交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

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さよなら304号車

9月24、27、29日にかけて、江ノ電に乗りに行きました。

9月24日は、JR東海371系によるあさぎり3号で、新宿から町田まで行きました。町田から藤沢まで乗った列車は、小田急3000形で唯一床下にカバーの着いた3263Fでした。 こちらは、本格採用に至らず、唯一のカバー付き編成となっている。

3日間ともに小田急線を利用。

9月24、27日は、ともにお目当ての304号車が運転されていなかったので残念に思いました。 

江ノ電の路線

藤沢~石上~柳小路~鵠沼~湘南海岸公園~江ノ島~腰越~鎌倉高校前~(峰ヶ原信号所)~七里ヶ浜~稲村ヶ崎~極楽寺~長谷~由比ヶ浜~和田塚~鎌倉


江ノ電は、今から102年前の1902(M35)年9月1日、藤沢~片瀬(現江ノ島間)から開業。当時は、江之島電気鉄道として軌道法に基づく路面電車だった。当時は4両。

京王線も、路面電車から始まった普通鉄道となっている。

翌1903(M36)年6月20日には、片瀬~行合(現七里ヶ浜間)が、 同年7月17日には、行合~追場(現在は廃止)間が開業。
1904(M37)年4月1日には、追場~極楽寺間が、1907(M40)年には、極楽寺~大町(現在は廃止)間が、1910(M43)年11月4日に、大町~小町(現、鎌倉)間が開業し、全線開業となる。

1949(S24)年3月1日、鎌倉駅西口への乗り入れ開始、同年8月1日に江ノ島鎌倉観光に社名変更。 1981(S56)年9月1日には現在の江ノ島電鉄となった。
これまでの小町電停は、鶴岡八幡宮の二の鳥居前にあった

藤沢~石上間が高架化されたのは、1974(S49)年6月7日のことだった。 江ノ電デパート(現小田急デパート藤沢店)の2階にホーム新設、江ノ電の藤沢駅は、ドーム状の屋根が特徴である。

藤沢駅も、撮影ポイントとなっている。

鎌倉高校前~七里ヶ浜間にある、峰ヶ原信号所 1953(S28)年8月20日、峰ヶ原電停跡に新設。 ここで撮影するファンも多い。

江ノ電での併用区間(路面を走る区間) 江ノ島~腰越間 ここも撮影名所 海沿いを走る区間 腰越~稲村ヶ崎間 鎌倉高校前駅は、江ノ電の駅で唯一海の見える駅で、関東の駅百選に選ばれている。 

列車交換の出来る駅(場所) 鵠沼、江ノ島、(峰ヶ原信号所)、稲村ヶ崎、長谷

江ノ電のトンネル 極楽寺~長谷間の1ヶ所 

江ノ電の車両 303+353号車 1929(S4)年登場、1957(S32)年連接化

1929(S4)年4月、103、104号車としてデビュー こちらは、101、102号車とともに、雨宮製作所で製造された。

1957(S32)年4月には、連接車化され、303+353号車となった。 同時に101、102号車も、302+352号車に改造されたけど、1997(H9)年に、冷房・新性能化の対象から外されたため、10形電車の登場により、廃車となっている。

1992(H4)年には、冷房化、足回り品の更新が行われる。 床も板張りからビニール張りに変更。 これまで前照灯の改良なども行われているので登場当時と比べて大きく変わっている。

302Fのほうは、1997(H9)年に廃車となった後、山梨県の某キャンプ場で、バンガローとして使用されている。このように、解体されずにバンガローとして再利用してくれてとても嬉しいです。

304+354号車 1931(S6)年登場、1958(S33)年連接化

1931(S6)年9月、105~110号車までの6両が、新潟鐵工所にて製造。

1958(S33)年4月、105号車と109号車が連接化され、304+354号車となる。 

100形のまま残った106、107、108、110号車は、タンコロの愛称で親しまれ、1980(S55)年12月まで運転されていた。 106、110号車は、1000形と入れ替わりに1979(S54)年9月に廃車 最後まで残った107号車は、鎌倉海浜公園で静態保存 108号車は、極楽寺の検車区にイベント用として動態保存されている。

304+354号車は、1991(H3)年に冷房化、足回り品の更新などが行われていたけど、今年9月30日をもって、廃車となった。 

2002(H14)年から今年8月28日まで、昔の茶色い塗装であるチョコ電で運転されていた。

これまで304Fに使用された旧台車は、アメリカ、カリフォルニア州のウエスタン、レールウェイミュージアムに寄贈されている。

今後の動向が気になるけど、足回り品は、前回の501、502Fの時と同様に新型車両に流用されると思われます。501、502Fの時は、新型車両の登場の前に引退したので。

305+355号車 1960(S35)年登場

1960(S35)年6月、元京王線の2000系(2003+2009(旧玉南3、9)号車)の台枠を利用して新製された連接車で、車体は、目黒区碑文谷の東横車輌で製造された。

1989(H元)年に12月に冷房化、足回り品の更新が行われたけど、昔ながらのバス窓、板張りの床は健在となっている。とてもレトロな感じがする車両であります。

304号車の廃車により、人気の旧型300形車両は2編成のみとなってしまうけど、304Fが廃車となったということを聞いて、残りの2編成も危ないという状態となりました。

これらの300形車両は、1998(H10)年から1999(H11)年にかけて、電気指令式ブレーキに交換されたため、1000系以降の車両との併結運転も可能となった。一昨年に全廃となった500形車両も同様に改良された。

これまでは、300形または500形と言った旧型車両、1000形以降の新形式車両の連結が当たり前だった。

1000形 1001、1002号車 1979(S54)年登場

1979(S54)年12月3日 江ノ電の48年ぶりの完全新造車として、1001Fと1002Fの2本が登場。 バスのような前面スタイル、大型の側面窓、ワンハンドルマスコンの採用など、斬新なデザインが採用されている。 モーターは、昔ながらの吊り掛け式。当時は非冷房車だった。

このような斬新なスタイルなどが評価されて、翌年の1980(S55)年度のブルーリボン賞を受賞。 筆者が鉄道ファンをやるきっかけとなったのは、この江ノ電の1000形車両だった。

1001Fは、1985(S60)年、1002Fは、1986(S61)年に冷房化

一昨年には、1001Fが車体更新を受けて、鎌倉寄りの先頭車の運転台後部に車椅子スペースが新設された。 昨年には、1002Fも同時に車体更新され、20型と同じ塗装となっている。

1101号車 1981(S56)年登場

1981(S56)年12月、初の冷房準備車ならびに107、108号車の後継ぎとしてデビュー のちに本格的に冷房化された後も扇風機が残るので、江ノ電で唯一の扇風機付きの列車となっている。 現在は、スペシャルマーキング電車である「義経号」として活躍している。


1201号車 1983(S58)年登場

1983(S58)年12月、江ノ電初の冷房車および603+604号車の置き換え用として登場 冷房装置の取り付けだけではなく、ヘッドライトが角形になったことでマイナーチェンジされている。

1501+1551号車 1986(S61)年登場 1502+1552号車 1987(S62)年登場

1986(S61)年4月23日、江ノ電初のカルダン車(1000形のマイナーチェンジ車)として、801+802号車の置き換えで登場。 スタイルは1201Fと変わらないけど、オレンジと赤帯の塗装で「サンライン号」と呼ばれていた。 翌年の1987(S62)年12月には、1502Fも導入され、「サンライン号」同士の重連も見られるようになった。

1990(H2)年になってからは、既存の1000形と同じ塗装に変更。 現在1501Fは、20形車両と同じ塗装となっている。

このサンライン塗装がリバイバル化されることを願っています。

2000形 2001+2051号車 1990(H2)年登場 2002+2052号車 1991(H3)年登場 2003+2053号車 1992(H4)年登場

1990(H2)年4月24日 1000形のモデルチェンジ車および601+651号車の置き換え用としてデビュー 初のステンレス車体、クロスシートの採用、正面の大きな窓によって、これまでの常識を打ち破るスタイルで話題となった。 同年通産省のグッドデザイン賞、藤沢市の第一回ふじさわ年デザイン賞(景観部門)を受賞している。

翌年の1991(H3)年4月には、306+356号車の置き換え用として、2002+2052号車が登場。 窓の部分に編成番号が追加された。 2001Fものちに追加

1992(H4)年7月に301+351号車の置き換え用として導入された2003+2053号車は、前面のワイパーが1本となり、クロスシート配置の見直しにより変わっている。

10形 10+50号車 1997(H9)年登場

1997(H9)年4月、開業95周年記念のレトロ調電車として登場 302+352Fの置き換え用として1編成のみ導入。 江ノ電で久々の両開きドア車、レトロ調の外観や内装の採用により話題となった。 鎌倉寄りの先頭車には江ノ電初の車椅子スペースも新設。

この車両は、オリエント急行がイメージされている。

2003Fと同様に、ワイパーが1本のみとなる。

この編成から、江ノ電のロゴに変わって、江ノ電の車紋が入ることになった。

20形 21+51号車 2002(H14)年登場 22+52号車 2003(H15)年登場。

2002(H14)年4月、開業100周年記念として、10形と2000形ベースの列車として登場。 足回り品は、同年1月に廃車となった501+551号車のものが再利用されている。 外観は、10型に準じているけど、内装は、2000系に準じている。江ノ電初のLED式行き先表示も採用。 塗装は、江ノ電伝統の緑色とクリーム色のツートンとなった。

座席は、運転台後部を除き、ロングシートとなっている。

2003(H15)年4月に導入された22+52号車も、502+552Fで使われていた足回り品が使われている。 この編成の導入により、冷房化率100%となった。

江ノ電の2両連結運転 1956(S31)年1月開始 4両運転は、1971(S46)年6月21日開始。 これに伴い、特別続行運転が廃止されている。

腰越駅は、ホームが短いため、4両運転の時は、鎌倉寄りの先頭車1両のドアが開かない状態となっている。 1993(H5)年4月21日までは2両分しか無かったので、鎌倉寄りの2両のドアが開かなかったという不便な現象もあった。 これが、1993(H5)年4月22日の腰越駅ホームの3両分の延長により解消された。

江ノ電の編成 平日の朝夕のラッシュ時および土休日はすべて4両だけど、平日の日中や早朝・深夜の閑散時には、2両の単独運転も見られる。

最後の日曜日となった9月25日は、305Fと組み、旧型車同士の華やかな編成を披露してくれた。 筆者はこの時に行かれなかったのが心残りである。
9月19日、義経号との組み合わせ。

9月29日の乗車記=七里ヶ浜~藤沢~鎌倉~藤沢 20形に準じた新塗装の1501Fとの併結運転。 この日は4両運転としては最後であった。 
床下ビニール張り、カルダン車のため、4年前に引退した東急世田谷線の70・80形みたく、旧型車に乗ったいるような雰囲気がが薄かったです。

9月30日の最終日は、単独の2両編成で運転されていました。 筆者は行かなかったけど、この時は平日にも関わらず、混雑していた状態でした。 
9月30日といえば、今から8年前の1997(H9)年の碓氷峠越えの横川~軽井沢間の最終日を思い出します。 あの時は、営団地下鉄(現東京メトロ)の溜池山王駅(銀座線、南北線(四ッ谷~溜池山王間))の開業日と重なったため、平日にも関わらず混乱状態でした。

横軽区間に専念した人もいれば、溜池山王駅と掛け持ちで行った人もいました。

江ノ電は、筆者の鉄道趣味の原点であるので、今回の304Fの追っかけに行くことが出来てよかったです。 
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by hy_sengen-sin | 2005-09-30 14:36 | 鉄道乗車記

小湊鐵道といすみ鉄道

9月23日は、房総半島の横断路線である、小湊鐵道といすみ鉄道に乗ってきました。

ルート 目白~秋葉原~錦糸町~千葉~県庁前…本千葉~五井~上総牛久~上総中野~大多喜~大原~茂原~蘇我~千葉~東京~新木場~東京テレポート~新宿~目白

錦糸町から千葉まではE217系の快速列車。 横須賀・総武快速線から113系が引退し、E217系に統一されてから今年で6年、早いもんである。

錦糸町の留置線には、あやめ号からしおさい号への折り返し間合いの6両編成の183系であるマリ23編成(クハ183-21F)を見ることが出来ました。 これらの6両編成の183系は、すべて貫通型で幕式のHMが付いています。 なので留置線に止まっている時でもHMを見ることが出来ました。 こちらは、今年の暮れに、E257系500番台(わかしお、さざなみ号で使用されている車両)に置き換えられるので間もなく見納めとなる。

千葉から県庁前までは、千葉都市モノレール(タウンライナー)で行きました。 車両は1000形で2両編成によるワンマン運転 こちらは、湘南モノレールと同様に、懸垂式となっている。

千葉都市モノレールの路線
1号線 千葉みなと~市役所前~千葉~栄町~葭川公園~県庁前

2号線 千葉~千葉公園~作草部~天台~穴川~スポーツセンター~動物公園~みつわ台~都賀~桜木~小倉台~千城台北~千城台

スポーツセンター~千城台間 1988(S63)年3月28日開業 
千葉~スポーツセンター間   1991(H3)年6月12日

千葉みなと~千葉間 1995(H7)年8月1日
千葉~県庁前間 1999(H11)年3月24日

千葉都市モノレールの車両基地は、動物公園になる。千葉~都賀間は、西へと大きく迂回するルートとなっている。

千葉~県庁前間の開業により、2号線の列車が千葉で打ち切られていたけど、現在はほとんどの列車が千葉みなとまで直通運転が行われている。

県庁前駅で百選スタンプを押した後、徒歩で本千葉駅まで行きました。

本千葉から五井までは、内房線の113系2000番台による4両編成の列車で移動。 この時の編成は、今年8月に東海道線から転用されたマリ257編成(クハ111-2065F)でした。 館山寄りは、クハ111-252号車。国府津時代は4両付属のS90編成だった。

その他、マリ256編成(クハ111-2066F)の4両編成(11両基本編成のK68編成から組成)も落成している。

113系2000番台がスカ色になってからは、見た目が113系1500番台と変わらなくなった。

これにより、初期型の113系(インバータクーラー車)に廃車が出ている。これまで、マリ246編成(クハ111-1001F)、マリ255編成(クハ111-1015F)が廃車となっている。インバータークーラー車は全廃予定だけど、かつて横須賀・総武快速線で使われていた113系1000番台の未更新車の一部にも廃車が出ることが予想されます。

東海道線からは、4両編成19本 6両編成3本転用される予定となっている。

房総ローカルの老朽取り替え=当初の計画では、山手線の205系の中間車が転用され、仙石線の205系3100番台と同様に先頭車化、トイレの取り付けが行われるはずだったけど。 コストが掛かる、103系の取り替えが優先ということなどの理由により、東海道線から捻出される113系の後期型によって置き換えられることになった。

内房線(旧房総西線)が電化されたのは、外房線(旧房総東線)よりも早く、1968(S43)年7月13日に、千葉(蘇我)~木更津間、1969(S44)年7月11日に、木更津~千倉間、1971(S46)年7月1日に千倉~安房鴨川間がそれぞれ電化されている。

ちなみに外房線(旧房総東線、蘇我~安房鴨川間)の全線が電化されたのは、1972(S47)年7月15日で、東京~錦糸町~千葉間の総武快速線が開通したのと同じ時期だった。

五井からは、小湊鐵道といすみ鉄道の横断乗車券(房総横断記念乗車券)を使用しました。 こちらは1600円で横断出来、途中下車も可能となっている。 これで、五井から大原までの片道乗車が出来る切符となっている。

まずは、205号車の単行列車で、上総牛久まで行きました。
小湊鐵道は、いすみ鉄道、JR久留里線と並ぶ房総三大非電化路線で、懐かしい感じの風景や車両となっているので、とても絵になる風景となっている。そのため、カメラマンが良く訪れる路線で、TVドラマやCMなどで盛んに使われている。乗る人はもちろんのこと、カメラマンにも人気の路線でもあるし。

確かに絵になる風景だと思っています。 

小湊鐵道の路線 五井~上総村上~海士有木~上総三又~上総山田~光風台~馬立~上総牛久~上総川間~上総鶴舞~上総久保~高滝~里見~飯給(いたぶ)~月崎~上総大久保~養老渓谷~上総中野

京成千原線(旧千葉急行線)は、ちはら台から海士有木まで延長される予定だったけど、現在は凍結状態となっている。ちはら台駅は、京成の駅で唯一市原市にある駅となっている。

この200形DCは、1961(S36)年から1977(S52)年まで14両が日本車輌で製造された気動車で、前面は京成旧3000系列、側面はJR(旧国鉄)キハ20形DCに準じている。1975(S50)年以降に導入された211号車以降の車両は、窓がユニットサッシとなっている。 座席はすべてロングシート 1両の単行は、ワンマン運転が主流だけど、この小湊鐵道は、1両編成の場合でも車掌乗務となるので、とても珍しいです。 小湊鐵道は最大3両編成で運転される。
冷房装置は、床下のサブエンジン方式で、DENSOのステッカーが貼ってあるのが特徴である。塗装は、上がうす茶色、下がオレンジでとても気に入っています。
本社、車両基地は、五井駅構内にある。 その車両基地の東側には、かつて小湊鐵道で活躍していたSL3両が保存されている。

上総牛久では、32分待ちました。 3年前に乗った時は、上総鶴舞駅の百選スタンプを押したけど、この時に1時間30分待ったことがありました。

上総牛久から上総中野まで、207+211号車の編成に乗りました。この列車には、女性の車掌さんも乗務していました。

月崎駅を出た後からは、緑が一杯の風景となりました。 

養老渓谷は、有名な観光地で、温泉もある場所となっている。 久留里線で言えば、終点の上総亀山駅に相当する。

小湊鐵道は、当初、天津小湊町(今年2月11日に鴨川市と合併)と結ばれるはずだった。

小湊鐵道だけを乗り歩く場合は、1700円の一日乗車券が便利である。

今年3月7日、小湊鐵道の五井~里見間が開業してから80周年を迎えた。里見~月崎間は、翌1926(S1年)に開業 上総中野への全線開通は、1928(S3)年5月16日のことなった。

養老渓谷と上総中野の間は、1日5往復しかない状態である。

上総中野からは、いすみ鉄道に乗り換えて大多喜まで行きました。 いすみ鉄道は、1988(S63)年3月24日に、JR(旧国鉄)木原線から引き継がれた路線である。

いすみ鉄道の路線 大原~西大原~上総東~新田野~国吉~上総中川~大多喜~小谷松~東総元~久我原~総元~西畑~上総中野

木原線は、木更津と大原を結ぶ路線の予定で、久留里線と結ばれるはずだった。
木原線時代は、キハ30系が使用されていた。1954(S29)年には、キハ10000形という小型のレールバスも使われていたことがあった。

1930(S5)年4月1日に、大原~大多喜間が開業、1933(S8)年8月25日、大多喜~総元間開業、1939(S9)年8月26日に総元~上総中野間の開業により全通。 現在は房総半島の横断輸送は、小湊鐵道といすみ鉄道の2路線で行われるようになった。

いすみ鉄道の本社、車両基地は大多喜にある。

いすみ鉄道の車両は、いすみ200形の富士重工製のレールバスとなっている。こちらはワンマン運転。

201~206号車が、菜の花をイメージした黄色と緑の標準塗装、207号車が1998(H10)年に登場した開業10周年記念の特別塗装となっている。

このいすみ鉄道沿線には、菜の花のほか、あじさいやレンゲも咲き誇る時もあります。そのため、車両をバックに撮影するのにはもってこいの状態です。

昔鉄道雑誌を見て調べたけど、いすみ鉄道のDCには、日産ディーゼル(UD)製のエンジンが搭載されている。座席はすべてロングシート
初期型の富士重工製のレールバスは廃車が進められており、真岡鐵道では、順次モオカ14型に置き換えられているけど、このいすみ鉄道の車両は、7両とも現役となっている。

上総中野から大多喜まで乗ったDCは、特別塗装をまとったいすみ207号車で、貸切列車(ゆったりんこ号)のいすみ204号車と併結運転が行われていました。 
このゆったりんこ号は、大多喜→上総中野→大原→大多喜または大多喜→大原→上総中野→大多喜のルートで運転され、一般車と併結運転されている。

大多喜で、ゆったりんこ号の団体客が旅を終え、204号車が切り離される瞬間を見ました。 一般車の207号車のほうは、単行で大原へ

大多喜に到着した後、関東の駅百選のスタンプを押しました。 この駅をもって、関東の駅百選のスタンプを制覇しました。 6年前の関東の駅百選のスタンプラリーの時は、この大多喜駅で制覇していた。

関東の駅新スタンプラリーは、3年前から実施、今年で最後となったけど、関東の駅百選スタンプラリーの旅は、ここですべて終わりました。

次の列車まで時間があったので、周辺を散策しました。 最近になってから、房総中央鉄道館がオープンしたけど、金曜日休館ということで、残念ながら祝日でも休館日となっていたので入ることが出来ませんでした。 祝日でも特別開館させるべきだったと思います。

この後、大多喜城まで歩いていきました。 大多喜は城下町で、房総の小江戸と呼ばれています。 小江戸は、川越のことである。

大多喜から大原までは、標準塗装のいすみ206号車に乗りました。

いすみ鉄道の1日乗車券は1000円で、大多喜駅またはレールバスの車内で売っている。
 いすみ鉄道の大原の駅は無人駅となっていました。
大原に到着した後、外房線で蘇我まで出たけど、茂原~大原間は、ホリデーパスの圏外だったので、大原から茂原までSuicaを使いました。 茂原まで乗った列車は4+4の8両だったけど、千葉寄りは、113系の初期型のマリ247編成(クハ111-189F)でした。安房鴨川寄りは1000番台。

茂原から蘇我までは、茂原始発の113系の1000番台による4+4編成。

113系の1000番台は、初期型が房総ローカル専用で、後期型から、地下トンネル乗り入れ規格、ATC装備の車両となっている。 現在はATC区間を走行することが無いため、ATC装置は撤去されている。 

総武快速線 1972(S47)年7月15日、錦糸町~津田沼間が複々線化され、東京~錦糸町間の新線も開業。 房総ローカルの始発駅が両国から東京に変更。 当時は113系1000番台が専用され、グリーン車の無いモノクラスの編成となった。

1976(S51)年10月1日、総武快速線、朝夕のみ品川まで延長 東京~品川間の地下新線が暫定開業した。

1980(S55)年10月1日、横須賀線との直通運転開始、総武快速線にもグリーン車が連結された。 
これまで横須賀線は、東京~大船間で東海道線と同じ線路を走っていたけど、東京~大船間で別の線路を走るようになった。品川~横浜(鶴見)間は、以前の東海道貨物線(品鶴線)回りに。 これがSM分離。新川崎、東戸塚駅新設、保土ヶ谷駅は、横須賀線のみの停車となった。

翌1981(S56)年7月6日、複々線区間が千葉まで延長。同年10月1日のダイヤ改正で、稲毛にも止まるようになる。

総武快速線が横須賀線と結ばれてから、今年で25年を迎える。 今から6年前の11月には、スカ色の113系が、東海道線の東京駅までリバイバル運転されたけど、10番線で、上越新幹線のE1系Maxと顔を合わせるシーンを見ることが出来た。
  
蘇我で、京葉線の201系の試作車入りの編成を見たので、ここで撮影しました。 やはり201系の試作車(900番台)は、103系に準じた車体、先頭Mc車であることなどであるので、103系と同様に山手線から捻出された205系によって置き換えられることになっている。

現在は、72編成、73編成の中間に試作車が組み込まれているけど、これらの編成から試作車を抜き、量産車のみの編成(1編成)に戻されることになる。

現在京葉線の103系は、302編成の1編成のみとなっているけど、10月中に廃車予定となっているので、かつての京浜東北線を彷彿とされる青い103系の10両編成も、間もなく見納めとなる。

京葉線に転用された初期型2段窓の205系のうち、クハ205ー2Fは、9月22日から営業運転入りしている。編成番号は25 こちらも、110Km/h運転非対応のため、東京~蘇我間の京葉線内で限定運用されている。

生え抜きの205系(クハ205-108~119F)の12編成は、内房線の君津、外房線の上総一ノ宮まで乗り入れているけど、朝の1本のみ上総湊始発の京葉線経由の東京行きにも使われている。
201系の6+4編成の一部(分割・併合対応編成)は、前の6両が勝浦まで、後ろの4両が東金線経由で成東まで運転されている。 東金線では間合いの列車にも使用される。

このような運転形態は、103系の6+4編成があった頃から存在していた。 付属の4両編成は、初期型の103系が主に使用されていた。

試作車を含む6+4編成の2編成と、6+4編成の71編成(クハ201-7、23F)は、分割・併合および蘇我より先の乗り入れが出来ない状態となっている。

山手線から転用された205系は、クハ205-11F、15Fもある。こちらは一足早く、2002(H14)年から営業運転に入っている。
京葉線の103系の第一次置き換え計画は、山手線から転用された205系2編成、中央・総武緩行線から転用された201系、205系によって行われていた。

クハ205-103Fは、1989(H1)年に南武線でデビュー(当時は6両編成)、1993(H5)年に209系の登場により、京浜東北線から捻出された205系の中間車4両を組み込み、中央・総武緩行線へ、2001(H13)年には、京葉線に転属し、現在に至る。 この編成も、蘇我寄り先の区間に乗り入れることが出来ない。

武蔵野線でも、103系が2編成のみと少なくなり、10月中には全廃となることが予想される。
 現在は、元山手線の205系が大部分を占めるようになった。

蘇我から千葉まで113系の普通列車で移動し、ここから東京まで183系によるしおさい14号で移動しました。

この時の編成は、マリ7編成(クハ183-1527F)でした。 中間車は、189系のグレードアップ編成に組み込まれていた車両が使われている。 先頭車のみそのまま残されていたのは、昨年の2月28日まで、横須賀・総武快速線(品川~東京~錦糸町間)にATC装置が導入されていたからである。 同年2月29日にATS-P化、車外信号機も新設された。

今回乗った車両は、モハ189-31号車で、今から8年前に廃止された旧あさま号で使用された車両でした。 1997(H9)年の廃止後、長野総合車両所(元長野総合車両センター)所属のまま、中央線特急あずさ・かいじ号に移り、2002(H14)年のE257系の増備により、幕張区に転用。

昨年は、183系の8両編成の一部に廃車が出たけど、これが長野総合車両センターに廃車回送されたので、中間車にとって、里帰り状態となった。

6両編成の初期型183系=4編成在籍で、中間車が、元中央線あずさ・かいじ号で使用されていた1000番台に差し替えられている。

今年の暮れには、E257系500番台が増投入され、しおさい・あやめ号から183系が全廃となる。 

この後、京葉線ホームまで行き、武蔵野線直通の205系で新木場まで出て、ここから東京テレポートで途中下車し、お台場散策した後に帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-28 16:17 | 鉄道乗車記
鬼怒川公園からは、野岩鉄道、会津鬼怒川線(6050系)で、上三依塩原まで行きました。 

この列車は4両編成で到着、後ろの2両は、新藤原で切り離され、2両編成となっていました。
車両は、61101F(野岩鉄道保有)だった。

6年前に初めて会津鬼怒川線に乗った時は、4両編成がメインだったけど、現在は、開業当時の2両編成に戻されています。

会津鬼怒川線の路線 新藤原~龍王峡~川治温泉~川治湯元~湯西川温泉~中三依~上三依塩原~男鹿高原~会津高原

この路線は、1986(S61)年10月9日に開業した路線で、その名の通り、鬼怒川と、会津を結ぶ路線で、旧国鉄の計画路線だったけど、第三セクターの野岩鉄道によって開業している。

緑に囲まれた路線で、トンネルも多い状態なので、西武4000系の走る西武秩父線に良く似ています。

湯西川温泉駅=トンネル内にある駅で、湯西川温泉郷へは、バスでの連絡となる。

上三依塩原駅で百選スタンプを押した後、周辺の水生植物園を散策しました。

この駅は開業当時は上三依駅だったけど、1988(S63)年10月19日に、塩原温泉へと向かう尾頭トンネルが開通したことにより、現在の上三依塩原駅となった。

塩原温泉へのアクセスは、JR東北新幹線の那須塩原駅またはJR宇都宮線の西那須野駅からJRバスで行くことになる。 上三依塩原駅からは、那須塩原市営バスが出ている。

塩原温泉といえば、岡部ホテルチェーンの一つである、ホテルニュー塩原が有名である。

あとは新宿駅から直通の高速バス(もみじ号)でも行ける。

上三依塩原駅周辺は、都心から1本で行ける場所だとは思えないほどの緑が広がっていた。

上三依塩原からは、6050系の直通列車で、 会津田島まで行きました。

6年前は会津高原まで乗りつぶした後に戻っていたけど、今回は、会津鉄道の(東武線から繋がる)電化区間の会津高原~会津田島間の乗りつぶしを行いました。

会津鉄道(西若松~会津田島~会津高原間)は、1987(S62)年7月16日、JR(旧国鉄)会津線から引き継がれた路線である。

会津鬼怒川線が出来る前、会津高原駅は、会津滝ノ原駅という駅名で末端の駅だった。

会津鉄道の路線 西若松~南若松~門田~あまや~芦ノ牧温泉~大川ダム公園~芦ノ牧温泉南~湯野上温泉~塔のへつり~弥五島~会津下郷~ふるさと公園~養鱒公園~会津長野~田島高校前~会津田島~中荒井~会津荒海~会津山村道場~七ヶ岳登山口~会津高原

JR只見線の会津若松まで直通運転が行われている。

会津高原~会津田島間が電化されたのは、1990(H2)年10月12日のことだった。 朝と夜を除き、6050系の快速の運転区間が会津田島まで延長された。

1991(H3)年7月21日から、今年・2005(H17)年2月28日まで、350系による急行南会津号(浅草~会津田島間)も運転されていた。

会津鉄道の車両 AT-100、150型 開業当時から在籍しているけど、廃車が進められている。 会津田島でこの車両を見ることが出来てよかったです。

新型のAT-500、550型車両は、昨年3月25日に登場。この列車には、昨年11月に発行された新1000円札で話題となった、福島県猪苗代町出身の故・野口英世氏の顔と、その母親のシカの手紙の全文が描かれている。シカと言っても母親の名前で、動物の鹿とは無関係である。

会津鉄道には、お座敷列車であるAT-103号車、トロッコ列車のAT-300型、展望列車のAT-400型もあり、これらの3種混合列車のお座トロ展望列車として会津若松~会津田島間で運転されることもある。

会津鉄道の本社は会津若松、車両基地は会津田島にある。

会津田島から鬼怒川温泉までは、4年前まで名鉄の北アルプス号で使用されていた、キハ8500型DCによるAIZUマウントエクスプレスに乗りました。 この時の編成は8501+8504号車で、8501号車にはトイレがありました。

名鉄の北アルプス号は、1965(S40)年8月5日に高山本線直通のキハ8000系DCで準急たかやま号としてデビュー。 翌年の1966(S41)年から急行となり、飛騨古川まで延長。当時の運転区間(神宮前~高山間) 旧国鉄のキハ58型DCがベースで、側面の窓は、7000系パノラマカーに準じていました。座席は転換クロスシートで、最高速度は95Km/h

1970(S45)年には、北アルプス号に変更、シーズン中には、飛騨古川から富山駅まで行き、ここから富山地鉄に乗り入れていたこともあった。この季節延長は、1984(S59)年まで続けられていた。

1976(S51)年10月1日、特急に格上げされると同時に、前面にキハ80、キハ181系DCと同様の翼のような帯が入る。

1985(S60)年3月14日に富山まで延長された。 1990(H2)年3月10日に神宮前~高山間の運用に戻る。

1991(H3)年3月16日、キハ8500型DCの導入により、キハ8000系列が引退。 同時に美濃太田~高山間でJR東海のキハ85型DCとの併結運転が開始される。 これにより30分スピードアップされた。最高速度は120Km/hに。

1996(H8)年4月5日 新名古屋(現名鉄名古屋)~高山間の運用となる。

2001(H13)年9月30日 北アルプス号が廃止され、名鉄と高山本線への直通運転の幕を閉じる。 この列車は、東海道新幹線との乗り継ぎ割引が適用されなかったということがネックとなっていた。 現在は分離されているけど、犬山遊園~鵜沼間で、道路との併用橋梁を渡っていたシーンも見られていた。

名鉄とJRを結ぶ連絡線=鵜沼(新鵜沼)駅付近にあったが、現在は撤去されている。

この8500型DCは、名鉄の間合いの特急にも使用されていた。

名鉄では、2001(H13)年9月に廃止された八百津線(明智~八百津間)、2004(H16)年3月に廃止された三河線(猿投~西中金間、碧南~吉良吉田間)にも、レールバス(キハ20、30型)が走っていたけど、これらの路線の廃止により、名鉄全線が電化、すべて電車による運行となっている。 このキハ30型DCは、ミャンマーに売却されている。

8500型DCは、飛騨の大自然をイメージした内装となっているけど、それが会津の大自然にも通用するようになった。 

8500DC=先頭車 8501~8504号車(8504号車のみトイレ無し)、中間車 8551号車

2002(H14)年3月23日、会津鉄道のAIZUマウントエクスプレスとして再デビュー。当時の運転区間は、会津若松~会津田島間 当初は、4両の先頭車のみの使用で、中間車は、会津下郷駅に留置されていたけど。 翌年(2003(H15)年10月1日の喜多方への延長と同時に増結車として再び使用されるようになる。 これにより、多客期のみ3両編成で運転されるようになった。

今年3月1日、会津鬼怒川線を経由して、鬼怒川温泉に乗り入れるようになって現在に至る。 このAIZUマウントエクスプレスは、会津田島→会津若松→鬼怒川温泉→会津若松(喜多方)→会津田島→会津若松→会津若松→鬼怒川温泉→会津若松→会津田島という経路で運転されている。 鬼怒川温泉への乗り入れは1日2往復。

この列車の車内放送の時に、ワイドビューチャイムがそのまま使われていたことに驚きました。 型式番号の表示などにも、名鉄時代の名残があります。

この車両は、名鉄時代に生で見ることが出来なかったので、ここで初めて生で見たことになりました。

鬼怒川温泉に到着した後、特急に乗り換えずに、この後の6050系の快速で浅草へと行き、折り返しの準急新栃木行きで、北千住まで戻りました。

来たのは、会津田島まで乗ったのと同じ6170Fで、下今市まで2両編成でした。 東武日光発は4両編成。

こうして、9月の東武お休みきっぷの旅を終えました。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-28 16:02 | 鉄道乗車記
19日のルート 目白~日暮里~北千住~せんげん台~栃木~東武宇都宮~栃木~鬼怒川公園~上三依塩原~会津田島~鬼怒川温泉~浅草~北千住~日暮里~目白

まずは、前日と同じルートで北千住まで行き、ここからせんげん台まで、30000系の区間準急に乗りました。

東武30000系は、地下鉄半蔵門線への直通に備えて、1997(H9)年3月25日に、地上線の列車からデビュー 6両または8両編成までしか入れない浅草駅への入線のために6+4の編成となった。 このため、10000系列との併結運転が頻繁に見られていた。
当時は、浅草、伊勢崎、新栃木、東武宇都宮にも乗り入れていたことがあった。

この30000系は、アルナ工機(現アルナ車両)および富士重工で製造された最後の車両となっている。
2002(H14)、2003(H15)年度に導入された車両はすべて東急車輌製

2003(H15)年3月19日、半蔵門線直通運転開始 6+4の10両で使用されているけど、基本的に同じ編成番号同士の連結となっている。

30000系は、2003(H15)年4月まで、15編成製造された。 最終増備車である31615F+31415Fは、当初から地下鉄乗り入れ用として使われている。

一昨年3月29、30日には、中央林間~東武日光、鬼怒川温泉間、今年4月29日から5月1日には、中央林間~太田間(フラワーエクスプレス)の臨時列車にも使用されていたこともあった。 10両運転区間は、押上、北千住~館林、南栗橋間に限られているため、6+4編成ならではの臨時列車となった。

30000系の帯の色は、10000系列と同様の栗色の帯である。 

しかし、中間に運転台があり、混雑が激しくなったということで、東武東上線で使われている50000系ベースの地下鉄乗り入れ仕様車(10両固定の50050系)に順次置き換えられることになり、30000系は再び地上線用車に戻されることになった。これにより捻出された8000系により、吊り掛け5050系および1800系通勤改造車が置き換えられることになる。

東急大井町線の8500系(8638、8649、8640、8641F)が田園都市線で5+5編成として使われていた頃でも同じような現象が生じていた。

東武東上線の50000系のほうは、今年3月16日に東上線でデビュー、現在は1編成のみだけど、10月にもう1本導入される予定である。
10両固定編成のため、池袋~小川町間で限定運用されている。こちらは、今年8月に森林公園ウォーターランド(プール)の広告電車として走っていた。

せんげん台から栃木まで、10030系の4+2の6両編成で行きました。

栗橋駅構内は、JRと繋ぐ工事が行われています。 現在はJR宇都宮線、東武日光線ともに快速列車が止まらない状態なので何とかしてほしいと思います。 土・休日に運転される臨時快速のフェアウェイ号は栗橋停車だけど。

栃木から東武宇都宮まで、吊り掛けモーター車の5050系に乗りました。 東武宇都宮線では、10000系列の運用もあります。

東武宇都宮駅は、池袋、船橋と同様に東武デパートのある駅で、JR宇都宮駅とは離れています。 筆者は東武宇都宮駅からJR宇都宮駅までバスを使わずに歩いたことがある。

東武宇都宮線は車両基地のある新栃木駅から分岐しているけど、ほとんどが、特急停車駅およびJR両毛線の乗り換え駅である栃木駅まで直通している。

東武日光線の栃木駅が高架化されてから今年で5年を迎えた。

栃木から鬼怒川公園まで、特急スペーシアきぬ117号(100系)で行きました。編成は107-1F 102Fだったら東武らしい番号だったけどね!

このスペーシア号は、1990(H2)年6月1日登場、今年で15年を迎えた。

1号車から5号車まで普通座席車、6号車は4人用個室(6室)、3号車にビュッフェやサービスカウンターがありました。

このことで、リニューアル化される前・ビュッフェが付いていた頃のJR九州の787系の先代つばめ号を思い出しました。
あとは小田急のVSEと肩を並べるほどのグレードでもあるし。

座席のほうは、JRのグリーン車並に豪華で、頭部までフィットしています。 この豪華なシートに身を委ねながらくつろいでいました。

以前はオーディオコントロール装置があって、座席にあるスピーカーから聞こえていたけど、現在は廃止されている。6年前に初めてスペーシアに乗った時はこれが付いていた。

バブル景気の最盛期に設計された車両なので、個室にある大理石で出来たテーブルも含め、豪華な内装の列車となっている。

この100系スペーシアは、1991(H3)年度のブルーリボン賞を受賞している。

6両のオールM編成で、VVVFサウンドも心地よいです。最高速度は120Km/h

あとは、東武初のアルミ合金製である。 通勤型としては50000系が最初だけど。

かつてスペーシアは、特急料金がJR並に高く、リッチな列車であったけど。 現在は、浅草・北千住~春日部間などの近距離区間で、平日・土休日共に500円(割引列車は300円)で乗れる時代となっている。
春日部駅停車は、1999(H11)年で、2001(H13)年から全列車停車するようになった。 2003(H15)年には、すべての特急が栃木、新鹿沼、新高徳にも停車 これまで一部の列車は新栃木にも停車していた。

トイレは、1、4、6号車にあり、1720系DRCの時と同様に、和式と洋式の各1ヶ所あり、外人観光客向けに、洋式トイレの表示および空き/使用中の表示も英語となっている。

こちらは、車椅子スペース無し、洋式トイレでもバリアフリー化されていないということでバリアフリー化を望んでいます。
日光線特急の洋式トイレは、やはり外人観光客対策として、1957(S32)年登場の1700系の2次車から採用されている。

来年春には、JR線経由で新宿まで乗り入れることになるので凄いことになりそうです。 このためATS-Pなどが取り付けられることになる。

同時期に登場したAE100型も、リニューアルとともに、バリアフリー化されているし。

この100系は、1991(H3)年までに9編成製造された。 DRC(1720系)は、1991(H3)年8月31日をもって引退。
現在は1960(S35)年製のトップナンバー車だった1721Fの先頭車が、東武博物館、さいたま市岩槻区(旧岩槻市)の岩槻公園に保存されている。 中間車の一部は、わたらせ渓谷鉄道の神戸駅構内のレストラン(清流)に使用されている。 1721Fは、日本車輌の東京支店で製造されていた。

下今市では、6050系の2両編成による、東武日光行きの接続列車も運転されていました。

スペーシアの特急料金 平日と土休日で異なり、土休日は割高となる。 浅草、北千住~東武日光、鬼怒川温泉間 平日 1300円、土休日 1400円 一部列車には、午後割、夜割も設定される。(伊勢崎線の特急りょうもう号も同様)
個室料金(1室) 平日 3000円 土休日 3600円

東武の有料特急は、1951(S26)年に登場した5700系が最初である。 5700系には、吊り掛けモーター車のほか、直角カルダン車もあったけど、のちに吊り掛けモーター車に統一された。 登場当時から現在の「けごん」、「きぬ」の愛称名が使われている。

この5700系は、1956(S31)年の1700系の登場の時まで有料特急に使われてきた。この後、急行用に格下げされ、1991(H3)年に全廃となるまでの間は、団体臨時列車として使用されてきた。 この5700系の前頭部は、アルナ工機(現アルナ車両)の本社で保存されていたけど、現在は東武博物館で保存されている。鉄道友の会のエバーグリーン賞も受賞している。

5700系や1700系は、1969(S44)年9月20日に1800系が登場するまで伊勢崎線の急行でも使用されていたこともあった。

1700系は、1971(S46)年から1972(S47)年にかけて、1720系と同一の車体に載せ替えられていた。

5700系と1720系が引退した時は、奇しくも同じ1991(H3)年のことだった。

筆者は諸事情により、1720系DRCに乗れずじまいとなってしまったけど、東武博物館に保存されているDRC(1721F)の座席に座って雰囲気を味わうことが出来てよかったです。

今回は行かなかったけど、東武日光駅は、日光への玄関口で、JR日光線の日光駅へも近い状態である。 現在は189系の彩野編成によって、新宿から宇都宮経由で日光まで直通する臨時列車(全席指定)が運転されているけど、来年春には、東武線経由の列車にシフトされることになる。
日光駅の駅舎は、JR、東武ともに関東の駅百選に認定されている。

日光と言えば、1968(S43)年2月まで、東武日光~馬返間で日光軌道線が走っていたけど、現在でも走っていれば、脱マイカー化による観光路線となっていたところだったのに残念です。 路面電車は、マイカーの普及による混雑により、廃止が相次いでいたけど、現在は、地球環境の問題により見直されている状態である。

この日光軌道線で走っていた列車のうち、203型連接車は、東武博物館に保存されている。
100型車両は、岡山電気軌道に譲渡されたけど、その一部が日光軌道線時代の塗装に再現されている。

189系の彩野編成、2003(H15)年にクハ189-511Fから改造されたイベント列車である。所属は小山車両センター 初期の頃は、新宿と日光を結ぶ直通臨時列車のほか、小金井と舞浜を結ぶ臨時列車にも使用されていた。内装も改良されており、トイレは和式のままリニューアルされている。

鬼怒川公園に到着した後、周辺の鬼怒川公園露天風呂に入りました。

鬼怒川温泉は、有名な温泉地で、岡部グループのホテルやあさやホテルなどの高級ホテルが建ち並んでいます。 
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by hy_sengen-sin | 2005-09-26 16:41 | 鉄道乗車記
桐生から水沼までは、わたらせ渓谷鉄道のわ89-311号車(たかつど号)で行きました。 こちらは1+1の2両編成で、前の1両のみ客扱いをしていた。 後ろの1両は途中大間々で切り離された。

わたらせ渓谷鉄道は、1989(H1)年3月29日、JR(旧国鉄)足尾線から引き継がれた路線である。

わたらせ渓谷鉄道の路線
桐生~下新田~相老~運動公園~大間々~上神梅~本宿~水沼~花輪~中野~小中~神戸(ごうど)~沢入~原向~通洞~足尾~間藤

車両は、開業当時から在籍する、わ89ー100、200番台(レールバスタイプ)と、翌年の1990(H2)年に登場したわ89-300、310番台に分かれている。

わ89-300番台のうちの301号車、311-315号車は、当初からトイレ付きとなっているけど、わー201、202号車は、後からトイレが取り付けられたタイプとなっている。 レールバスタイプの車両でトイレ付きは珍しい。

愛称は、わー101号車=こうしん 201号車=くろび、202号車=けさまる、230号車=あづま 301号車=あかがね、302号車=わたらせ、311=たかつど、312=あかがねⅡ、313=わたらせⅡ、314=あががねⅢ、315=わたらせⅢ

これらの列車は、すべて栗色となっている。車両は富士重工製 開業当時は赤色や青色もあったけど。

本社、車両基地は大間々にある。

その他、トロッコ列車のわ99型4両 5010+5020+5070+5080号車 お座席客車のサロン・ド・わたらせ号のわ01型3両 01-827、01-855、01-828号車もある。

トロッコ列車の両端の客車(5010、5080号車) 元JRの12系客車 5010号車のトイレ・洗面所は撤去され、5080号車のみトイレ・洗面所が使えるようになっている。
トロッコ列車のトロッコ客車(5020+5070号車) 元京王電鉄5000系から改造されている。 5020号車にはかわせみ、5070号車にはやませみの愛称名が付いている。

トロッコ列車の乗車には、トロッコ列車用の整理券が必要となる。

サロン・ド・わたらせ号は、元JR高崎エリアのお座席客車やすらぎ号で使われていた客車から改造された車両である。  

神戸(ごうど)駅構内には、元東武1720系(DRC)の中間車を利用した列車レストラン清流があるけど、現在は青い塗装に変更されている。
ここで弁当や特産の舞茸・山菜を使用したうどん・そば・定食などを食べることが出来る。 筆者はここで食べたことがありません。

このわたらせ渓谷鉄道は、その名の通り、渡良瀬川の渓谷沿いを走る観光路線となっています。 マイカーの普及により危ない状態なので、是非残してほしいと思います。 

桐生から大間々までは田園風景を走るけど、大間々を出ると、渡良瀬川沿いの渓谷路線へと変わることになる。

富士重工は、一昨年3月末、鉄道車両およびバス車体製造から撤退した後、スバルブランドの自動車部門が目立つようになった。

レガシィやインプレッサなどのスバルブランドの車は、群馬県の太田で製造されている。富士重工の本社は、新宿のスバルビルにある。富士重工は、かつて航空機メーカーであったということでも有名です。

水沼駅=駅構内に温泉センターがあるということで有名である。

水沼駅で、関東の駅百選のスタンプを押した後、駅構内の温泉センターに入りました。

こちらの温泉は、赤城山東麓を流れる猿川沿いから湧き出た「猿川温泉」から引っ張られた源泉を沸かしたものとなっています。

ここには、内風呂、露天風呂のほか、かっぱ風呂という別の露天風呂があります。 やはり温泉に入るということを楽しみにしていました。

あとは食堂もあるので腹ごしらえにももって来いです。

この駅は、3年前の百選ラリーの時にも行ったことがあります。 この時は、1日乗車券を使用して、間藤まで行ってました。

通洞駅=有名な足尾銅山の最寄り駅となっている。

水沼から相老まで、わ89-315号車で戻り、ここから再び東武に戻り5050系で太田まで行きました。 太田から10030系の急行で春日部まで行き、ここから東武野田線で大宮まで出ました。 この時にも8104Fに当たりました。

大宮から新宿まで、9月25日まで運転された、485系リニューアル車(クハ485-1017F)による特急あいづ号に乗りました。

この特急あいづ号は、あいづディスティネーションキャンペーン期間中の7月2日から9月25日まで一部を除いた土・休日に新宿から喜多方まで直通する列車でした。

車両は、2002(H14)年12月から昨年8月まで、特急あいづ号、翌年10月から快速あいづライナー号で使用されていた編成で、オリジナル車時代は半室グリーン車があった。

元をただせば、青森運転所(現青森車両センター)所属で東北線の特急はつかり号で使用されていた。

この新あいづ号は、座席もスライド式になっており、トイレも1両おき、和式から洋式に変更されている。 こちらは来年春登場予定の新宿と東武日光、鬼怒川を結ぶ特急にも使用されるので、外人観光客の多いこの列車にはちょうどよかったと思います。

車内トイレで洋式トイレが増えてきたのは、外人利用客のためだけではなく、高齢化などのバリアフリー問題だと思います。 揺れる車内に和式トイレは不向きなので

国鉄時代は和式トイレが主流だった。 JR651系スーパーひたち号のトイレは、当初から和式ではなく、すべて洋式トイレが採用されている。

この直通列車の対応編成は、いまのところ、この1本しか無い状態だけど、来年までにはもう1本改造されることが予想されます。

あいづ号の座席カバーには、会津デスティネーションキャンペーンのロゴが入っていたので撮影することが出来ました。

新宿に停車した後、山手線で目白まで戻りました。

このあいづ号は、大宮~喜多方間で乗れなかったのが心残りだけど、列車自体に乗れたからよかったです。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-26 16:13 | 鉄道乗車記
9月18、19日は東武お休みきっぷを使用して行きました。

18日のルート 目白~日暮里~北千住~春日部~流山おおたかの森~柏~新鎌ヶ谷~印西牧の原~新鎌ヶ谷~柏~運河~春日部~東武動物公園~太田~赤城~西桐生…桐生~水沼~相老~太田~春日部~大宮~新宿~目白

まずは、常磐線で北千住まで行き、ここから10000系の準急で春日部まで行きました。今回乗車した編成は、初期型10000系の11608Fの6両編成。

東武の10000系は、8000系の後継ぎ車として1983(S58)年に東上線に登場、翌1984(S59)年から本線系統にも進出、1988(S63)年に10030系としてマイナーモデルチェンジされた後、1996(H8)年まで製造されていた。車体は有楽町線乗り入れとして使われている9000系がベースで、界磁チョッパ制御となっている。

初期型10000系のバリエーション 本線系統 6両編成 9本 2両編成 4本
東上線系統 8両固定、10両固定 各2本

東武東上線の8両固定編成の10000系である11801、11802Fは、10000系の2両固定編成が東上線に無い(8000系との併結運転が出来ない)ため、8両編成の列車に限定運用されている。 当初は11003~11006Fも8両編成だったけど、1989(H1)年に10両化されている。(中間車は10000系と同一に)

10030系のバリエーション 本線系統 6両編成 18本 4両編成 11本(うち1本は10080系) 2両 編成 18本
東上線系統 6両編成 14本 4両編成 19本 10両編成 2本

10080系は、1988(S63)年に、東武鉄道初のVVVFインバーター試作車として、4両編成1本(11480F)のみ導入されている。やはりコストの関係で量産化されず、10000系列で唯一のVVVF車として異彩を放っている。
ちなみに東武初の量産VVVF車は、100系スペーシアで、通勤型としては、30000系(半蔵門線乗り入れ用)となっている。

10000系列のうち 2両編成は本線系統にはあって東上線系統には無い 8両と10両はその逆である。
8000系の8両固定編成も、東上線のみの在籍となっているけど、その一部がT車2両抜いた上で、3+3の800系に改造され、本線に移っている。

春日部からは東武野田線に乗りました。 昨年10月18日まで、吊り掛けモーター車の5070系も走っていたけど、現在は、8000系の6両編成(一部4+2編成)に統一されています。

かつては、1996(H8)年に全廃となった3000系列を含め、吊り掛けモーター車が当たり前とあっていたけど、現在はカルダン化されている。

3000系列、1996(H8)年4月29日、最後に運転された3152Fのよる小泉線運用で引退した。 筆者もあの時に最初で最後の乗車を行っている。 この車両は、2000系と同様に、3ドア18m車で冷房が付いていなかった。 こちらは戦前製の旧型電車の足回り品を再利用した車両だった。 1992(H4)年に野田線から撤退。

東武野田線初のカルダン車は、かつて日比谷線直通列車で走っていた2000系(東武で最後のクリーム色の電車)の中間車の一部から改造された2080系車両で、6連2本のみが在籍していた。同時に一部の車両が付随車化されていた。 正面スタイルは非貫通型で、塗装は現在の東武カラーとなっていた。

故障が頻発し、冷房化改造出来なかったという理由で、すぐに廃車となっている。

オリジナルの2000系のほうは、1993(H5)年8月に全廃された。こちらは、小田急の旧2400系や4000系みたく、他の地方私鉄への譲渡および保存されずに全車解体されている。

野田線の3000系や5000系列の置き換えは、本線系統や東上線から捻出された8000系によって行われるようになった。

東武東上線の10030系のうち、生え抜きの編成のほか、本線系統から転属してきた車両も含まれている。

東武野田線は、今年6月20日から、朝ラッシュ時に限り、柏寄りの1号車のみ方向とは関係無く女性専用車となっている。

東武野田線は、1911(M44)年5月9日、千葉県営鉄道によって、柏~野田町(現野田市)間が開業したのが始まりである。 1923(T8)年8月1日に旧・北総鉄道(現在の北総鉄道とは無関係)に譲渡され、同年12月27日に柏~船橋間が開業。1929(S4)年9月1日に野田町~清水公園間が開業。 同年11月17日に粕壁(現春日部~大宮間)開業 11月22日には総武鉄道に改称。 12月25日の清水公園~粕壁間、船橋~海神間の開業により全線開通した。

船橋~海神間は、1934(S9)年4月1日に廃止

1944(S19)年3月1日、陸上交通事業調整法により、東武鉄道に吸収合併、この時点で東武鉄道の路線となり、現在に至る。

東武野田線の列車は、ほとんどが大宮~柏間、柏~船橋間の運用で、柏で系統が分かれている。 大宮~船橋間の通しの運用を含め、船橋方面から柏より先の直通列車は非常に少ない状態である。

流山おおたかの森駅は、8月24日に、つくばエクスプレスと同時に開業した駅で、橋上駅舎がつくばエクスプレスの駅舎と自由通路で結ばれている状態である。

つくばエクスプレスは人気路線であるため、この駅も混雑していました。

ここから柏までは、8000系のトップナンバー車である、8101Fに乗りました。 こちらは1963(S38)年製で、42年間走り続けています。柏で船橋行きに乗り換えて、新鎌ヶ谷まで行きました。 東武野田線は、昨年10月19日に、東岩槻~春日部間、新鎌ヶ谷~鎌ヶ谷間が複線化されたけど、春日部~運河間、逆井~六実間のみ単線区間のままである。 

新鎌ヶ谷駅=1991(H3)年、北総開発鉄道(現北総鉄道)の高砂~新鎌ヶ谷~西白井間開業と同時に信号所から昇格。 翌年の1992(H4)年7月8日に新京成の駅が新設。 さらに、1999(H11)年11月25日には、東武野田線の新鎌ヶ谷駅も信号所からの格上げで開業し、現在に至る。 現在新京成の駅は、初富駅と同様に高架化される予定である。

北総線と新京成線への直通運転 1979(S54)年3月9日から1992(H4)年の7月8日の新京成の新鎌ヶ谷駅開業の時まで、北初富駅を介して行われていた。 当時の直通運転区間 松戸~小室(1984(S59)年3月19日から千葉ニュータウン中央)間 当時は、新京成の車両が千葉ニュータウン中央に、北総・公団線の車両が松戸に乗り入れていた。
北初富~新鎌ヶ谷間の連絡線路には、北総線で唯一踏切があった。

新京成線は、1947(S22)年12月27日の新津田沼~薬園台間の開業から始まり、今から50年前の1955(S30)年4月21日の鎌ヶ谷初富(現初富)~松戸間の開業により全通、今年で全線開通50周年を迎えた。

今年は新京成のくぬぎ山でのイベントは、改良工事のために行われないそうです。 昨年は良いときに行っておいて正解でした。

新鎌ヶ谷から印西牧の原まで1往復した列車は、都市基盤公団(旧住宅都市整備公団)から引き継がれた千葉ニュータウン鉄道保有のCフライヤーこと9100形(9111F)でした。

ここで関東の駅百選のスタンプを押しました。北総線が印西牧の原まで延長されてから今年で10年経ったけど、駅周辺に色々なショッピングセンターなどが建ち並ぶようになったことで驚きました。 こちらはコスモスが咲き誇る駅となっている。 10年前に訪れた時は何もありませんでした。 あとは、印旛日本医大まで延長されてから、今年7月22日に5周年を迎えたし。

印旛日本医大駅のほうは、昨年9月19日の関東の駅百選のスタンプラリーで行ったことがあります。

新鎌ヶ谷から東武線に戻り、柏乗り継ぎで運河まで行きました。 柏から運河まで乗った車両は、野田線の8000系で唯一のオリジナル前面車である8104Fに乗りました。 顔つきは5070系に準じていたけど、5070系が全廃となってからは、この8104Fが異彩を放つようになりました。

オリジナル前面の8000系=本線系統、東上線系統共に残っているけど、どちらも減っている状態である。 昨年10月30日から、今年6月27日まで運転された8108Fのリバイバルカラー車は、やはりオリジナルの前面だった。 オリジナルの前面のほうが8000系らしくていい感じです。

運河からは、春日部乗り継ぎで東武動物公園まで行き、ここから10030系の準急で太田まで行きました。

春日部から東武動物公園まで、東急の8500系の8617Fに乗った。 東急田園都市線の車両のうち、東武線に乗り入れ可能の編成は、5000系および、8500系のうちの8613~8637Fである。 その他の8500系(8642Fを含む)および2000系は東武線に乗り入れることの出来ない
マルKマークが付いている。来年春の半蔵門線から東武線への直通運転増発の時にどうなるのか気になります。

東武伊勢崎線の久喜駅 1面2線から2面4線への改良工事が行われているけど、その手始めとして、9月下旬に下りホームが新ホームに移転する予定である。

この改良工事により、久喜駅折り返しの列車も新設されることになる。

太田駅からは、吊り掛けモーター車の5050系で、赤城駅まで行きました。

赤城から西桐生まで、上毛電鉄の700系(元京王井の頭線の3000系)で行きました。
この時に乗った編成は、717Fで、3000系の集中型冷房車(中間車)から改造された編成でした。

1958(S28)年から1963(S38)年まで、浅草から新大間々(現赤城)駅を介して、浅草~中央前橋間の直通急行が運転されていたことがありました。 こちらは、現在の特急りょうもう号のルーツとなっている。

それ以前の1932(S7)年から1935(S10)年まで太田~中央前橋間の直通運転も行われていたこともあった。この直通列車のことは、7月9日に東武博物館で行われた同館館長の花上嘉成氏による講演会でも話題となった。

上毛電鉄では、東武から譲渡された3000系列(300、350系)も走っていたけど、今から5年前に700系に置き換えられて全廃となっている。

その他、旧型の101号車もあるけど、こちらはイベント用となっている。

上毛電鉄の車両基地=大胡にある。

上毛電鉄の路線 中央前橋~城東~三俣~片貝~上泉~赤坂~心臓血管センター~江木~大胡~樋越~北原~新屋~粕川~膳~新川~東新川~赤城~天王宿~富士山下~丸山下~西桐生

西桐生駅は関東の駅百選に選定されているけど、一昨年のラリーの時に行ったことがあります。 当時は、赤城~中央前橋間の乗りつぶしを行っていた。

西桐生から桐生の駅までは歩いて行かれます。 JR両毛線の桐生駅=20年前に高架化されている。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-26 14:10 | 鉄道乗車記

都営フェスタ三田線

巣鴨からは高島平まで、6300形の6306-1Fに乗りました。

都営三田線の路線 西高島平~新高島平~高島平~西台~蓮根~志村三丁目~志村坂上~本蓮沼~板橋本町~板橋区役所前~新板橋~西巣鴨~巣鴨~千石~白山~春日~水道橋~神保町~大手町~日比谷~内幸町~御成門~芝公園~三田~白金高輪~白金台~目黒→(東急目黒線、武蔵小杉まで直通運転)

営団(現東京メトロ)南北線の溜池山王~目黒間および都営三田線の三田~白金高輪(目黒)間の開業および、東急目黒線との直通運転が開始されてから、9月26日で5周年を迎えることになる。 営団南北線の四ッ谷~目黒間は、1995(H7)年度中に開業予定だったけど、営業延期を繰り返し、5年前にようやく全線開業していました。

都営三田線は、1968(S43)年12月27日、志村(現高島平)~巣鴨間の開業から始まる。 当時は都営6号線という名称で、赤帯の6000形による4両編成だった。志村駅は、翌年の1969(S44)年に高島平駅となった。

1972(S47)年6月30日 巣鴨~日比谷間開業 6両運転の開始 板橋エリアから始まった
都営6号線(現三田線)も、ビジネス街へと進出した。

1973(S48)年11月27日、日比谷~三田間開業 三田で、都営1号線(現浅草線)に接続するようになった。

1976(S51)年5月6日 高島平~西高島平間開業 西高島平~三田間の運用の時代が、24年間続けられていた。

1978(S53)年7月1日 都営6号線から都営三田線に変更。

1993(H5)年6月23日 6300形の登場 6000形は順次廃車となる。当時は6301~6305Fの5編成が導入された。

1994(H6)年 6313Fまで導入されたことにより、第一次置き換え計画が完了する。非冷房の6000形は予備車を除き全車廃車に

のちに、IGBTに変更された6314F以降の編成により、第二次置き換え計画が始まる。この編成から車端部のクロスシートが廃止されている。  この3次車は、6000形の置き換え用のほか、目黒延長開業用の増備車も含まれている。

1999(H11)年11月28日、三田線に最後まで残ったいた6000形がこの日をもって引退。当日はさよならイベントが行われていた。 同年12月3日には、ATSからATCに変更、ホームドアも順次設置される。

2000(H12)年9月26日 都営三田線の24年ぶりの延長区間である、三田~白金高輪間が、営団(現東京メトロ)南北線の溜池山王~目黒間と同時に開業。 東急目黒線への直通運転も開始された。

地上にある駅 西高島平、新高島平、高島平、西台、蓮根、志村三丁目駅

乗換駅 西巣鴨 都電荒川線(新庚申塚電停) 巣鴨 JR山手線 春日 都営大江戸線、東京メトロ(丸ノ内線・南北線(後楽園駅)) 水道橋 JR中央・総武緩行線 神保町 都営新宿線、東京メトロ半蔵門線 大手町 東京メトロ(丸ノ内線、東西線、千代田線、半蔵門線) 日比谷 東京メトロ(日比谷線、千代田線、有楽町線(有楽町駅)) 三田 都営浅草線 白金高輪 東京メトロ南北線⇔白金高輪発着の列車 目黒 JR山手線

6000形(1968-1999) 初期に廃車となったグループは、廃車解体されていたけど、後期に廃車となったグループでは、熊本電鉄、秩父鉄道のほか、インドネシアにも譲渡されている。

熊本電鉄に譲渡された車両は、2両編成5本10両在籍している。 藤崎宮前~御代志間の本線で、200形(元南海22001形)とともに活躍している。 藤崎宮前駅付近では併用区間を通るため、三田線時代にはありえなかった風景となった。 三田線時代は高島平団地をかすめ、大都市の地下を高速で走っていた電車が、路面区間をゆっくりとしたスピードで走っている風景は想像出来ない光景となっている。
上熊本~北熊本間の支線では、両運転台車の5100形(元東急旧5000系青カエル)の2両が使われている。 こちらは元東急の青カエルの最後の砦となっており、2両ともに東急時代の塗装が再現されている。

秩父鉄道に譲渡された車両は、5000系の3両編成(4本12両在籍)で、元JR101系から改造された1000系とは異なり、3両フル冷房車となっている 都心に一番近い場所で元都営6000形に出会える場所となっている。 こちらも、のどかな風景を走るところやSLと交換するシーンを見ることが出来る。
ちなみに、1000系(元JR101系)は、先頭車のみ冷房改造されていて、中間車は非冷房のままとなっている。そのため中間車の屋根上は、種車の面影が残っている状態である。
1000系と5000系は共通運用である。
この5000系の導入により、元東急7000系から改造された2000系(4両編成の非冷房車)が廃車となっている。

インドネシアに譲渡された編成は、元JR103系や元東急8000系への置き換えにより、残念ながら廃車が進められている。 やはり故障が多いということが問題となっていた。現地では、急行料金の必要な急行に使用されたり、8両編成で運転されていることなど、日本ではありえない状態となっている。

都営三田線は、西高島平から東武東上線方面に延長され、東武東上線と直通運転される予定だったけど、幻に終わっている。 あとは、桐ヶ谷から東急池上線と結ばれる予定でもあったし。

東武東上線と地下鉄への直通運転は、東京メトロ有楽町線にシフトされている。

都営三田線は、当初から1067ミリ、1500Vと乗り入れ仕様で作られていたけど、5年前にようやく本領を発揮していたのである。

白金高輪~目黒間は、東京メトロ南北線と線路が共通となっており、日中は交互に運転されている。 都営の乗務員は白金高輪で交代せず、目黒までそのまま乗務することになっている。 白金高輪と白金台駅は東京メトロ、目黒駅は東急の管理となっている。

このイベント(都営フェスタ、三田線)では、都営6300形と東急5080系の撮影会、物販の販売、都営バス車両の展示が行われていました。 

都営バスの車両は、今年度導入された巣鴨営業所所属の日野車 P-N327、練馬200 か13-70号車が展示されていました。

この車両は、昨年度から導入された、ジェイバス&いすゞ製の車両(日野ブルーリボンⅡで、日野自動車にOEM供給された車両となっています。 後部のHINOのロゴが、日野車である証である。逆に、日野製のバスがいすゞに供給されたエルガJもある、こちらは小田急バスの子会社である立川バスなどに導入されている

この日野ブルーリボンⅡは、日野車なのにエンジンもいすゞ製となっており、新型いすゞガーラ(観光・高速バスタイプ)の逆である。

これと同型の車両は、今年4月23日に廃止された目黒車庫でのイベントで展示されていました。 こちらは品川営業所所属の車両となっていた。

都営バスでは、昨年度および今年度はいすゞ車も導入されています。こちらは大塚営業所の都02系統(大塚駅~錦糸町駅間)などに大量導入されている。

巣鴨営業所の車両は、巣鴨地区のほか、池袋地区にも盛んに乗り入れています。

撮影会に使用されていた編成は、6300形の6308-1F、6327-1F、東急5080系の5181Fでした。 並びは6327F、5181F、6308Fとなっていた。

6308Fには、鉄道フェスティバル号のHMが、6327F、5181Fには、3線直通運転5周年のHMが取り付けられていた。 

鉄道フェスティバル号は、昨年10月9日に運転される予定だったけど、台風の影響により運休となった。 最近は台風の日本上陸が急増しているのでもううんざりである。

3線直通運転5周年記念HM付き車両は、10月16日まで運転される予定である。

さらに、6327Fには、みなとみらい号のHMも取り付けられていました。 このみなとみらい号は、都営6300形(高島平~元町・中華街間)、埼玉高速2000系(浦和美園~元町・中華街間)、東急1000系(日比谷線北千住~元町・中華街間)により運転される直通臨時列車で、行楽シーズンに運転されている。

都営三田線からの列車は、9月24日、10月1日、9日に運転される予定である。

埼玉線、南北線からの列車は、9月23日、10月2日、10日 日比谷線からの列車は、9月25日、10月8日運転予定。

東急の乗り入れ車両

3000系 1999(H11)年4月16日に8両編成1本がデビュー 翌年の1月まで、東横線で暫定的に使用されていた。 こちらは、3101Fのうちの5両と3102Fの中間車の一部となっていた。 もちろん昨年1月30日をもって廃止された横浜~桜木町間にも入線している。
車体は、都営の6300形に似ている。

2000(H12)年に8両編成から6両編成に組み替え。 同年8月6日、目黒~武蔵小杉間で2度目の先行デビュー この時までに、3101Fの中間車1両、の3102Fの一部、3103~3112Fの12編成72両が導入された。
9月26日に本格的にデビュー 乗り入れ範囲が西高島平、赤羽岩淵へ その直前から、東急3000系の入線が始まっており(溜池山王、三田~目黒間は回送扱い)、東急3000系による溜池山王、三田行きの表示も見られるようになった。

現在は溜池山王始発武蔵小杉行きの列車(東京メトロ9000系)が早朝に1本設定されているけど、溜池山王行きの列車は設定されていない。 三田行きの列車も見ることが出来ない。

東急の車両は、南北線・埼玉線直通または三田線直通両方に使える列車となっている 南北線直通、三田線直通にまたがる運用は無い。
そのため、目黒まで、地下鉄直通列車には、南北線・埼玉線または三田線の表示がされている。

翌年の2001(H13)年3月の埼玉高速鉄道の直通運転開始の時の増発用として、3113Fが増備された。

5080系 2003(H15)年3月19日の目黒線直通列車の増発による増備車として、1編成デビュー 営業運転開始は3月13日。東急の新造車が3000系から5000系列に移行していたために、田園都市線の5000系ベースの5080系として導入されていた。

翌年の2004(H16)年には、もう1本導入されて2本体制となる。

この5080系、6300系ともに行き先表示を変えてくれたことも大サービスでした。

5080系は、大岡山行きや東川口行き、渋谷行きなどと言ったあり得ない表示を出してくれました。 最後には桜木町行きの表示を出してくれたということも聞いたし。

新宿線の大島、大江戸線の木場と光が丘では全地下式なので今後の都営フェスタの実施は困難である。 

このイベントの裏の撮影エリアでは、奥野さんや三橋さんたちと出会いました。

このイベントが終わった後、三橋さんたちとともに東急3000系の3104Fで、巣鴨まで行きました。

巣鴨では、駅南口にある、ルノアールという喫茶店(巣鴨駅前店)に入りました。 ここでは、緑茶のサービスがあるので良い感じです。 ここの店員も感じが良かったし。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-21 16:47 | 鉄道イベント

箱根登山電車

9月の三連休の前半である9月17日は、箱根登山線の乗車、高島平での都営三田線のイベントに行ってきました。

ルートは 目白~新宿~箱根湯本~強羅~箱根湯本~相模大野~新宿~巣鴨~高島平~巣鴨~新宿~目白

まずは、新宿から箱根湯本まで、3000形+1000形の急行で行ったけど、途中駅混雑のため遅れていました。 3000形は3267F、1000形は1053Fでした。 後ろの4両は、新松田から各駅停車小田原行きとなっていました。

箱根登山鉄道の小田原~箱根湯本間 レール幅の広い箱根登山電車(1435ミリ)と、レール幅の狭い小田急の電車(1067ミリ)が走るため、3本レールの元祖となっている。

小田急の電車の箱根湯本への乗り入れは、1950(S25)年8月1日のことである。

箱根登山鉄道の路線 小田原~箱根板橋~風祭~入生田~箱根湯本~塔ノ沢~(出山スイッチバック)~大平台~(上大平台スイッチバック)~(仙人台信号所)~宮ノ下~小涌谷~彫刻の森~強羅

風祭駅は、ホームが短いため、小田急からの直通列車の場合、箱根湯本寄りの1号車しかドアが開かない状態である。 そのため、駅員がドアコックを使用してドアを開けている状態である。 今年5月9日からスタートした小田急の朝ラッシュ時の女性専用車では、箱根湯本始発の急行(小田原から1号車のみ女性専用車となる)も含まれているため、風祭駅から乗車しても、小田原で男性客が強制的に隣の車両に移動させられることになる。 そのため、箱根登山線内は、女性専用車の対象とならないのである。

箱根湯本に到着した後、VSE50000形を見ることが出来ました。 VSEを箱根湯本で見たのは今回が初めてでした。

あとは、旧型の108+110号車によるイベント列車も見ることが出来ました。108号車は、旧塗装が再現されている。

箱根湯本から強羅までは、ベルニナ号の1000形(1003+2002+1004)号車で行きました。

箱根湯本駅を出た後、いきなり1000分の80の急勾配区間が始まりました。 こちらは、粘着式の鉄道で日本一の急勾配となっています。 

塔ノ沢駅=トンネルとトンネルに挟まれた駅で、駅構内に銭洗弁天、火伏観音があるのが特徴である。

塔ノ沢と出山スイッチバックの間を通る、出山の鉄橋は有名で、出山スイッチバックからそれを眺めることが出来る。

箱根登山電車のスイッチバックは、3ヶ所あり、ここで列車の進行方向が変わり、運転士と車掌が入れ替わることになる。 うち大平台駅は、箱根登山電車で唯一のスイッチバック駅となっている。

箱根湯本を発車した時に前の車両に乗ると、強羅に到着した時に後ろになっているのはそのためである。

6月中旬から7月中旬には、沿線にあじさいが咲き誇り、夜のライトアップも行われる。 この時には特別列車であるあじさい号も運転される

仙人台信号所~宮ノ下間、小涌谷~彫刻の森間には、半径30メートルの急カーブがある。 レールの摩耗を防ぐために、レールに油を塗る代わりに、水をまくことになっている。

この給水作業は、箱根湯本、強羅で行われている。 強羅駅では、山のわき水が使用されている。

登山電車の電圧 小田原~箱根湯本間 1500V 箱根湯本~強羅間(登山区間) 750V(1993(H5)年7月14日、600Vから750Vに昇圧化)

登山電車の編成 2両編成または3両編成 隣の車両への通り抜けが出来ない。

1993(H5)年7月14日の750Vへの昇圧とともに3両運転が開始された。

登山電車の車両 モハ1形 103+107、104+106号車 1919(T8)年の開業当時に登場した初期型車両の足回り品流用の上で1950(S25)年に車体が載せ替えられた車両

これまで101、102号車に廃車が出ている。 こちらは、昔ながらの吊り掛けモーター車となっている。 座席はロングシート車で現在は2両固定編成となっている。

モハ2形 108、109、110号車 1927(S2)年登場、昭和30年代にモハ1形と同様に車体が載せ替えられたけど、現在は1000型と同じカルダン方式に交換されている。座席はセミクロスシート こちらは1両編成となっており 1+1の2両編成としても使用される場合がある。

やはりカルダン方式よりも吊り掛け方式のほうが、旧型車らしくていい感じである。

3両運転の場合 2両編成のモハ1形に1両編成のモハ2形が連結される。

1000形(クモハ1000型、ベルニナ号) 1981(S56)年3月17日 箱根登山電車の45年ぶりの新形式として、2両1編成がデビュー 斬新なデザインなどが評価され、翌年の1982(S57)年には鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞。 同世代の(同じ小田急グループの)江ノ電の1000形と同様に話題となった。 
1984(S59)年にも1編成導入 当初は旧型の100形に準じた塗装だったけど、のちに、小田急のHiSE車に準じた塗装となった。

2003(H15)年になってからは、冷房化、車体更新が行われ、2000形と同様の内装となった。 転換クロスシートから固定式クロスシートへ交換。 同時に2000形の中間車を入れた3両編成での運転が可能となった。

2000形 1989(H1)年3月17日 サンモリッツ号の愛称で登場 基本性能は1000形に準じているけど、内装が変わっている。
1991(H3)年に2両1編成導入 1993(H5)年の3両編成の登場により、中間車2両追加導入。

1997(H9)年には、3両フル編成である2005Fが導入され現在に至る。

ベルニナ号の愛称は、スイス・ベルニナアルプス、サンモリッツ号の愛称は、スイスのサンモリッツ地方に由来している。

1979(S54)年6月からスイスのレーティシェ鉄道と姉妹鉄道提携が行われている。

箱根登山電車 1888(M21)年に設立、同年10月1日に国府津~小田原~湯本間を結ぶ馬車鉄道として開通、1900(M33)年には、馬車鉄道から電気鉄道へ 

1919(T8)年6月1日 箱根湯本~強羅間の登山区間が開通(当時は小田原電気鉄道の時代で)、1928(S3)年8月13日に現在の箱根登山鉄道となる。

1935(S10)年10月1日 箱根登山鉄道の小田原~箱根湯本間開通 これにより、路面電車が小田原~箱根板橋間のみ残る この路面電車は、1956(S31)年5月31日をもって廃止。

1950(S25)年8月1日 小田原~箱根湯本間、小田急の電車も乗り入れるようになったことにより、3本レールとなる。 同時に1500Vに昇圧

箱根登山線の車両基地 入生田駅構内にある 

箱根登山の電車は、750Vと1500V両方の区間を走れるようになっている。 箱根湯本駅構内の無電圧区間を通過する時に、車両の蛍光灯が一瞬切れることになる。

登山電車には、電気ブレーキ・空気ブレーキ・手動ブレーキ、レール圧着ブレーキと言った4つのブレーキがある。

現在は、小田急から箱根登山線への乗り入れ列車の増発により、小田原~強羅間の通しの列車は日中には運転されなくなった。

小田急の車両のうち箱根登山線乗り入れ対応の編成(当時) 5200形、8000形、9000形、1000形、3000形の6両編成(一部例外あり) ロマンスカー7000形、10000形、20000形、30000形のうちの6両、50000形

パスネットが使える区間 小田原~箱根湯本間 途中の駅は係員による対応となる。

これまで、小田原~箱根湯本間のみの特急利用が出来なかったけど、今年10月1日から、小田原~箱根湯本間で空席がある場合に限り、座席無指定の座席券を買えば、特急に乗れるようになります。 その座席券は、小田原~箱根湯本間のみ有効で、小田原または箱根湯本駅ホームのみでの発売となる。

彫刻の森駅=周辺に、フジサンケイグループ(フジテレビやニッポン放送の系列)の美術館である、箱根・彫刻の森美術館がある。 ここには温泉地らしく、足湯があるのが特徴。
フジサンケイグループの美術館といえば、長野県(信州)の美ヶ原高原美術館、上野の森美術館も有名である。

強羅から、箱根登山ケーブルカー(強羅~早雲山間)、早雲山から箱根ロープウェイ(早雲山~大涌谷~桃源台間)を乗り継いで行くことも可能である。

小田急から箱根に行く場合は、箱根登山電車、ケーブルカー、箱根ロープウェイ、箱根登山バス、箱根観光船、箱根高速バス(御殿場駅~桃源台~山のホテル間)、沼津登山東海バス(、沼津~元箱根間)も乗り放題の箱根フリーパスがお得である。 新宿から5500円、町田から5110円 3日間有効 西武、相鉄からの設定もある。

シーズンを除いた月曜から木曜までの平日なら、箱根ウィークデーパスがお得である こちらは2日間有効で 新宿から4700円

箱根湯本から相模大野まで乗った急行は、5200形(5265F)、新松田から8000形(8065F)を増結でした。

相模大野から新宿まで、30000形EXEによる、えのしま28号で移動しました。 この時の編成は、30553Fで2号車に当たっていました。 30000形EXEの10両フル編成は、新宿~小田原間のほか、江ノ島線でも見られるようになった。

新宿から巣鴨まで山手線で行き、ここで早川さんと出会いました。

この都営のイベントでは、24日から東急から発売されるモーニング娘。のパスネットカードが先行発売されていました。 このパスネットをフラゲしてくれたからよかったです。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-21 16:20 | 鉄道乗車記

愛・地球博3

万博会場での見物を終えた後、西ゲートより退出し、万博会場駅からリニモ(愛知高速鉄道、東部丘陵線)で万博八草まで行きました。

リニモは、藤が丘と万博八草結ぶ、リニアモーターカー方式の3両編成の電車である。

藤が丘~はなみずき通~入ヶ池公園~長久手古戦場~芸大通り~公園西~万博会場~陶磁資料館南~万博八草

藤が丘駅は、地下駅となっており、万博期間中は混雑が激しい状態となっている。

リニモが混雑していた時は、万博八草駅までシャトルバスも出ていました。

今回は、藤が丘乗り換えを避けて、万博八草・高蔵寺経由で名古屋に出ました。帰りのシャトルバスは、渋滞が懸念されるためにパス
今回は、リニモに乗れるまで約30分待ちました。

リニモは、3月6日に開通 万博開幕の時まで快適な状態だと言われていました。 こちらは、万博閉幕後も運転されるので、この次に愛知県に行くときには、未乗区間の藤が丘~万博会場間も乗ってみたいと思います。

約3分で、万博八草駅に到着、ここから愛知環状鉄道で高蔵寺まで行きました。

この時に、2000系への置き換えで廃車が進められている100系列に乗ることが出来てよかったです。(最初で最後の乗車)

愛知環状鉄道の路線 岡崎~六名~中岡崎~北岡崎~大門~北野桝塚~三河上郷~永覚~末野原~三河豊田~新上挙母~新豊田~愛環梅坪~四郷~貝津~保見~篠原(ささはら)~万博八草~山口~瀬戸口~瀬戸市~中水野~高蔵寺

100系列の車両 1988(S63)年1月31日、JR岡多線から愛知環状鉄道への移管ならびに新豊田~高蔵寺間の開業と同時にデビュー。 当初は100系(2両編成) 9編成 300系(1両編成) 2編成在籍していたけど 1992(H4)年に300系が3両増備され 300系は5編成に。

この車両は、セミクロスシートのトイレ無し車両で、JRの101系の足回り品が再利用されていました。 

2002(H14)年から、2000系への置き換えが開始され、100・200系のうち5編成(101~104、108F)、300系のうちの1編成(302号車)が廃車となり、その一部がえちぜん鉄道に譲渡されている。

現在は、105F、106F、107F、108Fの2両4編成、301・303・304・305号車の1両4編成、12両が活躍しているけど、万博終了後に定期運用が終了し、2000系に統一される予定となっている。万博輸送は4両編成(2+2または2+1+1)で行われている。 

2000系は、JR東海の313系がベースで、Tc車にはトイレが付いている。現在15編成在籍

車両基地は、北野桝塚にある。

愛知環状鉄道の前身である、国鉄(JR)岡多線は、1970(S45)年、10月1日、岡崎~北野桝塚間の貨物線として開業。現在は貨物営業は行われていない。
1976(S51)年、4月26日新豊田まで開通し、岡崎~新豊田間で旅客営業も行われるようになる。
国鉄(JR)時代の末期は、165系が使われていた。

現在愛知環状鉄道とJR線への直通運転は、211系5000番台による名古屋と万博八草を結ぶエキスポシャトルのみとなっている。 このエキスポシャトルは、3月1日に先行運転開始。 211系の10両編成 3+4+3が使用されている。高蔵寺~万博八草間ノンストップ。
JR線内各駅停車と快速の2種類がある。快速エキスポシャトルは、大曽根~高蔵寺間もノンストップである。
GWや夏休みの最繁忙期には113系の10両編成も使われたこともあった。

この直通運転は、10月1日のダイヤ改正で、名古屋から高蔵寺経由で岡崎まで行われることになっている。

中央西線では、211系と313系の併結運転列車もあります。

高蔵寺に到着した後、211系のエキスポシャトルで名古屋まで行きました。 

名古屋では、名物のきしめんを食べました。

この後、名鉄バスセンターに行き、ここから京王バスの夜行高速バスで、新宿に帰りました。

名鉄バスセンターでは、所沢経由の大宮行き、西武バスを見ることが出来ました。 こちらも、乗車候補だった。 車両は、大宮営業所所属の夜行使用車両で、西日本車体のUD車でした。 番号は、SEIBU-1420、大宮200か10-51 こちらは名古屋観光日急との共同運行で、途中、所沢駅東口、JR武蔵野線の東所沢駅、大宮駅西口に停車する

西武の高速バスは、池袋発着がメインとなっているけど、大宮発着も設定されている。

大宮発着の西武の高速バスは、名古屋線のほか、浜大津線(池袋経由)、伊勢・鳥羽線(池袋経由)、南紀勝浦線(池袋経由)、京都・大阪・神戸線(所沢経由)もある。

このことで、中日ドラゴンズと西武ライオンズとのセパ交流戦を思い出しました。

名鉄バスセンター23時発の京王バスは、昼行の中央高速バスと共通運用の2+2の4列座席(後方トイレ付き)でした。

今回は、3台体制での運行で、2号車が女性専用車となっていた。

1号車と3号車は日野セレガRで、2号車は三菱のエアロクイーン。

1号車は、K60507(品川200か13-20)、2号車は、K59365(品川200か・926)、3号車は、K60413(品川200か11-71)

1号車のK60507の下3桁の507の数字で、モーニング娘。の1推しメンバー(当時)の紺野あさ美女史の誕生日(5月7日)を思い出しました。

この名古屋線は、名鉄バスとの共通運用。 運行便が京王と名鉄で分かれている。 名鉄BC23時発新宿行きの夜行便は、名鉄バスによる運用だったけど、3往復に増便されてから、京王バスに移管された。

かつて京王の高速バスの車庫は、初台にあったけど、のちに永福町に移転されている。
一部が京王バスに移管されると同時に、世田谷営業所(世田谷区上北沢)に移転し、練馬ナンバーから品川ナンバーに変わっている。 
初台営業所の跡地は、東京オペラシティの一部となっている。
京王高速バスの、京王電鉄(現京王電鉄バス)から京王バス㈱への移管は、1999(H11)年10月1日に、諏訪・岡谷線が移管されたのが最初だった。 翌年の2000(H12)年10月1日には甲府線も移管。 2002(H14)年4月27日に富士山五合目線が、2003(H15)年7月1日には富士五湖線がそれぞれ移管されている。

京王の高速バスのうち、松本線、伊那・飯田線、飛騨高山線、長野線、高遠線は、現在でも京王電鉄バスの永福町営業所で運用されている。

京王バス東の世田谷営業所の所属路線は、名古屋線のほか、富士五湖線、富士山五合目線、甲府線、諏訪・岡谷線、身延線、白馬線、木曽福島線、下呂温泉線、大阪線、神戸・姫路線もある。 その他新宿から府中・国立・京王八王子、渋谷から吉祥寺への深夜急行バスもあり。

うち大阪線、神戸・姫路線は、夜行仕様の3列シートの三菱車が使われている。

京王バスの高速バス用の車両は電鉄バス、京王バス共に、2003年度が三菱、2004・2005年度は日野車が導入された。 京王の路線バスは、日産ディーゼル(UD)車中心で、小金井市のCoCoバス、日野市内連絡バスには、日野車が導入された。

今年度に導入された、高速バス用の日野セレガRは、モデルチェンジされる前の末期モデルとなっている。これにより、かつて福岡線(はかた号)に使用されていた三菱のスーパーハイデッカー車が廃車となっている。 中央高速バスに転用されたと同時に2+2の4列シート化、3台のうち2台は、昨年度から廃車となるまで、京王バス東世田谷営業所に配置されていた。9年前に乗ったK59501号車も京王バス東所属でラストとなった。
93年式の三菱車も、廃車が出ることが予想される。 92年式の三菱の旧エアロバスのほうは、昨年度をもって全廃となった。

京王高速の日野車は、以前ブルーリボンもあった。 京王高速バスに日野セレガが導入されたのは、1996(H8)年のことである。96年式は、京王電鉄バスに継承されている。

筆者が乗車したバスは、3号車で、空席がありました。 2号車に女性専用車がある関係および空席があったので、3号車の乗客は男性客ばかりの状態でした。このことで、ハロー!プロジェクトのコンサートの客層を思い出しました。

23時に名鉄バスセンターを出た後、栄のバスターミナル、勝川駅前、中央道桃花台に止まり、新宿駅西口バスターミナルへと向かいました。

栄のバスターミナルから勝川駅前までは、名古屋の都市高速を通りました。 京王バスでも、料金所をノンストップで通過出来るETC装置も搭載されていました。

高速へは、春日井ICから入りました。 桃花台を出た後、消灯となっていたけど、空席があったので座席の移動は自由でした。 筆者の隣に居た人も移動していたけど、筆者はこのままの位置にいました。 満席だったら他の乗客との相席となっていたところだった。 このバスは、行きのバスにあったようなスリッパのサービスは無かったけど、毛布の貸し出しサービスもありました。 ちゃんとKEIOのロゴが入っていた。 京王電鉄の南大沢~橋本間の開業と共に登場したKEIOのロゴは、今年で15年を迎えた。京王高速バスの現行塗装も15年を迎えている。西東京バスや多摩バスと言った系列会社もこの塗装だし。

座席は、最前列の1Dの座席だったけど、遮光カーテンにより、前方の景色を見ることが出来ませんでした。 昼行便だったら、前方の景色を楽しむことが出来ていたところでした。

多摩バスの新宿~高松、松山、大阪(阿倍野、天王寺)線は、今は無き新宿~福岡線の京王便とともに、京王電鉄によって開拓された路線となったいたけど、のちに、西東京バスに移管され、京王電鉄は一時的に夜行高速バス部門から撤退。 西東京バスの夜行路線も、2003(H15)年に多摩バスに移管されている。 2002(H14)年12月18日、名古屋線の夜行便の新設と同時に、京王バスの夜行高速バス部門が復活。翌年の2003(H15)年には、大阪線、神戸・姫路線の登場により、夜行高速バスらしい路線が復活した。

このバスは、途中恵那峡SA、諏訪湖SA、談合坂SAで休憩がありました。 恵那峡SAに到着した後、ほとんどの乗客が降りたって休憩していました。 やはりバス車内のトイレは狭く、敬遠されているので、SAのトイレに行く人が多かったです。 SAでの休憩は、飲み物などの買い出し、喫煙所での喫煙が可能だし。

翌朝6時、新宿駅西口高速バスターミナルに到着 3、1、2号車の順で到着していました。 一般の1、3号車は、26番乗り場に到着していたけど、2号車の女性専用車は、50番乗り場に到着していました。 50番乗り場には、奈良方面から来たケイビーバス(関東バスの子会社)なども到着していました。

京王の長距離バスは、1958(S31)年10月6日、富士山麓電気鉄道(現富士急行)と共同で、新宿と山中湖、河口湖を一般道経由で結ぶ路線からスタートした。 当初は行楽シーズンのみの運転で、1965(S40)年7月から毎日運転となった。

1959(S34)年7月5日には、富士山麓鉄道、山梨交通の3社共同運行による新宿~昇仙峡線も登場 現在は甲府までで昇仙峡には乗り入れていない。

1969(S44)年3月18日には、長距離路線バスが中央道経由に載せ替えられ、現在の中央高速バスとなる。

昨年10月6日に名古屋臨海高速鉄道あおなみ線が開通したけど、今年3月21日に乗っています。 名古屋の次のささしまライブ駅は、ささしまサテライト会場(デ・ラ・ファンタジア)の最寄り駅となっている。

路線は、野跡まで西臨港線を通るけど、これより先は、新設区間となる。このため、あおなみ線の電車のほか、名古屋~荒子間には貨物列車も走っています。 

名古屋~ささしまライブ~小本~荒子~南荒子~中島~名古屋競馬場前~荒子川公園~稲永~野跡~金城ふ頭

南荒子・中島駅付近には、名古屋貨物ターミナルがある。小本駅付近には、JR東海バスの本社および名古屋支店(JR東海バスのメインの営業所)もあるし。

車両は1000形で、雰囲気が小田急3000形に似ている。やはり日本車輌製となっているし。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-20 12:32 | バス乗車記

愛・地球博2

あの後は、名古屋駅で朝食を取り、名鉄バスセンターからシャトルバス(EXPOライナー)で愛・地球博の会場に行きました。 シャトルバスでは、乗る人の行列が出来ていました。

名鉄バスセンターは、名鉄メルサの3、4階にあるバスターミナルである。 

このシャトルバスは、名鉄バスセンターと長久手会場の東ターミナルを高速道経由・35分で結ぶバスとなっており、名鉄バス(昨年10月に名古屋鉄道(名鉄)のバス事業から分社化)とその系列である名古屋観光日急の2社による運行となっていました。

車両のほうは、ほとんどが三菱の現行型エアロクイーンで、中には旧型のエアロクイーンもありました。

やはり、名古屋辺りのバスは、三菱ふそうのバス車体の工場が名古屋にある関係で、三菱ふそう車が主流となっています。 昨年リコール隠しの問題により、三菱車の導入を見合わせる会社が増えている状態である。 名鉄バスでも、日野車が導入されていた。名鉄とトヨタは仲が良いと言われているので。

愛知県では日野車が2番目に多いです。 やはり日野自動車はトヨタの子会社であるため。 

同様に、名古屋(愛知県)を走る鉄道車両は、日本車輌製が主流となっている。 あおなみ線の車両やリニモも日本車輌製

愛知県のタクシーや自動車教習所の車、公用車も当然トヨタが主流だし。 広島に行けば、マツダ車が主流ということになります。

トヨタ自動車の総本山である豊田市は、以前挙母という街だったけど、トヨタ自動車にちなんで豊田市となった。ちなみにトヨタグループの発祥の地は、名古屋市西区の某所となっている。

日野自動車のほか、軽自動車等を扱うダイハツ工業(本社は大阪府池田市)も、トヨタグループとなっています。

トヨタ車は、故障が少なく、ラインナップが豊富なので、人気のある自動車メーカーとなっています。特に、ヴィッツやカローラといった小型車が売れています。 あとは、ホンダも人気メーカーとなっているし

トヨタはプリウスを皮切りに、ハイブリッドカーの生産にも積極的で、ハイブリッドカーの生産日本一となっている。 最近になってからは、ハリアー・クルーガーのハイブリッドバージョンも出ている。 
軽商用車初のダイハツ・ハイゼットハイブリッドは、トヨタグループのノウハウが生かされていると思います。

シャトルバスで乗った車両は、名古屋観光日急の三菱のエアロクイーンで、尾張小牧200 か・713号車でした。 
713の数字で、モーニング娘。の道重さゆみ女史の誕生日である7月13日を思い出しました。

名鉄バスセンターを出た後、ささしまライブ会場を眺めながら南下し、黄金ランプから名古屋高速に入りました。 ルートは 黄金ランプ~新州埼JCT~丸田町KCT~高針JCT~上社JCT~名古屋IC~日進JCT~長久手IC

途中名古屋高速金山線で、長いトンネルに入りました。 名古屋ICから日進JCTまで、東名高速に入った。

長久手ターミナルに着いた後、東ゲートから入場しようとした時、閉幕間際のため平日にもかかわらず混雑していたので炎天下の中で待たされました。 

この万博では、危険な液体との混乱を避けるため、外部からのペットボトルの持ち込みが禁止されている。 入場前に飲みきるか、コップに移し替えなければならない。 そのため会場内で売られているペットボトルには、シールが貼ってました。

入場を終えた後、パビリオンに行かず、世界の館を巡りました。 人気のあるメジャーな世界館を除いてすべて入ったけど。

韓流ブームということで、韓国館は当然のことながら混雑していました。

この後、IMTS(インテリジェント・マルチモード・トランジット・システム)で、北ゲート駅からEXPOドーム駅に向かいました。

このIMTSは、トヨタ自動車によって開発された、大型バスで、自動運転による隊列走行も可能となっています。 燃料は、圧縮天然ガス(CNG)を使っているため、地球に優しいバスとなっています。 このIMTSのほうは、昨年の東京モーターショーでも展示されていました。

IMTS 北ゲート~西ゲート~EXPOドームおよび、西ゲート~メッセ前停留所を結ぶ路線となっており、 北ゲート~EXPOドーム間が自動運転 西ゲート~メッセ前間は、通常の路線バスト同様にワンマン運転となっていました。
このITMSの運賃は、200円となっている。

後、グローバルループを走るグローバルトラムがあったけど、500円と高いです。 こちらは歩行が困難なお年寄りや身障者向けとなっている。

あとは、自転車タクシー(300円)もあったし。 こちらは排気ガスを出さない乗り物で、人力車みたいな感じがします。

特によかったのは、西エリアにある、地球市民村がよかったです。 ここで、静岡茶を飲むことが出来たし。 昼食はナチュラルフードカフェ&オーガニックガーデン(Be Good Cafe)で地球環境に優しいプレートを食べました。

もちろん趣味である募金もしてきました。

あとは、環境省のECO LINKもよかったです。 やはり自然環境をテーマにした万博は最高だし。 筆者も地球温暖化防止のTEAMマイナス6%の一員であります。  

この会場には、日本庭園があったのでよかったです。 足湯みたいに、水の流れに足を突っ込むことが出来たし。 この日本庭園は、万博閉幕後も残る予定となっている。

この会場は、元々愛知県営の公園(青少年公園)として使われていた場所だったので、万博にふさわしいなと思いました。森林浴を楽しむことも出来るし。

筆者は行かなかったけど、サツキとメイの家は入場予約が殺到したために入れなかった人が多かったので、万博終了後も当分残される予定となっています。

長久手会場を一通り回った後、モリゾー・ゴンドラで、瀬戸会場に移動しました。 このゴンドラは、無料となっていました。 長久手会場の南北を結ぶキッコロ・ゴンドラは、有料となっている。

モリゾー・ゴンドラは、長久手会場と瀬戸会場を結ぶゴンドラで、途中住宅地を通過する時に、住民のプライバシー確保のため、一瞬曇りガラスとなってました。このシステムのゴンドラは、今回が初だと思います。 愛知環状鉄道はトンネルで交差していた。
 
瀬戸会場は、愛・地球博のサブ会場で、市民パビリオン、瀬戸日本館、瀬戸愛知県館、ウェルカムハウス、里山散策ゾーンがありました。 今回はパビリオンに入れなかったので、市民パビリオン、ウェルカムハウスを見た後、燃料電池バスで長久手会場に戻りました。

瀬戸市は、焼き物の産地で、水飲み場には、廃陶芸を再利用した陶器が使われていたのでリサイクルにも積極的なんだな!と思いました。

後は、会場には、ミネラルウォーターの給水サービスもありました。

燃料電池バス(FCHV-BUS)は、水素が燃料となっており、排出ガスの代わりに水が出るので、地球環境に優しいバスとなっています。 二酸化炭素(CO2)の排出も無いし。

こちらは、昨年末まで都バスで走っていた試作車と同様に、トヨタと日野の共同開発となっています。 日野自動車ももちろん、ダイハツとともに愛・地球博のオフィシャルスポンサーとなっている。

この燃料電池バスも、無料でした。 車両番号は、尾張小牧200 た20-05となっていた。 自家用の白いナンバープレートなので、営業用のバスには使えない状態である。 営業用のバスやトラック、タクシーは、緑ナンバーとなっている。

長久手会場に戻った後は、中国館に行きました。 上海は、5年後の2010年に次期の万博が行われる予定となっている。 

万博は5年に1度開催されており、日本国内での国際博覧会は、1970(S45)年に大阪で行われて以来、35年ぶりとなった。 その他の日本国内でも万博は、1985(S60)年のつくばでの科学万博、1990(H2)年の大阪鶴見緑地で行われた花の万博が行われていた。

つくばでの科学万博は、今から20年前に、つくばエクスプレスの万博記念公園駅付近で行われていた。 その跡地は、記念公園として整備されている。 当時は、筆者が小5の頃で、1回だけ行ったことがあります。 万博中央臨時駅(現在のひたち野うしく駅)からシャトルバスに乗って行った。 当時は、ボルボの連接バスが使用されていた。万博終了後は、リムジンバスに転用(現在は廃車)、またはオーストラリアに輸出された。

ボルボの連接バスといえば、京成バスによる、幕張本郷駅と幕張新都心を結ぶバスで使われています。 こちらは全く別のモデルだったけど。

この愛知万博が終わった後、愛知県営の公園に戻されるけど、どうなるのか気になります。

最後に、JR東海の超電導リニア館に行き、3Dシアターを見物しました。 最初に、鉄道の歴史やリニアに至るまでのエピソードの紹介VTR(プレショー)を見て、その次に本編を見ました。 本編は、3Dメガネを掛けて楽しむ立体画像で、リニアモーターカーが500Km/hで疾走する臨場感あふれるシーンを見ることが出来ました。 

この後、リニアモーターカー(MLX01-1号車)の車内を見物しました。 
このリニアモーターカーの車両は、山梨の車両基地から、田子の浦港まで陸送され、ここから船積みで名古屋港へ、再び陸送で小牧工場へ、ここで整備された後、長久手の会場に陸送された。

リニアモーターカーを覆う屋根は、地球環境にも配慮されています。 さすがエコ博覧会だな!と思いました。

この時は、閉幕直前だったので、平日にも関わらず混雑していました。 このような状態は平日だからと行って甘く見ないほうがいいと思います。 9月20~22日も混雑していると思います。

この万博は、すべての面において、とてもよかったです。
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by hy_sengen-sin | 2005-09-16 14:19 | バス乗車記