交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

東武佐野線

館林に到着した後は、東武佐野線で佐野市まで行きました。

館林駅構内には、5050系の休車体が留置されていました。 昨年11月25日に行った時は暗くて撮影出来なかったけど、今回は撮影出来てよかったです。

この時に乗った編成は、8000系から改造された800系の804-1Fで、東武東上線に在籍していた8000系の8両固定編成から改造されていた。

850系は、800系の前パンバージョンとなっている。 この改造に伴い、中間に連結されていたT車が余剰廃車となっていた。

800系は、2005(H17)年7月5日から、暫定的に800系+850系の6両編成で、本線運用で使用されていたけど、翌年の3月18日のダイヤ改正で、本来の目的である、伊勢崎線(太田~伊勢崎間)、佐野線でのワンマン列車で使用されるようになった。

昨年9月28日には、小泉線の館林~東小泉~西小泉間もワンマン化されたけど、こちらは小泉線の東小泉~太田間および桐生線と同様に8000系の2両編成が使用されている。

渡瀬~田島間の北館林荷扱所には、昨年末に営業運転から離脱された5050系が留置されていました。これらの5050系には、ぞろ目の5555号車も含まれていた。

ここには、都営6000形や京王3000系の廃車体が倉庫として使われていました。

ここは、2003(H15)年9月まで、両毛丸善による石油輸送が行われていたこともあった。

以前は東武の車両以外に、小田急や京王などで廃車となった車両が解体されていたけど、石綿の問題等で行われなくなっている。

ここでの解体は、高田産業によって委託されている。

この周辺には、乳酸菌飲料メーカーであるカルピスの群馬工場もある。

カルピスは、1991(H3)年に味の素から飲料部門が継承されたことにより、味の素グループとなっている。カルピスウォーターが発売されたのは、この頃である。

1989(H元)年までは、黒人マークがカルピスの商標として使用されていたことがあったけど、“差別思想につながる”との指摘を受けたことにより、現行マークに変更されていた。

北館林荷扱所を見た後、渡良瀬川を渡り、栃木県に入りました。

足利市駅周辺にある渡良瀬橋は、1993(H5)年に発売された森高千里氏の曲にも出てきている。

この歌詞には、「八雲神社」や、「床屋の角にぽつんとある公衆電話」が出てくるけど、こちらも実際に存在している。

今年になってからは歌碑が設けられるようになった。

渡良瀬橋という曲は、2004(H16)年10月20日に、森高千里氏が所属している事務所(アップフロントエージェンシー)の後輩である松浦亜弥氏(ハロプロメンバー)によってカバーされていた。あとは、ごっちんこと後藤真希氏にもカバーされていたこともあったし。

足利市と言えば、あしかがフラワーパークがあることで有名で、GW中には藤の花が見頃を迎えることになる。

こちらはJR両毛線の富田駅から徒歩で行けるけど、週末には、足利市からシャトルバスが出ている。

この日は、長津田~館林・太田間で30000系31604+31404Fによるフラワーエクスプレスが運転されていたけど、撮影出来なくて残念に思いました。 来年は50050系の導入のからみでどうなるのか分からない状態である。 

佐野市に到着した後、折り返しました。 佐野市駅は、自動改札が無かったので、簡易Suicaに当たる部分を使用しました。 横瀬で入った時もそれを使用した。

佐野市駅前には、佐野ラーメンの店があるけど、時間の関係で食べることが出来なかった。
佐野は、いもフライも名物となっている。こちらは、ジャガイモが使用されているのでポテトフライとなっているし。

駅周辺には何も無いけど、徒歩圏に佐野厄除け大師(惣宗寺)があることで有名である。こちらは、佐野駅からも歩いて行けるけど。

佐野厄除け大師(惣宗寺)は、平間寺(川崎大師)、總持寺(西新井大師)と共に関東三大師の一つとなっている。

佐野市から館林までは、850系の853-1Fで移動。 

今回は800系、850系に初めて乗ったことにより、50070系を除いた東武の全形式に乗ったことになりました。

この日は、赤い1800系(1819F)が、東武日光線の臨時快速で運転されていた。 4月28日~30日、5月3日~6日に臨時快速として下りは南栗橋~東武日光間、上りは東武日光~北千住間のルートで運転されていたのである。

今回は残念ながら狙うことが出来なかったけど、昨年11月19日に乗ることや撮影することが出来たのでよしとします。

1800系の一般車格下げ編成は、昨年7月に運用離脱された後、館林駅構内に留置されていたけど、今年1月に北館林荷扱所まで廃車回送され、解体されてしまったのである。

50070系のほうは、昨年度は2編成、今年度は2編成導入され、合計4編成となる。 いつ営業運転入りするのか不明である。

9000系の副都心線直通対応工事は、9102Fで行われていたけど、今年度中には7編成が改造されることになる。 1994(H6)年に登場した9050系も改造の対象となる。

1981(S56)年に登場した試作車である9101Fは改造の対象とはならないので、地上線運用に転用されることが予想されている。

今年度は、50070系が2編成、50050系が4編成導入される予定となっているけど、50050系にも50070系と同様のフルカラーLED表示が採用されると思われます。

ということは、今年度末には、30000系の直通対応編成が2編成残ることになるけど、来年度中に30000系が半蔵門線直通運用から撤退する可能性も出てきている。

これに伴い、8000系の初期型編成にも廃車が発生することが予想されている。

9000系の改造車の内装は、50070系に近い状態となっているので、9000系だとは思えないほど変化している。

こちらはVVVF化されていないので、チョッパ装置のまま更新されていることになる。

副都心線への直通は、和光市方面(東武線直通)がメインとなるので、西武側よりも東武側での改造が重点的に行われている。

館林から久喜までは、30000系に31611Fで移動。 こちらは、昨年5月まで31411Fと組み、半蔵門線直通で使用されていた編成である。

30000系のうち、31406Fが最後の富士重工製の鉄道車両、31610Fおよび31408Fが東武鉄道で最後に導入されたアルナ工機(現、アルナ車両)製の車両となっている。

アルナ車両は、路面電車の製造専門となり、工場は兵庫県尼崎市から阪急の正雀工場(大阪府摂津市)に移転している。今年5月に登場予定の都電荒川線の新レトロ電車である9000形の9001号車も、アルナ車両で製造されていた。

久喜から東武動物公園までは、50050系の51056Fで移動。これにより、元半蔵門線直通車と半蔵門線直通車同士の乗り継ぎとなりました。 

東武動物公園では、花火大会があったので、車窓から花火を見ることが出来ました。 花火大会は夏に行われることが多いけど、このようにGWに見ることが出来てよかったです。

あの後、コンコースで花火を眺めていました。

この時には、200系209Fによる特急りょうもう号の葛生行き(佐野線直通)を見ることが出来ました。 209Fは、一昨年7月18日に北千住から赤城まで乗った時と同じ編成。

特急りょうもう号の葛生発着は37号と10号の1往復。 伊勢崎発着は41号と8号。

伊勢崎発着のりょうもう号は、現在浅草と伊勢崎を結ぶ唯一の直通列車となっている。

あとは、100系スペーシアの108Fの通過のシーンも見られました。 こちらはJR線直通対応の編成となっているけど、101~105、109Fと同様に東武線内(浅草発着)の特急(スペーシアけごん、きぬ)にも使用されることもある。 6号車の個室にグリーン車の表示が付いていることが直通対応編成の証である。

東武動物公園から浅草までは、200系203Fによる特急りょうもう42号で移動しました。 こちらは太田始発で、羽生、加須、久喜にも停車していた。 夜割適用列車なので、特急料金が500円のところが300円になっていました。 こちらは館林、足利市、太田から乗った場合でも1000円が800円に割引となる。 本当は館林から乗っていきたかったです。

こちらは、ETCの通勤割引や夜間割引に似ている状態である。

203Fは、201、202、204、205、206Fと同様に行き先表示が幕式となっている初期型であり、座席は、204~206Fと同様、1720系DRCから転用された座席が採用されている。こちらは、モケットが交換されているけど、座席の横の形状でDRCの面影が残っている。 このことで、足回り品のほか、座席も再利用されていることが分かります。

この違いは、東武博物館や岩槻公園にある1720系DRCの保存車で確認することも出来る。

筆者は2号車に乗車。 りょうもう号のほうも、3月18日から日光線の特急と同様に全席禁煙席となっていました。 1、3、6号車のトイレの前には自動販売機があるので、西武10000系NRAに似ている部分があります。

りょうもう号の200系自体も西武10000系NRAに似ているし。どちらもビジネス客主体の特急となっているので。

館林駅に到着した時に見たりょうもう34号のほうは、満席となっていた。

1999(H11)年6月20日に、北千住から館林まで特急りょうもう号に初めて乗った時は、201Fに当たっていた。 こちらは、1990(H2)年度に導入された編成で、完全新製の座席となっていた。

浅草に到着した後、徒歩で浅草寺、雷門まで行きました。 浅草の雷門のほうは、夜になっても記念撮影する人が絶えなかったです。

あの後、浅草ROX前にあるつくばエクスプレス(TX)の浅草駅から秋葉原まで移動。 この時に乗った編成は、TX-2000系の2159Fによる区間快速だった。

つくばエクスプレスの浅草駅は、東京メトロ銀座線の田原町駅から近い。

秋葉原に到着した後、京浜東北線の東十条行きで田端まで移動。この時に乗った編成は209系500番台のクハ209-517Fで、一番最初に中央・総武緩行線から転用された編成となっている。 こちらは、京浜東北線の南浦和~鶴見間のデジタルATC化に伴う入場での予備車として転用されていたけど、取り付け工事完了後も増備用として使用されている。

こちらは、209系900番台の置き換え用として転用された3編成や既存の516編成と共に、E233系の導入後、京葉線に転用されることになる。

中央快速線から転用された201系の10両固定の2編成は、今のところ置き換えの対象となっていない。

田端から目白までは山手線で帰りました。
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by hy_sengen-sin | 2007-05-16 10:23 | 鉄道乗車記