人気ブログランキング | 話題のタグを見る

交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

土・日きっぷの旅1、スーパーひたち

7月7日から8日に掛けて、土・日きっぷを使って南東北、新潟方面に行ってきました。

1日目のルート 聖母病院入口~目白~上野~湯本~いわき~原ノ町~相馬~名取~仙台空港~名取~仙台~小牛田~古川~仙台…あおば通~榴ヶ岡~あおば通…仙台~勾当台公園

まずは聖母病院入口バス停から目白駅まで、都営バスで移動。 この時に乗った車両は、F-B604号車(練馬22か67-52)で、富士重工+日産ディーゼル車で、初期型のアイドリングスタート&ストップシステム付きの車両となっていました。こちらは、白61系統の目白駅前行きで、目白駅前~日本女子大間の学05系統の送り込み運用となっていた。 こちらは、目白駅前と日本女子大前間直通で、日本女子大では構内に乗り入れている。

このため、日本女子大の休校日には運休となる。

目白駅折り返し系統は、白61乙系統の目白駅前~椿山荘間の路線もあるけど、こちらは、途中停留所にも停車する。 この場合は、椿山荘の構内にも乗り入れてくる。

目白駅では、坂の途中にある折り返し所で折り返されることになる。

昨年度から、1994(H6)年度に導入されたA番台に廃車が出ているけど、近いうちに1995(H7)年度に導入されたB番台にも廃車が出てくると思われます。A番台は、今年度中に全廃予定となっているし。1993(H5)年度に導入されたZ番台は、昨年度に全廃されている。

今年度に導入される都バスの車両は、R番台となる。 昨年度はP番台。

7時~9時までの時間帯で、バス専用レーンを通っていたのでスムーズに進んでいました。

今年5月には、早稲田営業所からN318(練馬200か13-33)号車(いすゞ車)が、練馬支所に転属してきていました。 その入れ替わりに、L748(練馬200か10-39)号車(西工+日産ディーゼル車)が早稲田営業所に転属している。

その前には、白61系統のH187号車(練馬200か・436)号車を見ることが出来たけど、これには、このブログのプロバイダーであるExciteの広告がありました。

目白から上野までは山手線で移動。 日暮里では上野行きのE531系(K411編成)を見ることが出来ました。あとは京成スカイライナーのAE100形も見ることが出来たし。

上野に到着した後、16番線に行きました。

上野から湯本まで乗ったスーパーひたち11号(上野9時発)は、K101+K207編成で、勝田まで11両、勝田から前4両が切り離されて後ろ7両がいわきまで行ってました。

こちらは勝田発上野行きのフレッシュひたち8号で送り込まれていた。

この隣の17番線には、651系のK108+K203編成のフレッシュひたち13号・勝田行きが止まっていました。 こちらの前運用はいわき発上野行きのスーパーひたち5号。

K108編成は、2002(H14)年1月26日に勝田電車区(現勝田車両センター)で行われた鉄道友の会の新年会の帰りに水戸から乗った編成でもあった。

行きは上野から勝田まで、旧国鉄色に復元されたK510編成(クハ411-319F、現在は廃車済)による貸切列車で移動していた。

筆者は、スーパーひたち11号の5号車(普通車指定席)に乗車。 

このK101編成(クハ651-1F)は、1989(H元)年3月11日に営業運転開始した時から在籍している車両である。 当時は7往復の運転だった。

翌年の1990(H2)年3月10日の改正で651系が増備され、平(現、いわき)以北のひたち号がスーパーひたち号となり、仙台にも進出していた。

1992(H4)年3月14日には、2往復増発され、基本・付属各1編成が導入されていた。

651系は、1988(S63)年から1992(H4)年までの間に、基本・付属各9編成が、485系の第一次置き換え用として、川崎重工で製造されていたけど、JR東日本初のオリジナル特急、白いタキシードボディの採用、在来線特急初の130Km/h運転などで話題となっていた。 こちらは1990(H2)年にブルーリボン賞を受賞していた。

651系の座席は、グリーン車を含め、1995(H7)年にモケット変更、2001(H13)年にリニューアル化によって2回変わっている。

651系のトイレは、当初から全て洋式となっているので、登場当時は話題となっていた。その洋式トイレのブースは、3号車(車椅子対応)を除き、斜めに配置されている。 

このような斜めに配置された洋式トイレは、215系、211系・E217系・E231系・E531系の2階建てグリーン車にも採用されている。

東海道・山陽新幹線のN700系の洋式トイレの一部も斜めに配置されているし。

651系のカード式公衆電話は、4号車と8号車にあるけど、以前は1、6、10号車にもあった。やはり携帯電話の普及により、削減されていたのである。

4号車のグリーン車は、登場当時、衛星放送受信サービスや、喫煙席と禁煙席との仕切があった。 1997(H9)年には、衛星の更新により衛星放送受信サービスが停止され、屋上アンテナドームおよび座席液晶モニタ、オーディオパネルなどが撤去されていた。

2000(H12)年12月2日には、グリーン車が全面禁煙となり、仕切が取り外されていた。 2004(H16)年夏には、仕切部分に座席が増設されていた。 グリーン車の座席配置は2+1。

今年3月18日からは普通車においても全面禁煙化されていた、

651系が登場する前は、485系ボンネット車が当たり前のように使われており、50Hz専用の483系も含まれていた。 

483系は、1965(S40)年に東北特急用として登場していた。 その前年には60Hz専用の481系が登場していたし。

50Hz/60Hz兼用の485系が登場したのは、1968(S43)年10月1日のヨンサントオ改正の時だった。同時に583系寝台電車、キハ181系特急形気動車も登場していた。

晩年は訓練車として使用されていたボンネット車のクハ481-26Fのうち、クハ481-26号車は、さいたま市の新生鉄道博物館で保存されることになっている。

9時に上野を発車。この時に上野9時発の特急草津31号、万座・鹿沢口行き(旧草津白根号)が14番線から発車していたので、同時発車シーンを見ることが出来た。 5月19日には、185系側から見ていたけど、今回は逆から見たことになった。

この時に使用された185系は、大宮総合車両センター東大宮センター所属のOM07編成(クハ185-213F)だった。

651系のほうは、臨時列車で万座・鹿沢口まで乗り入れていたこともある。

南千住駅の手前では、E653系の14両編成によるフレッシュひたち12号とすれ違いました。こちらは高萩始発だけど、勝田で後ろ4両が増結されていた。 この時には、緑色の編成同士の組み合わせとなっていた。

こちらは上野を出た後、水戸までノンストップの状態でした。

取手までの直流区間では、常磐緩行線との併走、常磐快速線のE231系の追い抜きシーンを見ることが出来ました。 北千住で追い抜いたE231系は、我孫子線直通の成田行きだった。

柏では、東京メトロ千代田線で唯一の虎の子である06系を見ることが出来ました。

取手~藤代間の交直切り替え地点(デッドセクション)では、室内灯が消えていました。 この間は読書灯も消えることになる。現在この区間でデッドセクションを体験できるのは、この651系と、団臨用の485系だけとなっている。

ひたち野うしく駅では、E531系のK411編成+付属5両による土浦行きの普通列車を追い抜いていました。 こちらは、日暮里~上野間で見た編成である。

荒川沖駅では、E501系の回送が止まっていた。

土浦では、通過だったけど、上りのスーパーひたち18号(いわき発上野行き)と対面しました。18号は土浦停車。

石岡駅では、今年3月末をもって廃止された鹿島鉄道の廃線跡をチェックしたけど、プラットホームおよび線路、車両基地、車両等が撤去されていました。 跨線橋部分のほうは、残っていた。

最後まで石岡駅に留置されていたKR500形のKR502、503号車、キハ600形602号車のほうは、残念ながら解体されている。

KR500形のほうは、廃止後譲渡されずに廃車となり、KR501号車はキハ714号車と共に個人に譲渡され、KR505号車は、キハ431号車、キハ601号車と共に旧鉾田駅跡で保存されている。

キハ432号車のほうは、小美玉市の病院経営者のもとで保存されている。

水戸駅に到着。 ここでは水郡線のキハ110、キハE130形DC、マニ50-2186号車(ゆうマニ)、EF81-80、93号機などを見ることが出来ました。 水戸駅では、EF81号機からED75号機への付け替え作業が行われているけど、かつて運転されていた寝台特急ゆうづる号も、水戸で機関車の付け替え作業が行われていた。

勝田では、前の4両が切り離され、7両編成となりました。

勝田を出た後、東海、大甕、常陸多賀、日立、磯原、勿来、植田、泉、湯本、いわきの順に停車。

東海駅のある東海村は、日本で最初に原子力の火が灯った村として有名である。

現在は、日本原子力研究開発機構を初めとする、原子力施設が集まっている。東海村以外に、「原発銀座」「原子力の街」と呼ばれる市町村は、敦賀市(福井県)や六ヶ所村(青森県の下北半島)が有名である。

1999(H11)年9月30日には、東海村JCO臨界事故が発生していた。

東海駅は、1898(M31)年4月1日の開業時は、石神駅と呼ばれていた。

1957(S32)年4月1日に現在の東海駅となった。

1926(T15)年4月24日から1933(S8)年2月15日まで、石神(現、東海)から阿漕まで村松軌道という路線が出ていたことがあったけど、開業から僅か7年間で廃止された短命路線となっていた。

次の大甕駅および日立駅の手前で日立電鉄の廃線跡を見たけど、廃止からもう2年経ったんだな!ということを実感しました。 鮎川駅は、常磐線の常陸多賀~日立間の車窓から見える場所にあった。

高萩駅構内には、3月17日をもって定期運用から離脱された415系の普通鋼製車が疎開留置されていました。ダイヤ改正以前には、E501系や、営業運転に入る前のE531系が留置されていた。

こちらは、上野発着の常磐線中距離電車の終点となっているけど、東京近郊区間やSuicaのエリアとなっていない。 Suicaの利用可能区間のほうは、来年春に高萩まで延長されることが決まっている。

磯原駅では、七つの子の発車メロディーを聴くことが出来ました。

大津港を出た後、福島県に入りました。この時にようこそふくしまへという看板が出迎えてくれた。

湯本駅に到着した後、下りホームにある足湯に入りました。

この後、温泉街を散策し、さはこの湯という公共浴場に入りました。 あとは、駅前の足湯や鶴の足湯にも入ったけど。

湯本駅前では、日野の旧ロゴの入った新常磐交通の車両を見ることが出来ました。

2005(H17)年4月2日には、湯本駅付近のいわき市常磐市民会館で、吉澤ひとみ・藤本美貴・新垣里沙・道重さゆみ各女史が出てきた東北楽天イーグルスのプレビューイベント・握手会があったけど、筆者は18きっぷが余っていなかったこと、東京メトロ1周年記念のスタンプラリーに行っていたことや、翌3日に郡山市市民文化センターで行われた矢口真里・高橋愛・紺野あさ美各女史が出てきた同プレビューイベントを優先させたことの理由により行くことが出来なかったことで残念に思いました。

あの時には現在唯一握手したことの無い新垣里沙女史とも握手するチャンスでもあった。

当時は18きっぷで行くことも可能となっていた。 やはり当時は紺野あさ美女史が1推しだったのでやむを得なかった。

筆者は、モーニング娘。のメンバー全員と握手したいという願望があるけど、なかなか叶わないのが現状である。

3月のレポートでは、このようなことを言っていたけど、今年6月16日にガキさんこと新垣里沙女史と初めて握手し、メンバー全員との握手を制覇したことによって、このような問題が解消されていた。 これによっていわき湯本温泉郷に安心して行けるようになったのである。

あとは、筆者1推しの道重さゆみ女史とも2年ぶりに握手することが出来たし。

駅前の足湯に入っていた時に、仙台発上野行きのスーパーひたち34号を見ることが出来ました。 前の7両はいわきで増結されていたけど、こちらは、行きに乗ったスーパーひたち11号の折り返しである。

湯本からいわきまで、E501系のK703編成(クハE501-3F)に乗ったけど、上野~土浦間を走っていた時と違った風景の中を走っていたので違和感がありました。10両固定編成だったので、京急2100形や新1000形の初期型みたいなシーメンス製のインバータ音も聴くことが出来ました。

(2、常磐北線編へつづく)
by hy_sengen-sin | 2007-07-11 15:47 | 鉄道乗車記