉄サポーターズという団体の発足式が行われ、千葉ロッテマリーンズの小林雅英投手がサポーター代表として出席していたので、鉄道ファンはもちろんのこと、千葉ロッテファンでも賑わっていた。

参加者のブログによると、この701号車による団体貸切電車の車内では、鉄道模型の運転も行われていた。

外川に到着した後、車両はもちろんのこと、駅舎も撮影しました。 こちらは澪つくしのロケとしても有名な駅。

外川駅構内には、1001号車と澪つくし号のトロッコ列車(ユ101号車)が止まっていました。

外川から仲ノ町までは、801号車で戻りました。 この801号車は、1950(S25)年に伊予鉄道のクハ400形405号車として製造されていたことに始まり、のちに、モハ100形106号車に変更。1985(S60)年に銚子電鉄に譲渡されていた。

この車両は吊り掛けモーター車なので、ローカルムードが高まっていました。 これらの銚子電鉄の旧型車両も萩原清さんや黒岩さんにも是非乗って(撮って)もらいたい車両の1つであります。

萩原清さんや黒岩さんには、新型車両もいいけど、旧型車のほうが似合っています。 やはり旧型車に乗る(旧型車を撮影する)萩原清さんや黒岩さんを見ていると嬉しくなります。

鹿島鉄道で、キハ601号車に続き、キハ714号車やキハ432号車にも乗ることが出来てよかったし、これらの車両に乗っていた萩原清さんや黒岩さんもよかったです。 両者は602号車にも乗っているし。

仲ノ町で、後ろの701号車が切り離され、入庫するシーンを見ることが出来ました。 

701号車は、702号車と共に、1929(S4)年に、近江鉄道の電動貨車であるデユワ101・102号車として製造されていた。 1941(S16)年には、旅客用に改造され、モハ51、52号車となっていた。1978(S53)年に2両共に銚子電鉄に譲渡されていた。

801号車の前面。銚子寄りが3枚窓の非貫通形、外川寄りが3枚窓の貫通型となっているけど、現在は貫通扉が固定化されている。

あとは、デキ3形も撮影しました。 この非は雨が降っていたので大変でした。

仲ノ町から観音まで、801号車で移動。 観音では、名物の鯛焼きを買って食べました。 このことで、鹿島鉄道の鉾田駅構内を思い出しました。 

こちらは、1976(S51)年に、当時大ヒットを記録していた童謡「およげ!たいやきくん」にちなんで始められていたもので、ぬれ煎餅と並ぶ銚子電鉄の名物となっている。

この駅は、その名の通り、飯沼観音・円福寺(銚子観音)への最寄り駅となっている。

この後は、1002号車で銚子まで移動。 銚子では、255系によるしおさい14号(編成番号未確認)や、211系の総武本線の普通列車(マリ413編成、クモハ211-3055F)を見ることが出来ました。

銚子から折り返しで犬吠へと向かいました。 

犬吠駅に到着した後、犬吠埼灯台まで歩いていきました。 関東最東端である犬吠埼のほうは、立ち寄ったのが今回が初めてでした。犬吠埼灯台を実際に見たのも初めてだったし。

時間の関係で灯台の上までは上がることが出来なかった。

この後、犬吠駅に戻り、801号車で外川へ。ここで再び撮影した後、銚子まで戻り、ここでも撮影。ここで、銚子電鉄の旅が終わりました。

(3へつづく)
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by hy_sengen-sin | 2007-01-22 14:18 | 鉄道乗車記