碓氷峠3
2007年 10月 11日
鉄道文化むらを出た後、峠の湯まで、アプトの道を歩いていきました。 このことで、2002(H14)年12月に初めて歩いたことを思い出しました。
トロッコ列車発着ホームには、トロッコ列車+DLがEF63ー24号機と並んでいました。
その奧には、車掌車であるヨ3500形のヨ3961号車がある。
元JR貨物のEF65-520号機(F形)は、解体予定だったけど、保存団体による熱いエールによって碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されるようになったのである。
EF65-500番台は、人気のある機関車で、現在はオリジナル塗装のP形がJR東日本所属の501号機と、JR貨物所属の535号機が最後の活躍をしている。
F形では、EF65-515号機が、JR貨物で更新されて活躍中となっている。
その途中には、碓氷関所跡や、麻苧茶屋、招魂碑がありました。
あとは、上信越自動車道の碓氷梁も見ることも出来たし。 こちらは、1993(H5)年3月27日に、藤岡IC~佐久ICの開通と共に出来た橋である。横軽区間の現役当時もここをまたいでいたのである。
まるやま駅~とうげのゆ駅間には、霧積川橋梁があり、トロッコ列車もここを渡っていた。 この周辺には、66.7パーミルの急勾配(日本一の急勾配区間)がある。
碓氷峠のトロッコ列車は、12月から2月まで運休となる。
霧積川の奧には、霧積温泉がある。
周辺の観光施設は、麻苧の滝、坂本宿などが挙げられている。
峠の湯に到着した後、温泉浴場に入りました。 ここの浴場は、洋風と和風があり、週毎に男女が入れ替わることになっている。(日曜日の朝に入れ替え) 筆者が行った時には、洋風が男風呂となっていた。 和風風呂は、碓氷で妙義山側に、洋風風呂は霧積でゴルフ場側にある。
洋風風呂からは、碓氷峠の廃線跡を見ることが出来ました。
この浴場は、展望も売りである。
ここでは、和洋の家族風呂があり、檜風呂を借り切ることが出来る。 和風は龍駒、洋風は刎石という愛称が付いている。
アプトの道をさらに進めば、かつてのアプト式区間で使用された5つのトンネル、碓氷湖、めがね橋こと碓氷第3橋梁まで行くことが出来る。 この遊歩道は、めがね橋が終点となっており、その端の上を歩くことが出来る。 今回も時間の関係で行くことが出来なかったので残念に思っている。
めがね橋へは、横川駅からめがねバスというJRバス関東の路線バスで行くことが出来る。こちらは横川駅10時55分、横川駅帰着11時55分と1日1往復で季節運行となっている。
碓氷峠の廃線跡は、復活に向けた動きが出ているけど、実現を願う声が高まっている。
アプト式の時代は、電化後、第三軌条方式による集電方式となっていた。
あの後、横川駅まで戻り、高崎まで、115系の普通列車で移動しました。 この時に乗った編成は、4両編成のT1142編成(クハ115-1133F)だった。
高崎からは、熊谷乗り継ぎで、湘南新宿ラインで帰りました。 乗った車両はどちらもE231系だった。
トロッコ列車発着ホームには、トロッコ列車+DLがEF63ー24号機と並んでいました。
その奧には、車掌車であるヨ3500形のヨ3961号車がある。
元JR貨物のEF65-520号機(F形)は、解体予定だったけど、保存団体による熱いエールによって碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されるようになったのである。
EF65-500番台は、人気のある機関車で、現在はオリジナル塗装のP形がJR東日本所属の501号機と、JR貨物所属の535号機が最後の活躍をしている。
F形では、EF65-515号機が、JR貨物で更新されて活躍中となっている。
その途中には、碓氷関所跡や、麻苧茶屋、招魂碑がありました。
あとは、上信越自動車道の碓氷梁も見ることも出来たし。 こちらは、1993(H5)年3月27日に、藤岡IC~佐久ICの開通と共に出来た橋である。横軽区間の現役当時もここをまたいでいたのである。
まるやま駅~とうげのゆ駅間には、霧積川橋梁があり、トロッコ列車もここを渡っていた。 この周辺には、66.7パーミルの急勾配(日本一の急勾配区間)がある。
碓氷峠のトロッコ列車は、12月から2月まで運休となる。
霧積川の奧には、霧積温泉がある。
周辺の観光施設は、麻苧の滝、坂本宿などが挙げられている。
峠の湯に到着した後、温泉浴場に入りました。 ここの浴場は、洋風と和風があり、週毎に男女が入れ替わることになっている。(日曜日の朝に入れ替え) 筆者が行った時には、洋風が男風呂となっていた。 和風風呂は、碓氷で妙義山側に、洋風風呂は霧積でゴルフ場側にある。
洋風風呂からは、碓氷峠の廃線跡を見ることが出来ました。
この浴場は、展望も売りである。
ここでは、和洋の家族風呂があり、檜風呂を借り切ることが出来る。 和風は龍駒、洋風は刎石という愛称が付いている。
アプトの道をさらに進めば、かつてのアプト式区間で使用された5つのトンネル、碓氷湖、めがね橋こと碓氷第3橋梁まで行くことが出来る。 この遊歩道は、めがね橋が終点となっており、その端の上を歩くことが出来る。 今回も時間の関係で行くことが出来なかったので残念に思っている。
めがね橋へは、横川駅からめがねバスというJRバス関東の路線バスで行くことが出来る。こちらは横川駅10時55分、横川駅帰着11時55分と1日1往復で季節運行となっている。
碓氷峠の廃線跡は、復活に向けた動きが出ているけど、実現を願う声が高まっている。
アプト式の時代は、電化後、第三軌条方式による集電方式となっていた。
あの後、横川駅まで戻り、高崎まで、115系の普通列車で移動しました。 この時に乗った編成は、4両編成のT1142編成(クハ115-1133F)だった。
高崎からは、熊谷乗り継ぎで、湘南新宿ラインで帰りました。 乗った車両はどちらもE231系だった。
by hy_sengen-sin
| 2007-10-11 11:56
| 鉄道の博物館