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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

横浜へ

あの後は一旦帰宅し、新横浜まで行きました。 目的は、横浜アリーナで行われたハロー!プロジェクトのコンサートです。

ルート 目白~渋谷~菊名~新横浜~菊名~渋谷~目白

目白から渋谷までは山手線で、渋谷から菊名までは東急東横線の急行で移動。

東急東横線で乗った車両は、横浜高速鉄道(みなとみらい線)のY500系のY512Fで、昨年9月にモーニング娘。のヘッドマークが付いていたのと同じ編成となっていました。

この編成は、昨年の今頃2周年記念ヘッドマークが付いていたし。

途中で、みなとみらい線開業3周年記念ヘッドマーク付きのY513Fによる各停渋谷行きとすれ違いました。 やはり3周年に因み、Y513Fが使用されていたのである。

急行なので、途中中目黒、学芸大学、自由ヶ丘、田園調布、多摩川、武蔵小杉、日吉、綱島、菊名に停車。

2001(H13)年3月28日に東横特急が登場した当時は、中目黒駅通過だったけど、やはり日比谷線からの乗り換え客から苦情があったために、2003(H15)年3月19日の改正で停車するようになったのである。あとは、目黒区合同庁舎の移転や中目黒駅周辺の再開発事業が進められていたということもあるし。

東急東横線の急行は、1935(S10)年2月1日に開始。 当時の停車駅は、渋谷~青山師範(現、学芸大学)~自由が丘~田園調布~新丸子~日吉~綱島温泉(現、綱島)~妙蓮寺~反町~横浜~桜木町

1941(S16)年8月4日に一旦廃止。1950(S25)年8月1日に復活。

1952(S27)年4月1日には、昇圧工事により再び急行運転休止。

1955(S30)年4月1日に再び急行が復活し、現在の形となる。 当時は日中のみの運転だった。

当時の停車駅 渋谷~学芸大学~自由が丘~田園調布~武蔵小杉~日吉~綱島~菊名~横浜~桜木町

同年10月1日には、終日運転となり、朝ラッシュ時のみ、菊名~桜木町間は各駅停車となっていた。

翌年の1956(S31)年10月1日には、菊名~桜木町間で終日急行運転が行われるようになった。

急行の停車駅の追加 1964(S39)年8月29日 中目黒駅(営団地下鉄日比谷線の全線開業を受けて)
2000(H12)年8月6日 多摩川駅(東急多摩川線への乗り換えの利便性確保のため)

昨年9月25日のダイヤ改正で、元住吉発着の急行が廃止。

綱島駅は、1926(T14)年2月14日の開業の時は、綱島温泉駅と呼ばれていたけど、当時は、「東京の奥座敷」と呼ばれた大きな温泉街となっていた。

1944(S19)年10月20日に現在の綱島駅となった。

綱島温泉のほうは、駅周辺に東京園というラジウム温泉による立ち寄り湯があることで有名となっている。あとは、温泉銭湯も残されているし。

宿泊施設は横浜市教職員互助会「浜京」があるだけで、一般の人も泊まることができる。

日吉駅は、慶應義塾大学日吉キャンパスへの最寄り駅で、特急通過駅にも関わらず自由ヶ丘駅や菊名駅よりも利用客が多い状態となっている。

来年3月には、東急目黒線の日吉延長および横浜市営地下鉄グリーンライン(日吉~中山間)の開業が予定されているので、大きく変わることになる。

日吉駅のトイレは、バリアフリータイプのトイレに移設されていた。 

東急東横線・目黒線の日吉駅のホームには、横浜市営地下鉄グリーンラインへの連絡改札が設けられることになっている。

日吉駅~さくらが丘間で運転されている日23系統(川崎営業所所属)は、住宅街の狭い道を走るため、三菱エアロミディMEや日野リエッセという小型バスが使用されている。

さくらが丘入口~さくらが丘間はフリー乗降制となっている。

日比谷線直通電車のほうは、日中のみ日吉折り返しとなっているけど、来年3月の目黒線の日吉延長に伴い、菊名まで延長されることになっている。

このことで、日吉駅改良工事期間中(1988(S63)年3月11日~1991(H3)年11月)と同じ状態に戻ることになる。 当時は日吉での急行待避が出来ず、元住吉で通過待ちが行われていたので。 昨年9月に高架化された元住吉駅に通過線が設けられたのはそのためである。

東急東横線の菊名駅=以前は大倉山寄りに踏切があり、かつての代官山駅と同様に20m車7両分(18m車8両分)しか停車出来なかった。 そのため、20m車8両編成で、渋谷寄りの先頭車1両のドアが開かなかった。 同様に、代官山駅で、横浜寄りの先頭車1両がトンネル内でドアカットされていたこともあった。
日比谷線直通の場合は、当初から8両分全て収まっていた。
やはり、大倉山~菊名間の高架化およびホーム延長により解消されていた。

東武東上線の大山駅は、以前6両分しか停車出来ず、8両編成の場合は、2両分のドアカットのための大山対策車という編成が限定で使用されていた。 現在は池袋寄りの踏切の地下化およびホーム延伸により解消されている。
昔東武東上線の大山駅がこうなっていたことは知らなかったです。

菊名から新横浜までは、横浜線の205系、H7編成(クハ205-67F)に乗車。

横浜線は、八王子~東神奈川間がATS-Pで、東神奈川から先の京浜東北線および根岸線区間ではATCとなる。 185系による特急はまかいじ号は、横浜まで乗り入れるために、ATCが付いた3編成で限定運用されている。

横浜線の列車の行き先表示は、元山手線のH27編成(クハ205-30F)の前面を除き、緑色の表示となっている。

新横浜に到着した後、横浜アリーナでのハロー!プロジェクトのコンサート「Hello! Project 2007 Winter ~集結!10th Anniversary~」を見ました。

座席は、内周のアリーナ席(Fブロック)だった。 

横浜アリーナでは、平面のアリーナ部分がセンター席、内周のスタンド部分がアリーナ席、外周のスタンド部分がスタンド席と呼ばれている。

この時のステージは、メインステージのほか、田の字状の花道があり、3つのサブステージがあるので、間近で見られる場所が多くなっている。

前日の1月27日の開演前、スタンド席最前列の35歳の男性が、高さ約85cmの手すりからアリーナ席通路に落下され重傷を負われた。という転落事故がありました。

この時には、カントリー娘。のあさみ・みうな両女史の卒業セレモニーがあったけど、この時に昨年7月23日をもってモーニング娘。を卒業したと同時に芸能界から引退したはずの紺野あさ美女史が半年ぶりにステージに現れたというサプライズな出来事がありました。

このようなことは、萩原清さん主催の鉄道撮影ツアーでよくあるような状態となっていました。

紺野あさ美女史のほうは、卒業後もう見れなくなるだろうと思っていたけど、この時に元気そうな姿を見ることが出来てよかったです。 もしも参戦してなかったら、行けばよかった!と思っていたに違いなかったです。

この時に、モーニング娘。の新メンバーであるみっつぃ~こと光井愛佳女史を初めて生で見ることが出来ました。

光井愛佳女史とは2月4日に品川ステラボールで行われるファンクラブ限定の握手会で握手することが決まっている。 こちらは、内房線撮影ツアーに行った後となるけど、移動出来るかどうか心配です。

ということで、今回のハロー!プロジェクトの公演は大成功に終わりました。

新横浜から菊名までは、H17編成(クハ205-77F)に乗車。 菊名から渋谷までは東横特急、5050系5157Fに乗ったけど、渋谷で、みなとみらい線開業3周年記念ヘッドマーク付きのY513Fを撮影することが出来てよかったです。

東京メトロ東西線の5000系5009Fは、1月29日からさよならヘッドマーク付きで運転中。なので、リベンジを図ることが可能だけど、1編成しかないため、狙える確率は低いです。

1888(M21)年の長野駅開業の時から続いてきた長野の駅弁業界の老舗であるナカジマ会館(中島弁当店)が、1月31日をもって駅弁(食品)事業から撤退してしまいます。同時にナカジマ会館直営の飲食店も閉鎖されることになる。

駅弁製造・販売などのナカジマ会館・中島弁当店(長野市、中島克文社長)は1月末で駅弁事業から撤退する。長野市内で運営する飲食店も閉鎖して今後は不動産事業に特化する。同社はJR長野駅の駅弁販売最大手。東日本旅客鉄道(JR東日本)長野支社は利用者の利便を損なうことのないよう、新しい業者の導入や既存業者への納入拡大要請などの手段を講じる考えだ。

 ナカジマ会館・中島弁当店は明治21年(1888年)5月の長野駅開業と同時に駅構内で弁当の販売を始めた老舗企業。きじ焼丼(1000円)、川中島合戦笹ずし(980円)、信州おばあちゃんのきのこめし(900円)など16種類の駅弁を製造・販売している。長野駅や長野新幹線車内だけでなく上田、佐久平、大宮、上野、東京の各駅でも販売している。

 06年12月期の売上高は約6億5000万円で、このうち駅弁や仕出し弁当などが約8割を占める。ただ「駅弁事業は赤字が長年続いており、不動産事業の黒字で補う経営が続いていた」(中島社長)という。

これにより、長野駅の駅弁がどうなるのか気になります。
by hy_sengen-sin | 2007-01-31 10:05 | ハロプロ観戦系