交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

<   2005年 10月 ( 17 )   > この月の画像一覧

E1系(1994年デビュー)

1994(H6)年7月15日、増え続ける新幹線通勤に対応するため、東北・上越新幹線初のオール2階建て車両としてデビュー。 定員は12両編成で、1229名(ジャンプシートを加えると1235名)で、200系16編成(定員1230名)と同等である。200系の増備も不可能、当時、上越新幹線ホームの有効長が12両分しかなかったのでちょうどよかったと思います。これ以上の増発は不可能であったため、この列車によって問題が解決されていた。

当初は2編成導入され、1編成ずつ、東北新幹線または上越新幹線の運用に入っていた。 当時は整備等により、水・木曜に限り、東北新幹線の運用のみ200系の12両編成(Maxでない車両)による代行運用となっていた。

こちらは、200系以来12年ぶりに導入された、JR東日本初のフル規格によるオリジナル新幹線となっている。

車体は、普通鋼製 グリーン車は9、10、11号車の2階の3ヶ所、自由席車両の2階は3+3の配置となっていた。

試運転時は、Maxではなく、DDS(Double Decker Shinkansen)のロゴとなっていた。現在はMax(Multi Amenity Express)となっていて、その名の通り、高さもMax(最大)である。形式は、600系になるはずだったけど、JR東日本独自の新幹線形式とするために600系からE1系となった。

当時の塗装は、ピーコックグリーンの帯となっていた。制御装置は、JR東日本の新幹線としては初のVVVFインバータ方式。 新幹線でのVVVFインバータ方式は、東海道・山陽新幹線の300系が最初である。

トイレは、すべて洋式で、男女共用のほか、女性専用も新設されている。 これがミニ新幹線を除いた東北・上越新幹線にも採用されている。 200系のトイレは、1996(H8)年7月に2ヶ所あるうちの1ヶ所が女性専用トイレとなっている。

あとは、9号車に女性専用のレディースパウダールームが新設。こちらには、飲み物の自動販売機のほか、お弁当やおつまみの自動販売機も新設されている。

8、9号車には、車椅子用のリフトも完備されている。

こちらの混雑緩和効果は、通勤ラッシュのほか、帰省ラッシュの時にも威力を発揮するようになった。

当初は、騒音問題(200系よりも騒音が大きい)という問題があった。

1995(H7)年2月には、1編成増備され、3編成に。 同年12月のダイヤ改正の時には、3編成導入され、6編成に。 

こちらは、東北新幹線の分割・併合運転が増え、12両固定編成で使い勝手が悪いので、後継ぎ車のE4系にバトンされた。

1997(H9)年12月にE4系が登場した後、徐々に東北新幹線での定期運用から撤退し、1999(H11)年12月4日の改正で東北新幹線での定期運用から撤退し、上越新幹線専用となった。 仙台ベースから新潟ベースへ。車両整備等で、仙台まで入線することもある。

2003(H15)年11月28日、M4編成を皮切りに、リニューアル化され、朱鷺(とき)色と紺色の塗装に変更される。 他の編成も順次変更され、来年度中には6編成すべて完了する予定となっている。

E2系(1997年デビュー) 

E2系は、東北新幹線での275Km/h対応編成および北陸(長野)新幹線用の車両、200系に代わる標準型新幹線車両として、1995(H7)年に試作車が登場。 E2系は2本試作され、1本は、北陸(長野)新幹線用、もう1本は、東北新幹線+秋田新幹線併結用として導入されていた。当初は、東北新幹線用も8両編成だった。量産車は、1996(H8)年に分割・併合対応のJ編成が落成、長野新幹線用のN編成の量産車は、翌年の1997(H9)年に落成。

1997(H9)年3月22日の秋田新幹線こまちの開業により、分割・併合対応のJ編成が、東京~盛岡間でE3系と併結されるやまびこ号の運用からデビュー。当初は3往復のみの運用だった。 当初は、J編成J2~6編成の5本が営業運転に入っていた。 試作車ものちに量産車改造。宇都宮~盛岡間で275Km/h運転が行われ、東京~盛岡間2時間21分と大幅にスピードアップ化された。

同年10月1日、長野行新幹線(高崎~長野間)の開業により、長野ベースのN編成(分割・併合非対応)も営業運転開始 N編成が、N1~N13編成の13本体制(うちN2~N13編成は量産車)となる。N編成は、インバータ装置がJ編成と若干異なっている。

塗装は、白地、紺色、赤色の帯 0番台は、どちらも50Hz/60Hzとなっていた。車体は、200系と同様、アルミ製

長野新幹線での最高速度は、260Km/h

E2系は、50Hz/60Hz対応だけではなく、碓氷峠の急勾配でも運転出来る能力のある車両となっている。

分割・併合対応のJ編成は、当時、東京~長野間のノンストップ列車を含め、一部のあさま号にも使用されていた。 

1998(H10)年12月のE2系+E3系併結列車の増発により、J編成が増備。 J7~10編成が登場。 この時から、E2系N編成が上越新幹線にも進出。

1999(H11)年12月4日、こまち号との併結相手がE2系に統一、この時までにJ11~15編成が導入され、0番台はJ15編成まで出揃うことになる。 この時から、J編成がN編成に変わって上越新幹線での運用にも使用され、N編成は長野新幹線専用編成に戻る。

2001(H13)年1月に、E2系の増備が再開され、1000番台としてマイナーチェンジ。 当初は8両編成。 インバータ装置はGTOからIGBTへ パンタグラフはシングルアーム 普通車の窓は大窓となった。 座席も大幅に変わっている。 J51編成のみ、E4系同様の8+8の16両編成での運転を想定して、東京方の先頭車にも連結器が付いていた。こちらは、50Hz専用であるため、長野新幹線に乗り入れることは出来ない。

2002(H14)年7月、J52編成が登場。 東京方の連結器が廃止され、セミアクティブサスペンション、車端部およびグリーン車には、フルアクティブサスペンションが装備された。J52以降の編成は、新製当時から10両編成。 既存のJ編成も、同年12月1日の東北新幹線はやて号(盛岡~八戸間)の開業までに、中間車2両挿入の上、10両編成化された。 一部の中間車は、長野新幹線のN編成とのトレードが行われていた。10両化とともに、赤色の帯からピンク色の帯に変更。整備が整ったと同時に10両化された。

J7編成⇔N5編成、J9編成⇔N10編成、J10編成⇔N12編成

盛岡~八戸間の最高速度は260Km/h

10両編成化されなかった、J1編成は、長野新幹線用にシフトされ、N21編成となった。

この時までに、J編成は、長野新幹線の運用から撤退。N編成に統一された。 J編成が、お召しや団臨で長野新幹線の軽井沢以西に乗り入れる場合は、0番台に限定される。

この後も、E4系とともに、200系の置き換え用として増備され、盛岡行きのやまびこ号のほとんどにも拡大された。 

のちに、0番台やJ51編成にも、セミアクティブ・フルアクティブサスペンションが取り付けられるようになった。

10両化後も、単独での上越新幹線への乗り入れ運用も継続されていたけど、昨年3月13日のダイヤ改正で、撤退した。

昨年から今年にかけて、E2系1000番台が大量増備され、東京~盛岡間のやまびこ号が、E2系(一部こまち用のE3系と併結)に統一されることになっている。

現在は、J編成が、東北新幹線の東京~盛岡~八戸間 N編成が、長野新幹線の東京~高崎~長野間で活躍している。

E3系(1997年デビュー)

E3系は、山形新幹線に続く、第二のミニ新幹線として開業した秋田新幹線用の車両として、前述のE2系とともに、1995(H7)年に試作車が登場。 試作車の顔つきは、山形新幹線の400系に準じている。 車体はE2系ベースのアルミ合金製。400系が200系のミニ新幹線バージョンに対して、E3系はE2系のミニ新幹線バージョンとなっている。 最高速度は275Km/h

当初は、阪神・淡路大震災の影響により、線路が寸断されていたので、川重製を含めて、陸送の予定が、船積みに変更されていた。試運転は、東北新幹線のほか、山形新幹線でも行われていた。

当初は5両編成 量産車は、1996(H8)年に登場。試作車とは異なり、ふっくらとした顔つきに変更された。 ライトは上と中央部から、中央部に集められた。
グリーン車の座席配列は、400系の2+1から2+2へ

1997(H9)年3月22日、盛岡~秋田間の開業 当時は、東京~秋田間 13往復(うち3往復は速達タイプ)、仙台~秋田間1往復で、東京~仙台または盛岡間で、200系またはE2系との併結運転が行われていた。 最短所要時間は、東京~秋田間 3時間49分 これにより、秋田が日帰り圏となった。

当時は、仙台で200系やまびこ号を切り離し、5両単独で仙台~盛岡間を275Km/hで駆け抜ける列車もあった。

当初は5両編成16本在籍。試作車であるR1編成も量産化された。400系のオールM(のちの6M1T)に対して、4M1Tとなっていた。

E3系の初期型車(R1~16F)は、後から挿入された中間車1両を除き、秋田新幹線車両保有㈱による保有で、JR東日本によってリースされている。

翌年の1998(H10)年12月8日の改正の時までには、好評により、1両増結され、6両編成に。 同時に、6両固定編成(R17)が1編成導入され、東京~秋田間1往復増発された。4M1Tから4M2Tへ

R1~16編成のワイパーが1本に対し、R17編成は、ワイパーが1本増設されて2本となった。
 完全新製のR17編成と後から導入された中間車1両は、JR東日本による保有となった。

このR17編成は、6両編成化のトップを切って、1998(H10)年10月26日に営業運転開始された。400系の時とは異なり、ダイヤ改正前から6両化されている。

12月8日の改正で、E2系との併結運転が増え、仙台~盛岡間の単独運用が原則廃止されたけど、その前から6両編成化されていたので、仙台~盛岡間で単独6両で走る時期もあった。
 このE3系の6両編成化は、前日の12月7日までに完了した。
やはり、5両編成だと短すぎたので大変でした。

普通車のシートピッチは12、13、14号車が980ミリ、15、16号車が910ミリで、15、16号車が自由席だった頃の名残がある。 15、16号車は、間合い運用に使用されるなすの号またはやまびこ号の一部で自由席となる。

こまち号のパンタグラフ 東京~盛岡間は、12号車と15号車(元14号車)の2基が使用され、盛岡~秋田間の在来線区間では、12号車のパンタグラフのみの使用となる。在来線区間ではもちろん130Km/h運転対応である。

1999(H11)年12月4日の改正で、こまち号の併結相手がE2系に統一される。

2002(H14)年には、秋田新幹線用のE3系の増備が再開され、その手始めとして、R18、R19の2編成が、暮れの繁忙期を前に営業運転入りしていた。 同年12月1日のはやて号登場と共に、こまち号が仙台発着を含め、全車指定席化される。

これを補うための臨時列車用、DS-ATC装置の搭載改造による予備車、200系のH編成(16両固定)の置き換え用として、仕様変更車が導入されていた。 

こちらは、インバータ装置のIGBT化、DS-ATCの搭載、セミアクティブ・フルアクティブサスペンションの装着、座面スライド装置の新設などで、E2系1000番台に準じてマイナーチェンジされている。

DS-ATC装置およびセミアクティブ・フルアクティブサスペンションの装着は、既存のR1~17編成にも施工されていた。

2003(H15)年にR20~22までの3編成、今年夏までには、R24~26までの3編成が導入された。 今年導入された車両は、こまち号の増発用の役割を果たしている。

これらのR編成は、秋田新幹線こまち号のほか、間合い運用のやまびこ、なすの号(E2系と併結)にも幅広く使われている。

今年12月10日の改正で、古川~盛岡間のDS-ATCの仕様開始、秋田新幹線の1往復増発、東北新幹線の東京~盛岡間のはやて号の新設で大きく変わることになる。E3系は、東京~盛岡間の増発はやて号にも使用されることになるし。

秋田のE3系の普通車 こまち号の全列車および盛岡発着のやまびこ号は全席指定 仙台発着のやまびこ号の一部は15、16号車も自由席、なすの号は、原則的に12~16号車も自由席となる。

1999(H11)年12月4日、山形新幹線の新庄延長開業の時に、E3系1000番台が2編成導入。 こちらは、400系と同様の7両編成で、400系に準じて仕様変更されている。塗装はこれまでのメタリック塗装に変わり、白地に緑帯という塗装に変わっていた。前面は、こまち用の0番台のブラックフェイスに対して、ライト回りも白となっている。これらの編成は、L51、L52の2本で、L50番台と区別されている。 400系と共通運用であるため、少数派の編成となっている。編成は、400系とは異なり、5M2Tとなっている。 グリーン車の配列は、2+1から2+2に変更されているので、400系と定員が揃わないという問題が生じている。 グリーン席、400系は20席、E3系は23席 普通車の座席は400系と同じ。

新幹線区間の最高速度は、240Km/h運転の400系に合わせ、単独運転を含めて240Km/hとなっている。
  
15号車のトイレは、座席定員を揃えるため、400系の追加導入の車両と同様に、洋式の個室1室と洗面所のみで、男子用小トイレが無い状態である。

今年に入ってからは、1000番台のL53編成が1本増備され、秋田新幹線E3系と同様に仕様変更された。
E3系1000番台は、東北新幹線の全線DS-ATC化を見据えて、DS-ATC装置が装備されている。

これにより、山形新幹線の東京~新庄間の1往復が増発されることになっている。

E3系の甲種回送 2002(H14)年に導入されたR18、19編成は、これまでの川重製と同様に、兵庫から日本海経由で輸送されていたけど、2003(H15)年のR20編成の時から、兵庫から東海道、武蔵野、高崎、上越線経由で、長岡から日本海経由で秋田まで輸送されるルートに変更されていた。

今年7月10日、筆者は西国分寺と大宮操車場(さいたま新都心)でR26編成の甲種回送を撮影したことがあります。

E4系(1997年デビュー)

E4系は、200系の老朽取り替えおよび、Maxの増備により登場。

E1系とは異なり、8両固定編成で、2+2の16両編成、ミニ新幹線(つばさ号)との併結運転にも使える自由度の高い編成となっている。 E1系は、12両固定編成のため、輸送力が足りなくなることや、輸送力過剰となることもあるので

車体はアルミ製で、車椅子用のリフトのほか、車内販売用のワゴンのリフトも完備されるようになったため、E1系のような手提げかごによるサービスが解消された

定員は、8両編成時は817名、8+8の16両編成時は1634名で、日本の高速列車としては最大の定員を誇るので、よりMaxらしい車両となっている。

このE4系は、1997(H9)年12月20日、東北新幹線でデビュー 最初は、8+8の16両で、日中は、東京~盛岡間で運転されていた。 2本使用1本予備

1999(H11)年には、増備車も登場。 同年4月29日には、8両単独運転のほか、東京~福島間、山形新幹線つばさ号との併結運転列車も登場した。

2001(H13)年5月7日には、上越新幹線にも進出。 E1系とともに、上越新幹線の朝の通勤列車にも使用された。東京~高崎間で16両運転開始。 同年7月22日には、軽井沢乗り入れ仕様のP51、52編成が導入され、東京~軽井沢間の臨時列車にも使用されるようになる。

同年9月に、つばさ号の併結されるやまびこ号が、E4系に統一された。

2003(H15)年に導入された2編成(P81、82編成)は、長野乗り入れ対応の編成となった。

現在は、高速用のE2系1000番台およびE3系の増備が進められているため、今のところ、E4系の増備は無い状態である。

車内の案内 普通車自由席 200系(K編成) 1~5号車 E1系 1~4号車 E2系 あさま号 1~4号車 やまびこ号 1~3号車 E3系 やまびこ号 12~16号車 400系、E3系 つばさ号 16、17号車 E4系 1~5(9~13)号車

普通車指定席 200系(K編成) 6、7、8、10号車 E1系 5~8、12号車、9~11号車の1階 E2系 あさま号 5、6、8号車 やまびこ号 4~8、10号車 はやて号 9号車以外の全車(全席指定席) E3系 こまち号 11号車以外の全車(全席指定席) 400系・E3系 つばさ号 12、13、14、15号車 E4系 6(14)号車、7、8(15、16)号車の1階

普通車自由席・指定席の配置は列車や時期によって異なります。

グリーン車(指定席) 200系(K編成) 9号車 E1系 9、10、11号車の2階 E2系(10両) 9号車 (8両・あさま号) 7号車 400系、E3系 11号車 E4系 7、8(15、16)号車の2階。

喫煙可能な車両(現在は全面禁煙) 200系(K編成) 3、8号車 E1系 3、11号車 E2系 3、8号車 長野新幹線あさま号は全列車全面禁煙 E3系(6両) 15号車 400系、E3系 15、16号車 E4系 3、8(11、16)号車

トイレ・化粧室 200系(K編成)・E2系(10両) 1、3、5、7、9号車 E1系 1、4、5、8、9、12号車 E2系(あさま号) 1、3、5、7号車 E3系(6両) 11、13、15号車 400系・E3系(7両) 11、13、15、16号車 E4系 1、4、5、8(9、12、13、16)号車 
 400系、E3系を除き、女性専用トイレもある。2室あるうちの1室でピンクのドア

列車電話 200系(K編成) 7号車 E1系 4、10号車 E2系 4、8号車 E3系(6両) 13、15号車 400系・E3系(7両) 12、13、16号車 E4系 3、7(11、15)号車

売店 E1系 8号車の1階 E4系 5(13)号車の1階
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-27 15:14 | 鉄道車両・路線
東北・上越新幹線の車両

200系(1982年デビュー)

1980(S55)年10月31日、最初の編成(0番台)が12両編成で落成。 1982(S57)年の開業の時までに、E編成36編成432両導入されていた。当時の最高速度は、かつての東海道・山陽新幹線と同様の210Km/h 当時の所要時間  大宮~盛岡間 3時間17分、大宮~新潟間 1時間45分

車体は0系ベース、アルミ製、でボディマウント方式であり、車端部に雪切り室があることも特徴である。 0系と同様オールM車。
あとは、上越新幹線の急勾配区間にも対応している。

当初普通車の座席のうち3人用の座席は、東海道・山陽新幹線の0系の後期型みたく、回転(方向転換)することが出来なかったので、場合によって後ろ向きになることを余儀なくされていた。座席は簡易リクライニングシートだった。グリーン車の座席は、0系後期型と同様のワインレッド 当初、7号車にグリーン車、9号車にビュッフェ、身障者対応設備があった。
トイレは、0系と同様に奇数号車にあり、7号車(グリーン車)と9号車に洋式トイレがあったほか、すべて和式だった。 200系は、和式トイレが主流だった旧国鉄時代に登場した車両のため、東北・上越新幹線で唯一和式トイレのある車両形式となった。

こちらは豪雪地帯も高速で走り抜ける優れものの新幹線である。 

200系の製造メーカー 日車、川重、日立、近車、東急 第一号編成は、日本車輌で落成されていた。

200系新幹線は、熊本市電の8200形電車(国産初のVVVF路面電車)とともに、1983(S58)年度のローレル賞を受賞していた。

1983(S58)年には、240Km/h対応など、仕様変更された1000番台、翌年の1984(S59)年に1500番台が登場し、1985(S60)年3月14日の上野~大宮間の開業の時までに21編成導入されていた。
1500番台は、先頭車のみの形式で、1983(S58)年に導入された1000番台の先頭車と比べて客室が座席1列分拡大されている。

既存のE編成の一部のF編成(240Km/h対応)化も行われるようになった。

上野開業の時点での最速所要時間 上野~盛岡間 2時間45分、上野~新潟間 1時間53分 当然のことながら、所要時間が大幅に短縮されている。

JR化直前の1987(S62)年3月には、不足する先頭車を補うため、2000番台の先頭車4両が登場。4両は、12両編成のF編成(F52、F58)の先頭に立っていた。種車は、E28、E31編成で、捻出された先頭車は、短編成化の時に転用されていた。

2000番台は、東海道・山陽新幹線の100系と同様のマスク(シャークノーズ)となっており、3列シートも回転するようになっていた。こちらは、旧国鉄で最後の新製車となっていた。

1987(S62)年には、乗車率の良くない上越新幹線のとき号の編成短縮、12両→10両化が行われるようになる。 10両化された編成は、E編成からG編成となった。10両10編成100両組成。

そのうちのG28編成は、2000番台の登場により、捻出された旧E28編成の先頭車に、10両化に伴って捻出された中間車をドッキングした編成となっていた。

旧31編成に使用されていた先頭車は、この時に組成されたF66(のちのF59)編成に転用されていた。中間車は、10両化に伴って捻出された車両である。

1988(S63)年3月のダイヤ改正では、240Km/hのスーパーあさひ号(当時)にも使用されていた。

この時からは、とき号のG編成が10両から8両に短縮され、捻出された先頭車から改造された200番台の先頭車も登場していた。10両10編成から、8両8編成、12両3編成に。

この200番台の先頭車は、2000番台と同様、100系タイプのマスクとなっている。
そのうちのG26、27、29編成は、捻出された中間車2両を組み込み、12両編成(F41~43編成)に戻されていた。そのうちのF42編成は、早くも200番台の先頭車に差し替えられていた。

旧G27編成の先頭車は、別の中間車で組成された2代目G27編成の8両編成へ
この時から8両のG編成のグリーン車が、半室グリーン車化されるようになった。あとは、ビュッフェの営業休止、客室化も行われている。

さらに、1989(H1)年11月からは、東北新幹線のあおば号(当時)も8両編成化され、それから捻出された中間車が活用されてやまびこ号の13両(のちの16両)の種車に回されていた。
先頭車改造の200番台も増えていた。

1990(H2)年3月のダイヤ改正で、一部の下り列車で275Km/h運転が行われたのに伴い、200系F編成のうちの4編成が改造され、F90番台の編成となっていた。 F90~93 改造は、パンタグラフの移設など。

1990(H2)年6月23日(東北新幹線の開業記念日)には、2階建て車両も登場、1両組み込まれて13両の暫定編成が6編成登場。 最初に登場した2階建て車両は、2階部分がグリーン席、1階部分が1、2人用グリーン個室、4人用普通個室、トイレ・洗面所が完備されていた。F42、43、52、55、57、58編成がそれぞれH1~H6編成となる。

13両化された200系のうち、H6編成だけは、200系の0番台の先頭車がそのまま使われていたけど、翌年には、200番台(先頭車改造車)に差し替えられていた。

翌年の1991(H3)年には、カフェテリア付きのもう1両の2階建て車両と、8両化により捻出された普通車2両を組み込み、16両編成化された。
これらの編成は、東海道・山陽新幹線の100系に良く似た編成となっていた。
当時、11号車のグリーン車はそのままとなっていたので、グリーン車が3両連結されていた。

これらの2階建て車両は、JR東日本になって後に製造された200系で、東北新幹線初の普通鋼製、付随車ととなっていた。 トイレは和式が廃止され、洋式に統一されていた。
200系は、この時までに700両製造されていた。

グリーン車の3両連結は、ビジネス客主体でグリーン車需要の多い、東海道・山陽新幹線にも受け継がれている。

東北・上越新幹線の東京開業の時点で、グリーン車が7号車から11号車に変更された。 
これにより、1号車から6号車までの乗客が、グリーン車を通り抜けずにビュッフェに行くことが可能となっていた。

1992(H4)年7月1日に開業した山形新幹線との併結用列車として、12両編成の200系F編成のうちの10編成が、8両編成に短縮されたK編成の11編成となる。(グリーン車は5号車で一部はH編成から転用されていた) H編成の11号車は、普通車に差し替えられ、グリーン車は2階建てのみとなった。これまでH6編成に連結された先頭車は、K10編成に転用。

同時に、K編成の仙台・盛岡寄りの先頭車に連結器が新設されていた。7号車はは全てビュッフェ車から改造されている。

1993(H5)年10月、残ったE編成のF編成化が完了し、12両固定編成はすべて240Km/h対応編成となっていた。

この時からビュッフェの営業列車の削減が行われ、普通車改造は、1996(H8)年まで続けられ、2002(H14)年にビュッフェが営業終了されるまで、そのまま営業されていた。

1997(H9)年3月22日、秋田新幹線こまち号の開業により、同日デビューしたE2系のほか、200系も併結列車に充当されたため、F編成のうちの11編成(F1、2,3、10、11、12、13、15、18、20、21編成)が、10両化・連結器の新設改造された。捻出した中間車2両は、既存のK編成に組み込まれ、8両から10両編成となった。

この年から、200系の廃車が、G43編成を皮切りに行われるようになり、そのうちのG43編成の4号車に連結されていたM226-63号車が、長野新幹線乗り入れ用軌道検測車(E921-32号車)に改造されていたけど、2002(H14)年12月8日をもって廃車となっていた。

これ以降、E2系やE4系の追加導入により、210Km/hまでしか出せない8両編成のG編成が順次廃車となり、1999(H11)年4月に定期運用から離脱、同年12月6日のG28編成をもって全廃となった。 東北新幹線からの撤退は、1998(H10)年12月8日の改正のことだった。

1998(H10)年2月に開催された長野オリンピックの時には、200系の1編成(F17)編成が、長野新幹線乗り入れ対応の改造を受け、オリンピック輸送に使用されていた。

改良の内容は、50/60Hz対応、長大勾配対応化、先頭車座席の軽量化(E2系タイプへの交換)などが行われていた。編成番号はF80番に

こちらは長野オリンピック終了後も東北・上越新幹線の定期列車に使用されていたけど、長野新幹線への臨時乗り入れが行われることもなく、昨年6月に廃車となった。
200系の長野新幹線への乗り入れは、オリンピックの時が最初で最後となった。 あさまの方向幕は、白地だった。

1999(H11)年3月29日には、K47編成を皮切りに、耐用年数10年延長によるリニューアルが行われ、2002(H14)年1月までに12編成が改造された。リニューアル工事は、塗装変更、前面ガラスの交換、客室の改良 普通席はE4系、グリーン席はE2系に準じた座席への交換、車内案内装置等の新設、トイレの一部洋式化などとなっている。
リニューアル化された編成 K47、25、41、48、21、49、44、26、46、51、43、42 このうちのK25編成は、昨年10月の新潟中越地震で被災し、廃車となった。

1999(H11)年4月29日 つばさ号との併結相手にE4系Maxが加わり、200系が徐々につばさ併結運用から撤退する。同年12月3日をもって、200系とE3系こまちとの併結運転が廃止された。

2000(H12)年に入ってからは、リニューアル対象外の240Km/h運転対応の200系にも廃車が発生し、同年3月にK28編成が、4月にK29編成が廃車、同年暮れに、12両のF編成の2本(F30、34編成)にも廃車が出ている。 このうちのF30編成は、トップナンバーの編成だった。

2001(H13)年9月20日、200系がつばさ号との併結運用から撤退。本来の運用が無くなる。翌日からつばさ号との併結相手がすべてE4系Maxに

2002(H14)年になってからF編成またはリニューアルの対象から外された一部のK編成の廃車のピッチが上がり、2003(H15)年12月には、16両固定編成のH編成にも廃車が発生した。 最初に運用離脱された編成は、H2編成だった。

200系のH編成の置き換えは、E2系+E3系の組み合わせで行われていた。

翌年の2004(H16)年2月には、2000番台の2002号車の入ったH3編成が廃車となり、同年3月13日のダイヤ改正で、200系はリニューアル車を除き、定期運用から撤退した。

E編成(1982-1993)、F編成(1983-2007)、H編成(1990-2005)、G編成(1987-1999)、K編成(1992-)

200系オリジナル車両の方向幕 東北=紺色 上越=赤色 長野=白

16両のH編成。 昨年3月の定期運用終了後は、この年のGW輸送に16両編成のまま使用され、奇跡的に復活。 この後、H1、6編成が直接廃車され、残ったH4、5編成の2編成は、2階建て車両を含む4両の中間車を抜き、モノクラスの12両編成に組成。 この時点で200系の2階建て車が消滅。
12両編成に組成された2編成は、東北新幹線のみならず、上越新幹線の臨時列車でも使用されていたが、今年5月28日にH4編成(2000番台の先頭車(2001号車)を含む)、8月28日にH5編成が廃車となり、細帯入りの100系もどきの編成が全廃となった。 こちらは、デジタルATCが装備されることは無かった。H5編成=今年のお盆休みの多客期輸送が最後だった。この列車の末期には、カフェテリアの隣にトレインマッサージのコーナーもあった。 

200系の2階建て車両は、東北新幹線のみの運用で、上越新幹線に乗り入れることは無かった。 当時上越新幹線のホームの有効長は、12両分しか無かったので。

12両のF編成。昨年3月の定期運用終了後、専ら臨時列車で使用されている。

最後まで残っていたF8、17、91、93、80編成のうち F91、93編成(かつての275Km/h対応編成)は、4月16日、5月22日に、F80編成(前述の長野乗り入れ対応編成)が6月18日にそれぞれ廃車され、異彩を放つ200系が全廃。

現在、唯一残った先頭車改造のシャークノーズ(100系タイプ)のF8編成、オリジナルスタイルのF19編成の2編成が臨時列車で最後の活躍をしている。 後者のF19編成は、F編成で唯一DS-ATC装置が取り付けられているけど、先は長くないと思われる。上越新幹線のE1系Maxのリニューアル、DS-ATC化の予備車としても使用されている。

10両のK編成 これまでリニューアルの対象から外されたK28、29、23、22、45、50、24、27、30編成が廃車済 昨年3月13日のダイヤ改正で、原則としてリニューアル車に統一されたけど、K編成で唯一リニューアル化されずに残ったK31編成のみが、予備車として使用されている。

リニューアル編成のほうは、昨年5月から今年3月にかけてDS-ATC装置の取り付けが行われていた。 K31編成は、リニューアル編成のDS-ATC取り付けの時の予備車として使用されていた。
12両改造されたリニューアル編成のうち、K25編成は、昨年10月23日に発生した新潟県中越地震の時に被災したために廃車となり、残りの11編成が活躍している。

400系(1992年デビュー)

1990(H2)年、6両編成1本の試作車として落成。6両オールM車 上越新幹線で行われた高速試験で336Km/hをマークしていた。こちらは、JR東日本になってから登場した初のオリジナル新幹線となっている。 同時期に登場した、東海道・山陽新幹線の300系は、JR東海独自の開発となり、新幹線車両の開発も、東西で分離されるようになった。

足回りは、200系に準じた直流モーター車となっており、最高速度は新幹線区間、240Km/h、在来線区間、130Km/h

車体は、在来線を走るため、通常の新幹線よりも小型となった。LEDの行き先表示が試行されている。運転台に丸窓もあった。車体は普通鋼製 座席配列は、普通車は2+2、グリーン車は2+1となった。 トイレは、JR東日本のオリジナル特急の流れを受けて、和式が廃止され、洋式に統一された。
ちなみに、JR東日本のオリジナル特急のトイレは、1989(H1)年に常磐線に登場した、651系スーパーひたちの時からすべて洋式となっている。

1992(H4)年7月1日の福島~山形間の開業の時は、量産車11編成66両導入。試作車と合わせて、12編成72両で営業運転開始された。 量産車は、側面の表示が幕式となっている。
同時に試作車の量産化改造が行われ、丸窓が廃止された。
当時は、東京(上野)~福島間で、200系のK編成の8両との併結運転が行われていた。
当初の塗装=銀色系で、緑帯があった。
400系は、山形ジェイアール直行特急保有㈱による保有で、JR東日本にリースされて運用されている。
前身の485系旧つばさ号と同様に、福島~米沢間の板谷峠越えにも対応している。

1995(H7)年12月1日 中間車1両(T車)増結の上で7両編成に増結。 加速度が低下したため、ダイヤ改正後に順次7両化されていた。この時点で400系の製造が終了された。

1999(H11)年4月29日 つばさ号との併結相手が順次E4系Maxに変更される。2001(H13)年9月21日をもって完了。

1999(H11)年12月4日  山形~新庄間の開業 順次塗装がE3系1000番台と同じ白系に変更され、2001(H13)年までに完了していた。座席も交換。

試作車のほうは、後から導入された増結車を除き、LED式のままとなっていたけど、一昨年に量産車と同じ幕式となっている。

現在は7両編成12本84両活躍している。
この400系は登場から10年以上経っているので、今後の動向が気になります。

山形新幹線の400系は、山形新幹線だけでなく、東京~那須塩原間のなすの255、230号(那須塩原への回送間合い)にも使用されている。

奥羽本線(山形線)の赤岩、板谷、峠、大沢駅は、15年前の1990(H2)年までスイッチバック駅だった。 赤岩駅は、3月10日の改正で、板谷・峠・大沢駅は、9月1日の改正でそれぞれ廃止されている。 

さくらんぼ東根駅=1999(H11)年12月4日に開業した駅。これまでは、周辺に蟹沢駅という無人駅があった。

ミニ新幹線のメリットは、新線を建設せず、既存線を改軌し、設備を改良するだけなのでコストが安い。 新線建設だとトンネルの建設などで余計な費用が掛かるので。 在来線区間で、新幹線だとは思えないほどの緑の風景を楽しむことも出来ることもミニ新幹線ならではである。
乗り換え無しで、新幹線の高速区間、在来線の風景を楽しむことが出来るので一石二鳥である。あとは、フル規格だと駅やホームが離れてしまうという不便な面があるので、これまでの在来線ホームを生かしながらすぐに乗り込めるという便利なこともある。

デメリットは、車両の小型化により、輸送力が落ち込んでしまうこと、改軌工事により、在来線の線路が寸断されること、ダイヤの乱れが新幹線区間・在来線区間の両方に及んでくること、自然災害による運転休止の可能性が高いこと、踏切があり、危険性が高いことなどとなっている。

そのため、踏切のほうは、約半数が立体化されている。

新幹線区間では、フル規格新幹線の車両との併結運転によって補なわれている状態である。

長野新幹線は、高崎~軽井沢間がフル規格、軽井沢~長野間がミニ新幹線方式で開業することが予定されていたけど、長野オリンピックの開催を受け、全区間フル規格に変更されたという凡例がある。もしも予定通りにミニ新幹線方式となっていたら、小諸駅を通っていたところだった。 小諸駅へは、佐久平で小海線に乗り換えて行くことになる。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-24 15:10 | 鉄道車両・路線
1982(S57)年6月23日に開業した東北新幹線は、東京と東北地方を結ぶ速達路線で、豪雪地帯も高速で走り抜けるという優れものの新幹線でもあります。 同年登場した上越新幹線や、山形・秋田・長野の派生新幹線もだけど。

上越新幹線は、群馬・新潟地域だけではなく、庄内地方、北陸方面へのアクセス路線ともなっている。

今年12月10日のダイヤ改正で、古川~盛岡間のDS-ATC化、さらなる速達化、列車の増発、待ち合わせ時間の短縮などで進化することになっている。

東北新幹線の路線

東京~上野~大宮~小山~宇都宮~那須塩原~新白河~郡山~福島~白石蔵王~仙台~古川~くりこま高原~一ノ関~水沢江刺~北上~新花巻~盛岡~いわて沼宮内~二戸~八戸…(新青森まで延長予定)

上越新幹線の路線 

(東京まで直通運転)←大宮~熊谷~本庄早稲田~高崎~上毛高原~越後湯沢~浦佐~長岡~燕三条~新潟

越後湯沢~ガーラ湯沢(臨時駅) こちらは在来線扱いの路線となっている。

山形新幹線の路線(正式名称は奥羽本線(山形線))

(東北新幹線・東京まで直通運転)←福島~米沢~高畠~赤湯~かみのやま温泉~山形~天童~さくらんぼ東根~村山~大石田~新庄

秋田新幹線の路線(正式名称は田沢湖線、奥羽本線)

(東北新幹線・仙台、東京まで直通運転)←盛岡~雫石~田沢湖~角館~大曲~秋田

長野新幹線の路線(正式名称は北陸新幹線)

(上越新幹線・東京まで直通運転)←高崎~安中榛名~軽井沢~佐久平~上田~長野…(上越、富山、金沢方面まで延長される予定)

東北新幹線・宇都宮線の那須塩原駅は、東北新幹線開業の時に、東那須野駅から改称された駅で、今年1月1日に、黒磯市・那須郡西那須野町・同塩原町が合併して那須塩原市となり、駅名と同じ市名となった。

新幹線の上野駅は、新幹線で唯一地下にある。

乗り換え駅 東京 山手線、京浜東北線、中央線、東海道線、横須賀・総武快速線、京葉線、東海道・山陽新幹線、東京メトロ丸ノ内線、東京メトロ東西線(大手町駅)

上野 山手線、京浜東北線、東北(宇都宮)線、高崎線、常磐線、東京メトロ(銀座線、日比谷線)、京成線(京成上野駅)

大宮 東北・山形・秋田新幹線⇔上越・長野新幹線、京浜東北線、東北(宇都宮)線、高崎線、湘南新宿ライン、埼京線、川越線、東武野田線、埼玉新都市交通ニューシャトル

小山 東北(宇都宮)線、湘南新宿ライン、両毛線、水戸線

宇都宮 東北(宇都宮)線、湘南新宿ライン、日光線、烏山線(宇都宮直通列車を除き、宇都宮線宝積寺駅(宇都宮から2駅目)で乗り換え)

那須塩原 東北(宇都宮)線

新白河 東北線

郡山 東北線、磐越西線、磐越東線、水郡線

福島 東北新幹線⇔山形新幹線、東北線、奥羽(山形)線、阿武隈急行線、福島交通飯坂線

仙台 東北線、常磐線、仙山線、仙石線、仙台市営地下鉄南北線

古川 陸羽東線

一ノ関 東北線、大船渡線

北上 東北線、北上線

新花巻 釜石線

盛岡 東北新幹線⇔秋田新幹線、東北線、田沢湖線、山田線、IGRいわて銀河鉄道線、花輪線(IGR経由)

いわて沼宮内、二戸 IGRいわて銀河鉄道線

八戸 東北線(八戸~青森間)、八戸線、青い森鉄道線

米沢 米坂線

赤湯 山形鉄道フラワー長井線

山形 仙山線、左沢線

新庄 奥羽線(湯沢、横手方面)、陸羽西線、陸羽東線

角館 秋田内陸縦貫鉄道線

大曲 奥羽線(横手、湯沢方面)

秋田 奥羽線(大館、青森方面)、羽越線、男鹿線

熊谷 高崎線、湘南新宿ライン、秩父鉄道線

高崎 上越新幹線⇔長野新幹線、高崎線、湘南新宿ライン、上越線、両毛線、吾妻線、信越線(高崎~横川間)、八高線(八王子方面へはすべて高麗川で乗り換え)

越後湯沢 ガーラ湯沢方面、上越線、北越急行ほくほく線(特急はくたか号)

浦佐 上越線

長岡 信越線(柏崎、直江津方面)、上越線

燕三条 弥彦線

新潟 信越線、白新線、越後線

軽井沢 しなの鉄道線、横川行きの路線バス

佐久平 小海線

上田 しなの鉄道線、上田電鉄別所線

長野 信越線(篠ノ井、妙高高原、直江津方面)、篠ノ井線、飯山線、しなの鉄道線、長野電鉄長野線

1982(S57)年6月23日、東北新幹線、大宮~盛岡間の開業 当時は200系12両編成で210Km/h運転。当時は、大宮~盛岡間のやまびこ号が5往復、大宮~仙台間のあおば号が6往復運転されていた。 上野~盛岡間の在来線特急旧やまびこ号が廃止、この時点では、上野~青森間のはつかり号、上野~仙台間のひばり号も運転されていた。

本当は、東北・上越両新幹線が同時に開業する予定だったが、上越新幹線、高崎~上毛高原間の中山トンネルでの出水事故の影響により、開業が遅れていた。

上野開業の時まで、新前橋の185系7+7の14両編成による、新幹線リレー号が、上野~大宮間ノンストップで運転されていた。 グリーン車は、お年寄りや体の不自由な方の優先車両、シルバーカーとなっていた。

このようなリレー号+新幹線の運転方式は、九州新幹線にも受け継がれている。 現在は、博多(一部門司港、小倉)~新八代間が、787系によるリレーつばめ号(旧つばめ号と同じ車両)、新八代~鹿児島中央間が、800系による新幹線つばめ号による運転となっている。

1982(S57)年11月15日には、上越新幹線、大宮~新潟間開業 同時に東北新幹線が本格開業し、本数も増えた。 当時の愛称、速達(ひかり)タイプがあさひ号、各駅停車(こだま)タイプがとき号。
 東北新幹線では 速達タイプがやまびこ号、各駅停車タイプがあおば号

在来線特急ひばり号(上野~仙台間)、旧とき号(上野~新潟間)、旧はくたか号(上野~金沢間)、はつかり号の上野~盛岡間、いなほ号の上野~新潟間などが廃止された。盛岡~秋田間のたざわ号(秋田新幹線こまち号の前身)も登場。

当時、ひかりは北へというキャッチフレーズで建設されていた。

1985(S60)年3月14日 上野~大宮間開業 水沢江刺、新花巻駅も同時開業。 この時に240Km/h運転が開始される。
新幹線リレー号が廃止され、185系は、上野発着の近距離特急(当時は新特急)や特急踊り子号の183系の置き換え用に転用された。

1987(S62)年4月1日 国鉄からJR東日本の路線となる。

1990(H2)年3月10日 くりこま高原駅開業 同年6月23日には、初の2階建て車両登場。
 上越新幹線の越後湯沢→浦佐間で、275Km/h運転開始。当初は275Km/h運転対応に改造された200系F90番台の編成が使用されていた。

1990(H2)年12月20日 JR東日本系列のスキー場であるGALA湯沢スキー場のオープンとともに、越後湯沢~ガーラ湯沢間がスキーシーズンのみ旅客化される。こちらは保線基地へのアクセス線として設けられた路線となっている。当時は越後湯沢~ガーラ湯沢間のシャトルガーラ号も運転されていたけど、すべて直通運転となっている。

1991(H3)年6月20日 東京~上野間開業 当初は1面2線(12、13番線)のホームで、東海道線の旧12番線跡(東海道・山陽新幹線の隣り)に新設されていた。 これにより、上野駅の混雑が緩和された。 200系の16両編成も登場。

同年8月27日、奥羽本線の福島~山形間の標準軌への改軌工事のため、旧つばさ号が暫定的に仙山線経由の仙台発着となる。

1992(H4)年7月1日 山形新幹線、福島~山形間開業 当時は400系の6両編成で、東京(上野)~福島間で、200系の8両編成と併結運転が行われていた。 つばさ号の名称は、これまで奥羽線経由で秋田まで運転されていた旧つばさ号から受け継がれている。
同時に、これまでのつばさ号が、こまくさ号に改称され、山形~新庄、秋田間の接続特急(新庄延長の時までのつなぎ)となる。 400系は初のJR東日本オリジナルの新幹線車両で、新幹線と在来線を直通運転する初のミニ新幹線として話題となっていた。西のほうではのぞみ旋風が起きていた。

1993(H5)年、ビュッフェ営業列車の減少、一部を除き普通車化。12両編成車のオール240Km/h対応化

1994(H6)年7月15日 東北・上越新幹線にE1系登場。 初のオール2階建て新幹線の12両編成で、新幹線通勤に於ける混雑が緩和された。 当初は2編成のみの配置で、東北・上越ともに日中は2往復運転されていた。翌年に増備車が入るまでの間、東北新幹線のほうは水・木のみ200系(Maxでない車両)による運転となっていた。

1995(H7)年12月1日 東北新幹線に東京~那須塩原間の近距離タイプのなすの号が登場。 那須塩原発着のあおば号から改称された。 
同時に山形新幹線つばさ号が、6両編成から7両編成に順次増結された。 

1996(H8)年3月30日 田沢湖線の改軌工事のため1年間運休 特急たざわ号が廃止され、暫定的な特急として、キハ110型の特急仕様車による秋田リレー号が、北上から北上線経由で運転されていた。 暫定的ながらJR東日本初のディーゼル特急が登場していた。
このため当時のスーパーやまびこ号が北上に停車していた。秋田リレー号に使用されていたDCは、秋田リレー号の廃止と同時に、一般型改造の上で、飯山線に転用された。

1997(H9)年3月22日 秋田新幹線、盛岡~秋田間開業。 当時はE3系の5両編成で、東京(仙台)~盛岡間で、200系の10両編成またはE2系の8両編成と併結運転されていた。
E2系も、秋田新幹線併結用としてデビューし、200系H編成に代わって速達列車に使用されるようになる。 東北新幹線でも275Km/h運転開始。同時につばさ号併結の200系も10両化。越後湯沢で、同時に新設されたほくほく線経由のはくたか号に接続し、東京と北陸方面が速達化された。北陸方面への乗換駅の中心は、長岡から越後湯沢へ 

当初は、速達やまびこ号(現はやて号)や、こまち号にも自由席があった。あとは、仙台で200系を切り離し、仙台~盛岡間でE3系単独運転されたという列車もあった。

1997(H9)年10月1日 長野新幹線(当初は長野行新幹線)、高崎~長野間開業。 車両はE2系の8両編成で、あさま専用のN編成(長野新幹線車両センター所属)のほか、仙台のE2系も間合い運用として使用されていたこともあった。 同時に、上越新幹線の東京~高崎、越後湯沢間のとき号が、たにがわ号に改称され、あおば号の名称が廃止された。 東京~新潟間のとき号は、あさひ号に。とき号の名称は一旦廃止。

その前日、信越線の横川~軽井沢間が廃止されるという残念な出来事があった。

この時から200系の廃車が、8両編成のG編成(240Km/h運転非対応)を皮切りに行われるようになる。

東京駅のホームは1面2線から2面4線に増設。 新設の20、21番線は上越・長野新幹線 既存の22、23番線(12、13番線から改番)は東北・山形・秋田新幹線に分けられていた。
東京駅の混雑緩和に。

1997(H9)年12月20日 E1系の後継ぎ車両としてE4系Maxが登場。 こちらは12両固定のE1系とは異なり、8両単独、8+8の16両、つばさ号との併結運転可能の編成となっている。

当初は、東北新幹線のみで、8+8の16両の列車に限定運用されていた。 

1998(H10)年12月8日 E2系+E3系による速達やまびこ・こまち号の増発。こまち号との分割・併合駅は盛岡駅に統一 仙台~盛岡間 E3系単独運転の原則廃止。E3系こまち号が5両編成から6両編成に増結、1往復増発

上越新幹線にもE2系登場、当時はあさま用のE2系(N編成)が使用されていた。翌年からE2系J編成に代わっていた。 

1999(H11)年3月12日 奥羽本線の山形~羽前千歳~新庄間の改軌工事により、羽前千歳~新庄間が運休。 この時に、特急こまくさ号が廃止され、新庄~秋田間の快速列車に格下げされた。のちに無名の普通電車となった。

1999(H11)年3月29日 リニューアル200系、東北新幹線で営業運転開始。最初に改造された編成は、10両編成のK47編成。

1999(H11)年4月29日 E4系がつばさ号の400系との併結運転列車にも使用開始。 一部が200系から置き換えられた。 この時に200系の8両編成が全廃となった。

1999(H11)年12月4日 山形新幹線、山形~新庄間開業 同時にE3系1000番台が2編成登場し、既存の400系もE3系と同様の塗装に変更された。 
こまち号との併結列車がすべてE2系となり、定期のやまびこ+こまち号が全列車275Km/hとなった。 翌年の2000(H12)年には200系の廃車が加速した。E1系、東北新幹線での定期運用から撤退、上越新幹線専用となる。

2001(H13)年5月7日 E4系、上越新幹線にも進出 東京~高崎間でも16両運転が行われるようになる。 7月22日、Maxあさま号として軽井沢始発の長野新幹線の臨時列車でも使用開始。編成はP51、52の2編成に限定。

同年9月、つばさ号との併結運転から200系が撤退し、つばさ号の連結相手がE4系に統一される。E2系1000番台の量産先行車も登場。

2002(H14)年5月31日、200系ビュッフェの営業廃止。 開業20周年を迎えた同年6月23日に特別運転された思い出のあおば号が大宮→仙台間で運転された時にビュッフェの営業が1日限りで復活している。

2002(H14)年12月1日 東北新幹線、盛岡~八戸間開業 八戸行きの列車がはやて号となり、E2系も10両化、仙台発着を除き、全車指定席となった。 同時に、秋田新幹線こまち号も、仙台発着を含め、全車指定席化されている。 盛岡~八戸間の新線は、DS-ATC装備。

E2系1000番台も本格的に登場 既存のはやて用のE2系が10両編成化されたけど、一部は長野新幹線用のE2系とのトレード(中間車の交換)が行われていた。 試作車のJ1編成は、8両編成のまま長野新幹線に転用、N21編成となったけど、E926型検測車を組み込むことも可能である。

同時にE3系のマイナーチェンジ車も登場。 繁忙期における臨時列車にも対応するようになった。

あさひ号からとき号に変更され、とき号の愛称が復活することになる。 あさひ号の名称は、東京~高崎間で同一の線路を走る長野新幹線のあさま号と紛らわしいということの理由で
廃止されている。とき号のほうが新潟のイメージが強いのでいいと思います。

2003(H15)年、長野乗り入れ対応のE4系、P80番台も登場。 現在長野乗り入れに使用されていない状態である。
同年11月28日、E1系が順次リニューアル化 ピンク色の塗装に変更。 来年度までに6編成すべて新塗装になる予定。

2004(H16)年3月13日 上越新幹線に本庄早稲田駅が開業 同時にE2系が上越新幹線(高崎~新潟間)から撤退。 E2系の大量増備により、ほとんどの盛岡やまびこ号もE2系(一部こまち用のE3系と併結)化され、スピードアップ化された。 

この陰で、200系のオリジナル編成がすべて定期運用から離脱 200系の16両固定編成も消滅した。

同年10月23日(ちょうど1年前)に発生した新潟中越地震の影響により、打撃を受けたけど、12月28日に復旧している。 

今年12月10日のダイヤ改正では、古川~盛岡間のDS-ATC化、それに伴うスピードアップ、仙台~盛岡間のオールE2系またはE3系化、はやて・やまびこ号の接続の改善、盛岡発着のはやて号の新設、つばさ・こまち号の増発などが行われる。
同時に、東京駅での使用ホームの差別が無くなることになる。 東北系統も20、21番線 上越系統も22、23番線も使用されるようになる。

これにより、E4系の仙台~盛岡間の定期運用が無くなることになる。

開業当時、本数が少なかった東北新幹線の本数が大幅に増えていたことで驚きました。

東北新幹線の保安装置 盛岡~八戸間 DS-ATC(デジタルATC) 福島~山形~新庄間、盛岡~大曲~秋田間 ATS-P その他は、開業当時からのATCー2型が使われている。

東北・上越新幹線のDS-ATCは 盛岡~八戸間 2002(H14)年12月1日の開業時から使用開始

古川~盛岡間 2005(H17)年12月10日使用開始(DS-ATC化)予定

その他の区間も、順次DS-ATC化される予定だけど、長野新幹線の高崎~長野間は未定となっている。

このDS-ATCは、来年10月開業予定の台湾新幹線にも導入される予定 車両は700系ベースの日本(川重)製の車両が使用され、台湾でも日本の新幹線の技術が導入されることになる。

東北新幹線ではさらなるスピードアップを目指して、ポストE2系のE954型(FASTECH 360S)が1編成のみ試作された。今年6月落成。こちらは、時速360Km/h運転が前提となっている。 E2系1000番台のJ56編成は、高速試験で362Km/hをマークしている。

来年には、そのミニ新幹線版・ポストE3系のE955型(FASTECH 360Z)も落成する予定となっており、高速でのすれ違い実験にも使用されることになる。

電圧は交流25000V(ミニ新幹線区間は20000V) 軽井沢~長野間は60Hz(東海道・山陽・九州新幹線と同じ)で、他はすべて50Hzとなっている。

そのためE2系0番台およびE4系のP80番台の編成は、50Hzと60Hzの両方となっており、軽井沢~佐久平間で周波数が切り替わることになっている。 長野オリンピックの時に200系が乗り入れていた時には、もちろん60Hz対応に改造されていた。

E2系が上越新幹線から撤退した理由は、E2系の運用が東北新幹線優先であること、制限速度が一部区間で210Km/hとなっており、240Km/h運転出来る区間が限られていたことである。

E1系、E4系Maxは、座席定員は多いというメリットがあるけど、240Km/hまでしか出せないため、スピードアップの波には勝てないというデメリットがある。

上越新幹線のとき1号と2号は、東京~新潟間ノンストップ運転となっている。 現在は、200系リニューアル車両で運転されているけど、12月10日の改正で、E4系に置き換えられる予定である。昨年3月13日の改正までは、東北新幹線用のE2系の10両編成が使用され、大宮駅にも停車していた。

長野新幹線でも、東京~長野間ノンストップ運転の列車が1往復あったけど、長野新幹線あさま号の全列車大宮駅停車化により、無くなっている。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-22 13:45 | 鉄道車両・路線
JR東日本の車内販売の系列会社は、NRE(日本レストランエンタプライズ)となっている。

NREは、1938(S13)年10月1日に、日本食堂として設立、旧国鉄時代は全国で営業されていたけど、1987(S62)年4月1日にJR化されたと同時に、北海道地域がにっしょく北海道(現北海道ジェイアールフーズ)、九州地域がにっしょく九州(現在のジェイアール九州トラベルフーズ)に分社化 翌年1988(S63)年には、東海地域が前述のJダイナー東海(現ジェイアール東海パッセンジャーズ)、西日本地域がにっしょく西日本(のちにジェイアールウエストレストラン、現ジェイアール西日本フードサービスネット)に分社化 東日本エリアのみ日本食堂のまま残されていた。翌年からJR東日本も資本参加。

1992(H4)年にはJR東日本の子会社となり、創立60周年を迎えた1998(H10)年10月1日に現在の日本レストランエンタプライズに社名変更されている。

NREは、JR東日本の新幹線や在来線の車内販売のほか、北斗星、カシオペアの食堂車の営業、湘南新宿ラインなどのグリーンアテンダント業務、駅弁の製造・販売、立ち食いそば屋などの飲食店の営業なども行われている。
かつては、東北・上越新幹線の200系のビュッフェやカフェテリアの営業も行われていた。

200系車両、1980(S55)年に1号車両が落成、1982(S57)年6月23日の東北新幹線の大宮~盛岡間の開業と同時にデビュー 当時は12両編成で210Km/h運転だった。

上越新幹線の大宮~新潟間の開業は、同年の11月15日のことだった。

200系車両は、0系ベースで、0系と比べて鼻が長いスタイルとなっている。0系の海をイメージした青色に対して、200系は山をイメージした緑色。
車体は、アルミ製で、床下まで覆われたボディマウント構造が採用されていた。

当時の名称は、緑の疾風(はやて)。 
はやての名称は、東京と八戸の間をE2系で結ぶ列車に使用されているけど、緑色の200系オリジナル車がはやて号に使用されることはない。

0系と同様に、ビュッフェの営業も行われていた。

1985(S60)年3月14日に上野に乗り入れた時に、240Km/h運転開始。 この時までに240Km/h運転対応の編成も登場。既存の編成も、一部を除き、240K/h運転対応化改造が行われていた。

国鉄末期の1987(S62)年には、先頭車が追加新製の先頭車である2000番台も登場。 前面スタイルは、東海道・山陽新幹線の100系に準じている。 同様に、中間車から改造された200番台も登場。この時から200系の編成組み替えが始まり、一部は10両編成、のちに8両編成に短縮されている。

1990(H2)年6月23日、200系に2階建て車両1両組み込み、13両となる。 こちらは、2階がグリーン席、1階が個室となっていた。 翌年の1991(H3)年6月20日の東京駅延長開業の時には、グリーン車の組み込みが2両となり、カフェテリアも登場。 2階建て入りの車両が、16両編成となったので、東海道新幹線の100系によく似た車両となっていた。前頭部も100系タイプに統一されていた。

100系タイプの前面の200系は、12両編成の通常タイプもある。2編成あったけど、1編成は既に廃車となっており、最後の1編成は唯一残る100系タイプの200系となっている。

1990(H2)年3月10日 一部のあさひ号(当時)の下り列車の越後湯沢→浦佐間で、275Km/h運転が行われたため、200系の4編成がそれに対応するために、一部のパンタグラフの移設などの改造工事を受けていた。 このF90番台の編成は、昨年までに廃車となった。 

275Km/h運転は、東北新幹線のE2系、E3系使用列車にも受け継がれている。

1992(H4)年7月1日 山形新幹線つばさ号の開業により、東京~福島間で400系との併結運転が行われるようになる。 併結運転が行われた200系は、仙台寄りに併結装置を新設、8両編成に短縮されていた。

1997(H9)年3月22日、秋田新幹線こまち号の開業で、一部のこまち併結列車にも使用されるようになり、12両編成の200系の一部が10両化、8両編成だった200系の併結列車も10両編成化 

1997(H9)年12月20日、東北新幹線にE4系Maxの登場。この時から200系新幹線の廃車が行われ、240Km/hに対応していない初期型の8両編成から廃車となっていた。

この初期型8両編成(G編成)は、2000(H12)年までに全廃。

1998(H10)年2月、長野オリンピックの開催。 当初はE2系だけでは足りなかったので、12両編成の200系1編成が、長野乗り入れ対応工事(50Hz、60Hz対応化)工事を受け、臨時列車として使用される。当時長野新幹線内は、途中軽井沢のみの停車だった。
長野オリンピック閉幕後、昨年に廃車されるまで、長野新幹線の臨時列車に使用されることは無かった。

1999(H11)年3月29日 200系10両編成のうちの1本がリニューアル化、塗装も変更され、E2系に準じた内装に変更された。
このリニューアル化は、2002(H14)年1月までに10両編成12本120両行われたが、このうちの1編成(K25編成)が昨年10月23日に発生した新潟県中越地震により脱線したため廃車となっている。

1999(H11)年12月4日 秋田新幹線こまち号との併結運転がE2系に統一されたため、200系がこまち併結運転から撤退。 200系リニューアル車との組み合わせは短かった。

当時E2系は、8両編成による運転だったので、2002(H14)年に10両化されるまで、サービスダウンを余儀なくされていた。

2001(H13)には、つばさ号との併結運転からも撤退。 すべてE4系に

2004(H16)年3月13日 200系オリジナル編成が一斉に定期運用から撤退。この時点で、東北新幹線にしか使用出来ない200系の2階建て付き16両固定編成がすぐに運用離脱されていた。 最後の運転は、この年のGW輸送だった。この列車の末期には、カフェテリアの隣にトレインマッサージのコーナーもあった。 

6編成あった16両固定のH編成のうち4本は16両ともに直接廃車されたけど、H4、H5の2編成は、2階建て車両を含む4両の中間車を抜き、モノクラスの12両に組成されて東北・上越新幹線の臨時列車に使用されていたけど、H4編成は今年5月に廃車となり、最後まで残ったH5編成は、今年8月をもって運用離脱、廃車となったのである。

現在オリジナルスタイルの200系は、12両編成2本、10両編成1本残っていて、臨時列車に使用されているけど、今年12月10日のダイヤ改正後どうなるのか気になります。

ビュッフェのほうは、

200系のうちF-19編成は、200系で最初にDS-ATCが取り付けられたけど、200系リニューアル車にも取り付けられるようになった。

200系リニューアル車も、2010年ごろの新青森への延長開業に時に、廃車となる見込みである。

2010年ごろに、東北新幹線の八戸~新青森間が開業すれば、東北本線の八戸~青森間も青い森鉄道に移管される予定となっている。 今回もまた、整備新幹線の開業により、併行する在来線が切り捨てられて第三セクター化されることになる。

これにより、八戸駅から分岐する八戸線、野辺地駅から分岐する大湊線がJRの孤立路線となってしまうことになる。

JR花輪線の列車は、好摩から盛岡まで乗り入れるけど、2002(H14)年12月1日に、東北本線の盛岡~目時間が、IGRいわて銀河鉄道に移管された時に、JR花輪線の列車を利用する時でも、IGRの運賃を払わなければならなくなった。 18きっぷ使用時でも、IGRの運賃が必要となる。
こちらは、1988(S63)年4月1日に、JR中村線(当時)が、土佐くろしお鉄道中村線に移管された時、JR四国・予土線の列車も、窪川~若井間で、土佐くろしお鉄道の運賃を取られるようになったという凡例がある。

八戸~新青森間には、七戸駅が出来る予定で、1997(H9)年5月まで、野辺地駅から七戸駅まで運転されていた南部縦貫鉄道の終着駅となっていた。 この路線で使われてきた元祖レールバスは、旧七戸駅構内で動態保存されている。この元祖レールバスは、人気のある車両だった。

新青森からは、北海道新幹線となり、青函トンネルを通り、新函館まで延長されることになる。
今年5月22日に工事着工 将来は倶知安、新小樽経由で札幌まで延長される予定となっている。

青函トンネルは、1988(S63)年3月13日の開業当初から新幹線規格で出来ており、3線軌条にすることも可能となっている。

新函館駅の予定地は、現在の渡島大野駅となっているので、函館市街とは大幅に離れている。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-21 13:46 | 鉄道車両・路線
あさぎりのところで述べた、ジェイアール東海パッセンジャーズは、2002(H14)年10月1日に、東海道新幹線の車内販売専門であった新幹線パッセンジャーズサービス(SPS)と、Jダイナー東海が合併した会社で、東海道新幹線のみならず、これまでのJダイナー東海と同様に、JR東海の在来線も受け持つようになった。
SPSは、1988(S63)年3月、100系新幹線のカフェテリア(現在は廃止)の営業から始まっていた。翌年の1989(H1)年3月には、Jダイナー東海もカフェテリアの営業開始。

Jダイナー東海(前身の日本食堂)の時代には、カフェテリアのほか、東海道・山陽新幹線の食堂車、0系のビュッフェの営業も行われていた。

かつて東海道・山陽新幹線では、Jダイナー・SPSのほか、帝国ホテル列車食堂、ビュッフェとうきょう、都ホテル列車食堂(近鉄の系列)も食堂車、ビュッフェの営業も行われたことがあった。 都ホテルは1990(H2)年3月10日、帝国ホテルは1992(H4)年3月14日にそれぞれ撤退し、ビュッフェとうきょうは、1993(H5)年3月18日に、Jダイナー東海に吸収合併された。

東海道、山陽新幹線の食堂車は、1975(S50)年3月10日の博多延長を控えた1974(S49)年9月に営業開始。

当時は0系36型の平屋建てで、厨房・食堂に分かれており、通路は、山側にあった。初期型は、山側(通路側)に窓が無かったけど、のちに窓が取り付けられるようになり、富士山を眺めながら食事を楽しむことが出来るようになった。このこととは裏腹に、覗かれる恐れがあるため、プライバシーの面ではふさわしくなかったというデメリットが生じていた。

日本における食堂車の歴史は、1899(M32)年5月25日、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)に食堂車付き一等車が登場した時から始まっていた。

1985(S60)年の10月1日に100系新幹線が東京~博多間でデビューした時、8号車に2階建て食堂車が連結されていた。 この2階建て食堂車は、1階部分に厨房と売店、2階部分に食堂があったので、食事をしながら2階席からの眺めを楽しむことの出来た贅沢な食堂車となっていた。

9号車のグリーン車も、2階建てとなり、2階部分にグリーン客席、1階部分に1、2、3人用の個室が設けられていた。 0系にあったビュッフェは廃止されている。

1988(S63)年に登場したJR東海仕様の100系からは、食堂車に代わってカフェテリアが設けられ、8号車の2階にもグリーン車が設定されるようになった。同時に1、2、3人用個室のほか、4人用個室が登場したのである。

1989(H1)年3月11日に登場した、JR西日本オリジナルの100系(グランドひかり)では、8号車の食堂車に加え、7号車、9号車、10号車が2階グリーン席、1階普通席の車両(個室は廃止)も連結されたため、グリーン車が4両連結される編成となっていた。

0系は、1964(S39)年から1986(S61)年までの22年間に渡って製造されていた。 途中仕様変更されていた。 0系の使用年数は、製造されてから約13年間だったので、製造末期は、0系の後期型が0系の初期型を置き換える瞬間も見られていた。

100系、1985(S60)年に16両1本が試作され、1986(S61)年に量産化、1992(H4)年まで製造されていた。

100系の後に登場した300系は1990(H2)年に試作、1992(H4)年から量産化。300系、500系およびその後継ぎ車両の700系には、2階建て車両が採用されなかったので、東海道・山陽新幹線の2階建て車両は、100系が最初で最後となった。

1993(H5)年3月18日ののぞみ号の博多進出により、東京~博多間が5時間台と大幅にスピードアップされた影響により、食堂車の利用および設定列車が減少

食堂車の利用が減少したのは、列車の高速化、それに伴う乗車時間の短縮化、乗車時間が制限され、注文してから手元に出されるまで時間が掛かること、すぐに食べられるコンビニ弁当や駅弁の需要が増えたことなどの理由となっている。

0系のビュッフェは、1964(S39)年10月1日の東海道新幹線の開業の時からあった。 当時は椅子があったけど、博多延長の時に増備された編成からは立ち食いスペースとなっていた。 あとは、アナログ式のスピードメーターがあったことも覚えています。

今から10年前の1995(H7)年、0系の食堂車の営業廃止。 最終日は、1月16日の阪神・淡路大震災の前日となってしまった。

2000(H12)年3月10日、100系の食堂車の営業廃止。 この時に使用された編成は、JR西日本のグランドひかりだった。同時に0系のビュッフェの営業も廃止された

筆者は、新幹線の食堂車、ビュッフェを使ったことがないので、ここで食事を楽しむことなく終わってしまったことになる。

0系新幹線は、1999(H11)年9月18日に、100系新幹線は、2003(H15)年9月16日をもって東海道新幹線区間から撤退。 現在はどちらも山陽新幹線内の列車および博多南線で余生を過ごしている状態である。

博多南線=博多~博多南間 1990(H2)年4月1日、博多総合車両所(福岡県春日市)への回送線を利用した在来線扱いの路線となっている。 2010年度末には、九州新幹線が新八代から博多まで延長される予定だけど、開業後は本線として使用される予定である。

0系新幹線=山陽新幹線内の列車および博多南線で、6両編成として使用。100系の転用などにより廃車が進められているけど、再来年には、N700系の登場により、全廃となることが予想される。4連は既に全廃。中にはビュッフェ付きから改造された車両もある。

普通車の窓は、大型だったけど、後期型からは小窓となっている。 この小窓方式は、300系以降の車両にも受け継がれた。 
0系の後期型である2000番台=仕様が東北・上越新幹線の200系に準じて改良されていた。

100系新幹線=0系と同様の6両編成、100系だけとなった4両編成が在籍。 グランドひかりから転用された先頭車(Mc車)のほか、中間車から廃車となった100系先頭部分を繋げた先頭車も使用されている。2階建て車両は、2003(H15)年に全廃となっている。
普通車の窓は大窓

100系は今年で登場20周年を迎えたけど、10年前の10周年の時と比べて華やかな2階建て車両が消え、塗装も変更されているのでとても寂しい状態である。 

0系、100系ともに塗装変更されている。どちらも普通車は2&2シートとしてリニューアル化されている。 

新幹線の食堂車では、カレーライス、エビフライ、ビーフシチュー、ハンバーグなどが出ていたけど、ハンバーグセットは、当初からの人気メニューとなっていた。

現在100系の初期型食堂車付き編成のうちの一部の先頭部分と2階建て食堂車は、0系の先頭車とともに、JR東海の浜松工場に保存されている。 

JR東海の浜松工場は、毎年夏休みに一般公開されており、0系先頭車+100系食堂車+100系先頭車という現役時代に有り得なかった組み合わせとなっている。
100系食堂車の紹介パネルには、1986(S61)年当時のメニューリストも展示されている。

例年理想的な土日連続の公開となっている。 筆者は、昨年7月25日に行きました。その帰りに遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道に寄り道していた。

JR東海の浜松工場、在来線の車両工場として開設。現在は新幹線車両がメインとなっており、ミニ新幹線以外の新幹線車両が踏切を通過する珍しいシーンを見ることが出来る。
こちらは、唯一在来線と新幹線の両方を受け持つ車両工場となっている。

在来線車両の全般検査等は、ほとんど名古屋工場で行われているけど。

JR東日本の新幹線は新幹線総合車両センター(旧仙台総合車両所)、JR西日本所有の新幹線は、博多総合車両所で検査が行われている

0系車両は、定期運転終了後も、1編成が動態保存されることが予定されている。

0系車両が保存されている場所は、交通博物館(来年春で閉館予定)、青梅鉄道公園、大阪の交通科学博物館(食堂車を含む)、イギリス・ヨークの国立鉄道博物館、豊川の日本車輌製造などとなっている。

豊川に保存されている0系は、もちろん日本車輌製で、1986(S61)年に製造された末期型である。

0系は、1965(S40)年度のブルーリボン賞受賞。 今も昔も根強い人気を誇っている車両となっている。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-21 11:58 | 鉄道車両・路線

相鉄線について

海老名でのイベントの後は、相鉄線で横浜まで行きました。

相鉄の路線(本線) 横浜~平沼橋~西横浜~天王町~星川~和田町~上星川~西谷~鶴ヶ峰~二俣川~希望ヶ丘~三ツ境~瀬谷~大和~相模大塚~さがみ野~かしわ台~海老名

いずみ野線 二俣川~南万騎が原~緑園都市~弥生台~いずみ野~いずみ中央~ゆめが丘~湘南台

快速停車駅 横浜~星川~鶴ヶ峰~二俣川~(この区間は各駅に停車)~湘南台

急行停車駅 横浜~二俣川~(この区間は各駅に停車)~海老名

各駅停車は、主に横浜~二俣川間(朝夕は湘南台間)の運用が主体で、全区間通しで運転される各駅停車は、早朝・深夜のみとなっている。そのため二俣川~海老名間は、早朝・深夜を除き、急行オンリーとなっている。

相鉄は、最初は準大手私鉄だったけど、1990(H2)年に大手私鉄に昇格 筆頭株主が小田急電鉄となっているので、小田急との関わりが深い状態である。

この相鉄線は、横浜と大和、海老名、丹沢方面を結ぶ近道となっている。

相鉄の車両、5000系、7000系、新7000系、8000系、9000系、10000系があるけど、10000系を除いた車両は、直角カルダン方式となっており、5000系、新7000系の一部、8000系、9000系は直角カルダン方式のVVVF車となっているため、VVVF車でありながら、吊り掛けモーター車みたいな音となっている。

今回乗車した編成は、8712F。 

車両メーカーは、9000系、10000系以外は日立製作所、9000系は東急車輌、10000系は東急車輌と新津車両製作所の両方となっている。

いずみ野線が湘南台まで開業したのは、1999(H11)年3月10日のことで、小田急の駅舎も地下化されていた。 横浜市営地下鉄は、同年8月29日に湘南台に乗り入れ。

湘南台は、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)の最寄り駅となっており、駅前からバスを利用することになる。

相鉄の駅で地下にある駅は、大和と湘南台の2駅 改良工事前の大和駅は、小田急が盛り土式の高架駅、相鉄が地上駅だったけど、1993(H5)年に相鉄の駅が地下化され、小田急の駅は、本格的な高架駅(2面4線)となった。 

相鉄の車両基地=かしわ台にある。 かしわ台と海老名の中間にある相模国分信号所から厚木までは、厚木線という単線の貨物線があり、JR相模線の厚木駅と直結している状態である。
 海老名~厚木間で、JR相模線と寄り添っている。

 JR相模線の厚木駅構内には、操車場があり、新造車両の輸送、車両の留置が行われている。相鉄で廃車となった車両の解体作業も、ここで行われている。

2003(H15)年11月2日をもって引退した新6000系の一部は、解体されるまでの間ここに置かれていた。この新6000系は無償譲渡されるはずだったけど、買い取り手が見つからずに残念ながらすべて廃車・解体されている。新6000系の後を追って、アルミ車体の2100系も翌年の2月までに廃車となっている。

新6000系は、相鉄の旅客車で最後の普通鋼製車で、2003(H15)年8月23日のダイヤ改正をもって定期運用から離脱されていた。 11月2日に行われた新6000系のさよなら運転は、いずみ野線で行われていた。 この日は午前が特別塗装車で、午後は旧塗装車だった。

1961(S36)年から1970(S45)年まで製造された6000系は、1997(H9)年をもって全廃となったけど、トップナンバーの6001号車および1967(S42)年に製造されたアルミ試作車である6021号車の2両のみ、かしわ台の車両基地に保存されているけど、残念ながら一般公開されていない状態である。

2010年頃には、西谷駅とJR東海道貨物線の横浜羽沢貨物駅の間に連絡線が新設されて、JR横須賀線と直通運転される計画もある。 同時に横浜羽沢駅の旅客駅化も検討されている。

これが実現すれば、横浜駅に出ずに都心に行けることになる。

5000系 1編成のみ在籍 1955(S30)年、相鉄初の高性能車、自社(相鉄)発注車として登場。2枚窓で、東急の旧5000系青がえるに似た軽量車体だった。 1960(S35)年まで製造。 直角カルダン方式が採用され、1992(H4)年登場の9000系まで受け継がれていた。

5000系は、1972(S47)年から1975(S50)年にかけて、2100系と同じアルミ車体に載せ替え。 5100系に改番。同時に冷房車となった。 1988(S63)年から1989(H1)年にかけて、足回り品の更新、VVVF化。再び5000系に この時点で旧5000系の面影が残らなくなった。

今年2月までは、5051Fと5053Fの2編成(5+5)があったけど、2編成ともに運用離脱され、5051Fは今年3月に解体。 5053Fは、今年5月に復活しているけど、活躍は長くないと思われます。こちらは、八高・川越線の103系3000番台の3003Fと同様に、奇跡的な復活となった。 

7000系 1975(S50)年11月に登場したアルミ車。 80両製造され、当時は10両編成8本で使用されていた。 車体は2100系、足回り品は新6000系に準じている。

10000系の登場および新6000系の廃車の影響により、8両編成になったり、10両編成に戻ったりと頻繁に組み替えられている状態である。

現在は、8両が休車となり、厚木に留置されている。 2両は、事業用車に改造されて、今年3月17日に出場。これまでのモニ2000型車両の置き換え用となった。2000型は相鉄で最後の普通鋼製・吊り掛けモーター車となっている。

新7000系 1986(S61)年に登場した車両で、前面スタイルがブラックフェイスの新デザインに変わっている。 1989(H1)年登場の車両からは、VVVFインバータ装置が採用され、7750番台となっている。現在は抵抗制御車2本 VVVF車4本の計6本(すべて10両編成)が在籍している

8000系 大手私鉄に昇格した1990(H2)年に登場した車両で、大幅にモデルチェンジされた車両となっている。  こちらは5号車と8号車にセミクロスシートが採用されている。

こちらは、1992(H4)年に9000系が登場した後も、交互に増備が続けられ、2000(H12)年までに10両編成13本130両が日立製作所で製造されていた。

9000系 8000系のマイナーチェンジ車として、1992(H4)年にデビュー。前面スタイル、インバータ装置などが、8000系と異なっている こちらは、前面が平面型、側面も白い塗装となっている。 9000系は、2001(H13)年まで、10両編成7本70両が東急車輌で製造されていた。

10000系 JR東日本のE231系通勤型電車をベースに製造された車両で、2002(H14)年2月24日にデビュー これまでの赤帯を止め、新6000系の流れを受け継ぐ緑色と黄色の帯に変更された。 車体はアルミ製からステンレス製となり、相鉄初の平行カルダン装置が採用された。 2001(H13)年度は、10両編成2本20両導入されたけど、2002(H14)年度に導入された編成から、8両編成となり、2004(H16)年度まで、10両編成2本20両、8両編成5本40両 計60両導入されている。

相鉄10000系は、東急車輌のほか、JR新津車両製作所でも製造されたため、初の外注ということで話題となった。
こちらは今年度の増備車は行われない

8両編成は、横浜~二俣川、湘南台間の各駅停車に主に使用されている。

10000系を除いた相鉄車両の窓は、電動式で押しボタンで操作することになる。 

相鉄の女性専用車 平日朝ラッシュ時の横浜方面および夜間の海老名・湘南台方面の4号車(8両編成、10両編成とも)に設定されることになる。

横浜での用事を済ませた後、大和まで乗った車両は、新7000系の7753Fだった。

星川駅付近は現在高架化工事が行われており、星川にある留置線が西横浜駅構内に移転されることになる。 相鉄の横浜~西横浜間=JR線と併走する区間となっている。

相鉄横浜駅は、横浜ジョイナスの中にある

本来の相模鉄道は、現在のJR相模線のことであり、かつての神中鉄道が、現在の相鉄線の路線に化けたのである。
神中鉄道(現在の相鉄線)が、海老名駅に乗り入れる前は、厚木~相模国分間の厚木線が旅客営業に使われていた。

相鉄いずみ野線 二俣川~いずみ野間 1976(S51)年4月8日開業
いずみ野~いずみ中央間 1990(H2)年4月4日開業
いずみ中央~湘南台間 1999(H11)年3月10日開業。 開業直前には、快速が登場していたので、快速いずみ中央行きの表示が暫定的に見れていた時もあった。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-19 15:06 | 鉄道車両・路線
10月16日は、小田急の海老名の車両基地で行われたファミリー鉄道展に行ってました。

ルート 目白~新宿~相模大野~海老名~横浜~大和~相模大野~新宿~目白

まずは新宿駅から急行藤沢行きに乗車。 編成は、5261F+8056Fの10両編成でした。 この列車は、相模大野で急行箱根湯本行きに接続していた。

小田急の急行は、新宿発着のほか、このように、町田または相模大野始発小田原、片瀬江ノ島方面の列車も数本設定されている状態である。

現在東北沢~世田谷代田(梅ヶ丘)間で、地下・複々線化工事が行われている状態である。 
完成後は、東北沢駅、下北沢、世田谷代田駅が地下駅となるけど、下北沢駅は、2層式の地下駅(緩行線は上、急行線は下)となる。
現在下北沢駅の改札は、小田急と京王井の頭線で共通となっているけど、改良工事に合わせて分離化されることが予想されます。

東北沢駅 昨年12月の改正まで、急行列車の通過待ち合わせが頻繁にあったけど、世田谷代田~喜多見間の複々線化の完成および地下化工事により廃止。 10月に入ってから、通過列車も緩行線を通るようになり、これまで使用されてきた待避線が撤去されていた。

あとは世田谷代田駅付近でも工事が始まっている。

経堂駅の留置線では、検測車であるクヤ31形(テクノインスペクター)を見ることが出来ました。当然のことながら、1000形との併結運転となっていた。
この車両は、2003(H15)年9月に新しい検測車としてデビュー。車体は新3000形がベース

併結相手は、電源供給改造された4両編成の1051F、6両編成の1751Fまたは1752Fに限定されることになる。

経堂駅=かつては車両基地のある2面2線の地上駅だったけど、現在は、高架化され、2面5線(上り通過線あり)、留置線付きの近代的な駅に生まれ変わっている。 経堂駅はこれまで、急行が止まらなかったけど、昨年12月11日のダイヤ改正で、朝のラッシュ時の上りを除き、すべて経堂駅に停車するようになった。

経堂の車両基地=1994(H6)年3月に喜多見検車区に移転、廃止されている。 廃止された理由は、複々線化工事に支障すること、手狭となったことである。 経堂時代は10両編成が入ることが出来なかったけど、喜多見に移転してからは、10両編成も入れるようになった。

喜多見の車両基地は、人工地盤の下にあり、車両を眺めることが出来ない状態である。
廃車となったモハ1形、3100形NSE(3221F)、2200形などがここに保存されているのはそのためである。
喜多見所属の車両は、特急ロマンスカーの全編成と、一部の通勤型車両となっている。

小田急の多摩川橋梁(和泉多摩川~登戸間)は、昨年10月3日の下り線の切り替えをもって新橋梁に移転。旧橋梁の時代は、通過する時に発生するシャリシャリ音がたまらなかった。

この旧橋梁の跡はほとんど撤去されていたけど、登戸駅側のみ残っていました。こちらも近いうちに撤去されることになる。

和泉多摩川~向ヶ丘遊園間は、複々線化(一部3線化)工事が行われており、完成後は、和泉多摩川~登戸間で複々線(4線)、登戸~向ヶ丘遊園間で3線(下り1線、上り2線)となる。

そのため、多摩川橋梁では、旧橋梁の跡に、下り線用の新橋梁(増設橋梁)が新設されることになっている。 現在使用されている多摩川橋梁のほうは、完成後に上り線に転用されることになる。
このような多摩川橋梁の改良工事は、東急東横線・目黒線の多摩川橋梁(多摩川~新丸子間)でも行われていた。

登戸駅は、昨年10月3日に下り線が切り替えられた時に、暫定的な島式ホームとなった。
 完成した時には、旧下りホームの跡に新下りホームが新設され、現在のホームは上りホームに転用されることになっている。

JR南武線の登戸駅でも、駅舎の橋上化などの改良工事が行われている。

相模大野駅到着後、5257Fの6両編成による急行箱根湯本行きに乗り換えました。

相模大野駅付近の大野工場には、廃車となった9000形の9002Fと9008Fがクーラーを外された姿で置かれていました。こちらは近いうちに例の北館林まで陸送されてその場で解体されることになっている。9002+9008Fの組み合わせによる運転は、10月5日が最初で最後となってしまった。

大野工場は、1962(S37)年10月19日に開設。

昨年6月5日にラストランを迎えた2600形の旧塗装車である2670Fは、未だに海老名に置かれたままとなっていました。 昨年は西側に置かれていたけど、今年は東側に移動していた。

2670Fのラストラン 唐木田→新百合ヶ丘→開成のルートで行われており、開成に到着した後、一旦小田原まで回送されていた。

筆者は、一昨年10月18日に、新宿から海老名まで、旧塗装復活記念の特別列車に乗っていました。 当時は見事に当選していたので。

会場となる海老名の車両基地は、1972(S47)年の12月18日に使用開始された広い車両基地である。開設と同時に海老名駅に急行が停車するようになった。
こちらでは、通勤型車両のほとんどが所属している。

海老名に到着後、雨の中、入場待ちの列に並びました。 
通常の鉄道イベントは、土曜または日曜のいずれかに行われているけど、この小田急海老名のイベントは、6月に開催された西武の武蔵丘でのイベントと同様に、土日の2日間でやってくれるので嬉しいです。どちらかが都合悪くて行かれないという人たちには嬉しいけど。中には土日連続のリピーターも居るし。今年は懐かしの白山号と被っていたので、ちょうどよかったです。この日は横浜に用事があったので、この日に行くことを決めていた。

小田急の海老名でのイベントは、1997(H9)年に行われた小田急開業70周年記念イベントが最初で、記念に登場した3100形3161Fのゆめ70号も展示されていた。

1999(H11)年から、毎年行われるようになる。筆者はあの時以来欠かさずに行っています。

当初は、モハ1形(小田急の1号電車)が展示されていたけど、それが展示されなくなった理由は、車軸が老朽化していたからである。
 
昨年の展示車両は、20000形RSE車、3100形NSE車、クヤ31型。

今年は、10000形HiSE車(10041F)、新3000形6両編成(3270F)、9000形4両編成(9007F)、2200形(2201F)が展示されていました。

まずは、撮影コースの列に並び、10000形、新3000形、9000形の並びを撮影。

その後、車内見学コースの列に並び、10000形、新3000形、9000形の車内を見学しました。

10000形(10041F) 1989(H元)年に導入されたHiSE車の2次車で、座席に折りたたみ式のテーブルがありました。 

10000形と9000形の運転台の見学は事前応募制で、もの凄い競争率となっていました。筆者は応募しなかったけど。

このような展望型ロマンスカーの運転台は滅多に見られないので、貴重な体験となっていた。

もちろん座席に座ることも自由でした。座席は赤色のモケット

この10041Fは、4年前の2001(H13)年に、斜めに入った赤帯と緑帯を加えたイタリア風の塗装の「イタリアンエクスプレス」として運転されていたこともあった。 筆者が同年12月9日に乗車した時もこの塗装をまとっていました。

10021Fと10061Fは、長野電鉄に譲渡されることになったけど、10001Fと10041Fの行く末が非常に気になります。 

長野電鉄に譲渡された2編成は、どちらも川崎重工製であるため、川重と日車の2つのプレートが付くことになる。

10041Fは現在7000形LSE車と同様に、箱根特急を中心に最後の活躍をしている状態である。

7000形LSE車、7001Fから7003Fまで、9000形から流用されたシングルアームパンタに交換されている。 7004Fは小田急で最後の菱形パンタグラフ車となっているけど、近いうちに交換される予定となっている。

2002(H14)年の海老名でのイベントの時は、7000形7004Fが展示されて、リバイバルあしがら、さがみ号が運転されていた。 さがみ号のほうは、昨年のダイヤ改正で復活している。

今回の見学 2号車から10号車までで、1号車と11号車は、運転台見学会に当選した人しか入ることが出来なかった。

一昨年のイベントでは、10000形の10061F(現在は長野電鉄に譲渡されている)も展示されていました。

海老名でのイベントでは、毎回特急列車の車両が展示され、その車内にも入ることが出来るので人気を集めている。

この後、反対側の撮影ポイントで撮影、この時に、2200形も撮影しました。

2200形通勤型車両 1954(S29)年、小田急初のカルダン駆動車(新性能車)として登場。車両は2両編成で、直角カルダン方式が採用されていた。スタイルは2枚窓の非貫通。

同じ時期に登場した東急旧5000系青がえるも、直角カルダン方式だった。

こちらは、1957(S32)年まで導入されていた。

直角カルダン方式では、カルダン方式でありながら、吊り掛けモーター車みたいな音がするのが特徴である。

その派生車として、2220形、2220形、2300形、2320形、2400形、2600形が登場している。のちに貫通型も登場。

1958(S33)年に登場した2220形からは、直角カルダン方式からWN平行カルダン方式に変わっている。

初期の2200系列は、1982(S57)年より廃車が始まり、1984(S59)年をもって全廃。
一部は富士急行に5700形として譲渡されていたけど、1996(H8)年までに全廃となっている。これには2枚窓の車両も含まれていた。

この2201+2202号車は、廃車後、現行塗装のまま大野の車両基地に保存されていたけど、のちに、喜多見に移り、旧塗装に再現されて、保存されるようになった。

当初は、2201号車の幕が、末期に使用されていた黒幕の新宿の表示となっていたけど、旧塗装とミスマッチの状態であった。 2003(H15)年のイベントで再塗装、旧塗装に復元された2670Fとの並びも実現。 
今年は、あの時以来2年ぶりに展示されたのである。 残念ながら車内に入ることは出来なかったけど、外観を見れただけでも嬉しいです。 方向幕はかつて使用されていたタイプに交換されていてミスマッチが解消された。

この2200形車両は、小田急の歴史を語る上で欠かすことの出来ない車両となっている。

新3000形の3270Fは、今年川崎重工業で製造された編成である。 新3000形の展示ということで、今から4年前の2001(H13)年の新3000形、3251Fの初お披露目の時を思い出しました。 この3251Fは、翌年の2月10日から営業運転入りしている。

ここでも運転台の見学が行われていたけど、当然のことながら殺到していた、

この次に9000形の見学。 9007Fは、9000形の4両編成で、1972(S47)年から在籍している車両となっている。オールM車だったので、車両の牽引に使用されていた編成である。

9000形は斬新なスタイルで登場した車両となっているので廃車を惜しむ声も多いという状態である。

9000形はこれまで6両編成の9403、9406、9408、9409F、4両編成の9005、9006Fに廃車が出ているけど、最近になってからは前述の9002、9008Fにも廃車が出ている。

9007F=方向幕が回送となっていたのが残念だった。

9000形で採用された初の試み 界磁チョッパ制御方式、回生ブレーキ等の採用、黒い方向幕(前面のみ英文併記)、初の地下鉄乗り入れ車両。1973(S48)年度のローレル賞受賞車

9000形の方向幕は、1000形と同様に、前面のみが英文併記だったけど、他形式の英文併記化に合わせて、側面も英文併記となっている。

現在3000形の8両固定編成の導入が継続されているので、初期に更新された9000形の4両編成車は、風前の灯の状態となっている。 この9007Fも今年度中に廃車となることが予想される。

現在9001Fは、9009Fとペアを組んで最後の活躍をしている。9001Fがライトおよび運転台が撤去されているのに対し、9009Fは運転台・ライトありのままなので、中間で違いを見分けることが出来る。検査の周期の関係でこうなったのである。

今回も、電気部、工務部から保守作業車が展示されていました。

この後、西側にある旧3000形SSE車の見学をしました。 西側のスペースには、小田急の電気機関車(デキ1012号機)が保存されていたけど、今年1月に撤去されてしまいました。 昨年までは見ることが出来たのに、今年は無くなっていたので残念である。こちらは、1984(S59)年の廃車後ここに置かれたままであった。

このように突然消えてしまったので、昨年までこれを撮影した人たちにとっては、良いときに撮影しておいて正解だったと思っているに違いありません。
小田急の電気機関車は、新造車両の牽引などに使用されていたけど、現在は絶滅している。

小田急のSSE車の見学は行列が出来るけど、今回はあまり待たずに入ることが出来ました。

SSEで保存されている編成は、3021F。 1号車から3号車までは、末期のSSEの塗装、スタイルとなっているけど、4号車、5号車は、往年のSE車時代の塗装、前面スタイルが再現されている。

HMは1号車があさぎり、5号車が乙女となっていました。

かつては乙女、金時など沢山の愛称名があったけど、現在ははこね、スーパーはこね、さがみ、えのしま、あさぎり、ホームウェイとなっている。

乙女の愛称は、静岡、神奈川県境に位置する乙女峠が由来となっている。

SSE車、2号車にトイレ、3号車に走る喫茶室のコーナーがあった。

座席番号の表示は、現在1A、1BなどとJRなどと同じ表示となっているけど、以前は、1号車は101、102などという表示となっていた。2号車は201から始まっていた。

1991(H3)年3月にSSE車が引退した頃は、改番前の座席表示となっていたので当時を偲ぶことが出来る。

このSSE(SE)車も、小田急の歴史を語る上で欠かせない車両となっている。

SSE車は、トイレ、車内販売準備室を含めて、デッキで仕切られていない状態となっていた。
 特急東海、ふじかわ、伊那路号、快速ムーンライトながら号などで使用されているJR東海373系も、トイレ・洗面所部分を含め、特急用車両でありながら、デッキで仕切られていない状態となっている。

NSE車は、トイレ、車内販売準備室のみデッキで仕切られている。

SSE、NSE車の客用ドアは、特急型車両としては珍しい手動式となっていたので、走行中は電磁ロックで固定されていた。 車内販売または走る喫茶室の営業列車は、従業員によって開閉されていたけど、非営業の列車は、乗客自らが開ける方式となっていた。 どちらも引退したため、過去のものとなっている。

7000形LSE以降の特急列車のドアは全自動となっている

走る喫茶室 1949(S24)年9月の1910形特急車就役から10年前の1995(H7)年まで、三井農林(日東紅茶)と森永エンゼル(森永製菓・森永乳業の関連会社)の2社によって行われていた。 前者は1993(H5)年に撤退。 喫茶店みたく、車内で飲み物や軽食などの注文を取り、座席に持ってきてもらうサービスであった。飲み物は厨房で用意されていた。 

1991(H3)年のあさぎり号の特急化と同様に、小田急グループの小田急レストランシステム(ORS)が参入し、ワゴンサービスへと移管、1995(H7)年にはORSによるワゴンサービスに統一されたけど、今年3月19日の新型ロマンスカーの登場により、走る喫茶室タイプの供食サービスが復活。 もちろんORSによる営業となっている。

原則としてJR371系が使用されるあさぎり3、7、2、6号の車内販売は、JR東海の子会社であるジェイアール東海パッセンジャーズ(旧Jダイナー・東海)によって行われている。

小田急レストランシステムは、箱根そばという小田急の駅構内の立ち食いそば屋やファミリーレストランピッコロも経営されている。

このSSE車の見学・撮影を終えた後、メイン会場に戻り、昼食を取りました。 ここで食べたそばは、ORS系列の箱根そばによって出されていました。

その系列会社には、ジローレストランシステムもある。

この後、ビナウォークにある第二会場に行きました。 ここでは、模型運転会などがありました。

海老名からは相鉄線で、横浜まで行きました。

小田急線の海老名と厚木の間は、高架化工事が行われている。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-19 11:51 | 鉄道イベント

横川・碓氷峠

11:20、横川1番線着。 到着後、高崎まで回送されていたけど、回送列車の発車前、人が凄かったです。 ここでの撮影タイムは長かったのでとてもよかったです。

この時に、横軽時代に行われた名物の峠の釜めしの立ち売りのパフォーマンスも行われていました。特急列車の場合、窓が開かなかったので、一旦下車して買う人が集まっていたということがありました。 停車時間が約4分と長かったので余裕で買えていた状態だったので。

横軽区間の廃止後、静まりかえった横川駅が、とても賑やかな状態となっていました。

この峠の釜めしは、軽井沢駅、横川駅前のおぎのや、周辺のおぎのやドライブイン、上信越道の横川SAの上り線のエリア、佐久IC、長野IC、中央道諏訪IC前のおぎのや直営のドライブインでも買えるのである。
逆の下り線では、だるま弁当で有名な高崎弁当の駅弁が売っている。

高崎と軽井沢の両駅に停車する長野新幹線あさま号の一部では、峠の釜めしの車内販売も行われている。 

峠の釜めしは、有名駅弁大会に必ず出品されており、こちらでも売れている状態である。

釜飯タイプの駅弁は、峠の釜めしのほか、松本駅の安曇野釜めし、黒磯駅の九尾の釜めし、大月駅の釜めしなどが有名である。

横川駅では、萩原さん、黒岩さん、重満さん、関西から来た樋口さんと出会いました。

このリバイバル列車は、すべて満席というイメージが強いけど、15日の上りには空席があったので、黒岩さんと樋口さんが上野までのそのチケットを取っていました。

取れた2人は良かったですね!

この後、横川駅前のおぎのや本店に行き、峠の釜めしを食べました。ここで、釜めしを食べながら、鉄道に関する話で盛り上がることが出来たし。 

樋口さんは、大阪府枚方市から、ムーンライトながらに乗って上京してきたのである。 なので京阪をはじめとする関西の鉄道の話で盛り上がることが出来たし。

某BBSによると、10月2日にラストランを迎えたはずの八高・川越線の103系3000番台が、205系のトラブルにより、奇跡的に復活していたという情報も入っていました。川越在住の重満さんとの話の種となったし。

峠の釜めしは、横軽区間の歴史を語る上で欠かせない駅弁となっている。 周辺には、おぎのや資料館(入場無料)もあった。

峠の釜めし=益子焼きの容器の中に、鶏肉、椎茸、栗、あんず、ごぼう、竹の子、グリンピース、うずらの卵などが入っていてとても美味しかったです。 仲間も美味しかったと言っていたし。米は、コシヒカリが使用されている。 
900円と高いけど、食べる価値があります。

おぎのやのHPのBBSによると、8時間以内の消費期限がネックで、関西の駅弁大会では峠の釜めしが出品出来ないため、関西在住の樋口さんにとっては貴重な体験だったと思います。

150円の追加料金で味噌汁も付いてきました。 筆者が峠の釜めしを食べたのは、久しぶりでした。 今年8月13日に行った時、峠の釜めしは食べなかったので。

この店は、食堂みたいな雰囲気で、定食屋に行ったような気分で食べることが出来ました。ここでは、とんかつ定食、そば・うどんなども食べることが出来る。

おぎのや(荻野屋)は、1885(M18)年10月15日、高崎~横川間の開業とともに創業開始。
 おむすび3個にたくあん1切れが竹の皮に包まれていた駅弁(日本最古の駅弁)からスタートしていた。値段は5銭
あれからこの日で、120周年を迎えていた。

峠の釜めしは、1958(S33)年2月1日に、横川駅で発売されたのが最初であった。

15、16日の2日間、復刻駅弁(おむすび2個にたくあんが入った駅弁)が120食限定で120円で発売されていた。

鉄道文化むらでも、峠の釜めしを食べることも出来るし。今から5年前に鉄道文化むらに行った時もここで食べていました。

この後、5人で文化むら上のトロッコ列車(シェルパくん)のポイントまで行ってたけど、萩原さんと重満さんは途中で帰っていました。 

結局3人で、横軽区間の廃線跡を歩き、丸山信号所手前のポイントで、シェルパくんを狙っていました。 ここから元の場所に戻り、ここでもシェルパくんを狙うことも出来たし。

3人で鉄道文化むらに入場。この時点で雨が本降りになっていました。 残念ながらトロッコ列車のシェルパくんに乗れなかったけど。 この次に来た時には是非乗りに行きたいと強く思いました。 黒岩さんは、この次に来たときに乗ると宣言していたので。

まずは、オレンジカード祭りの会場を見物。 ここでは、地元の高崎支社のほか、仙台支社(福島駅)、JR西日本金沢支社からも出張してきていた。金沢支社のほうは、白山号との絡みもある。

JR西日本本体のほうは、今年4月25日に福知山線・尼崎駅付近で発生した脱線事故の影響により、イベントが自粛されている状態である。

レポートのほうは、8月13日ににも行っているので一部割愛するけど、見逃していたEF65520号機を見ることが出来てよかったです。 黒岩さんや樋口さんとは別行動で、2人は保存車両の運転台を撮りまくっていた。

あとは、アプト式時代のレールや第三軌条方式のレールも保存されていたし。

高崎支社のほうでは、特急白山号で行く、碓氷峠鉄道文化むらへの日帰りツアーも行われていた。 これには、特急白山号の往復切符、鉄道文化むらの入場券に峠の釜めしがプラスされた企画であった。 ほとんどがこのツアー客で占められていた。

白山号の489系は、高崎まで引き上げられていたけど、某サイトによると使用されていない1番線発着で、2番線に停車中のE231系と並ぶシーンも見られていたという声も聞こえていました。このように、リバイバル運転で、現役時代に見られなかった組み合わせも見られることもある。

489系の白山号が現役だった頃は、上野~高崎間で115系もバリバリに走っていた。

雨の中での文化むら見物を終え、横川駅に戻り、ここで489系白山号を見送りました。 

横川駅構内には、EF63型2両、189系あさま号、お座敷客車くつろぎ号が保存されているけど、189系あさま号のほうは、かなり色褪せていてこの先どうなるのか不安な状態となってきました。ほとんど野ざらし状態となっているので

この時に、両毛線開業115周年記念HM付きの115系との並びを見ることが出来ました。 両毛線115周年記念HM付きの115系の4両編成は、両毛線のほか、運用の都合上、上越線の高崎~水上間、信越線の高崎~横川間にも使用されたのが驚きでした。

横川から高崎まで、107系100番台の2+2の4両編成に乗りました。 高崎から大宮まで211系の快速アーバン、大宮から池袋まで埼京線で帰りました。

黒岩さんと樋口さんは、横川から上野まで、懐かしの特急白山号に乗車。 関西から来た後者(樋口さん)に乗っては、とてもよいお土産を持ち帰ることが出来たことになった。もちろん黒岩さんも満足していたし。

信越本線の高崎~横川間 1893(M26)年4月1日に官営鉄道中山道線の路線として開業。 当時は、アプト式で、蒸気機関車が使用されていたけど、かつてのロンドンの地下鉄と同様に、トンネル内に煙が充満するということを受けて、1912(M45)年5月11日に、第三軌条方式(600V)により電気運転に切り替えられていた。 当時はドイツから輸入されていたEC40型電気機関車が使用されていた。 のちに、ED40、ED41、ED42へと進化し、1963(S38)年の新線切り替え、アプト式の廃止まで、ED42型が走っていたことになった。蒸気運転は、1921(T10)年5月11日をもって廃止。

このED42ー1号機は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。

現在は、大井川鐵道井川線のアプトいちしろ~長島ダム間が唯一のアプト式となっている。1990(H2)年からこの方式に。

大井川鐵道は、SLも有名である名鉄グループの地方私鉄である。

1963(S38)年7月15日、EF63型機牽引の粘着運転による新線が開通。 同年9月30日までアプト式による運転が併用されていた。姉妹機のEF62型機も登場。

かつては熊ノ平駅があり、ここで蒸気機関車の給炭・給水作業も行われていたけど、1966(S41)年2月1日に廃止され、完全に廃止されるまでの間信号所となっていた。同年7月2日に複線化。同年10月1日に特急旧あさま号登場。(当時は上野~長野間、181系で2往復)

当時のあさま号には181系が使用されていたけど、1975(S50)年7月1日に189系に変わっていた。1973(S48)年から489系もあさま号に使用。
 
当初は、EF63号機無しで存続される予定だったけど、結局バス転換され、幻のものとなった。 碓氷峠で、EF63型無しで運転出来る187系の計画も幻に。

187系の形式は、山陰地方の特急型DCに受け継がれている。

1997(H9)年9月30日をもって横川~軽井沢間廃止。この時に廃止を惜しむ声が多かった。
 この時の最終列車は、上野発長野行きの旧あさま37号であった。

末期の旧あさま号は、グレードアップ色で、JR東日本所有の489系もこのカラーリングをまとっていた。 廃止直前の1997(H9)年には、最初で最後の横浜直通(横浜~長野間)のマリンシティあさま号が運転されていたことがあった。

1993(H5)年12月の改正の時まで、新宿発着のあさま号(臨時列車)もあった。

碓氷峠の廃線跡、文化むら横から峠の湯まで、下り線跡に、トロッコ列車、上り線跡に遊歩道が設けられた。 まるやま駅前には、旧丸山変電所の遺跡がある。 こちらは1911(M44)年に建てられた国の重要文化財となっている。

峠の湯駅前から、新線跡と分かれ、アプト式線路跡へ 筆者は峠の湯より先を歩いたことはない。 1号から5号までのトンネルを抜けた跡、碓氷第三橋梁(めがね橋)を渡ることになる。

このめがね橋は、碓氷峠の重要文化財で、遊歩道(アプトの道)の終点である。もちろんここを歩くことも可能である。 めがね橋の先は、6号トンネルとなっており、これより先は通ることが出来ない状態である。 めがね橋の上から、末期まで使用されていた碓氷橋を見ることが出来る。

2号トンネルと3号トンネルの間には、碓氷湖への道が分かれている。

3月26日、碓氷峠の路線がトロッコ列車の路線として復活したけど、出来れば軽井沢まで行ってほしいという声が高まっている。
 
長野新幹線の安中榛名~軽井沢間で、碓氷峠を越えることになるけど、以前筆者が乗った時に、ハイスピードで駆け抜けていたことで時代の流れを感じていました。

軽井沢駅の旧駅舎跡には、(旧)軽井沢駅舎記念館があり、ここには、EF63型2号機、EC40型(日本最古の電気機関車)が保存されている。 オープンしたのは、2000(H12)年4月。

旧駅舎ベースで再築された建物で、2階の歴史展示室では貴賓室も再現されていました。

筆者が行ったのは、昨年の1月17日のことだった。

軽井沢駅前には、草軽電鉄のデキ12型車両が保存されている。

草軽電鉄は、1962(S37)年の廃止まで、草津温泉と軽井沢を結んでいた路線であった。
当時のキャッチフレーズは、「四千万尺高原の遊覧列車」

ルートは、草津温泉~万座温泉口~北軽井沢~新軽井沢となっていた。

1960(S35)年4月25日に、上州三原~新軽井沢間が、1962(S37)年2月1日に、草津温泉~上州三原間がそれぞれ廃止されている。

現在は、草軽交通という東急グループのバス会社となっている。

1968(S43)年に廃止された東武日光軌道線と同様に、現在でも走っていたら、地球環境に優しい観光鉄道として生かすことが出来ていたかもしれなかったです。このことは、横軽区間でも言えるけど。

しなの鉄道 元JR115系と169系が活躍しているけど、169系のほうは今にも危ない状態となっている。

かつてのあさま号を彷彿とさせる、長野と直江津を結ぶ快速妙高号(189系使用)が5往復運転されているけど、こちらも風前の灯の状態である。 

長野の189系のうちATC付きの編成は、はまかいじ2、3号として横浜方面へと乗り入れていたけど、現在は乗り入れていない状態である。

189系は、現在廃車が進められているけど、今年12月10日の房総地区のダイヤ改正により、189系が183系とともに、30年以上続いた定期運用から撤退することになっている。 183・189系は、総武本線・成田線特急のしおさい、あやめ号に使用されているけど、こちらは最後の砦となっている。

昨年10月16日、外房線特急のわかしお号と内房線特急のさざなみ号が、一気にE257系500番台に置き換えられたことにより、房総半島から183系が全廃。 あれから早いもんで1年が経ったのである。

489系も、老朽化により廃車が進められているので、能登号で使用されている489系も風前の灯火の状態である。 こちらはボンネットタイプの最後の砦となっているので。 来年には雷鳥号にも683系が導入されることにより、489系も終焉の時を迎えることが予想される。

これにより、かつての碓氷峠の主役が徐々に消えていくことになる。

2001(H13)年3月2日をもって廃止された旧白鳥号(大阪~青森間)は、1961(S36)年10月1日の登場の時から、1965(S40)年9月30日まで、上野~大阪間の運用もあった。 当時は、キハ82型DCで、大阪~直江津間で上野行き・青森行きの併結運転が行われていた。
1965(S40)年10月1日には、白鳥号の上野行きが廃止され、青森行きの単独運行となり、1972(S47)年10月2日に電車化 2001(H13)年3月2日をもって廃止。

電車特急旧白鳥号は、大阪~青森間約12時間台だったので、日本から飛行機でヨーロッパ、ニューヨークに行ける時間に匹敵していたけど、さすがに全区間通しで乗る人は少なかった。
 車両は、1997(H9)年3月22日から2001(H13)年3月2日に廃止されるまで、京都総合車両所の485系(雷鳥用の車両)が使われていた。 当時はボンネットタイプも使用されていたけど、こちらは既に全廃となっている。 それ以前は、JR東日本の上沼垂運転区(現新潟車両センター)の485系が使用されていたこともあった。

白鳥号の愛称名は、八戸~函館間のはやて号連絡特急に使われるようになった。

キハ82型DCが、アプト式の路線を走っていたこともあったのである。

キハ82型DCのほうは、1961(S36)年10月1日に旧白鳥号、おおぞら号などでデビュー、以後北海道、九州などにも導入されていた。1992(H4)年3月13日の南紀号(名古屋~紀伊勝浦間)を最後に定期運用から離脱された。 ひだ号のほうは、1990(H2)年の3月をもって、すべてキハ85型DCワイドビュー車に置き換えられている。

キハ85と言っても、2001(H13)年3月31日まで青森県の下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)で走っていたキハ85型(旧キハ22型)DCとは無関係である。 こちら(下北交通のほう)では、定期的に某団体により旧大畑駅構内で運転会が行われている。

キハ82型DCの前身は、ボンネットタイプのキハ81型DCで、1960(S35)年12月10日に上野と青森を結ぶはつかり号(当時は常磐線経由)でデビューしていた。 
はつかり号の愛称名は、1982(S57)年11月15日のの東北新幹線の本格開業後も、盛岡と青森、1988(S63)年3月13日から函館を結ぶ連絡特急にも使用されていたけど、2002(H14)年に東北新幹線の盛岡~八戸間が開業した時に、つがる号または白鳥号に改称されて廃止された。

このキハ81型DCは、故障が多かったので、ばっかり号、がっかり号とも呼ばれていた。ブルドッグみたいな顔つきをしていたのでブルドッグとも呼ばれていたし。

このキハ81型DCは、1968(S43)年10月1日(ヨン・サン・トオ)の改正ではつかり号が電車化(東北線経由に変更)された後、上野~秋田間(奥羽線経由)の旧つばさ号の増発に使用され、翌年の1969(S44)年10月1日には、上野~新潟経由~秋田間のいなほ号(同時に新設)に転用されていた。間合い運用として、上野~平(現いわき)間のひたち号にも使用されていた。 

1972(S47)年10月2日にいなほ号が電車化された後、紀勢本線の特急くろしお号(名古屋~天王寺間)で余生を過ごすことになり、1978(S53)年10月2日に電車化されるまで活躍していた。 くろしお号は、1965(S40)年3月1日に登場した時からキハ82型DCが使用されていた。 

くろしお号は、1978(S53)年10月2日に、電車化(振り子式381系化)と同時に天王寺~新宮間の運転となり、名古屋~紀伊勝浦間は、南紀号として分離された。

1973(S48)年10月から、旧国鉄伊勢線(現伊勢鉄道)経由に変更される間での間は、亀山経由となっていた。旧国鉄伊勢線(河原田~津間)は、1973(S48)年9月1日にバイパス路線として開業。
旧国鉄伊勢線は、JR東海に継承されることなく、国鉄分割・民営化直前の1987(S62)年3月27日に第三セクターの伊勢鉄道に変換されている。 そのため、ここを通過する特急南紀号、快速みえ号は、この区間に限り、伊勢鉄道の運賃が必要となる。
 
いなほ号は、1982(S57)年11月15日の上越新幹線の開業とともに、新潟~秋田、青森間の接続特急となっている。

キハ81型DCは、1978(S53)年10月に廃車となったけど、そのうちのキハ81-3号車が、大阪・弁天橋の交通科学博物館に保存されている。

大阪の交通科学博物館は、一昨年7月に、鉄道友の会の本部総会で行ったことがあります。HMはくろしおとなっていました。ここには、新幹線0系の食堂車や、かつての急行型電車である80型電車なども保存されている。

80型電車は、1983(S58)年の飯田線を最後に引退している。 

あさま号の愛称名 1961(S36)年に登場した、新潟~長野間の準急「あさま」号が最初であった。 翌年の1962(S37)年11月30日に、急行赤倉号に格上げされて廃止。 急行赤倉号は、1985(S60)年3月14日の改正で一旦廃止、1988(S63)年3月の改正で急行「とがくし」の改称により長野~新潟間で再登場したが、1997(H9)年10月の改正で特急みのり号に格上げされて廃止されている。

急行赤倉号は、1962(S37)年12月1日から1985(S60)年3月13日に一旦廃止される間での間、名古屋から長野、直江津経由で新潟まで直通運転されていた。 1982(S57)年11月に電車化

特急みのり号は、1997(H9)年3月22日、新潟~高田間の特急として登場。同年10月、急行赤倉号の格上げの上で長野発着も新設。2002(H14)年12月の改正で、快速くびき野号(485系使用、新井~新潟間)に格下げされて廃止。前年の2001(H13)年12月改正で長野発着が廃止されている。

快速くびき野号は、新潟車両センターの485系が使用されているけど、快速妙高号と同様に風前の灯火状態である。

1993(H5)年12月の改正まで、特急あさま号のほか、上野~長野間の夜行急行妙高号もあった。 1982(S57)年の改正の時までは、昼行便もあった。

北陸新幹線が、大阪まで全線開業すれば、かつての旧白鳥号の上野~長野・上越・富山・金沢・福井経由~大阪間のルートが路線変更の上で復活することになる。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-18 12:39 | 鉄道乗車記

懐かしの特急白山号

10月15日、この日は、高崎から横川まで懐かしの特急白山号に乗りました。

ルート 目白~池袋~大宮~高崎~横川~高崎~大宮~武蔵浦和~池袋

大宮では、出場した田町の団臨用189系(モハ189-19号車)が綺麗な姿となっていた。
あとは、京葉線に転属される205系(サハ205-5号車ほか)、新前橋区の211系に組み込み予定の平屋建てグリーン車であるサロ211-1006号車を見ることが出来た。 大宮~宮原間の解体場所には、京葉線で廃車となった103系が置かれていた。

どちらも湘南新宿ラインで移動。 昨年10月16日に湘南新宿ラインがオールE231系化、グリーン車の新設、スピードアップ、増発化されてから早いもんで1年が経った。
筆者は、湘南新宿ラインのグリーン車に乗ったことがある。今回は乗らなかったけど。

宇都宮線から115系が、湘南新宿ラインから211系、215系が姿を消してからも1年が経ったし。

懐かしの特急白山号は、上野、9:31発、途中大宮、熊谷、深谷、高崎、磯部に停車、横川 11:20着

横川 16:10発 停車駅は行きと同じ 上野 18:17着

上野では、13番線から発着。 この日は行かなかったけど、上野駅はリバイバル列車が来る度に混雑している。

懐かしの特急白山号に使用された489系は、前日金沢発の夜行急行能登号で上京。 普段は、尾久車両センターで折り返しを待っているけど、今回はその間合いを利用した列車である。

平日には、急行能登号で金沢まで送り返される前に、ホームライナー鴻巣、古河号(上野→鴻巣、古河間)に使用されている。489系が使用されるのは、上野 18:36発鴻巣行き、上野 21:03発古河行き。

そのため、15日、16日で使用編成が異なることになる。

この時に使用された編成は 新H1編成で 1号車が、クハ489-501+モハ488-4+モハ489-4+サロ489-13+モハ488-204+モハ489-19+モハ488-6+モハ489-6+クハ489-2

489系は、1971(S46)年に登場。 485系ベースの横軽対策設備のある列車として登場。 初期型は旧こだま号の151系(のちの181系)の流れを組んだボンネットタイプとなっている。

本当は上野から乗っていきたかったけど、友人が高崎から取っていたので、高崎から横川までの短い乗車時間となってしまった。 信越線(高崎~横川間の)ポイントには人が集まっていました。

10月15日は、信越線の高崎~横川間の120周年記念の日(誕生日)である。この記念すべき日に、489系の白山に乗れてよかったです。

この列車は全車指定席だったけど、急行能登号として使用される時には、5号車から9号車まで自由席となる。 6号車にはラウンジがあり、ここで弁当の販売があった。 白山時代にはラウンジ&コンビニエンスカーとして使用されていた。

グリーン車は、4号車。 禁煙車は、1、2、4、8、9号車 喫煙車は3、5、6、7号車。トイレは6号車以外の各車両にある。

1号車は、急行能登号として使用される時には、女性専用車(レディースカー)となる。1号車のトイレは、洗面所が2つあり、女性専用の洋式トイレとなっている。
4号車のグリーン車のトイレも洋式である。 ほかはすべて和式トイレ

改良前のグリーン車は、前位側に和式トイレ、後位側に洋式トイレがあったけど、1989(H1)年のグレードアップ化と同時に、後位側の洋式トイレが撤去され、洗面所の跡には電話室、洋式トイレの跡には荷物置き場に改良されていた。 以後和式トイレに統一されたけど、1号車の女性専用のトイレの新設と同様に、4号車(グリーン車)のトイレが和式から洋式に変更されている。 
かつての雷鳥号などのグリーン車(サロ481、サロ489)も、トイレが2つあった。キハ80型DCのグリーン車のトイレもこうなっていたし。
国鉄時代の車内トイレは、和式トイレが主流となっていたけど、JR化されてから洋式トイレの採用が増えている。 バリアフリー法により、新製車両のトイレはすべて洋式となっている。揺れる車内のトイレには和式トイレは安定性に劣るので。
JR東日本のオリジナル特急のトイレは、1989(H1)年登場の651系スーパーひたちの時代からすべて洋式となっている。

この時に筆者が座った席は、7号車13Dでした。 乗車した時に、硬券タイプの乗車証明書をもらうことが出来ました。こちらは、国鉄時代の着席券がイメージされており、裏にはボンネット型の489系のイラストがあった。

それには、番号のところが489番となっていたというこだわりがあった。

HMは、1997(H9)年の廃止の時まで使われていた、絵入りのHMだった。 白山は、石川県・・福井県・岐阜県にまたがる日本三名山(白山、富士山、立山)の一つである。
HMには、白山名物のクロユリも入っている。

絵無しのマークもいいけど、絵入りのHMを再現してくれたから嬉しいです。この白山のHMは気に入っていたのでちょうどよかったです。

高崎では、停車時間が短かったため、思うように撮影することが出来ませんでした。 横川では、撮影タイムも充分あったし。

特急白山号は、1972(S47)年3月15日、これまでの客車急行白山号の格上げにより、上野~信越線経由~金沢間の昼行電車特急、上野~上越線経由~金沢間の特急旧はくたか号の姉妹列車としてデビュー。

当時は1往復のみの運転で、同年10月1日に2往復に増発。 車両は碓氷峠対応の489系となった。 翌年の1973(S48)年10月1日から3往復に増発(こちらは最大だった)

前身の急行白山号は、1954(S29)年11月1日に、上野~直江津間の準急高原号の格上げ、運転区間延長により登場している。

旧はくたか号は、1965(S40)年10月1日、キハ80型7両編成(食堂車連結)による気動車特急としてデビュー。 1969(S44)年10月1日から、1982(S57)年11月14日に廃止されるまで、485系電車が使用されていた。
1997(H9)年3月22日 越後湯沢~ほくほく線経由~金沢・福井・和倉温泉間の特急としてはくたかの名称が復活。 当時は681系のほか、485系、489系も使用されていた。現在は定期列車は681系または683系が使用されているけど、臨時列車に489系が使用されることがある。

登場当時の特急白山号の編成は、グリーン車2両、食堂車1両を含む12両編成となっていた。グリーン車は4、5号車、食堂車は6号車

食堂車の営業は、1978(S53)年10月2日の改正で一旦中止となったけど、1982(S57)年11月15日の改正で復活、1985(S60)年3月14日のダイヤ改正で廃止されている。同時に2往復に減便。

かつては東海道・山陽新幹線、ほとんどの長距離昼行特急、山陰・九州方面へのブルートレインに食堂車があったけど、現在は、上野と札幌を結ぶ夜行寝台特急北斗星、カシオペア、大阪と札幌を結ぶトワイライトエクスプレスのみとなっている。

北斗星に使用されているスシ24型客車は、かつての電車食堂車から改造された車両である。

グリーン車は、登場当時2両、1982(S57)年11月15日の改正で1両に減車。

当時は、ボンネットタイプの0番台のほか、489系の200番台(貫通型)、300番台も使用されていた。

1989(H1)年3月11日、グレードアップ化。6号車がラウンジ&コンビニエンスカーに改良される。同時に、白山オリジナルの塗装に変更。
300番台もグレードアップ化されていたけど、のちに白山運用から撤退し、0番台のボンネットタイプに統一されるようになった。

1992(H4)年3月14日、白山号は、1往復に減便、廃止されるまでの間、間合い運用として、上野~長野間の旧あさま号の1往復にも使用されていた。 これにより、489系のボンネット車による旧あさま号が、1986(S61)年11月の改正以来復活していた。

1993(H5)年3月18日、夜行急行能登号の電車化により、白山号の489系が使用されるようになる。 1996(H8)年に福井まで延長されたけど、のちに、金沢発着に戻っている。

1997(H9)年、長野新幹線の開業、横川~軽井沢間の廃止と同時に、白山号が、旧あさま号と同時に廃止される。 
489系の急行能登号は、上越線経由となり、客車時代の1982(S57)11月15日改正以来、上越線を走るようになった。

白山、旧あさま号の運用から追われた489系は、上野到着後、平日はライナーに使用、土・休日は折り返しの能登号に使用されるまでの間、尾久に留置されるようになった。

白山号廃止号も、白山カラーのまま使用されていたけど、2000(H12)年から2002(H14)年にかけて、旧国鉄色に戻されていた。

2002(H14)年10月19日、東金沢駅移転記念の特別列車として、東金沢~富山~森本~東金沢~金沢間で白山のHMが付いた489系が使用されていたことがあった。

車内チャイムでは、東京音頭、百万石音頭、佐渡おけさの3曲を聴くことが出来た。かつての東北・上越新幹線の車内チャイムみたく、民謡がテーマのチャイム曲が残っていることで嬉しかったです。

東北・上越新幹線のチャイム曲「ふるさとチャイム」は、各駅ごとに異なっており、東京まで延長される1991(H3)年6月19日まで使用されていた。 当時は緑色の200系が当たり前だった。

やはり高崎~横川間のあるポイントには雨にも関わらず、人がたくさん集まっていました。

今回は高崎~横川間25分間の短い乗車時間だったので、本当は、上野か大宮から乗っていきたかったです。

国鉄特急型車両は、トイレ、洗面所の部分に方向幕があるけど、盗難防止のための設備が設けられている。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-15 23:25 | 鉄道乗車記

横浜市営地下鉄

横浜市営地下鉄では、2007(H19)年度に予定されているワンマン化に向け、開業当時から在籍している1000形が、3000R形に順次置き換えが行われているけど、今年度から、2000形も、3000R形と同様の車体に載せ替えられて、順次廃車となるという情報も入ってきました。ワンマン化後は、3000系列に統一される。

この3000S形車両は、今年10月28日に営業運転開始の予定である。9編成ある2000系のうち、8編成が3000S形への更新対象となり、1編成は、ワンマン化による必要編成見直しにより、直接廃車となる予定である。

横浜市営地下鉄の路線(1号線 湘南台~関内間、3号線 関内~あざみ野間)

湘南台~下飯田~立場~中田~踊場~戸塚~舞岡~下永谷~上永谷~港南中央~上大岡~弘明寺~蒔田~吉野町~板東橋~伊勢佐木長者町~関内~桜木町~高島町~横浜~三ツ沢下町~三ツ沢上町~片倉町~岸根公園~新横浜~北新横浜~新羽~仲町台~センター南~センター北~中川~あざみ野

2007(H19)年度中には、横浜市営地下鉄の4号線(日吉~中山間)も開業する予定となっている。 こちらは都営大江戸線と同様のリニアモーター式車両でワンマン運転となる。

計画路線 中山~(川和町)~(葛が谷)~センター南~センター北~(北山田)~(東山田)~(高田町)~(日吉本町)~日吉
カッコ内の駅名は仮称 中山で、JR横浜線 日吉で、東急東横線(目黒線も2007年度中に日吉まで延長予定)に接続する予定。

将来的には、横浜環状鉄道として 鶴見~日吉~中山~二俣川~東戸塚~上大岡~根岸~元町・中華街間も整備される予定となっている。
3号線も、あざみ野から小田急線の新百合ヶ丘方面への延長計画も予定されている。

地上にある駅は、川和町、センター南、センター北駅 車両基地は、川和町駅付近に出来る予定。 センター南~センター北間は、既存の3号線と併走することになる。

横浜市営地下鉄の2号線として、神奈川新町~屏風ヶ浦間も整備される予定だったけど、計画段階で中止され、幻の路線となった。その一部は、区間変更の上で、みなとみらい線として整備されるようになった。 こちらは2004(H16)年2月1日に横浜~元町・中華街間が開業している。

乗り換え駅 湘南台 小田急江ノ島線、相鉄いずみ野線 戸塚 JR(東海道線、横須賀線(一部総武快速線に直通)、湘南新宿ライン) 上大岡 京急線 関内・桜木町 JR根岸線 横浜 JR(東海道線、横須賀線、湘南新宿ライン、根岸線、京浜東北線、横浜線)、東急東横線、みなとみらい線、京急線、相鉄線 新横浜 JR(東海道・山陽新幹線、横浜線) あざみ野 東急田園都市線
センター南・センター北駅は、2007年度中に前述の4号線への乗り換え駅となる。

地上にある駅 センター北、センター南、仲町台、新羽、上永谷駅 地上区間 あざみ野~中川
間、センター北~北新横浜間(途中地下トンネルあり)、港南中央~下永谷間、立場~下飯田間、下飯田~湘南台間

車両基地は、上永谷、新羽の2ヶ所にある。

横浜市営地下鉄は、1972(S47)年12月16日、伊勢佐木長者町~上大岡間に開業したのが始まりである。 当時は、1000形による3両編成だった。当時は3両編成7本21両
東京、大阪、名古屋、札幌に次いで、日本で5番目の地下鉄となっている。 札幌市営地下鉄は、前年の1971(S46)年12月16日に南北線の北24条~真駒内間が開業したので、丸1年後に横浜市営地下鉄が開業したことになった。札幌市営地下鉄は、1972(S47)年に開催された札幌オリンピック(冬季五輪)に備えて開業していた。

1976(S51)年9月4日、上大岡~上永谷間、伊勢佐木長者町~関内~横浜間が同時に開業。 同時に上永谷の車両基地も使用開始。

1985(S60)年3月14日 上大岡~舞岡間、横浜~新横浜間が同時に開業 新幹線への乗り換え駅である新横浜と、横浜駅などを1本で結ぶルートも確保された。 初の冷房車である2000形もこれに備えてデビュー

1987(S62)年5月24日 戸塚~舞岡間開業 当時は戸塚駅が仮駅だったけど、1989(H1)年8月27日に本駅に移転した。

1993(H5)年3月18日 新横浜~あざみ野間開業 東急田園都市線と新横浜、横浜方面を結ぶ近道が確保された。 3000形もこれに備えてデビュー。新羽の車両基地も同時に新設された。

1999(H11)年8月29日 戸塚~湘南台間開業 これにより、横浜市営地下鉄が初めて横浜市外(藤沢市)に乗り入れたことになった。 3000形の2次車である3000N形も登場。

両数の移り変わり 1972(S47)年の開業当時は 3両編成
1977(S52)年5月に5両編成化

そして、1985(S60)年1月には 現在の6両編成となっている。

横浜市営地下鉄は、2003(H15)年12月1日から全席が優先席となっており、携帯電話の電源OFFとなっている。
平日の始発から9時まで、方向とは関係無く、4号車が女性専用車となる。2003(H15)年3月24日から試験的に導入され、同年7月1日から本格的に導入されている。

1号線と3号線を合わせると40.4Kmとなっており、都営大江戸線の40.7Kmに次いで、日本で2番目の長さの地下鉄となっている。

高島町駅=東急東横線にもあったけど、2004(H16)年1月に横浜~桜木町間が廃止されたことにより、横浜市営地下鉄の駅だけとなってしまった。

弘明寺駅=京急にもあるけど、京急と横浜市営地下鉄の弘明寺駅は大幅に離れている。

関内駅が、上下2段式のホームとなっており、未使用の路線、トンネルがあるのは、幻となった2号線計画の名残である。 関内で連絡するはずであった。

北新横浜駅は、1993(H5)年の開業の時から、1999(H11)年の戸塚~湘南台間開業の時まで、新横浜北駅となっていたけど、新横浜駅と紛らわしいということで、現在の北新横浜駅に改称されたのである。 

駅番号が付いており、湘南台駅=1、あざみ野駅=32となっている。

横浜市営地下鉄は、レール幅1435ミリ、第三軌条方式による集電(750V)となっている。最高速度は地下区間70Km/h、地上区間 90Km/h 保安装置はCS-ATC

横浜には、地下鉄が開業する1972(S47)年3月30日まで、横浜市電やトロリーバス(架線方式の電気で走るバス)も走っていた。かつては東京、川崎、名古屋、京都、大阪にもトロリーバスがあったけど、路線が固定されていたことや道路渋滞がネックとなり廃止されている。

横浜市営バスの滝頭車庫(かつての市電の車庫の1つ)の横に、横浜市電保存館がある。
こちらは、桜木町、根岸駅から市電保存館行きバスで終点下車 関内、吉野町駅から磯子操車場行きバスで、滝頭下車。

現在日本国内に残るトロリーバスは、立山黒部アルペンルートの2路線、立山黒部貫光、立山トンネルトロリーバス(室堂~大観峰間)、関西電力、関電トンネルトロリーバス(黒部ダム~扇沢間、富山・長野県県境)、どちらも冬季運休となっている。

1000形 1972(S47)年の伊勢佐木長者町~上大岡間の開業の時にデビュー 当初は1011~1071Fの3両編成7本が導入されていたけど、1976(S51)年9月4日の上永谷~上大岡間、伊勢佐木長者町~横浜間の開業の時までに 1081F~1141Fの7編成が導入され、14編成出揃っていた。 

1977(S52)年に中間車2両増結の上で5両編成化 1984(S59)年にもう1両増結されて6両編成となる。

1000形は、当時非冷房車だったけど、1989(H1)年から1992(H4)年にかけて、冷房改造、車体修繕も行われるようになった。 同時に先頭車の車椅子スペース、側窓上部のLED案内表示も設置された。 車体はセミステンレス製

老朽化および、ワンマン化に対応するため、2004(H16)年から順次3000R形に置き換えられて、来年度までに全廃となる予定である。 廃車となった1000形の一部は、横浜市資源循環局金沢工場(最寄り駅は金沢シーサイドライン、幸浦・並木中央駅)でストックヤードとして再利用されている。

この1000形は昔ながらの抵抗制御方式となっているので、3000R形に置き換えられるもう1つの理由となっている。
地下鉄で抵抗制御だと、抵抗器から出る熱でトンネル内が加熱してしまうという問題が生じている。
かつて営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線に、旧国鉄の103系1000番台が乗り入れていた頃、営団側からのクレームにより、早くも203系に置き換えられたのは、103系1000番台が抵抗制御車だったからである。

現在東京メトロ東西線で最後の活躍をしている5000系またはそれから改造された東葉高速鉄道の1000系で、冷房化と同時に制御機器の改良が行われたのはそのためである。

都営浅草線で唯一残っている5200形(5000形のステンレスバージョン)は、抵抗制御車だけど、こちらも廃車となることが決まっている。

2000形 1985(S60)年の新横浜~横浜間、上大岡~舞岡間の開業に備えてデビュー 当初から6両編成で、制御装置が回生ブレーキ付きの電機子チョッパ式となっている。 前面スタイルは、1000形が貫通扉が中央にあるスタイルに対し、貫通扉が左側に移設されたスタイルとなっている。 車両の落成は、1983(S58)年のことだった。量産車は、翌年の1984(S59)年に落成 車体はオールステンレス製となった。冷房装置は当初から付いている。
当初は、6両編成7本在籍していたけど、1987(S62)年5月24日の戸塚開業の時には、2編成増備されて9編成となった。

現在は、バリアフリー化および、ワンマン化に対応するため、3000S形に更新され、1000形と同様に、来年度をもって全廃となる予定となっている。

この2000形は、1000形や3000形とは異なり、車椅子スペースや、ドア上部の案内装置が付いていない状態である。

3000S形は、2000系の台車などが再利用されることになる。 最初は、2000形の車体のまま車体更新されると予想していたけど、早くも廃車となるだなんて思ってませんでした。

なので、1000形はもちろんのこと、2000形の撮影もお早めにという状態となっている。

1本だけ直接廃車となることは勿体ない気がします。

3000形 1993(H5)年3月18日の新横浜~あざみ野間の開業に備えてデビュー 車両の落成は、1992(H4)年 横浜市営地下鉄初のVVVF車で、2000形と比べて車体の丸みが増した状態である。1次車は6両編成8本48両(3241~3311F)が在籍している。

1999(H11)年8月の湘南台延長の時には、3000N形が登場。前面が直線的となり、VVVFインバータ装置もGTOからIGBTに変更された。 2次車は、6両編成7本42両(3321~3381F)が在籍している。 3321Fは横浜市営交通のキャラクターであるはまりんが描かれた、はまりん号となっている。

昨年3月30日には、1000形の置き換え用として、3000R形(3次車)が登場。 こちらは、前面デザインの変更、バリアフリーの強化などによりマイナーチェンジされている。 現在までに6両編成10本60両(3391~3481F)が導入されている。

今年10月28日には、2000形の更新車の3000S形が登場する予定。 こちらは、3000R形と同型の車体だけど、2000形の台車・自動列車制御装置・補助電源装置が再利用されている。

こちらは、今年度中に6両編成6本36両 来年度中に6両編成2本12両が3000S形に更新される予定である。

横浜市営地下鉄もパスネット対応である。 このパスネットは、10月14日に5周年を迎えた。

横浜高速鉄道みなとみらい線の路線

(東急東横線、渋谷まで直通運転)←横浜~新高島~みなとみらい~馬車道~日本大通り~元町・中華街

特急は途中みなとみらい駅のみ停車 急行、通勤特急(平日朝夕のみ運転)は、みなとみらい、馬車道、日本大通り駅に停車 新高島駅は、各駅停車のみ停車

横浜高速鉄道、みなとみらい線 2004(H16)年2月1日開業。 同時に、東急東横線の東白楽~横浜間が地下新線に移り、反町、横浜駅が地下化された。 その陰で、東急東横線の横浜~桜木町間が廃止された。 

みなとみらい駅=クイーンズスクエアに直結している。 

みなとみらい線は、かつて東神奈川から国鉄(現JR)横浜線と直通運転される計画があったけど、現在の東急線直通に変更された。

元町・中華街駅=その名の通り、横浜の元町通りと横浜中華街の入り口にある。
[PR]
by hy_sengen-sin | 2005-10-14 10:45 | 鉄道車両・路線