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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

土・日きっぷの旅5(仙台市内、県北編2)

小牛田駅構内では、風っこの2両のうちの1両を見ることが出来ました。

この駅は昨年3月に増改築工事が行われ、東西自由通路が新設されていた。

確認出来た車両は、留置、キハ28-2174、2318、2380号車 

石巻線、女川行きのワンマン列車、キハ48-1545、554号車。

あとは、仙台行きの701系、F2-517編成(クモハ701-1517F)を見ることが出来ました。

701系1500番台のうち、初期型は1998(H10)年に715系の置き換え用として導入されていた。 ブレーキ装置が発電ブレーキから回生ブレーキに変更された。後期型は、2001(H13)年に導入されたけど、トイレが運転台後部のドアの後ろの部分に移設され、車椅子対応の幅広タイプとなっている。行き先表示はLEDとなった。

1500番台のうち、F2-508編成(クモハ701-1508F)だけは、1000番台(クモハ701-1533F)から改造されている。

改造された理由は、浸水事故で床下機器が損傷したことにより、装置が交換されていたことだったんである。 同時に回生ブレーキ方式、LED表示に変更されていた。

701系の0番台は、ベースとなった209系と同様に1993(H5)年に登場したけど、足回り品の交換も行われることが予想されています。

715系のほうは、北陸エリアの419系と同様に、元祖寝台電車の581・583系(月光型車両)から改造された車両であり、中間車から改造された食パンタイプの前面もあった。

九州は0番台、東日本は1000番台。

1998(H10)年には、JR東日本から引退したけど、同時期にJR九州からも引退したために過去の車両となってしまった。 

うちJR九州を走っていたクハ715-1号車のほうは、2000(H12)年に小倉工場でクハネ581-8号車に復元され、門司港の九州鉄道記念館で保存されている。改造されたのは外観だけで、車内は715系と同じである。

筆者が715系に乗ったのは、1995(H7)年8月1日に仙台から小牛田まで乗った時が最初で最後となってしまった。当時は715系の廃車が始まっていた時だった。

419系のほうは、昨年10月9日に直江津から富山まで乗ったので、あの時が最初で最後の乗車になる可能性がある。

小牛田から古川までは、陸羽東線(奥の細道湯けむりライン)のキハ110系DCで移動。

この時に乗った車両は、キハ111-213Fで、専用の塗装となっていた。こちらは、1999(H11)年12月4日の山形新幹線の新庄延長を期に、陸羽西線と同時にキハ110系列に置き換えられていたのである。 これらのキハ110系列は、最終増備車である。

陸羽西線・陸羽東線のキハ110系列のDCは、奥の細道の文字が入っているけど、中には1人掛けの回転クロスシートが採用された車両もある。 こちらは、陸羽西線で最上川の景色を楽しむために導入されていた。

トイレのほうは、両運転台車を含め、和式トイレから車椅子対応の洋式トイレに変更されている。

古川駅のある大崎市は、昨年3月31日に、古川市、遠田郡田尻町、志田郡三本木町・松山町・鹿島台町、玉造郡岩出山町・鳴子町の1市6町が新設合併されて誕生した市である。

岩出山エリア(旧岩出山町)には、岩出山城の跡がある。

鳴子温泉は、福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉と並ぶ奥州三名湯の一つで、こけしでも有名である。

鳴子温泉の共同浴場は、滝の湯と早稲田座敷湯が有名であり、後者の早稲田座敷湯のほうは、1948(S23)年に、早稲田大学理工学部土木工学科の7人の学生によって、ボーリングの実習で源泉が掘り当てられていた。 ここから、早稲田座敷湯という共同浴場が誕生していた。1998(H10)年に改築された時には、早稲田大学理工学部建築学科の教授によってデザインされていた。2001(H13)年7月と、2002(H14)年11月に筆者が鳴子温泉に行った時に早稲田座敷湯に入ったことがある。

陸羽東線は、小牛田から古川、鳴子温泉を経由して新庄まで至る路線で、鳴子温泉を境に運行系統が分割されている。 小牛田~新庄間の通しの運転は新庄行きが1本、小牛田行きが2本となっている。

今回乗った列車は鳴子温泉行きだった。

陸羽西線は、新庄~余目間の路線で、酒田への直通がある。 こちらは2000(H12)年3月5日に乗ったことがある。 こちらは最上川の景色を楽しむことが出来る路線なので、奥の細道最上川ラインという愛称がある。

最上川は、富士川(静岡県)、球磨川(熊本県)と並んで、日本三大急流の1つである。

最上川舟下りは、古口駅付近の戸沢藩船番所から乗船することになっており、冬季には、雪見舟(こたつ舟)も運航されている。 下船場は、白糸の滝、草薙温泉付近にある最上川リバーボートとなっている。

古川駅に到着した後は、東北新幹線のやまびこ66号の東京行きで仙台まで戻りました。 この前には、E2系+E3系によるはやて・こまち30号が通過していた。 こちらは一ノ関駅で通過待ちが行われていた。

この時に使用されていた編成は、E2系の1000番台のJ66編成(223-1016F)による10両の単独編成で、自由席は、1号車から6号車に設定されていた。 

東北新幹線のやまびこ号(東京~仙台、盛岡間)、なすの号(東京~那須塩原、郡山間)のうち、E2系+E3系(こまちタイプの車両)連結の車両(はやて・こまち号の間合い運用)もあるけど、E3系側にあるこまちのロゴで誤解を招く恐れがある。

こまち用のE3系が、東北新幹線内での間合い運用に盛んに使用されているのは、R17編成以降およびR16編成以前の増結中間T車1両(E328形)がJR東日本による保有となっているからである。

R1~R16編成のうちの先頭車を含む5両は、秋田新幹線車両保有からのリース車両となっている。

このやまびこ66号は、盛岡から仙台まで各駅停車、仙台から先は、福島、郡山、宇都宮、大宮、上野、東京の順に停車していた。 東京着は21時48分。

古川駅には、古川オフレールステーションというコンテナステーションがあり、ここと宮城野貨物駅との間のトラック輸送が行われている。以前は、ここで貨物列車の扱いが行われていた。

宮城野貨物駅は、長町駅と東仙台駅を結ぶ宮城野貨物線の途中にある。

仙台駅に到着した後、駅前広場でリポビタンDのイベントを見ました。 リポビタンDは、大正製薬から発売されている栄養ビタミン剤であり、「ファイト!一発!」のCMでおなじみである。

発売されたのは、1962(S37)年のこと。

ここで、リポビタンDを試飲しました。 

この後、歩いて勾当台公園駅付近にある宿泊地の某ビジネスホテルに行き、チェックインしました。荷物を置いた後、仙台駅前まで歩いて行きました。

仙台駅構内では、無尽蔵という新潟拠点のラーメン店で、柿ポリフェノール配合のラーメンを食べました。

この後、あおば通から榴ヶ岡まで仙石線の205系のM1編成(クハ205-3101F)に乗りました。

この編成は、クハ204-3101号車が、サハ205-34(旧ヤテ17編成の4号車)、モハ205・204-3101号車が、モハ205・204-53号車(旧ヤテ18編成の5、6号車)、クハ205-3101号車が、サハ205-160号車(旧ハエ8編成の7号車)から改造されていた。

このサハ205-160号車は、2001(H13)年にハエ8編成の2号車に6ドア車(サハ204-902号車)が試験的に組み込まれていた時に、暫定的に3号車に移設されていた。 2号車に連結されていたサハ205-161号車は、鶴見線のクハ205-1101号車に改造されている。 このクハ205-1101号車は、試験的に先頭車改造された車両で、M+Mcユニットが改造されるまでの間、鎌倉総合車両センター(昨年3月末に工場部分が閉鎖)に留置されていた。

2002(H14)年6月に、山手線から捻出された6ドア車(サハ204ー11号車)が3号車に組み込まれ、本編成となった後に、サハ205-160号車が仙石線に転用されていたのである。

この時には、仙石線のマナーアップキャンペーンによるマナーアップステッカーが貼られていました。

仙石線では、今年3月から103系の1編成(RT-235、クハ103-235F)がトイレ取り付け等で復活していたけど、平日のみの運転となっている。

黒岩さんや高石さんが平日に狙っていたのはそのためである。

本当は多賀城まで乗って行きたかったけど、電車の運転間隔が30分以上空いてしまうために、榴ヶ岡で下車したのである。 

仙台(あおば通)~陸前原ノ町間は、2000(H12)年3月11日に地下化されていたけど、当初は自動改札が無かったけど、現在は自動改札化されているので、地下駅らしい駅となった。

榴ヶ岡駅も、隣の宮城野原駅と同様に、東北楽天イーグルスの本拠地であるフルキャスト宮城スタジアム(県営宮城球場)への最寄り駅となっているので、イーグルスムードが高まっていました。

こちらは、1973(S48)年から1977(S52)年まで、ロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の本拠地として使用されていたこともあった。

仙石線が直流電化区間となっているのは、直流電化の宮城電気鉄道が、1944(S19)年に国有化された路線であるからである。

榴ヶ岡駅前に降り立った時に、昨年3月26日に仙台サンプラザで行われたモーニング娘。のコンサート「レインボーセブン」に行った時を思い出しました。夜はらぶかつさんとの連番で楽しんでいた。

当時は、紺野あさ美女史が1推しだったけど、現在の1推しである道重さゆみ女史にも初めて声援を送った記念すべき場所でもある。

やはり、レインボーセブンに収録されている「レインボーピンク」に魅了されていた影響もある。 レインボーピンクは、筆者の現在の推しメンである道重さゆみ、久住小春両女史によるユニットで、前者が重ピンク、後者がこはっピンクと呼ばれている。

当時は、紺野あさ美女史の卒業が発表されていたので、次期のモーニング娘。の推しメンバーを考えなくてはならない次期に差し掛かっていたので、このレインボーピンクに白羽の矢が立っていたのである。

同年11月3日にも、モーニング娘。のコンサート「踊れ!モーニングカレー」が行われてた。

この日は、福岡県出身のCHAGEとASKAによるデュオであるチャゲアス(CHAGE&ASKA)のコンサートが行われていた。

チャゲアスのほうは、1991(H3)年7月にリリースされたSAY YESが大ヒットしていたことで有名である。

デビューしたのは1979(S54)年。今回のツアーの仙台サンプラザ公演は、7月6、7、9日に行われていた。

仙台サンプラザは、1991(H3)年3月に、仙台市立榴岡病院(旧仙台市立伝染病院)の跡地に建設されており、コンサートホールのほか、ホテル等も完備されている。 この仙台市立榴岡病院は、1980(S55)年に閉鎖されていた。

こちらは、日本武道館に構造が似ているので、ミニ武道館と呼ばれている。 

あとは、会場の雰囲気がよこすか芸術劇場にも似ているし。

ここでは、ビアガーデンが開設されていた。

榴ヶ岡駅前にある榴岡公園は、桜の名所である。 こちらは旧陸軍歩兵第四連隊の敷地で、戦後警察学校などに使用されたのち、公園として整備されていた。

榴ヶ岡からあおば通まで、M7編成(クハ205-3107F)に乗車。 こちらは旧ヤテ22編成のT車(4、7号車のユニット)、旧ヤテ24編成のM車(5、6号車のユニット)から改造されていた。

仙石線の205系のうちM8編成(2WAYシート車)は、マンガッタンライナーとして、故・石ノ森章太郎氏原作のマンガキャラクター「サイボーグ007、仮面ライダー、秘密戦隊ゴレンジャー、がんばれロボコン」が描かれている。

土曜・休日には、あおば通~石巻間で2往復されているけど、平日には通常の運用に入ることもある。 2003(H15)年12月8日には、これに乗ったことがあるけど、トイレの壁にもロボコンのシルエットがあった。

あおば通から勾当台公園までは、仙台市営地下鉄南北線の1000系の1111Fで移動。

1111の番号で、モーニング娘。の田中れいな女史の誕生日である11月11日を思い出しました。 あとは、今から10年前に行われたシャ乱Q女性ロックボーカリストオーディションでの安倍なつみ女史のオーディション番号(1111)でもあった。

勾当台公園駅からは歩いて某ビジネスホテルに戻りました。 ここで1日が終わったのである。
by hy_sengen-sin | 2007-07-17 10:41 | 鉄道乗車記