交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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鹿島鉄道撮影ツアー2

あの後、萩原清さん、黒岩さん、森敏英さんと筆者の4人で石岡駅のホームに行き、ここでKD502+503号車の重連を見ました。 この502号車は、榎本駅に居た車両で石岡への送り返しで来ていたのである。

この後、13時04分発の常陸小川行きで玉里へと向かいました。乗った車両はKD501号車(ガンバレ!かしてつ号) 

ガンバレ!かしてつ号は、地元の中高生によって結成されたかしてつ応援団のPR列車で、キャラクターのかしてつくんが描かれている。 その団体の事務局は、小川高校生徒会となっている。

玉里(たまり)駅は、1971(S46)年10月1日に玉里信号所として設置され、1988(S63)年4月1日に駅に昇格していたのである。 小川高校下駅も同時に開設されていた。

玉里駅=2面2線の無人駅。 早朝・夜間には、石岡~玉里間の区間列車も運転されている。

ここでは、KD501号車や601号車を撮影しました。 玉里駅から小川高校下間は、小美玉市にある。

小美玉市は、今年3月27日に、東茨城郡小川町・美野里町、新治郡玉里村が合併して誕生した市となっている。 市名の由来は、合併前の旧町名の頭文字から取られている。

玉里・新高浜・四箇村・常陸小川駅が旧玉里村部分に、小川高校下駅が、旧小川町部分に位置している。

因みに常磐線の羽鳥駅も、小美玉市にあるけど、こちらは旧美野里町部分となっている。

この後、常陸小川まで、念願の601号車に乗車。

601号車は、1936(S11)年に旧国鉄のキハ07形(旧42500形)DCとして、川崎車輌(現在の川崎重工業)で製造されたのが始まりで、今年で登場70年を迎えていた。 当時は流線型のスタイルとなっていた。

602号車は、翌年の1937(S12)年に大宮工場(現在の大宮総合車両センター)で製造されていた。

関東鉄道(現在の鹿島鉄道)入りしたのは、1965(S40)年、1966(S41)年のことだった。 1972(S47)年には、前面が平妻形に改造され、1994(H6)年に冷房化。 側面および台車は、旧型の面影が残っている。 車内はロングシート

オリジナルのキハ07形DCのほうは、41号車が門司港の九州鉄道博物館で静態保存されている。末期は、1969(S44)年まで宮原(みやのはる)線で走っていた。 宮原線は、大分県の恵良駅(久大本線)から熊本県の肥後小国駅を結んでいたローカル線だったけど、1984(S59)年11月30日をもって廃止されている。

廃車後は、豊後森機関区を経て、大分運転所で保管されていた。

あとは、1991(H3)年6月30日をもって廃止された同和鉱業片上鉄道線(片上~和気~柵原間)でも元キハ07形DCから改造されたキハ700形が使用されていたけど、そのうちのキハ702号車のほうは、柵原ふれあい鉱山公園で動態保存されている。

片上駅は、JR赤穂線の西片上駅前にあった。

キハ07形DCは、関東鉄道や同和鉱業片上鉄道のほか、有田鉄道、江若鉄道、茨城交通にも譲渡されていた。 

有田鉄道は、和歌山県を走っていたローカル列車で、2002(H14)年12月31日をもって藤並~金屋口間全線が廃止されていた。

鹿島鉄道の601号車のほうは、日本での現役最古のDCとして有名である。筆者がこの601号車に乗ったのは今回が初めてで、最初で最後になるかもしれないです。

常陸小川駅に到着。 ここで、DD501形DCの撮影等でしばらく過ごしました。

ここも、前述の小美玉市にある駅となっています。 こちらは2面3線の駅で、折り返し列車は1番線から発着している。

この駅は、小湊鐵道線の上総牛久駅みたいな雰囲気となっていました。

貨物駅のホームも残されており、ここにはDD901形ディーゼル機関車が静態保存されている。
このDD901形DLのほうは、1955(S30)年に日本車輌で製造されていたけど、初期の頃は国鉄DD42形として活躍していた。1958(S33)年には、常総筑波鉄道(現、関東鉄道)に譲渡されて常総線で活躍。 1974(S49)年に鉾田線(現鹿島鉄道)に移り、ジェット燃料の輸送に使用されていた。 廃車後は、常陸小川駅で静態保存されるようになったのである。

百里基地へのジェット燃料の輸送が中止されたのは、2001(H13)年の夏のことだった。

鹿島鉄道の現役ディーゼル機関車(DL)は、DD902号機で、現在は朱色塗装となっている。

常陸小川駅前からは、石岡、水戸方面への関鉄グリーンバスも出ていました。

関鉄グリーンバスは、2002(H14)年3月15日に、これまでの関東鉄道石岡・柿岡両営業所から独立して設立された関東鉄道グループのバス会社となっている。

昨年8月16日には、これまでの関鉄メロンバス(鉾田営業所)が関鉄グリーンバスに吸収され、3営業所体制となる。同年10月1日には、東京~潮来駅~麻生庁舎間の高速バスあそう号がJRバス関東および関東鉄道から関鉄グリーンバスに譲渡され、鉾田駅まで延長されていた。 鉾田駅からは、水戸駅方面のほか、東京駅へも高速バスで乗り換え無しで行けるようになったのである。

東京~鉾田間の高速バスあそう号は、佐原駅、潮来駅、麻生庁舎経由鉾田駅行きで、1日6往復となっている。この車両は、京成バスで使用されていた中古車が使われている。

常陸小川駅前で見た関鉄グリーンバスは、富士重工製の5E車体の水戸行き。あとは、鉾田から常陸小川経由石岡行きのいすゞの中型車(ジャーニー)も見ることも出来たし。
こちらは、百里基地、高浜駅等を経由するルートで2路線ある。 これらのバス路線が存廃問題に関係ありそうです。

百里飛行場(百里基地)は、航空自衛隊の基地となっているけど、2009年を目処に、民間との共用化工事が行われている。

民間と共用化されれば、札幌、大阪、福岡、沖縄(那覇)と結ばれることになる。

常陸小川駅は、1993(H5)年に公開された映画「教祖誕生」(原作、ビートたけし(本名北野武)氏 萩原聖人・ビートたけし両氏が主演)の撮影が行われていたことで有名である。

鹿島鉄道は、今年4月19日に発売された歌手の柴田淳女史のシングル「桜吹雪」のPVロケ
や、aiko女史のPV撮影にも使用されていたのである。前者のほうは、後述の玉造町駅で行われていた。

あとは、かしてつブルーバンドプロジェクトという応援団体も廃止反対を訴えている状態となっている。8月27日には、かしてつブルーバンドプロジェクト主催のかしてつ祭りが行われていた。

ここでは、緑色の431形DCを撮影することが出来ました。 朱色の432形DCは、石岡駅で撮影。

431、432形DCは、1957(S32)年の東急車輌製。 当時は、加越能鉄道加越線(富山県の石動駅から庄川町)を結んでいた路線で走っていた。 当時は加越能鉄道キハ120形(125、126号車)として活躍していた。 1972(S47)年9月15日に廃止。この路線は、城端線の福野駅を経由していた。 廃止後、関東鉄道(のちの鹿島鉄道入り)していた。

スタイルは、かつての旧国鉄80系電車に似た2枚窓の湘南形スタイルとなっており、同じ東急車輌で製造されていた東武のキハ2000形DCに準じていた。

キハ2000形DC「通称かめ号」は、東武熊谷線(熊谷~妻沼間)を走っていた。1983(S58)年5月31日をもって廃止。 こちらは小泉線と接続されることもなく、東武鉄道最後の非電化路線ならびに孤立路線となっていた。東武熊谷線は、1943(S18)年12月5日の開業当初は、蒸気機関車による牽引となっていた。

今回431形DCは、石岡駅を出た後、鉾田まで1往復し、石岡に戻ってきたと同時に入庫してしまったために、残念ながら今回乗ることが出来なかったのである。 それでも601号車に乗ることが出来たから満足しています。これらのDCは冷房が付いていないので、夏季は稼働出来ない状態となっている。

この後、常陸小川止まりの501号車が戻ってきました。

常陸小川から玉造町までは、KD505号車に乗車。 この時にまた霞ヶ浦を眺めることが出来てよかったです。

桃浦、八木薪、浜、玉造町、榎本駅は、行方(なめがた)市に、 借宿前駅、巴川駅、坂戸駅、鉾田駅は、鉾田市にある。

行方市は、昨年9月2日に、行方郡麻生町、北浦町、玉造町が合併して誕生した市で、玉造町駅は、その名残のある駅名となっている。鹿島鉄道のこれらの駅は、旧玉造町部分に位置している。

一方の鉾田市のほうは、昨年10月11日に、鹿島郡旭村、鉾田町、大洋村が合併して誕生した市となっている。

鉾田駅から鹿島臨海鉄道の新鉾田駅までは、徒歩20分ほど掛かるけど、バスの便は出ていない。 

汚い話で恐縮だけど、玉造町駅構内のトイレは、汲み取り式(ボットン)便所で、和式便器は全穴式(ブラックホール)となっていました。 前述の常陸小川駅、鉾田駅構内のトイレも汲み取り式(ボットン)便所となっていた。こちらは全穴式では無かったけど。

玉造町駅前には、車椅子対応トイレを備えた公衆トイレが設置されるようになったけど、こちらは男女別の水洗式で、男性用トイレの個室が洋式便器となっていました。 やはりバリアフリー化により、洋式便所の採用が増えている。 やはり駅構内の臭いボットン便所よりも綺麗な駅前水洗トイレに流れているのが現状であります。

筆者は駅構内のボットン便所を避けて、駅前の公衆便所を使ったのである。

玉造町から石岡までは、601号車で戻りました。 この時に再び懐かしい雰囲気のレトロDCに揺られていくことが出来てよかったです。

601号車から眺める霞ヶ浦も新鮮だったし。

玉里から常陸小川までは乗車時間が短かったけど、今回は長めに乗ることが出来たのである。

石岡に到着した後、602号車を見ることが出来ました。こちらは石岡15時54分発の鉾田行きとなっていた。 筆者は乗ることが出来なかったけど車内に入ってその雰囲気を味わいました。

筆者と森敏英さんは、山野さんたちと池袋で待ち合わせるために、石岡で解散していたのである。 萩原清さんと黒岩さんは、2人で602号車に乗り、常陸小川へと向かっていたのである。 あの後石岡に戻り、1週間前に乗ったフレッシュひたち48号@喫煙の自由席で帰っていたのである。 萩原清さんは柏まで、黒岩さんは上野まで乗っていた。 内房線も同じ列車に乗っていたと思われます。

この日は動いていなかったけど、キハ714形車両も見ることが出来ました。 こちらは、バス窓が特徴で、第二土曜日に石岡から鉾田まで1往復運転されている。 

この車両は、1953(S28)年新潟鉄工所製で、北海道の夕張鉄道で走っていた。 夕張鉄道は、野幌~栗山~鹿ノ谷~夕張本町間で走っていた路線で、1971(S46)年11月14日に、鹿ノ谷~夕張本町間が廃止、同時に栗山~鹿ノ谷間の旅客営業も休止。1974(S49)年3月31日には、全線で旅客運用が休止。翌年の1975(S50)年3月31日には全線が廃止されていたのである。 この車両は廃止後に鹿島入りしていたのである。

こちらはワンマン運転には対応出来ないので、第二土曜日の定期運用に止められている。

前面スタイルは、2枚窓の湘南スタイル。

鉾田は北海道の夕張と同様にメロンの産地として有名であるので、キハ714形車両は、メロンの産地同士を走ったことになる。

夕張のメロンは夕張メロンとして名高い状態。 鉾田でのメロンの栽培は、1963(S38)年から始まって以来有名となっている。 鹿島鉄道でメロン狩り列車が運転されていたことがあったけど、もっと鹿島鉄道を利用してもらいたいという願いで運転されていたのである。

石岡からは、森敏英さんと2人で、フレッシュひたち44号に乗り、上野まで行き、ここから山手線で池袋まで行きました。

今回の編成は、赤色のK305編成(クハE653-5F)とオレンジ色のK352編成の11両編成となっていました。 乗った編成はK305編成で、1週間前に乗った時と同じ編成となっていた。

乗った車両は前回と異なり禁煙車だった。

石岡を出た時点では、2人ばらばらに座っていたけど、森敏さんの隣りに座っていた人が柏で降りたために、柏の手前から2人で座ることが出来たのである。

石岡からの停車駅は、土浦、ひたち野うしく、牛久、柏、上野で、フレッシュひたち48号と同じとなっていました。

池袋では、三橋さんとも合流し、モスバーガーで時間をつぶしました。 

このツアーでは、群馬県在住の新井大さん、下村さんが来るはずだったけど、諸事情により参加出来なかったので残念に思いました。 あとは、重満さんも不参加だったし。

この後、上野動物園で過ごしていた山野さん、奥野さん、高石さんと合流。 

ここからお目当てのメイド喫茶の店に入りました。 筆者はこのようなメイド喫茶に行ったのは初めてでした。 

山野さんは、早退し、羽田空港へと向かい、スカイマーク・エアラインズの飛行機で神戸空港へと向かっていたのである。

このスカイマークの神戸線では、ボーイング737-800型機という小型機が使用されている。

筆者は昨年5月19日に釧路から羽田までJAL(旧JAS)のA300ー600R型機に乗って以来飛行機に乗っていない状態が続いている。今年は2001(H13)年以来5年ぶりに飛行機搭乗回数ゼロになってしまうことが予想されている。

森敏英さんのほうは、1992(H4)年の修学旅行以来飛行機に乗っていない状態だけど、個人で乗るときは鉄道またはバスの旅にこだわっている状態である。

この後、池袋で解散し、奥野さんと一緒に渋谷へと向かいました。 奥野さんは、東急東横線9000系TOQ-BOXの急行で帰宅。 この後、旧5000系を再度見物。 やはり夜間だったので車内に入ることが出来なかったです。 渋谷からは新宿まで移動し、東京厚生年金会館へと移動しました。 ここではあややこと松浦亜弥女史のコンサートが行われていたけど、この日は、モーニング娘。のミキティこと藤本美貴女史も特別ゲストとして出ていたのである。この時に名古屋在住のミキティ推しの某団員も参戦していたけど、勝ち組だと思います。

この終演後、北海道から2泊3日の日程で上京してきた某団員と出会いました。 某団員は、前日の10月28日の午前中に札幌から東京までAIRDO(北海道国際航空、エア・ドゥ)の飛行機で上京してきていたのである。到着後、日本武道館でのモーニング娘。のコンサート、新宿でのカレーオフ会に参戦していた。 彼は、モーニング娘。では亀井絵里女史が1推しで、7月23日をもって卒業した紺野あさ美女史も応援しているのである。参戦は北海道内中心で、7月23日の代々木でのハロプロ公演の時も上京してきていた。

10月30日の午前中に札幌へと帰っていった。

東京厚生年金会館から新宿駅までは、某団員と一緒に帰ることが出来ました。 

この撮影ツアーは、とてもよかったので、次回(11月25日)の秩父鉄道ツアーにも期待しています。

樋口さんのほうは、2000(H12)年の5月にテレビ東京(TX)系ハロモニ。ことハロー!モーニング。を見てモーニング娘。のファンになったと言っていた。大阪なので系列のテレビ大阪放映分となっていたけど。

あれ以来ごっちんこと後藤真希女史を推していたけど、2002(H14)年9月にごっちんが卒業したことにより、石川梨華・高橋愛両女史推しに乗り換えていた。

樋口さんが石川梨華女史と初握手したのが、2003(H15)年8月に行われたモーニング娘。のハワイツアーに行った時だった。 樋口さんは香港ツアーに行ったことは聞いているけど、ハワイツアーにも行っていたということは初耳でした。

樋口さんは、大阪府枚方市出身で、今年4月から名古屋で一人暮らしをしている状態だけど、辛い日々や寂しい日々もモーニング娘。のファンをやっているから大丈夫だと思います。辛いことがあってもモーニング娘。で乗り越えられるのです。と語っていたけど同感です。

樋口さんが初めてモーニング娘。のメンバーを生で見た時は、2000(H12)年10月28日の大阪市南港で行われた野外公演だったのである。 当時は雨の中で行われていた。

同年12月には懐かしのあさま号の撮影ついでに、原宿のハロプロショップにも立ち寄っていたのである。 現在は原宿のハロプロショップのほうは移転されている。

樋口さんの出身地である枚方市と言えば、V6の岡田准一氏、タレントの森脇健児氏などの出身地として有名である。

まさに、モーニング娘。は筆者や樋口さんに向いているアイドルグループの状態であります。 樋口さんもモーニング娘。などのハロプロ系が似合っているし。

筆者は、ファンの友人が不在でマンネリ化しているdreamファンとの兼任を止めて正解でした。 理由は、ファンの友人が不在になったこと、フットサルチームTeam dreamがハロプロのガッタスチームとのライバルであること、コスト低減のこと、昨年3月以来新曲が出ていないことなどでdreamファンから撤退したのである。 10月18日の六本木でのdreamが出てくるライブイベント等で、殴り合いがあったので行かなくて正解だったと思っています。

10月22日に渋谷のO-WESTでdreamのコンサートに行かなかったのはその為である。やはり常磐線撮影ツアーに行っていたこともあったし。

10月29日、パシフィコ横浜でシャ乱Qのコンサートがあったけど、これには飯田圭織、中澤裕子両女史がゲスト出演し、ミキティ以外のモーニング娘。のメンバー7人も見に来ていたので行けばよかったなと思っていました。 鹿島鉄道撮影ツアーの後でも間に合っていたところだったのに!

樋口さん曰く、ドリヲタをやっていたらモーニング娘。のメンバーに失礼やんかということは同感だと思います。

やはり、鹿島鉄道の廃止はとても残念に思っているので、残して欲しいという声が高まっている気持ちがよく分かっています。 やはりバスでは味わえないのどかな雰囲気および霞ヶ浦の眺めが売りなので。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-31 10:13 | 鉄道撮影ツアー

鹿島鉄道撮影ツアー1

10月29日は、鹿島鉄道撮影ツアーに行って来ました。

ルート 目白~上野~石岡~鉾田~石岡~玉里~常陸小川~玉造町~石岡~上野~池袋~渋谷~新宿~池袋~目白

まずは、上野8時30分発のフレッシュひたち9号に乗るために上野駅へと向かいました。この時に旧レインボー塗装のEF81-95号機の牽引による北斗星車両の団体列車が通過していました。

上野駅では、森敏英さん、山岡さん、奥野さん、そして関西からやって来た山野さんと合流しました。

山野さんのほうは、前日の私鉄部会にも参加していた。

ここで、往復のフレッシュひたち回数券を購入し、乗車しました。 フレッシュひたち回数券では、スーパーひたちには乗ることは出来ない。

この時に乗った編成は、黄色のK306編成(クハE653-6F)で、7両単独となっていました。 5人は先頭の7号車に乗車。 

上野を出た後、柏、土浦、石岡の順に停車。 こちらは勝田行きで平日は14両、土曜・休日は7両の単独運転となっていたので、今回は7両だった。

綾瀬を通過した時には、06系を見ることが出来ました。こちらは1編成しかない状態となっているけど、来年度以降に07系2編成が転属してくるという噂がある。

複々線区間では、メトロ6114Fを追い抜いていました。

筆者がフレッシュひたちのE653系に乗ったのは、先週の22日以来1週間ぶりだった。

この次に乗るときは、651系のスーパーひたち号に乗りたいです。こちらは2003(H15)年以来乗っていないので。

取手~藤代間のデッドセクションを通過した時は、空調が一時停止していたけど、室内灯は消えていませんでした。 

約1時間で石岡に到着。ここでときわ路パスを購入して、鹿島鉄道のホームへと向かいました。 ここで、前に現地入りしていた萩原清さん、黒岩さん、林直樹さん、木沢さん、高石さん、山澤さんと合流しました。

山澤さんと黒岩さんのほうは、上野8時発のスーパーひたち7号で土浦まで行き、土浦で普通列車組と合流、この後普通列車で石岡へと向かっていたのである。

スーパーひたち7号は、仙台行きで、この日は11両全てが仙台行きとなっていた。それだけではなく、常磐線の特急で唯一松戸に止まる列車となっている。

山澤さんは、渋谷の東急旧5000系青かえるを見た後に上野へと向かっていた。早朝だったので車内に入ることが出来なかったけど。

ここで参加メンバー11人揃いました。 この後記念撮影をした後、500形DCの505号車で鉾田まで行きました。

鹿島鉄道の路線 石岡~石岡南台~東田中~玉里~新高浜~四箇村~常陸小川~小川高校下~桃浦駅~八木蒔~浜~玉造町~榎本~借宿前~巴川~坂戸~鉾田

鹿島鉄道は、1924(T13)年6月8日、前身の鹿島参宮鉄道の路線として、石岡~常陸小川間に開業したのが最初であり、当初は蒸気機関で運転されていた。

1926(T15)年8月15日には、常陸小川~浜間が開業 1928(S3)年2月1日に浜~玉造町間が、翌年の1929(S4)年5月16日に玉造町~鉾田間が開業して現在に至っている。

1965(S40)年6月1日に常総筑波鉄道(現在の常総線)と合併し関東鉄道鉾田線となる。

1979(S54)年4月1日には、関東鉄道から独立し、鹿島鉄道となる。 

同様に、土浦~岩瀬間を走っていた筑波鉄道(1987(S62)年3月末に旧国鉄と共に廃止)も、鹿島鉄道と同様に関東鉄道から分社化された路線だったのである。 土浦駅の1番線の神立寄りには、筑波鉄道が出ていた時の名残がある。筑波鉄道が出ていた頃は、旧1番線から出ていた。 当時は常磐線が2番線から4番線となっていた。

鹿島鉄道のKR-500形DCは、1989(H元)年に501、502号車が登場。 1991(H3)年には503号車、1992(H4)年には505号車が導入され、504号車は欠番となっている。

1992(H4)年の新潟鐵工所(現、新潟トランシス)製ということで、1992(H4)年の新潟県生まれのモーニング娘。の久住小春女史を思い出しました。

あとは、東田中駅を見たときに、モーニング娘。の田中れいな女史を思い出したし。 東田中駅は、今年9月30日をもって廃止された桃花台新交通(ピーチライナー)にもあったのである。 
こちらも廃止されないことを願っています。

KD500形は、セミクロスシートでカーテンもある。 帯の色は、KD501号車=紫色(ガンバレ!かしてつ)、KD502号車=赤色、KD503号車=緑色 KD505号車=水色

KD505号車といえば、一昨年(2004(H16)年)に新撰組!号として走っていたことがあった。一昨年鹿島鉄道に乗りに行った時は、この車両に当たっていた。

まずは次の石岡南台で交換シーンの撮影、この時に601+602号車によるチョロQ号を見ることが出来てよかったです。 

石岡南台駅は、1989(H元)年6月15日に開業した駅で、鹿島鉄道の駅の中で後に出来た駅となっている。 こちらは南台ニュータウンの開発に合わせて設置されていた。

小川高校下駅を出た後は、右手に霞ヶ浦の景色が広がっていました。 やはり霞ヶ浦を眺める路線となっているので、廃止は勿体ないと思います。 浜駅付近には、アサザ群生地もあるし。

玉造町では、KD501号車によるガンバレ!かしてつ号を見ることも出来たし。

この後、緑の中をのんびりと走り、終点鉾田に到着。 鉾田駅の手前が坂戸駅となっていたので、東武東上線・越生線の坂戸駅を思い出してしまいました。

鉾田駅に到着した後、車両および駅舎の撮影。 この日は鯛焼き屋が休みだったので鯛焼きを買うことが出来なかったです。 やはり日曜休みというのがネックとなっている。木沢さんも残念がっていました。

本当に需要が見込める日曜日が休みだなんて勿体ないです。

鉾田駅の駅舎は、ユニークなデザインの木造駅舎で、関東の駅百選に認定されている。

この後、同じ列車で石岡まで戻りました。 榎本駅には、502号車が留置されていました。 ここで、503号車と並ぶシーンを見ることも出来たし。

玉里駅では、601号車との交換シーンを撮影しました。併結相手の602号車は石岡で切り離されていた。

石岡駅に到着した後しばらく構内での撮影会。 山野さんのほうは、常磐線の415系も撮影していました。 山澤さんは通過する貨物列車(EF81牽引)も撮影していたし。

この後、駅前のロッテリアで昼食会が行われていました。

昼食会の後、午前の部が終了し、林直樹さん、木沢さんは415系の普通列車で水戸方面へと向かっていました。 山野さん・奥野さん・山岡さん・高石さんは、フレッシュひたちで上野へ向かい、上野動物園に行っていました。山岡さんのほうは、上野動物園に行かず上野駅から帰っていた。 山澤さんのほうは、1人で我孫子まで行き、成田線経由で成田へ。成田で211系等を撮影した後、横須賀・総武快速線のグリーン車で大船へと向かっていた。

萩原清さん、黒岩さん、森敏英さん、筆者の4人は鹿島鉄道の乗り歩きを続けていました。

(2へつづく)
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by hy_sengen-sin | 2006-10-30 15:05 | 鉄道撮影ツアー

都営浅草線のイベント

10月28日は、都営浅草線の馬込車両検修場で行われた都営フェスタ’06in浅草線に行ってきました。

ルート 目白~渋谷~五反田~西馬込…馬込車両検修場…西馬込~泉岳寺~三田~神保町~九段下~新宿三丁目…新宿~目白

まずは山手線で渋谷へ。 渋谷では、10月26日からハチ公口に展示されている東急旧5000系青がえる(5001号車)のカットボディを見ました。

こちらは、1993(H5)年まで系列の上田交通(現、上田電鉄)別所線で走っていた車両で、上田を追われた後、5201号車と共に東急車輌に移設され、ここで保管されていた。

渋谷で展示されるに当たり、ボディの一部切断等によるモニュメント形式となったのである。

こちらは、渋谷区の青少年育成活動等の一環として展示されており、日中のみその車内に入ることが出来る。 ここには常にガードマンが立っている状態となっている。

その車内には、渋谷の歴史写真が展示されている。 こちらは期間限定かどうか分からない状態である。

行き先表示は、東急田園都市線の宮崎台駅前の電車とバスの博物館のイベント館に展示されている510号車と同じく、澁谷・櫻木町となっていた。

柘植の飛猿さんが実際にこれを見て不満に思っていたのである。

運転台や座席のほうは、そのまま残されているけど、吊革が撤去されていました。

元東急の青かえるのほうは、岳南鉄道および熊本電気鉄道で乗ったことがある。

東急旧5000系は、1954(S29)年に登場。1939(S34)年まで製造。 東急東横線からの撤退は、1980(S55)年のことで、26年ぶりに渋谷の地に帰ってきたことになった。

この東急旧5000系は、1986(S61)年6月の目蒲線(現在の目黒線の一部および東急多摩川線)を最後に引退してから今年で20年経ったのである。 この現役当時は旧5000系に乗れずじまいの状態となっていた。こちらは、旧3000系列よりも先に引退したことになったけど。

因みに旧3000系列が全廃となったのは、1989(H元)年3月のことだったのである。 

この5001号車のほうは、屋根が付いていないので、雨ざらし等の被害が懸念されています。

これを見た後、山手線で五反田まで行き、ここから都営浅草線に乗り換えて西馬込まで行きました。

この時に乗った編成は、5300形の5207-1Fでした。

5207-1Fと言えば、前回(一昨年11月13日)の浅草線での都営フェスタの時、入場中の車両として展示されていた車両となっていた。

こちらは、1992(H4)年の日本車輌製であり、車椅子スペースが先頭車に移設されるなど小変更されていた。

西馬込駅は、改札口が2ヶ所あり、どちらも一旦下に降りた後、地上1階部分の改札口まで上がって行く方式となっている。

この後、会場まで行ったけど、門を中途半端にしか開けていなかったせいで、行列が出来ていました。 本当はすんなり入れるはずだけど、このことで問題となってしまいました。 これだとJR八王子支社および小田急の海老名でのイベント時みたいな状態となっています。

この時に萩原清さんも行っていたけど、やはりこの時に激怒していました。八王子支社や小田急海老名でのイベントの時も萩原清さんが怒っていたし。

お陰で入場するまで40分ほど待たされました。

入ったところでは、5322-1Fが牽引車に繋がれてた状態で公開されてました。

イベント会場での展示車両 5300形 5318F、5304F、5327F、5301F

5301Fのほうは、普段は見られない東成田(芝山)の表示も披露されていました。 芝山鉄道線のほうは、京成車(芝山鉄道へのリース車を含む)オンリーとなっているので、都営車での表示は見られない。 芝山鉄道が開業する前、都営5300形も東成田まで乗り入れていたこともあったのである。

あとは、都営大江戸線用の電気機関車E5000形(5001+5002、5003+5004号機)も見ることが出来た。こちらは普段馬込に置いてある状態である。

都営大江戸線の車両(12-000形)は、12-301Fが展示されていた。 

都営大江戸線の定期検査は、木場車両検修場および光が丘車両検修場の改修が予定されていたけど、コストが掛かるということで、馬込車両検修場で行われるようになったのである。

E5000形は、都営浅草線および都営大江戸線の両方に対応した地下鉄で唯一の電気機関車であり、入場車両の牽引に使用されている。

都営大江戸線では、車両基地を含めて、全てが地下を通っているので、浅草線と接続されるまでの間、地上に出ることは無かった。 馬込に入ってきたことにより、車両の搬入以来久しぶりに地上で披露されたのである。もちろんリアクションプレートの上での展示となっている。

このイベントでは、都営大江戸線用の12-301Fが初めて青空の下で披露されていたのである。

前回の都営フェスタの時、リアクションプレートが設置されているのを見て、都営大江戸線の車両も展示されればいいなと思っていた時に、このイベントで実現していたのである。

あとは、E5000形電気機関車との並びも見ることが出来たのである。

引退間際の5200形(5201F)ももちろん展示されていました。 こちらは11月3日のさよなら運転で、西馬込~千葉ニュータウン中央間で1往復されることになっている。 その往復乗車券はすぐに売り切れてしまったのである。筆者は昨年1月12日に乗っているので充分だと思います。

都営浅草線の車両基地は、1960(S35)年の開業当時から1968(S43)年11月15日の全線開業までの間、向島検車区(京成押上線沿線の植民地車庫)および京成の高砂の車庫が借り入れられていた。 

工場部分のほうは、一昨年6月まで、馬込駅寄りにあり、入場線には踏切が3ヶ所あった。

相互乗り入れ先からの展示車両は、京成から3200形3298F(4両編成)、京急から旧1000形1291F(6両編成)、北総から7000形7003F(ゲンコツ電車)となっていた。

京成3200形の3298Fは、1967(S42)年製で、当時は特急開運号として使用されていた。特急として使用されていた時は、セミクロスシートで、トイレが付いていた。こちらは、1974(S49)年のAE車の登場と共に、ロングシート化され、トイレが撤去されていた。片開き車ということで、その名残がある。こちらは京成で最後の片開き車となっている。 これまで片開き車だった旧3000形・3050形・3100形・3150形は既に全廃となっているので。

それ以前には、1600形という簡易リクライニングシート、白黒テレビ付きの車両も走っていたこともあった。 こちらは2枚窓のスタイルとなっており、たったの1編成のみの虎の子となっていた。 1600形は吊り掛けモーター車だったのである。側面にはKDKのロゴがあった。登場当時は、2両編成で、1957(S32)年に3両編成化されていたけど。

こちらは、1967(S42)年に一般車化改造を受けていた。

以前は3294F(VVVF改造車)もあったけど、この編成の廃車により、元開運号の車両は、3298Fのみとなっている。

京急1291Fの表示は、特急三崎口となっており、かつては当たり前のように見ることの出来た組み合わせとなっていたのである。

北総7003Fのほうは、北総7000形最後の1編成で、都営5200形と同様に今年度中に引退する予定となっている。

撮影エリアでは、左半分が旧型車両、右半分が都営の主力車両と分けられていた。

12-000形のほうは、車体はもちろんのこと、パンタグラフ、台車、床下機器もコンパクトとなっていました。 今回のイベントでは、これを間近で見ることが出来たのである。

5300形(5318F)と12-000形(12-301F)が並んだ時は、大きさが異なるために親子のような組み合わせとなっていました。

メインの撮影エリアで、萩原清さんと合流することが出来てよかったです。 この時に京成の3200形が展示されていてよかったという声も聞こえていたし。

一昨年のイベントの時は、北総9100形、京急600形、京成新3000形、都営5300形、都営5200形、京急旧1000形、芝山鉄道3600形の順に並べられていた。

工場内では、入場中の車両は無かったけど、外された台車を見ることが出来ました。

このイベントを見た後、旧馬込工場部分まで歩いて行きました。この時に踏切は残っていたけど、レールの一部が撤去されていました。旧工場部分は未だに取り壊されていなかったです。

この後は、泉岳寺まで都営5300形の5309-1Fに乗車。 泉岳寺から三田までは、北総7300形7311Fに乗りました。

三田駅では、直接4番線に出られる階段が、エスカレータ工事中のために使えなかったので、3番線まで出て、その後に4番線に降りました。 三田から神保町まで都営三田線の6300形6311-1Fで移動。 こちらは1994(H6)年に導入されたGTO車である。

神保町から九段下まで、都営新宿線の10-400Fに乗車。

九段下で降りた後、日本武道館まで行き、ここでモーニング娘。のコンサートを見ました。

日本武道館は、1964(S39)年の東京オリンピックの時に、柔道競技の会場として、北の丸公園内に建設されていた会場であり、毎年4月29日には全日本柔道選手権大会、8月15日には政府主催の全国戦没者追悼式、8月下旬には日本テレビ主催のチャリティー番組である「24時間テレビ」、11月3日には全日本剣道選手権等が行われている。

あとは、有名アーティストのコンサート等も盛んに行われている。 

モーニング娘。の日本武道館での公演は、2000(H12)年5月20、21日に行われたのが最初で、以後、昨年5月6・7日、9月24・25日、そして今年10月28日に行われいたのである。

10月28日は、さいたまスーパーアリーナで倉木麻衣女史のコンサートが行われていたけど、この日は倉木麻衣女史の誕生日公演でもあり、ツアーファイナル(最終日)でもあった。

山岡さんのほうは、倉木麻衣女史のファンで、さいたまスーパーアリーナでのコンサートにも行っていたのである。

今回のモーニング娘。のコンサートでは、連番相手の某団員氏と参戦していたけど、この時に亀井絵里・田中れいな両女史を応援していたのである。 某団員はなっちこと安倍なつみ女史が1推しとなっているけど。

それに対して筆者は道重さゆみ・久住小春両女史をメインに応援している。これらの2人は、レインボーピンク(重ピンク、こはっピンク)で活躍している。

この後、ファンの仲間で、新宿の某カレーショップでのオフ会に行きました。 この時に九段下から新宿三丁目まで10-300R形の10-330Fに乗ったのである。乗った車両は、10-338号車で、10-000形の中間車から改造されていた。

都営10-000形といえば、日中の京王相模原線(調布~橋本間)の各駅停車での間合い運用も行われている。

11月3日の都営5200形のさよなら運転の時刻 西馬込 10:09発→千葉ニュータウン中央 11:36着、13:05発→西馬込 14:13着
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by hy_sengen-sin | 2006-10-29 23:14 | 鉄道イベント

常磐線撮影ツアー2

勝田駅に到着した後、茨城交通湊線の列車を撮影しました。 

この時に見た車両は、キハ3710-1号車で、1995(H7)年に導入された車両となっている。 茨城交通湊線は、勝田と阿字ヶ浦を結ぶ路線となっているけど、利用客の減少により、再来年に廃止される噂が出ている。

茨城交通では、湊線のほか、水浜線、茨城線という鉄道路線も出ていたこともあった。

水浜線は、上水戸~水戸駅前~湊間で、1966(S41)年6月に、茨城線は、赤塚~上水戸~御前山間で、1971(S46)年2月11日に廃止されていた。廃止当時の路線は、前者が水戸駅前~湊間、後者が赤塚~大学前間となっていた。

前身は、水浜線が水浜電車、茨城線が茨城鉄道、湊線が湊鉄道となっていた。

水浜線の全線および茨城線の赤塚~大学前間は電化されていたので、かつて茨城交通で電車もあったということとなる。 

茨城交通湊線の路線 勝田~日工前~金上~中根~那珂湊~殿山~平磯~磯崎~阿字ヶ浦

日工前駅は、その名の通り、日立工機の工場の前にある駅で、1998(H10)年12月8日に一般客に開放される前は、日立工機の従業員専用の駅となっていた。

車両基地・途中交換駅は、那珂湊駅にある。 那珂湊駅は、関東の駅百選認定駅。

この路線ではかつて夏の海水浴客輸送として、国鉄のキハ58系列のDCが上野(末期は我孫子)から直通していたことがあった。 同様に大洗までの直通列車もあったけど。

阿字ヶ浦は、海水浴場があることで有名で、廃車車両を使用した更衣室も設けられていたこともあった。

この路線では、3710形DCのほか、キハ22形などの旧型DCも運転されている。これらのDCは、本家JRでは絶滅しているので、貴重な車両となっている。 

茨城交通の撮影ツアーも、ときわ路パスを引っ提げた上での撮影ツアーも検討されている。

勝田駅のほうは、今から3年前に橋上駅舎化されているけど、萩原清さんは久しぶりに来たけど随分変わっていたと驚いていた状態となっていた。 

筆者は、今から3年前の10月に、勝田電車区(現、勝田車両センター)でのイベントで行ったことがある。 勝田電車区(勝田車両センター)は、1961(S36)年6月1日の勝田までの交流電化と同時に開設され、401系が配置されていた。 初期型の401系のほうは、既に絶滅しているけど、403系のほうも、常磐線の415系の普通鋼車と共に絶滅寸前である。

あとは、2002(H14)年1月の415系赤電で行く勝田電車区撮影会でも行ったことがある。

勝田車両センターにある485系ボンネット訓練車のほうは、来年10月14日に開館予定の新生鉄道博物館に展示される予定となっているので、近いうちに訓練車としての役目を終えることになる。 昨年6月25日の三鷹電車区でのイベントで、あずさのHMが付いていた車両となっていた。 この座席は、登場当時の面影の残る非リクライニング式の青い座席となっていた。

そのうちの先頭車(クハ481-26号車)、中間車(モハ(モヤ)484-2号車)が新生鉄道博物館入りすることになっている。

あとは、E491系(Easti-E)の所属区でもある。

勝田車両センターには、団臨用の485系が6連・4連1本ずつあるけど、2003(H15)年当時は、前者が新潟色、後者がビバあいづ塗装のままで使用されていた。現在はどちらもオリジナルカラーとなっている。

勝田駅周辺には、日立製作所水戸事業所、日立製作所機械研究所、日立協和エンジニアリング勝田事業部と、日立関連の施設があるので、出張客の利用も多い状態となっている。

日立製作所は、茨城県日立村(現、日立市)で創業していたので、日立製作所発祥の地となっている。ひたちということで、昔の地名である常陸と同じ読み方の状態となっている。

ひたち号が絵無しのローマ字表示だった頃は、ひたち、HITACHIの表示となっていたので、HITACHIの文字を見たときに日立の家電製品等を連想してしまいました。

因みに筆者が使用している携帯機種であるW32Hも日立製となっている。 日立製作所の携帯部門は、カシオ日立モバイルコミュニケーションズというカシオ計算機と日立製作所の系列会社によって開発・供給されている。

かつては、勝田駅から日立製作所の水戸工場まで、元東急6000系による従業員輸送列車も運転されていたこともあったけど、 現在は廃止され、この車両も廃車となっている。

元東急6000系のほうは、青森県の弘南鉄道大鰐線で走っており、平日朝の快速列車で6000系が限定運用されているけど、この快速が11月1日に廃止されるため、6000系の動向が気になります。現在は4両が在籍している。

ひたちなか市は、1994(H6)年11月1日に、勝田市と那珂湊市が合併して誕生した市である。 

ひたちなか市には、国営ひたち海浜公園があり、花の名所として知られている。1991(H3)年に開園。 今年で開園15周年を迎えていた。

周辺には、安全運転中央研修所もあり、総面積100ha(東京ドーム20個分)の敷地面積となっている。

2000(H12)年に公開されたモーニング娘。主演の映画、「ピンチランナー」のロケ地もひたちなか市で行われていたのである。当時出演していたメンバーは7人で全員卒業しているけど、そのうちの6人は現在でもハロプロのソロアーティストとして活躍している。

当時モーニング娘。では、なっちこと安倍なつみ女史を推していたので、なっちが筆者のハロプロファンの原点となっているのである。浜松市在住の亀井絵里女史1推しの某団員も、なっちがハロプロファンの原点となっているし。

樋口君のほうは、2000(H12)年5月にハロプロファンを始めていたけど、当時「ピンチランナー」が公開されていた時だった。 樋口君のほうは、ごっちんこと後藤真希女史推しからスタートしていたので、ごっちんが、樋口君のハロプロファンの原点となっていたのである。

萩原清さんのほうは、かつてナンノこと南野陽子女史のファンクラブ(FC)に入っていたことがあり、中野サンプラザでのコンサートに行ったことがあると言っていた。南野陽子女史は、80年代後半はアイドル歌手として活躍していたけど、現在は女優として活躍している。 筆者も南野陽子女史の歌が懐かしいなと思っています。以前JR西日本(WENS)のCMにも出ていたこともあったし。

あとは、平松愛理女史のFCのことも話題となっていたけど、コンサート会場は東名阪では取りづらいということも語っていた。 愛理と書いてえりと読むけど、本名は絵里で、下の名前がモーニング娘。の亀井絵里女史と同じである。

平松愛理女史といえば、1992(H4)年に「部屋とYシャツと私」という曲がヒットしていた。

中野サンプラザのほうは、毎年1月にハロプロのライブが行われることで有名となっている。

このように、萩原清さんは、昔のアイドルに興味があるという状態である。

話は茨城交通に戻すけど、萩原清さんのほうは、特別に許可をもらって茨城交通の3710-1形をストレートに撮影していました。

勝田駅からは、E653系によるフレッシュひたち48号で上野まで向かいました。

まずは、高萩から赤色のK301編成(クハE653-1F)が入線。 この時に始発の7両が増結され、14両の重連運転となっていました。 始発の車両は、同じ赤色のK305編成(クハE653-5F)。 この時に連結シーンを見ることが出来ました。 このような14両の重連運転は、485系の時代から継承されているけど、E653系化されてからは異なる色の組み合わせも見られるということで、楽しませてくれる状態となっている。

E653系は、1997(H9)年10月1日にフレッシュひたちとしてデビュー。 当時は7両基本編成4本配置。 翌年の1998(H10)年には、7両基本編成4本のほか、4両付属編成3本も導入され、485系の全てが置き換えられていた。

昨年3月には4両付属編成が1本導入されたことにより、E653系の増備が再開されていた。
この編成は、仕様変更されていたと思われます。

赤色の編成は、K301、305編成で日立製作所製、偕楽園の梅と好文亭がテーマ

青色の編成は、K302、308編成で日立製作所製、塩屋崎海岸と灯台がテーマ。

黄色の編成は、K303、306編成で近畿車輛製、ひたち海浜公園と水仙がテーマ。

緑色の編成は、K304、307編成で東急車輌製、霞ヶ浦と帆曳船がテーマ。

塩屋崎海岸は、福島県のいわき市にあり、ここにある塩屋崎灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった灯台としても知られている。ふもとには故・美空ひばり女史の歌碑「みだれ髪」が建立されていることでも有名である。

霞ヶ浦は、茨城県南東部から千葉県北東部に広がる湖で、土浦駅東口も霞ヶ浦に面している。 こちらは、北利根川、常陸利根川を経て、利根川にも繋がっている。あとは、鹿島鉄道線も、霞ヶ浦に沿って走る区間もあるし。

4両の付属編成は、K351~354編成で、メーカーとは関係なく、全ての編成がオレンジ色で、袋田の滝と紅葉がテーマとなっている。

袋田の滝は、華厳滝(栃木県)と、那智滝(和歌山県)と並び日本三名瀑のひとつであり、日本の滝百選にも選定されている。こちらは、水郡線の袋田駅からバスで行くことになる。

併合作業を見た後、後ろの7両編成のうちの9号車(喫煙車)に乗車。

勝田を出た後、水戸、友部、石岡、土浦、ひたち野うしく、牛久、柏、上野の順に停車。 萩原清さんのほうは、柏で下車し、金町へと向かっていた。 この時に取手から金町までの精算となってしまったのである。

スーパーひたち号のほうは、ほとんどが上野~水戸間ノンストップ運転。最速65分で結んでいる。以前は勝田駅を通過する列車もあったけど、現在はすべて勝田に停車するようになった。

筆者がフレッシュひたちに乗ったのは、2003(H15)年10月の勝田電車区でのイベント以来だった。 帰りは651系のフレッシュひたちに乗車していた。

651系の分割・併合作業は、勝田駅のほか、いわき駅でも行われている。

フレッシュひたちのほうは、上野~土浦、勝田、高萩間運転だけど、上野~いわき間で運転される列車もある。

651系のフレッシュひたちのほうは、7両単独で上野に乗り入れている列車もある。

E653系の11両または14両での運用範囲は、上野~土浦、勝田間

E653系の11両での運転の時は、赤・青・黄色・緑+オレンジの組み合わせ

14両での運転の時は、赤+赤、青+青、黄色+黄色、緑+緑のほか、赤+青、赤+黄色、赤+緑 青+赤、青+黄色、青+緑 黄色+赤、黄色+青、黄色+緑 緑+赤、緑+青、緑+黄色の組み合わせを見ることが出来る。

水戸駅を出た後、130Km/h運転モードに突入。 内原駅を通過した時には、その前に水戸を発車した小山行きの415系普通鋼製車が待機していました。 こちらも来年春までに見納めとなる。

ひたち野うしくに到着した時には、今から21年前の1985(S60)年のつくば万博輸送のことで話題となりました。 このつくば万博は、1985(S60)年3月17日から9月16日まで行われ、ひたち野うしく駅のある場所に万博中央臨時駅があったのである。 当時は万博中央駅から会場へのシャトルバスが運転されていた。

昨年開催された愛・地球博こと愛知万博のほうは、つくば万博から20年後に行われていたのである。

ひたち野うしくを出た後、牛久駅に続いて停車。

藤代駅を通過した時は暗くなっていたので、先ほどの撮影ポイントもあっという間に通り過ぎてしまいました。 藤代~取手間のデッドセクションを通過した時は、車内灯が消えていませんでした。 651系だったら車内灯が消えるけど。

取手駅からは、直流専用車であるE231系や203系と対面。 203系などの常磐緩行線の取手乗り入れは朝夕のみ。 この203系のほうは、201系ベースとなっているけど、来年暮れ以降E233系2000番台という新型直通用車両に置き換えられることになっている。なので203系の撮影も視野に入れています。

我孫子駅では、E231系が、松戸駅では415系がそれぞれ通過待ちで待避していたけど、後者のほうも415系1500番台を含めて見納めが近い状態である。

フレッシュひたち号は、柏のほか、松戸または我孫子にも停車する列車もあったけど、現在は利用客の多い柏に統一されている。

現在は上野8時発のスーパーひたち7号(仙台行き)が、唯一松戸に停車する特急となっている。

柏駅で、萩原さんと別れ、2人行動となりました。

上野駅に到着した後、山手線で東京まで移動。この時に京浜東北線でのドア関連のトラブルにより止まっていました。 山手線の停止位置の手前で一時停車していた。

上野駅は17番線に到着。折り返しは高萩行き(後ろ7両は勝田行き)となっていた。隣の16番線には、土浦行きのフレッシュひたち49号が停車していました。

かつて上野駅の特急専用ホームは、16、17番線のほか、18番線もあったけど、1997(H9)年9月30日の旧あさま、白山号の廃止に伴い、余裕が出来たために、分かりづらい18番線だけが廃止されていた。こちらは最後まで発車ベルが使用されていた。 現在16番線は、高崎線の185系の特急と兼用、17番線は常磐線特急専用となっている。

スーパーひたち号は上野00分、フレッシュひたち号は一部を除き上野30分に発車。 高崎線の185系の特急水上・草津・あかぎも一部を除き00分発となっているので、651系スーパーひたち号との同時発車シーンも見られることになる。 このことは、旧あさま号の時代でも見られていた。 

東京駅からは、京葉線地下ホームに移動し、19時30分発のさざなみ19号で帰る黒岩さんを見送りました。 

先に出発したわかしお23号は、NB15+17F編成よる10両編成で、前5両は安房鴨川行き(勝浦より先は普通列車)、後ろ5両は上総一ノ宮行きとなっていた。

さざなみ19号は、NB07+03編成による10両編成で、10両編成のまま館山へと向かっていた。 NB03編成といえば、一昨年の8月の東京総合車両センターのイベントで展示されていた編成だったのである。

この後筆者は19時20分発の武蔵野線の205系に乗車。こちらは、元中央・総武緩行線で走っていたクハ205-105Fで、元をただせば京浜東北線で走っていた。

新木場でりんかい線に乗り換えて東京テレポートへ。 

東京テレポートからはお台場を見物した後、大崎まで行き、ここで埼京線に乗り換えて池袋まで行きました。 この日は、快速川越行きとなるはずだったけど、埼京線中浦和駅で発生した人身事故の影響によりダイヤが乱れていたので、大崎で車両交換が行われていた。

お台場では、メガウェブというトヨタのテーマパークに立ち寄ったけど、ここで、10月10日に発表された新型カローラシリーズ、レクサスLS460、ダイハツの新型ムーヴなどを見ました。

新型カローラシリーズは、4ドアセダンのカローラ・アクシオ、5ドアワゴンのカローラ・フィールダーから成っており、エンジンは1.5リッターと1.8リッターの2種類ある。ボディサイズは、小型車(5ナンバーサイズ)となっている。

ここでは、専用コースでのトヨタ車の試乗も可能となっているけど予約が必要である。それでも運転は普通免許証が必要となるけど。

カローラは、1966(S41)年に発売され、今年で40周年を迎えていた。 登場以来のロングセラー車で、トヨタで最も売れている車と言われている。 こちらは日本だけではなく世界中でも売れているし。

この新型で10代目となる。

こちらは既に池袋のサンシャインシティ横のアムラックス(青色のビル)でも見たことがある。

10月23日には、新型カローラベースのオーリスという5ドアハッチバックが発表されたけど、こちらはネッツトヨタ店での扱いとなる。前面のフロントグリルは、同じネッツトヨタ店から発売されているヴィッツに似ている状態なので、ワイドヴィッツというイメージが強い。 こちらは、3ナンバーのワイドボディとなる。それでも最小回転半径が5.2mと小回りが効く状態となっていうr。

ヴィッツのほうは、1999(H11)年の登場以来、最も売れているコンパクトカーとなっているけど、昨年2月にモデルチェンジされて2代目となっている。

レクサスシリーズの車とダイハツの軽自動車のほうは、メガウェブにあってアムラックスには無いので、レクサスLS460とダイハツの新型ムーヴのほうは初めて見たのである。

レクサスLS460は、これまでトヨタブランドでセルシオという名で売られていた。モデルチェンジに伴い、レクサスブランド化されていた。

ダイハツのムーヴは、1995(H7)年にミラベースのトールタイプの車として登場。 1998(H10)年の軽自動車の新規格への移行と共に2代目に。2002(H14)年には3代目となり、今回のモデルチェンジ(4代目)で、大胆に変わっていたのである。 

お台場では、レインボーブリッジの夜景も見たのである。

帰りは雨が本降りになっていたので大変でした。

ここで、201系に関する情報で、10月18日に、10両固定のT6編成(クハ201-26F)を皮切りに、旅客仕様の201系に初めて廃車が発生し、北長野まで廃車回送されていたのである。

この廃車回送は、自力で行われていた。 この編成には、今年4月15日に中野から新宿まで乗った時が最後となった。 こちらは、予備車削減に伴うE233系登場前のフライングでの廃車となっていたので、2002(H14)年末の301系の廃車回送を思い出します。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-25 11:11 | 鉄道撮影ツアー

常磐線撮影ツアー1

10月22日は、萩原清さん、黒岩さん、筆者の3人だけで、常磐線の撮影ツアーに行ってました。

普段は多くの参加者が集まる撮影ツアーだけど、今回はこのメンバーで行われたのが珍しかった。 このため恒例の集合写真が無かった。

ルート 目白~上野~藤代~土浦~友部~水戸~勝田~上野~東京~新木場~東京テレポート~大崎~池袋~目白

上野駅では10番線に集合。 まずは、E531系の15両編成による普通列車土浦行きで、藤代まで行きました。 

この前黒岩さんは、上総湊駅から255系によるさざなみ2号で東京入り、東京駅で伊豆急リゾート21EXの黒船電車によるリゾート踊り子81号を撮影し、その後上野に向かっていたと言っていた。 このリゾート号の運転士は、メガネを掛けた運転士で、小柄だったので、元モーニング娘。の矢口真里女史を思わせる状態となっていた。メガネを掛けていたということで、メガネを掛けたアイドル(メガネっ娘)である時東ぁみ女史を思い出しました。

さざなみ2号はグリーン車を除き全て自由席となっていた。 上総湊発5:35で東京6:58着。 普通列車を追い抜かなかった列車となっていた。

上野から藤代まで乗った編成は、K406編成(クハE531-6F)+K451編成(クハE530-1001F)となっていました。 筆者はK451編成側に乗車。 

ここで3人揃いました。 綾瀬駅付近では、北綾瀬支線の5000系アルミ車を見ることが出来たけど、こちらは東西線から撤退した後も安泰となっている。

今回乗った列車は、前日とは違い、快速なので、三河島、南千住、我孫子、天王台にも停車していた。

利根川を渡ったところでは、勝田車両センターのお座敷電車であるゆうとすれ違いました。 ゆうのほうは、1991(H3)年にデビューした時は、全車両座席仕様の欧風電車となっていたけど、1998(H10)年9月にお座敷電車に改造されている。 こちらは2003(H15)年に勝田車両センターで行われたイベントで中に入ったことがある。

藤代駅で下車した後、上りの415系の撮影。この時に全編成入れて撮影することが出来ました。

藤代駅のある地域は、昨年3月27日まで、北相馬郡藤代町にあったけど、翌日の3月28日(筆者の誕生日でもある)に取手市に編入されたことにより、現在の取手市の一部となっている。 同時に下館駅付近の筑西市も誕生していた。

ここから取手寄りの撮影ポイントまで歩き、約2時間ほどここで撮影していました。 このポイントは、黄色い花が入るので、とても絵になる状態となっていた。

ここでは、415系はもちろんのこと、E531系のモノクラス編成、E501系などを撮影していました。

E653系のフレッシュひたちでは、赤色単独のほか、緑色+オレンジ色、黄色+オレンジ色の編成を見ました。 

あとは、EF81-85号機牽引の貨物列車も見ることが出来たし。 幸運の持ち主である萩原清
さん主催による撮影ツアーでは、毎回大成功に終わっているので、今回もこうなりました。

11時30分ごろに撮影現場を離れる前、E531系のラッピング編成を撮影することが出来てよかったという声も聞こえていました。

ここを後にして改札に入場した時、萩原清さんがホリデーパスを紛失してしまい、諦めていたところ、2000円で茨城県内のJR線、関東鉄道常総線、鹿島鉄道線、鹿島臨海鉄道線(水戸~新鉾田間)、茨城交通湊線に乗り放題のときわ路パスというのを見つけたので、それを買って入場しました。 この時に萩原さんだけでなく、黒岩さんや筆者も買っていたのである。 やはり土浦~勝田間片道950円、往復1900円と100円しか変わらないので、買えてよかったのである。 あとは、10月29日の鹿島鉄道撮影ツアーの時にも重宝する状態だし。

こちらは、取手や土浦まで、ホリデーパスまたはSuicaで行き、ここからときわ路パスを使っていくことも可能である。 ということで、良い切符を見つけたということとなった。

いずれにしても、勝田に行くならこの切符がお勧めということとなっていたのである。

藤代から土浦までは、415系のステンレス車であるK534編成(クハ411-1524F)に乗車。この時には、クハ411-309Fも連結されていた。

土浦駅に到着した後、立ち食いそば屋で天ぷらうどんを食べました。 萩原清さんはうどんが美味いと言っていたので、筆者もうどんにしたのである。前日松戸で食べたのはそばだったので。

ここでは、EF81-84号機牽引による貨物列車も見ることが出来ました。 土浦から友部までは、クハ411-512Fで移動。 その前に連結された編成は、クハ411-1534Fで、昨年7月まで使用されていた2階建て普通車であるクハ415-1901号車と組んでいたのである。 現在は独立した4両編成となっている。
土浦駅構内の車両基地には、E501系、E531系、415系が止まっていたけど、ここも来年春以降E531系で埋め尽くされることになる。

高浜で、フレッシュひたち号の通過待ちがあったけど、この時に通過した車両は、オレンジ+黄色の車両でした。

石岡駅では、10月29日の撮影ツアーで乗る予定の鹿島鉄道を見ることが出来ました。 この時に旧型車両が運転されることを願っています。 あとは、JRバス関東の2階建てネオプラン車が止まっていたけど、どのような目的で来ていたのか気になります。

友部に到着した後、水戸線の車両を撮影していました。 この時にK522編成(クハ411-701F)を見ることが出来たけど、上野(小山)寄りの先頭車が、403系(クハ401-51号車)となっていました。

この後E531系の5両単独編成(K457編成、K460編成)を見ることが出来たけど、勝田発水戸線直通の小山行き、勝田発土浦行きとなっていました。 

水戸線のE531系の運用は、来年3月までの期間限定となっているので、水戸線を走る415系普通鋼製車と共に想い出の出来事となる。 なので、12月24日には水戸線での撮影ツアーも予定されている。

この時に、E501系のK704編成(クハE501-4F)の単独の回送が通過していったけど、これらの先頭車には、トイレが付いていました。こちらはフライングで取り付け改造されていた。 この時に最初からトイレ付きだったらよかったなと思いました。こちらは窓が埋められていたのですぐ分かる。 こちらのトイレは、もちろん車椅子対応の洋式トイレとなっている。

こちらは水戸線および常磐線の土浦以北に転用予定となっているけど、この時に先頭車化を伴う改造が予想されています。

あとは、415系の普通鋼製車とステンレス車の混結編成も見ることが出来ました。 こちらは、K806編成(クハ411-506F)のうちの2両に入っていた。 こちらも来年春までに見られなくなる。 このことで、2階建て普通車連結編成の末期を思い出しました。

友部駅では、現在駅舎の橋上化が進められており、仮駅舎で営業中となっている。 なので、一旦改札から出て、仮駅舎を撮影していました。 やはりときわ路パスを持っているならそうしたほうが良いと判断したので。
この駅舎の橋上化は、来年度中に完成予定となっている。この時に橋上駅舎が建ち始めていたので、茶色いカバーで覆われていました。

友部駅から水戸駅まで、415系(K618編成、クハ411-518F)で移動。この時に偕楽園臨時駅を通過していました。偕楽園臨時駅は、梅祭りの時期を中心に、特急列車を含め、下りのみ臨時停車することもある。 この偕楽園臨時駅は、下り列車のみの設定で、上り列車は全て通過となるので、今から20年前に廃止された東海道線の新垂井駅を思わせるような状態となっている。土浦・上野方面に戻る場合は、水戸駅からの折り返しとなる。ホームが11両分しかないため、14両編成の特急フレッシュひたちの場合は、後部3両のドアが締め切り扱いとなる。

こちらは、SuicaやICOCAは使用出来ない。

1993(H5)年3月から5月に掛けて開催された「第10回全国都市緑化フェア」の時は、上り線にも仮設ホームが設けられていたこともあった。

偕楽園は、金沢の兼六園、岡山の後楽園と並ぶ、日本三名園の一つとなっており、普段は水戸駅からバスに乗って行くことになる。

周辺には、千波湖という湖もある。

内原駅には、水戸駅から移設された留置線が設置される予定となっており、周辺にイオン水戸内原ショッピングセンターもある。 あとは、JR野球グラウンド、JR東日本系列の車販会社であるNRE(日本レストランエンタプライズ)の直営農場もあるし。

水戸駅に到着した後、フリータイム。 ここでは、水郡線のキハ110形DCなどを撮影していました。 こちらは、来年にキハ130形新型DCに置き換えられる予定となっている。ここから捻出されたキハ110系列のDCは、キハ52、58系列の旧型DCの置き換え用として盛岡エリアに転用されることが予想されている。 同時にワンマン運行も可能となるし。

見た編成は、キハ111-120F、キハ111-152F、キハ110-130+133号車だった。水戸駅の南側では、水郡線のキハ110系列のDCが留置されているけど、あれもキハE130系で埋め尽くされることになる。

あとは、403系のフル編成であるK561編成(クハ401-89F)も見ることが出来ました。 こちらは、水戸始発のいわき行きで、昨年7月まで、455系も使用されていた列車でもあった。

455系のほうも、来年3月開業予定の仙台空港線対応のE721系の導入により、廃車が進められる予定となっている。

このK561編成は、中間車も401系となっており、トイレの使用知らせ灯もユニークで、便所の表示となっていた。使用中の場合は、便所の下の使用中ランプも点灯するけど。

水戸駅は、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の発着駅となっており、上りの特急専用ホームから発着している。 このホームには、E653系フレッシュひたちの赤色編成をイメージしたキヨスクがありました。 東海道線の藤沢駅のホームにかつての80系電車をイメージしたキヨスクがあるように。

この時にラッピング塗装の6000系DCを見ることが出来ました。萩原清さんのほうは、鹿島臨海鉄道の車両を撮影する旨を係員に言った時に入れてもらって撮影していたのである。

415系のほうは、水戸始発の415系の普通鋼製車+ステンレス車の組み合わせの8両編成も撮影出来たし。こちらは、来年の春以降ステンレス車だけの組み合わせとなる。

水戸駅でも、改札から一旦出て駅前を見物しました。 やはり駅ビル等のある北口のほうが賑わっていました。

水戸駅は、新宿駅、渋谷駅に続いて、JR東日本で3番目の発車メロディー導入駅となっている。 メロディーは、1・2番線(水郡線)は、『春の雪解けの小川のせせらぎ』、3・4番線は、『日本庭園の水と草木』、5・6番線は、『大都会の雑踏の中で聞こえるチャイム』、特急専用の7番線は『太平洋の海岸での生命の誕生』がイメージされているけど、水郡線のワンマン列車の場合は鳴らない状態となっている。

新宿・渋谷駅の発車メロディーは、1989(H元)年3月に試験的に導入開始。特に新宿駅は、路線毎に異なるメロディーが使用されていたけど、現在はどちらも変わっているため、元祖のメロディーは聴くことが出来ない。

ここには、来年春導入予定のE531系のグリーン車のモックアップ(座席体験コーナー)もありました。

あとは、651系スーパーひたちの最終増備車も見ることが出来ました。 こちらは、1992(H4)年に485系の一部のスーパーひたち化(現在はフレッシュひたちの一部)により導入された編成で、基本のK109編成(クハ651-9F)と付属のK209編成(クハ651-109F)となっている。 これらの編成には、ワイパー部分にエアーダムが付いているのが特徴である。 

スーパーひたちの651系は、1989(H元)年3月11日に、JR東日本初のオリジナル特急としてデビュー。当時は初の130Km/h運転が行われ、話題となっていた。 トイレは和式ではなく、普通車を含めて全て洋式が採用されている。これ以降に登場した、JR東日本のオリジナル特急のトイレは、新幹線を含めて全て洋式となっている。

こちらは白いタキシードボディや斬新なスタイルが評価されて、翌年の1990(H2)年のブルーリボン賞を受賞。 同年3月の改正で増発され、平(現、いわき)以北の特急がスーパーひたちに統一されていた。

1992(H4)年に前述の基本・付属1編成ずつが導入されて現在に至る。 リニューアル化のほうは、2001(H13)年から2002(H14)年に掛けて行われていたけど、それ以前は青色と赤色の座席が採用されていた。

スーパーひたち号のほうは、上野~常磐線経由~仙台間を通しで運転される列車が下り3本、上り4本あるけど、いわき~仙台間は付属の4両編成で運転されている。多客期は7+4の11両編成のまま仙台まで運転されることもある。

水戸から勝田までは、415系(K807編成、クハ411-507F)に乗車。

(つづく)
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by hy_sengen-sin | 2006-10-23 15:18 | 鉄道撮影ツアー

新京成電鉄のイベント

10月21日は、新京成電鉄のくぬぎ山の車両基地で行われたイベントに行ってきました。

ルート 目白~日暮里~松戸~上本郷~くぬぎ山…イベント会場~くぬぎ山~松戸~北千住~日暮里~目白

まずは日暮里まで山手線で行き、ここから松戸までE531系による特別快速(常磐特快)で移動。 こちらは三河島、南千住、北千住通過で松戸までノンストップ状態だったので、かつての常磐線の中距離電車と同様の状態となっていました。北千住のほうは一部のみ停車となっていたけど。 

常磐線の中距離電車の三河島、南千住、天王台駅の停車化は、1988(S63)年3月13日のダイヤ改正のことで、当時は三河島・南千住の両駅の中距離電車の停車はデータイムのみとなっていた。一昨年3月13日には、三河島、南千住駅に終日停車となり、同年10月16日の改正で、中距離電車を含め、取手以南の直流区間で、快速となったのである。

1905(M38)年4月1日に三河島~日暮里間が開業する前は、南千住から田端まで行き、ここで方向転換し、上野へと向かっていたことがあった。 この田端への短絡線は、現在でも貨物線として使用されている。 この路線は、以前運転されていたホリデー快速ときわ鎌倉号(取手~新宿経由~鎌倉間)が通っていたことがあった。 車両は167系で簡易リクライニングシートが採用されていた。 現在は運転されていないので、167系と共に過去帳入りしたことになった。 筆者は1999(H11)年秋に、田端~南千住間のスイッチバック体験をしていたけど、あの時が最初で最後となっていた。

この列車には、山さん(山澤さん)も横浜に行くときに良く乗っていたのである。当時山さんと一緒に乗っていた頃が懐かしいです。 当時は山さんとの行動の全盛期で、現在は諸事情により山さんとの行動が少なくなっている。

やはり湘南新宿ラインが出来る前は、この列車が唯一池袋・新宿方面から横浜方面へと向かう列車として重宝されていた。これを逃したら品川で乗り換えなければならなかった。

現在は湘南新宿ラインとして頻繁に運転されているのでこのような問題は解決している。

現在山さんも湘南新宿ラインをよく使っているのもそのためであり、時々グリーン車に乗る場合もある。

筆者の場合はグリーン車には滅多に乗らないけど。

E531系のほうは、来年からグリーン車導入予定であり、来年初旬からダイヤ改正の時までの間、一昨年のE231系の時みたく、グリーン車も料金不要で乗れるのである。筆者ももちろん乗りに行く予定。

今回乗った編成は、K403編成+K461編成(クハE530-2011F)で、K461編成側に乗車。 この常磐特快は、つくばエクスプレスに対抗するために登場した列車で、上野~取手間、日暮里、松戸、柏のみの停車であり、三河島、南千住、北千住、我孫子、天王台駅は通過となる。 最高速度は、415系より30Km/h、E501系よりも10Km/hアップの130Km/h(常磐線の特急と同じ)となっている。今回新津製のE531系に乗ったのは初めてだった。

ちなみにE501系の最高速度は、かつての485系ひたち号と同様に120Km/hとなっている。 あとは、上野~取手間で使用されているE231系も120Km/h運転対応なので、103系からE231系への置き換え完了に伴うスピードアップ化も期待されている。

松戸駅に到着した後、立ち食いそば屋での昼食を取り、この後新京成の8900形(8911F)で、上本郷へと向かいました。これには、イオングループの広告がありました。

新京成の8900形は、1993(H5)年に登場。1996(H8)年までに、8両3編成21本が製造されていた。 当時京成3700形が導入されていたけど、この8900形は、3700形との共通仕様ではなく、新京成独自の仕様で導入されていた。

新京成線の路線 松戸~上本郷~松戸新田~みのり台~八柱~常盤平~五香~元山~くぬぎ山~北初富~新鎌ヶ谷~初富~鎌ヶ谷大仏~二和向台~三咲~滝不動~高根公団~高根木戸~北習志野~習志野~薬園台~前原~新津田沼~京成津田沼

新京成電鉄の設立は、1946(S21)年10月で、今年創立60周年を迎えていた。昨年はくぬぎ山車両基地の改良工事のためにイベントが中止となっていたけど、今年は創立60周年記念の一環として、2年ぶりに行われていた。

開業したのは、1947(S22)年12月27日の新津田沼(初代)~薬園台間で、当時はレール幅が狭軌(1067ミリ)となっていた。
翌年の1948(S23)年8月26日に薬園台~滝不動間が、1949(S24)年1月8日には、滝不動~鎌ヶ谷大仏間が、同年10月17日には、鎌ヶ谷大仏~鎌ヶ谷初富(現、初富)間が開業。

1953(S28)年10月21日に、1372ミリに改軌。 同年11月1日に、京成津田沼~新津田沼間開業。同時に前原~新津田沼間が移設されていた。

1955(S30)年4月21日には、鎌ヶ谷初富(現、初富)~松戸間開業。 昨年は全線開業から50年を迎えていた。

1959(S34)年11月30日には、現在の1435ミリに改軌。 1961(S36)年には、新津田沼駅が2度目の移設。これまでの2代目新津田沼駅は、藤崎台駅に改称。

1968(S43)年5月14日には、新津田沼駅が現在地に移転。これで4代目。 同時に藤崎台駅が廃止されていた。  

新京成電鉄ではこれまでバス事業もあったけど、2003(H15)年10月1日から、船橋新京成バス(旧鎌ヶ谷営業所)、習志野新京成バス(旧習志野車庫)、松戸新京成バス(旧松戸営業所)の3社に分社化されていた。

新京成バスグループのうち、松戸新京成バスでは、いすゞ車がメイン。 他の2社は日産ディーゼル車が使用されている。松戸新京成バスのうち中型車は、日産ディーゼル車もある。

船橋新京成バスの車庫は、鎌ヶ谷大仏駅前にある。

あとは、船橋バスという新京成電鉄のバス関連の子会社もある。

筆者の生誕の地は、新京成線沿線の船橋市習志野台にあり、新京成線と東葉高速鉄道の北習志野駅が最寄り駅となっている。筆者は1年間この団地に住んでいたことがあった。
現在地に越してから30年、当時の新京成線の記憶は無いです。

父親のほうは、当時北習志野から新京成線、新津田沼駅乗り換え、津田沼・西船橋経由で東西線沿線まで通勤していたことがあった。 当時東葉高速鉄道が無かったので、2回(直通の場合は1回)乗り換えが必要となっていた。

上本郷(松戸駅の次の駅)で下車し、駅前にある新京成鉄道模型館を見物しました。 ここには、鉄道模型のジオラマ(Nゲージ、HOゲージ)、新京成の歴史・模型等があり、京王多摩動物公園駅前にある京王レールランドの新京成版と言った感じでした。

ここでは、鉄道模型の貸し出しはもちろんのこと、持ち込みも可能となっている。あとは、小さなお子様でも模型パノラマを見れるように、子供専用の展望台も完備されている。 

模型の運転台では、800形や8000形で使用されているのと同じタイプとなっていました。

上本郷からくぬぎ山までは、8000形の8511Fで移動。 新京成の8000形は、1978(S53)年に8501Fが登場。1979(S54)年に導入された8503Fまでは、抵抗制御車として導入されていたけど、1981(S56)年に導入された8505F以降は、界磁チョッパ制御仕様に変更。こちらは、1985(S60)年までに6両編成9本54両導入されていた。

新京成8000形の前面は、スタイルおよび配色がタヌキに似ている状態なので、習志野の狸またはくぬぎ山のたぬきという別名がある。

この8511Fは、1984(S59)年に導入された編成で、1992(H4)年まで北総・公団線(現北総線、千葉ニュータウン中央)まで乗り入れていたことがあるため、IRアンテナが装着されていた。 来年には京成千葉線、千葉中央までの乗り入れ予定があるため、北総乗り入れ用のIRアンテナがあった場所に再びIRアンテナが取り付けられる工事が行われている。 かつては8511F以降が北総線に乗り入れていたことがあったけど、京成千葉線への乗り入れ工事は抵抗制御車を含む全編成に対して行われることになる。

8501F(抵抗制御車)のほうは、登場当時のツートンカラーが再現されており、新京成のイメージキャラクターである「しんちゃん」が描かれている。 しんちゃんは、けいちゃんと共にツバメをイメージしたキャラクターとなっている。

八柱駅は、JR武蔵野線の新八柱駅への乗換駅であるけど、新京成側がやばしらと濁るのに対し、JR側がしんやはしらと濁らない状態となっている。 こちらは、西武池袋線の江古田(えこだ)と、都営大江戸線の新江古田(しんえごた)の関係に似ている。

JR武蔵野線の新八柱駅は、地下駅となっている。

くぬぎ山駅に到着した後、徒歩で会場へと向かいました。 その途中では、地元特産の梨が売られていました。

新京成電鉄のくぬぎ山の車両基地は、1975(S50)年に供用開始されている。
新京成電鉄の本社は、くぬぎ山駅前にあり、京成バスグループ3社の本社も入っている。

ここからは、北総線の電車も見える状態で、北総線の大町駅へも歩いていける状態である。 大町駅は、隣の松飛台駅と同様に、松戸市と市川市にまたがっている。

会場に入った後、N800形車両とアートトレインの展示のスペースへ。 この横では、モーターカーの体験乗車も行われていました。 今年のアートトレインは、8000形の8509F(6両編成)が使用される予定であり、沿線の保育園・幼稚園児、高校生によって描かれた絵が使用されている。 今年からはヘッドマークが付くことになっている。

こちらは来年の9月頃まで使用されることになっているけど、6両編成なので京成千葉線でも見られることになっている。

8509Fのほうは、8000形で、N800形に準じた帯に変更された第一号となっている。

N800形のほうは、昨年5月29日に登場した新型車両で、今年2月20日に登場した北総鉄道の7500形と同様に、親会社の京成電鉄新3000形がベースとなっている。

ブラインドのほうは、ブドウや梨が描かれていました。

かつて新京成電鉄では、親会社の京成電鉄からのお下がりの車両が多数存在していたけど、1990(H2)年に全廃となっている。 そのうち吊り掛けモーター音を響かせながら千葉ニュータウンを走っていたこともあった。

現在は800形以降のオリジナル車両に統一されている。

N800形はもちろん京成千葉線への乗り入れに対応しているけど、京成新3000形と紛らわしいという問題が懸念されている。

N800形のほうは、先月16日の南武線の中原電車区でのイベントの時みたく、運転台見物に長蛇の列が出来ていました。 今回は運転台見学希望者でなくても、車内への立ち入りが可能となっていた。これにより、N800形の車内に初めて入ったのである。 このような展示車両の開放は、新京成でのイベント恒例となっている。 ということは、N800形がくぬぎ山でのイベントでの初披露となっていた。

このイベントでは、毎回パック入りのジュースのサービスがあり、休憩所横で引き替えということとなる。

その奧には、8800形、800形もあったけど、800形のほうは、N800形の登場により、置き換えられる運命となっている。 

800形のほうは、現在は8連2本、6連1本が使用されているけど、稼働率が高くない状態となっている。

8800形は、1986(S61)年に、首都圏初のVVVFインバータ車として登場。東急9000系も同期にデビュー、どちらも1991(H3)年まで導入されていた。

現在は一部の編成が車椅子スペースやドアチャイムの新設等で、バリアフリー化されているけど、全編成改造の対象となっている。

工場内には、踏切遮断機、警報機レール、ドアー装置、車輪転添盤、旧台車、貨車、車輪などの展示、車両部品の販売、運転台シュミレーター体験コーナー、台車下の見学、8800形と8900形のHOゲージ、Nゲージ等が展示されていました。 あとは、地元の高校生による吹奏楽の演奏や、よさこい祭りのコーナー、野外のミニ電車のイベントもありました。

台車下の見学には、ヘルメットをかぶって行うことになる。

販売ブースでは、新京成グッズのほか、系列会社の京成・東葉高速鉄道などのブースもありました。 東葉高速鉄道のブースでは、1000系と2000系の並びのクリアファイルを買いました。

この会場では、林直樹さん、三橋さん、木沢さんと出会いました。 

あとは、普段は鉄道模型館に居るしんちゃんやけいちゃんの人形が展示されていました。

一昨年までは、新京成バスも展示されていたけど、子供によるホーンのいたずらにより苦情が来ていたために、展示が中止され、全て鉄道関連の展示となっていた。

新京成のイベントは、鉄道の日元年である1994(H6)年より毎年行われていたけど、昨年は中止、今年は2年ぶりの実施となっていた。

筆者は2000(H12)年に初訪問、以後2001(H13)年、2004(H16)年に続き、4度目のくぬぎ山イベント訪問となった。

あの後、高石さんと出会いました。 くぬぎ山の会場を後にし、くぬぎ山から松戸まで、8000形の8513Fで移動しました。 八柱駅の手前では、松戸森のホール21が見えたけど、この時に昨年8月21日のモーニング娘。のコンサートに行った時を思い出しました。 あとは、一昨年4月11日のごっちん(後藤真希女史)、同年10月10日のなっち(安倍なつみ女史)のコンサートの時にも行ったことがある。 この会場へは、八柱駅または新八柱駅から歩くかバスに乗って行くことになる。

筆者は行かなかったけど、一昨年3月14日にモーニング娘。おとめ組、今年9月9・10日にあやや(松浦亜弥女史)のコンサートが行われていたことがあった。

松戸駅からはE231系の10両編成(クハE231-60F)で移動。北千住から日暮里までは、415系の15両編成で移動していました。 この時の編成は7両のK510編成(クハ411-319F)+4両のK525編成(クハ411-1501F)+4両のK518編成(クハ401-53F)となっていた。このため、ステンレス車が中間に挟まれた状態となっていた。

この時綾瀬で北綾瀬支線の6000-1F(通称6000ハイフン)を見ることが出来ました。

日暮里駅からは山手線に乗り換えて帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-23 12:55 | 鉄道イベント
10月15日、小田急海老名でのイベントの2日目にも行ってきました。

ルート 目白~新宿~相模大野~海老名…(イベント会場)…海老名~相模大野から下北沢~新宿~本八幡…(市川市文化会館)…京成八幡~日暮里~京成上野…上野~目白

まずは、快速急行藤沢行きで、相模大野へ。 この時に乗った編成は、8253F+5162Fで、筆者は8253F側に乗車。 8253Fのほうも、VVVF化された編成で、左手操作式のワンハンドルマスコンとなっていました。 このように初期のみ界磁チョッパ制御のまま更新されて、後期からVVVF化されたということで、京王7000系や京急1000形の車体更新を思い出しました。

この前に、小田急20000形RSE車による代行あさぎり3号を見ることが出来ました。 このあさぎり3号は、普段はJR371系が使用されているけど、現在は定期検査入場中のために代走となっている。

1973(S48)年12月まで使用されていた旧南新宿駅は、ホームの有効長が4両分しか無く、5両編成の2600形が1両はみだして停車していたことがあった。

その跡地には、地上の急行ホームと地下の緩行ホームに分かれるポイントがあるので、改良工事のために移設されたことが分かります。 改良と同時に、新宿駅の地下緩行線のトンネルの出入り口も移設されていたので。 現在はその出入り口がサザンテラス(人工地盤)に覆われている状態なので、先頭に立たなければ分かりにくいという状態となっている。

昨年3月5日、50000形VSEの試乗会列車で、普段入線しない地下緩行ホームに入線していた時は貴重な光景でした。

代々木上原駅では、代々木上原止まりの千代田線の列車からの接続を待ってから発車していました。 この時の編成は6116F。 

東北沢駅は、地下化工事の進捗により、上りホームが急行線跡の仮ホームに移設される予定で同時に橋上仮駅舎に切り替わることになる。
同時に、旧上りホームが廃止され、ここにあるトイレが橋上仮駅舎に移転されることになる。

下北沢駅 8月10日に上りホームの新宿方にあるトイレが、同じ上りホームの世田谷代田方に移転していた。 10月8日には、上りホームの新宿寄りの旧トイレ部分を含めた部分が閉鎖され、その代わりに世田谷代田方にホームが延伸されたことになった。

快速急行は、下北沢を出ると新百合ヶ丘までノンストップ運転。 多摩川橋梁部分では、下り線用の新橋梁の土台が建っていった。 登戸駅の新下りホームでは、ほとんど姿を現している状態なので、これが完成すれば、暫定島式ホーム状態が解消されることになる。

小田急の多摩川橋梁の掛け替え工事は、同じ多摩川に掛かる東急東横線・目黒線の橋梁の掛け替え工事と同様の工法で行われている。

旧橋梁の隣りに新橋梁を建設。完成後新橋梁に移設、旧橋梁が撤去された後、その跡に増設新橋梁の新設。 完成した後に使用開始されて完成ということとなる。

新百合ヶ丘では、唐木田行きの5267Fを見たけど、2日連続で多摩線のローカル運用で使用されていました。 この編成はドアチャイムが付いているので最後まで残ると思われます。

相模大野からは、初期型3000形である3252Fの急行箱根湯本行きで移動。 この3252Fは、3251、3253、3254Fと同様に、初年度(2001(H13)年度)に導入された、戸袋窓付きのセミワイドドア仕様となっている。 営業運転開始は、2002(H14)年2月10日のこと。

大野工場では、廃車となった5200形2両がクーラーを外されたまま置かれていたけど、あれも近いうちに解体輸送される予定となっている。

相模大野から急行で1駅、海老名に到着した後は、イベント会場へ。

この日は、柘植の飛猿さんが、朝一で会場に行き、各種展示車両を見物していたのである。 9001号車や2670号車の運転台も撮影していたし。柘植の飛猿さんのほうは、イベント会場に朝一で行くことが定着している。

ここでは、海老名に因んで海老カツサンドを食べました。 海老名の由来は、大昔この一帯が海だった頃に大きな海老が棲んでいたからだという伝説がある。

まずは、1時間以上待たされるという覚悟の上で、車内見学の列に並びました。

展示車両の喜多見からの送り込み回送は、モハ1形(モハ10号車)が1000形、3100形NSE(3221F)が1700形(6連のワイドドア車)、2200形(2201F)・2600形NHE(2670号車)・9000形(9001号車)が、5200形との牽引で行われていた。

以前はオールM車の9000形の4連も、展示車両の牽引に使用されていたけど、全廃に伴いこれが出来なくなってしまったのである。

まずは、工務部からの展示車両の見物。 ここには2台のレール検測車がありました。 形式はピンクのレール検測車がRG-4502、ブルーのレール探傷車がUIC-4201となっていた。
 後者には、イルカのデザインがあった。

並んでいる時でも、保線用の事業用車を見ることが出来ました。 この会場には、ベビーカー置き場もあった。

あとは、小田急ロマンスカーのテーマ曲である「ロマンスをもう一度」という曲のBGMも流れていました。このBGMは、小田急のイベントで定番となっている。

本当は14日の土曜日だけ行って15日は回避する予定だったけど、どうしても2600形や9000形の中に入りたいということや、満足した画像が撮れていなかったことで、リベンジのために行っていたのである。お陰で2日連続で行くことが出来たのである。

昨年はあいにくの空模様となっていたけど、今年は2日間共に好天に恵まれていたのでよかったです。 やはり人が多かったのは天候に恵まれていたということもある。

天候が良いと撮影の時の逆光状態が懸念されるというデメリットがある。

待ち時間の間は、お気に入りの音楽を聴きながら過ごしていました。

まずは、小田急ロマンスカー3100形NSE車の車内へ。この時に撮り損ねていたブルーリボン賞のプレートを撮影。 ここで携帯電話を使用したオリジナルムービーも撮影しました。

この赤い座席に座った時には、筆者が子供の頃に良く乗っていた時を思い出しました。前日のSE車の時もそうだったけど。

次は、9000形の車内に入るために並びました。 この時にも待たされていたけど、待ち時間の間に連結器剥き出し状態の3100形NSEを撮影することが出来てよかったです。 NSEの台車は、FS346A、FS46 9001号車の台車は、FS-385となっていた。

9001号車のほうは、1972(S47)年1月、東急車輌製造で9002Fと共に落成。 同年3月に営業運転入りしていた。 当時は4両固定編成しか無く、想い出となった4+4の8両編成の急行等に使用されていた。 翌年の1973(S48)年には6連バージョンも登場。 

9001Fのほうは、晩年は9002Fと組み、4+4の簡易8両固定編成として、各駅停車を中心に最後の活躍をしていた。 9001Fのほうは、4+4の8両簡易固定編成全廃後、4両編成の姿で海老名の車両基地に留置され、休車状態となっていた。車体更新されたのは、1989(H元)年のこと。この時に千代田線乗り入れ装置が撤去されていた。

今年3月17日の定期運用最終日には、6連の9404、9407Fが入り、9407FにはさよならHMが付いていた。 9404Fは、その後廃車・解体。

5月13日のさよなら運転の時には、9407F+9001Fによるさよなら運転が秦野から唐木田まで行われていた。 この後9407Fは全て廃車・解体。 9001Fは、2670Fと同様に新宿寄りの先頭車のみ静態保存されるようになり現在に至る。

解体された3両のうちの9301号車は、ヘッドライトおよび運転台が撤去された姿となっていた。

いよいよ順番が回ってきて、9001号車の車内へ。 

9001号車のほうは、引退した時から変わっていないけど、車内の停車駅の表示およびドア部分のさよなら9000形のステッカーが残されていた。 あとは4+4の簡易固定編成時代新宿寄りに連結されていたため、8号車の表示もあった。

運転台の見学も並んでいたので断念しました。 やはり小さなお子様連れが優先ということもあるので。 

西武の武蔵丘でのイベントの時、特急の乗務員室公開コーナーは当初行列が出来ていたけど、現在は整理券方式に変更されているけど、小田急の海老名でのイベントの時もこうするべきだったと思います。 

特に9000形の人気が高いので、長蛇の列が出来ていました。 この車内にやっと入れたので、とても嬉しいです。 この車両のローレル賞のプレートが撤去されていたことで残念に思っています。

今回の運転台見学を逃しても悔いはなかったです。

9000形のほうは、乗客には好評だったけど、運転台が狭いので、一部の運転士から敬遠されていた状態だった。 9000形に当たった時には正直言ってがっかりしていたという声が聞こえていた。 このイベントの時は、現役運転士も立ち会っていたので。

9001号車から降りた後、2600形の列へ。 この車内にも入ったけど、こちらも引退当時から変わっていませんでした。 やはりこちらの運転台見物も行列が出来ていたのでパスしました。 2670Fは、1967(S42)年川崎車輌(現在の川崎重工業の前身)で製造されていた。 なので、川崎車輌のプレートを見ることが出来た。

車端部の優先席のほうは、9001号車とは異なり、オレンジ色ではなく、白い吊革のままとなっていた。 それは、オレンジ色の吊革になる前に引退していたので。これを見て、こういう時代があったんだな!ということを感じました。

2600形は、1964(S39)年に、小田急初の大型車(4ドア20m車)としてデビュー。愛称はNHEと呼ばれていた。 当時は5両編成だったけど、1968(S43)年に6両化されていた。 1993(H5)年には一部の編成が8両固定編成化されていたけど、これらの8両固定編成のほうは、2000形の増備により、2000(H12)年から2001(H13)年に掛けて置き換えられていた。

2666Fのほうは、8両編成化と共に余剰となったT車に、2000形と同様のVVVF装置が搭載されていた編成となっていた。 2666Fが廃車となったと同時に、そのVVVF装置が2000形に流用されていた。

2670Fの旧塗装への再現は、2003(H15)年10月のことで、同年10月18日には新宿から海老名までお披露目記念列車が運転されていた。 筆者はこの列車に乗っていたのである。
2600形の独特のモーター音は、現在聴くことが出来ない。

この旧塗装は、ナスカレー色と言われているので、現在行われているモーニング娘。の秋のツアーのタイトル名である「踊れ!モーニングカレー」を思い出します。 このツアーは、9月30日・10月1日に小田急線沿線の厚木市文化会館から始まっていたし。

この日9000形は準急綾瀬行き、2600形は湘南急行江ノ島行きの表示となっていた。

準急綾瀬行きの表示は、5月13日の9000形のさよなら撮影会でも披露されていた。

湘南急行江ノ島行きの表示は、現在は見られないので貴重な表示となっていた。 湘南急行のほうは、2002(H14)年3月23日、多摩急行と同時に登場。一昨年12月11日のダイヤ改正で、快速急行に統合されて廃止。 特急のサポート号の愛称の廃止およびさがみ号の愛称の復活もこの時だった。

湘南急行のほうは、新宿~相模大野間、急行と同じ停車駅で、江ノ島線の急行停車駅から南林間と長後、本鵠沼、鵠沼海岸を外したものとなっていた。 

現在の快速急行の江ノ島線内の停車駅は、かつての湘南急行と同じである。

種別幕のほうは、2004年の12月改正前に交換されていたけど、湘南急行だけは黒地のままとなっていたのはそのためである。

現在の小田急の種別表示 各停=ブルー 区間準急=ライトブルー 準急=グリーン 急行=レッド 快速急行=オレンジ 多摩急行=ピンク

2600形と4000形のほうは、交換されずに最後まで旧種別幕が使用されていた。

特に、2600形のほうは、種別・行き先共にローマ字の入っていない表示となっていた。

旧2000形などの小田急スタイルの電車の前面の行き先表示は縦書きとなっているけど、4000形・5000形・5200形の表示がローマ字併記となってからは縦書きの表示の下にローマ字が入るようになった。

この2670号車を含め、ローマ字併記となる前は、片瀬江ノ島では無く、江ノ島と省略された表示となっていた。 2600形のほうは、江ノ島の表示が最後まで残っていたことになった。

このことで、京急旧1000形に残っている蒲田・川崎・新町・文庫・八景・久里浜の表示を思い出しました。京急のほうも、省略表示では無く、フルでの表示に変わっている。

30000形EXEのほうは、1996(H8)年登場当時から片瀬江ノ島のフル表示となっている。

これを見て、片瀬江ノ島ではなく、江ノ島と省略表示されていたことがあったんだな!ということを実感しました。

9000形のほうも、前面のみ江ノ島 ENOSHIMAの表示となっていたこともあった。

2670号車=展示される前に、再塗装されていたのである。2670号車、9000号車の後ろ姿が板で塞がれていたことで、京王5000系の保存車を思い出します。

2200形のほうは、今回も車内が公開されていなかったけど、引退当時に使われていた指はさみに注意のステッカーが残っていた。

この後、モハ1形(モハ10号車)の車内を見物したけど、すんなり入ることが出来ました。 

この車内には、モハ1形(モハ10号車)の経歴表がありました。小田急電鉄への里帰りを果たしたのは、1982(S57)年9月のことで、大野工場で復元工事が行われていた。その復元工事は、翌年の3月に完成していた。

このように、初代の小田急の電車を大切に保存してくれたことでとても有り難く思っています。
 このことは、2600形や9000形などでも言えるけど。

2600形のほうは、一昨年6月のさよなら運転終了後、海老名に留置されたままとなっていた。

今年7月6日に、2670Fが、9001Fと共に大野工場に送り込まれた時、全て解体されるかと不安だったけど、新宿よりの先頭車である2670号車のみが、9001号車と同様に保存されたということを聞いて安心したのである。

9000形の廃車回送は、6月13日に9407+9001Fの10両で行われていた。9001Fは喜多見から海老名に移動。 9407Fは、海老名から大野工場まで廃車回送されていた。

この会場には、使用済みの電球や蛍光灯が山積みで置かれていました。

この後は、高所作業車(陸軌車)およびマルチプルタイタンパー(マルタイ)の作業実演を見物。

まずは、高所作業車の実演があり、レールの上を走る陸軌車の走行シーンおよびバケットの上昇シーンを見ることが出来ました。

この陸軌車(RKT-H1)は、トヨタ自動車の小型トラックである「ダイナ」がベースで、後部座席付きの4ドア車となっている。 このトヨタのトラックのほうは、トラック・バス関連の子会社である日野自動車に生産が委託されており、日野自動車でも、「デュトロ」の名で売り出されている。 現行モデルは、トヨタと日野の共同開発車。

塗装は、小田急20000形のRSE車に準じていた。 

バケットの上昇→上げたまま走行→バケットを下げる→方向転換→走って戻るという順序で実演が行われていた。

方向転換のほうは、踏切が無くても出来る状態となっている。陸軌車なので、普通のトラックと同様に公道を走ることも可能である。

この次は、マルタイことマルチプルタイタンパーの実演。 この時に、レールを持ち上げ、バラスト(砂利)を付き固めるシーンを見ることが出来ました。 こちらは普段終電から始発までの間にやらなければならない作業なので、このイベントでは、この作業の風景を観客に披露してくれたのでとても嬉しい状態であったのである。

深夜なので、騒音防止のカバーを掛けた状態で行われているけど、カバー無しで見れたのは貴重だった。もちろんカバーを掛けた状態でも披露されていたけど。

このマルタイは、MTT-6301形で、オーストリア製であり、ライオンのマークが描かれている。

隣りには、レール削正車(レールグラインダー)があるけど、ビーバーが描かれている。今回レールグラインダーの実演を見られなかったのが残念だけど。

このような作業機器の実演は、毎年行われている。

昨年までは、車輌の解体部品が売られていたけど、今年からは、アスベストの関係で発売が中止されていた。

ここでは、小田急グループや民鉄各社のブースのほか、環境ブースもあった。あとはNゲージ車輌の運転もあった。

この後、SE車の見物に行こうと思ったけど、行列が出来ていたので断念しました。

海老名駅の西口では、盲導犬育成募金が、東口では共同募金が行われていました。

この次にビナウォーク(ViNAWALK)の第二会場へ。 ここでは、鉄道模型の運転、鉄道グッズの販売がありました。ここには日車夢工房(日本車輌の系列の鉄道グッズを扱う店)のブースもありました。もちろんVSEグッズもある。

このご当地ラーメン街で、九州ラーメンの店に立ち寄りました。

この後、海老名から相模大野まで、3265Fで、相模大野から下北沢まで、8266F+8158Fの快速急行で移動。 筆者は8158F側に乗車。

下北沢から新宿までは、5200系5255Fによる各駅停車に乗車。2日連続この編成に乗ったけど、この日は6連単独での各停運用となっていた。

新宿から本八幡までは、都営新宿線の急行で移動。 この時に乗った編成は、6734F+6434Fによる8+2の10両編成となっていた。 京王6000系の乗り入れ運用は、10両化されているので、6784、6785Fの2編成は、6434Fまたは6435Fと組んだ10両編成に固定化されている。 そのため、6784・6785、6434.6435号車のATC装置が撤去されている状態である。 

市ヶ谷では、京王9000系の10両固定編成を見ました。 今年9月1日のダイヤ改正で、京王直通列車が京王車による10両編成化されていたけど、ほとんどが6000系の8+2の10両編成となっている。 乗り入れ仕様の9000系は2編成しかない。

今年度中に3編成導入予定となっているので、動きが見られることになる。

10月14日に地震が発生した時にダイヤが乱れたけど、この時に都営車による直通急行およびその逆の京王車による線内の各駅停車が復活していた。

本八幡駅に到着した後、大和田公園の都電の廃車体を見に行きました。 この車両は、今から15年前に廃車となった7011号車(7000形のワンマン改造車)である。 こちらの行き先表示は、荒川車庫となっていた。 塗装はかなり色褪せていた。

この市川市の大和田公園は、都営新宿線のシールドトンネル掘削工事の用地として使用されていた。1991(H3)年2月に公園として再利用され、開通記念として、東京都交通局から7011号車が寄贈されていた。 現在は、車体の老朽化などにより、一般開放が中止されている状態だけど、塗り直し・車体修繕工事が行われることを願っています。

この後、市川市文化会館で行われたごっちん(後藤真希女史)のコンサートを見ました。 この時にハロプロ兼任の鉄道ファンと出会ったけど、やはり筆者と同じごっちんのコンサートの目的で来ていたのである。

樋口さんのほうは、ごっちんがハロプロファンの原点となっている。それに対して、筆者と応援団員のS氏は、なっちがハロプロファンの原点となっているし。

この後、京成八幡から京成線で帰りました。 乗った車両は、日暮里までが3500形更新車(3517+3520F)の特急。日暮里から京成上野までが新3000形の3011Fだった。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-17 09:17 | 鉄道イベント
毎年恒例となった小田急海老名検車区での鉄道イベントであるファミリー鉄道展が、10月14・15日の2日間で行われていたのである。

筆者は毎年欠かさずに行っている状態で、今年は史上初、2日間連続で行ったのである。今回も海老名のイベントで皆勤状態だった。 

このように、土日の2日間で行われることが理想的な状態です。 どちらかが都合で行かれなかった場合にも丁度良いし、2日間でのリピーターも参加者も現れることになっている。

今年は5月13日の小田急9000形のさよならイベントの時と同様に、見物渋滞が発生していたので大変な状態でした。 土曜日に混雑していて見られなかった分、日曜日にリベンジを図ることが出来たという人も少なくはない状態だった。

1日目(10月14日のルート)

目白~新宿~海老名…(イベント会場)…海老名~相模大野~下北沢~新宿~目白

新宿から海老名までは、5200形の5255Fによる急行で移動。 併結相手は5165Fで、旧スタイルの5000系列同士の組み合わせとなった。 こちらは急行箱根湯本行きで、後ろの4両は急行新松田行き(新松田から各停小田原行き)となっていた。

この5255Fは、小田原寄りの先頭車が5555番とぞろ目となっていた。 

あとは、5200形で一番最初に車体更新された編成(1996(H8)年更新)であり、ドアチャイムが付いていないために、近いうちに廃車となる運命となっている。 前面のヘッドライトは、9000形の簡易8両固定編成化(運転台撤去)により流用されたものが使用されている。

向ヶ丘遊園駅付近では、HiSE10000形10041Fとすれ違いました。こちらも、60000形MSE(千代田線直通対応ロマンスカー)の導入に伴い廃車となることが予想されている。

海老名駅に到着した後、メイン会場に行き、スタンプラリーに挑戦しました。このスタンプラリーでも行列が出来ていました。 この時に車内見学の行列で並んでいた萩原清さんと黒岩さん(萩黒コンビ)と出会いました。 もらった商品は、旧3000形ロマンスカーSE車のミニペーパークラフトとなっていました。

昨年の展示車両は、10000形HiSE車(10041F)、新3000形6両編成(3270F)、9000形4両編成(9007F)、2200形(2201F)となっていた。

今年は、3100形NSE車(3221F)、9000形先頭車(9001号車)、2600形先頭車(2670号車)、モハ1形(モハ10号車)、昨年に引き続き2200形(2201F)が展示されていたのである。

萩原清さんと黒岩さんも、このイベントで随分待たされていたので、大変だったと言ってました。昨年はあれほど並ばなかったのに、今年は酷かったので、5月13日の小田急9000形のさよならイベントの時と同様に、JR八王子支社主催の鉄道イベントの二の舞となっていました。

この後、西側の別会場である旧3000形ロマンスカーSE車の車内見学を行いました。 この時も長蛇の列が出来ていて約1時間ほど待たされていました。 待ち時間の間50000形VSEが補助警報音を鳴らしながらゆっくりと通過していたけど、この時にロマンスカーアテンダント(女性スタッフ)が手を振っていました。

順番が来て、旧3000形SE車の車内へ。この時は小田原寄りの先頭車からの運転席部分からの入場。こちらは天井が低いので注意が必要であった。 ここでは、運転台をバックに記念撮影するお子様連れが多かったです。 今回も1号車から5号車までの順番での見学。 この時も車内の座席座り放題でした。

2号車のトイレ部分は、ドアが開いており、男子小トイレの部分のみ小便器が見えていた状態だった。これだと間違って使用してしまう恐れがあるので危険である。 なので完全にドアが開かないようになっていた。 個室の部分も洗面所部分は開放されていたけど、和式トイレの個室の部分はドアが開かなかった。

この為に、トイレは使用出来ませんの表示があった。

3号車は、車販準備室があり、ここに湯沸かし器がある。

4号車と5号車は、旧塗装に再現された車両。

5号車には、初代のブルーリボン賞のプレートがあった。 この後、運転台を撮影し、運転席の扉から退出(降車)しました。

小田原寄りの先頭車は、末期まで使用されていたマスクで、あさぎりの表示となっているけど、暗いので撮影しづらい状態となっている。 新宿寄りの復元先頭車のほうは、撮影に適した状態となっていた。 

このSE車の車内見学は、毎年恒例となっており、行列が出来る状態となっている。 昨年はそれほど並ばずに入れたけど。

この後、メイン会場に戻り、立ち食いそばを食べました。 この時にSE車の見学で並んでいた萩原清さんと黒岩さんと出会いました。

メイン会場では、車内見学の列に並んだけど、この時も随分待たされました。 

車内見学のほうは、3100形NSE車→9000形→2600形→モハ1形の順番で行われていた。

まずは、3100形NSE車(3221F)の見学。 この編成は、1999(H11)年7月16日の特別運転をもって引退。3181Fにも、ラストランの装飾があったけど、その前に引退していた。

3100形NSE車は、1963(S38)年3月16日にデビュー。当時は、名鉄パノラマカーに続く前面パノラマ特急としてデビューしていたのである。 こちらは、1967(S42)年までに7編成77両製造されていたけど、この3221Fは、1967(S42)年に導入された最終増備車となっていた。

3221Fは、引退後11両編成のままで保存されていたけど、2001(H13)年に5両の中間車(2号車から6号車)が抜き取られ、6両編成のSNSEの状態で保存されるようになった。 抜かれた中間車5両は、北館林まで陸送され、その場で解体されていた。3221Fの展示は一昨年(2004(H16)年)以来。車内開放は2001(H13)年以来5年ぶりだった。

1号車の次が7号車まで一気に飛んでいたのはそのためである。 

3181Fの新宿方の先頭車である3181Fは、開成駅前に保存されており、一昨年6月5日の開成駅構内で行われたさよなら2600形さよなら撮影会の時に中に入ったのである。 この時の表示は、はこね。 こちらは展望席や運転台の公開も行われていた。 それ以外にも車内の公開が行われることもあり、非公開の時にはカバーが掛けられることになる。
こちらのほうは、ロンちゃんという愛称があるけど、吉村光夫氏と被っている状態である。

この3100形NSE車は、筆者が子供の頃に、鎌倉の母親の実家に行く時に特急えのしま号で藤沢まで良く乗っていたのである。 あとは旧3000形SSE車や車体更新前の7000形LSEにも良く乗っていたし。なので、この車内に入った時にあの頃を思い出していました。

この車内には、ブルーリボン賞のプレートもありました。

8号車のトイレ部分の横から降車。やはりこの車両のトイレも使用出来ない状態となっていた。

今回は運転台の見学が出来ない状態となっていた。 なので、9号車の車内販売準備室を見ることも出来なかった。

この次に9000形の車内見学の列に並んだけど、なかなか動かなかったので、途中で断念してしまいました。 今回は仕事があったので仕方が無かった。 あとはこの日の2600形の車内見学も見合わせていた。

この日は9000形、2600形共に外観からの見学となった。 9000形は各停海老名行き、2600形は急行箱根湯本行きとなっていた。

どちらも運転台の見学が自由となっていたので、混乱を招く原因となった。 やはり運転台の見学を昨年見たく一般公募制に戻すべきだったと思います。

特に人気の9000形の列のほうは凄かったです。

車内のみスムーズに入れて、運転台整理券保有者のみ運転台に入れるというシステムが理想的なんだけどね!

この後は、モハ1形(モハ10号車)の車内見学。 こちらはスムーズに入れて何よりでした。

モハ1形10号車のほうは、1927(S2)年に日本車輌製造で導入された半鋼製電車であり、内部は木造となっている。 やはり小田急と日本車輌の取引は、開業当初から続いており、特急車を含めた小田急電車の多数が製造されている。小田急と日本車輌は仲が良い状態。

新型ロマンスカーである50000形VSEも、小田急と日本車輌の共同開発とよって誕生した車両となっている。  

再来年デビュー予定の60000形MSEも日本車輌で製造される予定となっている。

このモハ1形車両の展示は、1999(H11)年10月以来7年ぶりだと思われます。

その車内に入った時、京急ファインテック久里浜事業所に保存されている2両の旧型車両を思い出しました。 こちらは、京急の時とは異なり、座席も座り放題となっていた。 

運転台のほうも、路面電車みたいなオープン方式となっていた。

モハ1形は、1959(S34)年に小田急で廃車となった後、熊本電鉄に譲渡され、1981(S56)年末に廃車となるまで活躍していた。 熊本を追われた後、開業当時の姿に復元されて小田急で静態保存されるようになったのである。 このように、開業当時に使用されていた車両を復元の上で保存してくれるということで有り難く思っています。 

これらの保存車両は、人工地盤の下にある喜多見の車両基地で保管されているので状態が良い。 旧3000形SE車のほうも、海老名検車区の西側エリアにある専用の格納庫で静態保存されているし。

この後、奥野さんや木沢さんたちと雑談をした後、海老名から帰りました。

海老名から相模大野までは、5200形の5264F、相模大野から下北沢までは8254+5056Fの快速急行(筆者は8554F側に乗車)、下北沢から新宿までは3662Fの各駅停車で移動。

5264Fは、ドアチャイムが付いていました。

8254Fは、8000形更新車で初めてVVVFインバータ化された編成となっている。

(つづく)
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by hy_sengen-sin | 2006-10-16 15:19 | 鉄道イベント

07系の甲種輸送

10月13日、仕事が休みだったので、八王子での07系の甲種輸送、取り壊される前の国立駅舎を見に行ったほか、東急電車研究会(旧東急部会)にも行きました。

ルート 目白~新宿~国分寺~国立~立川~八王子~立川~矢野口~登戸~武蔵溝ノ口(溝の口)~二子玉川~等々力~自由が丘~中目黒~渋谷~目白

新宿から国分寺までは、201系(クハ205-29F)の通勤快速で国分寺へ。 JR中央線の通勤快速(平日の夕方・夜間の下りのみ運転)は、東京~三鷹間が、土曜・休日の快速と同じ停車駅(高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪駅通過)、三鷹より先は、中央特快または青梅特快と同じ停車駅となっている。

三鷹~国分寺間のほうは、高架橋が立ち始めている状態であり、2008年度中に高架化されることになる。中央快速線の201系のほうは、早ければ2007年度中に全廃予定となっているので、高架化される前に中央快速線から撤退してしまうことになる。

国分寺で、クハ205-97F(6+4編成)に乗り換え。 こちらは快速大月行きとなっていた。 中央快速線(201系)が大月まで乗り入れてからは、今年の11月で20年目を迎えることになる。 初期の頃は、6+4編成限定で、後4両が高尾で切り離され、前の6両のみが大月まで行っていたこともあった。 

201系は、6両基本編成のみが甲府まで行っていたこともあったけど、この時に甲府行きの表示が出ていた。 

1990(H2)年3月改正で、後4両が河口湖まで直通運転開始。 E233系化されれば、河口湖行きが前のほうに移設されることになる。

このように、201系の大月乗り入れは、6+4編成に限定されていたけど、現在は、パンタグラフのシングルアーム化により、10両固定編成も大月まで乗り入れるようになっている。

国立駅は、10月9日から、高架化工事による仮線化によって、南口駅舎は、仮駅舎に移設。下りホームが上りホームと同じ位置に仮移設され、島式ホームに。 これによって、1926(T15)年の開業以来、洒落た木造建築の三角駅舎として親しまれていた旧駅舎および旧下りホームは、10月8日をもって役目を終えていたのである。

この駅舎のほうは、残念なことに、近いうちに取り壊される予定となっており、再建可能にするために、主要部材が保管されることになる。

これにより、関東の駅百選に認定された駅舎が減ることになる。 佐野駅のほうは、改築されたために、そのイメージは薄れている。 関東の駅百選認定駅で一番最初に廃止されたのは、昨年3月末をもって廃止された日立電鉄の桜川駅となっている。

高架化によって踏切が廃止されることとは裏腹に、このような問題が発生している。 やはり解体を惜しむ声が高い状態です。

立川に到着した後、115系の普通列車(C9編成、クハ115-387F)で移動。 こちらは、言うまでもなく小山電車区(現、小山車両センター、宇都宮・高崎線)から転属された編成となっている。 JR中央東線の普通電車のトイレは、基本的に甲府(松本)寄りの先頭車(6号車)、3+3編成の場合は3号車(甲府寄りから4両目)に付いているけど、この編成は、立川寄りの先頭車にもトイレが付いていた。

この列車は、立川発松本行きの普通列車で、松本への帰庫を兼ねたロングラン運用となっている。 

豊田電車区では、E233系が6両と4両にばらされて置かれていました。 豊田電車区=1963(S38)年11月24日、40両収容の豊田駅留置線として開設。 1965(S40)年10月1日には、260両収容の武蔵小金井電車区豊田派出所に。

1966(S41)年11月10日、460両収容の豊田電車区となり、現在に至る。 
今年11月11日には、豊田電車区40周年記念イベントが一般公募制(定員1500名)で行われるけど、筆者は申し込まなかったです。 このイベントはもの凄い倍率が予想されるので。
このイベントでは、もちろんE233系が展示されることになる。

この日は、尾久車両センターでもイベントが予定されているので、筆者は尾久のほうに行く予定である。

八王子駅に到着。ここでは、お目当ての07系を見ることが出来ました。 この時に見た編成は、07-104Fでした。 前回(7月28日)は、07-103Fだった。 07-103Fだったのほうは、東西線仕様に変更され、11月に営業運転入りすることになる。

この時に余剰となった5000系である5817Fが、10月15日に川崎貨物駅に輸送されたけど、
こちらは、インドネシア鉄道(JABOTABEK)に輸出されることになる。 インドネシアでは、都営6000形、JR103系、東急8000系・8500系のほか、元東京メトロ5000系も加わることになる。 インドネシアに輸出された元都営6000形のほうは、故障が多発しているために順次廃車となる。

東京メトロ5000系のほうは、しなの鉄道に譲渡される計画もあったけど、諸事情により断念されていたのである。

この07-104Fは、綾瀬から中野まで、常磐線・武蔵野線・中央線経由で輸送。八王子から中野までの輸送は、終電後となっていた。 東西線のほうは、千代田線・有楽町線と線路が繋がっていないので、このような輸送ルートとなったのである。

東西線向けへの改造は、前回の07-103Fの時と同様に、深川工場で行われることになる。

なので、有楽町線仕様のまま輸送されていたのである。 この時に、SOGO(そごう)の看板との組み合わせも見られていたので、八王子らしかったです。

あとは、中央線特急E257系、中央快速線201系、横浜線・相模線205系との組み合わせも見られていたし。

この時に貨物列車を見たけど、EF64の重連(EF64-40号機+EF64-20号機)、タキ43270+43001+43261+43536+44005+43213+43356+44151号車との組み合わせとなっていました。 あとは07系とタキ44151号車との組み合わせも撮影出来たし。

有楽町線時代の07-104Fに最後に乗ったのは、9月23日の朝霞台~和光市間だったのである。 あれから20日後に輸送されていた。

5000系のほうは、さよなら運転が行われることを期待しています。

早く来ていれば機関車との連結シーンを見られていたところだった。

八王子から立川までは、C10編成(クハ115-1115F)に乗車。

立川からは南武線で移動。 立川から矢野口まで、クハ205-132F、矢野口から登戸まで、クハ205-131F、登戸から武蔵溝ノ口までクハ205-101Fに乗車。 

矢野口駅は、高架化されてから初めて行った状態で、高架駅も初めて見物したことになった。

上り(立川方面)の高架化は、一昨年(2004(H16)年7月25日のことで、新駅舎も使用開始されていた。 翌年の10月9日には、下り(川崎方面)も高架化され、周辺の踏切が廃止されていた。中には、川崎街道(東京都道9号川崎府中線)にまたがる踏切もあった。

あとは、稲城長沼駅と南多摩駅の高架化工事も行われている。

登戸駅は、今年6月17日に新橋上駅舎に切り替えられていたので、こちらの見物も行ったのである。

溝の口から二子玉川までは、東武50050系の50051Fに乗車。 この編成は、今年3月18日の東武線から半蔵門線への直通列車の増発用として導入された編成なので、ATC装置等が唯一新品となっていた。 他の編成は30000系からの流用。

10月28日には、50050系の51057Fが下松から熊谷貨物ターミナルまで甲種輸送される予定となっているけど、これに伴う30000系の動きが見られることになる。
東武では、半蔵門線直通列車を順次50050系に置き換え、ここから捻出された30000系を地上運用に転用するという計画がある。 
これに伴い本線所属の10030系が、東上線に転用される車両も出てきており、最近になってからは、11654Fと11656Fが東上線に転用されている。

東武10000系列で唯一のVVVF車(VVVF試作車)である10080系は、100系スペーシアと同型のインバータ装置が搭載されていたけど、故障が頻発していたので、休車状態が続いていた。 このインバータ装置が、50000系列と同型のものに交換されることになる。

溝の口駅は、現在下り1線、上り2線(2面3線)の状態で、将来の田園都市線の下り線部分(1番線部分)に店舗(アンドリューのエッグタルト、スイートオーブン、オールエレクトリックCD店)があるけど、これに支障するために、工事の進捗次第で移設されることになる。

4番線のほうは、朝ラッシュ時に梶ヶ谷で急行待避した後の各駅停車が発着することになっている。 

大井町線の溝の口乗り入れ後は、1番線=田園都市線下り 2番線=大井町線・降車ホーム または大井町線からの田園都市線直通列車 3番線=大井町線乗車ホーム 4番線=田園都市線上りとなる。

二子新地駅のほうは、7月30日に上りホームが切り替えられていた。 これにより、二子玉川~溝の口間の複々線化まで一歩進んだことになる。 高津駅のほうは、未だに切り替えられていない状態である。

二子玉川から等々力までは、8090系の初期型である8095Fに乗車。 等々力駅は、大井町線の急行運転に合わせ、急行通過線を備えた地下駅となる予定となっているけど、等々力渓谷への影響が懸念されているので、工事が遅れている状態となっている。 そのために暫定的に上野毛駅に上り急行通過線が設けられることになっている。

二子玉川駅では、マルKマークの8607Fによる急行中央林間行きを見ることが出来ました。(種別・行き先表示は幕式)マルKマークの初期型8500系は、東横線から転用された8590系の導入により置き換えられている状態となっているけど、来年度以降は廃車が加速すると思われます。

等々力駅は、島式ホームの先端に駅舎があり、構内踏切に挟まれている状態となっているけど、地下化される暁にはそれが解消されることになる。

九品仏駅もこうなっている状態である。

以前京王線の上北沢駅も構内踏切に挟まれた駅舎となっていたけど、現在は駅舎の地下化によって解消されている。 

等々力駅に到着した後、東急電車研究会(旧東急部会)の会場へと向かいました。  

東急電車研究会は基本的に第二金曜日に行われているけど、1月と8月の第二日曜日には、日中に特別例会が行われることになる。

この後は、奥野さんと自由が丘まで、8095Fで移動。 初期型8090系と同様に、大井町線の装飾が無いので、かつて東急東横線の急行で使用された時の面影が残っている。

自由が丘駅で奥野さんの別れ、中目黒まで9111Fの急行で移動しました。 日中の特急・急行がスピードアップされたけど、それらの列車には、5050系・Y500系のほか、9000系も使用されているのを確認しました。

8000系のほうは、加速が悪い状態なので、スピードアップの妨げとなっていた。8000系を日中の運用から撤退させることによってスピードアップが実現したのである。

2001(H13)年3月28日の改正までは、基本的に 8000系は各駅停車 8090系(8590系)は急行 9000系は各駅停車と急行の両方となっていたけど。 東横特急の登場によってこのような差別が解消されていた。 

各駅停車と急行の2つの種別だった時代は、各駅停車と急行の運用が独立していた。 現在は、全てをカバーするようになっているけど。

自由が丘駅の大井町線の留置線は、以前3本あり、時にとっては8000系・8090系・9000系の並びが見られていたこともあった。
現在は1線のみ残されている状態である。

自由が丘の由来は、周辺にある自由ヶ丘学園高等学校の創設者の手塚岸衛氏の教育目標である自由主義教育から成っている。こちらは、私立の男子校となっている。

自由ヶ丘駅では、大井町線の急行運転開始に合わせて、エスカレーターやエレベーターが整備されたバリアフリー駅に改良されることになっている。

中目黒から渋谷までは、5161Fの各駅停車に乗車。

東急8000系は、やはり平日の朝ラッシュ時限定運用で、午前中の渋谷発武蔵小杉行きの運用で入庫することになる。 

8月下旬に運用離脱された8015Fのほうは、9月1日の防災の日に長津田検車区で行われた乗客の救出訓練で使用されていた。 
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by hy_sengen-sin | 2006-10-16 13:07 | 鉄道乗車記

福井駅からは

20時11分、福井駅を発車。 あの後、敦賀、長浜方面へと向かっていました。

鯖江駅を通った時、一昨年9月23日に、サンドーム福井でのモーニング娘。のコンサートに行った時のことを思い出しました。

このことで、樋口さんは、あの時のことを懐かしがっていました。 当時は、石川梨華女史や紺野あさ美女史なども在籍しており、メンバーが豊富だったので。あとは、高橋愛女史の凱旋公演でもあった。

樋口さんは、大阪から鯖江まで、特急サンダーバードで現地入りしていた。 当時は、特急の臨時停車もあったけど。 会場までは、鯖江駅から歩いて行ったことになった。

筆者は、某応援団員(現在は退団している)の車で行っていたのである。当時は名物のソースカツ丼を食べたことも懐かしいし。 

サンドーム福井のほうは、車窓から見えたし。 こちらは、鯖江市と武生市の境目にある。

こちらは、1995(H7)年7月にオープン。こけら落としは、福井県出身の演歌歌手である五木ひろし氏のコンサート(凱旋公演)であった。 

同年10月には、アジアで初めての世界体操鯖江大会が開催されていた。

今年9月23日から24日には、サンドーム福井で、Kinki Kidsのメンバーである堂本光一氏のワンマンライブが行われていたけど、モーニング娘。のコンサートの丸2年後のことだったのである。

当時は樋口さんと知り合いでは無かったけど、もっと早くから知り合ってればよかったな!と思っています。 

筆者が樋口さんと出会えたのは、萩原清さんや黒岩さん、奥野さんのお陰である。

鯖江市のほうは、メガネのフレームの生産日本一であることで有名である。

南今庄を出た後、北陸本線の長大トンネルである北陸トンネルに入りました。こちらは、1962(S37)年6月10日、敦賀~福井間の電化および複線化と同様に開通したトンネルで、以前は敦賀と南今庄の間で大きく迂回していたのである。 

この長いトンネルを抜けた後、敦賀駅の手前でデッドセクション(交直切り替え地点)を通りました。 こちらは、10月21日のダイヤ改正(敦賀までの直流電化)に備え、9月24日に長浜~虎姫間・永原~近江塩津間から敦賀~南今津間に移設されている。

2003(H15)年3月15日に、小浜線の敦賀~東舞鶴間が電化された時は、直流電化となっていたので、9月24日から全て直流電化されるようになった。

敦賀駅ということで、樋口さんは、今年9月23日に萩原清さんと一緒にリバイバル急行くずりゅう号を撮影していたことを思い出していました。 

ここでもしばらく停車。 この時に特急雷鳥48号大阪行きを見ることが出来ました。 こちらは、クロ481-2005Fによる9両編成。 485系の雷鳥号は120Km/h運転となっているけど、湖西線内では、130Km/h運転が行われる。681・683系の場合はほぼ全線で130Km/h運転が行われている。

留置線では、125系電車のほか、赤い475系電車(クモハ475-46F)を見ることが出来ました。 今回は撮影することが出来なかったことで残念に思ったけど、見れただけでも嬉しいです。 この赤い475系は、今年2月末に廃止された富山港線(現、富山ライトレール)、リバイバル急行くずりゅう号に使用されていた。

敦賀を出た後、ループ線を通ったけど、その交差地点を発見することが出来てよかったです。 この時に、上越線の土合→湯檜曽間の上り線で通ったことを思い出しました。

10月21日のダイヤ改正から新快速が敦賀まで乗り入れるということで、223系による新快速がループ線を通る時が到来します。

あとは、直流区間のローカル用として、125系が増投入されることになる。

新疋田駅を出た後、深坂トンネルに突入。この時に福井県から滋賀県に入りました。 こちらも、木ノ本~敦賀間のルート変更による新線区間となっている。 近江塩津からは湖西線が分岐。湖西線のほうは乗ったことがないので、いつか乗ってみたいと思っています。 新快速の敦賀延長を期に、気軽に乗りに行ける時が来る。

木ノ本駅には、旧国鉄時代から使われている駅名表示が残されていました。

10月21日のダイヤ改正で、長浜行きの列車が廃止されることが予想されるので、貴重な体験でした。 413系で長浜まで行くのは最初で最後になる。 

長浜駅に到着。長浜は、羽柴秀吉氏によって築城された長浜城跡のある駅で、日本最大の湖である琵琶湖畔となっている。 この時は暗くなっていたので、琵琶湖の眺めは楽しめなかったです。あとは、NHKの大河ドラマである「巧名が辻」で有名となっているし。

長浜駅は、今年10月14日には、初代駅舎をイメージした新橋上駅舎に切り替わることになる。

長浜から米原までは、223系2000番台による新快速大阪行きで移動。 大阪行きということで、大阪に行きたくなってきました。 樋口さんのほうも、大阪の実家に帰りたくなったと言っていたし。

米原~長浜間の直流電化化および新快速の乗り入れは、1991(H3)年9月14日のこと。 9月14日といえば、モーニング娘。の高橋愛女史の誕生日である。 高橋愛女史は、今年の9月14日で20歳になったのである。

周辺には、長浜鉄道スクエアがあり、旧長浜駅舎、長浜鉄道文化館、北陸線電化記念館から成っている。 ここでは、D51-793号機、ED70-1号機が保存されている。

旧長浜駅舎は、現存する日本最古の駅舎で、1882(M15)年から使われている。 こちらは第一回の鉄道記念物として指定されている。当時の出札口、駅長室、待合室などが再現されているけど。

長浜城跡には、長浜城歴史博物館がある。 

この時に乗った新快速は、クハ222-2046F。 樋口さんは、223系はお気に入りの電車だと言ってました。 新快速は、130Km/h運転も行われているし。 この223系の新快速は、2001(H13)年4月8日に初乗車。

途中田村、坂田駅に停車。今回は10分ほどの短い乗車だった。

米原駅に到着。 この時にJR東海の117系、281系関空特急はるか(クロ280-1F)、221系、貨物列車の通過のシーンを見ることが出来ました。

ここから大垣行きの普通列車で移動。 この列車は313系による4+2の6両編成だった。 今回は10月1日にJR東海の名古屋エリアのダイヤが改正されてから初乗車となった。 編成は、クハ312-9F+クモハ313-306F。 今回はクモハ313-306側に乗車。 やはり、ムーンライトながら号に接続する列車らしく、乗り継ぎ客が多かったです。

柏原駅を出た後、滋賀県から岐阜県へ。 岐阜県に入って初めて停車した駅は関ヶ原駅。 関ヶ原と言えば、関ヶ原の戦いで有名であり、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍との戦いが行われていた。この時に東軍が勝利していた。

周辺には、関ヶ原古戦場跡がある。

大垣~関ヶ原間には、垂井線という支線があり、今から20年前まで、北側の垂井線に新垂井駅があった。

1944(S19)年10月11日に太平洋戦争中の輸送力増強のために、下り線専用の駅として開設。 1986(S61)年11月に廃止されるまでの間、下りは新垂井駅、上りは垂井駅と分けられていた。 そのため新垂井駅から関ヶ原駅まで出て、ここから上り列車に乗っていくという特例の措置も取られていた。 

1986(S61)年11月1日には、下り列車も垂井駅発着となり、垂井線は、優等列車が通るのみとなった。

大垣駅に到着。 ここでは樽見鉄道のDCを見ることが出来ました。 

新垂井駅跡=ホーム跡が残っている。 垂井駅と3キロ離れていたので、垂井駅とバスで結ばれていたこともあった。

樋口さんは、大垣から岡崎行きの普通列車で、笠寺まで帰宅。 この時の編成は、311系+313系の6両編成だった。(逢妻~岡崎間の最終) 大垣23時11分発と、ムーンライトながら号(23時19分発)よりも先に発車。 名古屋でそれに接続していたので、樋口さんと一旦別れた後に、名古屋駅で再会しました。

岡崎といえば、今年9月まで放送された朝の連続テレビ小説である「純情きらり」の舞台として有名となっていた。

この時のムーンライトながらの編成はF9+F2+F14編成で、筆者が乗ったのはF9編成の1号車(クハ372-9号車)だったのである。座席は11A 

F9編成のほうは、373系で未だ乗ったことのない編成だったので、今回F9編成に乗ったことにより、14編成全て制覇したことになった。

F2編成のほうは、9月18日の東京発大垣行きのムーンライトながら号の中間に連結されていたことがあった。

上りのムーンライトながら号は、大垣を出た後、穂積、岐阜、尾張一宮、名古屋、金山、大府、刈谷、安城、岡崎、蒲郡、豊橋、浜松、静岡、富士、沼津、熱海、小田原、大船、横浜、川崎、品川、新橋、東京に停車。岐阜から豊橋までは、新快速と同じ停車駅。

4~9号車のほうは、早朝利用客への対応として、熱海から自由席となっていた。 

373系は、311系や313系と同様に120Km/h運転対応なので、ムーンライトながらでも120Km/h運転が行われれていました。前身の165系のほうは、110Km/hまでしか出せなかった。

尾張一宮(名鉄一宮)駅付近では、名鉄の2000系ミュースカイの回送列車と併走しました。 こちらは4両編成化されてから初めて見たことになった。

あとは、姉妹車の2200系も見ることが出来た。こちらは来年度中に30両増備され、この計画に基づき、ミュースカイを除いた特急が一部特別席仕様の車両に統一されることになる。

これにより、1000系パノラマスーパーの全車特別席仕様の編成が廃車となる。

この時に昨年8月に横浜八景島シーパラダイスで買った高橋愛女史の生写真を渡し忘れていたので、名古屋で再会した時に渡すことが出来てよかったです。

名古屋駅に到着。 ここで岡崎行きの普通列車との接続のために停車。 このムーンライトながら号も6分停車していたので、樋口さんと再会。 この時にまたお会い出来てよかったです。
 
名古屋出発の時、楽しかった想い出を胸に、樋口さんと別れました。 この次にまたお会い出来るのはいつになるんだろう?

樋口さんのほうは、今回のモーニング娘。の秋のツアー「踊れ!モーニングカレー」は良かったと言っていたので、また見てみたいと言ってました。

樋口さんが笠寺駅に到着したのは、日付が変わって0時8分のこと。 笠寺駅といえば、名古屋レインボーホールのある場所で、夏のハロプロの名古屋公演が行われる場所となっている。 

ここから1人でムーンライトながら号の旅を楽しみました。 途中駅で、夜間留置の車両や、貨物列車と頻繁にすれ違う姿を見れたのも夜行列車ならではです。

島田の駅では113系を見ることが出来たけど、こちらもやがては313系に置き換えられることになる。 新バージョンの313系のほうは、米原、名古屋駅で見ている。

新バージョンの313系のほうは、未だに乗ったことが無い状態であります。

浜松では、285系のサンライズエクスプレスと対面。 安倍川駅で夜行急行銀河号、清水駅付近で373系ムーンライトながら号同士のすれ違いがありました。

熱海からJR東日本区間に入り、前の4~9号車が自由席となっていました。 横浜駅付近からは車内放送が再開されたけど、この時にワイドビューチャイムが流れていました。

4時42分、東京駅7番線着。 こうして、ムーンライトながら号は、トラブルも無く、東京に到着していました。 この後、373系は、引き込み線に入らずに、5時20分発東京発静岡行きの321Mで折り返されていたのである。 この321Mは、静岡への直通普通列車だけでなく、東京駅を最初に出発する普通列車となっている。 静岡8時26分着。この列車で行けば、その日のうちに山口県の下関まで行くことが出来る。さらに小倉0:03着で行くことも可能。

この後は、201系の各駅停車で新宿まで行き、ここから山手線を乗り継ぎ目白まで乗車。ここから歩いて帰りました。

201系の各駅停車は、高尾行きで、クハ205-71、72Fの6+4編成だった。途中で空が明るくなっていました。

10月9日、長岡から日本海経由東京までのルートで、トラブルが無かったからよかったです。

このようにとても素晴らしい旅行をすることが出来てよかったです。 列車にも乗れた、石川県に初めて行けた、樋口さんなどの友人とも出会えた、モーニング娘。のコンサートを見ることが出来たことでした。

当初樋口さんは最初から最後まで個人行動の予定だったけど、途中から筆者との行動に変わったということで喜んでいました。樋口さんにとっても、鉄ヲタ兼モーヲタ人生を大きく変えていたことに違いないです。

以上で旅行記を終わらせていただきます。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-13 10:07 | 鉄道イベント