交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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福島の某ホテルをチェックアウトした後、福島から飯坂温泉まで、福島交通飯坂線で行きました。

福島交通飯坂線の路線 福島~曽根田~美術館図書館前~岩代清水~泉~上松川~笹谷~桜水~平野~医王寺前~花水坂~飯坂温泉

開業した時は、1924(T13)年4月13日、福島~飯坂(現、花水坂)間が開業したのが始まりであった。 当時の社名は福島飯坂電車軌道 1927(S2)年3月23日には、飯坂温泉まで開通したのである。

車両は、元東急の7000系の2両編成(平日朝ラッシュ時は3両編成)が使用されており、中間車から先頭車改造されている。 こちらは、ワンマン運転ではなく、従来のツーマン(車掌乗務)となっている。

こちらの運用は、総武流山電鉄(馬橋~流山間)と同様にラッシュ時は3両、その他は2両という運転方式となっている。

元東急7000系が走っている路線といえば、北陸鉄道石川線(石川県、野町~加賀一の宮間)、水間鉄道水間線(大阪府、貝塚~水間間)、弘南鉄道大鰐線、(青森県、大鰐~中央弘前間)、同弘南線(弘前~黒石間)となっている。

1999(H11)年12月までは、秩父鉄道でも元東急7000系(2000系)が走っていたこともあった。

福島交通飯坂線は、土曜・休日に500円で乗り放題の乗車券が売られており、日帰りで飯坂温泉まで往復しても割引となるのである。

7000系の本数は、2両編成4本8両 3両編成2本6両 計 14両となっている。 車両基地は、桜水にある。 ここには、旧型車が倉庫として保存されている。

7000系が導入された時は、1991(H3)年6月25日で、600Vから1500Vに昇圧化されていた。 2両編成は、もう1本あったけど、2001(H13)年4月8日、福島駅の駅ビルに衝突する事故により廃車となっている。 これを期に、同年10月1日に、ATS装置が導入されたのである。

こちらは、床置き式の冷房装置が設けられているので、見た目が非冷房車と変わらない状態となっている。

今回乗った編成は、往復7105Fの2両編成でした。

1980(S55)年から1991(H3)年まで、元東急の旧5000系青カエルが走っていたこともあったけど、地方私鉄6社(長野電鉄、福島交通、上田交通(現、上田電鉄)、岳南鉄道、松本電鉄、熊本電鉄)に譲渡された青カエルの中で先に引退したのである。

熊本電鉄に譲渡された元青カエルの5000系電車2両は、両運転台化改造されており、上熊本~北熊本間の支線で最後の活躍をしているけど、その最後の砦が崩れるのも時間の問題となっている。6両譲受されたうちすでに4両が廃車となっているので。 2両ともに東急グリーンに戻されて活躍している。

福島から元東急の電車に揺られて飯坂温泉に行くことは、上田駅から上田電鉄の元東急7200系に乗って別所温泉に行くことに似ている状態である。

VVVF改造前のオリジナルの7000系は、1999(H11)年8月のこどもの国線を最後に、本家の東急から全廃となっている。 こどもの国線で最後まで残っていたワンマン車両である7052+7057号車は、東急で最後の非冷房車であり、廃車後は、東急車輌の工場の入れ替え車として譲渡され、こどもの国線の塗装のままで使用されている。

7700系のほうは、目蒲線で走っていた3編成が余剰となり、十和田観光電鉄(青森県、三沢~十和田市間)に譲渡されている。これにより、元東急旧3000系から改造された車両が引退し、一部はイベント用として残されている。

福島交通では、飯坂線のほか、福島駅前~湯野町(飯坂温泉駅付近)、聖光学園前~伊達駅前間に飯坂東線という路面電車が走っていたこともあった。 あとは、その支線として、長岡分岐点~保原間の保原線、保原~梁川間の梁川線、保原~掛田間の掛田線が走っていたこともあったし。

これらの路線がすべて廃止されたのは、1971(S46)年4月12日のことだった。

福島交通のバス部門は、すべて三菱ふそう製が使用されており、名古屋以外で三菱ふそうが主流であるということで珍しいなと思いました。 名鉄バスやその系列では、三菱ふそうが主流だけど。

福島駅のホームは、飯坂線と阿武隈急行(阿武急)と一緒になっており、東側が飯坂線、西側が阿武隈急行が使用している状態である。 

飯坂温泉は、宮城県の鳴子温泉と秋保温泉とともに、奥州三名湯の一つである。

ここには、ホテル聚楽などのホテルも建ち並んでいる。 ホテル聚楽は、萩原さん主催の上野での親睦会の会場である聚楽の系列となっている。

飯坂温泉に到着した後、徒歩で、公共浴場である、鯖湖湯に行きました。ここは、古くからある有名な木造の共同浴場であり、1993(H5)年に改築されている。

この前には、神社や足湯もありました。

この温泉はとても熱かったです。

福島県は、飯坂温泉のほか、岳温泉、磐梯熱海温泉、土湯温泉、東山温泉芦ノ牧温泉、湯野上温泉などがあり、温泉地が豊富な都道府県となっている。

飯坂温泉には、日帰り老人介護のデイサービスセンターがあり、ここの浴場では温泉が使用されている。

本当は飯坂温泉に1泊したかったなと思っていました。

飯坂温泉を後にして、福島交通で福島まで行き、ここから仙台まで719系による快速仙台シティラビットで行きました。

阿武隈急行の路線 福島~卸町~福島学院前~瀬上~向瀬上~高子~上保原~保原~大泉~二井田~新田~梁川~やながわ希望の森公園前~富野~兜~あぶくま~丸森~北丸森~南角田~角田~横倉~岡~東船岡~槻木→(一部、仙台まで直通運転)

福島~梁川間は、かつて福島交通飯坂東線が走っていたエリアを通っている。

阿武隈急行の前身は、1968(S43)年4月1日に、槻木~丸森間に開業した旧国鉄丸森線である。 当時は、非電化路線であった。

1986(S61)年7月1日、旧国鉄丸森線から第三セクターの阿武隈急行として再出発。 非電化路線もままで引き継がれていたので、旧国鉄からキハ22型DCを借り入れられてでの運用となった。

あれから丸2年後の1988(S63)年7月1日 丸森~福島間全線開通 同時に交流電化され、8000系電車で運用されるようになった。

仙台への直通は、阿武急の車両による片乗り入れとなっている。 2004(H16)年3月までは、郡山へも乗り入れていたこともあった。

車両は、8000系の2両編成で、2ドア、セミクロスシートとなっている。槻木寄りの先頭車には和式トイレがあり、こちらは、前部の扉の後方にある

仙台シティラビットに使用された編成は719系の2+2の4両編成である。 719系は、1989(H1)年に登場した211系ベースの交流専用電車であり、1991(H3)年までに製造されていた。 仙台エリア(東北本線、黒磯~小牛田間、岩切~利府間、仙山線、仙台~山形間)の狭軌区間で使用されている0番台のほか、福島~山形~新庄間の山形線(標準軌区間)で使用されている5000番台もある。 0番台は東急車輌で、5000番台は日本車輌で製造されていた。

仙台シティラビットは、定期列車で3往復設定されており、土曜・休日には臨時れぅtしゃも運転されることになる。

停車駅 福島~東福島~伊達~桑折~藤田~白石~大河原~船岡~槻木~岩沼~名取~仙台

福島駅を出た後、福島交通飯坂線と併走 桑折の駅で、東北新幹線と並んでいました。

貝田駅を通過し、福島県から宮城県に入りました。 

大河原駅からは、仙南軌道という列車が蔵王山の麓である遠刈田温泉まで出ていたこともあったけど、1937(S12)年6月30日に廃止されている。

あとは、長町駅から秋保温泉まで、秋保電気鉄道の列車も出ていたこともあった。 こちらは、1961(S36)年5月7日に廃止されている。

岩沼では、常磐線と合流。 常磐線の列車(いわき以北)は、仙台に直通しており、701系ワンマン電車、717系などが使用されている。

常磐線は、上野と岩沼を結ぶ路線となっているけど、上野~取手~いわき間と、いわき~岩沼~仙台間と系統が分割されている。 

仙台所属の455系は、水戸まで乗り入れていたこともあったけど、昨年7月9日のダイヤ改正で水戸への乗り入れが廃止されたのである。 

常磐線の特急、スーパーひたち号は、3往復のみ上野から仙台まで運転されているけど、全線通しで乗る人は少ないと思います。

上野8時発のスーパーひたち7号(仙台行き)は、唯一松戸に停車する特急として残されている。 他の特急は、柏停車にシフトされている。

651系の仙台乗り入れは、原則としていわき~仙台間4両編成となるけど、多客期には7+4の11両(グリーン車連結)で運転されることになる。

こちらは茨城、福島県浜通り地方から仙台に向かう時に便利な列車となっている

館腰駅は、仙台空港口の副名称となっており、2006年度末(来年3月)に予定されている仙台空港鉄道・仙台空港線(名取~仙台空港間)の開業の時まで、バスで連絡されている。

名取駅付近では、仙台空港線の高架橋を見ることが出来たけど、まだレールは敷かれていない状態でした。

仙台空港線 名取~杜せきのした~美田園~仙台空港

仙台空港駅は、ターミナルビルに直結した高架駅となる予定である。

こちらはもちろん、JRの仙台駅までの直通運転が予定されている。開業すれば、仙台駅と仙台空港が約17分で結ばれることになる。 現在はリムジンバスで約40分掛かっている。

この開業に備えて、E721系が2両編成4本8両導入される予定だけど、そのうちの1編成は、先行落成している。 あとは、仙台空港鉄道分の増備車であるSAT721系が3編成6両導入されることになっている。

E721系 2両編成で座席はセミクロスシートで3ドア車。 車端部には、荷物置き場と、幅広洋式トイレがある。 乗降口は、ステップが廃止され、乗り降りしやすくなっている。

最高速度は120Km/hで、701系と併結可能。 701系と併結の場合は、110Km/hに抑えられる。

2007年3月には、南仙台~長町間には、太子堂駅が開業する予定だけど、仙台空港線と同時に開業する可能性が高い状態である。

長町駅は、現在高架化工事中であり、仙台市営地下鉄南北線への乗換駅となっている。 

長町と東仙台の間には、宮城野貨物線が出ており、仙台駅を通る代わりに、宮城野貨物駅を通ることになっている。 この宮城野貨物駅は、仙石線の宮城野原駅の周辺にある。

開業は、1960(S35)年10月1日 これが開業するまでの間は、仙台駅で貨物扱いされていた。

仙台駅に到着した後、貴重なオリジナルカラーの583系の6両編成が止まっていたので、それを撮影しました。 この583系(元祖寝台型電車)の6両編成は、団臨用として使用されている。
あとは、秋田車両センターにも、グリーン車付きの9両が在籍している。 これらの583系は、2002(H14)年12月まで、青森運転所(現、青森車両センター)に在籍していたけど、現在は分散配置されている。 老朽化が進んでいるために、活躍も長くはないという状態である。

455系の撮影も合わせて行い、その後に、ホームにある立ち食いそば屋で昼食を取りました。

この間に、上野からのスーパーひたち7号が入線 上野から4時間23分で到着していた。 この日は、7+4の11両編成で運転されていました。

仙台駅の在来線ホームのの発車メロディーは、宮城県仙台市在住の歌手である、さとう宗幸氏のヒット曲である「青葉城恋唄」がアレンジされた曲となっている。

ここから岩切まで701系の普通列車で移動、ここで、701系のワンマン電車で、利府まで行きました。

仙台を出た後、車両基地である仙台車両センターを見ることが出来ました。

東北本線の岩切~利府間の支線、1962(S37)年まで、品井沼まで出ていて、山線ルートとなっていたこともあった。 現在の海線ルート(陸前山王~品井沼間)は、1944(S19)年11月15日に開業。

1962(S37)年4月20日に(旧)松島~品井沼間が、同年7月1日に利府~(旧)松島間が廃止されたことにより、利府支線として独立されたのである。

この路線は、1978(S53)年に交流電化されたけど、1995(H7)年までほとんどが気動車で運転されていたこともあった。

この路線は、東北新幹線で最大の車両基地およびJR東日本の新幹線の総合車両工場である新幹線総合車両センターを眺めることの出来る路線なので、新幹線が好きな人にお勧めの路線である。

新利府駅は、東北新幹線の車両基地への勤務者のために設置された駅で、1982(S57)年4月1日に開業している。 7月に行われるイベントの時は、この駅が最寄り駅となっている。筆者は未だこのイベントに行ったことがない状態である。

ここで、E954系(FASTECH360S)の構内走行シーンを初めて生で見ることが出来たからよかったです。 こちらは、2010年度中に予定されている新青森までの開業の時には量産化される予定となっている。

新利府~利府間には、200系のオリジナルカラーの車両の廃車体が置かれており、その中には、2階建て車両も含まれていました。 このうちのどれかが来年10月14日に開館予定の鉄道博物館で展示されると思われます。

利府駅からは、岩切まで戻り、ここで電車を待っている間に、EH500型の30号機牽引のコンテナ貨物列車が通過していました。

岩切から仙台までは、719系の2+2+2の6両の普通列車で移動。 この時に仙山線の列車が遅れていたことによる満線状態で、止まっていました。

仙台に到着した後、あおば通駅まで行き、ここから仙石線で、小鶴新田まで行きました。

仙石線の路線 あおば通~仙台~榴ヶ岡~宮城野原~陸前原ノ町~苦竹~小鶴新田~福田町~陸前高砂~中野栄~多賀城~下馬~西塩釜~本塩釜~東塩釜~陸前浜田~松島海岸~高城町~手樽~陸前富山~陸前大塚~東名~野蒜~陸前小野~鹿妻~矢本~東矢本~陸前赤井~蛇田~陸前山下~石巻

快速の停車駅 あおば通~仙台~多賀城~本塩釜~松島海岸~高城町~野蒜~陸前小野~矢本~東矢本~陸前赤井~蛇田~陸前山下~石巻

一部の快速は、あおば通~多賀城間の各駅にも停車。

快速の表示 あおば通~矢本間で快速運転の列車は赤、多賀城~矢本間で快速運転の列車は緑となっている。 うみかぜという愛称があったけど、一昨年10月16日のダイヤ改正で名無しの快速となっている。

車両は、元山手線または埼京線から転用された205系の中間車から改造された205系3100番台の4両編成が使用されている。

改造内容は、先頭車改造、耐寒改造、ドアの半自動化、車椅子対応の洋式トイレの新設、一部編成のクロスシート(2ウェイシート化)されている。

2ウェイシートとなっている編成は、M2、3、4、5、8の5編成であり M2~5編成は、4色の車両 M8編成は、故・石ノ森章太郎氏によるマンガキャラクターが描かれたマンガッタンライナーとなっており、土曜・休日はあおば通~石巻間の3往復(往路は快速)に限定運用されている。

描かれているキャラクターは、1号車がサイボーグ007、2号車が仮面ライダー、3号車が秘密戦隊ゴレンジャー、4号車ががんばれロボコンとなっている。

2003年12月8日に筆者が乗車したけど、4号車のトイレの部分にもロボコンのシルエットが描かれていました。 その他の車内にもシルエットが描かれていたけど。4号車の車内は、ロボコンの声による車内放送が流れることでも有名である。

マンガッタンライナーは、2003(H15)年3月22日に運行開始。

石巻には、石ノ森漫画館がある。

あおば通から小鶴新田まで乗った車両は、M2編成(クハ205-3102F)で、石巻寄りの先頭車が、2ウェイシート車となっていました。 

その他のオールロングシート編成は、すべて水色の帯となっている。

2ウェイシート編成の塗装 石巻寄り先頭車から順に、=石巻(赤)、松島(オレンジ)、塩竃(紫)、仙台(緑)となっている

あおば通駅の発車メロディーも、青葉城恋唄のアレンジバージョンとなっているけど、仙台駅の在来線ホームと若干異なるバージョンとなっている。

小鶴新田駅は、2004(H16)年3月13日に開業した駅で、仙台車両センター宮城野派出所(旧宮城野電車区)への出入庫駅となっている。 この駅が開業する前は、苦竹駅から分岐していた。

小鶴新田駅の北口には、ヨークマートがある。

小鶴新田から榴ヶ岡までは、M15編成(クハ205-3115F)に乗車。 この4号車は、埼京線で走っていたサハ205-205号車(ゾロ目の車両)から改造されていました。 そのM車のパンタグラフは、シングルアーム化されていた。

仙石線に転用された205系は、中間車はすべて山手線から転用(元5、6号車に連結) 先頭車は、山手線から転用されたT車のほか、埼京線の6ドア組み込みによって捻出されたT車も含まれている。

埼京線から転用されたT車から改造された車両は、客用ドアの窓が大きいということで見分けが付く状態である。 中には、2002(H14)年12月1日のりんかい線開業後にりんかい線を走っていたT車も含まれているけど。

こちらは、伊豆急に譲渡された元東急の8000系と雰囲気が似ています。 同じく4ドアの通勤電車からトイレの新設、一部クロスシート化されているので。 どちらも、海沿いのローカル線を走っていることも挙げられるけど。

伊豆急8003F以降の編成は、みなとみらい線を走っていたこともあったことも共通している。

周辺を走る東北本線が交流電化に対し、仙石線が直流電化となっているのは、前身の宮城電気鉄道によって直流電化され、1944(S19)年5月1日に国有化されたことの名残である。

仙石線の前身である宮城電気鉄道は、1925(T14)年6月5日、宮電仙台(現、仙台)~西塩釜間に開業したのが始まりである。

当時の宮電仙台駅は、本邦初の地下駅となっていたけど、1952(S27)年に複線化された時に仙台~仙台東口間が廃止、短縮化されている。 廃止から2000(H12)年に再び地下化される前は、地下改札口、東北本線ホームと仙石線ホームを結ぶ地下通路として使用されていた。 現在その遺構は撤去されている。

翌1926(T15)年4月14日に、本塩釜まで延長 1927(S2)年4月18日には、松島公園(現、松島海岸)間が開業

1928(S3)年4月10日に、松島公園~陸前小野間が開業し、同年11月22日には、石巻まで全通している。

石巻駅は、1990(H2)年7月まで、仙石線と石巻線部分に分かれていたけど、仙石線部分が石巻線側に移設されたことにより駅舎が統合されていた。

仙石線の車両基地=1991(H3)年3月15日まで、陸前原ノ町駅構内の陸前原ノ町電車区(仙リハ)となっていたけど、 仙台市内の地下化工事により、宮城野電車区(仙ミノ、のちの仙台車両センター宮城野派出所)に移転。

仙台~陸前原ノ町間、2000(H12)年3月11日に地下化。同時にあおば通~仙台間も開業。

陸前原ノ町駅の手前(陸上自衛隊仙台駐屯地付近)で、地下区間(仙台トンネル)に入ることになる。

宮城野原駅は、東北楽天イーグルスの本拠地であるフルキャストスタジアム宮城の最寄り駅となっているので、イーグルスムードのある駅となっていました。

地下化された当時は、自動改札では無かったけど、Suicaの導入により、自動改札が導入され、地下鉄みたいな雰囲気の駅となった。

仙台駅付近が地下、地下区間を抜けるとローカルムードのある路線となるので、長野電鉄と雰囲気が似ています。 長野電鉄は、長野~善光寺下駅間が地下区間、朝陽までが複線区間となっているので。 

仙石線は、東塩釜より先は単線区間となる。

榴ヶ岡駅は、榴ヶ岡公園の最寄り駅であり、駅前に、仙台サンプラザという多目的ホール、ホテルもある。

仙台市営地下鉄 今回は乗車しなかったけど、現在は南北線1路線(泉中央~富沢間)のみとなっている。

南北線の路線 泉中央~八乙女~黒松~旭ヶ丘~台原~北仙台~北四番丁~勾当台公園~広瀬通~仙台~五橋~愛宕橋~河原町~長町一丁目~長町~長町南~富沢

乗換駅 北仙台 JR仙山線 仙台 JR仙石線(あおば通駅)、JR東北線、常磐線、仙山線、東北・秋田新幹線(仙台駅) 長町 JR東北線・常磐線

JR仙石線のあおば通駅から仙台市営地下鉄線の仙台駅への連絡通路もある。

南北線は、1987(S62)年7月15日、八乙女~富沢間に開業したのが始まりである。 あれから丸5年経った1992(H4)年7月15日には、八乙女~泉中央が開業し、現在に至る。 1992(H4)年7月15日といえば、モーニング娘。の久住小春ちゃんの生誕日、JR九州の787系がデビューした日でもある。

地上にある駅 八乙女、黒松、富沢

泉中央駅は、地下駅となっており、Jリーグ・ベガルタ仙台の本拠地である仙台スタジアムの最寄り駅となっている。

車両は、1000系の4両編成となっており、ワンマン運転が行われている。 21本在籍。登場当時は、電機子チョッパ制御となっていたけど、現在は順次冷房化およびVVVF化工事が行われている。 この更新工事は、2013年度まで続けられる予定となっている。

筆者は、仙台以南の区間(仙台~富沢間)は未乗車の状態である。

車両基地は、富沢駅付近にあり、ここには、市電保存館がある。 仙台の市電は、今から30年前の1976(S51)年に廃止されている。こちらは、仙台循環線、長町線があった。

仙台市営地下鉄東西線は、現在計画中の路線で、2015年度中に開業する予定となっており、ルートは、動物公園~仙台~荒井となっている。 車両は、都営大江戸線などと同様のリニアモーター方式となっている。

仙台市営地下鉄とJR仙石線と直通運転されるという計画があったけど、現在は幻に終わっている。

この後は、ファンの友人と仙台サンプラザで行われたモーニング娘。のコンサートを見ました。 友人は、高橋愛ちゃんのファンで、鉄道に関する知識があると言ってました。こちらは、午後の東北新幹線はやて号で仙台入りしていたので、トンボ帰りの状態となっていた。

この時に土日きっぷを使用すればよかったと言ってました。 今回は通常の乗車券を使用していたので。

その友人は、昨年11月26日から27日に、ハロプロ関連で山形・群馬に行った時に、土日きっぷを使用していたと言ってました。

この後、仙台駅付近の松屋で食事した後、友人と一緒にはやて34号で東京まで帰りました。 この時は、金券ショップで購入したバラの指定席回数券を使用しました。 この時に乗った編成は、J54編成(E223-1004F)となっていました。 やはり、新幹線のはやてに乗れば、大宮までノンストップ、275Km/h運転だったので、とても速かったです。

前日の宿泊地である福島も、あっという間に通過していました。 ここで、最終のつばさ132号(400系の単独運転)を追い抜いていました。

最終のやまびこ70号は、はやて34号よりも14分後に発車、東京には、23:44に到着していました。

東京駅で、友人と別れ、山手線で目白まで帰ったけど、やまびこ70号が東京に着いた頃には、目白に到着していました。

以上でレポートを終了します。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-29 14:19 | 鉄道乗車記
この日は、18きっぷを使用して、福島・仙台方面に行ってきました。

1日目のルート 目白~池袋~大宮~桶川~大宮~宇都宮~黒磯~郡山~福島

2日目のルート 福島~飯坂温泉~福島~仙台~岩切~利府~岩切~仙台…あおば通~小鶴新田~榴ヶ岡…仙台~榴ヶ岡…仙台~東京~目白

1日目は、池袋から湘南新宿ラインに乗車。 池袋 12:18発の高崎線直通の特快高崎行きだけど、国府津の車両ではなく、小山の最新増備車が使用されていました。こちらは、車両不足によって、国府津車両センターに貸し出されている編成である。

この時の編成は、U585+U107の組み合わせでした。 こちらは、国府津所属のE231系と同様に改良されており、基本編成の6号車のトイレが、和式ではなく、洋式となっていました。

やはり、バリアフリー法により車内トイレで洋式便器の採用が義務づけられたのでこうなったと思います。

この列車は、途中で、485系によるきぬがわ4号とすれ違ったのである。

3月19日に発生した485系のトラブルにより、20、21、22日に東武のスペーシアの108Fが代走していたのである。

この108Fは、3月18日の初日のスペーシア便に抜擢された編成で、デビュー記念のステッカーがありました。3月21日にこれを確認している。

大宮には、入場待ちの211系のグリーン車、113系湘南色の一部(モハ113-1506号車ほか)などが置かれていました。

大宮~宮原間の解体場所では、来年10月14日に開館予定の新生鉄道博物館の開館準備のために、解体作業が一時中止されている。 鎌倉総合車両センターが閉鎖されたため、解体作業は、長野総合車両センターで行われることになる。

大宮では、友人と合流 ここで485系のきぬがわ5号を見ていました。

この後、湘南新宿ラインの特快で桶川まで行きました。 その友人とは桶川で別れた。

211系のグリーン車の組み込みが進められているけど、後期型(元小山車)の一部の前面の種別表示が、グリーン車の組み込みと同時に、生え抜き車と同様にLED化されてました。

グリーン車組み込みの対象外の元小山車の表示がどうなるのか気になります。

あとは、グリーン車組み込み対象外の211系の動向も気になるけど。

211系は、2月18日に高崎線に登場してから20年を迎えたのである。

桶川から大宮まで、211系のモノクラスの5+5の10両編成に乗車。 こちらも、グリーン車の組み込みにより、消えゆく編成となっている。

大宮~宮原間には、301系とスカイブルーの103系が置かれていたけど、新生鉄道博物館に保存されるのか不明である。 こちらは、JR東海の佐久間レールパーク(飯田線、中部天竜駅構内)と同様に、廃車車両を集めたテーマパークとなる。

211系のグリーン車の乗車状況は、2階建てグリーン車に人気が集中し、平屋建てグリーン車には、客がまばらという状態でした。

大宮から宇都宮まで、E231系の10両編成による湘南新宿ライン(逗子から来た列車)の快速に乗車。編成は、U514(クハE231-6014F)。 

こちらは、大宮を出た後、蓮田、久喜、古河、小山と、宇都宮までの各駅に停車していたけど、
改正後も、上野発着の快速ラビットを含め、東武日光線への乗換駅である栗橋に停車しないままであるということも問題となっている。 土・休日に運転される快速フェアウェイ号なら停車するけど。

栗橋駅の手前で、線路に人が立ち入っていた影響により、約7分間停車してしまいました。

栗橋駅=専用の連絡線があり、デッドセクションが設けられている。 新宿と日光・鬼怒川方面を結ぶ列車の運用のことで、この栗橋駅構内での連絡に白羽の矢が立ったのである。

東鷲宮駅は、下りホーム(小山、宇都宮方面)が地平部分に、上りホーム(大宮、上野、新宿方面)が高架部分にある変わった駅である。上下で高架と地平部分に分かれている駅は、暫定的な時を除いて珍しい状態である。

こちらは、1981(S56)年4月15日、貨物駅として開業 翌年の1982(S57)年6月23日(東北新幹線と同じ日)に旅客営業開始されている。

貨物営業は、1986(S61)年11月1日に廃止。

このような駅の体系となっているのは、貨物駅と東北新幹線の工事用引き込み線があったということの名残である。

この東北新幹線への引き込み線は、現在でも撤去されずに残されている。

小金井駅を過ぎると、小山車両センターが見えてきたけど、ここには、115系の訓練車が止まっていました。 かつては、湘南色の115系で埋め尽くされていたけど、現在は4両1本が残るのみとなり、代わりにE231系で埋め尽くされるようになったのである。

小山駅=両毛線のローカル列車に211系の5両編成が使われていました。水戸線では、415系列が使用されているけど、やがては、415系1500番台、E531系の5両編成に統一されることになっている。

石橋駅と雀宮駅の中間には、宇都宮貨物ターミナルがあり、タンク車などを見ることが出来ました。

この駅名は、JRで最も長い駅名となっている。 旅客駅では、上越線の岩原スキー場前駅となっているし。

宇都宮貨物ターミナル駅の開業は、1971(S46)年

宇都宮駅に定刻よりも遅れて到着。 ここから黒磯まで、E231系の5両編成のU18編成(クハE231-8009F)で行きました。

烏山線=かつてはほぼ全列車が、宝積寺から宇都宮へと直通していたけど、宇都宮線のダイヤのパターン化により、宇都宮への直通列車は、1日5本のみとなってしまったのである。
この車両は、キハ40の2000番台から改造された1000番台で、ワンマン運転、ロングシート化されており、トイレも撤去されている。

こちらは、2001(H13)年11月に最後のスーパーホリデーパスの乗車会で乗車したことがある。

車体および7駅に、七福神が描かれているのが特徴である。

烏山線の路線 宝積寺~下野花岡~仁井田~鴻野山~大金~小塙~滝~烏山

下野花岡駅=寿老人 仁井田駅=布袋尊 鴻野山駅=福禄寿 大金駅=大黒天 小塙駅=恵比寿神 滝駅=弁財天 烏山駅=毘沙門天

烏山線が開業したのは、1923(T12)年4月15日のことだった。 

氏家、蒲須坂駅は、さくら市にある。

栃木県さくら市とは、昨年3月28日に、塩谷郡氏家町と喜連川町が合併して誕生した市で、3月28日に1周年を迎える。

矢板駅付近でも、先方列車に異常があったので、急停車し、ここで再び足止めを喰らいました。

宇都宮~黒磯間=かつては上野からの直通運転列車が多数運転されていたけど、現在は本数が少なくなっている。 小山 5:42発黒磯行き、黒磯 7:28発上野行きの列車は、宇都宮~黒磯間で、唯一グリーン車が設定されている列車で、3月18日から進出したのである。

E231系の5両編成または10両編成のほか、211系の5両編成、107系も使用されている。

かつて接続していた路線 蓮田駅から武州鉄道(初代)が、岩槻経由で、神根(現在の川口市石神、埼玉高速鉄道の新井宿駅付近)まで出ていた。

こちらは、1938(S13)年9月3日に廃止されている。

矢板駅からは、東武矢板線という路線が、鬼怒川線の新高徳駅まで出ていたこともあった。

こちらは、全線非電化の路線で、1日5往復のみの運転だった。廃止されたのは、1959(S34)年6月30日のことだった。

西那須野駅からは、塩原口まで、塩原電車という電車も出ていたこともあったけど、こちらは、1932(S7)年に休止 1936(S11)年1月14日に正式に廃止されたのである。

こちらも現在も走っていれば、日光軌道線と同様に、観光鉄道として生かせていたかもしれなかったです。

あとは、西那須野から黒羽、那須小川まで、東野鉄道という路線も出ていたこともあった。 こちらは、黒羽~那須小川間が、1939(S14)年6月1日に、西那須野~黒羽間が、1968(S43)年12月16日にそれぞれ廃止されている。 現在は、東野交通となり、東武グループの那須・塩原、真岡、下妻エリアのバス会社となっている。

黒磯駅 直流電化区間と交流電化区間の境目の駅で、南側に直流電気機関車、北側に交流電気機関車が留置されている。ここで、国鉄色のEF65型などの電気機関車を見ることが出来ました。

EH500型の場合は、黒磯での機関車の付け替えの必要がないので、スルー運転が可能である。

宇都宮線と呼ばれる区間も、ここまでとなっており、東京圏におけるSuicaの区間もここまでである。 宇都宮線の名称は、1990(H2)年3月10日に付けられたのである。

黒磯から福島までは、701系1500番台に乗車。 この編成は、F2-515編成(クモハ701-1510F)で、2001(H13)年3月に導入された編成でした。 こちらは、Tc車のトイレが、車端部ではなく、山形線(米沢~山形・新庄間)の5500番台と同様に、運転台後部ドア付近にありました。 こちらは、車椅子対応の幅広の洋式トイレとなっている。

701系は、209系をベースとした3ドアロングシート(0番台の一部と田沢湖線用の5000番台)はセミクロスシート)となっており、洋式トイレが設けられているのが特徴である。

デビューしたのは、1993(H5)年6月21日で、秋田地区の50系客車の置き換え用として導入されていた。

秋田地区の0番台は、秋田車両センターを拠点に、奥羽本線(新庄~秋田~青森間)、羽越本線(鶴岡~秋田間)、東北本線(浅虫温泉~青森間)、津軽線(青森~蟹田間)と幅広く、2両または3両編成で構成されている。

100番台は、秋田地区用として導入されたけど、2両編成のほうは、山形~新庄間の標準軌化によって余剰となり、仙台地区に転用され、常磐線(いわき以北)のワンマン運転を中心に活躍するようになった。

1000番台 仙台地区、盛岡・青森地区用として導入 仙台地区のほうは、581系寝台電車から格下げ改造された715系などの置き換え用として導入され、2両編成と4両編成に分けられているけど、ワンマン運転の場合、2両編成が限定使用される。

運転区間は、東北線(黒磯~仙台~一ノ関間)、利府支線(岩切~利府間)、仙山線(仙台~作並間)。 ワンマン運転区間は、黒磯~白石間、利府支線

盛岡・青森地区 1994(H6)年12月 一ノ関~盛岡間の50系客車の置き換え用として導入。 盛岡運転所初の電車配置となった。

1996(H8)年3月30日には、盛岡~青森間の電車化によって、一ノ関~青森間に拡大される。 この時点で、赤い50系客車がJR東日本から全廃。この赤い50系客車は、レッドトレインと呼ばれていた。

JR九州の筑豊本線(福北ゆたか線)が2001(H13)年10月6日に電化される前は、50系客車が活躍していたけど、非冷房・トイレがタレ流し式であったため、トイレ対策兼冷房対策のために12系客車が連結されていたこともあった。

701系1000番台は、青森運転所(現青森車両センター)に集中配置されたけど、2002(H14)年12月1日の盛岡~目時~八戸間の第三セクター化によって、青森と盛岡に分散配置されたのである。 盛岡所属編成は、一ノ関~盛岡間 青森所属編成は、八戸~青森間で活躍している。

第三セクターは、盛岡~目時間が、IGRいわて銀河鉄道、目時~八戸間が青い森鉄道となっている。 2002(H14)年12月1日の転換当時は、IGRが、3編成、青い森鉄道が、1編成新製され、前者は4編成、後者は1編成JRから譲受されていた。

形式番号は、IGRが、IGR7001系、青い森鉄道が、青い森701系となっている。

701系1500番台は、1998(H10)年3月に、最後まで残った715系の置き換え用として導入。 こちらは、発電ブレーキから回生ブレーキに変更され、屋根上の抵抗器が廃止されている。

標準軌用は、田沢湖線(盛岡~大曲間)が、5000番台、山形線(米沢~山形~新庄間)が5500番台となっている。 前者のほうは、回送で、大曲~秋田間を走ることもある。

この列車は、郡山まで2両編成で、郡山から後ろの2両増結の上で4両編成となっていました。

豊原駅を出た後、栃木県から福島県へ。 黒磯~豊原間は、東京支社のエリアだったけど、2001(H13)年4月1日に大宮支社が設立されたのを機に、仙台支社の路線となったのである。

白河駅からは、1944(S19)年12月まで、白棚線という路線が、水郡線の磐城棚倉まで出ていたこともあった。 1957(S32)年4月26日、国鉄バス(のちのJRバス関東)による、バス路線として生まれ変わっている。 こちらは、旧線路跡の専用道路を走っている。

郡山に到着。ここで、後ろの2両が増結され、4両編成となった。この時に、F2-510編成(クモハ701-1510F)が増結されていたのである。

ここでは、恒例のタンク車の調査を行ったけど、タキ38132号車やタキ1000-535号車などを見ることが出来ました。

後は、磐越西線の455系も見ることが出来ました。 455系には、快速ばんだい号で使用されていた半室グリーン車であるクロハ455-1号車を見ることが出来ました。 こちらは、普通車扱いで乗ることが出来、リクライニングシートに身を委ねることが出来るのである。

2003年12月に筆者が初めて利府支線に乗った時にはこれに当たっていた。

水郡線のほうは、手前の安積永盛駅から分岐しているけど、全列車郡山まで直通している。

こちらは、八高北線の列車が倉賀野から高崎まで乗り入れていることと同様である。

水郡線では、新型DC(キハE130)が導入される予定だけど、磐越東線のほうは、引き続きキハ110系列が活躍することになっている。 磐越東線のDCは、磐越東線営業所と呼ばれていたけど、昨年12月10日の改正で、郡山総合車両センターとなり、仙ハトから仙コリの表示となり、仙コリの表示が復活したのである。

水郡線のDCのほうは、水郡線営業所(水スイ、常陸大子駅構内)所属である。

安積永盛~郡山間には、郡山貨物ターミナルがあり、石油輸送、コンテナ輸送の拠点となっている。

郡山総合車両センターの工場部分では、常磐線で廃車となった初期型415系が解体待ちで置かれていました。 あとは、仙石線で走っていた103系1編成が疎開留置されたままとなっている。こちらは、復活することもなくこのまま廃車・解体となることが予想される。

郡山総合車両センター=7月にイベントが行われるけど、18きっぷで日帰りで行ける範囲にも関わらず、筆者は1度も行ったことがない状態である。

JR東日本で廃車となった車両の解体 大宮での解体は一時中止、鎌倉総合車両センターの工場部分の廃止、桐生駅付近の下新田での解体が廃止されているので、長野のほか、郡山でも解体が盛んに行われると思われます。

東京総合車両センターなどは、車両の解体設備の無い工場となっている。

磐越西線は、郡山~会津若松、喜多方間は交流電化、喜多方~新津間が非電化区間である。 会津若松から新潟までは、C57-180号機牽引による話題のSLばんえつ物語号が運転されることで有名である。こちらは、専用の12系客車(ラウンジ車両連結)が使用されている。

喜多方は蔵の街。喜多方ラーメンが有名である。筆者は、2002年11月に行った時に、本場の喜多方ラーメンを食べたことがある。

磐越西線の非電化区間では、キハ110系列やキハ47型DCが使用されている。

会津若松と小出を結ぶ只見線では、キハ40型DCが使用されているけど。

郡山駅の駅名は、JR西日本の関西本線(大和路線)・奈良県でも使用されているけど、区別するために、切符に(北)郡山と印字されている。 大和路線のほうは、(関)郡山と印字されているけど。

松川駅から岩代川俣まで、川俣線というローカル列車が出ていたこともあった。 こちらは、1972(S47)年5月13日に、国鉄バス(のちのJRバス東北)に引き継がれたけど、昨年4月1日に、地元事業者によって代替されている。

福島駅に到着。 ここから宿である某ビジネスホテルにチェックインし、ここから西口にあるラーメン店、越後秘蔵麺、無尽蔵に行きました。 こちらは、福島店の代わりに、ふくしま家と呼ばれていました。 こちらは、新潟に本家(本店)があるけど、東京や仙台にもある。
ここでは、豚骨醤油ラーメンを食べたけど、とても美味しかったです。スープもよかったし。

ここの麺は、新潟産の渋柿ポリフェノールが練り込まれていました。

ここで散策した後、1日が終わりました。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-27 11:01 | 鉄道乗車記
3月28日、埼玉高速鉄道の開業、東横特急の登場から5年を迎えました。

埼玉高速鉄道(彩の国スタジアム線)の路線

(東京メトロ南北線経由、東急目黒線へ直通運転)←赤羽岩淵~川口元郷~南鳩ヶ谷~鳩ヶ谷~新井宿~戸塚安行~東川口~浦和美園

乗換駅 東川口 JR武蔵野線 赤羽岩淵駅からJRの赤羽駅まで、徒歩約10分で行ける。

地上にある駅は、浦和美園駅で、あとは、地下駅である。

車両基地は、浦和美園駅の先にあり、11月14日の埼玉県民の日には一般公開が行われている。 

周辺には、さいたまスタジアム2002があり、サッカーの試合がある度に賑わっている。 こちらは、2002(H14)年に行われたFIFAワールドカップの試合が行われた場所で、初試合は、2001(H13)年10月13日Jリーグの浦和レッドダイヤモンドズVS横浜F・マリノス戦だった。

こちらは、Jリーグの浦和レッドダイヤモンドズ(浦和レッズ)の本拠地である。

今年の4月26日、浦和美園駅前にイオン浦和美園SCがオープンすることになっている。

車両は2000系の6両編成で、10編成60両在籍している。こちらは、東京メトロ9000系に準じたアルミ車で、2000年から2001年にかけて増備された車両、2000年に落成した車両ということで、2000系となったのである。

営業運転開始は、2001(H13)年3月23日で、3月27日まで、赤羽岩淵行きの列車に使われていたこともあった。

赤羽岩淵行きの列車 埼玉高速鉄道が開業した後でも、メトロ車による1往復のみ残されている。 武蔵小杉 23:26発、赤羽岩淵 5:01発がそれである。

埼玉高速鉄道側は、全列車地下鉄南北線直通である。

日中は1時間に4本が、鳩ヶ谷折り返しとなっている。

乗り入れ車両 東京メトロ 9000系 東急電鉄 3000系、5080系

埼玉高速鉄道は、将来的に、岩槻、蓮田方面への延伸計画があり、それが実現すれば、かつての武州鉄道のルートの再来ということになる。

不定期であるけど、浦和美園駅から、埼玉高速鉄道の2000系による、みなとみらい号が、みなとみらい線の元町・中華街まで運転されることもある。

東京メトロ南北線の路線 (埼玉高速鉄道線へ直通運転)←赤羽岩淵~志茂~王子神谷~王子~西ヶ原~駒込~本駒込~東大前~後楽園~飯田橋~市ヶ谷~四ッ谷~永田町~溜池山王~六本木一丁目~麻布十番~白金高輪~白金台~目黒→(東急目黒線へ直通運転)

乗換駅 王子 JR京浜東北線、都電荒川線(王子駅前電停) 駒込 JR山手線 後楽園 丸ノ内線、都営地下鉄(三田線、大江戸線、春日駅) 飯田橋 東西線、有楽町線、都営地下鉄大江戸線、JR中央・総武緩行線 市ヶ谷 有楽町線、都営地下鉄新宿線、JR中央・総武緩行線 四ッ谷 丸ノ内線、JR中央・総武緩行線、中央快速線 永田町 有楽町線、半蔵門線、銀座線・丸ノ内線(赤坂見附駅) 溜池山王 銀座線、千代田線・丸ノ内線(国会議事堂前駅) 麻布十番 都営地下鉄大江戸線 白金高輪 都営地下鉄三田線、白金高輪止まりの列車⇔目黒・武蔵小杉方面の列車 目黒 JR山手線、東急目黒線(武蔵小杉まで直通運転)

地下鉄南北線は、1991(H3)年11月29日 赤羽岩淵~駒込間に開業したのが始まりである。 当時は、9000系による4両編成だった。 こちらは初めてホームドアが採用されたということで話題となった。

1996(H8)年3月26日には、駒込~四ッ谷間が開業 同時に4両編成から6両編成となり、他の営団地下鉄(現、東京メトロ)の路線と結ばれるようになった。

1997(H9)年9月30日、四ッ谷~溜池山王間が、銀座線の溜池山王駅も同時に開業。この日は、JR信越本線の横川~軽井沢間(横軽区間)の廃止と被っていた。

2000(H12)年9月26日、溜池山王~白金高輪~目黒間が、都営三田線の三田~白金高輪間と同時に開業。 あとは、東急目黒線との直通運転も行われるようになった。難工事により開業延期を繰り返していたけど、あの時が待望の全線開業となっていた。

南北線の車両基地(王子検車区) 王子神谷駅付近の神谷堀公園の地下にある。

全般検査は、綾瀬工場で行われるので、市ヶ谷駅構内で有楽町線の線路と結ばれている。 有楽町線から千代田線へは、桜田門~霞ヶ関間の連絡線路を使って入ることになる。

9000系は、6両編成17本102両在籍している。 1991(H3)年から1994(H4)年にかけて導入された初期型編成8本は、ボックスシート付きの4両編成(GTO素子車)で落成していたけど、1996(H8)年以降に増備された車両は、IGBT素子車のロングシート車となっている。

4両編成の6両化は、GTO素子車とIGBT素子車の混結を避けるために、大幅な編成替えが行われ、9101、9103、9105、9107Fが、9102、9104、9106、9108Fの中間車挿入の上で6両化 9102、9104、9106、9108Fは、新製された中間車によって6両化されていた。

これらの編成は、前面のみの幕式表示だったけど、現在はLED化、側面にも行き先表示が新設されていた。

東急目黒線の路線 (南北線経由埼玉高速鉄道線または都営三田線へ直通運転)←目黒~不動前~武蔵小山~西小山~洗足~大岡山~奥沢~田園調布~多摩川~新丸子~武蔵小杉…(2007年度中に日吉まで延長予定)

大岡山で大井町線、田園調布で東横線(渋谷方面) 多摩川で東急多摩川線(蒲田方面) 武蔵小杉で東急東横線(横浜、元町・中華街方面)、JR南武線への乗り換えが可能である。

東急目黒線(旧目蒲線)の改良工事 目黒駅 地下鉄接続による地下化 1997(H9)年7月27日に地下化されている。かつては、山手線の電車から目蒲線の電車を眺めることが出来たのである。

不動前駅 高架化 1998(H10)年の高架化工事に伴い、目黒寄りの仮駅で営業されていたこともあった。

武蔵小山、西小山駅 地下化工事中で、2006年度中に完成予定である。 武蔵小山駅は、2面4線となり、急行列車の待避が可能となる。

洗足駅 池上線の長原駅と同様に、環七通りをまたぐ部分の立体交差化によって地下化された駅で、地下鉄直通化と共に大幅に改良された。 改造の内容は、ホームの延伸(西小山寄りに)、内装の改良、トイレの新設などとなっている。

大岡山駅 大井町線と同様に地下化 着工前は、路線別のホームで地下に駅舎があった。 地下化完成は、1997(H9)年6月27日 これにより、方向別ホームとなり、乗り換えがスムーズとなった。

奥沢駅 2面3線と変わらないけど、ホームの延伸によって改良されていた。 駅構内には、目蒲線の車両基地があったけど、現在は目黒線車両の留置線として使用されている。

田園調布駅 東横線と同様に地下化 こちらも大岡山駅と同様に、路線別の地上駅となっていた。 地下化は、1994(H6)年から1995(H7)年にかけて行われていた。 

多摩川(旧多摩川園)駅 東横線と同様に高架化 着工前は、路線別のホームであった。 東急多摩川線(旧目蒲線)部分は、1996(H6)年11月に地下化。2000(H12)年8月6日に東急多摩川線として独立する前は、田園調布への連絡線路を使って暫定的に直通されていた。

新丸子駅 1986(S61)年に東横線部分が高架化 目黒線の乗り入れに合わせ、2面4線に改良されていた。

武蔵小杉駅 着工前は、2面2線の盛り土式による駅だった。 やはり、目黒線直通化により、2面2線の高架駅に改良されている。 こちらは、小田急線の登戸駅と大和駅の改良工事に準じている。 小田急線の登戸駅は最終的に2面3線となるけど。 

元住吉駅 高架化工事中で、今年9月に東横線部分が先行高架化される予定である。これに伴い、元住吉駅側からの入出庫が出来なくなるので、武蔵小杉駅または日吉駅からの入出庫に変更されることになる。 これに伴い、ダイヤ修正が行われると思われます。 大規模な改正は、3月18日に行われていたので。

日吉駅 1991(H3)年に2面2線の地下化済み 直通運転開始と同様に、中央部分が目黒線に転用されることになる。
現在日吉駅での優等列車の待避が行われている列車もあるけど、目黒線の日吉延長とともに、元住吉駅での通過待ちに変更されることになる。 元住吉駅の東横線部分の外側に通過線が設けられるのはそのためである。

東横特急がデビューしてから、3月28日で5周年を迎えたのである。 当時は特急のHMが付いていたこともあった。 これに伴い、8000系は各駅停車、8090(8590)系は急行、9000系は各駅停車と急行の両方という使い分けが廃止され、種別とは関係なく運転されるようになったのである。2012年度中に、地下鉄13号線との直通運転が開始されれば、特急・通勤特急・急行が10両化されるので、あの時に逆戻りしてしまうことになる。各駅停車は8両編成のまま。

2000系の2103Fや、3000系の3101Fが暫定的に東横線で走っていた時は、9000系と同様に、各駅停車と急行の両方で使用されていた。

東急目黒線は、1923(T12)年3月11日、目黒蒲田電鉄、目黒線の路線として目黒~丸子(現、沼部間に開業したのが始まりで、東急電鉄の発祥路線と呼ばれている。 京急の発祥路線が大師線であるように。

同年11月1日に、丸子~蒲田間が開業し、目蒲線となる。

2000(H12)年8月6日、多摩川(旧多摩川園)駅で系統分割され、東急多摩川線の路線となる。

正式名称が東急多摩川線となっているのは、西武多摩川線(武蔵境~是政間)と区別するためであり、かつて同じ読み方の東急玉川線が走っていたということもある。

東急多摩川線の路線 多摩川~沼部~鵜の木~下丸子~武蔵新田~矢口渡~蒲田

車両は、池上線と共通の1000系、7600系、7700系の3両編成であり、ワンマン運転が行われている。
車両基地は、雪が谷大塚にあり、多摩川線のほうは、蒲田駅を介して出入庫している状態である。

目蒲線時代は、池上線と独立した車両が使用され、末期は4両編成で、7700系のほか、7200系も使われていたこともあった。 鵜の木駅では、ホームが1両分はみ出ていた。

東急池上線の路線 五反田~大崎広小路~荏原中延~旗の台~長原~洗足池~石川台~雪が谷大塚~御嶽山~久が原~千鳥町~池上~蓮沼~蒲田

乗換駅 多摩川 東横線・目黒線⇔東急多摩川線 五反田 JR山手線、都営地下鉄浅草線 旗の台 大井町線 蒲田 池上線⇔東急多摩川線、JR京浜東北線
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by hy_sengen-sin | 2006-03-27 09:57 | 鉄道車両・路線
4月1日、東急田園都市線の溝の口~長津田間が開業してから、40周年を迎えます。

当初は、7000系などの車両が、大井町~長津田間を走っていたという路線で、沿線には何もなかった状態だった。 あれから40年経った今、10両編成の電車が頻繁に行き交い、住宅等が立ち並ぶ都市型路線に成長しているということが分かります。

あとは、3月18日に半蔵門線経由、東武線直通電車が増発されたほか、土曜・休日に大井町線と田園都市線を結ぶ直通急行も運転されるようになったということも話題となっている。

多摩田園都市開発は、1953(S28)年に開始。

渋谷~二子玉川間は、1977(S52)年4月7日に開業した、東急新玉川線から編入された路線である。

1963(S38)年10月11日~1979(S54)年8月11日まで、二子玉川園(現、二子玉川)~大井町間も、田園都市線の一部となっていた。

東急田園都市線の路線

(東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線へ直通運転)←渋谷~池尻大橋~三軒茶屋~駒沢大学~桜新町~用賀~二子玉川~二子新地~高津~溝の口~梶が谷~宮崎台~宮前平~鷺沼~たまプラーザ~あざみ野~江田~市が尾~藤が丘~青葉台~田奈~長津田~つくし野~すずかけ台~南町田~つきみ野~中央林間

急行停車駅 渋谷~三軒茶屋~二子玉川~溝の口~鷺沼~たまプラーザ~あざみ野~青葉台~長津田~南町田(土曜・休日のみ停車)~中央林間

大井町線直通急行 大井町~(この区間は各駅に停車)~二子玉川~溝の口~鷺沼~たまプラーザ~あざみ野~青葉台~長津田~南町田~中央林間

1968(S43)年10月1日から1996(H8)年4月25日まで、快速列車が走っていたけど、停車駅は、二子玉川園~溝の口~鷺沼~たまプラーザ~青葉台~長津田と、現在の急行列車に準じていた。 新玉川線内(当時)および、大井町~二子玉川園間は、各駅に停車していた。

新玉川線直通快速は、お買い物快速として、1977(S52)年11月16日に日中のみ運転されていた。

1996(H8)年、快速が急行に統合されて廃止された。

東急大井町線の路線 大井町~下神明~戸越公園~中延~荏原町~旗の台~北千束~大岡山~緑が丘~自由が丘~九品仏~尾山台~等々力~上野毛~二子玉川→(鷺沼、中央林間方面へ直通運転あり)

乗換駅 渋谷 東横線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東京メトロ銀座線・半蔵門線(直通運転)、京王井の頭線 三軒茶屋 世田谷線 二子玉川 田園都市線⇔大井町線 溝の口 JR南武線(武蔵溝ノ口駅) あざみ野 横浜市営地下鉄3号線 長津田 横浜高速鉄道こどもの国線、JR横浜線 中央林間 小田急江ノ島線 自由が丘 東横線 大岡山 目黒線 旗の台 池上線 中延 都営地下鉄浅草線 大井町 JR京浜東北線、東京臨海高速鉄道りんかい線

地下にある駅 渋谷、池尻大橋、三軒茶屋、駒沢大学、桜新町、用賀、中央林間、大岡山

使用車両 田園都市線 8500系、2000系、5000系 10両編成(うち、8500系の一部と5000系は東武線乗り入れ対応) 大井町線 8000系、8090系、8500系、8590系、9000系
 5両編成

東急田園都市線の開業からの40年のあゆみ

1966(S41)年4月1日 溝の口~長津田間が開業 当時は、大井町から長津田までの直通運転だった。同時に、二子玉川園~溝の口間が高架・専用軌道化された。

1968(S43)年4月1日 長津田~つくし野間開業 同年10月1日には快速列車も新設されていた。当時は、ラッシュ時のみの通勤快速だった。

1969(S44)年5月10日 玉川線、渋谷~二子玉川園間廃止。 渋谷までの連絡は、自由が丘経由となった。

1972(S47)年4月1日 つくし野~すずかけ台間開業

1976(S51)年10月15日 すずかけ台~つきみ野間開業 同時に全線複線化された。

1977(S52)年4月7日 新玉川線 渋谷~二子玉川園間開業 玉電(東急玉川線)の廃止から約8年というブランクを経て開業した、地下鉄直通用の新線である。

1977(S52)年5月25日 あざみ野駅開業

1977(S52)年11月16日 新玉川線直通快速の運転開始。

1978(S53)年8月1日 営団地下鉄(現、東京メトロ)半蔵門線の開業により、青山一丁目までの直通運転が行われる。

1979(S54)年8月12日 田園都市線、新玉川線経由、半蔵門線との直通運転(長津田~二子玉川園~渋谷~青山一丁目間)が行われ、二子玉川園~大井町間が、大井町線として分離される。

1981(S56)年4月1日 半蔵門線の8000系登場 同時に直通運転区間がつきみ野まで延長される。

1983(S58)年1月22日 急行列車の新設 当時は、平日朝夕の渋谷~長津田間のみでの運転だった。 新玉川線初の通過運転ともなった。

1984(S59)年4月9日 つきみ野~中央林間間(田園都市線全線)開業 これにより、直通運転区間が中央林間まで延長された。 中央林間で、小田急江ノ島線に接続。

1986(S61)年6月 田園都市線開業20周年記念として、伊豆急のリゾート21の第二編成(2153F)が東急線で特別運転される。 1988(S63)年にも、2155Fが特別運転されていた。 同年、半蔵門線直通の東急車の10両化が完了する。

1989(H1)年12月4日 田奈1号踏切の立体化により、踏切ゼロの路線となる。

1991(H3)年3月16日 田園都市線、ATSから新CS-ATC化、同時に新玉川線のATC装置も新CS-ATCに更新された。

1992(H4) 田園都市線・新玉川線に2000系導入

1994(H6)年 半蔵門線8000系の10両化完了により、大井町線直通列車を除きすべて10両編成となる。

1996(H8)年4月26日 快速が急行に統合されて廃止。 これにより急行の運転区間が渋谷~中央林間間に拡大され、終日に渡って毎日運転されるようになった。 

1997(H9)年 8590系登場 2003(H15)年まで走っていた。

2000(H12)年8月6日 新玉川線の路線名が廃止され、田園都市線に統合。同時に、二子玉川園駅から二子玉川駅に改称された。

2002(H14)年3月28日 急行列車、あざみ野駅にも停車するようになる。 やはり横浜市営地下鉄への乗り換え客のために実現していた。同年5月2日に、2代目5000系も登場。

2003(H15)年3月19日 半蔵門線、押上まで延長開業 同時に、東武伊勢崎線・日光線の南栗橋まで直通運転範囲が拡大され、東武30000系も田園都市線に乗り入れるようになった。 半蔵門線の08系も同時に登場

2006(H18)年3月18日 土曜・休日に、大井町線への直通急行が運転されるようになる。 同時に土曜・休日に限り、急行が南町田にも停車するようになった。

東武線との直通運転区間に、久喜発着も加わり、東武の50050系も田園都市線にも乗り入れるようになる。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-24 10:30 | 鉄道車両・路線
2003(H15)年3月19日以来行われている東京メトロ(当時は営団地下鉄)半蔵門線と東武伊勢崎線との直通運転が、今年3月18日の改正で、大幅に変わりました。

東急田園都市線の溝の口~長津田間が開業してからも、今年4月1日で40周年を迎えることになる。

東京メトロ半蔵門線の路線 (東急田園都市線、中央林間まで直通運転)←渋谷~表参道~青山一丁目~永田町~半蔵門~九段下~神保町~大手町~三越前~水天宮前~清澄白河~住吉~錦糸町~押上→(東武伊勢崎・日光線、久喜・南栗橋まで直通運転)

乗換駅 渋谷 JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東急東横線、東急田園都市線⇔半蔵門線(直通運転)、銀座線、京王井の頭線
表参道 銀座線、千代田線 青山一丁目 銀座線、都営地下鉄大江戸線 永田町 有楽町線、銀座線・丸ノ内線(赤坂見附駅) 九段下 東西線、都営地下鉄新宿線 神保町 都営地下鉄(三田線、新宿線) 大手町 丸ノ内線、東西線、千代田線、都営地下鉄三田線 三越前 銀座線、JR総武快速線(新日本橋駅) 清澄白河 都営地下鉄大江戸線 住吉 都営地下鉄新宿線 錦糸町 JR(総武緩行線、総武快速線) 押上 半蔵門線⇔東武伊勢崎線(一部直通運転)、都営浅草線、京成押上線

渋谷駅=2007年度中に、地下鉄13号線(池袋~渋谷間新規開業)への乗換駅となる予定。

半蔵門線は、1978(S53)年8月1日、渋谷~青山一丁目間に開業したのが始まりであった。
 当時は、東急の8500系が借り入れられて運転されていた。

快速は、長津田まで、各駅停車は、新玉川線(当時)の二子玉川園(現、二子玉川)まで、入庫車のみ鷺沼までの運転だった。

1979(S54)年8月12日、東急田園都市線(長津田まで)との直通運転が終日に渡って運転される。

1979(S54)年9月21日、青山一丁目~永田町間開業 当時は、青山一丁目~永田町間が暫定的な単線だったため、青山一丁目行きと永田町行きが交互で運転されていた。

1981(S56)年4月1日、東急田園都市線との直通運転区間がつきみ野駅まで延長 同時に、営団地下鉄(現、東京メトロ)の8000系が営業運転開始。 当時は8両7編成56両の配置だった。鷺沼検車区も、東急から譲渡されて使用開始されていた。

1982(S57)年12月9日、永田町~半蔵門間開業 同時に、青山一丁目~永田町間が複線化された。

1984(S59)年4月9日、東急田園都市線が中央林間まで開業したことにより、直通運転区間が中央林間まで延長される。当時は、ほとんどが長津田行きで、中央林間行きが各停のみの乗り入れで少なかった。

1986(S61)年、東急8500系の10両化完了。

1989(H1)年1月26日 半蔵門~三越前間開業 同時に営団車の一部が10両編成化された。

1990(H2)年11月28日 三越前~水天宮前間開業 水天宮前では、東京シティエアターミナルと直結したことにより、リムジンバス乗り継ぎで成田空港へのアクセスが向上された。

1992(H4)年 東急2000系営業運転開始 

1994(H6)年 8000系10両化完了 8両編成のまま残っていた8101~8106Fは、8両編成のステッカーが貼られていたこともあった。 この時に入れられた中間車は、05系に準じて製造されていた。

2002(H14)年5月2日 東急2代目5000系営業運転開始。

2003(H15)年1月7日 08系、暫定的に営業運転開始。 

2003(H15)年2月2日 半蔵門線のATC装置が新CS-ATCに更新される。これに伴い、東急8500系の一部および8590系が撤退した。うち8694Fは、ATC更新後も活躍していたけど、3月19日までに東横線に転用されていた。

2003(H15)年3月19日、水天宮前~押上間開業 同時に、東武伊勢崎線・日光線との直通運転が行われるようになった。 車両は従来の東急・営団車に加え、東武30000系も加わっていた。こちらは、営団地下鉄としては最後の新路線の開業だった。

2004(H16)年4月1日 営団地下鉄の民営化により、東京メトロの路線となる。

2005(H17)年2月14日 東急5000系6ドア車登場。 当時は、中央林間~東武動物公園間の運転だった。 同年5月9日からは平日朝ラッシュ時に東京メトロ初の女性専用車両も導入。(各方向の最後部車両)

2006(H18)年3月18日 東武線への直通運転列車増発(日中20分毎→10分毎) 同時に、久喜発着も新設、東武50050系(本線系統初の10両固定編成)も営業運転開始された。

東武直通列車(押上~南栗橋、久喜間)の種別 3月17日まで、区間準急、通勤準急

3月18日から、準急、急行

準急は、これまでの区間準急 急行は、これまでの通勤準急と同じ停車駅である。

日中は、区間準急から急行に変更され、一部の駅が通過となった。

急行列車の停車駅 押上~曳舟~北千住~西新井~草加~新越谷~越谷~せんげん台~春日部~東武動物公園~(この区間は各駅に停車)~久喜、南栗橋

準急列車の停車駅 押上~曳舟~北千住~西新井~草加~新越谷~越谷~(この区間は各駅に停車)~久喜、南栗橋

半蔵門線の住吉駅 上部が1番線(渋谷方面)、下部が2番線(押上方面)となっており、有楽町線の豊洲からの分岐線の計画を見据えた構造となっており、その線路が留置線として暫定的に使用されている。 ホームには、フェンスが設けられている。 

こちらには、半蔵門線の東京メトロ車の1編成(8000系または08系)が留置されている。

有楽町線の豊洲駅の中央の線路部分が空いているのもそのためである。

水天宮前駅=東京シティエアターミナル(TCAT)に直結している駅で、動く歩道が設けられているのが特徴である。 

TCAT=羽田・成田の両空港へのリムジンバスの発着点の一つで、レストラン、両替店、タヒチの観光案内所、TCATストアなどがある。 ここからは、東京駅へもバスが出ている。

以前は、TCATでもチェックイン(搭乗手続き)、出国審査も可能だったけど、現在はテロ事件の影響等で中止となっている。

仮称の駅名では、蛎殻町となっていたけど、漢字が難しいということと、水天宮にちなんだ駅名ということで、水天宮前駅となったのである。 水天宮へは、渋谷寄りの出入り口から出ることになる。 こちらは、日比谷線の人形町駅と至近距離にあるけど、乗り換え扱いの駅とはなっていない。

押上延長の時に、水天宮前行きの列車は無くなったけど、水天宮前5:03発の列車のみ始発で残されている。

8000系は、登場から25年を迎え、陳腐化が目立っているので、8109Fを皮切りに、VVVF化などの車体更新が行われている。更新内容は、千代田線の6000系、有楽町線の7000系に準じて行われている。これまでに、8103、8106、8109Fが更新されている。
同時に、メトロ8000系初の車椅子スペースが新設され、LED式車内案内表示も千鳥状に設置されるようになった。

この工事は、新木場CRで行われているけど、鷺沼から東急田園都市線、大井町線、目黒線、南北線、有楽町線(二子玉川、大岡山、目黒、市ヶ谷)経由で輸送されていた。

2004(H16)年9月26日に、新木場の車両基地で行われていたメトロ大集合イベントで、入場前の8109Fも展示されていたのである。

8000系=半蔵門線の開業から遅れること、1980(S55)年落成、翌年の1981(S56)年4月1日に営業運転開始。

当時は、8両編成7本56両配置。 車体、制御機器は、千代田線の6000系および有楽町線の7000系に準じているけど、モノコック型の前面の採用、東急乗り入れ仕様のワンハンドルマスコンの採用によって大きく変わっている。

あとは、日本初のボルスタレス台車の採用でも話題となった。当初から、冷房準備車として落成。

翌年の1982(S57)年の半蔵門への開業の時には、8両2編成16両増備。三越前までの開業の時までは、少数派の車両となっていた。 

1989(H1)年の三越前までの開業の時には、8111~8119Fの10両9編成90両導入され、8108、8109Fが10両化されていた。8000系冷房車も登場。初期型も順次冷房化されていた。

うち8112~8114Fの10両3編成は、1987(S62)年に東西線に暫定配置され、翌年の1988(S63)年の05系導入の時までのつなぎとして走っていたこともあった。

1990(H2)年の水天宮前までの延長開業の時、8110Fの1本が導入。 旧タイプの8000系の最終増備車で、LED式の車内案内表示器が設置されていた。 初期型8000系が更新されるまでの間、これによって見分けが付いていた。

1994(H6)年 8両編成で残っていた8101~8107Fに、05系に準じた車体の中間車が導入。 これにより、全ての編成が10両となった。 この中間車の行き先表示は、初のLED式となっている。

2003(H15)年 押上延長、東武線直通に備え、東武乗り入れ設備(ATS等)の新設。同時に行き先表示が全てLED化されていた。

2005(H17)年 8000系更新工事開始  

8000系は、最高速度100Km/hまでしか出せないので、東急線でのダイヤのネックとなっている。 東急、東武の車両は110Km/h運転対応となっているけど。

東西線を走っていた頃の8000系 1987(S62)年に8112~8114Fの3本が、東西線(深川検車区)に暫定配置。当初は、冷房準備車だったけど、どちらも東西線配置のままで冷房化されていたので、東西線初の冷房車となっていた。

運転台は、暫定的な2ハンドルマスコンが採用され、連結器は、密着連結器が採用されていた。
保安装置 ATC-3型、JR乗り入れ用のATS-B型が採用。これにより、JR線の三鷹や津田沼にも顔を出していたこともあった。

紫帯のままで使用されていたので、東西線の表示のステッカーもあったのである。 筆者はこれに1回だけ乗ったことがある。

東西線に暫定配置された理由は、東西線の10両編成化を加速させるためだったからである。 これらの編成は、三越前延長開業用の8000系が前倒しで製造されていたのである。当時は05系が設計中の段階だったので、これらの3編成に白羽の矢が立ったのである。

08系 2003(H15)年1月7日、押上延長および東武線との直通運転に備え、10両編成6本60両導入。 こちらは、東西線の05N系に準じて製造された車両である。

こちらは、半蔵門線(メトロ車)初の車椅子スペースも設置され、自動放送装置、LED案内表示も設置されている。 最高速度は、8000系とは異なり110Km/h

1月7日の暫定導入から3月19日の押上延長までの間は、08系の水天宮前行きの表示も魅されていたこともあった。

営団地下鉄最後の新形式ということで、Sマークが付いていた営団時代は1年足らずと短かった。

運転台は、ワンハンドルマスコンとなっている。 

2002(H14)年度から2003(H15)年度に導入された東西線の05N系(05-134~139F)は、08系に準じて仕様変更されていた。

半蔵門線の女性専用車両。 平日朝ラッシュ時(初電~9時30分)まで、最後部の車両 渋谷方面は1号車 押上方面は10号車となる。 東急線からの直通電車、東武線からの直通電車も最後部に設定されるので、女性専用車のステッカーが両方の先頭車に貼られている。
半蔵門線内では、9時30分をもって、女性専用車の扱いが終了することになる。

半蔵門線(メトロ車)の車両基地は、東急田園都市線沿線の鷺沼駅に隣接する鷺沼検車区となっており、1979(S54)年7月に長津田に移転するまでの間、東急電鉄によって使用されていた。
その北側部分の留置線は、東急保有のままで、大井町線を中心として東急の車両の留置で使用されている。あとは、廃車予定車等の疎開留置にも使用されているけど。

鷺沼工場も隣接。 日比谷線の03系は、以前千住工場(千住検車区に隣接)で検査が行われていたけど、営団地下鉄から東京メトロとなった2004(H16)年4月に千住工場が廃止されたことにより、鷺沼工場で検査が行われるようになった。 このため、大井町線、田園都市線を走る03系を見られることもある。

入場ルートは、元住吉~武蔵小杉~田園調布~大岡山~二子玉川~鷺沼となっている。

他の会社線にある車両基地(通称植民地車庫)は、鷺沼検車区・工場のほか、日比谷線の竹ノ塚検車区(東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近)、大阪市営地下鉄堺筋線の東吹田検車場(阪急京都線正雀駅付近)が挙げられる。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-23 15:43 | 鉄道車両・路線

伊豆急のイベント

3月18日は、伊豆急の伊豆高原車両基地で行われたリゾート21の第一編成の惜別イベントに行ってきました。

ルート 目白~品川~大船~熱海~伊豆熱川~伊豆高原~熱海~横浜~品川~大崎~新宿~中野~新宿~目白

品川から大船までは、E231系のグリーン車に乗車。 この時はチャージのみでSuicaグリーン券を買うのを忘れたので、車内料金を取られました。 この時に車内でのグリーン補充券をGETしたけど。もちろん車内のグリーンアテンダントから購入しました。

この日は、東海道線および横須賀・総武快速線系統でのSuicaグリーン解禁日でもあった。

大船着。 この駅は、改良工事が行われており、戸塚(東京寄り)の連絡橋が、改札のあるメインコンコースと直結されていました。 今年2月2日に改札口および通路が増設されたのである。 ここは、駅構内の店舗であるDila大船も同時に開業したのである。 

大船と言えば、鰺の押し寿司が有名である。

大船から熱海までは、E231系に乗車。 本当はグリーン車で通しで乗りたかったけど、混雑が懸念されていたので見送ったのである。

まだ乗ったことはないけど、E217系が東海道線で営業運転が開始されたけど、末期の113系と同様に、運用がE231系と別となっており、東京~熱海間に限定運用されている。こちらは、10+5の15両での固定運用。

内装等は、グリーン車を含めて、横須賀・総武快速線を走っていた頃と比べて変化は無いけど、E231系と比べて違和感は無いと思います。

熱海から伊豆熱川まで乗った編成は、リゾート21の第三編成(2155F)でした。 伊豆高原駅では、251系SVOの追い抜きのために停車。 ここで、元東急の8001Fと並びました。

伊豆熱川駅では、駅前の足湯に入ったけど、ぬるかったです。 伊豆熱川といえば、温泉のほか、バナナ・ワニ園も有名となっている。

伊豆熱川駅前の足湯は、湯の華ぱぁーくという名であり、駅前からスロープで通じているので、バリアフリー設備が充実している。

周辺には、熱川ほっとぱぁーくという足湯設備、高磯の湯という波打ち際の露天風呂もある。

伊豆熱川から伊豆高原までは、さよならリゾート21の1次車(初代黒船電車)に乗りました。 こちらは、伊豆高原までノンストップの状態で、乗車中に乗車証明書をもらいました。

伊豆高原駅に到着 ここでの撮影会も盛大に行われていました。 この後、伊豆高原の車両基地まで引き上げられていたのである。

この後、200系(元JR115系)の並びを撮影した後、前回萩原さんたちと行ったという竹嶋ラーメンの店に入りました。 ここで食べたラーメンは、前回と同様にしょうゆとんこつラーメンでした。

この後、イベント会場に向かったけど、大寒桜が見頃を迎えていました。 

踏切を渡り、イベント会場へ。 ここでは、新旧黒船電車の2151Fと2157F、事業用の103号車が並べられていたけど、200系のトランバガテル塗装の編成を間近で見ることが出来ました。

この初代黒船電車は、車内に入ることが出来るので、ここで、お子様向けの制服を来てでの記念撮影が行われていました。 ここでは、運転台の撮影も行ったけど。

この車内に居る時に、奥野さんと出会いました。 奥野さんは、前回と同様に、伊東から伊豆高原まで185系の特急踊り子号に乗って来たと言っていた。

103号車を間近で撮影出来たのは、現役当時以来久しぶりでした。2月5日は、103号車が動いたというサプライズイベントもあった。

この時に、過去に使用された、伊東線開通50周年記念HM、伊豆高原桜まつりのHMが取り付けられていました。

2代目黒船電車の行き先は、熱海となっていました。

8000系の付属の2連は、シングルアームパンタが取り付けられている。 同時にオールM車化されていたし。 伊豆急の8000系が営業運転開始されてから、4月1日で1周年を迎えるけど、8003、8004、8052Fのほうは、未だに営業運転が開始されていなかった状態である。

初代黒船電車 3月10日に定期運用から離脱、3月11、12、18、19日はイベントに使用されていた。

この後、熱海までは、リゾート21の第二編成(2153F)に乗りました。 この編成は、1986(S61)年に落成された時に、東急線を走っていた編成であった。 前述の2155Fも東急線を走っていたこともあったし。

こちらも、8000系への置き換え対象となり、数年後には、200系と同様に廃車となる予定となっている。

過去に、伊豆高原の車両基地でイベントが行われていたことがあったけど、筆者が伊豆高原でのイベントに行ったのは今回が初めてだった。

熱海に到着した後、JR東海の湘南色の113系を撮影しました。 こちらは、今年度から順次313系に置き換えられて姿を消すことになっている。 3月17日をもって、東京~熱海間から撤退したけど、JR東海でも113系淘汰の波が押し寄せてくることになる。100桁番台の編成のほか、2000番台も置き換えの対象となっている。

あとは、115系、117系、119系、123系も置き換えられることが予想されるし。

熱海から横浜まで、211系の快速アクティーで行き、ここで奥野さんと別れました。

奥野さんと別れた後、横浜駅で、はやぶさ・富士号を見てから、211系のグリーン車で品川まで行きました。 ここの時は、東海道線におけるSuicaグリーンシステム初体験でした。

こちらは、サロ212-124号車で、サロ124-24号車から改造されていました。

田町の211系のグリーン車は、国府津の113系から捻出されたグリーン車への差し替えが完了している。

品川から大崎まで山手線、大崎から新宿まで湘南新宿ラインで行き、中野駅では、高校時代の友人と出会いました。 
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by hy_sengen-sin | 2006-03-22 11:59 | 鉄道イベント
1972(S47)年以来、小田急線で活躍していた9000形が、3月17日をもって定期運用から離脱、5月13日のさよなら運転で運用離脱されました。

9000形は、1978(S53)年3月31日から、1990(H2)年まで、営団地下鉄(現、東京メトロ)千代田線直通列車として綾瀬(足立区)まで乗り入れていたことがあった。

3月15~17日、9407FにHMが取り付けられて運転されていたけど、9404Fには取り付けられていなかった。

3月15日、HM付きの9407Fは、江ノ島線のローカル運用だった。

5月13日には、秦野から唐木田まで特別団体列車が走り、唐木田ではイベントが行われることになる。

9000形の近況 9401F=最近運用離脱され、大野工場でクーラーが外された状態となっている。

4連の9001Fは、海老名に留置中だけど、保存前提だと思われる。

2004(H16)年12月をもって引退した4000形は、さよなら運転が行われずに寂しい幕切れとなった。

9000形では、さよなら運転が盛大に行われることになるので嬉しい出来事である。

3月17日の定期運用最終日の運用 9404F=足柄→(回送)→小田原→(急行)→新宿→(急行)→小田原→(各停)→相模大野(入港・出庫)→(回送)→唐木田入庫と午前中で終了。

9407F(HM付き)=海老名(出庫)→(回送)→本厚木→(各停)→新宿→(各停)→本厚木→(回送)→伊勢原→(回送)→海老名(入庫・出庫)→(回送)→町田→(各停)→新宿→(各停)→本厚木→(回送)→(海老名入庫)と夜まで各停運用されていた。

筆者は、3月17日に新宿から本厚木まで通しで乗車。

途中経堂、新百合ヶ丘、海老名で待避のために長時間停車していたので、絶好の撮影タイムとなりました。 このようなことは、各駅停車ならではだと思います。

この列車は、13時23分、新宿駅地下ホーム(9番線)を発車。 この時に人が集まっていました。

この日は、東海道線の113系のラストランと重なっていたけど、平日の日中にも関わらず人が集まっていました。 やはり小田急9000形も、人気車両であったということが分かります。

筆者は最後部の車両の9407号車に乗車。 

この9000形は、1972(S47)年にデビュー。 当初は、4両編成10本の配置だった。 このうちの1本であった旧9010Fは、1977(S52)年に6連化されて、9409Fとなった。

地下鉄千代田線乗り入れ対策ということで、先頭車の電動化、界磁チョッパ制御装置、貫通ドア付きの斬新なスタイルが採用され、話題の車両となっていた。

1973(S48)年には、ローレル賞を受賞。

1978(S53)年3月31日、地下鉄千代田線乗り入れにも使用開始。 当時は6+4による運転だった。 この6+4での運転は、1000系の一部にも継承されている。

入れ替わりに登場する3000形の3276Fは、フルカラー式LEDが採用されたけど、表示は明朝体となっている。3月27日から28日にかけて、8両固定の3664Fが導入される予定。

これにより、初期型の5000形の廃車が開始されることが予想される。

経堂では、快速急行の通過待ち、急行の待ち合わせ 新百合ヶ丘では、急行の待ち合わせ、特急あさぎり号の通過待ちのほか、常磐線からの多摩急行の待ち合わせも行われていた。 この日は、常磐線が強風によりダイヤが乱れていたので、遅れて到着していた。あとは、VSEの通過待ちもあった。

相模大野の車両基地には、9405Fの残り2両のほか、先日廃車となった9401Fの一部の廃車体を見ることが出来ました。 これにより、9407Fの車内から9401、9405Fの最後を見届けたことになる。

北館林での小田急9000形の廃車体=筆者は、昨年7月18日、東武佐野線の1800系の車内から、9403Fまたは9408Fの廃車体を見たことがある。

東武の1800系の一般改造車は、3月18日のワンマン化により、佐野線から撤退している。

海老名では、町田始発の箱根湯本行きとの待ち合わせ。

本厚木到着後、回送の表示となり、伊勢原まで回送されていました。 本厚木で8連への車両交換ということで、2000系に交換されていた。この後、HiSE10000系によるはこね29号を見ることが出来ました。 この列車は、町田のほか、本厚木にも停車。

この10041Fは、唯一残っているHiSEで、LSEと共通で運用されている。かつては、HiSE使用列車が限定されていたこともあった。

4月16日から17日までは、長野電鉄に譲渡される予定のHiSE10000形の4連2本が豊川から首都圏、日本海経由で屋代まで輸送されることになっている。

11連のうち、譲渡の対象から外された7両の中間車は、豊橋港まで陸送されて、その場で解体されている。

本厚木で、9707Fの通過を見た後、3000系の急行相模大野行きで海老名まで移動し、ここで9707F入庫のシーンを見ました。

厚木操車場には、相鉄の7000系が目立っていました。

9707Fは、厚木寄りのホームから撮影出来る位置(海老名車両基地、小田急の旧3000形SSE車の保存庫の横の49番線)に留置され、再出庫の時までここで過ごしていました。海老名の車両基地の厚木寄りにある、小田急の旧3000形の保存庫といえば、秋のイベントの度に、一般公開されることで有名である。

海老名の車両基地の新宿(座間)寄りには、旧塗装の2600形(2670F)が未だに置かれていました。 営業運転離脱から2年が経つけど、本当に動向が気になります。

その隣には、休車中となっている9001Fを見ることが出来ました。 末期は9002F(のちに9009F)と組み、簡易8両固定編成として走っていた。 そのため、9301号車は、ライト・運転台が撤去されたスタイルとなっている。

この9000形の8両簡易固定編成は、昨年11月の9003F+9004Fの廃車により、見納めとなっている。
9000形の4連バージョンは、今年1月中旬の9007Fの廃車により、9001Fを除いて全廃となっている。

小田急9000形の廃車は、今年4月にかつての9010Fから6両化された9709Fを皮切りに開始されたけど、前回の4000形の時みたく、とても早いペースで行われていました。

海老名から相模大野までは、5000形の急行で移動。この5000系列の車両は、当たり前のように見られる車両となっているけど、数年後に全廃となる予定となっているので、9000系と同様に思い出の車両と化してしまうことになる。

相模大野で江ノ島線からの運用を見たけど、9404Fは来てなかったです。 こちらは午前中に入庫していたので。

相模大野から町田までは、3000形で移動したけど、以前床下にカバーが付いていた3263Fに当たっていました。こちらは、正式に採用されることは無かったのである。

町田から新宿までは、50000形VSEによるはこね28号で移動。 3月19日に1周年を迎えることにより、1周年記念として乗車。 この時の編成は、50001F。 新宿~町田間だけでも利用する人が多かったので、この時も満席状態でした。 今回は発車直前で満席となったので、いい時に特急券をGETして正解でした。

筆者がVSEに乗ったのは、昨年4月28日以来でした。 あの時は、新宿から町田まで50001F、小田原から新宿まで50002Fに乗車していた。

今回は9号車に乗車。 座席はリクライニングの角度が深く、シートピッチが広かったので、東武の100系スペーシアみたいに快適な状態でした。

狛江駅手前では、架線にビニールが絡まったために一時停車していました。 すぐに復旧していたのでよかったです。 前回新宿から町田まで50001Fに乗った時もこのような状態があった。 あの時はダイヤが大幅に乱れていた。

多摩川を渡る時には、液晶ディスプレーに、多摩川を渡りますという表示がありました。

定刻よりも遅れて新宿に到着。

現在グッドデザイン賞受賞記念のマークもありました。

新宿駅のホームで記念撮影する人が多かったので、1年経っても人気が衰えていないということが分かります。 

3月19日は、VSE1周年記念行事が盛大に行われていました。これに伴い、1周年記念のロゴマークが付いていました。 筆者は3月21日にそれを見たのである。

5月13日には、唐木田で9000形の惜別イベント、秦野から唐木田まで特別列車が運転されることになる。

このイベントでは、かつて千代田線で顔を合わせていた東京メトロの6000系も展示されることになる。

イベント列車は、秦野 8:35発→唐木田 9:40着となる予定である。

この応募は、4月14日締め切りである。 定員は1000名だけど、かなり高い倍率になることが予想されます。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-17 11:02 | 鉄道車両・路線

さよなら出雲号

3月17日、寝台特急出雲号が廃止され、東京と山陰方面を直結する客車寝台列車が姿を消すことになります。大阪~福知山間は福知山線経由。

出雲号は、1947(S22)年6月29日 大阪~大社間の名無しの準急列車として運転。

1951(S26)年11月25日、急行に格上げ、いずもという名称となる。当時は、東京~大阪間でせと号(のちの寝台特急瀬戸号、東京~宇野間)との併結運転が行われていた。 東京~大社間の直通運転開始。

1954(S29)年に、浜田行き編成も連結開始。出雲市~浜田間快速運転

1956(S31)年11月19日、愛称名が「出雲」となり、瀬戸号との分離化された。東京~大社間のみの運転となる。

1961(S36)年3月1日 浜田編成も全区間急行の運転となる。

同年10月1日の白紙改正で、京都~福知山間、山陰線(園部)経由となる。

1972(S47)年3月15日 急行出雲号の特急格上げにより、寝台特急出雲号となる。

当時は、20系客車が使われており、牽引機は、東京~京都間EF65型電気機関車、京都~浜田間DD54型ディーゼル機関車による牽引だった。

DD54型ディーゼル機関車は、当時故障が相次いでいたために、すぐにDD51による牽引に変更されていた。

1975(S50)年3月10日 20系客車から24系客車に変更。 同時に寝台特急いなば号も登場 運転区間は東京~米子間 いなば号は、東京~名古屋間で、寝台特急紀伊号(東京~紀伊勝浦間)との併結運転が行われていた。 いなば号は、東京~京都間で、EF58型電気機関車による牽引だった。そのため他の寝台列車よりも低速のダイヤとなっていた。当時は3段式の14系客車が使用されていた。

1976(S51)年10月 はやぶさ号、富士号と同時に24系25型客車の導入。 これにより、2段式B寝台、個室A寝台(のちのシングルデラックス)も連結されるようになった。

当時の出雲号は、寝台券入手困難な人気列車となっていた。

1978(S53)年10月1日、いなば号の運転区間が出雲市まで延長され、出雲号に統合される。

1980(S55)年10月1日、出雲2・3号(旧いなば号)の東京~京都間の牽引機がEF58からEF65に変更され、スピードアップ化される。

1984(S59)年2月1日、紀伊号廃止により、出雲2・3号が単独運行となる。 同時に14系が3段寝台から2段寝台に改造される。

1987(S62)年4月1日 国鉄の分割・民営化により、出雲1・4号(のちの出雲号)がJR東日本に、出雲2・3号(のちのサンライズ出雲号)がJR西日本管轄となる。

1991(H3)年 出雲2・3号にA寝台個室・B寝台個室が連結される。 出雲1・4号の食堂車の営業が休止され、フリースペースとなる。

1993(H5)年12月1日、山陰本線の園部~福知山間の電化・高速化工事により、下りの出雲1号が、伯備線経由となる。 このルートは、サンライズ出雲号にも継承された。

この迂回運転は、1995(H7)年11月30日まで行われていた。

1998(H10)年7月10日 出雲2・3号が、285系寝台電車によるサンライズ出雲号に置き換えられ、京都~米子間が伯備線経由となる。 同時に、寝台特急瀬戸号(東京~高松間)も、285系化され、東京~岡山間併結運転に。 

残った出雲1・4号は、出雲市~浜田間が廃止され、東京~出雲市間の運行となる。

2005(H17)年3月1日 東京~松江間で行われていたブルトレ便が廃止。

2006(H17)年3月17日発車分をもって、出雲号が廃止される。

かつて人気列車であった出雲号は、利用客の減少、客車の老朽化などの理由で時代の流れに勝てずに惜しまれて廃止されることになる。

このようにブルートレインの縮小が相次いでいる状態なのでとても残念に思っています。

その前年の2005(H17)年2月28日に東京~長崎間のさくら号、東京~下関間のあさかぜ号が、同年9月30日に大阪~南宮崎間の彗星号が廃止されているし。

東京~熊本間のはやぶさ号、東京~大分間の富士号は、唯一残る東京発着のブルートレインだけど、今後の動向が非常に気になります。 あとは、東京~大阪間の寝台急行銀河号の動向も気になるし。

出雲号の停車駅 東京、横浜、熱海、沼津、静岡、京都、綾部、福知山、豊岡、城崎温泉、香住、浜坂、鳥取、倉吉、米子、安来、松江、宍道、出雲市
下り列車(出雲市行き)は、上記の駅に加え、浜松駅にも停車。

出雲号は、通常時9両編成、ピーク時東京~米子間12両編成で運転。

東京~浜田間で運転されていた頃、1号車から4号車までの5両(電源車を含む)が浜田まで行っていた。

編成は、1号車=A寝台個室(シングルデラックス)、2~4、6~8(11)号車=B寝台 5号車は、元食堂車部分が生かされたフリースペース

この客車は、金色の帯の編成で、かつては博多行きのあさかぜ1、4号でも活躍していたこともあった。

筆者は、今年2月19日に見たのが最後となった。

あの赤地に雲が描かれたHMも、いよいよ見納めとなる。

出雲号の廃止により、かつての品川客車区から継承されている尾久車両センター所属客車の西行きのブルートレインが全廃となる。

もう一つのブルートレインの縮小は、大阪~青森~函館間で運転されている日本海1、4号(JR西日本管轄編成)の青森~函館間の廃止となっている。このうち、電源車を含む5両編成(1号車~4号車)が、3月16日発まで函館行きとなる。

日本海1、4号には、かつて瀬戸号、あさかぜ号に連結されていたA寝台個室「シングルデラックス」、シャワールーム付きが連結されており、この編成も函館まで行っている。

これにより、ED79型電気機関車牽引による日本海号も見納めとなる。

日本海1、4号の函館乗り入れは、1988(S63)年3月13日の青函トンネルの開業から2006(H18)年3月17日まで行われたことになる。登場当時は、オールB寝台の編成だった。

日本海2、3号のほうは、JR東日本管轄列車で、青森車両センター所属の客車が使用されている。

青函トンネル=北海道新幹線の建設工事が着工され、3月17日をもって吉岡海底駅での見学が廃止となり、残念なことに、ドラえもん海底ワールドも、今年8月をもって終了となる。

もう一つの竜飛海底駅の見学コースは残ることになる。

吉岡海底駅は、北海道新幹線の建設工事の資材置き場となる。

今から10年後に北海道新幹線が新函館まで延長されれば、789系が781系の置き換え用として札幌エリアの特急に転用されることになる。

789系(スーパー白鳥)は、3月18日のダイヤ改正で、5両編成から6両編成となる。 ピーク時には6+2の8両編成となるけど。

かつて出雲号の前身の列車が乗り入れていた大社線(出雲市~大社間)は、1990(H2)年3月31日をもって廃止されたけど、出雲大社を模した作りの大社駅跡は、観光案内所として残されている。あとは、1985(S60)年3月13日まで、急行だいせん号が、大阪から大社まで運転されていたこともあった。

急行だいせん号は、2004(H16)年10月15日に廃止。末期は大阪~出雲市間の運転で、キハ65型DCから改造されたエーデル型の気動車が使用されていた。 

かつて出雲号を牽引していたDD54型ディーゼル機関車は、1962(S37)年にDD90型として試作。1966(S41)年に量産化され、1971(S46)年までに40両が三菱重工業で製造されていた。 故障が相次いでいたので、1976(S51)年から1978(S53)年にかけて廃車となった。 こちらは、トラブルによる短命機(欠陥機関車)となってしまった。

最終運用は、1978(S53)年6月18日の播但線での運用(645客車列車の牽引)だった。

そのうちのDD54-33号機は、大阪の交通科学博物館に静態保存されている。

その他、かつて存在していたED54型電気機関車やC54型蒸気機関車もトラブル等によって早期に除籍されていた。

筆者が使用していたW21SAも、以前母親が使用していたA5506Tと同様に、欠陥電話として短命の状態だった。筆者が使っていたA5404SやA1401Kも同様。

筆者にとって、白い携帯は、不運の機種であった。 その前に使用していたA5404Sも対人を中心にトラブルが続出していた。今回は不運の白い機種を捨て、銀色と黒の機種にしたのである。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-16 11:49 | 鉄道車両・路線
1963(S38)年の登場以来、42年間親しまれてきた東海道線(湘南電車)の113系が、3月17日をもってラストランを迎えます。

当初の予定では、今年1月末をもってラストランを迎えるはずだったけど、横須賀・総武快速線から転用されたE217系に置き換えられることや運用の都合により、3月17日まで運転区間が延長されていたのである。運転期間が延長されたということは、都合により追っ掛けに行かれなかったファンにとって朗報の状態だった。

その前身は、1950(S25)年に東京~沼津間に登場した80系電車で、オレンジと緑の湘南色の電車のルーツとなっていた。 

こちらは、1950(S25)年から1957(S32)年まで652両が製造され、1960(S35)年7月から1961(S36)年7月にかけて運転された臨時夜行急行はりま号で、東京から姫路まで運転されていたのである。

80系電車は、1977(S52)年から本格的に廃車が始まり、1983(S58)年の飯田線を最後に全廃となったのである。

大阪の交通科学博物館には、2両(モハ80001、クハ86001号車)が保存されているけど、1986(S61)年に準鉄道記念物に認定されている。

1949(S24)年末に登場した初期型は、3枚窓となっていたけど、1950(S25)年に登場した後期型からは、2枚窓となり、湘南型の車両として流行していた。 当時の旧国鉄以外にも京王・小田急・東武・西武・京急・京成・東急・相鉄などでも採用されていた。

あとは、専らイベント用として使用されているEF58型電気機関車も、2枚窓であり、前面のカモメのような形のステンレスの飾り帯も特徴である。

1962(S37)年には111系電車が登場。この111系電車にも湘南色の塗装が継承されていた。こちらは、翌年の1963(S38)年に113系に製造が移行されていた。111系は、2001(H13)年3月末にJR四国の高松エリアから勇退。あれから早5年が経つのである。

JR東海保有の111系の保存車=飯田線の中部天竜駅構内にある佐久間レールパークには、先頭車であるクハ111-1号車が、JR東海浜松工場には、中間車であるモハ111-1号車、モハ110-1号車がそれぞれ保存されている。 浜松工場の保存車は、夏休み恒例の一般公開で見ることが出来る。筆者は一昨年(2004年)の7月25日に訪問している。

JR東海の浜松工場は、国内としては珍しい、新幹線と在来線の両方を受け持っている車両工場である。 現在は東海道新幹線の車両がメインとなっているけど。JR東海の在来線のほうは、名古屋工場がメイン。ここには、ミニ新幹線(山形・秋田新幹線)を除いた新幹線で唯一の踏切があるということで有名となっている。

111系のほうは、今から20年前の1986(S61)年の春に東海道線から撤退していた。JR四国で走っていた111系は、かつて東海道線で活躍していた車両である。

1963(S38)年に113系が登場。111系のパワーアップバージョンとして導入され、1982(S57)年までの長期に渡って製造されていた。

現在は4種類のHMが付いており、3月14日にすべて見たのである。

今年3月17日、みかん電車として半世紀以上親しまれてきた湘南色の電車が、湘南電車(東京~熱海間)から消えていくことになる。

宇都宮線を走っていた姉妹車の115系は、2004(H16)年10月15日に定期運用終了、昨年1月15日のさよなら運転をもって引退したのであるけど、そのさよなら運転に使用されていた115系の4両編成が、現在でも訓練車として残されているので、湘南色の電車の歴史を語り継ぐことが出来る。

湘南色の電車を新生鉄道博物館に保存してほしいという要望が出ているけど、パンクしない程度に実現すればいいなと思っています。

3月14日は、品川→東京→品川間で乗車。

品川から東京までは、2号車(モハ112-314号車)に乗車。この日の日付と同じ番号だったのである。その先頭車は、クハ111-553号車で、日立製だった。

筆者の携帯は、3月13日に、W21SA(三洋電機製)からW32H(日立製作所製)に替えたばかりなので、この携帯で初めて撮影した日立製の電車は、この編成の先頭車(クハ111-553号車)ということになったのである。後述のE531系の主制御器は、日立製である。

日立製作所の携帯電話(モバイル)製造事業の参入は、2003(H15)年11月28日に、W11H(auの元祖WIN)が発売された時からである。京セラ製のW11Kも同時発売されていた。

あれ以来、W21H、W22H、W32H、W41Hという機種(全てauのWIN)を世に送り出していたのである。

W41Hは、発売されたばかりの新機種(LISMO対応)で、4月1日からサービスが開始されるワンセグでのデジタル放送にも対応している。

このW32Hは、モバイルSuicaにも対応しているけど、VIEWカードに入会しないのでパスである。こちらは、昨年7月に発表、9月9日に発売。
色は銀色に黒縁である。先代の200万画素から128万画素と低下したけど、それでも綺麗に写りました。 先代の機種は、簡易デジカメの補助として動態保存される予定である。 ミニSDカードに保存し、それをW32Hに移し替えて使用することも可能なので。先代よりも軽量化されたのである。

先々代のA5404S(ソニーエリクソン)は、白い機種だったけど、末期にはジョグダイヤルが壊れやすかった、外部メモリーであるメモリースティックDuoの処理スピードが遅かったという不満があり、パケット料金の高騰により、WIN(W21SA)に乗り換えたのである。

東海道線の113系は、3月17日までの間、限定運用が組まれているので、決まった時間に行けば見られるという状態です。

113系のグリーン車であるサロ110は、乗り納めの人で賑わっている。形式番号のほうは、113系の先頭車であるクハ111と同様に、111系からの続番となっている。

赤い座席で懐かしさが漂っている。こちらも間もなく見納めとなるのが寂しいです。

113系が主に使用される列車の時刻 知っている範囲では、東京 14:43発 平塚行き、16:03発 熱海行き 17:00発 熱海行き

相模湾をバックに113系が快走する姿も見納めとなる

3月14日、品川で常磐線用のE531系の第7編成の甲種輸送を見たけど、当然のことながら、113系のついでという人も多かったです。筆者もその一人だけど。

E531系は、16時36分ごろ、品川駅に到着。牽引機は、EF64-1031号機でした。

新潟は雪ということで、屋根に雪が積もっていました。 E531系が本来走る常磐線は雪が少ない状態だけど。

E531系が品川に乗り入れていることは貴重な光景である。

この時の編成、K407+K457編成。 グリーン車の連結が発表されているので、オールモノクラスでの輸送も貴重となった。

16時45分ごろ、品川駅5番線に113系が入線。 この撮影により、4種類のHMを制覇。

この頃、E531系が田町車両センターに引き上がられていたので 走る路線は違うけど、新旧交代の一瞬でした。発車もほぼ同時であった。

昨年3月15日、E531系の第一編成(K401+K451編成)が、逗子から品川まで公式試運転で自力回送されていたけど、あれから今日(3月15日)で丸一年を迎えたのである。

川重輸送分を含め、品川到着の翌日に勝田まで公式試運転が行われることになっている。

昨年3月16日、北千住で初めてE531系の実車を見たのである。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-13 13:25 | 鉄道車両・路線
品川に到着した後、臨時ホームの9、10番線で行われたリゾートしらかみ・くまげら編成の展示会に行きました。

このリゾートしらかみ・くまげら編成は、3月18日から、秋田~(五能線)~川部~弘前~青森間で営業運転入りする予定となっている。

リゾートしらかみは、1997(H9)年4月1日、ノスタルジックビュートレイン(50系客車から改造)に変わる五能線の観光列車として登場。 秋田で、秋田新幹線こまち号(同年3月22日に開業)に接続。 当時は青池編成による4両編成だった。

2003(H15)年4月1日、第二弾となるブナ編成の落成により、2往復に増発 このブナ編成は、3両編成での改造となった。こちらは、東北新幹線はやて号の登場に合わせて登場していた。

2006(H18)年3月18日、第三弾のくまげら編成の登場により、3往復になる予定。青池編成は4両編成から3両編成に。

このくまげら編成は、3両編成で全車指定席 座席は、既存車と同様に、先頭車は通常の座席 中間車は、4人用のセミコンパートメントとなっていた。

先頭車には、展望ラウンジもある。

トイレ・化粧室は、先頭車にあり、1号車は、車椅子対応のトイレ・車椅子スペースが完備されている。

指定席の座席=臙脂色の座席で、シートピッチが広かったです。 

セミコンパートメント(ボックス席)=座席をフラットモードにすることも可能である。


3月18日からのリゾートしらかみ号は、3往復となり、日によって編成が異なることになる。

くまげら編成 キハ48-703+キハ48-1521+キハ48-704 703号車はキハ40-515号車から、704号車は、キハ40-520号車から改造されていた。

リゾートしらかみ青池編成は4両編成から3両編成に短縮されたけど、抜かれた中間車1両は、くまげら編成の中間車となったのである。

くまげら編成の展示会は、3月11、12日に品川、3月13日に大宮で行われたほか、秋田でも行われていたのである。

2号車(青池編成から転用された車両)は、座席のモケットが変更されている。

しらかみ号の展示会は、営業運転された翌年およびシーズン前に行われているケースが多いので、来年3月にくまげら編成の展示会がまた行われることが予想されます。

休憩用車両は、185系の5両編成のC7編成が使用されていた。 以前は167系が使用されていたこともあったけど、中には、シートピッチが広いメルヘン編成が使用されていたこともあったのである。2003(H15)年に167系が全廃となった後、185系の5両編成が使用されるようになったのである。

昨年3月5、6日に上野駅13番線で、リゾートしらかみ青池編成の展示会があった時は、SL奧利根号でおなじみの高崎の12系客車が休憩用として使用されていた。
当時は、4両編成としての最後の展示会だった。

くまげら編成の登場により、蜃気楼ダイヤが消えたのである。

JR東日本の新型気動車では、来年夏に小海線にハイブリッド気動車であるキハE200型に続き、水郡線にキハE130型新型気動車が導入されることになったのである。 キハE100型への置き換えは、2007(H19)年度中に完了するけど、これに伴うキハ110系列の動きが気になります。 他線区への転用により、国鉄型のDC(キハ52、キハ58型など)が置き換えられることが予想されます。 

キハE130型DCは、3ドアのセミクロスシート車で、車椅子スペースと車椅子対応の洋式トイレが設置されることになる。

こちらは、通常のディーゼル車であるけど、従来型のDCと比べて、排出ガスが低減されている。

こちらの形式名で、かつて北海道の日高線で走っていたキハ130型DCを思い出します。 こちらは、短命に終わったDCであった。
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by hy_sengen-sin | 2006-03-13 13:12 | 鉄道イベント