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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

都電荒川線

王子駅前から大塚駅前まで、旧塗装に復元された黄色い7022号車に乗りました。

都電荒川線の路線

早稲田~面影橋~学習院下~鬼子母神前~雑司ヶ谷~東池袋四丁目~向原~大塚駅前~巣鴨新田~庚申塚~新庚申塚~西ヶ原四丁目~滝野川一丁目~飛鳥山~王子駅前~栄町~梶原~荒川車庫前~荒川遊園地前~小台~宮ノ前~熊野前~東尾久三丁目~町屋二丁目~町屋駅前~荒川七丁目~荒川二丁目~荒川区役所前~荒川一中前~三ノ輪橋

乗換駅 東池袋四丁目 東京メトロ有楽町線(東池袋駅) 大塚駅前 JR山手線(大塚駅) 新庚申塚 都営地下鉄三田線(西巣鴨駅) 王子駅前 JR京浜東北線・東京メトロ南北線(王子駅) 町屋駅前 京成本線・東京メトロ千代田線(町屋駅) 三ノ輪橋駅 東京メトロ日比谷線(三ノ輪駅)

早稲田電停から東京メトロ東西線の早稲田駅まで徒歩10分

2007年度中には、鬼子母神前電停が、東京メトロ13号線(池袋~渋谷間新規開業)の雑司ヶ谷駅(仮称)、熊野前電停が、新交通日暮里・舎人線(日暮里~見代沼親水公園間新規開業)への乗換駅となる予定となっている。

都電の運賃は全線160円均一で、バス共通カードも使用可能となっている。 来年3月導入予定のPasmoにも対応している。

一日乗車券は、都営交通乗り放題が700円、都電専用が400円。

都電荒川線の車庫は、荒川車庫前にあり、トラバーサーによる車両の移動が行われているのが特徴である。

路面を走る区間 飛鳥山~王子駅前間 以前は小台~熊野前間も路面を走っていたけど、道路と線路が分離化されている。

都電荒川線の歴史は、1911(M44)年8月20日に、王子電気軌道の路線として、飛鳥山上(現、飛鳥山)~大塚間に開業したのが始まりである。

東京都交通局の前身である、東京市電気局(当時の東京市電)は、王子電気軌道が開業したのと同じ年である1911(M44)年8月1日に設立されていた。

1913(T2)年4月1日には、三ノ輪(現、三ノ輪橋)~飛鳥山下(現、梶原)間が開業

同年10月31日には、飛鳥山下~栄町間が開業

1915(T4)年4月17日、王子~飛鳥山間開業

1925(T14)年11月12日、大塚~鬼子母神前間開業

1926(T15)年3月28日、王子柳田~神谷橋間が開業。こちらは、赤羽への支線となっていた。

1927(S2)年12月15日、神谷橋~赤羽間開業

1928(S4)年12月25日、鬼子母神前~面影橋間開業

1930(S5)年3月30日、面影橋~早稲田(仮)間開業

1932(S7)年1月17日には、早稲田(仮)~早稲田間が開業 同年12月1日、王子柳田~王子駅間が開業し、三ノ輪橋~赤羽間の運転となった。

1942(S17)年2月1日に、王子電気軌道が東京市(のちの東京都)に譲渡され、東京市電の路線となる。

1943(S18)年7月1日、都制施行により、東京都電となる。

当時は27系統が、三ノ輪橋~王子~赤羽間 32系統が、早稲田~王子~荒川車庫間の路線となっていた。

1972(S47)年11月11日、王子駅前~赤羽間が廃止され、現在の路線体系となる。 同時に、福神橋~月島、本所吾妻橋~須田町、錦糸町駅~日本橋、葛西橋~境川、水神森~東陽公園、須田町~水神森間の6線区も廃止されたことにより、現在の荒川線部分を除いた都電が全廃となった。

1974(S49)年10月1日、27系統と32系統統合の上で、都電荒川線となる。なので、毎年10月1日は荒川線の日と定められており、イベントも行われている。

都電のワンマン運転は、1977(S52)年10月登場の7000系更新車および7500系改造車によって順次行われていたけど、翌年の1978(S53)年4月1日に完全ワンマン化されていた。

荒川一中前電停は、2000(H12)年11月11日に新設された都電で一番新しい電停である。

前身の王子電気軌道によって開拓された路線のうち、廃止されたのは、王子駅前~赤羽間で、すべて併用軌道だった。

廃止後、赤羽駅~王子駅~豊島五団地間を結ぶ都バス(王57系統)に継承されたけど、赤羽~王子間で、東京メトロ南北線と重複している。

都電の赤羽電停は、東京メトロ・埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅とほぼ同じ位置にあったけど、やはり赤羽駅と離れていた。

27・32系統の路線のうち、早稲田~王子駅前~三ノ輪橋間は、路線の9割が専用軌道であることや、代替交通を通しにくいという理由で存続されたのである。 こちらは、東急の玉電のうち、世田谷線だけが残されたことでも言える。

早稲田電停付近にある都バスの早稲田営業所は、かつて都電の早稲田車庫として使用されていた。 1971(S46)年に都バスの営業所に転用。

早稲田~面影橋間は、1968(S43)年9月28日の15系統(高田馬場~九段下間)の廃止までの間、東京都電と線路が繋がっていた状態であった。 32系統は、荒川車庫のほか、早稲田車庫担当の便もあった。

この15系統は、都バスの飯64系統(小滝橋車庫~高田馬場駅・飯田橋駅経由~九段下間、小滝橋営業所担当)に継承されている。

都電荒川線の車両は、7000形、7500形、8500形があり、7000形は23両 7500形は13両 8500形は5両在籍している。

7000系=7001~7005、7007、7008、7010、7013、7015、7016、7018~7020、7022~7027、7029~7031

7500形=7501、7503、7505~7507、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車

8500形=8501~8505号車

7000形は、1954(S29)年に登場、1956(S31)年までの間に93両製造されていた。

初期の7000形は、2枚窓が印象的で、PCCカーこと5500形に準じたスタイルが特徴だった。

昭和40年代後半の都電の縮小により、大部分が廃車となり、31両は荒川線に残留、10両は函館市電に譲渡されていた。

函館市電に譲渡された車両は、7032、7033、7034、7036~7042号車。

函館市に渡った10両は、前面窓が改良されたけど、側面は種車の面影があり。 函館市電では1001~1010号車として活躍していたけど、1006~1008号車(旧7033、7034、7041号車)のみ現役である。 1007号車は、旧都電塗装に復元されている。

筆者は、2003(H15)年12月に函館に行った時に、1007号車に乗車している。

荒川線に残留した7000形のうちの1955(S30)年から1956(S31)年にかけて製造された31両(7055~7078、7081~7084、7086、7087、7089号車)は、1977(S52)年から1978(S53)年に掛けて、足回り品再利用の上で、1枚窓、ノンステップの車体(ワンマン運転対応)に載せ替えられていた。同時に、番号が若い順に、7001~7031号車に改番されていた。

7055号車(現7001号車)は、1955(S30)年に新製されて以来、荒川車庫所属となっているので、7000系で唯一の生え抜き車である。 その他は、青山、錦糸堀、大塚、駒込、柳島、神明町の車庫に配置されていたこともあった。

この新7000形は、1978(S53)年度のローレル賞を受賞している。

1977(S52)年10月からの半年間は、ワンマンとツーマン混合運転となっていたので、新7000形、旧7000形、6000形の並びも見られていたこともあった。 

当初は非冷房で、ビューゲル式の集電装置となっていたけど、1987(S62)年から1991(H3)年にかけて、7001~7005、7007、7008、7010、7013、7015~7027、7029~7031号車の25両が冷房化改造され、アイボリーに緑帯という塗装に変更されていた。
こちらは、アルナ工機(現、アルナ車両)まで貨車で搬送されていた。
初期はヒューゲル式のままで冷房改造されていたけど、のちにパンタグラフ式に変更されていた。現在はすべてパンタグラフ式に変更。

ヒューゲル式の頃は、終点で向きが変わる瞬間を見ることが出来たけど、パンタグラフ化された現在はそれを見ることが出来ない。

初期の冷房改造車である7007、7008、7015、7016、7018、7019、7021、7023、7030号車の9両は、白地の行き先表示のまま更新されたけど、1988(S63)年度以降に冷房改造された7001~7005、7010、7013、7017、7020、7022、7024~7027、7029、7031号車は、冷房化とともに7500系と同様の青地の方向幕に交換されたため、ワンマンの表示も青地のものになっている。 前述の9両は、行き先表示幕のみ交換され、ワンマンの表示が白地のままとなっていた。 現在は、後述の再車体更新、行き先表示のLED化によって消滅している。

冷房改造の対象から外された6両(7006、7009、7011、7012、7014、7028号車)は、1991(H3)年から1993(H5)年にかけて、8500系に置き換えられて廃車となっている。

7006号車は、江東区東雲の交通局の研修所(都バスの深川車庫に隣接)でのシュミレーション設備に転用され、車体の一部が切断されていた。 同時に、冷房車に準じた塗装に変更されている。

7011号車は、千葉県市川市の大和田公園(本八幡駅付近)に保存されているけど、かなり色褪せていた状態となっている。

7009、7028号車は、1992(H4)年に、冷房化、ステップ取り付け等の改造を受け、豊橋鉄道東田本線(市内線)に譲渡された。 現地では、3500系として使用されている。

1999(H11)年には、7017、7021号車が、運用の見直しにより、冷房改造車のまま廃車となり、旧7009、7028号車と同様の改造を受け、豊橋鉄道に譲渡されている。こちらは3503、3504号車。

昨年8月、名鉄の岐阜エリアの600V線区(岐阜市内線、昨年3月31日廃止)で走っていた800系や880系が転用されたことにより、元名鉄と元都電の共演も見られるようになった。 これにより、かつて名古屋市電で走っていた3100系(1400系)が全廃となったけど、3102号車のみイベント用として残されることになっている。

7012、7014号車は、1993(H5)年の廃車後、博物館での保存を見据えて荒川車庫に置かれたままとなっていたけど、やはり都の財政難によって見送られ、残念なことに解体されてしまったのである。こちらは新7000形で初の全面解体処分となっている。

2003(H15)年からは順次、車体再更新され、行き先表示のLED化、化粧板の張り替えなど
が行われ、ワンマンの表示が、窓の部分に移設されていた。 

パンタグラフが一部シングルアーム化されている。

未更新の7000形は、近いうちに見納めとなる

足回り品は50年を超えているけど、未だに現役ということで凄いな!と思っています。特に函館の1000形も車体を含めて未だに現役なので。

7500形、全盛期の都電としては最後の新製車として1962(S37)年に7501~7520号車の20両が製造されていた。

その前に登場した8000形(1956(S31)年から1957(S32)年にかけて製造)は、都電の廃止を見据えた上で、耐用年数を10年程度に抑え、軽量・コスト低減の目的で導入されていた。
 やはりスピードが出る反面、揺れも激しく音がうるさいということで評判が良くなかったのである。 やはり老朽化が早いために、1969(S44)年から1972(S47)年にかけて廃車となっている。 このコンセプトは、JR東日本の209系列(通称使い捨て電車走るんです)に準じている。 都電8000形を飛行機に例えたなら、ターボジェット機と言える状態である。筆者としては、都電のターボ車と呼びたくなるような車両となっていた。

初期のターボジェットエンジンの飛行機は、騒音や振動が激しく、燃費が悪いという欠点があったので。

そのため現在のジェット機は、ターボファンエンジンが採用されている。

都電8000形は、8001~8131号車までの131両製造され、狭軌の杉並線を除いた全営業所に配置されていた。そのうち、8053が千葉県八千代市の電車喫茶である、TRAinCAFE、8125号車が車体のみ越谷市の自治会館(児童図書館)で保存されているのを確認している。

都電の杉並線(14系統)は、新宿駅と荻窪駅を結ぶ路線で、青梅街道の路上を走っていた。 こちらは、営団地下鉄荻窪線(現東京メトロ丸ノ内線)の開業により、1963(S38)年11月30日に廃止されている。 この路線が狭軌だったのは、旧西武鉄道の軌道線から継承されたという名残である。杉並線では、2000系列の車両が使用されていた。長崎電気軌道に譲渡された701号車(元2000形)は、現在専らイベント用として活躍している。

7500形は、1962(S37)年に日本車輌と新潟鐵工所(現在は新潟トランシスに継承)で新製され、当時は、前者青山車庫所属となっていた。8000形とはうって変わって、静かで乗り心地の良い車両と呼ばれていた。3枚窓のスタイルは8000形から踏襲されているけど、丸みを帯びたスタイルとなっている。コスト低減のためにバス型の窓が採用されているのが特徴であった。

1968(S43)年に青山車庫が廃止されてからは、日本車輌製の7501~7510号車が荒川車庫に、新潟鐵工所製の7511~7520号車が、柳島車庫にそれぞれ転用されたけど、1972(S47)年11月の廃止により、7513、7514、7515、7516、7518、7520号が荒川車庫に転属していた。 7511、7512号車のほうは、前年の1971(S46)年に荒川入りしていた。 7517、7519号車は、荒川に転属されることなく、そのまま廃車となった。

1978(S53)年の4月には、7501~7508、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車が、ステップの廃止などのワンマン対応化改造を受け、赤帯から青帯に変更。

改造の対象から外された7509、7514号車は廃車となり、7514号車のみ保存されていた。

7514号車は、長いこと荒川車庫に置かれていたけど、現在は、小金井公園の中にある江戸東京たてもの園に保存されている。 こちらに保存されている7514号車のほうは、状態が良い。

1984(S59)年から1986(S61)年に掛けて、7501、7503、7505~7507、7510~7513、7515、7516、7518、7520号車の13両が、冷房付きの車体に載せ替えられていた。 こちらは、種車と同じ3枚窓で、新7000形に準じた車体となり、塗装は、アイボリーに緑帯となった。 都電初の冷房装置が搭載されたため、都電初の冷房車として話題となった。

集電装置は、ヒューゲル式だったけど、のちにパンタグラフ式に交換されている。

そのうち、旧7512号車の車体は、国立市の富士見台幼稚園で保存されている。

車体更新の対象外となった7502、7504、7508号車のうち、7502、7508号車は、1986(S61)年3月31日に廃車後、7502号車は、大田区萩中の児童交通公園に、7508号車は、板橋区の板橋交通公園に都バスの廃車体とともに保存されている。

7504号車のほうは、予備車兼イベント用車として、朝ラッシュ時の学園号などで走っていたこともあった。 筆者は、1994(H6)年に乗ったことがあるけど、他の7500系と比べて違和感がありました。 こちらは、オールロングシートで、板張りの床が特徴であった。 ダルマのようなスタイルが特徴で、ダルマという愛称で親しまれていた。

2001(H13)年に同じくイベント用として活躍していた6000形6152号車とともに廃車となったけど、現在でも荒川車庫に留置されたままとなっている。

車体更新された7500系形、現在でもそのままの姿で活躍しているけど、7501号車のみがシングルアームパンタ化されている。
7500系の運用は、当初から7000系と共通である。

8500形は、1990(H2)年5月2日、都電としては7500形以来の28年ぶりの新車として登場。 当初は8501号車1両のみ新製されていた。 こちらは、窓が大きく、都電初のVVVFインバータ装置が採用されているのが特徴である。 
運転台のほうは、8501号車のみ1軸2ハンドル型となっていたけど、運転手から操作しづらい、オーバーランの危険性があるということで敬遠されているので、稼働率が低かった。

行き先表示は前面が幕式、側面がLED式となっている。

パンタグラフはZ型で、車端部に設けられているので、日によって向きが一定していない状態である。8501号車は現在シングルアームパンタに交換されている。

1992(H4)年5月2日には、2次車である8502、8503号車も登場。 こちらはライトや塗り分けの変更、スカートの黒塗り化などで変化している。 運転台のほうは、評判の悪かった1軸2ハンドル型を廃止し、従来型と同じ運転台が採用されていた。 8501号車の運転台も、8502号車以降と同タイプに交換。 これによって、7000系や7500系との共通運用が可能となった。8502号車はロングシート、8503号車は1人掛けのクロスシートが採用。

翌年の1993(H5)年には、8504、8505号車が導入。 こちらは、8503号車で試用された1人掛けクロスシートが採用されている。

当初は、8500形によって在来車(7000形、7500形)が置き換えられる予定だったけど、都の財政難によって見送られ、8500形の増備が8504、8505号車をもって打ち止めとなっていた。 やはり定員が64名と、在来車(定員96名)よりも少ないという問題もあった。

定員が少ないために、現在でも稼働率が高くないという状態である。

来年(2007年)には、9000形というレトロ調のイベント電車が1両製造されるというニュースが入ってきたのである。 こちらは、8500形以来の久々の新造車となる。

やはり、イベント用として使用されていた6152号車および7504号車の穴を埋めるために導入されるけど、定期運用で使用されるのかどうかは不明である。

6152号車は、あらかわ遊園に静態保存されている。 2000(H12)年までは、第一・第三日曜日に、荒川車庫前→早稲田→三ノ輪橋→王子駅前→荒川車庫前のルートで運転されていた。 筆者は2000(H12)年10月1日に乗ったのが最後だった。
この運用が無くなった後、第一・第三日曜日に都電に乗る楽しみが半減したのである。


荒川車庫には、かつて上野~品川間の1系統(三田車庫所属)で走っていた5501号車(PCCカー)も保存されている。 1953(S28)年に製造されていたけど、車体の長さ(全長14.3m)がネックとなり、1系統に限定運用されていた。 1系統が廃止された1967(S42)年に12月9日に廃車となった。 こちらは5501~5507号車まであった。 
クジラみたいなスタイルが印象的だったのである。

2004(H16)年7月22日にリリースされたモーニング娘。の「女子かしまし物語」のPVでは、都電荒川線の7500形の7507号車の貸切電車が使用されていた。そのロケは、荒川電車営業所でも行われているので、荒川電車営業所の協力で撮影されたPVとなっている。

この時に在籍していたメンバーは、14名で、卒業前のW(ダブルユー)のメンバーも含まれていた。 

7022号車は、昨年6月に黄色い旧塗装が再現され、このままの姿で営業運転に入っている。 行き先表示がLED化されているので違和感がある状態である。

都電の電停の嵩上げ工事、1994(H6)年に行われ、電車とホームの間の段差が解消されていた。 これにより車椅子での乗降も楽になったのである。

東急世田谷線でもオール300系化されたことにより、ホームの嵩上げが行われていた。

庚申塚電停=甘味亭があるのが特徴である。 とげぬき地蔵尊への最寄り駅で、4の付く日の縁日の時には賑わうことになる。 ここはおばあちゃんの原宿と呼ばれている。

やはり都電では段差が無いということで、都電も良く利用されている状態である。

とげぬき地蔵尊へは、JR山手線、都営三田線の巣鴨駅から近いけど、両駅にはエスカレーターやエレベーターも完備されている。

飛鳥山公園は、江戸時代から続く花見の名所として名高い。 

三ノ輪橋電停=バラが綺麗な停留所で、関東の駅百選に認定されている。 三ノ輪橋以外でもバラが咲き誇る場所があるけど。
by hy_sengen-sin | 2006-04-24 13:31 | 鉄道乗車記