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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

福島・仙台方面に行ってきました2

福島の某ホテルをチェックアウトした後、福島から飯坂温泉まで、福島交通飯坂線で行きました。

福島交通飯坂線の路線 福島~曽根田~美術館図書館前~岩代清水~泉~上松川~笹谷~桜水~平野~医王寺前~花水坂~飯坂温泉

開業した時は、1924(T13)年4月13日、福島~飯坂(現、花水坂)間が開業したのが始まりであった。 当時の社名は福島飯坂電車軌道 1927(S2)年3月23日には、飯坂温泉まで開通したのである。

車両は、元東急の7000系の2両編成(平日朝ラッシュ時は3両編成)が使用されており、中間車から先頭車改造されている。 こちらは、ワンマン運転ではなく、従来のツーマン(車掌乗務)となっている。

こちらの運用は、総武流山電鉄(馬橋~流山間)と同様にラッシュ時は3両、その他は2両という運転方式となっている。

元東急7000系が走っている路線といえば、北陸鉄道石川線(石川県、野町~加賀一の宮間)、水間鉄道水間線(大阪府、貝塚~水間間)、弘南鉄道大鰐線、(青森県、大鰐~中央弘前間)、同弘南線(弘前~黒石間)となっている。

1999(H11)年12月までは、秩父鉄道でも元東急7000系(2000系)が走っていたこともあった。

福島交通飯坂線は、土曜・休日に500円で乗り放題の乗車券が売られており、日帰りで飯坂温泉まで往復しても割引となるのである。

7000系の本数は、2両編成4本8両 3両編成2本6両 計 14両となっている。 車両基地は、桜水にある。 ここには、旧型車が倉庫として保存されている。

7000系が導入された時は、1991(H3)年6月25日で、600Vから1500Vに昇圧化されていた。 2両編成は、もう1本あったけど、2001(H13)年4月8日、福島駅の駅ビルに衝突する事故により廃車となっている。 これを期に、同年10月1日に、ATS装置が導入されたのである。

こちらは、床置き式の冷房装置が設けられているので、見た目が非冷房車と変わらない状態となっている。

今回乗った編成は、往復7105Fの2両編成でした。

1980(S55)年から1991(H3)年まで、元東急の旧5000系青カエルが走っていたこともあったけど、地方私鉄6社(長野電鉄、福島交通、上田交通(現、上田電鉄)、岳南鉄道、松本電鉄、熊本電鉄)に譲渡された青カエルの中で先に引退したのである。

熊本電鉄に譲渡された元青カエルの5000系電車2両は、両運転台化改造されており、上熊本~北熊本間の支線で最後の活躍をしているけど、その最後の砦が崩れるのも時間の問題となっている。6両譲受されたうちすでに4両が廃車となっているので。 2両ともに東急グリーンに戻されて活躍している。

福島から元東急の電車に揺られて飯坂温泉に行くことは、上田駅から上田電鉄の元東急7200系に乗って別所温泉に行くことに似ている状態である。

VVVF改造前のオリジナルの7000系は、1999(H11)年8月のこどもの国線を最後に、本家の東急から全廃となっている。 こどもの国線で最後まで残っていたワンマン車両である7052+7057号車は、東急で最後の非冷房車であり、廃車後は、東急車輌の工場の入れ替え車として譲渡され、こどもの国線の塗装のままで使用されている。

7700系のほうは、目蒲線で走っていた3編成が余剰となり、十和田観光電鉄(青森県、三沢~十和田市間)に譲渡されている。これにより、元東急旧3000系から改造された車両が引退し、一部はイベント用として残されている。

福島交通では、飯坂線のほか、福島駅前~湯野町(飯坂温泉駅付近)、聖光学園前~伊達駅前間に飯坂東線という路面電車が走っていたこともあった。 あとは、その支線として、長岡分岐点~保原間の保原線、保原~梁川間の梁川線、保原~掛田間の掛田線が走っていたこともあったし。

これらの路線がすべて廃止されたのは、1971(S46)年4月12日のことだった。

福島交通のバス部門は、すべて三菱ふそう製が使用されており、名古屋以外で三菱ふそうが主流であるということで珍しいなと思いました。 名鉄バスやその系列では、三菱ふそうが主流だけど。

福島駅のホームは、飯坂線と阿武隈急行(阿武急)と一緒になっており、東側が飯坂線、西側が阿武隈急行が使用している状態である。 

飯坂温泉は、宮城県の鳴子温泉と秋保温泉とともに、奥州三名湯の一つである。

ここには、ホテル聚楽などのホテルも建ち並んでいる。 ホテル聚楽は、萩原さん主催の上野での親睦会の会場である聚楽の系列となっている。

飯坂温泉に到着した後、徒歩で、公共浴場である、鯖湖湯に行きました。ここは、古くからある有名な木造の共同浴場であり、1993(H5)年に改築されている。

この前には、神社や足湯もありました。

この温泉はとても熱かったです。

福島県は、飯坂温泉のほか、岳温泉、磐梯熱海温泉、土湯温泉、東山温泉芦ノ牧温泉、湯野上温泉などがあり、温泉地が豊富な都道府県となっている。

飯坂温泉には、日帰り老人介護のデイサービスセンターがあり、ここの浴場では温泉が使用されている。

本当は飯坂温泉に1泊したかったなと思っていました。

飯坂温泉を後にして、福島交通で福島まで行き、ここから仙台まで719系による快速仙台シティラビットで行きました。

阿武隈急行の路線 福島~卸町~福島学院前~瀬上~向瀬上~高子~上保原~保原~大泉~二井田~新田~梁川~やながわ希望の森公園前~富野~兜~あぶくま~丸森~北丸森~南角田~角田~横倉~岡~東船岡~槻木→(一部、仙台まで直通運転)

福島~梁川間は、かつて福島交通飯坂東線が走っていたエリアを通っている。

阿武隈急行の前身は、1968(S43)年4月1日に、槻木~丸森間に開業した旧国鉄丸森線である。 当時は、非電化路線であった。

1986(S61)年7月1日、旧国鉄丸森線から第三セクターの阿武隈急行として再出発。 非電化路線もままで引き継がれていたので、旧国鉄からキハ22型DCを借り入れられてでの運用となった。

あれから丸2年後の1988(S63)年7月1日 丸森~福島間全線開通 同時に交流電化され、8000系電車で運用されるようになった。

仙台への直通は、阿武急の車両による片乗り入れとなっている。 2004(H16)年3月までは、郡山へも乗り入れていたこともあった。

車両は、8000系の2両編成で、2ドア、セミクロスシートとなっている。槻木寄りの先頭車には和式トイレがあり、こちらは、前部の扉の後方にある

仙台シティラビットに使用された編成は719系の2+2の4両編成である。 719系は、1989(H1)年に登場した211系ベースの交流専用電車であり、1991(H3)年までに製造されていた。 仙台エリア(東北本線、黒磯~小牛田間、岩切~利府間、仙山線、仙台~山形間)の狭軌区間で使用されている0番台のほか、福島~山形~新庄間の山形線(標準軌区間)で使用されている5000番台もある。 0番台は東急車輌で、5000番台は日本車輌で製造されていた。

仙台シティラビットは、定期列車で3往復設定されており、土曜・休日には臨時れぅtしゃも運転されることになる。

停車駅 福島~東福島~伊達~桑折~藤田~白石~大河原~船岡~槻木~岩沼~名取~仙台

福島駅を出た後、福島交通飯坂線と併走 桑折の駅で、東北新幹線と並んでいました。

貝田駅を通過し、福島県から宮城県に入りました。 

大河原駅からは、仙南軌道という列車が蔵王山の麓である遠刈田温泉まで出ていたこともあったけど、1937(S12)年6月30日に廃止されている。

あとは、長町駅から秋保温泉まで、秋保電気鉄道の列車も出ていたこともあった。 こちらは、1961(S36)年5月7日に廃止されている。

岩沼では、常磐線と合流。 常磐線の列車(いわき以北)は、仙台に直通しており、701系ワンマン電車、717系などが使用されている。

常磐線は、上野と岩沼を結ぶ路線となっているけど、上野~取手~いわき間と、いわき~岩沼~仙台間と系統が分割されている。 

仙台所属の455系は、水戸まで乗り入れていたこともあったけど、昨年7月9日のダイヤ改正で水戸への乗り入れが廃止されたのである。 

常磐線の特急、スーパーひたち号は、3往復のみ上野から仙台まで運転されているけど、全線通しで乗る人は少ないと思います。

上野8時発のスーパーひたち7号(仙台行き)は、唯一松戸に停車する特急として残されている。 他の特急は、柏停車にシフトされている。

651系の仙台乗り入れは、原則としていわき~仙台間4両編成となるけど、多客期には7+4の11両(グリーン車連結)で運転されることになる。

こちらは茨城、福島県浜通り地方から仙台に向かう時に便利な列車となっている

館腰駅は、仙台空港口の副名称となっており、2006年度末(来年3月)に予定されている仙台空港鉄道・仙台空港線(名取~仙台空港間)の開業の時まで、バスで連絡されている。

名取駅付近では、仙台空港線の高架橋を見ることが出来たけど、まだレールは敷かれていない状態でした。

仙台空港線 名取~杜せきのした~美田園~仙台空港

仙台空港駅は、ターミナルビルに直結した高架駅となる予定である。

こちらはもちろん、JRの仙台駅までの直通運転が予定されている。開業すれば、仙台駅と仙台空港が約17分で結ばれることになる。 現在はリムジンバスで約40分掛かっている。

この開業に備えて、E721系が2両編成4本8両導入される予定だけど、そのうちの1編成は、先行落成している。 あとは、仙台空港鉄道分の増備車であるSAT721系が3編成6両導入されることになっている。

E721系 2両編成で座席はセミクロスシートで3ドア車。 車端部には、荷物置き場と、幅広洋式トイレがある。 乗降口は、ステップが廃止され、乗り降りしやすくなっている。

最高速度は120Km/hで、701系と併結可能。 701系と併結の場合は、110Km/hに抑えられる。

2007年3月には、南仙台~長町間には、太子堂駅が開業する予定だけど、仙台空港線と同時に開業する可能性が高い状態である。

長町駅は、現在高架化工事中であり、仙台市営地下鉄南北線への乗換駅となっている。 

長町と東仙台の間には、宮城野貨物線が出ており、仙台駅を通る代わりに、宮城野貨物駅を通ることになっている。 この宮城野貨物駅は、仙石線の宮城野原駅の周辺にある。

開業は、1960(S35)年10月1日 これが開業するまでの間は、仙台駅で貨物扱いされていた。

仙台駅に到着した後、貴重なオリジナルカラーの583系の6両編成が止まっていたので、それを撮影しました。 この583系(元祖寝台型電車)の6両編成は、団臨用として使用されている。
あとは、秋田車両センターにも、グリーン車付きの9両が在籍している。 これらの583系は、2002(H14)年12月まで、青森運転所(現、青森車両センター)に在籍していたけど、現在は分散配置されている。 老朽化が進んでいるために、活躍も長くはないという状態である。

455系の撮影も合わせて行い、その後に、ホームにある立ち食いそば屋で昼食を取りました。

この間に、上野からのスーパーひたち7号が入線 上野から4時間23分で到着していた。 この日は、7+4の11両編成で運転されていました。

仙台駅の在来線ホームのの発車メロディーは、宮城県仙台市在住の歌手である、さとう宗幸氏のヒット曲である「青葉城恋唄」がアレンジされた曲となっている。

ここから岩切まで701系の普通列車で移動、ここで、701系のワンマン電車で、利府まで行きました。

仙台を出た後、車両基地である仙台車両センターを見ることが出来ました。

東北本線の岩切~利府間の支線、1962(S37)年まで、品井沼まで出ていて、山線ルートとなっていたこともあった。 現在の海線ルート(陸前山王~品井沼間)は、1944(S19)年11月15日に開業。

1962(S37)年4月20日に(旧)松島~品井沼間が、同年7月1日に利府~(旧)松島間が廃止されたことにより、利府支線として独立されたのである。

この路線は、1978(S53)年に交流電化されたけど、1995(H7)年までほとんどが気動車で運転されていたこともあった。

この路線は、東北新幹線で最大の車両基地およびJR東日本の新幹線の総合車両工場である新幹線総合車両センターを眺めることの出来る路線なので、新幹線が好きな人にお勧めの路線である。

新利府駅は、東北新幹線の車両基地への勤務者のために設置された駅で、1982(S57)年4月1日に開業している。 7月に行われるイベントの時は、この駅が最寄り駅となっている。筆者は未だこのイベントに行ったことがない状態である。

ここで、E954系(FASTECH360S)の構内走行シーンを初めて生で見ることが出来たからよかったです。 こちらは、2010年度中に予定されている新青森までの開業の時には量産化される予定となっている。

新利府~利府間には、200系のオリジナルカラーの車両の廃車体が置かれており、その中には、2階建て車両も含まれていました。 このうちのどれかが来年10月14日に開館予定の鉄道博物館で展示されると思われます。

利府駅からは、岩切まで戻り、ここで電車を待っている間に、EH500型の30号機牽引のコンテナ貨物列車が通過していました。

岩切から仙台までは、719系の2+2+2の6両の普通列車で移動。 この時に仙山線の列車が遅れていたことによる満線状態で、止まっていました。

仙台に到着した後、あおば通駅まで行き、ここから仙石線で、小鶴新田まで行きました。

仙石線の路線 あおば通~仙台~榴ヶ岡~宮城野原~陸前原ノ町~苦竹~小鶴新田~福田町~陸前高砂~中野栄~多賀城~下馬~西塩釜~本塩釜~東塩釜~陸前浜田~松島海岸~高城町~手樽~陸前富山~陸前大塚~東名~野蒜~陸前小野~鹿妻~矢本~東矢本~陸前赤井~蛇田~陸前山下~石巻

快速の停車駅 あおば通~仙台~多賀城~本塩釜~松島海岸~高城町~野蒜~陸前小野~矢本~東矢本~陸前赤井~蛇田~陸前山下~石巻

一部の快速は、あおば通~多賀城間の各駅にも停車。

快速の表示 あおば通~矢本間で快速運転の列車は赤、多賀城~矢本間で快速運転の列車は緑となっている。 うみかぜという愛称があったけど、一昨年10月16日のダイヤ改正で名無しの快速となっている。

車両は、元山手線または埼京線から転用された205系の中間車から改造された205系3100番台の4両編成が使用されている。

改造内容は、先頭車改造、耐寒改造、ドアの半自動化、車椅子対応の洋式トイレの新設、一部編成のクロスシート(2ウェイシート化)されている。

2ウェイシートとなっている編成は、M2、3、4、5、8の5編成であり M2~5編成は、4色の車両 M8編成は、故・石ノ森章太郎氏によるマンガキャラクターが描かれたマンガッタンライナーとなっており、土曜・休日はあおば通~石巻間の3往復(往路は快速)に限定運用されている。

描かれているキャラクターは、1号車がサイボーグ007、2号車が仮面ライダー、3号車が秘密戦隊ゴレンジャー、4号車ががんばれロボコンとなっている。

2003年12月8日に筆者が乗車したけど、4号車のトイレの部分にもロボコンのシルエットが描かれていました。 その他の車内にもシルエットが描かれていたけど。4号車の車内は、ロボコンの声による車内放送が流れることでも有名である。

マンガッタンライナーは、2003(H15)年3月22日に運行開始。

石巻には、石ノ森漫画館がある。

あおば通から小鶴新田まで乗った車両は、M2編成(クハ205-3102F)で、石巻寄りの先頭車が、2ウェイシート車となっていました。 

その他のオールロングシート編成は、すべて水色の帯となっている。

2ウェイシート編成の塗装 石巻寄り先頭車から順に、=石巻(赤)、松島(オレンジ)、塩竃(紫)、仙台(緑)となっている

あおば通駅の発車メロディーも、青葉城恋唄のアレンジバージョンとなっているけど、仙台駅の在来線ホームと若干異なるバージョンとなっている。

小鶴新田駅は、2004(H16)年3月13日に開業した駅で、仙台車両センター宮城野派出所(旧宮城野電車区)への出入庫駅となっている。 この駅が開業する前は、苦竹駅から分岐していた。

小鶴新田駅の北口には、ヨークマートがある。

小鶴新田から榴ヶ岡までは、M15編成(クハ205-3115F)に乗車。 この4号車は、埼京線で走っていたサハ205-205号車(ゾロ目の車両)から改造されていました。 そのM車のパンタグラフは、シングルアーム化されていた。

仙石線に転用された205系は、中間車はすべて山手線から転用(元5、6号車に連結) 先頭車は、山手線から転用されたT車のほか、埼京線の6ドア組み込みによって捻出されたT車も含まれている。

埼京線から転用されたT車から改造された車両は、客用ドアの窓が大きいということで見分けが付く状態である。 中には、2002(H14)年12月1日のりんかい線開業後にりんかい線を走っていたT車も含まれているけど。

こちらは、伊豆急に譲渡された元東急の8000系と雰囲気が似ています。 同じく4ドアの通勤電車からトイレの新設、一部クロスシート化されているので。 どちらも、海沿いのローカル線を走っていることも挙げられるけど。

伊豆急8003F以降の編成は、みなとみらい線を走っていたこともあったことも共通している。

周辺を走る東北本線が交流電化に対し、仙石線が直流電化となっているのは、前身の宮城電気鉄道によって直流電化され、1944(S19)年5月1日に国有化されたことの名残である。

仙石線の前身である宮城電気鉄道は、1925(T14)年6月5日、宮電仙台(現、仙台)~西塩釜間に開業したのが始まりである。

当時の宮電仙台駅は、本邦初の地下駅となっていたけど、1952(S27)年に複線化された時に仙台~仙台東口間が廃止、短縮化されている。 廃止から2000(H12)年に再び地下化される前は、地下改札口、東北本線ホームと仙石線ホームを結ぶ地下通路として使用されていた。 現在その遺構は撤去されている。

翌1926(T15)年4月14日に、本塩釜まで延長 1927(S2)年4月18日には、松島公園(現、松島海岸)間が開業

1928(S3)年4月10日に、松島公園~陸前小野間が開業し、同年11月22日には、石巻まで全通している。

石巻駅は、1990(H2)年7月まで、仙石線と石巻線部分に分かれていたけど、仙石線部分が石巻線側に移設されたことにより駅舎が統合されていた。

仙石線の車両基地=1991(H3)年3月15日まで、陸前原ノ町駅構内の陸前原ノ町電車区(仙リハ)となっていたけど、 仙台市内の地下化工事により、宮城野電車区(仙ミノ、のちの仙台車両センター宮城野派出所)に移転。

仙台~陸前原ノ町間、2000(H12)年3月11日に地下化。同時にあおば通~仙台間も開業。

陸前原ノ町駅の手前(陸上自衛隊仙台駐屯地付近)で、地下区間(仙台トンネル)に入ることになる。

宮城野原駅は、東北楽天イーグルスの本拠地であるフルキャストスタジアム宮城の最寄り駅となっているので、イーグルスムードのある駅となっていました。

地下化された当時は、自動改札では無かったけど、Suicaの導入により、自動改札が導入され、地下鉄みたいな雰囲気の駅となった。

仙台駅付近が地下、地下区間を抜けるとローカルムードのある路線となるので、長野電鉄と雰囲気が似ています。 長野電鉄は、長野~善光寺下駅間が地下区間、朝陽までが複線区間となっているので。 

仙石線は、東塩釜より先は単線区間となる。

榴ヶ岡駅は、榴ヶ岡公園の最寄り駅であり、駅前に、仙台サンプラザという多目的ホール、ホテルもある。

仙台市営地下鉄 今回は乗車しなかったけど、現在は南北線1路線(泉中央~富沢間)のみとなっている。

南北線の路線 泉中央~八乙女~黒松~旭ヶ丘~台原~北仙台~北四番丁~勾当台公園~広瀬通~仙台~五橋~愛宕橋~河原町~長町一丁目~長町~長町南~富沢

乗換駅 北仙台 JR仙山線 仙台 JR仙石線(あおば通駅)、JR東北線、常磐線、仙山線、東北・秋田新幹線(仙台駅) 長町 JR東北線・常磐線

JR仙石線のあおば通駅から仙台市営地下鉄線の仙台駅への連絡通路もある。

南北線は、1987(S62)年7月15日、八乙女~富沢間に開業したのが始まりである。 あれから丸5年経った1992(H4)年7月15日には、八乙女~泉中央が開業し、現在に至る。 1992(H4)年7月15日といえば、モーニング娘。の久住小春ちゃんの生誕日、JR九州の787系がデビューした日でもある。

地上にある駅 八乙女、黒松、富沢

泉中央駅は、地下駅となっており、Jリーグ・ベガルタ仙台の本拠地である仙台スタジアムの最寄り駅となっている。

車両は、1000系の4両編成となっており、ワンマン運転が行われている。 21本在籍。登場当時は、電機子チョッパ制御となっていたけど、現在は順次冷房化およびVVVF化工事が行われている。 この更新工事は、2013年度まで続けられる予定となっている。

筆者は、仙台以南の区間(仙台~富沢間)は未乗車の状態である。

車両基地は、富沢駅付近にあり、ここには、市電保存館がある。 仙台の市電は、今から30年前の1976(S51)年に廃止されている。こちらは、仙台循環線、長町線があった。

仙台市営地下鉄東西線は、現在計画中の路線で、2015年度中に開業する予定となっており、ルートは、動物公園~仙台~荒井となっている。 車両は、都営大江戸線などと同様のリニアモーター方式となっている。

仙台市営地下鉄とJR仙石線と直通運転されるという計画があったけど、現在は幻に終わっている。

この後は、ファンの友人と仙台サンプラザで行われたモーニング娘。のコンサートを見ました。 友人は、高橋愛ちゃんのファンで、鉄道に関する知識があると言ってました。こちらは、午後の東北新幹線はやて号で仙台入りしていたので、トンボ帰りの状態となっていた。

この時に土日きっぷを使用すればよかったと言ってました。 今回は通常の乗車券を使用していたので。

その友人は、昨年11月26日から27日に、ハロプロ関連で山形・群馬に行った時に、土日きっぷを使用していたと言ってました。

この後、仙台駅付近の松屋で食事した後、友人と一緒にはやて34号で東京まで帰りました。 この時は、金券ショップで購入したバラの指定席回数券を使用しました。 この時に乗った編成は、J54編成(E223-1004F)となっていました。 やはり、新幹線のはやてに乗れば、大宮までノンストップ、275Km/h運転だったので、とても速かったです。

前日の宿泊地である福島も、あっという間に通過していました。 ここで、最終のつばさ132号(400系の単独運転)を追い抜いていました。

最終のやまびこ70号は、はやて34号よりも14分後に発車、東京には、23:44に到着していました。

東京駅で、友人と別れ、山手線で目白まで帰ったけど、やまびこ70号が東京に着いた頃には、目白に到着していました。

以上でレポートを終了します。
by hy_sengen-sin | 2006-03-29 14:19 | 鉄道乗車記