交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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西船橋と東葉勝田台を結ぶ東葉高速鉄道は、4月27日に開業10周年を迎えました。
あとは、地下鉄東西線と国鉄(現JR)中央線と直通運転されてから4月28日で40周年を迎えたのである。

この路線は、地下鉄東西線と直通運転されている。

 (地下鉄東西線、中野、JR線三鷹まで直通運転)←西船橋~東海神~飯山満~北習志野~船橋日大前~八千代緑ヶ丘~八千代中央~村上~東葉勝田台

地下鉄東西線では、一部快速運転が行われる。平日朝の中野方面は、浦安より先に各駅停車となる通勤快速も運転される。

東葉快速(平日夜の東葉勝田台方面および朝の西船橋方面のみ運転)の停車駅 西船橋~北習志野~八千代緑ヶ丘~東葉勝田台 運転本数 2往復。 こちらは東西線でも快速運転が行われる。

乗換駅 西船橋 JR(総武緩行線、武蔵野線、京葉線)、東京メトロ東西線(中野方面へ直通運転) 北習志野 新京成線 東葉勝田台 京成線(勝田台駅)

地下にある駅 東海神、北習志野、船橋日大前、東葉勝田台

東葉高速鉄道の車両基地 八千代緑が丘駅付近

1000系 開業当初から在籍している車両で、元営団5000系から改造されている。
営業運転開始は、開業前の1996(H8)年3月16日で、東西線内での列車で暫定デビュー。

当初は10編成在籍していたけど、新型2000系の導入により廃車が進行し、現在は3編成のみ残っている状態である。

こちらは、老朽化および2007年度中に導入予定の東西線の新CS-ATC化に対応出来ないために、順次新車に置き換えられている状態である。

現役の編成は、1061、1081、1091の3編成となっているけど、やはり2007(H19)年度中に2000系に置き換えられて廃車となることになっている。

東葉高速に転用された時は、前面の改良、冷房改造などが行われていた。

あとは、部品取り用として10両2編成東西線塗装のまま在籍していたけど、現在は廃車となっている。こちらは増発予備車としての保留車の状態でもあったけど。

2000系 2004(H16)年度に導入された05系の新仕様車(13次車)をベースに登場した車両で、2004(H16)年12月7日に登場。当初は3編成。現在は7編成導入されている。

こちらは、05系の13次車(05-140~143F)と同様、日立製作所製で、a-train規格で製造されている。 

東葉高速鉄道の車両(T運用)の運用範囲は中野までで、JR線に乗り入れることは出来ない。そのため、三鷹から東葉勝田台までの3線直通列車は、メトロ車(05系または5000系)に限定運用されている。
逆に、JRの車両(E231系800番台)は、東葉高速鉄道に入線することは出来ない。

地下鉄東西線の路線

(JR中央線、三鷹まで直通運転)←中野~落合~高田馬場~早稲田~神楽坂~飯田橋~九段下~竹橋~大手町~日本橋~茅場町~門前仲町~木場~東陽町~南砂町~西葛西~葛西~浦安~南行徳~行徳~妙典~原木中山~西船橋→(東葉高速鉄道、東葉勝田台まで、またはJR総武線津田沼まで直通運転)

津田沼への直通運転は、平日朝夕のみとなっている。

快速停車駅 中野~(この区間は各駅に停車)~東陽町~浦安~西船橋

通勤快速停車駅(平日朝の中野方面のみ運転) 西船橋→浦安→(この区間は各駅に停車)→中野

地上にある駅 中野、西葛西~西船橋間の各駅

車両基地 深川検車区(東陽町駅付近)、行徳検車区(妙典駅付近) 車両工場は深川にあり、深川車両基地がメインで使用されている。

乗換駅 中野 JR(中央快速線、中央・総武緩行線) 高田馬場 JR山手線、西武新宿線 飯田橋 有楽町線、南北線、都営大江戸線、JR中央・総武緩行線 九段下 半蔵門線、都営新宿線 大手町 丸ノ内線、千代田線、半蔵門線、都営地下鉄三田線 日本橋 銀座線、都営浅草線 茅場町 日比谷線 門前仲町 都営大江戸線 東陽町 東西線相互(各駅停車⇔快速列車) 西船橋 東葉高速鉄道線(東葉勝田台まで直通運転)、JR中央・総武快速線(平日朝夕のみ津田沼まで直通運転)、武蔵野線、京葉線

早稲田駅=都電荒川線の早稲田電停まで徒歩約15分

神楽坂駅は、上下式ホームの駅となっており、上が中野、三鷹方面 下が西船橋、東葉勝田台方面の乗り場となっている。

地下鉄東西線は、1964(S39)年12月23日、高田馬場~九段下間から開業。 当初は5000系による運用であった。 地下区間のみの開業ということで、九段下駅付近の留置線が車両基地の代わりとして使用され、九段下駅付近から地下に搬入されていた。

1966(S41)年3月16日、中野~高田馬場間、九段下~竹橋間同時に開業。 同年4月28日には、国鉄(現JR)中央線、荻窪までの直通運転も開始されている。 
10月1日には、竹橋~大手町間が開業し、国鉄車両(301系)による相互乗り入れも行われるようになる。7両運転はこの時から始まった。

1967(S42)年9月14日、大手町~東陽町間開業。 同時に深川検車区も新設された。

1969(S44)年3月29日、東陽町~西船橋間開業 同時に快速運転も開始。 当時は東陽町~西船橋間ノンストップだった。東西線の10両運転はこの時から開始された。

同年4月8日 中央線との直通運転区間が三鷹まで延長され、津田沼までの直通運転も開始された。 国鉄(現JR)車両の津田沼乗り入れは、丸3年後の1972(S47)年4月8日のことだった。

1979(S54)年10月1日、西葛西駅、1981(S56)年3月27日、南行徳駅がそれぞれ開設。

1983(S58)年4月15日、東京ディズニーランドのオープンにより、浦安駅に平日日中および休日に浦安駅に停車するようになる。

1986(S61)年11月1日、朝通勤の中野方面に、浦安より先に各駅に停車するC快速(現通勤快速)の新設。 浦安停車の快速はB快速、ラッシュ時の浦安通過の快速はA快速と呼ばれていた。

1988(S63)年11月18日 05系営業運転開始

1992(H4)年12月10日、JR乗り入れ車両(当時は301系または103系1200番台)の10両編成化完了により、すべての列車が10両編成となる。

1996(H8)年3月16日 快速列車の全列車浦安停車化により、東陽町~西船橋間ノンストップの快速が廃止される。 同時に朝ラッシュ時の浦安以西各駅停車のC快速が、通勤快速に変更。

同年4月27日、東葉高速鉄道の開業により、東葉勝田台方面への直通運転が開始される。

1999(H11)年12月6日、ラッシュ時に東葉高速鉄道線内も快速運転となる東葉快速列車も新設される。 こちらは東西線区間も快速運転となる。

2000(H12)年1月22日 下妙典信号所の駅への昇格により、妙典駅が新設される。 行徳検車区への分岐駅が、行徳駅から妙典駅に変更。 行徳行きが廃止。

こちらは、仙石線の小鶴新田駅新設により、車両基地(仙台車両センター宮城野派出所)への出入りの駅が苦竹駅から小鶴新田駅に変更されたことと同じような現象である。

これにより、快速列車の待避駅が、葛西、妙典、原木中山の3駅となった。

2005(H17)年12月10日、快速運転の時間帯が拡大されていた。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-27 00:51 | 鉄道車両・路線

初夏のイベントラッシュ

5月から6月にかけて、鉄道イベントが目白押しの状態で、5月27日には、JRの大宮総合車両センターで、5月28日には、京急のファインテック久里浜でイベントが行われることになっている。

西武の武蔵丘でのイベントは翌週の6月4日。今年は日曜日のみの開催となっているけど、筆者は仕事休みなので問題なく参加出来る状態である。

JRの大宮総合車両センターでのイベントは、ACトレインの試乗会、EF80、EF58、ED16、ED17、ナハネフ22型寝台客車の展示、D51の修繕作業の見学会などが行われる。

あとはJR貨物の大宮車両所部分も公開されており、廃車となったEF65-59号機の見学も可能である。

5月28日の京急ファインテック久里浜でのイベントは、車両の撮影会などが行われ、帰りのシャトル電車も運転される。

東大宮の車両基地は、小山車両センターの管理から、大宮総合車両センターの管理に代わり
、小山から189系(元彩野編成)、高崎(新前橋)から団臨用の183系、特急用の185系がそれぞれ配置されるようになり、宮オオと表記されるようになった。

183、185系の高タカ時代は、昨年12月10日から今年3月17日までと短命だった。

5月13日は、小田急9000系のイベントに行く予定だけど、9407+9001Fの10両編成で運転されるということで注目の状態であります。

4月15日に鉄道友の会でのイベントで運転された時は、9407+9001Fの10両編成が使用されていた。 9001のみが残されていたのはそのためであるけど、さよなら運転後の動向が非常に気になります。

9301号車のほうは、運転台やヘッドライトが撤去されているので、9001F単独による自力走行が不可能となっている。

9401Fに続き、9404Fに廃車が発生し、解体輸送されている。

今年度の小田急3000系は、8両固定編成から導入されるので、初期型の5000系から廃車となり、この次に3000系の6連が導入されて、5200系の初期更新車に廃車が発生すると思われます。 5000系はもちろんのこと、5200系も置き換えの対象となっているので。

新3000系のLEDの表示がフルカラーLED化されているけど、8000系の更新車もフルカラーLED化されている。 各停・区間準急=青色 準急=緑色 急行=赤色 快速急行=橙色

あとは1000系のワイドドア編成、2000系もこのような表示に変わると思われます。

昨年5月28日の大宮でのイベントでは、115系の4両編成による試乗列車も運転されていた。

5月29日の京急でのイベントでは、ことでんに譲渡予定の旧723号車、700系の撮影会が行われていたので、久里浜でのイベントで700系の勇姿を見れたのは今回が最後となった。

新生鉄道博物館に展示される予定の20系客車であるナハネフ22-1号車は、今年3月末をもって廃止された鎌倉総合車両センター(現、鎌倉車両センター)の工場部分(旧大船工場)の屋外に保存されていた。

それが3月27日から28日に掛けて、鎌倉総合車両センターから大宮総合車両センターへと陸送されていたのである。

やはり老朽化が進んでいたので、鉄道による輸送ではなく、トレーラーによる陸送となったのである。

この大宮でのイベントが終了した後に整備される予定となっている。

鎌倉総合車両センターの工場部分の検査業務は、2月9日をもって終了している。

横須賀・総武快速線のE217系は、鎌倉車両センターと幕張車両センターに分散配置されているけど、3月18日のダイヤ改正で、幕張車が順次鎌倉車両センターに転属してくる予定である。

このような体系は、113系の時代から続いていた。

113系からE217系への置き換えは、大船電車区(現鎌倉車両センター)所属車から始まり、その次に幕張電車区(現、幕張車両センター)所属車が置き換えられていた。

中央快速線では、武蔵小金井電車区と豊田電車区に分散配置されていた時、豊田所属がT運用、武蔵小金井所属がH運用に入っていた。 豊田に集中配置された後でも、このような体系が継続されているので、H運用で武蔵小金井所属だったことの名残がある。

こちらは、中央・総武緩行線で、三鷹区のB運用と元習志野区のC運用に分かれているということでも言える。 現在は習志野電車区(旧津田沼電車区)が廃止され、三鷹電車区に統合されている。

6ドアの無い209系500番台は、C運用に 201系の6+4編成は、H運用にそれぞれ限定運用されている。

東急目黒線の話題

7月2日(予定)には、武蔵小山、西小山駅が地下化され、この区間(不動前~洗足間)にある16ヶ所の踏切が廃止されることになる。 この区間では、東急バスの通過もあるので、踏切待ちが解消されることになる。

ここを通るバス路線は、渋72系統(不動線、渋谷駅東口~えびす駅、目黒不動尊経由~五反田間)

反11系統(小山線、五反田駅~武蔵小山、学芸大学駅経由~世田谷区民会館間)の2系統。

そのうちの渋72系統は、目黒不動尊付近の狭い道を走るために、すべて日野の中型車(目黒営業所所属)が使用されている。 こちらは、渋谷駅東口~洗足駅間の渋71系統と共通運用となっているけど、渋71系統も狭い道を走る路線となっている。

毎月28日には、目黒不動尊で縁日が行われるため、林試の森入口~不動尊門前間が運休となり、徒歩連絡となる。

東急バスの黒06系統(目黒駅~祐天寺駅経由~三軒茶屋間)も、狭い道を走るバス路線となっている。 目黒営業所所属の頃は、渋71・72系統と共通だったけど、現在は下馬営業所所属となり、やはり日野または三菱ふそうの中型車両に限定運用されている。

武蔵小山駅は、今年9月下旬に開始予定の急行運転の待避に対応した2面4線の地下駅となる。

東急目黒線の急行は、目黒~武蔵小山~大岡山~田園調布~多摩川~武蔵小杉の順に停車することになり、不動前、西小山、洗足、奥沢、新丸子駅は通過となる。

不動前駅は、既に高架化され、駅前にあった踏切が廃止されている。 1998(H10)年1月から1999(H11)年10月まで、目黒寄りの仮駅で営業されていたこともあった。
1999(H11)年10月10日の不動前駅の高架化により、2ヶ所の踏切が撤去されている。

代官山駅は、1987(S62)年に、渋谷寄りの仮駅で営業されていたことがあったけど、8両編成対応化によるホーム延長工事が行われていたためであり、渋谷寄りにあった踏切1ヶ所が廃止されている。

以前東急東横線の菊名駅で、渋谷寄りの先頭車のドアが開かなかったという問題があったけど、踏切撤去、ホームの延伸によって解消されている。

今年9月に元住吉駅が高架化され、日吉寄りの車両基地の真上にずれることになり、車両基地への出入庫が元住吉駅から出来なくなることになる。 このため、武蔵小杉または日吉からの出入庫となり、元住吉行きおよび始発列車が廃止されることになる。 急行元住吉行きの表示も見納めに。切り替え後にはダイヤ修正が行われることになるし。

切り替え準備のため、不動前駅でホームドア(柵)が9月までの間に一時撤去されることになる。

洗足駅は、環七通りとの立体交差化によって、1965(S40)年に地下化されており、目黒線の開業によって、改良されている。

同じ環七通りの横断部にある池上線の長原駅も、1968(S43)年に地下化されている。

4月26日、鶴見線で最後まで残っていた103系であるT1編成は、東海道線で走っていた113系S96編成に挟まれた形で北長野まで廃車回送されたのである。筆者が最後にこの編成に乗ったのは、昨年8月27日の東京総合車両センターでのイベントだった。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-26 14:38 | 鉄道イベント

都電荒川線

王子駅前から大塚駅前まで、旧塗装に復元された黄色い7022号車に乗りました。

都電荒川線の路線

早稲田~面影橋~学習院下~鬼子母神前~雑司ヶ谷~東池袋四丁目~向原~大塚駅前~巣鴨新田~庚申塚~新庚申塚~西ヶ原四丁目~滝野川一丁目~飛鳥山~王子駅前~栄町~梶原~荒川車庫前~荒川遊園地前~小台~宮ノ前~熊野前~東尾久三丁目~町屋二丁目~町屋駅前~荒川七丁目~荒川二丁目~荒川区役所前~荒川一中前~三ノ輪橋

乗換駅 東池袋四丁目 東京メトロ有楽町線(東池袋駅) 大塚駅前 JR山手線(大塚駅) 新庚申塚 都営地下鉄三田線(西巣鴨駅) 王子駅前 JR京浜東北線・東京メトロ南北線(王子駅) 町屋駅前 京成本線・東京メトロ千代田線(町屋駅) 三ノ輪橋駅 東京メトロ日比谷線(三ノ輪駅)

早稲田電停から東京メトロ東西線の早稲田駅まで徒歩10分

2007年度中には、鬼子母神前電停が、東京メトロ13号線(池袋~渋谷間新規開業)の雑司ヶ谷駅(仮称)、熊野前電停が、新交通日暮里・舎人線(日暮里~見代沼親水公園間新規開業)への乗換駅となる予定となっている。

都電の運賃は全線160円均一で、バス共通カードも使用可能となっている。 来年3月導入予定のPasmoにも対応している。

一日乗車券は、都営交通乗り放題が700円、都電専用が400円。

都電荒川線の車庫は、荒川車庫前にあり、トラバーサーによる車両の移動が行われているのが特徴である。

路面を走る区間 飛鳥山~王子駅前間 以前は小台~熊野前間も路面を走っていたけど、道路と線路が分離化されている。

都電荒川線の歴史は、1911(M44)年8月20日に、王子電気軌道の路線として、飛鳥山上(現、飛鳥山)~大塚間に開業したのが始まりである。

東京都交通局の前身である、東京市電気局(当時の東京市電)は、王子電気軌道が開業したのと同じ年である1911(M44)年8月1日に設立されていた。

1913(T2)年4月1日には、三ノ輪(現、三ノ輪橋)~飛鳥山下(現、梶原)間が開業

同年10月31日には、飛鳥山下~栄町間が開業

1915(T4)年4月17日、王子~飛鳥山間開業

1925(T14)年11月12日、大塚~鬼子母神前間開業

1926(T15)年3月28日、王子柳田~神谷橋間が開業。こちらは、赤羽への支線となっていた。

1927(S2)年12月15日、神谷橋~赤羽間開業

1928(S4)年12月25日、鬼子母神前~面影橋間開業

1930(S5)年3月30日、面影橋~早稲田(仮)間開業

1932(S7)年1月17日には、早稲田(仮)~早稲田間が開業 同年12月1日、王子柳田~王子駅間が開業し、三ノ輪橋~赤羽間の運転となった。

1942(S17)年2月1日に、王子電気軌道が東京市(のちの東京都)に譲渡され、東京市電の路線となる。

1943(S18)年7月1日、都制施行により、東京都電となる。

当時は27系統が、三ノ輪橋~王子~赤羽間 32系統が、早稲田~王子~荒川車庫間の路線となっていた。

1972(S47)年11月11日、王子駅前~赤羽間が廃止され、現在の路線体系となる。 同時に、福神橋~月島、本所吾妻橋~須田町、錦糸町駅~日本橋、葛西橋~境川、水神森~東陽公園、須田町~水神森間の6線区も廃止されたことにより、現在の荒川線部分を除いた都電が全廃となった。

1974(S49)年10月1日、27系統と32系統統合の上で、都電荒川線となる。なので、毎年10月1日は荒川線の日と定められており、イベントも行われている。

都電のワンマン運転は、1977(S52)年10月登場の7000系更新車および7500系改造車によって順次行われていたけど、翌年の1978(S53)年4月1日に完全ワンマン化されていた。

荒川一中前電停は、2000(H12)年11月11日に新設された都電で一番新しい電停である。

前身の王子電気軌道によって開拓された路線のうち、廃止されたのは、王子駅前~赤羽間で、すべて併用軌道だった。

廃止後、赤羽駅~王子駅~豊島五団地間を結ぶ都バス(王57系統)に継承されたけど、赤羽~王子間で、東京メトロ南北線と重複している。

都電の赤羽電停は、東京メトロ・埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅とほぼ同じ位置にあったけど、やはり赤羽駅と離れていた。

27・32系統の路線のうち、早稲田~王子駅前~三ノ輪橋間は、路線の9割が専用軌道であることや、代替交通を通しにくいという理由で存続されたのである。 こちらは、東急の玉電のうち、世田谷線だけが残されたことでも言える。

早稲田電停付近にある都バスの早稲田営業所は、かつて都電の早稲田車庫として使用されていた。 1971(S46)年に都バスの営業所に転用。

早稲田~面影橋間は、1968(S43)年9月28日の15系統(高田馬場~九段下間)の廃止までの間、東京都電と線路が繋がっていた状態であった。 32系統は、荒川車庫のほか、早稲田車庫担当の便もあった。

この15系統は、都バスの飯64系統(小滝橋車庫~高田馬場駅・飯田橋駅経由~九段下間、小滝橋営業所担当)に継承されている。

都電荒川線の車両は、7000形、7500形、8500形があり、7000形は23両 7500形は13両 8500形は5両在籍している。

7000系=7001~7005、7007、7008、7010、7013、7015、7016、7018~7020、7022~7027、7029~7031

7500形=7501、7503、7505~7507、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車

8500形=8501~8505号車

7000形は、1954(S29)年に登場、1956(S31)年までの間に93両製造されていた。

初期の7000形は、2枚窓が印象的で、PCCカーこと5500形に準じたスタイルが特徴だった。

昭和40年代後半の都電の縮小により、大部分が廃車となり、31両は荒川線に残留、10両は函館市電に譲渡されていた。

函館市電に譲渡された車両は、7032、7033、7034、7036~7042号車。

函館市に渡った10両は、前面窓が改良されたけど、側面は種車の面影があり。 函館市電では1001~1010号車として活躍していたけど、1006~1008号車(旧7033、7034、7041号車)のみ現役である。 1007号車は、旧都電塗装に復元されている。

筆者は、2003(H15)年12月に函館に行った時に、1007号車に乗車している。

荒川線に残留した7000形のうちの1955(S30)年から1956(S31)年にかけて製造された31両(7055~7078、7081~7084、7086、7087、7089号車)は、1977(S52)年から1978(S53)年に掛けて、足回り品再利用の上で、1枚窓、ノンステップの車体(ワンマン運転対応)に載せ替えられていた。同時に、番号が若い順に、7001~7031号車に改番されていた。

7055号車(現7001号車)は、1955(S30)年に新製されて以来、荒川車庫所属となっているので、7000系で唯一の生え抜き車である。 その他は、青山、錦糸堀、大塚、駒込、柳島、神明町の車庫に配置されていたこともあった。

この新7000形は、1978(S53)年度のローレル賞を受賞している。

1977(S52)年10月からの半年間は、ワンマンとツーマン混合運転となっていたので、新7000形、旧7000形、6000形の並びも見られていたこともあった。 

当初は非冷房で、ビューゲル式の集電装置となっていたけど、1987(S62)年から1991(H3)年にかけて、7001~7005、7007、7008、7010、7013、7015~7027、7029~7031号車の25両が冷房化改造され、アイボリーに緑帯という塗装に変更されていた。
こちらは、アルナ工機(現、アルナ車両)まで貨車で搬送されていた。
初期はヒューゲル式のままで冷房改造されていたけど、のちにパンタグラフ式に変更されていた。現在はすべてパンタグラフ式に変更。

ヒューゲル式の頃は、終点で向きが変わる瞬間を見ることが出来たけど、パンタグラフ化された現在はそれを見ることが出来ない。

初期の冷房改造車である7007、7008、7015、7016、7018、7019、7021、7023、7030号車の9両は、白地の行き先表示のまま更新されたけど、1988(S63)年度以降に冷房改造された7001~7005、7010、7013、7017、7020、7022、7024~7027、7029、7031号車は、冷房化とともに7500系と同様の青地の方向幕に交換されたため、ワンマンの表示も青地のものになっている。 前述の9両は、行き先表示幕のみ交換され、ワンマンの表示が白地のままとなっていた。 現在は、後述の再車体更新、行き先表示のLED化によって消滅している。

冷房改造の対象から外された6両(7006、7009、7011、7012、7014、7028号車)は、1991(H3)年から1993(H5)年にかけて、8500系に置き換えられて廃車となっている。

7006号車は、江東区東雲の交通局の研修所(都バスの深川車庫に隣接)でのシュミレーション設備に転用され、車体の一部が切断されていた。 同時に、冷房車に準じた塗装に変更されている。

7011号車は、千葉県市川市の大和田公園(本八幡駅付近)に保存されているけど、かなり色褪せていた状態となっている。

7009、7028号車は、1992(H4)年に、冷房化、ステップ取り付け等の改造を受け、豊橋鉄道東田本線(市内線)に譲渡された。 現地では、3500系として使用されている。

1999(H11)年には、7017、7021号車が、運用の見直しにより、冷房改造車のまま廃車となり、旧7009、7028号車と同様の改造を受け、豊橋鉄道に譲渡されている。こちらは3503、3504号車。

昨年8月、名鉄の岐阜エリアの600V線区(岐阜市内線、昨年3月31日廃止)で走っていた800系や880系が転用されたことにより、元名鉄と元都電の共演も見られるようになった。 これにより、かつて名古屋市電で走っていた3100系(1400系)が全廃となったけど、3102号車のみイベント用として残されることになっている。

7012、7014号車は、1993(H5)年の廃車後、博物館での保存を見据えて荒川車庫に置かれたままとなっていたけど、やはり都の財政難によって見送られ、残念なことに解体されてしまったのである。こちらは新7000形で初の全面解体処分となっている。

2003(H15)年からは順次、車体再更新され、行き先表示のLED化、化粧板の張り替えなど
が行われ、ワンマンの表示が、窓の部分に移設されていた。 

パンタグラフが一部シングルアーム化されている。

未更新の7000形は、近いうちに見納めとなる

足回り品は50年を超えているけど、未だに現役ということで凄いな!と思っています。特に函館の1000形も車体を含めて未だに現役なので。

7500形、全盛期の都電としては最後の新製車として1962(S37)年に7501~7520号車の20両が製造されていた。

その前に登場した8000形(1956(S31)年から1957(S32)年にかけて製造)は、都電の廃止を見据えた上で、耐用年数を10年程度に抑え、軽量・コスト低減の目的で導入されていた。
 やはりスピードが出る反面、揺れも激しく音がうるさいということで評判が良くなかったのである。 やはり老朽化が早いために、1969(S44)年から1972(S47)年にかけて廃車となっている。 このコンセプトは、JR東日本の209系列(通称使い捨て電車走るんです)に準じている。 都電8000形を飛行機に例えたなら、ターボジェット機と言える状態である。筆者としては、都電のターボ車と呼びたくなるような車両となっていた。

初期のターボジェットエンジンの飛行機は、騒音や振動が激しく、燃費が悪いという欠点があったので。

そのため現在のジェット機は、ターボファンエンジンが採用されている。

都電8000形は、8001~8131号車までの131両製造され、狭軌の杉並線を除いた全営業所に配置されていた。そのうち、8053が千葉県八千代市の電車喫茶である、TRAinCAFE、8125号車が車体のみ越谷市の自治会館(児童図書館)で保存されているのを確認している。

都電の杉並線(14系統)は、新宿駅と荻窪駅を結ぶ路線で、青梅街道の路上を走っていた。 こちらは、営団地下鉄荻窪線(現東京メトロ丸ノ内線)の開業により、1963(S38)年11月30日に廃止されている。 この路線が狭軌だったのは、旧西武鉄道の軌道線から継承されたという名残である。杉並線では、2000系列の車両が使用されていた。長崎電気軌道に譲渡された701号車(元2000形)は、現在専らイベント用として活躍している。

7500形は、1962(S37)年に日本車輌と新潟鐵工所(現在は新潟トランシスに継承)で新製され、当時は、前者青山車庫所属となっていた。8000形とはうって変わって、静かで乗り心地の良い車両と呼ばれていた。3枚窓のスタイルは8000形から踏襲されているけど、丸みを帯びたスタイルとなっている。コスト低減のためにバス型の窓が採用されているのが特徴であった。

1968(S43)年に青山車庫が廃止されてからは、日本車輌製の7501~7510号車が荒川車庫に、新潟鐵工所製の7511~7520号車が、柳島車庫にそれぞれ転用されたけど、1972(S47)年11月の廃止により、7513、7514、7515、7516、7518、7520号が荒川車庫に転属していた。 7511、7512号車のほうは、前年の1971(S46)年に荒川入りしていた。 7517、7519号車は、荒川に転属されることなく、そのまま廃車となった。

1978(S53)年の4月には、7501~7508、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車が、ステップの廃止などのワンマン対応化改造を受け、赤帯から青帯に変更。

改造の対象から外された7509、7514号車は廃車となり、7514号車のみ保存されていた。

7514号車は、長いこと荒川車庫に置かれていたけど、現在は、小金井公園の中にある江戸東京たてもの園に保存されている。 こちらに保存されている7514号車のほうは、状態が良い。

1984(S59)年から1986(S61)年に掛けて、7501、7503、7505~7507、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車の13両が、冷房付きの車体に載せ替えられていた。 こちらは、種車と同じ3枚窓で、新7000形に準じた車体となり、塗装は、アイボリーに緑帯となった。 都電初の冷房装置が搭載されたため、都電初の冷房車として話題となった。

集電装置は、ヒューゲル式だったけど、のちにパンタグラフ式に交換されている。

そのうち、旧7512号車の車体は、国立市の富士見台幼稚園で保存されている。

車体更新の対象外となった7502、7504、7508号車のうち、7502、7508号車は、1986(S61)年3月31日に廃車後、7502号車は、大田区萩中の児童交通公園に、7508号車は、板橋区の板橋交通公園に都バスの廃車体とともに保存されている。

7504号車のほうは、予備車兼イベント用車として、朝ラッシュ時の学園号などで走っていたこともあった。 筆者は、1994(H6)年に乗ったことがあるけど、他の7500系と比べて違和感がありました。 こちらは、オールロングシートで、板張りの床が特徴であった。 ダルマのようなスタイルが特徴で、ダルマという愛称で親しまれていた。

2001(H13)年に同じくイベント用として活躍していた6000形6152号車とともに廃車となったけど、現在でも荒川車庫に留置されたままとなっている。

車体更新された7500系形、現在でもそのままの姿で活躍しているけど、7501号車のみがシングルアームパンタ化されている。
7500系の運用は、当初から7000系と共通である。

8500形は、1990(H2)年5月2日、都電としては7500形以来の28年ぶりの新車として登場。 当初は8501号車1両のみ新製されていた。 こちらは、窓が大きく、都電初のVVVFインバータ装置が採用されているのが特徴である。 
運転台のほうは、8501号車のみ1軸2ハンドル型となっていたけど、運転手から操作しづらい、オーバーランの危険性があるということで敬遠されているので、稼働率が低かった。

行き先表示は前面が幕式、側面がLED式となっている。

パンタグラフはZ型で、車端部に設けられているので、日によって向きが一定していない状態である。8501号車は現在シングルアームパンタに交換されている。

1992(H4)年5月2日には、2次車である8502、8503号車も登場。 こちらはライトや塗り分けの変更、スカートの黒塗り化などで変化している。 運転台のほうは、評判の悪かった1軸2ハンドル型を廃止し、従来型と同じ運転台が採用されていた。 8501号車の運転台も、8502号車以降と同タイプに交換。 これによって、7000系や7500系との共通運用が可能となった。8502号車はロングシート、8503号車は1人掛けのクロスシートが採用。

翌年の1993(H5)年には、8504、8505号車が導入。 こちらは、8503号車で試用された1人掛けクロスシートが採用されている。

当初は、8500形によって在来車(7000形、7500形)が置き換えられる予定だったけど、都の財政難によって見送られ、8500形の増備が8504、8505号車をもって打ち止めとなっていた。 やはり定員が64名と、在来車(定員96名)よりも少ないという問題もあった。

定員が少ないために、現在でも稼働率が高くないという状態である。

来年(2007年)には、9000形というレトロ調のイベント電車が1両製造されるというニュースが入ってきたのである。 こちらは、8500形以来の久々の新造車となる。

やはり、イベント用として使用されていた6152号車および7504号車の穴を埋めるために導入されるけど、定期運用で使用されるのかどうかは不明である。

6152号車は、あらかわ遊園に静態保存されている。 2000(H12)年までは、第一・第三日曜日に、荒川車庫前→早稲田→三ノ輪橋→王子駅前→荒川車庫前のルートで運転されていた。 筆者は2000(H12)年10月1日に乗ったのが最後だった。
この運用が無くなった後、第一・第三日曜日に都電に乗る楽しみが半減したのである。


荒川車庫には、かつて上野~品川間の1系統(三田車庫所属)で走っていた5501号車(PCCカー)も保存されている。 1953(S28)年に製造されていたけど、車体の長さ(全長14.3m)がネックとなり、1系統に限定運用されていた。 1系統が廃止された1967(S42)年に12月9日に廃車となった。 こちらは5501~5507号車まであった。 
クジラみたいなスタイルが印象的だったのである。

2004(H16)年7月22日にリリースされたモーニング娘。の「女子かしまし物語」のPVでは、都電荒川線の7500形の7507号車の貸切電車が使用されていた。そのロケは、荒川電車営業所でも行われているので、荒川電車営業所の協力で撮影されたPVとなっている。

この時に在籍していたメンバーは、14名で、卒業前のW(ダブルユー)のメンバーも含まれていた。 

7022号車は、昨年6月に黄色い旧塗装が再現され、このままの姿で営業運転に入っている。 行き先表示がLED化されているので違和感がある状態である。

都電の電停の嵩上げ工事、1994(H6)年に行われ、電車とホームの間の段差が解消されていた。 これにより車椅子での乗降も楽になったのである。

東急世田谷線でもオール300系化されたことにより、ホームの嵩上げが行われていた。

庚申塚電停=甘味亭があるのが特徴である。 とげぬき地蔵尊への最寄り駅で、4の付く日の縁日の時には賑わうことになる。 ここはおばあちゃんの原宿と呼ばれている。

やはり都電では段差が無いということで、都電も良く利用されている状態である。

とげぬき地蔵尊へは、JR山手線、都営三田線の巣鴨駅から近いけど、両駅にはエスカレーターやエレベーターも完備されている。

飛鳥山公園は、江戸時代から続く花見の名所として名高い。 

三ノ輪橋電停=バラが綺麗な停留所で、関東の駅百選に認定されている。 三ノ輪橋以外でもバラが咲き誇る場所があるけど。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-24 13:31 | 鉄道乗車記
4月22日、押上から北千住まで東武50050系に乗りました。

まずは永田町から錦糸町まで、東急8631Fに乗車。

この8631Fは、8632、8633Fとともに、1984(S59)年の中央林間への延長開業とともに、10両完全新製で配置されていた。 こちらは、軽量車体タイプとしてマイナーチェンジされていた。

8500系は、1975(S50)年2月に田園都市線でデビュー。当時は、3M1Tの4両編成で、8601~8610Fが配置されていた。

翌年の1976(S51)年3月には5両化され、ローレル賞を受賞していた。

1977(S52)年4月7日の新玉川線(当時)の開業の時には6両編成となり、1979(S54)年8月12日の田園都市線と新玉川線・半蔵門線との直通運転開始により、8両編成となった。

1983(S58)年1月22日から、東急初の10両運転開始。 のちにすべてが10両編成となった。

8637Fからは、9000系に準じた内装に変更。 8638~41Fは、大井町線での運用にも対応しt5+5の編成となっていたけど、東武30000系と同様に中間車に運転台があり、定員が減ってしまうということで、5両に分割されて大井町線に転用されていたのである。

8500系の最終増備車である8642Fは、1987(S62)年登場。1991(H3)年3月まで、東横線で活躍していたけど、東横線で最後まで残った8500系となっていた。

8642Fのほか、8601~8604、8611~8613、8634Fも一時東横線に配置されていたこともあった。

8642Fの中間に導入された車両は、VVVF車である、0718、0818Fであり、8500系で一番最後に製造された中間車である。 あとは、VVVF試験車で8637Fに試験導入されていた0802号車、8980号車も連結されているので、4~7号車がVVVFインバータ車、その他の車両が界磁チョッパ制御車という特殊な編成となっている。このため、東武線乗り入れ非対応車となっている。

8642Fの田園都市線への転用により、8642Fに連結されていた中間車2両が8637FのVVVF試験車と差し替えられている。

こちらは、西武池袋線に在籍している2000系の2097Fと同様の状態である。 2097Fは、2号車と3号車のユニット(2197、2198号車)が、1145Fの中間車から試験的に改造されたVVVFインバータ装置が流用されている。

東武50050系は、51051~51056Fまで落成しているけど、現在は51051、51052Fが運用に入っている状態である。

50051Fは、3月18日のダイヤ改正に伴う増発用として、ATC装置を含めた完全新製車として導入され、改正初日の3月18日から営業運転入りしていた。当初の予定では、2月に営業運転入りとなっていたけど、結局改正初日からの営業運転となった。これにより、50050系の区間準急、通勤準急の表示が幻となった。

50052Fからは、30000系のATC装置等の乗り入れ装置が流用されている。

50052F=いち早く半蔵門線直通運用から離脱された31613+31413Fから乗り入れ装置が流用され、3月22日から営業運転入りしていた。

50050系のほうは、10両固定編成であるので、浅草~曳舟間、館林および南栗橋以遠への乗り入れは出来ない。 50050系の定期運用は久喜までとなっているけど、館林までの入線は可能である。昨年11月の試運転で実際に館林まで入っていた。

4月中には、31612+31412Fが直通運用から離脱され、その乗り入れ装置が50053Fに流用されることになっている。

半蔵門線直通運用から追われた31613+31413Fは、地上線運用に戻されているけど、31613Fは、6両固定ということで、久喜~太田間、南栗橋~新栃木間に再び乗り入れを果たしている。 31613Fは、3月17日まで、伊勢崎へも乗り入れていたこともあったけど。

31413Fは、4両固定編成で、東武宇都宮線を中心に運用されているけど、10000系列の2両との併結運転も復活している。

広告入りの編成 31605+31045F=豊洲スター化計画 31609+31409F=東武動物公園 31615+31415F=東武ワールドスクウェア

31615+31415Fは、2003(H15)年4月に、30000系の最終増備車として導入された編成で、30000系で唯一、営業開始時から乗り入れ運用に使用されている。 東武鉄道の2003(H15)年度の増備車は、この31615+31415Fだけだった。

31605+31405Fといえば、2003(H15)年3月29、30日、直通運転記念号として、中央林間~東武日光、鬼怒川温泉間で走っていたこともあった。 31605Fは東武日光、31045Fは鬼怒川温泉行き やはり6+4編成だからこそ出来た列車だったと思います。

30000系は、10030系ベースの車両で、1983(S58)年に登場した10000系から採用されている栗色の帯が受け継がれている。

東武30000系は、車椅子スペースの位置が、東急・メトロ車と異なっており、2、3、6、9号車と4ヶ所ある。

東武30000系によるフラワーエクスプレスは今年も運転され、4月29日、5月3~5日に長津田~館林、太田間で運転されることになっている。 長津田~館林間は10両、館林~太田間は6両で運転される。

長津田 6:45発→渋谷 7:14発→押上 7:45発→北千住 7:57発→館林 8:59着→太田 9:31着

太田 15:00発→館林 15:44発→北千住 16:50着→押上 17:02着→渋谷 17:36着→長津田 18:06着

途中停車駅 青葉台、あざみ野、たまプラーザ、鷺沼、溝の口、二子玉川、三軒茶屋、渋谷、表参道、青山一丁目、永田町、半蔵門、九段下、神保町、大手町、三越前、水天宮前、清澄白河、住吉、錦糸町、押上、曳舟、北千住、春日部、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、足利市 往路は茂林寺前駅にも停車。

30000系の地上運用転用により、5050系にも廃車が出ており、昨年12月には5156Fが廃車となっている。

現在残っている5157、5160、5161、5162Fの4編成は、東武宇都宮線を中心に最後の活躍をしている。

5050系の淘汰が終われば、8000系の初期型編成の置き換えが開始されることが予想されます。

東武車の運用は、清澄白河または押上で折り返す運用が多いけど、改正後もこのような状態が続いている。

押上から北千住まで乗った編成は、50051Fでした。 

曳舟では、50052Fとすれ違い、隣のホームに、31613Fによる区間準急館林行きが停車していたので、半蔵門線乗り入れ車両の交代劇のシーンとなった。

北千住から西新井までは、31613Fに乗り換えました。

西新井から王子駅前から都バスの王40系統で、王子駅前から大塚駅前まで、都電荒川線で行きました。

王40系統は、北営業所の路線で、池袋駅東口と西新井駅を結ぶ系統である。

この路線は、王子電気軌道(現在の都電荒川線)の乗合自動車部門から引き継がれた路線となっている。

こちらの路線は、長距離路線にも関わらず、乗り通す人が多い路線でもある。 こちらは乗り継ぎの便の悪い、池袋・西巣鴨・王子・西新井駅の各駅を繋ぐ路線でもあるので。

やはり着席出来ないということで、次の便を見送る人もしばしば現れる状態である。

使用車両は、大部分が日産ディーゼル製(UD)で、ディーゼル車のほか、CNG(圧縮天然ガス)車も使用されている。

CNG車は、

北営業所は、北区神谷3丁目(東京メトロ南北線、志茂駅付近)にあり、CNG車の運用には欠かせないCNG充填所も完備されている。
1980(S55)年に、これまでの滝野川営業所から移転してきた営業所であり、かつて存在していた都バスの志村営業所の統合により、いすゞ車も配置されていたこともあった。

都バスの志村営業所管轄路線は、東京駅北口~常盤台教会、上板橋駅、都営志村車庫間 池袋~王子、赤羽経由~都営志村車庫間 王子駅~常盤台教会間の路線があり、国際興業との共同運行となっていた。 王子~常盤台間の路線は国際興業のみ存続

あとは、赤羽~王子~豊島5丁目団地間、新宿~王子間の路線も志村営業所の担当だったけど、前者は北営業所、後者は杉並営業所(現、早稲田営業所杉並支所)所属だった。





 
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by hy_sengen-sin | 2006-04-24 11:19 | 鉄道乗車記
東急田園都市線の5000系の6ドア車は、昨年2月14日の登場以来、ラッシュ時に乗り降りしやすくなったなどと好評の状態であります。
現在、2編成在籍しているけど、5月中に4編成増え、6編成となる予定である。

最初の編成は、昨年2月14日 長津田7:25発の急行東武動物公園行き(現在は急行久喜行き)を皮切りに登場。 こちらは、一昨年10月に東武線内で発生した踏切事故によりダメージを受けた5104Fの中間車2両を差し替えた上での挿入となっていた。 

この時に編成替えが行われ、3号車と7号車に連結されていたT車が抜かれ、5号車と8号車部分に6ドア車が組み込まれていた。

これまでは、渋谷寄りから Tc+M+T+M+M+T+T+M+M+Tcとなっていたけど、6ドア車の組み込みにより Tc+M+M+T+T(6ドア)+M+M+T(6ドア)+M+Tcとなっている。

これにより 2号車に連結されていたM車(旧5204号車)が9号車、4号車に連結されていたM車(旧5040号車)が6号車、5号車に連結されていたM車(旧5504号車)が7号車、7号車に連結されていたT車(旧5704号車)が4号車、8号車に連結されていたM車(旧5804号車)が2号車、9号車に連結されていたM車(旧5904号車)が3号車に移設されていた。

外された中間車は、3号車に連結されていた旧5304号車(車椅子スペース付き)、6号車に連結されていた旧5604号車である。

旧5204号車の9号車への移設に伴い、車椅子スペースが新設されていた。

同年4月27日には、5107Fも登場し、長津田を7時29分に出発する急行清澄白河行きにも6ドア車が導入されていた。 

5107Fは、9両のみ完全新製。東横線の5050系に合わせて仕様変更されており、行き先表示が、5104Fから転用された1両のT車(5407号車)を除き、フルカラーLEDとなっている。

この5407号車は、5104Fの6号車に連結されていた旧5606号車(ダメージの小さかった車両)から転用されていた。

今年5月8日には、5108Fが登場し、5106Fも6ドア車の組み込みによって再登場することになる。 5月8日の時点で2編成増備。

5月24日には5109F、5月31日には5110Fもそれぞれ営業運転入りする予定となっている。

5106Fも、5104Fと同様に編成の組み替え、改番も行われることになり、5106Fから捻出された2両のT車は、5109、5110Fの4号車に組み込まれることになる。

5108Fの4号車に連結される5408号車は、5104Fの3号車に連結されていた5304号車から転用されるけど、踏切事故のダメージが大きかったために、足回り品等の再利用の上で車体が新たに作り直されていた。

東急5000系の6ドア車(5504、5804号車)は、昨年2月1日に逗子を出発し、東横線用の5154Fに挟まれた形で輸送されていた。 このため甲種輸送の時は、普段見ることが出来ない、5000系と5050系の混結シーンを見ることが出来た。 筆者は新鶴見信号所(新川崎駅付近)で見たことがある。

筆者は残念ながら行くことは出来なかったけど、4月18日から20日にかけて、5108Fと5106Fの6ドア車の甲種輸送が、逗子から長津田までの間で行われていたのである。

東急だから東急車輌で製造されるのが当たり前だけど、旧3000系の時代は、日本車輌でも製造されていたこともあった。

今回輸送された車両は、5808+5908+5008+5508+5608+5708+5506+5806+5108+5208+5308+5408号車の12両となっていた。

うち5808~5708号車は19日に、5506~5408号車は20日に、八王子から長津田まで輸送されていた。

以前は本郷台にも停車し、ファンを楽しませてくれたけど、現在は通過扱いとなってしまったのが残念である。

横須賀線内では、北鎌倉がオススメのスポットであり、古都をバックに撮影すれば絵になる状態である。 横須賀線から113系が撤退した1999(H11)年にはかなり賑わっていた

5000系の6ドア車は、2月1日から朝ラッシュ時のみの運用から終日の運用に拡大され、南栗橋へも定期で乗り入れるようになった。 これまでは、東武動物公園までの乗り入れとなっていたけど。 あとは、5000系の6ドア車が久喜へも乗り入れている状態である。

5000系は、2002(H14)年5月2日、5101Fの1本のみが導入。 こちらは、JR東日本のE231系に準じた車両として登場。 当時は1編成しかなかったので目撃率が低かった。

同年12月には量産車である5102Fも登場し、翌年3月19日の東武線乗り入れ開始の時までに5103~5106Fも導入されていた。

これに伴い、東急田園都市線から8500系の8601、8602、8638・8639、8640・8641F、8693、8694、8695Fが捻出され、8601・8602Fは中間車の一部を除き直接廃車(8500系で初の廃車、先頭車は長野電鉄に譲渡) 8638、8639、8640、8641Fは、5両に分割の上で大井町線に転用、大井町線に在籍していた8045、8047、8049、8051Fが廃車。

8693、8694、8695Fは、本来の8両編成に戻され、玉突きで8000系が廃車となっていた。

5107Fの導入に伴い、8603Fが廃車となり、中間車の一部は部品取り用を含め、長野電鉄に譲渡されている。 8603Fの先頭車は、長野電鉄に譲渡される予定。
 
5108、5109、5110Fの導入により、8500系の東武線乗り入れ非対応編成(Kマーク入り、8604~12Fのうちのいずれか)に廃車が出ることになっている。

8604Fは、この次に廃車となる可能性が高い状態である。

VVVF車の含まれている8642Fも、東武線に乗り入れることの出来ないK編成となっているけど。

そのうちの8606、8607、8610Fは、田園都市線で珍しくなった幕式表示の編成となっている。押上延長の時、2000系の2101、2102Fと同様に幕のみが交換されている。

8601、8602Fは、東急時代幕式表示だったけど、長野電鉄に譲渡された時にLED化されている。

8613、8614Fは、2003(H15)年の押上延長当時は、東武線に乗り入れることの出来ないKマークの編成だったけど、2004(H16)年9月に乗り入れ対応化されている。同時にスカートも取り付けられた。やはり同年10月のダイヤ修正の時の運用増を受けてこうなったのである。

東武線乗り入れ対応の8500系には、現在までに全てスカート(排障器)が取り付けられたけど、踏切を通らない東武線乗り入れ非対応編成の一部にもスカートが取り付けられた編成(2000系(2101~2103F)、8500系(8609、8611、8612、8642F)が登場している。

6ドア車の運用は、5月8日から、長津田 7時33分発急行北越谷行き(16K運用)、同 7時37分発急行押上行き(A40K運用)

5月24日から、長津田 7時42分発急行南栗橋行き(17K運用)

5月31日から、長津田 7時46分発急行清澄白河行き(18K運用)もそれぞれ加わる予定となっている。

既存の6ドア車の運用 平日は長津田 7時25分発(急行久喜行き、15K)、長津田 7:29発(急行清澄白河行き、38K)

これらの列車は、長津田→半蔵門間で、5号車と8号車(6ドア車)の座席が収納され、全員立席状態となる。半蔵門を過ぎれば(半蔵門、8時12分~34分着)座席が使用可能となる。

最後部(10号車)は平日朝ラッシュ時に限り女性専用車両となる。

5000系の6ドア組み込み編成は、基本的に平日のみの運用となっているけど、今回の増備で、土休日にも運用されるようになることが予想されます。 

5109Fの甲種回送は、5月9日から11日にかけて行われる予定となっている。 こちらは、5107Fの時と同様に、9両で輸送されることになる。

6ドア車が組み込まれていない5000系の運用は、東武線直通対応の8500系と共通であり、8500系同様、5000系の6ドア車対応編成の代走も行われることもある。

東急8500系=8616、8634、8635、8636FはフルカラーLED式の行先・種別表示に変更、8634、8637Fに、自動放送装置・車内LED式案内表示が新設されたことでも話題となっている。

上記の自動放送装置・車内LED式案内表示が設置された8634FはTOQ BOX、8637Fは青帯のシャボン玉塗装となっている。

東急のLED式案内表示式表示は、最初は全て明朝体の表示となっていたけど、東横線、田園都市線所属車がゴシック体の表示となっている。

東急大井町線の8500系の一部、東急多摩川線、池上線で走っている7700系、7600系は現在でも明朝体のLED表示となっているけど。

東急大井町線に転用された8500系の行き先表示は、LED式と幕式の両方がある。

東急のLED式表示のうち、日本語とローマ字が交互に表示されるタイプは、1999(H11)年に登場した3000系から採用され、5000系列、300系(世田谷線)、横浜高速鉄道Y000系、Y500系にも踏襲されている。 8500系のフルカラー式の表示の編成も、このような表示となっている。

小田急3000系の最新の増備車もフルカラー式となっているけど、こちらは明朝体の表示となっている。

東急8500系の東武乗り入れ非対応車および2000系は、3月18日のダイヤ改正での東武乗り入れ運用増加に伴い、稼働率が大幅に減っている状態である。今後は新車(5000系)の導入および東武乗り入れ対応化により、Kマークの編成が消えゆく時が近い状態である。

現在は平日のみKマークの運用があり、土休日はその運用が無いという状態となった。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-21 13:42 | 鉄道車両・路線
4月20日、北海道で唯一の第三セクター路線である北海道ちほく高原鉄道、ふるさと銀河線(旧国鉄池北線)が廃止され、北海道から第三セクター路線が全廃となります。こちらは、

北海道ちほく高原鉄道(ふるさと銀河線)の路線(池田~北見間)

池田~様舞~高島~大森~勇足~南本別~岡女堂~本別~仙美里~足寄~愛冠~西一線~塩幌~上利別~笹森~大誉地~薫別~陸別~分線~川上~小利別~置戸~豊住~境野~西訓子府~西富~訓子府~穂波~日ノ出~広郷~上常呂~北光社~北見

一部JR線帯広、新得までの直通運転もある。

快速銀河号が1日1往復、帯広~北見間で運転されているけど、ふるさと銀河線内は、池田、高島、勇足、本別、足寄、上利別、大誉地、陸別、小利別、置戸、境野、訓子府、上常呂、北見に停車する。

ふるさと銀河線の車両 CR70型6両(CR70-1~3、6~8号車)、CR75型4両(CR75-1~3、101号車) 101号車はイベント対応。

いずれもトイレ付きで、CR75型にはビデオ装置、自動販売機もある。

CR70型のうちの2両(CT70-4、5号車)は、利用客減少による運用減により、既に廃車となっている。

車両基地は、北見駅構内。

現在2両が、松本零士氏原作のアニメである銀河鉄道999(スリーナイン)塗装となっており、最後を飾っている。こちらはホワイトとイエローの2種類となっているけど。

4月21日から運行される代行バスのほうは、陸別を境に、池田側が十勝バス、北見側が北海道北見バスによって運行されることになる。

そのうちの北海道北見バスは、東急グループのバス会社である。

池北線の歴史は、1910(M43)年9月22日に、網走線として、池田~淕別(現、陸別)間が開業したのが始まりである。

翌年の1911(M44)年9月25日に、淕別~北見間が野付牛(現、北見)間が開業

1912(M45)年10月5日、野付牛~網走(のちの浜網走間、現在は廃止)が開業し、網走線全線開通。

同年11月18日には、網走本線に変更。

1961(S36)年4月1日には、池田~北見間が池北線となり、北見~網走間が石北本線に編入された。

1987(S62)年4月1日 国鉄からJR北海道の路線となり、前日の3月31日に貨物営業が廃止された。

1989(H1)年6月4日 第三セクター化され、北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線となる。

1991(H3)年11月1日 根室本線、帯広~池田間乗り入れ開始

1995(H7)年9月4日 岡女堂駅の新設

2006(H18)年4月20日にラストランが行われ、翌日に正式に廃止される。

ふるさと銀河線の廃止が正式に決まったのは、昨年の4月17日のことだった。

廃止される理由は、利用客の減少、施設等の老朽化に加え、2003(H15)年6月8日に、足寄町まで高速道路(道東自動車道)が開通した影響もある。

廃止後、10両の車両のうち4両が売却予定で、999塗装の2両を含む6両が、銀河の森によって使用されることになる。

陸別~川上間では、線路および車両が動態保存されることになっている。

こちらは、2001(H13)年3月31日に廃止された青森県の下北交通大畑線の旧大畑駅構内で、線路や車両が動態保存されていることと同様になる。

4月20日の最終日には、さよならふるさと銀河線号が、3両編成で臨時運転されることになっている。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-18 12:49 | 鉄道車両・路線

切り替え後の新宿駅

昨日(4月16日)は、新宿駅のサザンテラス口、新装された9、10番線の見物に行ってきました。

新宿駅のサザンテラス口は、新南口のコンコースと直結されており、すべてのホームから、甲州街道または跨線橋を横断せずに、サザンテラスに行けるようになったのである。

新宿サザンテラスは、1998(H10)年3月20日に、小田急線の新宿~南新宿間の線路上の人工地盤によって設けられた空間で、小田急電鉄とJR東日本の共同で整備されていた。 ここには、スタバ(スターバックス・コーヒー)、広島県・宮崎県のアンテナショップなどがある。 

スタバは、アメリカ・シアトル(ワシントン州)が発祥の地であり、日本上陸は、今から10年前の1996(H8)年のことである。

有名なハンバーガーショップであるマクドナルド(マック)は、アメリカ・シカゴが発祥の地で、1971(S46)年の銀座を皮切りに日本上陸していた。

小田急サザンタワーには、レストラン街のほか、小田急ホテルセンチュリーサザンタワーがある。

あとは、JR東日本の本社もここにあり、対岸の高島屋タイムズスクエアと陸橋で結ばれている。

JR東日本の旧本社は、丸ノ内にあった旧国鉄本社ビルから継承され、JR東海の東京支社も設けられていた。 1997(H9)年には、現在の新宿駅付近(渋谷区代々木)に移転。 旧国鉄本社ビルは撤去され、再開発ビルに生まれ変わったのである。

現在JR東海の東京支社は、東京都港区港南(品川駅付近)にある。

JR貨物の本社は、飯田橋駅付近にあり、ここには1997(H9)年3月21日まで、飯田町貨物駅があった。 元をただせば、甲武鉄道の始発駅だった。 周辺にあるホテルエドモントに遺構があると思われます。

7~10番線からサザンテラス口、新南口への通路、上下のエスカレーターしか設けられていないので、エスカレーターが故障した時にてんてこ舞いとなることが懸念されます。

1991(H3)年3月の成田エクスプレス(NE’X)の営業開始と同時に使用開始された新南口は、最初は何もなかったけど、高島屋タイムズスクエアのオープン、高速バスターミナルの新設により、利用客が増えていたので、新南口から7~14番線に出られるようにする改良工事が跨線橋掛け替え工事に合わせて行われたのである。 サザンテラス口も、この一環として新設されていた。

やはり新宿駅は、混雑が最も激しい駅(日本一の利用客の多い駅)となっているので、新南口の整備が行われてよかったと思います。

4月17日は、初の平日となるので、効果が現れると思います。

新南口から7~14番線に向かうときは、南口へと迂回する、もしくは新南口から入り、1~6番線ホームに入り、ここから一旦南口方面の階段を上り、また階段を降りていたということだったけど、4月16日からはそれが解消されたのである。

新宿駅の旧9、10番線=改良に合わせてサザンテラス口のコンコースと接続される予定なので、将来の11、12(旧9、10)番線部分のスペースが確保されている状態である。

新宿駅は、1885(M18)年3月1日に、赤羽~品川間の開業と同時に開業した駅で、昨年120周年を迎えていた。 開業当時は何も無かったけど、現在は超賑やかな駅になっていることを考えると想像出来ない状態である。

新9、10番線は、改良されて明るい感じのホームとなっていた。 こちらは、一昨年9月24日まで、7、8番線として、中央快速線の上りホームとして使用されていた。 ホームの幅が拡張されているので、夜間混雑する中央快速線の下り列車のホームとしてはとても有り難い状態である。

このホームは、将来中央線特急列車のホームに転用されることになっており、平面交差が解消されることになる。 これによって、一部の特急が7番線または9番線発着となるなど、バラ付きがある状態も解消される見込みである。

特急かいじ号は、普段は甲府(竜王)までの運用となっているけど、臨時で松本まで延長されることもある。 新宿19:30発のかいじ110号は、金曜日および休前日に松本まで延長されることになる。

こちらは、秩父夜祭りの時などに、西武の特急むさし号(普段は飯能まで運転)が臨時で西武秩父まで延長されることに似ている状態である。

竜王駅といえば、ENEOSの油槽所があるということで有名である。

中央線特急は、スーパーあずさ号を含めて、新宿から八王子までの間のみの利用も多い状態である。 この区間の自由席特急券は、ワンコインの500円となっている。

こちらは、小田急ロマンスカーで、新宿~町田間のみでの利用も多いということに匹敵している。

旧9、10番ホーム跡は、閉鎖された状態だけど、陸軌両用のトラックなどが留置されていた。 架線が一旦撤去されているので、非電化区間を思わせるような状態となった。忘れ物取扱所は旧9、10番線ホームの端に残留しているため、特設ゲートから入ることになる。

JR東日本では、世界初の燃料電池ハイブリッド車両が開発されるので、小海線に導入予定のディーゼル&電気ハイブリッド車両よりも一歩進んだ非電化区間向けの車両ということになる。 燃料電池で走るということは、排気ガスの排出が無くなり、日本とは限らず世界中で問題となっている地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)の排出もゼロとなるというメリットがあるので、これが実現すれば地球環境に優しい車両となるのである。

こちらの試験は、既存のNEトレインから改造された(ディーゼルエンジン、発電機を燃料電池、水素タンクに載せ替えた)上で行われることになる。つまり、NEトレインによる走行試験の第二章が始まることになる。

こちらは、昨年3月25日から9月25日まで開催された愛・地球博(長久手本会場と瀬戸分会場との間)で走っていた燃料電池バスの鉄道版ということになる。

中央線快速列車のホームが新装されたことにより、心機一転の状態となった。

4月17日、山手線の205系が撤退してから早1年経ったのである。 2005(H17)年4月17日の最終日は、外回りの運用となり、大崎駅での入庫のシーンも見送ったのである。

最後まで残っていた4番編成(クハ205-4F)には、HMが取り付けられていた。 2002(H14)年4月20日まで、当たり前だった山手線の205系が、3年がかりでE231系500番台に置き換えられたということで寂しさを感じました。 1985(S60)年から1988(S63)年まで行われた103系から205系への置き換え計画も3年掛かっていたし。

山手線の103系のJR時代は、1年足らずと短かった。 こちらは、青函連絡船および宇高連絡船のJR時代でも言えるけど。

山手線を走っていた205系のうち、初期型の2段窓の車両は、現在京葉線で走っている。

大崎入庫の時は、京葉線でまた逢おう!というコールが目立っていました。

山手線から追われた205系の転用により、103系の置き換えが加速され、今年4月8日には、最後の103系が首都圏から全滅したという状態となった。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-17 11:13 | 鉄道車両・路線
4月15日、新宿駅跨線橋掛け替え工事により、中央線、総武線、埼京線、湘南新宿ライン等で区間運休がありました。このことは、一昨年9月25日以来、1年半ぶりでした。

運休区間 中央快速線(御茶ノ水~三鷹間)、埼京線(大崎~池袋間)、湘南新宿ライン(大崎~赤羽間)

中央線 特急スーパーあずさ、あずさ、かいじ号=中野駅発着(千葉、東京、新宿~中野間運休)。7番線または8番線から発着 昨年9月25日以来、中野駅での特急列車の客扱いを見ることが出来た。 高円寺寄りには、仮設延長部分も設けられていた。

このため、E257系またはE351系による中野行きの表示も見られていた。

オレンジ色の電車(201系)は、御茶ノ水~三鷹間快速または特別快速運転中止。ホリデー快速おくたま・あきがわ号等の運転も中止。

日中でも、御茶ノ水~三鷹間で緩行線の線路を走る姿を見ることが出来た。 普段早朝・深夜にしか見られないオレンジ色の201系による各駅停車も走っていたし。 あとは、普段入線しない、中野駅5番線に201系が入線し、地下鉄東西線の電車と並ぶシーンも実現していた。

この日は、中野駅6番線に電車が入って来なかったので、7番線に停車中の特急電車の撮影にも持ってこいの状態だった。

中野駅は、普段特急列車が停車しないため、貴重な出来事となった。 E257系の回送列車が中野駅7番線に運転停車することもあるけど。

当然のことながら、東京メトロ東西線とJR中央線(三鷹まで)の直通運転が中止されていた。

御茶ノ水~三鷹間=日中はすべて快速運転されるはずのオレンジ色の201系と通常の総武線直通209系500番台またはE231系(黄帯の電車)が交互に運転されていた。

中野~三鷹間 緩行線は、通勤型車両、快速線は、特急車両のみが通過していたため、中野~三鷹間の複々線区間で、特急が201系の各駅停車を追い抜くシーンを見られていた。

総武線は、新宿行きの特急しおさい16号(255系)が新宿行きから東京行きに変更。 折り返しのホームライナー津田沼号も運休となっていた。あとは新宿わかしお、新宿さざなみ号も当然のことながら運休となっていた。

湘南新宿ライン 宇都宮・高崎線側は、上野発着に変更(一部大宮駅で折り返し運転) 快速列車も上野発着となった。 東海道線・横須賀線側は、大崎駅(一部品川駅で折り返し運転) 普段見ることが出来ないE231系の大崎折り返しを見られていたのである。 一昨年9月25日に見に行った時は、臨時の表示だった。
今回の切り替えの時は、湘南新宿ラインの表示のみとなっていた。LED式なら追加は容易に出来るはずだけど、大崎の表示が追加されることはなかったということになる。

前回の切り替えの時は、215系も走っていた。

埼京線 池袋で折り返し運転で、普段見ることの出来ない快速池袋行きの表示も見られていた。このことで、埼京線が開業した1985(S60)年9月30日から、新宿まで延長された1986(S61)年3月2日までの間の状態に逆戻りしていた。 

りんかい線 すべて大崎で折り返し運転。 

特急成田エクスプレス(NE’X) 大宮、池袋、高尾、新宿~東京間運休。 これにより、大船・横浜発着に振り返られ、一部東京駅での折り返し運転となっていた。

特急スーパービュー踊り子 新宿、池袋、大宮発着から東京発着に変更。

日光・鬼怒川直通特急(日光、きぬがわ、スペーシアきぬがわ号)=池袋発着に変更。
3月18日の開業以来初となるけど、最初で最後という可能性もある。

ムーンライトえちご、フェアウェイ号も池袋発着に変更されていた。

185系使用のホームタウンとちぎ、ウィークエンドあかぎ、おはようとちぎ号 上野発着に変更。

4月16日の高尾発着のNE’Xも、新宿始発に変更。

この日に使用停止となった新宿駅のホームは、1~10番線で、新南口も閉鎖されていた。

この日の新宿駅は、11~14番線のみの使用だった。

201系のほうは、今年暮れからE233系新型車両に順次置き換えられるので、追っ掛ける人が、前回の切り替えの時よりも増えていたのである。

このため、山手線の池袋~品川間は混雑していた この日は普段の土曜日よりも多めに運転されていた。

新宿から中野までは、オレンジ色の201系(T32編成)に乗車。 やはり日中の時間帯に201の各駅停車に乗ったということで、今から5年前まで走っていた三鷹の黄色い201系の時を思い出しました。こちらも、E233系の導入により過去帳入りすることになる。

中野駅に到着した後、E351系の中野行きの表示も撮影しました。 奥野さんも来ていたので、ちょうどよかったです。 

中野駅7番線に停車するE351系スーパーあずさ号も普段見ることが出来ない(普段は新宿~八王子間ノンストップである)ため、中野行きの方向幕とともに貴重な出来事となった。
このE351系は、第四編成(S4+S24編成)だった。

あとは、201系各駅停車と、東葉高速鉄道1000系との並びを撮影することも出来てよかったし。 あとは今年度中に全廃予定の東京メトロ5000系も見ることが出来た。

東京メトロの5000系のほうは、新05系の導入の遅れにより、昨年度末(3月までに全廃)の予定が、今年度中に変更されたのである。 つまり5000系が生き延びたということになった。 ということは、東葉高速鉄道の1000系と同時期のラストランとなることが予想される。

中野駅は、東京メトロ東西線の列車の撮影する人にとっても人気のある駅となっている。

15時03分(3時3分)、7番線からスーパーあずさ23号が発車。 この時に、松本から来たあずさ18号が入線。 こちらは、M103編成による9両編成だった。 M103編成といえば、2001(H13)年7月に、松本駅での車両展示会の時に乗った編成であった。あとは、2001(H13)年12月1日の営業運転開始の時に、新宿発の一番列車として使用された編成であった。 筆者が実際にE257系に乗ったのも、このM103+M203編成が最初であった。

第一編成であるM101編成には、ブルーリボン賞のプレートがある。

ここではもちろん、あずさ中野の表示も撮影しました。

しばらくした後、かいじ111号が入線。 このかいじ111号は、普段は東京発着の列車となっているけど、今回は三鷹から回送されてきていた。

このかいじ111号に使われていた編成は、M111編成(クハE257-111F)だったので、中野始発の暫定かいじ111号にM111編成が使用されたという偶然な出来事となったのである。

M111編成は、2002(H14)年5月17日、臨時のあずさ99号で営業運転入りしていた。

筆者は、これに乗って八王子まで行きました。 乗った号車は4号車。 この時も中野から八王子までの自由席特急券を買って乗ったけど、本当に価値のある状態でした。

中野~三鷹間の複々線区間では、逆方向で201系とすれ違う、201系を追い抜いていくという普段見られないシーンも展開されていました。

こちらはかいじ号であるので、立川のほか、三鷹にも停車していました。 

この日の四ッ谷、荻窪、吉祥寺駅=普段の土休日の高円寺・阿佐ヶ谷・西荻窪駅と同様に、快速線のホームが閉鎖されていた。

三鷹駅=1、2番ホームのみ使用で、快速線部分は、特急かいじ号のみの使用となっていた。

三鷹電車区=洗車の時は、洗剤を使わずに、イオン水が使用されているのが特徴である。これだと環境に優しいと言われている。

三鷹電車区付近で、将来の高架区間へのアプローチ部分も見ることが出来た。 三鷹~国分寺間=高架橋の建設工事が急ピッチで行われている。 やはり国立駅付近よりも先に高架化される予定となっている。

三鷹より先は、普段と変わらない光景となるけど、日中に各駅停車が運転されているということで違和感がありました。

国分寺では、各駅停車豊田行き、豊田で、各駅停車高尾行きを追い抜いて行った。

あとは、普段見られない各駅停車青梅行き、各駅停車大月行きの表示も見られていた。 

国立駅の北側には、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)があり、その所在地は、新幹線ひかり号にちなんだ国分寺市光町となっている。 国立駅から鉄道総合技術研究所への引き込み線があったけど、2004(H16)年に廃止されている。

東中野~立川間は、中央線で最も長い直線区間となっている。

東小金井駅は、1964(S39)年9月10日に開業。 回送列車等の待避で使用される中線があるのが特徴である。 

八王子駅の北側には、オイルターミナルがあり、ここには、タキ1000-261、236号車などが止まっていた。このことは、地元八王子在住の多喜千与三(A.S)会員が良く知っている状態である。

この周辺で、EH200牽引のタンク車とすれ違いました。

八王子に停車した後、京王八王子駅まで歩き、ここから京王線で新宿まで行くことを考えていたけど、京王線が混雑することが予想されるし、中野止まりの特急に乗るのは今しかないということで、中野までかいじ114号に乗ったのである。

八王子駅の発車メロディーは、昨年12月25日から夕焼け小焼けに変わっている。

中野止まりの特急は、一昨年9月25日に最初で最後になるだろうと思っていたけど、また運転してくれてよかったです。 諸事情により行かれなかった人にとっては嬉しい出来事だったけど。 普段利用している人にとっては、時間が遅くなるということで複雑な心境だったに違いなかったです。

八王子から中野まで乗った編成は、M104編成で、一昨年9月25日に中野から八王子まで乗った時と同じ編成でした。 当時は中野18時3分の松本行きのあずさ29号に乗っていた。

M104編成=E257系元年である2001(H13)年12月新製 東京支社での東海道線試運転に使用された編成であった。

この日は、新宿から八王子まで行くのに、中央線の特急以外では、京王線の特急に乗ったほうが速いという状態となっていた。

4月15日といえば、京王線の開業記念日である。 こちらは、1913(T2)年4月15日、京王電気軌道の路線(路面電車)として、笹塚~調布間に開業したのが始まりだった。

中野に到着した後、5番線からの201系で新宿まで行きました。 この時に乗った編成は、T6編成(クハ201-26F)で、荻窪駅付近で追い抜いて行った編成だった。

中野駅7番線に、松本行きのスーパーあずさ27号が止まっていたけど、こちらは1次車(S2+S22)編成でした。 この編成は、一昨年9月25日に八王子から中野まで乗った時と同じ編成である。 この時に暫定中野特急で乗った編成同士が出会ったということになった。

中野駅では、奥野さんのほか、早川さんと出会いました。早川さんは、この後、市川(本八幡)でのハロプロ関連のライブに行っていた。 今回は筆者は参戦しなかったけど。

今回中野発着の暫定特急の乗車、前回と異なり、往復E257系のかいじ号となった。

4月16日から中央快速線下りホーム(9、10番線)が、これまで中央線上りホーム(7、8番線)があった場所に仮移転。 同時に、サザンテラス口が新設され、7~14番線からも新南口へも行けるようになる。 新南口が開設されてから15年間、1~6番線にしか行くことが出来なかったけど、4月16日からそれが解消されることになる。

仮移転された9、10番線は、将来中央線の特急専用ホームに転用される予定となっている。
 
これまでの9、10番線(中央快速線下りホーム)は、改修工事の後に再び中央快速線下りホーム(新11、12番線)となる予定である。

この次の切り替えの時は、E233系化が完了していることが予想されるので、201系の暫定輸送も貴重な光景となっていた。

今回の切り替え工事は、前回と同様に目立ったトラブルもなく完了していたのである。

2003(H15)年9月27日から28日にかけて行われた武蔵小金井付近の上り線の仮線切り替えの時、旧武蔵小金井電車区部分の配線ミスの関係で、28日の復旧が大幅に遅れていたこともあった。

当時は、E257系による立川行き、E351系(スーパーあずさ)による八王子行きの表示も見られていた 
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by hy_sengen-sin | 2006-04-15 23:40 | 鉄道乗車記

熱海

4月9日は、青春18きっぷで熱海まで行ってきました。 ルート 目白~新宿~横浜~熱海~国府津~大船~石川町…日本大通り~横浜~新宿~目白


まずは新宿から湘南新宿ラインで横浜へ。 この時に、今年新造された小山の編成に当たりました。

今年度中に小山車両センター向けに導入された編成のうち1編成は、国府津車両センターに貸し出されている状態である。これにより、小山車が普段入線しない東京~横浜間、大船~熱海、沼津、伊東間にも入線するシーンも見られるたである。

上野発着の高崎線のE231系は、大部分が小山車両センターの運用となっているけど。

国府津車のE231系でも、湘南新宿ラインの間合い運用で上野まで乗り入れることもある。

横浜から熱海までは、E231系の快速アクティーに乗車。小田原~熱海間で、おなじみの相模湾の景色を楽しみました。 この風景はいつ見ても飽きないです。 今度はグリーン車の2階席で楽しみたいと思っています。

熱海駅に到着した後、伊豆急の200系を撮影し、その後、駅前の足湯に行きました。

この足湯は、「家康の湯」であり、昨年12月18日に行った時と同じ場所でした。やはり混雑していたので待たされました。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-15 23:11 | 鉄道乗車記

さよなら103系

この日は、北千住~取手間で、会員制のさよなら運転が3往復運転されました。 筆者はそのうちの第二部に乗車しました。

ルート 目白~日暮里~北千住~取手~北千住~松戸~北千住~上野~目白

まずは、日暮里まで山手線で行き、ここから北千住まで415系で行きました。 こちらは、K814編成(クハ411-519F)+K509編成(クハ411-317F)の11両編成で、普通鋼車同士でした。 この日は、強風の影響により、ダイヤが乱れていた。

415系の普通鋼製車は、E531系に置き換えられることが決定している。

隅田川貨物駅から南千住駅への引き込み線は、つくばエクスプレス建設工事により使用停止されていたけど、現在は復旧している。

三河島駅構内には、貨物線が通っており、田端操車場へと通じている。 以前は、ときわ鎌倉号として、167系使用の臨時列車が取手~北千住、新宿経由~鎌倉間で走っていたこともあったけど、やはり湘南新宿ラインの登場により廃止されている。 現在常磐線方面から鎌倉への直通列車は、武蔵野線経由となっているけど。

北千住に到着後、南口で受付を済ませ、記念品(ピンバッジ・キーホルダー)、記念乗車証を受け取りました。 ここで、乗車列に並んで待機。 北千住で、さよなら103系記念弁当が売られていたのでこれも買いました。 

階段を下りれば、2番線に、この日の主役であるエメラルドグリーンの103系が止まっていました。 編成は、基本編成のマト7編成(クハ103-273F)。 

一部の車両には、103系の写真も展示されていました。 あとは、一足先に姿を消した103系1000番台の写真もあったし。

この時の編成は、取手側から、クハ103-273+モハ103-749+モハ102-2006+サハ103-259+モハ103-275+モハ102-430+サハ103-297+モハ103-278+モハ102-433+クハ103-274号車となっていた。

両先頭車のクハ103-273、274号車は、新製当時山手線(池袋電車区)に配置されていた高運転台、ATC付きの車両。

付随車のサハ103-259号車は、1969(S44)年の新製当時、山手線(品川電車区)に配置。クハ103-130Fに組み込まれた10両編成で走っていた。 こちらは、ATC化される前の山手線の面影の残る車両となっていた。

池袋電車区と品川電車区は、山手電車区(現、東京総合車両センター)に統合されていおり、池袋と品川の車両基地部分は、現在でも留置線として使用されている。

モハ103-749+モハ102-2006号車は、豊田電車区に新製配置。 モハ102-2006号車が、最後(2006年)まで残ったのが奇跡的だった。

あとの5両の中間車は、1970(S45)年に松戸電車区(現、松戸車両センター)に新製配置された生え抜き車となっている。

まずは、その1両であるモハ102-433号車に乗車。MT55主電動機が奏でるサウンドを満喫していました。

この時に、3月の定期運転終了時には見られなかったヘッドマークが取り付けられていました。

なのでホームはもの凄い人だかりの状態でした。

行き先表示は、「団体」では無く、「常磐線 JOBAN LINE」となっていた。115系の時は「団体」となっていたけど。

松戸駅の手前および松戸駅で運転停車 松戸駅では、普通列車等の待避が行われたので、撮影に持ってこいの状態でした。

松戸を出た後は、我孫子までノンストップ 103系が普段止まるはずだった柏駅を通過したのは珍しかったです。 柏では、減速しての通過だった。

我孫子駅2番線に運転停車。 ここでも撮影日和となりました。 ここで、E531系の特別快速が通過していきました。

我孫子を出ると、車両基地の横を通過。この時に、E231系群のほか、少数派の209系1000番台も止まっていました。

江戸川、利根川の橋梁にも、人が集まっていました。

利根川を渡り、終点の取手駅に停車。 ここでの折り返し時間があったので、撮影日和となっていました。降りることが出来なかったのは辛かったけど。 

ここで、先頭車のクハ103-274号車に移動。 こちらはかつて山手線を走っていた車両なので、山手線の103系を思い出しました。 山手線から103系が姿を消してから今年6月で18年経つのである。 

その後継ぎ車である205系が山手線から消えてから、4月17日で1年、早いもんである。

車内では、さよなら103系記念弁当を食べました。 これには、ご飯もののほか、里芋・やば・人参その他の煮物、鶏肉の照り焼き、卵焼き、しじみと野菜のかき揚げ、鱸(スズキ)の唐揚げ、鮒(フナ)の甘露煮、こんにゃくの田楽味噌かけ、うなぎの蒲焼き、奈良漬け、菜の花のお浸し、蓮根煮、梨のシロップ漬け、羊羹が入っていました。 もちろん食べる前に携帯およびデジカメで撮影しました。

この羊羹には、103の文字が入っていたので、昨年1月15日のさよなら115系の参加者に配布された記念弁当を思い出しました。

そのパッケージには、103系1000番台の松戸行きの写真が入っていました。こちらは、1個1000円したけど、食べる価値がありました。この弁当は美味しかったです。

帰りの我孫子では、中線に停車。 普段は味わえない光景である。ここでもE531系の特別快速に追い抜かれたのである。 あとは、取手からの追っ掛け客用のE231系の快速が先行していた。ここで、運転台後部のATC装置跡の蓋を開けるという実演があった。

103系のATC仕様車の運転台は、車内から見ることが出来ないので、北千住での折り返しの時に外から撮影していた人が多かったです。
205系の時から、ATC装置が床下に装備されるようになり、前面展望を犠牲にすることも無くなったのである。 現在の山手線の主力であるE231系500番台にもそれが受け継がれているし。

常磐線の103系は、1967(S42)年12月23日に登場。 当時は10両編成。こちらは、唯一のエメラルドグリーンの103系となった。

1971(S46)年4月20日の我孫子~綾瀬間の複々線化完成および営団地下鉄(現、東京メトロ)千代田線との直通運転開始により、上野~取手間の103系が8両編成化されていた。

その翌年の1972(S47)年には、再び10両化。8両短縮は失敗だったので、10両編成に戻されたのである。その理由は、迷惑乗り入れとして騒がれたことにより、常磐快速線の混雑が増大してしまったからであるし。103系の冷房車はこの時に登場。

常磐快速線の15両運転開始は、1987(S62)年12月のことだった。

この列車には、ふじみ野都市(森敏英)さんや内田さんも乗っていました。

山さん(山澤さん)のほうは、南柏駅付近、取手駅、金町駅で最後の勇姿を撮影していた。

このように、途中駅もで103系最後の勇姿を撮影した人が多かったです。

途中は雨が降り、涙雨状態となったけど、本降りにならなくてよかったし。

北千住に到着。 ここで首都圏最後の103系と別れを告げました。 

北千住では、山さん、奥野さん、河口さんと合流。 河口さんは、千秋楽である第三部に乗車していた。 
 
ここで、第三部を見送り、しばらくした後で、松戸まで移動しました。

松戸に行く前、友人に頼まれていた2枚組のオレンジカードを買いました。売り切れ寸前だったので、良いときに買えて正解でした。 やはり大人気商品なので完売覚悟の状態だった。

103系の記念プレートも、即完売していたし。

松戸まで乗った車両は、E231系でした。

松戸で在庫状況を調べたところ、こちらも即完売となっていました。

このように売り切れたということは、買えなかった人には気の毒だけど、売る方にとっては嬉しい出来事である。

松戸では、もちろん103系を撮影していました。 上りは2番線に停車。 この時に、3番線を651系スーパーひたち号が通過していた。 常磐緩行線では、たった1本しかないメトロの06系、新京成の8800系のギャラリー電車を見ることが出来ました。

ホーム等での撮影(特に通過電車に対して)は、危険を伴うことがあるので、注意してもらいたいです。 電車は急に止まれないので。

松戸での撮影を終えた後、E501系で北千住まで行きました。 こちらは、京急2100系や新1000系の初期型編成と同じく、♪ファソラシドレミファソの音を奏でるドレミファ電車となっているけど、E531系のグリーン車組み込みにより、今後の動向が非常に気になります。

北千住では、松戸まで回送される103系を見送りました。 出発の時は、恒例のありがとうコールや拍手の嵐が凄かったです!

河口さんは、北千住に到着後、松戸まで戻り、回送を見送っていた。

北千住から上野までは、415系に乗ったけど、後方はステンレスの1500番台(K532編成、クハ411-1522F)となっていた。 前方は、普通鋼製のK817編成(クハ411-522F)

上野に到着後、萩原さん、黒岩さん、重満さん、木沢さん、高石さんなどと出会いました。

この後、例の上野の聚楽台で行われた親睦会(萩原さん主催)に参加

これらのメンバーもやはり、103系の撮影も行っていたのである。

翌日の4月9日の松戸車両センターでのイベントでは、103系の低運転台車やE231系の並び等が披露されていたけど、筆者はチケットが無かったので行くことが出来なかったのが残念である。萩原さんや黒岩さんなら参加していたけど。

このイベントは、合格点として判定します。 このようなイベントを企画してくれたJR東日本、東京支社(松戸地区)のスタッフ等に感謝しています。

気になる鶴見線の103系(T1編成)のほうは、復活する予定が無く、このまま廃車回送されることが予想されるので、カナリア色の103系が、寂しい幕切れとなってしまうことになる。

このT1編成は、クモハ103-66+モハ102-173+クハ103-553号車から成る3両編成で、現在は中原電車区に疎開留置されている。

これらの編成は、新製当時、京浜東北線所属で、Mc+M車が蒲田電車区、Tc車が下十条電車区(モセ)に所属していた。

かつて京浜東北線の車両基地は、浦和電車区のほか、蒲田電車区(蒲田駅付近)、下十条電車区(東十条駅構内)にあったけど、現在は電留線として使用されている。

蒲田電車区のほうは、末期は横浜線の電車が配置されていた。1996(H8)年10月の横浜支社の設立により、大船電車区(のちの鎌倉車両センター)に移動したのである。

このT1編成は、昨年8月27日の東京総合車両センターでのイベントの時、試乗用車として使用されていた。 大宮の時とは異なり、気軽に乗れたのである。
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by hy_sengen-sin | 2006-04-10 13:12 | 鉄道乗車記