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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

八王子からのルート

かなり遅くなりましたけど、ここで、4月17日のレポートの続きを作成します。

この後に見たタンク車牽引列車(八王子17時台発車)は、EH200-9号機牽引で、タキ1000-354、43455、765、168、296、151、437、575、292、622、470、782、60、484、605、43440、473号車

5桁以外は全てタキ1000形

この後に見たタンク車牽引列車は、EH200-12号機牽引で、タキ43427、43138、43017、43466、43008、43012、43143、43273号車と5桁番台のタキ43000形オンリーとなっていた。

八王子から橋本までは、相模線直通のコツR10編成(クハ205-510F)に乗りました。510の番号ということは、後藤にあやかった番号で、ごっちんこと後藤真希氏を思い出しました。

橋本と後藤の関係で、THEポッシボーのはしもんこと橋本愛奈氏と、ごとぅーこと後藤夕貴氏を思い出しました。

橋本駅は、神奈川県相模原市橋本(JR横浜線、相模線、京王相模原線)のほか、和歌山県橋本市(JR和歌山線、南海高野線)、京都府八幡市(京阪本線)、福岡県福岡市西区(福岡市営地下鉄七隈線)にもある。

あとは、JR阪和線に和泉橋本駅(大阪府貝塚市)にもあるし。

相模線の車両の八王子への直通運転は、1991(H3)年3月16日の電化の時から朝夕のみ行われているけど、こちらは、相模線車両が豊田電車区に回送するための列車となっていた。1996(H8)年10月1日に、相模線が横浜支社(国府津電車区、のちの国府津車両センター)に移管された後も運転されているので、その名残となっている。

横浜線の八王子~相原間は、最後まで残った単線区間となっていたけど、1988(S63)年3月6日に複線化されたことによって全線複線の路線となっている。

この区間にある八王子みなみ野駅は、1997(H9)年4月1日に開業した駅で、今年で開業10周年を迎えていた。

橋本駅では、間合い運用(相模原線内のアルバイト運用)である都営10-300形の10-441Fを見ることが出来ました。

橋本から南大沢までは、京王6000系の6748+6439Fで、6748Fは、6718Fから改造された車両となっている。

南大沢では、駅周辺を散策しました。 ここには、南町田駅前にあるグランベリーモールみたいなアウトレットモール(ラ・フェット多摩 南大沢)があるけど、ここにも立ち寄りました。

京王相模原線の京王多摩センター~橋本間のうちの京王多摩センター~南大沢間は、今から19年前の988(S63)年5月21日に暫定開業していた。 やはり橋本駅付近の用地買収が遅れていたために、南大沢までの暫定開業となっていた。

南大沢駅が開業した当時は、日中は各駅停車のみの乗り入れで、駅周辺には何も無かった。

南大沢~橋本間は、1990(H2)年3月30日に開業。 この中間にある多摩境駅は、1991(H3)年4月6日に開業している。

南大沢から京王多摩センターまでは、6744F+6436Fに乗車。 6744Fは、1990(H2)年の京王相模原線の南大沢~橋本間の開業と同時に導入された編成となっている。

京王6000系のほうは、新バージョンの9000系の導入により、6737F、6746F、6431Fに廃車が出ているけど、6431Fの廃車により、2両編成の6000系で初の廃車となっている。

京王多摩センターでは、三越にあるスタバに入りました。

京王多摩センターから都営新宿線の曙橋までは、9000系の地下鉄直通バージョンである9735Fに乗りました。 これにより、新バージョンの9000系に乗れたほか、都営線でも乗ることが出来てよかったです。

京王9000系のほうは、2000(H12)年に落成、2004(H16)年まで、8両編成が9701~9708Fの8本導入されていた。

10両固定編成の9000系は、昨年3月15日に朝ラッシュ時の都営線直通列車でデビュー。当初は、朝夕のラッシュ時の新宿発着の相模原線直通列車にも使用されていた。

同年9月1日に、都営線直通急行や快速が10両編成化されたことにより、都営線直通にも頻繁に使用されるようになった。 こちらはまだまだ少数派なので、乗れる機会は少ない。

この後も、京王線新宿駅発着の優等列車にも希に使用されることもある。麻生さんからの情報によると、3月26日には9735Fが準特急高尾山口行きの列車にも使用されていた。

北陸鉄道石川線に譲渡された元京王3000系の7700系は、元3761Fのうちの先頭車2両だったのである。営業運転開始は1月31日のこと。

調布駅の手前では、平面交差となっていたので、本線走行列車の通過待ちの後に入線していました。 将来調布駅付近が地下化される暁には、それが解消されることになる。

幡ヶ谷駅では、9000系同士のすれ違いを見ることが出来ました。 幡ヶ谷駅は、1978(S53)年10月31日に京王新線が開業するまでの間は、地上の本線部分にあった。 当時は7両編成までしか止まれない駅となっていたけど、1983(S58)年の地下線部分の再延長により、その面影が無くなっている。

曙橋から目白五丁目までは、都営バスの白61系統で帰りました。 この時に乗った車両は、F-M129(練馬200か12-17)号車で、昨年渋谷営業所新宿支所(現、新宿分駐所)から転属してきたいすゞ車の4両のうちの1両である。

都営バスでは、4月1日に路線再編が行われ、大塚営業所所属の路線が縮小されていた。

大塚営業所所属の路線のうち、学01、07系統(上野駅、御茶ノ水駅~東大構内間)が、巣鴨営業所に、上26系統(上野公園~亀戸駅間)が、南千住営業所と江東営業所の共管路線に移管されていた。

現在は都02系統(大塚駅~錦糸町駅間)、都02乙系統(池袋駅東口~東京ドームシティ間)、上60系統(池袋駅東口~上野公園間)の3路線所属となっているけど、東京都の事業計画によると、周辺の再開発や施設の老朽化によって、大塚営業所の業務が順次を縮小され、数年後には完全に閉鎖する方針となっている。

この大塚営業所は、都電の大塚車庫(初代)のあった場所となっている。

都営バスの上60系統は、1990(H2)年7月21日の路線改変の時までの間は、池袋駅と御茶ノ水駅を結ぶ路線となっていた。 

最近は当ブログの更新が大幅に遅れて大変申し訳ありませんでした。

その理由としては、4月29日にディファ有明で行われたモーニング娘。の悲しみトワイライト発売記念握手会にあいにく落選したことにより落ち込んでいたからである。

本当は、このイベントで、Aチーム(藤本美貴、新垣里沙、道重さゆみ、久住小春各氏)と握手出来たところだった。 筆者は新垣里沙氏と握手したことがない状態だったので、筆者の1推しメンバーと握手出来なかったことよりも衝撃が大きかったです。
by hy_sengen-sin | 2007-05-07 15:31 | 鉄道乗車記