交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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目黒線の急行

9月28日は、東急目黒線の急行に乗りました。

ルート 目白~目黒~武蔵小山~武蔵小杉~元住吉~日吉~武蔵小杉~目黒~三軒茶屋~渋谷~目白

まずは山手線で目黒へ。目黒から武蔵小山まで、東京メトロ9000系による9115Fによる急行に乗車。 不動前駅の武蔵小山寄りおよび洗足駅の西小山寄りの工事が終わっていなかったんで、徐行区間となっていました。

9115Fは、9114Fと共に、1997(H9)年9月30日の四ッ谷~溜池山王間の開業に備えて導入されていたけど、こちらは東急車輌製となっていた。 1997(H9)年9月30日といえば、碓氷峠区間(横川~軽井沢間)の最終日と重なっていたのである。あれからもう9年経つのである。

不動前駅では、長期間ホームドアが使用休止となっていたけど、ダイヤ改正前に使用が再開されたのである。

武蔵小山駅に到着。隣には都営6300形の6302Fが止まっていました。 

武蔵小山駅では地上に出たけど、西口のみが使用されていました。現段階では仮設の状態。 9月30日からは東口が新設されるけど、当面エレベーター専用口となる。

地上区間の跡地では、橋上仮駅舎、仮ホーム、線路等が撤去されていました。 これまで地上仮ホームで使用されていたホームドアは、地下の1、4番線に転用されていた。

この後、駅前の商店街である武蔵小山パルム(Palm)を歩いたけど、中原街道まで続いていました。

毎年28日は、目黒不動尊での縁日が行われているので、この日の東急バス渋72系統は、縁日ダイヤで運転されていた。

武蔵小山から武蔵小杉まで、東京メトロの9106Fに乗車。 この編成の先頭車は、1991(H3)年11月29日の赤羽岩淵~駒込間の開業の時から在籍しているけど、1996(H8)年の6両化と同時に中間車がIGBT仕様の新造車に差し替えられていたのである。 捻出された9102、9104、9106、9108FのGTO仕様の中間車は、9101、9103、9105、9107Fに集約されていた。

奥沢の車両基地では、3000系が1本止まっていました。

武蔵小杉駅に到着後、東横線に乗り換えて元住吉へ。 この時に乗った編成は、東急9101Fでした。

東京メトロ9000系は、乗り入れ先の東急9000系と番号が重複している状態となっている。 
このことは、東武伊勢崎線に乗り入れている東京メトロ8000系と、東武東上線または西武池袋線に乗り入れている東京メトロ10000系の関係でも言える。

元住吉駅の新線へは、東急9000系のトップナンバーである9101Fで初めて通ったことになる。

東急9000系は、1986(S61)年に9101Fの1編成が登場。同時期に登場した新京成電鉄8800形と同様に量産型VVVFインバータ装置搭載の車両として話題となっていた。 この車両の登場から今年で20周年を迎えることになる。

9101Fは、2004(H16)年1月30日の横浜~桜木町間の廃止の時に、渋谷発桜木町行きの最終電車として活躍していたことがあった。この車両は、桜木町駅到着後回送されていた。

ちなみに、桜木町発の最終電車は、9113Fが使用され、桜木町発元住吉行きで最後を飾っていた。 元住吉行きの最終電車は、現在でも元町・中華街発で運転されている。

東急の桜木町駅の最終日の時、高島町から桜木町まで、この9101Fに乗ったのである。

9000系のほうは、地下鉄南北線への直通を視野に入れた車両となっていたけど、直通運転開始の遅れおよび諸般の事情により、3000系または5080系にシフトされていたのである。 都営6300形または東京メトロ9000系の初期型車が、東急9000系と同様に車端部がクロスシートとなっているのはその名残である。

車端部のクロスシート部分が本格的に採用されたのは、京急の新1000系または600系・2000系のロングシート改造車である。

やはり東急9000系だと南北線部分で出力不足だし、営団(現東京メトロ)9000系と形式重複してしまうという問題があった。
東急9000系の交換前の方向幕に、目黒と田園調布の表示があったのはそのためである。

武蔵小杉駅の目黒線車両の留置スペースは、これまでは1線しか無かったけど、東横線の高架化切り替えにより余裕が出来たので、2線に増設されていた。

元住吉駅に到着した後、駅舎の見物を行いました。 ここには、屋上庭園があり、太陽光発電システムと相まって緑のある地球環境に優しい駅となっている。 ホーム下に溜まった雨水は、駅のトイレの洗浄水として再利用されている。

この後、駅前のマックに入ったけど、ここからも東横線の電車を眺めることが出来ました。

駅前の踏切は、高架化前、開かずの踏切となっていたけど、現在は1日10数本のみ運転される回送列車のみの通過となっている。この時には、9102Fによる試運転列車がこの踏切を通過していました。この時に、廃止されたはずの踏切が残っているということで戸惑う人が多いと思います。この前には、都営6300形の出庫回送もあった。こちらは元住吉に一旦入庫していた運用である。逆に、東急3000系または5080系が志村(高島平)や浦和美園(埼玉高速鉄道)の車両基地に入庫する運用もあるけど。

旧ホームの跡を見たけど、駅名表示等が残っていました。 こちらも廃止された横浜~桜木町間と同様の状態となった。

9月17日の元住吉旧線の通り納めの時に乗った編成は5153Fだった。この日は、武蔵小杉から元住吉まで8019Fに乗ったけど、この時点で8000系の日中および夜間の乗り納めとなっていた。

元住吉駅旧ホームの武蔵小杉寄りに踏切が1ヶ所あるけど、こちらも回送列車の通過のみとなった。しかし、来年度中に目黒線が日吉まで延長されると、遮断時間が再び延長されてしまうので問題となっている。 予定では、この踏切を通過した跡、旧ホーム跡で上に上がることになるので。

元住吉駅のほうは、外側の通過線が使用されていて、ここを高速で通過していました。 券売機等は、旧駅で使用されていたものが再利用されていた。 あとはホーム上に待合室があり、武蔵小山・西小山駅と同様に車椅子スペースが完備されている。

改札外には、ヒロタ・カフェキュート、コンビニがありました。キュートといえば、ハロー!プロジェクトの小中学生によるユニットである℃-uteを思い出します。

屋上庭園は、屋根の無いスペースとなっており、ここから東横線の電車を撮影することも出来る。 8000系の運用は朝のみの運用となってしまったので、ここから8000系を狙える機会は少なくなってしまったのである。 あとはモーニング娘。のヘッドマーク付き電車の運転がこの高架切り替え直前で終了してしまったことも残念に思っています。

長いエスカレーターのほか、エレベーターや階段でも行くことが出来る。 なので万が一エスカレーターやエレベーター等が故障した時や階段での避難の時でも安心である。

あとは、改札内のコンコース部分から元住吉の車両基地を眺めることも出来る。その先の日吉の東急百貨店も見えたし。

中央部の目黒線が入る部分は、「ご乗車になれません」の表示があり、レールのほうは敷かれていない状態となっていた。

この後、現時点での最新増備車である5164Fで日吉へと向かいました。この5164Fは、8月29~31日に掛けて東急車輌から輸送された編成となっている。

5165Fのほうは、9月12~14日に掛けて輸送されていたけど、現時点では未だに営業運転に入っていない状態である。

日吉駅では、改良工事が完成済みだけど、今後は中央部に目黒線が乗り入れてくることになる。これにより日比谷線直通列車が日吉駅の中線に入るシーンも、来年度中に見納めとなる。

日吉駅では、綱島寄りにバスターミナルが整備されているけど、慶応義塾大学の日吉キャンパスの前(東口)、駅西口にもバスターミナルがある。日吉と羽田空港を結ぶリムジンバスは、慶応義塾大学の前の東口バスターミナルから出ている。こちらは、東急バス、京浜急行バス、東京空港交通(リムジンバス)の3社による運行となっている。この時に東急バスの羽田空港行きを見ることが出来たけど、こちらはトイレ無しの日野のセレガRだった。

日吉駅から武蔵小杉駅まで、5162Fによる通勤特急に乗車。 この時に元住吉の上りの急行線を初めて通過。 ここから車両基地を眺めることが出来ました。 このことで、同じ川崎市中原区にあるJR南武線の武蔵中原駅が高架化された時のことを思い出しました。

武蔵小杉から目黒までは、都営6300形の6311Fによる急行に乗車。武蔵小杉で、東京メトロ9118Fに接続。 南北線に乗り換える場合は、武蔵小山で乗り換えるよりも白金高輪で乗り換えたほうが早く着くことになる。

目黒駅に到着した後、東急バスの黒06系統で三軒茶屋へと向かいました。 この路線は目黒営業所の路線だったけど、現在は下馬営業所(東急トランセ委託)の路線となっている。 

この時に乗った車両は、SI544(品川200か12-32)で、日野の中型ノンステップバスとなっていた。 この黒06系統は途中祐天寺駅前を経由するけど、狭い道を走るバスとして有名である。 目黒駅前から元競馬場前までは、広い目黒通りを通過。その後、旧目黒区役所前(水道局庁舎前)まで狭い道を通っていたのである。 

水道局庁舎前から祐天寺までは、渋71系統(渋谷駅~洗足駅)と同じ路線を通り、祐天寺で狭い商店街を通り、祐天寺駅前へ。 祐天寺といえば、鉄道をイメージしたカレーショップであるナイアガラがあることで有名である。このナイアガラのほうは、タモリ倶楽部で出てきたことがある。

祐天寺駅前を出た後も狭い道を通り、五本木二丁目へ。 ここは、東急バスの下馬営業所の近くなので、このバス停で出入庫が行われることになる。この後下馬五丁目で右折。日大農獣医学部前で右折し、住宅前バス停を通り、三軒茶屋駅へ。 三軒茶屋駅前を出た後、三軒茶屋バス停を通り、コスモ石油横を左折し、一方通行路へ。この後中里、明治薬科大学バス停を経て、日大農獣大学前から元のルートに戻り、祐天寺、目黒へと戻ることになる。

以前は大型車も使用されていたけど、1979(S54)年の目黒営業所時代に中型車化されていた。 目黒営業所時代は、渋71、72系統と共通の日野車しかなかったけど、下馬に移管されてからは、日野のほか、三菱ふそうや日産ディーゼルの中型車も使用されるようになった。

三軒茶屋駅は改良工事が行われており、改札外に仮設トイレがあった。駅名表示は唯一旧新玉川線時代から使用されていた旧タイプのものが残されているけど、改良工事の進捗と共に交換されることが予想される。

三軒茶屋から渋谷までは、東武の50050系の51053Fに乗りました。 東武では、半蔵門線直通列車の50050系化が進められているので、今年度導入分も50050系になることが予想されます。

東急東横線のホームに行ったけど、この時に菊名行きのほか、東横線に初登場した武蔵小杉行きも見ることが出来ました。 これからの入庫列車は元住吉行きから武蔵小杉行きまたは日吉行きとなる。

菊名行きは、菊名に到着後、引き込み線に入り、この後回送されることになる。

渋谷発菊名行きの列車は既にあるので初登場ではなかった。

東急東横線の日中の急行・特急では、5050系、Y500系のほか、9000系も使用されているのを確認しました。 

自由が丘駅開業77周年記念号は、10月3日から26日まで東横線で、10月2日から25日まで大井町線で運転されることになるけど、どの車両で運転されるのか気になります。

同時に東京メトロ日比谷線・南北線、埼玉高速鉄道線、都営三田線でダイヤ改正が行われていたけど、都営6324Fにダイヤ改正のステッカーがあった。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-29 13:39 | 鉄道乗車記

さよならピーチライナー

1991(H3)年3月25日の開業以来15年間、ピーチライナーの愛称で親しまれていた桃花台新交通が、9月30日をもって廃止されることになります。

ピーチライナーの路線 小牧~小牧原~東田中~上末~桃花台西~桃花台センター~桃花台東

小牧、小牧原駅で、名鉄小牧線に接続。 

桃花台センター駅は、地下に駅があり、駅前にピアーレがある。

1991(H3)年3月25日、小牧~桃花台東間が開業。 以来桃花台ニュータウンを結ぶ列車として走り続けていたけど、今年9月30日をもって廃止されるということでとても残念な状態であります。 筆者のほうは、乗れずじまいの状態となってしまうことになる。ということは、日本の新交通システム初の廃止となってしまう。

使用車両は100系で、進行方向右側にしかドアが無いため、小牧駅および桃花台東駅で、ループ線によって折り返されることになる。

車両は4両編成5本。車両基地は桃花台東駅付近にあり、反対側のMc車(141~145号車)の運転台により、車両基地から桃花台東まで回送されることになる。座席は2-1配列のクロスシート。運転方式はワンマン運転。

こちらは、高蔵寺方面への延長も検討されていたけど、幻となってしまった。あとは、昨年開催された愛・地球博で試用されたトヨタ自動車の開発によるIMTS(磁気誘導式無軌条交通システム)への切り替え計画も幻となってしまったし。

代替バスのほうは、9月19日から、小牧市のバス会社であるあおい交通による「ピーチバス」として、桃花台センター~小牧駅前~小牧市役所前間で運転されている。 これにより、名残乗車のついでに、ピーチバスにも試乗するということも出来るようになったのである。

飛行機関連になるけど、国産のプロペラ機であるYS-11型機が、9月30日をもって、日本エアコミューター(鹿児島ベースの、JAL(旧JAS)関連の航空会社)による福岡~徳島、鹿児島線、鹿児島~沖永良部線をもって定期運用から引退することになる。

YS-11初の就航路線は東京(羽田)~徳島~高知線で、1965(S40)年4月1日、日本エアシステム(JAS)の前身である 旧日本国内航空(JDA)によって就航していた。

現在ラストフライトとなっている1機には、ありがとう日本の空YS-11の記念ステッカーがある。

YS-11といえば、電車とバスの博物館のシュミレーターでおなじみとなっている。

このYS-11は、1964(S39)年の東京オリンピックの時の聖火輸送でも活躍していたので、オリンピアという愛称もあった。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-28 11:16 | 鉄道車両・路線
9月25日、東急東横線、目黒線でダイヤ改正が行われました。土曜・休日ダイヤは9月30日から改正。

東横線では、元住吉駅の高架化、日中の特急・急行のスピードアップ化

目黒線では、増発および急行列車の新設が行われていました。

東横線で変化した点は、特急・急行のスピードアップ化。

渋谷~横浜間の日中の所要時間

特急は 上り 27分→25分 下り 26分→25分

急行は 上り 31分→29分 下り 30分→29分

これからは、渋谷~横浜間最速25分で結ばれるようになったのである。

これにより、日中の急行は、5050系または横浜高速鉄道Y500系に統一されたことになった。 9000系は分からないけど。

この東横特急、通勤特急、急行は、地下鉄13号線と直通運転化される暁には、10両編成化されることになる。

夜間には、平日の下り21時以降に、渋谷発武蔵小杉行き5本、菊名行き1本(いずれも各駅停車)
土曜・休日の19時以降に、渋谷発武蔵小杉行き6本(すべて各駅停車)、23時台に元町・中華街行き1本(東横特急)がそれぞれ増発

運転区間の延長 平日 上り 20時以降 元町・中華街発元住吉行きが渋谷まで延長 東横特急2本、急行2本、各駅停車2本 計6本
上り 24時台 渋谷発元住吉行き1本が菊名まで延長。

土曜・休日 上り 18時以降 元町・中華街発元住吉行きが渋谷まで延長 東横特急2本、急行2本、各駅停車3本 計7本

種別の変更 平日下り21~22時台の渋谷発元町・中華街行きの特急3本(渋谷21:00、21:30、22:00発)が、通勤特急に変更。(5号車は女性専用車両)

元住吉発着の列車の武蔵小杉・日吉発着に変更。 9月24日に元住吉駅が高架新駅となり、日吉寄り(車両基地の真上)にずれたことにより、元住吉駅から直接出入庫出来なくなった関係でこうなったのである。 下り・上りの各初電・終電が元住吉発着のまま残されていたのは、元住吉のホームでの停泊となるからである。

9月24日に高架化された後、一部列車の行き先変更を伴う臨時ダイヤが設定されていたのはそのためである。

日比谷線直通1000系による菊名発元住吉行きの列車が無くなり、菊名から直接回送されることになった。
これにより日比谷線直通の東京メトロ03系、東急1000系による元住吉行きも、急行元住吉行きと同時に消滅したことになった。

その代わり、東急東横線の武蔵小杉行き(日比谷線直通を含む)も登場している。急行武蔵小杉行きも初登場。

9月24日をもって廃止された急行元住吉行きは、急行通過駅なのに元住吉行きということで不思議な列車となっていた。 武蔵小杉は元から急行停車駅なので問題は無い。9月24日には、高架化された後の元住吉駅と急行元住吉行きの最初で最後の組み合わせも見られていた。

東急目黒線の武蔵小杉行きは、来年度中に日吉まで延長された後も、出入庫列車のみ残ることが予想されます。

東急東横線のダイヤ改正は、3月18日にも行われていたけど、今年で2回目の改正となった。前回の3月18日の改正は、平日朝・夕ラッシュ時における通勤特急の増発が中心となっていた。平日朝の元住吉発着の急行の廃止はこの時で、渋谷発元住吉行きの急行も廃止されていた。

東急目黒線 急行運転開始により目黒~武蔵小杉間の所要時間5分短縮。 日中は目黒~武蔵小杉間急行で最速13分に。

目黒~武蔵小杉間の所要時間 朝ラッシュ時の上り 20分→15分 
日中 上下共に18分→13分
夕ラッシュ時の下り 19分→14分

急行停車駅 目黒~武蔵小山~大岡山~田園調布~多摩川~武蔵小杉

急行の運転間隔 平日 朝 約8分 日中 30分 夕 12分
土曜・休日 朝 15分 日中 30分 夕 30分

日中の急行は、南北線・埼玉高速線直通、三田線直通の1本ずつの設定となる。

各駅停車も、目黒~洗足間の立体交差化の完成による徐行運転解消により、日中 18分→17分に短縮。

目黒折り返しの列車の新設。 これまで早朝・深夜および終夜運転の時しか見られなかった目黒行きが、日中にも見られるようになった。 この目黒折り返しの列車は、東急車(3000系または5080系)はもちろんのこと、東京メトロ9000系、埼玉高速2000系、都営6300形も使用されている。

これに伴い、5080系が2本増備され、5183Fは既に営業運転入り、5184Fは、9月27日に長津田到着、以後営業運転入りすることになる。

急行と各駅停車の接続 下りは、全列車武蔵小山で急行と各駅停車の接続が行われる。この各駅停車は目黒始発または地下鉄線からの列車。

上りは、朝・夕のみ武蔵小山での急行と各駅停車の接続が行われる。 平日 武蔵小杉 7:35~9:19、16:34~21:38発 土曜・休日 武蔵小杉 7:41~8:55、19:13発の急行が該当している。

その他の急行 平日 武蔵小杉 9:40~16:12発 土曜・休日 武蔵小杉 9:12~18:41発の急行は、武蔵小山での各駅停車の接続は行われない。 その前に各駅停車目黒行きが運転されるけど、こちらは、終着駅の目黒で急行(地下鉄線直通列車)に乗り継ぐことが可能となっている。  

急行のほうは、東急、東京メトロ、埼玉高速、都営車全てに設定されている。

工事が遅れていた武蔵小山、西小山駅の地下化が、7月2日にようやく完成したことにより、今回の改正で急行運転が実現したのである。

大井町線、池上線、東急多摩川線では、大岡山、旗の台、蒲田、多摩川駅での接続考慮により、発着時刻が一部変更されていた。

東急世田谷線では、9月30日から土曜・休日のダイヤが改正され、日中(10~17時台)の運転間隔が6分から5分に短縮され、増発されることになる。 せたまる回数券の場合、土曜・休日に4ポイント付くことになる。

平日の場合は日中6分間隔のままとなっている。

9月25日、田園都市線で8590系が復活し、8695Fが営業運転入りしていた。 こちらは幕式で、8500系の一部、2000系と同様に東武線乗り入れ非対応のマルKマークの編成で、平日のみの定期運用となっているので、目撃率が低い状態となっている。

8695Fは、半蔵門線のATC更新後に東横線に転属されていたので、水天宮前~押上間に今回初入線していたのである。

8694FもマルKマークで田園都市線入りすることになることになるけど、東横線への転属前に一時的にマルKマークの編成で、清澄白河まで試運転で乗り入れていたことがあった。

これらの2編成は、インドネシアに輸出される予定の初期型8500系2編成の代替えとして導入されたので、マルKマークの運用には変化は無い。

東横線に残る8000系(8017、8019、8039F)のほうは、日中および夜間の定期運用が無くなり、朝間のみで活躍することになるけど、来年度中に全廃予定となっている。

来年度以降は、8000系の廃車に続き、初期型8500系の廃車が加速することが予想されます。

臨時ダイヤ当日の9月24日は、8000系が2本運用されていたため、日中の元住吉の高架新駅と8000系との最初で最後の組み合わせが見られていたのである。この日は好天に恵まれていたし。

新元住吉駅は、エスカレーターまたはエレベーターで3階まで上がっていき、コンコース・改札へ。改札に入った後、エスカレーターまたはエレベーターで2階のプラットホームまで降りることになっている。 3階には屋上庭園もある。

東横線発着ホームは2、5番線 中央の3、4番線の目黒線部分(来年度中に乗り入れ予定)は、建設中につき、ご乗車になれませんの表示がある。 外側には、東横線の通過線があり、急行・特急・通勤特急の通過待ちが行われることになる。そのため、1、6番線が欠番となっている。

ホーム及びコンコースの屋根部分に太陽光発電システムが設置されているので地球環境に優しい駅となっている。

駅名表示はおなじみの黒地に赤帯入りとなっているけど、小田急の駅名表示みたく、中国語や韓国語も併記されている。

9月27日には、5050系の5165Fまで出揃ったことになった。

目黒線の日吉延長は、来年度末に予定されているので、大井町線の急行運転開始および溝の口延長と同時に行われる可能性がある。

東急目黒線は、以前目蒲線という路線で目黒と蒲田の間が結ばれていた。 目蒲線といえば、目蒲線物語が有名となっている。

目蒲線物語は、おおくぼ良太氏によるコミックソングで、1983(S58)年に登場していた。 当時は緑色の旧型電車が走っていたのである。

目蒲線だった路線のうち、目黒~田園調布~多摩川園(現、多摩川)間が目黒線、多摩川園(現、多摩川)~蒲田間が、東急多摩川線となっている。 東急多摩川線は、東急池上線(五反田~蒲田間)と同様に3ドア、3両編成のワンマン電車が行き交う路線となっている。目蒲線もこのような雰囲気の電車が走っていた。

これまでの元住吉駅は、地下に駅舎があり、階段を上らなければならなかった。旧ホームは2面4線で、末期は高架線に覆われている暗いホームとなっていた。 今後はこの旧ホームおよびが旧駅舎が撤去され、目黒線との接続工事が行なわれることになるけど、駅前の踏切、線路は出入庫線として残されることになる。 

元住吉駅は、地球環境はもちろんのこと、バリアフリーにも考慮された駅に生まれ変わったのである。

レポートのほうは、後日実際に乗った後にお伝えする予定です。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-27 11:10 | 鉄道車両・路線
9月23日は、高麗駅付近の巾着田(埼玉県日高市)で、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)というヒガンバナを見に行きました。

ルート 池袋~飯能~高麗…(巾着田)…高麗~池袋~大宮~桶川~大宮~北朝霞(朝霞台)~和光市~成増~大山~池袋

まずは、池袋~椎名町間で、10000系による臨時むさし81号高麗行きを見たけど、表示は、臨時となっていました。 編成は10110Fで、新宿線所属の編成となっている。

この池袋~高麗間の臨時特急は、シーズン中の土曜・休日には2往復運転されている。指定席のほうは、池袋~飯能間となっている。

このほかにも、特急ちちぶ号の高麗駅臨時停車も行われていた。

池袋から飯能までは、6000系の6108Fの急行に乗車。 6108Fも、6111Fと同様に、1994(H6)年12月7日から有楽町線直通で使用されている。

後発の特急ちちぶ11号西武秩父行きは、高麗に臨時停車。小手指で、この列車に追い抜かれていたのである。 この列車は満席の状態だったので乗ることが出来なかった。 編成は10105F。 やはり秩父方面への行楽客も混在していたので満員となっていたし。 高麗行きの臨時特急には空席があったと思われます。 やはり定期列車では満席でも、臨時列車に空席があるということがよくあるので、狙い目だと思います。 こちらは、コンサート等で、既にある公演が満席、追加公演に空席があるということにも例えられる。

10000系NRAのリニューアル工事は、今年度中に2編成行われる予定だけど、現在は10106Fが入場中となっている。 この次に10107Fが入場されることが予想されます。

東長崎駅は、今年7月30日に、下り線が将来の下り待避線部分に移設されていたけど、9月3日には、上り線が将来の下り本線部分に仮移設されていた。 同時に橋上駅舎も改築されることになる。

所沢駅では、有楽町線から追われる運命である07系の07-101Fを見ることが出来ました。 西所沢駅では、西武狭山線の1247Fによる恐竜電車が運転されていました。西武球場前駅前にあるユネスコ村、大恐竜探検館が、9月30日をもって営業休止されるということで、そのPRとして運転されていた。

ユネスコ村のほうは、ゆり園のみ残される予定となっている。

小手指駅では、先ほどの特急ちちぶ11号の通過待ちがありました。

稲荷山公園駅は、稲荷山公園の最寄り駅となっているけど、航空自衛隊の入間基地が有名となっている。 ここでは、毎年11月3日に航空祭が行われているけど、筆者は昨年初めて行ったのである。 稲荷山公園駅、稲荷山公園、入間基地共に狭山市にある。入間基地のほうは一部入間市にもまたがっている。

飯能に到着した後、高麗行きの臨時電車に乗り継ぎました。 この後、後続の快速が到着。 

この高麗行きの臨時電車は、4000系の4013+4017Fの8両編成となっていました。 行き先表示は、普通・高麗。 これまでは高麗行きの方向幕が無かったけど、4000系のワンマン改造と同時に、高麗行きと横瀬行きの方向幕が追加されていたのである。どちらもシングルアームパンタ化されていた。

今回は、曼珠沙華のHMが付いていなかった。 この編成は、飯能~高麗間でピストン輸送していた。

高麗駅のほうは、エレベーター、バリアフリートイレの新設により、バリアフリー化されていました。 高麗駅の階段のほうは2ヶ所あり、エレベーター新設の関係で、飯能寄りの階段が狭くなっていました。

トイレは改札外のままだけど、移設されていた。

高麗駅、巾着田のある日高市は、1955(S30)年2月11日、これまでの高麗川村と高麗村が合併した日高町が前身となっている。 翌年の1956(S31)年9月20日には、高萩村とも合併。 1991(H3)年10月1日に、市制施行により、現在の日高市となる。

隣の武蔵横手駅、武蔵丘車両検修場も、日高市にある。武蔵丘車両基地のほうは、飯能市に位置しているけど。

高麗駅といえば、武蔵丘車両検修場の最寄り駅でもある。 2002(H14)年の第一回目のイベントの時のみ、武蔵丘車両検修場から高麗まで歩いて帰ったことがある。

高麗駅では、帰りの特急券(高麗始発のむさし82号)および曼珠沙華の群生地への入場券、曼珠沙華の記念パスネットを買いました。この時点では、西武秩父から来る定期の特急は全て満席となっていたけど、高麗始発の臨時特急には空席があった。

パスネットのほうは、来年春以降順次PASMOに移行されるので、今年最後の発売になることが予想されている。

高麗駅のスナックコーナーではラーメンを食べました。

高麗駅には、コミュニティバスであるせせらぎ号の西コース(国際興業飯能営業所による運用)が乗り入れ、高麗駅、高麗川駅、巾着田周辺を循環するバスとなっている。こちらは平日のみ1日4本運用。東コース(北回り、南回り、日高市役所経由)のほうは、西武バス狭山営業所による運用となっている。

これらのコミュニティバスは、日野リエッセが使用されており、日高市のせせらぎ号のほか、狭山市の茶の花号、入間市のてぃーろーど(どちらも西武バス狭山営業所による運用)もある。

高麗駅に乗り入れる国際興業バスの路線は、飯能駅~こま武蔵台ニュータウン~高麗駅~
高麗川駅~埼玉医大保健医療学部~埼玉医大間の路線となっている。

埼玉医大の保健医療学部が開設されたのは、今年からで、それに伴い、国際興業バスが毛呂山町にも進出してきたのである。

国際興業バスの飯能営業所は、1959(S34)年、これまでの飯能交通(バス・タクシー会社)との合併により誕生した営業所となっているけど、国際興業で唯一所沢ナンバーの地域にあるので違和感がある状態となっている。 車両のほうは、旧名栗村部分などの山間部を通過する関係で、シャーシを擦る問題のある低床のワンステップ、ノンステップバスは導入されておらず、他の営業所から転属の高年式車でまなかっている状態となっている。7500番台や8000番台と言った旧型のキュービックバスが集中配置されているのはそのためである。

ちなみに他の埼玉県の営業所は、さいたま東、戸田、鳩ヶ谷、川口、西浦和で、大宮ナンバーの地域となっている。都内(城北エリア)は、池袋、赤羽、練馬(北町)、志村の4ヶ所あるけど、池袋営業所のほうは、椎名町駅と要町駅の中間にあり、1950(S25)年12月の国際興業バス設立の時から存在している。 こちらは筆者の家から近い。

かつて国際興業バスにKKKのロゴが入っていたけど、アメリカの人種差別団体との混乱を避けるために、2002(H14)年のFIFAワールドカップの前に消されていたのである。 なぜか高麗駅前のバス停には、KKKのロゴが残っていました。

現在は、KKKではなく、Kokusai Kogyoのロゴとなっている。

筆者のほうは、国際興業バスの案内テープで流れる曲が気に入っている。 

2002(H14)年までは、ボンネットバスであるさわらび号が、飯能駅~さわらびの湯まで運転されていたことがあった。 こちらは、系列の岩手県交通で保存されていたけど、現在はどうなっているのか気になっています。 

名栗村のほうは、2005(H17)年1月1日に飯能市に編入されている。 

高麗駅からは歩いて巾着田まで行きました。 巾着田は、高麗川の蛇行により出来た場所で、巾着に似ているということで、巾着田と呼ばれている。やはり、ひらがなのひの字の形をしているし。

途中、曼珠沙華の見頃のみ開設される仮設橋を渡ったけど、ここには、鹿台堰魚道(魚が堰の上(上流)まで上がれるように作られた水路)がありました。これにより、上流の魚を増やすことも出来る。 これを見た時に魚道の存在を初めて知りました。 

高麗川は、狩場坂峠付近(飯能市、秩父郡横瀬町、比企郡ときがわ町の境)に水源があり、ここから西武池袋線に沿って流れ、巾着田へ。ここから日高市北部、坂戸市を経て、坂戸市北部で、越辺川(おっぺがわ)に合流、この後、入間川とも合流し、荒川へと至ることになる。

しばらく川沿いに歩いた後、群生地の入り口が見えました。 ここは以前無料で入れたけど、昨年から入場料200円が掛かるようになったのである。 この入場料は、曼珠沙華の群生地の整備等に活用されることになる。これによって、来年もいい花を咲かせてくれればいいなと思っています。

秩父の芝桜のほうは、整備金という募金もあった。

この時は見頃を迎えていたので、かなり賑わっていました。 やはり秋分の日であり、天候に恵まれていたということで混雑していたのである。 翌日の24日もこのような天候だったので多くの見物客で賑わっていたし。

群生地に入り、真っ赤に咲き誇った曼珠沙華を見たけど、目を引くほど綺麗でした。 中には白いヒガンバナもあったし。あとは渓流の流れにもマッチしていたし。

筆者がこの巾着田の曼珠沙華を見たのは初めてでした。 巾着田のほうは、以前小学校の遠足の時に行ったことがある。

群生地は、南側の早咲き群生地と、東側の遅咲き群生地に分かれているけど、この日は遅咲き群生地のほうも見頃を迎えていたのである。

昨年は開花が大幅に遅れていて、9月23日頃にようやく見頃を迎えていたのである。 10月10日頃に終息を迎えていた。

東端には、あいあい橋という橋があり、ここを渡って行きました。 この周辺には、高麗郷民俗資料館があったけど、残念ながら休館日のために入ることが出来なかったです。

この後、コスモス群生地にも行ったけど、コスモスも見頃を迎えていました。 巾着田で、曼珠沙華のほか、コスモスも見れたということで一石二鳥だと思います。すぐ近くには、水車小屋もあった。春には、桜や菜の花が咲き誇ることになる。コスモスのほうは、9月27日から摘み取り(有料)が行われるのでいい時に見に行って正解でした。

これを見た後、高麗駅に戻ったけど、途中で紫芋のソフトクリームを食べました。

高麗駅周辺にある、高麗豆腐むつみや食品による、味噌漬け豆腐も有名となっている。

高麗駅では、4001+4003Fによる普通列車を見たけど、通常の菱形パンタグラフとなっていました。4000系では、シングルアーム化が進められているので、交換されるのも時間の問題である。こちらは、4005、4007Fと共に、1988(S63)年12月5日の登場の時から在籍している。4003Fといえば、2001(H13)年2月25日の西武球場前駅でのイベントの時の臨時電車で運転されていたことがあった。

この後、高麗始発池袋行きの臨時特急むさし82号が回送で入線。 この時から特急むさしの表示となっていました。 この時に使用されていた編成は10101Fで、10102Fと共に、1993(H5)年の登場当時に、新宿線の特急小江戸号でデビューしていた。 2003(H15)年3月、VVVFインバータ車による完全新製車である10112Fの登場と共に、10109Fが池袋線に転属。 のちに、10101Fが池袋線所属となり、10109Fが新宿線に出戻りしたのである。

この10101Fは、2003(H15)年度に、菱形パンタグラフのままリニューアル化されていたので、この編成はリニューアル化第一号となっていた。 2004(H16)年度に出場した10102F以降は、シングルアーム化されていたけど。 この編成は初期の更新車であったので、カーテンは取り付けられていなかった。 カーテンの取り付けは、10104Fの時から。

10101Fのほうは、今年の武蔵丘車両検修場でのイベントの時に定期検査で入場していたので、運転台等が公開されていたのである。 同時にシングルアームパンタ化されていた。

筆者が初めて10000系NRAに乗ったのは、1994(H6)年4月1日、所沢から高田馬場まで特急小江戸号に乗った時で、10101Fに当たっていた。 この10101Fに乗ったのは、12年半ぶりとなる。

特急券のほうは、飯能発の特急券をベースに、高麗のハンコが押してありました。高麗駅から特急に乗ったのは今回が初めてとなった。 このような臨時特急は昨年も運転されていた。

高麗駅発着の場合、池袋~飯能間が座席指定扱いとなる。

昨年に行こうと思っていたけど、諸事情により行くことが出来なかったので、今年に行くことが出来たからよかったです。

飯能からは、定期のむさし号と同様のルートとなり、途中入間市と所沢に停車。 むさし号のほうは、12月3日の秩父夜祭りの時などに、西武秩父まで延長運転されるけど、むさし号のままで西武秩父まで行くことになる。

複々線区間では、2000系の普通列車と併走していました。

池袋の特急ホームに到着した後、回送されていました。 この後、湘南新宿ラインで大宮まで行きました。 大宮では、EF65-49号機などを見ることが出来ました。 ここで友人と出会い、後発の湘南新宿ラインのE231系の特別快速で桶川へ。 桶川で友人と別れた後、E231系で大宮まで戻り、ここから北朝霞まで、115系によるホリデー快速むさしの号に乗りました。

朝霞台から和光市までは、東西線に転用予定の07系の07-104F、和光市から成増までは、10030系11456Fの急行、成増から大山までは、9000系9108Fによる普通列車に乗りました。

9108Fのほうは、1991(H3)年に増備車として導入された編成で、9000系のチョッパ車で唯一の軽量ステンレス車となっている。 この列車は成増始発で運転されていた。

9000系の池袋~成増間の地上運用で乗ったのは、今回が初めてでした。 9000系のVVVFバージョンである9050系も、地上線で運転されることもある。

大山まで行ったのは、私鉄部会のためである。 普段私鉄部会で使用されているの南大塚地域文化創造館(豊島区南大塚)が改装工事のために使用出来ないために、9月から11月までの期間限定で大山グリーンホール(旧産文ホール)で行われていたのである。ここでは第一土曜日に機関車部会が行われている。

ここは、都営三田線の板橋区役所前駅からも行ける。

東武東上線沿線在住の森敏英さんにとっては一時的に行きやすくなる状態となっているけど、この日は、沼津で行われた静岡のアイドルグループであるオレンチェのライブに行った後に会場入りしていたので、二次会のみの参加となっていた。 二次会は、ミスタードーナッツ(ミスド)で行われていたのである。

この後、8000系の8114F+8116Fによる普通列車で池袋まで乗りました。 前者はかつて野田線で、後者はかつて本線系統で走っていたことがあった。

森敏英さんのほうは、翌日の9月24日にこまばエミナース(井の頭線、駒場東大前駅付近)で行われた制服向上委員会の卒業ライブに行っていたのである。 

制服向上委員会のほうは、解散してしまったけど、今後寿隊などの派生ユニットが残ることになっている。

こまばエミナースのほうは、正式名称国民年金中央会館で、1979(S54)年10月にオープン。制服向上委員会のライブが行われいた500名収容の大ホールのほか、ホテル、結婚式場、レストランもある。

制服向上委員会は、1992(H4)年の結成以来、メンバーの加入および卒業が繰り返されていた。 森敏英さんのほうは、翌年の1993(H5)年からファンを続け、ファンクラブにも入っていたので、森敏英さんのアイドル趣味の原点となっていた。

こまばエミナース前の道路では、東急バス渋51系統(渋谷~若林折返所線)、渋52系統(渋谷~世田谷区民会館)、小田急バス渋54系統(渋谷~梅ヶ丘、希望ヶ丘団地線)が通っているけど、東急バス淡島営業所(東急トランセ)への回送車(ハチ公バス、NHK線、渋谷循環バス(City Shuttle)、小田急シティバス世田谷営業所から出庫した小田急シティバスおよびその相互乗り入れ会社の高速バスの車両を見ることが出来たのである。

9月26日の仕事帰り、西武新宿線で、20152Fによる曼珠沙華HM付き電車を見ました。 池袋線(有楽町線直通)のほうは、6155Fが使用されている。

西武グループでは、春のソメイヨシノ(狭山湖畔等)はもちろんのこと、花見客へのPRも積極的に行われている。 
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by hy_sengen-sin | 2006-09-24 13:48 | 鉄道乗車記

新木場、あいづ号

9月18日は、新木場、渋谷、大宮方面に行ってきました。

ルート 目白~高田馬場~飯田橋~新木場~永田町~渋谷~代官山駅入口…代官山~渋谷…原宿~新宿~大宮~上野~東京~目白

まずは山手線で高田馬場へ、高田馬場から飯田橋まで東西線の05系05-110Fで行きました。 この編成は、1991(H3)年に導入された在来型(ワイドドアで無い)のチョッパ制御車の最終製造グループとなっており、運転台はATC対応となっていた。 05系で初めてバケットシートが採用されたのは、この編成だった。 05系のチョッパ装置の足回りは、日比谷線の03系のチョッパ制御車に準じている。

05系のほうは、1988(S63)年の登場当時から10両編成となっており、暫定的に東西線で使用された半蔵門線の8012~8014Fも10連となっていた。9月3日には、そのうちの8012Fに乗ったのである。

飯田橋から新木場までは、西武6000系6111Fに乗車。 6108、6109、6110、6111Fの4編成は、1994(H6)年12月から地下鉄乗り入れに使用されている編成で、1998(H10)年の池袋線との直通運転開始の時までの間、練馬折り返しの列車に使用されていたけど、午前中の運用中心と変則的な運用となっていた。 当時は下り線のみ高架線で、上下線の線路が繋がっていなかったので、小手指から有楽町線への送り込み回送は、小手指→池袋→練馬間で行われていた。

東京メトロのS運用では、西武線に乗り入れる運用と西武線に乗り入れない運用に分かれているけど、10000系のほうは当面後者の運用に限定運用されている。

西武線に乗り入れるS運用は、西武6000系が使用されるM運用とは異なり、西武線直通と東武線直通の両方に入ることになる。

東京メトロ10000系のほうは、西武線での試運転が行われているけど、誘導障害の影響により試運転が遅れていたのである。 

9月30日に新木場で行われる予定の10000系撮影会には行く予定となっている。

西武6000系の車内には、10月1日に横瀬で行われる予定のトレインフェスティバルの広告がありました。 この時には、昨年に引き続き、20000系の8両編成による横瀬直通電車が運転されるそうです。 この電車には、6年ぶりに乗る予定であり、横瀬のイベント自体も4年ぶりの参加となる。

高麗の巾着田のほうでは、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という彼岸花が咲き誇っている状態となっている。そのPRのヘッドマークが、有楽町線直通にも使用される6155F、新宿線の20000系20152Fに取り付けられている。

新木場に到着した後、なっち(安倍なつみ女史)のファンクラブイベント会場である新木場のSTUDIO-COAST(スタジオ・コースト)に行きました。 このスタジオ・コーストは、2002(H14)年にオープンしたライブハウスである。 COASTとは、英語で海岸という意味である。

このイベント会場では、名古屋から遠征してきた樋口さんと出会いました。 座席は前のほうだったけど、入場の時に目が合ったのである。 樋口さんとは、昨年10月以来11ヶ月ぶりの再会となった。

樋口さんは、筆者と同じく、鉄系のハロー!プロジェクトのファンであり、樋口さんのハロプロファン歴は6年である。 当初は、ハッピーサマーウェディングの時代で、吉澤ひとみ女史など4期メンバーが加入した時だった。樋口さんはごっちん(後藤真希女史)1推しからスタート。

現在は、モーニング娘。では高橋愛女史、美勇伝では石川梨華女史を推している状態である。

樋口さんのハロプロ活動範囲は、名古屋や大阪が中心となっている。

樋口さんの実家は、大阪府枚方市(京阪沿線)にある。 なので京阪を中心とする関西の鉄道に強い状態である。

このイベント会場では、筆者が所属している応援団の団員とも出会うことが出来たのである。中には、なっちファン歴9年(デビュー当時から)、コンサート参戦歴4年の友人が、このイベントでなっちと初めて握手することが出来たのである。 その友人は鉄系ファン。

イベントのほうは、お笑いコンビである上々軍団とのトーク、VTRの放映、ミニライブ、なっちとの握手会もあったので楽しめました。

このなっちのFCイベントは、9月10日の大阪、御堂会館でも行われていたけど、樋口さんは東京会場を申し込んでくれてよかったと思います。

樋口さんは、7月に大阪の某所で行われたあやや(松浦亜弥女史)のFCイベントにも行ったと言っていた。

なっちのFCイベントは、昨年11月26日にも新木場のSTUDIO-COASTで行われていたことがあったけど、筆者は2回目の参戦だった。 当時は前述の友人と同様になっちと初めて握手出来たことの喜びに満ちていたのである。
当時は、五日市線で記念列車を撮影、イベント前に武蔵野線の103系に乗車、イベントの後、あやめ号で千葉へ、千葉から新宿までしおさい号(どちらも置き換え寸前の183系)に乗っていたのである。

この日(今年9月18日)は、東北本線の長町駅(宮城県、仙台駅の手前)付近が高架化され、駅周辺の踏切が廃止されたので、前述の友人が念願のなっちとの初握手を果たした時は、このことみたいになった。 握手で1対1になれたということは、踏切廃止により、東西および南北が一体化されたことみたいな状態となっている。

あとは、ETC装置(有料道路ノンストップ自動料金支払いシステム)が新たに取り付けられたことにも例えられる状態である。

筆者の1推しメンバーである道重さゆみ・久住小春両女史とは、既に握手したことのある状態である。あとは先代の1推しメンバーである紺野あさ美女史とも握手したことがあるし。

筆者が初めてアイドルとの握手会に参加したのは、2001(H13)年3月10日、池袋のHMV(サンシャイン60階通り)で行われたメロン記念日(4人組)との握手会だったのである。 

森敏英さんは、制服向上委員会、AKB48(秋葉原48劇場)、オレンチェ、神園さやか女史というアイドルと握手したことがある状態となっている。

筆者は、モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトメンバーのほとんどと握手している状態となっている。

樋口さんのほうは、羨ましいことに、昨年9月に行われたモーニング娘。の香港ツアーに行き、モーニング娘。のメンバー全員と握手していたと言っていたのである。 出発は関西空港からであったけど。筆者は諸事情により行かれなかったのが残念である。

応援団の友人であるLKさんのほうは、一昨年8月に行われたモーニング娘。のハワイツアーに行っていたけど、香港に行かれなくて残念だったと言っていた。

昨年8月27日にモーニング娘。の3チームに分かれて行われた東名阪握手サーキット=樋口さんは、高橋愛・田中れいな・小川麻琴(8月27日をもって卒業)各女史の居るBチームの公演(大阪・豊中会場)に参戦していたのである。

筆者は、横浜BLITZで行われたAチーム(吉澤ひとみ、道重さゆみ、久住小春、紺野あさ美各女史)による公演に参戦していたけど、その前に西武の南入曽、JR東京総合車両センターでのイベントに参戦していたのである。東京総合車両センターでのイベント終了後、青物横丁まで歩き、ここから京急で横浜入りしていたのである。

終了後は、萩原さんに電話したのである。もちろん樋口さんにも取り次いだけど。

この後、樋口さんと一緒に渋谷まで行きました。

新木場から永田町までは、東武9050系9152F、永田町から渋谷まで、東武30000系31409Fに乗ったので、銀色で茶帯の東武の直通電車同士を乗り継いだことになった。 前者は東上線系統、後者は東武本線系統となっているけど。

永田町駅は、有楽町線から半蔵門線まで改札を出ずに乗り継ぎが可能。それを生かしての乗り換えとなった。

樋口さんには、みなとみらい駅で買っておいたモーニング娘。の記念入場券を渡しました。 もちろん定価での取引をしたけど。

このようなグッズは、筆者や樋口さんなどの鉄系娘。ファンにとっては有り難いグッズとなっている。

樋口さんは、新木場入りする前、朝の新幹線ひかり号で東京に向かい、この後、渋谷まで行き、モーニング娘。のヘッドマーク付き電車を撮影していたのである・

柘植の飛猿さんも、17日にこのモーニング娘。のヘッドマーク付き電車を撮影していたのである。

Y512Fは、THE ALFEEのイベント列車の前は、みなとみらい線開業2周年記念列車にも使用されていたこともあった。

このヘッドマークが盗難されず、9月19日の最終日まで運転されたということでとても嬉しく思いました。もしも広告入りだったら、盗難事件が起きることが懸念されていた。

樋口さんに文化祭の公式ガイドブックを見せたけど、とてもよかったと言われたので、通販でも買えればいいなと思っていました。

渋谷に到着した後、109-2の地下2階にあるハロー!プロジェクトオフィシャルショップ(ハロショ)の渋谷店まで行きました。 以前は6階にあったけど、現在は地下2階に移転しているので、地下鉄半蔵門線および東急田園都市線のコンコースから直接入ることが出来るようになった。 これまではギャルたちに囲まれながら上まで上がっていた。

樋口さんは、原宿本店に行ったことはあるけど、渋谷店は初めてだったと言っていた。

ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ(ハロショ)は、その名の通り、ハロプロメンバーの公式生写真などのグッズを取り扱っている。
支店(常設店舗)は、渋谷のほか、上野(アメ横センタービル)、札幌、名古屋、京都、大阪(心斎橋)にもある。樋口さんは、名古屋、大阪店にも立ち寄ったことがあると言っていたし。

ジャニーズ事務所(SMAP、TOKIO、V6、Kinki Kids、嵐、タッキー&翼、KAT-TUNなどの男性タレント専門)によるジャニーズショップ(ジャニショ)のほうは、原宿に本店があり、ギャルたちで賑わっている。こちらは、大阪、名古屋、京都(嵐山)、福岡にも支店があるけど。

樋口さんは、後藤真希、高橋愛各女史の生写真を買っていた。これには渋谷店でしか買えない写真も含まれていた。

筆者は道重さゆみ、久住小春両女史の写真および、浜松在住のS氏に渡す亀井絵里女史の写真を買ったのである。 浜松は、ハロショから遠く、頻繁に行くことが出来ないので、買ってくれて助かっているという声が聞こえているのである。 S氏は、えりりんこと亀井絵里女史を推している状態である。

筆者のハロプロ歴は本格的に初めてから7年であり、当初はなっちこと安倍なつみ女史を推していたのである。 なので今回のFCイベントも、なっち推しだった頃の原点回帰での参戦となった。気になったのは8年前だったけど。

この後、隣接するハロー!プロジェクトププッチミュージアムに入りました。 ここでは、メンバーの衣装や色紙等の展示、プロモーションビデオの放映などが行われている。 

入場券では、モーニング娘。のメンバーが選べる仕組みとなっている。前回は道重さゆみ女史のを選んでいたけど、今回は久住小春女史のを選んだのである。 樋口さんは、高橋愛女史のにしていた。

美勇伝のPVが上映された時、樋口さんは梨華ちゃん可愛いと言ってました。 あとはエコモニ。のもう1人のメンバーのさゆみちゃんも可愛いと言っていたけど、同感です。

梨華ちゃん可愛いということで、所属団体の熱烈な梨華ちゃんファンが喜ぶと思います。あとは、熱烈なさゆみんファンの団員でも言えるけど。

筆者は、モーニング娘。などのハロプロ系(通称モーヲタ)のほか、dreamという7人組のメンバーのファンも兼任していたけど、8月末をもってファン(通称ドリヲタ)から撤退したのである。 筆者が最後にdreamのメンバーを見たのは、昨年12月25日のお台場でのイベントだったのである。 今年になってから2月19日の表参道FABでのライブに落選、3月25日の横浜BLITZでのライブには、東北に遠征していたために不参加、8月26日の味の素スタジアムでのイベントにも鉄道イベントの為に出られず、9月18日の恵比寿でのdreamのFCイベントにも、前述の安倍なつみ女史のFCイベントに出ていた為に参加出来なかったので、dreamファンから撤退をしたのである。

樋口さんのほうは、以前SPEEDファンをやっていたことがあり、上原多香子女史を推していたと言っていた。

あの後は、マックまで行き、HMVにも立ち寄りました。

渋谷で樋口さんと一旦分かれ、渋谷駅から東急トランセの代官山循環バスで、代官山まで行きました。 この時に乗った車両は日野リエッセで、品川200か15-62番となっていた。

途中のデマンドルートでは、16%の下り坂がありました。

代官山から渋谷まで、9109Fに乗車。 この後に来た各駅停車は、Y512Fでモー娘。ヘッドマーク付きとなっていました。 再度撮影した後、渋谷駅から原宿駅まで歩いて行きました。 原宿駅付近にある国立代々木競技場第一体育館では、沖縄出身のトップアーティストであるアムロこと安室奈美恵女史のライブが行われていたので、アムラーたちで賑わっていました。 このことで、樋口さんを案内した場所を原宿ではなく、渋谷にして正解だったと思います。

この公演も、あゆこと浜崎あゆみ女史の公演と同様に、女性客が多い状態だった。

安室奈美恵女史(アムロ)の代々木公演は、9月17、18日に行われたけど、10月7、8日にも行われることになっている。

新宿から大宮までは、湘南新宿ラインのE231系の小金井行き(U506編成、クハE231-6006F)で移動。 こちらは、末期にグリーン車が組み込まれた編成となっていた。

大宮では、E331系を見ることが出来ました。

大宮から上野までは、特急あいづ号で移動。大宮でほとんどの乗客が降りていました。 

昨年の9月18日も、あいづ号で大宮から新宿まで乗っていたので、2年連続であいづ号に乗ったことになったのである。

前回のあいづ号は、運転終了後、東武直通特急(日光号、きぬがわ号)に転用されていた。

今回運転された編成は、赤べえが描かれたあいづ号らしい塗装となっていた。この編成は、今年3月まで青森車両センター所属で、予備車として白鳥号にも使用されていたクハ481-1016Fである。 臨時で白鳥号に使用されていた時には、旧白鳥号と同じマークが使用されていた。

乗った車両は、2号車(モハ484-1077号車)だった。 6号車のほうは、前回と同様にオール普通車化され、クハ481-1015号車に改番されていた。

改造内容は、前回の日光、きぬがわ用とほぼ同じような内装に改造され、1、3、5号車のトイレが洋式トイレ(男子用小トイレも併設)に改良され、残りの車両のトイレが廃止されている。

シートカバーは、赤べえの入ったものとなっていたので、やはりあいづ号らしいです。 出入り口のステップを埋める工事が行われていなかったので、あいづ号運転終了後も引き続き仙台車両センター拠点の団臨用として使われることが予想されます。

あいづ号は、上野と喜多方ラーメンでおなじみの喜多方を結んでおり、途中赤羽、小山、宇都宮、黒磯、郡山、磐梯熱海、猪苗代、会津若松に停車する。残りの運転日は、9月23,24、30日。

運転日以外の平日および10月1日~11月5日の土曜・休日は、仙台あいづ号として、仙台~喜多方間で運転されている。 途中停車駅は、岩沼、白石、福島、二本松、郡山、磐梯熱海、猪苗代、会津若松。

あいづ号は全車指定席となっているけど、仙台あいづ号のほうは自由席も設定されている。 6号車は喫煙車。

上野に到着した後、樋口さんと再び合流。 ここでは、寝台特急あけぼの号を見ることが出来ました。

寝台特急あけぼの号は、以前福島から奥羽本線に入り、板谷峠を越えていたけど、のちに陸羽東線経由に変更。 現在は、これまでの寝台特急鳥海号と同じく、上越線、羽越線経由で青森へと向かうルートとなっている。1980(S55)年10月まで、20系客車が使用されていたので、国鉄最後の20系客車使用の定期寝台特急となっていた。

こちらは、指定席特急料金で乗れるゴロンとシートがあり、1号車は女性専用レディースゴロンとシート、8号車は誰でも乗れるゴロンとシートとなっている。

2~4号車および9~12号車は通常のB寝台、5、6号車は、B個室寝台ソロ、7号車はA寝台(シングルDX)となっている。 9~12号車は、繁忙期のみ連結。

ゴロンとシートは、B寝台をベースに枕、シーツ、スリッパ、毛布、浴衣等の寝具類が省略されており、そのまま休むことになる。

あけぼの号は、2002(H14)年12月に寝台特急はくつる号が廃止された後、上野と東北を結ぶ唯一の定期寝台特急となってしまったのである。

この後、樋口さんと常磐線のホームへ。 ここでは、E531系のK407編成(クハE531-7F)による普通列車を見ることが出来ました。 この編成は現在はモノクラスとなっているけど、来年以降グリーン車が組み込まれることになっている。 来年初頭からグリーン車が暫定的に普通車扱いで乗れるようになるので、乗りに行こうと思っています。

上野から東京までは、京浜東北線のクハ209-33Fに乗車。 

東京駅に到着した後、中央線ホームに移動し、201系を撮影しました。 この時間帯では、1番線は各駅停車、2番線は快速列車の発着となっていたので、下りは各駅停車と快速が混在していた。 四ッ谷・新宿まで行く場合は、快速のほうが速いということとなる。

この時に、各駅停車豊田行き、国分寺行き、中野行きを見ることが出来た。

E233系のほうは、初期に落成したE233-43F(H43編成)が、9月21日に、逗子から豊田まで回送されていたのである。 こちらは6+4編成となっており、高尾寄りが4両、東京寄りが6両と、201系とは逆となっている。何故1番から飛んで43番になったかと言うと、1番から42番までは、10両固定編成が入る予定であり、乗務員訓練等の理由で6+4編成が先行落成したからである。中間の先頭車は、500番台となっている。

この分割・併合対応編成は、15編成導入される予定である。

前面スタイルは、常磐線のE531系に準じていた。

逗子から豊田への回送ルートは、横須賀、武蔵野線経由となっていた。

この後、東海道線ホームに移動。ここで、静岡から来た373系使用の普通列車(ムーンライトながら号の送り込み運用)である338Mを見ました。 この時の編成は、F10+F2+F3編成であり、F3編成は、8月20日に乗った時と同じ編成となっていた。あの時も折り返しは名古屋止まりのムーンライトながらとなっていたし。

樋口さんは、この日のムーンライトの指定席が取れていたので、このムーンライトながらで帰っていたのである。樋口さんが乗った車両は、7号車(F3編成、クハ372-3号車、名古屋で切り離し)となっていた。 

373系は、神田寄りの引き込み線に入線。 ここで折り返されるまで待機していた。

上りのムーンライトながら号が東京駅7番線に到着した後は、東京5:20発の普通列車静岡行きの321Mで送り返されることになる。こちらは引き込み線に入らずにそのまま折り返し。この321Mは、東京駅を一番最初に出る普通列車となっている。

この後、9番線から発車した寝台急行銀河号を見ました。 牽引機はEF65-1107号機となっていた。 こちらは、神田よりの引き込み線からの入線となっていた。

やはり寝台急行銀河号を撮影する人が多かったです。

ここで、樋口さんと別れ、山手線で帰宅しました。

この時に樋口さんと出会えてよかったです。 やはりハロプロファンもやっているということで気が合う状態だったし。 樋口さんが大阪よりも東京会場を申し込んでくれて、そして当選してくれてよかったです。

樋口さんとは、10月9日の金沢(石川厚生年金会館)でのモーニング娘。のコンサートで会うことになっている。 筆者は入るかどうか未定。その前日の新潟公演(テルサ新潟で行われる)は、入る予定がある。 

新潟は、久住小春女史の出身地であるので、凱旋ライブということとなる。筆者は久住小春女史も推しているので、凱旋ライブを楽しむことが出来るので楽しみにしています。 道重さゆみ女史の出身地は、山口県となっているけど、山口県は遠いので他のファンに任せている。特に広島県在住の某団員(新垣里沙女史1推し)に任せているし。

樋口さんは、前日の10月8日、ムーンライトながらで上京、この日に赤羽橋で行われる保田圭・辻希美両女史によるカジュアルディナーショーに参戦した後、名古屋に帰り、10月9日に特急しらさぎ号(683系)で金沢入りすることになっている。 この時に台風が上陸しないことを強く願っています。

筆者は石川県に行くのは初めてとなる。福井県は、一昨年9月23日に初めて行っていたけど。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-21 11:07 | 鉄道乗車記

京急撮影ツアー

9月17日は、萩原清さんたちと共に、京急の撮影ツアーに行ってきました。

ルート 目白~品川~京急蒲田~京急川崎~川崎大師~産業道路~小島新田~京急川崎~横浜~金沢文庫…金沢八景~浦賀~横浜~武蔵小杉~元住吉…日吉~武蔵小杉~目黒~目白

まずは、目白から品川まで山手線で移動。品川から京急蒲田までは、北総7500形の7502Fによる急行羽田空港行きに乗りました。 北総7500系に乗ったのは、4月29日の品川~泉岳寺間以来2度目であり、あの時も7502Fに当たっていた。

これまで7501F(東急車輌製)と7502F(日本車輌製)が導入されていたけど、今年度中に7503Fが導入される予定となっている。 これにより、ゲンコツ電車こと7000形が全廃となる予定となっている。 

北総7500形は、今年2月20日登場。 車体等は、親会社の京成3000形がベースとなっている。 あとは新京成のN800形もそれがベースとなっているので、京成3000形北総7500形、新京成N800形は、日車ブロック構体による京成グループ新標準規格の電車となっている。

新京成線は、今年創立60周年を迎えることになるけど、これに伴うくぬぎ山でのイベントが10月21日に行われる予定となっている。 

N800形は、来年に開始される予定の新京成線~京成千葉線への直通運転にも対応している。 京成千葉線では、6両編成までしか入線出来ないので、旧800形の6連(818F)、8000形、N800形に限定される。 8800形、8900形は、8両固定編成のため、京成千葉線には入線出来ない。

京成では、9月27日の終電後、最後まで手動式(第一種乙踏切)で残っていた京成高砂~京成小岩間の1号踏切道(高砂駅前)が、自動化されることになり、京成の踏切の自動化が完了することになる。

手動式(第一種乙)踏切は、以前小田急の新宿~南新宿間などにもあった。

昨年3月15日、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅付近の手動式踏切で、係員による操作ミスにより、2人が犠牲となった事故が発生していたので、自動化が急がれていた。 この踏切はこれを期に同年9月に自動化されていたのである。それでも、複々線区間にまたがる開かずの踏切となっているので未だに問題となっている。

京成船橋駅付近の高架化は、上り線が一昨年11月に完了しているけど、今年11月25日には下り線も高架化されることになる。 これにより、京成船橋、大神宮下駅が全面高架化されることになる。 これにより、JR船橋駅方面から踏切を渡らずに京成線の線路よりも南側の地域に行くことが出来るようになる。毎月第三土曜日に行われている千葉サークルの会場もここにあるので、踏切を渡らずに行くことが出来るようになるし。

北総7500形は、HOKSOの新ロゴが入っている。このロゴは、日本車輌によってデザインされていた。 自動放送装置が使用されていないという問題がある。 千葉ニュータウン鉄道9100形には、自動放送装置が付いていたけど、一昨年に撤去されている。

平和島~六郷土手間ではやはり高架化工事が進められていました。京急蒲田駅では、1番線(空港線および直通電車のホーム)が仮線化されているけど、この次は2番線(本線下り、横浜方面)が仮線化されて空港線側にずれることになっている。

京急蒲田から京急川崎までは、新1000形の1401Fに乗車。 前の8両が2100形2101Fだったので、トップナンバー同士の連結となっていた。 どちらもシーメンス製インバータ装置が奏でるドレミファ電車となっていた。

常磐線の上野~土浦間で運転されている元祖ドレミファ電車であるE501系のほうは、E531系の導入により、水戸線および常磐線(友部~いわき間)に転用されることになるので、東京周辺でドレミファインバータ音を聴けるのは、京急だけとなってしまう。

京急蒲田~雑色間の環八通りにまたがる踏切は、仮線化と同時に廃止されることになる。やはり環八通りの交通量が多いので、この部分のみ暫定高架化されることになっている。ここは、蒲田駅と羽田空港を結ぶ路線バスも通過することになっているし。

京急川崎駅に到着した後、萩原清さん、黒岩さん、奥野さん、林直樹さん、高石さん、山岡さん、木沢さんと合流しました。 木沢さんのほうは少し遅れて現地入りしていた。今回の参加者は筆者を含めて8名。

本当は三橋さんが居れば完璧だったけど、残念ながら諸事情により参加出来なかったのである。 あとは重満さんも参加出来なかったことも残念に思ったし。

萩原清さんは、京成線の高砂在住ということで、高砂から直通で京急川崎入りしていたのである。

まずは、京急大師線に乗り、最初の撮影地である川崎大師へと行きました。最初は鈴木町での撮影も考えられていたけど、良くないのでパスということとなった。

京急川崎から川崎大師まで乗った編成は、旧1000形・1317Fの4両編成でした。 昨年11月28日までは700形も走っていたけど、現在は旧1000形の4両編成がメインとなっている。こちらには時々1500形の4両編成も使用されることもあるけど。

川崎大師駅前の踏切で旧1000形を撮影。 筆者もそうだけど、例の如く、動画も撮影していた人もいました。この日は、この1317Fの4両編成のほか、1313F、1341Fも稼働していました。 1341Fは、京急川崎⇔小島新田となっていたけど、あとの2本は、川崎⇔小島新田となっていました。 700系時代もこうなっていた。
この区間は、将来地下化される予定となっているので、やがて想い出の風景となってしまう。

川崎大師駅前では、京急グループのバス会社である川崎鶴見臨港バスを見ることが出来ました。 この路線は、川崎駅前と大師駅前を結んでいるので、初詣の時などの混雑時には、大師線のサポートの役割を果たすことになる。

川崎大師から産業道路までは、1313Fに乗車。 この時に女性の車掌が乗務していました。

産業道路駅でも、旧1000形の撮影を行いました。 産業道路駅は、その名の通り、産業道路に面した駅で、首都高横羽線もここを通っている。 この産業道路にまたがる踏切では、川崎と木更津を結ぶアクアラインバス、臨港バスの路線バスも通過している。

産業道路は、大森町付近から分岐し、生麦へと至る道路となっている。

1980(S55)年ごろまでは、川崎競馬開催日に、小島新田行きと産業道路行きの電車が交互に運転されていたこともあった。

この後、1341Fで産業道路から小島新田に移動。小島新田に到着した後は、恒例の記念撮影が行われていました。 小島新田駅は、将来京急大師線が地下化された後も地上駅として残ることになる。

かつては日本鋼管や味の素の工場まで貨物輸送が行われ、一部が三線軌条となっていたけど、1997(H9)年をもって貨物輸送が廃止され、産業道路~塩浜操車場までの連絡線が廃線となっている。

ここでは、川崎貨物駅も見物しました。 ここでは、おなじみのゴミ輸送のコンテナも見ることが出来た。

10月15日には、元東京メトロ5000系が中野から川崎貨物駅(メトロ車両)まで輸送されることになるけど、どうなるのか気になります。廃車解体なら行徳で行われるはずなんだけどね!

07系の転属回送の第二弾は、10月13日に行われる予定となっている。

1313Fで小島新田を後にして、京急川崎まで行き、ここから600形603Fによる快特で横浜に行きました。 京急横浜駅の新下りホームでは以前乗り降りしたことがあるので初めてではありませんでした。後部は1437Fで、LED式となっていた。

京急では、JR東海と同様に方向幕式にこだわっていた状態だったけど、両社共にLED化されるようになった。

横浜に到着した後、西口付近のシェーキーズに行き、昼食会を行いました。 ここではバイキング方式となっており、ピザやパスタ等が食べ放題の状態でした。

こちらはキリンビールの系列となっているので、ここで出されるビールはキリンビールである。

この後は、早退した高石さんと別れ、京急で金沢文庫まで行きました。この時点で7人。

高石さんのほうは、途中で早退してしまうことが多いので、今回も途中早退してしまったことになった。

横浜では、1500形のVVVF改造車である1649Fを見ることが出来ました。こちらは暫定6連で使用されている。

横浜から金沢文庫まで乗った快特は、2100系の2117Fで後部に654Fが連結されていました。

2117F、最初は木沢さんの隣りに座っていたけど、奥野さんの隣が空いていたので、上大岡に到着する前に奥野さんの隣りに移動したのである。 このようなことは、2人掛けのロマンスシートならではである。このような展望座席は、マニアによる特等席で、600形、新1000形にも設定されている。

最前方の展望座席が空いていたので、黒岩さんと山岡さんがここに陣取っていました。 

南太田では、先ほどの1549Fが待機していました。

上大岡に到着。もう1つの展望座席のスペースが空いたので、萩原清さん、木沢さんもここに移動。強運の持ち主である萩原清さんたちもここに座ることが出来たのである。

金沢文庫の手前の能見台駅は、西武ライオンズの松坂投手の母校でおなじみの横浜高校があり、車窓から確認することが出来る。 

金沢文庫に到着した後、分割・併合シーン等を見物しました。 この後、下村さんと合流し、8人メンバーに戻りました。 下村さんは、2100形のラストナンバーである2173Fで現地入りしていた。

横浜市金沢区では、火災のない安全な街金沢と言われているけど、石川県金沢市もこうであればいいなと思っています。

石川県といえば、ゴジラの愛称で親しまれているニューヨーク・ヤンキース(アメリカのメジャーリーグチーム)の松井秀喜選手の出身地(能美郡根上町(現能美市))がある。 金沢市の星稜高校出身で、高校野球でも大活躍。1993(H5)年から2002(H14)年まで読売ジャイアンツに所属していた。2003年より渡米・ニューヨーク・ヤンキース入り。能美市には、松井秀喜・ベースボールミュージアムがある。

JALは、ニューヨーク・ヤンキースのオフィシャルスポンサーであるので、JALによる松井ジェットが飛んでいたことがあった。

メジャーリーグで活躍する日本人選手といえば、シアトル・マリナーズのイチロー(本名鈴木一朗)選手・城島健司選手、シカゴ・ホワイトソックスの井口資仁選手、ロサンゼルス・ドジャースの斉藤隆投手、ニューヨークメッツの松井稼頭央選手などが挙げられている。

かつて大阪近鉄バッファローズ(現、オリックスバッファローズ)で活躍していた野茂英雄投手は、1995年から、ロサンゼルス・ドジャースで活躍していたことでも話題となった。

現役を引退した浜の大魔神こと佐々木主浩投手や、新庄剛志選手、伊良部秀輝投手、長谷川滋利選手も大リーグで活躍していたのである。

佐々木投手のほうは、引退後、野球評論家として第二の人生を歩んでいる。

10月9日は筆者が初めて石川県に行く予定である。

この後、東急車輌付近を経て、横浜市立大学前の踏切に移動し、ここで撮影をしました。

東急車輌の工場では、東急5080系5184F、西武9000系9105FのVVVF改造車、JR中央快速線にデビュー予定のE233系を見ることが出来ました。 ここでは、撮影禁止となっているので、撮影出来なくて残念に思っていたのである。 それでもE233系を初めて生で見ることが出来てよかったです。9105Fは、小平の表示となっていた。西武9000系は、池袋線系統で限定運用されているけど、新宿線への転用も可能となっている。VVVF化されてからは新宿線を走ったという実績はない。

あとは、入れ替え用として使用されている元東急7052Fも見ることが出来ました。

金沢文庫~金沢八景間は、複々線区間となっているので、寄り添って走るシーンも見られるのである。 この時に800形と2000形の4連が寄り添って走るシーンを見ることが出来たのである。

ここで充分撮影した後、金沢八景まで移動し、ここから2000形2411Fで浦賀まで移動しました。 2000形のほうは、1998(H10)年から2000(H12)年に掛けて3ドアロングシート化されているけど、8連のほうは、都営浅草線に乗り入れることが出来ないのがネックとなっているので、線内のD急行が廃止された後、平日の朝夕のみの限定運用となってしまったのである。 4連のほうは、快特の付属運用として使用され、羽田空港にも乗り入れている。

ロングシート改造されたけど、車端部のクロスシートのほうは、種車のものが生かされている。運転台後部の座席は、改造前からロングシートとなっているので、こちらも種車の面影がある。

これによって、金沢文庫から金沢八景まで、歩いて行ったことになりました。

堀ノ内で、快特の待ち合わせ。 この後に発車していました。 以前は堀ノ内駅を通過していたのでこのようなことが出来なかったのである。

堀ノ内~浦賀間は、京急本線の一部となっているけど、支線および京急浦賀線というイメージが強い状態となっている。 あとは、泉岳寺~品川間も京急本線よりも都営浅草線の支線および京急浅草線のイメージがある。
京急本線の泉岳寺~品川間は、小竹向原~練馬間の西武有楽町線や、新線新宿~笹塚間の京王新線に似ているし。

京急の堀ノ内~浦賀間に乗ったのは、1998(H10)年4月3日以来8年半ぶりでした。 この区間は普通列車がメインとなっているけど、朝ラッシュ時には品川直通の特急列車も運転されている。 

黄金町~浦賀間が開業したのは、1930(S5)年4月1日で、前身の湘南電気鉄道によって開業していた。

浦賀といえば、ペリーを連想します。 1853(嘉永6)年に、ペリーを乗せた黒船が浦賀(現在の久里浜港)に上陸していたことがあったので。

久里浜港には、開国橋、ペリー公園、ペリー記念碑がある。

萩原清さんと下村さんは、浦賀まで行ったのが初めてだと言ってました。 

浦賀や久里浜も、横須賀市にある。 横須賀市といえば、樋口さんが推しているメンバーである元モーニング娘。(美勇伝)の石川梨華ちゃんの出身地としても有名である。

この後、浦賀で旧1000形の1345Fを撮影することが出来て大成功となりました。 メインの旧1000形の撮影で締めくくることが出来たし。お目当てのブルースカイトレインを見ることが出来なかったのが残念だったけど。

この後、652Fで横浜まで移動しました。 そのうちの萩原さん、黒岩さん、林直樹さんはそのまま品川まで乗車していました。 萩原さんのほうは、都営浅草線、京成線経由で帰宅していた。

あの後、5人でホームの端まで移動し、三橋さんと合流しました。ここで山野さんからの預かりものである阪急9000系のマグネットを受け取りました。

この取引が終わった後、三橋さん・下村さん・山岡さんは、1017Fの快特で帰っていきました。

この後、木沢さんはJR横浜線で帰宅。 奥野さんと筆者は武蔵小杉まで行き、目黒線の様子を視察しました。 この時に乗った編成は5050系の5154Fだった。

目黒線では、都営6300系の6315F、埼玉高速の2104FがROM交換されていなかったです。

この後奥野さんと分かれました。 筆者は8019Fで元住吉まで行き、ここで高架前の駅の様子を見に行きました。 元住吉駅前には、公衆トイレがあったけど、高架化準備のために使用出来なくなったのである。 9月24日から使用開始される新駅舎にトイレが新設されるけど、もちろん洋式トイレも備えたバリアフリートイレとなる。
みなとみらい線の駅のトイレは、駅のトイレとしては珍しく、全て洋式トイレとなっている。

元住吉駅前の踏切は、9月24日以降出入庫車しか通らなくなることになる。 この時に出庫してきた東京メトロ9000系を見ることが出来ました。

この後は、歩いて日吉まで行ったけど、途中地平に切り替えられる予定の陸橋を見ることが出来ました。ここにまたがる歩道橋を渡ったけど、ここを渡ったのは最初で最後となった。 

日吉駅に到着した後、5050系5153Fの各駅停車で移動、武蔵小杉から5182Fで目黒まで移動しました。 5182Fは、一昨年導入された編成で、最近になったから各停の表示に変わっていた。

東急田園都市線では、唯一各停の表示が入っていない状態だけど、東急線内だけでいいから各停の表示を入れるべきだと思います。

5183Fのほうは、営業運転入りしているのを確認したけど、未だ乗ったことがない。 5184Fは、9月26日から27日に掛けて輸送される予定である。

不動前駅では、上り(目黒方面)のみホームドアが復活していたけど、下りのほうは、ホームドアが取り付けられていたけど、この時点では作動していなかった。

目黒からは山手線で帰宅しました。

今回も萩原清さん企画の撮影ツアーらしく、いいことがありました。 次回は10月22日の常磐線、10月29日の鹿島鉄道撮影ツアーが予定されているけど、29日の鹿島鉄道ツアーでは、関西から山野さんが参加する予定となっている。

この後は水戸線での撮影ツアーも予定されているし。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-20 11:14 | 鉄道撮影ツアー

中原電車区のイベント

9月16日は、中原電車区で行われたイベントに行って来ました。

ルート 目白~渋谷~武蔵小杉~武蔵新城…(中原電車区)…武蔵新城~武蔵小杉~みなとみらい~渋谷~新宿~目白

まずは、山手線で渋谷へ。渋谷から、東急東横線の東横特急で武蔵小杉へ。 この時に乗った編成は、9000系の9114Fで、エコロジーの広告があった。

東急目黒線を走る列車(東急3000系・5080系、東京メトロ9000系、埼玉高速2000系、都営6300系)は、9月25日からの急行運転に備えて、一部の編成で各停の表示が出ていました。 こちらは順次ROMが交換されることになる。

東急車はこれまで、南北線・埼玉線または三田線の表示も出ていたけど、やはり種別表示が入ったことにより、この表示が廃止されている。 

目黒線の急行は、日中30分間隔で、南北線・埼玉線直通、三田線直通の両方に設定される。 その前には目黒折り返しの各駅停車も設定されるけど、緊急時および終夜運転の時を除き、目黒線内折り返しの各駅停車が復活することになる。これにより、2000(H12)年当時にタイムスリップしたような状態となった。

武蔵小杉から南武線に乗り換えて武蔵新城へ。 この時に乗った編成は、ナハ36編成(元山手線のクハ205-20F)となっていました。なので、武蔵野線の205系の大部分と同様に同窓会気分の状態となっていた。

この旧ヤテ20編成のほうは、1~3、8、9、11号車のユニットのみがこの南武線に転用。中間の4~7号車のユニットは3100番台化されて仙石線に転用(この編成は2WAYシート化)。10号車の6ドア車は埼京線に転用されていた。 

南武線の205系は、ナハ2~16編成が生え抜き編成、ナハ34~44編成が元山手線のオリジナル編成、ナハ46~51編成が元山手線の先頭車改造バージョン(先頭車は1200番台)となっている。

南武線は、1927(S2)年3月9日、前身の南武鉄道によって川崎~登戸間に開業したことから始まっている。

同年11月1日、登戸~大丸(現在は廃止)間開業。 大丸駅は、南多摩駅の0.3Km手前にあった駅となっていた。1931(S6)年頃に、多摩聖蹟口駅に改称、1934(S9)年10月21日に、南多摩川貨物駅が新設。1939(S14)年9月14日には、南多摩川貨物駅と併合された南多摩駅の開業により、多摩聖蹟口駅が廃止されたのである。

1928(S3)年12月11日、大丸~屋敷分(現、分倍河原)間が開業

その丸1年後である1929(S4)年12月11日に屋敷分~立川間が開業し現在に至る。

南武支線である尻手~浜川崎間が開業したのは、1930(S5)年3月25日のこと。

1944(S19)年4月1日には国有化され、国鉄南武線となる。1987(S62)年4月1日には、JR東日本の路線に。

武蔵中原、武蔵新城駅が高架化されたのは、1990(H2)年12月20日。あの時から高架線から車両基地を眺めることになる。

南武線の高架化工事といえば、矢野口~南多摩間で行われており、矢野口駅付近は一昨年7月25日に下り線(立川方面)が、昨年10月9日に上り線(川崎方面)が高架化されていた。 残りの区間(稲城長沼、南多摩駅)は、2011年度までに高架化される予定となっている。

2008(H20)年秋頃には、分倍河原~谷保間に、西府駅(仮称)が新設される予定。

この区間には、前身の南武鉄道時代に、西府、本宿駅があったけど、国有化前日の1944(S19)年3月31日に廃止されていた。 (新)西府駅は、本宿駅があった場所に新設されることになっている。

入場の時は行列が出来ていたので、八王子支社主催のイベントの二の舞になるのではないかと不安でした。 記念品も配布されていたけど、終了していました。

中原電車区の一般公開は、1998(H10)年10月に南武線スタンプラリーの実施に合わせて行われていたけど、今回は8年ぶりの実施となっていた。 8年前は、101系や103系も展示されていたのである。今回は車両展示会ということとなっていたけど、横浜支社では、廃止された鎌倉総合車両センターのイベントの穴埋めとしても目的もあったと思われます。

展示車両は、205系オリジナル車、205系1000番台(南武支線用ワンマン編成)、205系1200番台(先頭車改造車)、209系、クモヤ145となっていた。

南武線の209系は、2編成しか無いけど、今回のイベントで2編成共に展示されていたため、この日の南武線は205系オンリーとなっていた。

南武線の209系は、1993(H5)年4月1日にナハ1編成(クハ209-13F)がデビュー。 当時は103系や205系と独立した運用が組まれていたけど、翌年の1994(H6)年12月3日から共通運用化されていた。 当時はたった1編成のみの虎の子となっていたので、東急大井町線の8000系、8090系、9000系の3形式体制の時代に似ていた状態となっていた。

このナハ1編成の導入により、クハ205-103Fが、京浜東北線の205系から捻出された中間車4両(クハ205-136Fの中間車)が組み込まれ、中央・総武緩行線に転属。 現在は京葉線で活躍している状態である。

クハ205-136Fは、6両が京浜東北線から横浜線に転属。当時は7両編成だったので、中間車のサハが1両(サハ205-232号車)が、追加新造。これが、205系の標準仕様の最終製造車となっていた。1994(H6)年12月には6ドア車が1両組み込まれて8両化されていた。

南武線の209系は、1997(H9)年には輸送力増強用として、クハ209-68Fが導入されていた。 これにより2本体制となった。

南武線の205系は、1989(H元)年3月11日に登場。当時は3編成のみの配置となっていた。 205系の生え抜き編成は、1990(H2)年までの間に、101系の置き換え用として導入されていた。

展示会の時は、32、44、クモヤ145、ワ2、41、1、50、5、34、51編成の順で並べられていた。

32=クハ209-68F、44=クハ205-28F(Y)、ワ2=クモハ205-1002F、41=クハ205-25F(Y)、1=クハ209-13F、50=クハ205-1205F(Y2)、5=クハ205-100F、34=クハ205-18F(Y)、51=クハ205-1206F(Y2)

Y印=元山手線のオリジナル先頭車 Y2印=元山手線の先頭車改造車。

行き先表示は、武蔵中原、ワンマン編成は浜川崎となっていたけど、5編成(生え抜き編成のクハ205-100F)には、幻の快速表示も入っていた。

南武線の快速は、1969(S44)年12月15日から1978(S53)年10月1日まで、101系によって、川崎~登戸間で運転されていたことがあった。 日中は60分間隔で、途中停車駅は、武蔵小杉と武蔵溝ノ口の2駅のみとなっていた。

当時は101系のほか、旧型の72・73系電車も使用されていたこともあった。やはり新性能車である101系の統一による各駅停車の速度向上による理由で快速が廃止されていたのである。 1982(S57)年には103系も加わっていた。

101系は、1991(H3)年1月に南武線から引退。当時は冷房改造車も活躍していた。 鶴見線からは、1992(H4)年に、南武支線からは、2003(H15)年11月に引退していたのである。

南武線から103系が全廃となったのは、2004(H16)年12月16日のことで、当時はさよならHM無しの寂しい幕切れとなった。 南武線の103系ではかつて低運転台車も活躍していたけど、末期は高運転台車で占められていた。こちらは、鶴見線の103系(初期型の低運転台車)よりも先に廃車となっていたのである。

稲城長沼駅の高架2面4線化および武蔵溝ノ口駅の改良と同時に快速運転の復活も計画されているけど、その実現の見通しは立っていない状態である。

今回展示されていたクモヤ145号車は、クモヤ145ー116Fで、中原電車区所属となっている。 今回はリモコンによる実演も行われていた。この車両は、101系から改造されていた。身延線を走っているクモハ123-600番台もクモヤ145から改造されている。

南武支線のワンマン編成は日中は1本が稼働、2本が予備となるけど、1本が鶴見線営業所に、もう1本が中原電車区に待機ということとなっているので、205系のワンマン編成の展示も実現していたのである。

南武線の205系の先頭車改造車は、2004(H16)年1月に登場。 同年12月まで当初の予定の5編成(残りの103系の置き換え用)が出揃っていたけど、転用計画の変更により、1200番台が1本追加で改造されていたのである。 やはり武蔵野線に先頭車改造編成を入れるよりも、先頭車改造編成の実績のある南武線に回し、ここから捻出された205系オリジナル編成を武蔵野線に回したほうが効率が良いと判断されたため、旧ナハ45編成(クハ205-29F)がVVVF化、T車2両組み込みの8両化によって武蔵野線に転用されていたのである。

ナハ45編成(クハ205-29F)の南武線時代は、2年足らずとなってしまった。 現在は武蔵野線(京葉車両センター)のM15編成となっている。

ナハ51編成(クハ205-1206F)は、そのために導入されていた編成となっていたのである。この編成の車内は、休憩用として開放され、運転台の見学コーナーとしても使用されていました。 

101系のほうは、本家JRから全廃となっているけど、秩父鉄道に譲渡された1000系が最後の砦を守っている状態となっている。

このイベントの後は、武蔵新城から武蔵中原まで、ナハ10編成(クハ205-131F)に乗車。 こちらは、1990(H2)年に導入された生え抜きの編成となっていた。

山手線から205系が転用された当時、前面の運用番号表示が、元山手線がLED式、生え抜き車が幕式となっていたけど、現在は全てLED化されている。 現在は側面のドアの窓の大きさで見分けることが出来る。 生え抜き車は、ドアの窓が大きい。

元山手線および元東海道・山陽緩行線の205系のドアの小窓は、201系や203系から踏襲されていた。1988(S63)年に横浜線用として導入された編成から、ドアの窓が細長くなったのである。

東海道・山陽緩行線で走っていた205系は、阪和線に転用されている。

武蔵小杉駅では、日比谷線直通の03系03-102Fによる日吉行きを見ました。 現在は日中の日比谷線直通列車は、日吉折り返しとなっているけど、来年度中に日吉駅の中線および留置線が目黒線に転用されることにより、菊名まで延長されることになる。 1988(S63)年8月から1991(H3)年に日吉駅の地下化までの間は、全て日比谷線直通列車が菊名まで延長されていた。 当時は営団03系・東急1000系のほか、営団3000系、東急7000系も使用されていたのである。

03-102Fの北千住(東武動物公園)寄りの先頭車である03-802号車のほうは、2000(H12)年3月8日に中目黒駅付近で発生した脱線事故に遭い、車体が全壊してしまったために、新たに作り直された車両となっている。同時に東武の20050系21852Fのうちの2両も被害に遭ってしまったのである。被害にあった車両は、23852、24852号車。

03-102Fのほうは、北千住発菊名行き、21852Fのほうは、中目黒発竹ノ塚駅行きとなるはずだった。 

武蔵小杉駅は、1927(S2)年11月1日、南武鉄道(現、JR南武線)側に、グラウンド前駅と(旧)武蔵小杉駅が開設されたことから始まっている。(旧)武蔵小杉駅は、現在の武蔵小杉駅(グラウンド前駅)より西方の府中街道(現、国道409号線)の交点にあった。

1939(S14)年12月11日には、東急側に、工業都市駅が新設。当時は現在の武蔵小杉駅と元住吉駅の間の府中街道の交点にあり、グラウンド前駅と離れていた。 

1944(S19)年4月1日、南武線の国有化により、グラウンド前駅が武蔵小杉駅に改称され、旧武蔵小杉駅が現在の武蔵小杉駅に統合されていた。

翌年の1945(S20)年6月16日、東急の武蔵小杉駅が仮開業。

1953(S28)年3月31日に、東急の工業都市駅が廃止され、武蔵小杉駅に統合されていた。

この後、みなとみらいまで、5050系5156Fによる東横特急で移動しました。

9月8日から19日までは、みなとみらい線のY500系のY512Fに、モーニング娘。の文化祭のPRのヘッドマークが付いていました。 この時は、各駅停車中心で運転されていた。

今回は、前回のTHE ALFEE(アルフィー)の時とは異なり、現在のメンバー8人の顔も入っていました。

みなとみらい駅に到着した後、ここでみなとみらい駅限定発売のモーニング娘。の記念入場券を買いました。最初は売り切れているのではないかと不安だったけど、何とか買えてよかったです。

この後は、クイーンズスクエアで行われた大正製薬のリポビタンDのキャラバンイベントが行われていました。

リポビタンDは、1962(S37)年に発売されたドリンク剤の老舗で、タウリン1000mg配合となっている。「ファイト!一発!」の掛け声のCMが有名となっている。

この後は、パシフィコ横浜で行われたモーニング娘。。の文化祭会場に行きました。 この文化祭は、日本だけではなく、世界中で問題となっている地球温暖化対策および温暖化防止をテーマにした文化祭となっている。

この文化祭は、一昨年6月19、20日に幕張メッセで、昨年10月8~10日にパシフィコ横浜で行われていたので、3度目の開催となった。筆者は一昨年6月20日、昨年10月10日に行っている。

ハロー!プロジェクトのエコ活動は、一昨年4月からスタートしているけど、一昨年5月29日から6月13日まで中野サンプラザで行われた温暖化をテーマにしたモーニング娘。のミュージカルも行われていたのである。筆者は6月1日に見に行っていた。

東急電鉄の駅でも、この文化祭のPRポスターがあったのである。

文化祭では、モーニング娘。のほか、美勇伝、Berryz工房、℃-ute、元モーニング娘。の辻希美・矢口真里両女史(ワンダフルハーツのメンバー)が出てきていたのである。

やはり温暖化防止による省エネ対策は重要となっている。

この時に、石川梨華・道重さゆみ両女史によるユニットであるエコモニ。や、久住小春女史扮する月島きらりのステージを見ることが出来てよかったです。

月島きらりとは、毎週金曜日にTX(テレ東)系で放映中のアニメ「きらりん☆レボリューション」の主人公であり、そのオープニングテーマ曲である「恋☆カナ」も、久住小春女史によって歌われているのである。

あとは、モーニング娘。、石川梨華・辻希美両女史が出てきた続・世界大温暖化劇も見ることが出来たのである。

これを見た後、東横特急で渋谷まで行きました。 この時に乗った編成は、9113Fで、シャボン玉の装飾のあるイベント対応車となっていました。この編成は、昨年夏にはトーマス列車、1月には映画・ふたりはプリキュア Max Heart2 雪空のともだちのイベント列車として使用されていた。そのテーマ曲には、Berryz工房の「ギャグ100回分愛してください」という曲が使われていたのである。 その貸切イベント列車には、Berryz工房のメンバーが乗っていたのである。そのプリキュアトレインは筆者が見ることもなく終わってしまったのである。

自由が丘では、モーニング娘。のヘッドマーク付きの各駅停車渋谷行きを見ることが出来ました。

東急東横線の渋谷駅は、2012年度中に、地下鉄13号線との直通運転化に伴う地下化により、現在の地上駅もやがて想い出となってしまう。 以前東急東横線の渋谷駅が将来地下駅になるだろうと予想していたけど、小田急の成城学園前駅の時と同様に現実のものとなる。

東横線の渋谷駅で撮影した電車も想い出の写真となる。 渋谷~代官山間も地下化されるので、旧並木橋駅跡の遺構もやがて姿を消すことになる。 5月14日をもって閉館した交通博物館みたく、ここはかつて並木橋駅だった。ということが、ここはかつて東横線の線路だったということとなる。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-19 11:00 | 鉄道イベント

BL賞

9月14日は、小田急線の新宿駅のホームに行き、50000形VSEの受賞記念列車を見てきました。

この列車は新宿17時10分発のはこね41号箱根湯本行き。 はこね号なので、新宿~町田間の短距離乗車も可能となっている。あとは町田から小田原、箱根湯本方面に行くことも可能だし。

この時に使用された編成は、9月10日の受賞式に使用されたのと同じ50002Fで、記念ステッカーが付いていました。

50001Fのほうは、9月11日から同様のステッカーが付いている。

このような記念ステッカーは、グッドデザイン賞受賞記念(現在でも付いている)、今年3月のVSE1周年記念以来3度目の登場となりました。

このステッカーが付いている場所は、前回の1周年記念と同様に、両端の前面および側面の2ヶ所となっている。

車内にもBL賞のプレートのほか、記念のロゴもありました。

VSEの時刻
平日(月~金)、新宿発下り 小田原・箱根湯本は到着時刻
 新宿   町田  小田原 箱根湯本
  Sはこね13号 10:00  →   11:04 11:18
※Sはこね17号 11:10  →   12:19 12:35
  Sはこね27号 13:40  →   14:49 15:05
※ はこね31号 14:40 15:10 15:49 16:05
はこね41号 17:10 17:42 18:20 18:37

平日(月~金)、箱根湯本発上り 新宿は到着時刻
箱根湯本 小田原  町田   新宿
  はこね14号 11:47 12:07 12:50 13:21
※はこね18号 12:47 13:07 13:50 14:21
はこね28号 15:18 15:37 16:20 16:49
※はこね32号 16:18 16:37 17:20 17:50
はこね42号 19:00 19:14 19:57 20:26

土曜・休日、新宿発下り 小田原・箱根湯本は到着時刻
            新宿   町田   小田原 箱根湯本
※Sはこね 9号  9:00   →   10:08 10:25
  Sはこね13号 10:10   →   11:12 11:27
※ はこね23号 12:40 13:10  13:48 14:05
 Sはこね27号  13:40   →   14:48 15:05
※ はこね37号 16:10 16:40  17:18 17:36
   はこね41号 17:10 17:40  18:18 18:39

土曜・休日、箱根湯本発上り 新宿は到着時刻
           箱根湯本 小田原 町田   新宿
※ はこね10号 10:47 11:06 11:48 12:19
   はこね14号 11:49 12:07 12:50 13:19
※Sはこね24号 14:18 14:37   →  15:49
  Sはこね28号 15:18 15:37   →  16:49
※ はこね38号 17:48 18:07 18:50 19:19
   はこね42号 18:48 19:07 19:50 20:19

Sはこね=スーパーはこね号(町田駅には停車しない) ※印の列車は、VSEでない列車(展望席付きの従来型車両)で運転される日があります
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by hy_sengen-sin | 2006-09-15 11:03 | 鉄道イベント

小田急線9/10

よみうりランドでは、ハロー!プロジェクトの新ユニットである℃-ute(キュート)のイベントに参戦していました。

このイベントは、よみうりランドの中にあるよみうりランドEASTという野外音楽堂で行われていたのである。 ここでは、巨人軍のイベントが行われることもある。ここが開設されたのは、1983(S58)年のこと。

筆者がモーニング娘。の先代の1推しメンバーであった紺野あさ美ちゃん(今年7月23日に卒業)と初めて握手したのは、このよみうりランドEASTだったのである。 2003(H15)年7月29日に行われたイベントで実現。カントリー娘。の3人(あさみ、里田まい、みうな)、藤本美貴ちゃんとも握手していた。 以前ここで松浦亜弥ちゃんや後藤真希ちゃんと握手したことがある。

よみうりランドがオープンしたのは、1964(S39)年のこと。 よみうりランドは、東京都稲城市と神奈川県川崎市多摩区にまたがっているけど、大部分が神奈川県川崎市多摩区となっている。

以前は水中バレエ劇場もあったけど、残念ながら廃止されている。

読売新聞社および日本テレビの系列らしく、ちびっ子に大人気のアンパンマンのショーが太陽の広場で盛んに行われている。この日もアンパンマンショーが行われていた。 夏にはプールであるWAIが開設されるけど、アンパンマンをフィーチャリングした子供用プール(それいけ!アンパンマンプール)もある。9月10日に行った時は最終日だったけど、とても暑かったのでプール日和となっていた。

この周辺には、読売ジャイアンツ球場、巨人軍室内練習場、ヴェルディ川崎サッカーコートもあるし。

最近では、丘の湯というスーパー銭湯が開設されたということでも話題となっている。

℃-uteは、梅田えりか、矢島舞美、村上愛(めぐみ)、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞、有原栞菜の8人(小中学生)によるユニットであり、先輩格のBerryz工房と共に、ハロー!プロジェクトキッズから生まれたグループとなっている。

この時には、ミニライブのほか、握手会もあったけど、暑い中大変でした。

この後、ファンの仲間と、バンデット(BANDIT)というジェットコースターに乗ったのである。 このバンディットは、1988(S63)年3月の登場当時は、時速110Km/hという最速のコースターとなっていた。

因みに富士急ハイランドにあるFUJIYAMAというジェットコースターでは、それを凌ぐ時速130Km/hとなっており、ギネスブックに出ている。

バンデットでは、期間限定でスプラッシュバンデットや逆送バンデットも行われることもある。

この後解散し、よみうりランドから新百合ヶ丘まで、小田急バスの新07系統に乗りました。 途中までは帰りの車等で渋滞していました。 こちらのバスは、途中千代が丘、金程を経由していました。 新百合ヶ丘なら、急行も止まるので、町田、厚木、藤沢方面からの場合はこちらが便利である。

この時に乗った車両は、今年導入されたいすゞエルガ(JBUS)の新車(生田営業所所属のE9170、川崎200か・694)となっていました。

新百合ヶ丘では、南口に到着。 この時に小田急バスのリムジン(新百合ヶ丘~羽田空港間)を見ることが出来ました。 このバスには、かつて路線バスにも描かれていた犬のマークが入っていました。 こちらは町田営業所の所属で、羽田・成田線共通のトイレ付きの三菱ふそう車となっている。吉祥寺発着のリムジンバス(吉祥寺営業所所属)も同型の車両が使用されている。 

犬のマークは、小田急バスの貸切車にも描かれている。現在は小田急グループ統一マーキングに変更されているけど、犬のマークは残されている。 小田急バスでは、トイレ付きの貸切車もあるので、3大ピークシーズンにおける高速バスの臨時便にも使用されている。

1969(S44)年までは、路線バスにも犬のマークが付いていた。こちらはワンマンバスならぬわんわんバスの愛称で親しまれていた。やはりバスの使命が犬の性格に似ているということで採用されたと思われます。あとは赤い塗装も小田急バスの伝統となっている。

このことで、小田急バスのバスツアーであるわんわんバスツアーを思い出します。

小田急バスでは以前杉並区堀ノ内にも堀ノ内営業所があり、貸切バス、高速バスの車両基地として使用されていたけど、1998(H10)年10月に廃止されている。 これにより練馬ナンバーの小田急バスが消滅したことになる。

堀ノ内営業所は、1962(S37)年2月に開設された観光バス用の営業所で、観光課もここにあった。 観光課のほうは現在小田急バスの本社である調布市仙川に移転している。

新百合ヶ丘に乗り入れるバスは、ほとんどが小田急バスとなっているけど、川崎市営バス(新ゆりグリーンタウン行き)、東急バス(たまプラーザ、あざみ野、嶮山スポーツガーデン行き)、いずれも小田急バスとの共同運行も入っている。

東急バスということで奥野さんの世界であることを思い出しました。

リムジンバスのほうは、羽田線は、小田急バス、京浜急行バス、東急バス 成田線は、小田急バス、東急バス、京成バスによる運行となっている。 成田線は、途中たまプラーザ駅を経由することになっている。

そのうちの京急バス、京成バスを見ることが出来ました。

新百合ヶ丘駅南口には、小田急エルミロード(小田急OX、イトーヨーカ堂)、新百合ヶ丘OPA、マイカルサティなどのショッピングセンターが建ち並んでいました。

小田急の新百合ヶ丘駅では、新宿方のコンコース増設、既存駅舎の改修などの工事が行われている。この工事は、2008年度中に完成予定となっている。

新百合ヶ丘から登戸までは、5200形のラストナンバーである5270Fに乗車。 5200形は、1978(S53)年から1982(S57)年に掛けて製造されていたけど、この5270Fも1982(S57)年に製造されていた。 比較的後期に更新されていたので、ドアチャイムが付いていました。

5200形の廃車は、5月に廃車となった5259Fを皮切りに行われていたけど、8月になってからは、5252F、5261Fにも廃車が発生している。

4連の5000形のほうは、1969(S44)年から1971(S46)年、1976(S51)年、1977(S52)年に製造されていたけど、5200形よりも古いのにもかかわらず、5200形が先に廃車となっていたのである。 今年5月に全廃となった9000形も、5000形の初期形車よりも先に廃車となっていたし。

登戸駅は、6月17日にJR南武線部分が橋上駅舎に改築されていました。この日の℃-uteイベントに参加していた友人のLKさんは、よみうりランドに行くときにここを通っていたと言っていた。

小田急の駅のほうも改良工事中で、最終的には下りホームが移設され、2面3線の駅に生まれ変わることになっている。

登戸から経堂までは、5263Fの6両編成の各駅停車に乗車。 こちらは2000(H12)年更新車で、ドアチャイムが付いていたけど、車椅子スペースが車端部にありました。

6両編成の各駅停車は数少ない状態で、新宿~小田原、片瀬江ノ島間の通しの各停運用も6両編成となっている。あとは土曜・休日の始発の各停は、新宿発箱根湯本行きとなっている。

小田急江ノ島線の各駅停車は、早朝の1本を除き6両編成となっているけど、以前は4両編成の各駅停車が多数存在していた。 かつては4両編成の急行も運転されていたこともあったし。

成城学園前駅には、今年9月29日に成城コルティという駅ビルが出来ることになっている。その屋上には庭園があり、かつての橋上駅舎の時代と同様に富士山を眺めることが出来る。

成城学園前駅が地下化される前は橋上駅舎となっていたけど、ここから富士山を眺めることが可能だったのである。

1988(S63)年には筆者が成城学園前駅は将来地下駅になると予想していたけど、このことが現実のものとなったのである。

経堂駅に到着。ここには冷暖房完備の待合室があり、列車待ちの間をここで過ごすことも可能である。 もちろん待合室内にもアナウンスが聞こえてきました。成城学園前駅にも待合室がある。

ここから乗った急行は、1753F+5056Fの10両編成となっていました。この時は5056F側に乗車。

かつての経堂駅は、車両基地があり、急行が通過する駅となっていたけど、現在は急行が停車する高架駅へと進化していたのである。平日朝夕のラッシュ時の急行は現在でも経堂駅通過となっている。

1753Fは、4両編成だった1551Fと1552Fの一部から組成されたセミワイドドア(ドア幅1.6m)の車両となっている。 ワイドドア車の6両化によって、運転台の一部が撤去されていた。

ワイドドア車が4両編成だった頃は、4+4の8連の各停の新宿寄りに連結されていた。

世田谷代田駅は、今年3月26日から仮駅舎化されていた。 東北沢駅では、京王線の国領駅と同様に、今後仮設の橋上駅舎化および通過線跡への島式の仮ホームの設置が行われる予定となっている。

この日は、新宿10時10分発のスーパーはこね13号の発車時にブルーリボン賞授賞式が行われていたのである。 式典開始の時点では、2番線に30000形EXEによるさがみ63号が停車していたのである。

本当はこの瞬間を生で見たかったけど、よみうりランドでの℃-uteのイベントの入場整理券の引き替え時間の関係により、見ることが出来なかったのである。

この式典の時に使用されていた編成は、50002Fとなっていた。

この日はSH13号→H14号→SH27号→SH28号→H41号→H42号と、必ずVSEで運転される運用に当てられていたのである。

現在新宿駅地下広場では、ブルーリボン賞受賞記念のパネル展が行われている。

10月14、15日には、海老名の車両基地で恒例のファミリー鉄道展というイベントが行われるけど、この時には、3000形SE車、3100形NSE車、2200形、2600形、9000形のほか、開業当時に在籍していたモハ1形電車が久しぶりに展示されることになる。
2600形と9000形は先頭車のみの展示となるけど、1700形ワイドドア車による牽引で海老名入りすることになる。 これまでは9000形の4連が牽引を担当していた。

車両の解体部品の即売は、アスベストのからみで行われなくなってしまったのである。

東急東横線の情報。 5164Fが営業運転入りし、入れ替わりに8015Fに続き、8013Fが運用離脱されていたのである。

5165Fのほうは、9月12~14日に掛けて輸送されていたので、今年度導入分が全て出揃っていたのである。

9月26日から27日に掛けては、目黒線用の5184Fが輸送される予定となっている。

目黒線の3000系の動向が気になるけど、8連化されずにそのまま大井町線の6連化用の増備車に転用されることが予想される。

3000系、5080系では、今月25日の急行運転開始に備え、種別表示も現れている。

これにより、東急東横線の8000系は、8017、8019、8039Fの3本が残ることになった。

8015Fは、9月1日の防災の日に、長津田検車区での乗客の救出訓練に使用されていたのである。

豊田電車区に置いてあったクハ201-76号車とクハ200-76号車のほうは、前者が9月5日に北長野まで回送されたのに続き、9月11日には、後者(クハ200-76号車)もクモヤサンドで北長野まで廃車回送されたのである。 これにより、豊田の201系の先頭車2両(保留車)が全廃となった。

これまで発生した201系の廃車は、1988(S63)年12月5日に発生した東中野での衝突事故で廃車となった9両を含めて、22両目となった。

今後はE233系の導入により廃車が加速されることになる。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-14 11:06 | 鉄道乗車記

京王・都営車の動き

都営新宿線を走っていた10-000形車両のうち、最後まで残っている第1次車である10-030Fは未だに現役の状態であります。現在は予備車扱いとなっているので、早めに記録を取っておいたほうが良いと思います。

10-000形の初期形2段窓車は、セミステンレス車(骨組みが普通鋼製)であるため、オールステンレス車よりも老朽化が早い状態となっていた。 こちらは同期に登場した北総鉄道の7000系でも言えることである。北総鉄道の7000系といえば、7003Fのみ残っているけど、今年度中に7500系に置き換えられる予定となっている。

先日は、10-350Fに組み込まれていた4両の中間車(旧10-180Fのうちの10-181、182、185、186号車)が、10-030Fに押し込まれた形で若葉台から大島まで廃車回送されたのである。 この時に10-030Fも廃車になったと思われていたけど、結局元に戻り、営業運転が再開されたということとなった。 この時には12両で回送されていた。

これにより、1980(S55)年3月16日の新宿~岩本町間の開業および京王線直通に備えて登場した2次車(1979(S54)年製)の10-000形が全廃となったのである。

残る2段窓の初期形車は、10-030Fのうちの先頭車を含む6両と、10-360Fの中間車のうちの4両(旧10-060F)の計10両のみとなった。
10-030Fは、10-350Fが正規の編成となったと同時に廃車になると思われます。

都営新宿線の10-000形または10-300形の運用で変化したこと。土曜・休日の本八幡→高尾山口間の直通急行に使用。 調布~橋本間の間合い運用に使用されるようになったことである。 都営線内または笹塚、つつじヶ丘折り返しの各駅停車の都営車への統一により、京王車は、相模原線直通に充当したことにより、原点回帰の状態となった。

土曜・休日に本八幡から多摩動物公園まで運転される直通列車は、京王車による8両編成となっているので、乗り入れ対応の6000系8両編成で限定運用されている。

以前行われていた若葉台から大島への廃車回送は、6連でも行われていたことがあったので、開業当時に逆戻りしたような雰囲気となっていた。 

10-360Fが正規の編成に組み替えられれば、10-300R形と2段窓の中間車との組み合わせが見納めとなる。

10-030Fに10-040Fの中間車の一部(10-041、10-042F)が組み込まれていたということは知らなかったです。 やはり10-030Fのうちの10-031、10-032Fは故障により早期に廃車となっていたので。

京王6000系は8+2の10連で使用されることが増えたけど、今年度中に9000系の10両固定編成が3編成導入されるのに伴い変化が出てくることになる。

9月10日は℃-uteのイベントに行くために、新宿から京王よみうりランド前まで、京王線に乗ったのである。

まずは準特急北野行きの8703+8803Fの10連で調布へ。 この後に発車した急行多摩動物公園行きも8000系の6+4の10連が使用されていた。

8000系の6+4編成は、分割・併合を伴うシーズンダイヤの廃止、4連・6連の各停運用の廃止により、10両固定で扱われるようになった。

笹塚駅の留置線には、改正前は、京王6000系も止まっていたこともあったけど、現在は都営車(10-000形または10-300形)のみとなっている。 やはり2本のうちの1本が8両編成までしか入れないという制約があったので。

国領、布田、調布駅は、地下化工事中で、今改正から徐行運転も開始されたのである。 

国領駅のほうは、仮線化と共に暫定的な島式ホーム(1面2線)となり、地下化された後も1面2線となる予定となっている。

調布駅では、折り返される都営10-300形(10-410F)を見ることが出来ました。

調布駅構内では、留置線が無いため、上り3番ホームに到着した後、速やかに本線上で折り返し、下りの1番ホームから折り返されることになっている。 地下化されればこのことが解消されると思われます。 

調布から京王よみうりランドまでは、8731Fの快速に乗車。快速は、相模原線内各駅停車となっている。 京王よみうりランドは、その名の通り、よみうりランドへの最寄り駅となっているけど、急行が止まらない状態である。

8000系の8連は、1995(H7)年から1999(H11)年に掛けて製造されていたけど、5000系の置き換えのほか、6000系の初期型車(抵抗制御車)の置き換え用としても導入されていた。

8000系はデジタルメーターが採用されているのが特徴である。 6000系の置き換えは9000系が登場してから行われるはずだったけど、省エネルギー対策の為に、初期型の抵抗制御車が優先的に廃車となったために、8000系に置き換えられていたのである。

8000系の8連は、2000(H12)年10月に動物園線がワンマン化される前、動物園線の区間運用に盛んに使用されていた。 この動物園線の区間運用は、それ以前5000系が使用されていたことがあった。

あとは、土曜・休日の競馬場線(場外馬券対策)にも使用され、東京競馬開催日には、臨時急行として、新線新宿にも乗り入れてくることになる。

京王新線のほうは、都営新宿線の延長部分というイメージが強いけど、地下鉄規格ではなく、在来規格で作られた路線となっている。 5000系のほうは車両限界の関係で京王新線に乗り入れることが出来なかったという状態となっていた。

調布~橋本間の区間運用は、都営車のほか、京王車の8両も使用されていることもある。 改正前は、6両の区間運用もあったけど、都営車への置き換えにより8両化されたので見ることが出来ない。 これにより、専ら相模原線の折り返し運用で使用されていた5ドア車の6721Fの動向が気になります。

都営浅草線に残っている5200形セミステンレス車両は、5201Fの1編成が泉岳寺~西馬込間の区間運用を中心に最後の活躍をしているけど、やはり老朽化していることに加え、5000形から踏襲された抵抗制御であること、110Km/h運転に対応出来ないことを理由に、今年の11月頃に廃車となる予定となっている。

5200形のほうは、1976(S51)年、5000形の最終増備車として、5201Fと5207Fの6両編成2本12両が製造されていた。 

1988(S63)年に冷房化。 1996(H8)年12月、8両編成1本に組成。これにより余剰となった先頭車を含む4両が廃車となっていた。 5207Fのうち、5209、5210号車は5201Fに組み込まれていた。2000(H12)年に5000形から5200形に変更。 以来10年間、非常時を除き、オールマイティー車である5300形と独立した運用が組まれていた。

1997(H9)年に導入された5300形の最終増備車である5327Fは、5300形で唯一120Km/h運転対応となっている。 こちらは5207Fの穴埋めとして導入されていたけど、今回は代替新造が行われずに、都営車のT運用が見直されることになる。

5327Fのみ120Km/h対応で導入されていたのは、京急の120Km/hの快特で使用される計画があったからである。 その運用が全て京急車による運用となったために、既存の編成が改造されなかったのである。

京王よみうりランド駅は、1971(S46)年4月1日に、京王多摩川~京王よみうりランド間の開通と共に出来た駅で、駅前からスカイシャトルというゴンドラが出ているほか、駅前から小田急バスでも行くことが出来る。 スカイシャトルだと混雑時に待たされることがあるので、バスを利用するか歩いていくことになる。1974(S49)年10月18日に京王多摩センターまで延長される前は、終着駅となっていた。

休日には、吉祥寺駅からよみうりランドへの直行バス(吉07系統)も出ている。 あとは、新宿駅からよみうりランドへの直行バスも季節運行されることもある。次の運転日は9月~11月の日曜・祝日に予定されている。 こちらは、小田急シティバス若林営業所の担当。

小田急線の読売ランド前からよみうりランド間のバス(小田急バス読01系統)は、京王よみうりランド駅~よみうりランド経由~読売ランド前間で、一部寺尾台団地発着となっている。

小田急線の読売ランド前は、よみうりランドから遠い(駅前からバスで10分掛かる)のに読売ランド前という駅名となっているので疑問に思う声もある。 

これらの路線の車庫は、生田営業所となっており、小田急線からも見える状態となっている。

この生田営業所と町田営業所の路線は、丘陵地帯を走る路線が多いので、高出力車が主に導入されている。

生田営業所所属車は、全車両いすゞ車となっている。生田以外は三菱ふそう車も混在しているけど。

小田急バスは、1950(S25)年8月1日に設立。 こちらは西武バスと同様に、当初から小田急電鉄の直系ではなく、電鉄系の子会社として設立されていたのである。

小田急電鉄でも、直営の高速バス事業もあったけど、2001(H13)年4月1日に、小田急箱根高速バス㈱に分社化されている。

小田急バスは、国道246号線よりも北側の地域をカバーしており、吉祥寺、若林、武蔵境、狛江、生田、町田に営業所がある。 

営業所記号は、吉祥寺=A、若林=B、武蔵境=C、狛江=D、生田=E、町田=Fとなっている。

昨年9月3日、小村さんが三鷹市役所に事前投票するために付き添った時も、三鷹駅から三鷹市役所まで小田急バスに乗ったのである。 こちらは仙川行きの路線(武蔵境営業所所属)だった。 その近くの冷やしうどんの店で食べたということを思い出しました。

若林営業所(小田急シティバス世田谷営業所)は、小田急シティバス管轄となっており、路線バスのほか、小田急バスから継承された新宿、東京発着の夜行高速バス(秋田、三次・広島(東京駅発着)、福山・尾道・三原、岐阜、津山・岡山・倉敷、高知線)も受け持っている状態である。

京王よみうりランド駅からよみうりランドまで乗ったバスは、いすゞ車で、富士重工製の車体となっていました。

富士重工がバス車体の製造をしていた頃は、小田急バスで、富士重工製の車体が使用されていた。

この路線は、上り坂がありました。
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by hy_sengen-sin | 2006-09-12 10:24 | 鉄道車両・路線