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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

東横線から8590系が撤退。

東急東横線で走っていた8590系の8694、8695Fが、5050系の導入により東横線から撤退し、田園都市線に再転属されるという情報が入ってきました。

これにより、前身の8090系が1980(S55)年に登場して以来、26年間走り慣れてきた東横線を離れたことになった。

1980(S55)年といえば、青ガエルでおなじみだった旧5000系が東横線から撤退した年であった。 1986(S61)年6月に東急目蒲線(現目黒線、東急多摩川線)、大井町線を最後に旧5000系が東急電鉄から引退してから今年で20年を迎えていた。

東横線を追われた8590系のうち、8691、8692、8693Fは5両化されて大井町線に転属(8693Fは入場中)、8694、8695Fは10両化されて田園都市線に転属されることになった。

東横線に最後まで残った編成は、8694Fで、神奈川での花火大会の前日の7月31日をもって運用離脱、8月1日に長津田車両工場に入場していたため、5号車がラッシュ時の女性専用車として使用された期間は短かった。8693、8695Fは、一足早く7月に入場。

これにより、東急東横線から、8500系の流れを組む両端Mc車が姿を消したことになった。 

日比谷線直通で使用されている1000系の1010Fのうち、菊名寄りの1311Fのみ唯一Mc車として残っているけど。

昨年8月は、8691Fが一足早く東横線を去り、大井町線に転用改造されていたけど、僅か1年で8590系が置き換えられたことになった。

大井町線に転用された8590系の3編成は、8000系の置き換え用となっているけど、8691Fの転用により、8003Fが廃車となり、昨年の伊豆のなつ号で活躍していた8007Fと同様にインドネシアに輸出されていた。

現在大井町線で活躍している8000系は、1969(S44)年に登場した時から在籍している8001Fのみとなっているけど、8693Fの出場と共に営業運転から離脱される確率が高い状態である。

8005Fは、車両故障を起こして以来営業運転から遠ざかっている状態だけど、そのまま廃車となる確率が高い。

現時点では8694Fが田園都市線に行くことが決まっているけど、8693F、8695Fのどちらが田園都市線または大井町線に行くかどうかは不明である。

田園都市線に転属される編成の2両の中間車は、当然のことながら、大井町線転属で余剰となった中間車2両が使用されることになる。 

8590系20両の田園都市線への再転属により、インドネシアに輸出される予定の2編成16両が置き換えられることになる。 こちらは当然のことながら、東武線直通対応でない初期型の編成が対象となっている。

インドネシアへの輸出は、今年度中に24両が予定されているけど、それに先だって8694Fのうちの8両がインドネシア入りすることになる。

インドネシアには、都営三田線で走っていた6000系、JR武蔵野線で走っていた103系、東急東横線・大井町線で走っていた8000系がそれぞれ輸出されていたけど、今後元東急8500系も加わることになる。

元都営6000系のほうは、現地で故障が多発しているため、残念ながら早くも廃車となってしまうことになる。

田園都市線に再転属される8590系は、東武線に直通するかどうかは未定となっているけど、東武線直通対応となることを願っています。 

8694Fは、2003(H15)年2月2日の半蔵門線の新ATC化から、東横線に再転属される前に、水天宮前~清澄白河間を走っていたことがあった。 当時は8590系で唯一東武線乗り入れ非対応編成の証であるマルKマークが付いていた。今後は清澄白河~押上間にも初入線することになっている。8695Fのほうは、半蔵門線のATC更新前に東横線に再転属されている。

2003(H15)年2月2日の半蔵門線の新ATC化と同時に、8691・8692F(現在は長野電鉄で活躍中)、8638~8641F(いずれも分割の上で大井町線で活躍中)が運用離脱されていた。

8694Fは、1997(H9)年から2003(H15)年まで田園都市線で活躍。今回3年半ぶりに田園都市線に戻ってくることになる。 

8695Fは、2001(H13)年から2003(H15)年まで田園都市線で活躍。そのうちの6両は、1997(H9)年から2001(H13)年までの4年間休車状態が続いていたことがあった。

編成のほうは、以前の時とは異なることになる。

東急5050系は、5162Fまで導入されているけど、9月下旬までに5163、5164、5165Fまで導入されることになっている。5163Fは、8月15~17日、5164Fは、8月29~31日に輸送される予定。 

8月1日から2日に掛けて、5080系の5183Fが輸送されていたけど、フルカラーLED式の種別表示、車内LCD案内の採用により変化している。

9月中には、残りの5165F、5184Fが輸送される予定となっている。

来年度に予定されている目黒線の日吉延長の時には5080系が導入されるかどうか未定の状態となっている。

8590系の東横線からの撤退後は、残りの8000系5編成(8013、8015、8017、8019、8039F)が置き換えられることになるけど、9月25日の改正以降はラッシュ時の予備車となることが予想される。

東横線の8000系列が全廃となれば、2004(H16)年1月に廃止された横浜~桜木町間の面影が残る車両が9000系だけとなってしまうことになる。

8090系は、1980(S55)年12月に量産型軽量ステンレスカーとして登場。当初は8091Fの1編成7両のみ製造されていた。初期型は、ライトの位置が帯の下となっている。

8000系列の軽量ステンレスカーは、1978(S53)年に2両(デハ8401、8402号車(初代)が試作されたことに始まる。のちに、デハ8281、8282号車(初代)を経て、デハ8254、8255号車として、8027、8029Fに組み込まれ、新製から廃車されるまで東横線に在籍していた。 デハ8254号車は、8027Fに組み込まれ、2003(H15)年8月に廃車。デハ8255号車は、8029Fに組み込まれ、2004(H15)年5月に廃車。 8029Fには8両のうちの先頭車を含む4両が伊豆急に譲渡されたけど、この軽量ステンレスカーは譲渡されずに解体されていた。

1982(S57)年には、8093、8095Fが8両編成で登場。 翌年の1983(S58)年には、8091Fも8両化されていた。

1984(S59)年には、8097Fが登場したけど、ライトの位置が赤帯の中に移設されるなどマイナーチェンジされていた。

1985(S60)年には、8099F、8081F、8083F、8085F、8087F、8089Fが導入され、8両編成10本80両出揃っていた。以来、東横線の急行列車で使用されていた。

1988(S63)年から1989(H1)年に掛けて、5編成の先頭車がみなとみらい線の開業に備え、先頭車が貫通型の8590系に差し替えられ、同時に編成の組み替えが行われていた。 非貫通の先頭車および中間車の一部は、大井町線に順次転属。

このように、先頭車のみ新造され、中間車が既存の車両が活用されたということで、昨年5月に全廃となった東北・上越新幹線の200系2000番台(100系タイプの先頭車)を思い出します。

8090系(非貫通先頭車)は、1989(H元)年1月に、8089Fを最後に東横線から撤退、大井町線に集中配置されていた。 

8590系化された5編成は、2001(H13)年3月28日の東横特急の登場までの間、8090系時代と同様に原則的に急行列車限定で使用されていた。 同様に8000系は各駅停車に限定されていた。

東横特急の登場までの間 8000系は各駅停車 8090(8590)系は急行 9000系は各駅停車と急行の両方という時代が続いていた。

1997(H9)年に8694、8695Fが、2001(H13)年に8693Fが一時的に田園都市線に転属。 1997(H9)年3月の東横線の渋谷~菊名間のCS-ATC化によって、車両数が削減されていたので、8694、8695Fが輸送力増強用として田園都市線に回されていた。

菊名~横浜間は、2004(H16)年2月のみなとみらい線の開業に合わせてATC化されていた。

 みなとみらい線開業後に登場した5050系のほうは、東急ATSが設置されていない(東急ATC-Pのみ設置)の状態である。

東急東横線、みなとみらい線、目黒線で使用されているATC装置(ATC-P)は、田園都市線、横浜高速こどもの国線で導入されたATCとは異なり、改良型のATC装置となっている。名称がJRなどで導入されているATS-Pと似ているので、混乱しやすい状態となっている。

2003(H15)年に8693~8695Fが東横線運用に復帰。編成が元に戻されていた。

8691、8692Fのほうは、大井町線に転用される前、東横線で走り続けていた編成となっていた。

8691Fは、昨年8月、8692Fは、今年3月に営業運転から離脱され、大井町線に転属。

8694Fの営業運転離脱により、8090系の時代から続いてきた8590系の東横線での運用が終了したのである。

8090系のほうは、世田谷線を除いた東急の電車(鉄道線)で唯一の非貫通型先頭車となっているけど、地下鉄区間を走らないので問題はないという状態である。

東急大井町線の8500系の4編成のうち、8640、8641Fは、1986(S61)年の新製当時から1989(H元)年1月までの間、大井町線所属となっていた。 三越前延長開業用として、5+5編成として田園都市線の運用に回されていたけど、2003(H15)年には、5000系の導入により、大井町線での運用に復帰していた。ちなみに8638、8639Fのほうは、新製当時から2003(H15)年に転用されるまで田園都市線所属となっていた。

東急大井町線で活躍している8638~8641Fが、5+5編成として田園都市線で走っていた頃は、東武30000系(6+4編成)と同様に中間に運転台があるということで混雑する路線に不向きだったという問題があった。半蔵門線、田園都市線直通の東武30000系の一部が10両固定の50050系に置き換えられていたのはそのためである。

現在9015Fがウルトラマン列車、Y512FがTHE ALFEEのイベント列車となっている。 THE ALFEEのイベント列車(HM付き)は、8月14日までの予定となっている。

8月12、13日には横浜赤レンガパークで、THE ALFEEのコンサートが行なわれることになる。 このTHE ALFEEの夏ライブは、今回で25回目を迎えることになっている。

7月28日から29日に掛けて、長野電鉄に譲渡された8500系の6両の甲種輸送が行われていたけど、今回は諸事情で行かれなかったのである。 編成は元8603Fと8605Fの一部。 ワンマンの表示が輸送時から付いていた状態である。

東横線では8両編成となっているけど、以前7両編成で運転されていたことがあった。8両化の時に、代官山駅で大掛かりなホーム延長工事が行なわれていた。 筆者が1987(S62)年7月、初めて東急東横線に乗った時、代官山駅が渋谷寄りの仮駅(2面2線の相対式)で営業されていたのはそのためであった。 

代官山駅では、京王井の頭線の神泉駅みたく、中目黒寄りの切り通しの一部にホームが新設されていた。同時に渋谷寄りにあった踏切1箇所(渋谷2号踏切)も廃止されていた。 当時廃止反対の声もあったけど、安全面での踏切の削減のためであるのでやむを得なかった。

東急東横線では、1982(S57)年秋から、急行は20m車8両、各駅停車は、20m車7両または18m車8両に増強されていたけど、1986(S61)年4月1日から、全車20m車8両に統一されたことに伴い、代官山駅のドア非扱いの解消のために、改良工事期間中に仮駅に移転されていたのである。この仮駅は、中目黒寄りに上りの改札、渋谷寄りに下りの改札があった。

1989(H元)年3月23日に、元の場所に戻り、代官山仮駅は前日の3月22日をもって役目を終えている。 約3年と長期間使用されていた仮駅であった。

この仮駅跡は、渋谷~代官山間の地下化により変化することになる。 地下化されれば、この辺りから地下線に入るため、JR線とのオーバークロスが無くなることになる。

長野電鉄の8500系は、勾配用の発電ブレーキが無いため、勾配区間である信州中野~湯田中間には入線しないことになっている。8500系は、長野~須坂~信州中野間で限定運用。そのため、8500系導入後も状態の良い3500系の3編成(冷房車)が残ることになる。1000系(元小田急10000系)の代走としても使用されるので。

長野電鉄で3500系・3600系が冷房化された時には、営団地下鉄(現、東京メトロ)東西線で廃車となった5000系の電源装置が再利用されていた。

これにより、長野電鉄の3500系(元日比谷線3000系)の非冷房車が置き換えられることになる。

長野電鉄の湯田中駅は、2面2線で、3両編成の2000系がホームの先に到着し、バックしてホームに入るというミニスイッチバック方式が取られている。 これが8月末をもって廃止され、10月から1面1線の駅に改良されることになる。

このミニスイッチバック方式で発着する車両は2000系だけで、一部の普通列車、全ての特急列車が該当している。 やはり、1000系は運転台が2階にあるために、ミニスイッチバックでの運用が困難となっているからである。

この改良工事により、普段使用されていない旧駅舎、楓の湯側の1番線、県道にまたがる踏切が廃止されることになる。

楓の湯の横には、国の登録有形文化財に認定された旧駅舎があり、ここでは休憩室やイベントスペースとして使用されている。

今年12月には、1000系(元小田急10000系)による特急ゆけむり号が登場することになっているけど、同時に2000系が全廃となる。 1000系ゆけむり号は4両編成。トイレ・洗面所および車販基地付きの車両が無いため、すっきりした外観となっている。

切り替え工事期間中の9月1日~30日は、上条~湯田中間が代行バスによる輸送となる。

1982(S57)年11月14日までは、上野から屋代経由で湯田中まで、169系による急行志賀号が乗り入れていたことがあった。このように、以前は国鉄から地方私鉄に乗り入れる列車が多数存在していたことがあった。
by hy_sengen-sin | 2006-08-03 10:31 | 鉄道車両・路線