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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

水戸に行って来ました。1・観梅

3月4日、青春18きっぷの第一回目を使用して、水戸の偕楽園まで行き、梅見をしました。

ルート 目白~日暮里~偕楽園~水戸~勝田~いわき~土浦~日暮里~目白

まずは、日暮里まで山手線で移動。 日暮里から偕楽園までは、415系の11両編成によるいわき行きで移動しました。

この時の編成は、前4両が1500番台(K525編成、クハ411-1501F)、後ろ7両が全廃へのカウントダウンに入った普通鋼製車(K819編成、クハ411-524F)で、前4両が勝田で切り離されていた。

このK525編成(クハ411-1501F)は、クハ411-1502、1503Fおよび中間車4両と同様に、廃車となる予定の編成となっている。 
これらの廃車対象の3編成および中間車4両は、415系1500番台の部品取り目的や新訓練車に転用される目的もあると思われます。

403系や415系の普通鋼製車は、E531系の登場後、不具合の発生により、編成組み替えが頻繁に行われている。

415系では、上野から土浦まで7+4+4の15両編成、土浦から勝田まで7+4の11両編成になり、勝田でまた4両編成が切り離されて、7両の単独でいわき方面へと向かう3段ロケット運用もあった。 

E531系ではこのようなことが出来ないので、土浦での切り離しのみの2段ロケット運用に変更されていた。

このように、日暮里から415系に乗ることが出来てよかったです。 今回が常磐線での415系の最後の乗車となる可能性がある。

北千住では、6ドア無しの東急5000系5102Fと対面。 こちらのほうは、来年度以降6ドア車が組み込まれることが予想されている。

地下鉄半蔵門線と東武伊勢崎線との直通運転が開始されてから、早いもんで3月19日で4周年を迎えることになる。

松戸では、イオングループの広告のある新京成8900形を見ることが出来ました。

すれ違う列車はほとんどE531系となり、415系とのすれ違いが少なくなっていました。

常磐快速線の区間でMT54サウンドを響かれながら415系が快走するシーンもあと僅かとなっている。

取手駅では、特急フレッシュひたち21号・勝田行きの通過待ちが行われていました。 この時の編成は、赤色のK301編成(クハE653-1F)+朱色のK354編成(クハE653-104F)となっていた。

フレッシュひたちのE653系は、長野新幹線が開業した日と同じ1997(H9)年10月1日に登場していたので、今年で登場10周年を迎えることになる。 登場当時は、7両4編成しかなかった。 4連の登場は、翌年の1998(H10)年12月8日のこと。 この時には485系のひたち号が全廃となっていた。485系のひたち号は、関東で最後まで残っていたボンネット形の485系使用の定期特急となっていた。末期はボンネット車が国鉄色に復元され、ひたち・HITACHIのマークが付いていた。

この時にHITACHIの表示が入っていたので、日立製作所の家電製品を連想してしまいました。 

ひたち号の名称は、旧国名の常陸から取られている。 

関東に於ける485系の定期特急は、485系のひたち号の廃止以来途絶えていたけど、昨年3月18日の東武直通の日光・きぬがわ号の登場により復活していた。

K354編成のほうは、2005(H17)年3月の改正で11両編成の増発により新規導入された編成となっている。 こちらは新製時からATS-PS形対応となっている。

取手を出た後、交直切り替えのデッドセクション区間に入りました。 ここでは、車内の照明が一旦消えることになっているけど、3月18日以降は、651系スーパーひたちおよび一部のフレッシュひたち、団臨用の485系でしか見られなくなる。

水戸線を走る415系1500番台のほうは、小山~小田林間で引き続き見られることになる。

E501系の10両固定編成のほうは、水戸線に入らないために、交流区間のみを走ることになるけど、交直両用のまま残されるのか、交流専用になるのか不明である。

E501系のほうは、デッドセクション通過時に電気が消えない方式が採用された第一号となっている。

E653系、E531系もデッドセクション通過時に照明が消えないようになっている。あとは、つくばエクスプレスのTX-2000系も同様である。

土浦駅ではしばらく停車。 3番線には、始発の415系(K813編成、クハ411-518F+K532編成、クハ411-1522F)が停車していたので、2つの並びを見ることが出来ました。 

高浜駅では、651系による特急スーパーひたち23号、いわき行きの通過待ちがありました。 この時には側面にあったキャンペーンロゴが撤去されていた。こちらは、前4両がいわき行き、後ろ7両が勝田行きとなっていた。 こちらは、スーパーひたち46号と合わせて勝田~いわき間で唯一見られる651系4両のモノクラス編成となっている。

E653系の4両の付属編成のほうは、営業運転時での単独運転は無い。

石岡駅では、3月31日をもって廃止される鹿島鉄道鉾田線のKR500形DCが4両揃っていたけど、どちらも惜別ヘッドマークが付いていました。KR501号車のほうは、「がんばれかしてつ」の表示となっていたけど、廃止を前に「ありがとうかしてつ」の表示に変わっていた。 筆者は今月中に鹿島鉄道に乗りに行く予定となっているけど、混乱を避けるために、3月31日の最終日には行かないことにしている。この時には、通勤列車並の混雑が予想されるので、2両の重連運転が行われることが予想されている。

1月13日の鹿島鉄道撮影ツアーの時、木沢さんは、3月31日の最終日に行く予定だと言っていた。 

岩間駅では、East i-EことE491系検測車両とすれ違いました。 こちらは、勝田車両センター所属となっている。3両編成1編成のみの在籍で、クモヤE491(信号・通信関係)、モヤE490(電力関係)、クヤE490(軌道関係)から成っている。 こちらは、建築限界測定車であるマヤ50-5001号車を連結して4両で走ることも可能となっている。

登場したのは、2002(H14)年で、勝田電車区(現勝田車両センター)に在籍していた443系(クモヤ443-1+クモヤ441-1)の置き換え用として導入されていた。

443系は、1975(S50)年に2編成導入されていた。スタイルは、183系1000番台や485系300番台に準じている。

JR西日本の京都総合車両所にクモヤ443-2+クモヤ442-2号車が配置されているけど、新型のキヤ141形(ドクターWEST)に増結される電気検測用車両が導入されることにより、全廃となるのも時間の問題となっている。

友部駅の新橋上駅舎は、3月4日に使用開始されたばかりで、発車メロディが、故・坂本九氏のヒット曲に変更されていた。 常磐線下りは「明日があるさ」、常磐線上りは「上を向いて歩こう」、水戸線は「幸せなら手をたたこう」。

これは、坂本九氏の母親の実家が茨城県笠間市にあり、挙式が笠間稲荷神社で行われていたという縁がある。

坂本九氏は、1985(S60)年8月12日に発生した日航機123便(羽田発大阪行き、ボーイング747型・JA8119号機)の墜落事故により、43歳の若さで他界してしまったので、衝撃的な出来事となっていた。

「明日があるさ」という曲は、昨年12月20日に他界した故・青島幸男氏によって作詞されていた。 青島幸男氏は、1995(H7)年から1999(H11)年まで、東京都知事として活躍していた。

1996(H8)年に臨海副都心で行われるはずだった世界都市博覧会(都市博)の中止は、青島幸男都知事(当時)によって宣言されていた。

1970(S45)年から1971(S46)年まで、意地悪ばあさんにも出ていたことがあった。

偕楽園臨時駅に到着した後、常磐神社で参拝し、偕楽園に行きました。

偕楽園臨時駅は、下り列車のみの停車で、下りの特急も臨時停車している。 ここから土浦・上野方面に帰る場合は、水戸まで下り電車に乗り、ここから上り電車に乗るか、水戸駅までバスに乗るしかない。

こちらは、SuicaやICOCAが使用出来ないというデメリットがある。

運賃計算のほうは、水戸駅までの扱いとなっている。

偕楽園駅は、1925(T14)年2月2日に公園下仮降車場として開設されたのが始まりである。

1967(S42)年2月2日には、偕楽園仮降車場に改称。

1969(S44)年10月1日には、偕楽園臨時乗降場となり、乗車扱いも可能となった。

1987(S62)年4月1日には、JR東日本に継承されると共に、偕楽園臨時駅となった。

1993(H5)年3月から5月まで、 「第10回全国都市緑化フェア」が開催されたために、上り線にも仮設ホームが設けられていたことがあった。

この偕楽園臨時駅に降り立ったのは、今回が初めてで、415系普通鋼製車で行ったのは、今回が最初で最後となった。

偕楽園での梅祭りは、今回が111回目となり、2月20日から3月31日まで行われている。

今回の偕楽園への臨時停車は、2月24、25日、3月3、4、10、11、17、18、21日。

開設時間は9時10分から15時30分。 こちらは水戸線からの直通列車も停車していた。

14両編成のフレッシュひたち号の場合は後ろ2両が締め切り扱いとなる。

水戸の偕楽園は、石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園と並ぶ日本三名園として有名である。

偕楽園公園は、1999(H11)年に隣接する千波公園(常磐線を挟んだ南側のエリア)などと統合されて現在の形となった。 この時に面積が合計300haとなり、ニューヨークのセントラルパークに次いで世界第2位の広さとなったのである。

偕楽園は、天保13年(1842年)7月に、水戸藩第九代藩主徳川斉昭氏によって造園された日本庭園である。偕楽園の由来は、 領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいという願いで開設されていたことである。その名の通り、偕楽園で楽しむことが出来ました。

偕楽園のほうは、好文亭を除き、日本三名園で唯一入場無料となっていることが特徴となっている。

この時に見た梅は綺麗でした。 ここで咲き誇る梅を見たのは今回が初めてだった。

偕楽園では、4月下旬から5月上旬にはつつじ祭り、9月には萩まつりが行われることになる。

偕楽園で咲き誇る梅は、100種3000本となっており、観梅客を楽しませてくれる状態である。

この日はポカポカ陽気で天候に恵まれていたので、多数の見物客で賑わっていました。 当初は3月10日に行くことを計画していたけど、日本青年館で行われる℃-uteのイベントに当選していたために、3月4日に予定を繰り上げていた。 3月10日は、樋口君が上京してくる予定なのでちょうどよかった。

この後、折角来たということで、好文亭にも立ち寄りました。 好文亭は、木造平屋建ての休憩所でとして、徳川斉昭氏によって建設されていた。 こちらは、入場料として大人190円掛かる
。 この時は混雑していたので、見学時間約40分掛かりました。 好文亭の名称は、この名は梅の異名「好文木」に由来している。見学は、1階→2階→3階の順で行われていたけど、その三階の楽寿楼からの眺めは最高でした。この時に485系お座敷電車である「ゆう」を見ることが出来ました。 こちらは3月3日に両国~館山間で運転された団体臨時列車で使用されていたけど、この日は、幕張車両センターから勝田車両センターへの返却回送で運転されていた、

周辺には、茨城県立歴史館、護国神社、千波湖、茨城県近代美術館、徳川博物館、水戸芸術館、水戸市立博物館などの見所がある。

偕楽園からは、徳川博物館、県立歴史館、水戸芸術館を結ぶ昔懐かしのボンネットバスが運転されていました。

あとは、千波湖の眺めもよかったです。

偕楽園から水戸までは、415系による勝田行きで移動。この時に乗った415系は、K807編成(クハ411-507F)で、前日に乗った時と同じ編成となっていました。 その前にはK529(クハ411-1506F)が連結されていた。 

(2へつづく)
by hy_sengen-sin | 2007-03-05 13:56 | 鉄道乗車記