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交通(主に鉄道)活動・イベントの日記です。フェルメール・ブルーとは、筆者のお気に入りの列車である小田急60000形MSEの色である。


by hy_sengen-sin

首都圏から姿を消す103系

かつては、首都圏各地で良く見られていた103系も、現在は残りわずかとなり、首都圏の103系の最後の砦ということになってしまいました。まもなくこの最後の砦も崩れようとしています。

現在残っている103系 武蔵野線(オレンジ色)、常磐快速・成田線(エメラルドグリーン)、鶴見線(カナリア色)

11月18日、京葉線の103系は、最後まで残っていたケヨ302編成(クハ103-713F)が営業運転から離脱。 HM無しの静かな幕引きとなった。

このケヨ302編成は、11月21日に大宮まで廃車回送されていた。これによって、かつての京浜東北線を彷彿とさせるスカイブルー(青色22号)の103系が、首都圏から全滅したのである。ほとんどが京浜東北線から来た編成だった。

武蔵野線の車両は、京葉線の東京~市川塩浜~西船橋間および西船橋~南船橋~海浜幕張間に乗り入れているけど、103系の全廃をもって、京葉線からすべて103系が無くなることになる。これにより、京葉線のトンネル区間でのMT55による轟音も、聴けなくなってしまいます。こちらは、武蔵野線の西国分寺~新秋津間の長大トンネル区間でも言えることである。

京葉線の103系は、1986(S61)年3月3日の西船橋~千葉みなと間の開業の時から使われていて、1990(H2)年3月10日に東京まで延長開業されるまでの間は、103系が当たり前だった。1988(S63)年12月1日から武蔵野線の103系も京葉線に乗り入れ開始。当初はすべて6両編成で、201系も使用されていた。 1991(H3)年の205系の導入とともに8両編成化、103系も8両編成に。1996(H8)年にすべて8両編成化されたのに伴い、201系が武蔵野線から撤退していた。

2000(H12)年に中央・総武緩行線から捻出された201系によって、分割・併合列車から置き換え開始。 当時は、103系が外房線の勝浦、東金線の成東まで運転されていた。
ここから捻出された6両編成車のうちの1編成は、青梅・五日市線に転属してたけど、やはり201系に置き換えられて廃車。 そのうちの4両は、一昨年4月13日に運転された青梅線の103系のさよなら運転として青梅~奥多摩間で運転されていた。

あれ以来、201系のほか、山手線や中央・総武緩行線から捻出された205系によっても置き換えられていた。

2002(H14)年には、山手線から一番最初に運用離脱されたクハ205-11Fと15Fの2編成が京葉線入り。6ドア車を抜いた10両編成で転用。 

最後まで6+4仕様(分割・併合非対応)で残っていたDDM改造車(モハ103-502号車)を含むケヨ304編成(クハ103-345F)が、山手線から転属の205系の導入を待たずにいち早く廃車。

今年9月になってから、山手線で最後まで残っていた初期型の205系(田の字型の窓の編成)が京葉線で順次営業運転され、今年11月に山手線で最後(4月17日の最終日)まで走っていたクハ205-4Fが営業運転開始されたことにより、京葉線の103系の19年間の歴史に終止符が打たれたのである。

武蔵野線に残る103系は、E11編成(クハ103-293F)と、E15編成(クハ103-475F)は、12月改正までに全廃となる予定となっている 205系の導入は、山手線から転用されるクハ205-16Fの導入をもって完了。これをもって、3年間掛けて行われた山手線の205系の他線区への転用計画が完了することになる。

武蔵野線では103系が当たり前のように運転されていて、低運転台の初期型車も含まれていたけど、現在は2本しか残っていないので寂しい状態である。置き換え前は103系が8両編成33本在籍していた。

こちらは、1983(S58)年まで中央快速線で走っていた103系および、一昨年春まで青梅・五日市線で走っていた103系を彷彿とさせる編成だった。
武蔵野線では、開業当時から1986(S61)年まで、101系の1000番台も走っていた。

中央・総武緩行線から転用されたE38編成(クハ103-821F)は、6月25日のイベント列車で使用され、武蔵野線から追われた後に、JR西日本に売却されていた。

武蔵野線で廃車となった103系のうち、元E20、21、22、27編成のうちの4両は、オレンジ塗装のままインドネシアに売却されている。(E20、22編成は高運転台車、E21、27編成は、低運転台車となっている)
こちらでは、元都営三田線の6000系および元東急の8000系とともに活躍することになっているので驚きである。 今年7月に、伊豆のなつ号として走っていた元東急8007Fが、そのままの塗装で走っているので、まさにジャワの夏号と言いたくなるような感じである。

鶴見線の103系(カナリア色で唯一残った103系)は、T1編成(クモハ103-66F)が予備車として残されているけど、どうなるのか気になります。
既に後継ぎ車である205系1100番台の導入は完了している。
鶴見線の103系は、1990(H2)年8月2日に導入開始。

この編成は、今年8月27日に東京総合車両センターで行われた103系の試乗列車として使用されていた。 5月の大宮の時とは違い、列に並べば気軽に乗れる試乗列車となっている。

常磐快速線の103系(エメラルドグリーン)は、昨年の3月に全廃予定だったけど、マト7編成(クハ103-273F)の10両基本1本と、マト22編成(クモハ103-147F)とマト31編成(クモハ103-84F)の5両付属2本が最後の活躍をしている。 諸事情により、昨年3月までに乗りに行けなかったり、撮りに行けなかったファンにとっては嬉しい出来事である。

来年3月のダイヤ改正で、E531系に置き換えられることにより、全廃となる予定となっている。 
マト7編成は、両端部が高運転台のATC仕様車となっている。

常磐快速線では、常磐緩行線(千代田線直通)から転用された1000番台も走っていたけど、既に全廃となっている。

中央緩行線・東西線直通の103系1200番台およびその姉妹車である301系=一昨年6月までに全廃、同年8月3日、301系のさよなら運転が、三鷹→高尾間で行われていたので、普段走らない路線での走行シーンを見ることが出来た。これらの103系には、常磐快速線から転属してきた1000番台も含まれていた。こちらはE231系800番台によって置き換えられていた。

1985(S60)年9月30日から、今年10月まで走っていた八高・川越線の3000番台(ハエ53編成)は、10月2日のさよなら運転をもって営業運転から離脱されていたけど、予備車として復活を果たし、この後の10月17日に大宮まで廃車回送されていた。(最終運用は10月12日) こちらは、かつての山手線と同様のうぐいす色の103系で、首都圏から全廃されたことになった。 

京浜東北線から捻出された103系から改造された103系3500番台は、今年4月に廃車となった。 こちらはかつての山手線の面影のある編成だった。

103系は、1963(S38)年、山手線に登場、あれ以来、1984(S59)年までの21年間という長期に渡って、3447両製造されていた。 MT55の豪快なサウンド、低運転台、高運転台という豊富なラインアップなどで、人気のある車両となっていた。

上記以外の路線でかつて103系が走っていた首都圏の路線

オレンジ色 中央快速線(東京~高尾、青梅間)、1973(S48)年から1983(S58)年まで 201系により置き換え

青梅・五日市線(立川~青梅、奥多摩、拝島~武蔵五日市間) 1976(S51)年11月25日から2002(H14)年4月13日まで、定期運用は同年2月をもって終了。同じく201系により置き換え。導入当初は、低運転台車だったけど、1993(H5)年ごろからすべて高運転台車となっていた。

上記の路線は、2006(H18)年から1年掛けて新型のE233系によって置き換えられる予定。

片町線(学研都市線)でもオレンジ色の103系が使用されていたこともあったけど、JR東西線開通前年の1996(H8)年9月をもって撤退している。 それ以前に101系も走っていたこともあった。

うぐいす色 山手線(東京~池袋~東京) 1963(S38)年から1988(S63)年6月26日まで おなじみの緑色の山手線でJR時代は1年2ヶ月だった。205系によって置き換えられたけど、2002(H14)年から今年4月までにE231系500番台に置き換えられている。

埼京線・川越線(新宿~大宮~川越間、当時) 1985(S60)年9月30日から1990(H2)年12月1日まで こちらで使用された103系は、赤羽線から継承された車両のほか、山手線からそのまま転用されていた車両も含まれていた。 205系によって置き換え

横浜線(東神奈川~八王子間) 1971(S46)年10月2日から1989(H1)年2月26日まで。当時は7両編成で、前面に「横浜線」の大きな表示があったのが特徴だった。205系によって置き換え。

スカイブルー 京浜東北線、根岸線(大宮~東京~横浜~大船間) 1965(S40)年10月から1998(H10)年3月まで こちらは、33年間という長期に渡ってスカイブルーの103系が活躍していた路線だった。 1981(S56)年にATC化される前は、山手線と同様に低運転台の103系も走っていたほか、101系も走っていたこともあった。 209系によって置き換え。 第一次置き換え用として205系が導入されていたけど、こちらも209系に置き換えられている。

JR西日本のアーバンネットワークの東海道・山陽緩行線(琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線)でも走っていたけど、現在は、和田岬線(兵庫~和田岬間)で使用されている。こちらは専用の6両1編成で、2001(H13)年7月1日の電化の時から使用。電化される前は、専用のキハ35型DCが使用されていた。 
その前の1990(H2)年9月までは、旧型客車が使用されていた。

カナリアイエロー 赤羽線(池袋~赤羽間、かつての山手線、元をただせば日本鉄道品川線) 1977(S52)年から1985(S60)年9月29日まで。 101系の時代から親しまれていた黄色い103系であった。 埼京線と結ばれるようになった後も、うぐいす色の103系で運転されていたけど、やはり埼京線の205系化によって姿を消している。

中央・総武緩行線(三鷹~御茶ノ水~千葉間) 1979(S54)年から2001(H13)年3月27日まで 赤羽線と同じく、101系の流れを受け継ぐカナリア色の電車として親しまれ、低運転台から高運転台まで、幅広いラインナップを誇っていた。 209系またはE231系によって置き換え

京葉線の時と同様に最終日は、さよならHMが無く、静かな幕引きとなった。

このカナリア一色の塗装は、同線を走っていた201系にも受け継がれたけど、やはりE231系の導入により、京葉線または青梅・五日市線に転属されている。 その前に中央快速線に転用された車両もある。

南武線(川崎~立川間) 1982(S57)年から2004(H16)年12月17日まで、かつては低運転台の103系も活躍していたけど、末期は青梅・五日市線と同様に高運転台編成に統一されていた。 最後はやはりHMが無かった。

かつては、福知山線(JR宝塚線)でもカナリア色の103系も走っていたけど、現在はスカイブルーに塗り替えられ、のちに撤退した。

鶴見線の最後の1本が無くなれば、カナリア色の103系は過去帳入りすることになる。

仙石線を走っていた103系、登場当時はスカイブルー、のちにオリジナル塗装となり、末期には濃い青色の塗装に変わっていた。 205系3100番台にすべて置き換えられたけど、現在はRT-235編成のみが郡山総合車両センターに疎開留置されている。

JR西日本では、阪和線、羽衣支線、紀勢本線(きのくに線)、大阪環状線、桜島線(ゆめ咲線)、関西本線(大和路線)、奈良線、山陽本線・呉線・可部線(広島エリア)、播但線、加古川線で走っている。昨年10月16日のダイヤ改正までは、岡山エリアでも走っていた。

JR九州では、1983(S58)年の筑肥線の直流電化および福岡市営地下鉄乗り入れ用として、103系1500番台が導入されていた。 導入当初は旧国鉄時代で、青色の塗装だった。
 現在は、JR九州オリジナル塗装で、トイレの取り付け、一部ワンマン化改造が行われている。

加古川線で使用されている103系3550番台は、昨年12月19日の電化と同時に、125系とともに導入されていた。こちらは、大阪地域で使用されていた103系の中間車から先頭車改造された車両で、ワンマン化、トイレの新設などが行われている。

播但線の姫路~寺前間で使用されている103系3500番台(Mcバージョン)は、1998(H10)年3月14日の姫路~寺前間の電化とともに導入された車両で、ワンマン改造、中間M車の先頭車(Mc)化も行われていた。 3507~3509Fには、トイレも新設されている。

JR西日本では、12月1日から321系新型電車が、アーバンネットワーク(琵琶湖、JR京都、JR神戸線)に導入されるのに伴い、201系は大阪環状線、205系は阪和線に転属予定となっているので、関西の103系も危ない状態となっている。

阪和線の羽衣支線(鳳~東羽衣間)では、専用のワンマン列車である103系のL101編成の3両編成(クモハ103-23F)が使用されている。こちらは3分と乗車時間が短い。

引き続き使用される207系は、尼崎事故でのあおりを受けて、順次321系と同様の帯(塗装)に変更されることになっている。
by hy_sengen-sin | 2005-11-22 13:17 | 鉄道車両・路線