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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

京王線について1

京王線は、新宿と八王子を結ぶ路線で、東京の京、八王子の王を結ぶための路線として京王線と名付けられたと思われます。

9000系のほうは、今年3月から都営新宿線乗り入れ対応の10両固定編成も登場したということで話題となっている。

京王線の路線

京王線(本線) 新宿~笹塚~代田橋~明大前~下高井戸~桜上水~上北沢~八幡山~芦花公園~千歳烏山~仙川~つつじヶ丘~柴崎~国領~布田~調布~西調布~飛田給~武蔵野台~多磨霊園~東府中~府中~分倍河原~中河原~聖蹟桜ヶ丘~百草園~高幡不動~南平~平山城址公園~長沼~北野~京王八王子

京王新線 (都営新宿線、本八幡まで直通運転)←新線・新宿~初台~幡ヶ谷~笹塚→(京王線、相模原線へ直通運転)

相模原線 (京王線、都営新宿線へ直通運転)←調布~京王多摩川~京王稲田堤~京王よみうりランド~稲城~若葉台~京王永山~京王多摩センター~京王堀之内~南大沢~多摩境~橋本

競馬場線 (競馬開催日のみ新宿まで直通運転)←東府中~府中競馬正門前

動物園線 (行楽シーズンの土休日のみ新宿まで直通運転)←高幡不動~多摩動物公園

高尾線 (京王線へ直通運転)←北野~京王片倉~山田~めじろ台~狭間~高尾~高尾山口

快速停車駅 新宿~(初台、幡ヶ谷、新線発着のみ)~笹塚~明大前~下高井戸~桜上水~八幡山~千歳烏山~仙川~つつじヶ丘~調布~東府中~(この区間は各駅に停車)~京王八王子、高尾山口 相模原線(調布~橋本間)は各駅に停車。

通勤快速(平日朝夕のみ運転)は、下高井戸、八幡山、仙川駅は通過となる。

急行停車駅 新宿~(初台、幡ヶ谷、新線発着のみ)~笹塚~明大前~桜上水~千歳烏山~つつじヶ丘~調布~東府中~府中~分倍河原~聖蹟桜ヶ丘~高幡不動~北野~京王八王子

高尾線での停車駅 北野~めじろ台~高尾~高尾山口

相模原線での停車駅 調布~京王稲田堤~京王永山~京王多摩センター~南大沢~橋本

都営線直通急行は、ラッシュ時を除き、都営線内も急行運転となる。 

特急停車駅 新宿~明大前~調布~府中~聖蹟桜ヶ丘~高幡不動~京王八王子(行楽シーズンの土休日には、高尾山口行きの特急も運転される)

準特急停車駅 新宿~明大前~調布~府中~分倍河原~聖蹟桜ヶ丘~高幡不動~北野~京王八王子

高尾線での停車駅 北野~めじろ台~高尾~高尾山口

行楽シーズン=4月、5月、6月、9月、10月、11月

行楽シーズンの土休日に運転される分割・併合特急は、8000系の6+4の10両編成が使用され、前の6両(吊革が白い編成)が高尾山口行き、後ろの4両(吊革が緑色の編成)が京王八王子行きとなる。高幡不動駅で分割・併合

競馬場線=平日は6000系の2両編成によるワンマン運転 

動物園線=基本的に6000系の6722F(5ドア車)の4両編成によるワンマン運転となるけど、7000系7801Fも動物園線のワンマン列車に使用されることもある。
行楽シーズンの時には、8両編成の車両(ツーマン列車)も折り返し列車に使用される。

井の頭線 渋谷~神泉~駒場東大前~池ノ上~下北沢~新代田~東松原~明大前~永福町~西永福~浜田山~高井戸~富士見ヶ丘~久我山~三鷹台~井の頭公園~吉祥寺

急行停車駅 渋谷~下北沢~明大前~永福町~久我山~吉祥寺

乗換駅 新宿 JR(山手線、中央快速線、中央・総武線、埼京線、湘南新宿ライン)、小田急線、東京メトロ丸ノ内線、都営地下鉄(新宿線(本八幡まで直通運転)、大江戸線) (西武新宿線の西武新宿駅まで徒歩約10分)

笹塚 京王線相互(京王線新宿駅発着列車⇔新線新宿発着・都営新宿線直通列車、初台・幡ヶ谷駅)
明大前 京王線⇔井の頭線 下高井戸 東急世田谷線 調布 京王線⇔相模原線 東府中 京王線⇔競馬場線 分倍河原 JR南武線 高幡不動 京王線⇔動物園線、多摩モノレール線 北野 京王線(新宿・京王八王子方面)⇔高尾線 高尾 JR中央線
(京王八王子駅 JR中央線、横浜線、八高線の八王子駅まで徒歩約5分)
多摩動物公園 多摩都市モノレール線 京王稲田堤 JR南武線(稲田堤駅) 京王永山 小田急多摩線(小田急永山駅) 京王多摩センター 多摩都市モノレール線(多摩センター駅)、小田急多摩線(小田急多摩センター駅) 橋本 JR(横浜線、相模線)  

(武蔵野台駅、西武多摩川線・白糸台駅まで徒歩約10分)

渋谷 JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)、東急(東横線・田園都市線)、東京メトロ(銀座線、半蔵門線) (来年度中には、地下鉄13号線への乗換駅となる) 下北沢 小田急線 吉祥寺 JR(中央快速線、中央・総武線)

地下にある駅 新宿、新線新宿、初台、幡ヶ谷、京王八王子 神泉駅は半地下駅
車両基地 京王線系統 桜上水、高幡不動、若葉台 井の頭線 富士見ヶ丘 車両工場 若葉台、富士見ヶ丘

京王新線の初台駅は、上下式の地下駅となっており、上の2番線が、新線・新宿、都営新宿線方面 下の1番線が、笹塚、京王八王子、高尾山口、橋本方面乗り場となっている。

京王線の高尾山口(土休日は京王八王子)行き普通列車 5:00、5:20(土休日は5:19)発、桜上水行きの最終普通列車 0時52分発は、新線新宿発着となるので注意が必要となる。 京王線新宿駅からの始発列車は、5:41発普通、高尾山口(土休日は京王八王子)行き、最終列車は、0:14(土休日0:15)発の若葉台行き、0:18発急行高幡不動行き(平日のみ運転)となっている。

1978(S53)年10月31日に京王新線が出来る前は、本線側に初台、幡ヶ谷駅のホームがあった。 初台駅は、1964(S39)年6月7日に地下化された時から地下ホームが使用されていたけど、現在は非常用の通路が完備された地下に眠るホームとなっている。

幡ヶ谷駅は、京王新線の開業まで、地上駅となっていたのである。

京王線は、1913(T2)年4月15日、京王電気軌道の路線として、笹塚~調布間に開業したのが始まりで、甲州街道の上を走る路面電車として、木製の4輪単車が活躍していた。

同時に、電車の補助機関として、新宿~笹塚間、調布~府中~国分寺間の連絡バス事業も開始され、東京初の乗合バスの開業ということで話題となっていた。 京王バスの歴史も、電車とともにスタートしていた。

当時は、イギリスのコマーシャルカー社製、アメリカのビュイック社製、イタリアのフィアット社製の車両が使われていた。

路線延長 1913(T2)年10月11日、代々幡まで、1914(T3)年4月8日、幡代小学校前まで、1914(T3)年6月11日、代々木まで、11月19日、新町まで、1915(T4)年3月31日まで、葵橋まで、5月1日、新宿まで仮開通

1915(T4)年5月30日には、新宿三丁目まで延長されて、新宿まで開通。 これにより、連絡バスが廃止された。

当時の新宿追分駅は、現在の伊勢丹の前の新宿三丁目交差点(地下鉄丸ノ内線の新宿三丁目駅のある場所)、明治通りの路上にあったのである。

開業当初、新宿~笹塚間には、新宿追分~停車場前~葵橋~新町~天神橋~代々木~改正橋(現、初台)~代々幡~幡ヶ谷~笹塚という路線で、数カ所電停があった。

代々木電停は、現在の代々木駅とは別である。

1916(T5)年6月1日には、支線である調布~多摩川原(現、京王多摩川)間が、9月1日には、調布~飛田給間が、10月31日には、飛田給~府中間が開業。 ここで、京王電気軌道の新宿~府中間が全通。

1925(T14)年3月24日、玉南電気鉄道の路線として、府中~東八王子(現、京王八王子)間が開業。 こちらは最初から普通鉄道として開業。当時は1067ミリのレール幅だった。

1926(T15)年12月1日、玉南電気鉄道が京王電気軌道と合併

1927(S2)年6月1日 府中~東八王子間(旧玉南電気鉄道の区間)が1067ミリから1372ミリに改軌
同年10月28日に、京王新宿ビルディング(現在は京王新宿3丁目ビル)が竣工し、駅施設が追分交差点からビル内に移転。 当時は1階がプラットホーム、地下1階がコンコースとなっていた。 ここには、武蔵屋呉服店が入っていた。 

このビルは1929(S4)年に新宿松屋となり、のちに京王の本社として使われるようになった。

1928(S3)年5月22日、新宿~東八王子間の直通運転開始。

1931(S6)年3月20日、御陵線(北野~御陵前間)が開業。 そのうちの北野~山田間は、現在でも高尾線の路線として使用されている。当初は500型というお召し電車が運転されており、その車両にはトイレが付いていた。

当初は、山田~横山(武蔵横山)~御陵前(多摩御陵前)という路線となっていた。

1933(S8)年8月1日、帝都電鉄(当初は小田急の系列)井の頭線 渋谷~井の頭公園間開業。 こちらも開業当初は1両編成の電車が使用されていた。

翌年の1934(S9)年4月1日には、吉祥寺まで延長され、井の頭線全線開業

1935(S10)年3月11日 明大前駅の共同使用化により、連帯運輸が行われる。

1940(S15)年5月1日、帝都電鉄が小田急電鉄と合併

1942(S17)年1月31日 陸上交通事業調整法により、帝都電鉄が小田急と共に東急の傘下
に入る

1944(S19)年5月31日、陸上交通事業調整法により、一時的に東急の傘下に入る

1945(S20)年1月21日、御陵線営業休止

1945(S20)年7月24日 新宿駅が省線(現JR線)、小田急線横の新宿駅西口に移転 この時点で新宿駅となる。 この時点でも、天神橋(現在の文化服飾学院前)まで甲州街道の路面を走っていた時代が続いていた。 やはり天神変電所が焼失し、省線(現JR線)の線路をまたぐことが不可能となったので、西口に移転していたのである。

この跡の8月15日には、地方鉄道に変更されていた。

1948(S23)年6月1日 東急から独立し、これまでの京王電気軌道と帝都電鉄が一つとなった京王帝都電鉄(現、京王電鉄)となった。

1950(S25)年8月、緑色の2600系が登場。2000系列はグリーン車と呼ばれていた。初の高性能車である2代目2000系は、1964(S29)年に登場。

井の頭線にも、旧1000系列のグリーン車が走っていたこともあり、3000系登場前の井の頭線の主力車として走っていたこともあった。 旧1000系が井の頭線初の新性能車となったいた。

1955(S30)年4月29日、競馬場線(東府中~府中競馬正門前)間開業

同年10月1日に、新宿~東八王子間53分での運転となった。当初は2000系列のグリーン車が主力であった。

1962(S37)年12月30日 井の頭線に3000系(ステンプラカー)就役

1963(S38)年4月1日 新宿~初台間地下化。これにより、新宿駅付近の路面を走る区間が廃止された。
同年8月4日、京王線1500Vへの昇圧と同時に、5000系が登場。 

10月1日 京王線特急が登場し、新宿~東八王子間が40分で結ばれるようになった。

12月11日、東八王子駅が、北野寄りに移設され、京王八王子駅と改称。

1964(S39)年4月29日 動物園線 高幡不動~多摩動物公園間開業
同年6月7日、山手通り(環状6号線)との立体交差化により、初台駅付近が地下化される。(地下区間の延長) やはり、環状6号線が東京オリンピックのマラソンコースとして使用されていたので、それに合わせるために地下化されていたのである。

10月19日、最高速度が95Km/hに引き上げられ、新宿~京王八王子間、特急で37分で結ばれるようになる。

11月1日、京王百貨店新宿本店がオープン。 こちらは京王線新宿駅の真上に建設されたいた。 旧地上線、ホーム跡は、京王百貨店または新宿ルミネに転用されている。

京王百貨店は、定期的に駅弁大会が行われているということで有名である。 

以前は、京王帝都電鉄(現、京王電鉄)のほか、高島屋の資本もあったけど、高島屋の新宿出店に伴い、高島屋との資本提携が解消され、京王電鉄の子会社となっている。

現在は耐震補強化、ユニバーサル化が積極的に行われており、人に優しいデパートとなっている。

1965(S40)年7月11日、駒場駅と東大前駅が統合され、駒場東大前駅として開業。

開業当時は、西駒場と東駒場駅となっていたけど、のちに西駒場駅が駒場駅に、東駒場駅が一高前→東大前となっていた。 こちらの駅は、近隣していたので2つの駅が統合されたのである。

このようなことは、京急の新馬場駅と新逗子駅の関係と同様である。

駒場駅は相対式ホーム、東大前駅は、島式ホームとなっていた。 池ノ上駅寄りには、旧駒場駅のホーム跡が残っているということで、かつて駅があったことを物語っている。

1967(S42)年10月1日 高尾線(北野~高尾山口間)開業 北野~山田間は、休止中だった御陵線の線路が再利用されていた。 これにより、高尾山への行楽に便利な電車となった。

1968(S43)年1月1日 臨時特急迎光号が新宿~高尾山口駅間で初めて運転される。迎光号は、開業当時から毎年運転されているということが分かります。

1968(S43)年4月1日 ATS装置が新宿~桜上水間で導入される。
5月11日には、京王線初の冷房車も入線。
12月21日には、京王多摩川駅が高架化され、相模原線の基礎路線となる。

1969(S44)年2月25日、井の頭線に冷房車入線
5月29日には、聖蹟桜ヶ丘駅が高架化 9月30日、ATS装置が京王全線に拡大される。

1970(S45)年4月1日 井の頭線の車両工場が永福町から富士見ヶ丘に移転。6月1日には井の頭線にTTC(列車運行管理システム)が導入 京王線へのTTCの導入は、1975(S50)年のこと。 7月10日、八幡山駅が高架化され、環八通りとの立体化が行われる。

1971(S46)年4月1日 相模原線(京王多摩川~京王よみうりランド間)が開業。特急の最高速度が105Km/hに引き上げられ、新宿~京王八王子間が35分で結ばれるようになる。

12月15日 永福町駅が2面2線化され、急行運転開始 これにより渋谷~吉祥寺間が17分で結ばれるようになった。

1972(S47)年5月23日 京王線に大型車両である6000系が登場。
3月15日には、井の頭線の高井戸駅が高架化され、環八交差部分が立体化された。

1974(S49)年6月1日 全駅の自動券売機化が完了 10月18日には、相模原線、京王よみうりランド~京王多摩センター間が開業

1978(S53)年7月21日 京王新線開業に備え、笹塚駅が高架化される
10月31日には、京王新線(新宿~笹塚間複々線部分)が開業し、初台・幡ヶ谷駅が新線にシフトされる。 本線は、新宿~笹塚間通過運転となる。 京王新線のほうは、当初から地下区間となっているけど、車両限界の関係で、6000系以降の列車のみの乗り入れとなった。

1980(S55)年3月16日、都営新宿線(新宿~岩本町間)開業により、京王新線を介して、都営新宿線との相互乗り入れが開始される。当時は京王車(6000系)は、岩本町までの運転だった。

1981(S56)年9月1日 京王初の10両運転開始。 当初は、京王多摩センター~岩本町間の通勤快速のみの運転だった。

1983(S58)年10月1日 京王線の車両工場が桜上水から若葉台に移転

1984(S59)年3月9日 京王線に7000系ステンレス車登場 3月21日には、井の頭線の旧型車両(旧1000系列)全廃により、冷房化率100%達成(関東の大手私鉄では初となった)

11月18日には、京王線で最後まで残っていたグリーン車(2000系列)である2010系が廃車となり、京王線から緑色の電車(グリーン車)が全廃 こちらは、京王線で最後の非貫通2枚窓の電車となっていた。

1987(S62)年12月20日 京王車の乗り入れ区間が岩本町から大島まで延長

1988(S63)年3月14日 京王本社が新宿追分駅跡から聖蹟桜ヶ丘付近に移転。

5月21日 相模原線 京王多摩センター~南大沢間が開業。

1989(H1)年4月2日 京王八王子駅が地下化される。 地上時代は8両分までしか入線出来なかったため、10両編成のまま乗り入れることが出来なかったということがネックとなっていた。同年3月に5000系の吊り掛けモーター車が全廃。

1990(H2)年3月30日 相模原線、南大沢~橋本間の開業により全線開通。 この時からおなじみのKEIOのロゴが使用されるようになる。

1991(H3)年3月15日 6000系の5ドア車が登場。 こちらは5両編成4本試作されただけで本格導入されることは無かった。 そのため、4編成のうち2編成が4ドア車に改造されている。

4月6日 南大沢~橋本間に多摩境駅が開業

9月1日 京王車の乗り入れ区間が本八幡まで延長。 京王の車両が千葉県にも進出。

1992(H4)年3月3日 京王初のVVVF車である8000系が入線 営業運転開始は5月7日。

5月28日のダイヤ改正で京王線特急が10両化され、8000系がメインで使用されるようになる。 相模原線の特急が新設されたのはこの時だった。

12月26日 5000系非冷房車の全廃により、京王線の冷房化率が100%となる。

1993(H5)年3月1日 府中駅が高架化される。
3月31日には、長沼、北野駅付近も高架化。

1995(H7)年10月 井の頭線に3000系リニューアル車が登場。

1996(H8)年1月9日 井の頭線に初の大型車である2代目1000系が登場。 初期型の3000系の狭幅車が引退。

11月30日 5000系が全廃され、翌日の12月1日にはさよなら運転が盛大に行われていた。
 これにより、京王線系統の車両が大型車に統一された。

1998(H10)年7月1日 京王帝都電鉄から京王電鉄に社名変更。

1999(H11)年1月28日 抵抗制御の初期型6000系の全廃廃車により、全車両が回生ブレーキ付きの車両となる。

7月28日、京王初となるワンマン運転が競馬場線で行われる。
9月16日には井の頭線に女性車掌が登場。

2000(H12)年3月24日 多摩動物公園駅構内に、子供向けの京王れーるランドがオープン。 同年10月20日、動物園線がワンマン化。

2001(H13)年1月24日 9000系が登場

3月27日には、準特急の登場、女性専用車の導入などの改正が行われた。 相模原線特急は、急行に置き換えられて廃止された。

2002(H14)年3月23日 動物園線にラッピングトレインであるTAMAZOOTRAINが登場し、動物園線専用の6722Fに塗装されていた。

8月1日、京王電鉄のバス部門が京王電鉄バスとして分社化される。

2003(H15)年4月15日、京王線開業90周年 8月1日には井の頭線開業70周年を迎えていた。

5月1日には京王の駅が全て禁煙となる。

2004(H16)年11月14日 若葉台車両基地でのイベントで5000系事業用車最後のお披露目。 デワ5125Fの後釜には、余剰となった6000系から改造された600型車両が抜擢された。 8月をもって5000系の運用が終了。 この後3両は北館林まで陸送されて解体されていた。
3000系の非リニューアル車(ステンプラカー)が3714Fの廃車をもって全廃。こちらも北館林まで輸送されて解体された。

2006(H18)年3月15日 9000系の10両固定編成の登場。平日朝ラッシュ時には都営新宿線への乗り入れが実現。

京王線の女性専用車(平日の朝、夜間、深夜に設定)
朝=新宿・新線新宿駅に7時30分~9時30分に到着する準特急・急行・通勤快速の全区間

夜間=新宿駅を18時~22時40分に発車する特急・準特急の新宿→調布間

深夜=新宿駅を22時50分以降に発車する急行・通勤快速・快速の新宿→調布間

新宿寄りの先頭車が対象となり、朝は最前部、夜間・深夜は最後部の車両となる。

朝のラッシュ時に関しては、10両編成の都営新宿線直通列車も対象となり、都営新宿線内(新宿→本八幡間)も女性専用車両となる。

京王線の新宿~笹塚間の地下トンネルの移り変わり

1963(S38)年4月1日、新宿駅部分、甲州街道の路面を走る部分のみ先行地下化。 当初は文化服飾学院前辺りから地下に入っていた。

1964(S39)年6月7日、環状6号線との立体交差化により、初台駅を含めた部分が地下化。地下区間延長。 富士急東京本社(初台)付近から地下入り。 この初台地下駅は、1978(S53)年10月31日の京王新線開業により移転、地下に眠るホームとなった。

1978(S53)年10月31日、京王新線の開業により、本線の初台・幡ヶ谷駅ホームの廃止。 京王新線は、幡ヶ谷駅の手前で地下に。

1983(S58)年、本線の地下区間が再延長。 本線も幡ヶ谷駅跡の手前で地下に入るようになった。 のちに、本線の下り線が京王新線の地下トンネルの出口付近まで地下化されたけど、本線の上り線だけは、交差の関係により、地平のまま残されたのである。 地下トンネル入り口の手前に踏切が1ヶ所あるけど、上り列車のみの通過となっている。これによって地上時代の幡ヶ谷駅の面影が薄れている。

初台駅と幡ヶ谷駅が地上ホームだった頃は、どちらも相対式ホームとなっていた。

京王本線の地下トンネルは、かつての玉川上水の跡の下に掘られたトンネルを通るため、カーブが多い状態であり、速度制限されている。 

1933(H8)年12月10日に開業した京成本線の日暮里~京成上野間の地下トンネル(上野公園の地下を通るトンネル)区間もカーブが多い地下トンネルとなっている。

京王新線のほうは、甲州街道の真下を通るために、直線区間となっている。

都営新宿線の新宿~新宿三丁目間は、会社は違うけど、かつての新宿~新宿追分間の再現というイメージがる。

かつての新宿追分駅は、新宿三丁目駅付近にあるので。

初代の新宿追分電停があった場所の地下には、来年度開業予定の地下鉄13号線が通ることになる。

2代目の新宿追分駅跡の旧京王本社ビルは、1988(S63)年に聖蹟桜ヶ丘駅付近に移転されたことによって、取り壊されていたけど、ここがかつての京王線の駅舎として使用されていたということを初めて知りました。ここには、京王直営の映画館も入っていたのである。

この後、改築されて、京王新宿三丁目ビルに改築されていた。

このように、通勤や通学の足として、通勤型車両が高速で行き交う京王線が、路面電車から始まっていた(かつて路面電車であった)ということを聞いて驚きました。 京王線がかつて路面電車であったということを知らない人が多い状態であります。

1983(S38)年4月1日に新宿駅付近が地下線に切り替わる前に、甲州街道の路面を走っていたということも驚きだったし。
by hy_sengen-sin | 2006-05-11 15:42 | 鉄道車両・路線