交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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関東の大手私鉄(東武、京成、西武、京王、小田急、東急、京急、相鉄、東京メトロ)の今年度の新車は、以下の通りです。

東武=50000系 10両編成8本、80両(東上線に導入されるのか半蔵門線直通仕様の50050系になるのか不明) これにより、5050系、1800系一般改造車は全廃、8000系の初期型車に廃車が出ることが予想される。
9000系は、13号線対応工事が順次行われることになる。
8000系の後期車の車体修繕も行われる。

京成=3000形 6両編成4本、24両 2003年度より変わっていない。 こちらは3200形や3500形未更新車の置き換え用および京成千葉線と新京成線への直通対応として導入されることになる。
これにより、3001Fは、3000形で唯一の8両固定編成ということで異彩を放つことになる。

西武=今年度の新車はなし。 来年度より、13号線乗り入れ対応の新車が出る予定となっている。
6000系も、東武9000系と同様に13号線乗り入れ対応工事も行われることになる。今年度は10両5編成50両に対して行われる。

車体更新は、10000系特急用車(7両編成2本14両) 9000系のVVVF改造(10両編成2本20両)も行われる。

京王 9000系 10両編成3本、30両 こちらも都営新宿線乗り入れ対応の10両固定編成になると思われる。
7000系の車体更新、VVVF改造も行われる 8両編成3本24両。

小田急 3000形 8両固定編成1本、6両固定編成6本 計44両。 
8000形の車体更新・VVVF化 6両3編成18両。

今年度より、5000系列の廃車も開始されることになる。 6両編成の導入により5200形の初期更新車から順次廃車となる予定。3000形の8両固定編成新造により、1000形の4+4編成が4両の付属編成となり、これにより4両編成の5000形が置き換えられていくことになる。

東急 5000系列が、田園都市線、東横線、目黒線に97両導入される予定。 5月31日までの間、田園都市線に、6ドア入りの5108、5109、5110Fの3編成が導入
東横線では6月に5159Fが導入される予定。

京急 新1000形が24両導入される予定。その内訳は、8両編成、4両編成各2本になることが予想される。
1500形の車体更新 20両。 1500形のVVVF化、600形のロングシート化も行われることになる。

相鉄 10000系が8両1編成導入される予定。こちらは、2004年度以来の久々の導入となる。これにより、残りの5000系および7000系の1次車が置き換えられることになる。

東京メトロ 10000系が順次導入される予定で、来年度までに20編成導入されることになっている。

昨年度は、東武 50000系 10両7本70両(うち50050系6本60両) 8000系の車体更新

京成 3000形 6両編成4本24両

西武 20000系 8両編成、10両編成各1本 16両 10000系の車体更新、9000系のVVVF化

京王 9000系 10両編成2本20両 7000系の車体更新

小田急 3000形 8両編成7本 6両編成6本 計97両導入 8000系の車体更新

東急 5000系 田園都市線に9両 東横線に8両編成5本40両導入されていた。

京急 新1000形 8両編成1本、4両編成4本 24両導入されていた。 1500形の車体更新も行われていた。

相鉄 昨年度は10000系の新造は無かった。

東京メトロ 05系10両編成4本40両導入。

都営地下鉄では、新宿線に10-300形車両が導入されているけど、今年度で大詰めを迎えることになる。

小田急電鉄では、5200形の5259Fを皮切りに、5000系列の廃車が行われている。こちらは5月22日付けをもって廃車となっている。

東急では、マルK編成である8604、8605、8608Fが運用離脱されている。その編成に入っていた状態の良い中間車の一部は、他編成に転用されている

これにより、スカート無しの8500系が全廃となった。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-31 15:00 | 鉄道車両・路線

京急久里浜でのイベント

5月28日、毎年恒例となった京急ファインテック久里浜事業所(旧久里浜工場)でのイベント(京急ファミリー鉄道フェスタ)に行ってきました。

ルート 池袋~横浜~京急久里浜‥イベント会場‥京急久里浜~品川~五反田~不動尊門前‥(徒歩)‥林試の森入口~渋谷~永田町~池袋

池袋から横浜まで湘南新宿ラインで移動。 大崎駅付近では、東京総合車両センターに入場中の青梅・五日市線用の201系(クハ201-16号車)を見ることが出来ました。

横浜駅に到着後、京急に乗り換え、この時に乗った車両は600形の605-1Fだった。 京急600形のほうは、現在オールクロスシートとなっているけど、昨年3月登場の606-1F(ブルースカイトレイン)を皮切りに順次新1000系と同じロングシートに改造されている。

あとは、608-1Fもロングシート改造が行われている。

600形のほうは、1998(H10)年11月18日から一時的に京成線の京成上野~青砥間(通称京成上野線)にも乗り入れていたこともあった。

605Fのほうは、方向幕が旧タイプ(黒地にローマ字無し)のタイプとなっていた。こちらのほうも貴重な状態である。京急では順次白地にローマ字入りのタイプに交換されているので。

京急の横浜駅は、上下ホームの分離化が行われており、今年7月ごろには、下り専用の新設ホームが使用開始される予定となっている。

京急の横浜~戸部間には、平沼駅の跡がある。 平沼駅は、前身の京浜電気鉄道によって、1931(S6)年12月26日に開業。 1943(S18)年6月30日に営業休止され、翌年の1944(S19)年11月10日に廃止。 その跡地は、1945(S20)年5月20日の横浜大空襲により被災していた。現在は、ホームの跡が残っている状態である。

金沢文庫で後ろの4両が切り離され、8両編成で三崎口方面へ。 金沢文庫~金沢八景間の東急車輛では、宇都宮線(湘南新宿ライン)のE231系、東急東横線の5050系(5159F)が置いてあるのを確認しました。

京急本線の堀ノ内~浦賀間は、日中は普通列車のみの運用となっているので、本線よりも支線というイメージが強いという状態となっている。 

日中の優等列車は、すべて久里浜線(堀ノ内~三崎口間)直通となっている。

京急久里浜駅に到着した後、JR久里浜駅前まで行き、ここから大川通りまでバスで行きました。

京急久里浜でのイベントは、2000(H12)年8月27日に2000形のクロスシート車のファイナルラン記念の公開からスタート。

2002(H14)年より京急ファミリーフェスタとして毎年5月の第四日曜日に開催されるようになっている。筆者は毎年欠かさずに行っている。

京急バスの久里浜営業所の車両は以前日野車がメインとなっていたけど、いすゞ車も加わっているので、都営バスの江戸川営業所(旧葛西営業所)を思い出しました。

今回乗った車両は、いすゞのエルガでした。久里浜駅前から大川通りまでは100円

14時まで、京急久里浜駅前から周辺までの無料送迎バスが運転されていたけど、時間を過ぎていたために乗ることが出来ませんでした。

14時50分ごろに会場入り、まずは、川崎鶴見臨港バスの外観を見ました。 このバスは、日野自動車のハイブリッドバスとなっていた。 

川崎鶴見臨港バスは、京急グループのバス会社となっている。

川崎鶴見臨港バスは、1931(S6)年に鶴見臨港鉄道(JR鶴見線の前身)のバス事業としてスタート 1938(S13)年に川崎乗り合い自動車(銀バス)と合併し、京急傘下の川崎鶴見臨港バスとなったのである。

営業所は、塩浜、浜川崎、神明町、鶴見の4ヶ所にある。

その後、特修工場で、車体更新入場中の1500形を見ることが出来ました。 この時に1654号車ほかが入場中だった。

昨年は、1500形のほか、ことでんに譲渡された旧700形(723F)やブルースカイトレインの2157Fがあったのである。

この次に主工場に入り、車両の部品を見物しました。 ここでは、入場中の旧1000形の1363Fを見ることが出来ました。

主工場に入る前、トラバーサーを通りました。 今回はJRの大宮総合車両センターや西武の武蔵丘車両検修場でのイベントみたく、トラバーサーの乗車会は行われていない。

1368号車の表示は、通勤快特品川の表示となっていた。 この通勤快特は、1999(H11)年7月の改正まで運転されていた。

かつては、700形の4+4+4の12両編成による通勤快特も運転されていたこともあった。

ここでは、制御器・ブレーキ弁操作体験、パンタグラフ上げ下げ操作体験、車体上げ作業実演も行われていた。

この次は、パスネットカード、オリジナルメモリアルフォト用の電車が展示を見物。

この時に展示されていた車両は、2100形2101F、新1000形1033Fだった。この1033Fは、以前青い塗装で運転されていたことのある編成だった。

あとは、都営浅草線の5300形(5319F)も見ることも出来た。

メインの車両撮影コーナーには、2000形2011F、1500形1643F、ブルースカイトレインの606F・2157F、旧1000形1259Fが展示されていたので、800形を除いた京急の車両が勢揃いということとなりました。 その横には、1251Fも置かれていた。

旧1000形の8両固定編成は、この1259Fを含め、2000形の8両固定編成と同様に、平日の朝夕、夜間に限定運用されている。かつては日中の特急や快特など(都営線直通)に頻繁に使用されていたけど、120Km/h運転列車の増発により、運用範囲が縮小されていた。 旧1000形の8両固定編成のほうは、都営浅草線、京成線、北総線にも乗り入れている。

今年度中に、旧1000形の8両固定編成が全滅することが予想されます。

2011F=2000形の8両固定編成は、1998(H10)年に3ドア・ロングシート化された第一号の編成である。 こちらは1982(S57)年製で、1983(S58)年のブルーリボン賞を受賞した編成であった。 1984(S59)年に第二編成が導入されるまでの間は1編成しかなかった状態であった。 
2000形の8両固定編成は、3ドアロングシート化されてからは、京急線内の急行(D急行)に使用されたけど、D急行の廃止後は、平日朝夕ラッシュ時の快特、特急運用に使用されている。 こちらは、都営浅草線に乗り入れることが出来ないので、使い勝手の悪い車両となっている。

日中のA快特の泉岳寺乗り入れにより、2000形の8両固定編成の代走のチャンスが無くなっている。

京急の泉岳寺~品川間および泉岳寺駅構内は、京王新線とは異なり、地下鉄規格の連絡線として作られているので、都営浅草線直通仕様車しか乗り入れることが出来ない。
2100形は、都営浅草線への乗り入れ運用が無いけど、貫通ドアの採用により、乗り入れ基準を満たしている状態である。

1986(S61)年まで、快速特急用の旧600形が走っていたこともあったけど、この旧600形が京急から去ってから今年で20年経ったのである。

ことでんに譲渡された6両(1070形)は、前面貫通化、ロングシート化されているけど、現在でも現役で走っている。

逗子駅付近には、トップナンバーの旧601号車が保存されているけど、その車内に入ることも可能である。こちらは、JR横須賀線の車内からも確認出来る。方向幕は、逗子となっていた。
 1985(S60)年3月2日に新逗子駅が開業する前、京浜逗子、逗子海岸の順に停車していたけど、行き先表示は逗子となっていた。

旧600形は、1956(S31)年に2ドアクロスシートの700形として登場。こちらは京急初のカルダン(新性能車)として話題となっていた。当初は2両固定編成、非冷房車だった。

1965(S40)年に600形に改番 1966(S41)年から19068(S43)年に掛けて4両固定編成化。 この時に中間車改造された編成も現れていた。

冷房化は、1971(S46)年から1972(S47)年に掛けて行われていた。

旧600形は、1982(S57)年より2000系に順次置き換えられ、1986(S61)年3月までに、2ドアクロスシート車のまま全廃となった。

ブルースカイトレイン 昨年は、606Fが車両撮影コーナー、2157Fが特修工場で初お披露目されていたけど、今年は揃って車両撮影コーナーに展示されていた。やはり今回のイベントの目玉はこのことであったのである。

1500形の1543Fは、1500系の未更新車で、黒幕・ローマ字無しの貴重な表示となっていた。 この時には、特急新逗子の表示となっていた。

昨年は、700形が車両撮影コーナーに展示されていたけど、あの時が最後となってしまった。

行き先表示は、2011F=快特 品川 606F=エアポート快特 成田空港 2157F=快特 京急久里浜 1259F=普通 京急蒲田-羽田空港 1251F=普通 品川となっていた。

昨年は、黒幕旧1000形で廃車第一号となった、1283Fが展示されていたこともあった。 この1283Fは、廃車後の昨年6月下旬にに京急ファインテック久里浜事業所で行われた脱線車両からの負傷者救出訓練に使用されていたこともあった。これらの編成は、訓練終了後に解体されている。 

やはり昨年4月25日の福知山線(JR宝塚線)の尼崎駅付近での脱線事故(大惨事)を受けたことにより行われたことになった。

600形のほうは、実際に京成線の成田空港まで乗り入れている状態である。 あとは、606Fがブルースカイトレイン塗装のまま成田空港まで入線したこともあるし。

成田空港といえば、6月2日に第一旅客ターミナルがリニューアルオープンし、ANA(全日空)を含めた内外の一部航空会社が第二旅客ターミナルから第一旅客ターミナルに移転するということで話題となっている。

1025、1033Fが青い塗装で運転されていた頃は、JALとANAのラッピング電車となっていた。

2004(H16)年12月の羽田に続き、6月2日から成田でもJALとANAのターミナル対決が行われることになる。

羽田の場合は、ANAが第一ターミナルビルから第二ターミナルビル(新設)に移転していたけど、成田の場合はその逆となる。 

6月2日からは、ANAを使う場合は、JR・京成共に終点の成田空港駅下車ということとなる。

JALのほうは、第二ターミナルに残ることになるけど、第二ターミナルビルも、第一ターミナルビルに会わせてリニューアル化されることになる。 羽田の第一ターミナルビルもリニューアル化されていた。

京急の羽田空港駅 ANAの場合は、末端部の青い改札口(前) JALの場合は、天空橋寄りの赤い改札口(後)を使うことになる。

この撮影を終えた後、2両の保存車両を見学。 この車両は、かつて京急で走っていたデ1型(湘南電鉄)、デ51型(京浜電気鉄道)電車である。 デ51型電車のほうは、満員の表示もあった。こちらは、かつて大師線を走っていた車両である。 デ1型=行き先は黄金町となっていた。
どちらも中に入ることは出来るけど、座席に座ることが禁じられている状態である。 やはり破損および汚損を防ぐためだと思われる。

デ1型には、古い路線図も保存されていた。

座席は、デ1型がセミクロスシート、デ51型がロングシートとなっていた。

この横には、運転台撮影用の1000形の4+2両の編成がありました。こちらの運転台撮影は小学生以下が対象。車番は未確認。 昨年までは、ここから帰りの臨時列車が出ていたけど、遮断されていたことで問題となり、奧のほうに移転されたことにより解決したのである。

この次は物販コーナー、作業車の展示ブースの見学。 この時に黄色いデト17・18号車などを見ることが出来ました。 このデト17・18号車は、旧1000形(旧1017、1018号車)の足回り品再利用の上で車体が新製された車両となっている。

ここでは、架線作業車および軌道補修作業の実演も行われていた。 ここでは、小学生低学年以下に限り、作業車にも乗れるというチャンスがあった。

屋内のOゲージの運転もよかったです。 

このイベントが終わった後、京急久里浜まで、1041Fによる臨時列車で行きました。 移転された臨時ホームから乗ったのは今回が初めてでした。

この臨時列車に乗ったのは、2004年以来でした。当時は旧1000形の8両編成が使用されていた。

この1041Fの表示は、貸切となっていました。 京急久里浜に到着した後も貸切表示となっていたので、撮影することが出来ました。

まずは、構内をゆっくりとしたスピードで走行。 この時に、ブルースカイトレインの並び等を眺めることが出来た。 折り返し地点の末端部で、定期の快特を待避。 この後、スピードを上げて京急久里浜駅へと向かいました。

京急久里浜駅に到着した後、撮影したけど、この時にふじみ野都市さんと出会いました。ふじみ野都市さんは、鉄道友の会の見学会を思い出したと言っていました。

この後、三橋さんたちと京急久里浜駅前のマックに行きました。 ここで出会ったメンバーは、三橋さん、黒岩さん、木沢さん、ふじみ野都市さん、下村さん、林直樹さん、筆者の7人でした。
 このメンバーとは、イベント会場でも合流している。 イベント会場では、奥野さんとも出会ったけど。

萩原さんのほうは、京急のイベントに参戦していたけど、諸事情により途中で退出していたためにお会いすることが出来なかった。

京急久里浜駅からは、2100形(2125F)の快特で品川へと向かいました。 三橋さんは、京急蒲田駅で下車。 林直樹さんは、品川で直通電車に乗り換えて京成高砂、金町乗り継ぎで帰宅していた。

筆者は、品川から五反田へと向かい、ここから東急バスの渋72系統で、不動尊門前へ、ここから歩いて目黒不動尊の縁日を見物、林試の森入口から渋谷まで再び東急バスで移動し、永田町経由で池袋まで行きました。 

縁日の時は、乗り継ぎ券を発行することが可能となっていたので、それをもらいました。 どちらも折り返しの時に狭い道を切り返していた。

渋谷から永田町まで、東急8632F、永田町から池袋まで、7126Fに乗車。

久里浜でのイベントは遠かったけど、行けてよかったです。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-29 14:15 | 鉄道イベント

大宮総合車両センター

5月27日は、雨の中、大宮総合車両センターで行なわれたイベント「おおみや鉄道ふれあいフェア」に行ってきました。今回も隣接するJR貨物大宮車両所の公開も行われていた。

この時に、SLのD51ー498号機の修繕風景、20系客車等の展示、ACトレインの試乗会などが行なわれていました。

大宮総合車両センターでのイベントは、毎年恒例となっているけど、2000(H12)年までは10月に開催されていた。 1994(H6)年にはJR九州787系(当時のつばめ号)が、2000(H12)年にはJR九州885系(白いかもめ号)が九州からやってきて、ここで展示されていたということがあった。 筆者が初めて大宮でのイベントに行ったのは、1994(H6)年のことだった。

2001(H13)年に、さいたま市または大宮支社になってからは、5月に行われるようになった。 筆者は、2000(H12)年以来欠かさずに大宮に行っている状態である。 1997、1998年も行ったけど、1999(H11)年は諸事情で行かれなかったのが残念です。

来年10月14日に新生鉄道博物館が出来る予定だけど、この大宮総合車両センターでのイベントも是非残してほしいと思っています。

ルート 目白~池袋~赤羽~大宮~新宿~大塚~目白

まずは、池袋、赤羽乗り継ぎで大宮へと向かい、会場まで歩いていきました。 この時は、混雑緩和のため、東口から出て、陸橋を越えるということになる。

ゲートに入る前には、保存機であるD51-187号機、かつて碓氷峠のアプト式区間や東武の日光軌道線で走っていたED4010号機を見ることが出来ました。 これらは新生鉄道博物館に行くことになる。

入場口から入り、エントランスにある資料館に入りました。 ここには鉄道模型パノラマ、、前身の大宮工場からの歴史などに関する資料等が展示されていました。

大宮工場の歴史は、1894(M27)年に日本鉄道業務部汽車課として設置されたのが始まりであり、100年以上の歴史がある車両工場となっている。今年で開設112周年

ここではかつて蒸気機関車や電気機関車も製造されていたこともあった。 ED40号機は、大宮工場製の機関車である。

2004(H16)年6月1日に大宮工場から大宮総合車両センターに名称変更。 

この後、JRバスのブースに行き、スーパーニュードリーム用の新車の中に入りました。 このバスは西日本車体製の日産ディーゼル(UD)車で、豪華な3列シートの採用、中央部階段下トイレの車両となっていました。 ここには、携帯電話の充電用のプラグもありました。

こちらの新車は、足立200か14ー19で、営業運転開始前の新車の中にいち早く入ることが出来ました。新宿~大阪間のスーパーニュードリーム号で使用開始予定となっている。

このバスのシートは、ゆったり仕様となっていました。

ここには、草津温泉エリアで使用されるボンネットバスもありました。

この次は、屋外車両展示エリアへ。 屋外車両展示広場には、ED16ー10、ED17-1、EF80-36、EF58-89、EF58-93(青大将)、クハ103-713号車、今年3月末に廃止された鎌倉総合車両センターの旧大船工場部分から移設されてきた20系客車(ナハネフ22ー1号車)が展示されていました。

20系客車のHMは、はやぶさ、富士、みずほ、あさかぜと変わっていました。 あさかぜ号は、昨年2月28日に、みずほ号は、1994(H6)年12月2日にそれぞれ廃止されている。

みずほ号は、東京から熊本と長崎を結んでいた寝台列車で、末期のさくら・はやぶさ号と同様の状態となっていた。 

EF80型電気機関車は、1962(S37)年に常磐線でデビュー。 こちらは交直両用の電気機関車で50Hz専用だった。 こちらは、1987(S62)年までに全廃となり、36号機が大宮で、63号機が碓氷峠鉄道文化むらで保存されている。

ED16型電気機関車は、かつて青梅線や上越線などで活躍していた機関車である。こちらは1983(S58)年3月に現役を引退。 その10号機が大宮で、1号機が青梅鉄道公園で静態保存されている。

ED17型電気機関車は、ED50型などから改造された支線用貨物機関車で、1972(S47)年まで活躍していた。 そのうちの1号機が大宮で保存されている。

EF58-89号機は、1999(H11)年10月に現役を引退した後、茶色から青色に変更された上で大宮に静態保存されている。こちらは、ED17-1号機とともに新生鉄道博物館で保存される予定となっている。

EF58-93号機は、青大将色で大宮に静態保存されている。

ナハネフ22-1号車(20系客車)は、1958(S33)年にブルーとレインの元祖として登場、1986(S61)年の廃車後、大船工場(のちの鎌倉総合車両センター)で静態保存されていた。 今年3月末に閉鎖された後、大宮総合車両センターに移設。ここで整備された後に、新生鉄道博物館に展示されるようになる。

103系の先頭車であるクハ103-713号車は、1977(S52)年10月、横浜線用として、うぐいす色塗装で新製。当初は蒲田電車区(現在は車両の配置は無い)に配置されていた。

1988(S63)年の京葉線の新木場延長の時に青色に塗り替えられた上で転属され、昨年11月に廃車となるまでの間、京葉線を走っていた。末期はケヨ302編成

11月18日のさよなら運転終了後、11月20日に大宮総合車両センターまで廃車回送。 この1両を除いた9両が大宮~宮原間の操車場部分で解体されていた。

現在大宮総合車両センターでの解体作業は、新生鉄道博物館建設工事および車両の搬入作業により中止となっている。 その間は長野での解体がメインとなる。

713の番号といえば、モー娘。の道重さゆみちゃんの誕生日である7月13日を思い出します。
  
屋内では、SLのD51-498号機の修繕作業を見物をすることが出来ました。普段見ることが出来ないカバーが撤去された後の姿を見ることが出来たし。

休憩用車両は、廃車予定が使用されているけど、今年は湘南色の113系2両(モハ113-1506+モハ112-1506号車)となっていた。

こちらは、国府津車両センター所属で東海道線で走っていた113系のK48編成(クハ111-2062F)の2、3号車に連結されていた。 元をただせば、横須賀・総武快速線で走っていたのである。

この後は、トラバーサーという車両移動機の体験乗車。 こちらは西武の武蔵丘車両検修場でのイベントでも味わうことが出来るけど、今回は台の部分に立っての試乗となっていた。

次は、JR貨物大宮車両所の見学。 まずは、屋外でEF210-123号機を見ました。 

EF210号機は、当初岡山機関区のみの所属だったけど、昨年度からは、新鶴見機関区にも配置されるようになった。

岡山所属は、EF210ー1~18、101~117、901号機の36両 うち2両(116、117号機は昨年度に導入されていた)

新鶴見所属は、EF210ー118~129号機の8両 EF210-123号機は、そのうちの1両である。

屋内には、EF64-68、70、1018、1037、1044号機 EF65-1088号機 DD51ー1184号機 DE10-1526号機 DE11-2003号機 EH500-3号機がそれぞれ展示されていた。

昨年までは、EH500ー3号機のあった場所に、EF65-59号機が置かれていたこともあった。

この後、ACトレイン試乗会の整理券をもらった後、3階の食堂で昼食を取り、EF64-70号機の吊り上げ・移動のシーンを見物しました。

ACトレインの試乗会では、7回目(13時15分からの回)に当たっていました。

ACトレインは、次世代通勤型列車の試験用電車として、2002(H14)年1月に落成。 編成は、クハE993+サハE993+モハE993+モハE992+クハE992の5両から成っている。

こちらは、連接台車、DDM(直接駆動式モーター)の採用などが盛り込まれている。 連接台車といえば、小田急ロマンスカーの旧3000系(SE)、3100系(NSE)、7000系(LSE)、10000系(HiSE)、50000系(VSE)を連想するけど、JRとしての採用は、今回が初である。

以前東北・上越新幹線の試験用車両として使用されていたSTAR21も一部が連接台車となっていた。

そのため、JR車両でありながら小田急ロマンスカーの連接車を思わせるような走行音がしました。

座席はロングシートとなっているけど、クロスシートにも変えられる座席、特急型のグリーン車みたいな座席の車両もありました。

この車両のバリアフリーの面では、E531系に、連接台車やDDMの採用の面では、E331系に受け継がれている。 

今年暮れに中央線に登場予定のE233系も、ACトレインで得られた効果が反映されている

E331系は、7+7の14両編成の車両で、京葉線に登場する予定となっている。 7号車と8号車の部分は、連接台車となっていない。 1両に付きドアが3箇所となっているけど、編成全体としては、従来の10両編成と比べてドアが2箇所増えている。

DDM(直接駆動式主電動機)のほうは、2003年度に廃車となった103系のモハ103-502号車で試用されていた。

このACトレインは、普段は一般乗客が乗ることが出来ない車両となっているので、とても貴重な体験でした。 

この試乗会の時は、試運転線が使用されており、新生鉄道博物館が出来るというからみで、移設されていた。 今回はこの線路を通ったのは初めてであった。 この時には、来年10月14日オープン予定の新生鉄道博物館の建設現場を見ることが出来ました。 ターンテーブルが出来る予定の場所は、くぼみが出来ていた。 こちらはニューシャトルの大成駅前に出来ることになっている。

大宮でのイベントの試乗体験は、2003(H15)年5月31日の189系彩野号以来3年ぶりだった。

この後は、いろいろな場所を再び見学し、終了後まで過ごしました。

大宮からは、湘南新宿ラインで新宿まで行き、仕事へ。 この後、大塚駅付近のベッカーズに行き、私鉄部会の連中と合流しました。 

今回のイベントは雨の中で大変だったけど、ACトレインに乗れたことやいろいろな車両を見ることが出来てとてもよかったです。

JRバス情報、6月1日より、東京駅~つくばセンター間(つくば線)のダイヤが改正され、5月31日をもって日本最大級の2階建てバスであるメガライナーが、つくば線から撤退するという情報が入ってきました。

メガライナーの時刻(5月31日まで) 東京発つくばセンター行き 7:40、9:40、13:00、15:00、19:00、20:00、0:30(ミッドナイトつくば号)
つくばセンター発東京行き(上野経由) 6:20、9:40、11:40、15:20、17:00、21:40、22:00

やはりつくばエクスプレスの開業後、利用客が減少したために、メガライナーの運用が廃止されたのである。 昨年10月31日まで関東鉄道でも運行されていた。

関東鉄道で使用されていた2台は、西日本JRバス大阪高速管理所に移籍されているので、青春ドリーム大阪号で使用される可能性が高いという状態である。

6月1日から東京~大阪線でダイヤ改正が行われ、4月1日に登場したプレミアムドリーム号が毎日運転となる。 

超得割青春号=新宿駅発着へ変更。

スーパーニュードリーム号・プレミアムドリーム号 毎日運行となる。

ドリーム大阪号・ニュードリーム大阪号=減便される。

東海道昼特急大阪号 一部便が週末等、期間運行に。
デラックス車両を使用した「プレミアム昼特急号」も新設される。

プレミアムドリーム号は、1階が豪華なプレミアムシート 2階がスーパーシートとなっているので、贅沢な空間となっている。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-28 00:50 | 鉄道イベント

東急バス渋72系統

5月26日は、東急バスの渋72系統で渋谷から五反田まで行きました。

この渋72系統は、目黒不動尊付近の狭い道を走るバス路線として有名である。

路線 渋谷駅東口~並木橋~東二丁目~恵比寿駅~防衛庁技術研究所~研究所裏~茶屋坂~中里橋~田道小学校入口~大鳥神社前~元競馬場前~下目黒五丁目~東京学園高校通り~入谷橋~林試の森入口~目黒不動尊~不動尊門前~西五反田四丁目~桐ヶ谷~荏原一丁目~大崎広小路~五反田駅

この路線は、1959(S34)年12月18日開設。 筆者は渋谷と五反田の間の広い道路を単純に往復する路線だと思っていたけど、目黒不動尊付近の狭い道を走る路線だということで驚きました。

当初は大型の車両が使われていたけど、1980(S55)年から中型車による運行に切り替えられていた。

東急バスの目黒営業所には、日野車のほか三菱車も配置されているけど、中型車の場合は日野車のみとなっている。

同じ渋谷駅東口発着の渋71系統洗足線(渋谷駅東口~洗足駅間)も、渋72系統と共通運用の中型車が使用されている。 こちらも清水~洗足駅間、中央町付近で狭い道を走っているためにこうなっている。

黒06系統(目黒駅~祐天寺駅~三軒茶屋間)は、目黒営業所所属だった頃、渋71・72系統と共通だったけど、2002(H14)年7月に下馬営業所に移管されている。こちらも狭い道を通るために、中型車限定運用となっている。

目黒不動尊のほうは、境内を通過するけど、毎月28日の縁日の時には、バスの通過が出来なくなるので、林試の森入口~不動尊門前間が徒歩連絡となる。 乗務員に乗継券をもらって乗り継ぐことも可能。

目黒不動尊のバス停は、目黒不動尊境内にあり、路線バスのみの通行が認められている。 こちらは非常に狭いため、常に誘導員が配置されている状態である。

目黒営業所の乗務員の新人あるいは他の営業所から転属してきた場合は、渋72系統に乗務する前に研修が行われることになる。やはり狭隘区間での運転は難しいと言われているので。

この狭隘区間(下目黒五丁目~不動尊門前間)では、決まった場所でしか行き違いが出来ないため、反対側のバスが来る前に時間調整が行われることになる。 こちらは、鉄道の単線区間と同様である。

28日の縁日の時は、林試の森入口と不動尊門前間で折り返し運転が行われるけど、狭い道での、切り返し、Uターンが行われることになっている。

以下後ほど更新。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-28 00:48 | バス乗車記

津軽海峡線について

続編として、津軽海峡線のことについて書きました。

津軽海峡線は、青森~蟹田~中小国(新中小国信号場)間は、JR東日本津軽線

中小国(新中小国信号場)~木古内間は、JR北海道海峡線

木古内~五稜郭間は、JR北海道江差線

五稜郭~函館間は、JR北海道函館本線

から成っている。

こちらは、埼京線で、大崎~新宿~池袋間が山手線(貨物線)、池袋~赤羽間が赤羽線、赤羽~大宮間が東北本線(別線)、大宮~川越間が川越線から成っていることと同様である。

津軽海峡線の路線 青森~蟹田~(新中小国信号場)~津軽今別~竜飛海底~吉岡海底~知内~木古内~五稜郭~函館

津軽海峡線は、1988(S63)年3月13日に、新中小国~木古内間の新線が開業。 津軽今別駅・竜飛海底駅・吉岡海底駅も同時に開設。 津軽線 青森~蟹田間 江差線 木古内~五稜郭間 函館線 五稜郭~函館間も交流電化されていた。

知内駅は、開業当時、新湯の里信号場として開業したけど、1990(H2)年7月1日に旅客駅に昇格され、現在の知内駅に改称されていた。

津軽海峡線では、1988(S63)年3月13日の開業の時から、2002(H14)年11月30日まで、50系および51系客車の改造車による快速海峡号が運転されていた。 牽引機は、ED79号機だった。

1998(H10)年3月から廃止されるまで、ドラえもんのラッピングが施されていた。

こちらは、急行はまなす号の間合いとして、14系客車が寝台車抜きの上で使われていたこともあった。

筆者が初めて北海道入りしたのは、1995(H7)年8月1日に50系客車による海峡号に乗った時だった。

海峡号には、列車位置表示装置(青函トンネル用)があり、どの辺を通っているということが分かっていた。

1994年に開通した、イギリスのフォークストン(Folkestone)とフランスのカレー(Calais)を結ぶユーロトンネルと、そこを走るユーロスターという高速列車も、青函トンネルと同様に海底トンネルを駆け抜ける列車となる。

北海道新幹線が開業すれば、第二のユーロスターとなる。

ユーロトンネルは、全長50.5Kmで、世界第二位の鉄道トンネルとなっているけど、海底部は37.9Kmと世界一となっている。

ちなみに青函トンネルは、全長53.9Kmで世界一の鉄道トンネルとなっているけど、海底部は、世界第二位となっている。

ユーロトンネルを走る列車は、ユーロスターのほか、車運搬用シャトル列車(Le Shuttle)、貨物列車となっている。 

フランス側の掘削は、日本の川崎重工業によって参加されており、難工事となっていた。

こちらは、2001(H13)年9月25日に放送されたプロジェクトXにも出てきていた。

青函トンネルも、プロジェクトXにも出てきていたけど。

青函トンネルの掘削の開始は、斜坑部分が、1961(S36)年3月23日、先進導杭がされずれ開始されていた。 本杭の着工は、1971(S46)年11月27日。

貫通は、先進導杭部分が、1983(S58)年1月27日 本杭部分が、1985(S60)年3月10日のことだった。

青函ルートの東ルートは、距離が短く、水深が浅い部分を通るはずだったけど、掘削に適さない部分が多いという理由で中止となり、現在の西ルートが選ばれたのである。

竜飛海底、吉岡海底駅は、消防用設備や非常時の脱出路を兼ねている。

青函トンネルが建設されたのは、1954(S29)年9月26日に発生した台風15号の被害により発生した洞爺丸事故による大惨事がきっかけとなっていた。

青函トンネルの開業と共に、青函連絡船が終航を迎えたけど、洞爺丸事故以来、大きな事故が起こるということは無かった。

青函トンネルの開業後、1988(S63)年6月3日から9月18日にかけて行われた青函博の時に復活運航されたけど、この終了と共に、青函連絡船の80年の歴史に終止符が打たれたのである。

青函連絡船は、1908(M41)年3月7日に、当時の帝国鉄道院によって就航していた。

現在本州と北海道が道路で結ばれていないという状態なので、フェリーに頼らざるを得ないという状態である。 カートレインが実現すればいいんだけど、残念ながら実現に至っていない状態である。

以前は九州、北海道へカートレインが運転されていたけど、やはりレンタカーが主流となったことや、大型RV車などが積載出来ないということで利用客が減少したために廃止されていた。

現在津軽海峡線を走っている列車は、ED79型電気機関車、EH500型電気機関車、485系3000番台(白鳥号)、789系電車(スーパー白鳥号)、781系電車(ドラえもん海底列車)、14系客車(急行はまなす号)、24系客車(北斗星、トワイライトエクスプレス)、E26系客車(カシオペア)となっている。

あとは、JR北海道のキハ183型DCも青函トンネルを抜けて本州まで走ることもあるけど、青函トンネル内は、機関車牽引による客車扱いで運転されている。

青函トンネルを通過する客車列車の電源車は、消火装置等の対策が行われている。

北海道への貨物列車のほうは、青函連絡船の時代は、連絡船に積まれていたけど、青函トンネルが出来た後は、貨物列車のままで走ることが出来たので効率の良い運行となった。 北海道新幹線開業後も、貨物列車の運用は残ることになる。

EH500型の登場前は、ED79型電気機関車による重連運転となっていた。

485系の乗り入れは、1988(S63)年3月13日から行われており、盛岡~青森経由~函館間のはつかり号としての運転だった。当時から、ATC-L型搭載などが施された編成による限定運用となっていた。 当時は国鉄カラーの485系が当たり前だった。

1996(H8)年4月21日には、485系のリニューアル車である3000番台が登場。 当初から函館まで乗り入れている。 

2000(H12)年にE751系スーパーはつかり号が盛岡~青森間に登場したけど、ATC装置が無いので、函館までは入線しなかった。 こちらはATC準備工事が行われているけど、トラブルが続出しているという影響で見送られている。

2002(H14)年12月1日、はつかり号の廃止。 八戸~青森、弘前間はつがる号、八戸、青森~函館間は白鳥号となった。 この時に、485系1000番台(オリジナル編成)が定期運用から離脱され、485系3000番台の代走等で活躍するのみとなった。

2006(H18)年3月18日、789系スーパー白鳥号の増発により、485系の運用が減少。 これにより、国鉄色の485系の運用が廃止された。

現在は青森車両センターには、6両6編成36両(うち函館乗り入れ対応編成5編成30両)+増結用の中間車2両3編成6両が在籍している。

E751系は、1999(H11)年から2000(H12)年にかけて6両編成3本18両製造されたけど、デビュー当初はスーパーはつかり号として走っていた。 八戸~青森間で130Km/h運転が行われていた。 車体はE653系(フレッシュひたちの車両)がベース。 現在は、八戸~青森、弘前間のつがる号で走っている。

JR北海道の789系は、2002(H14)年12月1日に、スーパー白鳥としてデビュー。 当時は5両の基本編成4本20両+3両の付属編成1本の23両が配置されていた。

5両編成のうち、1、2号車(HE-100番台) 3、4、5号車(HE-200番台)のブロックに分けられており、場合によりバラバラに組成されていた。 

今年3月18日のダイヤ改正で、基本編成が、485系と同様の6両編成となり、11両新製されていた。 増結用のHE-300番台の編成2編成も登場。HE-100番台の編成にT車が1両ずつ追加され、付属編成となっていたHE-205編成が基本編成化されるようになった。

789系電車は、宗谷本線の特急スーパー宗谷で使用されているキハ261型DCがベースとなっている。

このようなJR北海道の高運転台スタイルは、1994(H6)年に登場したスーパー北斗の281型DCから始まり、その発展型である283型DC(スーパーおおぞら号などで使用)、261型DC、789系電車にも受け継がれている。 こちらは前面展望も可能なので、絶好のお立ち台となっている。 261型DCのデザインは、JR北海道の姉妹鉄道である、デンマーク国鉄(DSB)と共同で行われていた。

スーパー白鳥号の時刻 八戸発 8:52(N)、10:15、12:16、16:14(N)、17:07、19:02
 8:52発の95号は仙台始発のはやて95号から、その他は東京方面からの東北新幹線はやて号から接続。 青森発(函館方面) 10:00(N)、11:19、13:21、17:22(N)、18:12、20:06

函館発 7:00、8:48、12:53(N)、13:54、15:42、20:33(青、N) 20:33発の青森行きを除き、終着駅の八戸で、東京方面への東北新幹線はやて号に接続。 青森発(八戸方面) 8:57、10:55、14:51(N)、15:47、17:43
N印=新規増発分(スーパー白鳥44号(青森行き)以外は485系から置き換えられている)

789系は、青森発八戸行きのつがる6号にも使用されている 青森 6:44→八戸 7:45 土曜日を中心に弘前始発となり、弘前 6:01発→青森 6:39着も設定される。
この時にTsugaruのHMの付いた789系を見ることが出来る。

485系で運転される白鳥号の時刻 八戸発 10:50、14:15 いずれも東京方面からの東北新幹線はやて号から接続。 青森発(函館方面) 7:30(始発)、8:57(始発)、11:57、15:22

函館発 10:40、11:28、16:51、18:42 18:42発の八戸行きを除き、終着駅の八戸で、東京方面のはやて号に接続。

日中の列車は、函館で、長万部、東室蘭、札幌方面の特急北斗またはスーパー北斗号に接続している。 

例えば、東京 6:56発の東北新幹線はやて1号に乗れば、八戸 10:03着、10:15発→(スーパー白鳥1号)→函館 13:14着、13:29発→(北斗11号)→札幌 16:58着で、札幌に行けることになる。

車内の案内 グリーン車 485系 6(8)号車の一部 789系 1号車 普通車指定席 485系 1、4、5号車、6(8)号車の一部、6、7号車(8両運転時) 789系 1号車の一部、4、5、6号車 7、8号車(8両運転時) 普通車自由席 485系、789系 2、3号車 喫煙車 485系 2、4号車 2、4、6号車(8両運転時) 789系 2号車 トイレ・化粧室 485系 1、2、3、4、6号車 1~6、8号車(8両運転時) 4号車のトイレは車椅子対応 789系 1、4、6号車 1、4、6、8号車(8両運転時) 1号車のトイレは車椅子対応 列車電話 485系 5号車 7号車(8両運転時) 789系 4号車 多目的室、車椅子対応座席 485系 4号車 789系 1号車

スーパー白鳥、白鳥号の停車駅 八戸~三沢~野辺地~(浅虫温泉)~青森~(蟹田)~(津軽今別)~(竜飛海底)~(知内)~(木古内)~(五稜郭)~函館
カッコ内は一部列車のみ停車(列車により停車駅が異なる)

蟹田~木古内間は、料金不要の普通、快速列車が走っていないので、この区間の自由席に限り、特急料金無しで乗ることが出来る。

このような措置は、石勝線の新夕張~新得間(やはり特急列車しか通らない区間)でも適用している。

津軽今別、知内駅は、共に1日2往復しか停車しないという駅である。

津軽今別駅停車 函館方面 8:07発(白鳥41号)、16:07発(白鳥15号) 青森方面 12:04発(白鳥18号)、20:00発(白鳥42号)

知内駅停車 函館方面 8:38発(白鳥41号)、19:24発(スーパー白鳥21号) 青森方面 9:39発(スーパー白鳥14号)、16:27発(スーパー白鳥32号)

ドラえもん海底列車は、3月25~4月2日、4月29~5月7日に運転されたけど、7月15日から8月27日(8月2、3日は除く)まで運転される分が最後となる。

ドラえもん海底列車の使用列車、781系の専用列車の6両編成。函館寄りの1号車より、 (クハ780-7+モハ781-5+サハ780-5、モハ781-14+サハ780-14+クモハ781-7号車)となっている。

テーマは、1号車=タケコプター(青)、2号車=植物歩かせえき(淡緑)、3号車=ジャック豆(黄色)、4号車=空気クレヨン(朱色)、5号車=ウマタケ(桃色)、6号車=ムードもりあげ楽団(赤色)

こちらは、2003(H15)年7月19日からこのような編成で運転されている。

函館 12:25発→吉岡海底 13:56着 吉岡海底 15:33発→函館 16:39着 途中五稜郭、木古内にも停車するけど 吉岡海底駅での見学客のみの列車ということになっている。

こちらは全車指定席で、海底駅見学整理券(大人840円、子供420円)も必要となってくる。

ドラえもん海底ワールドは、1998(H10)年より行われているけど、北海道新幹線の工事に伴い廃止されるので残念に思っています。

吉岡海底駅では、ドラえもん海底ワールド以外のトンネル施設の見物も可能だけど、2つまとめて見学することは出来ないので注意が必要である。

竜飛海底駅は、4月25日から11月10日まで停車。 停車列車は、函館方面 12:45発(白鳥3号)、16:18発(白鳥15号) 青森方面 11:49発(白鳥18号)、13:59発(スーパー白鳥24号) この場合、2号車のみのドアが開くことになる。

竜飛海底駅には、青函トンネル竜飛斜坑線があり、体験隧道駅と青函トンネル記念館を結んでいる。 

竜飛海底駅、青函トンネル記念館見学コースは以下の通り

「竜飛1コース」
函館駅(10:40発)~ 白鳥18号 ~ 竜飛海底駅(11:48着) 見学時間2時間11分 竜飛海底駅(13:59発)~ スーパー白鳥24号~ 青森駅(14:45着)
「竜飛2コース」
青森駅(11:57発)~ 白鳥3号~ 竜飛海底駅(12:44着) 見学時間3時間34分 竜飛海駅(16:18発)~ 白鳥15号~ 函館駅(17:33着)
「竜飛3コース」
函館駅(12:53発)~スーパー白鳥24号~竜飛海底駅(13:58着) 見学時間2時間20分 竜飛海底駅(16:18発)~ 特急白鳥15号~函館駅(17:33着)

利用料金は、2040円で、海底駅見学整理券利用料金840円が含まれている。

海底駅整理券は、予約制となっている。

青函トンネル記念館は、道の駅みんまやと併設されている。 

開館期間 4月下旬~11月上旬
開館時間 午前9時~午後5時
料   金 記念館入館料 大人300円 小人150円
体験坑道乗車券 大人900円 小人450円

こちらは、JR津軽線の三厩駅から地域循環バスで40分で行くことになる。

JR津軽線の路線 青森~油川~津軽宮田~奥内~左堰~後潟~中沢~蓬田~郷沢~瀬辺地~蟹田~中小国~大平~津軽二股~大川平~今別~津軽浜名~三厩

青森~蟹田(中小国)間は、交流電化区間で、青森~蟹田間は、701系交流型電車による交流型電車によるローカル輸送が主体となっている。早朝の下り1本および上り2本には、485系またはE751系特急型車両も使用されている。

蟹田~三厩間は、キハ40型による気動車による運用で、1日5往復と少ない状態である。 うち1往復は青森発着。

蟹田発 7:17、11:58、14:00、16:30(青森発)、19:16

青森発 15:46

三厩発 6:21、8:05、12:53、15:49(青森行き)、17:55

うち4往復は、三厩で、地域循環バス(竜飛方面)に接続している。

津軽線は、1951(S26)年12月5日、青森~蟹田間が開業 1958(S33)年10月21日には、蟹田~三厩間が開業。開業当時は、みうまやと呼ばれていた。

1988(S63)年3月13日 青森~新中小国信号場間が交流電化

1991(H3)年3月16日 三厩駅(みうまや→みんまや)に変更。

参考 特急つがる号の時刻 八戸発(青森、弘前方面) 7:10、11:38、13:10、15:03、18:15、20:14(青、H)、21:18、22:29(青、H)、23:07(青) 無印は青森経由弘前行き 青印は青森止まり 八戸 7:10発を除き、東京・仙台方面からの東北新幹線はやて号から接続。

弘前発(青森、八戸方面)  6:01(臨時、SH)、7:08、9:09、10:56(臨時)、14:29、16:05、18:41 青森発(八戸方面) 5:52(始発)、6:44(始発、SH)、7:46、9:46、11:40、15:03、16:50、19:27 八戸で、仙台・東京への東北新幹線はやて号に接続。 弘前 18:41、青森 19:27発のつがる98号は、八戸で仙台行きのはやて98号に接続しているけど、東京方面への乗り継ぎは不可能である。

H印=白鳥号の車両(485系)で運転 SH印=スーパー白鳥号の車両(789系)で運転 他はE751系の6両編成で運転されるけど、列車によって485系で代行運転されることもある。

つがる号のE751系の車内の案内 グリーン車 6号車の一部 普通車指定席 1、4、5号車、6号車の一部 普通車自由席 2、3号車(つがる43号車は1号車も自由席となる) 喫煙車 2、4号車 トイレ・化粧室 2、4、6号車 6号車のトイレは車椅子対応 列車電話 5号車 多目的室、車椅子対応座席 6号車

江差線の路線 函館~五稜郭~七重浜~東久根別~久根別~清川口~上磯~茂辺地~渡島当別~釜谷~泉沢~札苅~木古内~渡島鶴岡~吉堀~神明~湯ノ岱~宮越~桂岡~中須田~上ノ国~江差

木古内~江差間は、1日6往復しか来ない閑散区間となっている。 木古内発 6:43(始発)、8:10、11:27、15:01(始発)、17:35、20:47 江差発 6:44、8:12、10:08(木古内止まり)、13:13、16:16(木古内止まり)、19:00

江差線のローカル列車は、キハ40型DCが使用されている。

江差線は、1913(T2)年9月15日 前身の上磯軽便線として、五稜郭~上磯間が開業したのが始まりである。 1922(T11)年9月2日 上磯線に線名変更 1930(S5)年10月25日、上磯~木古内間開業 1935(S10)年12月10日 木古内~湯ノ岱間が開業し、翌年の(1936(S11)年11月10日に、湯ノ岱~江刺間が開業したことにより、江差線となる。

1988(S63)年3月13日、五稜郭~木古内間電化。 函館~木古内間の列車でも気動車が継続使用されている。

1988(S63)年1月31日まで、木古内駅から松前線という路線が出ていたこともあった。 こちらは、津軽海峡線と入れ替わる形で廃止。 松前城へのアクセス路線でもあった。

路線 木古内~森越~渡島知内~重内~湯ノ里~千軒~渡島福島~白符~渡島吉岡~渡島大沢~及部~松前

湯ノ里駅跡は、知内駅 渡島吉岡駅跡は、吉岡海底駅付近にある。 青函トンネル建設中は、渡島吉岡駅に青函トンネル建設基地が設置されていた。

松前線は、1937(S12)年10月12日、福山線として、木古内~渡島知内間が開業。 1938(S13)年10月21日に、基盤坂(のちの千軒)、1942(S17)年11月1日、渡島吉岡、1946(S21)年12月15日に渡島大沢まで、1953(S28)年11月8日に松前まで延長され、松前線となる。

1988(S63)年1月31日に惜しまれて廃止されたのである。特に、渡島大沢~松前間は、わずか35年間の短命だった。 末期はキハ22型車両が使用されていた。
この列車は函館まで直通していた。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-25 13:18 | 鉄道車両・路線
将来的に新青森から新函館経由で札幌を結ぶ北海道新幹線(整備新幹線の対象路線)のうち、新青森~新函館間の工事が着工されてから5月22日で1年が経ちました。

新青森~新函館間は、途中既存の青函トンネルを通ることになっており、標準軌・狭軌の3線軌条化が行われることになる。新函館までは、2015年度中に開業予定。これが実現すれば、東北新幹線との直通運転により、東京や仙台などから乗り換え無しで北海道まで行けることになる。

青函トンネルは、1988(S63)年3月13日、海峡線の路線として開通。 こちらは新幹線規格で作られたトンネルとなっており、日本一長い鉄道トンネルとなっている。長さは53.85Km 途中に竜飛海底、吉岡海底駅があるけど、吉岡海底駅のほうは、北海道新幹線の建設工事に伴い、資材置き場となっているので、見学は中止となっている。

ドラえもん海底ワールドのほうも、今年8月27日をもって打ち切りとなり、781系ドラえもん海底列車の運用もファイナルとなる。

JR北海道の781系のほうは、札幌~旭川間の特急ライラック、札幌~室蘭間の特急すずらん号で走っているけど、今年度より新型車両に置き換えられる予定となっている。 2002(H14)年3月16日の改正までは、快速エアポートとして新千歳空港に乗り入れていたけど、現在は785系スーパーホワイトアローの車両に変わっている。

北海道新幹線の路線 新青森~奥津軽~(青函トンネル)~木古内~新函館…(新八雲)…(長万部)…(倶知安)…(新小樽)…(札幌)

奥津軽、新函館、新八雲、新小樽の駅名は仮称。

奧津軽駅は、海峡線の津軽今別駅・津軽線の津軽二股駅のある位置 新函館駅は、函館本線の渡島大野駅のある位置に出来る予定。

新函館駅が出来る予定の渡島大野駅は、函館市郊外の北斗市にある。 北斗市は、今年2月1日に、上磯郡上磯町、亀田郡大野町が合併して誕生した市である。

東北新幹線の八戸~新青森間は、2010年度中に開業予定となっている。 新青森駅は、青森駅の手前の奥羽本線の駅として、1986(S61)年11月1日に開業している。

八戸~新青森間には、途中、七戸駅(仮称)が出来る予定。 七戸~新青森間には、世界最長の陸上トンネルである八甲田トンネル(26455m)が出来ることになっている。このトンネルは貫通済である。

営業路線としての世界最長陸上トンネルのほうは、東北新幹線のいわて沼宮内~二戸間にある岩手一戸トンネル(25808m)となっている。

七戸駅といえば、かつて南部縦貫鉄道の終着駅として知られていた。 南部縦貫鉄道は、野辺地駅と七戸駅を結んでいた路線で、1962(S37)年10月20日に千曳(のちの西千曳)~七戸間が開通。1968(S43)年8月には、東北本線の線路付け替えにより、西千曳~野辺地間開通。1997(H9)年5月5日に運転休止。 以後再開すること無く、2002(H14)年8月1日をもって廃止されたのである。

西千曳~野辺地間は、東北本線の旧線が転用されていた。

路線 野辺地~西千曳~後平~坪~坪川~道ノ上~天間林~中野~農業大学校前~盛田牧場前~七戸

ここを走っていた車両は、キハ101、102、104号車の3両で、キハ101、102号車のほうは、1962(S37)年の開業とともに登場した元祖レールバスとして有名であった。

南部縦貫鉄道を走っていた元祖レールバスは、バスの部品を再利用した上で製造された車両で、鉄道車両でありながら、路線バスと同じ感覚で運転されていたのである。この時にギアチェンジする風景などが見られていたのである。製造メーカーは、富士重工。
車内は、ロングシートとなっている。

レールバスの助っ人であったキハ104号車のほうは、1980(S55)年に旧国鉄で走っていたキハ10型が譲り受けられた車両で、レールバスとともに人気車両となっていた。この前は、1963(S38)年から1980(S55)年まで、キハ103号車(元筑波鉄道キハ302号車)が走っていた。

これらの車両は現在でも解体されずに動態保存されており、年1回開催されるイベントで走る姿を見ることが出来る。 

京成の赤電に準じた塗装となっているのは、当初京成電鉄によって資本提携されていたからである。

南部縦貫鉄道の社名は、2004(H16)年に南部縦貫に社名変更されている。

今年4月11日に映画「アオグラ」の撮影が、旧七戸駅構内で行われていた。 この時に、十和田市駅に見立てて撮影されており、レールバスの走行風景も撮影されていた。

青森県の動態保存DCといえば、2001(H13)年3月31日をもって廃止された下北交通のキハ85型(旧国鉄キハ22型)DCも挙げられている。

こちらは、1939(S14)年12月6日に、大畑線として、下北~大畑間が開業。 大湊線の下北駅も、この時に開業していた。

1985(S60)年7月1日、青森県のバス会社である下北交通に引き継がれ、下北交通大畑線となる。

2001(H13)年3月31日に廃止され、下北交通は再びバス会社となった。

大畑線の路線(現役当時) 下北~海老川~田名部~樺山~陸奥関根~川代~正津川~大畑
樺山駅は、1995(H7)年から2001(H13)年に廃止されるまでの間冬季(12月1日~3月31日)休業の駅となっていた。 

大畑駅は、本州最北端の駅として有名だったけど、現在は、下北駅が本州最北端の駅となっている。

大畑駅からは、下風呂から通り、大間まで行く大間線の計画もあったけど、青函トンネルの東ルート計画と共に中止されてしまったのである。 下風呂温泉には、未成線として終わった路盤後が遊歩道として再利用されている。
北海道側では、戸井線(五稜郭~戸井間)が東ルートとして使用されるはずの路線となっていたけど、こちらも未成線として終わっている。

大畑線で活躍していたキハ85型DC(JR東海のワイドビューひだ、南紀とは無関係)3両は、国鉄時代、キハ22-149、150、151号車として活躍していた。この時にトイレが撤去されていた。 

筆者は、2000(H12)年7月2日に乗車。ウィークエンドフリーきっぷが廃止されたので使い納めのついでの乗ったのである。 

現在は3両共に解体されずに、旧大畑駅構内で動態保存されているので嬉しいという声が聞こえている。

そのうちのキハ85-2号車は、旧国鉄のツートンカラーに復元されており、キハ22-150号車の表示も復元されている。

こちらの運転は、定期的に行われており、今年は4月から11月までの第三日曜日に運転されている。 今月は5月21日に運転されたけど、この次は6月18日に予定されている。

ここでは、車掌車として使用されていたヨ8000型も加わり、キハ22型DCとヨ8000型車掌車とのコンビネーションで運転されるようになった。この時に、普段乗ることが出来ない車掌車にも乗車出来るのである。

ヨ8000型車掌車は、1974(S49)年から1979(S54)年まで製造された最後の車掌車で、石油ストーブおよびユニット式のトイレが取り付けられているのは特徴である。

キハ85-3号車(旧キハ22-151号車)の車内では、鉄道模型のレイアウトがあり、この車内で運転会が行われている。この時に、狭い車内に作られたということで凄いな!と思いました。

このブログでは、最新の鉄道・車両はもちろんのこと、過去の鉄道や車両のことに触れていく予定です。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-24 12:01 | 鉄道車両・路線

485系きぬがわ号

この日は、485系のきぬがわ号で、新宿から栃木まで行きました。

ルート 目白~新宿~栃木~南宇都宮…宇都宮市文化会館~新越谷~北千住~日暮里~目白

新宿から栃木までは、JRの485系によるきぬがわ3号に乗りました。 この時には、2号車の10Dの座席。

この485系のほうは、昨年7月から9月にかけてあいづ号として新宿~郡山~喜多方間で運転されていた。 筆者は9月18日に大宮から新宿まで乗車。 あいづ号の運転が終了した後に再改造され、現在の形となった。

編成は、東武日光・鬼怒川温泉方から クハ481-1017+モハ485-1058+モハ484-1058+モハ485-1055+モハ484-1055+クハ481-334号車となっており、1号車のクハ481-1017号車は、昨年のあいづ号としてのリニューアル化と同時に半室グリーン車の車両から普通車に再改造されていた。 半室グリーン車時代は、クロハ481-1014号車となっていた。

こちらは、2002(H14)年11月まで、青森運転所(現、青森車両センター)所属で、盛岡~青森間の特急はつかり号などで使用されていた。ATC装置が無かったので函館への乗り入れが出来なかった。

2002(H14)年12月の改正ではつかり号が廃止され、仙台電車区(現仙台車両センター)に転属。 この時から485系ビバあいづに代わり、特急あいづ号として活躍するようになった。 こちらは国鉄色のリバイバルとなったけど、グレードダウンを余儀なくされていた。

ビバあいづ号として活躍していた編成は、6両編成のうちの4両編成が勝田電車区(現、勝田車両センター)に転属され、団臨用に転用。当時はビバあいづカラーのままで使用されていたけど、現在は新塗装に変更されている。

特急あいづ号は、2003(H15)年10月1日に快速(あいづライナー)に格下げとなり、翌年の2004(H16)年に455系による無名の快速列車に置き換えられていた。

ここで余剰となった485系が改造されてあいづ号として暫定デビュー、のちに東武直通用車両として再登場したのである。

今年3月18日のスーパー白鳥号の増発により、JR東日本の485系の運用が4運用から3運用に減少。 これを受けてATC無しのリニューアル車である1編成4両(クロハ481-3020+モハ485-3056+モハ484-3056+クハ481-3350)は、新潟車両センターに転属。

青森の485系のうち、ATC装置の無い編成は、臨時つがる号およびE751系の代走で活躍している。

E751系といえば、2000(H12)年3月11日から2002(H14)年11月30日まで、盛岡~青森間のスーパーはつかり号で走っていた。 現在は、八戸~青森、弘前間のつがる号で使用されている。

789系は、2002(H14)年12月1日にスーパー白鳥としてデビュー。 今年3月18日に基本編成の6両化および増発され、青森発八戸行きのつがる6号に使用されるようになった。つがる6号は、土曜日を中心に弘前始発となる日もある。

青森に唯一残っていた国鉄色の485系1編成(A3編成、クロハ481-1013+モハ485-1032+モハ484-1032+モハ485-1077+モハ484-1077+クハ481-1016)が、仙台車両センターに転属。 こちらは、リニューアル化の上、7月から9月まで運転される予定のあいづ号に使われることになる。

この編成は、ATC付きの485系のうち、唯一リニューアル化されていなかった編成で、2002(H14)年11月30日のはつかり号の廃止とともに定期運用から離脱。 臨時列車および車両操りの関係で、時々使用されていてファンの目を楽しませてくれた車両となっていた。

これによって、青森、函館エリアで、国鉄色の485系の運用が無くなったのである。

つがる運用の時は、岩木山とリンゴをモチーフにしたHMで、白鳥運用の時は、2001(H13)年3月2日まで、日本海縦貫線(大阪~青森間)で走っていた旧白鳥号と同じHMとなっていた。

こちらは、寝台特急日本海1、4号の函館乗り入れと共に過去のものとなった。

この485系の東武乗り入れ仕様編成に乗ったのは、昨年9月のあいづ号に続いて2度目となりました。

3月18日の日光1号の出発式の時は、3番線では無く、5番線で行われていた。

内装、トイレの改良等は、あいづ号として運転される前に行われていた。 トイレのほうは、洗面所部分に男子用小トイレの新設、洋式化されていた。 洋式化された時に、和式トイレの段差の後が残っていたので、和式トイレから改造されたということが分かります。

田町の185系の先頭車のトイレも洋式化された時にこうなっている。

あとはデッキ部分の隙間が埋められていた。

蕨駅付近では、EF58-61号機とすれ違いました。 EF58-61号機は、田端運転所所属の茶ガマで、イベント用として使用されている。

その他のEF58の動態保存機は、JR東海(静岡車両区)所属のEF58-122、157号機(青色)、JR西日本(宮原総合運転所)所属のEF58-150号機(茶色)がある。

EF58型の全盛期には、あさかぜ号などのブルートレインの牽引にも盛んに使用されていた。

新生鉄道博物館には、EF58-89号機が展示される予定となっている。

大宮を出ると、宇都宮線区間に入りました。 久喜駅では、東京メトロの08系、東急の8500系が止まっていたので、久喜駅が賑やかと成っていました。 半蔵門線直通列車の久喜への乗り入れおよび日光・鬼怒川直通特急の運転開始から早2ヶ月経ったのである。この光景は定着している。

東鷲宮駅付近には、新幹線に接続する幻の高架線がある。あとは、駅周辺に東鷲宮百観音温泉という温泉施設がある。

栗橋駅では、2分間の運転停車。 この後、セクション通過により室内灯が消えていた。 ここからは東武線に入ったので、初めてJR車両で東武線を通ったのである。 

今回も栃木までの乗車となってしまったけど、この次は日光または鬼怒川まで行きたいと思っています。

栗橋駅の次は、新古河駅。 新古河駅は、茨城県の古河市ではなく、埼玉県の北埼玉郡北川辺町にある。この区間では右カーブを曲がり、利根川を渡っている。

新大平下駅では、6050系の区間快速列車を追い抜いていたため、JR車両が東武車両を追い抜くというこれまで有り得なかったシーンを見ることが出来た。 反対側でも特急電車の通過町が行われており、こちらは浅草行きの100系スペーシアとなっていた。

栃木駅に到着。 この後は、6050系の区間快速ではなく、この後の81113Fの6両固定編成による普通新栃木行きで新栃木まで行きました。

この6050系の区間快速は、これまで快速として通過運転となっていたけど、東武動物公園駅より先が各駅停車となりスピードダウン化されてしまったということで不満の声が出ている。

快速列車は、午前中にしか残らなくなった。

この普通列車は、南栗橋~新栃木間の列車で、南栗橋発着の半蔵門線直通列車に接続している。このことは、久喜~館林・太田間の列車でも同様である。

新栃木駅では、300系による、臨時特急きりふり240号を見ることが出来ました。 こちらは浅草~東武日光間の特急となっている。 
300系(6両編成)のほうは、尾瀬夜行やスノーパルでも使用されているので、浅草寄りの1号車にピンク色の女性専用車のステッカーがある。この女性専用車両は、夜行列車のみに設定されている。
特急きりふり号は、平日の夜間に1本のみ(浅草→南栗橋間)で運転されているけど、明るいうちに運転される特急きりふり号は、臨時列車のみとなっていうr。

新栃木駅は、車両基地(南栗橋車両管理区新栃木出張所)のある駅で、東武6050系、350系、5050系が配置されている。

以前新栃木駅に特急スペーシアが停車していたけど、栃木駅へのシフトにより、浅草22時発のスペーシアけごん239号、新栃木6:10発のスペーシアけごん200号のみが停車している。 どちらも新栃木発着となっているけど。

新栃木に停車する特急は、300系、350系使用の特急で、定期では、350系使用の特急しもつけ号のみとなっている。

新栃木から南宇都宮まで、30000系の31413Fに乗車。 こちらも半蔵門線直通で使用されていた車両である。 今回は5050系には乗車出来なかったけど、4月2日に乗車出来てよかったです。31412Fの地上線転用により、5050系の運用範囲がさらに縮小されたと思われます。

南宇都宮駅からは、宇都宮市文化会館まで行き、ここで、後藤真希・美勇伝・辻希美が出てくるハロ☆プロパーティ!という合同ライブを見物しました。

この後は、新越谷まで友人の車に乗せてもらい、新越谷から北千住まで、10000系11604Fによる区間急行で行きました。

北千住から日暮里まで、415系の7+4の11両編成に乗車。 編成はK517(クハ411-121F)+K805(クハ411-505F)。

このK805編成には、モハ415・モハ414・サハ411の715号車があったので、モー娘。の久住小春ちゃんの誕生日である7月15日を思い出しました。 

415系の700番台のほうは、1985(S60)年に開催された科学万博つくば85開催に伴う輸送力増強により、1984(S59)年に増備された中間車である。

あとは道重さゆみちゃんの誕生日の番号である713号車のほうは、サハ411-713号車のみが廃車となっている。

日暮里から目白までは山手線で帰りました。

直通特急の定員 485系の6両編成は、319名 100系スペーシアの6両編成は、288名と、スペーシアのほうが少なくなっている。 やはりグリーン個室や3号車のビュッフェ設備があるという影響でこうなっている。

6月5日から10日まで、普段485系で運転される日光1、8号 きぬがわ5、4号が、東武の100系スペーシアで代行運転され、普段見ることの出来ないスペーシア日光の表示を再び見ることが出来るようになる。 この時には、グリーン個室の発売も行われることになる。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-22 16:38 | 鉄道乗車記

東武博物館

この日(5月20日)は、東武博物館で行われた観光パンフレットと沿線案内展に行ってきました。 

ルート 目白~新宿~市ヶ谷~小川町…(交通博物館跡)…秋葉原~亀戸~曳舟~東向島~北千住~春日部~大宮~武蔵浦和~池袋

新宿では、485系によるきぬがわ3号を見た後、都営新宿線の急行で市ヶ谷へ。 この時に乗った編成は10-400Fであった。 現在都営新宿線の10-300系が大増殖している状態である。 市ヶ谷から小川町まで、10-000系(10-240F)に乗車。 こちらは、1989(H1)年3月19日の本八幡延長の時に導入された車両となっている。

今年7月1日から9月30日まで、この夏も会津へ2006キャンペーンが行われることにより、再び485系による特急あいづ号が運転されることになっており、青森車両センターから仙台車両センターに転用された485系からリニューアル改造されて使用されることになる。 このキャンペーンが終わった後の動向が気になります。

昨年はご存じの通り、あいづ号としての運用が終了した後、再改造されて東武直通特急(日光号、きぬがわ号)に使用されている。

このリニューアル車は、赤色と黒の塗装で、あかべぇが描かれる。

キャンペーン期間中の平日は、仙台あいづ号として、仙台~喜多方間で運転される。

特急あいづ号は、7月29日から9月30日までの土曜・休日(8月12、13日は除く)に、上野~喜多方間で運転されることになっている。

上野 7:26発→喜多方 11:38着 喜多方 17:02発→上野 20:31

昨年は新宿発着だったけど、今年は上野発着ということで、1993(H5)年11月30日まで運転されていた特急あいづ号と同じルートとなる。 

交通博物館の跡地=屋外展示車両の部分には、カバーが掛かっていた。 エントランスのシンボルであるSL(D51-426号機)や新幹線(0系)の前頭部もカバーに覆われていた。

交通博物館には、1970(S45)年9月末まで、鉄道友の会の事務局があったのである。 設立以来交通博物館の支援が行われていたということで、鉄道友の会から交通博物館に感謝状が贈呈されていた。

今から4年半前の2001(H13)年10月に、交通博物館開館80周年記念として、万世橋駅跡の遺構が公開されていたこともあった。

秋葉原から亀戸までE231系で移動。 ここで周辺にある亀戸サンストリートに立ち寄った後、東武亀戸線で曳舟まで行き、曳舟から東向島まで30000系の31613Fで移動。

東武亀戸線で乗った車両は2両編成の8575F。

東武博物館は、1989(H1)年5月20日に東向島駅の高架下に開館した、東武電車・バスを扱う博物館で、今年で17年を迎えた。 

東向島駅は、1902(M35)年4月1日、吾妻橋(現、業平橋)~北千住間の開業と共に出来た駅で、開業当時は、白髭(しらひげ)駅となっていた。1905(M38)年7月15日に営業休止、1908(M41)年4月4日に、一旦廃止された。 1924(T13)年10月1日、玉ノ井駅として営業が再開されたけど、1945(S20)年5月20日に東京大空襲により被災したために再び営業休止。 1949(S24)年10月1日に営業再開。

1987(S62)年12月21日に東向島駅に改称されて現在に至る。

東向島駅の表示に、旧玉ノ井の表示があるので、以前玉ノ井駅であったということを実感させられている状態である。

高架化完成は、今から39年前の1967(S42)年8月20日のこと。下り線は、1966(S41)年3月1日に、上り線は、翌年の1967(S42)年2月21日に高架化されていた。

やはり水戸街道(国道6号線)・明治通りと交差する部分ということで立体化されていた。 

1936(S11)年までは、京成白髭線という路線が乗り入れていたのである。

京成白髭線は、京成電気軌道の路線として、1929(S4)年4月7日に、向島~白髭間に開業していた。 こちらは、隅田川を越えた三ノ輪橋まで結ばれ、王子電気軌道(現在の都電荒川線)と直通運転されるという計画もあった。

路線は 向島~長浦~京成玉ノ井~白髭 

向島駅で、京成押上線 京成玉ノ井駅で東武線に連絡していた。

廃止されたのは、1936(S11)年1月27日のこと 開業から僅か8年で廃止された短命路線となった。

京成の向島駅は、京成押上線の京成曳舟~八広間にあった駅で、1943(S18)年10月に休止され、1947(S22)年3月1日に廃止されている。

東武博物館に展示されている主な車両は、B1型5号蒸気機関車、デハ1型5号電車、5700系5703号車カットボディ、ED5010型(ED5015号)電気機関車、日光軌道線200型203号車、1720系1721号車、日光交通明智平ロープウェイ2号搬器、キャブオーバーバス

水戸街道を挟んだところには、B1型6号蒸気機関車が屋外展示されており、保存エリアはSLスクエアと呼ばれている。

B1型5号機関車は、1898(M31)年にイギリスから輸入された蒸気機関車で、翌年の1899(M32)年8月27日に、北千住~久喜間が開業した時から使用されている。 こちらは、1965(S40)年に廃車。 5号機は、輸入当時に復元され、東武博物館の屋内に展示されている。 こちらは東武鉄道記念物に指定されている。
こちらは、1日に4回、車輪の回転の実演が行われているので、SLファンにはたまらないという状態となっている。

デハ1型5号電車は、1924(T13)年10月1日に、浅草(現、業平橋)~西新井間が電化された時に登場した木造の電車(東武初の電車)となっている。 その車内にも入ることが出来る。

5700系電車は、1951(S26)年に登場した元特急用車両で、1991(H3)年7月20日まで活躍していた。末期は団臨用として使用されていた。

5703号車の運転台は、アルナ工機(現、アルナ車両)で保管されていたけど、現在は東武博物館に保存されている。現在HMはさようならツアーのものが取り付けられている。

ED5010型電気機関車は、1984(S59)年まで、東武東上線の貨物列車の牽引で活躍していた電気機関車である。 保存されているのはED5015号機で、坂戸機関区に所属していた。
 この時には、さよなら貨物列車のHMが付いていました。

日光軌道線200型203号車は、1968(S43)年2月24日の廃止まで活躍していた連接電車であり、3編成在籍していた。 登場したのは、100型単行電車と同様、1954(S29)年のことだった。

100型電車は、廃止後10両全車が岡山電気軌道に譲渡されたけど、その一部では日光軌道線時代の塗装が復元されている。

200型電車のほうは、約14年間の短い活躍となってしまったので、1969(S44)年に廃止された東急玉川線(玉電)で走っていた200型電車と同様の運命となってしまった。
 そのうちの203号車は、東武博物館で展示されているのである。

玉電のほうの200型車両のほうも、宮崎台駅付近の電車とバスの博物館に保存されている。

清滝駅は、古河電工の日光事業所の構内にあった駅で、その駅の跡は、古河電工関係者以外は立ち入り禁止となっている。

古河電工(正式名称は古河電気工業)は、東京丸ノ内に本社のある光ファイバー、半導体、電線、非鉄金属などを扱う大手企業である。 

日光軌道線は、1910(M43)年8月10日、日光電気軌道により、日光停車場前~岩ノ鼻間に開業したのが始まりだった。

1913(T2)年10月15日には、車返(のちの馬返)まで開通。

日光電気軌道は、当時の日光町と古河合名(現在の古河電気工業)との合弁会社として設立されていた。

1947(S22)年5月31日には東武鉄道と合併されていた。 

1968(S43)年の廃止当時は、モータリゼーションの時代だったから仕方がなかったけど、現在でも走っていればLRT化されていたところだったかもしれなかったです。

やはり既存の路面電車のLRT(ライトレール)化も進められている状態なので。

日光軌道線では、1947(S22)年から、国鉄から譲受されたED40型電気機関車2機が、古河電気工業日光電気精銅所への軍需輸送として使用されていたことがあった。 こちらは、ED601号機とED602号機。 そのうちのED602号機は、廃止後国鉄ED4010号機に復元され、生まれ故郷である大宮総合車両センターに保管されている。

ED40型電気機関車は、1919(T8)年から1923(T12)年まで、大宮工場で製造された横川~軽井沢間の碓氷峠区間専用のアプト式電気機関車として活躍していた。 

このED4010号機は、来年10月14日に開館予定の新生鉄道博物館で展示される予定となっている。あとは、交通博物館にあったED40型の大型模型も展示される予定となっているし。

現在は宇都宮でもLRT(ライトレール)を走らせようという運動が起きている状態である。

東武のデラックスロマンスカーとして活躍していた1720系1721号車は、運転台部分に入ることは出来ないけど、運転台部分を眺めることも可能である。

日光交通明智平ロープウェイの2号ゴンドラ。 明智平ロープウェーは、明智平~展望台間を結ぶロープウェイとなっている。

1970(S45)年3月末まで、東武日光鋼索鉄道(ケーブルカー)が、馬返~明智平間で運転されていたこともあった。こちらは、馬返駅で、東武の日光軌道線に接続していた。

明智平ロープウェイのほうも東武鉄道による運営だったけど、1985(S60)年に系列の日光交通に譲渡されている。

日光交通では、東武日光・鬼怒川温泉拠点の定期観光バス、奥日光戦場ヶ原の赤沼から中禅寺湖畔の千手ケ原を結ぶ低公害バスの運用、日光・鬼怒川、宇都宮地区のタクシーの運用も行われている。

低公害バスのほうは、日野自動車のハイブリッドバスが使用されている。このバスが通る路線は、一般車の乗り入れが禁止されている。やはりマイカー等による自然の破壊が深刻となっているので。

キャブオーバーバスは、エンジンのボンネット部分の横に運転席を設け、その後ろの車体すべてが客室となっているタイプのバスとなっていた。 こちらはエンジンにカバーが付いていたことにより、騒音や発熱の面で不利であった。車体は富士重工製で、日産のエンジンが搭載されていた。
 
このバスの車体に入ることが出来たけど、昔のバスは天井が低かったです。筆者がこの車内で立ってみたところ、拳1個分くらいの頭上空間しかありませんでした。

観光パンフレット&沿線案内展では、昔の案内・路線図等がありました。 東武だけでなく、京急や京王などの路線図も展示されていた。こちらの展示は、9月24日まで行われている。

東武博物館では、本館と特別展示室との間には、電車の床下部分を眺めることの出来るウォッチングプロムナードがある。 2003(H15)年3月18日までは、東武の電車が当たり前だったけど、2003(H15)年3月19日に地下鉄半蔵門線との直通運転が開始されてからは、メトロの車両(8000系または08系)、東急の車両(8500系または5000系)も見られるようになったことにより、賑やかとなった。 今年3月18日に直通運転列車が増発されてからは見られる機会が増えたのである。

模型パノラマのほうは、関東平野に広がる東武がテーマで、パノラマショーが行われている。 このパノラマショーを見たのはいいけど、途中で止まってしまったのが残念でした。ここのスタッフは、申し訳ありませんでしたと謝罪の言葉を述べていた。

あとはドイツの模型パノラマも展示されているのは特徴である。

博物館ホールへは、特別展示コーナーの奧に入り口がある。 ここでは、昨年7月9日に東武博物館館長である花上嘉成氏による講演会が行われていた。 あとは、一昨年の鉄道友の会の東京支部総会もここで行われていたこともあった。

昨年7月9日の講演会では、東武のヘッドマークに関するエピソードのほか、昨年度に導入された50000系の内訳を知ることが出来たのである。 この時に、50000系が半蔵門線直通列車にも使用されるということを初めて知った。 昨年度導入された50000系列は、東上線用が1編成(51002F)、半蔵門線直通用の50050系が、6編成(51051~51056F)

この50050系は、3月に51051、51052Fが営業運転入りしていたけど、5月5日から51056Fが56Tで営業運転開始されたのである。 このように、順不同で営業運転が開始されたことになる。
これに伴い、31612+31412Fが、地上線用に戻されたのである。

この見学を終えた後、北千住まで31613Fの普通列車に乗りました。 こちらは、3月18日のダイヤ改正で登場した浅草~北千住間の区間運転列車である。 

31613Fのほうは、30000系の地上運転転用の第一号の編成であり、4月22日に北千住~西新井間でも乗っている。

北千住から春日部までは、6050系による区間快速に乗車。 こちらは前の4両(2+2)が東武日光行き、後ろの2両が会津高原尾瀬口行きとなっていた。 区間快速のほうは、東武動物公園より先の区間が各駅停車となったことにより、スピードダウンしてしまったのである。 

東武日光19:52、会津田島18:09発の列車は、6050系使用の区間急行浅草行きとなっている。

浅草~新栃木間の区間急行には、6050系も使用されており、6050系の新栃木への出入庫列車となっている。 3月17日までは準急として運転されていた。

この時の編成は、6151+6169+6165F。6151Fは、1985(S60)年に導入された6050系のトップナンバー。

6050系が営業運転開始されたのは、1985(S60)年11月15日のことで、昨年20周年を迎えたのである。

6000系から6050系への車体載せ替えは、1985(S60)年から1986(S61)年に掛けて行われていたので、車体更新が終了するまでの間は、6000系と6050系との混結運転も行われていたのである。

6000系は、1964(S39)年から1966(S41)年に掛けて2両22編成44両製造されていた。 前面スタイル、足回り品は8000系に準じており、塗装は茶色(チョコレート色)で冷房装置が無かった。

この6000系のさよなら運転は、1986(S61)年9月21日の930列車(東武日光発普通新栃木行き)で行われていた。

1988(S63)年から1990(H2)年にかけて製造された6050系の増備車は、足回り品まで完全新製となっている。

春日部に到着した時は、雨がひどくなっていました。

春日部駅の野田線のホームには、春日部ラーメンという店があるけど、ここのラーメンは、鶏を丸ごとじっくり煮込んだあっさりしょうゆ味のスープに、固めの中細ストレート麺が入っているので人気の立ち食いラーメン店となっており、天ぷらやコロッケをチョイスすることが出来る。 

食べてみたけど美味しかったです。 ある客は、立ち去る前に、美味かった!と言っていたところを見たのである。

ここのラーメンは400円からでリーズナブルであり、これには、ワカメ、メンマ、ナルト、チャーシュー、薬味ネギが入っている。 チャーシューは、長時間煮込まれていて柔らかい状態である。

ナルトとは、ラーメンに入っている練り物の一種で、鳴門海峡の渦のような模様が入っている。

そこの店の人は親切で、店を離れるときに気をつけてね!と言ってくれたのである。

春日部といえば、クレヨンしんちゃんの街としても有名である。

立ち食いラーメン店では、西新井駅構内の西新井ラーメンや、高崎駅のたかべんなどが有名である。 高崎駅のラーメンも350円ということで安くて美味しいラーメンとなっている。

春日部から大宮まで、東武野田線で移動。 この時に乗った車両は、81108F+8567Fによる6両編成。

東武野田線では、朝のラッシュ時に柏寄りの先頭車が女性専用車両となる。 つくばエクスプレスと同様、6両の短い編成に女性専用車が導入されるということで男性客から不満の声が高まっている。

こちらは春日部始発。 一昨年10月の改正以前は大宮~東岩槻間の区間運転の列車だった。東岩槻~春日部間の複線化により、大宮~春日部間で列車が増発されたのである。

あの後は、大宮から埼京線で帰りました。この時は宇都宮線でダイヤが乱れていた。

この日、大宮ソニックシティホールで、なっちこと安倍なつみのコンサートが行われていた。

東武伊勢崎線は、1899(M32)年8月27日に、北千住~久喜間に開業したのが始まりで、当時は蒸気運転が行われていた。 こちらは、東武鉄道の発祥路線である。

1902(M35)年4月1日には、北千住~吾妻橋(現、業平橋間)が開業。 同年9月6日には、久喜~川俣間が開業。当時の川俣駅は、利根川南岸にあった。

1904(M37)年4月5日、現在の亀戸線部分である曳舟~亀戸間開業 当時は、総武鉄道(現JR総武本線)両国橋(現、両国)までの直通運転が行われていた。同年4月27日に吾妻橋~曳舟間休止

1907(M40年)年8月27日には、川俣~足利町(現、足利市)間が開業。 川俣駅が現在地に移転。 路線は群馬県へ。

1908(M41)年3月1日 吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開。

1909(M42)年2月17日 足利町~太田間開業

1910(M43)年3月27日 太田~新伊勢崎間開業。 同時に浅草(現、業平橋)~曳舟間が旅客線化され、吾妻橋駅から浅草駅に改称される。 亀戸から両国橋への直通運転はこの時をもって廃止された。

同年7月13日 新伊勢崎~伊勢崎間開業。 

1923(T12年)7月1日、荒川放水路開削により、西新井~鐘ヶ淵間でルート変更。

1924(T13)年10月1日、浅草(現、業平橋)~西新井間電化。 翌年の1925(T14)年には、西新井~越ヶ谷(現、越谷)間も電化。

1926(T15)年10月1日、越ヶ谷~粕壁(現、春日部)間電化 同年12月16日には、粕壁~久喜間も電化

1927(S2)年4月1日、久喜~館林間電化。 同時に、杉戸(現、東武動物公園)~羽生間が複線化されていた。

同年10月1日に、館林~伊勢崎間が電化され、東武伊勢崎線が全線電化。

1931(S6)年5月25日、浅草雷門~業平橋間開業。 同時にこれまでの浅草駅が業平橋駅に改称された。

1943(S18)年12月31日までは、この間に隅田公園駅があった。

1945(S20)年10月1日、現在の浅草駅となる。

北千住~牛田間、1924(T13)年10月1日から1953(S28)年まで、中千住駅があったのである。のちに中千住信号所に格下げされて廃止となった。

東武日光線は、1929(S4)年4月1日に杉戸(現、東武動物公園)~新鹿沼間、同年7月7日に、新鹿沼~下今市間、10月1日には下今市~東武日光間が開業したため、その年のうちに3回に分けて開通した路線となっている。

東武線の複々線化

北千住~竹ノ塚間 1974(S49)年7月2日

竹ノ塚~草加間 1988(S63)年8月9日

草加~越谷間 1997(H9)年3月25日

越谷~北越谷間 2001(H13)年3月28日

押上(業平橋)~曳舟間 2003(H15)年3月19日

東京メトロ日比谷線との直通運転区間 1962(S37)年5月31日の直通運転開始時 北越谷~北千住~人形町間

1963(S38)年2月28日には、東銀座 1964(S39)年8月29日には中目黒まで延長。

1966(S41)年9月1日 北春日部駅開業と同時に直通運転区間が北春日部まで延長。

1981(S56)年3月16日 東武動物公園(旧杉戸)まで延長されて現在に至る。

平日の朝には、南栗橋から日比谷線直通で中目黒へと向かう運用が1本存在している。
こちらは東武20000系列使用の837Tが唯一の南栗橋始発(南栗橋8:08発)の日比谷線直通列車となっているけど。 逆に、日比谷線からの南栗橋行きの列車は設定されていない。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-21 00:58 | 鉄道の博物館
今年9月に、13号線対応の10000系車両が、有楽町線に先行導入されるということが発表されました。

この10000系車両は、2007(H19)年度までに10両編成20本200両導入されることととなっており、スタイルが05系の最新増備車および東葉高速鉄道の2000系に準じた日立製のA-TRAIN規格となる。

前面スタイルは、丸みを帯びた形となり、帯の色は、13号線のテーマカラーである黄土色、黄色、白となる。車体は、アルミ合金製が踏襲されている。

こちらは、1992(H4)年に導入された07系以来14年ぶりの新車となる。

この車両は、快適性や使いやすさ、リサイクル性の向上、火災対策の強化、車体強度の向上、コストダウン、低メンテナンスがコンセプトとなっており、07系と比べて進化している。

07系と比較して 天井高さ 2230mm→2415mm(+185mm)
冷房能力 48.8kW→58.1kW(+9.3kW)
床面高さ 1150mm→1140mm(-10mm)
座席幅 450mm→460mm(+10mm)

床面の高さが低くなることにより、ホームとの段差が縮小されることになる。

車内には、東京メトロ初となる液晶画面表示器が導入されることになる。 

この第一編成は、5月29日に下松(山口県)を出発し、綾瀬まで輸送されることになっている。

綾瀬からは、霞ヶ関と桜田門間にあるトンネルを通り、有楽町線入りすることになる。

地下鉄13号線の路線 池袋~渋谷間は2008年3月開業予定。

(東武東上線へ直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~新線池袋…(雑司ヶ谷)…(西早稲田)…(新宿七丁目)…(新宿三丁目)…(新千駄ヶ谷)…(明治神宮前)…(渋谷)→(2012年度中に東急東横線に直通運転予定)

カッコ内の駅名は仮称 和光市~小竹向原間は有楽町線、小竹向原~新線池袋間は、有楽町新線(複々線部分)として使用されている。 

停車駅は未定だけど、急行運転も行われる予定となっている。 新宿七丁目が待避駅(上下式)となる。これが実現すれば、東京メトロで東西線に続く通過運転となる。

新宿七丁目駅は、都営大江戸線の東新宿駅と隣接しているので、東新宿駅となる確率が高い状態である。 ここには、折り返し線も新設される予定。

雑司ヶ谷=都電荒川線(鬼子母神前電停) 新宿七丁目=都営大江戸線(東新宿駅) 新宿三丁目=丸ノ内線、都営新宿線 明治神宮前=千代田線、JR山手線(原宿駅) 渋谷=銀座線、半蔵門線、JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東急東横線・田園都市線、京王井の頭線 への乗換駅となる予定。

有楽町新線では、千川・要町駅は通過だけど、インフラ部分のみ施行されている状態である。

西早稲田駅は、早稲田大学理学部のキャンパスの敷地内に出入り口が新設される予定。あとは日本盲人福祉センターや都立障害者センターへの最寄り駅でもあるので、当然バリアフリー対応の駅となる。

現在は、森林公園、川越市、志木、和光市~小竹向原~新線池袋間 小手指、清瀬~練馬~小竹向原~新線池袋間で運転されている。

2008年3月の13号線開業後も、西武線から渋谷への直通運転、東武東上線から有楽町線、新木場への直通運転も行われることになる。

有楽町線の路線
                             (西武有楽町線、池袋線へ直通運転)↑
(東武東上線へ直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~千川~要町~池袋~東池袋~護国寺~江戸川橋~飯田橋~市ヶ谷~麹町~永田町~桜田門~有楽町~銀座一丁目~新富町~月島~豊洲~辰巳~新木場

直通運転区間 東武東上線 森林公園、川越市、志木~和光市~新木場間
西武池袋線、有楽町線 飯能、小手指、所沢、清瀬~練馬~小竹向原~新木場間 西武直通運転列車の一部は池袋線内準急または快速運転となる。

乗り換え駅 和光市 東武東上線(川越市、森林公園まで直通運転) 小竹向原 西武有楽町線(小手指、飯能まで直通運転)、有楽町線⇔新線池袋発着の列車 池袋 丸ノ内線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東武東上線、西武池袋線 東池袋 都電荒川線(東池袋四丁目電停) 飯田橋 東西線、南北線、都営大江戸線、JR中央・総武緩行線 市ヶ谷 南北線、都営新宿線、JR中央・総武緩行線 永田町 半蔵門線、南北線、銀座線・丸ノ内線(赤坂見附駅) 有楽町 JR(山手線、京浜東北線(日中は快速運転のために停車しない))、日比谷線・千代田線・都営三田線(日比谷駅) 月島 都営大江戸線 豊洲 新交通ゆりかもめ 新木場 JR京葉線、りんかい線

麹町駅、銀座一丁目駅は上下式のホームとなっており 新木場方面乗り場が上、池袋、小館向原、和光市方面が下となっている。

地上駅=和光市、新木場 和光市駅は、東武鉄道による管理となっている。

有楽町線の車両基地 和光市(和光検車区)、新木場(新木場検車区)にある。 有楽町線の車両は全て和光検車区所属。新木場検車区は車両の配置は無いけど、新木場CR(カーリニューアル)という車両更新修繕工場も併設されている。 
全般検査等は、綾瀬工場(千代田線の綾瀬検車区、北綾瀬駅付近)で行われることとなっている。

1987(S62)年8月25日に和光市まで開業する前は、飯田橋駅付近の留置線が暫定的に使用されていた。

千代田線6000系、有楽町線7000系、半蔵門線8000系の車体更新はここで行われている。

豊洲駅のほうは、外側の2線のみの使用で内側の2線が空いているのは、将来地下鉄8号線延伸計画が予定されているということでそれを見据えたことによる

計画ルートは、豊洲~東陽町~住吉~押上~亀有~八潮~越谷レイクタウン~野田市間となっているけど、住吉~押上間は、地下鉄半蔵門線と共用ということとなる。

半蔵門線の住吉駅でも隣の1線が空いているのはそのためである。

このことで、横浜市営地下鉄の関内駅を思い出しました。 計画中止となって関内駅の二の舞とならないことを願っています。

半蔵門線でも、押上駅より、四つ木を経由して松戸まで延長される構想もある。

千代田線と有楽町線を結ぶ短絡トンネルは、霞ヶ関~桜田門間にあり、単線のシールドトンネルとなっている。 筆者は、一昨年9月26日、10月31日にここを通っている。

有楽町線と南北線は、市ヶ谷駅付近で連絡されており、南北線の市ヶ谷留置線と繋がっている。

有楽町線は、1974(S49)年10月30日、池袋~銀座一丁目間が開業したのが始まりである。 当時は7000系による5両編成だった。

1980(S55)年3月27日には、銀座一丁目~新富町間が開業。

1983(S58)年6月24日、池袋~営団成増(現、地下鉄成増間)が開業。同時に5両編成から10両編成となった。 同年10月1日には、西武有楽町線の小竹向原~新桜台間が開業し、直通運転が開始された。

1987(S62)年8月25日、営団成増(現、地下鉄成増)~和光市間開業、同時に東武東上線との相互直通運転が開始された。東武の9000系の有楽町線乗り入れも開始。

1988(S63)年6月8日 新富町~新木場間開業(有楽町線全線開業)

1993(H5)年3月18日 07系の登場。

1994(H6)年12月7日 13号線の路線の一部である新線池袋~小竹向原間の複々線部分(有楽町新線)が開業。 同時に西武有楽町線の新桜台~練馬間が開業し、西武6000系の有楽町線乗り入れが行われるようになる。 当時は新桜台~練馬間単線運転だった。

1998(H10)年3月26日 西武有楽町線の新桜台~練馬間の複線化により、西武有楽町線経由、池袋線との直通運転が行われるようになり、西武6000系の有楽町線乗り入れも倍増。
 7000系および07系も西武池袋線を走るようになった。

2003(H15)年3月12日、西武池袋線の複々線区間の延長により、西武線から有楽町線への直通列車の運転が1時間4本の運転体系から1時間6本の運転体系に変更される。これにより、西武線からの新線池袋発着が頻繁に見られるようになった。

2004(H16)年4月1日 営団地下鉄の民営化により、東京地下鉄(東京メトロ)となる。同時に、営団赤塚、営団成増駅が、地下鉄赤塚、地下鉄成増駅にそれぞれ改称された。

2005(H17)年10月31日 平日朝ラッシュ時の新木場、新線池袋方面行き列車に女性専用車の導入

2006(H18)年9月、10000系先行導入予定。

2007(H19)年度、13号線(池袋~渋谷間)開業予定。

乗り入れ車両 東武 9000系、9050系 西武 6000系

これらの車両は、現在直通運転対応化改造が順次行われ 東武では9103Fが入場中である。

やはりワンハンドル化などが改造項目となっている。

7000系は、1974(S49)年10月30日の開業の時から使用されている車両で、千代田線の6000系ベースで導入された。 こちらは6000系と同等のチョッパ装置が採用されており、前面に種別表示があるのが特徴である。当時は、2段窓となっていた。 開業当初は、7101~7119Fの5両編成19本導入されていた 当時は非冷房。
1980(S55)年の新富町開業の時には5両1編成(7020F)が導入されていた。 

1983(S58)年の営団成増(現、地下鉄成増)までの延長開業の時には、7121~7126Fの6編成が導入。 こちらは10両編成のまま新造されており、1段窓となっている。内装は、千代田線の6000系の後期車、半蔵門線の8000系に準じている。 冷房準備車として導入。
同時に、7101~7120Fに、中間車5両挿入されたけど、こちらも3次車と同じ造りとなっている。

1987(S62)年には、7127Fが導入。こちらは冷房準備車だけど、東武線乗り入れ機器が新製当時から搭載されていた。

1988(S63)年の新木場開業の時には、7128~7132Fの5編成が導入。初の冷房車として導入されていた。

1989(H1)年には、増備用として、7133、7134Fの2編成が導入。 新製当時から自動放送装置、車内LED案内装置が搭載されている編成で、7000系の最終増備車となった。 翌年の1990(H2)年に導入された千代田線の6135Fも、同じ仕様となっていた。

1995(H7)年から初期型を中心に車体更新が順次行われ、VVVF化、窓の1段化、行き先表示のLED化、車内LED案内装置、自動放送の新設など、バリアフリー化が行われるようになった。 

1998(H10)年3月26日から西武池袋線への直通が行われるようになったけど、西武池袋線への乗り入れ対応化は、行き先表示のLED化、車体更新と共に行われていた。

そのため、幕式の未更新車は、西武線への乗り入れが出来なかったために、西武線に乗り入れない運用に限定されていた。 

07系は、1993(H5)年3月18日に増発用として2編成導入。 こちらは、東西線の05系ベースのアルミ車体となり、姉妹車の06系と同時にデビューしていた。 翌年の1994(H6)年の新線池袋駅開業の時には4編成増備されて10両6編成60両の体制となる。

7000系、07系の今後はどうなるのか気になります。

有楽町線の女性専用車は、平日朝ラッシュ時、和光市7時7分、小竹向原7時20分以降に発車する全列車の最後部(10号車)が対象となっており、有楽町線内では9時20分をもって終了となる。 こちらは、東武東上線、西武池袋線・有楽町線内も対象となっている。

西武では、今年度の新造は無いけど、来年度には13号線乗り入れ用の新車が導入される予定となっている。

東武での13号線乗り入れに伴う増備車は、50000系の直通バージョンが導入されることが予想されます。

13号線が東急東横線への乗り入れが実現すれば、東急東横線から新宿方面まで乗り換え無しで行けるようになる。

東急東横線(東京横浜電鉄)では、渋谷から新宿まで延長されるという構想があったけど、幻に終わっている。 新宿駅では地下駅に乗り入れる計画で、その用地が確保されていたのである。この用地は京王線の新宿地下駅として利用されているけど。

路線は違うけど、それが晴れて実現することになる。

現在明治通りを池86系統(池袋~新宿~渋谷間)の路線バス(都バス)が走っているけど、13号線開業後は廃止されるか減便の上で残されるか分からないという状態です。 福祉施設への足として残されることが考えられるけど。

新宿三丁目駅は新宿伊勢丹前の地下に新設されることになるけど、かつて京王電車(京王電気軌道)の新宿追分駅があった部分の地下に出来ることになる。 
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by hy_sengen-sin | 2006-05-19 13:07 | 鉄道車両・路線
5月14日、万世橋の交通博物館が、来年10月14日に開館予定の新生鉄道博物館(さいたま市)への移転により、85年(70年)の歴史に一旦終止符が打たれました。 この時は予想通りの大混雑の状態で、感動のフィナーレとなりました。

ルート 目白~新宿~御茶ノ水…交通博物館…淡路町~池袋~要町

この日は、雨の予想だったけど、雨が降らなくてよかったです。

さいたま市の新生鉄道博物館への移転、交通博物館閉鎖宣言が出されたのは、一昨年(2004年)の2月16日のことだった。あれ以来入場者が急増したのである。

この万世橋駅3代目駅舎跡とともに70年間親しまれてきた現在の交通博物館は、老朽化で手狭となったことに加え、耐震対策やバリアフリー化が求められるようになったということで、時代の流れに勝てずに、さいたま市に移転することになったのである。

レトロな雰囲気の中で、鉄道のほか、自動車、航空機などの展示も見られるという他には無いという博物館だったので、別れを惜しむ声が高かったのである。

1936(S11)年の完成当時は、鉄道博物館と呼ばれており、ガラス張りの階段ドームは当初から変わっていないんだな!ということを実感しました。

開館当時は、エントランス部分に時計があったのである。 末期は、交通博物館とJR東日本のロゴが入っていたけど。

かつては交通博物館の近くを都電が走っていたこともあった。こちらは、5500系PCCカーの独占場であった1系統(上野駅前~品川駅前間)、19系統(通三丁目~王子駅前間)、20系統(江戸川橋~須田町間)、24系統(柳島福神橋~須田町間)、30系統(東向島三丁目~須田町間)、40系統(神田町車庫~銀座七丁目間)などの路線が通っていたということになる。

鉄道博物館の歴史は、1921(T10)年10月14日に、東京駅付近の高架下に開館したのが始まりだった。 その前の1920(T9)年5月15日に開設されていたけど、当初は部内関係者のみの公開だった。

1936(S11)年4月25日に、万世橋に移転。一般公開は4月26日から。 同年1月15日に東京駅高架下の博物館が一旦休館となっていた。前回は3ヶ月の休止期間となっていたのである。

今回は2度目の引っ越しということになる。

新宿から御茶ノ水まで、クハ201-22Fに乗車。

御茶ノ水駅の聖橋口(千代田線、新御茶ノ水駅寄り)から淡路坂を降り、昌平橋交差点で外堀通りを横断してから、交通博物館の前に行きました。 

御茶ノ水駅では、朝ラッシュ時のみ、秋葉原(神田)寄りの臨時改札が開設されている。

そのため本郷通りを横断したのである。 この日は神田明神で神田祭があったので、御輿の姿がありました。 神田明神とは、有名な神社で、この時期に神田祭が行われている。

隣の湯島駅付近には、学問の神様である菅原道真公が祀られている湯島天神があり、受験シーズンには賑わっている。5月25日から28日にかけて、天神祭りが行われる。

昌平橋といえば、万世橋と並んで、かつて駅があったということで有名である。

聖橋口付近には、筆者の携帯機種および鉄道車両、大手家電メーカーである日立製作所の本社がある。 

途中には、御茶ノ水のホテル聚楽があるし。

到着したのは午後4時過ぎのこと。券売機では、やはり行列が出来ていました。 今回も鉄道友の会の割引入場で入ったのである。 こちらは子供料金の入場券を買い、鉄道友の会の会員証を提示して入ることになっている。
みどりの窓口で交通博物館の割引入場券が発売されていたけど、鉄道友の会の割引料金(150円)のほうが安かったのである。

みどりの窓口での割引入館券を持っていれば並ばずに入れたのである。

入場直後、1階の模型パノラマが混雑していました。なので、4階の屋上部分から見学しました。 交通博物館の4階の屋上部分では、201系の置き換えの効果もあって、撮影する人が多かったです。 201系の電車も、交通博物館とともに過去帳入りすることになっているので。

この日は、屋上も人が大勢いました。 レストランこだまのほうは、カレーが出されていたけど、残念ながら筆者は利用せずに終わってしまったのである。

4階の図書室は満員で入れなかった。 

この次に3階の見学 映画ホール、航空機やリニアモーターカーなどが展示されているフロアで、JALのモックアップのビジネスクラスのシートに座りました。(これで座り納め) このJALのジャンボジェットのモックアップの行く末が気になります。 航空関連の展示物は、所沢辺りや成田空港近くにある航空科学博物館で保存される可能性が高いです。

次に2階の自動車、船舶のフロアへ。 ここには、マツダのT2000オート三輪トラックや、スバル360などを見たけど、この時点で見納めとなりました。 やはりこれらの展示物の行く末も気になっているし。

国鉄バス第一号車のほうは、新生鉄道博物館で保存されることになる。

この後、メインの1階(鉄道のフロアへ) やはりここも混雑していたので回れる場所が制限されていました。 4月28日は落ち着いた雰囲気で見学したのが最後となった。

まずは、御料車の見学を行ったけど、これらの御料車も、新生鉄道博物館に行くことになる。

1階部分の中央部では、身動きが取れないほど混雑していました。 2階や3階部分も人がぎっしりの状態だった。

D51-426号機は、前頭部が正面に、運転台部分が館内に保存されていたけど、ボイラー部分は撤去されていた。 

大人気の模型パノラマのコーナーでは、混雑が激しかったので、入れ替え制となっていた。 筆者も入り、模型パノラマを見物したのである。 この模型パノラマは、ATSの完備されているので、実物そっくりな作りとなっている。 それが新生鉄道博物館の国内最大級の模型パノラマとして生まれ変わることになる。

この後、ふじみ野都市さんのほか、SLファンの会員である庄司さんと出会いました。 庄司さんのほうは、記念の硬券を手に入れていたのである。 筆者は残念ながら手に入れることも無く終わってしまったことになった。 庄司さんは、旧万世橋駅跡も入ったことがあると仰っていたのである。

庄司さんは、SLばんえつ物語号などのSLを追っ掛けている。

休憩室横の万世橋駅階段跡も見られるようになっていたので、この日は行列が出来ていました。 4月28日に見物した時に初めて見たので最初で最後にならなかった。

交通博物館のHPでは、さよなら交通博物館ギャラリーのコーナーが残されているけど、今から34年前の1970(S45)年に機関車ホールが大混雑していた時の画像がありました。この日もやはりそれ並に混雑していました。
 
以前は屋上で小型蒸気機関車の運転会も行われていたこともあった。 

惜別記念として、玄関の0系新幹線、SLD51-426号機、館内のSL9856号機(マレー式蒸気機関車)、C57-135号機、1号機関車、167系修学旅行電車にさよならHMが付いていました。

9856号機は、ボイラーの仕組み等が分かりやすく解説されていた。以前はこの下のスペースに入ることが出来たこともあったのである。

別館が出来る前は、中庭で過ごすことも出来たのである。

この日は、17時(夕方5時)で閉館予定だったけど、特別に1時間延長され、18時(夕方6時)で閉館となっていました。 そのお陰で滞在時間が1時間延長されて、約2時間滞在することが出来たのである。

ふじみ野都市さんも一緒に閉館の瞬間を見守っていたのである。

18時、閉館を知らせる蛍の光が流れていたけど、いつもの閉館とは違った状態であり、拍手の嵐が館内に響き渡りました。 ふじみ野都市さんは、昨年の大宮総合車両センターでもらった鉄道博物館のうちわを引っ提げて入館していたのである。

退館の時、スタッフとの握手会がありました。 この時に館長氏も現れていたのである。 

当然、さいたまでまた会おう!というコールもありました。

退出した後、最後の客が完全に撤収するまで、出入り口の横で待機していました。 この時も出入り口周辺に人が沢山集まっていました。

筆者は、子供の頃から交通博物館に行っていたけど、このように子供の頃から行っていた人も多かったと思います。初めて一人で交通博物館に行ったのは、今から20年前の小6の時だったのである。 

約1時間後、最後の観客が退場。 この時にも拍手の嵐やお疲れ様コールがわき上がりました。

こうして、多くのファンに見守られながら、万世橋会場での70年間の歴史の幕を閉じたのである。

0系のサボの行き先のプレートが無くなっていたということで残念で仕方ありませんでした。

あのVTRみたく、ここはかつて交通博物館だった。ということになる。

今後は、展示物の搬出作業が行われるけど、建物を取り壊した(撤去を兼ねた)上で行われることになるので、この建物の姿が見られなくなる。

あの後、万世橋のたもとにある装飾を見た後、ふじみ野都市さんと共に、石丸電気1号店の前にある、地下鉄銀座線の万世橋駅入口跡を見物しました。 ここは、営団化される前の東京地下鉄道㈱の時代に廃止されたので、SマークもMマークも付かなかった駅となった。
その隣りにはLAOXの本店、オノデンがある。

オノデンは、オノデン坊やのCMで有名の秋葉原の家電店の老舗となっている。安売りが魅力である。創立は、1951(S26)年6月30日である。

秋葉原駅で、ふじみ野都市さんを見送った後、秋葉原の新名所であるUDXを見物し、交通博物館に戻りました。 

UDXのある場所は、かつて神田市場があったのである。 この神田市場は、大田市場に移転されたことにより廃止されている。 大田市場は、11ヶ所ある東京都中央卸売市場の一つであり、鮮魚、野菜、果物、花を扱っている。

築地市場は、有名な魚市場で、2012年ごろに豊洲に移転されることになっているけど、築地の伝統が失われるということで反対の声が多いという状態である。 

ゆりかもめに市場前という駅があるのはそのためである。

万世橋のたもとの部分は、人が絶えない状態でした。 交通博物館前も人が残っていた。

ここからは、淡路町まで行き、池袋まで丸ノ内線に乗りました。 丸ノ内線の本線では、来年からホームドア方式によるワンマン運転化されることになっているので、4月28日より順次ホーム柵が設置されることになっている。

02系のワンマン化工事も順次行われているし。 02系のワンマン改造は、上部への車番表示の新設、一部LED式の案内表示に交換、運転台のワンハンドル化となっている。

池袋から要町まで、西武の6000系の6116Fに乗車。この西武6000系も、13号線直通対応化により、ワンハンドルマスコン化されることになるし。

交通博物館の跡地がどうなるのか非常に気になります。

1953(S28)年の11月14日に設立された鉄道友の会(筆者、飛猿さん、ふじみ野都市さんなどが入っている鉄道趣味団体の老舗)は、交通博物館の映画ホールが発祥の地となっていた。 
開館の時から、1947(S22)年まで、万世橋駅のシンボルである広瀬海軍中佐の銅像があったのである。 別館が出来たのは、1952(S27)年のことだった。

1号機関車は、開館当時、中庭に置かれていたけど、1970(S45)年に館内のC57のある場所に移動。 1976(S51)年にC57-135号機が展示されるようになってから、模型パノラマ横の場所に再び移動。 さいたま市の新生鉄道博物館への移転により、3度目の移動ということになる。

交通博物館に対して、いろいろな思い出をありがとう、お疲れ様の声が高まっています。 さいたまでお会いしましょう。

ここで、昨年11月から半年間の交通博物館に行った時の総括

昨年11月23日 この時に閉館記念の映画会を見たけど、この時に映画ホールで映画を見たのは今回が最後となった。 内容は、奥羽本線(現在の山形線)の板谷峠の電化の模様、東京~大阪間の特急つばめ号。 当時は東京から名古屋までEL(EF58)が、名古屋から大阪まで、SL(C62)が牽引していた。

C62号機のうちの2号機と18号機には、つばめ号を牽引していたことにちなんだ燕のエンブレム(スワローエンジェル)がある。
そのうちのC62の2号機は、1号機とともに、京都の梅小路蒸気機関車館に保存されている。

ここに動態保存されている機関車は、スチーム号として周遊運転されている。

今年2月12日、模型パノラマを満喫。あの時のレポートは2月12日分のレポートに書いている。

今年2月24日、旧万世橋駅跡の遺構を見物。 今回が最初で最後の見学となった。

今年4月28日、閉館記念スタンプラリーに挑戦。 この時に休憩室横の階段跡を見物。 惜別HMが付いていたのでさよならムードが高まっていた。

今年5月14日、最終日に見に行ったのである。
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by hy_sengen-sin | 2006-05-15 13:35 | 鉄道の博物館