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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

都区内パス1

8月12、13日は、都区内パスを使用して、ポケモンスタンプラリーのスタンプを押しました。 筆者の友人に頼まれてやった分もあり、知り合いのちびっ子も手にも渡ることになる。

ルート 東中野~中野~高円寺~阿佐ヶ谷~荻窪~西荻窪~三鷹~吉祥寺~永福町~渋谷~恵比寿~目黒~五反田~大崎~品川~西大井~品川~大井町~大森~蒲田~田町~浜松町~新橋~有楽町…東京~越中島~新木場~八丁堀~東京~中野~新宿~目白

東中野から三鷹までは、中央緩行線に乗車。 この区間にあるポケモンスタンプを押印しました。 東中野駅付近は、山手通りの拡張、西口駅舎の一新、都営大江戸線の乗り入れにより大きく変わっていました。

東中野~中野間は、春になると桜や菜の花が咲き誇る区間となっていたので、今年の春には、それをバックにした201系を撮影する人たちで賑わったのである。 

高円寺駅の発車メロディは、8月下旬の高円寺阿波踊りの期間に合わせて、期間限定で高円寺阿波踊りのメロディーが使用されることになる。

中野~荻窪間(高円寺、阿佐ヶ谷駅)の高架化は、1964(S39)年9月22日、複々線化されたのは、1966(S41)年4月3日のことで、東西線の列車は、同年4月28日に乗り入れ開始。当初は荻窪~中野~竹橋間の運用で、当時竹橋行きの列車もあったのである。

阿佐ヶ谷駅と丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅の間は、約10分ほど歩いて行くことが出来る。

続いて、荻窪~三鷹間(西荻窪、吉祥寺駅)が高架化されたのは、1969(S44)年4月6日のことで、東西線の直通運転範囲が三鷹まで延長されていた。

阿佐ヶ谷から荻窪まで、05-110Fに乗車。 西荻窪から三鷹までは209系500番台のクハ209-501Fに乗車。

その他の区間は全てE231系に乗車。 東中野~中野 13F 中野~高円寺 22F 高円寺~阿佐ヶ谷 19F 荻窪~西荻窪 32F

荻窪は、荻窪ラーメンで有名である。営団地下鉄(現、東京メトロ)丸ノ内線(旧荻窪線)の荻窪乗り入れは、1962(S37)年1月23日のことで、それに併行する都電杉並線(新宿~荻窪間)が、翌年の1963(S38)年12月1日に廃止されていたのである。こちらは西武鉄道の西武軌道線として走っていた区間が都に売却されていたので、都電で唯一狭軌の路線だった。

荻窪駅周辺にある杉並公会堂は、今年6月1日に改築されてオープンしたホールとなっており、日本フィルハーモニー交響楽団のフランチャイズホールとなっている。こちらは、京王グループによっても宣伝され、京王バスでラッピングバスが運転されているのである。

改築前の旧杉並公会堂(1957(S32)年開館)、2003(H15)年閉鎖)では、、「8時だョ!全員集合」等のテレビ番組の収録が行われていたこともある。1966(S41)年7月10日には、テレビ放送に先立って「ウルトラマン前夜祭」が行われウルトラマンが初めて一般にお披露目されていたこともあった。旧杉並公会堂は、開設当時「東洋一の文化の殿堂」と呼ばれていた。

三鷹から吉祥寺までは、05-142Fに乗車。 こちらのほうは、2004(H16)年に導入された05系の最終新造車グループとなってしまった

西荻窪~三鷹間、三鷹~吉祥寺間は、都区内パスの範囲外だったので、別途運賃を払ったのである。

吉祥寺は、武蔵野市東部にある大規模な繁華街で、駅ビルのロンロン、東急デパート・伊勢丹・パルコ・LOFT・ユザワヤ、丸井、西友が建ち並んでおり、サンロード商店街、ハモニカ横丁、吉祥寺ダイヤ街(東急チェリーナード)という商店街もある。

かつて近鉄百貨店の東京店があった場所は、三越および大塚家具によって引き継がれていたけど、残念ながら今年5月7日をもって閉館されている。この建物は、引き取り手が無ければ取り壊される運命となる。この近鉄百貨店東京店は、1974(S49)年5月11日に開店、2001(H13)年2月20日をもって閉店となったのである。 同年6月に三越によって継承されていた。

吉祥寺三越のほうは、地下1階、1階、2階部分が使用されていた。

吉祥寺から永福町経由渋谷までは、京王井の頭線に乗車。 永福町までは各駅停車で、永福町から渋谷までは急行に乗車。 この時に乗った車両は1000系の1715、1714Fでした。 どちらも2004(H16)年に導入された編成となっている。ここではパスネットを使用。

渋谷~吉祥寺間急行で最速16分、190円と安くて速いので、武蔵野エリアから渋谷方面への近道となっている。明大前駅を介して、京王線方面から渋谷に行くときも便利である。京王線系統と同じ会社なので追加料金が要らないということも重宝されている。

1715Fはブルーグリーン、1714Fはライトブルーの電車。

日中の各駅停車は、永福町で急行に接続する列車と接続しない列車に分かれているけど、永福町で急行に接続しない列車は、終点まで先着ということとなる。

井の頭線の7色の電車は、3000系から継承されており、井の頭線のシンボルとなっている。
7色の電車といえば、今年4月29日に開業した富山ライトレール(富山港線跡に出来たライトレール)を思い出します。

井の頭線の吉祥寺駅は、櫛形の相対式ホームとなっており、電車の並びを見ることが出来る。

コンコースおよび切符売り場は2階、改札・プラットホームは3階にあるため、切符売り場と改札が別の階にあるということとなっている。このことで、東武伊勢崎線の浅草駅の正面改札口を思い出しました。 東武伊勢崎線の浅草駅の正面改札口のほうは、1階が切符売り場、2階が改札およびプラットホームとなっている。

京王1000系のうち、1711F以降は、マイナーチェンジされた車両で、3M2Tとなっており、内装等が京王線系統の9000系に準じている。

この井の頭線に全線通しで乗ったのは久しぶりでした。 

井の頭公園駅は、その名の通りの井の頭公園(都立井の頭恩賜公園)の最寄り駅で、開業当時はここが終点だった。 井の頭公園のほうは、吉祥寺駅からも行けるけど。
春の花見のシーズンには、急行列車が井の頭公園にも臨時停車することがある。

久我山駅のほうは、以前北側に駅舎があり、地下道で結ばれていたけど、昨年橋上駅舎に改築されていた。

この日は、1000系の運用がメインで、3000系はあまり動いていなかったです。 3000系のほうはほとんどが富士見ヶ丘の車両基地で休んでいた状態だった。

京王線系統では、井の頭線を含めて将来ATC化される予定となっているけど、3000系のほうがどうなるのか気になります。 

井の頭線の車両の全般検査は、若葉台工場まで陸送されて行われることになるけど、富士見ヶ丘ではなく、永福町のバス営業所(京王バス東、永福町営業所)に隣接するスペースで搬入および搬出が行われることになる。新造車両の搬入および廃車車両の搬出もここで行われていた。

井の頭線の車両基地のほうは、1933(S8)年に開業した時は、永福町に永福町検車区および永福町工場があったけど、急行運転対応による2面4線化により、1966(S41)年に現在の富士見ヶ丘に移転。 永福町工場のほうも、1970(S45)年に廃止されている。

京王バスの永福町営業所のほうは、1948(S23)年9月16日に新設。 1970(S45)年に永福町工場廃止により敷地が拡大されていた。 この永福町営業所には、京王電鉄バスの高速バス車両のほか、アルピコ(松電)グループの高速バスをはじめとした高速バスも停泊するシーンを見ることが出来る。

永福町車庫の名残があった格納庫型の車庫は、京王バスの車庫に転用されていたけど、1986(S61)年に解体されている。

東松原駅は、あじさいの名所として名高い駅で、シーズンにはライトアップされることになる。このときには、あじさいに近い色の編成にあじさいヘッドマークが付くことになる。

駒場東大前駅は、かつての駒場駅と東大前駅が統合して1965(S40)年7月11日に開業。 東大駒場キャンパスで入試が行われた日には帰宅時間帯に急行列車が臨時停車することがある。

あとは、ふじみ野都市さんが推しているアイドルグループである制服向上委員会(SKi)のコンサートが、周辺のこまばエミナースで毎月のように行われているけど、残念ながら9月24日でグループ全員卒業(解散)となるために最後となる。

ふじみ野都市さんは、制服向上委員会解散後は、秋葉原48劇場(AKB48)、オレンチェ(静岡拠点のアイドルグループ)、神園さやか女史(広島出身の演歌歌手)を推していくことになる。

あの後、トンネルとトンネルに挟まれた駅である神泉駅を通過し、渋谷駅に到着。

渋谷駅に到着した後、ポケモンスタンプラリーおよび都区内パスの旅を再開し、山手線で恵比寿、目黒、五反田、大崎まで行き、ここでポケモンスタンプを押しました。

このラリーに参加するちびっ子たちは、平気で走る、割り込む、チンタラスタンプを押すという迷惑行為を行うことが多い状態であります。 

駅によっては押印待ちの行列も出来ているので、協力してもらいたいです。

このスタンプラリーでは、ちびっ子や、お子様連れの親子がメインとなっていたけど、大人だけの参加者も居ました。自分もその一人だけど、頼まれたスタンプの一部はちびっ子の手に渡ることになっている。

この日の山手線は、上野駅付近で発生した落雷により、長時間不通となっていたので、良いときに制覇出来て正解でした。 目白~原宿間のスタンプは既に押印済み。ポケモンスタンプラリーのスタンプは、98駅全て改札外にある。 押印時間は9時30分から16時までとなっているけど、出来れば16時30分まで延長してほしいと思います。

大久保駅のスタンプは、新大久保駅から歩いて押しに行ったのである。

品川から西大井まで、E217系のクハE217-2056Fに乗車。 本当は大崎から大船・逗子方面の湘南新宿ラインで一直出来たけど、時間が合わなかったので、品川で乗り換えたのである。

西大井駅でポケモンスタンプを押した後、品川乗り換えで大井町へ。 西大井駅と大井町駅の間は、東急バスでも行けることになっている。

京浜東北線の大井町、大森、蒲田駅のスタンプを押印した後、京浜東北線で田町へ。 蒲田駅は、ご当地メロディーである蒲田行進曲の発車メロディーが使用されている。

田町から移動しようとした時、山手線が落雷のために止まっているという情報が入っていたので、京浜東北線の北行きのみ各駅停車で運転されていました。南行きも止まっていたけどすぐに復旧。 こちらも良いときに大井町、大森、蒲田駅のスタンプを押しておいて正解という状態となりました。

田町からは浜松町、新橋、有楽町駅のスタンプを押印。 有楽町駅では、足止めを食らったポケモントレイン(536編成、クハE231-536F)を見ることが出来ました。 この列車は外観はもちろんのこと、車内までポケモンムードが高まっていました。特に6ドア車のピカチュウの絵柄が気に入っています。

有楽町駅からは東京国際フォーラムを通り、京葉線の東京駅まで行きました。 東京国際フォーラムでは、ポケモンのイベントが行われていました。

東京駅から越中島までは、205系(クハ205-112F)に乗車。 ここでポケモンスタンプを押印。この205系の生え抜き車は、110Km/h運転対応で、君津または上総一ノ宮への乗り入れにも対応している。

越中島駅は、京葉線内の各駅停車しか止まらない地下駅で、運転間隔が随分空いていました。 駅の出入り口は、江東区のゼロメートル地帯らしく、一旦階段を上がって、また下がるという出入り口が特徴となっている。 ゼロメートル地帯を走る東京メトロ東西線、有楽町線、半蔵門線、都営浅草線、新宿線、大江戸線の一部の駅でもこうなっている。

東西線の東陽町駅でもそれが目立っていた。

越中島駅からは、東西線・大江戸線の門前仲町駅、有楽町線・大江戸線の月島駅まで徒歩で行ける状態である。

この駅は、東京海洋大学の越中島キャンパスの前にある。

開業前の仮称での駅名は、「西越中島」となっていたけど、地元からの要望によって、越中島駅となったのである。 これまでの越中島駅(貨物)のほうは、越中島貨物駅となったのである。

越中島から新木場までは、201系(クハ201-37F)に乗車。 この編成は、クハ201-36F(4両編成)と組み、6+4の分割・併合対応編成として使用されている。 6連のほうは、外房線の勝浦まで、4両編成のほうは、東金線経由で成東まで乗り入れている。このような運用は、103系の6+4編成から継承されている。
京葉線の201系のほうは、E331系の量産車の登場により置き換えられることが予想されます。

地下を走る201系ということで、千代田線乗り入れの203系を彷彿とさせる走りとなっていました。 203系のほうは、201系がベースとなっているので。

103系が走っていた頃は、トンネル内に響くMT55サウンドが特徴だったけど、昨年12月8日の武蔵野線からの撤退によって全廃となった。

京葉線の地下トンネル内を走る205系は、仙石線の205系を彷彿とさせる状態ともなっている。

新木場駅のポケモンスタンプを押した後、各駅停車で八丁堀へ。 この時に乗った車両は、205系(クハ205-118F)。

八丁堀駅では16時を過ぎていたのにも関わらず、まだ押せる状態だったので助かりました。 駅によっては16時になってすぐにしまわれる駅もあれば、少し待ってくれる駅もある

八丁堀といえば、かつて東京ワーカーズサポートセンター(労働スクエア東京)があり、多喜千与三会員御用達の貨車部会が行われていたこともあった。現在貨車部会は、JR電車部会と同様に大崎に移転している。多喜千与三会員は、八丁堀時代、東京駅で京葉線に乗り換えてこの会場に行っていたのである。

ここでこの日最後のポケモンスタンプを押した後、201系で東京へ。 この時の編成は201系(クハ201-7F+23F)で、6+4編成であるのにも関わらず分割・併合非対応の編成となっていました。 あとはクハ201-103Fも同様となっている。 クハ201-103、104Fには、201系の試作車も連結されていたけど、昨年その試作車が廃車となり、残った量産車が6+4の元の編成に戻されていたのである。

東京から中野までは、201系(クハ205-19F)に乗車。 ここで、201系同士の乗り継ぎとなった。

中野駅前にある中野サンプラザでは、Berryz工房(ハロープロジェクト系の7人組アイドルグループ)のコンサートがあったけど、ここで、ファンの友人たちに会いました。実際に筆者は中に入らなかったけど。

中野サンプラザは、1973(S48)年6月1日に、中野区によって開設されていたホール、ホテル、ボーリング場などを備えた多目的施設となっている。 当時は全国勤労青少年会館と呼ばれていた。2004(H16)年12月から民営となり「㈱中野サンプラザ」となったのである。

こちらは、中野のランドマークおよびハロープロジェクトのライブの発祥の地「ハロプロの聖地」として名高い状態となっている。

中野から新宿までは、クハ201-81Fに乗車。こちらは6+4の分割・併合対応編成となっていました。
by hy_sengen-sin | 2006-08-15 00:55 | 鉄道乗車記