交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

4年ぶりの横瀬イベント

10月1日は、西武秩父線の横瀬駅構内にある横瀬車両基地で行われた西武トレインフェスティバルに行って来ました。一昨年10月3日にも行っていたけど、横浜アリーナでのモーニング娘。のコンサートに行っていたので、本格的に回ったのは2002(H14)年以来4年ぶりとなった。

ルート 中井~上石神井~所沢~小手指~飯能~高麗~横瀬~池袋~新宿~代々木上原~下北沢~相模大野~本厚木~新宿~目白

横瀬でのイベントは、1994(H6)年の鉄道の日元年から、毎年恒例で行われている。

昨年は10月2日に行われていたけど、東武の南栗橋でのイベントと被っていたので行くことが出来なかった。 昨年の撮影会の時は、横瀬からの掛け持ち客のために開催時間を延長してくれればよかったなと思っています。 

まずは、落合郵便局(東京メトロ東西線落合駅前)まで徒歩で行き、10月15日の市川市文化会館(本八幡)での後藤真希女史のコンサートチケットを受け取った後、西武新宿線の中井駅まで戻り、ここから上石神井駅まで、2525F+2529Fによる普通列車拝島行きで移動。 2525Fの西武新宿寄りの先頭車は、2525番なので、ニコニコみたいな番号である。 この編成の本川越、拝島寄りは、2626号車となっているけど。

中井駅は、都営大江戸線への乗り換え駅にも関わらず、普通列車のみの停車となっている。 練馬駅のほうは、各駅停車に加え、準急、快速も停車するけど。都営大江戸線の中井駅のほうは、東中野、中野坂上駅と同様に、首都高速中央環状新宿線(2007(H19)年12月に熊野町JCT~西新宿JCT間開業予定)の真下を通るために深くなっている。そのため、乗り換えの利便性が低い状態となっているし。

中央環状新宿線は、熊野町JCT~西新宿JCT~大橋JCT間で、ほとんどが山手通りの地下を通ることになる。 西新宿JCTでは、既存の4号新宿線(高井戸方面)と接続し、中央道とも結ばれることになる。 これにより池袋、埼玉方面から中央道までダイレクトで結ばれることになるし、都心部の渋滞が緩和されることになる。西新宿JCTからは、都心方面(新宿、三宅坂方面)に行くことは出来ない。

西新宿JCT~大橋JCT間(3号渋谷線・用賀方面、東名高速と直結)の開業は、2009年度中にずれ込むことになる。同時に4号新宿線(高井戸、中央道方面)から大橋方面へと行くことも出来るようになる。大橋JCTのほうは、西新宿JCTとは異なり、都心(渋谷、谷町方面)へと向かうことも可能となっている。

さらに、中央環状品川線(大橋JCT~大井JCT間)が、2013年度中に開業予定となっているので、全線が開通することになる。
大橋JCT(ジャンクション)は、東急バス大橋営業所(元をただせば東急玉川線(玉電)の車庫)の跡地に出来る予定となっている。

首都高の中央環状線は、葛西JCT~板橋JCTまでが開通済みで、江北JCT~板橋JCT(中央環状王子線)は、2002(H14)年12月に開業した区間となっている。こちらは、飛鳥山公園の真下をトンネルで貫いている。

昨年10月1日は、日本道路公団および首都高速道路公団などが民営化されていたので、あれから1年経ったのである。 あと1年後の来年10月1日は日本郵政公社が民営分社化される予定となっている。このことで郵政民営化問題が騒がれていたのである。

日本道路公団や日本郵政公社の民営化は、小泉純一郎前首相の下で行われていたけど、国鉄(日本国有鉄道(JNR))の民営化のほうは、日本専売公社(現日本たばこ産業(JT)や、日本電信電話公社(現日本電信電話グループ(NTT))と共に中曽根康弘首相(当時)の下で行われていた。

現在は安倍晋三氏が、現在の内閣総理大臣に任命されたことで話題となっている。

沼袋駅で、準急電車(6000系)および特急電車(10000系小江戸号)の通過待ちがあった。

西武の特急は、池袋線・新宿線共に10月1日から4号車を含めて全面禁煙化されたのである。

上石神井から所沢までは、3000系の3011Fによる急行で移動。 西武3000系のほうは、更新前の2000系と同様の黄色い化粧板と茶色い座席が採用されている。

3000系は、3ドアの8両固定編成であり、8両編成の列車にしか使用出来ないということで使い勝手が良くない状態となっている。

所沢から小手指までは、東京メトロ07系の07-106Fで移動。 こちらも07-103~105Fと同様に東西線への転用予定車となっているので、貴重な体験となった。 

東西線に転用された07-103Fのほうは、07-103号車のまま東西線の塗装に変更されていたので、07系のまま東西線で使用される可能性がある。

07系は、小手指到着後、飯能まで回送され、快速新木場行きとして折り返されていた。 

小手指駅では、VVVF化改造前の9000系を撮影。この時に9102、9108Fを見ることが出来たのである。

小手指から飯能までは、東京メトロの7000系(7124F)で移動。この区間をメトロ車で通った時は新鮮な気分がしました。

小手指の車両基地には9月28日に東急車輌から出場回送されたばかりの9105Fが止まっていたけど、現時点では営業運転には入っていなかった。 この時にシングルアームパンタに交換されていた。

飯能から高麗までは、西武秩父線の主役である4000系の4005+4023Fによる高麗行きの臨時列車で移動。 10月1日現在、高麗の巾着田での曼珠沙華関連の臨時輸送が行われていたので再びこの臨時列車に乗ったのである。 特急の臨時停車および臨時運転のほうは、9月24日をもって終了。

かつては、西武101系列と5000系旧レッドアローが西武秩父線の主役だったのである。

この日は、早咲き地点での見頃は過ぎていたけど、遅咲き地点では見頃を迎えていた。 この時から雨が降り始めたけど、それでも見物客が多かった状態でした。 コスモスのほうも、摘み取りにより半分に減ってしまったけど、見頃を迎えていた状態だった。

高麗駅構内でも、曼珠沙華が咲いていた。

高麗から横瀬までは、4003F+4007Fで移動。 4007Fのほうは、一昨年4月25日に秩父の芝桜見物に行った時に乗った編成である。

途中では、新101系や301系、235+237F、239+241F、301Fと交換しました。 やはり曼珠沙華輸送がらみで3ドアロングシートの新101系が運転されたと思われます。

今年の秩父夜祭りは、12月3日の日曜日に行われる予定なので、どんな車両が使用されるのか気になります。 この時に新2000系による臨時列車も期待出来る状態である。この時ももちろん特急の臨時運転も行われるし。夜祭り輸送の特急券の発売日は11月3日で、入間の航空祭が開催される時である。

正丸駅を出てすぐの正丸トンネルには、行き違いの出来る信号所がある。 この時に行き違い列車が無かったのでノンストップで通過していました。 普通列車の場合約80~90Km/hで通過するけど、特急の場合は約100Km/hで通過することになる。

正丸トンネルのほうは、周辺を通る国道299号線にもあるけど、西武秩父線より短い状態となっている。

横瀬駅手前では、イベント会場を眺めることが出来ました。

横瀬駅に到着した後、トンネルを通り、横瀬の西武トレインフェスティバルの会場に行きました。 この時に雨が降っていたので、雨の中の西武とレイン(雨)フェスティバルの状態となってしまいました。

一昨年の10月3日もこのような状態となっていた。当時は横瀬まで旧101系のツートン編成による臨時列車に乗ったのである。

ここで展示されていた車両は、D16形入れ替え用ディーゼル機関車、E71形E71号(旧国鉄ED10 2形)電気機関車、E61形E61号・E41形E43号・E51形E52号という赤い輸入電気機関車トリオ、E851形E854号電気機関車、現役で活躍中のE31形E32号電気機関車、蒸気機関車(SL)4号機、有蓋貨車2両(スム201形201号、ワフ101形105号車)、501形モハ505号車(末期は351形355号車として活躍していた)、5000形クハ5503号車(旧レッドアロー号)、20000系20158F、9月30日まで恐竜ラッピング電車として使用されていた新101系の247Fとなっていた。

E71形電気機関車は、旧国鉄時代の葡萄色の塗装およびED102のプレートが再現されている。

20158Fは、この日、池袋~横瀬間を、トレインフェスティバル号(臨時の快速急行)として1往復していたのである。今回は横瀬に保存されている4号機関車を模したヘッドマーク付きで、往路は快速急行横瀬行きの表示で運転されていた。

本当は行きも20000系で行きたかったんだけどね!

247Fのほうは、9月30日をもって閉館したユネスコ村大恐竜館のラッピング列車として、9月3日から30日まで狭山線で運転されていた。

ユネスコ村大恐竜館のほうは、筆者が行くことも無く終わってしまったのである。

筆者はこの列車を狭山線で撮影して居なかったので、今回撮影出来てよかったと思っています。

この時に、南入曽でのイベントの時みたく、通勤快速入間市、普通武蔵丘という幻の表示が披露されていた。こちらのほうも時々変えられていた。

505号車および5000系旧レッドアローのほうは、行き先および愛称表示が付いていなかった。

505号車および5000系の車内に入ったけど、1990年代初期にタイムスリップしたような感じがしました。505号車のほうは、1990(H2)年6月23日の多摩湖線でのさよなら運転の時の広告が残っていたので、西武ライオンズVSオリックスブレーブス(現オリックス・バッファローズ)の広告や、東京23区の市外局番(03)の後に3が付く前の電話番号も表示されていた。 東京23区(多摩地域の一部を含む)の市内局番の頭に3が付いたのは、1991(H3)年1月1日からであり、当時は3が付く前の9桁の番号だった。当時の西武ライオンズは、秋山幸二選手や清原和博選手が活躍していた。この年は、西武がパリーグ優勝していた。当時の日本シリーズで巨人に勝ち、日本一に輝いていた。

清原和博選手のほうは、今から20年前の1986(S61)年に西武ライオンズでデビュー(当時は西武が日本一に輝いていた)、現在は巨人を経て、オリックス・バッファローズで活躍している。

外観は505号車に復元されていたけど、中のプレートおよび運転台には355号車の表示が残されていました。

1990(H2)年の廃車後、赤電塗装のまま玉川上水の車両基地で保存されていたけど、1996(H8)年に横瀬に移動し、ここで保存されるようになったのである。 1998(H10)年には、黄色と茶色の旧塗装が再現されていた。

5000系のほうは、運転台見学の列が出来ていたけど、車内はすんなり入れました。 座席のほうは、末期に使用された青い簡易リクライニングシートがそのまま使用されていた。 保存車両は6両編成のうちの飯能寄りの先頭車(1号車)で、現役当時は禁煙車となっていたので、禁煙車のステッカーがあった。 この先頭車にはトイレと車販準備室があるけど、どちらも鍵が掛かっていた。 展示の時はトイレの窓が開いたままとなっていた。 4両編成だった頃は、トイレと車販準備室が1号車にしかなかったけど、6両化と同時に6号車にも設けられるようになった。 5000系のトイレはどちらも和式トイレで、男子小トイレは無かった。 10000系の場合は1号車が車椅子対応の洋式、7号車が和式となっており、どちらも男子用小トイレがある。5000系は、西武初のトイレ付きの列車となっていた。 現在トイレ付きの西武の車両は、4000系と10000系となっている。

レッドアローの車内販売は、1993(H5)年頃に廃止されていたけど、10000系に受け継がれることは無かったのである。 その代わりに1、7号車に自動販売機が設置されているけど。

このクハ5503号車は、1969(S44)年10月14日にデビューして以来、1995(H7)年12月3日の秩父夜祭りの臨時特急でのラストランまで活躍してきた編成のうちの1両である。 こちらは10000系NRAと同様に日立製作所製で、国分寺駅で引き渡しが行われていた。当時は武蔵野線が未開業で、西武国分寺線と国鉄線の線路が繋がっていた。

現在は、国分寺駅の改良に伴い、中央線との連絡線路が廃止されている。

日立製作所製の西武の電車は、10000系NRA、6000系アルミ車、20000系にも受け継がれたのである。

5000系のうち日立製は、1969(S44)年に製造された4両3編成12両のみで、1970(S45)年以降に登場した編成(5507F以降)および増結中間車は、西武所沢工場製となっている。

富山地鉄に譲渡された編成(16010形)は、旧5501F(ブルーリボン賞プレート付き)と旧5507Fのうちの3両で、一部は2両編成で使用されている。 この時にカード式列車電話、トイレ、車販準備室が撤去されている。 旧5501F(地鉄16011F)は、トイレ・車販準備室が使用停止のまま残されていたけど、のちに撤去されていた。 旧5507F(地鉄16013F)は、譲渡と同時にトイレ・車販準備室が撤去されていた。 これらの編成は、10000系に足回り品が流用されたため、レール幅が同じでありながら、485系等から足回り品が流用されていた。

クハ5503号車には、ブルーリボン賞のプレートが付いていないのが残念である。あとは、富山地鉄に譲渡された編成と同様に、運転台後部にあったカード式列車電話が撤去されていた。

5507Fといえば、2号車の座席がお召し列車として使用された時の名残で赤色のまま残されていたけど、富山地鉄への譲渡対象とはならず、廃車・解体。一部の座席のみ保管され、武蔵丘でのイベントのアーカイブスコーナーで披露されていた。5507Fは、1970(S45)年、5509Fは、1974(S49)年、5511Fは、1978(S53)年に登場。 1974(S49)年には、5501、5503、5507Fが、1976(S51)年には、5505Fが6両化されていた。

そのうちの5509、5511Fは、第一次置き換え計画により、1994(H6)年に廃車となっていた。 その後に5501Fが廃車となり、そのうちの3両が富山地鉄に譲渡されていた。

筆者が5000系レッドアローに初めて乗った時は、1983(S58)年の夏、カブスカウト(ボーイスカウト連盟)の長瀞へのキャンプの帰りに西武秩父から池袋まで乗った時だった。 当時秩父鉄道では、500系、800系(元小田急1800形)に乗ったことを覚えている。 1995(H7)年10月14日、飯能から池袋まで、5503Fの6号車(クハ5504号車)に乗車。 ラストランを前に12年間のブランクを経て乗ることが出来たのである。 同年12月3日、秩父夜祭り輸送の行きの臨時特急で池袋から西武秩父まで乗った時もこの編成に当たっていた。

長瀞での宿泊先は、SLホテル(現在は廃止)だったけど、ここには20系客車の保存体に泊まれる状態だった。ここで保存されたSL(D51 96号機)は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。

クハ5504号車のほうは、前頭部部分および運転台のみが残され、横瀬で保管されている。1996(H8)年5月には、西武秩父駅前でも披露されていたことがあった。

5504号車のカットボディには、末期に使用されていた特急ちちぶのマークが付いている。

横瀬車両基地のほうは、開業翌年の1970(S45)年1月1日、機関車および貨物列車の専用基地である横瀬検車区として開設。一時的に所沢検車区の支所となっていたことがあった。

所沢検車区(後の所沢車両管理所)が廃止されたのは、所沢駅構内の改良工事が行われた1989(H元)年9月で、廃止後、横瀬車両管理所となった。

2001(H13)年7月9日の組織改正により、現在の横瀬車両基地となったのである。

西武の赤い電気機関車トリオのうち、スイス製のE52形電気機関車が、タンク車牽引で池袋付近を走る姿のパネルがあったけど、こちらは30年前の1976(S51)年2月のことだった。

あとは、池袋~椎名町間の山手跨線橋の旧橋梁部分が横瀬に保存されていました。 こちらは初公開となった。

今年は保存されている電気機関車で全てパンタグラフが挙げられているということでとても嬉しい状態となっていた。

E851形電気機関車は、1969(S44)年の西武秩父線の開業の時から1996(H8)年の貨物輸送の廃止まで使用されており、当時は私鉄最大級の電気機関車と呼ばれていた。 そのうちの1両が保存されていることは嬉しいことである。 

西武のSL4号機のほうは、1886年、イギリス・ナスミス・ウィルソン社製であり、廃車後はユネスコ村園内に保存されていたけど、のちに横瀬に移り、ここで保存されるようになったのである。現在は野ざらしにされたようなボロボロの状態となっているのが残念であり、修復されることを願っています。その他の保存車両のほうは屋内で保管されているので状態が良い。

終了間際の時には、20000系と恐竜電車の撮影会が行われ、20000系のほうは、快速急行横瀬の表示で披露されていた。 こちらも行きに見れなかった人への大サービスであった。

恐竜電車は、快速西武球場前行きで披露。

このイベント会場を後にして、横瀬駅のホームへ。この時に301Fによる普通飯能行きを見ることが出来ました。 20000系は引き込み線へ。

この後、20000系が引き込み線からホームに入線。 停車時間があったので、撮影する人で賑わっていました。 発車前には、239+241Fの普通列車西武秩父行きと交換。

この時会場では、D16形入れ替え用ディーゼル機関車による展示車両の入れ替え(撤収)作業が行われていた。D16形のDLは、1969(S44)年日本車輌製である。

恐竜電車の247Fは、その日のうちに小手指まで回送されていた。

15時ちょうど、20000系によるトレインフェスティバル号が横瀬を発車。 20000系の西武秩父線への乗り入れは、2000(H12)年10月9日、20151F 2005(H17)年10月2日、20158F、2006(H18)年10月1日、20158Fの3回である。

筆者は第一回目の時に乗ったけど、今回は6年ぶりの乗車となった。

やはり普段走ることの無い4ドアロングシートの20000系が、山岳地帯の路線を走ったということも貴重なシーンとなっていた。 LEDの車内案内表示で、普段表示されることのない東吾野~横瀬間の表示も出てきていた。 この区間の自動放送のほうは4000系のワンマン改造車でおなじみとなっているけど。

2000系の西武秩父線での体験乗車は、1997(H9)年10月12日に行っているけど、こちらも新鮮な感じがしていた。 当時は新宿線所属の2000系の6+2(6両はN2000系)が使用されていた。

あとは20000系が普段通ることのないトンネル区間も通過していた。 2000系や3000系も普段トンネル区間は通らないけど。 6000系なら有楽町線区間を通っているので。

正丸トンネルでは、トンネル内の信号所で交換のために停車していたけど、その手前で豪快に飛ばしていました。 20000系が正丸トンネルで豪快に飛ばす姿はこのイベント列車ならではである。

信号所では、行きに乗った4003+4007Fの普通列車西武秩父行きと交換していた。

吾野駅では交換のためにしばらく停車。 この時も撮影タイムとなっていたので、駅舎(飯能)寄りが賑わっていた。 
この時の交換列車は、237+239F、10104F(特急)だった。 237+239Fは、かつて秩父鉄道に乗り入れていた編成で、号車表示がある編成となっている。 こちらのほうは、来年度の13号線乗り入れ用の新車導入により置き換えられる可能性が高い状態となっている。

昨年までは227+229F、231+233Fもあったけど、227Fは昨年10月2日の横瀬行きのイベント列車に使用された後に横瀬で廃車・解体。229、231、233Fは、急行秩父路用として秩父鉄道に譲渡。 秩父鉄道では6000系として使用されている。

これに伴いJR165系から改造された急行用の秩父鉄道3000系が、11月25日に行われるイベントを最後に全廃されることになる。譲渡の対象とならなかった3両は、227Fと同様に廃車・解体されている。

横瀬では、廃車となった西武電車の解体作業が行われており、これまでに旧101系や新101系227Fがここで解体されていた。以前は小手指で行われていたことがあったけど。 

この後は、高麗でも行き違いのために長時間停車。 高麗駅からは曼珠沙華の見物を終え帰宅する人も乗っていたのである。

武蔵丘検修場からは、検修場まつりの臨時列車と同じルートを走行。 

今年は、西武ホールディングス(西武鉄道とプリンスホテル関連の持株会社)の傘下に入った年であり、西武ホールディングス入りしたから初めて行われた横瀬のイベントとなっていた。

西武鉄道の三大イベント(武蔵丘、南入曽、横瀬)は、西武ホールディングス入りした後、全て行われたことになった。今年はそのアクセス列車は全て20000系で運転されていた。6月4日、武蔵丘=20103F、南入曽=20152F、横瀬=20158F

西武鉄道のイベントは、横瀬しか無かったけど、2002(H14)年から武蔵丘検修場(車両工場)、昨年(2005(H17)年)から南入曽車両基地も加わって西武鉄道の三大イベントとなったのである。

ホールディングスといえば、10月1日に阪急阪神ホールディングが設立されたことが有名となっている。 元は4月1日に設立された阪急ホールディングスであり、同年10月1日に阪神グループもその傘下に入っていたのである。 同時に阪急東宝グループから阪急阪神東宝グループに変更されていた。

飯能駅で方向転換。ここから普段のルートに突入。 この時に来年もまた来ます!とスタッフに声を掛けていた人が居ました。 こう言ってくれる人が居て嬉しく思っています。 スタッフも嬉しく思っているに違いないし。

飯能では、アルミ製の6000系に挟まれて発車していました。 1番線には、6152Fによる準急新木場行き 4番線には、6155Fによる急行池袋行きとなっていたけど、6155Fは、曼珠沙華のヘッドマークが外されていた状態となっていた。

8両編成の20000系は、20151~20158Fが在籍しているけど、20151Fと20158Fが池袋線在籍で、狭山線のほか、豊島線(豊島園)にも入線する場合がある。20157Fのほうは2004(H16)年の導入当初は池袋線で使用されていたけど、現在は新宿線所属となっている。

20151Fは、導入当初は新宿線所属だったけど、のちに池袋線に転属。 20158Fは生え抜きの状態である。

池袋線を走った20000系のうち、20157Fだけが西武秩父線に入っていないという状態となっている。

小手指では、2000系で唯一のVVVF試験車の車両が含まれている2097Fの普通列車(小手指始発)と対面。  

富士見台~中村橋間の複々線区間では、東京メトロの7132Fによる新木場行きと併走していたので、複々線区間ならではのシーンがあった。

この日の練馬~豊島園間の折り返し列車には、243Fが使用されていた。 旧101系があった頃は、旧101系も使用されていたことがあったけど、現在は新101系の4両編成に限定運用されている。

池袋には、3、4番線に到着。 折り返しは回送となっていたけど、ここで撮影した人が多かったです。
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by hy_sengen-sin | 2006-10-02 15:30 | 鉄道イベント