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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

かいじ180号2

17時48分 189系による臨時特急かいじ180号が入線。 大月から三鷹まで移動。この時に使用された編成は、幕張車両センターのマリC2編成(クハ189-1516F)となっていました。

これらのマリC編成は、平日は中央ライナーとして東京~高尾間で走っているけど、ムーンライト信州号などの臨時列車にも対応している。こちらは、グリーン車も連結されているけど、中央ライナーの場合は700円で乗れる。 因みに中央ライナーの普通車の料金は500円である。

マリC編成は、2002(H14)年の結成当時は、中間のM車で、房総特急の183系のセミハイデッカー普通車(M車)の組み込みに伴い、余剰となった183系の2桁番台の普通車が組み込まれていた。 

この編成は、2004(H16)年12月15日に中央ライナーで八王子から新宿まで乗った時と同じ編成で、差し替え前のM車に乗っていた。 M車差し替え前のマリC編成に乗ったのは最初で最後となっていた。

マリC2編成は、高尾(松本)寄りの先頭車が筆者の生誕年である1975(S50)年に登場した189系第一号車であるクハ189-1号車が、新宿寄りの先頭車が、183系から改造されたクハ189-1516号車が連結されているのが特徴である。

こちらは、本格的に差し替えが行われた時まで、一時的にモハ183、182-18号車に代わり、モハ183、182-48号車(C4編成に連結されていた)が連結されていたことがあった。

中間車のM車ユニットは、旧マリ6編成に連結されていたもので、末期は貫通型先頭車であるクハ205-33、34号車と組まれていた。 クハ183-1529、1530号車は、マリ10編成と先頭車交換で転用され、のちに8両のうちの5両が高崎車両センター(旧新前橋電車区)のS1編成に転用されていた。 クハ183-1530号車はそのまま廃車。

昨年3月18日には、S2、S3編成と共に、大宮総合車両センター東大宮(宮オオ)に移り、OM101編成となっている。

筆者は、モハ189-51号車に乗車。 こちらは、旧あずさ・かいじ号の指定席車で使用されていたグレードアップ車(セミハイデッカー)となっていました。
元をただせば、1997(H9)年9月30日をもって廃止された旧あさま号に使用されていたし。

モハ189-51号車は、1979(S54)年6月に、189系の最終増備車として、クハ189-14F(日本車輌製)の中間車として導入されていた。その先頭車であるクハ189-514号車は、マリC1編成、クハ189-14号車は、豊田電車区で唯一の189系であるトタM50編成に連結されている。モハ189、188-50号車は、同じC2編成に連結されているけど、モハ189,188-52号車は、2002(H14)年10月に廃車。サロ189-113号車も同年6月に廃車されている。

M50編成といえば、新宿~河口湖間のホリデー快速河口湖号がメインで使用されている。

クハ189-1516号車は、1975(S50)年に、クハ183-1016号車として製造。 当初は上越線の特急旧とき号で使用されていた。旧とき号廃止後の1983(S58)年1月に、189系に編入改造されクハ189-1516号車となり、新潟から長野に転属。当時は旧あさま号で使用されていたけど、廃止後の1997(H9)年に松本区に転属、2002(H14)年12月に幕張に移り、現在に至る。

同時にクハ183-1015号車が、クハ189-1015号車に改造されていたけど、2001(H13)年12月に廃車となっている。

189系のグリーン車や中間M車には、485系や183系から編入された車両もあった。183系のグリーン車にも、485系からの編入車もあったし。

2005(H17)年9月に廃車となった長野総合車両センターのN104編成(クハ189-4F)には、183系から編入された中間車(モハ189、188-1548号車、モハ189、188-1558号車)が連結されていた。先頭車は、クハ189-4号車、501号車となっていたし。 

N104編成は、2003(H15)年4月に快速妙高号の増発用として導入されていた編成で、クハ189-501号車が唯一のセミハイデッカー車となっていた。

現在旧あさま色の189系が3編成(N101~103編成)が在籍し、快速妙高号や団臨列車で使用されているけど、北陸新幹線の金沢への開業と共に終焉の時を迎えることが予想されています。 そのうちのN101編成(クハ183-1525F)は、旧とき号廃止後、ATC付きの1500番台に改造されているので唯一のATC付きとなっている。 こちらは、はまかいじ2、3号に使用されていたことがあった。

C編成に連結されていた183系の2桁番台のM車は、長野まで廃車回送されていたけど、0番台の先頭車と組まれていたので、本来の編成に戻されていた。

183系の0番台のほうは、昨年までに全車が廃車・解体されたため、もう見ることが出来ない。

183系の6両編成のうちの1編成は、昨年の成田山への初詣輸送に使用されていたことがあった。

臨時かいじ180号は、昨年10月9、15、22日、11月5日にも運転されていたけど、今期(1月2、3日)は、昨年と同じスジで運転されていた。

昨年は、12月30、31日にかいじ185号(新宿15:02発)にも189系が使用されていた。同時に、12月29、30、31日に、新宿14:02発のあずさ95号も運転されていたけど、8月15日、9月2日の諏訪湖花火大会の臨時特急と同じスジとなっていた。
189系によるリバイバルあずさ号は、一昨年9月3日に生で見たことがあるけど、リバイバルかいじ号のほうは、今回初めて生で見たことになった。

国鉄特急色で、国鉄の特急シンボルマークが外されているけど、リバイバルムードがあります。

189系による臨時あずさ、かいじ号は、全席禁煙となっており、中央線特急の全席禁煙車の先駆けとなっている。

E257系によるあずさ・かいじ号、E351系によるスーパーあずさ号も、今年3月18日のダイヤ改正で全車禁煙となる。

途中停車駅は、石和温泉、山梨市、塩山、大月、八王子、立川、三鷹と、E257系による定期のかいじ号と同じとなっている。

大月を出た時には、混雑し、デッキで立ち席状態でした。 臨時列車と言えども、山梨方面からの帰りの客で賑わっていたし。

はまかいじ号のほうは、八王子から横浜線に入るけど、途中橋本、町田、新横浜に停車して横浜へと向かうことになるので、木沢さんや奥野さんの帰りの足にも適している。

かいじ180号と言えば、昨年10月9日に萩原清さんが、甲府から新宿まで乗っていたことがあったけど、全車禁煙車であるため、萩原清さんのような愛煙家にとってはきつい面があった。

昨年10月9日は、筆者や樋口君が金沢まで行っていた時だった。

183系で大月より先の区間に乗ったのは、現役当時以来久しぶりでした。 2001(H13)年6月9日、パノラマエクスプレスアルプス(現在の富士急行、フジサン特急)の鉄道友の会による団体列車の撮影の帰りに、山澤さんと八王子まで183系によるかいじ号に乗ったことがある。

相模湖では、先ほどの高尾行きの普通列車(C3編成)を追い抜いていたけど、もしもそれに乗ったままだったら、相模湖で動画撮影をしていたにとどまっていたところだった。

18きっぷだったらこのようなことを余儀なくされていた。

やはり183、189系による臨時あずさ・かいじ号は滅多に乗ることが出来ないので、貴重な体験でした。いつもと同じ特急料金で乗れるし。

号車表示のほうは、従来のE257系(3号車(11両の場合は1号車)から始まる)とは異なり、1号車から9号車となっていました。

JR東日本では、183・189系自体の定期の特急運用が、一昨年12月の改正で失われている。

八王子からは、ほとんどの乗客が降りたため、座ることが出来ました。それでも、八王子からの近距離利用客が流れ込んできたけど。 

八王子では、常に乗客の入れ替わりが激しい状態となっている。

立川では、新型のE233系のT2編成による快速東京行きを見ることが出来ました。

現在の中央快速線は、オレンジ色の201系ばかりで、E233系が少ない状態となっている。
これもやがてはE233系で埋め尽くされ、来年の今頃は、201系を捕まえるのが困難ということになっているに違いないです。

先頭車の1号車には、「ムーンライト信州81号で運転する際は、レディースカー(女性専用車)となります。」という表示がありました。

ムーンライト信州81号は、金曜日を中心に、新宿23時54分に発車し、途中立川、八王子、大月、塩山、甲府、小淵沢、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、塩尻、松本、豊科、穂高、信濃大町、神城に停車し、白馬へと至る夜行臨時快速列車となっている。 夏は登山客、冬はスキー客で賑わうことになるし。

こちらは、グリーン車を含めて全席指定席。 今後の運転予定は1月5、12日、2月9、16
23日となっている。

その前身は、183、189系による夜行急行アルプス号で、当時は辰野駅を経由していた。 急行アルプスの廃止は、上りが2001(H13)年12月、下りがその翌年の2002(H14)年12月の改正の時だった。

晩年は、下りが183系または189系の9両編成、上りが189系の11両編成が使用されていた。前面表示は、急行アルプス

1986(S61)年11月の改正までは、日中にも運転され、165系が使用されていたこともあった。 1986(S61)年11月1日の改正(旧国鉄最後のダイヤ改正)から、2002(H14)年11月30日まで、夜行急行アルプス号に183系・189系が使用されていた。

ムーンライト信州号のほか、路線は異なるけど、臨時のムーンライトながら91・92号でも、かつての夜行急行アルプス号の雰囲気を味わうことが出来る。

この夜行急行アルプスは、山男、山女たちに親しまれていたけど、利用客の減少等により、E257系への置き換えを期に廃止されていた。こちらは、青春18きっぷで乗ることが出来ないというデメリットもあった。その代わり、自由席もあったけど。

これとは別に、スカ色の115系による新宿発上諏訪行きの夜行普通列車も運転されていたこともあったけど、18キッパーや登山客らに親しまれていた列車でもあった。

183系のあずさ号といえば、松本所属のほか、幕張所属車も使用されていたこともあったので、183・189系による臨時あずさ号の設定で昔に逆戻りした感じがします。

この列車自体も、全盛期にタイムスリップしたような感じがしたし。

萩原清さんも、昨年10月にこのような世界に浸っていたのである。 

武蔵小金井電車区には、E233系が何本も留置されていました。 あとは、豊田電車区所属の115系訓練車もあったし。 こちらは、デカ目スタイルのままシールドビーム化された編成となっている。

デカ目の115系と言えば、JR東海の静岡車両区に所属していた115系S8編成のクハ115-188号車を思い出します。 

こちらは、昨年10月8日に、運用離脱され、その後の11月13日に西浜松まで廃車回送されていた。 これによって、JR東海のデカ目の115系の最後の砦が崩れていた。

晩年は、東海道線の普通列車や飯田線、篠ノ井線等で使用されており、御殿場線や身延線でも走っていたこともあった。

11月13日の廃車回送の時は、デカ目先頭車(クハ115-188号車)が先頭に立っていた。

残念ながらこの編成を撮影することもなく終わってしまったのである。

三鷹で下車し、撮影しました。 この後で201系のクハ201-38F(H5編成)による中央特快で中野まで移動しました。 こちらは、中央特快なので中野までノンストップの状態です。

本当は新宿まで乗り、中野まで戻って行きたかったけど、新宿到着後に回送の表示に変わってしまうことが懸念されていたので、三鷹で下車していたのである。

三鷹といえば、昨年7月9日に行われた西武線撮影ツアーの助っ人となった小村武氏の地元であり、昨年12月3日の中央線撮影ツアーでの昼食会が行われた場所である。

中野駅に到着後、ハロプロライブ(ワンダフルハーツ)の会場である中野サンプラザへと向かいました。

中野サンプラザは、1973(S48)年6月1日に開設された中野のランドマークとなっており、コンサートが行われた大ホールのほか、ボーリング場、ホテルなどが完備されてる。

当時は、旧労働省所管の特殊法人であった雇用促進事業団(現在は独立行政法人雇用・能力開発機構)によって建設されていた。当時の名称は、全国勤労青少年会館

2004(H16)年12月には、民間に譲渡され、株式会社中野サンプラザとなった。

元爆風スランプのサンプラザ中野(本名中野裕貴)氏の芸名の由来は、アマチュア時代に中野サンプラザでのイベントに出ていたということや、本名の中野に因んでいたためである。

やはり、サンプラザ中野の芸名は、中野サンプラザと関係があるということが分かるのである。

ワンダフルハーツのほうは、モーニング娘。を筆頭に、元モーニング娘。の石川梨華女史率いる美勇伝、同じく元モーニング娘。の辻希美女史、Berryz工房、℃-uteから成っている。

これら以外のハロプロメンバーは、エルダークラブとなっている。

中野サンプラザでは、1月2日から4日までワンダフルハーツ(ワンダ)の公演が行われていたけど、1月5日から7日まで、筆者は入る予定は無いけど、エルダークラブ(エルダー)の公演が行われることになる。

大阪厚生年金会館では、1月13日にエルダー、翌14日にワンダ
名古屋市民会館(金山駅前)では、1月20日にエルダー、翌21日にワンダの公演が行われることになる。

1月27、28日には、横浜アリーナでワンダとエルダーを合わせたハロプロのオールスター公演が行われることになるけど、筆者は28日の夜に行く予定。

この時には、カントリー娘。のあさみちゃんとみうなちゃんがハロプロから卒業してしまうことになる。

1月2日にワンダ公演で、モーニング娘。のリーダーであるよっすぃーこと吉澤ひとみ女史が、5月6日にさいたまスーパーアリーナで行われるモーニング娘。のツアーのファイナルで、モーニング娘。を卒業し、ソロのハロプロアーティストとして独立することが発表されていた。 

よっすぃーのほうは、2000(H12)年4月の加入以来、1年間、筆者1押しのメンバーとなっていた。

夜の部が終了した後、ハロプロファンの仲間と合流。 この後、某居酒屋に行き、2次会へ。

この後、201系の各駅停車で新宿へ、新宿から山手線で帰りました。

この時に乗った201系はT9編成(クハ201-32F)だった。

筆者は翌日の1月4日にワンダフルハーツの公演を見たけど、昨年10月28日に日本武道館でのモーニング娘。のコンサート以来久しぶりに筆者の推しメンバーである道重さゆみ、久住小春両女史を見ることが出来てよかったです。

1月28日には、モーニング娘。の新メンバーである光井愛佳女史を初めて生で見ることになる。横浜アリーナでの公演で初披露ということとなるため。

柘植の飛猿さんのほうは、1月27日に横浜アリーナに行く予定だと言っていたので、この時に光井愛佳女史を初めて生で見ることになる。やはり東京メトロ東西線のイベントに行った後に現地入りすると思われます。

樋口君のほうは、4月22日の名古屋市民会館でのファンクラブ先行予約で落選してしまったため、光井愛佳女史を生で見れる時が先送りになってしまうことが懸念されている。

4月30日に名古屋センチュリーホールでも行われるけど、樋口君が行けるかどうかの瀬戸際に立たされている状態である。

ミキティこと藤本美貴女史のほうは、現役のモーニング娘。で唯一柘植の飛猿さんと握手したことのあるメンバーとなっている。 藤本美貴女史のほうは、5月以降の新リーダーに昇格することが決まっている。サブリーダーのほうは、高橋愛女史が就任することになっているけど。

1月5日は、台湾新幹線の板橋(台北郊外)~左営間がようやく開業したことで話題となっています。こちらは、最終的に台湾の南北の主要都市(台北と高雄)を結ぶ役割となる。

ここで、中央快速線の201系に関する情報で、T18編成(クハ201-18F、旧ムコH31編成)が、1月5日に長野まで廃車回送されたという情報が入ってきました。 こちらは豊田区に転属された後、201系10両固定で唯一編成番号と車番が同じ編成(18番)となっていた。

そのうちのモハ201-28号車とモハ200-28号車のほうは、201系で唯一フックが大きい日立製のクーラーが搭載されていた。
by hy_sengen-sin | 2007-01-05 11:47 | 鉄道乗車記