交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

身延線

甲府からは、313系3000番台の2両編成のワンマン列車で、身延まで行きました。 この時に乗った編成は、V4編成(クモハ313-3004F)でした。

身延線で運転されている313系3000番台は、115系2000番台の3両編成と同様に、御殿場線と共通運用となっている。

現在313系3000番台は、今年に入ってから増備が行われており、早期落成のV13編成(クモハ115-3101F)、V14編成(クモハ115-3102F)が静岡車両区に配置されている。こちらは新製時から2パンタとなっているけど、既存の3000番台も順次2パンタ化改造されることになる。

これにより、123系、115系2000番台に動きが見られることになる。

この313系の増備車のほうは、700系新幹線で採用されているセミアクティブダンパや車体間ダンパが採用されているのが特徴で、トイレは電動車椅子対応の幅広タイプとなっている。行き先表示は、フルカラー式LEDが採用されている。 JR東海ではこれまで幕式表示が使われていたけど、LED化の波により、LED化されていたのである。 来年夏登場予定のN700系新幹線もLED式の表示となっている。

身延線の前身は富士身延鉄道で、1912(M45)年に鈴川(現、吉原)と大宮(現、富士宮)を結んでいた富士馬車鉄道が買収されていた。 以後、1915(T4)年3月1日に、大宮町~芝川間が開通。
1918(T7)年8月10日には、芝川~十島間が、同年10月8日に十島~内船南部(現・内船)間がそれぞれ開通。
翌年の1919(T8)年4月8日に内船南部~甲斐大島間が開通。
1920(T10)年5月18日に 甲斐大島~身延間が開通。

1927(S2)年6月20日には、全線が電化。同年12月17日に身延~市川大門間が開通。 

1928(S3)年3月30日に市川大門~甲府間が開通したことにより全通。

1941(S16)年5月1日に国有化され、国鉄身延線となる。1987(S62)年4月1日には、現在のJR東海の路線となった。

甲府駅は、身延線部分を含めてJR東日本の管理となっているけど、中央線の線路と繋がっていない状態となっている。 

1962(S37)年6月まで、甲府駅前から甲斐青柳(南巨摩郡増穂町)まで、山梨交通電車線という路線が出ていたこともあり、甲府駅前~荒川橋間は併用軌道で運転されていた。 この路線の愛称は「ボロ電」だった。最終運行は、1962(S37)年6月3日で、廃止されたのは同年7月1日。

廃線当時の路線 甲府駅前~警察署前~相生町~ 泉町~ 第二高校前~ 寿町~荒川橋~ 上石田~ 貢川(くがわ)~ 徳行(とくぎょう)~ 榎駅~ 玉幡~ 農林高校前~今諏訪~ 西野~ 在家塚~甲斐飯野~倉庫町~ 桃園~ 巨摩高校前~小笠原~ 小笠原下町~甲斐大井~古市場~荊沢(ばらざわ)~長沢新町~長沢~甲斐青柳

甲府駅前駅は、甲府駅の南口の現在の山交百貨店の部分にあった。車庫は貢川駅構内にあり、廃線後は、山梨交通のバスの営業所として使用されていた。現在その跡地には、コジマがある。廃止後は、ダイエーの貢川店(現在は閉店)に継承されていた。

長沢新町付近では、当時天井川だった利根川をくぐっていたのである。

1986(S61)年4月まで江ノ電で走っていた800系(801+802号車)は、1948(S23)年の登場当時は、この山梨交通電車線で走っていたことがあった。当時はモハ7号+モハ8号と呼ばれていた。 製造メーカーは汽車会社(現在は川崎重工業に吸収合併されている)。 山梨交通線の廃線後、上田丸子電鉄(現、上田電鉄)に移り、2341、2342号として使用されていた。丸子線が廃止された1971(S46)年に江ノ電に移り、1986(S61)年に廃車されるまで活躍していたのである。 そのうちの801号車は、沿線の利根川公園(南巨摩郡増穂町小林)で静態保存されている。802号車のほうは、静岡県裾野市十里木高原別荘地内で保存されているけど、こちらは個人所有となっている。

山梨交通のほうは現在、国際興業グループのバス会社となっており、高速バスおよび路線バスのカラーリングが親会社の国際興業バスに準じている。 

甲府駅を出ると、善光寺駅手前までJR中央本線と併走。 その中間には金手駅という無人駅があるけど、身延線列車のみの停車となっている。 

善光寺駅も、JR中央線の列車から見ることが出来る。こちらも1面1線の無人駅。

この付近では、甲府発石和経由の新宿行きの高速バス(富士急平和観光)を見ることが出来ました。 やはりこの時期は中央道が渋滞することを覚悟しなければならない。 富士急平和観光の車両は、西工+UD車が使用されている。 新宿と岡谷、駒ヶ根を結ぶフジエクスプレスの高速用車も同型の車両が使用されているけど。この日は甲府駅前で、京王の高速バスも見ることが出来たけど、こちらは2000年式の日野セレガRだった。

新宿と甲府を結ぶ高速バスは、京王バス東、富士急平和観光、山梨交通による3社で運転されているけど、便により、石和経由、甲府南経由に分かれている。 そのほとんどが石和経由。 筆者は以前京王バスで甲府から新宿まで乗って帰ったことがある。

京王では、今年度に新車(三菱ふそうエアロクイーン)が導入されていた。 こちらは、三菱ふそう車のリコール隠し等の問題の解決により三菱車の導入が、2003(H15)年以来3年ぶりに再開されていたのである。 京王では、新型日野セレガの導入も期待されていると言われている。

南甲府駅は、最初の交換駅で、115系2000番台(B1編成、クモハ115-2001F)との交換が行われていました。 この駅は、かつて富士身延鉄道の本社があった駅であり、その駅舎は本社として使用されていた。ここには留置線もある。

甲府~鰍沢口間は、甲府盆地を走る区間で、区間列車も多数運転されている。

小井川、東花輪駅のある中央市は、今年2月20日、中巨摩郡玉穂町・田富町と東八代郡豊富村が対等合併して誕生した新しい市である。その名の通り、山梨県および甲府盆地の中央に位置している。

鰍沢口を出ると、列車の本数が少ない閑散区間に入り、緑が濃くなってきました。 甲斐岩間でも、115系の2000番台との交換が行われていました。 こちらはB12編成(クモハ115-2012F)で、富士発甲府行きの全線通しの運用となっていた。

下部温泉駅付近にある下部温泉は、武田信玄の隠し湯と呼ばれている。現在の下部温泉駅に改称されたのは、1991(H3)年12月14日。これまでは下部駅と呼ばれていた。同じ日に、同じJR東海の飯田線の湯谷駅(愛知県新城市(旧南設楽郡鳳来町))が、湯谷温泉駅に改称されていた。

この周辺は以前下部町となっていたけど、2004(H16)年9月13日に身延町と合併され、身延町の一部となった。

周辺にある下部ホテルでは、今年8月1日に温泉浴場を中心に改装されていた。

この下部ホテルは、名優故・石原裕次郎氏が、1961(S36)年に、長野県の志賀高原でスキー中、粉砕複雑骨折(右足首を骨折)する事故に遭った時、下部ホテルで温泉療法が行われていたことがあった。 こちらでは、石原裕次郎氏ゆかりの宿として有名であり、裕次郎ギャラリーもある。 和風館の裕林亭「裕林の間」のほうは、石原裕次郎氏によって名付けられていた。 
この辺りで採れる富士ミネラルウォーターも有名である。 

波高島駅では、373系による特急ワイドビューふじかわ9号との交換がありました。

特急ふじかわ号は、1964(S39)年3月20日、前身の準急富士川号として登場。当時は富士~甲府間の運転だった。 1968(S43)年10月1日(ヨンサントオの大改正の時)、急行列車となり、静岡~富士~甲府間の運用となる。 
1995(H7)年10月1日には、現在の特急ふじかわ号となり、165系から373系に置き換えられていた。 

この列車は、静岡、中京、関西方面から山梨方面へと結ぶ役割を果たしている。この列車は富士宮~鰍沢口間の山岳区間では、最高速度が50Km/hに抑えられている。

波高島駅からは、富士川の流れにそって走りました。

富士川は、駿河湾から山梨県北杜市の鋸岳(山梨県、長野県境)まで流れている川で、支流の笛吹川との合流地点からは、釜無川となる。 その支流は、笛吹川、早川、芝川となっている。

この富士川は、最上川(山形県)、球磨川(熊本県)と同様に、日本三大急流の一つとなっている。

身延駅に到着。ここで、身延発富士行きの123系による2両編成のワンマン電車に乗り換えました。 

身延駅は、日蓮宗の総本山である身延山・久遠寺への最寄り駅で、駅前からバスで行くことになる。 久遠寺は、しだれ桜の名所として有名で、シーズンには賑わうことになる。 

久遠寺から身延山奥之院までは、身延山ロープウェイが出ている。

身延山および身延駅へは、新宿西口高速バスターミナルから直通の高速バスが1日3往復運転されている。 登場当時は山梨交通による単独運行となっていたけど、増便されたと同時に京王バス東も参入し、2社体制となっていた。 こちらは身延山を経由した後、身延駅に行くことになる。

この時の123系は、W5(クモハ123-5145号車)+W6(クモハ123-601号車)による2両編成となっており、沼津発身延行きの列車で身延入りしていた。このため沼津~富士間でも123系が活躍するところも見られることになる。 この日萩原さんが沼津駅でそれを見たと言っていた。なので同じ編成を見たということとなる。

身延線の123系は、ポニーと呼ばれている。

クモハ123-5041~5044、5145号車は、1987(S62)年に、かつての荷物電車であるクモユニ147-1~5号車から改造されており、2ドア車となっている。 そのうちの5145号車のほうは、改造と同時に貫通ドアの取り付け工事も行われていた。

クモハ123-601、602号車は、クモヤ145-601、602号車から改造。こちらは3ドア車となっている。

どちらもオールロングシートでトイレ無しである。

クモユニ147型は、1982(S57)年に、101系電車から改造された郵便荷物合造車として登場。 当時は飯田線に配置され、登場当時の119系と同様に青色に白帯の姿で活躍し、119系と併結運転されていた。1985(S60)年に飯田線で荷物電車が廃止された時に、大垣区に転属され、東海道線を中心に活躍していたけど、翌年の1986(S61)年に鉄道による郵便・荷物輸送が廃止されたことにより、翌年の1987(S62)年1月に123系電車に改造されて身延線で活躍するようになった。

クモヤ145型は、1983(S58)年から1984(S59)年にかけて、101系から改造された牽引用の電動車として登場。 そのうちの601号車と602号車が、1988(S63)年に123系600番台に改造されていた。 

W5編成は、1962(S37)年、101系のモハ100-132号車として落成。 1983(S58)年、広島工場でクモユニ147-5号車に改造。 1987(S62)年には、浜松工場で一般車改造され、クモハ123-45号車に。 1989(H元)年には、冷房改造され、クモハ123-5045号車に。翌年の1990(H2)年には、貫通扉の取り付けにより、クモハ123-5145号車となる。

主電動機は、101系から流用されたMT46が使用されていたけど、2000(H12)年には113系や115系等で使用されているMT54に交換されている。

W6編成は、1961(S36)年に、101系のモハ100-806号車として落成。 1983(S58)年に広島工場でクモヤ145-601号車に改造。 1988(S63)年に浜松工場で一般車改造され、クモハ123-601号車に。1990(H2)年に冷房改造されて現在に至る。

こちらはクモヤ145から改造されたということで、2パンタとなっている。

貫通ドア無しのW1~4編成は、富士~西富士宮間の区間運用が中心となっている。

W5+W6編成は、沼津から富士経由、4229Mで、身延入りし、身延発富士行きの3578G(ワンマン運転)で折り返されていた。 313系3000番台の登場までは、甲府までの乗り入れもあったけど、現在は身延までの乗り入れとなっている。

富士~西富士宮間のワンマン運転開始は、1990(H2)年3月10日のことで、やはり123系に限定されていた。
1999(H11)年12月4日、御殿場線の一部列車と同様に、313系使用列車(全線運用)にもワンマン運転が拡大されていた。

この123系は、313系3000番台によって置き換えられる可能性が高いので、撮影する人が多かったです。

以前も身延乗り継ぎで123系に乗ったことがあるので、この列車に目を付けていたのである。

身延を出た後も、富士川の流れに沿って走る緑の濃い区間となっていた。 十島を出ると、山梨県から静岡県に入りました。

身延線では、富士身延鉄道時代に建設された低いトンネルがあるため、中央東線と同様に、乗り入れ車両が限定されている。 115系の場合は、2000番台に限定されている。 乗り入れることは無いけど、特急あさぎり号で使用されている371系やJR東海になってから製造された211系5000番台、6000番台も、身延線乗り入れ対応となっている。

沼久保を出ると、山岳区間が終わり、平坦区間に入りました。 こちらは、西武池袋・秩父線で言えば、高麗を過ぎた辺りに相当します。

西富士宮では、始発の313系の2両編成(車掌乗務、ツーマン運転のM運用)が止まっていました。 富士宮を出ると複線区間に入り、列車の本数が多くなりました。 

富士宮駅からバスに乗れば、有名な白糸の滝まで行くことが出来る。 白糸の滝は、富士宮市にあり、国の名勝、天然記念物、日本の滝百選に認定されている。

駅周辺には、富士山本宮浅間大社がある。 富士宮といえば、富士宮焼きそばも有名となっている。

1938(S13)年まで、停車場(現在の富士宮駅前)から上井出まで、富士軌道という馬車鉄道が出ていたことがあった。

当時の路線 停車場~本社~浅間~三軒家~万野~十石~ 山宮~蒲沢~本門寺~峰~堀久保~ 大久保~二軒家~中井出~上井出

開業したのは、1909(M42)年11月25日、停車場~上井出間 1914(T3)年、上井出~人穴間。 上井出~人穴間は客扱いが無かった。

竪堀~富士間は、高架区間であり、竪堀、柚木駅が高架駅となっている。 高架化されたのは、1969(S44)年9月28日のことで、柚木駅は高架化および線路移設までの間、本市場駅となっていた。

富士市は、製紙で有名な街で、王子製紙、日本製紙の工場がここにある。

あとは、かつて光GENJI(ジャニーズ系のグループ)で活躍していた歌手・俳優の諸星和己氏の出身地としても有名である。

(つづく)
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by hy_sengen-sin | 2006-08-25 12:22 | 鉄道乗車記