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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

水戸線、真岡鐵道

北千住から友部までは、いわき行きの415系に乗りました。 編成は、K811編成(クハ411-811F)+K535編成(クハ411-1525F)の11両で、全区間11両運転でした。

今年7月にE531系が導入されたことにより、415系の廃車が出ています。 常磐線では、401系や403系の廃車が出ているけど、常磐線の415系としては初の廃車となっている。

初期型の401系のほうは、1991(H3)年に全廃となっている。1997(H9)年にE501系が追加導入された時も403系に廃車が出ている。

友部駅では、EF81牽引の貨物列車、毒物輸送のコンテナ車を見ることが出来ました。

友部駅=現在橋上駅舎への改築が行われているため、仮駅舎となっていた。

友部から下館までは、403系の貴重なフル編成である、K551編成(クハ401-63F)に乗りました。 この前に、小山発水戸行きのK544編成(クハ411-1534F)を見ることが出来ました。 

このK544編成(クハ411-1601F)は、7月8日まで運転された、2階建て普通車(クハ415-1901F)連結のK880編成に連結されていたけど、予想通り、4両編成のK544編成として独立していました。 

この2階建て普通車のほうは、使い道が無いため、415系の普通鋼製車とともに廃車となることが予想されます。

水戸線のほうは、1889(M22)年に、小山~水戸間の水戸鉄道として開業。 友部~水戸間は、常磐線の一部となっている。

1967(S42)年2月1日に水戸線が交流電化されて以来、常磐線と共通運用されているので、常磐線の支線というイメージが強いです。

土浦と岩瀬の間を結んでいた、筑波鉄道の廃線跡は、ほとんどがサイクリングロードとなっている。

新治の駅では、水戸支社のお座敷電車であるリゾートエクスプレスゆうを見ることが出来ました。

この485系リゾートエクスプレスゆうは、1991(H3)年に、かつて活躍していた旧型のミト座(スロ81)による「ふれあい」に変わるジョイフルトレインとして、新潟のシルフィード(現NO.DO.KA)と同様にサロ189を種車に登場した列車で、当時は、座席を有した欧風電車となっていた。 
1998(H10)年にはお座敷需要の拡大により、4号車のイベントカーを除いてお座敷電車に改造されている。

このリゾートエクスプレスゆうは、一昨年の勝田でのイベントで展示されていました。

水戸支社には、1995(H7)年から2000(H12)年まで、キハ40、キハ48型から改造されたお座敷気動車「漫遊」があったけど、現在は、「ふるさと」として仙台支社(小牛田運輸区)で活躍している。 漫遊の時代は、常陸大子の水郡線営業所所属だった。

403系のほうは、現在7両編成2本、4両編成10本残っているけど、うち7両編成1本、4両編成5本は、中間車が415系となっている。

403系のフル編成は、4両編成5本、7両編成1本のみとなっている。

403系の7両編成であるK821編成のうちのクハ401-83号車は、唯一原型のヘッドライト(通称デカ目)で残されている。 残念ながら未だ見たことがありません。現在予備車扱いとなっているため、見れる機会が少ない状態である。

下館駅のある筑西市は、今年3月28日に、下館市・真壁郡関代町・明野町・協和町が合併して誕生した市である。

下館までは、北千住からつくばエクスプレスで守谷まで行き、ここから関東鉄道常総線で水海道乗り換え(一部直通)で行くことも可能である。 関東鉄道常総線のほうは、8月24日のつくばエクスプレスの開業により大きく変わっている。

新型車両(キハ2400型)の増備、終日ワンマン運転化、朝夕の快速列車の新設、ATS-Pの導入により、つくばエクスプレスにリンクする形で変わっている。

関東鉄道の守谷駅、つくばエクスプレスの開業に合わせて橋上駅舎に改築 関東鉄道の守谷駅の新駅舎は、今年3月28日に新駅舎が使用開始されている。 

関東鉄道の車両 ほとんどがキハ2000型シリーズ(2両編成のキハ2100、2300、単行のキハ2200、2400)となり、元JRのキハ30・35型から改造されたキハ300・350型の廃車が進行している状態である。ほかには、キハ0型もあるけど、安泰状態である。

佐貫駅から出ている竜ヶ崎線には、キハ2000型DCが2両、キハ532型DCが1両(いずれもワンマンの単行運転)がある。

土曜・休日に関東鉄道を乗り歩くなら、1500円の常総線1日フリーきっぷがお得である。

下館から真岡までは、モオカ14型DCに初めて乗りました。

真岡鐵道真岡線 1988(S63)年4月11日、下館~茂木間を結ぶJR(旧国鉄)真岡線に代わって第三セクター化された路線である。 1994(H6)年に、秩父鉄道に続き、関東でSL運転が行われるようになったということで話題の路線でもある。 通称「コットンウェイ」

コットンウェイの由来は、真岡市で木綿の生産が盛んであること、SLが走る音が「コットンコットン」と聞こえたこととなっている。

このモオカ14型DCは、2002(H14)年に、これまでのモオカ63型DCの置き換え用として登場 当初の2両は、モオカ63型と同様に、富士重工で製造されたけど、2003(H15)年3月の富士重工の鉄道車両の製造からの撤退により、モオカ14-3、4号車から、日本車輌製となっている。 

日本車輌製のDCといえば、JR東海のキハ11・75・85型といったオリジナルDC、名鉄の8500型DC(現会津鉄道8500型会津マウントエクスプレス)、JR九州のキハ200型などが挙げられているけど、現在は日本車輌製のDCは珍しい状態となっている。 7月31日に筆者が乗車した鹿島臨海鉄道の6000型DCも日本車輌製となっているし。

富士重工の鉄道製造部門 気動車、客車、東武の電車が宇都宮製作所で製造されていた。 JR日光線の鶴田駅からの甲種回送も過去帳入りに 

現在の気動車メーカーは、2001(H13)年に経営破綻した新潟鐵工所に代わって登場した新潟トランシス(2003(H15)年2月にIHI石川島播磨重工の系列会社として設立)が主流となっている。こちらは、富士重工の鉄道製造部門も継承されている。 ここでは、気動車のほか、新交通システム、産業用機械、除雪機械(いずれも新潟鐵工所から継承)も製造されている。

かつて東急車輌でも、東武のキハ2000型DC(23年前に廃止された熊谷線用車)などの気動車が製造されていたけど、現在は気動車の製造から撤退し、電車の製造がメインとなっている。

現在日本国内での気動車製造メーカーは、新潟トランシスと日本車輌の2社のみとなっている。

モオカ14型DCの初期型は、上部の中央にヘッドライトがあったけど、日本車輌製の2次車からは、ヘッドライトが上部の左右に移り、ヘッドライトがあった部分にワンマンの表示が付けられるようになっている。 座席はすべてロングシートで鉄道車両規格となっている。

このモオカ14型DCは2両のペースで導入され、2007(H19)年までに12両出揃う予定となっている。 こちらは、JR水戸線への乗り入れ対応となっているけど、それが実現すれば、真岡線時代以来の水戸線との直通運転が復活することになる。 営業運転開始は、2003(H15)年1月20日。

モオカ63型DC 1988(S63)年4月にデビュー 座席はロングシートまたはセミクロスシートとなっている。当初はすべてセミクロスシートだったけど、631~635号車は1991(H3)年にロングシート化されている。

この車両は、富士重工製のレールバス規格の車体に、小松製作所のエンジンを搭載した車両で、1993(H5)年のモオカ63-11号車まで、11両製造されていた。

レールバス規格の車体ということで老朽化が進んでいるため、鉄道車両規格のモオカ14型に順次置き換えられることになっている。 

真岡駅の駅舎 SLをモチーフとした駅舎となっている。この駅では百選のスタンプを押しました。 

真岡駅には、真岡鐵道の車両基地があり、JR旧真岡線で使用されていたキハ20型DCも、朱色1色のままでここに保存されていました。

行きに乗ったモオカ14型DCは、昨年度導入されたモオカ14ー6号車でした。

帰りも、モオカ14型で、14-3号車に当たりました。

今回はモオカ63型DCに乗ることが出来なかったけど、久下田駅で見ることが出来ました。

モオカ63型DCのほうは、以前乗ったことがあります。

真岡鐵道のSL C11ー325、C12ー66号機の2両ある。 こちらの重連運転も可能

客車は、元JR東日本の50系客車で、オハ50-5011(2039)、オハ50-5022(2198)、オハフ50-5033(2054)の3両となっています。(塗装は茶色で白帯) カッコ内はJR時代の車号。

オハフ50-5033号車にはトイレが付いているけど、汚物処理装置が完備されているため使用可能となっている。 真岡鐵道で唯一トイレが付いている車両。
この汚物処理装置は、以前鹿島臨海鉄道の2000型DCで使用されていた汚物タンクが再利用されています。 鹿島臨海鉄道から茨城交通に譲渡された時にトイレが撤去されたので。

真岡鐵道のSL列車は、土曜・休日を中心に下館~茂木間で1往復運転されている。 この列車に乗るには、500円のSL整理券(全席自由席)が必要となる。

旧真岡線時代には、キハ20型DCのほか、キハ45型DCも使われていた。

茂木は、HONDA系列のサーキット場である、ツインリンクもてぎがあることで有名である。

この真岡鐵道は、今から5年前の2000(H12)年夏に茂木まで乗りつぶししたことがあります。

下館から小山までは、7両編成の415系であるK809編成(クハ411-509F)に乗りました。

水戸線では、ほとんどが4両編成で運転されているけど、7両編成は珍しかったです。

小山駅構内が直流電化されているため、小山~小田林間で、デッドセクションを通過しました。
 夜だったので、電気が消えていたということがはっきり分かりました。 

水戸線のほうは、E531系の追加導入によって、5両の付属編成が入線する予定となっているけど、415系1500番台のほうは、残ると思います。

415系の普通鋼製車のE531系への置き換えにより、今から20年前の科学万博輸送の面影が徐々に無くなっていくことになります。 415系1500番台は、1986(S61)年に登場したため。

1961(S36)年6月の取手~勝田間の交流電化の時に登場した401系の低運転台車のほうは、20年前の科学万博輸送の終了とともに廃車となっている。末期は白に青帯の塗装だった。

愛知環状鉄道の100系列電車(100、200、300型)も、9月25日の愛知万博の閉幕とともに、営業運転を終える予定となっているので、同じ運命となる。

常磐線の415系の4両編成のうち、K510編成(クハ411-319F)は、2001(H13)年から2003(H15)年まで、かつての赤電塗装に変更されていたことがあった。

JR九州のほうでは、常磐線と同様に415系(一部1500番台もあり)も走っているけど、普通鋼製車も安泰状態である。こちらは交直両用であるということを生かして、関門トンネルを越え、下関または新山口(旧小郡)方面にも乗り入れている。

5年前にリバイバルカラーに変更されたFm5編成(クハ411-329F)のほうは、未だにリバイバルカラーとなっている。

415系の普通鋼製車が常磐線から無くなる前に、再び赤電を走らせてほしいと思っています。

415系1500番台 旧国鉄時代に1501~1508Fまで、常磐線に、1509~1521Fまで、九州地域に導入。 前者がJR東日本、降車がJR九州に継承されている。 JR化後に導入された1522F以降の編成は、すべて常磐線用(JR東日本)となっている。

ベースとなった211系とは異なり、足回り品が従来の415系と共通であるため、普通鋼製の415系との混結も頻繁に見られる状態である。 

415系1500番台で唯一の7両固定編成であるK820編成(クハ411-1503F)は、中間車の2両のみ普通鋼製のモハ415ー723、モハ414-723号車が入っている。

小山から大宮まではE231系の快速ラビット、大宮から池袋までは、湘南新宿ラインで帰りました。

大宮では、9月25日に運転終了となる、485系特急あいづ号を見ました。

485系のリニューアル編成は、あいづ号としての運用が終了した後、来年3月のJRと東武の直通運転に備えて訓練運転が行われる予定である。 1編成のみでは不足するので、もう1本改造されると思われます。

8月18日に長野電鉄への譲渡のため、日本車輌へと運ばれた小田急10000系は、10061Fだった。近いうちにもう1本(10021F)が回送される予定となっているけど、対象から外された1本(10001F)および唯一現役である10041Fの行く末が気になります。

10月15、16日の2日間に海老名で行われるイベントでは、10000系が展示されることになっている。 余裕があれば、恒例のSSE車の見学も行う予定。 SSE車の横に保存されていた機関車が撤去されてしまったのが残念です。 

その他、新3000系、9000系、2200系も展示されるけど、3100系の展示は無いです。

2200系の展示は2年ぶり。 同じツートンカラーである2600系(2670F)は、昨年6月にラストランを迎えた後、未だに海老名に留置されたままとなっています。 
by hy_sengen-sin | 2005-09-05 12:43 | 鉄道乗車記