交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

カテゴリ:鉄道友の会イベント( 9 )

ブルーリボン賞

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鉄道友の会では、今年のブルーリボン賞、ローレル賞が発表されていました。

ブルーリボン賞はN700系新幹線(JR東海、JR西日本)

ローレル賞はE721系、キハE200形ハイブリッドDC(どちらもJR東日本)となっています。

自分はN700系とキハE200形に投票したけど見事に当たりました。

ローレル賞は、ブルーリボン賞に選ばれなかった上位の車両から、デザイン面や性能面に優れた車両が選ばれている。

ハイブリッドDCは小海線で走っているし。

東海道・山陽新幹線の車両は、全てブルーリボン賞またはローレル賞に輝いている。
0系、500系、N700系=ブルーリボン賞

100系、300系、700系=ローレル賞

因みに昨年のブルーリボン賞は富山ライトレールTLR0600形

ローレル賞は、JRE233系、西鉄3000形が受賞していた。

小田急ロマンスカーの車両は、30000形EXEを除いて全てブルーリボン賞に選ばれています。これらはSEの付く車両で、一昨年は50000形VSEが輝いていたし。

来年は60000形MSEもブルーリボン賞の候補とされているけどどうなるのかは分からないです。

EXEはロマンスカーのインパクトに欠ける点があるということなどの理由でブルーリボン賞の受賞が見送られていたし。
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by hy_sengen-sin | 2008-06-17 12:27 | 鉄道友の会イベント

埼玉サークル

あの後は、仕事が休みだったので、北浦和(メイン会場)で行われた埼玉サークルに参加しました。

池袋から赤羽までは205系のハエ32編成(クハ205-54F)で移動。こちらは元山手線の車両で、6ドア車が連結されていない。

赤羽から北浦和までは京浜東北線のウラ59編成(クハ209-60F)で移動。こちらは運行番号表示がLED化されていました。
209系は今年秋からE233系に順次置き換えられる予定なので、現在の209系オンリーの状態もあと僅かである。

埼玉サークルでは、副都心線の車両や懐かしのおおよど号、583系はと号などのスライドやデジカメ画像の披露などが行われていました。東京メトロ7000系のうち、1987(S62)年の和光市開業の時に導入された7127Fは、8両編成化され、10000系と同じ帯の色となっていた。これに伴い、中間車2両の7727,7827号車が廃車となっていた。8両編成も設定されるのは、東急東横線との直通運転との絡みもあると思われます。これにより来年6月の開業まで乗ることが出来ないということになる。7103,7130Fも10000系と同じ帯塗装となったけど、7130Fも8両編成化されている。あとは6000系(後期)や8000系の更新車と同様に客用ドアの窓が拡大され、05系もどきの側面スタイルとなっていた。

筆者も、土・日きっぷによる遠征がテーマのデジカメ画像も披露しました。

帰りは、ウラ53編成(クハ209-54F)で赤羽へ。森敏英さんとは南浦和まで一緒だった。森敏英さんももちろんデジカメ画像を披露していた。
赤羽から池袋までは埼京線のハエ2編成(クハ205-90F)に乗車。こちらはハエ1編成と同様に未だに6ドア車が組み込まれず、幕式のT車がしぶとく残っている状態である。これらのT車4両(サハ205146~149号車)は廃車予定となっており、用途が未定となっているので。

池袋から目白までは山手線で移動し、ここから帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2007-07-31 11:16 | 鉄道友の会イベント

東京支部総会

6月23日は、王子の北とぴあで行われた鉄道友の会の東京支部による支部総会に行ってきました。

ルート 目白~田端~王子~荒川車庫前~飛鳥山…王子~品川~大崎~新宿~大塚~池袋

東京支部の支部総会は、過去に、志木駅前、東武博物館などで行われていたけど、一昨年から王子の北とぴあで行われている。

まずは、山手線で田端まで行き、ここで京浜東北線に乗り換えて王子まで行きました。 池袋では、9050系の地上線運用(9151Fによる準急川越市行き)を見ることが出来ました。

9000系のほか、9050系も副都心線対応に改造されることになっている。

6月17日には、永田町で、9000系の9101Fによる乗り入れ運用(新木場行き)を見たけど、あれは、1年後に副都心線が開業する暁には、地上線専用に転用され、10000系列の10両固定編成と共通運用となる。

田端から王子まで乗った209系は、ウラ72編成(クハ205-74F)。

この日(6月23日)は、東北新幹線開業25周年を迎えていたので、大宮発盛岡行きの東北新幹線大宮開業25周年記念号であるやまびこ931号が運転されていた。この時に使用された編成は、オリジナルカラーに復元された200系のK47編成の10両編成である。

筆者は残念ながらそれを見ることが出来なかったけど、その変わりに森敏英さんが大宮と仙台でそれを撮影していた。

森敏英さんは、仙台から、常磐線の455系や717系などを狙った後に、いわきからスーパーひたち号で帰っていた。

6月30日をもって東北本線から417系、磐越西線から455系が撤退。 以後、常磐線(原ノ町~岩沼間)に455系や717系が残るけど、10月にはE721系に完全に置き換えられることになる。これに伴い、赤べえ塗装の455系が見納めとなる。

磐越西線では、719系に置き換えられることになるし。

あとは、快速南三陸号では、7月1日から、1、4号に続き、2、3号もキハ110系列に置き換えられることになる。

この時には、新宿~東武日光・鬼怒川方面への直行特急運行による講演会も行われていました。

北とぴあは、1990(H2)年に完成した王子駅の北東部にある文化施設で、ホール、各種会議室、研修室、音楽スタジオ、トレーニングルーム、産業情報センター、消費生活センターがある。

17階には、飛鳥山公園などを眺めることが出来る展望室がある。 ここから新幹線を見るのには絶好の場所となっているし。

このことで、1993(H5)年9月まで、飛鳥山公園にスカイラウンジという回転展望台もあったことを思い出します。筆者も子供の頃によく行っていたし。このように、飛鳥山のランドマークが消えたことで残念に思っています。

やはり老朽化や入場者数の減少、北とぴあの展望室の新設により、閉鎖せざるを得なかったし。 末期は1日あたり10人しか入場していなかったこともあった。

総会が終わった後は、王子駅前のマックに行きました。 ここで、萩原清さんと出会うことが出来てよかったです。萩原清さんは、仕事で訪れていた。

萩原清さんのほうは、筆者と同様に、毎週土曜日休みではなく、仕事の場合がある。この日は、どちらも仕事だったのである。

萩原清さん主催の鉄道撮影ツアー等が日曜日に行われることが多いのはそのためである。

この時には、田中基志さん、奥野さん、林直樹さん、高石さん、三橋さん、木沢さん、下村さん、八王子の顔である多喜千与三さんなどと出会いました。

山岡さんのほうは、九州に遠征していたために不参加だった。
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by hy_sengen-sin | 2007-06-29 11:07 | 鉄道友の会イベント

中央線撮影会

5月13日は、某サークル主催の中央線撮影会と、渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)で行われたハロー!プロジェクトの新人公演に行ってきました。

ルート 東中野…(撮影地)…東中野~市ヶ谷…(撮影地)…飯田橋~御茶ノ水…(撮影地)…(交通博物館跡)…神田…三越前~(半蔵門線経由)~渋谷~幡ヶ谷折返所…幡ヶ谷~新宿~目白

参加者は、筆者を含めて5人でした。

まずは自宅から東中野まで歩いて行きました。 こちらは山手通りを南下して行くことが出来る。 

東中野では、西口に集合。 こちらは、1997(H9)年12月19日の都営12号線(現、大江戸線)の開業と同時に乗り換え口となり、駅舎も改良されていた。

この後、東中野~中野間の例の撮影ポイントで撮影しました。 この時には201系やE233系のほか、E351系(スーパーあずさ)、E257系(あずさ・かいじ)も撮影することが出来ました。

こちらのポイントは、筆者は参加しなかったけど、4月29日に行われた萩原清さん主催の中央線撮影ツアーの第二弾で使用されていた。 

森敏英さんのほうは、4月29日の撮影ツアーでは、高円寺で合流していた。 筆者も東中野か高円寺で合流するはずだったのである。

有名な撮影ポイントが、埼玉サークル主催の撮影ツアーで使われてよかったです。

このポイントへは、筆者の自宅から自転車で行くことも可能である。

筆者のほうは、5月4日からキャノン製の新しいデジカメを導入したことにより、軽量で撮影しやすくなったのである。 もちろん今回もこのデジカメを使用しました。

ここで撮影した後、東中野まで移動し、ここから209系500番台(クハ209-503F)に乗って市ヶ谷まで行きました。 最近は筆者が中央・総武緩行線に乗る時にはE231系よりも209系500番台に当たることが多い状態となっている。

市ヶ谷に到着した後、駅周辺にある鉄道友の会の本部事務局の前まで行きました。こちらは、都営新宿線の市ヶ谷駅のA3出入口のすぐ近くにあり、ビルの3階にある。 この窓には、鉄道友の会と書いてあった。

こちらは、2004(H16)年9月15日に、丸ノ内から移転していた。

この後、駅前に戻り、再び徒歩で市ヶ谷~飯田橋間のお堀のポイントで撮影しました。 ここには、外部の同業者も来ていました。 その人は、津田沼から原付バイクで来ていた。

この時には、183系の回送が通過しました。

あとは、東京発着のE257系のかいじ号も撮影することも出来たし。

撮影後は、飯田橋まで移動し、ここから御茶ノ水まで、昨年導入されたE231系の新バージョン(クハE231-80F)に乗りました。 こちらは、最新型のE231系であるにも関わらず、自動放送が導入されていない状態となっているけど、近いうちに自動放送が導入される予定となっている。

これらの最新バージョンのE231系は、80、81、82編成が導入され、209系500番台の513、514、515編成が京浜東北線に転用されていた。 その玉突きで、209系900番台が置き換えられていた。

中央・総武緩行線のE231系のうちの26、27編成は、京浜東北線に転用された209系の516、517編成の代替えとして導入されていた。

中央・総武緩行線に残る209系500番台においても、自動放送装置の新設のほか、機器類の更新も行われることになる。

御茶ノ水に到着した後、西側のお茶の水橋で撮影。 この時に、反対側の聖橋をバックに撮影することが出来てよかったです。 

御茶ノ水駅のお茶の水橋口は、明治大学、東京医科歯科大学、順天堂大学への最寄りの改札口となっており、丸ノ内線の御茶ノ水駅への連絡口でもある。 丸ノ内線へは、お茶の水橋を渡っての乗り換えとなる。

ここに掛かる神田川は、東京都三鷹市の井の頭恩賜公園内にある井の頭池を源とし、台東区・中央区・墨田区区境の両国橋脇で隅田川に注ぐ川となっている。筆者の地元である下落合付近も流れており、ここから支流の妙正寺川が出ている。

神田川といえば、1973(S48)年9月20日に、南こうせつ氏率いるフォークグループである「かぐや姫」によるヒット曲でも有名である。 

この歌詞に出てくる、「横丁の風呂屋」は、新宿区西早稲田にあった某銭湯となっている。

2002(H14)年にリリースされたハロプロのフォークソングカバーアルバムである、「FOLK SONGS 2」では、松浦亜弥氏によってカバーされている。

この後、聖橋側に移動し、撮影を継続。 ここでは、中央線の車両のほか、一旦地上に出て神田川を横断し、また地下に入る丸ノ内線の02系を撮影することが出来ました。

この風景は、1956(S31)年3月20日に、御茶ノ水~淡路町間が開業した時から変わっていないけど、赤い電車の末期には撮影する人で賑わっていた。 丸ノ内線の撮影ポイントは、地上駅である四ッ谷駅も挙げられるけど、こちらはホーム柵が掛けられることにより撮影しづらくなってしまう。

こちらは、丸ノ内線の御茶ノ水駅が浅いところにあるということで、一旦地上に出て神田川を渡る方式となったのである。

新御茶ノ水駅に乗り入れている東京メトロ千代田線のほうは、深い位置にあるために地下で神田川を横断している。

新御茶ノ水駅前には、日立製作所の本社があったけど、昨年丸の内オアゾ(東京駅の丸ノ内側)に移転している。丸の内オアゾは、以前国鉄本社(のちのJR東日本の本社)があった場所に建てられている。

筆者はW43HⅡを持っているけど、これまで使っていたW32Hのほうは、ICカードを差し替えれば使用出来るので、予備機として残してある。
 
この後、淡路坂を下り、交通博物館の跡地まで行きました。 その途中にあるホテル聚楽では、御輿を見ることが出来ました。 この日は、神田明神で神田祭が行われていた。 昨年5月14日に交通博物館に行った時も神田祭が行われていたし。

交通博物館のほうは、5月14日に閉館してから1年経ったのである。 早いもんです。

跡地には、展示車両が撤去され、シンボルだったD51や0系新幹線の前頭部も撤去されていた。 入り口の表示などはそのまま残されていました。 建物のほうは、搬出と同時に取り壊されることになるので、撮影していた人もいました。

この後、神田駅付近の某居酒屋で2次会が行われていたけど、筆者はこのまま別れて、神田駅前の吉野家で牛丼を食べました。

この後、新日本橋(三越前)まで歩き、半蔵門線で渋谷まで行きました。 この時に乗った編成は8621F。

渋谷では、玉電開業100周年記念のラッピング電車である8615Fを見ることが出来ました。 前面には記念のロゴが、側面にはそれに加え、昔の玉電の写真やイラストが描かれていた。そのうちの木造単車3号車のイラストには、砧行きがイメージされていたけど、行き先表示には、「たぬき」と書かれていました。 昔は平仮名を逆読みしていたので、砧ならぬ、タヌキの状態となってしまった。

言うのを忘れたけど、5月10日には、長津田でこの8615Fを撮影している。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-18 14:07 | 鉄道友の会イベント

埼玉サークル特別例会

2月11日は、毎年恒例となった埼玉サークルのロングラン例会に行ってきました。

ルート 目白~池袋~赤羽~浦和~北浦和~赤羽~池袋~目白

埼玉サークルのロングラン例会は、埼玉サークルの発足記念日に当たる2月11日に毎年恒例で行われており、今回で37回目となった。

埼玉サークルは、1970(S45)年に開設されたサークルで、基本的に毎月第二火曜日に北浦和の埼玉県労働会館で行われている。

ロングラン例会は、昼から夜までの2部に分けて行われ、ハロー!プロジェクトのほとんどの公演と同様に昼の部と夜の部に分かれている。

埼玉県労働会館のある場所は、さいたま市の旧浦和市の部分(浦和区)となっているけど、その南側は、旧与野市の部分(中央区)となっている。

サブ会場である与野本町コミュニティセンターは、旧与野市の部分(さいたま市中央区)にある。

まずは池袋まで山手線で移動、池袋から赤羽までは、埼京線の205系(クハ205-94F)に乗りました。 

埼京線に205系が登場したのは1989(H元)年6月のことで、翌年の1990(H2)年までに205系に置き換えられていた。 埼京線を走っていた103系は、山手線と同色の車両で、かつての赤羽線の面影の残る車両となっていた。

埼京線が横浜線の次に205系への置き換えの対象となったのは、沿線の騒音対策もある。東北新幹線の上野への延長開業が遅れていたのは、沿線の騒音対策だったのである。103系は、東北新幹線よりも騒音が激しいという問題もあった。

森敏英さんは、今から10年前の1997(H9)年8月まで、北区滝野川(板橋、新板橋駅付近)在住だったため、周辺を走る赤羽線(現在の埼京線の一部)が鉄道趣味の原点となっていた。 あとは、都営三田線も趣味対象となっていたし。

森敏英さんが現在地(富士見市、東武東上線鶴瀬駅東部)に越してから今年で10年を迎えることになる。 あれ以来東武東上線を初めとする東武電車が主な趣味対象となったのである。

滝野川時代は、東武東上線の下板橋駅からも近かったので、東武電車との付き合いが長いということになる。

かつて赤羽線は、池袋駅の8番線部分から発車していたことがあり、東武東上線の電車の並んだシーンが見られていた。 1972(S47)年7月15日に赤羽線となる前は、山手線の一部(支線)となっていた。

1983(S58)年頃に現在の3、4番線部分に移転していた。

池袋駅の1、2番線部分が出来たのは、1988(S63)年の中距離電車(東北線(現宇都宮線)・高崎線)の池袋乗り入れ(現在の湘南新宿ラインの前身)の時だった。

1980(S55)年5月20日までは、池袋駅で貨物業務が行われていた。 あとは、西武池袋線の線路が国鉄の線路と繋がっていたこともあった。

池袋~板橋間にある池袋運転区は、埼京線が新宿まで延長された1986(S61)年3月3日の改正までは車両の配置があり、池袋電車区と呼ばれていた。現在は留置線となっている。 

ここには、山手線のE231系500番台や埼京線の205系のほか、池袋発着の成田エクスプレス(NE’X)の253系も入ることもある。

この周辺は、東武東上線との併走区間であり、北池袋駅がこの周辺にある。 こちらは埼京線の列車から眺めることも可能。

山手線と埼京線。東武東上線との分岐点には、豊島清掃工場があり、煙突がランドマークとなっているけど、この場所は、かつて池袋マンモスプールがあった場所となっている。 ここは冬はスケートセンターとなっていた。

板橋と十条の間で石神井川を横断。石神井川は、、東京都小平市花小金井南町(武蔵野団地付近)から、北区堀船で隅田川に注ぐ地点まで流れる全長25.2km・流域面積61.6km2の一級河川である。その名の通り、練馬区の石神井地域を流れているけど、豊島園の園内を貫いていることも特徴である。

あとは、武蔵関公園(西武新宿線武蔵関駅付近)、城北中央公園(東武東上線上板橋駅付近)、音無親水公園(JR京浜東北線、東京メトロ南北線、都電荒川線王子駅付近)も、石神井川に面している。

赤羽駅から浦和駅までは、211系(C11編成、クモハ211-3018F)に乗車。こちらは旧A18編成(クモハ211-3018F)と旧A48編成(クモハ211-3048F)+グリーン車2両から組成された編成である。

途中で東武100系によるスペーシアきぬがわ6号とすれ違いました。

浦和駅に到着後、京浜東北線の新1番線(南行ホーム)を見物しました。こちらは今年1月14日に切り替えられていたけど、今後予定されている2番線の切り替えの時までは、南行高架、北行地平という状態となっているので、1996(H8)年7月から9月までの京浜東北線の赤羽駅を思い出しました。

こちらは浦和駅の高架化切り替えの第一号で、新1番線が東側にずれている。

2番線部分の表示は、旧表示から切り取られたものが使用されていました。

旧2番線の記録は、今年秋以降E233系に順次置き換えられる京浜東北線の209系と同時に記録に残しておきたいです。

浦和から北浦和までは、209系(クハ209-45F)に乗車。 この時に、EF81-93号機牽引の北斗星1号の札幌行き(JR北海道所属)と併走していました。

北浦和駅に到着した後、埼玉サークルの会場に行きました。 この時に森敏英さん、奥野さん、多喜千与三さんなどと出会いました。

多喜千与三さんは、昼の部が終わった後で帰宅していたので、この時にお会い出来てよかったです。

昼の部と夜の部の間は、労働会館の地下のレストランで食事会が行われていました。

このサークルでは、石井伸行さんによる会津鉄道の手書きレポートが披露されていました。 この時には、三陸鉄道の話題もありました。 

レポートによると春日部から特急スペーシアで鬼怒川温泉まで行き、ここから会津高原尾瀬口まで会津鉄道の会津マウントエクスプレス(元名鉄北アルプス)に乗っていたのである。

会津高原尾瀬口から会津田島まで、6050系、会津田島から西会津まで会津鉄道の気動車で移動していた。

恒例の駅前でのレポートも含まれているけど、会津高原尾瀬口駅、湯野上温泉駅、芦ノ牧温泉は鬼怒川温泉駅と比べて静かだったということを語っていた。

鬼怒川温泉では、高級ホテル街が軒を連ねている状態なので尚更である。駅前には足湯もあるし。

芦ノ牧温泉駅構内の除雪車には、JRマークが残っているので、JR会津線だったことの名残であることが分かる。

このような手書きのレポートは素晴らしいと思います。 以前機関車部会で配布された石井伸行さん制作による北陸本線の筒石駅や山形線の板谷峠区間をまとめたレポートが披露されていたことを覚えている。2001(H13)年の夏には九州旅行に行き、廃車寸前の赤い50系客車などに関するレポートが発表されていたし。

2月11日の特別例会では、大阪府高槻市在住の河村さんが毎回のように上京してきている。

河村さんのほうは以前鎌倉市在住で、湘南モノレールの湘南深沢駅付近が最寄り駅だった。 この周辺には、昨年3月末をもって閉鎖された鎌倉総合車両センターの工場部分(旧大船工場)があった。

帰りは北浦和から赤羽まで、京浜東北線の209系(クハ209-79F)に乗車。 この時に浦和駅付近の新高架線を初めて通りました。

この時には、南浦和まで森敏英さんや石井伸行さんと一緒でした。

赤羽から池袋までは、りんかい線の70-000形の70-090Fに乗車。 
現在70-000形は、ベース車の209系と同様に、窓の開閉化工事が行われている。

今回の特別例会では、自分は参加しなかったけど、西武鉄道OBの園田正雄氏による講演会も行われていた。筆者は諸事情により到着が遅れていたのである。
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by hy_sengen-sin | 2007-02-16 11:07 | 鉄道友の会イベント
川崎から武蔵小杉までは、南武線の205系で移動。 この時に乗った編成は、ナハ16編成(クハ205-139F)で、1990(H2)年に導入された生え抜きの編成のラストナンバーとなっていました。 
筆者が南武線に乗る時には、元山手線の車両よりも生え抜き車に良く当たっている状態である。今回もそれに当たりました。

矢向駅では、留置されている先頭車改造編成であるクハ205-1205Fを見ることが出来ました。

当初の予定では、先頭車改造編成が5編成導入されるはずだったけど、りんかい線のオール10両編成化による転用編成の見直しにより、もう1編成導入されて6編成となったのである。

当初は武蔵野線に唯一の先頭車改造編成が入ると思われていたけど、やはり他の205系と揃えるために、南武線のクハ205-29Fが中間T車2両組み込み、VVVF化の上で武蔵野線に転属、その穴埋めとして、先頭車改造編成がもう1本導入されていたのである。

クハ205-1206Fと言えば、昨年9月16日の中原電車区でのイベントの時に展示されていた編成である。

205系の先頭車のほうは、全車山手線から転用されていたけど、山手線から転用されたイメージが薄いという状態となっている。それでも、ドアの小窓部分が、元山手線用であるということを物語っている。

オリジナルスタイルのほうが山手線から転用されたというイメージが強いけど。

武蔵小杉からは、9000系9108Fの東横特急で移動。こちらは自由ヶ丘までノンストップでした。

その前に東横線の5163F、目黒線の5181Fによる目黒行き、都営6317Fによる急行西高島平行きを見ることが出来ました。

目黒~武蔵小杉間の列車は、大部分が東急の車両が使用されているので、2000(H12)年8月6日から同年9月25日までの間(目黒線先行開業の時)を思い出しました。当時は3000系が当たり前だった。

9108Fは、2004(H16)年2月1日に開業した横浜高速鉄道みなとみらい線および東横線の地下新線(東白楽~横浜間)に於ける試運転で使用されていた編成で、横浜高速鉄道のY500系のY506Fと同様に、2004(H16)年1月31日の地下線への切り替えの時まで、地下に封じ込められていた編成となっていた。当時は、長津田車両工場から東白楽駅付近までトレーラーで輸送され、ここから地下に搬入されていた。

東急9000系は、1986(S61)年3月9日に東横線で営業運転が開始されていたので、昨年登場20周年を迎えていた。

当時は東横線に9000系が入ったことにより、7000系や7200系と言った18m3ドア車が目蒲線(現在の目黒線、東急多摩川線の一部)、池上線に転用され、緑色の旧型車両(旧3000系列、旧5000系)が淘汰されていた。

1991(H3)年に最終増備車である9115Fが入った時には、東横線に残っていた8500系8642Fが10両化の上で田園都市線に転用されていた。この時点で、東横線から8500系が無くなり、田園都市線に集中配置。

8642Fは、試作インバータ車が含まれていて異彩を放っているけど、東武線に乗り入れることの出来ないマルK編成であるので、乗れる機会が非常に少ない状態となっている。

武蔵小杉駅付近では、横浜方面から成田空港へと向かう253系NE’Xの姿も見えました。

自由ヶ丘駅で大井町線に乗り換え。 自由ヶ丘駅ではバリアフリー化に伴う改良工事が行われており、エスカレーターやエレベーターの新設工事も行われている。 この工事は今年10月に完成予定となっている。 

自由ヶ丘駅のトイレは、大井町線上りホーム(2番線側)にあったけど、改良工事の進捗により、大井町線下りホーム(1番線側)に移設されていた。こちらはもちろんバリアフリー対応トイレとなっている。

自由ヶ丘から等々力までは、8500系の8638Fで移動。田園都市線時代は、言うまでもなく、8639Fと組んでいた。

この編成は、新マーキング編成で、東横線から転用された8590系と同様に、中央林間~大井町間の直通急行にも使用されている。

東京メトロ半蔵門線および東急田園都市線直通列車から東武30000系が順次撤退し、分割の上で東武線の地上線運用に転用されるということは、東急田園都市線で走っていた8500系の5+5編成が分割されて大井町線に転用されたという流れに準じている。

8500系の5+5編成が田園都市線を走っていた頃は、東武30000系と同様に混雑時の嫌われ者となっていた。

田園都市線では、4月5日から、平日朝ラッシュ時の上り急行が、二子玉川→渋谷間で各駅停車による運行となり、急行から準急に変更されることになる。

田園都市線の準急の停車駅は、1996(H8)年まで運転されていた快速と同じなので、快速の種別が復活するだろうと予想されていた。

対象列車は、長津田発時刻 7時25分~8時19分の急行列車のうちの13本となっている。

これにより所要時間が2分延びてしまうけど、その前を走る各駅停車で、準急運転時間帯に限り、桜新町での急行待避が解消されるので、所要時間が短縮されることになる。

快速ではなく、準急となったのは、相互直通先の東武とのからみもあると思われます。

6ドアの5000系は、来年度も継続投入され、4月に1編成、5月に2編成、9月に3編成導入されることになる。 5000系のほうは、2007年度から2009年度に掛けて250両導入されることになるけど、その分東武非乗り入れ編成を中心とした初期型8500系が淘汰されることになるし。

来年度中には、東横線に残る8000系が5050系に置き換えられてラストランを迎えることになるけど、現在は平日の朝ラッシュ時の運用で最後の活躍をしている。 

来年3月に開始予定の大井町線の急行運転では、6両編成が使用され、5000系ベースの新型車両が導入されることになる。 各駅停車は従来通り5両編成。

ということは、土曜・休日に運転されている中央林間~大井町間の直通急行列車に変化が現れることが予想されています。

急行の停車駅は、大井町、旗の台、大岡山、自由ヶ丘、二子玉川。 

旗の台駅は改良工事中で、池上線のホームが長原寄りにずれる予定となっている。

等々力駅は、地下化される予定となっているけど、等々力渓谷への影響が懸念されているために工事が先送りとなっている。

旗の台駅のほうは、1927(S2)年7月6日の大井町線の開業当時、東洗足駅と呼ばれ、北千束(二子玉川)寄りにあった。 同様に池上線の駅も、同年8月28日に、雪ヶ谷(現雪が谷大塚)~桐ヶ谷(現在は廃止)間が開業と同時に、旗ヶ岡駅として開業していた。 旗ヶ岡駅は、荏原中延(五反田寄り)にあった。

1951(S26)年3月には、東洗足駅が旗の台駅に改称された上で現在地に移設。同年5月には、池上線の旗ヶ岡駅が、旗の台駅に統合されて現在地に移転。

等々力では、駅前にある玉川区民会館に移動。 終了30分前だったのでくじ引き大会が終了していた。

同時に森敏英さんが到着していました。

森敏英さんのほうは、同日の13時ごろまで行われていた京浜東北線の北浦和~南浦和間の代行バスの様子を見た後に現地入りしていた。

筆者は諸事情により行くことが出来なかったけど、こちらは距離的に近い森敏英さんにお任せという状態となっていた。

大宮~北浦和間では、ウラ70編成(クハ209-72F)とウラ73編成(クハ209-75F)によるピストン輸送となっており、下り線でウラ73編成、上り線でウラ70編成が使用されていた。運転方式は単線並列式。 行き先表示は、京浜東北線で、前面は、京浜東北線の表示が2つとなっていた。

浦和駅1番線の高架化後の1番列車には、ウラ73編成が使用されていた。

代行バスは、国際興業バスの西浦和、戸田、鳩ヶ谷、さいたま東営業所の車両が使用されていたけど、一部の車両が代行輸送バスの表示を出して走っていた。

森敏英さんが乗っていた車両は、西浦和営業所所属の3907(大宮200か・775、代行バス28)号車で、いすゞエルガのCNGノンステップ車となっていた。

ルートは西口同士を結ぶ形式で、埼玉サークルのメイン会場である埼玉県労働会館の近くを走っていた。

次回の2番線の切り替えの時もこのような代行バスが運転される確率が高いので、何も無ければこの時に取材に行く予定です。

例会の時には、水間鉄道(大阪府貝塚市、貝塚~水間間)の元東急7000系がリニューアル化されて、1000形として生まれ変わったことを初めて知りました。 こちらは昨年12月16日に営業運転が開始されている。

非冷房車の7002Fが種車となっていたので、冷房化も同時に行われていた。

あとは、赤帯の追加、車椅子スペース、ドアチャイム、次駅案内表示の新設等も行われていた。

現在は7001Fが入場中で1001Fとなる予定。 こちらは冷房車のままでの入場となった。 

水間鉄道のほうは、グルメ杵屋の子会社となったことで再生されていた。

東急東横線の8000系のほうは、12月12日、14日に8017Fが日中にも営業運転に入っていたことがあった。

この後、奥野さん、森敏英さん、本原さんと等々力駅へ。 等々力駅は、構内踏切に挟まれた駅となっているけど、地下化された暁にはそれが解消されることになる。

等々力から自由ヶ丘までは、8090系の8099Fで移動。 この次は8100では無く、8080となっているのが特徴である。これ以降に導入された8090系は、8081Fから始まり、8090までとなっている。 8090系の最終増備車は、8099Fでは無く、8089Fとなっている。

このようなことは、1993(H5)年に導入された西武2000系の最終増備車である2055Fが、2099Fとならなかったのと同じような理由となっている。2099Fだと先頭車が2100番となるので、形式の統一の為にやむを得なかった。

その途中で大井町線の8001Fを見ることが出来ました。 この日は106運用だった。

自由ヶ丘では、雑談した後、本原さんと別れ、3人で渋谷へと向かいました。この時に乗った編成は9000系の9113F(シャボン玉編成)による急行。

渋谷に到着した後、ハチ公口にある旧5000系5001号車を見物しました。 この車内でも18時まで雑談していました。

この車内では、飲食は禁止されている。 こちらには、家庭用のクーラーが設置されているし。

車内では、渋谷の神社がテーマの写真が展示されていました。この写真展は、今回が3回目となっていた。

その管理人によると、展示された写真をまとめた写真集が発売される予定となっている。

この後解散し、森敏英さんは、東京駅で特急東海号を撮影の予定を変更し、渋谷から宿51系統の京王バスで新宿まで移動し、京王百貨店での駅弁とうまいもの大会の会場を見物しました。会場内で沖縄のカジキマグロ弁当を食べて帰宅していた。

筆者は、田園都市線で三軒茶屋まで行きました。 この時に乗った編成は、東武50050系の51052Fによる各駅停車中央林間行き。

三軒茶屋駅では、改良工事中で、旧タイプの駅名表示が残っていた。 同時に改札口の増設も行われることになる。

トイレのほうは、改良されたけど、多機能トイレが設置されていない状態である。 男性用トイレでは、清掃時に備えて2分割で使用出来るようになっている。こちらは、東横線の渋谷駅、横浜駅のトイレと同様である。

三軒茶屋駅では、東急東京メトロパスの広告の付いた303Fを撮影。 花電車塗装の310Fはその2本後に来ていました。 その前は緑色の304F。

花電車塗装の310Fに乗り、下高井戸まで移動。

東急世田谷線のせたまるICのほうは、3月18日からPASMO対応となるので、PASMOで世田谷線にも乗れるようになる。

200系と同じ塗装である301Fのほうは、上町の車庫で寝ていました。

東急世田谷線のほうは、一昨年の12月に308Fがせたまるサンタ号として走っていたことがあった。

下高井戸駅に到着した後、撮影し、ここから京王線で笹塚まで行きました。 この時に乗った編成は6000系の6736F+6440F。 6440Fのうちの6890号車には、昨年12月14日に都営新宿線の朝ラッシュ時の女性専用車対応編成となっているので、都営仕様のピンク色の女性専用車のステッカーが付いていました。 

都営の10-000形または10-300形のほうは、新宿寄りの先頭車のみにこのピンク色の女性専用車のステッカーが付いているけど、京王の乗り入れ仕様の10両編成の場合は、東急田園都市線の車両と同様に、1編成に2ヶ所女性専用車のステッカーが付くことになっている。

新宿(本八幡)寄りの先頭車は、従来の京王仕様の白地にタカオスミレが描かれた女性専用車ステッカーとなっている。

ピンク色の女性専用車のステッカー(都営仕様)が京王車にも付いたということで違和感がありました。

9000系の10両固定でも、タイプの異なる女性専用車のステッカーが両先頭車に付いていることになる。

笹塚では、9000系の10両固定編成である9732Fを見ることが出来ました。

笹塚から新宿までは、6000系の地上線専用車である6717Fで移動。 

地下トンネルに入った時に、トンネル内はカーブが多いのでご注意下さい。という放送がありました。 やはりこの地下トンネルも、京成上野駅付近の地下トンネルと同様にカーブが多い。

以前新宿~幡ヶ谷間は、京王新宿駅~省線新宿駅前駅~葵橋駅~新町駅~天神橋駅~西参道駅~初台駅~幡代小学校前駅~幡代駅~幡ヶ谷駅と、駅(電停)が数カ所あったのである。

新宿に到着後、山手線で帰宅しました。

1966(S41)年4月1日の田園都市線、溝の口~長津田間の開業時から、1968(S43)年9月30日まで、鷺沼~長津田間で2両編成の電車が走っていたことがあった。 大井町~鷺沼間は2+2の4両編成で、鷺沼で分割・併合が行われていた。 

田園都市線に転属された8590系の2編成(8694、8695F)は、東武ATSが準備工事の段階となっているので、今後取り付けられることが考えられている。

東急新玉川線(現在の田園都市線の一部)は、当初営団地下鉄(現東京メトロ)銀座線と結ばれる計画もあったけど、標準軌道の第三軌条方式で車両も小型であるため、田園都市線との直通運転が出来ないこと。 改良には多額の投資が必要になることなどの理由で、半蔵門線との直通運転に変更されている。 あとは、地上の渋谷駅との接続が困難であるという問題もあったし。

大井町線のほうは、旗の台から池上線に入り、桐ヶ谷から都営三田線に入る計画もあった。

都営三田線のほうは、西高島平から成増方面へ、三田から桐ヶ谷方面への延長される計画があったけど、前者は、有楽町線・和光市での接続により中止。後者は、目黒経由に変更されていた。以前は港北ニュータウン(横浜線、中山駅方面)への延長も計画されていたけどこちらも中止となっている。

現在のルートに落ち着いたのは、1985(S60)年のこと。

2008(H20)年3月には、東急目黒線の日吉延長および横浜市営地下鉄グリーンラインの開業により、三田線と港北ニュータウンが結ばれることになる。

今年秋には、目黒線が8両編成化される予定となっており、東急3000系、5080系のほか、東京メトロ9000系、都営6300形、埼玉高速2000系も8両化されることになる。

2008(H20)年3月には、世田谷線を除いた東急鉄道全線で大規模なダイヤ改正が行われることが予想されている。

2003(H15)年3月19日は、世田谷線を除いた東急全線で大規模なダイヤ改正が行われていた。

世田谷線沿線では、1月と12月の15・16日にボロ市が行われることになる。
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by hy_sengen-sin | 2007-01-16 14:06 | 鉄道友の会イベント

埼玉サークル忘年会

この後、埼玉サークルの忘年会会場である与野本町コミュニティセンターへ。 ここでは、スライドの上映などが行われていたけど、高架化される前の金沢駅、昔の紀勢本線、新宿駅での旧型国電、桜上水駅での京王2000系の様子などが出てきていました。

特急くろしお号のほうは、1978(S53)年10月の改正まで、名古屋から天王寺まで紀勢本線(紀伊半島経由)と大回りの列車となっていた。
1978(S53)年10月2日の改正で、くろしお号は、天王寺~新宮間となり、名古屋~新宮~紀伊勝浦間は、特急南紀号として分離されていた。

このことで、1985(S60)年3月の改正以前の特急まつかぜ号(大阪~山陰本線経由~博多間)を思い出しました。 

1985(S60)年3月14日に、米子で系統分割され、米子~博多間はいそかぜ号となった。旧まつかぜ号のほうは、新大阪・大阪~米子間で運転されていたけど、翌年の1986(S61)年11月1日の電車特急北近畿号の登場により廃止。まつかぜ号の愛称名は、2003(H15)年10月1日、スーパーくにびき号からの愛称変更により、スーパーまつかぜ号(鳥取~米子、益田間)として復活していた。

いそかぜ号のほうは、1993(H5)年に小倉までの運転となり、残りの区間(米子~小倉間)は、昨年3月1日のダイヤ改正で廃止されていた。 これにより、鳥取以西のキハ181系DCの定期運用および関門トンネルを通過する昼行特急が全廃となっていた。

現在キハ181系DCの定期運用は、特急はまかぜ号(大阪~播但線経由~浜坂、鳥取間)のみとなっている。

紀勢本線では、1984(S59)年2月の改正まで、東京~紀伊勝浦間に寝台特急「紀伊」号が運転されていたことがあった。こちらは名古屋まで、寝台特急いなば号(のちの出雲号)に併結運転されていた。

この時には、森敏英さんが撮影していたデジカメ映像も公開されていました。森敏英さんのほうは、筆者や奥野さんよりも早く、個人で会場入りしていた。

この忘年会には、多喜千与三さんも参加していた。 多喜千与三さんは、毎月第一金曜日に大崎で行われる貨車部会のレギュラーとなっているけど、埼玉サークルには、特別例会におおむね毎回参加している。 

2月11日には、北浦和で、恒例の発足記念ロングラン例会が行われる予定となっている。

この後、大宮まで行ったけど、森敏英さんのほうは、中野坂上で行われた制服向上委員会のイベントに行っていた。この時に、松尾真冬女史の18回目の誕生日を祝うことが出来たと言っていた。

与野本町から大宮までは、205系(クハ205-128F)で移動。

松尾真冬女史は、1988(S63)年12月23日生まれと、モーニング娘。の亀井絵里女史と生年月日が同じである。なので、この日は、亀井絵里女史の誕生日でもある。

12月23日は、天皇誕生日として知られている。

この後、昨年と同様に、大宮駅西口のさくら水産で行われた二次会に参加しました。 この時は居酒屋に入ったので、まさに忘年会そのものでした。 こちらのほうが忘年会に参加したという実感が沸いてきます。 

多喜千与三さんも参加するということで行く気満々の状態でした。

台湾新幹線(台湾高速鉄道)のほうは、昨年10月開業予定だったけど、今年10月に延期、さらに、来年1月に開業時期が再び延期されていた。

こちらで使用される列車は、700T型で、日本の東海道・山陽新幹線で使用されている700系がベースとなっている。

編成は12両で、そのうちの1両は、商務車(日本で言うグリーン車)となっている。現地では、普通車のことを1等車と呼ばれている。

製造メーカーは、川崎重工業、日立製作所、日本車輌製造の3社

路線は、南港~台北~板橋~桃園~新竹~(苗栗)~台中~(彰化)~(雲林)~嘉義~台南~左営~高雄

カッコ内の駅(苗栗、彰化、雲林駅)は、将来開業する予定の駅。現段階、プラットホーム等は整備されていない。

来年1月には、板橋~左宮間が先行開業。 台北~板橋間は、後日開業予定。

南港~台北、左宮~高雄間は、開業日未定となっている。

台北、板橋、桃園駅は、地下駅となる。

樋口君は、来年2月3日から5日に掛けてに美勇伝の台湾ツアーに行く予定ということで台湾新幹線の開業に沸いていると思います。イベントが行われる場所は、台北となっている。

同年3月下旬には、モーニング娘。のハワイツアーが行われるけど、筆者は残念ながら行くことが出来ない。その代わりにファンの友人に任せている。

樋口君のほうは、2003年8月のモーニング娘。のハワイツアー、昨年9月のモーニング娘。の香港ツアーにも参加している。

ハワイのオアフ島には、鉄道は無いけど、マウイ島に行けば、ラハイナ~カアナパリ~プウコリイ間でさとうきび列車が走っている。

多喜千与三さんは、与野本町の会場に行くまでの間、大宮やさいたま新都心に行ってタンク車の見物を行っていた。

入った時は人が少なかったけど、だんだん人が多くなり賑やかとなったので、忘年会シーズンらしさを感じました。

約3時間過ごした後、多喜千与三さんと一緒に店を出て、大宮駅へと向かいました。ここから池袋までは、りんかい線の70-000形(2代目70-030F)で移動。こちらは、2004(H16)年に10両化された編成で、1、5、6、7、8、9,10号車のユニットが旧70-050F、2、3号車のユニットが旧70-030Fから組成されているけど、4、7号車のT車は、乗車した70-033号車を含めて完全新製されていた。 70-010、020F(2代目)も、T車のみ完全新製されていた。

70-010Fは、70-010Fをベースに、旧70-020FのM車2両(5、6号車)と完全新製車を入れたもの。

70-020F(2代目)は、旧70-040Fをベースに、旧70-030FのM車2両(5、6号車)と完全新製車を入れたものとなっている。

旧70-020のうちの先頭車を含む4両と、旧70-030Fの先頭車から組成されたJRの209系3100番台は、3101F(ハエ71編成)が、旧70-020Fの先頭車と完全新製車(M車)から、3102F(ハエ72編成)が、旧70-030Fの先頭車と旧70-020Fの中間車の一部(M車)から組成されている。

クハ209-3102Fの中間車は、旧70-020F時代に、6両化用の中間車として2002(H14)年に導入されていた。

TWRのロゴは、2001(H13)年まで導入された車両がTWRの表示のみ、2002(H14)年および2004(H16)年に導入された車両は、TWR・りんかい線の表示となっている。

70-010F~060Fには、TWRのロゴで、りんかい線の表示が有り無しが混在している。

70-060Fのほうは、2001(H13)年3月31日の天王洲アイルまでの延長開業に備えて、4両編成が登場。 翌年の2002(H14)年には10両編成化されていた。

多喜千与三さんは、武蔵浦和で下車し、武蔵野線に乗り換えて西国分寺へ、ここで中央線に乗り換えて帰宅していた。 この時は途中立川乗り換えを伴っていた。

池袋で山手線に乗り換えて大塚まで行き、ここで私鉄部会に参加していた三橋さんたちと再び合流。この時は二次会が中止となっていたので、大塚駅構内で取引を行っていた。

本原さんのほうは、新宿の厚生年金会館で行われたメロン記念日のコンサートに行った後に私鉄部会に参加していた。

本原さんとは、鉄系のハロプロファンで、10月15日に市川市文化会館で行われたごっちんこと後藤真希女史のコンサート会場付近で出会ったことがある。 やはりごっちんのコンサートに参戦していた。 

この後、山手線で帰宅しました。

東西線に関する情報。 来年1月27日には、東京メトロ東西線の深川車両基地(東陽町駅付近)で、5000系の惜別記念撮影会&工場見学会が行われることになり、12月3日の鉄道友の会イベントと同様に、5000系のステンレス車(5009F)とアルミ車(5150F)が並べられることになる。 この時には、05系と07系も展示されるので、予想通りとなりました。

このイベント会場では、5000系デザイン一日乗車券が発売されることになる。

この時には、手話ボランティアガイドツアーが行われるので、耳の不自由な方にも優しいイベントとなっている。

東京メトロ5000系のほうは以前当たり前のように見られていたけど、現在は2編成のみとなってしまったので寂しさを感じます。こちらは来年3月まで走ることになる。営団地下鉄の時代はイベントが少なかったけど、一昨年4月1日に民営化されて(東京メトロになって)からは、イベントが増えています。

深川車両基地でのイベントは、昨年1月22日の東西線開業40周年および妙典駅開業5周年記念イベントとして行われて以来となった。

当時は、開業記念の花電車をイメージした5016F、アルミ車5150F、05-104F、05-124F(アルミリサイクルカー)、05-142F(新型)が展示されていた。

同時に、5016Fによる臨時列車(メモリアルトレイン)が、妙典→西船橋→九段下→妙典→葛西のルートで運転されていた。筆者は全区間乗車していたけど、九段下では、乗客を乗せたまま留置線に入るという滅多に味わえないシーンを体験することが出来た。

この5016Fのほうは、最近になって、インドネシアに輸出されていた。

5000系の引退記念パスネットカードは、1月1日に発売予定となっている。

05-124Fのアルミリサイクルカーは、5000系アルミ車の10両編成化に伴い余剰となった中間車(5453号車)からリサイクルされている。
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by hy_sengen-sin | 2006-12-27 09:59 | 鉄道友の会イベント

埼玉サークル

2月11日は、北浦和で行われた埼玉サークルに参加しました。

まずは池袋から埼京線のハエ3編成(クハ205-91F)で赤羽へ。 この編成の10号車(平日朝の上りと深夜の下りに女性専用車となる車両)に、伊豆の温泉のPR広告が外だけでなく、中にもありました。 この広告が有るのは、10号車のみで、一般の1~9号車は、普通の広告だった。

赤羽から京浜東北線の209系を乗り継いで北浦和へ。 日中は1本置きに大宮行き・南浦和行き交互に運転されているので、乗り遅れたら10分待たされることになる。

浦和で、小山のE231系の最新増備車による上野行きを見ました。 まだ乗ったことはないけど、国府津車に準じて仕様変更されています。 某サイトによると、6号車のトイレが洋式に変更されている。やはりバリアフリー法の改正により、車内トイレは洋式が義務づけられている。やはりこれまでの揺れる車内での和式トイレだと安定性に劣るという問題がある。洋式トイレでは、立ち小便の時に振動による垂れかけで汚れてしまうという問題があるけど。特急用車両などでは、男子用の小トイレも設置されている。

運転台のほうも当然国府津車と同様のデジタル式となっている。中間に連結されている時にスピードメーターを拝むことが出来ないのが残念だけど。

これに伴い、長いこと小山に貸し出されていたK-02編成(クハE231-8502F)が、ようやく国府津に返却されて、東海道線・湘南新宿ラインで営業運転されている。

これに伴い、宇都宮線・横須賀線直通の湘南新宿ラインが、小山のE231系に統一されたのである。

国府津に転用されるE217系は、元鎌倉のF01~03、F51~53編成となる。 こちらは、基本編成の7号車に連結されていたサハ(T車)が、付属編成の14号車に転用されることになる。

どのような姿で出てくるのか楽しみである。

運用は、東京~平塚、国府津、小田原、熱海間、15両編成での運転となり、非常時以外は10両または5両での単独運転されず、E231系と連結出来ないため、限定運用されることになる。 これにより、湘南新宿ライン、伊東線、JR東海管内(熱海~沼津間、国府津~山北間)には入って来ないのである。

残念ながら湘南新宿ラインにE217系が復帰するということは無い。

15両固定で限定運用されるということは、E217系登場当時に逆戻りの状態である。

E217系は、横須賀・総武快速線での導入完了後、東海道線への導入も計画されていたけど、E231系に引き継がれたことにより、幻のものとなっていたけど、今回実現に至ったのである。

211系のグリーン車組み込み=現在までにC6編成まで組み込みが完了している。

高崎車両センター(旧新前橋電車区)の211系のうち、グリーン車組み込みの編成は、C編成と呼ばれている。

これまで幕式の種別標示だった元小山車のうち、グリーン車の組み込みを期に、生え抜きと同様のLEDの種別標示に交換されているのを確認した。

これまでは、前面の種別標示で生え抜きか、元小山車かを見分けることが可能だった。

例会会場は北浦和。 ここで、皆さんとお会い出来たほか、大阪から定期的に遠征してきた河村さんと出会いました。 河村さんは、以前鎌倉市の湘南モノレール線沿線(旧大船工場の近く)在住だったけど、現在は、大阪府の高槻市在住である。 やはり山澤さんや森敏英さんらは、河村さんに出会えることを楽しみにしていたのである。

埼玉サークルのメイン会場である労働会館は、旧浦和市の部分で、すぐ近くが与野市となっている。毎週第二火曜日に行われている定例会もここで行われている。

旧与野市といえば、埼玉サークルのサブ会場となっているコミュミティセンターがある。 こちらは与野本町駅下車で、3月21日に行われるスライド大会の会場でもある。12月23日に行われる忘年会の会場でもある。

北浦和駅周辺にある北浦和公園の下は、武蔵野線から大宮方面を結ぶ短絡線が通っている。
 中浦和駅で埼京線、東北・上越新幹線とオーバークロス。
快速むさしの号などもここを通っている。

この日は、大宮、桶川まで行ったけど、大宮総合車両センターには、251系SVOの姿もありました。 これまでは、鎌倉総合車両センターに入場していたけど、今年3月末をもって工場部分(深沢地区、旧大船工場)が閉鎖されるのに伴い、大宮に移管されたのである。

東京総合車両センター(旧大井工場)では、209系やE231系という新世代の通勤電車のメンテナンスが主体となるので、これまで鎌倉総合車両センターに入場していた横浜線の205系などが大宮に入場するシーンも見られることになる。

京浜東北線がオール209系化されてから早8年。 209系500番台を迎え入れたことにより、バリエーションが加わっている。

大宮~宮原間の例の解体場所には、東海道線の113系や元幕張の183系が解体待ちの状態でした。

この後、会場に戻り、終了後に北浦和駅周辺の某居酒屋で行われた二次会に参加しました。 

埼玉サークルの二次会 北浦和で行われた場合は、北浦和駅周辺。与野本町で行われた場合、電車で大宮まで移動し、大宮駅周辺で行われることになる。

7月の埼玉サークルの旅行会の時、大宮で旅行終了となり、この後に大宮駅周辺の居酒屋で二次会が行われることになる。

二次会の後、森敏英さんと一緒に、北浦和から京浜東北線の209系900番台(クハ209ー921F)に乗りました。 こちらは、901系時代はC編成と呼ばれていた。

森敏英さんは、南浦和で武蔵野線に乗り換え。 筆者はこのまま赤羽まで乗車しました。

赤羽からの埼京線では、新宿・大崎方面への直通電車の運転が終了していたので、すべて池袋行きとなっていました。

この時に乗った編成は、ハエ1編成(クハ205-89F)で、4号車と7号車のサハ(T車)は、しぶとく残る幕式の標示(廃車予定車)となっていました。

この時に、幕式の池袋行きの表示を見ることが出来たけど、撮影しました。

本当にこれらのT車の行く末が気になるけど、廃車・解体になりそうで不安な状態です。

この列車は、湘南新宿ラインの北行などが発着するはずの池袋3番線に到着。折り返しは池袋始発赤羽行きとなっていたので、かつての赤羽線時代を思い出しました。
新宿行きの最終は赤羽23時35分発(赤羽始発)となるので、それ以降は池袋止まりとなっていました。
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by hy_sengen-sin | 2006-02-13 11:32 | 鉄道友の会イベント

埼玉サークル

あの後は、三橋さん、林直樹さん、木澤さん、奥野さんとともに、金沢八景に向かい、606Fのブルースカイトレインを狙おうとしていたけど、来なかったので、京急川崎で狙うことが出来ました。

金沢八景駅付近の東急車輌では、1433F(川崎重工で製造され、東急車輌で整備された編成)、都営新宿線の10-300系、房総特急のE257系500番台が置いてありました。

あとは、6年前まで東急(現横浜高速鉄道)こどもの国線で走っていた7052Fも見ることが出来たし。 この車両は、東急車輌での入れ替え用車として使われているけど、塗装はそのままでした。 こどもの国のシンボルマークが残っていた。

京急の金沢文庫から金沢八景の間では、東急車輌で製造された発送待ちの車両を見ることが出来るのでチェックしています。

東急車輌で製造された首都圏を走るJRの車両は、ダイヤ情報に乗っていない、逗子からの自力回送で運ばれることになっている。 E257系500番台の場合は、逗子から幕張まで直接送り込まれることになっている。

金沢八景駅の4番線が、箱根登山鉄道の小田原~箱根湯本間などで見られる3線軌条となっているのも、京急逗子線を介して運ばれる為である。(神武寺~新逗子間で専用線に入りJR逗子駅構内へ) この区間での輸送はDLによって行われる。神武寺~東急車輌工場間は、終電後の輸送となる。 

品川からは、3人と別れた後、木澤さんと一緒に、京浜東北線の大宮行きで北浦和まで一直し、ここから埼玉サークルの2次会の会場である北浦和駅付近の某居酒屋に行きました。

昨年は5000円程度する値段が高い場所だったので、今年は安く済みました。

ここで、多喜千与三さんたちと出会うことが出来てよかったです。 

残念なことに、時間の関係でメインの例会に出ることが出来なかったけど、2次会のみ参加出来たことで感謝しています。 場所は、木澤さんに教えてもらったので。

本当は、多喜千与三さん自慢のデジカメの画像を見たかったんだけどね! 話によると郡山に行かれたそうなので。

郡山は、タンク車群でもおなじみです。

2次会終了の時、参加費用が昨年よりも安くなっていたので、とても嬉しく思いました。 後から来た自分を含めた3人の分(別勘定)も安く済んだし。

北浦和から赤羽までは、京浜東北線で数少ない209系の500番台(クハ209-517F)に乗りました。 こちらは、中央・総武緩行線に配置されていたけど、デジタルATCの取り付け用の予備車として、すぐに京浜東北線に516Fとともに転属していました。

木澤さんは、そのまま乗車せずに、多喜千与三さんと一緒に、武蔵野線経由で八王子まで行ってました。 普段は新宿経由で帰っているけど、多喜千与三さんと仲良く八王子経由で帰っていたということで、とてもよかっな!と思いました。

赤羽から池袋までは、湘南新宿ラインで移動。 

池袋駅では、上野・東京・品川駅と同様に、自動販売機・コインロッカーもスイカ対応となっていました。 今後は新宿・渋谷駅などのターミナル駅を中心に増えてくると思います。

また、納涼大会などでお会い出来ると思います。

吉村光夫氏のトークショー 京急との関わりが深いということでとても見応えがありました。 
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by hy_sengen-sin | 2005-08-08 13:05 | 鉄道友の会イベント