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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

京成電鉄2/1

この後、京成千葉駅へ。この時には、千葉中央方面に新京成8000形の8509F、京成津田沼方面に新京成N800形N811F、松戸行きが入線していました。 ここでは、新京成線との直通列車同士が並んだことになりました。

8509Fは、昨年10月21日の新京成、くぬぎ山でのイベントで披露されていたアートトレイン2006でヘッドマーク付き、N800形N811Fは、たった1編成のみの虎の子となっているので珍しい組み合わせとなっていました。

N800形のほうも、くぬぎ山でのイベントで披露されていた。

京成千葉駅は、1967(S42)年12月1日に、国鉄千葉駅前駅として開業。当時は、路面電車みたいな駅名となっていた。1987(S62)年4月1日の国鉄の分割民営化により、京成千葉駅となり、これまでの京成千葉駅が、千葉中央駅と改称されていた。

めくり式の行き先表示では、千葉中央の表示もあったけど、1991(H3)年に旧3000形が全廃となったので、4年間しか見られなかったことになった。 

この後、京成津田沼まで、N811Fで移動。このN800形に乗ったのは今回が初めてでした。

N800形のほうは、2005(H17)年5月29日に登場。その前日には試乗会が行われていた。 こちらは、京成新3000形に準じた車両で、北総7500形と合わせて三姉妹となっている。

京成新3000形のほうは、2003(H15)年2月1日にデビューしていたので、そのデビュー記念日でもあった。

N800形は、豊川の日本車輌から蘇我まで甲種輸送され、蘇我からトレーラーで北総鉄道の印旛車両基地までトレーラーで陸送、この後北総9000形により、2両ずつ牽引され、くぬぎ山の車両基地まで送り込まれていた。 

旧800形で唯一の6両編成だった818Fは、京成千葉線に乗り入れるはずだったけど、8800形の一部6両編成化により捻出された中間車から8804Fが1本組成されたために廃車となったのである。

旧800形は、811Fと813Fの8両編成が残されているけど、こちらは予備車扱いとなっており、全廃となるのも時間の問題となっている。

N800形のほうは、増備の予定が無く、N811Fが唯一の編成。

途中、京成3700形の6両編成、新京成8000形8511Fとすれ違いました。

西登戸(にしのぶと)駅は、開業当時は千葉海岸駅で、その名の通り駅周辺に千葉海岸があり、海水浴シーズンには賑わっていたけど、1967(S42)年4月1日に、千葉海岸の埋め立てにより、現在の西登戸駅となったのである。

京成幕張駅付近では、E257系500番台によるしおさい10号(NB05編成、クハE257-505F)が通過していきました。

京成幕張駅は、JR線の線路から見ることが出来る。

京成幕張本郷駅は、1991(H3)年8月7日に開設された駅で、バスで幕張新都心(幕張メッセ、千葉マリンスタジアム)に行くことが出来る。

JR側の幕張本郷駅は、1981(S56)年10月1日の津田沼~千葉間の複々線化と同時に開業した駅となっている。

京成津田沼駅に到着した後、京成高砂まで、3700形の3791Fで移動しました。こちらは、成田空港アクセス列車らしく、英語による自動放送も入っていました。あとは、羽田空港への列車にも設定されているけど。 

3700形は、1991(H3)年3月19日の成田空港への新線開業および同年3月31日の北総開発鉄道(現、北総鉄道)への直通運転開始と同時に登場した車両。

当初は、8連3本が導入されているけど、車椅子スペースが取り付けられていない。 同時期に登場した北総7300形の初期型(北総開発鉄道による発注)も同様となっている。登場当初は前面のスカートが付いていなかったけど、京成3700形はのちに取り付けられていた。 北総7300形の7301、7311Fは未だにスカート無しの姿となっている。

京成3700形は、1994(H6)年に増備が再開され、2000(H12)年2月に登場した6連バージョンである3828、3838Fからはマイナーチェンジ。2次車からは3400形と同様の車椅子スペースが新設されていた。 

2001(H13)年には、8連バージョンの3841Fが登場し、翌年の3861Fまで製造されていた。

3700形のうち、6両編成なのは、3821Fと3831Fの2編成のみとなっている。こちらは6両編成なので、京成千葉線、千原線への乗り入れが可能となっている。

3851F、3861Fでは、筆記体によるKeiseiのロゴが廃止され、K▼SEI.GROUPのロゴだけとなっている。新3000形でKeiseiのロゴが入っていないのはそのためである。

3801Fのほうは、現在北総鉄道にリースされ、7300形の7801Fとして活躍している。

3400形のほうは、1993(H5)年から1995(H7)年に掛けて、旧AE車の車体載せ替え車両として登場。その車体は、3700形に準じた普通鋼製となっている。登場当時は、6両の暫定編成となっていた。

京成船橋からは空席があれば、スカイライナーAE100形に乗り継いで帰ることも可能となっていたけど、成田高速鉄道の開業までまだ先となっていることや、3200形や3500形の未更新車の追っ掛けが優先となっているので、今回の乗車を見合わせたのである。

京成船橋駅付近は、昨年11月25日に下り線も高架化されていました。

京成高砂駅に到着後、京成金町線の4番線へ。 ここで3295F(開運号の編成)が来ることが期待されていたけど、今回は3500形の未更新車である3593Fが走っていました。 この3593Fは、1982(S57)年に導入された3500形の最終増備車となっており、オールステンレス仕様である。

3500形の車体更新は、1996(H8)年から2001(H13)年までの間に、1972(S47)年から1974(S49)年に製造された3501~3556号車が対象で行われていた。

当初の予定では、2004(H16)年までに97両全車が更新されるはずだったけど、諸般の事情により2001(H13)年をもって中止。1976(S51)年以降に製造された未更新車は、順次新型車両に置き換えられて廃車となる運命となってしまった。

更新工事が打ち切られた理由は、予想以上に内部の腐食が進んでおり、更新工事に掛かるコストが掛かっていること、車齢も考慮すると直接新型車両への置き換えに踏み切った方が得策との判断があったからである。同時に大榮車輌も撤退。あとは、抵抗制御車となっていることも仇となっている。

3500形の更新車は、4両単独の普通列車のほか、更新車同士の4+4の8両編成で、都営浅草線、京急羽田空港への直通列車にも使用されているけど、未更新車は、4両単独の普通列車のみで使用されている。

3500形の未更新車は、これまで、1976(S51)年から1977(S52)年に掛けて製造された3557~3572号車の16両(4編成)が廃車となっている。

現在残っているのは、3573、3577、3581、3585、3589、3593Fの6編成で少ない状態となっている。

3573Fは、1979(S54)年に川崎重工業で製造された編成で、京成で最後の川重製となっている。以降、京成電車の製造メーカーは、現在の京王電鉄と同様の東急車輌と日本車輌の2メーカーとなった。

京成金町線のほうは、2010年の成田高速鉄道の開業により、高架化された新ホームに移転される予定なので、現在の地上ホームからの発着は貴重な風景となる。

本線部分も将来的には高架化される予定となっているし。

このことで、東武鉄道の太田駅(群馬県太田市)で、小泉線部分のみが先行的に高架化された時を思い出しました。

現在太田駅では、伊勢崎線、桐生線部分を含めて全面的に高架化されている。

京成金町線の柴又駅は、6両編成まで停車することが出来るけど、京成金町駅では、廃止された博物館動物園駅と同様に4両編成までしか停車出来ない。

金町線の列車で、3300形や3500形の4両編成で限定運用されているのはそのためである。

この時に京急1500形による印西牧の原行きを見ることが出来ました。 京急線内では、品川、日本橋方面の表記の入った行き先表示が出ることになっている。

成田空港への乗り入れは、昨年12月10日の改正で、都営車および京急車が撤退し、京成上野~青砥間、京成成田~東成田~芝山千代田間と同様に、京成の車両しか入らなくなってしまった。

改正前の平日には、都営5300形による、三崎口発成田空港行きという列車が1本運転されていた。改正後は京成成田で打ち切り。

羽田空港~成田空港間の直通列車も、京成の車両に統一されていた。

ここから日暮里までは、3600形の3651Fで移動。 京成3600形は、1982(S57)年から1989(H元)年に掛けて、6連9本、3601~3688号車までの54両が製造されていた。

導入当初は、京成の通勤形車で初のワンハンドルマスコン編成ということで、登場当時は都営浅草線に乗り入れていなかったけど、乗り入れが解禁となったのは1987(S62)年2月のことだった。

3621F(現在は芝山鉄道にリース中)は、1986(S61)年に製造されていた。高砂駅ではそれによる特急成田空港行きを見ることが出来た。

1997(H9)年から1999(H11)年に掛けて8両編成化。 8連6本へ。ここから捻出された
先頭車6両(3601、3621、3661Fの先頭車)は、一部VVVF化により、6連化されていた。

1999(H11)年2月から8月までの間、VVVF化された3661+3628+3621+3668号車による4両の暫定編成があり、金町線でも走っていたことがあった。 

のちに3601+3608号車が中間に入り、6両編成となった。 こちらは、3600形で唯一の6連ならびにVVVF車となっており、車両の搬入の牽引目的で京急線に入ることもある。あとは、千葉線、千原線にも入線可能。

その他の3600形は、先頭Tc車であるために、京急線への乗り入れが出来ないため、運用上でのネックとなっている。

そのため3600形の都営浅草線への乗り入れ列車は、西馬込発着のみとなっている。

日暮里駅に到着した後、山手線で帰りました。

京成では、今年度末に3200形が全廃となれば、3300形の廃車が進められることが予想されている。
同様に、北総にリースされた7250形7268F(元京成3300形)や、3500形の未更新車の動向にも注目ということになる。

昨年3月までは、7250系7258F(元京成3200形)も走っていたけど、7268Fと交代されて直接廃車されていた。こちらは、元京成3224~3221・3236~3233号車によって組成された8両固定編成となっていた。

7268Fは、元番号3316F+3308Fで、4+4の編成となっている。

京成新3000形は、8両編成1本、6両編成19本と、6両編成のほうが圧倒的に多い状態となっている。今年3月までには、6両編成2本が加わることになり、21本となる。

新3000形で唯一の8両固定編成である3001Fは、2003(H15)年2月1日に、6両編成の3002Fと共に導入された編成であり、北総開発鉄道(現、北総鉄道)にリースされた3801F(現、7801F)の穴埋めとして導入されていた。

このように、6両編成が大量に導入されていたのは、6両編成主体の3200形の置き換え用および普通列車の6両化増進のためである。

来年度は、6両編成だけとなるのか、8両編成の導入が再開されるのか気になるところです。

なので、都営浅草線、京急線直通の京成車の運用は、3700形および3400形が主流となっている。

都営浅草線では、京成車による6両編成の運用が残されているけど、新3000形が使用されることもある。

JR東日本のE721系電車のほうは、2月1日から0番台が東北本線(黒磯~一ノ関間)で先行的に営業運転が開始されていた。3月からは常磐線(原ノ町北)、仙台空港線(新規開業)、4月からは仙山線にも登場。

これに伴い、磐越西線の455系の動向も気になります。

昨日は、中央快速線用のE233系のH49編成(クハE233-49F)が東急車輌から出場。 これにより、6+4編成7編成、10両固定6編成、計13編成となった。

東急車輌からはE233系の6+4編成の出場が相次いでおり、3月18日の分割・併合運用の解禁までに一定の本数が出揃うことになる。

これにより、八高線(拝島~高麗川間)、富士急行線を走るオレンジ色の201系が一瞬に消え去ってしまうことになる。

京成電鉄の博物館動物園駅が営業休止されてから今年3月31日で10年が経ちます。 当時はレトロな雰囲気の地下駅および各駅停車でも通過する駅となっていた。

この駅は、2004(H16)年4月1日をもって廃止。 下りホームには、ペンギンの絵があったけど、末期は落書きが酷かったです。 メインの博物館口のほか、東京都美術館裏(下りホーム側)に動物園口もあったけど、入口跡はそのまま残されている。

このペンギンの絵は、1995(H7)年にこち亀ことこちら葛飾区亀有公園前派出所の95巻目にも出てきていたので、利用客が急増していたことがあった。

この博物館動物園駅の運行休止期間は、過去にも2回あり、第一回目は、1945(S20)年6月10日~9月30日(運輸省の接収を受けたことによる営業休止)
第二回目は、1976(S51)年6月16日~12月15日(京成上野駅改良工事による営業休止)

当時は、京成上野(上野公園)~日暮里間も運休となっていた。

第一回目は、第二次世界大戦の末期に敵の空襲に備えて、トンネル内の線路を三線軌条化、て国鉄日暮里駅から隣の寛永寺坂駅まで優等客車を入れて運輸省の事務所にしたために、京成上野~日暮里間が運休となっていた。

第三回目は、1997(H9)年4月1日からで、復活することもなく、2004(H16)年4月1日をもって正式に廃止され、京王線の初台駅旧ホーム跡や銀座線の新橋旧ホーム跡などみたく、地下に眠る廃墟となってしまった。

当時は、窓口式(有人)の切符売り場のほか、木製の改札が残されていた。

次の様な理由により休止→廃止となった。

ホーム有効長が短く、4両編成しか停車できない事から停車できる列車に制約があった。4両編成でさえ先頭車の一番前のドアはホームから外れて開かず、ホームの一部も狭く危険な箇所もあるなど明らかに無理に延伸したものであった。加えて1980(S55)年に普通列車の一部が6両編成化された時以来、同駅を普通でも通過する列車が発生する様になり、運用上のネックになっていた。
なお、末期には営業時間が7~18時台のみで、日中には駅員(営業時間のみ1人が配置)の休憩時間を確保するために1時間に1本も列車が停車しない時間帯も存在していた。
京成上野駅からの距離が0.9Kmと短かった。
1933(S8)年12月10日開業で一度も修復されていない事から老朽化も進んでいた。
末期でも自動券売機や自動改札機が設置されておらず、出札口のみで、駅の維持には大規模な投資が必要となった。
周辺の博物館や上野動物園への勤務者が多く利用してはいたものの、末期には1日500人未満と利用者も非常に少なかった。
ということであった。

12月10日のダイヤ改正から、京成上野~京成津田沼間折り返しの普通列車が運転されているけど、改正前は、京成千葉線への直通の普通列車となっていた。やはり、京成千葉線の列車の一部の新京成線への直通列車へのシフトにより、京成津田沼での折り返しに変更されたのである。
by hy_sengen-sin | 2007-02-03 10:53 | 鉄道車両・路線